特別の誓願を立てた大乗菩薩 誓願力による菩薩 五濁の世への出現を願う菩薩 まとめ 仁 正 顕 仲 目E ぷ ‘E ペ 無 量 寿 経 に お け る 唯 除 (ω r m w円高一1雪印) の意趣 ││大乗菩薩の誓願にかかわって││ 問題の所在 L ﹁唯除﹂(旦志℃ミ一芝山)の語義とその用例 阿難に関する﹁唯除 ﹁唯除﹂のモチーフとしての初期仏典 ︿無量寿経﹀の声聞乗批判 問題の所在 -'、 五 七 / L 一切衆生の済度を誓った阿弥陀仏の大慈悲心と矛盾する。浄土 の胃葉であろう。ただ、父母阿羅漢を殺すなどの五逆の罪と正法を誹 無景寿経における唯除 2 5M6h-12M) の意趣(能仁) 教解釈に大きな課題を残した言葉である。 誘する誘法の罪を犯した者を除外するという言葉は、 ﹃無量寿経﹄第十八願の﹁唯除五逆誹誘正法 ︿無量寿経﹀に説かれる﹁唯除﹂ ZEE-2削)の語を取り上げる。﹁唯除﹂といえば、まっ先に思う浮かぶのが 四 龍谷大学論集 そもそも︿無量寿経﹀の伝承において﹁唯除﹂が説かれたのは﹃平等覚経﹄第二十願の寸置是余願功徳 L が最初で ある。しかし、﹁置﹂すなわち、﹁唯除﹂の語義は何かということもさる事ながら、その語が何を意図して﹁余願功 徳へすなわち大乗菩薩の特別の誓願に対して用いられたのかという、根本的な問題が解明されないままにあふ。こ の語がどのような意図で使われているのかについて、文献学的方法 その際、視点を声聞教化に置き、寸唯除﹂(忠E31守山)を説いた︿無量寿経﹀の意図を L こでは、︿無量寿経﹀の説法相手となった阿難に寸唯除﹂と説いた﹃党本大経﹄(め三宮SSEぎ)の記述を手がかり D に、初出の﹃平等覚経﹄の文脈において﹁唯除 論にもとづき検討を加える ω ( 同町仰向)同一三プ品) の語義とその用例 明らかにし、大乗仏教史上への位置づけを試みるものである。 ﹁唯除﹂ E r岳毛色︿削)は JFF仰の使役形巳FSミω門戸(置く)から派生し、 ﹁唯除﹂のサンスクリット服部丘町間円高三円︿川町 ( L という 阿 [Nee-] によれば、絶対分討を本来の形としながらも、それが前置詞的に用いられたものと考えられている。語義 ω ﹁含め置いて﹂という肯定的な意味合いと、ω 寸捨て置いて は、﹁ーをそのままにしておいて﹂であり、 否定的な意味合いがあるとされる。本論では、従来通り寸除いて﹂という表現を用いるが、同氏の指摘する用例の 凶 BEE-dE55)、すなわち黙然とし ヨ・司 E宮山)、換言すれば、寸捨置記L F F削 寸捨て置かれるべき問い﹂ E53E て答えない寸無記﹂の説法の一種として、︿無量寿経﹀の寸唯除﹂を意味づけできるのではないかと考え&。 さて﹁唯除LZEE-守削)の用例は﹃党本大経﹄に七例ある。先ず諸異本における対応関係について、その表示 対象とともに挙げておこう。漢訳については成立年代順である。以下の通りである。 5 5 3五 観 誓 本 特 五 阿 表 、当ぎ濁晋願願別逆難示 じ宗旨⑦⑥⑤④③②① 包孟記願 2 Zはつ つ ! 円 、 塾 塾 ぜ δ香 薩 広 』白川 二五るのの と三五党出二 吉宗安現菩 戸あ主を薩 × 大阿弥陀経 × × 平等覚経 荘厳経 × × ー」をク 蔵訳 第四願 第幻願 党本大経 協一戸 N 山日 第円願 第幻願 。 。 一 一ωω 品 山 一 。 山 一 であり、 テあ キら スわ トし × たド × し本 × ミ~ J-t~対 定合に る項目であり、その用語の各諸本における有無は︿無量寿経﹀の発展の跡を残している可能性がある。 ω仏弟子阿難と、ω菩薩の誓顕である。また﹁唯除 無量寿経における唯除 ( 2 5富山云︿凶)の意趣(能仁) L ないが、その所説を経典発達史上に跡づけるために、原初形態を伝える最古の漢訳本﹃大阿弥陀経﹄の記述との関係 以上の用例のうち、今回、検討対象とするのは、 語は出てい に関する四つに大別できる。そうした﹁唯除LZEE-2凶)の表示対象は、いずれも阿弥陀浄土教の根幹にかかわ その七つの表示対象は、 ω仏弟子阿難①、ω菩薩の誓一願③⑤⑦、ω諸仏菩薩の光明の威神④⑥、ω業とその果報②、 ) 。 と同様に、七例すべてに対応する表現がある(口出向ぎ寝苦 ¥5mmHE習志﹁¥ヨt tcmω き ﹁除﹂)が確認される。﹃荘厳経﹄では、そのすべての用例に該当語の使用は権認されなかった。チベット訳本は党本 では②③⑤⑦に関する四例(﹁唯除﹂あるいは﹁除﹂)、﹃知来会﹄では②③④⑤⑥⑦に関する六例(寸唯除﹂あるいは それが︿無量寿経﹀での初出である。文脈は﹃大阿弥陀経﹄にも存在するがその語の用例は見られない。﹃無量寿経﹄ L) 本間 校数 訂を 売の × ぷげブ 九たオ × 依あス 0 0 0 だ刊 知来会 × 第凶願 第幻願 きのる =顕オ × て数ツ 0 0 0 0 三に示 巳はさ ]それ 願 願 雇 二の凶 己場) × ~つ本 に誓誘 よ願法 り を 光 犯 明 す を 衆 放 生 ﹁ 置 党語 ω 任問富山斗叶︿凶に対応する漢訳語は、表に示したように、﹃平等覚経﹄では③に関する一例のみ ( 、 宅 l こ 0) 与よ諸 対 象 ~箇?その・力力のと 話荷崩世勢 E立 す へ 至 × i u f §て対 ミ表照 第第霊 ミた恥 υュ ー ー ミ!本九 × ,,~ ox 0 x 2218 x 呈 ~願八 第却願 × × 三戸印経 × き×寿 × ミ.合無 記 ) ,こ量 さ場 1 × ~\し究 守記 用用用用用問用 i × 者な堕 ノ ト ~ Z例例例例例例例 司 描 龍谷大学論集 性にも注意したい。 阿難に関する﹁唯除 4ん本大経﹄と併せて提示しよう口 L 者拘隣・賢者抜智致・:(中略):・賢者腐越、 市内二千人-。皆滞潔一種類、皆阿羅漢。賢 仰在二羅閲紙脅閣制附山中寸時有二摩詞比丘僧 を達成し、勝利し、最高の修練において寂静に達し、心がよく解脱し、 によって心がよく解脱し、[輪廻の]生存の束縛を断ち、自己の目的 すべて阿羅漢であり、汚れを断じ、煩悩がなく、修行を完成し、正智 [仏は]三万二千人からなる大比丘僧団と一緒であった。すなわち、 0 如ν 是諸比丘僧甚衆多、数千億高人。悉諸 智慧がよく解脱し、偉大な象であり、六神通をそなえ、自在であり、 ︻大阿弥陀経}(大正巳ぷ cc 巳ーピ) 菩薩阿羅漢、無央数不 ν 可ニ復計↓都共大曾 ω ( 己 μ凶 HV何回可一門戸、創)、 である。 道においてさらに為すべきことを残す者、すなわち尊者阿難を除いて 非常に有名で、長老である、大声聞たちと一緒であった。唯一人、学 アジット・:(中略)・:尊者(削可55巳削)阿難であった。彼らとその他、 聞である。すなわち、アージュニャ lタ・カウンディニヤ、アシュヴ 八解脱の禅定に入り、力を得、非常に有名であり、長老であり、大声 時併坐息思ニ念正道一国有ニ九色光一数千百 坐。皆賢者也。 ︻党本大経︼(司長sop-FHl印・印[白]) 山例①に関して、吋大阿弥陀経﹄は、説法の会座に集まった対告衆の名を挙げる中に﹁阿難﹂の名を挙げていない I l Y ν紳仰雪日 襲。光色甚大明。阿難、即起更ニ被袈裟一 前以ニ頭面-著-悌一足一即長脆文手、問 山号巳)、﹁長老﹂ L( )、﹁大声聞 ( m pミE 無量寿経における唯除 ( agE12似)の意趣(能仁) S ) といったその徳を讃嘆す 三山富山﹁凶︿ロL( 身忘巴巳)とい L( L 五 とい 集への参加資格が争点になったエピソードである。この点について、﹃十調律﹄の記述が興味深い。﹁阿難は多問者中 関連する記述が律文献にある。釈尊の在世中、阿難は阿羅漢の境地に達することができず、そのために彼の仏典結 う矛盾したあり方で説法の会座に登場する点であるロ 呼称には立ち入らないが、問題は、阿難が﹁無学﹂の阿羅漢でありながらも、未だ為すべきことを残す﹁有学 若 年 へ の 呼 び か け の 称 号 と さ れ る 。 こ こ で は 阿 難 た だ 一 人 、 年 若 い 仏 弟 子 と し て 区 別 さ れ る の で あ ふD Mqgヨ旦の う呼称が与えられている。似て55mZと は 、 通 常 寸 具 寿 ﹂ と 訳 さ れ 、 時 に 寸 長 老 ﹂ と 漢 訳 さ れ は す る が 、 年 長 者 か ら る称号が連ねられる。阿難もそのような阿羅漢の僧団に含められてはいるが、ただ阿難のみ﹁尊者 阿難に至る比丘衆には、﹁阿羅漢 関して、特殊な表現がなされている。すなわち、アlジュニャ lタ・カウンディニヤやアシュヴアジットにはじまり 一方、説法に至る経緯は同様であるが、﹃党本大経﹄および蔵訳本では、説法会に集まった阿羅漢に交じる阿難に 仏の姿を大比丘僧団に交じって見ていた阿難が、突然その理由を仏に問うたことから始まる。 