(6 月 1 日現在) 入 16 人 転 出 15 人 出 生 3人 亡 2人 長 発行人 坂 編 集 広 発行日 毎 印刷所 岐阜県恵那郡坂下町 水 野 印 刷 所 町 下 会 1 日 月 員 委 報 第一回定例町議会 針︺ ︹重 地 域 連 帯 意 識の 高 揚 と 青 少 一般会計補正予算は、歳入歳 ①基本的生活習慣の確立 ︹方 昭和六十 三 年 第一回定 例町 議 五千 円 の追 加補 正で 、予算総 出 そ れ ぞれ 一千 八 百 三 十 四 万 極 的 に 活 動 し、 教 育 会 議 の 一 町 づ く りの た め に 、 各自 が 積 層の発展に努める。 議 員が 町の 考 え 方を た だ し ま し ほ か 一 般 質 問 が 行わ れ 、 三 名 の 案 ど お り 可 決 され ま した 。 こ の 計 五件 が 審 議 され 、 いず れ も 原 理 棟 お よび 倉庫 の 改 修 な ど 椛 よ る 給 与費 の 調整 、 椛の 湖管 容 は 、 四月 一日 付 職 員異 動に 五千 円 となりま した 。主 な内 額 は 二 十億 二千 七 百 三十 四万 地 域 の 連 帯 意 識 を 強 化。 地 域 ︵ 町 づ くり 推 進 委 員 を 中 心に に 。 当 た り ま え の こ と が 当た 発 達 段 階ご と の 課 題 を 明 ら か ︵ 小 ・ 中・ 保 の 連 帯 を 深 め 、 点︺ た。 の 湖 整 備関 係 が 二 百 八十 一万 ご と に 具 体 的 な 課 題 、 目 標を 定 。 団 体 間 の 交 流 と 協力 を は ︵ 単 位 団体 で 課 題 、 目 標 を 設 ③単位団体の活動の活発化 設定︶ ②地域活動の充実 りまえにできるように︶ ◎ 坂 下 町 議 会 の 議 員 その 他 非常 など 中学校 改築関係追加 分五 六千円 、中学校 部室増築工事 百 五 万 一千 円 等 が お も な も の 関 す る 条 例の 一 部 改 正 は 、町 議 会 議 員 お よび そ の 他 非常 勤 です。 勤 の 職 員 の公務 災 害 補 償等に 法令との調整率の改正です。 活動す る教育会議に かる︶ 域で 多 様 な 活 動 が 展 開 さ れ ま す 今 後 、 地 区懇談会 は じ め各地 坂 下 町 教 育 委員 会 議 七 人委員 願いします。 ので 皆 さ ん の 積 極 的 な参 加 を お 七人委員合同研修会 法令との調整率の改正です。 員、町づく り推進委 員︶が 六月 町消防 操 法大会 合同研修会︵小・中・保地区委 十 七 日 に 改 善 セ ン タ ーで 開 催 さ 条 例 の 一 部改正 は 、 退 職報 償 金 の 支 給 基礎 と な る 階 級 の 改 れました。 部 改 正 は 、地 方 税 法等 の 改正 体 的 に 活 動 す る教 育 会 議 を めざ ない﹂ と い う 点が反 省され 、主 は 運 動 が 前 進 して い る と は い え が 五月 二 十 九 日 に坂 下 小 学 校 グ 第 十 三 回 坂下 町 消 防 操 法大会 研 修 会 で は 、﹁ 言 い っ 放 し で 正です。 に 伴 い 保 険 料の 賦 課 限 度額を ラ ン ド で 開 催 され 、 川 上 村 消 防 ◎坂下 町国 民健康保険条 例の一 三十九万円から四十万円に引 重点が定められました。 して 、 次 の と お り 方 針 と 活 動 の 三分団一部 二 分 団 二部 き上げるなどの改正です。 が優勝 ◎坂下町非常 勤消防 団員に係る 員 等 の 公 務 災害 補 償 額 の 他の 償 条 例 の 一部改 正 は 、 消防団 ◎ 坂 下 町消 防 団 員等 公務 災 害 補 職 員 の 公 務 災害 補 償 額 の 他の ︵駅前︶ =盆踊り大会 照︶ ︵二〇日まで・二面参 ︵四面参照︶ 一五日 一六日 二二日=町営プール開放 年 健 全 育 成 、明 る く 住み よ い 条 例 改 正四 件 、補 正 予算 一 件 の 会は六月二十三日に開会 され、 一般会計を追加補正 6,091(+ 2) ︵四面参照︶ 開幕 件 口 公務災害補償など条例改正 人 一一日=夏の交通安全県民運動 マスのつかみどり 4 1,661(+ 2) 日=町民映画会﹁ケニー﹂ 死 一〇日=町営プール清掃と 八 日=未来博 二 七月行事予定 転 88 岐阜県恵那郡坂下町 行 発 世帯数 ◎昭和六十三年度第一回坂下町 ― 1 ― ※人口動態※ ∼ 昭和 63 年 7 月 1 日 た し か さ 報 広 第 482 号 (1) 動力 ポ ン プ 七 チ ー ム 、自 動 車 ポ 団 のオ ープ ン 参 加 も あり 、 小 型 ・二位=第一分団第一部 柘植芳明︶ ィ ハウスと同様に丸太小屋風 ただよい快適。