みずほインサイト 欧 州 2015 年 12 月 24 日 欧州の財政規律は再び緩むのか 欧米調査部主任エコノミスト 「安定成長協定」が抱える課題への対応が必要 03-3591-1199 松本惇 [email protected] ○ 債務危機直後、財政規律を維持する枠組みである「安定成長協定」が強化され、厳しい緊縮財政が 進められた。しかし、2013年以降は同協定の例外規定が適用され、緊縮財政のペースは緩められた。 ○ 例外規定の適用は景気に配慮したものだが、ドイツ政府等は、それが財政規律の緩みにつながると 批判した。2016年予算案の審査で例外規定が用いられれば、批判が強まる可能性がある。 ○ 安定成長協定は、例外規定以外の点でも様々な課題を抱えていると考えられる。欧州の政策当局者 には、そうした課題への対応が求められる。 1.はじめに 2009年秋に債務危機が発生した後、欧州では財政規律を維持する枠組みが強化され、欧州委員会(以 下、欧州委)が各国の翌年予算案を審査することになっている1。今年11月16日には、欧州委による2016 年の各国予算案の審査結果が公表された。この中で欧州委はフランス、イタリア、スペインの予算案 に懸念を示し、是正を求めた。一方、3カ国政府は予算案を修正しない方針で、欧州委と対立している。 欧州委とフランス政府等との対立は、1年前、2015年予算案に対する審査の時にも起きた。その際、 ドイツ政府等は、予算案の審査における欧州委の対応は大国に甘く、財政規律の緩みにつながると批 判した。2016年予算案に対する欧州委の今後の対応次第では、再び同様の批判が生じる可能性がある。 こうした対立や批判が起きるのは、債務危機後に強化されたとは言え、財政規律を維持する枠組み が課題を抱えたままであることが一因と考えられる。以下では、財政規律を維持する枠組みに関する これまでの取り組みと、2016年予算案に対する欧州委とフランス政府等との対立の経緯を整理した上 で、強化された後の枠組みが抱える課題とそれら課題への対応策を考察する。 2.財政規律を維持する枠組み「安定成長協定」の変遷 欧州には、債務危機前より、各国の財政悪化の防止等を目的とした枠組みが存在した。欧州連合(E U)の目標等を定める「EU運営条約」は、付属議定書によりGDP比3%を超える財政赤字を過剰と 定義し、過剰な財政赤字を防止・是正するよう各国に義務付けている。過剰な財政赤字を防止・是正 するための枠組みの詳細は、「安定成長協定(Stability Growth Pact:SGP)」に係るEU規則等で 定められている2。債務危機後には、SGPを強化するための取り組みが進められた。 (1)債務危機前のSGP SGPには財政悪化の防止と是正という2つのステージがある。財政悪化の防止を目的とした第1ス 1 テージは全ての国が対象であり、各国に中期財政目標の達成に向けた計画の策定・遵守を求めている (図表1のA) 3。各国は、「景気循環・一時的要因の影響を除いた構造的財政赤字のGDP比(以下、 構造的赤字)」を1.0%以下に抑制するという中期財政目標の達成に向け、実施予定の緊縮策の具体案 を含んだ中期財政計画を策定し、その計画通りに緊縮策を実施することが義務付けられた。そこで各 国が実施する緊縮策は、毎年、GDP比0.5%の規模とされた(構造的収支ベース、以下同様)。 第1ステージにおける取り組みが不十分なために「景気循環・一時的要因の影響を含む財政赤字のG DP比(以下、財政赤字)」が3%を超えた国は、「過剰財政赤字手続き(Excessive Deficit Procedure: EDP)」と呼ばれる第2ステージに進む(図表1のB)4。第2ステージでは、第1ステージと同様にGD P比0.5%の規模の緊縮策を実施することを義務付けられるだけでなく、財政赤字の縮小に向けて十分 に取り組んでいないと欧州委が判断した場合には、罰金が科されることになっていた。 (2)債務危機直後に強化されたSGP このように財政悪化の防止・是正のための枠組みが作られたものの、実際には、SGPの例外規定 を適用するための条件が緩和されたり、本来ならEDPの対象となる国が政治的配慮によって対象か ら外されたりすることで、財政健全化に向けた取り組みはSGPが定める通りに進まなかった。