漢﹂である﹁賢者﹂の会衆の中にも阿難の名はない。ところが、﹃大阿弥陀経﹄の説法は、腹想に入り神々しく輝く 三十一人の比丘の名が挙げられるが、その中に寸阿難﹂の名はなく、その僧団を中心に集った、その他の﹁菩薩阿羅 (アシュヴアジット) の五比丘をはじめとして寸阿羅漢﹂の位に達した大比丘たちによって構成された僧団を指す。 守大阿弥陀経﹄にいう寸摩詞比丘僧﹂とは、初転法輪時の拘隣(ア lジュニャ l タ・カウンディニヤ) や 抜 智 致 0 と仏が諮ったことを理由に、無学ではないために本来参加資格をもたないけれども、阿難を結集に参 龍谷大学論集 L ﹃大阿弥陀経﹄と対比しておこう。 止。何況悌戚神尊重、欲 ν 所ニ作局-耶。 有ν 4 巳呂志) (の 威 神 力 一 で あ る こ と を 認 識 し て い る 。 し か し 、 諸 仏 世 尊 の も つω 仏 作局一不=珠計ぺ是諸天皆尚在二虚空中一、住 一i E S ) が不可思議 EEC)、 業 の 形 成 力 (ESSES召ω 悌威神甚重、自然所欲作局、意欲 ν 有ν 所- 一ア lナンダよ。汝は、この世(口出)における諸業の異熟 PRBE 削ヨ ︻大阿弥陀経︼(大正巳い ω S己?に) 一{党本大経︼(司長E 包 ・515[協 ・ 包 同 吋 ] ) は不可思議である﹂と答える。しかし、業報の道理を根拠とした阿難の答えは十分なものとは見なされなかった。 い兜率天や党天は何を支えとして住んでいるのかと阿難に反問する。それに対し、阿難は寸諸業の異熟、業の形成力 支えとして住んでいるのか、と阿難が訊ねる場面がある(党本吉吋)。その問いに対し、逆に仏は須弥山を住居としな て説法が極楽国土に須弥山がないという点に及んだときである。須弥山を住居とする四天王や三十三天の神々は何を なる仏国土、すなわち﹁浄土﹂を造り上げたこと、そして阿弥陀仏とその国土の様々な功徳相へと進んでいく。そし 阿難への説法は、法蔵菩薩の本願の開示に続き、菩薩行を成し遂げて阿弥陀という仏となり、﹁極楽﹂という清浄 トi で フ 。 では無学の阿羅漢でありながらも、敢えて阿難を有学とした﹃党本大経﹄の意図は何なのか、 まずそこから検討し れているのが 2F3 仙なのである。 凶 12 つかの大乗経典にも同様の表現が見られるが、総じてこうした矛盾をはらみ、何らかの意図を含んだ文脈上に用いら 学の阿難を加えて五百人とし、彼を経典調出の中心人物として釈迦牟尼滅後の仏典結集が開催されることになる。幾 加させるよう摩詞迦葉が提唱し、長老たちが黙然としてそれを認めたというのである。解脱した四九九人の比丘に有 の第一である 守 1. /、 (ZEE-SE) を植えた諸衆生のもつ、 1gg) が不可思議であることは[認識してい]ない。 三門宝仙己}回一 またかつて福業を作り、善根 σ ( かしこ(冨可ω)における功徳の自在力(℃SEiσE忌 ) は 不 可 思 議 なのである。 須弥山は業報輪組の世界を象徴する存在であり、兜率一大や党天は、業の形成力によって、すなわち善業による異熟 の果報として不可思議にも須弥山上の虚空中に生まれ住む者たちである。阿難は、極楽という国土もその住人も、須 弥山世界と同様に、業の因果に従うものと考えていたのである。しかし、仏はそうではないと言う。﹃大阿弥陀経﹄ は仏の威神力の自在性をあげ、﹃党本大経﹄は諸仏の威神力に加え、かつて積んだ善根が極楽国土において発現する 功徳の自在力をあげるが、それを阿難は理解していないと言うのである。そのように﹃党本大経﹄にいわれる﹁かし こにおける功徳の自在力﹂とは、善恨廻向の概念に言及したものである。 極楽という世界が浄土として阿弥陀仏の威神力、すなわち本願力の支配下にあることは、﹃大阿弥陀経﹄と﹃党本 大経﹄に共通するが、声聞の阿難には、業の支配下に極楽世界があると理解されていようであるし、﹃大阿弥陀経﹄ L という﹁誓願 L の思想を発達させることによって、極楽世界を ではなお業の影響力を残した世界として描写される場面があ&。因果の思想はその三毒・五悪段に顕著であるが、裟 婆世界と極楽世界との関係について、﹁善根の廻向 L( 若有疑意於悌所耶)と仏智を 業の支配する有為・無常の世界から、業報因果の道理を超えたさとりの世界、すなわち浄土へと昇華させていったと 考えられる。 さて阿難の先の問いは、﹃大阿弥陀経﹄では﹁なんじは仏に対して疑念をもつのか 疑惑する問いとしてみなされ、仏の叱責を受ける。阿難が受けた衝撃が尋常でなかったことは、身毛が総立ちするほ 無量寿経における唯除(えE ℃ミ芝山)の意趣(能仁) 七 龍谷大学論集 世 尊 よ 、 こ の 点 に つ い て 、 私 に は 何 の 疑 い( Eszgも迷い(己目巳日) 8 l M M [閉 口 ] ) 我不四敢有三疑ニ意於併所イ所ニ以問 p 僻者、 も疑惑(︿EEZ削 ) も あ り ま せ ん 。 私 は 、 未 来 の 衆 生 が 抱 く で あ ろ う ・ ︻党本大経︼(司長冨包 -w包 他方仰園皆有ニ須禰山寸第一四天、第二切 疑い・迷い・疑惑を払拭するために、如来にこの意味を問うのである。 偶 問ν 困何等-住止、我骨間三臆-答之ベ今不 ν 者、仰去後、首下持ニ何等語-報中窓口之主。濁 とは、﹃大阿弥陀経﹄によれば仏が般浬般市された後のことであり、阿難が仏に問わな 例白知 ν之 爾 。 徐 人 無 ν 有ニ能矯 ν 我解者ぺ以 仰耳。 是故問 ν L 家者にしろ、 な ぜ 極 楽 世 界 に 須 弥 山 が な く 、 四 天 王 や 三 十 三 天 は 何 を 支 え と し て 住 ん で い る の か と 、 先 の 疑 問 に つ い かったために不審を残した浬繋時のエピソードに重ねられている。釈迦牟尼仏が般浬撰されたあと、在家者にしろ出 守党本大経﹄のいう﹁未来 ν 須嫡山寸其第一四天王、第二切利天、皆依二 我、阿禰陀仰圏、何以猫無 ν 婆夷-来問 ν 有 ニ 儲有二諸天人民、若比丘僧比丘尼優婆塞優 利天、皆依二因之-住止。我恐悌般泥垣後、 I S ) ︻大阿弥陀経︼(大正H NH88N∞ 阿難はなぜそのような質問をしたのか。質問した事情を次のように語っている。 りが顔を覗かせている。 どの恐怖(大恐怖衣毛皆起)であったことから窺える。これらの記述には、大乗の教えを理解できない声聞の当惑ぶ J ¥ て 自 分 の と こ ろ に 聞 き に 来 る に 違 い な い 。 今 仏 に 聞 い て お か な け れ ば 仏 無 き あ と 、 どのような言葉をもって答えるこ (ESE苫)であった。しかし、 とができようか。それは仏のみぞ知ることであり、他に私に解説してくれる人は誰もいないからだという。 それこそが、﹃党本大経﹄にいう為すべきことを残す有学の阿難の﹁為すべきこと﹂ それは未来の衆生のためであって、阿難自身の疑問ではない。未来の衆生の理解が及ぱず疑惑と不信の対象となる、 ①阿弥陀仏をはじめとした諸仏の威神力、および②以前に積んだ善根が極楽園土において発現する功徳の自在力につ 一人阿難を有学として登場させた一つの理由を見出 いて、予め明らかにしておくための質問であった。言葉を換えれば、業報の道理を超えた不可思議を明らかにするた めの質問であった。ここに本来は無学の阿羅漢でありながらも、 すことができる。 ﹁唯除﹂ のモチーフとしての初期仏典 丘町削円恒三叶︿仙の語は、 ニカ l ヤ・律のパ lリ文献や︿般若経﹀︿法華経﹀などの初期大乗経典に、様々な文脈で出 てくる。そのうち本経の趣旨に関連する用例がパ lリ・ニカ lヤ﹃長部﹄第三経の﹁アンバッタ経﹂に見出されふ。 次のような内容である。 世に轟く仏の名声を、ポッカラサ lディとアンバッタのバラモン師弟が聞きつけ、偉大な人にそなわる三十二の身 体的特徴が仏にあるかどうかを確認しようとした。まず弟子のアンバッタが行って探してみたが一部確認できなかっ た。それで師匠のポッカラサlディが出向いていった。 さてポッカラサ lディ・バラモンは、世尊の身体に三十二の大人相を探してみた。ポッカラサ lディ・バラモン は世尊の身体に、唯二相を除いて(吾若旦︿仰をめ)、三十二の大人相のほとんどがそなわっているのを見た。その 無量寿経における唯除 ( agE12P) の意趣(能仁) 九 龍谷大学論集 L pg宮芝山)という表現である。しかし、そこで仏 E 削) を あ ら わ す 。 