外観はウッデ 円︶です。 六千円、町費二百十八万四千 万円︵ 国県 補 助 金二 百 六 十 一万 は山水を利用 。工費 は四 百 八十 の つ く り と な って い ま す 。 水 源 ・ 湖 ・三位=第二分団第一部 の シャワー施設が完成 椛 ンプ四 チ ー ムで 操法を競 い 、次 ︻小型動力ポンプの部︼ のような結果となりました。 第三分団第一部 桧をふんだんに使い快適に ・ 椛の湖ウッディ ハウス横で 建設を 進めて きた シャワ ー施設 が完成 し、七月中旬から 使用開 井 肇 氏 県知事表彰を受けられました。 ◎酒 獣医師会長表彰 日 本獣 医 師会 創 立 四 十 周 年記 念式 典 が六 月 十三日 、東 京 にお いて 開 催 さ れ 、 席 上 、 坂 下 町 役 場の酒井肇獣 医は、永年にわた り獣医 と して 地 域に 貢献 さ れ た と して 、 日 本 獣 医 師 会 長 表 彰 を 受けられました。 間(約 1、6 ㎞)で、全区そろってマリーゴー ルドの苗の植 付作業が行わ れました。こ れ は、昨年に引き続き美しい町づくりの一環と の湖、自治会なども含めて 8,000 本の苗が植 え付けられました。 マリーゴールドは今かわいい花を咲かせて います。未来博 88 期間中から秋まで道端を美 草取り奉仕 坂下病院周辺を美しく して行われたもので道端のほか小中学校や椛 意 います。 善 寄 付 糖 尿 病 検 査 試 薬 お よ び 検 査用 ︹代表・鎌田秋人氏︺ ・美濃坂下ライオンズクラブ の 者さん から た いへん 感謝されて 毎 年 の 奉 仕作業 に 、 病 院や 患 れました。 が 行わ れ 敷 地 内 は 美 し く 清 掃 さ は 約三 十名 が 参 加 、 熱 心 に 作業 取 り 奉 仕を 行 い ま し た 。 こ の 日 日 に 恒 例の 坂 下 病 院 敷地 内 の 草 天 理 教 坂 下支 部で は 、 六月 五 天理教坂下支部 しく彩ることでしょう。 ・優勝 一番員= 林敏充 、二番員= ︵指揮者=糸魚川善明、 森裕之、三番員=鈴木郁 第四分団第二部 男︶ ・二位 始されます。 市 文 化 セ ン タ ーで 開 催 さ れ 、 席 構 造 改 善 事 業 と して 整 備 さ れ た こ の シャ ワ ー施 設 は 山 村 林業 第四分団第一部 第二分団第二部B ︻自動車ポンプの部︼ ・三位 ・優勝 も ので 、 内 部 は シャ ワ ー ル ー ム ︵ 指 揮 者 = 原勝 好 、 一 番 員= 上、坂下町歌舞伎保存会︵原重 6 月 5 日、県道福岡南木曽線の矢渕∼島井田 して 保 存 伝 承 に 努 め た ﹂ と して 、 入れ 、 町 を 代 表 す る 伝 統 芸 能 と 一方、 特に 若 年層の 育成 に力を 励 み歌 舞伎 の 保存伝 承に 努 める が男女別に各二部屋。桧を ふん ――フラワー道路づくり―― 原 好 明 、二 番員 = 安 江 浩 二 、 ◎椛の湖管理棟で 軽食・喫茶 椛の湖ふれあいセ ンターは、 軽食・ 喫茶 ができ る よう に現在 改装 中 、七 月 中旬か ら営 業 開始 の予定です。 歌舞伎保存会 県知事表彰 第 一 回 ﹁ おんさ い 岐 阜 ﹂県 民 運動推進大会が六月八日、岐阜 ― 2 ― 道を花いっぱいに 勝 会 長 ︶ は 、﹁ 平 常 か ら 練 習 に 県下 99 市町村をめぐって未来博 88 の会場に点火され る「ふれあいの炎」が 6 月 6 日に坂下町へ来町。商工会 青年部および役場職員の手でリレーされ、未来への炎は 町内を駆けました。また、駅前では商工会青年部主催に より、美濃坂下太鼓、高峰楽器のバンド演奏など歓迎イ ベントが行われ、保育園児が未来博成功を願うメッセー ジをつけた風船を空に放ちました。 未来博 88 はいよいよ 7 月 8 日に開幕。大きな期待を のせてスタートします。 = 未来博 88、いよいよ 7 月 8 日に開幕= だんに使った内装で木の香りが 〝ふれあいの炎〝町を走る 三番員=原正樹、四番員= 未来博へむけて 昭和 63 年 7 月 1 日 た し か さ 報 広 第 482 号 (2) カップ一千五百組 意 銀 行 ︵町老壮会連合会へ︶ 善 ・ 岐 阜 県 寝 具 技 能 士 部会 東 濃 支 部︹吉村浅一支部長︺ 座ぶとん五十枚 ︵改善センターへ︶ ︱ ︱ 同 支 部で は 六 月 十 五 日 に 作 成 し 、坂 下 町 善 意 銀 行 へ 預 旧 町 民 会 館で 高 級 座 ぶ と んを 年 各 市 町 村 へ 座 ぶ と んを 寄 贈 託 さ れ ま し た 。 