題:神様のプレゼント:「喜び」 聖書:
聖書:ルカによる福音書2
ルカによる福音書2章
ルカによる福音書2章8-12 節
Title: God s Present: Joy
The Bible: Luke 2:8
2:8-12
’
“
”
序
論
Introduction
●先週の日曜日から、
先週の日曜日から、キリスト教の暦では、アドベント
キリスト教の暦では、アドベント(
アドベント(待降節)
待降節)が始まった。アドベントと
が始まった。アドベントとは、
アドベントとは、主のご
は、主のご
降誕を
降誕を記念する
記念するクリスマス
するクリスマス当日、すなわち、
クリスマス当日、すなわち、12
当日、すなわち、12 月 25 日の 4 回前の日曜日
前の日曜日からクリスマスまでの
日曜日からクリスマスまでの期
からクリスマスまでの期
間を言う。その間、イエス様をお迎えする心
を言う。その間、イエス様をお迎えする心の備えを
備えをして待ち望むという意図と目的がある。
して待ち望むという意図と目的がある。
•
From last Sunday, according to the Christian calendar “Advent” has begun. Advent is what we call the period
beginning four Sundays before the rememberance of Nativity of the Lord; that is, December 25th. During that
time, the purpose and goal is to prepare the heart to welcome Jesus and wait in hope.
●この間、多くの教会では、4
●この間、多くの教会では、4 回の日曜日にアドベント・キャンドルという 4 本のロウソクに、毎週一
本づつ
本づつ火を灯していく習慣がある。
火を灯していく習慣がある。もちろんこの習慣は聖書に記されているものでも、命じられて
いるものではない。長い教会の歴史の中でクリスマスを信仰的に待ち望む者たちの願い・思いから
生まれてきた儀式であり習慣である。一般的に:
•
During this time, many churches have the custom of lighting each week one of the 4 Advent candles on the 4
Sundays. Of course this practice isn’t recorded in the Bible or something we believe. It is a practice and
ceremony of a long Church history which has been borne of the thoughts and wishes of those who wait
faithfully in hope for Christmas.
1.1本目のロ
1.1本目のロウソクは、
1本目のロウソクは、預言
ウソクは、預言のロウソクと言われ、
預言のロウソクと言われ、希望
のロウソクと言われ、希望を意味する。
希望を意味する。
1. The first candle is called the candle of prophecy, and it means Hope.
2.2
2.2 本目のロウソクは、天使
本目のロウソクは、天使のロウソクと言われ、
天使のロウソクと言われ、平和
のロウソクと言われ、平和を意味する。
平和を意味する。
2. The second candle is called the candle of angles, and it means Peace.
3.3本目のロウソクは、
3本目のロウソクは、羊飼いのロウソクと言われ、
羊飼いのロウソクと言われ、喜び
のロウソクと言われ、喜びを意味する。
喜びを意味する。
3. The third candle
candle is called the candle of the shepherd, and it means Joy.
4.4
4.4 本目のロウソクは、ベツレヘム
本目のロウソクは、ベツレヘムのロウソクと言われ、愛を意味する。
ベツレヘムのロウソクと言われ、愛を意味する。
4. The fourth candle is called the candle of Bethlehem, and it means Love.
●今年、私たちの教会としては、先ほどしたように、
●今年、私たちの教会としては、先ほどしたように、今日
私たちの教会としては、先ほどしたように、今日からキャンドルに火をつけ始めた。そして、
今日からキャンドルに火をつけ始めた。そして、
一本一本に火を灯しながら、順番は上記とは
一本一本に火を灯しながら、順番は上記とは違
上記とは違うが、キャンドルの意味である希望、平和、喜び、
が、キャンドルの意味である希望、平和、喜び、
愛について、毎回の礼拝、また祝会で学んでいきたい。
•
This year, at our church, as I have just described we have started lighting the candles from today. And, as we
light them one by one, though it may be in a different order from the above we will learn about Hope, Peace,
Joy and Love every week at worship and prayer meetings.
●そもそも、クリスマスとは何か? 質問を変える。なぜ、
質問を変える。なぜ、クリスマス
変える。なぜ、クリスマスと言うと、プレゼントのイメー
クリスマスと言うと、プレゼントのイメー
ジが出てくるのか? プレゼントはクリスマスとどういう関係があるのか?
•
To begin with, what is Christmas? Let’s change the question: Why, when we say Christmas, do we conjure the
image of presents? What sort of relationship do presents have to Christmas?
1.それは、プレゼントがクリスマスの中心だからである。
1. The answer is that presents are at the heart of Christmas.
2.クリスマスの意味を最も端的に(
2.クリスマスの意味を最も端的に(率直に、明確に)
率直に、明確に)表している聖書の言葉に以下の言葉がある。
表している聖書の言葉に以下の言葉がある。
2. The words of the Bible which most straightforwardly (frankly
(frankly,, clearly) show this are
the words below:
1
(1)イザヤ9:
(1)イザヤ9:6「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。一人の男の子が、私たちに
イザヤ9:6「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。一人の男の子が、私たちに与
6「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。一人の男の子が、私たちに与
えられる(a
えられる(a child is given unto us)」。
us)」。
(1) Isaiah 9:6 For to us a child is born, to us a son is given.
(2)ヨハネ3:16「神は実
(2)ヨハネ3:16「神は実にそのひとり子をお与えになった
ヨハネ3:16「神は実にそのひとり子をお与えになった(
にそのひとり子をお与えになった(He gave His only Son)
Son)ほどに世を愛さ
れた」。聖書中の聖書と言
れた」。聖書中の聖書と言われる、聖書の中で最も有名な箇所である。
聖書中の聖書と言われる、聖書の中で最も有名な箇所である。
(2) John 3:16 For God so loved the world that he gave his only Son . This is
called the Bible within the Bible, the most famous passage within the Bible.
3.これら
3.これら二
これら二つの聖句
つの聖句を貫いている共通
いている共通のメ
共通のメッセ
のメッセージ
ッセージは、
ージは、「
は、「神様が、私たちのために御
神様が、私たちのために御子を与
子を与えられ
た、プレゼントされた」という
た、プレゼントされた」という事
された」という事実である。
3. The common message shooting through these
these two scriptures is the truth that God
gave His Son for us and made a present of Him .
