要介護高齢者を対象とした下肢伸展・屈曲 トレーニングに伴う歩行能力へ

奈良教育大学紀要 第55巻 第 2 号(自然)平成18年
Bull. Nara Univ. Educ., Vol. 55, No.2 (Nat. ) , 2006
29
要介護高齢者を対象とした下肢伸展・屈曲
トレーニングに伴う歩行能力への影響
若 吉 浩 二 ・ 和 田 洋 明*
奈良教育大学保健体育講座
(平成18年5月8日受理)
Influence of Leg Extension and Flexion Training on Walking Performance
According in Elderly Women and Men with Low Physical Fitness
Kohji WAKAYOSHI, Hiroaki WADA *
(Department of Health & Sports Science, Nara University of Education, Nara 630 - 8528 , Japan)
(Received May 8, 2006)
Abstract
The purpose of this study was to investigate whether elderly people with low physical fitness
who had participated in training program for improvement of walking performance showed an
improvement in their leg extension power and walking motion. A total of one elderly women and
three elderly men (from 71 to 88 years old) who had needed nursing participated in the training
program held for approximately 10 minutes a time and twice a week for 6 weeks. The subject executed 20 times by three sets of each leg extension and leg flexion a day by using the simply and
handy leg extension and flexion machine. Walking motions were filmed from a lateral angle
using digital video camera and analyzed before and after training. After training, the leg extension power was significantly increased and its relative increase rate was approximately 17%.
Moreover, three elderly people improved their walking speed by extending the stride length and
increasing the height of tiptoe in one cycle. The movement of hip, knee and ankle joints during
the walking had remarkably increased compared with before training. Therefore, it is thought
that the leg extension and flexion training using the simply and handy leg extension and flexion
machine is effective to the improvement of leg extension power and walking performance for elderly people with low physical strength who had needed nursing.
Key Words :
elderly person, walking motion,
leg extension and flexion, training
*奈良教育大学在学
キーワード:
高齢者,歩行動作,
下肢伸展・屈曲運動,トレーニング
30
若吉浩二・和田洋明
1.緒 言
るような簡便なトレーニング機器は余り見当たらない.
そこで本研究では,先行研究9)で試作した下肢筋群の伸
高齢化が進む我が国において,人が生活を営む上での
展・屈曲動作のトレーニングに有効と判断される体重負
基本的動作である歩行能力の維持・改善を行うことは,
荷式脚伸展・屈曲トレーニング機器(竹井機器工業によ
高齢者においてより重要な課題であるといえる.平成
り製作)(以後,健歩君)を用い,介護認定を受けてい
15年5月に健康増進法が施行され,「健康日本21」によ
る高齢者を対象に,6週間のトレーニングを行い,歩行
って健康づくりのための具体的指標が掲げられ,国全体
動作にどのような好影響を与えることができるか調査す
としても転倒又は寝たきりの予防対策が非常に注目され
ることを目的とする.
てきている.南谷13)は高齢期の運動の目的として,①身
2.研究方法
体活動能力の維持又は低下の防止,②自立又は日常生活
能力(ADL)の維持向上,③健康の保持による疾病の
予防,④生きがいと生活の質(QOL)の満足感を満た
すこと,を主眼とするべきであると述べている.
2.1.被験者
被験者は万葉苑大宮デイサービスセンターを利用し,
これまでの研究により,加齢による筋量の低下とそれ
トレーニング実施が可能と思われ,介護認定を受けてい
に伴い筋力が低下することが示されている 20).浅川ら 1)
る高齢者5名(71∼88歳)であった(表1,表2).実
は高齢者の膝伸展筋群や足背屈筋群が,日常生活におけ
験に先立ち,被験者全員に研究目的,手順,実施期間を
る基本的な起居・移動動作能力に重要な役割を果たす筋
説明し,実験参加の承諾を得た.