陰 蔵 相 を 示 し 、 ま た 舌 を 出 し て 耳 や 鼻 を な め て 額 面 全 体 を 覆 っ て 見 せ 広 L 蔵相と広長舌相の二相は見えず、除かれているのである。 の対象に対する疑念が払 ②極楽園土において発現する善根功徳の自在力である。その二つの不可思議は、阿難に代表される声聞の認識を超え たものであった。そのような教説に対して、声聞から疑念が起こることが予想され、その疑念を払う役割が阿難に託 し ω仏が威神力を発揮して、肉眼では見えない仏の真実の姿があらわされたとき、﹁唯除 われ、その二相を見ることができ、信を得る。バラモン師弟にとって、﹁唯除﹂と除外し否定された対象は、 て肯定されるべき真実の対象となる。 ︿無量寿経﹀ の声聞乗批判 転 L ω 寸唯除﹂の表示対象は、疑惑と不信の対象である日 ω 寸唯除 の語は文字通り﹁除外 の意味で用いられる。疑惑と不信をもって見る者には、仏の三十二相のうち除 ここで﹃アンバッタ経﹄における﹁唯除﹂の用例の特徴を整理しておこう。次のようである。 長舌相を示すことによって、バラモン教を信奉する彼らの疑念を払い仏道へと誘引したのである。 は 威 神 力 会E55Z包5 したのである。その二相を表示すために用いられたのが﹁唯除﹂ バラモン師弟は二人とも、陰蔵相と広長舌相の二相だけは隠れているために見ることができず、最後まで不審を残 叫 U ょうとせず、確信しなかった(宵包5ωzi巳}内庁各州 E B岳 山552Z5853巴念日。 二相、すなわち陰部が覆い隠されていることと舌が広く長いことという、大人相には疑いをもち、疑惑し、信じ 。 ﹃党本大経﹄において、疑惑と不信の対象は、阿難の問いに示されたように、①阿弥陀仏と諸仏の威神力、および 四 されて、︿無量寿経﹀の説法がはじまった。 ClS) l 功徳を積まない者はこのような[教えを]聞くことはないであろう。 ︻荒本大経︼(司長 z a - 芯・印 叶∞・吋[間企]) そして最後には、 ア ジ タ に 法 門 を 付 嘱 す る 言 葉 を ま と め る 偶 文 中 に お い て 、 次 の よ う な 声 聞 批 判 の 言 葉 を 述 べ て い 非下有二口定功徳-人上不 勇 猛 に し て 目 的 を 達 成 し た 者 こ そ こ の 説 を 聞 く で あ ろ う 。 (l) 浄信 唯有二清鴻げ戒-者乃逮 下劣であり ( g g )、 怠 惰 で 悪 見 を も っ 者 た ち は 諸 仏 の 教 法 に 対 す る 難三以信--於此法 ( U E品 含 ) を 得 る こ と が な い 。 過 去 諸 仏 に 供 養 を な し た 者 た ち 感麟慢弊慨怠 3) は世間主の行を学んだのである。 ( る。どうして教えることができようか。そのように、声聞はみな仏智 実に暗闇の中にあって限をもたない人は道を知らないようなものであ 築脳部ニ聞世尊教- ) を知ることがない。ましてや他の衆生であればなお 三舎とコ凶コω 欲 得三行開ニ導入 ν ただ仏のみが仏の功徳を知る。天・龍・阿修羅・夜文や声聞たちは σ (らである。 (4) さ 何況於ニ俗凡諸- 聾開不 生育冥者 ν 天中天相ニ知意 調 正 費 乃 知 ν此 あるときは人身を受け、あるときは諸仏の出現がある。信も智慧も長 ω ( d) の意趣(能仁) 吾川町℃ミE る 。 ( 9) 道があろうか。 ( 5) ︹知ら]ない。仏智が説き明かされるとき、独覚たちにもどのような 是 ν 値 悌在世甚難 ν 時を経て得られる。その目的を実現するために精進を起こすべきであ 昨支悌亦如 得 人之命希可 ν 若聞見精進求 無量寿経における唯除 致 可ν 有ニ信慧-不 ν 了ニ悌行 ν 聾聞悉或ニ大乗 皆従 宿世時見 ν 例者 間二此正法ν 得ν 間二口疋経名一 ν ︻平等覚経︼(大正巳ぷ∞∞己 る 龍谷大学論集 寸流通偶﹂と呼ばれるこの偽文は、﹃大阿弥陀経﹄にはなく、漢訳本では﹃平等覚経﹄以降に説かれるロただ﹃平 等覚経﹄と﹃無量寿経﹄では﹁東方偽﹂に続いて寸流通偶﹂は説かれるが、本来は﹃党本大経﹄のように経の末尾に L という語が出る。極楽世界は阿弥陀仏の正覚によって実現された、ただ仏のみが知りうる領域であ 置かれていたものと考えられている。 ここに﹁仏智 る。仏智がより所となって、そうした極楽世界が言葉によって説き示されるのであるが、声聞がそのように説かれた L が﹁大乗 L の語で理解されたように、それ以降の︿無量寿経﹀では、大乗を 教説を聞くこともできず仏智を知ることもできないのは、善根を積まず信という手立てをもたないことによるとされ る 。 ところで﹃平等党経﹄では、﹁仏智 2Fm(最高の真理)の語が見 認めない声聞批判の立場が表面化している口﹃党本大経﹄では直後の第五偏に、司mgg凶 え、それに対して﹃平等覚経﹄﹃無量寿経﹄に﹁本空﹂の訳語が与えられていることから、︿般若経﹀の影響を受けて いることは確実であ翫。そうした大乗を意味する仏智に対する疑惑は、声聞・独覚の二乗、天龍夜文などの八部衆は もちろん、菩薩ですら批判の対象になる。 では﹃平等覚経﹄以降の︿無量寿経﹀は、疑惑と不信をもった者には解らないことだと非難して、彼らを除外しょ うとしたのであろうか口 否、そうではないであろう。信も、智慧も、それを得るには長い時間がかかり、精進すべきことが説かれているか らである。﹃党本大経﹄の寸唯除阿難﹂といわれた阿難とは、疑惑と不信をもった声聞を代弁する存在であると同時 に、その疑惑と不信を解きほぐす役割を担う存在であった。︿無量寿経﹀において阿難に与えられた役割からいえば、 ω ( 忌♂ ω三守悶)の語が説かれていると考えられるのである。その語の使用によって大乗としての︿無量寿経﹀ むしろ声聞の教化が意図されているというべきである。その声聞の教化、ひいては不信と疑惑の衆生に関わって、 ﹁唯除﹂ の主題を提示しつつも、説明を加えずそのままにして置いて内容に立入らない。説明しても疑惑を増大させるだけで、 得るところがないからである。それが先に述べたように、﹁唯除﹂を説法の一形式としての捨置記と考える所以であ 特別の誓願を立てた大乗菩薩 ﹃平等覚経﹄第二十願と一生補処 己) 吋]において論じね o ここでは﹃平等覚経﹄と﹃党 [NCC ︻党本大経︼(匂£一SEIZ--U15・ ω・[宮]) 世尊よ、もし私が菩提を得たとき、 かしこの仏国土に衆生が生まれる C1 二十、我作悌時、我圏諸菩薩、不二生等 と し よ う 。 唯 、 そ の う ち の 菩 薩 大 士 た ち (σaE82 山 富 ・ 品55 吉 無量寿経における唯除(え冨富山L2凶)の意趣(能仁) 人々の利益のために鎧を身にまとい、一切世間の人々の利益のために 8 2品思召)が立てた特別の誓願(胃SEES- mzm) を除いて、すな 一 ︿ わち偉大な鎧を身にまとい ( ヨ 与 問gEコ g-S55 門誌古川凶)、 一切世間の 凶} 爾者我不ニ作併ベ 置ニ是飴願功徳ベ不 ν ︻平等覚経︼(大正巳ぷ∞]己 本大経﹄ の本願を対比してその対応関係を見てみよう。 る﹃大阿弥陀経﹄第八願が展開したものであることは、拙稿 寿経﹀の発達史上、きわめて重要な意味をもっ。﹃平等覚経﹄の第二十願は、他方仏国土への願生と作仏を内容とす ︿無量寿経﹀で最初に丘町間宮山ふけ︿凶の表現が用いられたのは、この﹃平等覚経﹄第二十願においてであり、︿無量 用例③は、大乗の菩薩が立てた﹁特別の誓願﹂を対象とした EY凶匂ミ一門誌の用例である。 ω 五 以下、菩薩の誓願にかかわる﹁唯除﹂の文を取り上げて検討しよう。 る 龍谷大学論集 努め励み、 sazs=g・ 8弓削)を実践しようと欲し、 一切世間の人々を般浬繋させるために努め励み、 一切諸仏 一切世界 L の上位概念として導入された﹁一生補処﹂とい の表現が用いられるようになる。また二万五千頒(大品)系で刷、八千頒系の六波羅蜜の修行体系を基礎としてその 伎の即位式を意味する﹁漉頂﹂の用語によって警轍的に表現された的、支謙訳﹃大明度経﹄以降では、﹁一生補処﹂ 八千頒(小品)系最古の支婁迦識訳﹃道行般若経﹄では、四種菩薩の最高位は寸阿惟顔L2520rω)、すなわち王 念として組み込まれていったことが︿般若経﹀の経典発達史上において確認でき街。 その伝承では、当初﹁不退転﹂が菩薩の最高のあり方をあらわしていたけれども、後に寸一生補処﹂がその高位の概 の実践を基本とした成仏道の体系であるが、特に般若波羅蜜を中心にそれを体系化していったのが︿般若経﹀である。 まず﹁一生補処﹂の概念が菩薩道においてどのように位置づけられるのかを確認しておこう。