三隅町広報 No.066 昭和37年4月1日;pdf

について
れ も 容易 の 亊 で は あり ま せん
部 落 内で の 協 業 の実 現 等 は何
る 営 農の 選択 的 拡大 の 仕 事 や
て参 りま し た が 、各 尸に於 け
も熱 心な 調 査 研 究 協議 を致 し
た。協議会、部門委員会等で
合 いを 町 内 数 ヶ所 に開 き まし
鵞 に 、之 が運 営 につ いて の 話
沿 岸漁 業 の 振 興 は国 や県 の 施
い 事 で あり ま す が 、未 だ ま だ
れっ っ あ る こ と は真 に喜 ば し
等 の 養 殖 等 多 角的 に取 上 げら
等 の 浅 海 増 殖 、あ ゆ 、う な ぎ
て ん ぐ さ、 か き 、 う に 、真 珠
漁 族 の 増 大 、 わ か め 、の り 、
策 によ っ て 漁 礁 の 設 置 に 依 る
併 行 し て 、両 組 合 の熱 心 な施
島 の 両 漁 港 の 改 修 整 備工 事 と
稲 田 正 治
私 は 本 年こ そ 、何 と か して
次 に中 小 企 業 の振 興 、 之 は
公 民館 活 動と 新 生 運動 と を真
深 め 部落 内の お互 い が腹 を割
国 と し て 抜 本 的 な政 策 を打 立
策と 共 に大 い に 進 め なけ れば
っ た 話 し合 い に依っ て 、水 稲
て ね ば 町 とし て 打 つ べき手 は
な り ま せ ん。
の 集団 栽 培、 省 力栽 培 の問 題
融 対 策 を始 め商 工 会 の 活動 と
に 部 落活 動 に進 出し 、 農 事組
。果 樹 、 畜 産 を どう取 上 げて
営 農の 拡 大 を図 るか 等を 力 強
相 俟っ て 何 と か 積 極 性 を持 だ
合 を 単位 と し た部 落の 親 和 を
町 長
昭 和37
年度の 重要 施 策
一、
各家 庭の
所 得増 大策
現 在 農 村 に 於て 最 も切 実 で
最 も 重要 な聞 齟 は 、今 更 言 う
までもなく﹁農業の構造改善
を 如 何 に実 現 して 行 くか ﹂と
い う こ とで ゐり ま しよ う 。
町 政 終 局 の目 的 が町民 の福
祉 増 進 で あ る以 上 、 その 基 底
を な す﹁ 人 造 り ﹂の 鴎 題 が根
本 的 璽要 事で あり 学 校 教 育社
の 真 の 幸 福 の基 は 、各 家 庭 の
く具 体 的 に 踏 み切 っ て頂 くよ
ど も 、 そ れ と不 離 一 体 で 町 民
なこ と は 論 を まち ま せ ん け れ
本 の 形 成 者 を 造 る こ と が大 切
収 入 を 増 大 して 、よ り 文 化 的
★表 彰い た し ま す
実 に困 難で あり ま す 。 然 し金
で 豊 か な 生 活 が出来 るよ う に
す る事 で あ り ま しよ う。
せ た いも ので す 。
茲 に特 に 念願 に堪 え な い こ
と は 、 農家 の皆 さ ん が、 も っ
と 積 極 性 と 自 主 性 を 以て 農業
の 近 代 化 に 取 組 んで 頂 き 度 い
こ と と 。世 帯 主 の方 が若 い者
の 盛り 上 る 改 善 意 慾 を 理 畔し
て 、もっ と 若い 者 に 営 農 をま
か せ る 度 量 を 持 っ て頂 き た い
事 で あり ま す 。
の一 致 の 努 力 に依 り まし て 愛
林会 、緑 会 、 椎 だけ 組合 の 活
二 、日 本 消 防 協 会 長よ り 優 良
全国 町 村会 長 山 本 力 蔵
昭 和 三 十 七 年 一月 二 十 六日
動 か 漸次 本 格 的 なも のと な り
農 業 の 構 造 改 善 につ い て は
げ ま し て 、 町 と して は 町 新 生
造 林 意慾 ら 高 まり 、県下 で も
一
一、
場 の構 成 と工場 適
運 動 協 議 会 の 磯 構 を強 力 有 効
着目 され る よ う に着 々と 林 相
既 に昨 年 より 之 を大 き く取 上
なも の に再 編 成 して 。そ の 組
転換 えの 造 林 が成 さ れつ つ あ
地 の土地 造成
織内に六つの部門委員会を設
り、又漁業面でも野波瀬、小
林業面に於ては森林組合と
う に 努め た いと 思 い ます 。
会教育を振興して立派な新日
発行者 稲 田 正 治
編集人三原祥祐
財団 日 本消防協会会長
法人 大野伴睦
Ξ、町営湯免温泉はそい施設
が優秀で あるとして三月二
十八日県 知事より表彰され
まし た。
(四月 )
1 日 新 任 教 員 の 辞 令 交 付
3日 社会教育委員会
式 並 び に 告 別式
‘ 5日 新 任教 員 着 任 式
6 日 野 波瀬 保 育 所 入 所式
提 出 して あり ま すし 、 又 工 場
る詳しいデーターが通産省に
水量水質調査其他三百頁に上
リ ン グ によ る土 質 調 査 を始 め
此 の 土 地 につ い て は 、 ボ ー
と し て 着工 の 事 と し ま し た。
五 百万 円 を投 じて 本 年 度 事 業
千 万円 の 起 債 を 獲 得 し 、町 費
り工 事 費千 五百 万 円 の 中 、 一
に 議 決 し 、県 当 局 の 配 慮 に よ
続事 業 と して 埋 立 て す る こ と
千 百 四 十四 稈 方 米 を二 ヶ 年 継
しま し た の で 、 此 の 地 七万 八
り 不 用 地 として 払 下 げ を 完 了
て 買 収 し 他 は 先 年 農 林 省 よ
耕 作 地を 全 員 異 巌 な く町 に 於
して頂いた二町六反の農家の
ま し たので 、十 数 年前 に入 植
応 浅田 川下 流 護 岸 迄 出 来 上 り
岸工事も三十六年度に於て一
町 政 メモ
の 基 本 条 件 で あ る 道 路 につ い
7日 豊 原 保 育 所 入 所 式
び始業式
9日 小 、 中 学 校 入 学式 及
10 日 嘱 託員 集 会
17日 定 例 農業 委員 会
中 旬 二 型 三型 生 ワ クチ ン
会 、体育協会役員会
投 与 、 社 会 体育 指 導 員 集
26日 清 風祭 り
下 旬 小 、 中 学 佼教 員家 庭
訪問、中学校修学旅行、
( 五月)
姙婦検診
上旬 町民体育大会、定例
教 育 委 員会 、 町 内 小学 校
修 学 旅行 及 遠 足 、 体カ テ
中旬 腸パラチブス予防接
スト、スケツチ大会
種 、春 季畜 犬 登 録 狂 犬 病
. 予 防接 種 、戦 没 者招 魂 祭
ても 陰陽連 絡の小郡三隅 線が 師の助力を得、半ヶ年を費し
現在両力より工 事中で昭和四 て本町町有林経営計画 案の樹
十年迄には改 修の見 込であり 立を致しましたので 、之 を動
萩三隅間の国道攻修も本年度
機に此の計画案に合わせて伐