群であることを明らかにしている.また,高齢者におけ
表1
る歩行機能低下の主な要因において大腰筋の筋量の減
各被験者の身体的特性及び個人情報
少,足底屈・足背屈筋力の低下,バランス機能の低下,
及び関節可動域の低下などが多くの研究2, 4, 6, 8)により報
告されており,これらが複合的に作用し合うことによっ
て移動能力も衰えてくると考えられる.この場合,一般
的に高齢者に対する運動処方として,ウォーキングのよ
うな有酸素運動が中心に構成される傾向がある.
しかし,
月間200d以上ジョギングを行っているようなマスター
表2
ランナーにおいても速筋線維の萎縮が起こっていること
が示されている10)ことからも,ウォーキングなどの低強
度な運動のみでは,加齢に伴う速筋線維の萎縮に対する
要支援
抑制にはあまり貢献しない可能性が示唆される.さらに
は高齢者にとって重視すべき問題として身体諸機能の低
下だけでなく,筋量・骨量の減少とそれに伴う転倒の危
要介護1
要介護2
険性の増大を示唆している3).
つまり,上記のことを踏まえると,高齢者の下肢筋力
の維持・改善を行うことは歩行能力の向上だけでなく転
倒予防にも繋がり,QOLやADLを高い状態で維持する
要介護3
要介護4
ことが可能になり,有意義な社会生活を送るためにも必
要不可欠であると考えられる.
要介護5
要介護度の概要
要介護とは認められないが,社会生活の上で一部介助が必要
な状態.食事・排泄・衣類着脱はおおむね自立しているが,
非行・立ち上がりなどに不安定さが見られ,時々支援を要す
る状態.
生活の一部について介護が必要な状態.立ち上がり,座位保持,
歩行などが不安定.排泄後の後始末,入浴,衣類の着脱など
の一部介助が必要.
軽度の介護が必要な状態.立ち上がり,歩行などが自力でほ
ぼできない状態.排泄後の後始末,入浴,衣類の着脱に介助
が必要.物忘れや毎日の日課などにも理解の低下,周囲への
無関心などが見られる状態.
中等度の介護を要する状態.立ち上がり,歩行などが自力で
ほぼできない状態.排泄後の後始末,入浴,衣類の着脱に全
面的な介助が必要.物忘れや周囲への無関心などのほか,昼
夜逆転,介護への抵抗も始まる.
重度の介護を要する状態.入浴,排便などに全面的介助が必要.
尿意や便意が見られなくなり,昼夜逆転,介護への強い抵抗,
野外徘徊がみられる状態.
最重要の介護を要する状態.日常的には全面的介護が必要.
意思の伝達がなくなり,介護への抵抗,野外徘徊がいよいよ
強まる.
厚生労働省が2004年に介護制度を見直して以来,多
様な筋力トレーニング方法やトレーニングマシーンが開
2.2.実施期間
発されてきた.現在ではその種類も様々で,下肢筋群の
6週間に亘り,週2回のペースで計12回のトレーニン
強化を目的としたトレーニング機器だけでも数多く存在
グを行った.ただし,被験者Bを除く,5名中4名が最後
している.しかし,多くは大掛かりな設備が十分整って
までトレーニングを行った.
いるような施設でしか実施できないのが現状である.例
えば,それらを小さな自治体などで購入しうるかどうか
2.3.実験手順
と考えると,明らかに非現実的といえる.また下肢の多
健歩君(写真1)を用いて伸展運動・屈曲運動共に20
関節を効率よく伸展・屈曲運動することができ,運動や
回,休憩を挟みながら3セット行った.また,実施回数
トレーニングに慣れていない高齢者にも手軽に取り組め
4・6・8・10・12回目には健歩君に設置したフィットロ
要介護高齢者を対象とした下肢伸展・屈曲トレーニングに伴う歩行能力への影響
31
ダイン(S&Cプランニング社)を用いて,可能な限り
の速さで伸展するようにと指示し,伸展運動の速度とパ
ワーを各日5回計測した.さらに,実験初日と全実験終
了日に被験者の自由歩行(気持ちの良い速度で普通に歩
く)を側方よりデジタルビデオカメラ(Victor,GZMG67)を用いて40fpsで撮影した.撮影されたビデオ画
像を画像入力ソフト(ライブラリー社製)でパーソナル
コンピュータに取り込み,ファイル化したものを,動画
計測ソフト(ライブラリー社製)で分析を行った.ビデ
オ画像データより,片脚の踵が床に着く瞬間(踵着地時)
と爪先が床から離れる瞬間(爪先離床時)
,歩行速度,そ
れぞれの足関節角度,膝関節角度及び股関節角度を算出
した(図1)
.また,健歩君使用時の自重トレーニングの
動作が歩行動作にどのような関連があるかを明らかにす
図1
歩行中のフォームから計算された股関節角度、膝
関節角度及び足関節角度
るためにトレーニング中の動作も撮影し,分析を行った.