菩薩道は、六波羅蜜 菩薩の特別の誓願に対して、寸置く L、すなわち、﹁除く﹂と説かれたのである。 う最高位の菩薩概念によって、極楽世界に生まれた菩薩が必ず無上菩提を得て仏になることが示された。その一方で、 にも説かれ、両経の前後関係は今後の検討課題であるが、寸不退転 ZZEE) に相当する。この菩薩は︿阿弥陀経﹀ D ﹃ 平 等 覚 経 ﹄ の 二 生 等 ﹂ は ﹁ 一 生 補 処L Z庄町釦 ¥・ Z-S包胃ω 菩提をさとることは決していたしません。 ) とならないことがある限り、私は無上 して一生補処(兵と目日包昏ω た[菩薩大士たちの諸誓願を除いて︺、彼らがすべて、無上菩提に対 ω ω E g g Z包E・ さらにその上の行に向かい普賢行 ( 8弓削)に決定し を恭敬しようと欲し、ガンジス河に等しい衆生を無上菩提に安立させ、 において菩薩行 ' l L I 上に十地の階梯が組み重ねられる。 後漢の竺大力・康孟詳訳﹃修行本起経﹄や呉の支謙訳﹃太子瑞応本起経﹄など古訳の仏両でも、 一生補処は十地と 結びついて説かれ、二万五千頒系との親近性が見られる。仏伝での一生補処は、三阿僧紙・百劫(釈迦菩薩の場合は 九十一劫)にわたって六波羅蜜と十地の修行を実践して兜率天に至り、いよいよ次世に、母マ l ヤl の母胎から誕生 し、無上菩提をさとった釈迦菩薩、 そして未来にさとるべき弥肋菩薩をあらわす概念となる口 このように一生補処は菩薩道が窮まった段階にあることを示す最高位の窓口薩概念として、広く北伝仏教の菩薩道体 系において展開していった。 ところで﹃大阿弥陀経﹄には、不退転と三十二相が説かれていたが、一生補処は説かれなかったロそれは未だその 概念が成立していなかったからであろう。しかし、経典の末尾には弥勅のように作仏することが説かれることか旬、 釈迦牟尼に継いで弥勅が仏となるという観念はあった。しかし、極楽世界を一生補処の菩薩の住処とされる兜率天と 同一レベルで比較することはできない。兜率天は須弥山上においてある生死輪廻の境界であるのに対し、極楽は阿弥 陀仏のさとりによって建立された、業報輪廻を超えた清浄の仏国土というべきであるからである。この点ですでに指 )0 ﹃大阿弥 とは、各菩薩が立てる﹁特別の誓願﹂(古﹃S55コ中三mgm) を意味することが、対応する﹃党本大経﹄ 大乗の菩薩行と特別の響願 摘したように側別の業の影響力を残す﹃大阿弥陀経﹄は不完全さを残す。 q“ r 寸余願功徳 L 第 二 十 一 願 か ら 知 ら れ る 。 法 蔵 菩 薩 の 本 願 も 寸 特 別 の 誓 願LQSE 1mog) とされる(党本匂.呂 岳 山E・ 陀経﹄第八願の主題であった他方仏国土への願生と作仏について、﹃平等覚経﹄では上求菩提の作仏への方向が一生 ω ( 岳山山富三雪山)の意趣(能仁) 補処として表現され、下化衆生の願生が﹁置﹂によって表現されたことになる。 無量寿経における唯除 五 龍谷大学論集 L がどのような誓願であったのかを確認し、﹁唯除 L の意味を明確にしよう。 一六 では﹃平等覚経﹄の意図は何であったのか。特別の誓願とその菩薩を詳説する﹃党本大経﹄第二十一願をもとに、 一体﹁余願功徳 その第二十一願の内容は、極楽世界の菩薩についてである。ここでは一生補処の菩薩と特別の誓願を立てた菩薩の 二類に言及するが、少なくとも一生補処は極楽世界に居る菩薩である。 では特別の誓願を立てた菩薩はどのように位置づけられるのであろうか。文字通り阿弥陀仏の本願から除外され、 あるいは極楽世界から除かれた菩薩なのであろうのか。 四 民芝山)ともいわれているので大乗の菩薩である。さらに﹁偉大な鎧を身にまとった菩 B与削 ω その菩薩は﹁大士﹂ ( L という訳語がみえ、無量無数の衆生 薩 大 士 ﹂ は ﹃ 八 千 頒 般 若 経 ﹄ の 全 編 に わ た っ て 説 か れ る 菩 薩 で あ る 。 そ の 第 一 章 で は ﹁ 大 乗 に 出 立 し たL(gmg ・ 85削呂舎とという語と併記され、般若波羅蜜を求道し、空性 E忠臣冨)、﹁大乗に乗り込んだ﹂(ヨω535・ 3s ・ 8 召司 を体現する大乗を象徴する菩薩である。また支謙訳﹃大明度経﹄では寸弘誓鎧 を浬繋させようとの思いをもった菩薩に言及する。﹃無量寿経﹄にある﹁弘誓の鎧を被る﹂という表現と共通する。 無量無数の衆生を浬繋に導くけれども、浬繋に入る者も浬繋に導く者もいない、と浬繋への執着を否定する般若空観 という特別の嘗願をもっているか も説かれる。菩薩大士は空性を実践し、空性をさとって浬般木の実際に入ることが を︿般若経﹀は説く。その教えを聞いて、恐れ怯まない菩薩大士が寸偉大な鎧を身にまとう﹂とされるのである。そ して同第二十章には﹁特別の誓願 L L ωESEErω) と讃えている。 (BEBMLロ 可能でありながらも、湿繋に入らない。﹁一切衆生を解脱させなければならない らであ仇 o かれを﹁最高になし難い事をなす者﹂ 普賢行と﹁唯除﹂のモチーフとしての入法界品 また﹁普賢行﹂は、︿華厳経﹀の寸普賢菩薩行品﹂寸離世間品﹂﹁入法界品﹂などに説かれ、︿般若経﹀の菩薩の理念 ( 3 ) を受け継いで、普賢菩薩の行を理想として誓願にもとづいて実践される慈悲行のことである。 ﹃入法界品﹄(安唱えミミミミ)の説法会は、国冒頭、祇園精舎にある大荘厳楼閣講堂に集まった普賢・文殊をはじめと した菩薩衆とともに、全日利弗・日連などの大声聞を前に、獅子奮迅三昧に入った仏が威神力によって示現したもので ある。しかし、 そ の 説 法 会 は 菩 薩 に は 見 る こ と が で き た け れ ど も 、 声 聞 に は 見 え な か っ た と い う 。 ﹁ 普 賢 ﹂ ( g H d d g z z包E) とは、寸あまねく勝れている﹂という意味であるが、声聞が菩薩に劣るとされる所以である“菩薩 一方、声聞は、そのような善根を植えたことがなく大悲を捨て自利に満足していたからとされ が見ることができた理由は、菩薩が毘虚遮那仏(︿巴585) に摂取され、菩提心を起こし、諸仏のもとで善根を植 四 えていたからである。 ヲ ハ 回 。 またその内容は、善財童子が菩薩道を求めて五十三人の善知識を陛訪し教えを受けるというものである。その求道 ω は、最初に文殊菩薩に会ったあと、最後の場面では弥勅(慈)、再び文殊(智)に会い、それから普賢(悲)に出会 って帰結するという、智慧と慈悲が深められかっ高められていく構造にある。﹃入法界日間﹄において寸特別の誓願﹂ 1貯包)の語が説かれるのは、まさにこの弥助、文殊、普賢においてである。この求道の遍歴は、自ら 凶 ECEY-5・ ( 匂 菩提をさとり衆生教化を終えて浬擦に入る一生補処の大慈の行にとどまることなく、一切衆生の浬繋を願って衆生教 化を継続し、それを成し遂げないかぎりは浬繋に入らないと誓った普賢脊薩の大悲の行へと進み行く、たゆみない上 求菩提・下化衆生を願う菩薩道こそ、求めるべき普賢行であることを示している。 間 普賢行とその誓願の内容は、①礼敬諸仏、②称讃如来、③広修供養、④機悔業障、⑤随喜功徳、⑥請転法輪、⑦請 仏住世、⑧常随仏学、⑨恒順衆生、⑩普皆廻向、の十種にまとめられる。善財童子が求めたそのような菩薩道をまと め讃歎する詩頒が﹃入法界品﹄の末尾に説かれる﹃普賢行願讃﹄である。 g ・怠ω) には、阿弥陀仏信 この﹃普賢行願讃﹄や、 それに先行する西晋・語道真訳コニ量陀政陀羅菩薩経﹄(大正 無量寿経における唯除(丘町山富三雪印)の意趣(能仁) 七 龍谷大学論集 ( ω ) 廻向します。(日) そして、私が生命を終るとき カlヴァティ![仏]国土(安楽利)[即ち極楽浄土]に、私が行けますように。(幻) 一切の障害を取り除き、かのアミタ l パ(阿弥陀)[仏]に直接まみえ、 かのス 三世に属する一切の勝者方により、最高の廻向と賞讃されたゆえ、私はこの善根をすべて至高の普賢行のため、 [達することに]ついては、疑いを起こすことなどありませんように。(日) この普賢行願[讃]を受持、読論、もしくは教示するなら、その果報は[仏]のみごぞんじです。優れた菩提に す。(日) 無知ゆえに、[すぐに結果の出る]五無関悪業をなしても、この普賢行[願讃︺を唱えれば、速やかに消滅しま 薩]がどのようであろうとも、久しからずして彼らもそのよう[な菩薩]になります。(印) 彼らは容易に利益を得、幸福に暮らします白彼らは[再び]この人間の生に喜んで迎えられます。実に普賢[菩 まみえます。 