こう した財政規律の緩みを一因として債務危機が発生したことから、危機発生後、SGPの強化が必要と の認識が政策当局者の間で共有され、以下のようにSGPの見直しが行われた。 SGPの第1ステージに関しては、構造的赤字を0.5%以下に抑制することが新たな中期財政目標と されたほか、この目標を憲法等に明記することが義務付けられた(図表1のC)5。また、政府債務残高 図表1 SGPの変遷:債務危機前と危機後の比較 財政悪化の防止(SGPの第1ステージ) A:危機前 C:危機後 ・各国は、中期財政目標を設定: 構造的財政赤字(GDP比)≦1.0% ・各国は、中期財政目標を設定: 構造的財政赤字(GDP比)≦0.5%、憲法などに明記 ・目標に未達なら、目標達成までの期間、中期財政計画 に沿って毎年、GDPの0.5%規模の緊縮策を実施 ・目標に未達なら、目標達成までの期間、毎年、 GDPの0.5%規模の緊縮策を実施。政府債務残高(GDP比) が60%を超える国は、毎年、GDPの0.5%を上回る規模の 緊縮策を実施 ・歳出の増加率は、潜在成長率を上限とする ・目標達成に向けて十分に取り組まない場合、預託金を払う ・各国の予算案を欧州委が毎年審査。必要なら 再提出などを求める(欧州委に強制的な修正権限はなし) 第1ステージでの取り組みが不十分で 財政赤字のGDP比が3%を超えた国は 第2ステージへ 財政悪化の是正(SGPの第2ステージ) B:危機前 D:危機後 ・財政赤字(GDP比)>3.0%ならEDPへ ・財政赤字(GDP比)>3.0%、または、政府債務残高 (GDP比)>60%であるのに十分なペースで残高が 低下していないならEDPへ ・EDP下では、EDP脱却までの期間、中期財政計画 に沿って毎年、GDPの0.5%規模の緊縮策を実施 ・EDP下では、EDP脱却までの期間、毎年、 GDPの0.5%規模の緊縮策を実施 ・目標達成に向けて十分に取り組まない場合、罰金 ・目標達成に向けて十分に取り組まない場合、迅速に罰金 (注) 赤字は、債務危機後に強化された内容。上記に示さないSGP(安定成長協定)の例外規定があるため、中期目標の設定やEDP(過剰 財政赤字手続き)の発動は、必ずしも上記で示す内容通りにはならない。 (資料) 欧州理事会、European Commission(2013)より、みずほ総合研究所作成 2 のGDP比が60%を超える国については、中期財政目標に未達の場合、毎年、GDP比0.5%を「超え る」規模の緊縮策を行うことが求められるようになった。債務残高が大きい場合、危機前のようにG DP比0.5%規模の緊縮策を実施するだけでは不十分とされ、それを超える厳しい取り組み義務が新た に課せられるようになったのである。その上で、中期財政目標の達成に向けて十分な取り組みがなさ れていないと欧州委が判断した場合、その国は預託金(詳細は後述するが罰金とは異なる)を支払うこ とになった。更に、各国は毎年10月15日までに翌年の予算案を欧州委に提出し、欧州委は11月末まで に財政目標の達成に十分な内容であるかを審査することになった。欧州委は、提出された予算案が財 政目標の達成に不十分と判断した場合、是正・再提出を要請することができる。 SGPの第2ステージに関しては、まず、財政赤字が3%を超える国だけではなく、政府債務残高の GDP比が60%を超えているにも関わらず、十分なペースで残高が縮小していない国が、EDPの対 象に加えられた6(前頁図表1のD)。また、財政赤字の縮小に向けた努力を怠っていると欧州委が判断 した場合には、迅速に罰金が科されるようになった。債務危機前は、欧州委が罰金をEU経済・財務 相理事会(ECOFIN)に勧告し、ECOFINが「多数決で罰金を承認」することが罰金発動の条件だった。危 機後は、ECOFINが「多数決で罰金を否決」しなければ、罰金が発動されることとされた。 (3)2013 年以降は経済成長へ配慮 2013年に入り、多くの国は財政政策を軌道修正し、緊縮ペースを緩める方針を明らかにした。