博士学位論文要約 学位論文名 化学物質による肝細胞増殖の核内受容体を介した制御機構に関する研究 所属 東北大学大学院 薬学研究科 氏名 志津怜太 生命薬科学専攻 薬物動態学分野 成熟した肝細胞は、通常細胞増殖の静止期(G0 期)にあり増殖しないが、ある種の化学 物質の曝露により増殖する。化学物質の継続的な曝露は齧歯動物において肝がんを引き起 こすことが知られており、肝細胞増殖作用は肝発がんにつながる大きな要因である。化学 物 質 に よる 肝 細胞 増 殖は 、 薬 物応 答 性の 核 内受 容 体 であ る constitutive androstane receptor(CAR)や peroxisome proliferator-activated receptor (PPAR)等の関与が 示されており、これらの核内受容体の継続的な活性化は齧歯動物において肝がんを誘発する。 しかしながら、CAR や PPAR活性化に伴う肝細胞増殖のメカニズムは明確となっていない。 他方、肝細胞は、肝障害や肝切除など一部の肝細胞の喪失時においても増殖する。肝細 胞喪失時の増殖は、肝臓のサイズや機能を回復させる肝再生として知られ、肝臓が高い再生能 力を有する臓器であることの要因である。肝細胞喪失時の肝細胞増殖には、切除に伴い肝非 実質細胞や血球系細胞から放出されるサイトカインおよび液性増殖因子が重要な役割を担 うことが知られている。 異物応答性核内受容体 pregnane X receptor(PXR)は、CAR と同様に異物に対する生 体応答を担う主要な転写因子である。PXR および CAR は、異物代謝や排泄に関わる非常 に多くの共通した標的遺伝子の転写を調節し、異物に対する生体防御において両者は協調 的に機能すると考えられている。一方で、CAR の活性化は肝細胞増殖を引き起こすが、PXR と肝細胞増殖の関連性はほとんど知られていない。PXR は、CAR および PPARと同様に 多くの生体外物質によって活性化されることから、PXR の肝細胞増殖への関与を明らかに することは、化学物質の安全性評価において非常に重要であると考えられる。そこで本研 究では、核内受容体を介した化学物質による肝細胞増殖の調節機構の解明を目的とし、細 胞増殖との関連性が明確になっていない PXR についてそのマウス肝における活性化が肝細 胞周期へ及ぼす影響、さらに PXR 活性化が、化学物質曝露時や肝細胞喪失時における他の 因子による肝細胞増殖に与える影響について解析した。 はじめに、PXR 活性化が、CAR 同様に肝細胞増殖作用を有するのか、また CAR 依存的 な肝細胞増殖に影響を与えるか調べるために、マウス PXR 活性化物質である pregnenolone 16-carbonitrile ( PCN ) ま た は マ ウ ス CAR 活 性 化 物 質 で あ る 1,4-bis[2-(3,5dichloropyridyloxy)]benzene(TCPOBOP)を単独または併用でマウスに腹腔内投与し、 投与 48 時間後の肝細胞増殖を評価した。細胞増殖マーカーとして知られる Ki-67 の抗体を 用いた免疫組織染色を行ったところ、Ki-67 陽性核数は、TCPOBOP 単独投与で有意に増 加し、TCPOBOP 投与による肝細胞増殖が確認された。一方で、PCN 単独投与では、Ki-67 陽性核数は増加せず、PXR の活性化は単独では肝細胞増殖を引き起こさないことが示唆さ れた。しかしながら、PCN と TCPOBOP を併用投与すると、TCPOBOP 単独投与時以上 に Ki-67 陽性核数は増加した。また、細胞増殖関連遺伝子 Ccna2 の mRNA レベルにおい ても同様の変動が認められた。一方、PXR 欠損型マウスにおいては、上記のような PCN の併用投与による細胞増殖の増強作用は認められなかった。次に、PXR が細胞増殖惹起作 用を示さないことをさらに確認するために、PCN を 1 週間混餌投与(500 ppm)し、PXR の持続的な活性化が、肝細胞増殖に及ぼす影響を解析した。