平面アンテナシミュレータの開発 - 東光

技術時報 2008 No.20
平面アンテナシミュレータの開発
Development of a Planar Antenna Simulator
伊藤 一洋
佐藤 栄二
谷田部 主一
白井 正剛
井田 浩一
高橋 政幸
研究開発センター
自社開発した平面アンテナシミュレータについて報告する.このシミュレータはマイクロストリップアンテナの
解析に最適化されており,動作が軽快で計算速度が非常に速いことが大きな特徴である.実用上重要な 3 種類のマ
イクロストリップアンテナの解析を行うことができ,更に任意形状のグランド板の影響を考慮することが可能とな
っている.用途としてはマイクロストリップアンテナの初期設計,グランド板の影響の簡易評価,客先での仕様詰
め,アンテナ技術者の教育・訓練等が考えられ,業務の効率化への貢献が期待できる.
This article presents a proprietary planar antenna simulator of TOKO. The simulator is optimized for analysis of microstrip antennas and
has the characteristic that calculation speed is high and CPU load is low. The simulator can analyze three practical types of microstrip
antennas and consider the effects of a ground plane with an arbitrary shape. Suitable applications of the simulator are an initial design of
microstrip antennas, basic evaluation of effects of a ground plane, discussion about specifications of antennas at customer's site, and training
for antenna engineers. This simulator will contribute to improve efficiency of antenna design.
1.まえがき
2.シミュレータの特徴
携 帯 電 話 や 無 線 LAN が 大 き く 普 及 し た 昨 今 で は ,
小型アンテナの種類は様々ですが,全ての種類に対
我々の身近の至るところに誘電体を用いた小型アンテ
応したシミュレータを作成することは非常に困難です.
ナ が 利 用 さ れ て い ま す . 東 光 は 1992 年 に GPS 用 マ イ
そこで特にニーズが高いと思われるマイクロストリッ
クロストリップアンテナを開発していますが,この種
プアンテナに注目し,解析対象を実用上重要な直線偏
のアンテナを誘電体セラミックスで量産化したのは世
波 ,1 点 給 電 円 偏 波 ,2 点 給 電 円 偏 波 の 3 種 類 の 方 形 マ
界 初 で ,そ れ ま で の テ フ ロ ン 基 板 を 用 い た GPS 用 ア ン
イ ク ロ ス ト リ ッ プ ア ン テ ナ に 限 定 し ま し た ( 図 1).
テ ナ を 大 幅 に 小 型 化 す る こ と に 成 功 し ま し た [1][2].今
本シミュレータの特徴として次のことが挙げられ
で は 車 載 用 GPS ア ン テ ナ の ほ ぼ 100%は セ ラ ミ ッ ク ス
ます.
製マイクロストリップアンテナですが,東光が開発し
 動作が軽快で計算速度が非常に速い
た 小 型 GPS ア ン テ ナ は 誘 電 体 ア ン テ ナ の 普 及 の 礎 に
 任意形状のグランド板について解析が可能
なったと言えます.
主な機能は次の通りです.
 指向性の解析及び結果のグラフ表示
今後も誘電体を用いた小型アンテナは様々な通信
機器に利用されていくと思われますが,多種多様なア
 反射特性の解析及び結果のグラフ表示
ンテナへのニーズに対応していくためには,アンテナ
 グラフのマーカー及びメモリ機能
設計の効率化が必要です.本稿では,そのようなアン
 簡 易 CAD に よ る グ ラ ン ド 板 形 状 入 力
テナ設計の効率化のためのひとつの取り組みとして自
 CAD デ ー タ 出 力 ( DXF 形 式 )
社開発した平面アンテナシミュレータを紹介します.
 最適化機能による設計支援
y
y
c
b
F
x
F
a
F2
a
x
F1
a
a
(a) 直線偏波アンテナ
y
a
c
(b) 1点給電円偏波アンテナ
x
(c) 2点給電円偏波アンテナ
図 1 解析可能なアンテナの形式
1
平面アンテナシミュレータの開発
乱れはキャパシタ,放射による損失は抵抗で表現でき
図 2 にスクリーンショットを示します.
ま す の で ,等 価 回 路 は 図 3 の よ う な 回 路 に な り ま す [3].
給 電 点 の 入 力 イ ン ピ ー ダ ン ス Zin は 次 式 を 用 い て 容 易
に求めることができます.
