原 始教 団 にお け る特殊 説法 に つい て 「 舎衛城の神変」 と 「 三道宝階」 を中心 に 宇 野 順 治 仏 伝 の 研究 に 関 して, そ の資 料 を検 討 す る場 合 仏 の誕 生 か ら浬 彙 に至 る まで を 通 説 す る もの はす くない。 特 に, 伝 道 期 の 模 様 は諸 伝 に よつ て異 な り, これ を連 繋 的 に 構 成 す る こ とは 困難 で あ る。 この小 論 は, そ うした事 情 の もと に, 舎 衛 城 の 神 変 」及 び 「三 道 宝 階 」 とい う仏 陀 の 特 殊 な説 法 が, 仏 伝 彫 刻 や, 経 ・律 の文 献 に数 多 く記 録 され てい る こ との 意味 を 考 察 し, そ して, この説 法 が 後世 に伝 承 され た 目的 が, 何 で あつ た か を さ ぐろ うとす る も ので あ る。 先 ず, 「舎 衛 城 の 神変 」 と想 定 して, 現 在 まで に み る こと ので きた 代 表 的 な 彫 刻 の項 目を あ げれ ば;次 の ご と くで あ る。 1.仏 陀 よ り肩 火 と足水 を現 じて い る彫 図 1.Sikri出 土. Karachi museum 2. No.1601 (G. A. P. fig.116) Calcutta Indian mu. (A. G. B. G. fig. 263) 3. Paitava. Guimet. mu. (G. A. N. p. 1, 73) 4. Paitava. Kabul mu. (P. H. A. fig. 68) II. 一身 多身 ・神 足 変 化 の彫 図 5. Mohamed Nari. Lahore mu. No. 1135 3C. A. D. (G. A. P. fig. 225) 6. near Yakubi. Peshawar mu. No. 280 (G. A. P. fig. 256) 7.Lorian Tangai. 8. 9. Calcutta mu. No. A234843-4C. A. D. (『カ ル カ ッ タ 美 術 館 』21図) Karachi mu. No. 1734 3C. A. D. (G. A. P. fig. XX-2) Ajanta cave. No. 7. (B. B. A. fig. XX) 10. Sarnath. Calcutta mu. 5C. A. D. (W. B. fig. 111-30) 11. Nalanda. Calcutta mu. 6C. A. D. (I. C. fig. IX) 12. Sahri Bahlol. Peshawar mu. No. 1554 (G. A. P. fig. 257) 13. Bharhut. Calcutta mu. (B. B. A. fig. XXVIII-2) 14. Dharmara jika. Taxila mu. No. 364 (G. A. P. fig. 109) III. 15. 華台 楼 閣三 尊 の彫 図 Sahri Bahlol. Peshawar mu. No.158 -997- 3C A. D.(『 イ ン ドの 仏 跡 』59図) (121) 原 始 教 団 にお け る特 殊 説 法 に つ い て(宇 16. 野) Loriyan Tangai. Calcutta mu. No. 5030 2, A. D. (A. G. B. G. fig. 408) 17. Mohamed Nari. Lahore mu. No. 1134 (B. B. A. fig. XXVI-1) 18. Sarnath. Sarnath 19. Sarnath. 20. Magada. そ の 他, Bahaiの ・南 ・美, 331図) Calcutta mu. (B. B. A, fig. XXIII-1) Bombay mu. Madras 僧 院 等 に も あ つ て, な 書 名 で, gue mu.(印 Sarnath mu. No. 261 (B. B. A. fig. XIX-1) G. A. mu. P.=Gandharan du Gandhara. History of Art. G. Buddha. I. C.=Catalogue A. British 合 計36の Art in Pakistan N.=Gandharan B. B. A=The Art Beginnings of mu. Berlin 彫 図 を 数 え る。 尚, A. G. North of Buddhist Karle cave, India. P. Art. Art. Takht-i- は そ れ を掲 載 す る 主 B. G. =Lart of Buddhist Exhibition mu. ()内 W. H. grco bouddhi- A.=The B=The Pelican Way of the 印 ・南 ・美 ・=『 印 度 及 び 南 部 ア ジ ア 美 術 資 料 』 の 略 で あ る。 