緊縮 財政による景気悪化を受け、経済成長と緊縮財政のバランスをとる必要性が意識されるようになった からだ。欧州委も経済成長に配慮し、例外規定を利用してSGPを柔軟に適用することで、各国の軌 道修正を認めた。SGPの例外規定とは、景気が悪化する国や「主要な構造改革」を実施しようとす る国に対し、財政赤字の削減ペースを一時的に緩和することを認める仕組みである。主要な構造改革 とは、潜在成長率や財政の持続性にプラスの影響を与え、かつ、法制化された改革を指す。 欧州委が経済成長に配慮する姿勢は、2015年1月、ユンケル新委員長が例外規定適用に関する新たな 「ガイドライン」を示し、「主要な構造改革」に関する条件を緩和したことで、一層鮮明になった7。 具体的には、ガイドラインによって、構造改革の法制化が例外規定適用の条件から外された(図表2)。 これによって計画段階の構造改革も踏まえて財政赤字の削減計画が検証されることになり、例外規定 適用のハードルは低下したと考えられる。このように成長に配慮する姿勢が強まる中、ユーロ圏全体 でみても2013年から緊縮財政の規模は縮小し、2015年には緊縮規模がほぼゼロとなった(図表3)。 図表2 例外規定に係る欧州委のガイドライン 図表3 ユーロ圏の財政緊縮規模 ・経済成長や財政に対してプラスの効果を持つ ・実施関連の法案が採択される必要はない。ただし、法制化などに 向けた時間工程を含む詳細な改革計画を提出する必要がある 上記の改革の実施を考慮し、中期財政目標の達成に 向けた緊縮策を一時的に緩和 2.0 ←財政政策 適格と認められる構造改革 緊縮的 ○ EDP下にない国に対して 1.0 (構造的財政収支GDP比の前年差、%pt) 1.5 0.5 金融危機 を受けた 景気対策 0.0 緊縮路線 の強化 ↓ 緊縮規模拡大 →拡張的 ▲ 0.5 ▲ 1.0 ○ EDP下にある国に対して ▲ 1.5 EDPの発動、或いは、EDPの終了時期を定める際、 構造改革の実施などの「関連事項」を考慮 成長への 配慮 ↓ 緊縮規模縮小 ▲ 2.0 2008 (資料) European Commission(2015)より、みずほ総合研究所作成 09 10 11 12 (資料) 欧州委員会より、みずほ総合研究所作成 3 13 14 15 3.例外規定に係るガイドラインを巡る批判や疑念 2013年以降、各国の景気は持ち直した。欧州委がSGPの例外規定を適用して緊縮財政のペースを 緩め、成長に配慮した成果と言えるだろう。しかし、欧州委がガイドラインを公表・使用したことに 関しては、財政規律の緩みにつながるとの批判も生じている8。現在進められている2016年予算案の審 査においても、例外規定が活用されれば、こうした批判が再燃する可能性がある。 (1)ガイドラインを公表・使用した欧州委に対する批判と疑念 ガイドラインに対し、ドイツ政府やECBは、それが財政規律の緩みにつながると批判した。例え ば、ECB(2015)は、構造改革の法制化が例外規定適用の条件から外された結果、改革実施を宣言し て財政赤字の削減計画の緩和を求め、緩和が認められば改革を撤回するというインセンティブを各国 に与えるリスクが生じると指摘した。 2015年3月、フランスとイタリアに対し、ガイドラインに則って例外規定の適用が実際に認められた ことで、こうした批判が一段と強まると共に、欧州委は大国との対立を避けるためにガイドラインを 設けたのではないかという疑念が生じた。ガイドライン発表に先立つ2014年11月には、欧州委はフラ ンスとイタリアに対し、2015年予算案が財政目標の達成には不十分という理由で、予算案の修正を求 めていたためである。 一連の欧州委の対応に対し、ECBメルシュ理事は、欧州委が両国の予算案を承認したことは、S GPが十分に機能していないとの疑いを生じさせるものだと批判した(WSJ(2015))。また、ユーロ 圏財務相会合のダイセルブルーム議長は、承認により予算案審査が大国に甘いとの印象が生じること に懸念を示した(Financial Times(2015))。 (2)2016 年予算案を巡って対立する欧州委と西・仏・伊 目下、2016年予算案を巡って同様の事態が起きようとしている。