2015 年 3 月号(通算 401 号) るうてる 箱崎群教会共同体版 発 行 日本福音ルーテル箱崎教会 代表者 牧師 和田 憲明 〒812-0053 福岡市東区箱崎 3-32-3 TEL(092)641-5440/FAX(092)641-5480 メールアドレス [email protected] -月報 メッセージと証し- 箱崎教会・恵泉幼稚園 http://www.jelc.or.jp/hakozaki 聖ペテロ教会・奈多愛育園 http://nata.aiikuen.net/ 彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 (『聖書』イザヤ書53章5節b) 雨ニモマケズ、風化ヲサセズ 「雨ニモマケズ」 (宮沢賢治/1896-1933)の詩が、被災した石巻市立大 川小学校の校庭に残っていた。訪れた一年前、校庭の野外ステージを囲 む壁に「銀河鉄道の夜」壁画と共に色あせず描かれてあるのを目にした。 この小学校の子どもたちが日々眺めていたものだ。校庭中央の記念碑前 では、僧侶たちが御経があげ、関係者たちが手を合わせていた。 「雨ニモマケズ」の詩は、宮沢賢治の死後翌年に、遺品から偶然見つか った遺作である。この詩をしたためた手帳には「南妙法蓮華経」と記さ れていたことで知られる。賢治は熱心な法華経信者だった。しかし興味深いことは、賢治の生涯にキリ スト教が度々関わっていたことである。賢治は宣教師を尋ね、友人と一緒に英会話を習い、バイブルク ラスに通っていた。また二歳年下の妹トシが通う学校の影響で讃美歌も一緒に歌った。さらにもう一つ は、斉藤宗次郎との出会いである。賢治が勤務していた花巻農業高校の職員室に、斉藤は毎日のように 訪ね、蓄音機でクラッシク音楽を聞き、童話や文学の話をしていた記録も残っている。 斉藤は賢治と同郷岩手の花巻に生まれた。賢治より 19 歳年長である。23 歳の時に内村鑑三の書物に 感銘を受け、洗礼を受ける。後に彼の忠実な弟子となり、内村の最期を看取った。内村の影響を受けた 彼は非戦論などを唱えたため、小学校教師の職を失う。周囲からの激しい迫害を受け、娘は犠牲者とな った。それでも信仰を守り続けた筋金入りのキリスト者だった。生活のためにやっと有りついた仕事は 新聞配達。バイクや自転車の使用がなかった時代に、手と足で配達した。一日 40 キ ロに及ぶこともあるほど過酷な仕事、そして村八分にあいながらも、雨の日も、風の 日も、雪の日も休まず 17 年間続けた。いつしか斉藤の敬虔な姿に心を動かされた村 人は「花巻のトルストイ(1828-1910/ロシアの小説家・思想家)」とまで呼ぶように なる。斉藤の生き方はまさに「木偶の坊(デクノボウ)」そのものであった。賢治は「雨 ニモマケズ」の後半に「ミンナニデクノボウトヨバレ、ホメラレモセズ」と記す。民 衆の尊敬を集めるに違いない菩薩の姿からはあまりにもかけ離れてみえる。「木偶の 坊(デクノボウ)」とは、皆に侮られ、唾を吐きかけるような愚かな存在ではないか。 (参照:「宮沢賢治とキリスト教―研究ノート-」立山忠浩著『教会と宣教 第 20 号』2014) 冒頭の聖書のみ言葉は「…見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿も ない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は わたしたちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し無視していた。 」 (同書 53 章 2 節 b)の続きである。この箇所 を先人たちは、人間の罪の赦しのために十字架に向かうイエス・キリストを予型した「苦難の僕(しもべ)」 と呼んだ。登場する「彼」とはイエスを指し示している、という理解である。 聖書は斉藤を突き動かした。斉藤は賢治と語り合った。賢治はこの詩の最後に「…クニモサレズ ソウ イウモノニ ワタシハナリタイ」と書き遺した。その時代に必死に生き抜き、影響を与え、後世に遺され るメッセージがあった。聖書があらためて旧約聖書(Old Testament)と新約聖書(New Testament) だと想起した。「Testament」とは「遺言」の意であった。 この度は、今年度卒園する保護者の方々よりメッセージをいただきました。4 月からの新しい歩みの上に主の祝福を祈ります。 わたしの宝物 M・H(奈多愛育園保護者) 卒園! ついにこの日がやって来ました。 私には 3 人の子どもがおり、合わせて 12 年間この奈多愛育園にお世話になりました。 親子共に多くの成長をさせてくださった奈多愛育園を卒園するのが寂しく、離れがたいというの が、今の気持ちです。 入園したばかりの頃、毎朝シクシクと泣く娘の姿に後ろ髪を引かれつつ、泣きながら通勤した ことを懐かしく思い出します。 それぞれ性格の違う子どもたちでしたが、3 人が共通して言っていたことがあります。 それは、「黄色ぼうしさんになったらね・・」でした。