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「するか、せんか」―大島産業 CEO 大島康朋の経営哲学
「経営は将棋と一緒、言ってみればわしは将棋打ちや」―九州・福岡県の物流・建設会社、
大島産業の CEO 大島康朋は、現在の自身をそんな風になぞらえる。
「歩」は若手の社員、
「金」「銀」は脇を固める現経営幹部、「飛車」「角」は同社の事業の
二本柱である運送業と公共工事事業のそれぞれの責任者に例える。毎年の年度初めには飛
車・角をどう使って事業を展開するか考える。しかし大島は自身を「王将」とは決して見
なさない。自身が駒の一つになってしまっては、事業戦略の全体を見失いかねないからだ。
目下の課題は「歩」をどう使いこなして、いかに「と金」に成らせるか、だという。
「阪田
三吉になりたい」―明治から昭和にかけて活躍した名人、阪田三吉の域を目指している。
高校野球の名門、箕島高校野球部では甲子園出場まで果たしたが、卒業後すぐに家業を継
いだ。以来三十年。仕事の内容は大きく様変わりした。ここ一、二年はほとんど本社に籠
りきり、なかなか外には出づらくなったという。理由の一つは、長距離運送業に対する安
全意識の変化だ。
特に、平成二十四年四月に群馬県藤岡市で起きた高速バスの事故は、四十六人の死傷者を
出す大惨事となり、これを発端として長距離高速バスツアーは廃止された。その影響はト
ラック輸送業界にまで及び、国土交通省も現在、長距離トラック輸送の安全対策に乗り出
している。
長距離トラックを「商売道具ではない、人を殺す道具だ」とまで言い切る大島は、会社の
経営者がドライバーを兼任することを禁ずる法整備が必要だと主張する。中小のトラック
運送業の多くは、経営者自らがハンドルを握る事が多く、大島が主張するような法改正は
こうした中小業者にとっては少なからず痛手となってしまう。それでも、経営者自身がそ
うした意識を持たなければ、事故は無くならないと大島は力説する。ドライバーにエンジ
ンをかけさせる前に経営者が何を話すか―それが大事なのだと語る。
実際、大島産業では、大島自身がドライバー一人一人と直接話をする。長距離ドライバー
のスケジュールは個人個人でバラバラのため、大島が彼らのスケジュールに合わせること
になる。安全指導に妥協は許されない。税金で賄われる公共工事を請け負っている身とし
ては、それは尚更のことだという。ここ一、二年、社外に出づらくなったのはそのためだ。
人材育成
大島の目下の課題の一つは人材育成だ。それには管理職の育成も含まれる。
現在の大島産業の社員数は約百二十名。同社は最近、新卒学生のインターン入社制度を開
始したが、これは会社の規模拡大を目指しているものではない。現在の社員数は適切な規
模だと大島は言う。今以上の人員拡大には、管理職がついていけないからだ。管理職にあ
る幹部一人一人が監督する社員の数が彼らの能力を超えてしまうと会社組織全体に綻びが
生じてしまう。監督能力がさらに向上し、管理職一人一人の容量が増えた結果としての社
員数の増加なら構わないが、無理な規模拡大を追う事はしない。身の丈に合った経営を目
指すと語る。
社員の教育にも当然目を配る。将棋で言うところの「歩」の駒にあたる社員たちだ。「今、
考えとうのは、いかにして「歩」を「と金」に成らせるかや。「歩」の無い将棋は負け将棋
言うでしょ」と大島は語る。しかし、そのやり方は社員を従わせることではない。もちろ
ん、大島が社員に迎合することでもない。社員が大島の方針とやり方を理解し、それに共
感した社員だけついてきてくれればいいと言う。このポリシーは徹底している。そのため、
大島産業では社員を「従業員」とは呼ばない。主従の関係ではないからだ。その代わり、
彼のやり方を理解できない社員、共感出来ない社員には、組織全体に悪影響を及ぼす前に
社を去ってもらう事も厭わない。実際、そうした社員も数名いたという。
ただし役員は違う。大島は、役員は「大島家の使用人」と呼んで憚らない。その代わり、
「墓
場まで面倒をみる」と断言する。当然定年も無い。大島産業には今年 60 歳になる役員が一
人いるが、先代社長の時代から勤務して四十余年になる。大島産業の生き字引とも言える
金庫番だ。そうした役員に対しては徹底して生涯責任を持つと公言する。
大島は近年、経営者を対象としたセミナーや講演会に招かれることが多くなったが、業績
向上の秘訣や経営に関するアドバイスを求める依頼に対して戸惑いを隠さない。会社の組
織というものは一つ一つ個性が違うからだ。会社の個性を一番熟知しているのは経営者自
身であり、その会社の個性に合った対処法を見つけ出せるのも経営者以外にいないと言う。
そうしたセミナーでは、彼自身が大島産業で実践している経営ポリシーを語ることにして
いる。それは、安全指導や社員教育、役員の処遇にも見られるような、いったんやると決
めたら徹底的にやりぬく姿勢だ。
「するか、せんか。ゼロか百かや」大島はそう語った。