欧州委は、スペイン・フランス・ イタリアに対して2016年予算案の是正を求めている。その理由は各国で様々である。 スペインに関しては、予算案において2016年の緊縮規模が大幅に縮小されたことが問題視されてい る(図表4)。EDPの脱却期限についても、政府と欧州委の見解は異なる。論点は、景気の強さをどう みるかだ。これまで、政府と欧州委は、財政赤字のGDP比を2016年に3.0%まで改善させ、同年にE 図表4 西・仏・伊の緊縮財政規模 図表5 スペイン、フランスの財政収支 (構造的財政収支GDP比の前年差、%pt) 1.5 緊縮的 (財政収支の名目GDP比、%) ▲ 1.0 欧州委は17年にEDPを ▲ 1.5 脱却できないと予測 ▲ 2.0 政府想定の緊縮規模は、欧州委が必要とする 規模に満たず 1.0 政府予算案 欧州委予測 欧州委は16年にEDPを 脱却できないと予測 ▲ 2.5 ←財政政策 ▲ 3.0 0.5 ▲ 3.5 ▲ 4.0 NA →拡張的 0.0 政府予算案 欧州委が必要と考える規模 ▲ 4.5 EDPからの卒業 条件(収支が▲3%以上) ▲ 5.0 2015 ▲ 0.5 16 フランス フランス イタリア スペイン フランス イタリア スペイン 17 2015 16 スペイン (注) 欧州委予測は、2015年秋季見通しベース。 (資料) 各国財務省、欧州委員会より、みずほ総合研究所作成 2016 2017 (資料) 各国財務省、欧州委員会より、みずほ総合研究所作成 4 17 DPを脱却する計画で合意していた。その合意の下、景気の先行きに楽観的な政府は、予算案におい て、2016年の財政赤字のGDP比が2.8%まで改善すると予測している(前頁図表5)。一方、景気に慎 重な欧州委は財政赤字のGDP比を3.5%と予測し、同年にはEDPから脱却できないと指摘している。 フランスに関しても、2017年のEDP脱却時期を巡って見解の相違がある。欧州委は、予算案にお ける2016年の緊縮規模が、2017年にEDPを脱却するには不十分であること等を指摘し、2017年の財 政赤字のGDP比を3.3%と予測する。政府が予測する財政赤字(GDP比2.7%)との差は大きい。 イタリアについては、中期財政計画の大幅な修正が問題視された。2015年春時点の中期財政計画で は、2017年に構造的財政収支を均衡させることを目指し、2016年も緊縮財政を継続することになって いた。しかし、今回の政府予算案は、2016年の緊縮財政を取り止め、その結果、均衡時期が1年後ずれ する内容だった。欧州委は、中期財政計画から深刻に逸脱するリスクがあると警告している。 (3)欧州委の対応次第では財政規律への信認が低下する可能性も 欧州委は予算案等の是正を求めているが、3カ国とも修正に応じない方針だ。特に、フランスとイタ リアは強硬である。フランスでは、バルス首相が、パリで発生したテロを受けた安全保障対策の必要 性を指摘し、「従来の財政計画から逸脱することを、欧州委は理解しなければならない」と反論して いる。イタリア政府は、例外規定を適用して財政計画の修正を認めるよう欧州委に求めている。政府 によると、緊縮規模が縮小したのは、構造改革に係る歳出が増加したことが理由という。 欧州委は、各国の中期財政計画に対して勧告を行う2016年春に、スペインとフランスに関してはE DP脱却期限を延長するのか、イタリアに関しては中期財政計画の修正を認めるのかという判断を迫 られるだろう。その際、元々は是正を求めていたにも関わらず、例外規定を適用してEDP脱却期限 の延長や中期財政計画の修正を認めれば、2015年予算案の審査時と同様、欧州委に対する批判が強ま るとみられる。欧州委の対応が財政規律の緩みにつながるものと捉えられれば、各国の国債利回りが 上昇するなど、財政規律への信認が揺らぐ可能性もある。 4.依然として残るSGPの課題 ガイドラインに関する批判や、2015・2016年予算案を巡る各国と欧州委の対立は、強化された後も SGPが依然として課題を抱えていることが一因と考えられる。課題は大きく分けて4つある。 (1)SGPが抱える 4 つの課題 課題 1:評価・勧告者である欧州委の政治的中立性 SGPでは、翌年の予算案・中期財政計画の是正を欧州委が勧告し、財政健全化への取り組みが不 十分な国に対する制裁金・罰金の勧告も欧州委が行う。これらの勧告は最終的に ECOFIN によって承認 される必要があるが、欧州委が果たす役割は極めて大きい。欧州委がこうした重要な役割を任されて いる理由は、各国の選挙を通じて選出されない欧州委メンバーが、出身国の政治的な圧力を受けず、 EU全体の利益のために行動するとされているからだ。 しかし現実には、2015 年予算案審査の際、欧州委は大国に甘いという疑念が生じた。特にフランス については、欧州委で予算案の審査を行う経済担当のモスコビシ委員がフランス出身であり、かつて フランス財務相だった時にEDP脱却期限の延長を申請した経緯があるために、フランスに対して厳 しい審査はできないとの見方がなされた。また、フランスで反EU政党が支持を伸ばす中、欧州委は 5 EU批判の高まりを避けるべくフランスの財政緩和を認めたとも指摘された。 課題 2:SGPの例外規定適用における裁量の余地 例外規定適用の判断では、欧州委の裁量に委ねられる部分が大きい。例えば、構造改革が経済に及 ぼす影響を評価する際、改革の規模を定量化し、経済情勢の前提を定める必要があるが、定量化・前 提の設定は欧州委に任されている。この結果、欧州委にとって都合の良い設定がなされ、それが例外 規定適用の判断に重大な影響を及ぼす可能性がある。 課題 3:SGPの強制力の弱さ SGPでは、預託金・罰金制度を設けており、各国が預託金・罰金を避けるために財政健全化に取 り組むことが前提とされている。しかし、預託金は将来的に返還される可能性があり、罰金の規模も GDP比0.2%(罰金の累積上限は同0.5%)と、その経済的負担はさほど大きくない。こうした預託金・ 罰金制度が、各国政府に財政健全化を進めさせるインセンティブになっているのか疑問が残る。 そもそも預託金・罰金が科されるかという点にも留意が必要である。SGPでは、欧州委の勧告を ECOFINが多数決で否決しない限り、預託金・罰金が科される。しかし、Eyraud and Wu(2013)は結託の 可能性を指摘する。即ち、ECOFINを構成する各国の財務相は、将来的に自国に預託金・罰金勧告が出 される場合を懸念し、他国への預託金・罰金勧告に反対するインセンティブがあるという。 課題 4:財政健全化に向けた取り組みの十分性を判断する基準 SGPでは、中期財政目標に未達の国やEDP下にある国は、毎年、GDP比0.5%の規模の緊縮財 政を実施しなければならない。しかし、緊縮規模をGDP比0.5%とするのは厳し過ぎると考えられる。 この数値基準がSGPに組み込まれたのは2005年であり、当時、ユーロ圏の潜在成長率は2%程度だっ た。一方、足元の潜在成長率は1%に満たない低水準にとどまる。こうした経済情勢の大きな違いを踏 まえず、単にGDP比0.5%という基準を使い続けることは現実的でない。 (2)課題にどう対応すべきか 今後重要となるのは、これらの課題への取り組みである。本稿が望ましいと考える課題への対応策 や、先行研究が提示する対応策は以下の通りである。ただし、対応策が新たな課題を生む可能性が残 っており、欧州の政策当局者は難しい取り組みを求められている。 第1・第2の課題に関しては、例外規定の適用判断において欧州委の裁量に委ねられる部分を縮小す べきである。欧州委の裁量に委ねられる部分を縮小し、機械的な適用基準とすることには、欧州委の 政治的中立性への疑念を防ぐ効果があるだろう。例えば、構造改革が経済に及ぼす影響の評価におい て裁量の発生が避けられないなら、構造改革を例外規定の適用基準から除き、景気悪化だけを例外規 定の適用条件とすることが一つの対応策となろう。更に、例外規定の適用回数に制約を課し、「例外」 であることを強調すべきだ。報道によると、ECOFINは現在、例外規定の適用回数に上限を設けること などを検討しているという。 第3の課題に関しては、将来的に返還される可能性がある預託金を撤廃し、罰金に一本化すると共に、 ほぼ自動的に罰金を科す制度を設けるべきだ。