JUNE′ 1953 VOL。 l NO。 6 =,::1 , 準響 ::│ OFFIC ∬BICTSOFRO■ RY ロ ー タ リー の友 1953. VOL.1.NO.6. JUNE′ 6月 琥 次 國際 ロー タ リー 第60匠 協議會 …… … 2 イ ン タ ー シ テ ィ・ フ ォー ラ ム 第 60E北 陸 … (紹 井・ 石 ,1・ 富 山 )… 3縣 (高 岡 RC幹 事 )・ 一 日 比 野 英 -8 チ ヤー ターナ イ ト 別 府 R C― ・。(]り 府RC幹 事)… 富 岡 謙 二 12 下 闘 R C― ・・(蔦 浦 芳 郎 14 廣 18 磨 20 牌 貫)・ ・―布 盲 人 織 機 の 嚢 明 に つ い て … … 儒島RC會 則 … 阿 茶 人 高 久 君 ``The ROtarian'' 第60E … …… … ダ ィ … … RC會 則 … (東 京 ジ ェ ス ト 戸 部 野 琢 (APRIL 1953ょ り)… … 36 RCOニ ューズ ー (4月 分>… … … … … 24 第61ERCOニ ューズ ー (4月 分卜… … … … … 42 ・…………・:… ……… … .53 第 60匠・ 61匠 4月 分 出席卒 …………………・・ 表 紙 。北 「凱 風 快 齋 晴」 第60匡 061ER C名 簿 …… …… …… …… …… …… ……… …・ 54 表紙国案 ・ 村田道記 カ ッ ト・ 早 坂 信 口 "タ リ "の 友 編 集 事 務 所 編 集 後 東京都 中央匠銀 座 1の 5 電 話 京 橋 (56)8671-5 記… 弱 際 攀 第 60Eガ バ ナ ー 小林雅 ―君 の挨拶 次 で小林 ガバ ナー立 つ てこの協 議會 の 目的は他 の集 り と 違 い 事 務的 の集 りであ り、會長、幹事 の 職責 を如何 に行 うか相談 し、 ロー タ リーが よく運営 され充賓す るた めlCあ る と前置 き、大要次 の よう な挨拶 を行つた。本 日は51R Cよ り1∞ %の 出席 を得 てガバ ナー と 一一口一一〓 金 日 月 5 日 第 一一一一一〓 嘉員は左か ら講師の古澤東京 RC會 長、柏原資金委員、小林 ガバ ナ ー、 して光榮 であ ります。會長はRC 岩本仙壺 RC會 長、柳瀬横浜 RC前 会長 の指導 を行 い、指導者 としてお つ くし願 いた く、又幹事 はRCの 運営 に重要 であ り、種 々事務的な ことを行つ て いた ゞくものであ ります。 では會長 は どの ような仕事 を す るか と言 えば、英國のカーライルは人間は道具 を使 う 國際 ロータ リー第60匠 協議會 は、先 に京都 で行われた 4月 11012雨 日の第61匠 協議會 に引績 き 5月 1・ 2日 の 動物 で道具 があれ ば何 んで も出末 る。併 し道具 がなけれ 雨 日にわた り仙墓市 ブラザ ー軒 に於 いて開催 された。 出席 のRCは 第60匠 傘下 の全 RCよ リーつ の 鋏 席 な ば駄 目だ。 RIも これ と同様 であ り、 この第 1の 道具 は ミスタープレジデ ン トです。あれ こそRIが 過去50年 に く、51R C全 部 の代表 が参加 し、小林 ガバ ナーは じめ新 役員 (會 長、副會長、幹事、副幹事 )又 はその代理者 そ わたつた結果が現れた もので、 RIの パ イブルであ りま す。同書 には任務各 コ ミニテ ィーのなすべ き仕事が入つ れ に多数 のオ ヴザ ーバーを加 え、線敷 1ぶ )名 が一堂に會 し、 こ ゝに第60匠 協議會 は畢 行 されたのである。 會場 ブラザ ー軒 の大食堂 の正面 には「國際 ロータ リー 第60匠 協議會 」 の文字が横書 きに大 きく、中央 にRIを 象徴す る大 きな歯車 がか ゝげ られ、他 にこれ といつ た飾 付は見 られず、簡素 で澄 んだ雰園氣が流れ ていた。 メイ ンテーブルには小林 ガバ ナーを中心 として、 その左側 に 講師 の古澤東京 RC會 長、柏原資金委員、右側 に、岩本 仙墓 RC會 長、柳瀬横濱 RC前 會長 が着席 し、中央 に並 べ られた 4列 の テーブル には各 RCの 新役員 が、 この両 側 にオヴザ ーバーが着席 した。 午前10時 、仙壼 RC佐 々木幹事 のアナウ ンスによ り開 會、国歌君 が代、 ロータ リー ソ ング「奉仕 の理想」を齊 唱、直 ちに協議 に入つ た。 開催地 RC會 長岩本正樹君挨拶 てお ります。第 2は 定款 と細則 であ ります。第 3は 理事 會 で何事 もこれが決す るのであ ります。第 4は Rcの 委 員會 で、 この制度 が他 の園證 の脅威 になつ てお ります。 第 5は クラブア ッセ ンブ リーで少 くとも年 6回 開 い てい ` た ゞきたい。第 6は 毎週 の例會 です。 これが一番大切 で す。例會 に富 つ ては、 1.1∞ %の 出席 を期す こと。2.ブ ログラムを有効 に組合す ことで よく指導 して理想的 に開 いて下 さい。第 7は ガバ ナースレタースをよく讀 まれ る ことです。第 8は 週報。月報 を嚢行 し次週 の豫告、又記 録 を取 つ ていた ゞきたい。第 9は 国際本部 を充分利用す る こ とです。要す るに これか ら明年迄は皆様 の ロータ リ ーの年 です。1953∼ 4年 の間 の活躍は記録 されます。凌 ` 展 の ため大 いにやつ ていた ゞきたい。 四大 奉 仕 に つ い て 岩本仙壼 RC會 長は先ず遠路参加 した會員諸氏 に深 い 謝意を表 し、次 にこの協議會 が ロータ リーで如何 に重要 であ るかを張調、 RCの 各 コ ミニテ ィーの均衡 の取れた 小林 ガバ ナーの挨拶 が終 ると、 い よい よ本協議會 の中 心議題 に移 り、 ガバ ナー司會 の下 に先ず 4大 奉仕 につい 活動が必要 である と言 うブル ニ ャー會長 の言葉 を痛感す が約30分 宛講師 として 自分 の経験 を中心 として意見を述 べ、終 つ て活澱な質疑應答 が行 われた。その内容 は大要 る と述 べ た。 -2- て、約 5時 間 にわたつ て行 われた。指名 された次 の 4氏 ― タ リ ー 第 60匡 協 議 會 1953年 5月 1日 及 2日 於 仙 憂 ブ ラ ザ ー 軒 :次 の 通 りである。 b・ 職業奉仕 壼金 RC幹 事 金森太郎君 a.ク ラブサ ービス 仙壺 RC幹 事 佐 々木孝三郎君 職業 を通 じてサー ビスす ると言 う乳、他 のサー ビスに クラブサ ー ビスはお互 に親密 をはか り友愛 の精神 を持 つ ことで 4っ のサ ー ビスの中心 をな してお り、 これ をよ 比 しむずか しい。併 しご く常識的 に考えれば、各 自は自 分 の職業 の水準を高 め る ことにあ り、我 々が`心 か ら奉仕 く清化す る こ とによりRCの 運営 を園滑 にす るこ とが出 末 ます。 この内容 について申上げれば、第 1に ア ッテ ン ダ ンスであ りこれが根本 であ ります。第 2に クラシフ ィ の精神 によ り取引を行えば、おのずか ら高まる ものであ る。職業奉仕を行 うには仕事 の権威 を認 め員債 を通 じ先 ず RC内 に於 て行 い、更 に一般 に推進せねばな らぬ。 「奉 ケーシ ョンを充分吟味 して 、そのRCに 必要な部門 を検 討すべ きです。第 3は ブ レチ ンを襲行 してい た ゞ き た 仕 こそ我 が務 め」を讀む と貴例は澤山あるが、職業 を通 じて員 のサ ー ビス精神 を持 つ ことは重 要な義務 であ りま い。第 4は メ ンバ ーシ ップで必要な質 の よい人物 を先ず 入れ るこ とです。又 シニアメ ンバ ーを活用 して若 い人 を 1953∼ 1954年 度 國際 ロータ リー 第 60地 匡 協 議 會 プ ロ グ ラ ム 第 1日 5月 1日 (金 入れ ることです。第 5は プ ログラムであ り、 lヵ 月先 の プ ロの検討 を行 い、 この よし悪 しで活動が きまるの を識 ) つ ていた ゞきたい。第 6は ノヽブ リックイ ンフ ォー メイシ 登録開始 ョンで、 ロータ リーについての一般 の疑間、又興味 に封 し張 くロータ リー精神 を推進す る ことです。第 7は ロー 開 の 會 質 疑 應 クラブサ ー ビス ロー タ リー ソング ` つ づい て書 負 釜・ 金 墜 太 郎君 省 吾君 田 秀 千君 澤 丈 作君 瀬 二 郎君 森 議 コ ン ミユ ニ テ ィー サ ー ビス .0「 l時 説 明者 横 濱・ 柳 瀬 議 討 イ ンタ ー ナ シ ヨナ ル サ ー ビス 4.∞ -5.∞ 時 名古 屋・ 盛 説 明者 議 言寸 ロー タ リー ソング 5.30時 、 6.∞ 時 31日 も例會 を開 くこ とに したい。 もし獣 つ て休會す ると 孝 二郎 君 ボケー シ ヨナル サ ー ビス 討 ' 2.日 ない。61匠 の協議會 に於 ては31日 は休會 しないことに決 めた。 もし休會 の時 はその週 に例會 を持 ち、原則 として 肇・ 佐 々木 仙 説 明者 年 12月 31日 (水 曜 日)の 例會を休會 したRCに ついて、 R Cは 姜會す る時 1週 に 1度 は例會 を開 くことになつ てい る。それに もか ゝわ らず この例會 を休會 に したのはよく 中 憩 餘 興 懇 談・ 晩 餐 `出 席歴 勝 クラブ表 彰 ア ッテ ング ンスにひ ゞくと述べ、 ついでガバ ナー司會 の 第 2日 下 に質疑應答 に入 り、濱松、千葉 、柏崎な ど諸 RCよ り 熱心 な質問 が あ り、 ガバ ナー、講師 の これについての明 5月 2日 (土 ) 午前 10.00-10.45分 新會長 との懇 談 (新 幹 事 も御 同席 ) 説 明者 東 快 な應答 が行われた。 質 應 議 京・ 古 答 10.45-]J.45時 か くて定刻 より、講師 の意見開陳、出席諸 RCと の員 ellな る質疑應答 の結果、時間はや ゝ遅 くれ、 クラブサ ー 新幹 事 との懇 談 (新 會 Lc‐ も御 lnJ席 ) 説明者 一 l・ 質 議 閉 會 一 , 11.15-11.50時 1 1 :' i i青 答 應 の 辞 小林 ガバ ナ ー 鈴 木 忠雄 君 の報 告 留率 生 書 食 後 解 散 ¨¨¨¨r‐ lr‐ … ¨ 11‐ 1 ‐ 11‐ 1‐ 東京 南・ 金動 資運 學大 奨接 一一 中 議 應 答 │ -3- 答 午後 1.30-2.30時 ではなか ろ うか。 佐 々木仙墓 RC幹 事 の意見が絡 ると、 ガバ ナー よ り昨 C幹 事金森太郎君 の職業奉仕 に移つた。 仙 肇 岩本 會長 一 般 指 示 小林 ガバ ナ ー 説明者 寄 稿 し、又 RC内 でバ ンフレ ットを作製す る。或 は我 々 の讀 み古 るした Rotaria■ を學生 に配布す るの もよいの タ リー ング「 奉仕 の理想」合唱 プ ログラムに より自釜 R 辟 10.10-12.30時 ガジ ンコ ミユテ ィーで ロータ リーの友 に感想な ど原稿 を 1時 牛、友愛 みな ぎる歎談、書食 が絡 ると再會、 ロー 君 が 代 、 ロー タ リー ソ ン グ 齋 昌 “ 小 林 ガバ ナ ー 歎 迎 の 辞 10。 10-11.CXl時 タ リー イ ンフ ォー メイシ ョンでこれは我 々自身 に ロータ リー精神 を吹 きこむ ことに努力す る ことです。第 8は マ ビスにつぃては絡 り、 ロータ リー ソ ング「 R-0-T」 の 合唱があ り、蓋食 に入 つた。 │ f・ 1‐ ‐ ィ ‐ r ‐ :‐「…… 「' I… …… r‐ ― ・ ・ 1‐ :‐ │ │ T ¨ ¨¨ … ・ す[こ れには○ 日常生活 に於 て正道 と正義 で、相互扶助 をは らわねばな らぬ。 それには各委員 が ロータ リー精神 に徹 し、 リーフレッ トにある本部 の指示 をよ く研 究 の で行 く。○競争者 に封 しては不正 な競争な どやめ、例え ば RCの 例會 に出 て もらい精神 を理解 して もらう。○使 上、員剣 に封虎 しなければな らないこ この奉仕委員會 の 用人 との関係 は今 日日本 の現状か ら行 くと労資 の開係は 激化 してい るが、お互の理解 の上 に立 つた協調 をな し、 最 も重要 な ものはユ ースサー ビスであ り、 これは長 い眼 ` と忍耐張 い態度 を持 つ て行 つ ていた ゞきた く、青少年 が お互の関係 を向上 させ る。○同業組合 の関係は、 これに 入 り組合 を通 じて奉仕す る。まつた く我國及世界 の状況 どの ような氣持 をいだ いてい るか理解す る必要 があ り、 を考え、労資 の関係 が激化 してい る時、 この奉仕は必要 であ り、 この ロータ リー精耐が 各方面 に徹底 した時、 日 本経済は復興す るであ りま しよう。 金森幹事 の意見が終 ると質疑應答 に入 り、 ガバ ナーは この奉仕 は他 の奉仕園證 にな く、最 も難 しくRCに 重要 な こ とだ と述 べ「 、奉仕 こそ我 が務 め」 について東京 RC の工業倶業部 に於 ける講管 を引用、 この賞例 を講師 の東 京 R,C古 澤會長が説明、好結果 を生ん でい る こ と を 紹 介、更 に足利、横須 賀、東京北、清水 R(〕 な どよ り数多 の賞例が上 げ られ祗會奉仕 に移 つ た。 C.識 會奉仕 横演 RC前 會長 柳瀬省吾君 祗會奉仕は、多 くの理 論、机 上 の計書 よリー つの賃行 が必要 である。例 えば高等學校 に行 き學生 を前 にRCの 説明を行 つた り、又既設 の祗會奉仕国證 と協力す るな ど これには種 々数多 くあるようにである。併 しなが らこの 賞行 に営 つて最 も基 となる祗會奉仕委員會が献身 の努力 -4- 常 に彼等 と共 に在 る ことが肝心 である。中で も不良少年 防止運動 は重要 であ り、係官 の話 によれば主 として高等 學校 の年頃 に不良化が多 い と言われ、まつた く恐 しい賞 例を聞 くが、 この防止 は奉仕 の大 きな目標 であろう。持 末 の世代、我國 を背負 うこれ ら青少年 に封するサ ービス を行 つ てこそこのサ ービスは光 るであ りま しよう。 柳瀬横濱 RC前 會長 の意見が絡 ると質疑應答 に入 り、 ガバ ナーは我 々は大な り小な り祗會奉仕 を行 つ て い る が、今後 は ロータ リア ンの 自覺 を持 つ て奉仕 を行 つ た方 が よ り有効 である と、昨年61匠 大會 の時話 した ことが あ つ た。営地仙墓騨前 よ り、 この會場 にか よう大通雨倶Jの 柳 の並木は今緑 に萌 えてい るが、 これは地元仙菫 RCの 努力 によると述べ、横須賀、足利、横濱、金澤な ど諸 R Cの 奉仕 の賞例、質疑 があ り、古澤東京 RC會 長 の東京 RCに 於けるニコニコ箱 の賃例な どあげられ、要す るに 各都市 の賓情 にあつ た方法 で推進す る ことになつ た。 績 いてガバ ナーはパ リー大會 に提案 された「定款改正 IIllIIIIll111111111lll1111111111 第 1日 夜 、小林 ガバ ナ ー よ リア ツ テ ンダンス第 i位 に よ り優勝杯 を 受 ける演松 RC會 長 並 びに決議案」 につ き審議 を求 めた。 i.20萬 以上 の人 口を持 つ都市 に既設 の RCが あ つ て も、凌起人があればRCを 創 る ことが出来 る。2.20年 以 上 シニアアクチブ又はパス トサ ービスの ロータ リア ンは 本人 の希望があ り、 RCが 承認すればアツテ ンダ ンス よ り除外す る。(以 上大要 )こ の提案 についてガバ ナー、講 盆 ではないか。 この外會員同志 の文通 もよい と述べ、績 いて米山 フ ァン ドについて東京 RC古 澤會長 の紹介があ り、更 に海外 ロータ リア ンとの文通 の賃例 な どの変言 が あ り質疑應答 は絡 り、 ガバーナーによ り、残 りの15分 間 を ロータ リーの友 について協議 した。 師 よ り主旨説明があ り、 シカゴRCの 書簡な ど例 にあげ られ種 々襲言があつ たが、1に ついては現状維持 で行 く ロータ リーの友について 編懸 員長代理 遠藤健 =曇 遠藤編集 委員長代理は、 は じめ各 RCな らびに ロー タ リア ン諸君 の絶大なる御援助 に封 し謹 しんで感謝 いた し と決 り、 2も 同様審議 の結果、大會出席 の手島理事、宮 脇、北澤雨 ガバ ナーノ ミニーが現地 で提案理由充分聞 き ます と前置 き、 ロータ リーの友 も生後 4ヵ 月 に な つ た が、育成 のためいま一段 と諸君 の御協力を期待 します。 取 つ た上探決す る ことに決 つ た。 第 4琥 掲載 の熱海編集會議報 告 によ り御承知 の こと ゝ存 dO国 際奉仕 名古屋 RC幹 事 盛田秀不君 今 日、世界 の状勢か ら見 て今 日程、 この國際奉仕 の必 要大 なる時はない。 この時 に営 つ て我 々ロータ リア ンは リーダーシ ップを持 たなければな らぬ。國際奉仕委員會 の仕事 として、委員 が常 に考 えてお くべ き ことは、 この サ ー ビスは どの ような ことをすればよいか と言 う事 であ じますが、現在雑誌 1勝 の原債は105∼ 110園 を 要 す る が、之 を一M・50回 、 自 口ち牛期 3∞ 園 で頒布 し て い る の で、鋏損が大 きく経営因難 に陥 つ てい る。 つ きま しては 熱海會議 による各 RCに 封す る廣告割営 を御承認下 さい と、現在 の状況 を説明、更 に ニコニコ寄附 をお願 いす る とロータ リーの友新任役員名刺廣告 の依頼 を行 い拍手 に る。 これにはあげる迄 もな くロータ リーの友愛 の精神 を 迎 え られた。 根本 として、友交親善 の賓 をあげなければな らぬ。 そ し て今 日、最 も必要 であ り叫 ばれてい る李和 の促進 につい て我 々は心 し、 これ を推進すべ きではなか ろうか。 この 午前11時 よ り午後 5時 に至 る長時間、熱心 に くりひろ げ られた第 1日 の協議事項 4大 奉仕 については こ ゝに と どこお りな く絡 りをつ げ ロータ リー ソングの合唱 によ り 機會は、國連週間 に際 して又末朝 の人 々に封す る應接な 中憩 5時 牛 よ り30分 の間、仙墓 RCの 苦心 による餘興 が ど数多 く、 これは個人 として も通信な どで出来 る ことで あ りま しよう。我 々は この奉仕 をす るのに問題 が大 きけ 正面舞壼 に くりひろげ られ 、仙菫検番祗中の踊 りに一時 疲れ を慰 し絡 つ て晩餐 に入 つ た。 れ ば大 きい程 や りが いが あると思われます。 それには 自 晩餐會 では、出席優勝 RCの 表彰 が行はれ、濱松 RC が60匠 51R c中 第 1等 の榮冠 をにない 99.4%で 優勝、小 林ガバ ナー よ り、濱松 RC會 長は満場拍 手 の裡 に銀 の優 分 の仕事 の規模 と均衡 を取 つ て行 うこ とが必要 です。 國際奉仕 につい て、海外 の賞例 を上げ、その心がまえ と努力 の必要 について述 べ た名古屋 RC森 田君 の意見が 絡 ると、 ガバ ナー よ り何虜 で もたやす く出来 る 例 と し て、各地商 工會議所姜行 の印刷物 を各地 に途 る ことは有 勝盃 を受 け、末年度 も皆様がお取 りにな らなければ、我 我 が RCで いた ゞく所存 と感想 を述 べ た。ついで歓談 の うちガバ ナーの指名 によ り次 々 と指命 を受 けた各 RCの ヨ 一一一一口一一 ・ 土 日 , ︼0 月 2 日 古澤東京 RC會 長 の意見が絡 ると、質疑應答 に入 り、 ガノ ドナTは 、 オ フイ シヤル ビジ ッ トで51R c中 現在迄廻 第 年度 に於け るRCの 嚢展 を期待す ると述べ た。 會 したc ロロ一一一口一 ・ ス ピーチが あ り、満場拍手 と洪笑 の後、第 1日 は絡 り散 つ た40R cに 於ける、 その状況及感想 を披歴 、 績 いて會長 の職責 について、 RC単 位 のフォー ラムについてな ど種 協議會第 2日 は、昨 日に引績 き快晴、午前 9時 牟頃 よ り、出席 の各 RCロ ータ リア ンは跡た ゝず登録 を行 い、 な ごやかな零園氣のあふれ る うちにい よい よ定ア110時 開 種熱 の こもつ た質問、又講師 のり]瀬 省吾君 の意見開陳な ど第 2日 目は昨第 1日 にお とらぬ諸問題 の提出が あ り、 會。 ロータ リー ソング合唱 によ り早速議事 に入 り、次 の 東京南 RC幹 事 清潮 =郎着 RC幹 清瀬東京南 事は、 RCは 會長が如何 に有能 で も b・ 2君 が會長、幹事 としての謹験 か らその賓例、又意見 を 述 べ、 それぞれ熱心な質疑應答が行われた。 a・ 新幹事 との懇談 幹事が よくなければ駄 目だ。 どの ように他 の人 々が行 う とも、幹事が力を入れなけれ ば ロータ リー と言 う歯車 は 東京 RC會 長 古澤丈作君 新會長 との懇談 あ と残 り少 い協議會 の時間 を惜 しむかの ようであつ た: 古澤東京 RC會 長は、會長就任 より現在 に到 る東京 R 廻 らぬ と前置 き、 これには私共 セ ク レタ リーは どこまで Cに 於ける賞例をあげ、新任會長 の今後 のRC運 営 のた めの参考 になれば幸 い と、 4大 奉仕 に封す る東京 RCの も協同の精神 を待 つ て行 かねばな らない。 皆 さんはそれぞれ御仕事 も持 ち御多忙 と思 うが 、幹事 として出末 るだけ細 く、事務的 に事 を進めていた ゞきた 状況、又 その結果 をつぶ さに説明、會長 として RCを 如 何 に園滑 に運営すべ きか懇切丁宰 に述べ、職業分類、ア く、會員 に暖 か さをあたえるように してほ しい。例會 を 豊 かにす るため他 RC妻 行 の ウイク リー月報な どを研究 し、近郊 RC例 會 に出 て蓮誉 を参考 にす る必要 があ りま す。幹事、 セ ク レタ リーを直詳す ると、 プ レジデ ン トが ッテ ンダ ンス、 プ ログラムその他最 も多 いゲ ス トの取扱 い、會長 の任務、取 るべ き態度な どについて貴重な騰験 を披涯、 RCの 大少 に とらわれ る ことはない。む しろ力 を合せ て封虎すれば、大少 の相違な ど問題 でな く、大 R 大統領 となるよ うに、 これは事務線長 と言 う こ とが で ` き、 この氣持 で推進 していた ゞきたい。 が出末 るであろ う3ロ ータ リー精耐 の徹底を要望 し、次 (こ の間 、 仙墓 RCは 出席 の各 RCに バ ナーをFle呈 した。) o祠 力 が に ぶ る ・ 肩 が こ る 帯 口 臓 器 製 薬 株 式 会 耐 横濱RC會 員 山口八十八 - 6 -― ま だ お 若 い の に ︰´ o o 疲 れ や す い 。物 忘 れ す る こ れ は 男 性 ホ ル モ ン の 不 足 で 起 り ま す 製 造 発 売 元 若さと健康をまも る 、一8 円 、 り 一〇 管 一 ・ 五、 、08 円 一〇 〓り 一〇 管 一 一 ︵他 に 各 種 単 位 あ り ︶ オバホルモ ン 液 張力男性ホ ルモン 射 剤 五 ミ リ 一〇 錠 き o円 一〇 ミリ 一〇 錠 ︿8 円 男 性 ホ ル モ ン純 結 晶 移 植 用 錠 剤 五 〇 ミリ パ ッカ ル 五 ミリ 一〇 錠 〓8 円 、 ″ 五 ミリ 一 二〇 錠 一 08 円 ペ レ ット ″ 金定 ″ 注 男 子 更 年 期 諸 症 、性 的 神 経 衰 弱、 一般 老 衰 現 象 の 予 防 に 帝 国 臓 器 夕及 Cよ りもより多 くの仕事 を人敷 は少 くな くともす る こと 東 京 都 港 区 芝 南 佐 久 間 町 2ノ 11 清瀬東京南 RC幹 事 の意見が終 ると、 ガバ ナーは幹事 はRCの 大黒柱 であ り、私 はセ ク レタ リーは名春事務組 長 と言 える と述べ、質疑應答 の後、 ロータ リー奨學資金 並 ロータ リー横大運動 について移 り、10数 年前 に出嚢 し ポールハ リスの死 を記念 し ミネアポ リスの大會 に於 て決 議 された ロータ リー基金 の説明を行 い、 この基金 に封す る我が RCの 寄附状況 に シカゴ本部 は敬意 を表 してい る この 100%寄 附 RCが 今後 もその数 を増す ことを要望、 績 ぃてこの基金 による大學 の卒業生 を 1年 間留學 させ學 究 と親善 をはか るRIが 国際的 に行つてい る奨學生制度 について述 べ、 ロー イパーマ奨學生 の鈴木忠雄君 を紹介 した。 留學生 鈴木患雄君 の報告 鈴木君は私 を途つて下 さつ たRCの 皆様 に心 か ら感謝 いた します と前置 き、 アメリカでの留學生活 に於け る感 想 を語 り、學生生活、叉工場、農村 の合理化 の様子 は う らやま しく、學 生は勉張 の時 は勉張。遊 ぶ時 は遊び、能 鈴木君 の報告が絡 るとガバ ナーは、 RCの 損大強化 に ついて、現在我國 のRCは 燎原 の人 の ごと く嚢展 し99の RCが あ り、近 く幾つかの新 RCが 誕生す る ことになつ てい るcロ ータ リア ンは質 をたつ とぶが、奉仕 を廣 める にはある程度、會員 をふや さなければな らぬ。末年 に備 え今 か らその準備 を していた ゞきたい と述 べ、24の RC を誕生 させた柏原委員 にその苦心 を聴 いた。 柏原委員 は この ことについて、 自分 の力 ではな く、皆 ・ 様 の御熱心 のたま もので あ ります。男1に ヒケツな どあ り ません。私 は無理 をせず、熱意 と親切があれ ば新 RCは 出来 るもの と思 うと述 べ た。績 いて地E資 金 について出 席者 の承認 を求 め、現在迄牛期 600園 を 7月 よリロータ リーの友雑誌代 ∞劇■l増 額 し、 900園 に したい。 この内 容 は先程 ロータ リーの友遠藤編集委員長代理 の説明 にあ る ごとく、 ロータ リーの友 の雑誌代 で賓費 が 400園 なの で賞際 は 1∞ 園 の値引 きであ り、 7月 1日 より900 1Elを 委員 に御納 め願 いたい と述べ承認を得 た。 以上 をもつて豫定 の議事 は全部終了。豊食 に入 り、小 林 ガバ ナー より地元仙墓 RCの 協議會開催 についての御 苦労 に感謝す る。次年度は皆様 の ロータ リーの年 です。 大 いに活躍 して ロータ リーの凌展 に蓋 してい た ゞ き た い。 との閉會 の辞があ り、 ロータ リー ソ ング「我等 の生 業」を全員高 らかに合 唱、12時 牛、 こ ゝに意義深 き國際 ロータ リー第∞匠協議會 の幕 は閉 じられたのであ る。 