自らを省みること - Tokyo Camii

東京ジャーミイ金曜日のホトバ
2016 年 12 月 30 日
自らを省みること
親愛なるムスリムの皆様。
」
至高なるアッラーは、創造されたすべての人々に
それぞれの寿命を定められました。知性という恵
みを与えられた人間は、 思春期以降死ぬまで、
行なったことや行なうべきなのに行なわなかった
ことの責任を問われます。しかしアッラーは人間
をそのまま放っておかれることはなく、その知性
を用いるために預言者と啓典を送られました。こ
こで人間に与えられている義務は、それぞれの人
生とそこで行なってきたことについて振り返って
みることです。私は何を行ってきたのか、何を得
たのか。最後はどうなるのか。
誰がそれをもたらしますか
人間は一つの細胞から生まれ、その後胎児となり、
それから育てられ若者となり、それから成熟した
大人になります。十分な力を持ち、望むままに振
舞う力を持つのです。しかしそのことはそのまま
続くわけではありません。登り坂もあれば下り坂
もあるように、若さの後には老いが来ます。それ
に続いて死が訪れることも確かですが、それがい
つ身に起こるかを知ることはできません。この観
点から、いつでも死が訪れてもいいように備えお
かねばなりません。
親愛なるムスリムの皆様。
私たちはまず自らを省みる必要があります。誰に
も確実に起きる死と、最後の審判のことを忘れる
ことなく、自分たちの行動もこの真実をわきまえ
て方向付けなければならないのです。早めること
OF ISLAM
もあとに延ばすこともできない死が私たちの襟首
を捉える前に、「死や来世への備えができている
だろうか」と考えてみる必要があります。去年私
たちと共にいて、今年はもういない多くの人たち
がい ます。私たちは来年を迎えることができる
でしょうか?そのような保障がない以上、次のよ
う に考えてみなければならないのです。
「今、魂をお返しすることになったとすれば、こ
れらの 行為でアッラーの御前にまみえることは
できるだろうか」従って、私たちは皆、息を引き
取る 前に私たち自身を総括し、自我を点検する
べきなのです。なぜなら私たちは自分の行ったこ
とについてアッラーの前で勘定を問われるからで
す。 預言者ムハンマドさま(彼に平安と祝福あ
れ)は「最後の審判の日、人は全ての行為につい
て尋問に かけられることなくして マフシェル
(死後、復活した人が集められる場) を離れる
ことはないだろう」と教えられました。 ウマル
さまも(彼にアッラーのご満悦あれ)、「尋問にか
けられる前に自らを点検してください」と警告
していました。
愛なるムスリムの皆様。
この1年で、私たちは、家族のために、親戚や隣
人、そして社会のためにどのようなよいこと を
したでしょか?あるいは私は、社会や人々に対し
てどのような害を与えてしまったでしょう か。
善い行いを重ね、過ちを正すためにこのような評
価付けを行なう必要があります。これらすべてを
評価付けし、教えが禁じている罪を犯したのであ
れば悔悟しなければなりません。そしてその罪を
放棄しなければいけないのです。アッラーに対す
る務めや崇拝行為に不足があれば、それらを補わ
なければなりません。限られている残された日々
を、アッラーがハラーム、禁じられたことによっ
てではなく、アッラーがお喜びくださる行いや崇
拝行為によって過ごすよう努めましょう。
親愛なるムスリムの皆様。
新年を祝うという名目で行われる集まり、催しに
は、ムスリムの観点からは、宗教的、文化的、伝
統的な根拠はありません。さらには、こういった
集まりでは、知性や健康を脅かす飲酒や、家族の
経済を破綻させる賭博や浪費がつきものとなりま
す。そうした行いをどう弁解できるでしょうか。
新年の祝いを口実とした、アッラーや使徒(彼の
IS上に平安あれ)がお喜びにはなられない行動のか
EASY
わりに、過ぎた一年を振り返り、新しい年におい
ていかに、もっといい方向性を見出すことができ
るか、考えてみましょう。
全体規則)
本日のホトバを、聖クルアーンの集合章第 18 節
によって締めくくりたいと思います。
「あなたがた信仰する者よ、アッラーを畏れなさ
い。 明日のために何をしたか、それぞれ考えな
さい。そしてアッラーを畏れなさい。本当にアッ
ラー は、あなたがたの行うことに通暁なされ
る」
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