この普賢行願[讃]を護持する人は、[三]悪道を離れ、悪友たちを避けて、速やかにアミタ l バ(無量光)に 勝者方の長子、普賢という名の賢者と同じ修行をするため、私はこの一切の善[根]を廻向します。(必) き、残りなく成満できますように。(引) B i m o g ) のすべてを、私は普賢行により菩提を開 三世に属する勝者方が立てた優れた菩提行の誓願 ( USEa品 られる﹃普賢行願讃﹄にも次のように説かれる。少し長くなるけれども引用しよ畑。 向し、その衆生を地獄などには生まれさせず阿弥陀仏国土に生まれさせようというものである。﹃入法界品﹄に収め 仰との密接な関係が説かれている。そこには、十方諸仏への礼拝に始まり、機悔・随喜・勧請による功徳を衆生に廻 J ¥ そこに行った[私の]限の前に、これらの誓願がすべて完全にありますように。私はそれら[の誓願]を、残り なく成就して、[この]世にいる限りの[すべての]衆生の利益をはかりましょう。(部) その清浄で、喜ばしい仏の輪のうちの、美しく、すばらしい蓮華の上に生まれた私が、そこでアミタ lパ勝者の 面前で、授記を受けられますように。(日) ( ω ) そこで授記を受けた後、私は幾百コ lティもの化[身] により、覚知の力により、十方において多くの衆生の利 益をなし得ますように。 普賢行の特徴は諸仏の加護を受けて実践されるところにある。成立史上、﹃普賢行願讃﹄は阿弥陀仏を不可欠の要 素としないが、最終段階では阿弥陀仏と極楽園土に依拠して成立するにいたる。 ︿般若経﹀も︿華厳経﹀も、一切衆生を余すことなく浬繋に導こうと願い実践する菩薩を説いた。上求菩提・下化 衆生、すなわち自利・利他を具足する菩薩行は、すべての菩薩に共通する理念であるが、無量無数の衆生に対して菩 薩はどこまでも下化衆生の実践を貫徹しようとする。自己の浬繋のためではなく、一切衆生の立場を追求して自らの 上求菩提の菩薩道としていったのが大乗の菩薩であり、その慈悲の究極に普賢菩薩がいるのである。その普賢行を内 容とするのが︿無量寿経﹀の﹁特別の誓願﹂であったロ ではなぜ寸唯除﹂と一一百わなければならなかったのか。また﹁除外﹂の語義は相応しいのであろうか口 ﹃入法界品﹄では、普賢行において示される大乗菩薩道を認知するに相応しい徳をそなえていないために、仏の威 神力によってあらわされた善財童子の求道の遍歴を見ることのできない声聞が説法会にいた。 先に﹁唯除﹂の語を介在させて、疑惑と不信をもった者の教化が﹃アンバッタ経﹄に説かれていたことを紹介した。 ﹃アンバッタ経﹄の教説構造に︿無量寿経﹀を重ね合わせたとき、この﹃入法界品﹄にこそ、︿無量寿経﹀が﹁特別 無回一一旦寿経における唯除(弘吉宮12m) の意趣(能仁) 九 龍谷大学論集 二O の誓願を除いて﹂と説いた根拠を求めることができる。声聞には特別の誓顕である普賢行を見ることができなかった からであ旬。その﹃アンバッタ経﹄と﹃入法界品﹄の所説ふまえて、︿無量寿経﹀の文脈を読むと、次のように寸唯 除﹂の特徴を示すことができるであろう。 川﹁唯除﹂は声聞の疑惑と不信の対象を示していると同時に、大乗の主題を提示している。 ω声聞は大乗の普賢行を見ることができないという点で、﹁唯除﹂は一義的には除外を意味したロ さて︿無量寿経﹀で声聞に対して仏の威神力が発揮される場面がある口それでもなおかつ声聞に理解されなければ、 寸唯除﹂は文字通り除外を意味することになるであろうし、理解されるならば意図を含んだ除外を意味することにな 阿弥陀仏による威神力の発揮 る。以下、その点につて見てみよう。 ω ︿無量寿経﹀すべてに、阿弥陀仏が光明の威神力を発揮する場面が説かれる。釈迦牟尼仏の説法がすすむにつれ、 極楽世界の阿弥陀仏と諸菩薩を見たいという、阿難の請願に応え、阿弥陀仏自身が光明の威神力を発輝して、阿難の 目の前に仏のみぞ知る極楽浄土の世界があらわれたのである。以下の通りである。 そのとき、十万コ lティの仏国土のいたるところで、黒山、宝石の山、 l・ ?[閉包]) ︻焚本大経︼(司急E 包 ・ ・ 8・Hミ 無量清浄例。放二光明威神-己、諸無央敷天 スメ l ル(須弥山)、大スメ l ル、ムチリンダ、大ムチリンダ、鉄囲 ︻平等覚経︼(大正巳一巳∞のに1 M g包) 人民及蛸飛嬬動之類、皆悉見斗無量清滞伸 山、大鉄囲山、壁、柱や天・人の樹木・深林・遊園・宮殿も、これら λ 一切は、かの知来の光明により貫かれ、圧倒された。あたかも太陽が 莫下不-慈心歓喜作 善 F 者日諸有泥型 光明 禽獣醇第、諸有考治勤苦之慮、則皆休止不- 復治一莫下不三解ニ脱憂苦-者日・:(中略)・: り見るように、そのときまさしく、この仏国土にいる比丘、比丘尼、 昇 っ た と き 、 人 が た だ 一 ヴ ィ ヤ l マの距離を隔てて第二の人をはっき うに ンナラ、 一切の国土にそびえ立つ山の王スメ l ルのよ 一切の方角を威圧して光り輝き照らし抽出めくアミタ l パ如来・ マホ lラガは 優婆塞、制限婆夷、天、龍、夜叉、 ガンダルヴァ、阿修羅、ガルダ、キ 悌告ニ阿難阿逸菩薩等一我説ニ無目黒清津悌及 諸菩薩阿羅漢園土自然七費-、営無 有ν 異 ν 乎。阿難長脆叉手言、悌説ニ無量清浄悌園 44 説、無 ν 有﹂一異ベ 土快善一如 併 所 v ( σ a z窓口g・官官)と比丘僧団 応供・正等覚、および大菩薩集団 BErg-85悶}出)とを見た。それは、仏の威神力 SESMロ σ g g ) ロ によって光明が浄化されているからである。・:(中略)・:またそのと き、かの極楽世界の菩薩や声問、天、人たちはすべてこの[裟婆]世 界、そして釈迦牟尼如来が大比丘僧団に固まれて法を説いているの見 たのである。 ﹃平等覚経﹄では、 その光景を見た阿難は釈迦牟尼仏の説かれた通りだ と 仏説の 真 実であ る ことを 述べて 、信順の 意思を証している。﹃党本大経﹄では、この世の比丘・比丘尼の声問、優婆塞・優婆夷の在家信者をはじめ、八部衆 も見ていた。さらにアジ夕、すなわち弥助菩薩も見ていたロ釈迦牟尼仏が比丘僧団に説法する様相が極楽世界から見 られる場面は、声聞が大乗の極楽浄土の説法に帰依・信順していることを表現したものと解釈できるであろう。 流通備において声聞は仏智を知ることがないと非難されたが、ここでは声聞をはじめ八部衆を対象に、阿弥陀仏は と説かれた普賢行に象徴される大乗菩薩の特別の誓願は、ここにおい 光明の威神をあらわして、阿弥陀仏の真実の姿を見せている。﹃アンバッタ経﹄の教説構造は、︿無量寿経﹀にそのま L ZE富三門戸、似)の意趣(能仁) ま当てはまるのである。したがって、寸唯除 無聖寿経における唯除 龍谷大学論集 て一転して肯定されるべき真実としてあらわれるのである。疑惑をもっ者には、極楽世界に生まれた菩薩が特別の誓 願をもつことについて何も語らず、信を得た者にはそのまま容認される。﹁唯除﹂(丘町削富山、一言削)を捨置記の一一極とみ ることによって、 そうした解釈が可能になると考える。 アジタの場合、その内容はより具体的である。阿弥陀仏に見えて説法を聴聞する菩薩たちを目の当たりに見る。し かし、蓮華が専に包まれた状態で、仏に会うことも法を聞くこともできずその中に留め置かれた菩薩がいる。アジタ は、それが仏智を疑ったために功徳の・自在力を発揮できないでいる菩薩の姿であることを知らされる。アジタは一生 アジタに対し、何のために極楽位界を目指すのかが説き示される。 補処の菩薩とされるが、大乗で発生した普賢行の実践をめざした菩薩ではないという点に注意する必要があるであろ 。 っ 、 この一段をまとめる一節中に、 したがって、実にアジタよ、諸菩磁は疑念をもつことなく、菩提心を起こし、速やかに一切衆生に利益と安楽を 与える能力を得ることを目的として(宏一℃E5822己守与x gcrg舎営削古品ヨ同吾ヨ胃丘一Eヨ罫削2E召)、世尊 [rH]) アミタ l ユ ス 如 来 ・ 応 供 ・ 正 等 覚 者 が 在 す 極 楽 世 界 に 生 ま れ る た め に 、 諸 善 根 を 廻 向 し な け れ ば な ら な い ・ 515・ ( w a巴ωヨ巴仙巳宮・江口削ヨω三宮︿可町山口一)。(司ε一 Z2r 己 すなわち一切衆生を利益し安楽を与える大乗の菩薩行を実践する能力を速やかに獲得するためである。極楽世界は、 諸仏に見え諸仏を供養する菩薩行の実践に積極的な根拠を与えるものであり、大乗菩薩の理念を速やかに実現する根 拠となる世界なのである。一方、大乗への疑惑は菩薩行を妨げる障碍となる。 ︿般若経﹀や︿華厳経﹀といった大乗経典において菩薩思想が大きく展開する状況下、﹃平等覚経﹄はそれら経典 L L の第一に の諮が導入されてたと考えら 制作を大きく受けている。町平等党経﹄が﹁余願功徳﹂という表現で普賢行の観念を取り込んだとき、大乗の菩隣 の wvw 行、すなわち将賢行が認識できない声聞の教化にかかわって、寸置﹂、 すなわち﹁唯除 れる。大乗と声聞乗の菩磁観には大きな巡いがある。決定的な違いは、﹁衆生無辺哲願度﹂と寸問弘容願 説かれるように、衆生があらん限り衆生の担般市を願って菩薩行を実践する、空性に依拠し大悲をあらわした告願を認 誓願力による菩薩 めるか.治かにあるといえよう。それはもう一生で生死輪廻の脱界を終える伝統的な一生補処の菩薩の観念と大きく異なる。 /¥ 二十聞の一生補処を反映したものとなっていない。 実にまた、阿難よ、かしこの ︹仏国土] にすでに生まれ、現に生まれ 印 仰吾一口、其欲ユ求作ニ菩薩道バ生二無叶一清浄仰 あるいは未来に生まれるであろう菩薩たちはすべて 7 ︻究本大経︼(司丘一宮包J3・ 凶一者、其然後、皆岱 ν 得ニ阿惟越致諸口薩ぺ それから (EZ∞)無上菩提をさとるであろう。唯、誓願力を除いて 一生補処となり 阿惟越致韮口一隠者、皆山口問 ν 有-三十二相紫磨金 ZEE-雪山吉. 2一己宮山口ωωEE)、である。すなわち、それ(誓願力) SEE)、広大な鎧を身につけ ESSE-gE 5EE)、一切衆生 凶 8 ・5 ( v d g ) か の 菩 薩 た ち は 大 獅 子 肌 し ( ヨ 与 宏 一1 g忌含- ︿ 欲 色八十種好ベ皆賞作例。随ニ心所願ハ在 ν によって 随ニ其精進求 v 道、早晩之事事同等耳。求 の 般 浬 繋 の た め に [ 輪 廻 の 中 に 生 ま れ て ︺ 努 め 励 む ( 富 三g g・ mロ ω ) のである。 三 一 Z 道不 ν 休、曾首得 ν 之、不 v 失ニ其所欲願-也。 凶一 一 ) 白 ユ コr・︿凶 HMσ 己 可 無川一民寿経における唯除 2525三戸ぐとの意趣(能仁) ν 於ニ何方例図一作仰、終不 ν 更-泥型禽獣醇蕩イ 匂N ︻平等覚経︼(大正H NHSWNl 8怠) z a ] ) さらに﹁特別の告願﹂に関する成就文の用例を確認しよう。﹃平等党経﹄は、﹃大阿弥陀経﹄とほぼ同じ内容で、第 ー』回ー- 龍谷大学論集 二四 一生補処の概念を媒介にして (55仙巴ggS己中コ包一g ) という表現に注目したい。この言葉は﹃入法界品﹄では二箇所、い ω ﹃党本大経﹄は、菩薩が極楽世界に生まれることによって無上菩提をさとることを、 表現するのである。 ここで﹁大獅子肌﹂ ずれも菩薩が誕生して七歩する場面に用いられる。そのうちの一つは、兜率天上の弥物菩躍についてのものである。 と言われた輪廻世界への最後の誕生が誓願 仏伝では、これが輪廻における最後の誕生(最後生)であると、釈迦菩薩が天上天下に宣言する場面である。はたし L 一生補処の一生とは業による誕生であるからであ て一生梢処の一生が何に由来するのかは明らかではないが、﹁もう一生 によって意味づけられている点に注目したい。伝統的な解釈では、 若有ニ菩薩一以ニ宿願-故入ニ生死界一作扇子肌-利ニ益有情バ我令・ 4h阻ν N ∞ ) 意而作二働事寸(大正ロ。・ωgLNUS 会ミ l 経﹄は次のように説いている。 その﹁誓願力を除いて﹂と言った意図をよく表現しているのが、﹃荘厳経﹄である。この世への受生について﹃荘厳 それに対して、﹃党本大経﹄のこの記述は、菩薩が菩薩道を完成する最後の誕生を、﹁誓願﹂によって意味づけ旬。 薩道の完成を説くのが声聞乗なのである。 ω される。身金色相を完備することこそ、上求窓口提の菩薩道の完成を象徴する表現である。そのように業にもとづく菩 するまで待機する場が兜率天であり、この世は三十二相中最後に残った身金色相の果報を事受する場として意味づけ めの異熟業を修習する期間とされる。相異熟業の修習を終えて兜率天の一生補処に至る。三十二相の業の果報が成熟 後に有部がアビダルマ文献において体系化した菩薩道によれば、三阿僧紙劫の後の百劫は、三十二相を具足するた る この菩薩は、極楽世界では般浬繋が保証されているにもかかわらず、 一切衆生の浬繋のために、自らの本願によっ て生死輪廻の迷いの世界に生まれることを願う。それを阿弥陀仏の本願が保証している。﹃党本大経﹄はそのような 内容の響願力による生について﹁唯除﹂という表現を用いているのである。これらに説かれていることは、表現に違 五濁の世への出現を願う菩薩 いはあるが、﹃大阿弥陀経﹄﹃平等覚経﹄から一貫したものと言える。ー唯除﹂と説いた意図が問題なのである。 ようである。 ︻無量寿経︼(大正巳ぷお己 彼如中我図上也 無量寿経における唯除 ν E 包13・NCts・NZω品]) ︻党本大経︼(司£ L を説くのである。次の 実に阿難よ、かしこの仏国土に生まれた菩薩たちはすべて、悟りの極 致に至るまで、仏に見えることからも、教法を聴聞することからも離 れず、悪趣に堕ちることはない。彼らはすべてそのときより、決して [前]生の記憶をもたないものとはならない。唯、誓えばわたしが今 [五濁中に出世した]ように、諸仏世尊が出世するときには五濁 二五 g z s芯志望)が起こっているのであるが、そのような時代が ( 吉 田 25山富て芝山)の意趣(能仁) 常識ニ宿命ぺ除下生二他方五濁悪世一示現同 又彼菩薩、乃至成悌不 ν 吏ニ悪趣一神通自在 lω) 願に悪趣に堕ちないことが誓われたことに付随して、五濁の世への出現を願う菩薩の﹁唯除 三願に由来する光明を放つ諸斉薩・阿羅漢に付随して、観音・勢至の二菩薩の﹁唯除﹂を説き、そしてm gでは第二 補処の菩薩に付随する形で、誓願力により大獅子肌する菩薩の寸唯除﹂が説かれた。明ω品では﹃大阿弥陀経﹄第二十 ω ω から刷 ω ぷ凡本大経﹄は m ∞にかけて極楽世界の菩薩について語る。そのうち閉包では、第二十一願に誓われた一生 七 地谷大学論集 門 ・ ℃ gg 505g) 場合を除いて 吾削富三宮山)、 ω ( 一 一 六 である。 濁乱しているところに[生まれようと、菩薩が]過去に誓願を立てた ( 匂 口 ﹁ ω g これは、仏に見えるなど、上求菩提の菩薩道に不可欠の功徳のそなわった極楽世界に生まれることに対し、下化衆 生の菩薩道として無仏の五濁悪世に生まれることを願った菩薩に関する﹁唯除﹂である。 そのモデルとなる﹁わたしへすなわち釈迦牟尼仏が五濁悪世に出世したことは、﹃大阿弥陀経﹄﹃平等覚経﹄﹃無量 N o ] では﹃大阿弥陀経﹄ 寿経﹄の五悪段中に説かれ、それが︿阿弥陀経﹀党本に対応することを指摘して、拙稿 [ の五悪段のインド起源説を提起しむロ五濁悪世に出世して衆生のために法を説いた釈迦牟尼仏のなし難い求道が大乗 の菩薩道の理想として再解釈されることによって、﹃党本大経﹄の傍線部の記述中に五悪段が発展的に消滅していっ たと考えたのである。その点について補足しておきたい。 その﹃大阿弥陀経﹄五悪段中の一節と︿阿弥陀経﹀の党本(党本小経)の記述との対応関係は以下の通りである。 l z a - 宏・品 ∞[28) ︻焚本小経︼(司己一 わたしが裟婆世界における衆生濁・見濁・煩悩濁・命濁・劫濁の中で ︻大阿弥陀経︼(大正尽ニロ己ーと 今我於二是世間-作悌。局於ニ五悪五痛五焼 無上菩提を悟り、 あ ら ゆ る 世 間 に 信 じ 難 い 法 ( g﹁︿色。 z・ 縦 之中-作併、局ニ最劇-教二週間人民ベ令 z 捨二 三官民3 3E3Sω ﹁ョ。)を説くというのは、 わたしにとっても最高に 降二化 五悪一令去二五痛一令去二五焼之中 なし難い事( E E ヨ m・ 含 叩ES)であった。 w 4 其心一令下持二五善-得申其福徳度世長議泥一担 之道日 現時点で五悪段に対応する原典が確認できるのはこの傍線部のみであり、﹃大阿弥陀経﹄と﹃平等覚経﹄の党文原 典にのみ存在していたと考えられる。そして、この部分こそが五悪段の核となる言葉であり、傍線部以外の五悪段の ほとんどは漢訳に際して加筆されたのではないかと推測する。しかし、五悪段のインド起源という考え方は、五悪段 がインド撰述か中国撰述かの二者択一を直に迫るものではない。中国でどのように五悪段が編集され、インドでどの ようにその核となる思想が展開していったのかを解明するために、解釈の根拠を提示するものである。 五悪段の成立問題を考える場合、﹁教語人民﹂(世の人々に教え語ったこと)や﹁令縦捨五悪﹂以下﹁泥沼之道﹂、 あるいは寸世間に信じ難い法﹂がどのように理解されたのかということが問題である。 ︿阿弥陀経﹀にはその内容が何であるのかについて明言はない。