こ の 彫 刻 を 系 統 別 に お き か え れ ば, 14.Bharhut-1. Bihar-1. Sarnath-2, Karle Sarnath-1. Cave-1と な り, Iは, Gandhara系 Ajanta-1. の み, IIはGandhara- Nalanda-1. IIIは, 圧 倒 的 にGandhara様 Gandhara-14. 式 が 多 い こ と が, 注 目 さ れ う る。 干 潟 博 士 は, この 「舎 衛 城 の 神 変 」 を, 神 変 が 現 わ さ れ た こ と を 述 べ て い る1)。 前 段 と 後 段 の 二 段 に 区 分 し て, こ れ を, フ ー シ エ(A. Foucher)博 論 文 に よ つ て み れ ば, 讐 神 変 と 大 神 変 の 二 種 に 区 別 さ れ る。 讐 神 変 と は, 話 形 式 の も の で あ り, 相 手 が 歩 く と 座 る, つ た も の を い い, 大 神 変 と は, 政 治 的 な 意 図 を も つ て, に は, 定 光 仏 受 記 の 彫 図 が あ り, ま た, 即 ち対 種 々の 伝道 の パ タ ー ン を これ に よつ て上 述 の 美 術 資 料 を 分 類 す れ ば 三 つ の パ タ ー ン に 区 別 す る こ と が で き る。1は 足 下 に 水 を 出 す と い う彫 図 で, 士 の 水 を 出せ ば火 を出 す とい つ た ペ ア に な 複 数 的 に シ ン ボ ラ イ ズ し た も の で あ る と い う の で あ る2)。 火 を 出 し, 二 種 の 讐 神 変 で あ る。 た だ し, ス マ ー ガ ダ ー(Sumagadha)の 仏 陀 の肩 よ り この種 の もの 帰 依 と説 明 さ れ て い る 場 合 も あ る3)。 1) 「阿 弥 陀 経 の 焔 肩 仏 に つ い て 」 山 口 益 博 士 還 暦 記 念 論 文 集 『印 度 学 仏 教 学 論 叢 』130 頁 ∼。 2) "The 3) G. Great A. P. fi9. Ingholt.) は, Miracle 116は at 6ravasti"『The BeginniDgs of Buddhist 彫 刻 が 二 つ に わ れ て い る の で 説 明 し が た い が, Art』P. 12-184. イ ン ゴ ル ト(H. ス マ ー ガ ダ ー の 改 宗 と し て 説 明 し て い る。 しか し, 『増 一 阿 含 経 』 巻 三 十 等 を 参 照 す れ ば, こ の 改 宗 の 問 題 と 本 題 は, -996- 連 絡 が あ る と考 え ら れ る。 原始教団 にお ける特 殊説法 について(宇 野) (122) しか し て, この神 変 は, 先 に行 わ れ た三 迦 葉 の帰 仏 の 場 合 と様 子 を 同 じ くす る もの で, 唯 物 論的 感 覚 論 者 の制 感(pratyahara)と し て, これ で は, 相 手 に充 分 な 解 決 を あた え た もの で はな い と考 え ら れ る。IIIの一 身 他 身 神足 変 化 の彫 図 は, こ の神 変 の 主 要 テ ー マ となつ てい る図 で あ る。今, No. 5, Mohamed Narl出 土 の彫 図 をみ る と, 仏陀 の周 囲 に, ナ ン ダ ・ウパ ナ ンダ の二 竜 王, 天 子 及 び キ ン ナ ラ, 冥 想 の 菩薩, 一 身 よ り多 身 を現 ず る化 仏, 経 典 を もつ 弥 勒 仏等, 大 小65の 人 物 と, 4匹 の 動物, 華台, 蓮 池 を もつ て写 実 的 に表 現 され た 代 表 的 な大 神 変 の彫 刻 で あ る。IIIの華 台楼 閣 の三 尊 形 式 は, これ を更 に, シ ン ボ ラ イ ズ し, 仏, 梵 天, 帝 釈 を 中心 と し た説 法 図 で あ る。 次 に, 「舎 衛 城 の神 変 」 に関 す る文 献 資 料 をみ れ ば, 律 部 で は, 「根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 雑 事 」巻26が 最 も詳 し く, 他 に, 「四 分 律 」に もみ られ るが, 私 の散 見 し た と ころ で は, 他 の諸 律 に は ない。 また, 阿含 で は, 「雑 阿 含 経 」 巻23と パ ー リ 小 部 に み られ るの み で他 に な い。 た だ, 「増 一 阿 含 経 」 巻37(大2・753c∼)と 巻29(大2.711a)に 「同 」 大 神 足 の比 丘 の様 相 を述 べ て い るが, 「舎衛 城 の神 変 」 と は, 直 接 関係 は ない。 この よ うに, 「舎衛 城 の神 変 」 の伝 説 は, 有 部 系統 の 伝 承 と し て特 徴 を もつ てい る。 