4.すなわち、クリスマスの中心は、御
4.すなわち、クリスマスの中心は、御子と言う神様の私たちへ
子と言う神様の私たちへのプレゼントであり、その
のプレゼントであり、その事
り、その事実、
その意味を来
その意味を来る年ごとに味わい、感謝
る年ごとに味わい、感謝す
感謝するのがクリスマスにするべ
のがクリスマスにするべきことである。
きことである。
4. In other words, at the center of Christmas is the pres
present
ent of God,
God, as the Son, to us,
and that truth and that meaning is something we celebrate and give thanks for
every coming year is given to Christmas.
●その意味で、前述
その意味で、前述した、「希望」「平和」「喜び」「愛」は、その御
した、「希望」「平和」「喜び」「愛」は、その御子というプレゼントを通
子というプレゼントを通して、具体
して、具体的に
具体的に
私たちに与
私たちに与えられたものである。言い換
えられたものである。言い換えるなら、私たちは、御
えるなら、私たちは、御子を通
子を通して、クリスマスに神様か
ら「希望」「平和」「喜び」「愛」のプレゼントを神様から
ら「希望」「平和」「喜び」「愛」のプレゼントを神様から頂
」「愛」のプレゼントを神様から頂いたのである。
“
”
“
”
“
”
•
With that in mind, the abovementioned “Hope”, “Peace”, “Joy” and “Love” are conveyed through the present
of the Son as the embodiment of these things given to us. To put it another way, we – through the Son – at
Christmas receive from God the His presents of “Hope”, “Peace”, “Joy” and “Love”.
●今日はその第
今日はその第一回目として、神様がくださるクリスマス・プレゼント、
一回目として、神様がくださるクリスマス・プレゼント、「喜び」
神様がくださるクリスマス・プレゼント、「喜び」について学びたい
「喜び」について学びたい。
について学びたい。
•
Today, as the first Sunday, let us learn about the Christmas present of “Joy” from God.
本
論
Main Message
Ⅰ.人々は「喜び」を求めている。
I.
People seek
“joy”.
A. 人々の体験・言葉から:
A. From people’s experiences and words:
1.ある有名な
1.ある有名な伝道
ある有名な伝道者は言った。「人は生れ
伝道者は言った。「人は生れ落
者は言った。「人は生れ落ちたその瞬
ちたその瞬間から喜びを求
間から喜びを求める旅
める旅に出るのだ」と。
に出るのだ」と。
1. A famous missionary said From the moment that man is born he sets off on
the journey to seek joy.
2.私もそうだった。とにかく心を満
2.私もそうだった。とにかく心を満たす喜びが欲
たす喜びが欲しかった。当時
しかった。当時(今から 49 年前、約半
年前、約半世
約半世紀
前)、17才
、17才、
7才、高校2年生であ
高校2年生であった私は、
2年生であった私は、勉強
った私は、勉強を
勉強を終えると、クラブ活動
えると、クラブ活動(
ラブ活動(サッカー
サッカー部
カー部)もそこそ
こに、ボ
こに、ボーリング
ーリングに、映画
に、映画に、
に、冬
冬
ならスキーに、様
ならスキーに、
様
々
な
遊
び
に
「
喜び」を求
喜び」を
求
めた。
映画に、
2. I too was like that. At the very least I wanted a joy which would satisfy my heart.
At the time (49 years ago, almost half a century), when I who was 17
17 and a
junior in high school was finished with my studies, I went straight from my club
activities (soccer) to bowling, movies, skiing in the winter, and all sorts of
enj
enjoyment seeking joy .
3.お金
3.お金があっても、よし仕事
があっても、よし仕事がうまくいき、
仕事がうまくいき、地位や身分
がうまくいき、地位や身分が上がっても、ほかに何があっても、
地位や身分が上がっても、ほかに何があっても、
もし人生に「喜び」がないなら、それらは何の意味もない。
“
”
–
–
“
”
2
3. Even if we have money,
money, even if we have a good job going well and status and
have moved up the ladder even if we have other things, if we don t have joy
in our lives then they have no meaning.
4.「喜び」こそがあなたの、私の人生を変える鍵
.「喜び」こそがあなたの、私の人生を変える鍵である。
4. Joy is the key to changing yours and my lives.
–
“
’
“
”
”
B.聖書に次のような有名な言葉がある。
B.
The Bible has the following famous words:
1.「
1.「常に喜び、絶えず祈り、す
ず祈り、すべ
り、すべてのことに感謝
てのことに感謝しなさい」
感謝しなさい」(
しなさい」(Ⅰテサロ
Ⅰテサロニケ5:1
ニケ5:17
:17-18)
-18)。
1. Rejoice always, pray constantly, give thanks in all circumstances (1
Thessalonians 5:165:16-18)
2.ジ
2.ジョン・ウェ
ン・ウェスレー(
スレー(メソジストの創立
メソジストの創立者
創立者)は、これこそクリスチ
これこそクリスチャンの、そして人間のある
べき姿である、
である、とこの聖句
この聖句にコメントした
メントした。
した。常に喜んでいる-それが人間の幸せ
-それが人間の幸せである。
幸せである。
2. John Wesley (founder of the Methodists) made the comment on these two
scriptures that this itself is the way Christians and indeed man should be.
Rejoice always that is the happiness of man.
“
”
st
–
Ⅱ.クリスマスは、まさに神様が、その「喜び」を私たちにプレゼントしてくださった日である。
II.
Christmas is exactly the day God made a present of that
“Joy”
to us.
A.今日の聖書箇所をもう一度見たい。
A. Let us look once more at today’s Bible passage.
1.天使たちが、イエス様の誕生
1.天使たちが、イエス様の誕生の
天使たちが、イエス様の誕生のNEWSを羊飼いたちに
NEWSを羊飼いたちに知
を羊飼いたちに知らせた場面である。そのとき天使
場面である。そのとき天使
たちは羊飼いたちに言った。「恐
たちは羊飼いたちに言った。「恐れることはありませ
れることはありません。今、私はこの民全体
ん。今、私はこの民全体のためのす
民全体のためのすば
のためのすば
らしい喜び(Great Joy)を知らせに来たのです」(
たのです」(ルカ2:1
ルカ2:10)と。
1. The scene is the angels having come to the shepherds to tell the news of
Jesus s birth. At that time, the angels said to the shepherds Be not afraid;
afraid; for
behold, I bring you good news of a great joy which will come to all
all the people .