東 示 者b 港 取 区 締 芝 役 海 社 岸 長 通 同 丁 目 十 五 者 肇 田 東 ]五 c 地 曾 良 Б 川株 式 会 ■ 率 的 であ り、常 に獨立 の精耐 をや しない、 その上 に協同 の精前 をもつ て立 つてお り、愛情 の識 に於 て も全 てが合 理化故、鋏 けてい ると言 われ るが、その ような ことはな くむ しろ親子 の情 な どは我國以上 であつ た と述 べ た。 イ li::11‖ ::│:1:::11‖ ン ::日 ::口 l:::1:l:::│ ○幅井 R(う 職業委員會 岡田剛氏 公務公衆に作事する 優秀な人には表彰状 を贈 る。 ○小林 ガバ ナー各方面 の表彰及物品 を贈 る 場合 は各職域 の責 任 會 場 開會 の辞 (13.00) 幹事 ロー タ リー ノ ング (奉 仕 の 理想 )合 唱 者 に選衡 させ各 クラ ブ例會 日に其人 々を 風 招 く (但 しロー タ リーの精llniに 適應 した人 )。 各商工會議所 と共同 で奉仕す る事は一つの 方 法 で あ 日比野 英 一 氏 地元會長挨拶 會長 木津 誠 一氏 國際 ロータ リー第60匠 ガバ ナー小林雅一氏紹介 國際 ロー タ リー第('0匠 ガバ ナー氏小林雅 一挨拶 協 議 る。 (C)祗 會奉仕委員會 リーダ富山 RC 著林 元四郎氏 11)赤 い物根共同募金協力。時間勘行 の徹底。チ リ入 レ 會 100個 作製富山市 に寄贈。 (■ ○高岡 RC祗 會奉仕委員會 武田儀 八郎氏 ニコニコ箱 の活用。長生寮。母子寮 c公 園 の美化 のた )タ ラブ奉仕委員會 リーダ調井 RC 岡田 剛氏 o 11)出 席卒向上の ために一應出席率の悪 い會員 に腕會 を 願 いたい ? ○金澤 RC祗 會奉仕委員會 クリスマスには金澤市内の育兒園 (40所 )へ 玩具 を會 り)連 績 3ヵ 月-6ヵ 月-lヵ 年の 100%出 席者 には紀 念品 を贈 る 員夫人達 が持参分配。 繹迦 の降誕慰 を開 く。 ) 〇富山 RC― クラブ奉仕委員會清水虎雄氏新入會員の加 入段階 について説明あ り O幅 井 RC祗 會奉仕委員會 [ ○小林 ガバ ナー より11段 階 について補足説明c 大 。高 。中學校雄絆大會 に副賞 を呈す。 第 2會 員 の資格は第 1會 員 より年齢は若か る可 き事。 老援護者 に餅 を途 る。 罪 へ雨傘 を配置 したっ ○ ユースサ ー ビス 富山 RC (B)職 業奉仕委員會 リーダ金澤 RC めチ リ入 レを備 えつ けたこ 高岡騨前廣場へ植樹。 廠生徳次氏 Jり ‖揚村氏 11)職 業道徳 の向上 のため各方面 の 名上を招 き意見舞聴 青少年 の不良防止 に付て児童保護関係 と連絡 を とりこ れ よ り企劃 を立 て る レ1 模範的工場 の祠察― 工場見學は引績 き見學 の豫定。 金澤・祠井・ RC 谷村氏・ 岡田氏 不良兒収容所へ講演及慰間 に行 きこの是正 に 轟 力 す ○高岡RC職 業委員會 . 羽岡政雄氏 るご 模範従業員 の表彰。會員の誕生 日には紀念品 を贈呈。 ― S シ テ ィ ー・フ ォ ー タ ー ラ ム 第60E第 2回 北陸 3縣 (扁 井・ 石川・ 富山) 1953年 4月 15日 口 l11‖ 1::Ⅲ │:::Ⅲ l:l::lill:11:1::::l::Ⅲ :::口 (D)国 際奉仕委員會 リーダ高岡 RC 11) (2リ 1111:1:ll:‖ :lⅢ IIIIIlllllil日 1111:口 :::::::llll:::: 會へ 出席 の豫定。 。富山 RC国 際奉仕委員會 今井久兵衛氏 11)ユ ネ スコに協力。會員が海外へ行 く場合 には各地 の 野村太二 次郎氏 伏木入港 の貨物船 にバ ナー と花束 を増呈慰問。 スエ ーデ ン貨物船、其他 の海外貨物船 が入港 の都度 國際奉仕委員が慰間 に出る。 ロータ リー クラブヘ 出席 して親善 をつ くす。 p}中 。小學校 の檜蓋優秀品 を海外 に途 り日本 の風俗 を 紹介す る。 (3)高 岡中 。小學校兒童 の給謹 130枚 海外 ロータ リーク ラブヘ途 つ た。 いレ 於 高 岡 市 公 ini堂 13)會 員中田勇吉氏 フランス大會へ出席豫定っ ○小 林 ガバ ナ ー国際 奉仕 は 国際親善 と云 う意味 に とつ て ○祠井 RC國 際奉仕委員會 岡田剛氏 縣知事渡欧 の折 リバ ナー を各地 ロータ リー クラブヘ贈 ◎閉會 の辞 (午 後 5時 ) 呈 し其他 のバ ナー と交歓 した。 ○金澤 RC国 際奉仕委員會 宜 しい 。 ◎ ロー タ リー ノング (我 等の 生業 )合 員 副會長 野村大三次郎氏 鷹生徳次氏 高岡 RC 佛教大會 に末朝 した人の歎迎。會員田上氏 フ ランス大 幹事 日比 野 英 一 STEEL OFFICE EQUIPMENT 営 業 品 目 庫 置 蔵 箭装 電 .房 用 一 庭 家 冷 鋼 鉄 製 事 務 用 家 具 金 庫 扉・ 金 庫 室内 部装置 一 覧 式 カ ー ド容 器 ・ フ リデ デ ヤ 曇三肥 田製作 所 本 遺 ・ I:場 営 'll吟 市 中 瀬 町 三 所 東 京 都 港 区 芝 田 村 町 サ ー ビ ス部 東 京 都 港 区 赤 坂 田 業 ↑ 川崎RC ― - 1)_ 幹事 肥田茂夫 1〔 ` 電 話 │:1崎 2325 ー 3電 話 銀 座 617520 田l七 ′ ― 電 話 赤 嘱 ●o6100 ′ Iノ エ 動 務 先 職業 分 類 秋田繊維 ︵ 株 ︶ 社長 繊維 即 ︵ 五四才︶ 会 津 地 区 経 営 者協 会 事 務 局 長 計 理士 ︵三 七 才 ︶ ィ 者 %・ 秋田 RC会長 勤 務 先 職業分類 バ ス商業 ︵ 四 八才 ︶ 足利信 用金 庫 理事 信用組合 ︵五十才 ︶ 職業分類 医薬 品 販賣 業 ︵〓一 七才 ︶ 勤 務 先 師 尾薬 房社 長 足 利 R C会 長 へ 盾1 旭 川RC 幹 事 勤 務 先 板井 法 律事 務 所 所 長 職半分類 公 證 人 ︵六 一才 ︶ 旭 川 RC 会 長 J‘ 切 勤 務 先 千 葉 県 信 用組合 職き分類 信 用保 証 勤 務 先 井上病院院長 六三才 ︶ 職半分類 内 科 医 ︵ た 旧 ″人 千葉 R C 副 会 長 株 ︶ 頭取 勤 務 先 千葉銀行 ︵ 職業分類 商業銀行 ︵六八才 ︶ 千葉 R C会 長 ニ 株 ︶社 長 勤 務 先 秋間絹織物工場 ︵ 一 二八才 ︶ 職芋分類 絹織物製造 ︵ 足 利 R C幹 事 永= エ 勤 務 先 会 津 短 期 大 学 ∼ 勤 務 先 竹谷本 店 タ 職き分類 貴 金 属 販賣 業 ︵三 二才 ︶ 株 職芋分類 大 学 学 長 会 津 若 松 R C副 会 長 勤 年 職業 分類 会 津 若 松 R C 幹事 株︶ 社長 勤 務 先 会 津 乗 合 自 動 車 ︵ 4 職 秋 田 RC 幹事 プ ウ 会 津 若 松 RC会 長 イ 一 ` ル 絲それ 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 七十 才 ︶ 製帽 ︵ 株︶ 帝国 製 帽 ︵ 大 北 硝 子典 業 漁業 ︵ 五 二才 ︶ 勤 務 地 大森石油店 主 四三 才 ︶ 職業分類 石油類 販売 ︵ 浜 松 RC幹事 ムを7多瑠教仏Z 勤 務 先 松菱常 務 類 百貨 店 ︵五 七才 ︶ 職業分. 半 田 R C会 長 /ヘ 職業分類 陶器製 造 ︵六 二才 ︶ 株 ︶社 長 勤 務 先 伊奈 製 陶 ︵ 一宮 R C会 長 職業分類 染 色 整 理業 勤 務 地 艶 泉 興 業 ︵ 株︶ 社 長 一宮R C幹 事 人表F′内多好︲ エト ロフ漁 業 ︵ 株 ︶社 長 五 株 社長 勤 務 先 函館 R C幹事 勤 務 地 職業 分類 函 館 R C会 長 職業 分類 勤 務 地 係7 職業 分類 株 ︶社 長 謳島 日産自 動車 ︵ 浜 松 RC会 長 株 ︶社 長 勤 務 地 岐 阜 乗合 自 動 車 ︵ 自 動車販売 ︵ 七 二才 ︶ 才 社 V長 職業分類 バ ス事 業 岐 阜 RC副 会 長 株 ︶ 会 長 動 務 先 大和石 油 ︵ 職業分類 石油販 売 ︵四 六才 ︶ 岐阜 RC会長 株 ︶ 取締 役 勤 務 先 中 合百貨 店 ︵ 職業分類 百 貨 店 ︵五 六才 ︶ 職業 分類 子典た 岐阜 R C幹事 t 毛 勤 務 先 謳島RC幹事 を 一 聯島RC会 長 み 殊 考 姜な 質 を 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 脚チ 別 府 RC llll:il‖ lillll:‖ ャー ターナ イ ト 幹 事 宮 岡 謙 二 チ ャーターナイ ト盛會裡 に基行 さるc 日時場所 4月 28日 別府市公民館 にて偉達式典 を、清 香園 にて披露宴 を とり行 う. 出席者 北は釧路、南 は鹿兒島 に及ぶ全国 40 RCよ り 會員 300餘 名参集 oversea guestと しては Zu ricllの Steiger氏 (1942-3年 の Iく .I.副 會長 )の 珍 しい顔ぶ れ も交 る賑やか さ。 博達式 君 が 代、會歌 をNHK管 絃楽圏件奏緑丘 高校女 生徒合唱圏 リー ドの下 に全員齊唱西田委員長 より歓迎 の 養 ガバ ナーは 3度 壇上 に立つて「別府が世界各地 よ り多 数の遊覧客 を集 めてい る観光資源 に更 に ロータ リー精神 のバ ックボー ンを加 えて此上 とも輝 しい膊末 を獲得 され 辞、 宮岡幹事 よ リガバ ナー末賓一 同の紹介あ りたる後 、 満 場拍手 の裡 に鳥養 ガバ ナー より岡本會長 にチ ャーター博 度 い」 と力強 く告辞、之 に封す る岡本會長 の挨拶があ り 達、同時 に會長 よ りはガ バ ナーに封 し奨學基金 を贈呈鳥 引績 き祀辞 に移 り営 クラブ設立 に最初 に播種 の労 を探 ら 記 念 -12_ 撮 れたる星野長老、 スポ ンサ ー・ クラブ代表大阪 の耐田氏 人分の藤井會長、参加 クラブ代表京都 の絹川氏、細田縣 知事、脇市長、駐留米軍 カー レイ大佐、ザヘ ー レン米領 列せ る階上 の特設會場 を一巡、鑑賞 に費 したる後第 2會 場 に還 る。 長唄五條橋、民語 三種 に打 ち興 じ、或 は別席 3ヶ 所 の茶 席 に憩われて後、園遊會 に移 る。 日遊會 清香園仲庭 にて管絃榮国演奏裡 に晩春 の野宴 の 卓 を三 々伍 々園み、な るみ、 ス ワン、義 の井仕出 しの和 洋雨 立、瀬戸の島 々、東洋 のナポ リ、 日出の磯波、鶴見 の里、城島 の櫻狩、地穀巡 り等 の各種模擬店 に心養 しの 料理 を味 いつつ歎談 はづみ19時 第 1日 を絡 る。 ぉ +書 クラブより特 に窯元 に嚢注せ る日田の民藝品小 鹿田焼 ジ ョッキー函 に、大及縣及 び別府市寄贈 の 2馳 を 加 えて参席者 に配布。 観光御案 内 笠 る29日 も晴天 に恵まれ、地獄巡 り、 ケー ブル楽 天地、別府彎周滋、高崎山の猿、宇佐八幡、耶馬 漢、中津史蹟、 ゴルフ競技會等 それぞれ御希望 の班 に分 れて清遊。 -13- 取 締 役 社長 清香園大廣間舞菫 にて北原芝居 (我 國最古 の歴史 を有す る操 り人形 にて大分縣無形文化財指定 )の 一 ノ谷 軍記熊谷陣屋 の段演出 に引績 き別府検番連中の清元夕立 餘興 本 店 を開 づ。前庭 にて記念撮影 をな して より…… 門外不出の竹田、杏雨等 の逸品数十馳 を陳 里後文 人展 東 京 都 中 央 区 日 本 橋 箱 崎 町 三 ノ 十 二 電 話 兜 町 0 五 三 二 一 ︵代 表 ︶ 東 京 ・横 浜 ・名 古 屋 ・大 阪 o神 戸 ・門 司 ラブの前途 を祀祠 さる。次 で記念品 を岡本會長 より`島 養 星野雨氏並 に雨 スポ ンサ ー クラブ代表 に贈呈 を絡 りたる 後、會歌齊唱、河村副委員長閉會 の辞 を述 べ厳請 に式典 支 店 事、瑞西 チュー リッヒのスタイガ ー氏立つて交 々別府 ク 下 開 RC :Ⅲ :‖ :‖ ::::IIIIll:::::::Ⅲ チ ⅢllⅢ llⅢ ⅢⅢⅢ‖::lllll:Ⅲ ‖:‖ 111:│ ャー タ ーナ イ ト 「 良b プ 情報 委員 '南 下開 クラブは昨年 1月 妻足5月 ]日 国際 ロー タ リーの登 録認證 をえたので 4月 26日 チ ャー ターナ イ トを開催 した ◇全国各 クラブか ら 178名 、下開 クラブ會員並 に家族69 名 の参加 をえて午前 11時 下開市民館大劇場 において博達 式 を撃行、鳥養61匠 ガバ ナー、星野 ハス トガバ ナー外人 として祠岡 クラブ名替會員 ザヘ ー レン氏 も出席 され、水 登 産都市 には珍 しい豪華な催 しであつ たc 録 風 景 (下 開市民館 ) 高女 生徒 コー ラ ス ロー タ リー ソ ングで40分 間 の リク リエ ◇博達式は豫定通 り運 び豊食は市民館ull場 で簡単 にすま ー シ ョンタ イ ム を過 ごして頂 い た。演技 は と もか く、下 し、12時20分 か ら餘興 に入つ た。 ロータ リア ンの皆様 に下開の ローカルカラーの反映 し た プ ログラム として、下開市内小學兒童 の舞踊 と下 開西 開 クラブの ロー タ リア ンのお 子 さん方 の演技 は各 クラブ 南 極 捕 鯨 キ の 會員 にア ビール した何 ものか が あ つ た と思 い ます。 ― ボ ー ト ー 14_ 模 型 の 鯨 披露宴 0中 央中部會長 (水 産會館 ) ◇ 1時 20分 に開門連絡船 一豊山丸 に乗船、史蹟 と風光 に 富む壇 の浦、巖流島 を眺 め、部崎沖合 にお い て、大洋漁 業株式會祗 の誇 る南極捕鯨 キャッチ ャーボー ト第 11開 丸 が模型 の鯨 を大砲 で試射す る責演 を見學 した。砲手は大 洋漁業 の誇 る世界的射手泉井守一氏 で、見事 な的中振 り に拍手 の波 が静か な開門海峡 にわ き上 つ た。 ◇ 4時 下船、大洋漁業 の第 2冷 凍工場 を見學、東洋一 と 言われ る製氷設備、珍 しい鯨 や水産物 の見本 を見聞 して 披露宴會場水産會館 に向つ たのは 5時 近 くであつ た。 取 締 役 社 長 ◇披露宴 は カクテルパーテ ィ式 に水産會館 で催 され、和 か な立食 と懇談 に歎 を交 えた嬉 しい もので あつた。餘興 は下 開藝妓 による下 開民 諾『 お槍 かついで』 『漁港節』 の踊 りと唄で懇親 の氣分を一段 と高揚 し 6時 牛 散 會 し た。 翌27日 は 2班 に分れ、観光班 は山 口縣 の誇 る世 界的鐘 乳洞―秋芳洞 を見學、他 の班 は門司松 ヵ枝 ゴルフ場 にお 高 けるゴル フ大會 にのぞんだ。 ガバナース レターより ―- 15 -一 郎 いに誇 つて よい と思 います。 太 で、 この中、 その 1割 張が 日本 で新設 された こ とは、大 東 京 R C 会 員 1953年 4月 末 にお けるクラブ敷 は 7,773(加 盟國及領 域84、 會員線敷369,CX10)と な りました。 而 して 214ク ラブが昨年 7月 以末 の新設 にか ゝるもの 井 亮 ロ ー タ リー の 現 状 (タ ラブ 敦 ) 動 精 先 東京機 器工 業 ︵ 株 ︶社長 度量衝製造 ︵六四才 ︶ た 勤 務 先 北 見商工会議所 職業分類 商工会議所理事 ︵ 五二才 ︶ 多 し 職業 分類 ル 名 ′ ■ 了 勤 務 先 川島 病院院 長 載業分類 病院経営 ︵五八才 ︶ 桐 生 R C会 長 勤 務 先 大桐倉 庫 ︵ 株 ︶社 長 職業分類 倉 庫業 ︵六七才 ︶ 北見 RC会長 株 ︶社長 勤 務 先 北宝食 品 ︵ 五 四才 ︶ 載業分類 洋菓子 販売 ︵ 北見幹事 、 │` 勤 務 先 日本 通運 ︵ 株 ︶粕崎 支店長 職業分類 運輸 ︵五八才 ︶ Z メ ″ 川 崎 R C会 長 載業 分 類 勤 務 先 マЪ仁h ク乞 粕崎 RC会 長 株 ︶社長 勤 務 先 平 野化学 ︵ 磯業分類 プ ラ スチ ック製品 ︵四八才 ︶ 川 越 RC幹事 株 ︶社長 勤 務 先 色屋 ︵ 職業分類 菓子 製造 ︵六 一才 ︶ 川 越 R C会 長 勤 務 先 ヨ葉 分 類 粕崎 RC幹 事 /,も 株 ︶社長 高橋商店 ︵ 自転車 販売 ︵二九才 ︶ ク 金沢 RC幹事 勤 務 先 岡 田医院院長 職業分類 外 科医 ︵ 五四才︶ 金沢 RC会 長 勤 務 先 富士製鉄 釜石 製鉄 所所長 取業分類 ︵五九才 ︶ ル 彦多 郊 ゎ 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 勤 務 先 職葉 分 額 郡山 RC幹事 姥 一 勤 務 先 郡山 膳病院 院 長 職業分類 医師 ︵五 八 才 ︶ タタ 勤 務 先 ダ イ カ イ社 長 四 二才 ︶ 職業分類 婦 入 服 製造 ︵ 株︶ 勤 務 先 松阪鉄工所 ︵ 六才 ︶ 職業分類 工具製造 ︵〓一 ン ´ 強 ♂″ ノ 松阪 RC会長 株 ︶社長 勤 務 元 川口荷札 ︵ 五 一才 ︶ 職業分類 ラベ ル製造 ︵ 岩手大宇教授 植林 ︵ 四八才 ︶ 盛 岡RC副会長 盛岡RC会長 勤 務 先 茨城県連合商工会議所理事 五二才︶ 職業分類 商工会議所 ︵ 水 戸R C幹事 ´ 底曳 先 類 勤 務 先 大貫病院院長 職業分類 医師 ︵六 二才 ︶ え 底曳 漁業 ︵四八才 ︶ 義務 ` づ 郡山 RC会 長 榮 職 勘 入 勤 務 先 山 梨内 外 編 物 ︵株 ︶専 務 職業分類 靴 下 製 造 ︵四 十 才 ︶ 矛 “ 甲府 RC幹事 イ │ 株 ︶社長 釧路石炭港 ︵ 石炭荷役 ︵五三才 ︶ ン 勤 務 先 海 沼 商 店 主 釧路 RC会長 払 ` 載業分類 生 糸 繭 間 屋 海 甲府 RC会 長 沼 誌 盲 人 織 機 の 稜 祠 島 RC會 員 雀更 に成功 した フラ ンスの F聖 母院」の院長 さんが昨年 の 0 月 その榮 ある表彰 の動章援興式 の行われた際、挨拶 の た め壇上 に上 るや開 ロー番 Fど うか皆 さん盲 目で も籠 を編 む ことや、また ピアノ調律師 に もな れ る外に、 も つ と 「指先の眼」を働 かせて更 によい仕事が出来 ますか らど うかその機會自 Πちチヤ ンスを興えて下 さい ……』 と申さ れ たそ うですc i 私 は今年姜明 しました盲人 のための織物機はわが 日本 の盲 目の皆様 が 「 ナ ット博士」と同 じくその「 指先 の眼」 を働 かせて織物、 しか も綾織物を織 る ことが出末 るよう に工夫 した ものであ ります6 4.物 を製作す る仕 の よろ こび これは嘗 て賓際 に扁島盲聾學校 で盲 目の方 に試 して貰 “ 盲人手織機 (光 明織物機 )の 責演 い ました結果「大丈夫出末 ます」 との歎馨 を奉げて頂 き 1.盲 人用織物機 の研究 私 は昨年 4月 の大阪 に於 ける國際 ロータ リー大會l ま した もので 、もし盲 目の方 で も熱心 にや つて頂 ければ 必ずや種 々の製品 の製作 に成功す る こ とを確信 いた しま t會 奉仕部會 の席上、及同年 11月 の名古屋 に於け る同第60地 匠大會同部會 の席上共盲 人織物機 の姜明 について嚢表 を す。尤 も織物 と言 つ て も極 めて簡単 な ものであつて最初 の基本的組織 を綾 で織出す に過 ぎない もので先ず製 品 の 行 い會員 の皆様 の御協力 を願 つ ていま したが、幸 いに皆 種類 はマ ッ ト類、買物袋、果物入、紙 層入等 であ ります が上達す るにつれ て種 々美術的な ものに工夫 して行 くこ 様 か ら何彼 と御馨援 を願 うことが出末 て、ま こ とに欣快 に堪 えない次第 で あ ります。 とが出来 るもの と考えています。また この機械 を手 に入 れ られた皆様 が是非物を製造す る仕事 の喜 び を味 つて頂 それで今事新 しく誌上 をお借 りする ことは相済まない 氣持 で一 ばいで あ りますが、近頃 になつて全国各地 の盲 けるように充分 に御指導 して見たい と存 じます。 人 の方 々か らこの織機 に開す る問合せが大憂多 くなつて 束 ま したので、一應 こ ゝで また本機獲明の概要 を嚢表 し て皆様か ら一層 の御馨援 を乞 う次第 であ ります。 この盲人織 鶏の使い方 それで先ず第 1に この機械 を使 い ます には解 されてあ 5。 りますか ら組立 てねばな りませんがそれには普通人に組 2.F鮎 宇毎 日』新聞 に嚢表 さる 立 つて貰 つ てそれ か ら充分 この機械 の形状、大 きさ、重 さ等 の外形や性質 をよく調べ て、覺 えて貰 いたいのであ 近 頃全国各地 か ら盲人 の乳字 の問合せが あ りますが、 これは本年 3月 16日 刊 の「毎 日新聞祗」の「馳字毎 日」 に黙字 で本機 の出現 が襲表 されたか らで あ ります。それ ります。それか ら最初 は「 ワラ」草 なわ等手近 な材 料 を 用 いて試 して 見 て下 さい。 そして先ず織物 ですか ら経糸 を引整えます。この事を織物では技術語として整経と申 で盲 人 にはやは り本機 の襲明説明書 を馳字 で作成 すれば よかろ うと思 いますが、 こ ゝでは今年東京中央郵便局 で 「 馨 の郵便」で私の妻明 しま した「音人織機」が盲人 の 方 々に賃際的に分るように、 と念 じつつ [ガ タログ」代 りに能う限 り簡便に説明を試みたものを次に掲げたいと │ 存 じますこ : 3.指 先 の 眼 します。 これは経を整えることであ りますが織物の製造 上最 も大切な仕事であ ります。 これが出末ましたなら次 は緯糸を行 に通 して、あやの隙を通 して緯糸を織込みま す。 この場合右手で織物の耳を揃えるように注意 します それが済みます と今度は綜績を1/4度 回韓 させ ま す。す るとまたその手前際 に隙が出末 ますからこんどは左から Πち1952年 フラ 昨年 12月 琥 の雑誌「 キ ング」 に、昨年自 い ンスの国家動章 を贈 られた「 ナ ッ ト」 と う名前 の方 で 抒 を右倶1へ 返 して通 しますcこ の時は左の手で左倶1の 耳 盲 目で あ り乍 ら何 と4千 人 の赤 ちやんのお産 を高能率的 た 4度 綜続 を回韓 してまた右 か ら最初 と同 じく緯 を抒 で ―- が平 に揃 うように注意 せねばな りません。そ して次 はま 1′ 18 -― しゝ つ デゝ に 8.お い ね が 筒私宛 にお便 り下 さるときは 祠島市舟場6町 番地 財園法人阿部研究所 阿 部 廣 宛 に監字 で結構 ですか ら御願 いいた してお きます。 阿 部 研 究 所 :阿 音Б 以上は録音盤 とした もので あ りますが、伺御参考 まで に次 の ような使用法説明書 と縣立盲學校長壇子久三郎氏 廣 の推薦 の こ とば とを御覧 い た ゞき度鼓 に掲げ る こ と ゝい 通 し、またその次 には綜続 を1/4度 回韓 して左か ら右倶1へ 返 して通 します。 これで本 の緯 が通 されたわ けですが こ れで織物、自 口ち この場合 の綾織物 の組織単位 が出末たわ けであ ります。 6.要 領をつかむ たしま した。 最後 に ロータ リア ンの皆様 にお願 したい と存 じますが 若 し皆様 の中で盲 人の方 で しか も、 ア ンマやハ リの以外 御仕事 をな さつてぃ る資料 がお あ りで したな ら、ま こ と に御手敷恐れ入 りますが私 の ところまでお知 らせ下 さる この ように して これ を何度 も何度 も繰返す こ とによつ て、織物はずんずん長 さを増 して織出 され るわけで あ り ますc勿 論織物製品 の種類 に よつて経糸 を種 々の色糸 に 染めること、また緯糸 もきれ い に染 めることが必要 で あ よう幾重 に も御頼み申上げます。私は年間臥床 をつ ゞけ つ ゝある牛身不髄 の身膿障害者に内職 を輿 えて完全 にそ の技術 を省得 していた ゞいた賓際 の経験 を持 つて居 りま す ので(特 に希望者 に連絡 したい念願 か らお願 いする次 りますが、 これは意匠 の仕事 として 日明 の人にやつて貰 うべ きものであ ります。筒織勧 も日明の方 に手助 けし 第 であ ります。 て貰 つて始めの中は力めて要領 を會得す るようにして下 さい。 その うち是非私 も皆様 にお會 い に参 りたい と存 じ 使 用 法 (略 国 符護 と照合 して調 べ る こ と) 上 げて馨援 して頂 いてお りますが、私 は姜明家 として皆 1 さんの この機械 に封 する御批夕」 や ら御希望や らを馳字 で の場合綾自 口ち緯 を通すのに必要 な隙自 口ち間隙 を作 るに必 要な る織物機 の要部 で最 も大切 な所 で あ ります。自 口ち盲 目の方 の こ とで あ りますか ら私 はわか り易 い ように凹凸 のみぞ を以 て綜続 を作 り「指先の眼」で讀 めるよ うに工 名 1機 2 1綜 結構 ですか ら是非御一報頂 き度皆様 の御多幸 を所 つて こ の機械 を世 に出 します御挨拶 といた します。 7.綜 批 とは何か 書 ◎機械各部の名精 とはた らき ます 。全國盲人協會長 の岩橋武夫先生に もこのお話 を申 向 この織物機械 を用 い る場合 に私が先程何度 も綜続 と い う言葉 を使 い ましたが、 この綜続 とい うの は織物機械 明 説 ]葛 嘉 要菖瓦丁 ―争+奈 侶丁 ]F丁テ 8丁 立 回難 暫 ∫ 珊 報 (8)デ 知 ル 二 塁 三 ] / l ll憂 彗 子 ≡ ≡ 垂 ≡ 重 ]蒟 馨 ≡ 口 E死 二 三 二 三 二 三 二 10 1痙 糸 掛 針 雨側共 外方 二外 ラセ テ組立 ル … 11 1自 在豪ネ ジ IU字 状 ノ長孔 ヲ終始共利用 スル 7 再 可 戸 下 寿 爾 卜 雨 ジデ飛 ぎ 13 「 1綜 縦 軸 受 孔 夫 したので あ ります。 しか もこの綜続 を 4回 動 かす こ と に よつて隙 を 4回 作 る。つ ま り1/4度 ずつ 4回 で全回韓 に 光 明 'フ 薔ソ 手 織 = ニ ナ ツテ ル ノ デ1≠ 4二 正 シ 機 なるのであ ります。 この 度毎 にハ ン ドル を回 した場合 目の見えぬ方 々が よく馳字 でわかるようにハ ン ドルの反 1ん 口ち左側 に乳字 の敷字 を植付 けてあ りますか らそれ 封側 自 つ に よ て簡単 に劣J讀 出末 るようにしてお きま した。だん だん慣れ て末 ます とこの綜枇 のハ ン ドルの使 い方 によつ て経糸 を模様 に現わす こ とが出末 ますか ら楽 しみで あ り ます。 また この綜続 は大小 2種 の園板證 を 2ッ 組 の 4ッ の種類 に組合 せた もので あ りますか らこの綜続 によつて 盲 目の方 は指先 で大小 のl■ l板 の ミゾの深 さが直 ぐに分 り ◎未 だ慣 れ ぬ うちは 5ミ リ位 の太 い紐 を用 い て 、 マ ッ ト、買物 袋 果 物袋 、 その他 種 々荒 目の もの を作 るが よい。 ◎ 技 術 が進 む に従 つ てハ ン ドル を正 、逆 に使 つ て模 ま織 りも試 み ますか ら便利 です。