「新興・再興感染症研究拠点形成プログラム」 の恒久化 感染症研究ネットワーク支援センター長 永井 美之 はじめに 何故恒久化が必要なのか 平成 17 年度発足の文部科学省「新興・再興感 染症研究拠点形成プログラム」 (以下、本プログ 1. 先輩から学ぶ―海外研究拠点は歳月かけて 熟成すべき ラム)のもと、大阪大学微生物病研究所はタイ国 世界に 14 拠点を有する英国オックスフォード 立衛生研究所に、長崎大学熱帯医学研究所はベト 大学熱帯医学 NW は 30 年余の、30 拠点を有す ナム国立衛生疫学研究所に、東京大学医科学研究 るフランスパスツール研究所国際 NW に至って 所は中国科学院微生物学研究所と生物物理研究所 は 100 年余の歴史をもつ。これらの先輩たちの および中国農業科学院・ハルビン獣医研究所に、 長い歴史と活動から、私たちが、あるいは、日本 わが国の研究者と事務職が常駐する共同研究室を が学ばなければならないことは多い。そのなかで、 開設し、 相手国研究者との共同研究が開始された。 あえて 1 点のみ挙げれば、海外拠点は長い歳月 これらを束ね、海外研究拠点の設立・運営支援、 をかけて熟成されるということである。熟成とは、 成果の対外発信などを目的とする感染症研究ネッ 5 年や 10 年といったスパンではなく、30 年、50 トワーク支援センター(以下、支援センター)が 年といった長いスパンのなかで、感染症の流行地 理研に設置された。海外拠点はもたないが、世界 で、相手国との研究者とわだかまりなくサンプル 各地のサイトを利用して研究を進める北海道大学 を共有し、お互いに対等な立場で優れた共同研究 人獣共通感染症リサーチセンターのほかに、タイ ができるような条件が整うこと、そのような実績 国立家畜衛生研究所とわが国の動物衛生研究所、 をもとに現地の感染症対策に何がしかの貢献を ベトナム・ハノイ・バックマイ病院と国立国際医 し、現地の信頼を得ること、と言い換えてもよい。 療センターの 2 ペアもネットワーク(NW)に参 1990 年にベトナム・ホーチミン市熱帯病病院 加している。 に設置されたオックスフォード大学拠点が、平時 よちよち歩きで、ときに思わぬ障碍につまずき のデング熱、マラリア、結核、腸チフス、狂犬病 ながらも、何とか海外拠点も立ち上がった。その などで蓄積した臨床研究のノウハウを生かして、 ために、 担当大学・研究機関の支援に支援センター 高病原性鳥インフルエンザのヒト感染という有事 も奔走した 2 年間であった。本プログラム発足 に同感染症の対策にも活用される学問的パラダイ 当初に設置された上記の海外拠点を利用しての公 ムを提起したのはその好例である。これほどは目 募研究が 6 件採択されるとともに、これらの拠 立たないが、平時の感染症――その内のいくつか 点に比べて小規模の新規拠点を形成するための 5 は近い将来日本へも波及しうる――に関するパス 件のフィージビリティー調査も行った。平成 19 ツール研やオックスフォード大の海外拠点からの 年度にはいくつかの新規小規模拠点が採択され 発表論文リストを一見するだけで、彼らがいかに NW に加わる見通しである(追記参照) 。駆け足 地道な活動を展開し、知見を蓄積しているかがわ の 2 年間ではあったが本プログラムはまずまず かる。本プログラムは文科省のライフサイエンス 順調に展開している。今後の問題としてさまざま 関連競争的資金により、1 期 5 年の計画となって なことが浮上しているが、本稿では本プログラム いる。しかし、5 年や 10 年で終われば熟成どこ の恒久化と NW の拡大の 2 点についてのみ論じ ろか、国際信義のうえからも問題である。極端に たい。 は、“はじめないほうがよかった”と悔やまれる ことにもなりかねない。プログラムの(半)恒久 化は必須である。 18 2. 