200年前の物語がよみがえる 病父をたずねて300里~豊後国の二孝女

常陸太田市立山田小学校 3 年
地域自慢
病父をたずねて 300 里 ~豊後国の二孝女物語~
豊後国の二孝女物語とは
青蓮寺は山田小学校の学区にあるお
寺だよ。200 年前の山田地区に住む人
これは,今から 200 年も昔の江戸時代の話です。
たちはとってもやさしかったみたいだ
豊後国臼杵藩野津郷泊村(現大分県臼杵市野津町)の川野初衛門は,お寺 ね。二孝女や青蓮寺について青蓮寺に
参りの旅に出たまま7年も行方知れずになっていました。実は,初衛門は 行ってくわしく調べたよ。
旅の途中に東連寺村(現常陸太田市東連地町)の青蓮寺にたどり着いた時,
ツユとトキ
病が重くなり歩くことができなくなってしまい,青蓮寺や地域の人たちが世話をしてくれていたのです。
そのような時,京都の西本願寺で青蓮寺の住職さんと豊後の善正寺の住職さんが会って,初衛門が生きていることが分
かりました。その話を聞いた初衛門の娘(ツユ 22 歳トキ 19 歳)は,遠く 300 里(約 1200 ㎞)離れた青蓮寺までお父さんを迎
えに旅に出たという話です。旅に出ると言っても,現在の旅行とは違い,船や歩いて2か月かけての旅です。まして,若
い女性が2人なので命をかけての旅でした。この姉妹に心を動かされた地域の人々だけでなく水戸藩なども支援してくれ
ました。そして,次の年の春に,無事にふるさと豊後国へ親子3人で帰りました。
青蓮寺住職の藤井さん
青蓮寺には二孝女の秘密がいっぱい
初衛門養生の庵の跡
お寺の裏には,初衛門が7年間過ご
した庵の跡地があります。
豊後国
二孝女の碑
お寺の境内に
二孝女の碑が
あります。平
成 22 年に建
てられまし
た。二孝女に
ついてくわし
く書いてあり
ます。
青蓮寺に残された古文書
二孝女の話は,臼杵で長く語り継がれてきたそ
うですが常陸太田ではなぜか伝承されてこな
なったそうです。それが6年前にこの古文書が
見つかったことから二孝女物語が有名になり,
臼杵市との交流につながったそうです。
臼杵市「きっちょむ史談会」の皆さんと交流しました
10 月 14 日に大分県臼杵市の「きっちょむ史談会」の約 50 名が,二孝女がお世話になって 200 年を
記念したお礼参りで青蓮寺を訪れました。その交流会で,山田小学校3年生が総合的な学習や社会科
で調べた二孝女や常陸太田市の紹介をしました。また,臼杵市についても調べて発表しました。その
様子は,NHK水戸放送局のニュースやいくつもの新聞に紹介されました。臼杵市立川登小学校の代
表児童からメッセージをいただきました。これからも川登小学校と交流を続けていきたいです。
この本は山
田小学校の
先輩橋本さ
んが書いた
本で,二孝女
物語につい
てやさしく
書かれたも
のです。
二孝女物語は
県立高校の道
徳の副読本に
のっています。
書いたのは青
蓮寺の古文書
を発見した秋
山先生と野上
先生です。
3年生にはむずかしい本でしたが,先生に聞きながら二孝女物語につい
て調べることができました。
交流会での発表(本堂前)
日も暮れライトアップされた幻想的
な中で発表しました。
臼杵市の皆さんの出迎え(山門前)
臼杵名産のカボスをいただきまし
た!感動で泣いている方もいました。
二孝女物語を調べたり,交流会に参加したりしての感想
☆200 年も前の山田地区の人々だけでなく,常陸太田地方のたくさんの人が,初衛門や二孝女に食べ物やお金,歌をプレゼントした
ことに感動しました。お役人はこわい感じがしたけれど,水戸藩や臼杵藩のお役人がやさしいことにおどろきました。
☆死んだと思っていたお父さんが生きていると聞いたら,一日でも早く会いたいと思っただろう。お父さんとあった場面は,3人と
もなみだを流したと思う。昔も今も感動することは同じだと思う。ぶじに会えて本当によかった。
☆ぼくの住む東連地町の人たちが,まったく知らない初衛門の世話をしたり,二孝女にいろいろなものをあげたりするなんて信じら
れません。ぼくも東連地町の人なので,二孝女の話を調べられてとてもうれしいです。
☆200 年も前の話なのに,そのお礼のために大分県臼杵市からたくさんの人が来るなんてすごいと思いました。交流会では,調べた
ことを一生けんめいに発表しました。臼杵市のこともいろいろ知ることができました。これからも臼杵市や川登小学校の人たちと
仲良くしていきたいと思います。