奈多愛育園の中で最年長の光組さんは、 子どもたちの憧れの存在だったようです。小さかった子どもたちもあっと言う間に「黄色ぼうし さん」になり、ずっと挑戦してみたかった「けん玉」を手にし、初めて 1 回乗った時に見せた、 あの嬉しそうな笑顔は忘れられません。 諦めずに頑張ることの素晴らしさを心と体で感じられたことと思います。 クリスマス会では、憧れの降誕劇。この劇は、毎年変わらず光組さんが披露してくれているの だそうです。息子は「宿屋さん」娘は「博士」の役をさせていただきました。 娘のクリスマス会が近づいたある日、娘が台詞や歌の練習をしていると、5 年前に演じた息子が 一緒に歌っていることがありました。その光景が、なんとも微笑ましく、新しいことをどんどん 取り入れることも素晴らしいことですが≪ずっと変わらずあり続けるということも、素敵なこと なんだなあ≫と思いました。 奈多愛育園で過ごした 12 年間は私の宝物です。 いつでも子どもたちを支え、見守ってくださった園長先生、諸先生方、長い間本当に お世話になりました。 これからも、大切な子どもたちをあるがままに受け入れ、笑い合い、喜び合いながら、 親子で一緒に成長していきたいと思います。 ありがとうございました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 子どもとともに M・F (奈多愛育園保護者) 奈多愛育園には、長男が 0 歳の時からこの 3 月に次男が卒園するまで、丸 10 年間、大変お世 話になりました。 私は生まれてからずっと奈多愛育園のある奈多の地に住んでおり、周りには奈多愛育園の卒園 生がたくさんいます。私自身は違う園を卒園していますが、奈多愛育園を卒園した友人たちが大 人になっても園での思い出を懐かしむのがとても印象的でした。 実際、自分が親となり息子二人を奈多愛育園に通わせてみてその訳が分かりました。 奈多愛育園では、のんびりした雰囲気の中、いろんな体験をすることができます。それらを通 じ、子どもたちはお互いを尊重する心を育みながら成長していきます。 夏はゴーヤやオクラ、ミニトマト、秋はお米やさつまいもなど自分たちで育て、収穫したもの をいただくことで恵みへの感謝の気持ちを育てていただきました。 年長の光組になると、けん玉や太鼓に触れる機会があります。けん玉や太鼓は年長さんのみの特 権でもあり、子どもたちは光組になるのを楽しみにしています。小さいながらも一生懸命練習し、 時には友だち同士教え合い、助け合いながらがんばる姿は微笑ましく、親として子どもの成長を 感じさせられた瞬間でもありました。 12 月に行なわれるクリスマス礼拝・祝会で年長さんが演じてくれる降誕劇は、自分の子どもが 演じる年でなくても心を打たれます。 息子が「クリスマスは、イエス様の誕生をお祝いする日なんだよ。」と教えてくれた時、子ども たちにもきちんと物事の本質が伝わっているのだと思い感動しました。 子どもたち一人ひとりに、きちんと向き合い、大切に育ててくださった先生方。 たくさんの経験や体験を通して、子どもたちの成長を見守ってくださったことに心から感謝いた します。 10 年間、子どもとともに通った奈多愛育園を離れてしまうのは寂しいことですが、こらから もたくさんの奈多愛育園の子どもたちが元気に成長していくことと思います。 奈多愛育園の更なるご発展をお祈りいたします。ありがとうございました! 1 月に白川牧師が、神のみ許に召されました。毎月の誕生会では、お言葉をいただき、神さま に守られて大きくなっていることを教えていただきました。心から感謝 申し上げるとともに、安らかな眠りをお祈りいたします。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「僕の友達は 35 人」 K・F(恵泉幼稚園保護者) 二人の子供を幼稚園に通わせ 4 年。本年度で長男が卒園。長いようで短い 4 年間、沢山の貴 重な時間を過ごすことができました。 その中でも私は長男が年中の時に言った、「僕の友達は 35 人」という言葉が頭から離れませ ん。 私の考える“長男の友達”はいつも行動を共にする隣にいる人だと思っていました。でも彼に とっては違いました。 ある日の帰り道「僕には遊ぶ友達がいない。」と彼がボソッと呟いたのです。私は耳を疑いま した。いつも仲の良いお友達と遊んでいるのに、なぜそんな事を言うのだろうと。私は「どうし て、遊ぶお友達がいないと思うの?」と聞くと彼はこう答えました。 「いつも遊ぶ友達だけじゃ、嫌だ。僕の友達は 35 人なのに、みんなと一緒に遊んでいない。僕 は、みんなと遊びたい。でも、誰も僕を誘ってくれない。だから、僕には遊ぶ友達がいない。 」 と。 始めは何を言いたいのかさっぱりわかりませんでした。でも、さくら組みんな友達だ‼という、 彼の気持ちは伝わりました。そこで一緒にどうしたらみんなと遊べるか考えました。誘われるの を待つだけではなく、勇気を持って自分から声をかける。それが、彼と一緒に考えて出した結論 でした。 