例えば、Eyraud and Wu(2013)は、罰金を求める欧州委 の勧告をECOFINが「全会一致で否決」しない限り、罰金が発動される仕組みを提案している。各国の 財務相が罰金勧告に反対するインセンティブを完全に排除できるわけではないが、現在と比べ、罰金 が科される可能性は高まるはずだ。同時に、経済的な負担の大きくない現在の罰金額を引き上げる必 6 要もある。 第4の課題については、GDP比0.5%の規模の緊縮財政を実施するという数値基準を引き下げるべ きだ。現実的ではない基準を使い続けることは、例外規定の濫用を招くと考えられる。足元の経済実 態を踏まえて基準を修正すると共に、経済実態に応じて基準の再修正が可能とする制度を設ける必要 があるだろう。ただし、基準の再修正自体が新たな裁量を招くという可能性が残る点には留意が必要 である。 4.おわりに 以上みてきた通り、債務危機後に強化されたとは言え、SGPには依然として課題が残っていると 思われる。そうした課題を放置したままでは、財政規律が再び緩む可能性がある。また、各国の財政 健全化への取り組みが遅れ、将来的な債務危機のリスクを高めることにもなる。欧州の政策当局者に は、こうした課題への対応が求められる。 【参考資料】 Council of the European Union(2015), Opinion of the legal service: Communication from the Commission to the European Parliament, the Council, the European Central Bank, the Economic and Social Committee, the Committee of the Regions and the European Investment Bank making the best use of the flexibility within the existing rules of the Stability and Growth Pact, 7th April 2015 European Central Bank(2015) “The short-term fiscal implications of structural reforms”, ECB Economic Bulletin, Issue7, 2015 European Commission(2013), “Vade mecum on the Stability and Growth Pact”, Occasional Papers 151, May 2013 European Commission(2015), Communication from the commission to the European Parliament, the Council, the European Central Bank, the Economic and Social Committee, the Committee of the Regions and the European Investment Bank: Making the best use of the flexibility within the existing rules of the Stability and Growth Pact, 13th January 2015 Financial Times(2015), “Eurozone needs independent fiscal oversight, says Dijsselboem”, 4th Novermber 2015 Luc Eyraud and Tao Wu(2013), “Playing by the rules: reforming fiscal governance in Europe”, IMF Working Paper, WP/15/67, 2013 Wall Street Journal(2015), “ECB’s Mersch: Not punishing countries that break fiscal rules hits credibility”, 24th April 2015 7 1 本稿では特に断りの無い限り、 「各国」はユーロ参加国を意味し、 「財政規律を維持する枠組み」はユーロ参加国を対象とする。 