負荷設定は被験者と相談し,様子をみた上で,伸展運
3.結 果
動では傾斜角度約14°
(体重の24%負荷相当)に設定し,
屈曲運動では体重の約20%の負荷が掛かるように設定
3.1.トレーニングによる各要素の変化
した.
トレーニング実施4,6,8,10,12回目毎の,最大発
揮パワー(以下、1max発揮パワー)の個人と全体の平
均を図2に示す.さらにその相対値を図3に示す.全被
験者平均を相対値でみると,4回目と10回目では5%水
準で有意差がみられ,4回目と比較すると12回目には約
17%の上昇がみられた.
写真1
健歩君(上;屈曲運動用、下;伸展運動用)
2.4.統計処理
群の値は,平均値±標準偏差で示した.実験初日と最終
日の比較をみるため,対応のあるt検定(paired t-test)を
採用し,有意水準は5%未満とした.
図2
トレーニング実施4,6,8,10,12回目毎の、最
大発揮パワーと個人(上)と全体の平均(下)
32
若吉浩二・和田洋明
図4
屈曲、伸展運動時におけるトレーニング動作のステ
ィックピクチャー(上;屈曲運動時、下;伸展運動時)
図3
トレーニング実施4,6,8,10,12回目毎の、最
大発揮パワーの個人(上)と全体の平均(下)の相
対的変化
3.2.実験初日と最終日における歩行動作の変化
図4に屈曲,伸展運動時におけるトレーニング動作の
スティックピクチャーを示した.図5-1及び5-2は最後ま
で実験を行った被験者C及びEの身体各部の7点(頭頂,
肩,大転子点,左膝,外果点,果点,爪先)を直線で結
び,左脚の踵が地面に接してから次に接するまでの一歩
の歩行動作をスティックピクチャーで描いたものであ
る.また,図6-1及び6-2は同被験者の一歩行周期中の股
関節,膝関節,足関節の各角度と角速度の変動をトレー
ニング前後で比較したものである.表3は爪先の最大挙
上距離,果点の最大挙上距離,歩幅,ピッチ及び歩行速
度を示した(4回目の測定をpre,12回目の測定をpost
図5-1
被験者Cの歩行動作のスティックピクチャー
(上;pre,下;post)
とする)
.
被験者Cには特に膝関節の角度及び角速度に大きな変
動がみられ,図5-1と表3からもわかるように,歩幅と果
点の最大挙上距離が大きく延長した.また,5回の平均
発揮パワーでは最終回で42.5%,1max発揮パワーにお
いては22.1%もの向上がみられた.
被験者Eにおいては5回の平均発揮パワーでは15.2%,
1max発揮パワーにおいては11.3%もの向上がみられ
た.また,股関節及び膝関節の各角度と角速度にも大き
な変動がみられ,さらには歩幅とピッチ共に上昇する結
果となった.
全体的には関節角度の変動幅の上昇がられた.また同
様に角速度も全体的に向上した.ピッチにおいては,平
均では差はみられないが3名に向上が確認され,歩幅も
向上していることから,歩行動作がよりダイナミックに
なったと言える.
