政府債務と財政赤字

2015 年度後期 マクロ経済学 2
第 11 回 政府債務と財政赤字
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本講義のテーマ
●
これまで学んだモデルによる財政政策の分析は、政策が財政収支と政府債務を変化さ
せ、将来の政府の予算制約に影響を及ぼすことを考慮していない。
–
●
たとえば現在の減税は財政収支を悪化、政府債務を増加させ、将来の増税や財政支
出削減を大きくする。
今回の講義:財政政策の政府の予算制約への影響を考慮
–
OECD 諸国の財政状況
–
財政収支の測定問題
–
政府の予算制約
●
現在の減税・政府支出拡大によって政府の債務は時間とともにどのように変化
していくのか。将来どれくらいの増税・政府支出削減が必要となるのか。 *財政破綻を防ぐためにはどのような財政運営をすべきなのかを考える上での材料
–
財政赤字・政府債務は本当に問題か ?
●
●
これまで学んだモデルにおける減税の影響
リカードの中立命題 現在の減税により生まれた債務が将来の増税により償還
されることを考慮して経済主体が行動する場合、減税の効果はこれまでの分析
とは異なったものになる。
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OECD 諸国の一般政府財政収支 ( 対 GDP 比 )
[1996-2015 年平均 ]
15
OECD 諸国の財政状況
10
0
上図: OECD 諸国の対 GDP 比一般政府財政
収支 (1996-2015 年平均 ) -5
*一般政府財政収支:政府の収入-支出
●
%
5
-10
*日本の水準はユーロ圏で債務危機に陥った国を上回
る水準。リーマンショック後あるいは金融危機による
財政収支悪化で多くの国で以前より上昇 ( ギリシア・ア
日ギ ス ア イ ポ ハ ポ チイ ス フ O ア ス イ 欧 オ ア ド ベ オ カ ス オ エ ス デ ニ フ ル韓ノ
本リ ロ メ ス ルン ー ェ ギ ペ ラ E イ ロ タ 州 ー イ イ ル ラ ナ イ ー ス ウ ン ュ ィ ク 国ル
シ バリ ラ ト ガ ラ コ リ イ ン ルベリ ス ス ツギ ン ダ ス ス ト ェ マ ー ンセ ウ
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リ ン ラドル
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体
ア
ン ク
ド
イルランド・米・西の近年の財政赤字は日本以上、英も日本同
様)。
●
OECD 諸国の一般政府金融純債務残高 ( 対 GDP 比 )
[2015 年 ]
200
*テキストのグラフは純債務ではなく債務
* Note: Note: Net debt measures are not always comparable across
150
100
50
%
下図: OECD 諸国の対 GDP 比一般政府金融
純債務残高 (2015 年 ) 0
日ギ イ ポ ア ア ベ イ フ ス O 欧ハ ア オ オ ド カ ポス ス チ オ デ ニ ス ス エ 韓ル フ ノ
-50 本 リ タ ル イ メ ル ギ ラ ペ E 州 ン イ ー ラ イ ナ ー ロ ロ ェ ー ン ュ イ ウ ス 国 ク ィ ル
シ リ ト ルリ ギリ ン イ C
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-100
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ド
ルド
ド ア
リ
-150
体
ク
ア ン
ド
-200
countries due to different definitions or treatment of debt (and asset)
components. First, the treatment of government liabilities with respect to
their employee pension plans may be different (see note to Annex Table 32).
Second, the range of items included as general government assets differs
across countries. For example, equity holdings are excluded from
government assets in some countries whereas foreign exchange, gold and
SDR holdings are considered as assets in the United States and the United
Kingdom. For details, see OECD Economic Outlook Sources and Methods (
http://www.oecd.org/eco/sources-and-methods).
