Gyalmo Kangri(ギャルモ・カンリ)登山報告 学習院輔仁会大学山岳部 1.概要 学習院輔仁会大学山岳部インド・ヒマラヤ登山隊は平成 26 年8月22日現地時 間13時30分にザンスカール地方の未踏峰 Pt6070m(仮称 L15)に登山隊員4 名全員で登頂に成功した。以下はレーに帰還するまでの出来事を整理した簡易的 な報告である。 2.登山概要 ・ 隊の名称 学習院輔仁会大学山岳部インド・ヒマラヤ登山隊 2014 GAC Indian Himalaya Expedition 2014 ・山域 インド共和国 ジャム・カシミール州 ラダック地方 インド・ヒマラヤ ザンスカール南部地域 ・成果 Peak Unnamed(Pt6070m)の初登頂 (その後ラダック語で王妃の山を意味する Gyalmo Kangri(ギャルモ・カンリ)と 命名。この山を初めて探査した京都大学学士山岳会の阪本公一氏の報告書「季報 ヒマラヤ No.457」に、「秀麗な姿はレナック谷の王女にたとえられよう。…」 とあったところから) ・日程 7 月 30 日 8月3日 8 月 12 日 8 月 22 日 8 月 25 日 9 月 13 日 日本出発 レー(3500m)出発 BC 設営(4830m) Peak Unnamed( Pt6070m) 頂上アタック BC 撤収・復路キャラバン出発 帰国 ・隊の構成 隊長 登山隊監督 隊員 吉田 周平 原田 昌幸 2名 計 4名 +現地スタッフ 7 名 2.行動詳細(アタック前日まで) 7月30日 デリー到着 7月31日 日本大使館を訪問する。リエゾンオフィサーのチャンドラ・シェ イカー氏と IMF のオフィスで合流する。氏はムンバイ出身の35 歳、6000m 級の山々への登山経験が数回あるようだ。 8月01日 早朝の便でレーに到着する。飛行機から見えるヒマラヤ山脈の雄 大さに感動する。フィックスロープを購入する。 8月02日 レーにて登山準備。食料の買出しを済ませる。 8月03日 馬方を除くスタッフと合流。キャラバンが始まる。ワゴン車にて レーからラマユルへ移動。ラマユルでは小学校を訪問する。 8月04日 ラマユルからサンクへ移動。宿泊場からヌン・クンの姿が見え る。 8月05日 サンクからザンスカール地域の中心地パダムへ移動。10時間の ロングドライブとなる。 8月06日 パダムにて停滞。4400m地点の丘まで高所順応のためトレッ キングを行う。ガラムカリが高山病に苦しむ。 8月07日 パダムから道路の終点地アンムーへ移動。馬8頭と馬方2人と合 流する。 8月08日 ウォーキングキャラバンを開始する。アンムーからプルネへ移 動。プルネ到着後、4200mの丘まで上がる。 8月09日 プルネからテスタへ移動。細い道で馬2頭が崖から落ち、荷物が 川に流される。捜索に出かけるが荷物は見つからず、次の日も捜 索にあてることにする。馬は軽い怪我をおったが、自力で脱出し た。 流されたものは、ピッケル8本、スノーバー40本、アイススク リュー20本、カラビナ60個など登攀に不可欠な金物類と、チ ャンドラ氏が IMF からレンタルしていたシュラフなどの個人装備 であった。 8月10日 スタッフと原田が下流へ荷物を探しに行くが見つからない。周辺 の村に問い合わせるが有力な手掛かりは見つけられなかった。次 の日から原田・チャンドラ氏がデリーに戻り、登攀用具を購入す ることを決める。吉田・ガラムカリ・梶田とスタッフは BC 設営 場所を目指し、L15 の偵察を行うこととした。 8月11日 (BC 組) (買出し組) テスタからシャンカへ移動。 テスタ~アンムーまで徒歩で移 動。その後チャーターカーでロ ングドライブ。深夜にランカル シに着く。 8月12日 シャンカから BC(4830m)へ チャーターカーにてレーまで移 到着。L15 の東面 5100mまで偵 動。 察する。東面は足場の悪いガラ 8月13日 8月14日 8月15日 8月16日 8月17日 8月18日 8月19日 8月20日 8月21日 場で、浮石だらけであった。 BC にて休養。L15 に必要な装 備を改めてリストアップ。ガイ ドのツワン氏に下の村まで降 り、衛星電話でデリーのチャン ドラ氏に情報を伝えてもらう。 西面を偵察。西面には危険な背 ラック帯があるため東面からの アタックを決断する。午後は東 面のガラ場 5100mまでにケル ンを作るなどのルート整備をす る。