EU運営条約 126 条は、各国に過剰な財政赤字を回避することを義務付けると共に、過剰な財政赤字を抱えた場合の是正手続 きを定める(同条約の付属議定書 12 号がGDP比 3%を超える財政赤字を過剰と定義する)。同条約 121 条は、各国の経済政策を 共通関心事項とみなし、各国と欧州委・ECOFIN が経済政策の内容を調整すると共に、必要ならば、欧州委・ECOFIN が各国に是正 を勧告するという多角的監視手続きを定める。更に、EU運営条約 136 条は、ユーロ参加国を対象に、同条約 121 条・126 条で 定められた手続きを強化する。SGPとは、これらEU運営条約 121 条・126 条・136 条を実施するための詳細を定めた 2 次法(E U規則等)のことである。 3 債務危機前、SGPの第 1 ステージは、財政状況の監視及び経済政策の調整・監視の強化に関するEC規則 1466/97 号、EC 規則 1466/97 号を改正するためのEC規則 1055/2005 号で詳細が定められていた。図表 1 のAは、EC規則 1055/2005 号による 改正後のSGPに関するものである。これら規則によると、各国は構造的財政赤字のGDP比を 1.0%以下に抑制するという中 期財政目標を設定し(EC規則 1055/2005 号 2a 条)、目標達成のため、安定プログラムと呼ばれる中期財政計画を策定する(EC 規則 1466/97 号 3 条)。各国が中期財政目標の達成に向けて十分に取り組んでいるかは、構造的財政赤字のGDP比が年 0.5%pt 改善しているかがベンチマークとされる(EC規則 1055/2005 号 5 条)。 4 債務危機前、SGPの第 2 ステージは、過剰財政赤字手続の実行の迅速化・明確化に関するEC規則 1467/97 号、EC規則 1467/97 号を改正するためのEC規則 1056/2005 号で詳細が定められていた。図表 1 のBは、EC規則 1056/2005 号による改正後のSG Pに関するものである。これら規則によると、ある国が過剰財政赤字を抱えると欧州委が判断した場合、ECOFIN に意見・勧告を 提出し、ECOFIN が過剰財政赤字の有無を決定する(EC規則 1467/97 号 3 条)。ただし、実質GDP成長率が負となったり、潜在 成長率を下回る低成長が長期に亘って続き、生産が累積的に失われていたりする場合、過剰財政赤字は例外的とみなされる(EC 規則 1056/2005 号 2 条)。過剰財政赤字があると決定した場合、ECOFIN はその国に是正を勧告し、その勧告の中で、構造的財政 赤字のGDP比を年 0.5%pt 改善させるよう求める(EC規則 1056/2005 号 3 条)。是正措置が十分に講じられていない場合、そ の国は、過剰財政赤字の規模に応じた預託金をEUに収めるが、1 年あたりの預託金はGDP比 0.5%を超えない(EC規則 1467/1997 号 12 条)。預託金の決定から 2 年経過しても過剰財政赤字が是正されない場合、預託金は罰金に変更され、払い戻さ れない(EC規則 1467/1997 号 13 条)。 5 債務危機後、SGPの第 1 ステージを強化したのは、EC規則 1466/97 号を改正するためのEU規則 1175/2011 号である。ま た、ユーロ参加国のみを対象として第 1 ステージを強化したのは、ユーロ圏における財政監視の強化に関するEU規則 1173/2011 号、ユーロ参加国の予算案の監視・評価及び過剰財政赤字の確実な是正に係る共通規定を定めるEU規則 473/2013 号、2013 年 の政府間協定「経済・通貨同盟における安定・協調・統治に関する条約(いわゆる財政協定)」である。