日本の水準はギリシアをも上回る。政府債務に公
務員年金を含めているアメリカ、オーストラリア
の値は実際よりも過大。
( 出所 ) OECD Economic Outlook Statistics
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財政収支の測定問題
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財政収支 = 政府の収入-(債務に対する利払 + その他の政府の支出)
●
財政収支の測定問題:どのように測定すべきかをめぐってしばしば論争に
(1) 名目値ではなく実質値で測るべき:これについては殆ど異論はない。特に債務への利
払額は名目利子率ではなく、実質利子率で計算する必要がある。インフレ率が正の時、名
目値では収支が赤字であっても実質値では黒字になりうることに注意。*実質収支均衡で説明
(2) 債務だけでなく資産も考慮すべき:債務から資産を引いた純債務を見るべきという考
え。現実には政府の資産額を評価するには様々な困難があり ( 例:防衛施設の評価額
は? ) 、原理的には妥当であっても資産を考慮すべきでないという意見も強い。
(3) 債務に計上されていない負債を考慮すべき:例 ) 将来の社会保障給付額や公務員が
将来受け取る年金。法律を変更することでこれらの支払いから逃れることができるので、
通常の債務とは異なる ( つまり考慮すべきでない ) という意見と、通常の債務も支払いを
拒否することはできるので、原理的には両者は同等という意見がある。*債務:法的に支払義
務があるもの。負債:法的に支払義務はないが将来的に経済的負担をもたらす可能性が高いもの。
(4) 景気循環の影響を除いて測るべき:多くの西欧諸国では景気など短期的要因の影響を
除いた構造的財政収支を財政運営の原則に使用。米国でもそのような収支を試算してい
る。
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政府の予算制約 (1)
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減税あるいは政府支出の拡大を行うと、政府の債務は時間とともにどのように変化して
いくのか?将来どれくらいの増税あるいは政府支出削減が必要となるのか?
実質値で計った財政赤字 ( インフレ調整済財政赤字 ) の定義 ( 学生用は式なし )
–
( 実現された [realized]) 実質利子率は一定と仮定
–
統計上の定義との違いに注意
(1) 名目値ではなく実質値 (2) 多くの統計では歳出は移転支出を含み、歳入は移転支出を控除していない ( 計測値には影
響しない ) 。国民経済計算などを除く。 (1) については単に名目財政赤字を物価水準 P で割るだけでは利
子率が名目利子率であるため実質での赤字と一致しない。名目上の財政赤字がゼロの場合でも、インフレ率
が正 ( 負 ) であれば実質値の財政赤字はマイナス ( プラス ) 。
●
だから、政府の予算制約式は ( 学生用は文頭の式を含め式なし )
–
基礎的財政収支 ( プライマリー・バランス )(primary surplus/deficit)
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政府の予算制約 (2)
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現在の財政赤字と将来の財政黒字
–
0 期まで ( 実質値で ) 均衡財政 ( したがって債務ゼロ ) 、 0 期に減税あるいは支出拡大で 1 期の債務は B 1=(1+r ) B 0 +G 1− T 1
− T
B =G の債務が発生すると、
0
0
0
–
増税あるいは支出削減により 1 期に債務を完全に償還した場合、 1 期のプライマリー収支黒字
額は T 1 − G 1 =1r  B 0
–
0 期以降 t 期までプライマリー収支の均衡を維持し、 t 期に債務を償還する場合
●
t-1 期の債務は ( 学生は式なし )
●
t 期のプライマリー収支黒字額は ( 学生は式なし )
還時期を引き延ばせば、利子の分だけ償還額は増加する。ただし割引現在価値では同じ。
●
債務の完全な償還ではなく、安定化 ( 一定 ) を目指した場合についても同様に計算でき
る *政府が永続する限りある時点ですべての債務を完全に償還する必要はない。いつか債務を返済できる
だけの資金が有れば十分。