上達するに従 つ てだんだん細 い もの も出末 るようになると存 じますか らまたその場合 は私 も 『光明手織機』をおすすめする それに相應 したよい もの を工夫 して皆様 の御期待 に添 い た い もの と考えてお りますc 盲學校 または聾學校 の職業教育 の一端に資するため、 阿部廣氏 の襲明 にかか る文字通 り光明を完全に認め得 る る と面 白 い。 ―- 19 -― 茶 人 高 久 東 京 RC會 員 在 りし日 の高久氏 君 戸 野 琢 磨 高久 さんの いた。竹 とい うと全 く残念 でな らない事 をした事 を告 白 死があま り突 然 であつ たの しなければな らない。今更悔 てい るのであるが戦災 にて で其報道 を牛 家を焼 かれ た同氏は其跡 に小 さい乍 らも新築 された。そ の祀品は何 が良 いか と尋 ねた虎印座 に古 いので良 いか ら 信牛疑 で恨 め しく見 つめた 屏風 と衝立 があつた らとの所望で あつた。幸 い戦災 を受 ゛ けて多少損傷 した ものの持合せが あつたのです く贈呈 し 事だつ た。然 た。衝立は表具屋 で ス ッカ リ張替 られて新品 となつたが これに是非竹 の檜 を所望 され これ を引受 けて置 き乍 ら今 し香煙昇 る中 に永遠 の眠 り 日迄未だ に其約束 を果 し得なかつた不信の責 を今 つ くづ く悔 いてい る。最早や取 り返 しのつか ない事 となつ て終 に入つ た高久 さんを目の営 りに見 ては最早や再び語 り得 ざる過去 の人 として氏 を追慕す るより道 はない。 つた。 高久 さん と交友 の始ま りは可成 り古 いがやは.リ ロータ リア ンとしての親交 に始 まる。然 し最 も心 か ら共 に語 り 其竹 の様 な素直な性格 を理想 としていた高久君は決 し てお乳前 の1目 序 なんか を書 きとめ様 としなか つた。そ う 合 う様 になつ たの は高久 さんがお茶 の稽古 を始 め られ て か らである。今 はそれ も大戦 以前 の事 となるので最早や して幾度 も幾度 も、頭中で其順序 を繰返 し繰返 して修業 十 数餘年 となつ た次第 である。高久 さんの茶道 はお詰前 よりも其基礎 である茶道 の精神 を修得す るにあつた。又 其精神 によ り自分 自 らの修養 の一助 とす ると同時 に更 に 外國人 との親交 を茶道 によつて深 めん と努力 された。そ れ には 自ら證験 し日常 の私生活 に取入れ て最 も自然な茶 道 こそ高久 さんが求め られた茶 であつた。 「 常 とい う一字 につ きる」素直な几 にみえて凡 でないのが理 想 で あ つ た。高久 さんは「竹」 を愛 した。竹 の様 な人間を好んで された。電車 の中で も旅行中乗物 の中で も事務所 で も暇 さえあれば眼 を開 じて眠 るか如 く安座 の姿勢 の時 は必 ず お馳前 を頭中で運 んでい る高久 さんであつた。そ うして それが高久 さんの一番楽 しい時 で もあつた。大人 の思出 話 の中で も高久 さんはよく夜中に限 を醒 され る事があつ た と。起 るには餘 りに早 く然 し寝 られない。其時 には必 ず例 の頭中お識前 が始まつ た。そ うして夜 の明けるの を 楽 しく待 たれた との事 である。自然 の茶。 ス ラスラ と鶏 て られ る茶 が如何 に楽 しいかは賞際経 験 をして見なけれ 手織機 を開係各位 に御紹介 いた し御利用 をお すすめす る 陶器 )等 次第 であ ります。 4.か ご 類 =果 物か ご、紙切か ご等 5。 そ の 他 =椅 子下張、ハ ンモ ック等 別紙「 指先 の限」 をお くる言葉 に利用方法 その他につ いて十分意 を蓋 してあ りますか らよく御熟覧 をお願 い致 します。盲學校 の生徒 のために何か副業的な、工藝試作 の道 はな い ものか と求 めてい る折 にこの「光 明手織機」 等 が考えられ、何れ も費用品 で あ り、安債 に提供す る こ とが出末 ますので、更 に工夫考案 を切望 いた します。 祠島縣教育委員會 に も御説明 いた しました ところ口を を手 にして職員生徒 に早速活用せ しめた ところ誠 に興味 もあ り、創造 工夫 の考案 を練 るの に も役立 つ こと多大な 極 めて御賞讃 を頂 きま した。営盲學校及 び聾學校 で も非 常 に張切 つて生徒指導 に営 つてい る現状です。 この喜 び ものがあるので、學校畢 げて喜 んで居 ります。 要部、附局品共至 つて簡単 なる構造 で その使用 も至極 あ ります。 と光明を全國盲學校聾學校 の皆様 にお すすめす る次第 で 簡便 であ り、所要原料 も藁組、 ゐ草紐等 にて、至 る所 に 容易 に入手出末 ます。 また製 品 として 1.マ ッ ト類 =花 瓶敷、人鉢下敷、浴場 マ ッ ト等 2.大 マ ット=(絶 合せて所望 の坪敷 に出末 ます)等 5。 買 物 袋 =手 提袋、小物入、瓶入袋 (ガ ラス、 ―- 20 -― 昭和28年 1月 10日 圭 語 喜言 曇 言 憂 量 壊曇 槍 子 久 二 郎 び合 つたの もうかの間、再 び下痢 を起 して病床 に就 かれ ば味わえない事 で あるが「 形」 に縛 られず思 うま ゝに運 んで行 くお貼前 はやは り度 々の證験 によつて所謂「身 に た同氏 は死ぬ迄再起 を信 じ希望 に満 たされ ていた との事 で ある。丁度九 日の朝偶然 とは言 え電話 ではあつたが御 つい た」 ものでない限 り他か ら見 て も容易 で心配 の人 ら ぬ ものにな り切れない。 これは線 ての藝術 に共通 の事 と 見舞 を申上 げた時 に も奥 さんか ら今 は下痢 も止 ま り此状 思 うが 「 偉 あつ て停な し法あつて法な し時あつて時な し」 態 な ら回復 も今 は日の問題 と思 う。皆 さん に御心配下 さ らない様 に との御言葉 で あつた。 もう一度席 を同 じくし とで も言 う式 の高久 さんは員 に茶 を楽 しんで いた。去年 七夕の茶會 には主人役 を務 め其挨拶等 は所謂高久式 とも 言 う可 く牽牛織女雨星 の 1年 1度 だけ しか相見 ざる宿命 て其全快 を祀 う氣分 を希望 したので あつ たが其夜 9時 30 分 に眠 るが如 く、病床 に名古屋 か ら見舞方 々上京 された 愛嬢 の手 を握 つた儘安眠 を楽 しむが如 く、息 を引取 つ て いた との事 で ある。家族 の皆 さん もあま りの意外 に悲歎 か ら及ぼ し男女 の意義 と其 日の茶會 の主旨を諷刺 と茶道 によ りて結 ばれ 、列席 の者共 の幸運等言葉巧み IC述 べ ら に暮れ てい られた事 であつた。 ロータ リーには毎水曜 日 出席が必要 なので営分此身饉 では困難 と思 う。出席率 を れたあの 日の高久 さんが一年経たない今 日永久 の告別 の 餘儀な くされ るとは全 くはかない人生である。 戦争中物資不足 で何事 も不 自由で あつ た時 で も共 に毎 低下 さす事は皆 さんの御迷惑 と思 うか ら一時退會す る方 が良 い と思 う。然 しお茶丈 けは身證 の調子 の良 い時 に出 水曜 日のお稽古 は ローク リー と同様鋏 か さなかつ た。一 同連立 つ てお稽古 の後 は ロータ リーに出席 した もので あ 席 して相興 らず一碗 の茶 を分け合つて修養 し且 つ心 の塵 を排 い たい と話 された事 を思 い出す。 つ た。苦 しい中で も無理 して一尾 の魚 を鎌倉邊 で手 に入 これは一度相営衰蒻 の甚 しか つた時 の心境 と思 うが晩 年 の高久 さんは清 い員 の茶人 として修道 し且 つ ロータ リ れ 得た高久 さんのお蔭 で持寄 り懐石料理 を感謝 し乍 ら葉 しく語 り合 つたの も楽 しい思 い出の一つ「 。茶 は遊 びでな く藝 でな く又放座 で もない。一味 の清浄法 で ある」 と言 われる虎に御互♯最 も共鳴 した ものであつた。晩年高久 さんは茶道によつて最 もよく洗心 し治心 して病氣 と闘わ れた事は御遺族 より話された一節である。 t・ ″ Ⅲl 先般小康得て二三度 ロータリーにも顔を見せ再起を喜 _ ーの精耐 を これ に依 つて研磨 され ていた。賓際 自分 の も の として茶道精神 を身 につ け られた高久 さんは其肉髄 は 腐 ち一塊 の友 と化 して も其霊 は今筒お茶 を楽 しみ相興 ら ずお監前 を杢ん じてい られる様子 が眼 に見え る 様 で あ る。思 い 出す ま ゝに。 糖 イ RC 羹︶ 目 ン 羊 丁 ン ワ 倉 羊 羹 ︶ 砂 1 汁 粉︶ 占 七 坂 表 町 二 丁 目 座 覇 啜川 赤 銀 8 鉢一 ∝剤 ゛ 剌F〓 正 電話赤 坂︵ 4︶ 銀 座 店 橋 店 7ビニハ七九 電話銀 座︵5 日 本 日 本 橋 通 一 丁 目 7︶入八五六 電話千代田︵2 新 九 ビ ル 一 階 新 丸 ビ ル店 ホ 午後 ) 御 進 物 に御 常 用 に 登録 商標 登録 商標 商標 登録 登録 商標 い ま す 当 虎 屋 は ご ざ 下記 六店 で 地 方 への お贈 り も の は 当 店 よ り 直 接 お送 り 申 上 げ て居 り ま す 。 ・ 四 7 ∞聾︹ ♯ 電話千代田︵ 2︶ 一 示 都 店 申 東 京 南 ―- 21 -― (13日 勤 務 先 小林合 名会社代表社員 職業分類 精油製品販売 ︵三六才 ︶ 株 ︶社 長 勤 務 先 新 潟 ミ ルク製 品 ︵ 二 九才 ︶ 職業分類 ァイ スクリー ム販売 ︵ 勤 務 先 中野組 ︵ 株 ︶社長 職き分類 消毒殺虫剤 販売 ︵五二才 ︶ 新 潟 RC会 長 株 ︶社 長 勤 務 先 敷島製 パ ン ︵ 職業分類 製 パ ン卸売 ︵ 五九才 ︶ 名 古 屋 R C幹 事 勤 務 先 信友 ︵ 株 ︶社 長 職業分類 絹 糸 布 販売 ︵五 三才 ︶ 勤 務 先 石耐天堂店主 職業分類 医薬品販売 ■ハ十才︶ 本 ︷ 昌 職寒分類 清 凍 飲 料製 造 ︵六 九才 ︶ 株 ︶社 長 勤 務 先 宮本 商 店 ︵ 帯 広 RC 副 会 長 / 沼 津 R C会長 勤 務 先 駿河銀行副 頭取 職業分類 商業 銀行 ︵ 六三才 ︶ 沼 津 RC 幹事 勤 務 先 東 京 麻 糸 紡 績 工場 長 職業分類 席 糸 製 造 ︵四 七 才 ︶ 帯広 RC会 長 宮 水 戸 R C幹事 勤 務 先 日本 通運長岡支店長 職業一 分 類 運輸 ︵五 四才 ︶ ヽ 長岡RC会長 勤 務 先 鈴木歯科院長 職業・分類 歯 科 医 ︵ 五三才 ︶ 凝あ 室 蘭 R C 幹事 株 ︶社 長 勤 務 光 楢 崎造船 ︵ F 業分類 木 造船 建 造 わの 室 蘭 R C会 長 良 『 所 次 人 こ 墜 シ R キ ャ す 上 九 小″ 朽ア 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 ド 勤 務 光 札幌医大学長 戦業分類 医学教授 ︵六七 才︶ 札幌R C会 長 小樽RC会 長 ん れ 株 ︶社長 久野回漕店 ︵ 勤 務 先 五七才 ︶ 職業分類 回漕業 ︵ 幹事 小樽RC. 着 問 脩 株 ︶専務 取締 勤 務 先 北 海鉱業 ︵ 四 一才︶ 職業分類 鉄 鋼製造 ︵ く 株︶ 西濃 鉄 道 ︵ 鉄道運送 勤 務 地 新光 土地合 名会社代 表社員 三七才︶ 職業分類 不動産売買 ︵ ヽr 株︶針崎工場取締役 勤 務 先 日清紡績 ︵ 五 一才︶ 職業分類 綿紡績 ︵ オ 育 彼 乙 社長 株︶ 勤 務 先 槌谷柿羊羹本舗 ︵ 四三才︶ 職業分類 菓子製造 ︵ わ 株 ︶ 取締 役 勤 務 光 丸 昭産 業 ︵ ヽこ ・ ヽ 職業分類 食 品 販 売 ︵五 二 才 ︶ 仙台RC幹事 株︶副社長 勤 務 先 東北 電力 ︵ 職業分類 電線製造 ︵五 一才︶ ユソ′ iri 株︶社長 勤 務 先 秋保電鉄 ︵ 五七才︶ 職業分類 郊外電車 ︵ 仙 台R C会 長 株︶社 長 勤 務 先 山形屋 ︵ 職業分類 旅館 レストラ ン 含二七才︶ 札幌RC幹事 ふ 岡 崎 R C 会長 糧 大 垣RC幹事 祇 /ワ レド , ヽT 本 勤 務 先 郷商店店主 二九才︶ 職業分類 ゴ ム製品販売 ︵ 帯広RC幹事 ス ヽ乞 た ム 岡崎RC幹事 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 ニ ュー ズ (A B Cllri) :1 崎RC 一 ¨ 一 一 ¨ 一 ¨ ¨ 一 一 ¨ 一 一 一 一 ¨ 一 一 一 ¨ 一 ” ¨ ¨ 一 一 ¨ 一 一 一 一 ¨ ¨ ¨ 一 ¨ 一 一 一 一 ERC・ J 第 60地 事 旭 り ‖…… 21 東 京 南 jll 崎 …… 21 東 京 lヒ 夕 路 …… 25 山 形 盛 岡 …… 25 横 濱 ││ 名 ,召 古 屋 … … 3o 営 クラブが興 々の馨 をあげてか ら 満 2周 年、 この 4月 23日 の例會 日が 30 , その記念 日に営 るので、かねてか ら 計書が進 め られて いた下記 の ような 32 38 い ろいろの多彩 な記念行 事 を 行 つ 26 岡 , → 壼 一 果 津 ……27 て、 この 日を記念 し、全會員歎 を蓋 し盆 々親睦 を深 めた次第 である。 " 崎 ……28 筒例會 の出席 については、 日頃出 樟 ……28 席奨動委員か らやか ま しくいつてい るが、 この記念 日には是非共全員出 釜 … … 29 口ち 10Cl%出 席 を賞現 したい と 席、自 い う希望 で、全員出席 の場合は特別 京 …… 30 サー ビス として、 ビール を出す こ と 60th DISTRICT CLUB NEWS 旭 Ⅲ E 川 RCⅧ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ の ビール を出す こ ととな り、拍手を カナグケベ ックのセ ントジ ョー ジ 記念行事 1.會 員の lヵ 年間 100%出 席者 の 表彰 (52年 4月 23日 -53年 4月 ォー メイシ ョン芽 々、貴殿及貴 クラ ブ會員 に封 してケベ ックの この一隅 か ら吾 々ロータ リア ンの友誼 を受 け 通 尋ⅢⅢ‖Ⅲ‖ⅢⅢⅢⅢⅢ:師 尾 信 員 護 造 ″ 員面 目な定任者 を求める″ ノ 、日問題 が漸 く俎上 にの 吾 が國の´ つ て きてい る時、 カナダの ケベ ック よ り営 ロー タ リー クラブ 會 長 宛 の ″ 員面 目な定住者 を求 める″ とい う 次 の如 き内容 の書翰 を入手 したので つ たが、談笑裡 に多数決 で豫 て用意 数 7名 )の 申込があつ た。 1953年 3月 5日 會長大谷東策殿 ロータ リー クラブ會長 としてイ ンフ 三 に していたが、残念 に もやは り3名 の快席があ り、 ビールは望み薄 とな 入れ られ る様 お願 い致 します。小生 セ ン トジ ョー ジ青年會議所 の工業委 員 ですが貴國 に於 て営地方 で定住 を 考えて居 られ る員面 目な人達 の有無 について、開心 をもつて居 ります。 営地は立地條件 に恵まれ、良 き働 き 手 をもち、進歩的 で員面 目な人 々の もつてむか え られた。 16日 ) 畑石君 肥田君 伊藤君 川島君 根本君 鈴木君 竹尾君 堤君 渡瀬君 の11氏 高橋 (憲 )君 内海君 100%出 席 の陰 の援助者 ― 奥 さん方 に綺麗 な コ ンパ タ トを賞品 として贈呈 した。 2.川 崎市内學校数職員の表彰 ための便宜あ る工業都市 ですが、今 新 らしい工業誘致 を企固 して居 りま 表彰 された方 々は皆永年の勤 績者 で且つ優秀な賞績 をあげ 営 クラブでは早速全會員 に知悉 せ し め ると同時 に北海道新聞、北海 日々 すので、貴 クラブ ロー タ リア ン及開 心 をお持 ちの方 々にお しらせ下 さる てい る方 新聞紙_Lを 通 じインフ ォー メイシ ョ ンを行 つ た所、空 日既 に 2名 (家 族 様お願 い致 します。 セ ン トジ ョー ジクラブ會長 ―- 24 -― 毛利成一氏 (市 立高津高 等學校長 )勤 績39年 ベ レア 高島松柏氏 (市 立富士見 60地 ERC・ 中學校長 )勤 績40年 山本 正兄氏 學校長 ) 西海 ミキ氏 (市 立田島小 ニ ュ ー 皿瑾 ⅢⅢ皿Ⅲ 劃‖ 路 RC‖ ⅢⅢⅢ 勤績40年 面 で密接 な関係 にある営市 として も 同地 の紹介宣博 には凡ゆる手段 を蓋 す べ き要 あるを痛感 した。 (市 立南河原 小學校教論)勤 績34年 堤會長 より表彰状 と記念品 を 又、會員小宮、堀 の雨氏 か ら 3。 夫 々副賞 を贈呈 した。 高島校長 は受賞者 を代表 して 「 ただ長 い問恙 な く職務 を遂 とす る阿寒國立公園へ は昨27年 度中 に約 19萬 人 の末遊 あ り、約 3億 8千 萬l■ l位 消費 した由で、阿寒 と種 々な 幹 ≡ 論ⅢⅢⅢ‖ Ⅲ‖‖ Ⅲ‖ⅢⅢ吉 田 事 ≡ 利 和 新 會 員 横 川、黄田雨氏相次 いで退會一抹 の淋 しさを感 じて居 たが今回正規の 手績 を経 て藤田憲一 (水 産物協同組 宮脇次期 ガバ ナ ー ノミニー泰訪 4月 2日 の例會 には宮脇富 氏末訪 合 )北 島利夫 (相 互銀行 )駒 崎元雄 は ■人 の名春 だけでな く教職 員全部 の名春 として今後 も誠 巴里大會へ御出席 につ き今後 の 日程 コース等 を詳細御説 明あ り、労 々過 高橋保 (電 氣器具販賣 )の 5氏 を新 會員 として迎 える事 にな り30日 の例 心誠意職務 に勉動努力 したい と思 うな皆様方 の御指導 と御 般同氏今回 の渡欧 に際 し営 クラブよ り徴意 を表 したにつ き鄭重 な謝辞あ 支援 をお願 い したい」 と謝辞 を述 べ られた3 り恐縮 した。伺同氏退釧迄 の時間 を 利用 し正副會員幹事職業奉仕親睦雨 會 に會長 より夫 々紹介 された。之 で 正會員38名 となる。 4.ニ ヨニコ献金 行 しただけで、却 つてお恥 し い次第 で あるが、今 日の榮春 3.記 念講演 川田 順氏 「 日本歴史 の一つの話題」 とい う題 で「 、昔 か ら侍わ る日 本歴史 に も大分嘘 が多 く、例 えば芝居 でや る義経 は綺麗 な 立派 な青年 だが、賓際 は小柄 で ミソッパであつた とい うこ とで あるc又 義経 が秀衡 の館 にぃた とき、丁度西行 と會 つ ているが、69歳 の西行 と22-3 歳 の義組 とが どんな話 をかわ したか、残念 に もこれは記録 がない、若 し皆 さんの中 に御 知 りの方 があ りま した ら御教 不願 いたい.ま あクイ ズ とし てお きま しよう。 」と日本歴史 の一面 を豊か な話術 と學識 と を織 りまぜ 、誠 に興味深 い講 演 であつ た 4.記念家族會 明治座 に新國劇 を観顔1(長 谷 川伸作 ,一 ―蝙蝠安 その他 ) 辰巳の熱演 を心ゆ くまでに観 賞 し、夕食は同座三原食堂 で 幕 の内 に舌鼓 を打 ちつつ會員 家族 70名 の全員、 この記念 日 を最後 まで業 しみ、意義深 い 春 の 日を途つ た。 1。 委員長等 で別 に席 を設 け心許 りの途 別會 を催 したが同氏 よリクラブ運営 について種 々有盆 な御高説井聴す る を得幸 で した。 2.卓 話 9日 は電報局長丸山美子義氏 より 趣味 としてのりF句 に因み特 に釧路根 室地方 に於 ける可憐 な草花 の敷 々を (新 聞襲行 )鈴 木晋李 (電 力供給 ) 3月 4日 は學校 の卒業入學時期 と て 2日 の例會 には會員 の子女卒業入 學 を祀 してか 5,700園 か らの ニコニ コ献金 あ り、献金委員 はほん とうに ニコニコ して居つ た。 盛 詈 ⅢⅢⅢ ⅢⅢⅢ 讐 岡 RC‖ Ⅲ メ こ ミ 、 ラ〒 雨 F竜 テ 三 llllll‖ =万 紹介 され興趣深 く語 られた。其 の一 節 に根室 ノサ ップ崎 に険 く黒百合 を 人に贈 つ た ところ次 の首 を 在京某タト 寄 せ られた と。 百合 として紫紺 に険 けるあや しさよ さい果 ての これや黒百合 わ が 庭 に 我 々の手近 な夏 に色 々珍 らしい而 か も美 しい草花 の存在 を承知 して今更 乍 ら自分等 の迂濶 さに氣付 いた者 も 多 かつ た。 信 員 四 ≡ 郎 営 クラブの創立 は昭和 14年 3月 で 東北地方 としては古 い方 です。會員 数 は34名 ですが、附近 に隣組 の クラ ブが少 いため も手博 つて、出席率 は は會員中尾 日銀支店長 よ り米 ソ冷戦 の推移 より米国の経済界延 い ては我國経済 に及ぼす影響 につ きユ 餘 りよくあ りません。 2月 には逐 に 誠 に申課あ りません。 最 低の成績 で 、 ーモ ラスに説 き去 り皆 々面白 く傾聴 釜石、自釜、會津若松、秋田な ど績 績 と新 しい仲間が増 えて末 ま したか 16日 した。23日 は會員水谷鐵道局長 より 折 か ら観光 シーズ ンに入 る事 とて醐 しか し、 この 1年 間 に、東北地方 に が外国 より観光客萬 人末れば大證食 ら、出席卒 の向上 にせ いぜ い努力 し てお ります。 目下青森 に熱心 にお勤 め しています。 糧 の不足が賄え ると聴 き今更観光客 の馬鹿 にな らぬを知 る。営地 を玄開 4月 の最終例會 日30日 17Cは 、ゲ ス トとして、篤農知事 の國分氏 とユ ネ 光 につ き御話 あ り。資源不足 の我國 _- 25 -― 第 60地 匡 RC・ ニ ュ ー ズ スコの カラキ シヤ氏 を迎 えました。 高松宮殿下 のお動 めで昨秋完成 し 岩手縣は耕地整理 の進捗 に より、 ましたが、お いで になつ た方 は どな た も日本 一の山の家だ と云 わ れ ま の理解 雨委員會共催 として「國際間 、 す。札幌 の會員 の大野精 七先生 に最 初 に泊 つていた ゞきま したが、 この 會員 5名 の審査員 の慎重なる審査 を 反営労働力が50人 か らまり人 に 減 つ て、餘剰労力 を全国 に魁けた北上川 綜合開襲 にふ り向け られ る こ とで し よう。 これは國分知事 の うけ賣 りで す。 ユネ スコのカ ラキシヤ氏は、 ユ ‐ ネ スコの移動科學■i験 展 に説明役 と 内公私立高等學校 の男女生徒 を対象 として、営 クラブ祗會奉仕 国際奉仕 と親善」を意味す る作文 を募集 し、 2月 には宮様 をお迎 え しました。夏 のお花畑 いやお花農場―一 の散歩 に 各 の スキー(12月 か ら 5月 まで)に 、 経 て30敷 通 の中 より5通 を選抜 し、 4月 28日 の例書に入選者及其學校長 を招待 し、學校諸君 には御協力を感 して末 られたのです。氏はバ ンコ ッ ク大學 の数物教授 の由ですが、 2年 前 にパ リを出凌 され、東南 アジアの 是非 おでか け下 さい。筒各山の指導 謝 し、入選者 には夫 々各自の作文 を 標 として も日本一です。 朗讀 して頂 き會員 に獲表 した。作文 の内容は昨年 に比 し、進歩 の跡 を見 各都市 を廻 つて先月東京へ到着 され 部鐵瓶な ど、 自慢す るものは、昔 の ま した。上野科學博物館 で賞験装置 の修理 を し、新 しい もの を附加 えて 姿 を残 した、 自然か、古 い もの しか 東京か ら最初 に営地 に末 た由で、 さ し営 り日本 の東南 アジアが東北地方 とい うわけで しよ うか。賞 を言 うと 今 か ら 5月 初 めの祭 日つ ゞきあた り が、丁度櫻 の具盛 りなのです。 それ と時期 を合せたので しよ う。 日本 で一番古 い耐楽、紫根染、南 あ りませんが、昔 なが らの情緒 もそ の ま ゝ残 つてい ます。 ゛ 悪 い出席 卒 の責 をお國 自慢 で塞 く ようですが、 クラブ活動 については 次回 にいた しましよ う。 名古屋 RCllllllⅢ …剛…ⅢⅢ嵯 ≡ = 営地 は戦災 を うけず、市内を北上 川 、中津川、雫石川が流れていて、 せて居 る。 筒 5月 2日 の土曜 日午後 よりAB C會 館 に於 て一般へ の妻表會を開催 した。参加者多数盛會裡 に會 を絡始 し得た事は開係者は勿論其他 の協力 に撼 るもので感謝 に堪 えない。 作文 の審査員砂谷保太郎、尾開誠 一、白石豊彦、石塚正信、宮部幸 三 の 5君 。 「國際間 の理解 と親善」 に開す る 第2回 優 秀作 文妻 表 日障 召和128」 事 5り12日 (_L) 寺 日 美 しい水 の都 です。國謹 スケー ト大 會 々場 として有名な高松池は、員白 午後 1時 牛 より に残雪 をのせ た秀峰岩手山を映 し、 日の覺 めるような満開の櫻 で縁 とり 場所 退會者 瀧藤治二郎君 ニ 本 一の廣 い瀑原があ り、 6月 中旬 に 雪 が消えて、素晴 らしい廣大な高山 1・ な くなつ た ような貴重な美 しい花が 藤元章雄君 足 の踏場 もない位 に険露tれ て い ま す。その まわ り、 5粁 か ら10粁 お き 大阪新三 菱重 工 位 に、蒸湯 (ふ けのゆ)、 後生掛 (ご しようか け)玉 川藤七な どの夫 々特 945ノ 4 1・ 辞 2年 長島 淳子 名古屋市立櫻肇高等學校3年 第 2位 松尾 俊治 2年 第 3位 4月 21日 1600米 ですが、昨年 この入 口、松尾 に開演 中 の 菊 五 郎劇園絶務部長片 岡 鍍山の奥 に國鐵山の家がで きてか ら 全 く便利 とな りま したcと い うのは 六 合雄君 の 出席 を願 い故 六 代 目菊五 郎丈 の敷 々の逸話 を聴 き午後 4時 よ 盛 岡か ら約 2時 間牛 の松尾鎖山まで バ スが行 きます し、 そ こか ら2粁 で り家族打 連 れ 、同隊1を 醐賞 す。 参加者 103名 第 1・ 1・ 2日 4位 第 5位 ) 1・ 柴田 昌治 名 古屋女 子 商業高等 學校 3年 田 中員 知 子 名 古屋 市立 向陽高等 學校 3年 小野 宗男 賞状 及 賞品贈呈 名古屋 ロー タ リー クラブ副會長 1.挨 此 週間 の 行事 として昨年 同様、市 ―- 26 -一 誠 一 優秀作文朗讀 1司 0青 少 年週 間 (4月 25日 -5月 委員長 尾 開 名 古屋市 立 向陽高等 學校 自宅耐 戸市垂水匠 塵屋 町字 上 田 家族會 の 第 1位 本 日は例 會 な るが 故 に席上御園座 山の家へ着 きますが、 そ こカニ標 高 會 自宅東 京都足立匠千住 町 5ノ 80 徴 の ある温泉 が あ ります。頂 上 は 1100メ ー トルなのです。 開 名古屋クラブ国際奉仕委員 1.審 査結果報告 笠谷保太郎 名倉 重雄君 4月 22日 付 東京厚 生 年金病院長 へ 荒川長太郎 名 古屋 クラフi… 4月 20日 付 植物 の群落が現われます。 7月 中旬 が花盛 りで、中部 アルプ スで見 られ 名 古屋 クラノ冨噂学丼 司會者 ャ まんたい)が あ ります。頂上 には 日 論ⅢⅢ‖ ⅢⅢ‖Ⅲ‖ Ⅲ‖ Ⅲ‖盛 干 ち 田 レ (は 事 秀 幹 され ています。岩手山の裏 の方 に國 立公園の第 1候 補地、八幡李 中匠仲 ノ町 ABC會 館 く プログラム ) 拶 副會長 瀧潤 次郎 祀 辞 多識賽幕 佐伯 卯 四 郎 名古屋クラブ弘報委員朝日新間中部支識長 講 演 黒佳 征士 1.ニ ュース映書 朝 日新聞祗提供 1.