2015.12.25|自らを省みること

東京ジャーミイ金曜日のホトバ
2015 年 12 月 25 日
自らを省みること
親愛なるムスリムの皆様。アッラーは、創造
行為でアッラーの御前にまみえることはできる
だろうか」従って、私たちは皆、息を引き取る
預言者たち
されたすべての人々にそれぞれの寿命を定めら
れました。知性という恵みを与えられた人間は、
前に私たち自身を総括し、自我を点検するべき
思春期以降死ぬまで、行なったことや行なうべ
なのです。なぜなら私たちは自分の行ったこと
きなのに行なわなかったことの責任を問われま
についてアッラーの前で勘定を問われるのです。
す。しかしアッラーは人間をそのまま放ってお
預言者ムハンマドは「最後の審判の日、人は全
かれることはなく、その
ての行為について尋問に
知性を導くために預言者
かけられることなくして
と啓典を送られました。
マフシェル(死後、復活
ここで人間に与えられて
した人が集められる場)
いる義務は、それぞれの
人生とそこで行なってき
たことについて振り返っ
全体規則)
OF ISLAM IS EASY
を離れることはないだろ
う」と教えられました。
ウマルさまも、「尋問に
てみることです。私は何
かけられる前に自らを点
を行ってきたのか、何を
検してください」と警告
得たのか。最後はどうな
していました。
るのか。
愛なるムスリムの皆様。
人間は一つの細胞から生まれ、その後胎児と
この1年で、私たち自身、家族の人たち、親戚、
なり、それから育てられ若者となり、それから
隣人、そして社会のためにどのようなよいこと
成熟した大人になります。十分な力を持ち、望
をしたでしょか?あるいは私たち自身、社会や
むままに振舞う力を持つのです。しかしそのこ
人々にどのような害を与えてしまったでしょう
とはそのまま続くわけではありません。登り坂
か。善い行いを増やし、過ちをただすためにこ
もあれば下り坂もあるように、若さの後には老
のような評価付けを行なう必要があります。こ
いが来ます。それに続いて死が訪れることも確
れらすべてを評価付けし、教えが禁じている罪
かですが、それがいつ身に起こるかを知ること
を犯したのであれば悔悟しなければなりません。
はできません。この観点から、いつでも死が訪
そしてその罪を放棄しなければいけないのです。
れていいように備えおかねばなりません。
アッラーに対する務めや崇拝行為に不足があれ
親愛なるムスリムの皆様。私たちはまず自ら
ば、それらを補わなければなりません。限られ
を省みる必要があります。誰にも確実に起きる
ている残された日々を、アッラーがハラーム、
死と、最後の審判のことを忘れることなく、自
禁じられたことによってではなく、アッラーが
分たちの行動もこの真実をわきまえて方向付け
お慶びくださる行いや崇拝行為によって過ごす
なければならないのです。早めることもあとに
よう努めましょう。
延ばすこともできない死が私たちの襟首を捉え
本日のホトバを、聖クルアーンの集合章第1
る前に、「死や来世への備えができているだろ
8節によって締めくくりたいと思います。「あ
うか」と考える必要があります。去年私たちと
なたがた信仰する者よ、アッラーを畏れなさい。
共にいて、今年はもういない多くの人たちがい
明日のために何をしたか、それぞれ考えなさい。
ます。私たちは来年を迎えることができるでし
そしてアッラーを畏れなさい。本当にアッラー
ょうか?そのような保障がない以上、次のよう
は、あなたがたの行うことに通暁なされる。
に考えてみなければならないのです。「今、魂
をお返しすることになったとすれば、これらの
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