(Luke 2:10
2:10).
2.ここで言われていることは、クリスマスとは神様が私たちに
2.ここで言われていることは、クリスマスとは神様が私たちに大
ここで言われていることは、クリスマスとは神様が私たちに大きな喜びを下さった日である。
2. What we are told here is that Christmas is a day when we receive a great joy
from God.
3.だから、「きよしこの
3.だから、「きよしこの夜
だから、「きよしこの夜」と並
」と並んで、クリスマスにクリスチ
んで、クリスマスにクリスチャン、ノ
ャン、ノン・クリスチ
ン・クリスチャンを問わ
ず、世界
、世界中で最も親
中で最も親しまれている賛美歌
しまれている賛美歌(
賛美歌(キャロル)
キャロル)は「もろびとこぞ
は「もろびとこぞりて」である
りて」である。その英語
。その英語
原題と歌詞
題と歌詞の
歌詞の始まりは、「Joy to the World」である。
3. Thus, even when compared to Silent Night , irrespective whether one is a
Christian or a nonnon-Christian, the hymn (carol) with which the world is most
familiar is Joy to the World , which is its name in English as well as the first line.
4.すなわち、繰
4.すなわち、繰り返すが、クリスマスは、喜びがこの世
すが、クリスマスは、喜びがこの世界
は、喜びがこの世界に来た日である。
4. In other words, to say it once more, Christmas is the day on which Joy came to
the world.
5.それゆ
.それゆえパウロは言う。神の国
ウロは言う。神の国は、飲
は、飲み食いのことではなく、義
いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだ
からです」(
からです」(ローマ 14:
14:17)と。神の国
と。神の国、クリスチ
、クリスチャン生涯
ャン生涯は、喜びの生涯
は、喜びの生涯なのである。
5. That is why Paul says For
For the kingdom of God does not mean food and drink
but righteousness and peace and joy in the Holy Spirit . (R
(Romans 14:17
14:17) God s
kingdom and the Christian life are a lifestyle of joy.
’
“
”
“
“
”
”
“
”
B. しかし、この「喜び」を多くの人々は誤解している。
B.
However, many people misunderstand this
“joy”.
3
’
1.ここで言う人間が
1.ここで言う人間が必要
ここで言う人間が必要としている「喜び」
必要としている「喜び」は
としている「喜び」は単なる「笑
なる「笑い」とは違う。もし
」とは違う。もし同
もし同じなら、多少面白
じなら、多少面白
いことを言う牧師
いことを言う牧師がいるにしても、教会などに
牧師がいるにしても、教会などに繰
がいるにしても、教会などに繰るよりも、お笑
るよりも、お笑い劇場か何かに
劇場か何かに行
か何かに行った方
った方が
良いかも知
いかも知れない。
1. The joy which people speak of being necessary here is different from simple
laughter . If it were the same,
same, rather than a bunch of pastor
pastors who say funny
things or winding through the churches it would probably be better we went to
comedy clubs or something.
(1)もちろん、
(1)もちろん、「
もちろん、「笑い」のある人生は素晴
い」のある人生は素晴らしい。
素晴らしい。大
らしい。大いに笑
いに笑うべきである。笑
きである。笑うことは健康
うことは健康の
健康の
秘訣とも言われるし、最
秘訣とも言われるし、最近
とも言われるし、最近では「笑
では「笑う宗教」まで生まれるほどである。
(1) Of course, it is a wonderful thing to have a life of laughter . There is much
to laugh about. It is said that laughter is the secret to health, and we re at the
point where there can be born a religion of laughter .
(2)感謝
(2)感謝なことは私は
感謝なことは私は個
なことは私は個人的に、私をいつも
人的に、私をいつも Happy にしてくれる笑
にしてくれる笑いに溢
いに溢れた妻
れた妻をもって
いることである。(
いることである。(私のジョ
私のジョークをほかの人が「寒
ークをほかの人が「寒がっている」ときでも、ほとんどいつも
笑ってくれる。たまに
ってくれる。たまに笑
。たまに笑わないこともあるが)
わないこともあるが)。
(2) Something to be thankful for is, to me personally, having a wife who always
makes me happy and overflows with laughter. (E
(Even when other people are
thinking so cold about my jokes, she almost always laughs for me.
Sometimes she doesn t, though.)
(3)しか
(3)しかし、
しかし、必ず
し、必ずしも、
必ずしも、笑
しも、笑い=(イコール)
ール)幸せとはならない。
幸せとはならない。つい
とはならない。つい最
つい最近も、多くの人々
、多くの人々に笑
いを届
いを届けた、米国映画業界
けた、米国映画業界できわめて
米国映画業界できわめて有名な
できわめて有名な一人の
有名な一人のコ
一人のコメディアンが
ディアンが、
アンが、笑いの陰
いの陰にあった
個人的な苦悩
人的な苦悩から
苦悩から自
から自ら命を断
ら命を断った。
(3) However, nevertheless, laughter eq
equals happiness is not how it is. Even
recently, a comedian whose laughter reached many and was very famous in
the American music industry lost his own life from the personal suffering in
the shadow of laughter.