五 年 前か ら 毎 さ れ て お り 、た い へ ん 喜 ば れ 日㊎∼ ◎盆踊り大会 月 員= 山下 太一 千鶴 和子 日㊏ ︵敬称略︶ ◎岐阜県価格調査モニター 森 ◎岐阜県消費生活モニター 吉村 氷室 芳助 ︵警察署長・町長連名︶ ◎老人交通安全指導員 くお願いします。 ま す 。 ご 苦 労 さ まで す が よ ろ し ぞれ 次 の 皆 さ ん が 委 嘱 さ れ て い 六 十 三 年 度 の 役 員 と して それ =役 通規制されます。 時から駅前広場と駅前駐車場は交 てお出かけ下さい。なお、午後七 合 は 十 七 日 ㊐ ︶。 お さ そ い あ わ せ が行われます︵両日とも雨天の場 日、駅前広場で恒例の盆踊り大会 七月十五日㊎と十六日㊏の両 16 が 湛え られ る 感 懐が ﹁ さ き がけ ふ とこ ろ に 生 まれ 育 った 者 の み 如 月 の しづ か な る 日 が 障 子 に 射 ・汝の生まれしかの朝の記憶 ︵草︶ 山 へ の レ ジ ャ ー ﹂﹁ 未 来 博 に に よ る 疲 労 ﹂﹁ 海 ・ この運動は﹁暑さ まで行われます。 月十一日から二十日 通安全県民運動が七 スローガンに夏の交 示す交通マナ ー﹂を ﹁未来博あなたが 夏の交通安全県民運動 しゐき 六 チ ー ム が 参 加 して 開 催 さ れ 、 て 秋は 早く も ﹂との たた みかけ 多 治 見 市で 県 下 六 地 区 の 代 表 十 東 濃 地 区 代 表 と して ﹁ 坂 下 水 曜 氏の第二 歌集 ﹁百小竹 ﹂︱ も に触発されて迫ってくる。 もささ ︱の序 に、歌 人春 日 井瀇 水曜クラブは、一回戦久々野 クラブ﹂が出場しました。 クラブ 、二 回 戦きり クラ ブ ︵岐 歌 に 寄 せ る 思 いで あ ろ う 。 ま っ 氏も﹃百小 竹 とは氏 が自 分の短 すぐ、さや さや音す る日 本の抒 阜地区 ︶に見 事なチ ームワ ーク 決 勝で は 大 野 ク ラ ブ に フ ル セ ッ 万 葉 へ さか の ぼ る 願 いを こ め つ 情 ﹁ 百 小 竹 ﹂ 一巻は 、杳 い 日 の で ス ト レ ー ト 勝ち 。 しか し 、準 ました。 るのだ﹄と述べている。 いさぎ よさ を 慎しく 主 張 して い つ、美 濃の 群 山を抜 く恵 那 山の トの末 、惜敗 。三位 入賞 と なり 勝野正男氏の歌 碑が建てられたと 伴 う 交 通 量 の 増 加 ﹂﹁ 夏 休 み の 開 放感 ﹂ な ど から交 通事 故 の多 △ 歌 碑 建 立 の志は 坂 下 短 歌会 に 発 が 予 想 さ れ るた め 、県 民 が 一 ▽ それは坂下女子 発 し 、 短 歌 会 の 人び と の 熱 い 願 体 と な って 交 通 事 故 防 止 の 徹 底 きき、訪れた。 高の南登り路の傍、 を 図 る こ と を 目 的 に 行わ れ る も のです。 続の 女 子高 、 その ゆか り の 地を 選 んで 、 氏 の 坂 下 短 歌 会 の こ よ いとして 実 現 。勝野氏の 永 年勤 なき 指 導 者 と して の 三 十 年 を 讃 つきるところ、石 積みに続く小庭に え 、記 念 と して の 建 碑 と な った 校庭の土羽斜面の 接 して 、 恵 那 山 を 真 向 か い に 見 歌 集 ﹁ 百 小 竹﹂ か ら 、ご 長男 バイク作 戦 効率﹂ と い う 交通対 策の 頭 文字 ﹁ バイ ク ﹂ と は﹁ 分 散 、 抑 制 、 ☆未来博 交通マナーを示しましょう。 ゆず り あ いの運 転で 、 正しい る小丘の上にあった。 人 生 の 歓 び 、か な し み を 短歌 のである。 に 託 す る 生 き ざ ま は 、 生 き るこ △ ﹁ 百 小 竹 の美 濃 の 群 山 にさき ▽ がけて秋は早くも恵那に雪置 とを 昇 華 す る 。こ の 歌碑 は 、坂 晶で あ り 同 時 に 短 歌 へ の 思 慕 そ 下 短 歌 人た ち の 師 へ の 思 慕 の 結 く﹂ 囲 み 石 か ら 二 米 も あろ うか と のものであろう。 思わ れ る高 さ 、 大き な 自 然 石 に 黒 曜 石 を は め こ ん だ 碑 面 に 、こ 誕 生を 歌わ れ た 作品 の 中 の 一首 △ て い た 。﹁ 百 小 竹 ﹂ は ﹁ も も し を掲げておく。 ▽ 数 あ る 群 山 の 中の 秀 山 、 恵 那 の ぬ﹂美 濃にか かる枕 詞。 美 濃に の ﹁ 百 小 竹 ﹂ の 歌 が 彫 り こ まれ 第 十 九 回 全 国 家 庭 婦 人 バレ ー 家庭婦人バレー県予選 水曜クラブ 位 示す交通マナー 15 ボ ー ル 大会 県 予 選 会 は 六 月 五 日 、 ― 3 ています。 工事入札結果 ︻町土木工事︼ 四十五万円 ・合郷西側線路側修繕工事 ︵赤田︶ 坂下土木 六十三万円 ・寺尾線改良工事 濃州土建 ︻県土木工事︼ ・ 河 川 局 部 改 良外 洞 川︵ 上 外 ︶ 石橋建設㈱ 一千二百六十万円 九百四十万円 ・道路改良中津川山口線 ︵上鐘︶ ㈲原建設工業 四百九十万円 ・舗装補修福岡南木曽線 石橋建設㈱ 88 ― 88 未来博あなたが 7 3 (資) 昭和 63 年 7 月 1 日 た し か さ 報 広 第 482 号 (3) 糸魚川銑一︵島平二︶ ︵敬称略︶ ⑤空き 缶、ビ ニール の空き 袋な 松井 紀年︵上鐘一︶ ようにする。 その他 十七 % 、ト イレ 十 一 %と ど の ゴ ミ を 川へ 捨 て な い 、流 松田 智子︵松源地︶ 四十二 %、 洗 た く三 十 % 、 風呂 な って お り 、 ト イ レ か ら の 排 水 さない。 ◇ 学芸 員 資 格 による汚れ は 全体の 一割 しかな B、Y 、K を つなげ 英語 読 みし 現 在 、 昭 和六十 三 年度学芸員 く 、台 所か ら の 排水 によ る 汚れ たものです。 県 警 察 本 部で は 、 こ の 作 戦 に 資格認 定の 受 験申 し 込み の 受け 吉村 俊彦︵松源地︶ 道明︵相 沢︶ 付けを 行って います。希 望 者 お 毎 日 の 生 活で こ ん な 点 に気 を 吉村 も とづ き 、 ① 公共 交 通機 関 の 優 が 川 を 汚 す 大 き な 原 因 と な って 吉村 幸治︵新 田︶ ○ 先 、② 市 内 交 通混 雑 の 緩 和 、③ よび 詳 細 に つ いて は 、 町 教 育 委 和木五十子︵東 を 築く た め 、 今 年も 七 月 一 日か あわ せ て 犯 罪 の な い 明 る い 社 会 ﹁ 生活 排 水 ﹂ が 川 の 汚 れ を 大き 私たち の 家 庭 から 出 る汚 れ た 水 排 水 と いわ れ ま した が 、 今 で は か つて 川 の汚れ の 原 因 は工場 ② 油汚 れ のひ ど い 食 器 、 付 着 し 前︵午前十時半∼午後三時 七月二 十二 日㊎=J R中津川駅 月︺ * 役場・ 岐環協会館竣工式 農業委員会 岐阜市・町長 二十三 日 県 町 村 長会 定 期 大会 、 全国赤十字大会 東京都 県 簡易水道協会 総会 岐阜市・町長 道 路 整 備促進期 成 同 盟 会総会 二十四日 岐阜市・助役他 県産直住宅促進協議会総会 町長他 町︶ つ けて 、き れ い な 川 の 流 れ を 取 ︱愛の血液助け合い運動 毎 年 七 月 は、全 国 一 斉 に﹁ 愛 ら一ヵ月間﹁社会を 明るくする どで ﹁ ふ き と って ﹂ か ら 洗い た ソ ー ス や マヨネ ー ズ は紙な * り戻したいと思います。 ○ 会場周辺の 安 全と円 滑な流れの います。 台 所 か ら 何気 な く 流 して いる 員会社会教育係まで。 今 日か ら 、 あ なた の 家 庭で も 、 す。 ぜひ 実 行さ れ る よう お願 い しま も の を 見 ま す と 、て ん ぷ ら 油 、 噌 汁 、 米 の と ぎ 汁 の 順で 水 を 汚 棲 める 程の 水 質 にす るた め には 、 献血で守る尊い命 ソ ース 、 酒 、 煮 物を した 汁 、味 冬の水の少 な い時の 川の よ うす のきれ いな水 が 必要と なり ます。 千リッ トル︵ ドラム缶五 本 分︶ お椀 一 杯の 味 噌 汁を 流 す と 魚 が す度合 いが 高 くなって い ま す。 かたのひ ど いこ とに気づ いて お の 時 期 に 、 一 人で も 多 く の 方 の れ ま す 。 血 液 が 不 足 し が ち なこ * ために台所では、 の血液助け合 い運 動﹂が展開さ ① 調理 くず や 食べ残 しは そ の ま ︹五 川 や 用 水 の 水を き れ い に す る 大 水の 後の 両 岸の 草む ら に 引 っ ご 協力 を い た だき 、 病 気 等 で 血 二十一日 運 動﹂ が 全国 的 に展 開 され ま す。 く して い ま す 。 