国際 NW 展開のために 摘されたことにはじまり、 「安全・安心な社会の構 志を同じくするパスツール NW やオックス 築に資する科学技術政策に関する懇談会」の“海 フォード NW、さらには、オーストラリア国立大 外研究拠点の設置、当該国とわが国の感染症対策 学の感染症・バイオセキュリティー関係者など、 の基盤強化に貢献を”という提言を経て具現化さ 外国からの本プログラムへの関心は非常に高く、 れた。つまり、国策的プロジェクトとして開始さ 関係者の支援センター来訪、支援センターから相 れた。 手機関への訪問などが続いている。ここで共通の しかし、海外拠点の研究課題の設定はもとより、 話題になるのが、より公式的な WHO(世界保健 開設・運営自体も、国レベルではなく、日本側実 機構)や OIE(国際獣疫事務局)の世界 NW を 施機関と相手国研究機関相互の相談と合意を基本 補完するものとしての、情報と経験の共有、有事 とするボトムアップであった。したがって、機器 の際の協力を可能にするアジア―オセアニア NW の輸入関税免除や常駐者の所得税減免などのため の構築であり、そのために、本プログラムと支援 に各拠点や支援センターにかかる負荷は実に大き センターも尽力してほしいというのである。先方 い。せめて、何らかの外交上の合意を基本として も本プログラムが(半)恒久的なものという当然 いたら、少しは楽に運んだであろう。 の前提でアプローチしてくる。5 年や 10 年で終 実例をひとつだけ挙げておこう。ある国につい わるようでは相手にはならないのである。 ては、教育と研究に携わる日本人の所得税は 2 年 間は免税とするという、日本との二国間租税条約 なるものが存在する。しかし、2 年を超えれば遡っ 恒久化の条件は? て課税されるだけではなく、最初の 2 年間は未納 者とみなされ、重加算税が課せられる。拠点常駐 1. 評価に耐えうる成果をあげる 者の給与額は日本の大学研究者と同じであるが、 各海外拠点における研究課題の設定は日本側実 その国の給与水準にてらせば破格に高いがゆえに 施大学・機関と相手方の協議にもとづく完全なボ 税率は 30 ~ 40% にも達する。これを避けるため トムアップで、日本側と相手側のこれまでの研究 に拠点大学も支援センターも相手国研究機関もさ 実績・特色、要望や現地の感染症発生動向などに まざまな調査を行い、できるだけの努力をした。 応じて、基礎研究、疫学調査から臨床研究、診断・ しかし、相手国税務当局に理解を得るところまで 予防技術の開発まで多岐にわたる。トップダウン は至らず、 今のところ実りそうにない。とりあえず、 的に、たとえば、鳥インフルエンザを研究せよ、 重加算のような深刻な事態を避けるために、初年 という形ではない。恒久化の条件のひとつは、中 度の税金を払うことにした。 間評価(2007 年)と終了評価(2009 年)において、 実らなかった主な理由は、二国間条約という以 評価に耐えうる成果を示すことができるか否かに 上、相手国研究者が日本に 2 年以上にわたり滞在 かかっている。評価のポイントは研究成果の学術 すれば同じことが適用される、つまり、日本の税 的意義、現地と日本の安全・安心への貢献、若手 務当局も、この相手国には今後この条約を、例外 研究者の育成である。これらに加えて、現地にど 的に適用しないことを認める、あるいは、条約そ れだけ溶け込み、 信頼をかちえたか、 といった“無 のものの改正が必要であるからだ。日本からこの 形文化的”基盤も評価のポイントとして無視でき 国に送った研究機器にも関税と消費税の一種が課 ないであろう。成果をあげ、恒久化へと結びつけ せられる。ODA(政府開発援助)の場合は技術協 るための重要な条件のひとつは、日本側が知力、 力協定などの外交上の取り決めにのっとっている 学問力、人間力豊かな人材を持続的に送り込むこ ので、関税や所得税問題は自動的にクリアーされ とであり、この点で、実施大学・研究機関の責任 る。 は大である。 こうした問題は本プログラムを実行する前にキ 2. 二国間の協議、協定 だ。しかし、 キチンとするまでには、 外務省、 文科省、 本プログラムは「経済財政運営と構造改革に関 財務省などを含むオールジャパン体制ができ、相 する基本方針(いわゆる骨太の方針)2004」で感 手国と協議する必要がある。