今は逆に飽 食のため分 泌 過 多になるせい の出が悪いという人がほとんどであったが、 だ、当 時は食べるものが少ないために母 乳 ようにするにはどうすればよいのか、 と。た きな動 機となっていた。誰でも 母 乳が出る 方 法は、旧 満 州からの引 き 揚 げ 体 験が大 女の考案した『 手技 』と呼ばれるマッサージ 産 師の乳 房マッサージに飛びついたのだ。彼 たため、 かねてより 情 報を得ていた桶 谷 助 してまもなく、 おっぱいトラブルに見舞われ たのは三十年以上も前のことだ。妻は出産 せがまれて、 桶谷そとみ助産師の下を訪ね 初めての母 乳 育 児にとまどっている妻に イプだったようで、母 乳 育 児 を 遂 行 するに 『 乳 管 』は詰 ま りやすいタ とにかく 妻の んたがやるしかない」と。 んでのことであ り 、 「こうなったら先 生 、あ 家族で渡米することになっていた事情を汲 のに。その特 別 という 意 味は、数カ月 後に のだ。弟 子でもなければ、専 門 医でもない て、極々基 本 的な手 技 を 私はその時 習った おられた。実は、「先生は特別や」と言われ たちのために朝から晩まで精力的に動いて 多 くのお弟 子さんや赤ちゃんを抱 えたママ してもよい年 齢であったにもかかわらず 、 私 た ちが 訪 れた 時 、彼 女はすでに引 退 ないようだった。 言うまでもないことだ。 工乳 、も らい乳 )も また命 綱であることは ので、その点、誤 解なきように。代 用 乳( 人 育児でなくてはダメだ、 ということではない ただし、絶対にコレがいいとか、完 全 母乳 育児をしていってもらいたいと思う。 も 選 択 肢の一つと捉 え 、無 理のないように で、 こういう ものを 自 分なりに活 用 するの ちゃんた ち も 色々なタイプがお られる 中 継 承しておられるようだが、 ママたち も 赤 日 本 全 国でお弟 子さんたちがこの手 技 を 実 践 することができた。どうやら現 在 も、 の誕 生日を迎 えるまで何とか母 乳 育 児を サラサラの食事を心掛けて、子どもが一歳 がそれを 励 行し、妻 もできるだけおっぱい 白い血液 か、乳 腺 炎やしこりなどの様々な症 状で授 は定期的な搾乳手技が必要だったのだ。結 技 術 を 用いてそれを 大 量 生 産 している施 『 質の良い僅かな 量の母 乳 を 元に、何かの ントは 地 球の将 来の姿 だったのか も し れ ホ こう してみると、彼 らの体 験 映 像は、 しゅぎ おけたに 乳に支 障 を きたすという 現 象に様 変わり 局、 滞米中、 我流も加わった手技ではあった さくにゅう している。しかし、基 本 的な手 技は変わら ところで先日、男 性の中には母 乳を飲ん ない。 もと でみたいとひそかに思っている人が結構いる 設 を 見た 』という 話が載っていた。そして、 わず らしいという 話 題 を 目にした 。確かに、赤 思いついたきっかけは以下のことだ。今か というアイデアを空想してみたい。 ことができるようになるかもしれない! 』 価の高い母乳を、 自動販売機で手に入れる では、老 若 男 女 誰でも 手 軽に、良 質で栄 養 ではない。そこで唐 突ではあるが、『 近 未 来 や、 あるいはアレコレ思う人がいても不思議 しているのを見てもったいないなと感じる人 る様 子を羨んだり、 ママたちが残 乳を搾 乳 ルで泳いでいる人 たち を 見 学 したが、その 他にこういう体験話もあった。プー また、 母乳(人乳)を買えるぞ、 という話なのだ。 た。だから先 程の、 いずれは自 動 販 売 機で 現実化できるのでは? と思えるようになっ 通に溢れるようになった昨 今、 ひょっとして 時は流れ流れて、 万能細胞という言葉が普 ではなくて、技術の方が。しかし、 それから ても 無 理だと思った。無 料で配るという 点 現していた)。これを読んだ時、地 球ではと むということから、母 乳ではなく 人 乳と表 は、 大人にも通用する普遍的なものになり 「 力 説 してお られた 白い血 液 という 喩 てみたい。 行った 時 、桶 谷 助 産 師に是 非 と も 報 告 し 景 を 目にするようになったなら、あの世に ない。も し、私 が 生 きている間にそんな 情 ことはない、ということになるのか も しれ にも 精 神 的にも 安 定し、 こんなありがたい 享 受できるようになるなら、案 外、肉 体 的 この環 境の恩 恵 を 成 長 してから も ずっと 境は、誕 生 前 後の時 期なのだろう 。だから お そ ら く 人 間にとっての最 高の生 存 環 誰でも 欲しい人に譲っている、 と ( 誰でも 飲 ら十年くらい前、ある惑星を訪問したとい 水 はなんと 羊 水 と同 じ 成 分のもので あっ ました」と。 う 人 た ちの体 験 話 を 読んだことが ある。 た、 と。もちろん健康に良いからというのが 理事長 冨田照見 たとえ もちろん意識レベルでの旅なので、 夢や幻と 理由だったようだ。 うらや ちゃんがゴクゴクと美 味しそ うに飲んでい * * * * * * 一笑に付してもよいのであるが、その中に、 関西労健 VOL87 1 巻頭言 * * *
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