閉 會 の辞 多配譴θ 荒 川長太郎 華謳へ の道 名 古 屋市立 向 陽高等 摯 校 第2學 年 長 島 淳子 昭和 28年 8月 、 つ い に 日本 が屈 伏 して あの大戦争 の幕 を閉 じた時、再 びあの い まわ しい戦 争 の 渦 中 に巻 き 込 まれ るな どと考 えた人 は恐 ら くな か つ た で あ ろ う。 それ 程、戦 い は惨 烈 を極 め 、物心雨面 の被害 も莫大 な もので あつ た。 この恐 ろ しい戦 いの 惨 調 が世 界 の 人 々に不和達成 の動 き を よび起 こした。 世 界恒 久 の平和 は人 類 の悲願 で あ 名古屋 RC「 国際間の理解 と親善」に開する作文 1位 入選者長島淳子 さん表彰 あ るが、敗戦國 た る 日本 に於 いて、 三 會員30名 、家族46名 計76名 が、歌舞 伎座前 の受付 を通過 したのが 、開幕 そ の願 い は一 層切 な る も の が あ つ ≡ スレスレとい うロータ リア ンらしき たこ それ故 に、 日本 は新憲法 の 制定 ≡ 正確 さで豊 の部 を醐 劇、家族連 は熱 り、誰 し もが心 の底 か ら願 うもので =刀 ′Eコ 月雪RC‖ ⅢⅢⅢⅢⅢ:Ⅲ llllⅢ ⅢⅢ:讐 に際 し、世 界 に未 だ類 例 の な い戦 争 ≡ 放 棄 を中外 に宣言 した ので あ つ た。 ≡ 心 に舞墓 に喰 い入 る如 くに至藝 を満 喫 、會員 の一部は ロビーで野球 の テ しか しそれか ら七 年、世界情勢 は ≡ ≡ レビを醐戦 したり、或は地下に3階 に繁く往復、夫 々敷フJを 楽 しみ 16 通 信 員 詈 昌 Ⅲ‖ ⅢⅢⅢⅢⅢ‖ 論ⅢⅢⅢ‖ 松 井 謙 一 時、 日燿で雑踏する銀座に出て散歩 に買物 に豫定を絡 り夕71東 京妻沼津 一 憂 した。米・ ソ雨陣営 の緊張 した 封 立 は、 日を追 つ て激 化 の一 途 をた ど り、平 和 の 名 の下 に李和 を否定 す る戦 争 の準備 に、世 界 はあ げ て狂奔 して い る。既 に隣 の 朝鮮 に於 t/・ ては 戦 いの 火蓋 は切 られ 、 日夜 悽惨 な死 岡 が 繰返 え され てい る。世界 は再 び 戦 Tの 危 険 に直面 したのであ る。人 0故 米 山梅吉氏の墓 に詣 る 4月 28日 は 日本 に ロータ リー を移 植 せ られた故米山梅吉氏 の第 8回 御 命 日に営 ります ので営 日會報委員相 語 らい夕方静岡縣駿東郡長泉村中止 に掃 つて末ま した。 O清 水チ ャーターに大睾出動 : 清水 RCが 3月 28日 チ ャーターナ イ トを奉行 されたの を好機 と申 して は甚 だ中詳 あ りませんが隣組 で もあ り全員 で帆祠申上げ芽 々春 の遠出 と 狩 の故 人墓所 を訪れ親 しく墓前 を清 浄 の後持参 の花 を供 え一 同全 日本 の 致 さん もの と連絡準備委員迄設けて しか し平 和 な くして人 類 の幸面 は ロータ リア ンを代表 しての心持 で御 大 いに張 り切 り営 日は會員36名 (40 あ り得な い。戦争 は理 由 の女日何 を問 参 りを致 しました。残宵漸 く墓所 の 本 立に迫 り静寂 四邊 を排 う一瞬故 人 が30年 餘 の昔 1920年 シカ ゴ本部 より 名中)夫 人31名 、家族 11名 計76名 が 9時 例會場 に勢揃 い致 し小旗 をつ け 間誰 し もが 望 む李 和 は、呆 して安 易 な理想 に過 ぎな いの だ ろ うか 。 わず 、 人 類 を不幸 に導 く。殊 に科學 の盆 々嚢達 した今 日、近代戦 は恐 る べ き破 壊 力 を もつ てい る。 この 科學 の 襲達 は全世 界 の祠祀 の ため に こそ大 い に活用 され るべ きで あ ろ う。何れ の 国家 にせ よ、 自 らの 妻 展 と幸幅 を願 わな い國 はな い。 し か しそれ も常 に人 類仝饉 の幸而 と凌 展 を考 え て行 か なけれ ば、員 の繁榮 の あ り得 な い ことは、 いか に張調 し て も張調 しす ぎる こ とは な い だ ろ つこ (以 上、大要) の委任 を受 けて 日本 に持 ち掃 られた タ ッターつの ロータ リーの種 が今 で は賞 を結 びす でに 1∞ の クラブに繁 りつ ゝを想 い偉大 なサ ービスを偲 び 合 つ た事 を皆様 に御報告致 します。 O歌 舞伎観劇に東上 第 8回 の家族會 として4月 19日 (日 燿 )前 日衆議院 の不在投票 を済ませ た り営 日早起 きを して清 き 1票 を投 じた りして車窓 の人 とな リー路東 上 _- 27 -― 一 た観光車 2菫 に分乗 3.4分 険 きの櫻 花 を窓外 に眺 めつ ゝ東海道 を下 り式 場到着が10時40分 、博達式、一梅陰 寺一 日本菫―水 口園 と清水 ロータ リ ア ンの御心墨 しを謝 しつ ゝ小雨降 リ 始 めた興津 より歎談裡 に19時 頃無事 沼津 に帰 つて末 ました。重ね て清水 各位 に特 に厚 く御祀 申上げます。 ⅧⅢ ⅢⅢⅢ Ⅲ ⅢⅢ[ 岡 崎RCⅢ Ⅲ 岡崎 RCが 岡 崎公園に立 て 會 報 委 員 井 た種識30基 の 弘 内 のひ とつ 。 0公 園美1晦識 天下 の名園 と迄は自惚れないが、 少 くとも東海 の名園で はある岡崎公 イ ンクジ ャール クラブは、家康 の思 想は ロータ リー と二致 してい るとて 園 を、ますます美化す る運動 を、取 り上げた ロータ リー クラブ としては 300年 前 に此 の人 を生 んだ 岡崎 の町 第一 に立本Lを 樹立 して一 つは標語 に より注意 を喚起 し、一 つ は名F/rの 解 O卓 話 読 を して、認識 を新 にす る 事 と し た。製作完了 につ き、 4月 3日 市常 局 と共 に、同内外 に30基 をたてた。 『奉仕 の心 で草 木 に 愛 を』 、隣人愛 『 を草木 に も『 』紙層 1つ もきれ いな奉 をなつか しんでい る。 毎回催 されて い る。今月は御茶 の 水女子大學 の、石川課博士 の 『 心學』 同 凍邊學大教授 の『 新教育 の理念』、 蒲生教授『 フ ィリッビン人 の性格』、 三 島病院部長 の『 扁桃の病氣』、 又會 仕」他20句 。會員 の作品。解説 中に 員内藤學大長 の『 旅 をす るな ら』等 卓話 の次 に考え らる ゝのは、個人的 は、鳴雪 のりF句 『 険 き残 る、あ ざみ に城の道問わん』城は岡崎城 の事。 前月の通信 でお知 らせ の通 り本 月 は次 の通 り有力會 員 の獲得が出末 て に時間 に餘裕 あ る場合は例 會最後 の 時間 を利用 して『 自由雑談 の機會』 再 び會員数は50名 を突破52名 とな り ま した。 伊藤左千夫 の短歌等 も書 いた。土地 を得 る事 で ある。現在 の 1時 間は正 前田安彦君 6D新 聞は、此 の行事 を大 きく取扱 つ 味 である。 これは會員相互 の懇談 の 少な い鳥 め一部 の意見 である。 吉村博次郎君 (三 馬 ゴム祗長 ) て、 3祗 共篤員入 り、 2段 ぬ きの記 ‐ 事 として岡崎 ロー タ リー ∼ ザの本 仕 を賞讃 した。 同公園は、徳川家康公誕生 の岡崎 城跡 である。 1昨 年営 クラブのチ ャ ー ターナイ トに全國 の ロータ リア ン を迎えた所 で もある。 OF遺 訓』の反響、績 々到着 営 クラブ創設 1周 年記念 につ き、 同年度誕生 の全世界 の クラブに、途 つ た メッセージに封す る回報績 々到 着。家康公 の『 遺訓』は、反響 をよ んでい る。 イギ リスの ク ロー プ リッ デ クラブでは、 これに感銘 し全 文を 土地の新聞 に載 せて貰 つて、東洋 の ‐ l■ 人の哲學 を味 つた。 フ ランスのバ ー ルグ ッククラブか らは、遺訓 を讀 んで家康 こそ、員 の ロータ リア ンで あ ると構 してい る。 ノルエーの スタ O雑 件 草花 の種子、苗木 の交換。美術品 の観賞。會員敷名が出品 している書 の展覧會 に出か けて、何 か と批許 し た りした。新 しい事 では『 これ これ の青年 があつ てお嫁 さんを探 してい る。お心営 りのお嬢 さん をお世話 し て下 さい』 と、月下氷人 の御 目出度 い話 も出て、 クラブの親睦はい よい よ増 して行 く。 (日 銀小樽支店長 ) 大開膳江君 (東 西交易小樺支店長 ) 村山 裕君 (藤 原食品専務 )・ 4月 21日 に久 々にて小樟 にて 、札 幌 クラブとの封抗航雀會 を行 い ま し た。個人 では札幌 の鈴木喜 一君が一 位 で したが、国證 では営 クラブが勝 ち今迄 の綜合戦績 6勝 ]敗 営 クラブの リー ドです。 (?)で 今秋 のオL幌 大會 に備える準備 の 1 つ として、札、樟合同家族會 が計謹 され て居 りますが時期は 6月 上旬 が 豫定 されて居 ります。 おねがい │ シンデ レラlEIの 様 に、私 もキ ッカ リ足 に合つた靴 を探 して幸祠 にな り│ た い と思 い ます。 と申 します の は先般 の會津若松 のエキ スカーシ ョンの │ ヨ 585[Fi吉 5う ;][][[:日 litilラ 吉ξ 言 う :を bζ コ ー 卜 色 靴 月 、│ λ 慧 を 書 替う F繕 各 勢 :ユ L姦 旱 三ヶ 温 釜 準 鼻 笹 「 ―-28 -一 `署 l 60地 ERC・ 質 釜 RCⅢ llllllⅢ ⅢⅢⅢ 剛Ⅲ菫 垂 三 通 信 佐 々木 員 統 一郎 0参詣者 lC休憩所奉仕 壺釜 l m祗 では例年、元朝詣 りを皮 ニ ュ ー ズ つ た ことを認 め、中 には之の一寸 し 救急所式 の もの を開設 し て 見 まし た。初 めての こととて手心 も分 らぬ ま ゝに、祗奉委員外 2.3の 有志會員 大 きかつ た ことに深 い感銘を受 けた 丈 けで始 めま したが、案外利用者 が 多 く最初 の試 み としては先ず成功 と と述懐 した人 もあ りま した。又意見 や注意 も紹 て次回の完璧 を期す る鳥 云 う虎で終了 しました。 之 に自信 を得て次 の 4月 25日 の花 の建設的な もの許 りで感激一入なる もの を覺 えま した。 ロータ リーの奉 祭 には、場所 も恰好 の虎 に憂更 し内 容證裁 に も工夫 を加 え、今回 は全會 員 の輪番奉仕 と云 うことにし、 ガー 仕活動 は考えれば外 に も妙案はい く らで もあ りま しようが、品定め より ル スカウ トの應援 も受 けて開始致 し に移 して行 く熱意が必要 であ り、此 の度 の試みは営 クラブに とり確かに ま した。幸 い好天 に恵 まれ、季節 は よく花 も見頃で人出 も前回の比 で は た企 てが大衆 を盆す る ことの意外 irc も今回の様 な身近 か な奉仕 か ら賓行 良 い證験 で あ りました。 O會 員擦充 切 りに、月 の帆手祭、 4月 の花祭 と な く従 つて休憩所 の利用者 も前回 lC 春 の祭典が績 き近郊近在 は元 より、 遠方か らの参舞者 で大憂な賑 い を呈 敷倍 し、正午頃か らタア1迄 殆 ん ど休 む暇 もない程 の大繁昌で利用者か ら 営初23名 で嚢足 したメ ンバ ー も韓 出その他 で一時は 2名 の退會 を見ま します。年頭之が例會 の話題 とな り ひ とつ休憩所を開設 して参舞者 に湯 大興喜 こばれ、豫定 よりも 1時 間餘 り延長 して 6時 過 ぎ漸や く切 り上 げ したが昨年10月 に 4名 、本春更 に 3 茶 の接待 を しようとい うこ とに一決 し、祗奉委員會 が 中心 となつて計書 ると云 う大成功 をll■ めました。更 に 嬉 しかつ た ことは、終了後、會員か をす ゝめ、先ず手始 めに 3月 10日 の 帆手祭営 日、裏参道入 口に休憩所粂 ら営 日の感想 を求 めました虎、何 れ もロータ リーにふ さわ しい試み で あ 名を加え現在28名 とな り、職業分類 の面 も幾分多彩 となつて参 りま した ブル ニア會長初 め地Eガ バ ナーの要 もあ り會員摘充 には クラブ として 充分 の開心 は持 つて居 りますが何分 ,請 手り =I 東 京 日本橋 大 東 紡 織 株 式 会 社 ↑ 東 京 RC會 一- 員 吉 田 初 次 郎 29- 60地 ERC に も歴史 を持 たない素人揃 いの小都 祗會奉仕 … ズ ユ 委員長・矢野 一郎君 委員長・ 安川第五郎君 市新設 クラブの こととて現在は クラ 職業奉仕 ブ員 自腱 の修練期 にあるので新會員 の鐙衡 も可成 り慎重 で 目下 の虎は量 全 クラブ奉仕監督・ 林賢材君 より質 を重祠 して居 る貫状 であ りま す c O卓 話 最近は各地 か らのグ ス トが急 に培 筒、 クラブ奉仕 には次 の10小 委員 會 が組織 された。 職業分類・會員詮衡 。視陸・ プ ロ グラム・ アッテ ンダ ンス・ ロー タ リ 一情報 0-般 情報 。ブ リテ ン・ 雑誌 ″ 最近 の金属材料″ 16日 ――営 クラブ會員 肥田秀君 ″日 の レ ン トゲ ン 本 ″ ―一国連 FoA00職 員 岡田 隆一氏 ″ 國際食糧機構 に就 いて″ 今月 の スピーカーは皆熱心な方 ばか 23日 リで30分 では短か過 ぎると思われ る 程、有意義なお話 であつ た。田邊氏 加 し、會員 を稗盆す る御話 を度 々伺 婦人。 は 5月 21日 に もお招 き し、前回 に引 える ことを感 謝 して居 ります。一方 會員卓話 の プ ログラム も出末 る丈 け 0美 術鑑賞會 績 き日本音業 に就 いてお話 を伺 う豫 定 であるが、特 に氏 の御好意 に よつ 婦人委員會 (委 員長澁谷澄君 )は 5月 6日 高橋誠一郎氏 を講師に迎 え 忠賃 に履行す る ことに務 めて居 りま す。 3.4の 雨月 のグ ス トスピーチ と 浮世給鑑賞會 を催す。 して、3月 6日 には 、 仙墓 クラブの東 04月 の例會 北薬科大學長、野市嘉造博士 か らホ ルモ ンに開す る常識 を注入 して頂だ 4月 1日 ―― イギ リスの今昔・ 小 て、秘蔵 の珍品 レコー ドを披露 され るc三 島氏 は鞄 に きつ しリデー タを 持参 され、氏 の世界的獲見になるア ル ニコをも持参 され、學識 の香 り高 松芳喬君。 Illitiati011,Speech・ 島 村芳三君 (パ ル プエ業 ) い30分 で あつ た。氏 は ロー タ リー ク 4月 8日 ―― Guest Speecll。 米 国YMcA會 長 Harper sibley氏 出 られた由。 24日 には、地匠協議會 をひかえて仙 墓 クラブの佐 々木 幹事 か ら、 ア ッセ 夫妻。 InitiatiOn Speech・ 渡邊武 次郎君 (ビ ル デ ィ ング管理 ) 4月 は紹選奉 の関係か ら會員の メ 一キャップが多かつ た。それで も出 ンブ リーに就 て御教示 を願 いました 4月 15日 ―― Guest Speecho Me― lvin J.Evans(Delll∝ racy illコ 生c― 席率は平常 を保持 し、 2日 93.7%,9 き、13日 には祠島 クラブの原一衛氏 か ら、只見川電源開妻問題 を巡 つて 興味深 い ニ ュースを承わ り、又 4月 會員卓話 も長足 の進歩 で板 につい て参 つた と申せ ましよう。 3月 20日 tiOn)InitiatiOn Speecll・ には稽井善夫君 が61地 匠各 クラブを 歴訪 した感想 を、 4月 10日 には末永 敦君 (新 聞紙 製 造 ) 保蔵君が、清水市 ロータ リーのチ ャ ー ターナイ トの印象 を、又同月17日 阿部 員之助氏 。 には塚田宗興君が、堕釜少年園活動 の回顧談 を夫 々立派な内容 をもつて 休會 。 l 4月 22日 ――政 界 の安定 につ いて 株 式會祗 ヨ 7月 以降 の クラブ運営 を園滑な ら しめるため 4月 25日 早 くも次年度委 1員 131名 の人選が裂表 された。 国際奉仕 委員長 。東 ヶ崎潔君 、30日 47名 で 、 3月 の 5割 に近 い数字 で あ つ た。 パ リー大 會 れ てい るが 、営 クラブか らは竹 田君 夫妻 が 出席 され る。竹 田君 は 4月 15 ⅢⅢⅢ剛 Ⅲ皿 Ⅲ 日羽 田出妻 欧米祠察 の途 に就 かれ た RCⅢ 性 Ш 皿 Ш岬 性 Ⅲ 皿 Ш 不南JRし RCⅢ… … …¨ 東 京 …… ≡ 昌 曇 「 1 '饒 ttШ 又 ヽ М灘 0次 年度委員 131名 決定 る。 末客 も今月 はず つ と減 り、 2日 38名 、 9日 36名 、 16日 33名 、23日 理 科學研究 FJ7祗 長 冒 雪 ≡ 30日 100%平 均 95.1%と な つ て,レ ヽ ガバ ナ ー ス レタ ー に詳細 に述 べ ら 村山威士君 (化 學研究 所 ) 東 京 北 通 信 員 日97.3%、 16日 93.8%、 23日 97.9%、 0新 入會者 Ⅲ 皿Ⅲ皿Ⅲ 奎 東 京RCⅢ ⅢⅢ ≡ 来客 と出席率 37名 4月 29日 一―天皇誕生祀 日につ き 襲表 され ました。 罰Ⅲ ⅢⅢ ⅢⅢⅢⅢ ⅢⅢ Ⅲ‖ 長 瀬 富 良 F 大塚 良 ラブがお氣 に召 され、入會希望 を申 = = ヽ 鯰範 ∼ 髯 言 一 言≦ 墨で‥ ][言 : 刑輛IJと 犠 言 蓉 雉勒 ` 冒 通信員 ≡ 詈 言 Ⅲ 洲 Ⅷ 皿Ⅲ 『 阿 Ъ 逼 ` 日 … … 4月 の卓話 ≡ ∠螢辞邸≒重望 出断 夢 幹 冒 事 Ξ 2日 ――音業家 田邊筒雄氏 ″日 本音楽 に就 ぃて″ 「 佐藤美子夫人の御話」 9日 ―一學 士院會員 「 ア ノ ネ ー、私、 お 話す るの 困 るん 一-30-― 三 島徳七氏 ¬Ⅲ‖ ⅢⅢ‖ ⅢmⅢ ‖ ⅢⅢ‖ 清 瀬 二 郎 第 です の よ.座 談會 の様 にネ ー 、色 々 の事尋 ね て頂 い た り、 また、お話 し た りす るの な ら結構 なん で す けれ ど ネー、30分 も演説するの出末ないで 」 す よ。 電話 を通 じての美 しい馨 は、佐藤 美子 さんの馨であ る。先般會員藤澤 君か ら大證内諾 を得 てある と言 う4 60地 ERC。 こ ュ ー ズ と言 うことで食後 の卓話 は始 まつ た のである。 藤澤君 の紹介 の一節。 「佐藤 さん とは小学校時代か らの友 達 なんですが、美子 さんは佐藤敬君 と結婚なさつてか ら、一邊 も遊 んで 呉れ ません。 ……」 がないか らではな くて、 1日 で も永 くフラ ンスに居 て頂 いて、給 の勉張 を して頂 き度 く、皆様 に給 を買つて 頂 いてそれ を途つて居 る課 で、 その 黙 で私 も大 いに内助 の功 を致 してお ります次第 で御座 います ……」 「 さて ロータ リーソングの事 で御座 いますが私 が ロー タ リー を初 めて知 例會 の卓話 に封す る御返事だ 「御主人の敬 さんは目下 フランスに 滞在 して給 を画 いて居 られますが、 「 それ では私 が御相手 を して、佐藤 さん に物 を聴 くと言 うことに致 しま 蹄国 の旅費がないので何時婦 られ る か豫定 が出末 ない相 です ……」 した年 に、帝國 ホテルで ロータ リー の大 會 が御座 い ま して、歌 を唱い ま 美子 さんの卓話の一節 「混血 兄は 自分 では全然 日本人だ と した時 で もう20年 も前 の話 で御座 い ます。オヤオヤ 自分 の年 を自状 して 居 る様 な ものですわネー。 その後札 月10日 しようか 。 」 「 そ うして頂 くとりりヽります、 そ う 致 しま しようτ虎で ネー、清瀬 さん 打合 せの御手紙 と一緒 に ロータ リー の歌 の本 を途つて頂 きま したが、 ア 思 つて居 るんです よ、先達 も横濱 の ベー ビーホームヘ黒人が訪ねて行 つ レ、 唱え と言 うことなんですか」 「 イエ、 そ うじやないですけれ ど、 て、可愛 い黒人 の混血 見を抱 こ うと した ら、黒 さんは嫌だ よ一、 と逃 げ るんですか らネー ……」 例會毎 に、あんな歌 を唱つてお りま すので、何 かお話 を して下 さる時 の 「 學齢 の子供 も皆何 の差別意識 もな しに手 を携 えて通學 して居 ます よ」 御参考 になるか と御途 りしたのです 己憶 にしま して 「私達 の幼ない時 の言 ど考えた こ 人以 日 だな も、 本 外の者 よ。 」 「 アノ歌、困 りま したネー、 ア ンナ 古 くさい感覺 の歌、今 で も唱つて居 るんですか。驚 きますネー」 「 丁度、 よい じやあ りませんか 、一 ツその ロー タ リーソングの悪 口を題 にして卓話 をなすつ た ら」 「悪 口で よろしう御座 います ?」「 エ エ、結構 です よ」 と言 うことで卓話 を御願 いす る ことにして打合 せは絡 ともあ りません。だか ら差別扱 いに せ られ るのが とて も氣 に な る ん で す。そんな こ と皆 んな獣 つて居 て下 されば良 いんです。餘 り問題 にせ ら れ るものですか ら、私達 の内 には鋸 と言 う言葉 を聞 いて もア ヒノ コーに 通 じるか ら、 ビクツとす るな ど ゝ言 う人が出て末 るのです ……」 りま したのは、私 が言葉學校 を卒業 幌 で も ロー タ リーの會 に出演致 しま した。 ロー タ リーの皆様方 は年 と共 に進歩 なさつて る こと ゝ存 じてお り ますのに、 この ロー タ リーの歌 の感 覺 の古 いこ と、驚 いて し ま い ま し た。 しか し開會 の時 に、皆様 お唱 い になつて居 るの を舞聴 します と、仲 仲上手 に唱 い こな してお られ るのに 感心致 しました。尤 もこれは、堤 さ ん と言 う上手な ノング リーダーが居 られ るか らか も知れ ませんネー、 マ ア、 ロー タ リー ソングの内 で これな ら一寸唱える と思われ るの は、矢野 一郎 さん作 の一手 に手 をつ ないで一 位 の もので しようか ……」 佐久間副會長 「 それ では司會 の私 か ら、お願 い致 つた。 「 私 の母は フランス人 で したが、亡 くなる時はやは リベ ッドでな くタタ 4月 14日 正午、堤君 の車 で藤澤君 と小生 とアー ニーバ イル劇場 でオペ ミの上 で亡 くな りま した ……」 「 た ゞ、私達 と今問題 になつて居 る ラ「 ミカ ド」を練習中の佐藤 さんを 混血見 と違 う所 は、私達は筋 の通 つ た混血兒ですが、今 の混血兄、特 に 「 アラ、唱 うつ もりではなか つたの で練習 も何 もしてないのです よ。そ れに明 日 ミカ ドをアー ニーパ イルで 迎 えに行 つ た。 車中での話. しますがその一手 に手 をつ ないで一 を一 ツ唱つて頂 けませんか」 ベー ビーホームにll■ 容 せ られ て居 る や ります ので、大 きな馨 を出せない 「佐藤 さん、53年 會 を作つて藤原義 のは 、 筋が分 らないで しよ―。その粘 江 さん、江川宇謹雄 さん等 と混血 兒 の御世話 をなさつて居 る様 ですが、 が困 るんですね ―、 どうして も周園 のです よ」 「 小 さい馨 で良 ろしう御座 います よ」 今 日は、 そのお話 も伺 い 度 い で す 親 に利用せ られ て、花賣 りをや らさ れた り、映画 に引張 り出された り」 「 一遍 も唱 つて居ないんですか ら間 、 違えた ら困 るんです よ」 「皆 んな、音痴 ですか ら、間違 つて 「 そ う致 しま しよう。 F― タ リー ソ ングの悪 口よ りもその方が よろしい 「藤 澤 さんの御紹介 の中で一寸誤 つ て居 る所があるので、訂正致 してお も夕」りません よ」 と押問答 の末、私 達 は綺麗 な佐藤 さんの一 千 に手 をつ ですネー」 歌 の話 もして頂 くんです よ」 「 然 し、 きますが、主人が フ ランスか ら掃 る 豫定 がつ きませんのは、掃国の旅費 ないで一 を寿聴す る ことが出末、會 員 の感謝 の拍手 の内 に會 を閉 じた。 ね」 ` か ら特別 の眼 で見 られた り時 には母 -3]一 60地 ERC・ ニ ュ ー ズ には是非 このお嬢 さん方 の名調子 を 賞地 で聞 きたい ものだ と囁 き合 つた こ とである。 3月 11日 一 一 一 一 一 一 一 ¨ 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ¨ ¨ 一 一 ¨ 一 ¨ ¨ 一 員 信 通 齋 3月 4日 (食 事 藤 利 世 オ ムライス) ゲ ス ト 山形交通 KK観 光課中村 フ ミ子。同 小林照子。同 小林 シ ゲの 3嬢 。 誕生祀 矢吹、今泉、耐谷 の 3君 スピーチ 先月2日 、京都 で行 われたバ スの ガイ ドコ ンクール で見事 に第 2位 と (食 事 天丼 ) ゲ ス ト 勤銀支店長 同 支 長 黒澤賢三氏 中村幸雄氏 長谷川吉郎氏 スピーチ 耐谷君 盃 をあげる。 スピーチ 山形放途KK(民 間放途 ) の計書 についてc 4月 8日 ビジター 出田嘉次郎氏 (千 葉會員 ) 仙壼 の District A"elnblyに は 庄司の次期會長、 幹事 は原則 と 鈴木 、 して参加す る ことに決す。 でで きた もので あるが、 この適用 を スピーチ 出田氏。私 は RCを 廻 つ た ことについては 自慢 で きる位多数 うけて信用 を増 した會祗 もある。業 務不振 の折 は裁剣所が、積極的 にそ の建直 しを行 うもので、東京 で も成 績 をあげてい る。 を訪問 したが、山形はその 中で最 も 友愛的 で活濃な クラプの一つで あろ う。郷里 は熊本 で、各寒 く夏暑 い と 島村君 ころは、 この邊 と似 てい る。戦中千 話 の泉 で話題 となつ た ガ スボ ンベ 葉 で零戦 を作つていたが 、 その時 の 副産物 として千葉 の港 を埋立てた。 形か ら蔵王温泉 までの案内 をきく。 流石 に全國第 2位 だけあつて、新潟 の地匠 では第 1位 に通過 したの もさ こそ と思われた。樹氷 で名高 い蔵王 ンモ ニア→白 (冷 蔵庫、製氷な どの パ イプが結氷 した ときの連想 )。 炭酸 山その もの は、嫌 とい う程知つてい る地元 の ロータ リア ンも小林 シゲさ ガス→緑 (い ま流行 の葉緑素か ?)。 盟素 →黄。水素→赤 (キ ケ ン)そ の んの名調子 に、先 日な くな られた茂 他は友色 に名 を書 く。 と。 3月 18日 (食 事 うなど丼 ) 吉翁 の短歌 を も扶 んだ流れ るような 名調子 に、 い まに も蔵王 の勇姿 が窓 三浦専務取締役 會祗構成 COrporation Reol・ ga― nization法 について。1938年 米 國 イの色別 けに、制定営時開興 したの で、 その裏話 を交 えてユーモ ラスに 次 の ようにお話があつた。 酸素 →黒 (燒 けると黒 くなる)。 ア なつた小林 シゲ さんか ら、始 めに山 雨羽銀行 皇太子 が渡欧 の鹿島立 を祀 つて、酒 グ ス ト 勤銀支店長 黒澤賢三氏 スピーチ 鈴木重屹君 持末は横濱、東京 をも含めた大 きな スケールで築港計書 を進 め るべ きだ 、 と思 う、 と。 