3.解析アルゴリズム
アンテナの特性はグランド板の影響を強く受けま
すが,グランド板の影響を正確に考慮するためには,
周囲の空間を含めた解析領域全体に未知数を配置する
有限要素法のような手法を用いる必要があります.そ
(G  jB )  jY0 tan(  l1 )
1
 Y0 r
Z in
Y0  j (Gr  jB) tan(  l1 )
(G  jB )  jY0 tan(  l 2 )
 Y0 r
Y0  j (Gr  jB) tan(  l 2 )
のような手法を用いる場合,未知数が膨大になります
ので,計算時間が長くなり設計効率が悪くなるという
(1)
問題があります.しかし,条件を限定して適切な近似
を行うことにより計算量を減少させることができます.
こ こ で Y0 と β は そ れ ぞ れ マ イ ク ロ ス ト リ ッ プ 線 路 の
本シミュレータでは次の2つの近似を併用して高速化
特 性 ア ド ミ ッ タ ン ス と 位 相 定 数 を ,G r と B は そ れ ぞ れ
を図りました.
放射コンダクタンスとサセプタンスを表しています.
これらの値は近似式又は数値積分で計算することがで
きます.したがって適用範囲は限定されますが,計算
3.1.反射特性の解析
マイクロストリップアンテナは一種の共振器です
時 間 は 短 く て 済 み ま す .ま た ,反 射 係 数 Γ は 入 力 イ ン
の で ,そ の 特 性 を 等 価 回 路 で 近 似 す る こ と が で き ま す .
ピ ー ダ ン ス Z in と 給 電 線 路 の 特 性 イ ン ピ ー ダ ン ス Z 0 を
一例として直線偏波アンテナの等価回路を図 3 に示し
用 い て 式 (2)で 計 算 す る こ と が で き ま す .
ます.

方形マイクロストリップアンテナは幅が広いマイ
クロストリップ線路とみなすことができます.マイク
Z in  Z 0
Z in  Z 0
(2)
ロストリップ線路の端では電気力線の乱れによる電界
なお,波源である磁流の値はマイクロストリップ線
の渦が生じて電磁波の放射が起きます(磁流による放
路の端に生じる電圧に対応しますので,これも容易に
射 ).マ イ ク ロ ス ト リ ッ プ 線 路 は 分 布 定 数 線 路 ,電 界 の
求めることができます.
図 2
スクリーンショット
2
平面アンテナシミュレータの開発
l1
l1  l2  g / 2
l2
M1
t  r E1
磁流
M1
M2
y
F
M2
E 2 電界
l1 F
x
Gr
jB
V1
磁流
y
l2
jB
V0 Z in
Gr
電圧
V2
分布定数線路
図 3
直線偏波アンテナの等価回路
式 (3) は 電 磁 界 の 強 度 が 光 束 の 断 面 積 の 平 方 根 に 反
比 例 す る こ と を 表 し て い ま す( エ ネ ル ギ ー 保 存 則 ).そ
3.2.指向性の解析
グランド板が無限大の場合,波源の分布が与えられ
して 2 点間の位相変化量は光路長に比例することも
れば指向性は比較的容易に求めることができますが,
表しています.また,電磁界をベクトル的に表現して
有限の場合は板全面に誘起される電流による放射も考
いますので偏波を考慮することも可能です.このよう
慮する必要があります.したがって本来ならば有限要
な幾何光学的光線による近似を用いることにより計算
素法のような手法を用いなければなりません.通常の
量を大幅に減らすことができます.本シミュレータで
設計では遠方界の指向性がわかれば十分ですが,その
は 幾 何 光 学 的 回 折 理 論 の 一 種 で あ る 修 正 エ ッ ジ 法 [5]
場合,遠方界は直接波とグランド板のエッジで生じる
を用いて回折波を計算します.図 5 に解析方法の概念
回折波の合成により近似できます.更に波長と比べて
図を示します.波源を点波源の集合で表現するととも
グランド板の寸法が大きい場合は幾何光学的回折理論
に,グランド板の外形を多数の辺に分割します.そし
[4]が 適 用 可 能 に な り ま す .こ の 理 論 で は 回 折 を 局 所 的
て各点波源からの直接波と各辺で生じる回折波を計算
現象とみなすとともに,図 4 に示すような幾何光学的
し,それらをすべて合成することにより遠方界を得ま
光線を用いて伝搬の様子を表現します.
す.したがって任意形状のグランド板について解析が
電 磁 波 の 振 る 舞 い を 厳 密 に 表 現 す る に は Maxwell の
可能です.
方程式を解く必要があります.しかし波長が非常に短
く媒質の変化が緩やかであるという条件下では,電磁
波は幾何光学的に振る舞うことが知られています.そ
の場合,図 4 に示すような光束を考えて,幾何光学に
E
波動的な要素を加えることにより電磁波の振る舞いを
精度良く表現することができます.光路上の 2 点の位
は次の関係式が成立します.