その結果、肝の Ki-67 陽性核 数および Ccna2 の mRNA レベルは、PCN 投与により増加しなかったことから、PXR の活 性化は肝細胞増殖作用を示さないことが強く示唆された。次に、CAR 活性化時とは異なる 機序で肝細胞増殖を引き起こす PPARによる肝細胞増殖に対しても PXR の活性化が増強 作用を示すか否かを明らかとするため、マウスに PPAR活性化物質の Wy-14643 を単独ま たは PCN との併用で腹腔内投与し、上記と同様に解析した。その結果、Ki-67 陽性核数お よび Ccna2 の mRNA レベル は、Wy-14643 の投与により増加傾向を示し、PCN の併用投 与により、これらはさらに増加した。以上、CAR や PPARαの活性化物質処置時とは異な り、PXR の活性化は、肝細胞増殖を引き起こさないものの、CAR や PPARαの細胞増殖作 用を増強することを見出した。 次に、 不死化マウス肝細胞 AML-12 細胞を用いて、 増殖因子による細胞増殖に対する PXR 活性化の影響を解析した。AML-12 細胞を無血清培地で 48 時間培養することで細胞周期を G0 期に同調させ、その後の血清(10% FBS)処置または epidermal growth factor (EGF) 処置(10 ng/mL)により細胞増殖を誘発した。この時、V5 タグを付与した PXR(PXRV5) を発現するアデノウイルス(Ad-PXRV5)を感染させ、血清や EGF と同時に PCN (10 µM) を処置した。血清および EGF の非存在下では、PXR の活性化による細胞数の増加は認め られなかった。一方、血清または EGF の処置により細胞数は増加したが、PXR の活性化 により細胞数はさらに増加した。さらに、細胞増殖マーカーである PCNA のタンパク質レ ベルおよび細胞周期関連遺伝子である Ccnd1 遺伝子の mRNA レベルについて測定したと ころ、血清刺激によりこれらは増加傾向を示し、PXR 活性化によりさらに増加した。以上 の結果から、PXR の活性化は、血清や EGF などの増殖因子による肝細胞増殖に対しても 増強作用を示すことが示唆された。 増殖因子依存的な肝細胞増殖は、急性肝障害など、肝細胞喪失時における肝細胞増殖に 重要な役割を担うことから、四塩化炭素(CCl4)投与による肝障害モデルマウスを用い、 肝再生時の肝細胞増殖に対する PXR 活性化の影響を解析した。野生型マウスおよび PXR 欠損型マウスに CCl4 を腹腔内投与(0.5 mL/kg, 10%)し、肝細胞が十分に壊死して肝再生 が始まるとされる 24 時間後に PCN を腹腔内投与し、さらにその 24 時間後の肝細胞増殖を 解析した。その結果、Ki-67 陽性核数および Ccna2 の mRNA レベル は、野生型および PXR 欠損型マウスのどちらにおいても CCl4 投与により増加した。PCN の併用投与は、野生型 マウスにおいてこれらをさらに増加させたが、PXR 欠損型マウスではそのような増加は認 められなかった。以上より、PXR 活性化は肝障害依存的な肝再生における細胞増殖に対し ても増強作用を示すことが示唆された。 PXR 活性化は、作用機序の異なる様々な増殖刺激に対する肝細胞増殖に対して増強作用 を示した。よって PXR は、増殖刺激因子の種類に依存しない独自の肝細胞の細胞周期調節 機構を介して上記のような増強作用を示している可能性が考えられた。そこで、PXR 活性 化のマウス肝細胞の細胞周期に与える影響の解析を行った。PCN 投与 48 時間後のマウス 初代肝細胞に対して DNA 染色および DNA/RNA 二重染色を行い、フローサイトメトリー 法により細胞周期の解析を行った。その結果、PCN 投与により一部の肝細胞の G0 期から G1 期への移行が確認された。次に、G0 期から G1 期への移行の制御に関与する遺伝子の mRNA レベルを測定した。