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債務・ GDP 比率の推移 (1)
●
現実の経済では産出量 (GDP) が持続的に成長しているが、このとき債務・ GDP 比率が安
定しているかどうかが重要*債務拡大のペースが GDP の成長を長期間にわたり上回らない限りは、債務
の拡大は問題ではない。政府収入のベースである GDP が増えれば同じ ( 平均 ) 税率でも税収が増えるため。
政府の予算制約式を Yt で割ると
–
右辺を t-1 期の債務・ GDP 比率で表すと ( 学生用は式無し )
–
(1+r )/(1+ gt )≈ 1+r− g t
近似 を用いると
( 学生用は式無し ) *政府予算制約式と比較
債務・ GDP 比率はどのような場合に上昇・下降するか? ( 学生用は式無し )
(1)r<gt のとき が満たされている限り、プライマリー収支が赤字であっても債務・ GDP 比率は低下
(2)r>gt のとき
を満たさなければ、プライマリー収支が黒字であっても債務・ GDP 比率は上昇 *実質利子率と比べて成長率の低い経済においてはプライマリー収支黒字が健全財政
のための必要条件 ( 十分条件ではない )
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債務・ GDP 比率の推移 (2)
●
日本のプライマリー・バランスと一般政府金融純債務残高
0
160
-1
140
一般政府金融純債務残高
プライマリーバランス
-2
120
-3
100
%
-4
80
-5
60
-6
-7
40
-8
20
-9
2000
2005
2010
日本の国庫短期証券利回り―名目 GDP 成長率
●
下図:日本の国庫短期証券利回り (6 ヶ月物 ) -名目
GDP 成長率 (1995-2014 年 ) * 2009 年1月までは割引短期国債 (TB) 金利 ( 出所 ) 内閣府経済社会総合研究所『国民経済計算』および
日本銀行『金融経済統計月報』*国庫短期証券: 2009 年 2 月から
発行を開始した発行時に割引されて発行される償還期限が 1 年以内の割
引債(短期国債)をいう。償還期限が 1 年以内の短期国債について、そ
れ以前に2種類発行していたものを統合したもので、償還期間は 2 カ
月・ 3 カ月・ 6 カ月・ 1 年の4種類がある。これまで短期国債には外国
為替市場での為替介入の資金など特定の目的の資金調達に発行する「政
府短期証券 FB 」と歳入を賄う普通国債の一種である「割引短期国債
( TB )」の2種類があり、主に機関投資家に販売していた。
* r-g>0 の年が約半分 r-g の平均は正。これも上の B/Y 上昇に寄与。そ
れでも r-g が高水準になっていないのは、金融緩和で短期金利が 0 に近
い水準で推移しているのに加え、国内の実物投資機会減少と自己資
(1995 年- 2014 年 )
6
本比率引上 (90 年代後半 ) による金融機関の国債需要増から国債利
子率が低水準で安定しているため。
5
4
3
2
1
0
-1
-2
-3
1995
0
2015
上図:日本の対 GDP 比でのプライマリー・バランスと
一般政府金融純債務残高の推移 (1996-2015 年 ) ( 出所 ) OECD Economic Outlook Statistics *名目値。小泉政
権: 2001 年 4 月から 2006 年 9 月。後半歳出削減と景気回復
による歳入増によりプライマリー・バランス改善。 2008 年
のリーマンショック後大きく悪化。
(1996-2015 年、対 GDP 比 )
%
●
Bt
B
G − Tt
=1r  t − 1  t
Yt
Yt
Yt
–
2000
2005
暦年
2010
* B/Y を引き下げるためには、増税や政府支出削減により早
急にプライマリーバランスの黒字化をすすめるべきだという
見方と一時的拡張政策によりまず成長率を引き上げるべきと
いう見方 ( 拡張的政策の有効性についても ) の対立。長期的
にはインフレ率上昇は同じだけ名目金利を上昇させるが、短
期的には名目成長率上昇により B/Y 低下に寄与。 *日本の債務危機の可能性:対外政府債務の少なさ。為替
レートの減価を通じての外貨評価での債務増大の恐れが小さ
い。しかし貯蓄率と貿易収支低下 ( 近年赤字 ) により経常収
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支は低下傾向。
リカードの中立命題 (1)
●
財政赤字・政府債務は本当に問題か ?