ゆ え に, 先述 の美 術 資 料 と も, 系 統的 に合 致 す る と ころ で あ る。 次 に, 「為 母説 法 ・三 道 宝 階 」 に関 す る彫 刻 を検 討 す れ ば, 三種 の彫 図 に 区 分 す る こ とが で き る。 I.仏, 切 利 天上 説 法 の彫 図 1.Sikri出 土Lahore 2. Amarabati museum. No. 5(G. A. p. fflg.104.) Madras mu. (B. M. G. N.) II. 三 道 宝階 降 下 の彫 図 3. Bharhut Calcutta mu. (W. B. fig. III-32) 4.Sachi 北 門 西 柱 正 面1C. B. C.(S. Catalogue) 5. Rajghat Mathura mu. 2C. A. D. (H. I. I. A. fig. 104) 6. Mathura mu. No. N 239. 2068. (M. S. fig. 28) 7. Sarnath Calcutta mu. (印 8. SarDath Calcutta mu. No. ・南 N ・美 261(『 ・331図) 印 度 古 代 美 術 展 』159図) 9. Lorian Tangai Calcutta mu. (A. G. B. G.fig. 265) 10. Babouzai Bombay mu. (A. G. B. G. fig. 264) 11. Detroit institute of Arts. (H. I. I. A. fig. 91) -995- (123) 原 始 教 団 に お け る 特 殊 説 法 に つ い て(宇 III. 野) 礼 拝 仏 像 形 式 の彫 刻 12. Nalanda New Dalhi mu.9∼10C. A. D. (『ニ ュ ー デ リ ー 美 術 館 』85図) 13. Patna mu. No. 9591. 10C. A. D. (P. Catalogue. fig. 21) 14. Patna mu. No. 23 11C. A. D. (P. Catalogne fig. 12) (H. I. I. A=History of Indian and Indonesian Art. M. S.=Mathura これ を, 系 統 別 に 数 え る と, Iは, ra-3. Mathura-3. Sarnath-2. Gandhara-1. Safichi-1. 合 計15の 彫 刻 が み ら れ る。 そ し て, Amarabatl-1. Bharhut-1. IIIは, Sculpture.) Eは, Patna-2. の こ の 「三 道 宝 階 」 に 関 す る 彫 刻 は, 前2世 紀 の バ ー ル フ ッ トに み ら れ る ご と く, こ の 地 方 を 中 心 に, Nalanda-1. Gandha- 早 くか ら伝 承 され てい る こ と を 知 る こ と が で き る。 し か し な が ら, 物 語 の 降 下 処 で あ る サ ン カ シ ヤ(Sa kassa. skt. Sankaya.)に つ い て は, は つ き り し た 考 古 学 的 論 証 が な い4)。 次 に, 「三 道 宝 階 」 の 文 献 に つ い てSarhyutta-Nikaya (S. N. 40, 10. 南 伝, 15, p. 415)及 Moggalana. S. Sakko び, 「雑 阿 含 経 」 十 九 巻 は, 天 上 で の 説 法 の み を 説 き, 特 に 目 腱 連 の 説 法 と し て 伝 え ら れ て い る こ と は, 注 意 す べ き こ と で あ る5)。 ま た, SuttanipataのSariputta 4. 186c)に 引 用 さ れ, sutta(P. T. S. No. 955, p. 185∼)が, 係 を も つ て い る こ と, Sarabamiga-Jataka(K. ka (K. N.29南 伝28, p.373)の N. 483. 南 伝34. さ て, p. 226)Kanha-Jata- 序 文 に 舎 利 弗 の 説 法 が, 「舎 衛 城 の 神 変 」 と 「三 道 宝 階 」 の 物 語 に 続 い て 関 係 し て い る こ と等, 連 と 同 様, 義 足 経(大 こ れ が, 仏 三 道 宝 階 降 下 時 の 因 縁 に つ な が り, 舎 利 弗 と 関 こ の 物 語 の 原 型 が, 舎 利 弗 も ま た 目 関 係 を もつ て い る こ と が 知 られ る。 仏 教 々 団 が, 初 転 法 輪 以 後, 釈 尊 の 教 化 に よ り, 三 迦 葉 を は じ め, 舎 利 弗 ・目 連 等 の 仏 弟 子 の 活 動 を 加 え, 諸 王 等, 在 俗 信 者 の 信 望 を 集 め た こ と は, 経 律 に よ つ て 明 ら か で あ る。 