絡 つて、 選考中の各委員會 の Cl〕 a― irmanが 襲表 された。 1.01ub ser宙 ce指 営理事 (矢 吹、 永原 )出 席 (安 齋 )會 員鉛衡 (鈴 木 重 )職 業分類 (鈴 木吉)プ ログラム (玉 ノ井 )親 睦 (尾 原 )ロ ータ リー 情報 (長 谷川吉三郎 )一 般情報 (栢 ) 外 に見えるような錯覺 さえ覺 えるの で あつ た。 大山形 と氣易 く言 うが人 口15萬 で 新潟地匠 で第 3位 となつ た馬、惜 くも全國大會へ は出 られなかつ たが は大 と云 えぬ。50萬 なけ れ ば な ら ぬ。 それは1∞ 年 の後 であろ う。 と。 3.祗 會奉仕指営理事 (香 川 )青 少 小林照子 さん も亦、我 々を例會場に 居乍 らにして、東北の名湯上 の山へ 畑佐君。丸通 の ス トにつ き、経過 の大略 とよろし くとい う話が あつた 4.最 業奉仕措営理事 (坂 部 ) 運 んで呉 れた。雨小林 さんの揃 いの ユニホームも美 しく、案内が済んだ あ とも會場の椅子がバ スの席 その儘 に、暫 くは進行 し績 けるように思わ れ るのだつた。 最後 に、小林 さん達 の指導に営 つ た先生格 の中村 フ ミ子 さんは、名刹 立石寺山寺へ我 々を案内 し て 呉 れ た。道上に聞 くとい う獨得 の豆す り 唄 をも交 えて、 これは又立派な ガイ ド振 りで あつ た。終 つてか ら會員 の 3.4で 今 度 の家族 會 の時 の貸切バ ス 3月 %日 (食 事 竹 の子飯 ) グ ス ト 雨銀専務 三浦輌太郎氏 會長 より新入會者ヘバ ッチ贈呈。 なお職業分類 としては黒澤君 は篤 替銀行、長谷川吉郎氏は食盟販賣 と きまつ た旨報告があつ た。 雑誌 (齋 藤 ) 2.国 際奉仕指営理事 (花 岡 ) 年 (金 山 ) 4月 15日 ゲ ス ト 山形商工會議所 事務局長 柴田爾氏。 人會披露 三浦爾太郎君 (普 通銀行 第 2會 員 )ヘ バ ッジFlg呈 。 會場 である千歳館に不 幸 があつ た 篤、今度 だけ商會議所槙 上に興更。 スピーチ 花岡君。 山形大學 の現況。始めて卒業生 を スピーチ 鈴木重屹君、 い ま盛 に唱 出すが、 4學 部 とも就職は非常 に う ま くいつてい ると。 導 され てい る公民館建設促進運動 に ついて。 よろしくとの こ と。 4月 1日 4月 22日 : 4月 29日 ゲ ス ト 荘内銀行 風間専務取締役 一- 32 -― 祀 日に営 るので慣例 に より休會 . 横 演 RC家 族 會 プ ロ グ ラ ム 昭和 28年 5月 16日 (土 )午 後 4時 於 ホテル・ ニ ュー グラ ン ド 21日 64 28日 62 平 1・ 末 客 ビジター 28名 田治 ふ く氏 (高 等學校生徒監 ) 加山縫太郎氏 (漁 業) 中島 存道氏 (宗 教家 ) 伊藤富士雄氏 (會 祗員 ) 以_上 7氏 西本勇次郎氏 (59回 ) 李家 表 孝氏 (吾 國造船業 の現況 ) 彰 )奉 仕 の精神 の賓践者 として “高 橋 茂氏 (横 濱刑務所看覗部長) 難波 四郎氏 (同 看守 ) 牧田 勘蔵氏 (横 濱罪 々手、世話掛 ) 盟澤 丑松氏 (櫻 木町畔、乗客掛 )´ 天ぶ ら一す し― おでん一 じる こ ロータ リー ノ ング「 今 日も 楽 し」 「 手 に手 つ ないで」 餘 興 (第 二部 ) 會員並 二家 隠 シ藝 …… …………族 ニヨル 閉會 ノ辞=・ …………モス副會長 今 日の圧巻たる沖細踊 が始 め られ、 素朴単純 で はあるが郷土色豊 かな衣 装 を着 けた沖組 の娘 さんたちが、 ク ラシックでナイー ヴな柴器 の奏 で る メ ロデ ィーに合せて踊 る姿 に、一同 ただ洸惚 として時 の移 るの を忘れた 堅す ぎる とい う意見 が多 いので、 5 1.ス ピーカー > 次 の夢幻流獨創魔術 は、あま りの妙 技 に醐衆 を夢幻 の世界 に引ず り込ん 杉浦 忠雄氏 (68回 ) 宴 呈 して、 その労 を讃 えた。 左右田棟一氏 (77回 ) 宮 川 恒助氏 (67回 ) 齊唱 <開 に封 し、各 々表彰状並 に記念品 をFlg 家族會開催 ロータ リー クラブの會合 はあま り 1.誕 生 日祀 1・ バンド 演奏…………ラ雫スク子 均 ゲ ス ト 24名 充 一 模ニ 64 …… …… … 沖 縄 踊… 耕襲替貫 夢幻派獨創魔術 ……井 上 其 の他 ………… ……松 竹 提 供 一 雛型 66 14日 o卒 % 出席 者 4月 7日 〓〓一 一 一 一 一 一 ¨ 〓≡〓一 一 一 ¨ 一 一 ¨ ︼ ¨ 五口 、 い 信 3・ 4・ 5 ︲ ︲ ︲ り 席︲ 瑚7 弔0 . . . . >・ ﹂冊 ﹂8 4 8 9 8 員大測断9 一蒔主厳臓 一 、通ョ 績 席 4 6 8 9 成 快 ︶ 地 ヽ ︰ 営月例會 は 4回 、 開會 ノ辞 ………小島親交委員長 齊唱 君 ケ代 ロータ リー ソ ング「 R.0.T.」 「奉仕 の理想」 挨 拶 … …… ……牛 丼 會 長 夕 會長 ノ ミユー 渡邊利二郎 餘 興 (第 一部 ) 落 語 ………………三遊亭 lEl生 で しまつた。 これが絡 ると、ホテルの ロビーに 月 J6日 (土 )午 後 4時 か ら、 ホテ ル・ ニ ュー グラ ン ド大食堂 に於 て、 作 られた苦心 の模擬店 で、天ぶ ら、 家族會 を開催 した。横濱 の會員及家 たちが李常 の御恩返 しとばか り、危 い手 つ きで家族 たちにサ ー ビスす る 族 が 92人 、 それに川崎 と横須賀 と か ら 23人 の参加 が あつ たので、家 族會 とい うよりもイ ンターシテ ーフ オ ー ラムの期 を呈 し、和氣あいあ い の裡 に盛會 を極 めた。宮川君司會 の 下 に、小島親交委員長 の開會 の辞、 牛丼會長及渡邊會長 ノ ミニーの挨拶 す し、お でん、 しる こな ど、御主人 珍風景 が展開 された。 食後 の第二部 の餘興 は、會員並 に 家族 の「 隠 し藝」で御主人 の一パ イ 氣嫌 のお家藝 や、奥 さんの若 々 しい シヤ ンソ ンや、お嬢 さんの可愛 い歌 が終 ると、第一部 の餘興 が開始 され 諾曲が飛 びだすな ど、和氣需 々の裡 に時 の移 るの を忘れ 、和 やかな家族 た。 會 の雰園氣 を満喫 して八時す ぎ散會 先ず三遊亭 l■ l生 の落話 を皮切 りに した。 海野 秀雄氏 1卑 (馨 鈴木 千代氏 禦 瑯 平曇) (横 濱馨科大學病院看護婦長 ) 以上 6氏 傍 ら青少年 の訓育、指導 に挺身せ ら れたる篤志家 として ゆき氏 (保 護司 ) 藤井 就憲氏 (宗 教家 ) 和田 義國氏 (農 シカゴ近郊 エバ ンス トンに新築 され る 0青 少年男女週間 に営 り、本業の 並木 ロ ー タ リー本 部 建 築 に 着 手 R.I。 事務局 の起 工式 が 5 月 3日 に行われ ま した。 Brunnier會 長の鍬入の後、エ 氏等 の祀辞 があ りま した。同建築 物 は1954年 10月 に完成す る豫定 で あ ります。 これで ロータ リー も永久 の本檬 バ ンス トンロータ リー クラブ會長 がで きるわけで御同慶 に堪 えませ J∝ eph F.VLllbery∫ ミ、 ェバ ン ス υ。 ス トン市長 JOhll R.Kimbark 業) ―- 33 -一 ガバナース レターより 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 勤 務 先 東 北船 渠 職業分類 注 旭 船 塩竃 R C会 長 勤 務 先 清 水 商 工会 議 所 理事 職業分類 商 工会 議 所 ︵五 三才 ︶ 清 水 R C幹 事 勤 務 先 小 野 建 材 人株 ︶社 長 職業分類 建 築 材 料 ︵六 三才 ︶ 清水 RC副会 長 株 ︶社 長 動 務 先 鈴興 倉 庫 ︵ 動 務 先 北陸 電力 ︵ 株 ︶副 社 長 職業分類 電力 供給 ͡ 五 五才 ︶ 静岡RC幹事 職業分類 経 営者 協 会 ︵五〇 才 ︶ 勤 務 先 評 岡縣 経営 者 協 会 専務 理事 歳 勤 務 先 日本赤 十字 評岡 病 院 院 長 奨 君 病 院 冥 三才 ︶ 祥多 あ易 静 岡 R C会 長 勤 務 先 佐 々木眼科院長 職業分類 眼 科 医 ︵四八才 ︶ 零 夕4 た ノ′ 塩竃 R C 幹事 鍛 句 勤務先 ︵ 株 ︶花 王堂 社 長 職業分類 化 粧 口 m ︵四 四才 ︶ 復 東京 北 R C 幹事 株 ︶社長 勤 務 先 大和 毛 織 ︵ 奨 ・籍 毛 織 物 貧£ 才 ︶ 東京 北 R C会 長 勤務先 ︵ 株 ︶堀越商会 職業分類 絹織物輸出 ︵五八才 ︶ 勤 務 先 穂 積法律事務所 奨 柔 弁 護 士 貧£ 才 ︶ 東京 R C会 長 鯵 `為 彰 四 三才 ︶ 職き分類 倉 庫 ︵ 清 水 RC会 長 骸 ノ 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 勤 務 先 大林製糸所 所長 職業分類 玉糸製造 ︵六八才 ︶ 株 ︶社 長 勤 務 先 北 日本 印 刷 ︵ 才︶ 職半分類 印 刷 ︵ 東京 報 知機 火災報 知機 東京 南 RC幹事 株 ︶顧 間 勤 務 先 紳鋼 電 機 ︵ 職業分類 技 師 ︵六 五 才 ︶ 宇 治 山 田RC会 長 ´ 多 株︶ 常務 取締役 勤 務 先 二重交通︵ 職業分類 バ ス事業 ︵四六才 ︶ 津RC幹事 ヶ♯ルに竹川 勤 務 先 今 村 酒 類 醸 造 工場 主 氾 ︵四 九 才 ︶ 職業分類 酒 醸 性 1ケ 津 R C会 長 晨 株 ︶代 表取締役 勤 務 先 丸中 清水倉庫 ︵ 職芋分類 倉庫 ︵四二才︶ 勤 務 先 山形縣体育. 協会 職業分類 運動 指導 ︵四六才 ︶ 株 ︶横倉本 店社長 勤務 先 ︵ 戦薬分類 麦酒販売 ︵ 四六才 ︶ 宇都宮 RC幹事 株 ︶取締役 勤 務 先 下野酒 造 ︵ 職業分類 日本酒 醸造 ︵ 七〇才 ︶ ヽ ヽノ ′粥初″ 哺 ノ 宇 都 宮 RC会 長 職業分類 酒 類 商 ︵五 〇 才 ︶ 勤 務 先 鈴協小 川 商 店 社 長 μ ぢ ′ 1 勤 務 先 東 横 百貨 店社 長 職き分類 百貨 店 ︵五 九 才 ︶ ス ム ち ロ ル 澁 才 社 V長 9 タ エ だ 五 株 Z llヽ lll 4 求n 一 〃 The Rotarian″ ダイ ジ ェス ト APRIL 1953年 よ り ないが、良 い食事 も多 い にあづかつて力があ る 様 で あ る。 フエ ローシ ップとい う事 が ロータ リーに とつ ては重 要な要素 である。 ロータ リー クラブは最 もフエ ロー シッ ROtary Clubs CrOw(Old′ T00 by CEORC ST∪ TZ ロー タ リー クラブ も年 を とる。― 然 し動脈硬 化 プを必要 とす る人 々によつて形成 され、従 つてそ う云 う を末す で しよ うか一― 會員 は最 もよくその債値 を理解 して居 るのである。自 口ち 賞業界 に於 て重要 なる地位 を占めてい る人 々、又 は専 Fl スイスバーゼルロータリアングオル グ・ シュ トッッ 19世 紀初 の頃 フラ ンス革命や啓蒙時代 の波 にのつて、 多 くの クラブが スイスに も出末 た。饉操や射撃訓練 の ク ラブ もあれば歌や討論 の クラブ もあつ た。その大部分が 始 めの熱心 さが過 ぎるとだんだん影 が薄 れて、 その シン ボル も最早や人 をひきつ ける力がな く、多 くは軍 に英雄 的記憶 にす ぎな くなつて しまつてい る。扱 て、 ロータ リ ー クラブ もこの例 に洩れないのであろ うか、 そ もそもア メリカ合衆國か ら輸入 された奇妙 な名前 と奇妙な習慣 と を有する この クラブがバ ーゼル に出来たのは1925年 の事 で ある。初 の頃の活動は目覺 しい もので、會員 に と り大 なる名誉 となつた。其後20年 1945年 に大戦 のほ とば り未 だ覺 めぬ GIが どしどし我國 には入 つて くるに及んで、 アメ リカか ら又活 力が吹 き こまれ る事 となつ た。 スイ ス のすべ ての國民、わけて も婦人達は或 いは運動場或 いは 家庭、或 いは街路上 で、或 いは又 ロータ リー クラブで會 うアメ リカ人達 の卒直な友情 に感心 させ られ た の で あ る。此 の米国の青年達 の新 しい接鯛がバ ーゼルの ロータ リー クラブに も活 を吹 き込む事 となつ た。 だが、 これは長績 きするで あろ うか。百年程前 の討論 クラブや髄育 クラブの様 に間 もな く衰徴するので あろ う か。幸 い に して私 はノー と云 い得 る。勿論、人間のつ く つた制度は、 永久 であ り得 るものではないが 、ロータ リー の中 には、長 い生命を保證する様な張 い力が流れ て居 る その第 1は その組織 その ものにある。互選 に依 る新 し い會長 の周期的な交代、司會者 の順番交代な どがそれで ある。又、毎週會合 を持たねばな らない とい う事 も長命 を保證する所以である。普通な らばあま り職業上 の接鯛 のない紳士達 と毎週 2時 間の 中食 を共 にするとい う事 は 精神的向上 の機會 を興 える。 中には私 の意見 を少 し異端だ とい う方 があるか もしれ 學識 に於 て成功 を納 めてい る人 々を意味す るのである。 これ らの人 々は高 名 である丈 けに孤立 の危険がある。彼 等 は長 く職業上 の要求 に依 つ て心 を領 せ られ て末たため に、祗會 に封する新 しい刺激、又は新 しい適應 を深 く望 んで居 る。そ して ロータ リーには正 しくこれが見出 され るのである。何故な ら、全 ての ロータ リア ンは友 である とい う理解 が生ず る時、硬直 した殻 が取 り除 かれ る。 ロ ータ リア ンの婦人達 も夫が ロータ リア ンで あつて、 それ に依 つて職業上 の名啓 に由末 する満足 を得 てい ると悟 る 事 に依 つて彼女達 の満足 も又増すので ある。 しば しば ロ ータ リア ンの奥 さん達は自ら熱心 にクラブの 文 書 を 讀 み ロータ リーの會合 に規則的 に出席する様 に夫達 をす ゝ める。だか ら「 婦人 の力 を軽祠す る勿れ」 とい うス ロー ガ ンは ロータ リー同様 アメリカ産 である。 これ を意詳す れば、妻 がその夫 に積極的 ロータ リア ンになる事 をす ゝ めれば、 クラブは老 いて も死す る事はないで あろ う。 と 不 うことになる。 Samaritan Of the Seas by CEDRIC LARSON 海 の サ マ リヤ人 ラ ル ソ ン 敷 ヶ月前 ニ ュー ヨー ク棧橋97琥 ょり、 スエーデ ンのゲ ーテボル クに向つ てグ リシプスホルム琥は出帆 した。第 2回 めの大西洋横断 である船長 エ リクソ ンは MO人 の船 員、 914人 の放客 と共 に、何 の奇 もない航海 に出か ける 様 に出帆 した。然 し其 の夜、 モ ン トー ク岬沖合65哩 の地 馳 の李穏な海面 を静かに走 つ ていた時、 はるか 2哩 程彼 方 に人炎が立ち上 るの を認めた。 エ リクソ ン船長は進路 を韓 じて直 ちに船火事 の現場 に向つ た。斯 くして黒鴎琥 とい うその貨物船 か ら45人 の人命 が危 い ところで救 い出 ―- 36 -― された。 に集 つ たのは14人 だつ たが、今 日では毎週土曜 日夜 に 1 グ リップスホルム琥 とエ リクソ ン船長は大海 の上で幾 度 とな く此 の種 の冒険 をな しとげて末 た。だか ら第 2次 大戦 中 にグ リップスホルム琥 は慈悲 の船 と橋 せ られたの 時間牛 の練省 に集 まるものは60人 を敷 えてい る。 少年達は皆髪 の毛 をキチ ンと手入れ し、顔 を磨 いてや である。然 して この船長は スエーデ ン、 マ ヨール ナーの ロータ リー クラブの會員である。 もし、 ニ ューヨー クの ロータ リー クラブで、 エ リクソ ン船長 に會 うな らば、 にこやか な、爆 め く瞳 をもつた紳 士 と、 その克服 し末 たつ た激 しい冒険 とを結 びつ ける事 がむずか しいで あろ う。だが荒天 の海 に出れば彼は別人 となるので ある。怒濤逆雀 く大西洋 の員中で72時 間 も不 眠不休 で叱叱琥令 した事 もある。彼 の指揮す る船がか つ て遭難 した事 がない事は怪 しむ に足 りないで あろ う。就 つて末 る。 A.Bの グルー プに分 けて、Aは 上級 とす る。 指揮者 の前 でテス トを受 けた上 でパ ス した ものは Bか ら Aに 移 され るので ある。 「 音楽會 に出 るのは Aグ ルー プ で、少年達 で も立派 なクワイヤ制服 をつ けて、聴衆 の前 に出 るのは嬉 しいのですか ら皆早 くAグ ルー プに入 りた が るのです よ。 」とチ ェヤマ ンの シ ャン ドレイ氏は云つ た 毎年 6.7回 の公開言葉會 が催 され、 その中 には傷病兵 慰間や慈善事業 の篤 の も催 され る。 ビク トリヤ ロータ リ ー クラブが資金 の基本は引受 けてい るが経費 の一部 をつ 中1939年 各、 ドロ ッ トニ ングホルム琥 の船長 を していた ぐな う鳥 に入場料 もとる。 そしてそれ で指揮者や ピヤ ニ ス トの給料 を賄 うので ある。最近同市 の ビー コ ンヒル公 際、 アイスラン ドの南方 で S・ 0・ Sを 受取 るや 360哩 も 進路 を離れ て大暴風の海原 で、常識 では殆 ど不可能 と思 園 で催 された野外 コ ィサ ー トには 2千 人 の聴衆 が集 つ た さる年 の クリスマスに、遠 い外国か ら末 てい るお客 さ われ る救済作業 をしたので あつ た。此 の功績 に依 り彼は スエ ーデ ン王にナイ ト爵 を授け られた。 ん達 の鳥 に或 るホテルで歌 うことを この少年 クフイヤに 頼 んだ。會 の あ とで クフイヤの指導者 に 1∞ 弗 の寄附 を 又、第 2次 大戦 中1942年 か ら46年 迄、交換船 として11 申 し込んだ夫妻 が いた。故 國 を遠 く離れ て寂 しい降誕節 を迎 えた夫妻は、少年達 の歌 で思 い設 けず楽 しい夕 を途 回の航海 を して居 る。元駐 日米国大使 グルー氏 もグ リユ ップスホルム琥 に乗つ て舗國出末たので あつ た。勿論、 しば しば この様 な航海 の間 には敵味方 の潜水艦 の指揮官 に依 り停船 を命ぜ られた。然 し、水雷や空襲 の危険 に も か ゝわ らず、只 の 1度 の災難 に も合 わなかつ た の で あ る。1946年 には米国國務相バ ー ンズ氏が米國を代表 して る ことが出末 た と云 つて感激 して寄附 した もので ある。 少年達 は投票 によつて この金 を不具兒童 の篤 の 日光浴室 と、孤兄院 の篤 に寄贈 する こととした。 ビク トリヤ、 ロータ リーは今度 は少女 の馬 の クフィヤ ねん ごろなる公式 の讃辞 を呈 したので あつ た。自 口ち、 グ を計書 してい る。我流音楽 の質 を高 めてよ り多 くの祗會 の若者達 の もの としようとの願 に出で るもので、 ビク ト リツプスホルム琥 は人類愛 の歴史 のペー ジに無事錨 を下 したのであると。今 も猶、同船 のブ リッデの上 には、 よ で あると信 じてい るのである。 り大なる奉仕へ と指揮 をふ る我等 の ロータ リア ン・ ジー クフ リー ト・ エ リクソ ンが立 つ て居 る。 Teaching‐ and 便 箋 Whソ l'm Qu:tt:ng lt Even FOr Reg'lar Fe‖ ers THE SCRATCHPAD MAN 音 柴 は少 年 達 に も魅 力 リキ市は心 に歌 を もつ若人はあ らゆる黙 で よ りよき若人 by HELEN CRANMER 何故私 は教師を辞 め よ うとす るか 男 少年 の馨 はふ しぎな代物 である。野球試合 にわめ くか と思 えば、教室 で コソコソ話 もす る。 いやな仕事 をさせ られ ると泣馨 を出す し、お父 さんが 「 さあ釣 に行 こ うぜ」 と云えば、大満悦 では しや ぐ。おまけに時 には歌迄 うた う。そ こでカナグの英領 コロンビヤの ビク トリヤ市 で ロ ー タ リー クラブの計画 として こ う云 う少年達 に一緒 に歌 わす ことが始め られた。 2年 程前 にクラブは ビク トリヤ地方 の少年達 の活動 を 調査 した結果、運動好 きの連中の篤 には色 々な企がある のに も不拘、音楽好 きの少年達 の鳥 には殆 ん ど何 の計画 もないことを知つ た。そ こで クラブでは 8歳 か ら1鍼 迄 の少年 の クワイヤ を組織す る こととした。第 1回 の會合 高等難 教師 ヘ レ ン ク ラ ンマ ー 1951年 度 に教職 を辞 した教師 の敷は35萬 に及んでいる そ うして此れは無理 もない事 だ と思 う。彼等は、給料 が 安 いか ら辞 めたのではない。先生 をした者 には特別 な才 能はないか ら辞職すれば安 い給料の仕事 に就 くより仕方 がない。例えば私の従民は教師 を辞めて郵便局 で働いて いるがその給料は昔の牛分に も足 りない。それでは何故 此の様 に多 くの教師が辞職 をしようとするの で あ ろ う か。その理由は學校及びその教育法 に封する不満 である 大學で 6年 の勉張をし、数年の経験を積み、昇進の見込 みがあるにも拘 らず、私が辞職をしたの もこのためであ る。自 口ちその理由は 6つ に要約出末 る。1.い わゆる進歩 的教育、米国の教育制度を破壊 しているものは一見美 し ―- 37 -― くみえるが、 この根本的な弊害 に依 るのだ と思 う。それ は自 口ち放任主義 の別名 で あ り、先生 は積極的指導監督 を しない。2.學 生 の 自治、私 は 「 鞭 を惜 じめば子供 を損 う」 とい う古 い諺 を信 じてい るわけではない。然 し近年 の民 主主義賞行 は少 し行 き過 ぎではないか と思 う。學校 の 目 的は教育 で あ り、組織方法 が この 目的 を妨げるな らばそ れは過 つた もの といわねばな らない。俣 りに軍除 で、兵 除が朝寝 を した ければた ゞ眠 らせ て を く。喧嘩 を したけ れば喧嘩 をさせて を く。野球へ行 きた くなれば行 く。そ してそれは、 い けない とい う様 な持校 を侮辱する。そ し て、兵除會議 は紀律 を律する事がない と悟 つてい るとす れば どうなるであろ うか。我 が國 の教育 の状態は これ と 大差がない。3.「 兒童 を幸祠な らしめ よ」主義。此 れは 今 日の多 くの學校 の根本哲學 である糖衣 を施 した教育 で ある。宿題等は以 ての外、教育は苦痛 を興 えた り努力を 興 えた りしてはな らない。 ア ッサイメン トで映画や、 テ レビジ ョンを見 る時間をな くする事は子供 を不幸な らし 蹴球試合 に も行か なければな らないこ バーテーに も宴會 に も行 く外、土曜 日や 日曜 日の職員 テイバーテーに も張 制的 に出なければな らない といつ た工合 で ある。 もつ と 悪 い事 には、 首切 り 學年 の絡 りには何 の理由 も示 さず に、 が普通 に行われ る。覺 えの悪 い先生は英語 の代 りに数學 を教 えさせ られた り、他 の學校 に韓任 させ られた りする 然 し、大 ざつぱに考えれば、教師 な どとい う者 は見童 程祗會 に とつて大切な者 ではないのだろ う。だが再考 を 要す る事は、米國の見童 は學識 に於 て も態度 に於 て も、 良 き市民 に適わ しくない教育 を受 けて世 の 中に出 てゆ く 事 で ある。昨年 の タイム紙か ら引用するな らば 3萬 の學 童 を検査 した結果、驚 く程基礎的知識 が訣 けてい る事が 少Jつ たので あつ た。中學 2年 の絡 りで地国 の上 に大西洋 を指 し示す事 の出来なか つた者が13%も あつ た。 自分 の 町 の位置 を知 る事 の出来 なかつ た者が16%も あつ た。高 等學校 3年 の絡 りで、 1ヤ ー ドが何 フ ィー トなのか知 ら める事 で ある。落第は子供 の品性 を損 い、彼等 を不幸 に ない者が 8%あ つ た。36の 50%が い くらなのか間違 えた 學生は14%。 學習 とは本末苦 しい ものなので ある。訓練 する。朝 の間食 のために10時 に30分 、書食 の ため 1時 間 15分 、娯業 の ための全員集合 が週 に 4度 もある。普通興 と學省は同義語なのである。競争は生存 の法則 である。 若 し、成績 の如何 に拘 らず全 ての生徒が及第す るとすれ 行 の映画や、職業的歌手 や手品師、應援国の激勘會 とい つた工合 で、毎週月曜 日は クラブデ ーで切手蒐集や カメ ば、教室 に於 て競争 が慶止 され る事 となる。 これは自 口ち 共産主義者が、大人 に封 して樹立 しようとしてい る原則 ラ等 の同好 の仲間 の クラブ活動 に正 科 の時間が くわれ て しま う。多 くの先生達は、生徒達 の人氣 ばか りね らつて 生存 を興 うる義務 あ り」 とい う祗會主義的環境 にこそ フ を子供 に封 して樹立する事 となる。 この様 な、 「世 は我 に 居る。4.生 徒 の態度、幼稚園以末斯 うい う制度 で教育 さ れ て末 た子供は不作法 で あ ら探 しが好 きで、全 く手 に負 ア シス ト的或 いは共産主義的保護國家が生れ る基礎 であ えない。誤 つ た自治が、彼等 に奪大 の氣風 を輿 え、學校 た所 の政治的原則 を生み出 し、 自己 に頼 る個人が生れ出 でた環 境 とはか ゝるものではない筈 で ある。 え出席するの は、親 や先生 に恩恵 を施す事だ 位 に しか 思 わない。思 つ た通 りの事 を し、 したい事 をする とい う 氣風 の結果 は国書館 で本 を讀むなんて事は員つ李 (ノ ー サ ンキュー)そ れ どころかサ ンキューす らもいわない。 拙劣なる教育行政、 もし、學校 に張 い教育行政家 が居 るな らば先生はなお 自隼心 を維持 し、 い くば くかの秩序 5。 をも保 て るのだが、賞際は校長や教頭は先生 の権威 を少 しも支持 しな 。だか ら先生は全 く手 の下 しようがない る。我が新大陸 を開拓 し、物質的人的資源 の装展 を促 し ROTARY REPORTER ☆ アラスカのタスカルーサ の RC では祗會奉仕 の模範的市民 にはバ ラの花 を贈 つて之 を 表彰す る ことを始めた。最近 2人 の娘 をもつ主婦が クラ ブの例會 の席 上 でバ ラを贈 られ「 ロー タ リー ローズ」 と ので ある。それ とい うの は、かか る教育行政家は教育行 云 う稀琥 を受 けた。 これか ら毎年男 で も女 で も祗會奉仕 の功労者 には この表彰 をつ ゞける由で ある。 