図5-2
被験者Eの歩行動作のスティックピクチャー
(上;pre,下;post)
33
要介護高齢者を対象とした下肢伸展・屈曲トレーニングに伴う歩行能力への影響
1200
150
pre
post
100
角速度(
deg/s)
角度
(deg)
200
0
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
被験者C 股関節角度
0.6
0.9
1.2
1.5
1.8
被験者C 股関節の角速度
150
pre
post
100
角速度(
deg/s)
角度
(deg)
0.3
1200
800
400
0
−400 0
−800
pre
post
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
1.8
−1200
0
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
被験者C 膝関節角度
時間
(sec)
1.8
時間
(sec)
被験者C 膝関節の角速度
200
1200
150
pre
post
100
角速度(
deg/s)
角度
(deg)
pre
post
時間
(sec)
50
800
400
0
−400 0
−800
pre
post
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
1.8
−1200
50
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
被験者C 足関節角度
図6-1
時間
(sec)
1.8
時間
(sec)
被験者C 足関節の角速度
被験者Cの一歩行周期中の各関節角度及び角速度の変動
150
pre
post
100
角速度(
deg/s)
0
角度
(deg)
0
−400 0
−800
1.8
時間
(sec)
200
800
400
0
−400 0
−800
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
1.8
pre
post
−1200
50
0
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
被験者E 膝関節角度
時間
(sec)
1.8
時間
(sec)
被験者E 股関節の角速度
1200
150
pre
post
100
角速度(
deg/s)
200
角度
(deg)
400
−1200
50
800
400
0
−400 0
−800
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
1.8
pre
post
−1200
50
0
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
被験者E 股関節角度
時間
(sec)
1.8
時間
(sec)
被験者E 股関節の角速度
1200
150
pre
post
100
角速度(
deg/s)
200
角度
(deg)
800
800
400
0
−400 0
−800
0.3
0.6
0.9
1.2
1.5
1.8
−1200
50
0
0.3
0.6
0.9
1.2
被験者E 足関節角度
図6-2
1.5
1.8
時間
(sec)
時間
(sec)
被験者E 足関節の角速度
被験者Eの一歩行周期中の各関節角度及び角速度の変動
pre
post
34
若吉浩二・和田洋明
表3
爪先の最大挙上距離、果点の最大挙上距離、歩幅、ピッチ及び歩行速度
4.考 察
に前脛骨筋,縫工筋の筋活動が確認されている.また,
歩行時での股関節及び膝関節の角速度の上昇がみられる
歩行能力は加齢に伴う筋力,バランス機能及び関節可
ことからも,股関節屈曲筋群,足関節背屈筋群の筋力が
動域の低下などが複合的に合成されて低下すると考えら
トレーニングにより増大したものと推測される.今回は
れる .またそのような原因だけでなく,環境や生活習
足を掛けているところと足の甲との間に検者が手を置
慣から受けてきた好ましくない影響による機能低下の加
き,その手を挟むように運動するよう指示しながらトレ
22)
速や疾患・障害による機能の悪化も存在する .高齢者
ーニングを行ったため,屈曲運動開始時における前脛骨
が下肢筋力の維持・改善を行うことは,歩行能力の向上
筋の活動がより活発になった.足関節屈曲筋群に対する
だけでなく,転倒予防にも繋がり,有意義な社会生活を
筋力トレーニングは歩行能力向上に効果的である7)こと
送るためにも必要不可欠である.しかし,運動やトレー
から,このトレーニングを行うことで,歩行時に十分な
ニングに慣れていない高齢者にも手軽に取り組める簡便
脚の引上げや爪先の挙上が容易になることでつまずきに
なトレーニング機器はみられない.そこで先行研究 で
くくなり,安定した歩行が可能になると考えられる.
13)
9)
試作した下肢筋群の伸展・屈曲動作のトレーニングに有
平均余命などを総合的に最もよく表す指標として,歩
効と判断される健歩君を用い,介護認定を受けている高
行速度が関係することが示されている12).また,加齢に
齢者を対象にトレーニングを行い,歩行動作にどのよう
よる歩行速度の低下は,主に歩幅の減少が原因であると
な好影響を与えることができるか調査することを目的と
されているが,本実験により4名中3名に歩幅の延長が
した.