より着工 に劼 ぎつ日 る決心で 期令以上の立木を制限伐採し
ありま すから 、こうした各面 て、最近十数年間に行った漠
の相関関係を考えまして敢て 大な造林 が育成するまで立木
埋立に踏叨つだ次 弟で ありま の嗅い延 べ政策を取り たいと
す。土 地代 、工事費等 起債も 決意し、昭和三十五年度より
合せて二 ヶ印で三千二百万 円 立木 売却を年に千五百万円 程
を投資して 時仙一億円に値す 度とする事に致しました。只
る土地 ご心有として確保する 庁舎新築 に際しては議会全員
ことは、将央工 場誘致の土台 一致の賛同により備品一切 を
を築くヒ からも 決して無謀の 含 め三千三百五十万円の費用
策でな いと刪信し議会全員の 中 、二千万 円だけを立木売却
代に頼っ たのでありますが、
賛成を得たので あります 。
本年度 も町有林売却は千 五百
气 町 有林 施業
万円に止め、中 五百 三万 円は
山に戻 して財産造成費 にあ て
二百万円は国民 健康保険に繰
出して保険税の軽減に当て ま
すので 、残り八百万円 と県行
本町財政の強さは恵まれた
千 六百町 歩の町有林を持つ事
で ありま す。そこで昭和三十
四年度に県費 補助と県林業技
造 林 の 分 収 金 を 建 設 的 費用 に
使 う こと に して い ま す 。本 年
度 は国 や県 の補 助 金に よ る 公
う 土 木屬 業 と を合 し 一偐 二 千
共 事 業 と 町 費 の み を 以 て 行
五百 万 円 と い う今 迄辰 か つ て
な い大 き い 建 設 事 業 を す る予
定 で 之 に千 六百 万 円 の 町 費 を
一般 会 計 予 算の 総 額 は 九千
嬖 す る こと と な っ て い ま す 。
四 百 九十 八 万 円 で 、 収 入め 中
皆 さ ん町 民 から 徴 収 す る税 金
は 昨 年 と 大 体同 様 で二 千 百 十
その
ます。
以 上 本年 度 施 策 の 屯 点 の み
六万円であります。
を述ぺましだが、町民各位の
御 理 解 と御 協力 を願
い。
のだろうい、
知 ろ う と し将 来 を 考 え て い る
覯 は本 気 にわ が子 の 現 状 を
ぬ ので は あ るま い か 。
学 問 ︶に 対 す る 真剣 味 が足 ら
失 肌 だ が 、 み ん な 、教 育 ︵
お わ びし て 申 す ︶
︵ 失 礼 な言 い 方で あ る こ と を
反 省
意欲をたぎらせつつ前進した
向 を正 し 、地 域三 隅 に 活 気 と
青 少年 、婦 人 、 家 庭 教 育 の 方
を か け る町 政 に 即 応 す るよ う
的 に展 開し て 町 づくり に 拍車
で は 、新 生 運 動 を科 学 的 合 理
し て 強 く推 し 進 め 、社 会 教 育
持つ健康指導を、三つの柱と
しい体と活動力旺盛な体力を
視 す る教 育 、調 和 の と れ た 美
果 す 生活 態 度 と社 会 道徳 を 重
養 い 、 乱 を正 し 時を 守 り 責 を
旨標
︱
学佼
教育に
おいて
は、基
礎宇力
を身に
けて知
性を高
める実
力養成
の教育
愛国の
心情を
昭和37年度の本町教育
三隅町広報委員会
け、更に部落に推進委員を設
一、全国町村会
と して 左 の 通 り
長より優良町村
表 彰 状
表 彰 さ る。
山 口県 三 隅 町
地方 自治 の 本
旨 に則 とり 和 衷
協同よく町村自
治 の 建 全 な発 達
めて 優 秀で あ り
を具現し治績極
ます 、
よ りて こ れを
完全に うけとめる
発 行 所
消 防団 と して 左 の通 り 表 彰
最近三隅川の本格的改修、
砂 防工事 、支流の河岸改修、
表彰状
国 達補装、国 道県 道町道農道
山口県
林 道の改 修新設 、いせき、水
三 隅町消防団
路のコン クリ ート化 、木橋の
右消 防団は鞏固たる団 結を 永久橋 化等 が相当進捗致しつ
以って規律技能共に優秀且つ つありますが、更に本町将来
施設を充実しよく消防の使命
の発展 に大 きい期待 をかけて
達成にっとめその成績抜郡で
いる工場の誘致も愈て国家の
工 場分散の政策に乘 る時機 が
ある
よって本会は表彰旗 を贈りこ 近 づきました。即ち 昨年は通
れを表彰する
産省の現地 調査に依り 浅田 海
昭和三十七年二月 十一日
岸山本開 作を中心とする一 帯
の土地が北浦に於け る工場 適
地 に認定されますし、更 に本
年は低 開発地域工業 開発促 進
法 が制定されるに到りました
此の事あるを期して数年前
から着工しました浅田海岸護
表彰のかずかず
方 向 を正 し
( 第66号)
昭 和 37年 4月1日
三 隅 広 報
( 1)
子 ど も た ち は カ ーぱ い 求 め
求 め て 学 習 し 頑張 りて い る だ
教 師 は Iす じ に 子 ど も 一 人
ろうか。
一 人 を お。
ろ そか にせ ぬ教 育 指
行 政 の 事 に あ た る 人 々 は最
導 に徹 し て い るだ ろ う か。
善 の 配 慮 と 努 力 を 怠 って は お
ら ぬか 、 I き び し く 自巳 反 省
学 校 教 育 で は
す る時 で あ る。
特 に 努力 を 愛 す る こ と とし
一 、学 習 意欲 を 育 て 伸 す こと
t 次 の 五 点 を 考 えて い る 。
一 、十 二 日 に 完 全 に 実 施 す
二 、学 力 テ ス ト を 来 る 七 月 十
小 学 校で は五 、六 年 の 全
中 学 校で は 二 、 三 年 の 全
児 童 に 算 数 。国 語 の 二 教 科
の五 教 科 。
生 徒 に国 、算 、社 、 英 、 理
三 、 体 育 を重 視 して 体 力 体位
長 門 保 健 所 が 行 っ た三 才
を増強させること
は大そう劣って悪い、学校
児検診の結果、本町の成績
入学以前の大問題である。
親 と 教 帥 と共 々 体 育 衛 生 に
活 眼 今む け たい 。
学校にも開始して町民の明
︲ 学 校 給 食 は今 年 度 か ら中
待 に こ た え、 給 食 献 立6 お
・
い し く栄 養 的 に改 め る こ と
を 計 画 し て い る 。 四 、 進 路指 導 に 計画 性 を強 め
てること。
小 学校上学年から方策を立
そ の目 的 と 在 り 方 に 再 検 討
五 、P T A は 現 状で よ い のか
を 必要 とし な いかヽ 親 師 相
互 に力 強 く提 携 して 正 しい
社 会 教 育 で は
教 育 を 前 進 さ せて ほ し い。
問 題 は深 刻 で 現 実 的 で ある
一 の 公 教 育 機 関 で あ るが 、
一 、 青 年 学 級 は勤 労 青年 の 唯
わ が国 経 済 界 の 影 響を う け
て 、学 級 は次 第 絣り のわ び