政だけの訓練 を受 けて居 るので、先生 の問題 が,1ら ない のである。加 えるに彼等 はみな政治的な民衆の人 氣 をね ☆ ブ レニム とロン ドンの RC ニ ュジー ラ ン ド・ ブ レニム市 のマルバ ラ大學 の国書館 らつてばか り居 るか らで ある。 もし、生徒達 の氣嫌 を損 には特 に同校秘蔵 の敷朋 の本 がある。著者 ウ イ ン ス ト ン 。チ ャーチ ル首相 の 自署つ きの『 マルバ ラ公 の生涯 と 1/・ すればひいては両親達 の支持 も得 られな くな り、高給 の 教育行政官 の地位 が得 られな くなるか らで ある。6.教 師 の訓練、今 日しば しば彼等 は自由な時間や個人生活 をも その時代』 と云 う本 である。 ブ レニムの ロータ リー クラ ブがチ ャーテル氏 に手紙 を途 つ た。 「 マルバ ラ縣 のブ レニ 犯す屈辱的な要求 を出 され るので ある。例えば人前 で煙 草 を吸 つてはい けない とか、 いつ も鏡 の前 での様 に行儀 ム市 と貴下 の名前 とを何 か明 らか な仕方 で結 びつ けたい と望 んで居 ります。自 口ち我 々の祀先の開拓者達 が貴下 の 正 しくしなけれ ばな らない とか、又はお書時 に校外 へ 出 てはな らない とか いつ た類 いで、上 の人 の御氣嫌 を損 じ 高名なる先祀 の名 を とつて もつて、縣名 としようと願 つ たので あ りますか ら」す ると、この手紙 に應 じて、 チ ャー ないため に、 ダ ンスの シャペ ロ ンもしなけれ ばな らない テル氏 は上記 の本 を選んで 自署 を施 して贈 つ たのであつ ―- 38 -― た。 ロン ドン・ ロータ リー クラブが この企 てに努力 した ので ある。 ☆カナダ・ ケン トビルの RC 同 クラブはラジオに依 る競賣 とい う催 しを毎年 1回 催 して既 に 4回 も行れたので あるが、 ロータ リア ンの競賣 人が交代 で20分 ずつ、 マ イクロフォ ンの前 に坐 る。聴取 者か ら、附 け値をき くため に一隊 の ロー タ リア ンが電話 の聞 き手 をつ とめる。又、 その附け値 を黒板 に記録す る ため に、 ボー イズスカウ トの少年達 の協力 を得 て電話席 の正面 の大 ボール ドに これ を書 きいれ る。 マ イクロフ ォ は云 つ て居 る。 ☆ カナ ダ のキ ャル ガ ー リの RC 昔懐 しい風俗 を再現 して み る催 しは 、 なか な か 趣 きの の ロー タ あ るもので あ る。 19世 期末頃 の風俗 を した "人 リア ンが並 び、 ゲ ス トス ピーカ ーが キ ャル ガ リー市 の昔 を思 い起 させ るよ うな話 をす る。 これ に加 え るに献 立 ま で が昔 風 につ くられ て い る。例 えば、大 きな しや も じで 鐵鍋 か らシチ ュー を よそつ て 出 す とい う仕組 み で あ る。 ☆ ォ ース トラ リヤ の RC 今 日オ ー ス トラ リヤ には 200以 上 の ロー タ リー クラ ブ ンの前 の釘 に、附 け値 を書 いた ス リップを貼 る係 りが、 絶 え間な く最高附値 を競札賣者達 に報告す る。 この際 ケ ン トビル・ ロータ リア ンは多 くの商品 の寄附 を募集 し、 が有 り、 その會員敷約 8.400人 に及ぶ。 そ の活動 も種 々 雑 多 で、例 えば デ ニ リー キ ン及 び メル ボ ル ンの ロー タ リ これ を リス トにして印刷 し、競賣 の後、 その配達、金 の 徴敗 な どに営 るので ある。賣上高は6.剛 弗 に も達 し、そ リー キ ンか ら療養 FJ7ま で運 んだ。此 の娘 は、可 動式 ベ ッ ドや、特別椅子 を持 つ て入院 の途 中、 メル ボ ル ン市 を通 れは大部分、不具 の見童 のために用 い られ るのである。 ☆ ベ ンシルバ ニヤ州イース トンの RC 今 か ら一年程前、 イース トン、 ロータ リア ンは同市 の 過 せね ば な らなか つ た。 デ ニ リー キ ン クラブ の依頼 に よ つ て、 メル ボ ル ンの ロー タ リア ンは此 の娘 の た め に必 要 老人達 のために、何 か を企 て ようとい う決心 をした。人 生 に熱意 を失 いか けた老人 に、何 か本末 へ の期待 を持 た せ る ことは、彼等 に生 申斐 を感 じさせ る所以 で あ る の ー クラブは最近協 力 して、 1人 の小兒廊痺 の患 者 をデ ニ な手配 を してあ げた。 又別 な例 は、 ロ ックデ イ ルの クラ ブで、国際 的友情 の助長 の ため に風 々海 外 の クラブ と手 紙 のや りと りを行 つ てい る。最近 の文通先 は ロ ン ドン、 ウキ ンブ ル ドン、 ウル ガイの ロザ リオ、 ハ ワイの ヒロ等 の ロー タ リー クラブで あ る。 ホ ー ンビイ クラブは整形 病 で、 ゴール ドンエー ジクラブ とい うもの をつ くる ことに した。年齢 は65歳 以上 の老人 を対象 とし、約60人 の老人 に招待状 を嚢 した。第 1回 の集會 は出席者敷45人 で あつ 院 へ 1,269弗 の寄 附 を し、 メ リク ィル クラブは不 具 兒童 たが、今 日では平均 lk10人 以上 に も達 してい る。月 2回 ☆ 全世 界 で RCはM増 え た の集會 で、 1回 は主 として教育的なプ ログラム。講演、 文藝 コンテ ス ト、音楽 な どが催 され、第 2回 目の會合 は もつ と肩 の こらない もの として、 トラ ンブ持棋 な どの遊 先月 の登録以末世界各地 で34の ロー タ リー クラブが 新 に結成 され た。 自口ちそれ は次 の通 りで あ る。 技 を中心 としてい る。今 日では ゴール ドエー ジクラブは 自給 自足 とな り自らの役員を持 つてい る。 ☆ アラバマ州 シラ ヨーガの RC 同 クラブは「 ウヰー リー小父 さんを助 ける計書」 と橋 す る企 て を始 めた。 ウキ ー リー小父 さん とい うのは今年 112歳 の黒人 で、彼 の家 はひ どく破損 して、どうして も修 理 を しなければな らな くなつていた。 この長壽者 を助 け ょぅとロー タ リア ンは決議 し、新 しい屋根 を葺 き、新 し い窓 をつ くり、家具 を入れ るために、 200弗 の金 を檬金 した。 ☆ ミネソタ州、マ ウンテンレ“ク市 の RC 古風なバ スケ ッ トソシアル とい うもの を御 存 知 で す か。ぎつと次の様なものです。先ず、ロータリアンが、 病院 に 1,137弗 の寄 附 を した。 括弧 の 中は スポ ンサ ー クラブ の 名前 で あ る。 鹿 兄島 (祠 岡及 び熊本 )日 本 。 ボ ンペ イヤ (マ リリヤ ) ブ ラジル。大 阪南 (大 阪 )日 本 。大 阪北 (大 阪 )日 本 。 ドリー ゴ (コ ック港 )オ ー ス トラ リヤ 。 チ ェル シー (タ フア レンフ ォー ド)カ ナダ。 ペ サ ロ (ア ンコー ナ ー )イ タ リヤ 。 ア ル ムハ ル ト (リ ユ ンビー )ス エー デ ン。 キ ル キ ンテ イ ロ ツホ ガ)ブ (ス コ ッ トラ ン ド)。 リー メ (ピ ラ スヌ ン ラジル。 モ ンテ ー ロス (ワ クーマ ン)ア ル ジ ェ ン テ ン。 ア マ ンバ イ (ボ ンタ ポ ラ ン)ブ ラジル 。山 口 (小 倉 及 び下 開 )日 本 。 モ ンヘ ングラー ドバ ッハ (ド ッセル ドル フ )ド イ ツ。 ア ウラ ンガバ ー ド (ノ `イデ ラバ ー ド) イ ン ド。 フ ィ ンスパ ン (ノ ール キ ー ビング)ス エ ー デ ン。 キ イル ケ ー ネ ス(ナ ル ビ ック)ノ ルエ ー。 チ ェスタ ー (ア ー ブ ル )モ ンタ ー ナ。 マ リヨ ン (ラ ッタ及 び フ ロー バ スケ ッ トをつ くると、 その夫人達が美味 しい食 べ物 を レンス)南 カ ロ ライナ。 バ ー リ ン トン (パ ル ミー フ リバ これ につ める。夫 人達が競賣者 となつて、 これ を競賣 に ー トン)ニ ュー ジ ャ ジ。 デ イ トン 附す。普通指値 は 9弗 位 で、純ll■ 盆 は大抵75弗 位 に な る。 これは海外留學 の ロータ リー 奨 學 資 金 に寄附 され る。 このパ スケ ッ トをつ くつ た り、競賣 に附 した りす る ネ シー。 リオ ビス タ ー (デ ィク ノ ン及 びア ンテオ ー ク) カ リフ オ ル ニヤ 。 事 は高等學校生 の昔 にかたつ た程たの しい と會員 の 1人 ―- 39 -― (ク リー グ ラ ン ド)テ 4千 勤 務 先 三丸 興業 職業分類 土 地貸 付 表 71 (44)代 横 浜 RC会 長 職業分類 鉄 骨 ︵四 八才 ︶ 勤 務 先 馬 淵鉄 工 ︵ 株 ︶専務 -40- 勤 務 先 四 日市 商 工会 議 所 理事 職業分類 商 工会 議 所 ︵四八 才 ︶ ホ︶ I 林ゴ 含私 四 日市 RC幹事 勤 務 先 相模運輸 職業分類 港湾荷役 職業分類 ホ テ ル RC 東 京 勤 務 先 東海 電線 職業分類 電線製造 た 勤 務 先 ︵ 株 ︶ ニ ユー グ ラ ンド 常 務 欣 電 話 土佐 堀 北 区 中 之 島 三 ノ 三 F市 湯 四 日市 R C会 長 勤 務 先 山酸 ︵ 株 ︶ 社長 J 横浜 RC副会 長 営 業 所 東 京 都 千 代 田 区 大 手 町 一 ノ 六 電 話 九 の 内 (23)代 表0131・ 2121 仙 台 。横 浜 0静 岡 ・ 名 古 屋 ・ 京 都 ・ 神 戸 ・ 岡 山 ・ 広 島 ・ 高 松 。福 岡 東 京支店 大 店 本 ゝ 六 株 V 四 社 才長 六 株 V 五 才 社 V長 六 株 V 九 才 V長社 波 冴 ″ イ 止 職業分類 酸 素 販売 た 山形RC幹事 次 年 度 役 員 就 任 挨 拶 ロ ー タ リー の 友 と廣 告 一―廣告援助者 への感謝 と依頼一一 「 ロー タ リーの友 」 の廣告債値 につい てはい ろい ろ意見 が あ りますが、全 日本 の有 力者 40∞ 人會 員 が その讀者 で あ る ことを考 え る と、怪 しい廣告雑誌 と比 べ て、逢 か に廣告債値 が あ るもの と確信 します。 しか し廣告者 の心境 か ら申せば、 それ は貴重 な る ロー タ リー的奉仕精神 の嚢露 で す。 7月 琥 か らは、誌代 の一部 の値上 げ と各 クラブ ヘ の廣告 責任額 の割営 とが賞施 され ますが、御参考 の ために第 1琥 ∼ 5琥 までの廣告 の費績 を示 します。 これ に よる と、廣告料 金合計61QCX10回 の 中、 60Eが 485,000回 (79.5%)、 61Eが 125,000曰 (20.5%)と な り、大鎧 8 全 國96 封 2の 比 率 で甚 しく60Eに 偏 して い る ことが わか ります。 また クラブ別 に見 る と、出 して貰 つ た クラブは、 クラブ中僅かに14ク ラブ(14.6%)に す ぎす、雨Eが 各 々 7ク ラブ宛 で すが、その中 で第 1位 が東 京 (38,500園 62.5%)、 5.6%)、 第 5位 岐阜 (24, 7.7%)、 第 3位 が神 戸 (37,0001■ 6.1%)、 第 4位 が大 阪 (M,000日 、 第 2位 が名古屋 (47,000園 、 000日 、 3%)、 第 6六 位 が廣島 (17,5∞ 園、 2.9%)と い う順序 で す。東京 が歴 倒的 に多額 で あ る こ とは東京 に會祀 の 本店 が集 中 して い るためで はあ りますが 、賓 は地 方 クラブか らの廣告 申込 が餘 りに少 な く、雑誌嚢行 の遅延 を防 ゛ くために、東京 の編集事務 所 で無 理 に依 頼 して廻 るか らです。今後 は責任額 に基 き廣 く全 國 の各 クラブに分散 し て事前 に依 lla状 を出 しますか ら、御迷惑 なが ら締切迄 に廣告 の原稿 を途 つ て預 くよう特 にお願 い します。 l、 9。 第 「 ロータ リー の友 」 廣告掲 載 ― 覧表 (第 l∼ 5琥 ) 「 ロー タ リー の友 」 廣告 明細 ― 覧表 (第 i∼ 第 2 5競 ) 表 記中 京川 謂 作 行 亀 氣 製 五 糞 ξ 曇 託 欝 蔭勇 属 ∵ 君 郵 KK 第 田 匠 :暇 =ク 道 面 豊 信 1味 ノ素 〃 ″ ■│■0,OXl ま ]1:‖ [11を ][]][1業 KK:こ 〃 ″ ″ │ '■0,0∞ 片 F4j 武 修 ,旭 化成工 業 KK │ ″ │││タ │″ 袢霰驀② リ珊 │″ 5,0∞ │ l欄 1瑚あ│ 紙411 憂も 諦 麗 羹 汁KK ,4醐 1碁 験I乱 翫 也告L届 1菫 けA` サ 滉霜 讐,劉 瞥響 │〃 ″ ″ “ 三 千 日青鯖 繕 FT.‐ 〃 芳 ″ 〃 │〔 Ⅸ 霙 労釜 諄 │ ″1 5.ly00 〃 5,鰤 │ 片 倉 ■ │1宇 _1笏 ,手 都宮 〃 〃 │ス 己 銅 淵 │ 5,m. │〃 “ -41 -― n “ 野 長 太 郎 │パ 'あ KK """:1淵 製 信天百酪諄蓬 ::脚 薩TT盤 齢唾 嚢K I“ ″│ ″ │〃 ' 1lL電 :躙 1表 舎:Li′ ““ 彗デ]』葉 И i翻 佐 藤 喜一郎1帝 國銀行 扇 ξ 覺 亥 犀奢 釜翼 食 贅 竹 内 俊 一 │三 葵 石 油 KK 松 本 幹 一 郎 1明 治鏑 業 KK ERCOニ 第 61地 ュー ズ を屋 い省線 明石騨前 で醐光客 に観光 地 国 を配 つ てい る。 0高 砂 タ ラブの誕 生 (ABC順 ) 姫路 クラブ と常 クラブが スボ ンサ ー クラブ とな つて徴力 なが ら御世話 を して参 つ た高砂 クラブは 4月 25日 か ら暇獲足 した 。 明 石 4」 大 尼 崎 4ビ 佐 暇 世 保 高 松 姫 路 …… ■1 鳥 ・ 取 賞〔 本 …… 45 和 倉 敷 …… 4i 京 都 松 山 新 居 歌 山 -46 -46 §春季家族會開催 金井會長始 め廣岡幹事市 田、濱本 鴻池、親睦委員 の斡旋 によ り、櫻未 濱 ……■s 岡 山 …… 4S 大 阪 …… ■9 だ 7分 険 きの 4月 5日 出席28名 の會 員 と37名 の家族は遊覧バ スを仕立 て 京の春 を観賞 に観劇 に心行 く迄満喫 61st DISTRICT CLUB NEWS 明 石 RC剛 ⅢⅢ皿皿…Ⅲ些 會奉仕委員會 に一任す る こと等 の提 案 が承認 され、 4月 8日 の例會 で、 卜部祗會奉仕委員長か ら、 學業成績 、 饉格、人柄及 び家庭 の事情 の氣の毒 閑 信 早 0奨 學生制度の最足 かねて祗會奉仕委員會 に於 て案 を 錬 つ ていた高等學校 へ進學す る學生 早朝例會場 を出襲 した一行は京都 クラブの御紹介 を頂 いて桂離官 を斧 観 し、優美 な庭 園や各部室特 に御座 所 であつた御部室 の調度等雅趣豊 に して或 いは明 りを取 り入れ る合理的 な方 とい う條件 で、中學校長か ら推 な案配等全 く感心 して しま う。終 つ て時間 の餘裕 を利 して酒 の耐様 で有 薦 の あつた 6名 中か ら次 の 3君 を選 名な松尾耐祗 を過 ぎて西芳寺 は苔寺 衡 した旨凌表あ り、會食後木下會長 れぞれ手渡 された。筒奨學資金は次 に参拝幽雅 な庭園を観賞す る。折柄 の 日曜 とて遊山客 で ごつた返 してい る嵐山 を窓外 に眺 め乍 ら営 日の會場 回か らは所属高校長 を通 じ手渡 され る ことになつてい る。 京都 ホテル に到着す る。丁度花祭 り とて多数 の大原女が頭 に夫 々美 しい 進藤梧郎君 (市 立錦城中學卒、縣 花 をのせて歌 を唄 い乍 ら練 り歩 く優 しい行列 の光景は此 の 日恰好 の賜 り か ら第 1回 目の奨學資金が 3君 にそ 員聖 通 したЭ 立明石 高校 ) の奨學生制度が急 々本年度新制中學 山田敬三君 (夕 衣川中學卒、同上 ) 卒業生か ら賓施 され る こととな り、 4月 1日 の例會席上、毎年 3名 ずつ 島淑子 さん (″ 大蔵中學卒、同上 ) (篤 員 は木下會長か ら奨學資金 を手 奨學生 を高校 へ途 る こと、奨學資金 渡 され る奨學生 3君 ) として毎月 1人 に 1.000園 途 る こ と 従 つて本年は會員 1人 毎月 1∞ 園負 0観 光客たのサ ービス 指す る こ と、奨學生 の選考推薦は祗 ブでは明石 観光協會 と共同で女 の子 春 の観光 シーズ ンに備 えて営 クラ ― 犯 一 物 であつた。 ホテルで は ロータ リー ソングに始 り會 長挨拶 の後市田親睦 委員 より賓 に軽妙な會員や家族 の紹 介 が行われ和やかに書食 を絡 え、約 1時 間 自由行動 の後今 日 が 初 日 の ″ 都踊 り″ を期 る。今迄 と反封 に之 は又華やかで美 しく一同ゆつ くりと 観賞 を絡 え賑やかにバ スの車掌 との コー ラスの中 に夕方掃着 した。中 々 盛 りた くさんの コースであつたが有 意義 な家族會 であつ た。 此虎 に京都 クラブの村田、中野氏 始 め會員各位 の御好意 に深 く御趙 申 上げます。 去 る 2月 23日 国際 ロータ リー創立 記念 日に営 クラブ樺谷、山本、小倉 3君 より各國訪問 先 きに トース トを 行 つ たのに封 し夫 々町重な謹状が寄 せ られた。今 日迄到着 した クラブは ワ シン トン、 シヤ トル、 ロスア ンゼ し、 サ ン ルス、 デ トロイ ド、 ホノルノ フランシス コ。 明石 RC 奨 學 資 金 を渡 す 木 下 會 長 ーターに就 て )説 明 し、 そ §国際 ロータ リー第61E協 議會 よ り 営 クラブより夫 々次期會長今泉副 16)営 月 スピーチをお願 い した方 々は 尼崎市 の娯業面 の容相 の後講師 が、 それぞれ専門 について 會長樽谷幹事濱本国際奉仕委員長山 本祗會奉仕委員長沼各會員 出席 し、 會員内藤 業太郎君 鈴木謙介氏 最近 の米國事情 其 の報 告會 が13日 例會 日に行われ、 食酢談義 (株 )中 埜酢店取締 役研 講演 した。 ☆ 2月 25日 (祠 岡女學 院 )講 師澤田 藤郎氏、松田昌李氏☆ 3月 4日 (祠 夫 々の立場 よりの報告意見が員創 に 述 べ られ全員多本 の感銘 を受 けた。 究 所長 §諸事項…括 {1)出 席競争∼営月 の結果前 月 に引 き ″ 績 きG班 (市 田 声原、山本 (渉 )、 小林 、坂本 、有馬 )が 連績優 勝 (100 %)営 クラブ平均出席率 は 93.7%で 板垣忠雄 氏 「元 尼崎公安委員長」 特 に内藤會員 は つ であ たので其 のお話 は中 々辛疎 で 特殊 飲食店や娼妓 の賞状 か らパ チ ン めに (ロ 陵高校 )講 師渡邊祠蔵氏、本村重吉 氏 4月 15日 (修 猷館高校 )講 師江浦 重成氏、員 貝貫一氏。 O多 彩な卓話 コ、競論 モーター プール、賓蟹 に到 る内容 を説明 されたが私 達 に殊 に意 2月 か ら4月 にかけて次 の卓話が 行われた。會員 の もの もあ るし、會 あつた。捨営月中 ビジターは祠岡 ク ラブ始め24名 であつ た。 外 に思われた事は遊興面 で一 切 くる めて酌婦が線人 口の 3%あ る事は全 世界共通 である事。賓装 や競輪等 の 員外 の もあ る。 プログラム委員 の苦 労 は大憂なものであ にた。(會 員外 の レ1誕 生 日∼営月誕 生 の祀祠 と就品 を 享 け られたのは坂本美夫君 であつ た 収入 の大牛 が経費 とな り、教育祗會 等 に直接潤お う率 が賞 に蓼 々たる事 13)檸 岡會員御母堂逝去 され、告別式 を知 り、一 回索真 たる氣持 にさせ ら れ一汐深 い感銘 を興 え られた、 に営 クラブより供花 を贈 り會員参列 した。 , ものは肩書 をつ け了 ある。) レビジ ンの 4日 2月 話 )金 ョ (テ 星三次氏☆ 11日 (博 多紋織 について) 姜明者、中西金作氏☆ 18日 (東 京大 相模 について)木 曾重義氏。 3月 11日 (地 方産業 の金融 に就 い て)小 池潔氏☆ 18日 (祗 會情勢 と裁 に)樺 谷會員 は渡米 1周 年 を迎 え られ 之 を記念 とされ て 4月 27日 例會 日訪 の傾 向)和 智昂氏。 夕」 4月 1日 (ス ター リンの死 とソ連 問先 きのカナダ及 びアメリカ合衆國 の國旗 を クラブに寄贈 されたので全 の動向 )日 本経済復興協會専務理事 員拍手裡 に會長 より感謝 の挨拶 があ り、営 クラブは又 々錦上花 を添 える 武村忠雄氏 8日 (最 近 の航空事情 ) 日航祠岡支祗長・ 畑康氏☆ 15日 (欧 事 になつ た。 ベ リーセ ン トル イ 15サ カナダ、 キュウ 洲 を廻 りて)戸 田忠雄氏。 O次 年産 の役員決 る 3月 25日 、會員の選奉 の結果、奮 ス、 ヒウース クラブ會長 より営 クラ ブ會員 で ヒウースで事業 を興す希望 者 を斡旋す るとの親切 な便 りがあ り 御好意 を感謝 した。 ロータ リー講演會 はま す ま す 好 理事か ら留任す る理事、新選 の理事 が決 つ た。 調、各回 とも中牟會長 によ り、 は じ 〔 奮理事 より留任〕中牟 田喜兵術、 0口 いタ リー辞演會 -43- 一露■ 一 亀 串 ヽ , 末たので明石 クラブ と営 クラブか ら 敷次 に亘 り同地 に赴 き地元有志 と共 に準備 をす ゝめた結果、 ガバ ナーの 御承認 を得 て 4月 25日 創立會員26名 を以 て高砂侵 ロータ リー クラブが誕 生 した。例會 日は金燿、例會場は同 町北本町神戸銀行高砂支店 である。 高砂町は御承知 の如 く東播海岸 工 業地帯 の中心地 であつ て鐵鋼、紡 績 化學等各種 の會祗工場が周邊 に婿集 し、又商業、運輸交通上にも重要 な ロー カル セ ンターを形成 して居 り、 語岡 RC 近 く市制が施行 され る豫定 で粁末 の 襲展が大 いに期待 されて居 る。 目下 鳥養 ガバ ナー を通 じ同 クラブの RI ロ ー タ リー講 演 會 修 猷 館 高 校 に て 松田昌李 、奥村茂敏 の 3氏 〔 新選 ] 小池潔、出光弘 、鈴木鐵次郎 、飯田 責 の 4氏 。 巻第 4暁 に詳報 )☆ 扇 岡 クラブ倉」 立 の 記念 日は、 3月 10日 と決 つ たc☆ 次 いで理事が互選 の結果、次 の新 す くす くと成長す る様各位の絶大 な 佐 賀、鹿 兒島両 クラブの 誕生 に あた る御指導御支援 を御願 して己まない 役員 が決定 した。 ― ラムが 而 岡 で 開 か れ た (本 誌 第 1 加盟 申請手績中であるが、全国 を通 じ町 に初 めて出末た同 クラブが今後 つ て 、祠 岡 クラブか らクラブ旗 をお (會 長 )奥 村茂敏 (副 會長 )出 光弘 21頓 智数室 を迎えて くつ た。佐 賀 は祠 岡、佐 世保 の両 ク (幹 事 )鈴 木鐵次郎 (副 幹事 )中 牟 4月 14日 例會 の御客 さん として、 ラブ、鹿 兄島 は祠 岡、熊 本 の 雨 クラ 丁度修學旅行 に末姫中 のNHK頓 智 教室 の一行が末會 された。青木先生 田喜一郎 (會 計)宇 佐美信郎。 ブが スポ ンサーで あ る。☆ この期 間 (SAA)中 島義之助 (ク ラブサー ビ ス委員長 )小 池潔 (職 業奉仕委員長 ) に岡田稔氏 が 退會 し、戸 田忠 雄 氏 が 入 會 した Э 飯田賃 (祗 會奉仕委員長 )中 牟田喜 兵衛 (國 際奉仕委員長 )松 田昌李 の 御弟子 さんの西崎若葉 さん、 NHK の 中道、鈴木雨氏、神戸 ロー タ リア 各氏。 O誕 生20年 祠賀家族會 ンで耐戸放途局長 の南波春雄君、大 阪中央 放途局 の島浦、辻内、小野各 祠岡 クラブが生れ て満 20年 になる の を祀 つて家族園遊會 が 4月 4日 11 氏 を加 えて計13名 、明石 クラブか ら 後 12時 30分 か ら竹下 アサ ヒビールエ 場櫻 ガ岡で開かれ た。満 開の櫻 の下 に集 まるもの會員 とその家族80名 に ア メリカ領事 ザヘ ー レン氏、駐留軍 は じめ、石黒敬七・玉川一郎・ 長崎 抜天 。西崎緑 0春 風亭柳橋各 レギュ ラーメンバ ー諸氏 の他、西崎 さんの 成定 會員 も末會 され、営 クラブ例會 ≡ 訥ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ‖ 永 通 信 井 li 宗 ≡ 男 杢前 の盛會 を呈 した。青木先生 の紹 介 で各 メンバ ーか らスピーチをお伺 いす る。流石 に頓智教室落第生 とあ つ て、その内容は何れ も機智 に溢 れ 幹部夫妻24名 。まず中牟 田會長 ら 7 人 のチ ャーター メンバ ー を祀祠 して ビール 。しるこ 。うどん 。な ど模擬 営 クラブの ロー タ リーエ キ ス テ ン 一 同拍手喝朱。長崎抜天 さんは営 ク シ ョ ン として 之 まで神 戸 クラブ と共 店 が開幕 され 、博多 にわか な どの餘 興 に歎 をつ くして同 3時 散會 したが に スポ ンサー クラブ をお 引受 して設 立 に到 つ た クラブ は、鳥取、米子 、 ラブ會員八代俊雄君が同氏 とよく似 てい る ことを凌見 して印座 に「 や し 會場 にはチラチ ラと蝶 が舞 い (花 の も とにわか耐主あ らわれ し)な どの 印興句 も とび出 して、 ロータ リー を 豊 岡 の 各 クラブ (米 子 は紳 戸、鳥取 祀而す る氣分がみなぎつ たc Oそ の他 の雑報 2月 22日 、 イ /タ ーシティ 。フ ォ │・ ロー タ リーエ キ ス テンシ ョン と営 クラブが ス ボ ンサー )で あ るが ろ」 を頭 に織込んだ次 の句 を披 露 さ れた。 やつて末 て 更 に高砂 町 に ロー タ リー クラブ を結 成す べ く昨 年末 その賞現 をめ ざ して 伺 、青木先生は頓智教室創 つ て以 努力 を績 け て居 た虎 、本年 3月 に入 つ て急 速 に結成 へ の 機運 が 高 まつ て 末 282回 出席 100%と お伺 したので その御祀 として、営 クラブ恒例 の 1 ―- 44 _ 親切身 に しむ ロータ リー 年間 100%の 記念品 をお贈 りした。 3=優 真郵便職員の表彰 4月 20日 は郵政記念 日に営 るので 之 に因んだ職業奉仕行事 として姫路 郵便局職員 の中か ら奉仕 の精神 に厚 く市民 の篤蔭 の力 として働 まれた模 範的 な人 々を表彰す る こと ヽな り、 局長 さんか らこの趣旨の下 に推薦 し て頂 いた 7名 の方 々を 4月 28日 例會 にお招 きして表彰、記念品 をお贈 り し、今後 も奉仕 につ とめて祗會 に養 され る様激働 した。 4・ ェ場見學會 第 2回 工場見學會 として、 4月 3 日午後清水會員経営 の 日本 フエル ト 倉 敷 RC 雨 の 千 光 寺 山 を 散 策 す る ― 行 エ業 KKの 見學會 を開催 した。