生 活 排 水 は 、 一 半︶ ☆七名が献血感謝状 町政だより かかって い るビニールなどのご 液の 必 要 な 患 者 さ ん に役 立てて られ る と思 い ます。 また 、 夏の を 一度で も 見 た 人は 、そ の 汚れ 社会的 な問題 となって い ま す。 川 や 用 水 の 汚 れ がひ ど く な り 、 いつまでもきれいに ふるさとの川を 確保、の三点を基本方針 に交通 規制を実施します。 未 来 博 へ は 、公 共 交 通 機 関を 利用し 、な るべく平 日に お越し 下さい。 防ごう非行 助けよう立ち 直り 7月 は社会を明 る くする 運 動 月間 犯 罪 の 防 止と罪 を 犯 した 人の ま 流 さ な いで 、 流 し 台 に は 細 いこうという運動です。 坂 下 町 に お い て も 、﹁ 地 域 活 般 家 庭 の 生 活 で 使わ れ て 排 水 さ ︵午前十時半∼午後三時半︶ 七月二 十八日㊍=恵 那市 バロー みの多いことにも驚きます。 固形物を取り除く。 か い 網 目 のゴミ 受 けを つけ、 動の推 進に よ る少年 の 非 行防 止 れ るも ので 、 台 所 、 洗た く 、 風 や 布 に し み込ませて それを燃 ③ 古 く な っ た 天 ぷら 油は 古 新 聞 ☆七月の献血予定 と更 正の援 助 ﹂を 重点目 標 に、 呂、水洗ト イレから 流され るも や す よ う に して 、 油 を そ の ま ましょう。 期間中、保護 司さんを中心とし のをいいます。 一 日 一 人 当た り の 水 の 使用 量 推 進 協 議会 の 席上 、 次の 皆 さ ん 助役 福岡町・町長他 が献血 感謝状 の贈呈 を受 けられ 二十五日 ④ 洗た くの と き の 石 けん や 無 り ました。 昭 和 六 十 三 年度 恵 那 地 区献血 正 し く 計 って 余 分 に 使 わ な い ん 合 成 洗 剤は 、 使 用 す る量を ま流さない。 の 基の 割合 は 台 所 か ら 出 る 水が こ の 水 が 排 水 され た とき の 汚れ は二百∼三百リットルといわれ 、 みなさ んのご 協力を お願 い しま 運 動 の 趣 旨をご 理 解 の うえ 、 パレードします。 た 実 施 委 員 の み な さ ん が 町 内を 更 生に ついて 理解を 深 め 、 力を !! す。 ― 4 ― 昭和 63 年 7 月 1 日 た し さ か 報 広 第 482 号 (4) 町商工業協同組合 総会 会館・収入役 商工 議会 十 五日 町 議 会 産業 建設 委 員協 役場・町長他 恵 中 恵 北営 農 団 地 整 備運 営 協 福岡町・町長他 恵 那 地区交 通安 全 婦人 議会総会 十六日 恵 那 市・助 役場 役場 地 ﹂ が あ り 、 手 続き は 年 に 一 度 興のための事業用に供する用 ⑥国・ 県・ 町 の計画 など 町 の振 宅の用 地、⑤ 林地等 への転 用、 員 の 応 対 態 度 ﹂﹁ 違 法 駐 車 な ど ﹁ 税 金 な ど の 徴 収 方 法 ﹂﹁ 町 職 り、ひきつづいて婦人会から 後の対 策な ど について 説 明 があ 初 め に 町 長か ら 町 の 現 状や 今 ◎農地の転用は 許 可 が 必要 で 、今 年は 八 月三 十 一日で 除 外 農 地 を 宅 地等の 農 地 以 外 のも どこ に あ る か に よ って 転 用 許 可 農 地 へ の 転 用 は 、 そ の 農地が れました。 問 が 出 さ れ 、 熱 心 な 討 論 が 行わ 止運 動﹂ な ど 多 岐 にわ た って 質 交 通 安 全 へ の 対 応 ﹂﹁ お 返 し 廃 の に す る場 合 は 、農 地 法 に よ っ を 受 け るま で に二 ヵ 月か ら 一 年 申請の受付を終わります。 農振除外申請は 月 日までに て 定 め ら れ た 手 続き に 従 っ て 、 出品された 八 十七鉢 のさ つき は ら 七 日 まで 商 工 会 館で 開 催 さ れ 、 坂 下 町 さ つき 展 は 六 月 四 日 か ◎坂下町さつき展 農 業 委 員会 の 認 可を 受 け て 県 知 早 め に 役 場 産 業 課 ま で 届 け 出て 農地を 転用 す る計画のあ る方は 下さい。 を 要 す る 場 合 まで あ り ま す ので 、 の 許 可 の な い も の に つ いて は 住 ◎婦人会が 佐子 ︶で は 、 六月十 九日 に 改善 坂 下 町 婦 人会 ︵ 会 長 ・ 稲熊 扶 大盆栽の部 ︻各部優等者︼ 安江 早川 俊一 亮 審査の 結 果 は 次のと おりで す。 