し さ で あ る 。 将 来 を洞 察 し
て獸を破り、運営に大検討
意 を嬰 す る 。
を 加 えて 新ヽ
hし く 息 吹 く 决
︵以 下 二面 ︶
1畜産について
上中小野
田辺春雄
取 を して サ イ ロにつ め農 繁 期
し 、翌 年四 月頃 に第 二回 の 刈
月頃第一回の刈取をし飼料と
一反 ポを耕 作 し 、成 牛 五頭 と
人 三人 で 、 田 地 九反 七 畝 、畑
に こ れ を与 えて 手 間 を 省 ど こ
私 の 農業 経営 の現 況 は 、大
仔 午 四 頭 ゞ飼 育 し て い ま す 。
時 に飼 育 労 力 を 省 くた め 部 落
夏 期の 農 楽 労力 の多 くい る
と が 出来 る。
。
肥 やし 、米 の 生 嶇
内 の同 志 こ計 り簡 易 放 牧場 を
川すだめ
副業 に 嵜産 を 試 み て いま す。
作り 、こ れ に放 牧し 、冬 は 恫
本 川 り農 業 輊 冨も 呻迄 り如 くた だ 晨
耕 一 本 で は到 底私 共 の 生 酒 を 豊に し
て 行 くこ と はで き ま 呟ん 。
そ こで 農業 の近 代化 をめ ざし て 次 の
部 胼の如 4 畜 匯や 椎茸 栽 培 、煙 草 栽
培 智 々の 農業 経 営 は拡 大 さ れつ つ あ
あるまいか。幸当町には﹁ 優
良 牛保 畄組合や肥牛組合﹂が
当局の指導援助により設 立さ
れているので、これらの指 導
により、若齢肥牛をし、組合
の力でより有利 な販 路を開き
益 、畜産 が栄えること を望ん
2椎茸栽培
畜 産 経 営 を新 生 活 運 動 に取 入
部 落 に 於て 地形 的 条 件 によ り
米 麦 によ る 収 入 の 乏 しい 当
定 のた め幾 多 改 善 を 図 ら な け
の統一の問題など椎茸産業安
ま す が 、一 面 販 売 体 制 や規 格
遑 は 極 めて 明 るい も の があ り
娶 の 増 大 に 件い 椎茸 栽培 の 前
下 光正
でいます。
私も﹁ 楢崎牛﹂の飼育研究
を今後続けて、当局の畜産奨
励の線にそいつつ 、我 が家の
経済を豊かにし ようと 努力 す
る積りで あり ます。
もみの 木 山
れる一方森林資源の少なくな
賜 り た く御 願 い 申 し 上 げ ま す
町 有林の実態
とそれの管理
術 の 向 上 に ま た 販 売万 法 の 改
っ だ今 汨 近 隣に 椎茸 用 の原 木
善 に努 力 し 生 産 の合 理化 を図
の 割 合 に 多 いの に 着 眼 し 椎茸
と 殷 家 収 人の 増 加 を 計 画 し 部
り以つて扣茸産菜発展のため
あり ま す ので 皆 様 と と もに 技
落 有林 の 一 部 を 開 放 す ると 共
一 層 の 力 を 尽 し たい 所 存 で あ
れ ばな ら な い 事柄 か 多 い ので
に各自私有林の内ホダ木用原
栽 培 を取 入 れ 森 林 資源 の 維 持
木 を伐 採し 昨 年 度 迄 に約 一 万
まず町有林の経営形態から
述 べてみますと、本町有林の
総面積一 、六一四 、四ヘ クタ
ールで その内 直営林 が 匸 二
〇三ヘ クタールで七五%、部
分 林が 匸ハヘク タールで I%
県行造林一八九、一ハヘ クタ
ールで一一% 、部落貸与地一
二六ヘクタ ールで八% 、採草
地七ハ ヘクタールで 五% とな
っており ます。
直営林には人工 造林と天然
生林に分 れ人工 造林 が四五〇
ヘクタール、天然生林 が七五
〇ヘ クタールとな り 主伐収入
の殆どが天然 生林 を主弧に伐
採しております、次 に鈩扛樹
と広葉札別 に掲ると針葉t の
幼令に
U 二 I十五紆た
こ か多
り ま 嚀 ので 皆 様 力 の 御指 導 を
り ま す 今 年度 も現 在 迄 に約 二
/ヽ壯 令 林 ︵ 一 六 1 三 五 年 生 ︶
が 少 く伐 關 令 級 以 上 の 林分 が
︵写真説明︶上しいたけ
栽 培︵ 縱 ノ 木 ︶
から分 収率により収入 ?みる
こ とが出米るようになったが
こ れの伐採跡地は県 に於て造
林 撫育 等管 埋に 努めている
部落貸与地は各部落共町の
方針どをり良く迴林 されその
管理は極めて 良吁と思 れ完す
次に昭和三 十七年度町有林
の伐採収入と町有林の造成費
について述 べて見 ますとま伐
収入一、五〇〇万 円で本 町は
毎年こ れだけは売却可能 とな
っております が伐 採すれば当
然 史新を必 款とし主伐収入の
三分 の一額 −五〇 〇万 円︶を
新植、補植、保育に還元して
おりま ず。その主な支 出は人
工 造 林ニ ーヘクタール、天然
下 種一三ヘクタール、粐杣二
七ヘクタ ール、下 刈 が二二六
ヘク タール 、つる切 、柿打 、
除伐二六ヘク タール、問伐一
五 ヘクタ ール、天 然下 矜下 刈
二五ヘク タールと林 道の改良
工 事となって おりま す。
一面 より 続き
所 に 集 め て 立 て ると 実 に 肚 観
る。壯令林が少いのは戦時中
字 形 を な し不 均衡 な状 態 にあ
め て お り 森 林 の令 級 構成 は凹
は賢明で、婦人講座にも改
加 の会 を企 画 し て い るこ と
として部落進出総ぐるみ参
面 積 の四 割 、 蓄 積 の八 割 を占
で 、よ くこ れだ け の 仕 事 が出
の 乱 伐 と 労 力不 足 に より 撫 育
善 か考 え ら れつ つ あ る。 瓦
椋 木 豊
五千 本 の ホ ダ 木 を 造 威 し且 乂
千 本 の ホ ダ木 の 造 成 を完 了 し
一之瀬新生会が発足して早
来 たと 共 向 の力 の 抑z さ を皆
が 思 うよ う に なら な かっ た 原
二、婦人会は今年度の新路線
三 ヶ 年よ う や く軌 道に の っ て
ん な がし み じ み と蚯 じ まし た
一の瀬
乾 燥庫 を 一棟 約 八坪 を建 築 し
料 作物 の 栽 培研 究 を して 採 算
下 の左 右 煙 草 栽 培 フ レー
来 た 椎茸 共 同 栽 培 の 実 情 を 御
昨年秋より﹃ハシリ﹂が出始
︵士︶本町有林の一部
︵ 下 ︶町 有 林 視 祭 を 終 っ て
情 を御 知 ら せ し ま す 、 農 業形
因 と 見 ら れ る。
ム内 部 ︵ 麗 ︶・
態の改善と生産性の向上を目
めて 現 在 迄 に 生 椎 茸 八 十 キ ロ
代 化 資金 を 借 入 れ 優 良 牛を 買
い こ と が 分っ た。私 は 農 業近
﹂ が当 地 方 で は 最も 理 痼 に近
っ あ り 皆 の笑 ひ 顔 も日 一 日 と
的 に部 落の 立 地 条 件 を 検 討 七
究 出 荷 時期 の 調 螫等 を生 産 者
声 長 閑 器 量 よ し
調 で 、漸 増 の 一 路 を たど り っ
より 始 め 理在 の と こ ろ 甚 だ 順
組合 .