夕食にヤクの肉が出る。 東面 5300m地点までルートを 探りながら上がっていく。12 時ごろに雪が降り始め、ケルン をつくりながら帰幕する。夜、 本格的に雪が降る。 朝起きるとテントに雪が 5cm 積もっていた。1日中に降った り止んだりの天気で停滞する。 早朝の便で、デリーに移動後、 登山ショップで買出しを行う。 デリーから早朝の便でレーに戻 る。チャーターカーでカルギル まで移動する。 カルギル~パダムまでチャータ ーカー移動。 パダム~アンムーまで車で移動 後、馬方と合流。テスタまで徒 歩で移動する。テスタでは馬方 の家にホームステイする。 テント・ロープなどを、5400m テスタ~シャンカまで移動。シ 地点まで荷揚げする。荷物は雪 ャンカは3つの家があるだけの とガラ場の境目にデポして下 小さな村。ホームステイをす 山。夜中に雪が少し降る。 る。 買出し組はシャンカ~BC へ移動。15時、BC にて全員合流す る。久しぶりの再会を喜ぶ。 休養日。スノーバーに紐をつけるなど装備を整理する。原田、ガ ラムカリは 5100m 地点を往復する。 新たに購入したピッケルとともに、ガラ場を越え、5600m 地点の 雪稜まで上がる。原田は高山病の症状があるものの、着実に上が っていく。少し悩んだが、天気が崩れる前に、1DAY プッシュす ることに決める。下降時に急な斜面で 50mロープを FIX する。テ ントなどは荷下げし、17時に BC に帰幕。昼間に1頭の白いヤ クが BC に現れたそうだ。とても珍しく、幸運の知らせだとスタ ッフから聞く。 BC にて休養。明日のアタックにそれぞれ備える。 3.アタック日 4時起床。α米と久しぶりの味噌汁を食べる。5時出発。 8時30分 5400m地点のデポを回収する。2人1組のアンザイレンで雪稜をあ がっていく。クレバスを避けながら順調に高度を稼ぐ。5800m地点の巨大なクレ バスは、計画通り左から巻いた。巻き終えたところで3分ほど小休止をとり、隊 員同士でお茶を分け合う。 11時00分、傾斜が急になり、雪質が氷混じりのいやらしいものとなる。スタ カットで 50mずつ進んだ。雪稜は硬く、スノーバーをさすのに苦労した。6ピ ッチ伸ばしたところで13時30分山頂につく。山頂はもろい岩が露出し、不安 定であった。写真撮影をして、気合を入れて下山する。天気がだんだんと悪くな っており、登頂の喜びも束の間無事下山できるかどうかが不安になる。 17時30分 C1 設置場所に戻る。各々の疲労が激しいが、とにかく高度を下 げ続けた。アンザイレンを解除し、ロープをザックにしまうとずっと荷物が重く なったように感じ辛かった。BC 直前で高山病のため吉田が吐く。19時30分、 お互いに励ましあいながら無事に BC までたどり着く。BC にいたスタッフは登 頂の瞬間を下から見ていたようで、手作りのケーキでお祝いしてくれた。 6000m 付近を登攀するガラムカリ 山頂にて左からガラムカリ、原田、梶田、吉田 4.BC 撤収からレー到着まで 8月23日 8月24日 8月25日 8月26日 8月27日 8月28日 8月29日 8月30日 8月31日 9月1日 9月2日 9月3日 9月4日 休養日。22日の14時間30分行動の疲れを寝て癒す。今後の 予定についてミーティングを行う。 休養日。 BC からキャンピンググラウンドまで移動する。 5頭の馬がギアブル谷まで移動したらしく、出発できない。昼過 ぎに馬方が見つけ戻ってきたが、この日は停滞となる。 キャンピンググラウンドからカルギャックまで移動する。衛星電 話でレーのオフィスに連絡を入れる。 カルギャックにて休養。 カルギャック~ゴンボランジャン直下のヤク小屋に向かう。ヤク が50頭以上放牧されていた。 シンゴ・ラ BC まで移動。雪が断続的に降る。 シンゴ・ラの峠越えをする。ラムジャックまで移動する。 ザンスカールスムドまで移動。大規模な道路工事が行われていて 驚いた。道路工事は急ピッチで進められているようだ。チャータ ーカーが夕方到着する。 車にて、ツォー・カルまで移動。朝、馬方と別れる。馬方はシン ゴ・ラ方面へ戻っていった。 ツォー・カルにて休養。コックのナムギャルの最後のディナーを 皆で楽しむ。 車にてレーに移動。スタッフとの別れを惜しむ。久しぶりのお風 呂を満喫する。
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