●
これまで学んだモデルによる減税の分析 ( 教科書では開放経済についても分析 )
●
–
( 超 ) 短期: IS-LM モデル (I 巻 8,9 章 ) IS 曲線が右シフトし、今期の C,Y が上昇。
–
長期 1 :古典派理論 (I 巻 3 章 ) Y は変化しないので、減税による C の増加によって総貯蓄 =
総投資 S+T-Gc=Y-C-Gc が減少。
–
長期 2: ソローモデル 投資の減少により資本蓄積そして将来の GDP が減少。
消費者が超先見的であるとすればどうか?:現在から将来にわたる可処分所得の流列の割引
現在価値をもとに消費計画を立てる
●
0 期に減税を行い、それにより発生した債務を将来増税により償還した場合
–
簡単化のため 0 期まで財政収支が均衡していたと仮定すると減税額は B
–
来期 (1 期 ) に債務償還のための増税を行う場合増税額は T 1−
–
この政策による消費者の可処分所得の割引現在価値の変化は ( 学生は数式無し )
–
民間消費は可処分所得の割引現在価値が不変であるから不変。*厳密にいえば、所与の i,Y のもと
0
G 1=(1+r ) B 0
での消費を変化させないため IS 曲線はシフトせず、よって AD 曲線もシフトせず。
–
民間貯蓄は S=Y-T-C より今期
だけ上昇
–
総貯蓄 = 総投資は S+(T-Gc[ 政府消費 ]) より不変。 * つまり資本蓄積にも影響しない
–
来期以降に増税を行った場合にも同様の結論が成立
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リカードの中立命題 (2)
●
リカードの中立 ( 等価 ) 命題 (Ricardian equivalence) 課税時期の変更 ( 上の例では現在から将
来へ変更 ) は産出、消費、投資などに影響しない。*政府債務の増加 ( 政府貯蓄の減少 ) は同額の
民間貯蓄の増加 ( 民間債権の増加 ) をもたらすため憂慮する必要はない ( 対外債務は不変 ) 。政府
債務・ GDP 比率が上昇しても、民間債権・ GDP 比率も同じだけ上昇するため資産課税を行うことで
返済可能。*一方政府支出の増加は実体経済に影響を及ぼすが人々が将来の増税 ( 可処分所得の減少 ) を想
定していると、効果はより小さくなる。
●
リカードの中立命題の現実的妥当性
–
人々の意思決定がどれほど先見的か?*増税時期がはっきりしていない状況の下で、どの程度
将来を見越した意思決定を行うのか。
–
世代交代と利他的選好 *減税の恩恵を受ける現世代の一部は将来の増税時には亡くなってい
るため、これらの人々は減税によってプラスの恩恵を受ける。人々が子孫の効用を考慮して行
動 ( 子孫に対する利他的選好 ) する場合は世代交代があっても中立命題は成立するが、全ての
人々が子孫を持つわけではないし、利他的選好を持っているとも限らない。
–
借入制約 *消費者の一部が借入制約に直面しており、最適な消費プラン ( 将来所得の割引現在
価値にもとづき各期の所得と独立した効用最大化消費プランを立てる ) を実現するための借入
れを行うことができない場合、減税はこれらの人々の借入制約を軽減し、現在の消費 ( と厚生 )
を増加させる。
–
現実にはリカードの等価命題が成立しているとは考えにくいが、ある程度先見的な意思
決定が行われているとみなすのが妥当。*近視眼的モデルの想定より政策の実体経済への影響
は小さい。特に総貯蓄・投資への影響が小さければ将来の GDP への影響も小さい。
●
中立命題が成立しているか否かに関わらず、金融資産を国外へ容易に移動できる現在、
過大な政府債務は大きな問題。*しかも、現在までのところ民間金融資産 /GDP と政府債務 /GDP は同
じペースで増加しているが、 ( 中立命題が成立しているとは考えにくいので ) 今後高齢化により国内貯蓄は低
下するため、このままでは政府債務 /GDP の上昇ペースが上回る恐れが強い。 Macro 2 第 11 回 Page10
*将来資産課税が強まるとの予想が強まった時点で金融資産の国外流出が起こる。