町 当 局 が一 体 と なっ て
多 く な り つ つ あり ま す。
の 関 係 、高 値 に 売 る ため の研
う と 共 に サイ ロを 二 基 造り 、
然 し 乍 ら 之 が 経 営 に当 っ て は
バ ス ガ イ ド 歌
合せ行なって居ります。初年
分 冬 期 茹 は る 不時 栽 培 溽 椎茸 徊淹 進 めて 居匪 陂 すじ 乂ホ ダ
`
木 にな ら な い 木 は 木 炭 生 産 を
の 基 に 実 践 第一 主 義で あ ると
同 志 が手 を 結 んで 新 じい 自 覚
。
県行造林は昭和三十五年度
と し て い ま す 。
る
幼 令 林 が多 く目 下 撫 育 を 必要
部分林は五年ー二〇年牛で
管 理 を する
業 を行 ひ 価 値 あ る竹 林 と し て
が 得 ら れ る 土地 は計 画 的 に施
い る が 地形 、地 質 によ り 良 竹
で 竹 林 の面 積 が 喊少 し て きて
方 針 によ り 人 工 造 林 をし た の
得 る こと が出来 な く又 国県 の
竹 林 は皆 伐 す る た め 良竹 を
努 め るよ う 計 画 し て い ま す 。
炭、椎茸の原木として確保に
崩 芽 更新 等 撫 育 を し て 将 来 木
箇 所 は伐 採後 も 持 続 す る た め
木 ︵ 楢櫟 ︶等 が集 団 して い
て おり ま す。 尚 品 質 の 良 い 雑
造 林 及 び天 然 生 林 べ と 移 行 し
木地 の面 積は 年 々減 少 し 人 工
度 より 拡 大造 林 の た め不 良 雑
ほ ぽ同 じで あ る が昭 和 三 〇 年
広 葉 樹 は各 令級 別 の面 積 が
研 究 して 行 け ば 、結 構採 算が
牛
又 木 炭 は 、三 百 俵で 約 十 一
水
申 に取 り 入 れ る べく 、 農 家 十
蓮 . 万 円 の 収 入 を 得 て居 り ま す。
貉 成 す ぺ く 今 全 力 を あ げて 作
三 戸 の共 同 経営 と し た の で あ
先 ず原 木 は町 有 林 を四 十 二
業 奇急 い で お り ま す 。 此 れ ま
春 来 れ ば 畑 耕 さ ん 野 良 着 縫 う
万 円 で 三 十 五 年 秋 入 札 で屓 う
れば 、 大 体 二 か年 分 の 労 力 投
役 、女 四 五 〇 人 役 で 個 人で や
資一 戸 一 万 五 千 円 と 共 同 借 入
資 と な り ま す 、資 金 は 現 金 出
の 近 代 化 資 金 九〇 万 円 で 全 員
五 年 を 初 年 度 と し 、原 木二 百
き一次五ヶ年計画を立て三十
い て 、 資 金 、 労力 の 亊で 聒 合
で の 労 力 は 全部 で 男 六 九三 人
椎茸 の 乾 燥場 も5 月 末 に I棟
花
仙
仙
事の出来、全員集会を度々開
り ます。
梨
仙
を 贈 り 幸 祈 る
雲 雲 愁 と い う こ と を 知 り 恋 を 知
選 者 梨 花 と 云 ふ 雅 号
春
り 雲 孫 の 年 彼 岸 が く れ ば 満 二 才
”
石種菌一〇万個、二年目に原
が 平 等 の 権 利 と義 務の も と に
い つ で も い い で す か
木 三 白石 、 一 五万 個 の打 込 み
全能 力 を 注 込ん で 居 り 今 秋 迄
・
を 本 年 一月 末 で完 了 しま L た
に フ レ ー ム ー棟 を 翹る 計画 も
雑 詠 を
五 年 後 に は大 体 ホ ダ 木一 八 〇
進 めて 居 り ま す 。新 生 運動 と
句 し て 下 さ い
品質の向上及老人等軽労仂者
〇 石 保有 と 年 二二 〇 万 円 の 収
、 公 民 館 へ 投
にても出来得る作業もある利
入 を 目 標 とし て 一 次 五 ヶ 年 計
ら
点 を 考へ 農 業 経 営 との 労力 配
度 の 分 は今 年 二月 末で 全部 ホ
は 洫 扛 良 き 生 活 を す る た めに
増 大 を図 る には ま だ 研 究 の 余
栽 培 に より 農家 の 現 金 収 入 の
地 が 多分 に あり ま す ので 日夜
ダ起 し を 完 了 し ま し た が一 ヶ
思います。
研究を続けて居ります椎茸需
・
亠
人
一 S
・ 教贋的 な輿攝ご は拂の充哭
をはか力、教 育費をより多 く
投入 すれば形の上の構成は可
︵ 以下三面 ︶
物
福 `の 場 の 建 設 に協 力 す る
を 企 画し 相 互 提 携 して 町 民
歩 に 期
る。
゛
r
待
す
一
三 、生 産 と社 会 教 育 との 握 手
と れ .畜 産 がひ ろ ま るの で は
か 平
出 荷 し 春 に な っ て毎 日 どん ど
を し 後 作 に早 麦 をま き 、十 二
瞼 ゆ 重
。椿 呎 ぎ だ や ぎ に け り 峠 道
九 子 4 孫の まひ 且 恋 し鱆 珊 り
一
゛
理 科 学 ぷ子 等 の 小川 や 水 温む
旬
一 宗頭 出 身
ん 大 念 く 成 って 居 り ま す 。
早 期 栽培 によ り 予 約 米 の達 成
清風 句 会
三月分
長 畄 守 の 庭 に紅 梅 叺 きほ こ り
千 代
か ら 傘 に 富た くつも る春 の雷
轢 と り長 しと 思 う妻 の 翦
元
九 重
大 寧 吩 大内 哀史 春 寒 し
無 名女
耕 し の 疲 れをい や す掃 の笑
病 ひ A 匐一と い わ れ し 風 邪 に 五 十 も
・ 翁 .
立 つ 湯 気に 心 も豊 か二月 尽
たけし
旅の 子 も 風邪 にふ す らひ 便り
伯国キンパウロ州サンパウロ市
パカエンブ区ドツトール
マーエールマリヤ トリンニ. 九一八
一金二五〇米弗 上利新吉氏
邦 貨 八 九七 二 七円 也
右の金額を三隅中学校に送金寄付さる。
が 、 それ も 完 全 に 農 業 経 営 の
て 椎茸 を や る事 に し た の で す
な い かと 物 色 し た所 ﹁ 楢 崎 牛
・
3椎茸の共同栽培
の とれ る畜 産 に進 むよ う 研 究
将 来 三万 本目 標 に頑 張っ て 居
椎茸 栽 培 の 増 進 を計 画 し て 居
考 え 、経 済 的 な 優 良 牛 を飼 わ
り ま す 収 穫 も早 い も の は 昨 年
り ま す。
ね ぱ なら な い 。 こん な牛 はい
努 力 して い ま す. 現在 牛の 値
本町の農業経営
は下 l 気味 だ が . 売値 と 経 費
変 りつつある
こ れ か らの畜 産 は所 袒 柚 粕 を
ま す。 肥 料 代 を 節 約 し耕 地 を
そ れで 肥 料 6 飼 档 も沢 山 いり
( 2)
年 4月1日
昭 和37
報
広 隅 三 ( 第66号)
上利 新吉 さん
有 難う ござ い ます
伯され幾条の珀苦とたたかわ
御出身で今から四十八年前渡
日消光 各自の天与の務を
≒⋮⋮其後拙宅一同無事日
上利新吉さんは本町宗頭の
れ今日の伯国に於ける大宅地
励 ん で いま す ⋮⋮ ﹄
られた文面に⋮⋮ ︱
王といわれるまでの地位と財