みられ,歩行速度の上昇が確認できた.よって健歩君を
使用することで高齢者の歩行能力を維持・改善すること
4.1.体重負荷式脚伸展・屈曲トレーニングによる歩
が可能であると判明した.
行動作の変化
木下9)により,健歩君を使用した伸展運動時には大腿
4.2.健歩君の使用について
直筋,外側広筋及び内側広筋の活動が大きく記録され
今回の実験で介護認定を受けている高齢者を初めて被
ており,本実験結果にある膝関節角度及び角速度の上
験者として実験を行ったため,目安となるような先行研
昇がみられたことからも,トレーニングにより膝関節
究は存在しない.そこで,高齢者に低強度で1年間トレ
伸展筋群の筋力が増大したものと考えられる。膝伸展
ーニングを実施した結果,週1回実施で筋量の維持,週
筋力は歩行自立度と密接に関係し,ある一定水準を下
2回で筋量の増加がみられた先行研究12)を参考に,健歩
回った場合,独歩移動の自立が障害される 16).また起
君を用いて週2回を6週間,計12回のトレーニングを,
居・移動動作の自立には単なる歩行自立以上の筋力が
健歩君を用いて伸展運動・屈曲運動共に20回,休憩を
必要と考えられる ことから,この伸展運動のトレーニ
挟みながら3セット行った.伸展運動はどの被験者も初
ングを行うことで,歩行能力の向上,日常生活動作の
回から力強く行い,負荷設定が健歩君の最大斜度(傾斜
1)
自立に繋がるものと考えられる.
角度13.79°
,自重の約24%の負荷)に設定していても最
一方,屈曲運動では困難な様子がみられたため,速度
後まで問題なく実験を終えた.一方,屈曲運動では一度
や発揮パワーの測定は行わなかった.しかし先行研究9)
屈曲するまでに時間が掛かりトレーニングしにくいよう
からもわかるように健歩君を使用した屈曲運動時には特
であった.
要介護高齢者を対象とした下肢伸展・屈曲トレーニングに伴う歩行能力への影響
屈曲する運動は椎体の楔状変形や圧迫骨折を招来する
35
対するバリアフリー対策は重要である.
可能性があるので危険が伴う.そのため仰臥位や座位で
現行の健歩君は健常である高齢者が要支援にならない
の筋力強化や運動を主体とする ことが示されているよう
よう,又は介護を受けている場合は介護度がさらに悪化
に,健歩君は取り組みやすい姿勢でトレーニングが行え
しないことを目的としたものである.しかし,他にも脳
るように作成されている.恐らく下肢の伸展動作は日常
卒中患者タイプがあり,ある程度の改良で立位保持や移
生活の中で行う頻度が高く,さらにはJamesら5)が下肢10
乗が不可能な人,骨粗鬆症患者など対象者の体力や症状
箇所の関節可動域を調べた結果,足関節における背屈・
に合わせて負荷設定が可能な機器を作成するなど,改良
底屈の可動域の加齢に伴う低下が最も著しいことを示し
の余地が大いにあると思われるので現行のものを完成形
ていることから,膝関節伸展力以上に足関節背屈力及び
とせず,今後は健歩君の改良と共に健歩君を用いた運動
股関節屈曲力が低下しているのではないかと考えられる.
処方の作成が課題と考える.
17)
しかし次第に屈曲運動のトレーニング中での前脛骨筋の
本研究では健歩君を用いた下肢筋群の伸展・屈曲動作
使い方を被験者が次第に理解し始めたこと,加えて前脛
を行うトレーニングが,歩行能力の維持・改善に有効で
骨筋の筋力の向上により,徐々にトレーニングが円滑に
あることを明らかにした.ウォーキングやジョギングな
なった.岡田14)は高齢者でみられる歩幅縮小の原因は主に
どの有酸素運動を中心とした持久的な運動のみでは,加
足関節底屈筋群の機能低下によるものと報告している.