(4)むかし、ある有名なカウン
(4)むかし、ある有名なカウンセラ
むかし、ある有名なカウンセラーのところに一人の男が
セラーのところに一人の男が苦悩
ーのところに一人の男が苦悩に
苦悩に満ちた顔
ちた顔をして相談
をして相談に
相談に来
た。そのカウンセラ
た。そのカウンセラーは
セラーは面談
ーは面談の最
面談の最後
の最後に、「まー、できれ
に、「まー、できれば
できれば、今町
、今町に来ているあの道化師
ているあの道化師の
道化師の
芸でも見
でも見てくれば
てくれば、悩みが吹
みが吹っ飛ぶかもしれない
飛ぶかもしれないね
かもしれないね」とアドバ
」とアドバイスとも冗談
イスとも冗談とも言えない
冗談とも言えない
言葉をかけた。するとその男は、寂
言葉をかけた。するとその男は、寂しそうに言った。「私がその道化師
しそうに言った。「私がその道化師なんです」と。
道化師なんです」と。
(4) Long
Long ago, a man whose face was filled with suffering came to a famous
counselor s shop for counseling. At the end of the interview, the counselor
said Well, if you can, if you go and see the performance of the clown who s
now in this town, your suffering may
may vanish in a way that can neither be
called wholly advice nor wholly a joke. Then the man said, sadly I am that
clown.
(5)笑
(5)笑いは大切
いは大切です。でも
大切です。でも笑
です。でも笑いは必ず
いは必ずしも、私たちが
必ずしも、私たちが必要
しも、私たちが必要とする喜びとは
必要とする喜びとは同
とする喜びとは同じではない。
(5) Laughter is important. But laughter is not necessarily the same as joy.
2.「喜び」はまた
2.「喜び」はまた楽
「喜び」はまた楽しみ、快楽
しみ、快楽とも違う。
快楽とも違う。
2. Joy is moreover different from enj
enjoyment and pleasure.
(1)今、世
(1)今、世界
今、世界には、私たちを楽
には、私たちを楽しませ
しませる様々
る様々なエンタ
なエンターテインメントと、それを経験
インメントと、それを経験する
経験するチ
するチ
ャンスが溢
ャンスが溢れている。
れている。
(1) Now, in the world, there is an abundance of various entertainment and other
enj
enjoyable opportunities.
(2)それらは確かに
(2)それらは確かに楽
それらは確かに楽しい。私たちを幸せ
しい。私たちを幸せだと思わ
幸せだと思わせ
だと思わせる力がある。
(2) These things are certainly enj
enjoyable. They have the power to make us
believe we are happy.
“
”
“
”
“
”
’
“
“
”
”
’
‘
’
’
“
’
”
“
”
“
”
4
(3)間違っていけないことは、
(3)間違っていけないことは、キリスト教はそのような
間違っていけないことは、キリスト教はそのような楽
キリスト教はそのような楽しみを否定
みを否定す
否定する禁欲主
禁欲主義ではない。
そのことは
のことは、イエス様がカナ
イエス様がカナというところで持
というところで持たれた親戚
たれた親戚の
親戚の結婚式で、
結婚式で、宴
式で、宴会中にぶ
会中にぶどう
酒がなくなったとき、最高
がなくなったとき、最高の味とクウォ
の味とクウォリティーの
ティーのぶ
ーのぶどう酒
どう酒を水から奇跡
から奇跡の
奇跡の力をもって
お造りになり、人々
りになり、人々をエンタ
をエンターテインされたことからも明らかである。
(3) What we mustn t get wrong is that Christianity is not that kind of stoicism
that denies enj
enjoyment. This is made clear at his relative
relative s wedding in Cana
where, when the wine ran out during the banq
banquet, he made the highest
quality and best tasting wine from wine through his miraculous power and
helped many people enj
enjoy themselves.
(4)しかし、
(4)しかし、同時
しかし、同時に、そのような
同時に、そのような楽
に、そのような楽しみ、快楽
しみ、快楽を味わうことを
快楽を味わうことを、
を味わうことを、人生や
人生や生涯の目的とするこ
とは神様の御
とは神様の御心ではない。
心ではない。
(4) However, at the same time, tasting this kind of enj
enjoyment and pleasure is not
what God has in His Heart as the purpose of our lives or lifestyles.
(5)なぜなら、そのような
(5)なぜなら、そのような楽
なぜなら、そのような楽しみ、快楽
しみ、快楽は、長
快楽は、長続
は、長続きしない、一時
きしない、一時的なものであり、深
的なものであり、深い人格
い人格
のそこからのものではなく、スキン・ディ
のそこからのものではなく、スキン・ディープと言いたい、
ディープと言いたい、皮相
ープと言いたい、皮相的、
皮相的、表
的、表面的、感覚的な
感覚的な
ものに過ぎ
ものに過ぎない
過ぎないからである。
ないからである。
(5) Thi
This is because this kind of enj
enjoyment and pleasure does not last long and is
only temporal;
temporal; it is not characteristic of a deep personality, but rather called
skin deep , merely shallow, superficial and sensuous.
(6)それは、よく
(6)それは、よく申
それは、よく申し上げ
し上げるように、丁度犬
るように、丁度犬が
丁度犬が撫でられたときにシッポ
でられたときにシッポを
シッポを振って喜ぶ
って喜ぶ喜びと
似ている。確かに撫
いる。確かに撫でられている間は気持
でられている間は気持ちが
気持ちが良
ちが良いから嬉
いから嬉しい。でも撫
しい。でも撫でるのをや
でるのをやめる
ともう犬
ともう犬は寂しそう、つまらなさそうにするのである。(
しそう、つまらなさそうにするのである。(ドラッグの
ラッグの快感にも
快感にも似
にも似ている)
ている)
(6) This is, as it is often said, just like the joy of a dog when he s pet and wags
his tail in happiness. Certainly when he s pet it is comfortable and so he is
happy. But, once you stop petting he looks sad and treats you as boring. (This
also resembles the feeling of drugs.)
(7)それらはみな外側
それらはみな外側からの
外側からの刺激
からの刺激に
刺激に支配されている
支配されているのであり、
されているのであり、内側
のであり、内側の人
内側の人格
の人格からではない。
からではない。
(7) These are all things used by people as ex
external stimulants, but it is not from
their internal characters.
(8)
(8)神様がイエス様にあって私たちにくださるプレゼントとしての「喜び」はそれら
神様がイエス様にあって私たちにくださるプレゼントとしての「喜び」はそれらとは違う。
(8) The present of joy in Jesus which God gave us is different than this.
’
’
‘
’
’
’
“
”
Ⅲ.それでは、神さまが、クリスマス、すなわち御子イエス様の誕生を通して、私たちにプレゼントしてくださった喜び
とはどんな喜びなのか?