これらの規則・協定の下、 各国は構造的財政赤字のGDP比を 0.5%以下に抑制するという中期財政目標を設定し、その目標を拘束力・永続性のある各国 法(憲法が望ましい)に明記するほか(財政協定 3 条)、歳出(利払い費等を除く)の増加率は潜在成長率を上限とする(EU規則 1175/2011 号 5 条)。各国が中期財政目標の達成に向けて取り組んでいるかは、構造的財政赤字のGDP比が年 0.5%pt 改善して いるかがベンチマークとされるが、債務残高のGDP比が 60%を超える場合、構造的財政赤字が年 0.5%pt のベンチマークを上 回って改善しているかが検証される(EC規則 1175/2011 号 5 条)。そして、ある国が中期財政目標の達成に向けて十分に取り組 んでいない場合、その国はGDP比 0.2%の預託金を欧州委に収める(EU規則 1173/2011 号 4 条)。また、各国は毎年 10 月 15 日までに翌年の予算案や、前提となる経済見通し等を欧州委とユーロ圏財務相会合に提出し(EU規則 473/2013 号 4 条)、11 月 30 日までに欧州委は予算案が中期財政目標の達成に十分な内容であるかを審査し、必要と判断した場合、予算案の是正・再提出 を求める(EU規則 473/2013 号 7 条)。なお、EU規則 473/2013 号と、金融安定性に関して深刻な懸念を抱えるユーロ参加国に 対する経済・財政監視の強化に関するEU規則 472/2013 号の 2 つが、いわゆるツー・パックである。 6 債務危機後、SGPの第 2 ステージを強化したのは、EC規則 1467/97 号を改正するためのEU規則 1177/2011 号である。ま た、ユーロ参加国のみを対象として第 2 ステージを強化したのは、ユーロ圏における財政監視の効果的な実施に関するEU規則 1173/2011 号である。これら規則によると、過剰財政赤字の有無は財政収支の基準に加え、債務残高のGDP比が 60%を下回っ ているか、或いは、60%を上回っているが十分なペースで縮小しているかによって判断される(EU規則 1177/2011 号 1 条)。債 務残高の十分なペースでの縮小とは、過去 3 年間と今後 2 年間において、債務残高のGDP比と 60%との差分が、毎年平均して 5%pt 縮小していくかなどで判断される(EU規則 1177/2011 号 2 条)。また、ある国が過剰財政赤字の縮小に向けて十分に取り 組んでいないと判断された場合、ECOFIN が多数決で否決しない限り、その国には罰金が科される(EU規則 1173/2011 号 6 条)。 なお、第 1・第 2 ステージを強化するための 3 つの規則(EU規則 1175/2011 号、EU規則 1177/2011 号、EU規則 1173/2011 号) に加え、財政統計に関するEU指令 2011/85 号、ユーロ参加国におけるマクロ不経済の不均衡を是正するための手段強化に関す るEU規則 1174/2011 号、マクロ経済の不均衡の予防・是正に関するEU規則 1176/2011 号の合計 6 規則・指令が、いわゆるシ ックス・パックである。 7 European Commission(2015)。 8 本節で述べる批判に加え、そもそも法的根拠に乏しいとの指摘がある。Council of the Europe Union(2015)は、欧州委が例外 規定に対して独自の法解釈を持ち出すことは自由だが、SGPの詳細を定めるものは、 「実務基準:SGP実施の特定化及び安定・ 収斂プログラムの形式・内容に関するガイドライン」であると指摘する。その上で、この実務基準を踏まえれば、構造改革の実 施によって財政赤字削減ペースの緩和が認められるには、その改革の法制化が必要と述べる。 2 ●当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに 基づき作成されておりますが、その正確性、確実性を保証するものではありません。また、本資料に記載された内容は予告なしに変更されることもあります。 8
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