たとえば、原始経典や仏伝によれば、菩提樹下で L や﹁浬繋﹂の法を説いたとされる。縁起とは、伝統説で ω 降魔・成道したあと、さとった真理は甚深微妙の法であり、誰も理解してくれないのではないかと案じ、説法を跨踏 するが、結局、党天の勧請をうけて釈迦牟尼仏は、﹁縁起 は十二の支分によって構成される生・滅の縁起である。阿難がいった寸諸業の異熟﹂﹁業の形成力の不可思議﹂であ る。この縁起の教えは、インドにおいても善悪因果の業報輪廻の思想と分かちがたいほどに結びつき、解脱・浬繋の L 側 の観念が中国風に解釈され、﹁度世長寿﹂といった道教や道徳的色彩を強め加筆されて出来上がったものと考え 教えを展開した。﹃大阿弥陀経﹄の五悪段は、そのように釈迦牟尼仏によって説かれた﹁世間に信じ難い法﹂と寸五 濁 ることができる。 一切衆生を輪廻から解脱させよ 一方、大乗では、寸不生・不滅﹂の縁起、空なる縁起が説かれたという立場をとる。先にも述べたように﹃八千頒 般若経﹄に、空性を実践し浬繋をさとることが可能でありながらも、浬繋に入らず、 二七 うという特別の誓願をもって、菩薩行を実践する菩薩が﹁最高になし難い事をなす者﹂と讃えられたが、それこそが 空なる縁起を体現した菩薩の姿なのである。 無量寿経における唯除 Z ZZ12M) の意趣(能仁) 龍谷大学論集 二八 釈迦牟尼仏の偉業を讃えた︿阿弥陀経﹀と共通する﹃大阿弥陀経﹄の言葉は、中国に伝承される過程で五悪段を形 成していったが、インドの伝承では、︿般若経﹀を介し空性によって意味づけられて、大乗菩薩の誓願へと発展して いったと考えられる。﹃平等覚経﹄は︿般若経﹀の影響を受けているが、成就文においてはそれが反映するまでには 至っていない。﹃無量寿経﹄の段階では、﹃党本大経﹄と同様に、五悪段の核となった釈迦牟尼仏を讃歎する言葉は原 本レヴェルではすでに消滅し、大乗菩薩の誓願に昇華され、寸唯除﹂と表現されたものと考えられるのである。 まとめ ﹁平等覚経﹄は様々な大乗経典の影響を受けている。その第二十願は、︿般若経﹀や︿華厳経﹀の大乗経典の影響 L に疑念を抱く声聞がいたために、大乗の教 を受け、衆生の浬繋のため、いつまでも、何処にでも生まれようという、大乗菩薩の﹁特別の誓願しによって、極楽 世界の菩薩を意味付けようとした。一方で、周辺にはそのような﹁大乗 q アンバッタ経 L の えを提示しつつ大乗に誘引する目的でとられた手法が、捨置記とかかわる﹁唯除﹂の⋮訟を用いることであったと考え られる。その用法は、疑惑と不信のために認識できなかったものの除外を意味した、初期経典の ﹁唯除﹂の用法に由来する。 ︿無量寿経﹀の主題は、阿弥陀仏の光明の威神、一言葉を換えれば全編を通して阿弥陀仏の本願力の不可思議を明ら かにすることである。小乗と非難された声聞も阿弥陀仏の本願に摂取されるが故に、阿弥陀仏による光明の威神とい う不可思議なる宗教体験を通して、あるいは大乗の意義を知ることによって、疑惑と不信が克服され大乗に帰入する ことが可能となる。有学の阿難はそうした大乗の不可思議なる教説に疑惑と不信を抱く声聞乗を象徴する存在である。 その阿難の教化を通して大乗としての︿無量寿経﹀の教説を展開し、大乗の体系上に位置づけていった最初が﹃平等 党経﹄であり、そこに﹁唯除LZEBu、言一削)の語の果たした役割があったと考えられる。 註 ω 1 の語義について│経論における用例を通じて│﹂(﹃印度学仏教学研究﹄四九 l二、二O O一年) 種々の解釈があり、問題の複雑さを窺わせる。藤田宏達﹃浄土三部経の研究﹄(岩波書庖、二OO七年)三三二1三三 阿理生﹁ tm 吾凶℃包雪山 八頁参照。 ンと身体は同一か、世界は有限かなど、十四の問いに対しては、仏は沈黙し答えることを避けたという。これを﹁捨置 問いに対する仏の答え方に、一向記・分別記・反聞記・捨置記という凹種がある。如米は死後存在するのか、アートマ 参照。 ω ω 記﹂あるいは寸置符﹂という。浬繋という目的のために資することが無く、逆に疑惑を増大させるからであるという。 大正5 ・ L( ﹃党本法華経﹄では、ア 1ジュニャ lタ・カウンディニヤやアシュヴアジットにはじまり阿難に至る比丘衆に関して、 印 U z -∞)、中部第日経﹃小マ lルンクヤ経﹄、中阿含第二二一経寸箭轍経 ﹃大智度論﹄(大正 g5 ・ 3・NfN C F U ) など参照。 ) E N -∞ NPご∞( ω すべての声聞に削355えの称号を用いる。︿法華経﹀は声聞授記を説く点で特別の意図があるように感じられるリ 削三缶詰巳に関しては、巾村元﹁若き人355E﹂(﹃印度学仏教学研究﹄三二二、一九八三年)参照。﹃根本説一切有部毘 奈耶雑事﹄には﹁然有二種呼召之事。或云大徳。或云具毒。年少芯拐臆喚老者局大徳。老喚少年局具詩。若不爾者得越法 ニ き σ )、﹃四分律﹄巻五四寸集法児尼五百人﹂(大一止g-EN N N h u m a n a申告白)、吋摩詞 N品 いN N C ) とある。 罪﹂(大正コC -E2・ C N n Nt 吋 王舎城での五百結集では、未だ阿羅漢ではなかった阿難がその直前にさとり、結集への参加資格を得る。﹃五分律﹄巻 ω 三十﹁五百集法﹂(大正5 E N N ・N ・ ∞ 僧紙律﹄巻三二(大正5 Z N二白山台)など参照。特に﹃十繭律﹄巻第六十寸五百比丘結集 三蔵法日間第ごの記述は ・N N ・ 日 六 ﹁ 長 老 阿 難 在 僧 中 。 長 老 大 迦 葉 思 惟。是阿難好善皐人。僻説阿難於多 N r E 3 口 l N 下記の通りである。大正gE 8 ・ 疋阿難好善撃人。併説阿難多聞人中最 聞人中最第一。我等今嘗使阿難作集法人。長老大迦葉忠惟己。僧中唱。大徳僧聴。 u 第一。若僧時到僧忍聴。我等今嘗使阿難作集法人。如是白。大徳僧聴。是阿難好善皐人。悌説阿難於多聞人中最第一。我 H 長老説僧巳口忍聴長老阿難作集法人寛。僧忍黙然故。 等今嘗使阿難作集法人。誰諸長老忍阿難作集法人者黙然。誰不忍 疋 二九 是事如口疋持。長老大迦葉復思惟。今集一切修妬路。一切毘尼。一切阿毘曇。是事多非一日二日乃至七日可寛﹂。 山間この用例については、龍口明生﹁第一結集における阿難l有学から無学へ│﹂(﹃宗教研究﹄三七一、二O 一二年)を参 無量寿経における唯除(え冨吉︾ふさ凶)の意趣(能仁) ω 龍谷大学論集 照されたい一口 宮によって雌認できる)。︿八千頒般若経﹀の党本にも出るが、漢訳本では、支婁迦識訳﹃道行般若経﹄や支謙訳 ﹃大明度経﹄にはなく、少し遅れて﹃摩詞般若波羅蜜紗経﹄(大正ロ 0・ NN?∞uggNU ﹁除賢者阿難﹂)や羅什訳﹃小品般若 になってからである。 L) ﹃大阿弥陀経﹄では、阿弥陀仏国土での菩薩・阿羅漢の住居が、彼らの意のままになるものとならない場合があるが、 では表現されていない。つまり阿弥陀仏の威神力である。 g 一色戸山口白)をあげるが、チベット訳ではそれを寸諸善根の廻向﹂ それは彼らの過去世の善行の多少に応じたものであるという。大正巳い ωerg-E参照。 (仏 ・ 。 月 予定)を参照されたい。 中部第引経﹃プラフマ l ユ経﹄、第幻経﹃セ lラ経﹄も同様である。 t︺ ℃ ﹃ 釦 ] ロ 何 回 ・ 福井真﹁∞z rz削︿釦司︿可思ω(党文無量寿経)の研究││流通備を中心にして││﹂(﹃待兼山論叢﹄第幻号哲学篇、一九 九八年一二月)参照。 拙稿﹁大阿弥陀経考(上)│阿逸菩薩を視座とした経典構造│﹂ (﹃龍谷大学論集﹄ 四六九)参照。 ω た と え ば 寸 般 若 波 羅 蜜 は 最 高 の 真 理 を そ な え た も のLEhEgJEミ 雪 3、 吋 正 弘 治 母 内 叫M Sミ戸︿州凶一色一苫・包--=・おい gE片山間)とされる。 町Og BEE一日吉吋ωBM江 匂m ω l 一見 ErFoσBZEロ。唱。frFRmZ削島 σgmmgzE克 己gE585m岳在日一8 ・ ωUz--LS・H 吋 zrrgロ 削 口 一 EggsFσ 門 出 一-包己 削r r r F ω 削 85mwF σ ︿ 仙 ロゆω σ F m w m ω g z r 削 ℃ ロ ユ 口 一 可 。 ﹃ ミ ヨ コ 。 ﹁ 住 吉 怠 O ﹃ 間 山 、 。 斗 ︿ 巳 広 岡 山 同 g z r r g M V M m h F 8 2 旬 。 円四︿ 0・ zrrzggc}s pryω 片山︿EEnngz ロ包EERstsgg司自民民rr。 ω O } M E w S︿ 宮 町 田 ・mミF o ω ω ω ω ι1 25mySC18・ ω口 ﹃ 口 同 町 凶 71 町 内 凶 片 山 可ω n m u m凶 ω Fr・︿。