E GO ( )  E GO ( 0 ) e  jk (  0 )
S0
S
( )
E GO ( 0 )
置 を σ 0 , σ と し ,そ れ ぞ れ の 位 置 に お け る 光 束 の 断 面 積
を S 0 , S と す る と , 2 点 間 の 電 界 E GO (σ 0 ), E GO (σ)の 間 に
GO
エッジ
(3)
回折波
S
S0
O
0

導体板
入射波
図 4
幾何光学的光線
3
平面アンテナシミュレータの開発
遠方界
波源
グランド板
直接波
反射波
点波源
回折波
入射波
点波源の集合
多角形近似
グランド板
図 5
指向性の解析
4.最適化機能による設計支援
マイクロストリップアンテナの設計を行う際は,所
共役勾配法は関数の勾配を利用した最適化アルゴ
望の特性を得るためにマイクロストリップの寸法や給
リズムの一種ですので,目的関数の勾配を計算する必
電点位置などのパラメータを調節します.しかし,特
要があります.ここで変数ベクトル x と勾配ベクトル
に1点給電円偏波アンテナの場合はパラメータ間の相
∇ f(x)を 次 の よ う に 定 義 し ま す .
互作用が大きく,しかも反射特性と円偏波特性を両立
させなければなりませんので設計は容易ではありませ
ん.このような場合は最適化による設計支援が有効で
す.本シミュレータは1点給電円偏波アンテナに関し
て 共 役 勾 配 法 [6] を 用 い た 最 適 化 を 行 う こ と が で き ま
 f 
 x 
 1
f ( x )    
 f 
 x n 


 x1 
x     ,
 x n 
す . 最 適 化 を 行 う た め に は パ ラ メ ー タ x 1 , x 2 ,…, x n を 変
数 と す る 目 的 関 数 f ( x 1 , x 2 ,…, x n ) を 定 義 す る 必 要 が あ り
(4)
目的関数は解析的に微分できない場合が多いため,
ま す .本 シ ミ ュ レ ー タ で は 目 的 関 数 と し て 解 析 結 果( 反
式 (4) の 計 算 に は 数 値 微 分 を 用 い て い ま す .勾 配 ベ ク ト
射係数と軸比)と目標値の平均 2 乗誤差で定義される
ルは目的関数値が増加する方向を示していますので,
関数を採用しています.図 6 に目的関数の例を示しま
逆 方 向 に 進 め ば 目 的 関 数 値 は 減 少 し ま す .し た が っ て ,
す.
勾配を求めながら坂を下るように探索してゆけば最終
的には最小点に到達すると考えられます.しかし単純
解析結果
に坂を下るだけでは効率が悪いことが知られています
平均2乗誤差 ⇒ 目的関数
目標値
ので,改善する手法がいくつか考案されています.本
シミュレータでは探索方向ベクトル d の計算式として
次 の Fletcher-Reeves 法 を 使 用 し て い ま す .
 x1k 
x   k
 x2 
k
目的関数
f ( x1 , x2 )
dk
d
k 1
 f ( x
k 1
)
f ( x k 1 )
f ( x k )
2
2
dk
(5)
探索方向ベクトル d と移動量を表すステップサイズ
最小点
α を 用 い る こ と に よ り ,探 索 点 は 次 式 で 計 算 で き ま す .
x2
x1
変数2
変数1
図 6
目的関数の例(変数の数が 2 の場合)
x k 1  x k   d k
(6)
式 (4) ∼ (6) の 計 算 を 繰 り 返 す こ と に よ り 目 的 関 数 の
最小点,すなわちパラメータの最適値を求めることが
できます.このような関数の勾配を利用した最適化手
法は収束が速いことが特徴ですが,収束の仕方は初期
値に大きく依存しますので注意が必要です.
4
平面アンテナシミュレータの開発
グ 言 語 で あ る FORTRAN で , グ ラ フ ィ カ ル ユ ー ザ イ ン
5.ソフトウェア化
前述の反射特性及び指向性の解析を行う際には複
タ ー フ ェ ー ス ( GUI ) の 部 分 を Visual Basic 2008 で 作
素数の計算をたくさん行う必要があります.そこで解
成しました.図 7 にシミュレータのフローチャートを
析エンジンの部分を複素数計算の得意なプログラミン
示します.