・・三隅中学校も開校以来
より文通を続けています。常
中原蓬先生にかれって六年前
私は一面識もありませんが、
力 を 獵 摶 4
未 来 の 日 本の 運 命 を荷 う青
移住発展の様子、こうした
の天 地 を求 め て国 内 各 地に
毎年巣立つ卒業生等も各自
益 々 隆 盛 、子 弟数 も激 増 し
れ た 方 で あ り ま す
に祖国日本のことを思われ郷
毎 驟の 人 々 か 各自 勇 気と 慵
を 求 め るこ とは 郷 土 の為 に
地社会に已の清黻跏進の地
精神の実行者とな叭広き天
。熟4以つて自力更生の開拓
土三隅のことが気にかかるよ
うです。
今までに度々伯国の書物や
写 真 そ の 他 歎 一灯 の 品 物 な ど 送
い
た が 、 今 回 は
っ て 下 ざ いt
金 い た だ き ま し た 。 ほ ん と う
貨約九万円)三隅中学校に送
送金最高額の二五〇米弗(邦
展 す る 亊 は唯 当 事 者 自 身 の
え て 海外 に 勇 飛 朏 躍 移住 発
年 が百 尺 竿 頭 十尺 万尺 を加
す 。何 卒 こう し た日 本 の 青
i 大変 崙 ぱし い亊 と 思 いま
に 有 難 う 御 座 い ま す 、 こ の 金
未来の生活の安定及家族子
う に
は目下工事中の運動場が完成
孫 の幸 福 を得 るに 止ら ず 、
次 の 文 面 に 毟 劣 り ま す よ
い た し ま し た ら 体 育 器 具 ︵ 野
他 面 日 本 民族 の 過剰 人 口 の
し た い と
球バックネット)にして上利
志 を 生 か
る 一石 二 鳥 の方 策 一人 で も
さ ん の 御 芳
に 寄 せ
族 の世 界 発 展 の礎 石 と も な
と 共
調節ともなり禾来の日本民
利 さ ん か 送 金
様万と起居をともにする者で
御ざいますどうぞよろしくお
ひ き ま むし を お願 い申 し上 げ
ま す 。私 はこの 途 に奉 職 し ま
^の 万 ほ とん ど下 関
し て"6-こ
で 勤 務し i した ので 御 当地 は
全 くの 未 知で ご ざい まし て 兒
るも り聞 くもの 珍らし くい ろ
い ろ 勉 強 した いこ と ば かり で
ござい ま す。 さい わ い に 当 励
は地元皆様万の御理解ある御
援 助 により まし て 誠 によ く整
備 さ れて おり 且 つ 電 話の 普 及
⋮ ⋮中 学校 と し て も そ の教
な い民 族は 蓑亡 す る⋮ ⋮
い ま す。⋮ ⋮
⋮ 世界 に 発 展 し
拓 精 神 の養 成 が必 嬰 か と 思
命 を自 ら の 手 で 開 拓 す る 開
国 心 、 勇 気と 決断 、 已 の 運
青 年の 人 々も その 高 度 の愛
いか と思 い ま す 。
年 の 課 題 で あり 使 命で は な
展 す る こ と こ そ昭 和 日 本 青
い ま す 。 僅 か な がら こ の 寄
の 社会 に 大 な恩 義 を感 じて
日 まで 生活 して 来 ま し たこ
心両 面 大 変 御世 話 にな り 今
伯四十有八年各社会から物
来なくなりました・・私も在
額二百五十米弗以上送金出
令 し昨 年末 より 一 個 人 最 高
限 す る た め封 為 替 政 策 を 発
き ます。 伯 貨 海 外渡 出 を 制
額 で す が送 金い た させ て 戴
能 で あ り然 か も 一 家 の 生 活 も
戸当り三反歩程度の管理は可
である事が確言出来ます。一
醉儼 觀 な 舞 査 の結 果養 鰻 適 地
次 に 組 合 員 の 耕 作水 田 の大 半
この 日 は 近 い 事だ と 思 いま す
る事 が 先 づ第 一で あり ま す が
リ 養 殖で フ ル に 海面 を利 用 す
海 岸 から カ キ 魚場 迄の 間 を ノ
けれぱなりません。
漁 場 荒 廃 と云 う事 を 予 期 し な
で は 、万 全 を期 し 乍ら も 万 一
居 ま す が 、限 ら れ た狭 い 漁 場
育 の重 大 さを 痛 感 さ れて い
附 も 当然 と 存 じ ま す・
・
・﹄
充 分 出来 る利 益 率を 示 し て 居
学校の設備費として甚だ少
る こと を 拝 察 す る
以 上 で も 上 利 さ ん の一 面 がう
ま すJ 最 も難 点 は 、養 殖池 の
多 くの齔 外 楽天 地 に 移 住 発
私 も今 日迄 伺 一 つ 郷土 に助
かがわれます。 ﹁三原﹂
施策も遅々として進まず歯が
到 底 不 可 能で あり ま す。 国 の
翕已 負 担で は 零細 な 資 本 で は
程 度 の 施 設 費を 必要 と し 全 額
造 成 に 一 反 歩 当 り 約 六十 万 円
力 出 来 な かっ たこ と を 衷 心
恥 じて い ま す 。 今度 三 隅中
こ れから の
準 業 改 善 の 構 造
い くも 耐 まり ま せ ん が万 難を
い に奨 励 して 居 る訳 で あ り ま
こ で 夏 柑 適地 の 開 園 新 植 を 大
の 意 図 す る処 で あ り ま す 。 そ
濟の確立に資する事が当組合
じ て の 構 造 改善 を 図 り 家 庭 経
漁業のみの改善でなく漁村と
す 一 方 基 本 的 な 考え 方 と し て
業 形 態 の 選 択 が 必要 で あり ま
要 し な い 即 ち 利 益 率 の 高い 漁
に安定度が高く多くの労力を
当 地 区 漁村 構造 改 善 の 構 想 の
せたい現実の夢であります。
知 れ ま せ ん が 必 ず 早 期 実現 さ
それ ら は 遠い い 夢 で あ る か も
げ、幸福な生活、平和な郷土
的 な 地 域 特 産 三 億 円 の 水 揚
協同 の力 の 結集 によ る半 永 久
ま す。
町 歩位 は是 非 やり た いと 思 い
面 積で は利 益 が 薄 い の で 五 十
大 資 本 と 提 携 す るな り し て 小
排 して 之 を 獲 得 す る か 、 漁業
す 。 真 珠 カ キ は現 在 馘 に 好 調
一 端 に ふ れま し た。
我 が国の産 業磯構 や社会情
勢からで もあるが、最近の中
卒の 就職 者が漸次増加しつつ
あ る傾向にある 。
今年 からは中 学校生徒の9
増のため進学者も増 加の一 途
をたどり 、三隅中で もこの 傾
向 にも れず今年の進 学率は七
%就 職率は二十二%といった
実情で、こ の三隅の土地 に居
残る者は僅か七、八名の四%
に過 ぎない。
本 町の産業経 営︵ 特に農業
経 営︶の改善は勿谿 。匐会問
鴕としても今後に誅せらわた
長門メタリコン.二‘
ベアリ ング .一
稲森工 業 二
吉田硝子 一
鐘 紡 一
五味紡績 二
日本化学 二
林 兼 三
その他 五
一 岡山 方面 一四
赤崎 紡績 二
尾崎〃 三
丸万〃 三
明石〃 一
石井〃 I
神 馬 織 物 一
丸 信 興 業 一
倉 敷 紡 績 一
そ の 他 一
一 福 岡 、下 関 方面 三
一 萩 市 、 長門 市 内 七