78・ mog-一2SEEgg-3 ・ 口問 ロσaog) と翻訳し、廻向と﹁誓願L をほぼ同一概念として理解している ( z aω-nZNNUN-ω)。この点ω については拙稿寸チベットにおける阿弥陀経の受容﹂(﹃仏教学研究﹄六九、二O 二ニ年三 側︿阿弥陀経﹀は極楽世界に生まれる条件に寸誓願﹂(胃 ω ﹃大阿弥陀経﹄大正ロ 0・ ωSLNUS句。5ーに一﹁是諸天皆自然在虚空中住在。虚空中住止。無所依因。悌威神甚重。自然所 欲作局。意欲有所作。民不諌計。是諸天皆尚在鹿空中住止。何況仰威神尊重。欲有所作矯耶﹂。ここでは仏の威神は複数 経﹄(大正コ 0・ N Nア∞ υaFN∞﹁唯除阿難 ω m g m ω 的﹃般舟三昧経﹄では支襲迦識訳(ロ。・白∞)にすでに説かれる(摩詞比丘僧五百人皆得阿羅漢猫阿難未。チベット訳 B ω 。 ω o この表現が﹃八千頒般若経﹄に出ていることが指摘される。香川孝雄﹃浄土教の成立史的研究﹄(山喜一局、 一九九三年) 山田龍城﹃大乗仏教成立論序説﹄(平楽寺害賠、一九五九年)一二二頁以下、平川彰﹃初期大乗仏教の研究I﹄平川彰 四九七頁以下参照 著作集3巻(春秋社、一九八九年)三九九頁以下を参照されたい。 m ω 支婁迦識訳﹃道行般若経﹄大正5NN?∞一怠EN十σZ・品虫色?NHなど。 ・ N包ω I N C・縦什訳﹃摩剖般若﹄大正5 ・ N N ω ・∞ぷω甲山ω l ω などり 川間無羅叉訳﹃放光般若﹄大正コ。・NNf∞二C 一心智慧。善様方便。慈悲喜護。育養衆生。如視赤子。承事諸倒。積徳無限。累劫勤苦。通十地行。在一生補慮。功成志 側 竺 大 力 ・ 康 孟 詳 訳 ﹃ 修 行 本 起 経 ﹄ 大 正5?ωζass-Naい寸経歴三阿僧蔽劫。劫垂欲輩。感傷一切。輪特無際。民 5・ 衆生故。投身倭餓虎。勇猛精進。超蹴九劫。能仁菩薩。於九十一劫。修道徳。皐悌意。行六度無極。布施持戒。忍辱精進。 就。神智無量。期運之至。嘗下作悌。於兜術天上﹂。また支謙訳﹃太子瑞応本起経﹄大正きい∞印・三宅ωEN151菩薩於 ﹁一生補処 L の観念の発生源がどこにあったのかは明らかではない。平川 [ z g ] は仏伝文学を指摘する。あるいは阿 九十一劫。修道徳 0・皐僻意。通十地行。在一生補慮。後生第四兜術天上﹂。 ω L [呂志](JE} 主買主 Z E E -いわゆる一生補処について L、﹃印度学仏教学研究﹄四三ム一)は、世俗の百円一の観念を反 という原初的意味を推定する。筆者は、平川が関連性を指摘する寸最後生﹂の観念と関係が深いのではないかと考える。 映しているとし、﹁如来の家に生まれる﹂という観念の発生と不可分であり、寸(如来と)同一の生まれに結びついた者 仏 の 出 世 に 先 立 つ 、 こ の 陛 へ の 菩 薩 の 誕 生 は 、 寸 こ れ が 最 後 の 誕 生 で あ る 宮 苫ESZEω 百三。いまや再生はない (コ〆門壬正三宮コ与52d)﹂という定型句によって表現されるが(長部大本経ロZZZωE3SE g ・-SF戸ロ)、 誕生前の因位の菩薩の立場からこの誕生を見たときには、さとりのための最後の誕生はあと一両だけ輪廻に結びついた誕 生を意味する。その最後の誕生に、一生補処の菩薩の﹁一生LZEEZ) が由来するのではないかと考える。ただしパ l l H H U ﹁従我園首有七百二十億阿惟越致菩薩。皆嘗往生阿菊陀悌園。一阿惟越致並口薩者。前後供養 ﹃大阿弥陀経﹄ ω-E∞ リ文献には二生補処﹂の言葉は見られない。 無央数諸悌。以次如禰勅皆蛍作悌﹂。不退転の菩薩が極楽世界に生まれ、順次、弥勅のように無上菩提をさとり仏として ω ができる。 出世することが説かれている。極楽世界は、諸仏供養を自在に行うことを可能にする菩薩行の根拠としての場ということ 無量寿経における唯除 25Sミ一言凶)の意趣(能仁) 騨均+<緋鐸蝶 1 1 1 1 1 ~拘置 1 ; : : J r撒韮制トド Q~唱幽ー「ベ誕 ~JgJ Q磁器自 J (1井三総・~ヨ費 1 ・ 1主宰恒明!護『器密~~ヨi 縫園・-K l保話都内' B A f j ! a s a h a s r i k aP r a j i l a p a r a m i t a,Vaidyae d .,9 1 9 2 0 :i m a n is u b h u t eb o d h i s a t t v a s y amahasattvasyam a h a s a r p n a h a s a 1 Pr a s t h i t a s y amahayanasamaruclhasyak a l y aI ]a m i t r a r : i 1v e d i t a v y a n i t i/ qmaddhasyamahayanasaq ~ i b i d .,Vaidyaed,1 8 5 . 2 0 2 4 :dU$karakarakob o d h i s a t t v omahasattval )/paramadu~karakãrako b o d h i s a t t v oma)yal )sunyataya中 c a r a t i,sunyataya中 c av i h a r a t i,s u n y a t a中 c asamadhi中 samapadyate,nac ab h u t a h a s a t t v al 1 1 sãk~ãtkaroti /t a t k a s y ah e t ol ) ?t a t h ah is u b h 口t eb o d h i s a t t v a s y amahasattvasyas a r v a s a t t v aa p a r i t y a k t 亙h/ k o t il )p r aI ]i d h a n a v i s e 守ab h a v a n t i -mayaites a r v a s a t t v al )p a r i m o c a y i t a v y ai t i/ tasyemee v a r p r u p al G α1 J0 αvyu! t a s u t r a,Vaidyae d . .1 3 . 8 1 1,1 4 . 3 4 . ~ ~ ~医科Z穏 2起さまま|銅器皇 r 拘ムJ .aど QI~費魁-掛糧単語r<誕~コE 一』斗・ 1ム(壬司<(--1~喜ギ, f体~ギ, 組事さま r ,l'.ムホ-~f>-...=-ー.ø Q モトレ F 恨~~:f.定_) r掛E 趨 Q 舗11ll重量 ~lと担人j 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言-f:::~吋時 J ( k a r m a d h i p a t y e n a ) ' B r 醤-R~吋tQ J ( p r a D i d h a n a v a s e n a ) 'S r l i1 ~孟 G 言宍~吋時 J ( s a m a d h y QJ (vibhutvãdhipatyena) ムj ニ小~~時 ~HJ 心急時初長時。時JQ 小;.0 r 醤平ミ a d h i p a t y e n a ) ' ~ r包禅おtQ ~J ~ G窓-R~ ~ t 川 ω による﹂ものは初地から第二地の菩躍について言われる。長尾文庫編アハ大乗荘厳経論V和訳と註解│長尾雅人研究ノー 党天勧請の出来事は、相応部6 ・1 ・1 1勧請Lなどに伝えられる。 がある。ここに追記したい。 トー ﹂ ( 一 一O 一一年)九二頁を参照されたい。 w 拙稿寸一点恕段は中図様述かL(﹃印度学仏教学研究L六Ol 二 参 照 。 中 国 述 説 を 展 開 す る 故 新 の 研 究 成 果 と し て 、 浄 土 WA 宗本願寺派勧学寮編﹃常設研究﹁浄土真宗と社会﹂研究会論文集l ﹃大経﹄五怒段をめぐる諸問題│L(二O 一二年) ω ω 円}d山一 ω ) 一三寸︿仙 捨置記 戸間教化 特別の誓願吋平等党経L った者には理解しがたいことを説き、最終草最終備では慈悲をもって法を説かれた、ガウタマ(釈迦牟尼)、その仏への 州側龍樹は、吋中論L冒頭の帰敬備で、仏が不生・不滅、すなわち空なる縁起の法を説き、第二四計十第十二備では機根の劣 帰依を表明している。 キーワード l 唯 無量寿経における唯除 252出12ω) の窓趣(能仁) 徐 !
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