訪れた人達を魅了しました。 代 化の た め の 施 策を 総 合 的 か つ 中盆栽 〃 ﹁町政を語る会﹂ 計 画的 に推 進 す るた め 、 農 業 振 セ ン タ ーで ﹁ 町 政 を 語 る 会 ﹂ を 東 野 勝二 興地域整備計 画が策定されて お 勝巳 典 〃 古橋 秀幸 古田 〃 俊一 小盆栽 〃 銘木 原 花 内 に あ り ま す 。こ の 区 域 内 の 農 〃 俊一 交換を行いました。 地を転 用す る場合 に は、こ の区 変り盆栽 〃 安江 石付 安江 俊一 開 催 し 、町 長 ら 町 執 行部 と 意見 域から の除 外 について 県 知 事の 豆盆栽 〃 安江 り 、町 内の ほ とんど の 農 地 は 、 認 可が 必要 と なり 、こ の 認 可の 競技花 〃 請することができません。 位 一 位 早川 安江 亮 俊一 合︼ ﹁①公 用・ 公 共用施 設に 必要な 二 除 外 の 適 合 性 の 基 準 と して は 土地、②農 業 生産者 等の 生活上 典 位 古田 三 ③ 農 業 用 施 設 の 用 地 、④ 農 家 住 必要と 認 め ら れ る施 設の 用 地 、 ︻総 ないものは農業委員会へ転用申 こ の 計 画で い う ﹁ 農 用 地 区 域 ﹂ の農業 上の 有効利用 と農業 の近 な お、坂下町に おいて は土地 とができません。 宅 金 融 公 庫 等 の 融 資 を 受 け るこ を 受 け なけ れ ば なり ま せ ん 。こ 事ある いは 農 林水産 大臣の 許可 31 飯 田 八幡 線国 道 昇格 林野庁坂下会 東京都・町長 連絡 協議会総会 役他 改 改善セン 十七日 恵北遺族会総会 町内・町長 町 政 サロン ター・町長 十八日 婦人会町政座談会 岐阜市・町長 県 市 町 村農 林業 振 興対 善センター・町長他 十九日 二十日 策協議会総会 串原村 や 総務文教委員協議会 月︺ 議会だよ り ︹五 月︺ 三十日 役場 ︹六 七日 恵那郡議長会 二十二日 議会運営員会 産業建設委員協議会 総務文教委員協議会 坂川議 員行政 協議会 すらぎ 九日 十三日 役場 十五日 二十三日 議会定例会 8 二十六日 陳情 二十七日 東京都・町長 町消防操法大会 役場・町長他 町 議 会 総 務 文教 委 員 協 小学校・町長他 二十九日 三十日 議会 月︺ 改 善セ 恵 那 公 衆衛 生 協 議 会 総会 一日 課長会議 センター ︹六 三日 椛 の 湖 管 理 組合 議 会 恵那市・町長 ンター・町長他 中津川恵北産業フ ェ アー 未来博炬火リレー 中津川市・町長他 四日 五日 フラワーロード植付 全町 駅前広場・助 未 来 博 炬 火リ レ ー お よび 小野沢・助役他 六日 役他 おんさい岐阜推進大会 歓 迎 イ ベ ント 八日 岐阜市・町長他 十日 県水源地対策協議会 町 議 会 総 務 文教 委 員 協 役場 役場・町長他 岐阜市・町長 議会 十三日 労 基 協会 坂 下 支 部 総 会 町内・町長 十四日 ― 5 ― 昭和 63 年 7 月 1 日 た し さ か 報 広 第 482 号 (5) 県高齢者総合相談センター ﹁シルバー一一〇番﹂開設 岐阜県では、高齢化社会が進行するなか ︻郵 〝さわやか〟 便 局 だ よ り︼ 届けませんか︱︱ う っ と う し い 梅 雨 が 明 け る と 、 ま た 暑 い 夏 が や って 暑 中 は が き ﹁ か も め ーる ﹂ かる各種の心配ごと、悩みごと等に対し、﹃岐 き ま す 。 夏 休 み を 利 用 して 海 や 山 へ の レ ジ ャ ー 計 画 、 で 、高齢者が抱える福祉、保健、医療等にか 阜県高齢者総合相談センター︵シルバー一一 今から楽しみですね。 に夏のごあいさつはいかがですか。 そ ん な 近 況 を は が き に 託 して 、 友 人 や 知 人 、 親 せ き 〇 番 ︶﹄ を 開 設 し ま し た 。 悩 み ご と 、 心 配 ご と、何でもお気軽にご相談下さい。 ○相談はすべて無料です。 を 好 評 発 売 中で す 。﹁ 南 風 ﹂﹁ ほ た る ﹂﹁ あ さ が お ﹂ の 郵 便 局 で は 今 、 く じ 付き 暑 中 は が き ﹁ か も め ー る ﹂ ○個人の秘密は固く守られます。 絵 入 り 三 タ イプ と 無 地 の 合わ せて 四 種 類。 く じ 付き で ○相談は匿名でも結構です。 ︽設置場所︾岐阜市下奈良二ー八ー一・岐阜 工林スギ 25 年生を対象として、一口 50 万円で 13 口 の分収育林契約を 7 月 31 日まで募集しています。 分収育林制度とは、育林途上のスギ、ヒノキを国と 費用負担者とが伐採をするまでの間、共同で育てる 契約を結び、森林を伐採したとき収益を分けあう制 度で、個人、団体でも参加できます。契約後の森林 すから楽しみ二倍。どれでも一枚四十円です。 坂下営林署では、富士見台の麓、湯舟沢国有林で人 縁豊かな森林づくりに直接参加していただきお子さ んやお孫さんに緑の資産として残してあげてはいか がでしょうか。 ※詳しくは坂下営林署(TEL75ー3111)まで。 県福祉農業会館内 ︵坂下郵便局︶ の手入れは営林署が行います。 ︽電話番号︾〇五八二ー六二ー〇一一〇 緑のオーナー募集 さかした人物誌 №1 ﹁レーザー光線﹂﹁恵那桜﹂ ﹁スーパー歌舞伎の笑三郎﹂ で 、ま ず はこ の三 人の 人か ら書 さて 、さて 、前 置 き は その位 薫 坂下町が 誇り うる﹁日 本の 希 尾 望の星﹂とも 言える よう な 人た き進めていきましょう。 西 ち を 紹 介 して みた い と 思 って こ 男 性 は 質 実 に して 剛 健 、 よ く 刻 こ の 町 に 生ま れ 育 った 人た ち は 、 曽 境 い の 僻 遠 の 地で あ り ま す が 、 由 来 、 坂 下は美 濃 の はて 、木 の軍 事 利 用 に まで 広 く 研 究 され 間の核 弾 頭 無 力 化や 衛 星 破 壊等 医療などに利用されて いて 宇宙 て 宇宙 通信 、 精 密工 作 、 測 距 、 超 遠距 離 に 届 く外光 が集 中で き 性 と 位 相の 一 致 した 平 行 光 線 が ﹁ レ ー ザ ー光 線 ﹂ と は ﹁単 一 苦 勉励 し、 女 性 は 心 優 し く 淑 や んな題で書き出しました。 かで 、 両性と も に学 究の 心 篤く 、 て いる ﹂ と い うムツ カシ イ 学 問 時読ん だ少 年倶楽部や﹁軍 人あ 用 語で あ り ま す ︵ 私 はこ ど も の 文学 、 芸能 、 美 術 に 親 し み 、ま に 優れ て い る と 言わ れ て き ま し た体練 の志 も 堅くス ポーツ 全般 わせチュッチュッ﹂にあった に 続 い て 多 く 輩 出 せ んこ と を 願 下の 若 い人 た ち が 、こ れ ら の 人 紹 介 、 顕 彰 し て 、こ の の ち も 坂 界 の 人 を ﹁ 坂 下 の 誇 り ﹂ と して だ が 乞 わ れ て 同 大学 に残 り 教 授 津高校 に学 び 東京工 大へ と 進ん 誇れ 高 く 出て 旧制恵 那 中学 、中 で す。 坂 下 の 小 中学 校を 秀 才の 活躍中の人が 新町の 末松安 晴君 こ の 研 究 で 日 本 の 権 威 と して 解をしています︶ 。 ﹁ 宇宙 光 線 ﹂ だ なと も 幼 稚 な理 た。 こ の町 の 人で 日 本的 な有 名 人、 い つ つ 雑 文 を 書 き 進 めて い き た 一 流 人 に な っ て 活 躍 して い る 各 いと思います。 して か ら 数 か 年 の 私 の 知 っ て い あり、日本の 水準を 世界 一 にま 光 通 信 で は 日 本 の 第 一 人者で となった工学博士です。 る 人 だ け で す か ら 、 寡 聞 に して むしろ外国でその名が知られて で 高 め た学 者 で あり 、国 内 より 五十年も前 に 出郷し 定年で 帰郷 いますのでまたお教え下さい。 洩 ら して い る 人や 事 も あ る と 思 『青少年 地域で守ろう 育てよう』 7 月は青少年を非行から守る全国強調月間です。 ― 6 ― ︽利用時間︾ 午前九時∼午後五時 ︵土曜日は正午まで︶ ﹁三 日里親﹂を募集します 岐 阜 県 里 親 連合 会 で は 現 在 、﹁ 三 日 里 親 ﹂ を 募集しています。 この制度は、県内の養護施設に入所している 児童で、夏期等の帰省時に帰省する家庭に恵ま れない児童や、家庭の事情で帰省できない児童 八月六日㊏∼八月八日㊊ い家庭の味を体験させようというものです。 を 民 間 篤 志 家 に 三 日 間預 か って いた だ き 、 温か ○里親期間 七月一日から十五日までの間に役 場住民課福祉係までお申し込み下さい。 ○ 申込 方法 【営林署だより】 昭和 63 年 7 月 1 日 た し か さ 報 広 第 482 号 (6) かれて は 席 温 ま る日 も な い と い いるよ うな 人で 、毎 年各国 に招 川 笑 三 郎 ﹂ と 言 い ま す。 