その結果、PCN 投与 24 時間後において、G0 期から G1 期への 移行を負に制御する Rbl2 (p130)および Cdkn1b (p27)遺伝子の mRNA レベルの低下が認め られた。Rbl2 および Cdkn1b の発現は転写因子 FOXO3 により調節されている。そこで、 他の FOXO3 の標的遺伝子である Mxi1 および Bim 遺伝子の mRNA レベルを測定したとこ ろ両遺伝子も同様に低下していた。また PXR 欠損型マウスを用いた解析により、この作用 は PXR を介した現象であることが明らかとなった。以上の結果から、PXR は FOXO3 を介 して、p130 および p27 の発現を低下させ、細胞周期を G0 期から G1 期へと移行させる可 能性が示された。 PXR が FOXO3 依存的な転写に及ぼす影響を明らかにする目的で、FOXO3 による Rbl2 遺伝子発現機構を解析した。まず、Rbl2 遺伝子プロモーターを用いたレポーターアッセイ を行ったところ、FOXO3 の過剰発現により発現量依存的にレポーター活性が増加した。 FOXO はリン酸化されることで不活性化されるが、このリン酸化部位をアラニンに変異さ せた活性化型 FOXO3 を過剰発現させたところ、野生型 FOXO3 に比べてレポーター活性は さらに増加した。また、野生型および活性化型 FOXO3 依存的なレポーター活性の増加は、 PXR の活性化によりほぼ完全に抑制された。よって、PXR は FOXO3 による Rbl2 の転写 を抑制することが示唆された。次に、その抑制機序を解明するために、PXR の活性化に伴 う FOXO3 の Rbl2 プロモーター上への結合量の変動をクロマチン免疫沈降法により解析し た。FOXO3 単独の発現によりその Rbl2 プロモーターへの結合が確認された。さらに、FOXO3 と PXR を共発現して PCN を処置したところ、その結合量は PXR の活性化により低下した。よ って、PXR の活性化は、FOXO3 の Rbl2 遺伝子プロモーター上への結合を抑制することが示唆 された。 本研究により、PXR は、単独では肝細胞増殖を引き起こさないが、肝細胞の増殖に対する感 受性を亢進させ、様々な増殖刺激による増殖を増強させることを明らかにした。その機序として、 PXR の活性化は、転写因子 FOXO3 の機能を阻害することで、細胞周期の G0 期から G1 期への 移行を負に制御する Rbl2 および Cdkn1b の発現を抑制し、肝細胞の細胞周期を G0 期から G1 期へ移行することが重要であることを示唆する結果を得た。 本研究の結果から PXR 活性化物質の併用は非遺伝毒性発がん物質による肝細胞増殖作用を高 め、発がん感受性を増加させる可能性が示された。このことは、化学物質や医薬品の複合曝露に よる肝発がんリスクの増大を示唆している。しかし、現在の化学物質の毒性試験では、単独の化 学物質の毒性が評価されている。ヒトは多種多様な化学物質に複合的に曝露されていることから、 化学物質や医薬品の安全性評価において、多重暴露による評価が今後必要となるかもしれない。 また、PXR の活性化は肝再生時における増殖因子による肝細胞増殖を増強することも見出され た。本研究における発見は肝障害などの肝細胞喪失時における肝再生に対して、核内受容体をタ ーゲットとした新規治療法を確立する一つの兆しとなると考えられる。 PXR 活性化と肝細胞増殖の関連性について、現在までほとんど解明されていなかったが、本 研究において、PXR による肝細胞増殖の影響を詳細に解析し、PXR の肝臓における新たな作用 を見出した。本研究成果は、マウス肝細胞の細胞周期調節に関する知見を提供するだけでなく、 医薬品や化学物質の安全性評価、さらには肝障害治療などにおいて有用な知見を提供すると期待 している。
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