III.
Well then, the Joy that God gifts us through Christmas
–
that is, Jesus’s birth
–
what kind of joy is
this?
A. 第一に、それは、罪から解放された喜び
A.
Firstly, it is a Joy which releases us from sin.
1.これは、
1.これは、野球
これは、野球で言うなら
野球で言うならファ
で言うならファーストベースに当たる。す
ファーストベースに当たる。すべ
ーストベースに当たる。すべてはここから始まるのである
てはここから始まるのである。
のである。フ
ァーストベースを踏
ーストベースを踏むことなくして、セ
むことなくして、セカンドベースも、サ
カンドベースも、サードベースもないし、ましてや
ードベースもないし、ましてや
ホームベースを踏
ームベースを踏んで得点
んで得点することはない。す
得点することはない。すべ
することはない。すべてはファ
てはファーストベース
ファーストベースから始まるのである。
ーストベースから始まるのである。
1. This is, as one
one might say in baseball, reaching first base. Everything begins with it.
If you don t step on first, you can t reach second or third, nor can you reach
home to score a run. Everything begins with first base.
2.クリスマスの喜び、クリス
2.クリスマスの喜び、クリスチ
クリスマスの喜び、クリスチャンの喜び、人生のまことの喜びは、すべ
ャンの喜び、人生のまことの喜びは、すべては喜びの人生のフ
は喜びの人生のフ
ァーストベース
ーストベース、
ース、即ち、犯
ち、犯してきた罪
してきた罪が赦された
された喜びから始まるのである。
’
’
5
2. The Joy of Christmas, the Joy of Christians, the true Joy of life all these begin
from Joy s first base of life;e; that is, the joy of being forgiven of sins you ve
committed.
3.言い換
3.言い換えるなら、罪
えるなら、罪の赦しを確信することなく、
しを確信することなく、曖昧
く、曖昧にしたままで、
曖昧にしたままで、ほかの喜びを味わおう
にしたままで、ほかの喜びを味わおう
としても、それは
としても、それはファ
、それはファーストベースを
ファーストベースを踏
ーストベースを踏まないでセ
まないでセカンドベースに進
カンドベースに進もうとするのと同
もうとするのと同じで
ある。
3. To put it another way, if we don t have belief in the forgiveness of sin and
ambiguously attempt to taste other kinds of joy, it is just like not touching first
and attempting to go directly to second.
4.あのダビデ王
4.あのダビデ王のこ
ダビデ王のことを思い出していただきたい。
のことを思い出していただきたい。
4. I would like us to recall King David.
(1)彼
(1)彼は、姦淫
は、姦淫と
姦淫と殺人という罪
人という罪を犯したときも、預言者ナタ
したときも、預言者ナタンが神様に
ナタンが神様に遣
ンが神様に遣わされて、その
わされて、その罪
、その罪
をダビデに
ダビデに指摘・
指摘・糾弾するまで、その
糾弾するまで、その罪
するまで、その罪について誰
について誰も知らなかった。
(1) When he committed adultery and murder, until God used the prophet
Nathan to point out and condemn David, nobody knew about those sins.
(2)それ
(2)それゆ
それゆえ、彼
え、彼は、口
は、口をつぐ
をつぐんで、表
んで、表面的には、以前のように何食
的には、以前のように何食わぬ顔をして、相
をして、相変わ
らず王としての
ず王としての座
としての座に座り、王
り、王としての執務
としての執務を
執務を行い、いつものように食事
い、いつものように食事をし、いつもの
食事をし、いつもの
ように(
ように(もしかするといつも以上に)
もしかするといつも以上に)「お楽
「お楽しみ」のときをもってい
しみ」のときをもっていたであろう。
ていたであろう。
(2) And so he kept silent, and outwardly as he has previously appeared as a
king who had not eaten and sat upon the throne, performing his duties as
king and eating and enj
enjoying himself as before (or possibly even more).
(3)しかし、その当
(3)しかし、その当時
しかし、その当時のことを思い
のことを思い起
思い起こして彼
こして彼は次のように、
のように、彼の心境
の心境、心の様子を詩篇
、心の様子を詩篇
32:
32:3-5 に記している。「・・・・」。
(3) However, as he remembered the events that had happened, his mental state
and state of his heart
heart are reflected in Psalm 29:329:3-5.
(4)彼
(4)彼が罪を隠し、その解決
し、その解決、
解決、即ち赦しを求
しを求めなかったときは、彼
めなかったときは、彼の心は、夏
の心は、夏の日照
の日照りのよ
うに渇
うに渇き、罪
き、罪を責める神の御
める神の御手、即ち良心の呵責
心の呵責が
呵責が重く彼の心にのしかかっていた。
(4) He hid his sin and, as a result, when he did not seek forgiveness his heart
became thirsty as if in a summer drought, and God s hand condemni
condemning his sin
that is, his guilt of conscience weighed heavily on his heart.
(5)一言で言うなら、表
(5)一言で言うなら、表面
一言で言うなら、表面的には地位
的には地位も名
地位も名誉
も名誉も何も変わらず
も何も変わらず、同じように快楽や楽
じように快楽や楽しみを味
快楽や楽しみを味
わえたとしても、彼
わえたとしても、彼の心にはひとつも幸せ感
の心にはひとつも幸せ感も喜びもなかったということである。
幸せ感も喜びもなかったということである。
(5) To put it in one word, outwardly nothing changed in terms of status or
prestige, and he tasted pleasures and enj
enjoyments as before;
before; yet in his heart
there wasn t one ounce of a happy feeling or joy.
(6)しかし、
(6)しかし、同
しかし、同じ詩篇 32 篇1-2節を見
1-2節を見るとき、彼
るとき、彼は初めて「幸
めて「幸い」「幸せ
い」「幸せ」「喜び」を
幸せ」「喜び」を奪
」「喜び」を奪回す
ることができたのである。
(6) However, when we look in the same Psalm 32 at verses 11-2, we see that he
is beginning to be able to recover that blessedness , happiness and joy .