本プログラムの性質 染症対策を支える基礎研究と人材育成の必要が指 上、ODA 並の扱いを相手国から引き出すことは チンとしておくべきだった、というのは一見正論 19 さほど困難ではないとは思うが、残念ながら、日 援はふさわしく、また、“競争的政府資金に馴染 本の政府は直ちにオールジャパン体制を組めるほ まない”、とする現状の打開の道のひとつであろ ど機敏で柔軟ではない。要するに、 「感染症は待っ う。さらに、タイやベトナムにはそれぞれ数万人 たなし」だが本プログラム開始はあと何年も待た に達する日本の進出企業の関係者、家族が滞在し ねばならなかったであろう。走りながら考えるほ ている現在、日本企業にとって日本の現地研究拠 かなかったのである。 点の存在は実利的なメリットでもある。事実、阪 恒久化、特に、次の 5 年のラウンドをはじめる 大タイ拠点がバンコク在留邦人に向けて開いた感 にあたっては、この種の問題を解決しておきたい 染症市民講座は好評であった。有事の際に拠点研 というのが、筆者のみならず、拠点で苦労してい 究者が日本語で在留邦人にメッセージを発信でき る仲間たちの悲願である。そのためには、プログ れば心強いであろう。大企業だけではない。ビル・ ラム自体を政府間協議にのせることであり、関係 ゲイツのように、野心に満ちた若い起業家が成功 府省の万全の努力をお願いしたい。 の暁に、感染症制圧のために寄付をしてやろうと いうことは、この先、日本でもありえない話では 3. 資金フレームの検討 ない。人間の評価はお金だけではないからだ。そ 恒久的プログラムにライフサイエンスの競争的 んなときには、敬意を表して、個人名を冠する実 研究資金は馴染まないとの声が聞こえてきそうだ。 験室名をそのドアに掲げたい。筆者のような一般 筆者自身も正直そう感じる。この問題も総合科学 人からも、プログラムに共鳴して、数万円とか数 技術会議など、高次のレベルで検討されるべき事 十万円とかの寄付がいただけるかもしれない。 柄であるが、支援センターの調査を踏まえて、問 大企業も野心的起業家もいつも景気がよいとは 題提起をしておきたい。 限らない。好調なときに寄付をしていただき本プ ログラムの支援組織にプールするのがよい。しか し、問題はふたつはある。ひとつはどのような受 民間資金の導入は可能か? け皿を作り、誰がお金集めに奔走するかである。 もうひとつは、善意や篤志が日本の税制の問題と パスツール研は政府資金、研究所のワクチン売 衝突することである。この壁は本プログラムのみ り上げなどの利益、さまざまな企業や篤志家から ならず、日本の科学技術振興全般にとっても大問 の寄付と資産運用が、およそ 1:1:1 の比率で導入 題であろう。財務省のガードは極めて固いことが されているが、海外 NW への拠出は総額のわず 予想されるが、やがては○○年骨太の方針で解決 か数パーセントらしい。それでも、政府資金以外 の方向が打ち出されることを期待したい。 が 2/3 を占めることにはかわりはない。総額の 大部分はフランスの医学生物学研究と国内の感染 症対策に向けられている。オックスフォード NW 省間連携スキーム はウエルカム・トラストというカテゴリー的には 民間資金で維持されている。同トラスト(信託基 1979 年に ODA 無償資金協力により JICA(国 金)は 1936 年に、ヘンリー・ウエルカム卿(散 際協力事業団)を通してガーナに野口記念医学研 剤を丸薬化することで財をなしたといわれる)の、 究所(野口研)が設立され、現在ではアフリカ随 130 億ポンド(現行レートでも 2.6 兆円ほどにな 一の立派な研究所に成長した。欧米の研究機関が る)もの巨額資金を人と動物の健康増進の研究に 入り乱れてここを利用し、70 を越える研究プロ 役立ててほしいという遺言にもとづき設立された ジェクトが進行中であるという。日本の影は今や (同トラストホームページから) 。現在でも、英国 薄いといわざるを得ない。