こ の よ うに 教 団 が 充 実 し, 増 広 さ れ た こ と に よ つ て, そ こ に 起 り う る こ と は, 一 つ に は 異 教 徒 と の 対 立 で あ り, 今 一 一つ は, 教 団 内 部 の 新 た な 統 制 に よ る 問 題 で あ ろ う。 前 者 は, 「舎 衛 城 の 神 変 」 が よ き 事 例 で あ り, 後 者 の 問 題 と し て, 釈 尊 が, 教 団 よ り姿 を 消 す と い う 「仏 昇 切 利 天 」 の こ と が ら が, そ れ を 意 味 し て い る。 律 蔵 「経 分 別 」 に は, (南伝 巻 一, 律 部 一 の十 五 頁) 「舎利 弗, 僧 衆 多 くの経 験 あ る者 に て, 大 と な りた る時, 僧 中に何 等 か の有 漏 法 起 るべ し, (ま た)舎 利 弗, 僧 中発達 して 大 と な りた る時, 僧 中に 何等 か の有 漏 法 起 る べ し, (ま た)舎 利 弗, 僧 中多 聞 の 大 を得 る時, 僧 中 に何 等 か の 有 漏 法起 る べ し, そ の 時, 如 4) 水 谷 真 成訳 『大 唐 西 域 記 』p. 160の 註 四 参 照。 5) 高 田 修 『仏教 の伝 説 と美 術』p. 143参 照。 -994- 原始教団におけ る特殊説法 につい て(宇 野) (124) 来 は諸弟子 の為, 彼 らの有漏法を断ず る為 に, 学処 を制 し, 波羅提木叉 を涌出す べし」 と あ る。 ま た, 「増 一 阿含 経 」 巻28(大2, 705b)に は, 仏 昇 切 利天 へ の動 機 は, 「四部 衆 の癬 怠 に よ る こ と」「法 を きか ず, 方 便 を用 い て, 証 得 の 道 を 忘 れ た 」 こ とに あ る とい う。「有 部 雑 事 」 巻29(大2446, a)で は, 「そ の時 仏 利 養・ の過 を 断 ぜ ん と欲 す るが 為 の 故 に, 遂 に三 十 三 天 に昇 り」 た も うた とあ る。 そ もそ も, 「舎 衛 城 の 神 変 」 な る もの は, 諸 比 丘 のむ や み に, 神通 を あ らわ す こと を規 制 し た こと に よつ て, か え つ て諸 外 道 の挑 戦 を うけ る こ とに な り, 行 わ れ た もの で あ る。 そ して, そ の結 果, 仏 弟 子 の 増長 は ます ます 激化 し, 釈 尊 にお い て し て も教 団 の統 制 に支 障 を きた した もの と考 え られ る。 しか らば, なぜ, 一 旦, 姿 を隠 さ れ た釈 尊 が, 再 び大 衆 の 前 に現 われ た の で あ ろ うか。 「増 一 阿 含 経 」巻28(大2, 707, a)で は 「四 部 の衆 が遊 化 し」「闘訟 す る こと な く」 「外 道 異 学 は触 嶢 す る こ と な く」 「天 界 と人界 が, 等 し くなつ た 」 か らだ と述 べ て い る。 し か し て, 「三 道 宝 階 」 を化 作 せ しめ, 仏, 梵 天 と帝 釈 を侍 立 して, 地 上 に還 帰 され た とい うパ タ ー ン は, 文 献, 美 術 の 両 資料 に最 もよ く強 調 され て い る と こ ろ で あ る。 「増 一 阿 含 経 」 巻28(大2, 707, a)に は, 「爾時 臨七 日頭釈提桓因告 自在天子日汝今従須弥 山頂至僧迦 池水作三道路観如来不用 神足至閻浮地……」 と あ り, 「有 部 毘 奈 耶 雑 事 」 巻29(大24, 347, a)に は, 「仏作是念, 我但歩去者, 恐外道見識, 沙門喬答摩 以神通力往三十三天, 見彼妙色心生 愛著 神通即 失足歩而還, 若以神通徒煩天匠, 我今宜可半以神通半為足歩往購部洲」 と あ る。 増 一阿 含 で は, 神足 は不 用 で あ る と述 べ て い るの に, 有 部 雑 事 で は, 半 ば 神 通 を用 い 半 ば 足 歩 を もつ て した とい うこ と は, 両経 に神 通 に対 す る あつ か い 方 の差 が み られ る。 神足 を もつ てせ ず に還 帰 され る とい うことが 宝 階 を下 る とい う こと に潤 色 した もの で あ る な ら ば, これ は, 「舎 衛 城 の 神 変 」 の裏 物 語 で あ る。 そ して神 変 を強 調 しな い大 衆 部 系 に この 伝承 が, 強 くみ られ, 先 の 舎 衛 城 で の物 語 は, 逆 に上 座 部 系 に 強調 され てい る こ とを 考 え れ ば, 神 変 と い う伝 道 の方 法 に 両派 の態 度 が 異 な る こ とを見 出す こ とが で き る。 -993-
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