5.ダビデの
ダビデの、また私たちの
また私たちの罪
私たちの罪の赦しはどこから
しはどこから来
どこから来るか? イエス・キリストから
イエス・キリストからである
からである。
である。
5. Wherefrom does David and our forgiveness of sin come?
come? It comes from
Jesus Christ.
(1)天から人として
(1)天から人として来
天から人として来られ、赤
られ、赤ん坊として馬小屋
として馬小屋で
馬小屋で生まれたお方
生まれたお方、苦難の中にも人として罪
の中にも人として罪
なき生涯
なき生涯を送られ、十字架
られ、十字架で
十字架で私たちの
私たちの罪を背負われた
背負われた救
われた救い主なるお方
い主なるお方から来
から来るのである。
るのである。
(1) It comes from the One who came from heaven to earth, who was born as a
babe in a manager, who lived a life without sin as a man in a world filled with
suffering, and who took up our sins upon the cross as the Savior.
–
’
’
’
“
”
’
–
–
’
“
–
–
6
” “
”
“
”
(2)このお
(2)このお方
このお方に罪を告白し、赦
し、赦しを求
しを求めるとき、私たちの
めるとき、私たちの罪
私たちの罪は赦されるのである。
されるのである。
(2) When we confess our sins and seek forgiveness from Him, our sins are
forgiven.
(3)そのとき、私たちもダビデ
そのとき、私たちもダビデとともに、「何と言う
ダビデとともに、「何と言う幸せ
とともに、「何と言う幸せ、
幸せ、何と言う喜びか!
何と言う喜びか! 私の犯
私の犯した罪
した罪
がすべ
がすべて赦されるとは!!
されるとは!!」と
!!」と叫
」と叫ぶことができるのである。
(3) At that point, we and David together are able to cry out O what happi
happiness,
O what joy!
oy! All my sins are forgiven!!
forgiven!!
(4)これがクリスマスのプレゼントである。
(4)これがクリスマスのプレゼントである。
(4) This is the present of Christmas.
“
”
B. 第二の喜びは神様と共に生きる喜びである。
B.
The second Joy is the joy of living alongside God.
1.人は、一人では生きていけない。人には、
1.人は、一人では生きていけない。人には、妻や
人は、一人では生きていけない。人には、妻や夫
妻や夫、親・子供
・子供、家族、
家族、友人、そういう人たち
と共に生きていくのが人生であり、人生の
に生きていくのが人生であり、人生の幸せ
が人生であり、人生の幸せはそこに
幸せはそこにある。
はそこにある。
1. Man should not live alone. For man, living alongside a wife or husband, parents
and children, family, friends is what life is about;
about; and it is where life s happiness
is.
2.それ
2.それゆ
それゆえ、どういう人々
え、どういう人々に囲まれるかで人生が決
まれるかで人生が決まると言える。その意味で、マーチ
まると言える。その意味で、マーチン・ブ
ン・ブ
ーバーは、「人生は出会いで決
ーは、「人生は出会いで決まる」と言った。
2. Therefore, we can
can say that the kind of people one s surrounds oneself with
decides a life. This is the meaning behind what Martin Buber said in Life is
decided upon encounters.
3.しかし、度々申
3.しかし、度々申し上
度々申し上げ
し上げるように、いつでも良
るように、いつでも良い出会いば
い出会いばかりとは言えない。
かりとは言えない。つらいときもあ
る、苦
る、苦しいときもある。
3. However, as it is often said, we cannot
cannot say that there will always be good
encounters all the time. There will be difficult times and trying times.
4.また、せ
4.また、せっかく良
っかく良い出会いであっても、いつまでもその人と一緒
い出会いであっても、いつまでもその人と一緒にいられないといこともあ
る。典型
る。典型的
典型的例は、色
は、色々な理由からの
理由からの引越
からの引越し
引越しや、また死
、また死による別離
による別離であ
別離である
である。
4. Also, even if we do happen to have good encounters, there are ccases
ases where we
cannot be forever beside these people. A typical ex
example of this is when we
become separated for various reasons due to a move or through death.
5.否、たといいつも一緒
、たといいつも一緒と言っても、24
と言っても、24/
24/7(4・
(4・6 時中)と言うわけにはいかない。また仮
と言うわけにはいかない。また仮に
年がら年中一緒
年がら年中一緒にいたとし
にいたとしても、
たとしても、悪
ても、悪気でなく心が離
でなく心が離れてしまい、
れてしまい、孤独
い、孤独を
孤独を感じることもある。
じることもある。
5. Nay, even
even if we are always with that person, we shan t say it is 24/
24/7 (around
the clock). And even if we were together year after year, our hearts can become
distant without any ill-l-will and we can feel isolated.
6.そのような人生の現
6.そのような人生の現実の中で、私たちの最高
実の中で、私たちの最高の幸せ・喜びは、
幸せ・喜びは、永遠
・喜びは、永遠の
永遠の伴侶者、
伴侶者、完璧
者、完璧な
完璧な伴侶者
伴侶者
と出会うことである。
と出会うことである。
6. Within that kind of reality of life, our greatest happiness and joy is to encounter
that eternal and perfect companion.
7.それは最早
それは最早人間の領域
人間の領域のことではない。なぜなら
領域のことではない。なぜなら地
のことではない。なぜなら地上に永遠
上に永遠の
永遠の伴侶者はいない。
伴侶者はいない。完璧
者はいない。完璧な
完璧な伴侶
者もいない。私たちの永遠
者もいない。私たちの永遠で
永遠で、完璧な
完璧な伴侶者となれるのは神様であるイエス様だけである。
伴侶者となれるのは神様であるイエス様だけである。
7. That is no longer the realm of man. That is because there is no eternal
companion upon the earth. Nor is there a perfect companion. The one who can
become our eternal and perfect companion is only Jesus who is God.
8.イエス様の誕生について、「処女
8.イエス様の誕生について、「処女が
処女が身ごもって男の子を産
ごもって男の子を産む。その名はイムマヌ
む。その名はイムマヌエルと言わ
れる。それ
れる。それは『神がわれらと共
神がわれらと共にいます』
にいます』と言う意味である」と預言された。
’
’
“
”
’
7
8. Regarding Jesus s birth, it was foretold that A boy would be born of a virgin.
He shall be called Emmanuel. That means God is with us.