一 三 隅 町 内 四
一 家 庭手 伝 八
れ る 場 合 は 路面 の状 態を 検
3巾員狭少な町道は車軸を入
いこと。
2 路上 に交 通 陣害 物を 馘 かな
道 路愛 護 と井 せき の管 理
一 、 道 路 贄 護に つ い て
道 路 は 産 業 発 展の 動 脈 で あ る
と共 に日 常 生 活 に 直結 し に大
き な 役 割 を 果 し てぃ ま す が こ
。ん だ 畤 は入 れ な い こ とと 平
討 し 損 傷 又 陶で 谿面 の ゆ る
な く ぃ っ亠 完 全 に利 用 出 来 る
常の場台でも積載量を減ず
の 重 要 な 道路 を 使 ふ ば か りで
よ う I人 く が 道 路 愛 護 に 心
る こ と、 こ れ は 部 落で 阯意
万 五 千 円 と な り ま す ので 小 修
益 負 担 は百 万 円 の 工 事 で拾 七
補 助 金 を もっ て 施 工 し ても 受
者 が 当 る べき も ので あ り ま す
出 来 る 限り の 管 理は 当 然 受 益
得 る 為 め の 米 作 りで あ るか ら
ぎ た 考 えで あり 自分 の 収 入 を
ま す こ れ は 補 助 政 策 に な れ過
い ふ傾 向 があ る よ う に思 はれ
から被災まで放置しておけと
害復旧でなければ補助がない
R 前 に災 害 を 予 想 さ れ て も 災
す も の があ り ま す 。
には 出 水 期 ま で に は 補 修 を要
大小の損傷をうけていてなか
三 隅 川 の頭 首工 の 殆 ん ど が
二 、 頭 首 工 の 管 理 に つ いて
しないこと 、
4 ア ス ファ ル ト舗 装 上 に掫 水
し て下 さ い。
が け ま せう 。
道 路 愛 護 は 補 修 ばか り で な く
道 路 を大 事 に 使 ふ ごと 交通 の
防 害 、 障 害物 の 除 去 、或 は水
ぁ り ま す が要 は 道
溜 り を な ぐ す る為 め 、水 切 り
等いろ く
路の機能を完全に発揮出来る
よI に す るこ とで あり 国 道 か
ら 部 落 道に 至 るま で 自 分 の 為
めと 思 っ て 愛 護 し て下 さ い 。
町 道 だ から 町 ま か せ 、い くら
路 面 が悪 く なり 不 便 を 感 じ な
がら も 放 置 さ れ 、町 道 、県 道
だ か ら と 要 求 ばヵ り で は& 備
は 出 米 ず 鯲 修 か お く れ れば 直
接 困 る の は 関 係 部落 で す 。 最
近土手、市部落の側溝改修、
追分部落の路面補修等部落民
が 積極 的 に 労 力 奉 仕 で 協 力 さ
わ 愍 謝 して ぃ ま す が こ の よ う
に 自分 達か 恩 恵 を 享 け る 道 だ
こ 進 学難 ︵ 二 ︶就 職 難 ︵ 三
供で こわ 力ら の人 生 杤 路中 ︷
護作業に協力を願ってぃます
定 期 的 に は春 秋 二 回 の 道 路 愛
下 さい。
と い ふ 弘持 に 心っ て 協 力 し て
て下 さ い 。
頭首 工 は受 益 者で 充分 管 理 し
い ま す の で 多額 の経 費 を要 す
じ た 場 合 の 損 失 は 大 きい と 思
間を娑し灌漑用水に支障を生
た方 が 経済 的 に も得 策 で あ り
理 、補 強 工 事 を 自 力 で 施工 し
︶ 結 婚 難 の三 大 凶 釦 の あ るこ
が道 路 整 備 は各 人 が 道 路の 持
か ら 自分 達 の手 で 補 修 を す る
と も予息される。
つ 大 きい 使 命 を 認識 し真 に 道
を願 い ま す 。
事務所長来町
︵一月 ︶
五日 油谷町長、大 津教 育
人物往来
又 災 害 復 旧 の 場 合 は 札 当 の期
中 学卒業生の就職先
一 東 京 都 、家 政 そ の他 二
1 道 路 側 溝 は関 係 者 や 部 落団
路 を 紮し 鵯に 次 の 点 畄 意 協 力
一 岐ふ関か原石材 一
り を 行 い 路面 の 乾 燥 を 図 る
一 名古屋荒川工場 一
一 大 阪 方面 計 一 九
体 で 常 に 清 掃 又 路 肩 の 水切
准看養成所︵山陽荘︶三 △ 山口県職業訓練所 五名
今 年 の 卒業 生 は 終戦 直 後の 子
お考え願いたい。
には一万円前後になることも
千 円 前後 で あり こ わ が 一 年 目
工 場で の月 収 入 は 大 体 七 、 八
尚 中 学卒 生 の 就 職 者 の 会 社
表 L に 登載 し て 参 考 に資 し た
さ ん に 知っ て 戴 く 意味 で 一別
中 高 の進 路 状況 を みて
で あり 年 々事 業 量 が増 加 し て
小 島漁 業 協同 組合
三 隅 電 報電 話 局 今 城 源 次
あ い さつ と い だし ま 嚀
何 なる而に就職が多いかと皆
様 に 御 願 い申 し 上 けま し て ご 大 なる問瓱で はないかと思わ
わる。
一 応如 何なる傾 向にあり如
と 御 支 扱 を 黼 りり ま す よ う 皆
す ど う ぞ 今 後 共 旧 倍の 御 愛 顧
ぺ く 努 力 す る 所 存 で ござい ま
上 に 意 を そ そ ぎ御 期待 に 副 う
電信電話のサービスの維持向
で ござ い ま す 。こ の 上 は 専心
と 抔 察 し 感 謝 に堪 え ない 次 第
して も類 似町 村を し のぐ 状 況
も 全国 平 均 ま で は ゆ か な い に
地 域産業の振興は、立地条
件、住民 性、労仂条件等綜合
的な幾多の要 素の上 に成り立
つ事 を忘 れてはならないと思
いま す。特に工 業立国の方針
下では資本 が都市に集 注され
る結果必然的に田 舎の人口 が
減って行 く事 を考えねばなり
ま せん。従来第一次 産業の中
で も最も不 安定な漁業の中か
ら安政度の高い形態の漁業え
と移行する必要 があると思い
ます。網漁業を主体として細
々と生きて来た当地区がいわ
し流刺網の最盛期に僅かば か
り の繁栄を見 たが、真珠カキ
を主体 とする浅海増殖えの移
行に深 い谷間を作らなかっ た
事 は幸 甚と云はねば なり ませ
ん今後の課題は先に述 べた様
( 上 利新吉さん)
考えています。
上
謹んで着 任の ごあ
い さり申し上げま
す。 私 こ
とこの度 はからず
も三隅電報電話局
長を命ぜられこの程着任致し
あ い さつ
ま し た 。こ れ から 三 隅 町で 皆
長、長門警察署長、長門
一三日 油谷町長、日置村
来 町︵ 消 防出 初 式 参 列 の
市 大 津郡 各 町 社 消 防 団 艮
ため︶
十 七日 ”長 門 土 木 出 張 所 長
来町
二十三日 長門家畜保健所
出発 ︵ 全国 恩 給 組合 長 会
長外一名来町、町長上京
議出席及建設省他各省に
対する事業推進陳情︶
土木出張所長、山口行政
三十日 県港湾課長、長門
監察局より係官四名来町
(二月︶
主事来町︵新生運動地域
二日 県新生運動協会岡本
研究会のため︶ .
三日 長門家畜保健所長.