その後もなかなか自分から「僕も遊びたい」と言えず苦労しましたが、先生の手助けもあり「友 達がいない」と言わなくなりました。 彼とのこの出来事を通じ、今まで何気なく聞き過ごしていたみ言葉が、我が子の中でいかに大 事なものとして日々を過ごしているのか、すごく教えられた気がしました。それと同時に私の考 えも少しずつ変わりました。 何気なく選んで、入園させたつもりの恵泉幼稚園。今では家族、兄弟、友達、すべての人との 関わりの根っこを強くしていくために導かれたのだと強く思います。また、この大事な時間を親 子共々大きく包み込んでくれた先生、お母さま方、園に関わるすべての皆様に感謝します。 3 月中旬~4 月中旬祈りのカレンダー 日 8 曜 日 ※3 月 8 日現在の主な予定 箱崎教会・恵泉幼稚園 聖ペテロ教会・奈多愛育園(保育園) 9:00 教会学校礼拝(幼稚園はお休み、小中高は礼拝堂) 、 10:30 四旬節第 3 主日礼拝 10:30 四旬節第 3 主日礼拝、礼拝後、各会 (女性の会、壮年会、こどもとのつどい・青年会) 9 月 10 火 11 水 12 13 木 金 14 土 15 日 16 月 17 火 18 水 11:00 年少・年中終了式、18:30 理事・職員懇親会 19 木 幼稚園新入園児保護者会 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 20 金 10:30 女性の会聖書に学ぶ会(第 2 集会室) 15:30 東区園長会(リーセントホテル) 10:00 愛育園礼拝(年少、年中、年長) 21 土・休 22 日 23 月 24 火 25 水 26 木 27 金 28 29 土 日 30 31 4/1 月 火 水 2 木 3 金 4 5 土 日 6 7 8 9 月 火 水 木 10 11 12 金 土 日 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 10:00 幼稚園卒園式(礼拝堂) 、12:30 謝恩会(ホール) 18:30 幼稚園理事・評議員会(幼稚園ホール) 14:00 フレッシュ de ハッピーコンサート(礼拝堂) 9:00 愛育園卒園式、謝恩会、13:30 入園式 9:00 教会学校終業式(幼稚園はホール、小中高生は礼拝堂) 10:30 四旬節第 4 主日礼拝、礼拝後、愛餐会、教会学校教 10:30 四旬節第 4 主日聖餐礼拝 師会、メンテナンス委員会 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) ※教会学校は春休みです (4 月 12 日より新学期スタート)、 10:30 四旬節第 5 主日礼拝 10:30 四旬節第 5 主日礼拝、キリスト教入門(要連絡) 10:00 愛育園理事会(別館 2F) 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 第 22 回春の全国 Teens キャンプ~28(土) 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 10:00 愛育園礼拝(年少、年中、年長) ※教会学校は春休みです (4 月 12 日より新学期スタート)、 10:30 枝の(受難)主日礼拝 10:30 受難主日礼拝、4 月役員会(一週繰り上げ) 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 19:00 聖水曜日の黙想と祈りの集い(テゼの歌/礼拝堂) 愛育園始園日 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 10:30 女性の会仕事会(第 2 集会室) 19:00 聖金曜日(受苦日)礼拝(テゼの歌/礼拝堂) 10:00 愛育園礼拝(年少、年中、年長) ※教会学校は春休みです (4 月 12 日より新学期スタート)、 ⇔ 箱崎教会で合同礼拝 10:30 復活祭(イースター)聖餐礼拝、礼拝後、祝会 ※聖ペテロ教会の礼拝はお休み 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 幼稚園始園日 10:00 三苫ヨガ(礼拝堂) 10:00 愛育園礼拝(年少、年中、年長) 、聖ペテロ役員会 10:30 復活後第 1 主日「土曜礼拝」 (聖ペテロ教会) 9:00 教会学校始業日(幼稚園は休会、小中高生は礼拝堂) 復活後第 1 主日礼拝、礼拝後、各会(女性の会、壮年会、 こどもとのつどい・青年会) ※ ※4 月より、聖ペテロ教会「土曜礼拝」がスタートします。これに伴い、毎週日曜日の聖ペテロ教会の礼拝はいたしません。 なお、毎月第 1 日曜日は箱崎教会で合同礼拝のため、第 1 土曜日の「土曜礼拝」がお休みとなります。ご留意ください。 †毎週日曜日の礼拝など、クリスチャン(信徒)でなくても自由にご参加できます。詳細はご遠慮なくおたずねください
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