9.イエスさまこそ、私たちと永遠
9.イエスさまこそ、私たちと永遠に
永遠に共に生きてくださる、完璧
に生きてくださる、完璧な
完璧な伴侶者である。このお
伴侶者である。このお方
者である。このお方と出
会ったこと、永遠
会ったこと、永遠に
永遠に共に生きるという契
に生きるという契りを結
りを結んだことは人生の最大
んだことは人生の最大の喜びである。
9. Jesus can live forever alongside us and be the perfect companion. When we
encounter Him, pledging to live alongside Him forever is the greatest Joy of life.
10.これがクリスマスの喜び、神様からのプレゼントである。
10. This is the Joy of Christmas and God s present.
’
“
‘
’”
’
C. 第三の喜びは、神様に仕える、即ち神様のために働く「喜び」である。
C.
The third Joy is the Joy of serving God
–
that is, the Joy of working for God’s sake.
1.この教会でも
この教会でもよく歌
よく歌う賛美の
賛美の歌詞"
歌詞"The greatest thing in all my life is serving you を思
いだして頂
いだして頂きたい。主にお
きたい。主にお仕
。主にお仕えすることが私の人生の最高
えすることが私の人生の最高・最大
・最大のことだと言う歌
のことだと言う歌である。
1. I would like for us to remember the words of a hymn we often sing: The
greatest thing in all my life is serving you. It is the song of serving God as the
best and greatest thing of our lives.
2.今の
2.今の時
今の時代は、「
は、「誰かに仕
かに仕える」など真
える」など真っ平ごめん。
っ平ごめん。誰か他の人の為
の人の為に生きるなど
に生きるなど考
きるなど考えられない。
と言う文
と言う文化・社会である。
2. In this age, serving another is something we flatly refuse. We cannot
cannot consider
something like living for another person s sake. That is our culture and society.
3.その中で
3.その中で生きていると
その中で生きていると、
生きていると、うっかりすると、いつのまにか、クリス
うっかりすると、いつのまにか、クリスチ
いつのまにか、クリスチャンも、私たちが
ャンも、私たちが神
私たちが神様に
仕えるのではなく、神様が私たちに仕
えるのではなく、神様が私たちに仕えるように期待しているという
るように期待しているという「
という「自己中心」
中心」の罠に陥
っている。しかし、そのような
っている。しかし、そのような自
。しかし、そのような自己中心の中に
中心の中には
の中には絶対に本当の深
に本当の深い喜びはない
い喜びはない。
はない。
3. If we live like that, if we do so carelessly,
carelessly, at some point rather than serving God
even Christians will fall into the selfself-centered trap of ex
expecting God to serve
us. Yet even in the midst of that selfself-centeredness there definitely is not true,
deep joy.
4.リ
4.リック・ウォ
ク・ウォーレンは、その著
ーレンは、その著書 Purpose Driven Life の中で、人生の
中で、人生の第
人生の第4の目的として
「あなたは神に仕
「あなたは神に仕えるために造
えるために造られた」と主張
られた」と主張している。
している。
4. Rick Warren claims in the book The Purpose Driven Life that the 4 purpose in
life is You were made to serve God.
5.即ち、私たち
ち、私たちがそれを
私たちがそれを好
がそれを好むと好
むと好まざるにかかわらず
るにかかわらず、「私たちは神に
私たちは神に仕
神に仕えるように造
えるように造られ
た」のである。それ
のである。それゆえ、神様に仕
、神様に仕えるために
えるために造
ために造られた私たちは、神様に仕
られた私たちは、神様に仕えるときに一番
えるときに一番
美しいし、一番満
しいし、一番満足するし、一番
するし、一番幸せ
、一番幸せだし、一番
幸せだし、一番光栄
だし、一番光栄を
光栄を感じるし、一番本領
じるし、一番本領を発揮できるし、
発揮できるし、
何よりも一番生き生きし、
何よりも一番生き生きし、喜び
生き生きし、喜びを実
喜びを実感
を実感できるのである
できるのである。
である。(水の中の魚
の中の魚のように)
のように)
5. In other words, irrespective of whether we prefer it or not, We were made to
serve God. Therefore, we who were made to serve God are able to be the most
beautiful, be the fullest, be the
the happiest, feel the most glory, shine the most, be
the liveliest, and actually feel Joy when we serve God. (Like a fish in water.)
6.先ほども引用
6.先ほども引用した
引用したイエス様
したイエス様が
イエス様が招かれた結婚
かれた結婚式で
結婚式での
式での出来事を思いだして
来事を思いだして頂
を思いだして頂きたい。披露
きたい。披露宴
披露宴の途
中でぶ
中でぶどう酒
どう酒がなくなってしまったのである。そのときイエス様は
がなくなってしまったのである。そのときイエス様は、
イエス様は、水を最高級のぶどう酒
どう酒
に変えるという奇跡
変えるという奇跡を
奇跡を起こされた。しかし、実は、その奇跡
された。しかし、実は、その奇跡の
奇跡の背後にはイエス様のために
はイエス様のために働
いき、仕
いき、仕えた人たち、
えた人たち、奇跡のために
奇跡のために用
のために用いられた人たちがいた
いられた人たちがいたのである
がいたのである。
のである。彼らのしたことは必
らのしたことは必
ずしも楽
しも楽なことではなかった。イエス様は彼
なことではなかった。イエス様は彼らに次
らに次のことを求
のことを求められた。宴
められた。宴会の場
会の場所からは
かなり離
かなり離れていたと思われる井戸
れていたと思われる井戸まで
井戸まで行
まで行って、
って、80-120
120 リットル入
トル入る水がめ6つを
がめ6つを水で満
たしなさいと言うものであった
たしなさいと言うものであった。
うものであった。「あー
「あー面倒くさい。今は
くさい。今はぶ
。今はぶどう酒
どう酒が必要なのに、
必要なのに、水
なのに、水なんか
汲んでどうするんだ。そんなことするのい
んでどうするんだ。そんなことするのいや
。そんなことするのいやだ」と言っても
だ」と言っても不
っても不思議でない。しかし、聖書は
でない。しかし、聖書は
言う。「彼
言う。「彼らは、水
らは、水がめを縁まで
がめを縁までいっ
縁までいっぱ
いっぱいにした」と。それは、彼
いにした」と。それは、彼らが、イエス様の言われた
”
“
”
“
”
’
“
”
th
“
”
“
”
8
ことを、いや
ことを、いやいや、不承不承、
不承不承、文句を言いながら、かろうじてや
を言いながら、かろうじてやったのではなく、力
ったのではなく、力いっぱ
いっぱ
い、精一杯やったことを意味していた。
6. I would like for us to recall the miracle at the wedding Jesus attended that was
mentioned earlier. The wine ran out during the banq
banquet. At that moment, Jesus
performed the miracle which changed the water into the finest wine. However,
in reality, behind that miracle were people who were used for the sake of the
miracle who worked for and served Jesus. What they did was by no means
something enj
enjoyable. Jesus sought the following thing from them: He told
told them
to go to a well which was thought to be quite far from the banq
banquet hall and fill
six
six 80
80-120
120 litre water jugs full of water. It would not be unimaginable to think
of them saying Oh, what a pain. Even though we need wine now, what good
will it be to draw water. We don t want to do it. However, the Bible says They
filled the jugs to the brim. ItIt s not that they did what Jesus told them to do
ally;; rather, it means that
unwillingly, reluctantly, while complaining, or only minimally
they did it with all thei
their strength and earnestly.