前日置村長 三隅電報電
話局長来町︵退職並びに
転、就任挨拶のため︶
十日・阿武社会教育事務所
主事一名来町
十三日 町長上京出発︵各
省 に対 す る 新 年 度 予 算 陳
情 のため︶
町︵転任挨拶のた め︶
十七日 正明市保線区長来
名 来町
二十 六 日 秋 芳 町 助 役 他 二
町
.二十 八 日 長 門 警 察 所 長 来
二 日 山 口 大 学 農学 部 木 塚
︵三月 ︶
教諭米町(畜産経営につ
いての講演のため)
町
七日 長門家畜保健所長来
二面 より 続 き
能である。本年度の教育予算
は本町伝統の教育重視の方針
を反映して柤当額計上ざれて し か し 、教 育 効 果 は物 的 条
は な い 、家 庭 教 育 は そ の 両 親
︰
件 の整 備 だ け で 上 が る も ので
に ’
あり 、 学 校 教 育 は 教 育 的 精
神に徼し、教育秩序を正し、
み そ の 卯 ぼ 結 ば れ るヽ 関 係 者
研 修 に は げひ 教 師 によっ て の
は﹁ 親よ 、 教 師 よ 、教 育 に最
善 の 努 hりを 注 げ と の 声 な き
声 ︵ 町 内 に み な ぎっ て い る ︶
を 岷 勿 : う け し・め て ほ し い も
のである。︵三隅町教育長︶
土手一町道( 県道) 市道路補装工事( 森林組合前)
( 第66号)
昭和37年4月1日
三 隅 広 報
( 3)
洋裁科四Ξこ夕 四九六夕
転換 期 に立 つ
青 年 学 級
来る四月から第十三年目の
社 会 科 Ξ 四 時 間 一 六 二 名
豊原分館
習 字 科 四 一7 こ こで 、ふ り 返っ て 反 省 し 今
新 しい 学 級 が出 発 しま す が 、
後 の 活 岫 に備 え た いと 思 い ま
生 花 科 六
︵ ︶夕 一 八 八 夕
二四四名
す。
社 会 科 四 五 夕 二 ご 7
習字科 一言プ ニ︵︶八夕
在村青少年の激減と字ぶこ
と だ の 魅力 の 欠 らが叫 はれで
生 花 科 四 二 / ︷ 一 三 々
道 を 剿 凡る と共 に 。父 兇 の皆
芸能科 四こ夕 二六一々
機 工 科 四︷ 々 九 四 夕
社 会 科 ご Ξ 夕 一 三 八 々
浅 田分 館
いる昨今。三十六年度の歩み
を 眺 めて 、 その 中 Jら 靹 しい
様 の 理 階 め る 區刀 を切 塾1 る
ハ ミ リ 映 画 が県 内 に流 さ れ
放送 で 、活 動 状 況 を納 めた
ら し い 生 活 をし て 行 く に は ど
るか と い うこ と 、 お 互 が人 間
よ い 人 生 を求 め る若 人 達 の 求
理 解 を深 めま し た。 次 に恒
例 の 産 業 祭 に は 青 年 館 、生
6い か と か い う よ り
う し た ︲よ
花 館 展 示 、4 H C は鶏 の解
みま せ ん・
。
れる こ と を 心か ら 念 願 し て 止
青 年 団 に 入団 し 学 級 に 入 学 さ
場 所 で あ るこ と を 銘 肝 さ れて
不 断 に 創 意工 夫 の 加 え ら れ る
道 の 場 所 で あ るか ら 、 学 習 上
体 競 技 、 家 政 部 は 婦人 の料
理 コ ンク ー ル に参 加 し ま し
た 。
研 修 旅 行 は
総 務 部 三 泊四 日 で 大 阪 奈 良
京 都 松 江 大 社 方面 へ 二三 〇
名 参 加
︵ 卓 球 大会 賞 状 授 与 式 ︶
月八日日置小学校にて開催
町 内 より 選手 を 選抜 して 三
スタ ート し 好 記 録で 優 勝 を
一月 二 十 一日 萩公 民 館 前 を
一般の部
し て 幸先 を飾 っ た
日置A二勝一敗
A リ ー グ 三 隅 二 勝 一 敗
一位三隅青年団
尚 区 間賞 は三 区 山 根 、四 区
二 時 間四 三分 四 二 秒
三 位 萩 経 理 学校
二 時 間 三 一分 二 九 秒
二位萩明倫青年団
二 時 問 二 二 分 二二 秒
向津具一勝二敗
石 原 一 勝 二 敗
Bリーグ 川尻 宇津賀
日置 B 菱 海
日没 の た めAB の 決 勝不 能
にて 次 回 に持 越 した
・婦人会卓球大会
上田、五区朝枝、六区森永
二 位 油谷 町 青 年 団
二 時 間 九分 五 七 秒
一位 三 隅 青 年 団
て あっ た。
記録で優勝充実したレース
除き 区 聞 賞 を取 り 。 大 会 新
録 を 樹 立 す る程 、二区 間 を
ア ン カ ー山 根君 が区 間 新記
大 会 も誠 に好調 で 一 区 朝 枝
一月二十ハ日萩に続いて今
町 村 訪 問 駅 伝
△ 第 九 回 長 門 大 津 市
三 月 四 日 二十 才 三 十 才 四 十
小 島部 落 チ ー ム が優 勝 し た
チ ー ム勝 抜 い た が 、綜 合 で
豊原 ︵ 沢 江 ︶小 島 の 各 三
四十才 台
野波瀬
︵ 小 島 ︶ 市
三十才台
中村土手
下 中 小 野 ︵小 島 ︶
君 で あ る。
正楽寺
△婦人会バレーボール大会
才と年令層毎に試合を開催
水 産 部 はま ち 養 殖 へ 二三 名
ー ル
参 加
研 修
講 演会 に四 九 名 参 加 して
ー ボ
二 十 才 台 ︵ 優勝 ︶
冬季 のス ポーツ
バ レ
二月 十四 日 に一 般 丿眄 こ同
を 沮姶 しこ
じ 様 に三 会 場で 同 時に予 選
三 月 十 一 日 、ニ ケ洌 で りI
・一般卓球大会
滝坂 兎渡谷 樅の木
二 時 間 二 一分 二 六 秒
三 位 俵 山青 年団
・二時間一六分ニ一秒
四 位日置青年団
△ 第 十 回 北 浦 駅 伝
、二月十八日豊北町において
開 催 、 八区 間 五二 粁 を九 チ
ー ム参 加 レー ス 展 間 を面 自
二区森永七位より五位に進
く、順位の変勵めまぐるし/
ヽ
て 冰 年 も 素晴 じ い記 録 を 残
出、三区木原もよく健斗し
果 を収 めて いる 伝 統 を 守 つ
・ 青 印 は 駅 伝 に 輝 か し い 或
△ 第 十 二 回 萩 駅 伝
三位土手中村B、市〃
二位下中小野A 〃
白 熱 し た 試 饐 を展 開 し た。
一位土手中村Aチーム
ム。
が卜 ・ナ メン ト をほ い 、
グ戦を行い各 。
一位 迄 の四 チ
東万
︵浅田会場︶小島 浅田 下
土 手 久原 大 竹 正 楽寺 野
波瀬
上 中 小 野 下 中 小 野 中 村
︵中学会場︶上中小野 豊原
︵宗頭会場︶ 一瀬中畑 宗頭
ボ ー ル 大 会 一日︵日︶ に開催した。
兎 渡 谷
︵宗頭会場︶滝坂 一瀬中畑
宗 頭 正 楽 寺
豊 原
市
る こ と と して 昨 年 十 一月 十
と し 、同 時刻 に予 選 を 始 め
ろ み とし て 、 町 内 を三 会場
初 めて の ここ
△第一回町内部落対抗バレー
○
農 業 部 家 政 部 は小 倉曽 根 の
酪 農 見 学 に 三 六 名参 加
会 県 内 県 外 の 各 種 研 究 会 お り 何 れも 四 日 乃至 一ヶ 月 間
に R つ て 学 ん で 帰り ま し た 。
視 察 来 町 に つ き ま して は
五 月 大 内 町 青 年 学 級 生
七 月 秋 芳 町 青 年学 級生
八 月 山 口 市 十 王 青 年団
九 月 神 奈川 県 国 内 畄 学 生
十二月美称市豊田前青年団
。が あり 交 歓 会 を 持 ち ま しだ
三月岐阜県国内畄学生
別 々 の行 事 を行い 会 食 は
縦 木 中 村 大 竹 久 原 ︵ 中 学 会 場 ︶ 下 中 小 野 て の 素 材 が あ るも の で あり 、
野 波 瀬 土 手 その 素 材 は 同時 に よい 教 材 と
漁 村 の 生版 ぞ の も のの中 に 凡
そ こ で 、学 習 はあ く まで も 農
本年二月学級生大会四九
共にしました七五名参加
家政部の研修会を合同で
六月農業部の研究会
八四名参加
五月文化部の一泊研修会
と して
次に町全体の分館合同学習
生 花 科 ︵︶五 夕 Ξ 二 三 夕
料 理 科 三 五 夕 九 八 々