参加 では無 いか と心配 したが幸 に も杞憂 者 は會員家族併せて47名 、原毛 か ら に終つ た事は、偏 に會員諸氏 に ロー タ リー精耐 が 日と共 に浸透 しつつ あ フエル トが出末上 るまでの過程 を一 同熱心 に見學 した。 5=會 員異動 る證左 と云えよう。特 に長野氏 の東 京 3ク ラブ歴訪 と小堀氏 の仙菫 クラ 藻川淳二君 (職 業分類―一商業銀 ブでの メーキア ップは特筆 に値す る 行 )は 今回耐戸銀行姫路支店長か ら 同行大阪支店長 に御榮韓 にな り4月 末 日を以て退會 された。 現在會員数 39名 熊 本 RC… ⅧⅢⅢⅢⅢ皿些 ≡ 言 `▲ラ F「 1[ ≡ 詈 'ス ものがある(熊 本 では)。 スピーチに 於 いては 日興證券 の好意 によ り元慶 大教授武村忠雄氏か ら「最近 の世界 情勢」 と題す る豊富なる資料 と該博 なる知識 を傾 けてのお話は時局柄一 同非常 に感銘 を受 けた。 最経例會 日の30日 には別府、下開 幹 事 ≡ 訥ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ青 木 虎 芙 ◇ サ クラと共 に開けた 4月 の倉敷 ロ ータ リー クラブは季節 にふ さわ しい 2つ の行事 を記録 した。その 1つ は 等チ ャーターナイ トの開係 もあ り、 今治、飯氏、川崎 の大田氏、釧路 の 家族會 で10日 午前 9時 牛 ごろ西川會 村上氏 を同時 に迎 え熊本 としては珍 らしい ビジターデーで あつ た以上 3 族 1名 と特別招待 の倉敷新聞記者會 氏 の外本 月の ビジターは久留米・角 口氏、小倉、緒環氏、鹿兒島、三輪 陽春 4月 は例年行事 の重なる月 で 過去の責績 は出席卒 の識 に於 いて例 些 倉 敷 RCⅢ …ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 氏 であつ た。最 後 に本月中 100パ ー セ ン ト出席者 の氏名 を嚢表 して敬意 を表す る。阿部、赤夕、船岡、古荘 長吉田親睦委員長、以下會員10名 家 員お よび家族な ど 7名 は倉敷罪 を出 襲尾道市 に赴 き同市商工會議所 のお 世話 で千光寺山 に登 り、春雨 にけぶ る内海 の月光 を展望 、千光寺 の奥座 敷 に集合 して ロー タ リー ノ ングを合 唱のの ち満 開 のサ クラを眺めつつ歓 外無 く下降線 を辿 つて居 るので、今 年 もその轍 を踏むのではないか と、 浦、檜永、松本、長野、中村、鈴木 不安裡 に第 1回 例會 日を迎 えた。掲 てて加 えて今 日は、熊本市最大 の行 園田、田村、上野、山内 (忠 )、 三隅 の19氏 で、 グルー プとしての 100パ 少年週間 の行事 としてボーイスカ ウ 事「人 の 國 ま つ り」の 2日 目で、 1∞ ,000人 以 上 の人が地方か ら市内 ーセ ン トは増永、松本、三隅、三浦 長野 であつ た。捨京都 のア ッセ ンブ 各 2名 ず つ を招待 、 ボー イスカ ウ ト の現状 と特末や各種行事機構な どを に流れ込む し、殊 に交通機開其他直 接間接事業 に繋 りを持 つ會員が多 く リーには次年度 の川田榮三會長 に御 聴 いて懇談、倉敷隊結成援助資金一 封 を贈 つ た。 (政 )、 出田、辛島、河原、木下、三 供 して中村幹事 が出席 した。 3月 の不成績 に更 に拍車 をか けるの 談 してタフJ蹄 倉 した。 その 2は 、最終例會 日の30日 、青 ト倉敷第 3除 の隊員 お よび指導幹部 ◇ この月 の例會 は、 2日 9日 、 16日 一-45 -― 6!地 ERC・ 23日 、30日 の 5回 、 スピーチは藤井 岡大教授、會員梶谷君、野尻岡山地 方検察聴検事正 、兄島 日本 ボー イス カウ ト倉敷第 3除 長 の 4氏 で あ つ た。 また 2日 の例會 は創立 以末 3回 、 日の例會 に営 つ た ゝめ、司會者か ら ニ ュ ー ズ 末 られ、両親 とは手紙代 りに 自分 の 馨 を録音 したテー プを郵途 されお互 ッ トの人達 に、 ロータ リーノングを 歌わない人 々目の前 に 2.3。 それに い に親 しく語 り合 つて居 られ る由、 役員特定 の テー ブル に普通會員 が割 りこんで いて紹介起立に尻が割れた もうア メ リカで は「 父はや りた し書 く手 は もたぬ」は通用 しない御時世 等 は見苦 しい場面 であつた。 申す迄 となつてい る。 もな く他地匠會員。 持末 の妻展 についてあい さつがあ り お祀 の献立 で卓上 を飾 つた。 4月 22日 の例會 には多年印度博道 に壺 され特 に絡戦後は 日本 の精神的 松 ◇會員 の清息 としては、松田忠一君 が ご病氣 のため15日 付 で退會 された 復興 に献身的努力 をされ てい る St― allley Jons博 士 の講演 をきく機會 代 りに元會員藤木久夫君 が健康快復 入會 の ご希望 があつ たので、16日 の をもつ た。世界人類 の協調、平和 の 精耐 を説かれ人類 が最後 の絶壁 につ 理事會 で一應承認、23日 の絶會 で賛 否 の投票 を行つ た。 また京都 の61匠 き営 つて初 めて世界政府 の賓現が可 張 く結 ばれた。 4月 9日 祠知山RoC.が 襲會式 を奉 一果 ・ ≡ げ新 しく凌足 した事 は スポ ンサー ク ラブ としての京都R.C。 は大 いなる喜 都 RC 末 の凌展 を祀祠 して止 まない。 R.I。 61匠 地匠協議會 は 4月 11.12日 の雨 日京都 ホテルに於 て 開 催 さ れ た。會す る者 200餘 名非常 に盛大 で あつ た。會 の模様 は「 ロータ リーの 一 帽 論 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一 ︼ 一 一 一 ¨ 一 ¨ ¨ 一 一 一 一 一 一 ¨ ︼ 一 一 ¨ 一 ¨ 一 一 一 ¨ 一 一 一 ¨ 一 一 一 ¨ ¨ ¨ 一 ¨ ¨ 一 ¨ 一 一 c一 一 一 一 一 一 び と責任 を感ず ると共 に同RoC.の 将 通 信 島 陽 春 4月 は京都観光 シー ズ ンで あ り毎年 ビジ タ ーの敷 を増 すが本 年 は 殊 lC外 國 よ り多数 の ビジタ Tを お迎 友」誌 に詳 しく獲表 され る事 と思 う か ら営 クラブの 1會 員 が拾 つ た「 ア ッセ ンブ リー落穂」の2.3を 紹介す る ア ッセンプ リー落穂 □岩井會長 の辮はいつ もなが ら懃慇 を極 めた。帰宅後 ロータ リー放途 を 訥ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ松 事 一 力 で絶封 に避 けられ ると信ず ると力 野 會 で内容 の報告 があつ た。 能 であ り、第 3次 世界戦争は皆 の努 幹 ア ッセ ンブ リーには次期會長 の北田 君 と同幹事小川君 が出席 、23日 の例 山RC皿 Ⅲ皿ⅢⅢⅢⅢ‖ 些 郎 道後公園美化運動 道後温泉の隣 に道後公園がある。 建武 の昔河野通盛 の城址 で丘 を中心 に内壕外壕等 500年 前 の要塞 の模型 を見 る様 である。それに草本 が繁茂 して市民 の リクリェイシ ョンに よい 公園 である。庭が 日本人が 4つ の島 に詰 め込 まれ る様 になつて此 の公園 も人 の訪れが餘 りに多 く、心 な く捨 てられ る塵芥 の篤 め、春爛漫 の氣分 を損す る こと又多大 である。 開會長は道後公園 の美化運動 を提 唱 して、若 しも賓行 に橋す るな らば 大籠 を寄附 しようと云 い残 して赤十 字祗 の用件 で上京 して了つた。 え した の は欣快 に堪 えな い。 4月 15 聞 いた家人曰 く「岩 井 さんは町宰 ど 近藤副會長 と和泉S.A.A.は 之れ を 日例 會 には米國 マ サチ ュ ー セ ツ 州1 すなあ、各地 に次 々 と新 らしい會が お生れ になつて、 と言わはつ た りし 賓行化す る篤 めに委員會 を開 いたが 其 の時、既 に次年度役員 も出来上 つ さん をお迎 え した。 同君 の お父 さん て、何 で もお づ くめ どした」 は 同市 R.C.の プ レシデ ン トで 同 R. て居 り本年度 の役員 と雨 チ ームが集 つ たので諸事迅速 に決定 した。 C.よ り京都 クラブヘ の メ ッセー ジ と □會員及末客合 して出席者賓 に 222 名、 これ は フフフ と敷 え讀す ると面 美 しい ア ルバ ム を戴 き又持参 され た テ ー プ レコー ダ に録音 さ れ た同 R. 白 い。盛會歓喜 と満足 とに思わず 口 頭 にほ とば しり出た フフフフである 例會 の模 様 を親 しく聞 く事 が出末 Gloucester市 よ り R.E.Batter l.4月 3.4.5日 松山の花 の節句 に 2.開 會長 の寄附す る大籠15ヶ を 道後公園 に配置 して 3.「 公園 を美 しくしま しよう」 た。開會 に先 き立 ち教會 の鐘 の 馨、 □絹川君 の一鼎直蟹 に し て 要 領 よ し。 サア ビスはまず書信 の返信 より 牧 師 の所藤 を き くの も珍 しく、又我 と見得 を切 つて大拍手。蓋 しあの栗 我 と同 じ Rotary Sollgの 合 唱 をき くの も ロー タ リーの 国際性 をシ き々感 鼠 の ような眼 と口で は見えは切れな い。 スピーチの大見得。 興す る績馨機 を以つて弘報事項 じさせ た。 コ ア ッセ ンブ リーにで も出か けて末 ようと言 う相営な ロータ リースビ リ と共 に「 公園を美 しくす る篤 め にお耕営 の殻 は層籠 へ」 と説 き C。 Barkerさ んはG.I。 として 日本 ヘ ―-46 -一 と云 う大宣博塔 を山 の東西 に 2 本三越 の寄贈 で建 て 4.公 園の入 口に近藤副會長 の貸 第 6i地 ERCeニ ュ _ 松山 チ ャーターナイ トに国證 行動 の世話 を して貰 つた。名物 男 の排 さん に 2人 の掃除婦 をつ 句 とその前後 の 日曜 には、観櫻 の遊 客 が耕営持 で詰 めかけ、公園 を紙層 と折函、蜜柑 の皮 な どで 埋 め る の 世は櫻 の満開 で、家族共 に、一髄 家族會 は何時するのか と逆襲 され る けて行業 の氣分 を壊 さぬ様氣 を つ けて メガホ ンで注意 をさせ 6.ロ ータ リーの名はなるべ く表 で、不潔 は勿論、風致 の上か らも捨 て置 き難 しと、松山 ロー タ リーでは のに、面喰 つ た恐妻連中は、忽 ち衆 議一決、 4月 16日 伊豫鐵大 ホ ール に 夙 に之 の弊風 を認 め、是 が矯正策 と して「 、公園澤化」運動 を提唱す る事 於 て、賑 々しく開催す る 事 に な つ た。今回 は外末 のお客様 は招待 を見 合 せ、内 々水容 らずの晩餐會 の程度 5。 面 に出 さぬ様 に して公園美化 の 効果 をね らうことに して鮒田氏 とな り、會長開定氏 より大層籠 15個 に公園営局 との交渉 と世話 を依 を寄贈 せ られたので、 早速賓行委員 頼 したc 10名 を設 け、具證案 を検討 して賞行 公園や公衆集會 の場所が清潔 であ る ことを喜ぶ のは人 の情 であ り、既 に移す こととし、右 4月 3.4.5(日 曜 ) の 3日 間 に亘 り次 の方法 を行つ た。 に久 しく新聞雑誌等 で も反省批許せ られ て居 る庭 で一寸注意 をしてやる 自 口ち この大籠 を要所 々々に配置 し、 公園 の入 口にマ イクを装置 し、終 日 丈 で大衆は その云 う虎 を聴 く用意が 出末 て居た。営 日は迷子60件 もあつ 入園者 に呼 びかけると共 に趣 旨を書 付 けた大廣告塔基 を据付け、一面人 て損馨機 は其 の方面 に も奉仕す る こ とが出末、此 の運動 は充分適切 な効 夫共 を動員 して塵層類 を大籠 に拾 い 入れ させたので遊覧客 も自か ら此 の 果 を摯げた こと勿論 に して敢 て全國 の ロー タ リーに報告す る所以です。 公園澤1駆 動 面 崎長 近藤 正平 で 松山市道後公園 は 4月 3.4の 節 家 族 會 に止める豫定 であつ たが、念 々陽氣 な花 見時 に餘興 がな くては物足 らぬ とあつて、色 々詮議 の末、近頃 NH Kで 流行 の素人の ど自慢 コ ンクール と二つの歌 とい う2題 目が取上 げ ら れ、念 々上演 の 日が近 づ くと出演奨 勘 の意味 を以 て、各方面 より績 々賞 品が寄贈 され、醤油 1升 瓶、タオル 、 鯖壽 し、電車回数 雰、石鹸等60餘 馳 運動 に共鳴 し、 自か ら自謂 を促す結 が山 と積 まれ、會場 に舞墓装置 は勿 論音楽隊のバ ン ド、藝者 の三味線迄 果 とな り、公園 は著 しく汗化 され、 委員 の努力杢 しか らざりし事 が認め 悉 く寄附 で調 う始末 で、出演者 も20 餘名の多 に達 し近年稀 に見 る盛況 を られたので ある。 塁 した⊃ ≡〓 ≡一 一 一 一 一 一 一 一 菫 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 〓 〓 〓 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ≡ 一 一 一 一 一 一 一 〓 一 一 一 一 一 一 〓 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 〓 一 一 一 一 〓 一 一 一 〓 一 一 一 〓 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ビタ プ レには もつ とも重要 な 9種 類 の ビタ ミンを必要 量 だ けた つぷ りと合 有 して い ます か ら、 ビタ プ レ錠 をの む だ け で ビタ ミンの補 給 は十 分 で す 東 京 RC 田 辺 線 合 ビタ ミ ン剤 元 30錠 。180円 東 京 田 辺 製 薬 株 式 会 社 東 京都 中央 区 日本橋 本 町 ニ ノ七 _- 47 -― 10瞬 掟・ 500円 第 61地 新居濱 RCⅢ 剛脚ⅢⅢ卿Ⅲ性 ERC。 ニ ュ ー ズ 縣 の全泊費電力の約30%を 占めてい る) 260餘 年前、四國山脈 の美 しい漢 雑 誌 委 員 ≡ 訥ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ‖ 射 “新居濱 の表情 " 場 恒 ≡ 三 て更 に経済的 に も密接 な問柄 で あ る 西條 を も加 え て一 つの クラブ的 な も の をつ くる こ とは、 か ね て私 の念願 谷 に初 めて鎚が打 ち下 され て以末、 した所 で あ りますが 、 それが 今 回 、 別子銅山は世紀 に亘 り掘 り績 け られ 今筒全国屈指 の銅山 として健在 で あ 機熟 す る と共 に今治 ロー タ リー クラ る。 この銅山の事業 に開連 して、一 新居濱 ロー タ リー クラブ とい う形 で 漁村新居濱 に工業 が興 り今 日に至つ てい る。然 しこの街が急速に都市 の 責 現 致 しま した事 は、最 も我 が 意 を い 得 た もの と存 じ、欣快 之 に過 くる も の な い感 が して居 るので あ ります」 容貌 を呈 して末 たのは比較的近年 で あ り、 その期間が戦時態勢以後 に営 る篤 もあつ て、街は憂則的な妻達 を ブの並 々な らぬ 御援助 に よ りま して 愛媛縣新居濱市 と申上 げて も、恐 らく「あ ゝ、新居濱か」 と頷かれ る 逐げ、最近 まで、恵 まれた四國 の 自 ロータ リア ンは牛分 もあるまい。だ と述 べ たが 、 この粘 に開す る限 リロ ー タ リーの効能 は覗面、豫期 以上 の 成果 をllaめ つ ゝあ る。勿論単 な る祗 然 に比 しあま りに も殺風景な市街 の 父機 開 に絡 る こ とは ロー タ リー ス ピ が、住友 の新居濱一―別子銅山、四 阪島 と申上げると大部分 の方 がお分 外貌 ではあつた。近代的な大工業 と リッ トに反 す るが 、 “先ず親睦 か ら"、 ・ “ス テ ッフ バ イ ス テ ップ''で と りになると思 う。 宇高連絡船 で四国 に渡 つ て、高松 急造 の街並 との間 には、随分 ギャッ プが あつ た ものだ。 か ら豫讃線 に乗れ ば、山陽路 と似 て “思 いがけぬllt穫 " この ギ ャップとは勿論意味が違 う 女性的な低 い山や丘 の乳綴す る山野 の景醐か ら、愛媛縣 に入 る と急 に男 が、工場経営者 と街 の有力者 との間 に も溝 が生 じ易 いのが街 の性格 か ら 性的な若 々しい高嶺 の連互 と、封照 末 る結果 で あつた。先人 もこの溝 を 埋めるために種 々努力 した ことは敷 多 く聞か され てい るが、 これ も一時 的 に優雅 な白砂 青松 の岸邊 に雨倶1か ら迫 られた地狭 を過 ぎ、やが て汽車 は新居濱 に入 る。然 し、界 は街はず れ にあるので、初 めて こ ゝに降 り立 つ た方 には四國第 1の 工都新居濱 の 會 員 一 同次 の 飛燿 を期 して い る。 岡 ⅢⅢⅢ瞥 山 RCⅢ ⅢⅢⅢⅢⅢ 的或 は分部的 に うま く行 つ ていたの で あつ た。 ところが ロータ リー クラブの誕生 昌 通信員 昌 瓢ⅢⅢ‖ Ⅲ‖ ‖ ⅢⅢⅢⅢ Ⅲ筒 井 !‖ 徳 光 感鯛は ピンと末 ない。だが、海か ら は、期 せず して 新居濱入 をした とき、その印象 は全 く異 る。尾道 か ら新居濱通 いの汽船 消する こ とにな りつ ヽある。昨年 12 創± 19周 年記念講演會 1934.4.5 チャーターのわが クラブは 4月 8 月襲會 以末、本年 3月 の役員改選後 日午後 2時 商工會議所講堂 で神戸大 に乗れば、船 は島 々の間 の狭 い水道 も引績 き會長 を勤める原田會長は、 學教授宮田喜代蔵経済學博士 を招 き を縫 うようにして辛 うじて貫け、や がて廣 々 とした隧洋 に出 る。銅製錬 夙 に この粘 に着 目 し、 その就任 の挨 拶中に もこの路 に鰯 れて「私 は営地 記念講演會催 をした。 修正資本主義 “ とその動向"と 題 して、現在われわ 用 の亘大 な煙突 の下 に家 々が群が り 四邊 の景色 と異様 な コ ン トラス トを に御厄介 になつ て既 に30年 に近 くな れ の生活基盤 になつてい る資本主義 な してい る四阪島 を経 て新居濱港 に りますが、その間 ツラツラ と考 えま すの に、 この地程 ロー タ リー クラブ 経済 の動向を、家庭経済、国民経済 企業経済 の 3つ の構成證か ら説 かれ 入れば、瀬戸内海屈指 の港 と自他 と もに許す新居濱港 に臨ん で、雄大な を必要 とする土地はない ようにさえ 思われます。 と申 しますのは、先 日 満堂 の聴衆 に多大 の感銘 を興 えた。 例會 スピーチ ①篤員藝術家 とし 四國山脈 を背景に問隙 もな く近代的 な大工場が林立 しその偉容 に旅行者 の眼 を見張 らせる。(篤 員参照 )高 松 ――松山の丁度中間 どころ、 いずれ も汽車 で約時 3間 、尾道か らも海路 (?)こ の問題 を解 も或 る新聞 に書 きま した ように新居 濱市は新居濱 と住友 との合作 になる 所で あ りま して、其 の間 には何 か 目 に見えない一線が存在する様 に思わ れ るので あ ります。之 を取 り除 くた て全國的 に名 の ある緑川洋 一氏 の藝 術篤員談 は、 その嚢達 の歴史 か ら現 在 の天然色篤員 に至 る過程 を述 べ印 刷術 の妻達 と相侯 つ重要性 を強調 さ 約 3時 間、隧洋 に臨む新居濱は四國 第 1の 工都 である。(因 みに新居濱所 めに先人 も努 め られたので あ りま し ようが、特 に戦後は私 も徴力なが ら れた。②創立 19周 年 には田中文男君 の創立営時 の回願談。チ ャーター メ ンバ ー24名 中現在 まで残 つ たのは同 在住友関係會祗 の使用電力は四國 4 努力 をして末 た所 で あ ります。而 し 君 と星島義兵衛、木原通一 木村國 ― 掲 一 新 居 濱 RC 新 居 演 書 よ り四 団 山 脈 新會員 林原孝三君、鐵鋼製造、 の粘 はまずまず といつ た虎 で したで しよう。営 クラブ員 の平均年齢 は50 省蔵氏。初代會長星 島君。襲會準備 のため牛年 にわた り慎重 に人選16回 岡山製鋼 KK事 務取締役 慶大卒 地 Eア ッセンブ リー(京 都 )次 年 歳 で61匠 46ク ラブ中若 さの順位 では 3番 目の由です。獣詳 だけではな く の會合 を重ねチ ャーターに先立 ち 3 月 3日 銀行集會所 に襲會式。同年秋 度會長木原通一君 と幹事山崎正 隆君 が出席。´ 山崎君 か ら會議 の要議 を報 チ ャー ターナイ ト計蓋 中の ところ大 告。 若 さを特徴 とす る何 か誇 らしい こと も したい ものです。 今回 ゴル フ同好會 が誕生 し、 3月 洪 水 のため中止 とな り、空年11月 9 御 目出産 創 立以末 19年 間 の例會 場 としてな じみ深 い浩養軒祗長奥山 次 の 4君 、退會者10名 、物故10者 。 名 スボ ンサーは京都。 ガバ ナー村田 日後柴園 で催 された。③ アジア経済 協力會理事長本位田詳男氏 の協同経 済論 は、 マル クス以末階級同争的な 考え方が廣 く行われ てい るが、結局 最後 には同氏 の主張す る協同経済論 に向つて行かねばな らぬ。 日本 では (廣 島 )嘉 納濱兵衛君 (神 戸 ) 清君 の令息勝太郎君 と近 藤 淳 子 嬢 (共 に武蔵野音楽學校卒 )結 婚 につ き 4月 15日 の例會 に佐藤會長か ら祀 祠、奥山君及 び新郎新婦 の挨拶があ 9日 第 1回 の コ ンペチ シ ョンを賓塚 リンクで開催、又 4月 16日 には大阪 及同南北 3ク ラブ合同の競技會 を猪 名川 で行 い ました。三輪 ゴル フクラ ブと総 し、毎月 クラブ又は 3ク ラブ 合同の コ ンペチ シ ョンを行 う豫定 で あ ります。やが て封外的 に挑戦す る 日もそ う遠 くはないで しよう。 つ た。 資本家 のための御用経済學 といわれ るが、 アメリカでは リシャルサービ 外遊中の森下泰氏 より3月 18日 通 スの重要性 があげられ、 自己の職業 に於 て この精神 を以 てす るなら協同 信があ リロータ リア ンとして各地 で 優遇 され てい る由です。又かねて外 祗會 の理想が賓現 され ると。④ 中共 引揚げ雪師西一市氏 は中共 の員相 を 遊中の自野孝太郎氏は 4月 2日 婦朝 せ られ會員一 同卓話 を井 聴 し ま し 語 られ多大 の参考 となつた。 た。 清掃課員表彰式 職業奉仕委員會 では 4月 8日 例會 に市衛生部清掃課 大阪南北合同のチ ャー ターナイ ト が 5月 30日 賓塚 で奉行せ られ ること 通 信 員 員 の模範優良者 5氏 を招待 し、篠田 委員か ら表彰 の辞、佐藤會長か ら感 一 榮 3月 17日 18日 の雨 日鳥養 ガバ ナー 謝状世 に記念品が贈 られ、吉田清掃 課長 の謝辞があつた。 の公式訪間 を受 け懇談 しました。各 とな り(小 林委員長 以下 目下準備中 で大方 の参加 を希望 しています。筒 次期會長以下 の互選 を行 い ま した結 委員會毎 にその方法書 を醸詳整理 さ 果會長室賀、副會長四角、理事室賀 ビジタ ーズ 星島睦雄君 (倉 敷 2 れ ていた こ.と は他 クラブに も例が砂 四角、清水、竹内、祠島幹事森下氏 回)岡 田俊 一君 (倉 敷 )白 耐敷一君 い とい うことで御手柄 で したが、他 以下役員委員長 を決定 しました。 川 -49- 第 大 Ooo000 事義 寸 な 幹 ュ 山口君の たよ り 本 クラブ国際奉仕委員長山 口善造 君 は去 る 4月 3日 羽田空港出嚢専門 技術 の研究 を兼 ね、 パ リー大會に出 襲 の鳥渡欧 したが其 の途上 4月 7日 には桑港 クラブヘ、 4月 16日 には紐 育 クラブヘ、 4月 22日 にはパ リー ク ラブヘ、 4月 28日 には フ ランス リヨ ンクラブヘ、何れ も例會 に出席 して 61地 区 RC・ ニ ュ ー ズ します。小生 もお蔭様 にて至極元氣 で曾 ての奮同 の地 リヨ ンに於 て再 び 工場 にて研究 を績 けて居 ります。去 會だか ら」 と時間 の ことを相談 した る22日 パ リー クラブ、本28日 は リヨ ンクラブヘ それぞれ 出席 して皆 の方 5名 は例會場 に出席出末たが、 5人 のための ニコニコ献金 共朗かに遅フリ より大層 よろ こばれ ました。両 クラ ブヘ大津 クラブのバ ナー を進呈致 し ま した虚大満悦 で各 々立派 なバ ナー を貯金箱 に投 じたので田中丸會長 も ニ ッコ リ。去 る 3月 唐津市 で行われ た祠岡、佐賀、長崎三縣天狗連 の ゴ を頂 きました。何虜 の クラブで も挨 ル フ大會で優勝 した営會員 の安部榮 拶 の上會長 に直接手渡 し又直接頂 き 氏 が、今度 は 4月 29日 別府 クラブの チ ャー ター・ ナイ トの後 の ゴル フ大 ました。末週 の人曜 日には リヨ ンク ラブの例會 で (日 本 の現状及藝術盆 石 について)と 云 う講演 を依頼 され 大蒻 りです。 で も頑張 つてや る積 り です。 4月 28日 リヨ ンにて 山 口善造 黒川會長殿 所 Fそ れ では早 く片 つ けよう』 と云 うことになつて、漸ゃ く12時50分 に 會で も優勝 して氣焔 を吐 いた。 人 口25萬 以上の都市 の クラブで會 員敷30名 未満 とい うの は無 い ようだ か ら、此際増員 しては如何 ?と の田 中丸會長 の妻議 で火回あた りか ら何 とか研究 してみ ようとい うことを 5 月 6日 の例會で取 り上 げた。 佐世保 高 松 RC 外国旅行 中正 に記録的な 100%の 成 績 を上げて居 る。 第 1報 本 日 (4月 7日 )営 桑港 クラブヘ 出席 し會長 に大津 クラブのバ ナー進 呈 致 しました。 ヴィジター約40名 野 生第 1番 に紹介 され、堂 々 ?と 名 の りをあげ大津 クラブ (菖 帝都京都 の 近 くの クラブ)と 洒落致 し、皆 よ り ― 通 信 員 ≡ 爾Ⅲ Ⅲ ⅢⅢ‖ ‖ ⅢⅢЩⅢⅢ江 口 謹 四 郎 何虎 に行つて も○○時間 と云 うも 大 きな拍子 を以て迎え られ ました。 のがあつて、牛時間乃至 1時 間位 の 嬉 しき限 りです。只今父の奮知在米 50年 と云 う日本の老夫婦の温かぃ家 庭に居候致 して居 ります。其 の内紐 育へ直行の豫定です。會員の皆様に よろしく先は取 り急ぎ短信まで 開會時刻遅延は通例 とされてい るよ うに、佐世保市 で も所謂佐世保時間 とい うものがあ りま したが、 ロータ 三 ・ 通 訥‖ ‖ ‖ ⅢⅢ‖ ⅢⅢⅢ‖ ⅢⅢⅢ石 信 原 員 ≡ 俊 士 例會 日及場所毎週木曜 日12時 牛 l 時牛三越支店 5階 3月 は事務 の都合 で報告 を怠 つて リー クラブの例會 を初め、あ らゆる 仕舞つ た。 