7.その結
その結果は、何であったか? 主催者(世話係り)
係り)も、列席
も、列席の人
列席の人々
の人々も、「どうしたんだこの酒
どうしたんだこの酒
は。実にうまい。どこから
実にうまい。どこから持
どこから持って来
って来たんだ。何で
たんだ。何で、
何で、こんなにうまい
んなにうまい酒
うまい酒を今頃
を今頃出すんだ」と、
出すんだ」と、
驚き、酒
き、酒に満足し、酒
し、酒を楽しみ喜んだ。彼
しみ喜んだ。彼らの喜びはそこまでであった。
7. And what was the result of that?
that? Both the
the host (the
(the one they were indebted to)
and those in attendance sai
said, surprised, What s up with this wine. It s really
good. Where did it come from?
from? Why have you brought out the good wine just
now?
now? They were joyous, filled with wine and enj
enjoying it. That was the ex
extent of
their joy.
8.しかし、イエス様に
8.しかし、イエス様に仕
イエス様に仕えて、お手
て、お手伝いをして水
いをして水を汲んだ人
んだ人々については
については、聖書はこのように
言う。「しかし、水
言う。「しかし、水を汲んだ手
んだ手伝いの者たちは知
いの者たちは知っていた」。何を
っていた」。何を知
何を知っていたのか?
8. However, as far as the people who served Jesus and helped out by drawing the
water are concerned, the Bible has this to say But those who drew the water
and helped out knew. What did they know?
know?
(1)言うまでもな
(1)言うまでもなく、
言うまでもなく、その
く、その酒
その酒がどこからどのようにしてそこにあったのかを知
がどこからどのようにしてそこにあったのかを知っていた。
(1) Though it goes without saying, they knew were this wine came from and
how it came to be there.
(2)言い
(2)言い換
言い換えるなら、彼
えるなら、彼らは、ただ宴
らは、ただ宴会の席
会の席に座っていた他
っていた他の人たちとは違って、イエス様
の協力者として、今回の件
者として、今回の件の裏方としてイエス様の愛と力
としてイエス様の愛と力の素晴らしさを「
素晴らしさを「知
らしさを「知った」ので
ある。そして、人
ある。そして、人々
。そして、人々がそれによってどんなに救
がそれによってどんなに救われ、喜んでいるかを知
われ、喜んでいるかを知ったのである。
(2)
(2) To put it another way, they were different that those that were simply sitting
in attendance at the banq
banquet;
uet; as Jesus s accomplices, they knew the
wonder of Jesus s love and power that lay behind this doing. And, they knew
to what ex
extent the people were
were saved by and happy from it.
(3)それ
(3)それゆ
それゆえ、水
え、水を汲んだ人たちは、そのとき、しみじみと神に仕
んだ人たちは、そのとき、しみじみと神に仕え、神のために働
え、神のために働き、神
のみ業
のみ業に一緒
に一緒に参加協力
参加協力することの興奮
することの興奮、
興奮、光栄と喜びを実
光栄と喜びを実感
と喜びを実感したであろう。
(3) Therefore, those who drew the water actually felt the ex
excitement, glory and
joy of fully serving God, working for God s sake, and cooperating alongsi
alongside
God s works at that time.
(4)個
(4)個人的証
人的証し:父
し:父が癌で亡くなる前、事業
くなる前、事業で
事業で破綻したとき、わ
破綻したとき、わず
したとき、わずかなことしかできなかっ
たが、一
たが、一緒に荷を担って、父
って、父を助け(?)ながら債権
ながら債権者のところを
債権者のところを歩
者のところを歩いて廻
いて廻った。そのとき、
った。そのとき、
初めてのように、父助
めてのように、父助け
父助けて一緒
て一緒に働く「喜び」を実
「喜び」を実感
を実感した。
“
’
”
”
“
’
“
’
’
”
“
”
’
“
’
’
’
9
”
(4) As a personal testament: Before my father died of cancer, when his business
went bankrupt, though it was only
only something small we shared his burden and
whilst helping him went around from creditor to creditor. At that time, that
was the first time I actually felt this kind of joy of helping my father and
working alongside him.
“
結
”
論
Conclusion
●クリスマス、それは神様が私たちに、
クリスマス、それは神様が私たちに、御
が私たちに、御子イエス様をとおして「
子イエス様をとおして「喜び」
喜び」をプレゼントとしてくださっ
た日を記念する日、シ
た日を記念する日、シーズンである。大
ンである。大いにそれを味わい、経験
いにそれを味わい、経験し、人
経験し、人々
し、人々にも分
にも分かち合
かち合いたい。
•
Christmas is the day and season in which we memorialize the day on which God gave to us the present of
“Joy” through His Son Jesus. I hope that we can all taste this, experience this, and understand this to its
fullest.
10