習字科 二四夕 ’二一々
も の で あ りま す。
先ず分館別に見ますと
宗頭 分 館
科 目 延 時 間 参 加延 人 員
名 参加
三月岐阜県国内畄学生との
油谷 町12, 300 2, 600 100 分 の2 1co 分 の8 290 600
各会場選出の四チームが中
’
があった畤は必ず国保係まで届出られるよう亂願いし
沢 江
あ り ま す又 被 保険 者に 転 入 、 転 出 、出 生 、死 亡 苟 移 動
︵ 浅 田 年 場 ︶ 浅 田 長門市18, 300 4, 400 100分の2, 4 10〔〕分の] 0 420 750
人 人 円 円
三 隅町 6. 1C0 1, 100 100 分 め1, 5 100 分 の7 280 550
央で 決 勝 を 行 い
よ い 、 保 険 税 は 納 め な く て も良 い と ゆ う こ と は 出 来 ま
し てい 整 理 さ れ 、再 び在 郷 の
被 保険 被 保険 者 税 率
者 数 世 帯 数 所 得 割 資 産 割 均 等割 平 均 差
優 勝 宗 頭
lせ ん 。 あ く ま で も大 き な 社 会 福 阯 と 助 け あ い が 目 的 で
各 会 場 の予 選 で 残 っ た 四 チ
率を上げても大津郡内の町村,長門市にくらべるとま
し た ・∠
( 婦 人会卓球大会)
中 に 還元 さ れる も ので なけ れ
だ 最 低 にな り ます 。 そ の 比 較 は 次 の とお り とな りま す
市 家 庭 は 病 気を し な い か ら国 民健 康 保険 に 入 らな くて も
ー ムに 、中 学 会 場 に 参 集 し
保険 税 の 納 入成 績 が悪 い と医 療 費 の 支払 に も困 る状 態
合 同 研 修会 Ξ 二 名参 加
‘:
以 上 の 棣 に分 館 に おけ る 学習
は県 下で も1 人 当 り の 保険 税 が 最 低 でし たが 此 の 度 税
次勝 正楽寺大竹 浅田
で す か ら 必 ず 納 入 期Ei ま で に 納 め て 下 さ い 。 又 自 分 の
ば なり ま せん 。 そ の た めに 学
芦平均割は1世帯当り450円を550円になります。今まで
@第一回郡連合婦人
会大会
御存 知 の よ う に国 民 健 康 保 険 は 特 別 会 計 で 倆 険 税 の納
と、町内合同学習を綜合しま
大 竹
入 に よっ て 毎 月 医 療 費 を支 払 わな け れ ば な り ま せ ん。
。て 貰 っ て 決 勝 を 行 な っ た 結
浅 田 なお平均1人当り税 長門市( 1, 197円) 三隅町( 760
円) 日置村( 915円) 油谷町( 6so)
果 り ま す。 所 得 割 は 今 ま で と 同じ く100分 の1, 5 資 産 割 は
市
100分 の5 を100 分の7 に 。均 等 割 は1 人当 り240 円 を280 円
宗 頭 たた め 昭 和37年4 月1 日 よ り 国 民 健 康 保 険 税 の 税 率 が 上
優 勝 10月1 日 よ り 世帯 主 の 結 核 と精 神 病 は七 割 給付 とな つ
次 勝 国 民 健 康 保 険 率 の改 正
げ て行 くか とい う こと 、我 家
昭和36年7月1日および10月1日よりの医療費の値上りと
を如 何 叫し て 明 る い家 鉐 にす
1被保険者個人別に保険料納付カードを配付しま・すので
こ の カ ー ドに 保 険 料 を添 え て徴 収 員 に 渡し て 下 さい
農業料 二○時間 四五名
マ て 肺障 す・
る と とを 確 約 し て い ま す
級 は 構造 改革 に 取り 組む こ の
ま た4 月 か ら 保険 科 納 付 方 法 を 次 の よ うに 改 め ま す
の で 庄意 し て 下 さい。
料 理 科 四 五 々 ・一三 二 ″
方丿老後や不時の臾難(母子,障害)に国が責任をも’
町 を如 何 によ り よ べ っ く力 上
な い 方 も全 部 納 め ら れ次 第 完 納 通 知 書を差 し 上 げ ま す
本 館 フ し 个
掛 け て 枷 を す る と云 う考 え 方 は 全 く 鴎 代 お く れ と な り
す と 、 総 開 講 時 間 ︸’二 九 八 時
て い る 方 は 除1, ま す )ま た現 在 保 険 料 を 納 付 さ れ てい
社 会 科 四 三 時 間一一〇 八 名
・国民年金制度も再度の法改正により現在では保険料を
向 延受講者数Ξ八Ξ六名で
し七置いてyさ・, ヽ。(畄し国民年金手帳を個人が持つ,
七三 名
れた方には国民年金保険料(昭和36年度分)完納通知
農業科︵豊原、浅田と合同︶
お 知 ら せ
四 位 に唯 一 人 の 区 間 賞 者 五
区大草三位に、後はアンカ
力 走 ゴ ール コ籵圸 点 で 二 位
ー山恨に希望を托し力走叉
の下関鉄道クラブ︵昨年優
勝 ︶ を 挺 え で りま ま ゴ ー ル
一 週 向合 いの 成果 を発 揮 し
ま し に。
一位神戸製綱長府工場
二 時 間 五二 万四 六 秒
二位三隅青年団
二 時 間 五 六 分 ○ 三 秒 。
三 位 下 関 鉄 道 クラ ブ
二 時 圓 五 六 分 一四 秒
△ 第 一 回 部 落 対 抗
駅 伝 大 会
二 月 二 五 日 滝 坂 公 会 堂 より
決 勝 点 と して 開 催 。順 位 の
各部落を訪回しで公民館を
変 動 も 多く 各 部 落 必 全の 声
ク
援 毬 に 充 実 し た レ ー ス を終
っ た
一位土手中村久原広田チーム
ニ位沢江小島下東方〃
三 位 野 波 瀬 室 生 四豊原二条窪上東方〃
五位浅田平野上ゲ 〃
六位滝坂一の瀬中畑〃
七位下中小野、上中小野、
辻並、麓 〃
ハ位宗頭樅の木兎渡谷〃
九位市生島津雲飯井〃
田 中 ユ リ カ 七 二 才
山 本 道 江 六 才
一一 名
吉凶 だ より
・ 出生の部
一月分 二四名
二 月 分 宗 頭 一月 分
・死亡の部
豊 原 三隅病院佐藤健一 三五才
本籍は小野田市大字有帆一四
七四番
宗頭 沖村良吉 九一才
野波瀬 岩本チヨ 七三才
豊原 入田花子 ○
中村 増野梅蔵 六八
厚狭郡山陽町大字山川六六二
番地で死亡
野波瀬 水野ヒサ ハ五
宗頭 山田シマ 六二
山 本 キ シ 七 九
長門市西深川三三七五番地で
死亡
豊 原 横 山 光 春 四 三
長 門市 東 深 川 九四 三 番 の 四 地
で死亡
宗 頭 ○
野 波 瀬 鼻 野 ト シ 七 一
二月分
辻並 松浪金蔵 八五
宗頭 宗本季補 七〇才
上げ 国光ヒサ 七二
横 山 吉 治 郎 七 〇
河 内 イ シ 七 一
滝坂 堀田道輔 五六
上 中 小 野 篠 原 道 雄 豊 原 、
`
宗 頭 兎渡谷 西村国蔵 八八
下関市大字豊浦村三一七〇番
地 で死 亡
中止
但 し 火曜 日 が祭 日 の 場 合 は
験 試 場 、 長 門 保 健 所
九 時 三 〇 分
試 験 日 、 毎 週 火 曜 日
自 衛 官 募 集 試 験
豊原、 村岡ツル 六八
下中小野 杉山チャウ 八八
( 婦人会一般バレー大会)
よ
ま す こ の他 九 月 にNH K の TV.
書を嘱託員を1皿6t ・差し上げ翦ヽますから大切に保存
﹂二=7 保 険 料 は 必 ず 毎 月 き ち ん と納 め まし よ う
あh
﹁ま す
`まだ昭和36年度分の保険料を納めていない方・は是非
料 理 科 三 一 夕 二 九 三 か
の 制 度 は だλ だ 人改 善 さ れ皆 襌
まQ・ だ。ま だ 今 後 に
の2 1co 分 の8 300 e00
日 置村 5, 000 1, 1c0 1009
茶 道科 六 九 夕 一一
八九 か
と匈臧4月中に納めT(7yさい6すでに保険料を納めら
公民館 の 窓
生 花 科 六 九 々 一 九一7
( この カ ード を 見オ1 はr L タ カ 伺 月 剪 ま で 納 め てい る
か 直 ぐ わか る) l
( 4)
昭 和 37年 4 月 1 日
三 隅 広 報
( 第66号)