:Visual Basic 2008
:FORTRAN
解析条件入力インターフェース
グランド板入力用簡易CAD
解析条件
グランド板形状
:テキストファイル
等価回路解析エンジン
最適化エンジン
反射特性解析結果
波源情報
反射特性グラフ表示
パッチ形状
CADデータ変換
DXFファイル
指向性解析エンジン
指向性解析結果
指向性グラフ表示
図 7
フローチャート
6.商用シミュレータとの比較
商用シミュレータとの比較を行うため,具体例とし
て 2.4GHz 帯 1 点 給 電 円 偏 波 ア ン テ ナ に つ い て 解 析 を
行いました.解析条件は次の通りです.
 誘 電 体 基 板 : 比 誘 電 率 8 , 厚 さ 6mm
 マ イ ク ロ ス ト リ ッ プ 寸 法 : 18.1mm × 18.1mm
 グ ラ ン ド 板 : 200mm × 200mm
図 8 に有限要素法のシミュレーションモデルを,図
9 に本シミュレータの解析結果との比較を示します.
な お , 商 用 シ ミ ュ レ ー タ は Ansoft 社 の HFSS ( Ver.11 )
を使用しました.
図 8 有限要素法のシミュレーションモデル
5
平面アンテナシミュレータの開発
0
0
Return Loss [dB]
30
10
0 [dBi]
-10
-20
-30
-40
-50
-30
-60
-10
-90
右旋偏波
左旋偏波
60
90
-20
-120
-30
2
2.2
2.4 2.6 2.8
Frequency [GHz]
120
-150
3
180
150
(a) 本シミュレータ
0
-30
Return Loss [dB]
0
-60
-10
-90
30
10
0 [dBi]
-10
-20
-30
-40
-50
右旋偏波
左旋偏波
60
90
-20
-120
-30
2
2.2
2.4 2.6 2.8
Frequency [GHz]
120
-150
3
180
150
(b) 有限要素法
図 9
解析結果の比較
反射特性及び指向性(右旋及び左旋偏波)とも両シ
今回はマイクロストリップアンテナに限定してソフト
ミュレータの結果は概ね一致していることがわかりま
ウェア化を行った例を報告しましたが,同様な解析手
す .計 算 時 間 は 有 限 要 素 法 が 1 分 52 秒 で あ っ た の に 対
法は他の種類のアンテナにも適用できますので,今後
し , 本 シ ミ ュ レ ー タ は 1.7 秒 と 非 常 に 短 時 間 で 解 析 結
必要に応じてソフトウェア化を行いたいと思います.
果が得られました.
本シミュレータは対象アンテナ形状が限定されま
すので商用シミュレータの完全な代用にはなりません
が,高速に解析・設計を行うことができますので有用
性が高く,次のような用途での活用が考えられます.
 マイクロストリップアンテナの初期設計
 グランド板の影響の簡易評価
 客先での仕様詰め
 アンテナ技術者の教育・訓練
7.むすび
マイクロストリップアンテナの解析に最適化した
シミュレータを自社開発しました.本シミュレータは
解析対象が限定されますが,商用シミュレータの数十
倍以上の計算速度で解析することができます.更に任
意形状のグランド板の影響を考慮することも可能です.
参考文献
[1] 高 野 勝 好 , 阿 部 昌 昭 , 福 原 周 一 , マ イ ク ロ 波 用
誘電体セラミック材料とその応用, 東光技術時
報 , No.4 , pp.6-13 , 1991.
[2] 阿 部 昌 昭 , 高 野 勝 好 , 矢 部 貴 潔 , 戸 田 崇 文 , 山 田
昌 紀 , 誘 電 体 セ ラ ミ ッ ク ス を 用 い た GPS 用 平 面
ア ン テ ナ , 東 光 技 術 時 報 ,No.6 ,pp.6-14 ,1993.
[3] 羽 石 操 , 平 澤 一 紘 , 鈴 木 康 夫 , 小 形 ・ 平 面 ア ン テ
ナ ,( 社 ) 電 子 情 報 通 信 学 会 , 東 京 , 1996.
[4] 安 藤 真 , 幾 何 光 学 的 回 折 理 論 , 電 磁 波 問 題 の
基 礎 解 析 法 ,山 下 榮 吉 監 修 , pp.198-227 ,( 社 )電
子 情 報 通 信 学 会 , 東 京 , 1987.
[5] T. Murasaki, M. Sato, Y. Inasawa and M. Ando,
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Representation of Flat Plates: Fringe Wave
Components," IEICE Trans. Electron., vol.E76-C,
no.9, pp.1412-1419, Sep. 1993.
[6] 田 村 明 久,村 松 正 和,最 適 化 法,共 立 出 版,東 京 ,
2002.
6