4月 は衆参議院選畢 の騒音 で心 も 會合がその悪例 を打破 して厳然 と時 落着かず過 ぎ去 つた。お蔭 で出席卒 間働行 が行われ てい るので、 クラブ 會員 の主催する會 となると『 アノ人 非常 に悪 く他 の クラブに封 して面 目 もない次第 である。之は會員 の努力 は ロータ リア ンだか ら遅れない よう が 足 りない粘 もあるが、地理上 メー に行 こ う』 と云 つ た有様 であるが、 去 る 4月 の29日 させぼまつ りの行事 至れ り蓋せ りで恐れ入 りました。バ クア ップが困難なる馳 も見逃 せ ない 3月 6日 午後 6時 か ら三越 でユ ネ の一つ ミス・ サセボ審査員 に営 クラ ナー進呈 、18日 愈 々目的地 フランス ス コロータ リー主催 の下 にマー フ ィ ブか ら藤井、田中、安祠、糸長、江 ー大使歎迎會 を開 いて非常 に盛會 で ‐ あつた。 4月 7日 山 口善造 黒川會長殿 第 2報 4月 16日 紐育 クラブヘ 出席致 した 所仲 々盛會 で ヴィジタτに封 して も ヘ向 ぅ豫定です。営地はまだ うす ら 寒 いです。 第 3報 … 大津ク7ズ の皆様にはお憂りもご ざいませんか。 「造 に御機嫌御伺 い致 口の 5名 が選ばれ午前 10時 か らの審 査 が仲 々捌けなか つ たが、 5名 の會 員は同 じ審査員 の駐留米軍 メシニー 地匠司令官夫妻や ス ミス憲兵除長夫 妻 に『 今 日は ロータ リー クラブの例 一- 50 - 3月 12日 奉 を行 い。`ロ ータ リー次期役員選 次 の役員 を選出 した。 理事會長 り H野 正善 、 1 ュ ー ズ 理事副會長 岡 内 勇君 光枝君 最近 の 生命保 険 理事 幹事 │1 正君 一 り 中川君 選畢偶感 鈴木氏 (名 古屋 クラブ)木 材 の 理事副幹事レ西山 幸雄君 理事、會計 北原由二郎君 理 事 員鍋 修 君 理 事 開征 夫 君 現状 に就 て 講師 理事前會長 三宅徳二郎君 3月 の スピーチ 木村君 清 水建設株式 會 祗高松 支 店長 柴 川博槌氏 竹 中工 務 店 四 國支店長 齋 見 昌李氏 新聞論評 朝鮮 の想出 文新堂漆器株式會祗取 員鍋君随想 園碁 の精耐 に就 て 3月 19日 68.8%3月 26日 75% 4月 2日 56.3%4月 9日 68.8% 4月 16日 68.8%4月 23日 84.4% 勇氏 4月 30日 87.5% 琴李電 鐵専務取締役 以上 の如 く高松 クラブ で は毎月 中村静夫氏 1月 の スピーチ 1 回各部 門別 に討論會 を開 き講師 に営 つ た者が質問 の矢面 に立 つ詳 だが い 江 口君 現在 の 日本映画 と外国 映画 の開係 つ も活 澱 な る討論 が和 氣需 々裡 に行 景山君 「 オ ロチ ョン」民族 の 員J 榮氏 出席卒 3月 5日 81.2☆ 3月 12日 87.5% 交通 に開す る討論會 講師高松バ ス株式會祗 々長 岡 内 坂本 締役 江 川野君 販 RC 幹 井上君 石原君 「 建築 工 藝 に開す る討 論會 鳥詈 詈 詈 〓 61地 ERCOニ われ 時間 が足 りな いの が常 で あ る。 ▽鳥取 クラブも創立満 1年 を迎 えま した。昨春 は未曾有 の大人 に見舞わ れ、會員 の殆 ん どは直接 の被害 を蒙 む り、 その篤出席率 は70%前 後 とい う洵 に芳 しくない成績 で あ りま した が、 1月 28日 の鳥養 ガバ ナー公式訪 間を機 に會員 の 自覺 が更 に高ま り現 在 では85%前 後 と躍進す る ことが出 末 ました。 大火 の悪條件 に もかかわ らず 1年 間 100%出 席 された村江幹事、尾崎 生態 と農産状況 喜 界 釣 品 質/ カ タ ロ グ 進 呈 。全 国 特 0‐ :曰 口 '王 7.20-7.50 北海 道 放送 午后 5,30∼ 6.00 朝 日放 送 午后 日本文化 放 送 午 后 8:30∼ 9.00 ラジス九 り 11 午 前 H.00^H・ 30 茸 Iξ :言 ` 日本 楽 器 製 造 株 式 会 社 電話 浜 松 (代 表 )1900番 (本 社 )浜 松 市 中 沢 町 250 。神 戸・ 仙 台 。広島・ 金沢 。浜 松 。 。 ・ 札幌 岡 屋 福 大阪 名古 店 (支 )東 京 次 浜 松 RC 兼 大 村 _- 51 -一 o 第 61地 ERC ユ ― ‐ ズ 盆三君、吉田環也君 の 3會 員 に封 し 3月 27日 1周 年記念家族會営 日皆勤 バ ッデを贈 りま したが、かか る悪條 希望 の躍動 を深 く感 じて一同蹄和早 速14日 の例會 を利 して其 の印象 を博 へ會議内容 に就 て協議 を行 つ た。 件 をよく知 つ てい る會員 の心 には今 4月 21日 更 の ように熱 い感激が湧 き起 りそれ 例會終了後定例理事會 を開催 の事項 につ き協議 した。 が萬雷 の拍手 となつ たのであつた。 ▽ 2月 12日 の例會 日に鳥取市 の交通 ▽家族會開催 の件 6月 中旬頃高野山へ参芹 を兼ね朝 関係者か ら秘 かに感謝 され ていた山 下巖巡査 に封 し米原會長か ら表彰状 と記念品 を贈呈 し陰徳 をたたえた。 ▽ 3月 27日 はチ ャーター された 1周 爾ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ‖ ‖ ⅢⅢ:Ⅲ i清 水 常 夫 例會 日∼ 4回 4月 平均出席率― 85.4%4月 中 100出 席者-19名 年記念 日で あ りますか ら例會場 で あ る鳥取大丸 で家族會を開催 し、會員 4月 7日 家族入 り交 つてテー ブル を園み、業 しい一時 を過 ごしま した。天然色 の ビルマムル メンRCよ り象牙製 の ロータ リー ウィールが到着同 日會員 美 しい映画や餘興 の萬才更 に會員や 奥 さん達 のテーブル スピーチや獨唱 に披露 したる後早速田邊 RCに 廻途 な ど賑やか な雰園氣の内 に ロータ リ ー ノングを合唱 、 有意義 に散會 した。 ▽下開大丸 に轄勤 された山本前幹事 はその熱心 さと腕 に物 をいわせて多 大 の成果 をあげ られま したが この度 役員改選 を機 に委員長 を中心 とした 各委員會が より積極的 に活動す る こ とを御願 い しました。 した。 4月 14日 ヴィジター稽垣淳之助氏 (響 結曇喜) 4月 11.12雨 日京都 に て開催 され 光旅行 をす る事 と決定、新緑溢 るる 普門院 (豫 定 )に て精進料理 を味 い 午後各所 の国賓、賓物 を参観 して下 山する企画 ですが線 ての御世話は和 中親睦委員長 に一任す る事 となつ た ▽出席奨働賞 の件 毎月 100%出 席者 に封 し贈呈中の 奨動賞は (ニ フ久二了チ)最 初計画 され た豫定 の数字 を造 かに超過 して嬉 し い悲鳴 を上げる状況 となつて末た鳥 此 の際今一歩 の厳 しさを加 え連績 2 た第61匠 ァ ッセ ンブ リーには垂井會 月 100%出 席者 に贈呈す る事 とした ▽會務委員會 の組織分指 の件 長、清水幹事、北村次期會長、井開 次期副會長 の 4人 が出席 しロータ リ 次年度 よ りの各委員會 の氏名分措 を決定。 4月 28日 ー運営 の篤 の新 しい智識 と反省の数 豫 て より計画中の大阪國連病院慰 敷 を艦得 し、併 せて輝か しい前途 に 間 の件は山本國際奉仕委員長 と東田 生子 曇貞 留村 ロ ー タ リ ー 中 次 同委員 との話合 に依 り去 る 4月 23日 壊 の 婦 朝 ガバ ナ…スレターよ り 東和歌山罪前 8時 集合10時 國連病院 に到着、美 しく険 き誇 るカーネー シ ョン其 の他洋花 をおFtBり して 1日 も 早 く御全快 の上世界李和 の鳥つ くさ 中村 さんは 1昨 年度 ロータ リー 留學生 として、奮60地 匠 か ら選 ば れ、米国 ワシ ン トン市 にあるジ ョ ー ジタウ ン大學 に留學 し約 1年 牛 の間勉學、優秀 の成績 を以 てマス ター 。オブ・ アーツの學位を得 ら ます。 彼地 の RoCの 賃情並 に學生生活 れ、先 日目出度蹄朝 された。 同嬢は留學中、 ワシ ン トンR。 の篤 め御希望 に徒 い、各 クラブの 例會 に出席 して、御報告や ら経験 談等を申上げ度 く、用意 して居 り ますか ら、御希望 の クラブは成 る べ く近隣 の クラブ と御協議 の上 、 に其 の諮 に趣好 を求めて御慰間 を申 上げました。 本月の テーブル スピーチ 同 じ方面 を順序 よく廻 れ る様旅程 を御作成下され 、私 の方 へ御申込 下 されば可然取計 います。筒序な 「 地労委員會 の在 り方 と組織 に 就 て」 Cの 例會 に殆 ん ど毎週出席 したの みな らず、 その 附近 の Rec∞ 餘個所 に出席 し日本 の話 をし、伺 東部 の ロータ リー地匠大會 には昨 年及 び今年 に渉 り敷 ヶ所 よ り招待 を受 け、各地 に於 て話 をす る機會 を興 えられ、大 に軟迎 された由で あ りま して、清水長一君 の後 を維 いで ロータ リーの學生使節 として の役 目を美事 に果 された詳 であ り 及び其他最近 の事情等詳細 に承知 して居 らる ゝのであ ります。 同嬢は こ ゝ敷 ヶ月間は 日本 の ロ ータ リーの各位 に封 し、御恩報 じ が ら旅 費 及び宿泊費は各 クラブに て御負措願 います。又若 い女性 で すか ら宿泊を成 るべ く會員 の御家 庭 lrc御 世話願 い度 く存 じます。 ―- 52 -― れます様心 か ら御慰間 を申上げた。 席上東田氏 の自 席奇術 を演 じ傷病兵 口 一 同を爆笑 させた。営 日の参加者は 特 に會員方 のお嬢 さんにお願 い し、 服装は 日本式 に との御意向 に依 り特 o4月 7日 會員 中西義 一氏 o4月 21日 會員 山 口謹 一氏 ス ト に 依 る祗會的影響」 「 日通 o4月 28日 會員 由良榮 一氏 「 日本國内 に於け る軍需資材 の 生産状況 に就 て」 第 クラブ名 麟 1 釧 2 f 路 曽 り 38 5 蓼 電 30 4 出席率 偕星 97.1 96.7 60E4月 順位 16 19 1 20 3 岡 崎 30 4 96.7 6 21 4 フ に,試 Jヒ 49 5 95.1 8 22 撻ョ 52 4 95.0 0 /jヽ 6 7 8 沼 津 岐 阜 濱 松 9 り ‖ 崎 10 本L 33 5 判 甦 78 11 - 宮 12 長 岡 13 四 日 市 14横 9 40 4 95.0 7 38 4 94.7 12 40 4 93.1 3 4 93.0 92.8 31 5 90.9 濱 86.8 42 49 4 86.2 89.6 24 33 4 89.2 23 34 17 里 重 名饉 28 4 88.9 27 40 29 29 41 14 42 ロ ロ 32 43 邑 色 11 44 會津若松 ,に 号 清 82.8 生 クラブ名 豊 岡 5 38 17 ヽ り 藩 性 Fl 〒 司 97.4 3 姫 路 96.3 4 40 18 大 阪 南 高 知 96.3 4 27 19 扇 冨 臣 日 雅 雲 完史 96.3 26 20 耐 戸 5 6 7 8 f竃 お 彗 95.85 4 ″ 24 95.5 5 26 94.2 5 35 93.7 4 36 あ早 90。 18 4 4 89.3 4 89.2 4 89 27 65 96 クラブ名 出席卒 lall會 敷 會員敦 貪姜 85。 6 5 33 桐司 不 k 口町 85.4 4 34 鳥 35 扉 毬見 濠 諭 〃 フ ト 取 85.2 84.63 祠知 山 (偶 )83.87 5 43 41 26 4 3 42 31 5 42 32 26 t ヲ 更 86.8 剛 37 27 以 降 38 28 29 佐 世 保 譲 り T冨 5 33 順位 32 4 36 月← 番外 82.9 3 31 33 5 70.6 41 82.8 93.38 97 50 ゴ ア 層 伺 4 49 72.6 島 T 90.4 府 73.4 5 ら 月 10 灌 編 甲 4 35 徳 87.2 京 28 51 活署 46 39 山 15 F可 58 88.6 岡 治 35 互 狂 30 25 今 当と 50 38 34 30 49 13 31 4 21 31 40 42 4 78.0 5 93.4 25 岡 5 38.3 88.2 4 78.5 田 22 静 83.33 生 セ 5 5 牛 25 48 83.72 24 91.2 5 79.4 夕 ) 窪 = 黎 罫 更 彗 90.48 79。 4 ttE ゴ ロ 邊 4 に り 23 田 山 34 ,電 男 試肩 旨 55 +A 長 諭 炉 己 45 46 37 扉 着 15 80.0 36 22 13 5 35 4 80.0 24 ロ ロ 4 高 訂 35 44 31 公 ャ 4 26 80.0 4 9 91.4 80.9 4 5 Jヒ 崎 92.5 4 88.8 大 阪 尼 倉 = 30 調 レ 38 89 21 良 ヽ燿 留 洲隆 〃 20 48 28 90.15 根 12 80.9 36 出席卒 例會敦 會員敦 奈 /1ヽ 17 4 出 席 率 分 彦 11 37 33 20 4 82.5 16 25 19 81.8 95482.5 38 E4月 llI位 82.5 38 4 81.5 1戸 諸 編嘔 富 出席率 艦星 4 47 82.9 82.6 古 屋 桐 4 4 34 4 45 46 83.1 5 2 96 43 47 39 32 府 新 居 濱 85.9 鰐 議 38 zК T冨 36 4 詈 垂 58 別 4 4 5 85.1 ,試 231 4 5 86.0 29 4 86.0 1 ″ 4 火 看 35名 第 創 ″ 4 垣 亘 32 館 夕 32 イ 山 4 99・ 29 34 87.1 zК 31 24 出席卒 例會歎 會員敦 房 義 38 4 田 33 4 84.9 ヨ 33 4 84.8 「 29 卦LЦ F日 30 4 83。 3 「 戸着 30 り ‖ 走 2 30 4 83.3 30 クラブ名 川 函 石 順位 旭 畔 静 貶 33 働 善 F ヽ り 禾J 4 39 贄 本 26 足 38 5 88.1 山 28 25 釜 橋 郡 須 賀 16 豊 21 38 24横 5 [0 37 J証 15 18 10 岡 Jヒ 28 2 32 5 87.9 クラブ名 昆昇 亀 「 柏 崎 21 3 潟 27 71 4 90.5 15 順位 新 22 28 4 91.1 18 31 5 91.0 34 クラブ名 亀昇 瑠纂 出席卒 鳳星 高 23 出 席 率 分 86.53 4 4 4 4 4 4 30 22 40 f尋 39 41 127 26 86.21 5 29 86.2 5 29 85.81 チ キ 85。 7 -- 53 -― 5 5 34 39 山 争 80.9 5 44 年 山 奇 42 山 口 80.86 78.13 4 4 40 24 43 澤 封 A ャ 76.9 5 32 = 第61匠 平均 88.89% "タ 口 国 際 ― 60061匡 R 第 名 簿 匡 場 事 務 所 旭 川 ニ ューゴヒ海 ホテル 常盤町 足 利 銀 行 通 3丁 目 足利 銀行 内 千葉 新 聞會 館 通町 中合 百 貨店 大町 長良 川 ホテル 、五 島 旭 川商工會 議 所 内 千葉 銀行 秘 書 課 内 58 中合 百 貨店 内 長良 川 ホテル 内 長 良 川眸 軒 2 ‐相 生 町 五 島軒 内 中澤町 250 日本 築 器 内 濱 松商工會 館 .商 1 工會 議 所 8 名切 牟 田商 工會 議 所 内 2 憾 馬通 商工 會議 所 内 釜 石 製鐵 所 誂 子町 商 工會 議 所 西 町 1の 18 金 澤 商It議 所 内 本町 埼 玉 銀 行 川越支 店 伊 藤破 業 所 内 5 柏崎 商工 奮 議 所 内 南 町 888 埼玉 銀行 川越 支 店 7 2 商工會 議 所 堀 川町 桐 生 倶築部 永桑町 多喜 の屋 料理 店 北 三條 東 1 1ヒ 見 商工會議 所 内 商工 會議 所 柳 町 73 山梨 縣 商工 奮 議 所 内 釧 松 水 盛 室 長 和 久屋 旅館 商工 會議 所 内 大町 常盤 グ リル 月I崎 商工會 議 所 内 桐 生 商工 含議 所 内 109 北 大通 橋本 合 名會 証 内 1 商工 會議 所 内 猜 新 沼 帯 岡 大 小 札 仙 清 壼 静 高 東 商工 含議 所 内 日野町 常 陽 銀行 本 店 南 3の 丸 ′ ‖徳 デ パ ー ト 肴町 今井 百 貨店 海 岸通 商工會議 所 城 内町 ホテル トキ ワ別館 東匡長 塀町 イ タ リヤ軒 上 大 川前 通 桃 中 軒 商工 會議 所 内 荻 城 縣連合 商工 奮議 所 内 川徳 デパ ー ト内 樽 崎 産業 海 運 内 " 2 小林 合 名會 証 内 敷 島製 バ ンKK内 7 商工 含議 所 内 桃 中軒 熙前 帯廣労 働會 館 西 5條 南 東海 銀行 岡崎 支店 連 尺町 商工倉議 所 郭町 8 勢 働奮館 内 東 海 銀行 岡崎 支店 内 3 大 垣 共 立銀行 内 8 4 北 it・ ホ テル 潜 穂町 グ ラ ン ドホ ラル 1ヒ ー 條 プラザ ー軒 大町 5の 189 藤 崎 百 貨店 内 今井 内 グ ラ ン ドホテル 内 商工會議 所 相 生町 22 商工奮議 所 内 公 字 町 123 盟 釜市公 民 館 内 民 館 経 誉 祀協 會 追 手町 259 静 岡縣経 誉 者 協會 大 和 百 貨店 利 屋町 商工 會議 所 内 南 蒻 富 豊 詢 帝 園 ホテル 丸 ビル757 上 野 松坂 屋 台 東 匡上 野廣 小 路 虎 門 共清 會 筆 港 匡 赤坂 溜池 31 安 全 ビル 内 富 山祗 変倶 集 部 櫻橋通 東海 銀行 豊 橋 支 店 花 田町 石塚 42 貿 易 商工會 館 内 東 洋 軒 商 工會 義所 1 松坂 屋本 部 内 電 気 ビル 富 山証 交倶 集部 丸 ノ内百五 ビル 津銀行 協會 内 岩 淵 町 1■ 0 商工奮議 所 内 -54-― ] ¨ ﹃ 串 忠 謝 一 敏 榊 嗅 赫 嚇 元 ﹄ 囀 酔 ︻ ] ¨ 一 大 町 3の 25秋 田商工奮 議 所 内 井 秋 田倶 楽部 林 紡織 合 名會 祗 内 燎 一 8 老町 衛 郎 治 二 彦 左 吉 雄 李 郎 夫 二 介 不 七 稔 郎 郎 就 郎 和 生 性 會 一︻ 例 商 工會 議 所 齋 辻 板 荻 古 金 渡 原 松 伊 墨 里 岡 笠 山 頑 大 瀧 海 金 吉 安 濤 に ︲ く 却 川 利 葉 島 阜一館 松 田 宮 石 澤 嶋 越 崎 生 見 府 仙 路 坂 戸 岡 蘭 岡 屋 潟 津 廣 崎 垣 樽 幌 墓 水 釜 岡 岡 京 北 南 山 橋 田 秋 旭 足 千 祠 岐 函 濱 年 一 釜 金 柏 川 川 桐 北 甲 陥水 水 金 土 月 木 金 本 人 木 土 火 水 水 火 水 月 水 木 金 木 水 人 木 水 木 火 火 金 水 水 水 火 水 吹 火 金 凋 木 水 木 火 火 木 金 火 右粗 ″ 酔 日 幹 事 山 王 丸 竹 谷 小 太 師 尾 護 秋 間 正 茂 郎 道 三 藤 齋 武 藤 安 賢 吾 遠 藤 健 三 秦 良 李 山 岸 勇 次 郎 竹 内 辰 次 郎 大 森 喜代三郎 伊 藤 良 不 野 芳 高 橋 源 但 木 敬 川 島 廣 伊 澤 吉 泰 治 吾 吉 一 弘 島 定 己 武 田 喜 一 郎 遠 藤 安 一 郎 嵯 峨 長 大 海 泰 雄 石 崎 丈 一 小 佐 藤 武 栗 林 徳 小 林 友 一 盛 田 秀 白 勢 誠 夫 光 郎 李 一 夫 島 俊 郷 清 吉 │1久 右衛門 早 り 槌 谷 就 七 堀 岡 清 大 竹 敬 太 郎 鳥 海 三 郎 李 岡 昌 一 佐 々木 統一郎 ‖ 勝 智 蛭 り 塚 源 次 越 創 賀 利 雄 瀬 二 郎 林 元 四 郎 水 芳 二 定 堀 須 清 若 清 今 村 勘左衛門 り 小 ‖三左術門 2 1 福 田i青 彦方 範 の井 ホテル 石 水 紳戸銀行明石支店 錦 江町 崎 月 商工會議所 昭和通 府 金 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鈴 高 渡 鈴 金 火 木 火 金 宮 形 市 濱 賀 都 日 須 宇 山 四横 横 下 野 新 聞 ビル 剛 岡 田 鈴 木 鐵 次 郎 友 田 爾 作 永 井 宗 男 山 口 文 吾 山 本 徳 生 北 元 巖 小 泉 徳 一 濱 川 金 兵 衛 廣 津 保 之 中 村 秀 山 川 三 夫 水 野 勝 爾 武 田 胤 雄 伊 藤 茂 八 郎 山 下 幸 一 松 岡 健 一 培 田 吉 郎 野 岡 武 ││ 一 夫 中 り 肥 塚 喜 久 雄 中 村 貞 三 田 勇 馬 八 馬 啓 山 崎 正 隆 藤 定 首 田 坂 寧 邦 茂 郡 司 原 田 秀 雄 原 田 誠 一 森 本 信 下 田中丸 善次郎 山 本 吉右衛門 田中丸 善三郎 富 成 正 一 河 合 英 雄 正 一 川 脇 村 正 太 郎 志 摩 誠 一 村 江 貝」 忠 作 花 慶 一 清 水 常 夫 博 太 郎 菅 加 藤 章 ‖:::口 ::‖ 1編 1集 │ :‖ ::Ⅲ ‖:::ilil:lli:Ⅲ Ⅲ::::::Ⅲ ll::::lll::llll ○興味ある記事 と云えば、 やは り會 員 の随筆や感想文 で しよう。 これは :::‖ ; う願 います。 これは「 ロータ リーの 友」の過去 の多額 の鋏損 を解消す る 一方 に偏 しない ように、全國 の各 ク ラブか らバ ラエ ティに富 ん だ も の ための窮餘 の一策 ですか ら、何卒特 を、 どしどし途 つて頂 きたい もので 別 の御支援 を賜 るよう御願 いする次 第 です。 ‐ロータ リーの友」 も早や第 6琥 を す。 1回 の分量は 400字 詰原稿四枚 ○ いずれ に して も雑誌 の編集が立 つ 出 し、不満 なが らも一應軌道 に乗 り 以内 (約 1,500字 )が 一番手頃 です。 機開誌 らしい一 つの型が で き ま し た。 しか し営業雑誌 と違 つて、弾ヵ 今後 は廣告 の依頼 の ように、各 クフ てい る 3本 脚は、 トップ記事 と随筆 とRCニ ューズですcそ の中で トッ ゜ フ記事 の取 り方如何 で、 その琥 の生 命が決定す るのです。 7月 琥 の トッ 性 を持たない この機関雑誌 の編集 は ブに封 して割営式 に依頼状 を出 した い と考えて居 ります。文章 の良否な 編集者 に とつては誠 に苦手 ですが、 どにこだわ らず、 どん どん書 いて頂 しか し機関紙 とい う枠 の中で、 この 一 つの型 を育 て上 げて行 くの もまた くように願 つてお きます。 ○次に本琥 で「 ロー タ リーの友 と廣 意義深 いこ とです。 告」 に開す る統計的な特報 を出 して 委員 との封談 で飾 り、 8月 琥 には、 新婦朝 の手島理事 を園む座談會 で、 ○ さて前琥 の 5月 琥 で見 られ る通 り 座談會 での御意見 によ り、編集方針 に一大方向韓換 を試みま したが、 こ みま した。 これは七月琥以降 の廣告 生 々 しい欧米 RIの 活動状況 を聞 く を各 RCに 依頼す る関係上、誠 に興 豫定 です。 どうぞ御期待 を願 い ます ○最後 に一言 した いこ とは、表紙 の の第 6琥 で も更 にその方針 を維績 し てみま した。先ず トップ記事 を第60 味ある記事だ と思 います。 これによ つて、廣告 を負措 して頂 いたRCの 過去 の賞績 と、将末 の負措 の割合 と 匠協議會 で飾 り、之 に配す るに、 イ ンターシテー 。フ ォー ラム とチ ャー を認識 し夕」 断す ることがで きるか ら です。 ターナイ トの記事 を以てす るとい う ○前琥 の 5月 琥 では、第61匠 の新任 の役員 の名刺廣告 の一部 を出 させて や り方 です。次 に會員諸氏 の随筆や 感想が之に績 き中央部 には、 ダィジ ェス トを中 に扶んで雨匠のRCの ニ ュースを載 せ るとい う順序 です。そ して後牛 には雑多な記事 で賑やかに 埋めて、最後 をRC名 簿 と編集後記 とで締 め く ゝりをつ けるとい う構成 ては、 その重心 もな く支柱 もな くい わゆる ピンボケ となつ て少 しも安定 感があ りません。結局の ところ、雨 匠 の RCニ ューズが雑誌全般 の支 柱 での ]年 間、別 のデザイ ンで氣分 を 一新 した い との編集會議 の意向 に基 き、今度 は「廣 重 の舞子 の濱」(横 濱 60匠 の全 RCの 分 を掲載す る こ とが る ことにな りま した。 どれ も世界的 に有名な版画 ですが、會員諸氏 の御 期待 に添 い得 るもの と確信 して居 り で きま した。 7月 琥 には申込 の延着 した分 を載せ る豫定 ですが、 もし署 名未着 の場合 には、活字 で出 させて ます。 頂 きますか ら左様お含み 下 さ る よ 春口28有 ■6月 10日 Ep昴 J 昭和 28年 6月 15日 4け み量 R召 (岡 野 ) 友 曇 ロータリーの 員 尤 も田舎 のデパ ー トの シ ョー ウイン ドウの ように、 ごた ごた と商品 を並 べ るとい う方法 も又一興 ですが、 そ 望 知 健 (東 京) 健 三 岡 野 れでは編集者 の良心 が之 を許 しませ 興味 とを持 つ ようにす ることが肝心 でい ろい ろ苦心中です。 「北齋 の富士」を績 けて末ま したが、 7月 琥 の年度興 りか ら末年 6月 琥 ま RC會 員の 丹波恒夫氏所蔵 )に 替 え の役割 を演 じてい るわけですが、 い かに機開誌 とは申せ、 これでは どぅ に も雑誌 の證 を馬 さない ようです。 ん。定期刊行物 で ある以上 は、や は り會員が讀 んで見たい とい う意欲 と デザイ ンに就 てです。第 6琥 まで は 頂 きま したが、 この ('月 琥 では、第 になつてい ます。 しか しこの ような 編集方法 で は、遺憾 なが ら雑誌 とし プは、小林、鳥養雨 ガバ ナーの「 ガ バ ナーの一年 を顧み て」 とい う編集 ) (岐 阜 鑑 記 6 成 人 月 琥 (京 都) 千 島 健 次 郎 (神 戸) 一 (仙 カ 編 集主任 次 郎 蔓) 川 崎 覺 太 郎 大 日本印刷株式會祗 東京都新宿E市 谷加賀町1の 12 所 ヽ ͡ニ 4-… ー ー … 口"タ “・ リいの友編集事 務所 ― 月 第 1巷 第 6琥 [6- 東京都中央匠銀座 1の 5 畠鱗 ξ ttЪ =二 ロー タ リーの友 6 号 第一 巻 昭和 28年 6月 10日 印刷 第六 号 昭和28年 6月 15日 発行 発 行所 口…タ リーの友編集事務所 ■■■■目 ■■■■■ ││ 月 東京南 RC 波 多野元 二 大 日本印刷株式会社印刷
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