齢に伴う速筋線維の萎縮に対する抑制には余り貢献しな
よって,被験者3名に歩幅の上昇がみられたことにより,
い可能性が示唆されることからも,加齢による筋力低下
足関節底屈筋群の機能が上昇したと言える.このことか
を抑制するためには一定強度以上の筋力トレーニングが
ら,健歩君を用いた屈曲運動をさらに長期間トレーニン
必要となってくる.先行研究11)により,高齢者において
グを続ければ,十分な脚の引上げや爪先を上げることが
も筋力トレーニングを実施することによって筋量や筋力
容易になるだけでなく,歩幅も上昇し,下肢の動きがさ
の維持あるいは増大することが示されている.本実験結
らにダイナミックになる可能性は大いにあると推察され
果において,最後まで実験を行った4名のうち3名に顕
る.さらにはバランス能力を向上させる運動の要素とし
著な筋力の向上がみられたことからも先の研究を支持す
て①自分の体重が掛かる動作,②水平方向へのできるだ
る結果が得られた.筋力の増加傾向の見られなかった被
け素早い移動動作,③垂直方向への振幅の大きい動作、
験者Cは常に高い値を示しており,これは他の施設で自
を挙げている15).今回の下肢伸展・屈曲運動では,自重を
転車エルゴメータ等の運動を実施しているためで,日頃
用いた斜め方向への大きな動作を行うため,バランス能
のトレーニングが健歩君の負荷よりも高負荷であったた
力の向上及び転倒予防にも繋がると考えられる.
めと考えられる.
田中19)は高齢者の運動処方の基本原則として①効果の
5.まとめ
認められること②安全であること③処方する側(監督者)
と処方される側の合作であること、を挙げている.これ
に従い,安全面の考慮から実験前には必ずその日の体調,
本研究では先行研究9)で試作した下肢筋群の伸展・屈
体の調子を確認し,実験中も様子を伺いながら実験を行
曲動作を行うトレーニングに有効と思われる,体重負荷
った.被験者それぞれの下肢機能の低下が様々なため,
式トレーニング機器,健歩君を実際に高齢者を被験者と
各自に適した負荷設定をするべきであったが,被験者5
して使用し,要介護高齢者の歩行動作にどのような影響
名と相談し様子をみた上で負荷設定し,全員一律の負荷
を与えるのか調査することを目的とした.
で実施した.先行研究において,低強度の筋力トレーニ
ングや有酸素運動でも大きな効果(筋機能の向上,骨量
1)要介護認定を受けている低体力高齢者においても,
の維持・増加など)が認められ,筋力トレーニングによ
健歩君を用いた屈曲・伸展運動のトレーニングにおい
り神経機能を改善させることが筋機能の向上により重要
て,膝関節伸展筋群,股関節屈曲筋群及び足関節背屈
であることが報告されている が,伸展運動においては
筋群の筋力の向上が確認された.
18)
設定可能な負荷の段階が軽度であったと考えられるの
で,高齢者の筋力に見合った負荷設定が今後の課題であ
2)トレーニングの結果,歩行動作中の股関節,膝関節,
る.また,被験者によっては健歩君の乗り降りだけでも
足関節の各関節可動域及び角速度の向上がみられた.
危険が伴う場面があった.跨ぐという動作はある程度の
また,爪先の最大挙上距離,果点の最大挙上距離,歩
高さのある障害物を越える場合に行うが,高齢者におけ
幅,ピッチ,歩行速度の向上もみられた.これは,健
る体幹部の動揺度は障害物の高さの影響を受け易い 21).
歩君を用いた下肢筋群の伸展・屈曲動作を行うトレー
よって,その動作は転倒の危険性が非常に高いことを意
ニングが歩行能力の維持・改善に有効であることが明
味するものであり,トレーニングを行う上でもマシンに
らかとなった.
36
若吉浩二・和田洋明
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