せっかくの JICA の努 の医学生物系の政府系研究資金総額を上回る年も 力もガーナでは忘れさられようとさえしている。 あるという。 JICA 発行の研究報告書「アフリカ感染症対策研 本プログラムにあっても、たとえ一部でも民間 究」(平成 17 年 3 月発行)も「技術移転(共同 資金が導入できれば、 その持続性に有益であろう。 研究ではなく一方通行の)を目的とする JICA の また、グローバルに傑出した日本企業の社会的貢 協力は初期の段階では、野口研の実情に即した協 献のひとつのあり方として、本プログラムへの支 力であった。しかし、研究能力が向上し、自立し 20 た研究所を目指す現在では実情に必ずしも合致し 本発で世界的に通じるブランド力は、まず第一に なくなっている。今後は、野口研を対等のパート JICA。最近では RIKEN も知られるようになっ ナーとする新しい協力関係の構築が求められてい た。本プログラムの恒久化のためには、ネーミン る」と述べている。同じ 1979 年にタイ、マヒド グそのものや、支援センター(ヘッドクオーター) ン大学に設置されたオックスフォード大の拠点が の設置場所などにも一段の工夫が必要である。 持続的に成果をあげているのと対照的である。 そこで、外務省― ODA ― JICA が研究室と研 究機器を供与し、文科省(または厚生労働省、農 林水産省など) が研究費と人材を負担する、 といっ おわりに た省―省連携スキームは考慮に値する。日本から 以上に述べたプログラム恒久化のいくつかの条 の常駐研究者も、給与はどこから出るにせよ、外 件は、2010 年からの第 2 ラウンドまでにクリアー 務省からの派遣とする。このようなスキームによ しておくべきものや解決にそれ以上の時間を要す り、物品関税問題も常駐者の所得税問題も解消で るものまでさまざまである。筆者個人としては、 きるかもしれない。 政府資金に依存するとしても、 遅くとも第 2 ラウンド終了の 2014 年までには全 このほかにもいくつかのスキームを描きうる。 てが基本的な決着を見ることが強く期待される。 その他 追記 文科省ライフサイエンス課のスタッフの方々 平成 19 年度には、ザンビア共和国・ザンビア が、次々と勃興する新しい研究領域への対応に大 大学サモラ・マシェル獣医学部(北海道大学) 、 変苦労され、忙殺されているのがよくわかる。結 インド・国立コレラおよび腸管感染症研究所(岡 果、 本プログラムにかかわる人数も減り、 そのフォ 山大学)、インドネシア共和国・アイルランガ大 ローにも苦労されていることもよくわかる。その 学熱帯病センター(神戸大学)に新規小規模海外 一方で、新規小規模拠点の発足による NW の拡 拠点を設置することになった(括弧内は担当機 大が見込まれる(追記参照)とともに、アジア― 関)。さらにフィリピン共和国・熱帯医学研究所(東 オセアニア NW 構築への貢献も求められる。そ 北大学)とガーナ共和国・ガーナ大学野口記念医 れだけに、支援センターの業務は質、量ともに増 学研究所(東京医科歯科大学)については共同研 大し、その強化が望まれる。 究を実施しながら拠点形成の可能性を引き続き検 「新興・再興感染症研究拠点形成プログラム」 討することになった。これらの 5 つの海外研究 や「感染症研究ネットワーク支援センター」と 機関は ODA ― JICA により整備されてきたが、 いった長ったらしい名前の中味を手際よく説明す その努力を本プログラムが引き継ぐ形となった。 ることは、外国人に対してのみならず日本人に対 しても、非常に難しい、と痛感してきた。パス ツール NW、オックスフォード熱帯医学 NW の 通りのよさ、ブランド力とは雲泥の差である。日 学術月報 Vol.60 No.4 通巻第 749 号(2007-4) より、日本学術振興会の承認を得て転載 表記については本誌のルールに従った 21
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