五 月 中 、 之 助 劇 団 で の 芸 名 で あ り 、﹁ 市 電気商会の 二 男浩二 君の 市 川猿 る だ ろ う か 。﹁ 日 本 の 新 し い 歌 ったこ とで 開 花 した と も 言 い 得 い まこ の 子 が 日 本 的 な 俳 優 に な 志 に よ って 伝 承 さ れ て き た が 、 昭和と さか ん になり 終戦 後も有 計 画 を 立て 、 年 々 借 用 し た 分 は ございません。然る上は 、追々 右 の 通 り 負 分が あ る の に 相 違 こ れ は 子 、丑、 寅三 ヵ 年に借 う位のこ とで 、まさ に﹁ 日 本の 再度の ﹁ヤ マトタケ ル﹂ の 公演 名 古 屋 中日 劇 場で は 一 昨 年 以 来 源兵衛㊞ 五人組頭請人 彦右衛門殿﹄ 江 戸 時 代 の おか ね は 金 、 銀 、 ま した 。 堂 々 の 歌 舞 伎 俳 優 の 晴 があったが 、三幕全場に好演し を祈りたい。 舞 伎 の 星 ﹂ に な って く れ る こ と 取廻し に預 り 、兄弟 共 が 増 長し を 立て ま す 。 こ れ ま で 年 末 、 お 一割半の利息を加えて 、 お勘定 し 金 一 両を 永 一 貫 文 と い っ た り 、 四朱 と 、金 は 四進法で す 。 しか 金 一 両 は 四 分 ︵ 歩 ︶、 一 分 は 銭の三本立てです。 れ 姿 に はご 両 親 は 涙 の 出 る 思 い 用した分です。 い る 所 以で 、 前 途 洋 々 の 活 躍 が 超ウ ル トラ 頭 脳﹂ と も言わ れて 次 は 、 ご 承 知 ﹁ 恵 那 桜 関 ﹂。 こ の 子 は 生来芸 事 に 天 才的能 太子のこ と を 書 いたこ と も あっ 海 、信 州、 美 濃 に お け る 青 年 皇 け る の みこ と ﹂ と い う 小 文 で 東 は毛頭少しもかけません。万一 兄 弟 共 に 計 画 を 立て さ せ 、 ご 損 し下 さ った の に相 違あり ま せん。 た の を 格 別 の 恩 情 を も って お貸 こ れ は 一 枚 い く らで は な く て 、 豆 板 銀 ︵ 小 粒 ︶ の 二 種 類で す が 、 法で す 。 と こ ろ が 銀 貨 は 丁 銀 、 次 に 銀 貨 は匁、 分 、 厘 と十進 こ の あ と 各 界で 大 成 活 躍 中 の でした。 いたさ せま す 。 後日 のた め に、 分にも 世話を 致 し、き っと 皆済 い が あ り ま して も 、 請 人 共 が 何 が おいて あ る の は 、こ の 銀 貨 の わ って い ま す 。 両 替 屋 に 必 ず 秤 一つ一 つ重さ によって 値 打が変 金一分を金百匹ともいいます。 力 を 持 って 生 ま れ 、 歌 舞 伎 を よ こ の上 本人 が 、どの 様な 心 得違 期待されています。 苦節 十 年、 昨 年の 入 幕 に は 町 民 だったでしょう。 たこ とで した 。 幾多 の 辛 酸 努力 み芝居 も感 銘 を 持 って 見 た こ と て ﹁ヤ マト タ ケル﹂ の 脚 本 も 読 私 は 十 五 年程前 に ﹁ や まとた こ ぞ っ て 歓 喜 しこ れ を お 祝 い し を して 今 日 を か ち 得 た 紅 顔 純 情 る うち にこ れ に 興 味 を も ち 松 本 く 演 じ て い た 母親 に 同 行 して い 団 升 師 匠 に つ いて 励 ん だ が 、 中 坂 下 人 を 書 き 継 いで いき た い と 五 月 の 東 京場所 で の 勝 ち 越 し の快力士です。 健 闘 は 将 来 の ﹁ 大 関 、横 綱 へ の 学 を 卒 え る や 志 を 立て て 上 京 し 、 本人 喜作 文化四丁卯年︵一八〇七年︶ ま た 銀 一 枚とい う の は 四 十 七 匁のことです。 銅 貨 は 千 文が 一 貫 文で す。 四 す。同じ寛永通宝でも裏に波の 角 の 穴 の あ る 寛 永 通 宝 が 一 文で 親類受人 十右衛門㊞ 重さを計るためです。 猿 之 助 劇団 に 入れ て も ら い い ま 文﹂ 証文よって、くだんの如し。 ースだと思います。 思っています。 古文書は語る 金 証 昇 進 ﹂ を も 期 待で き る 坂 下 の エ 来の 大 成期 して ま つ べき も の が 中 堅俳 優と して 猛 稽 古 中で 、将 あります。 ﹁借 ○平 ㊞ 組合請人 佐七 ㊞ 同断 ― 7 ― 全 場 所 中 テレビ 、 ラ ジ オ の 報 エナ ザ ク ラ ﹂ の アナ ウ ン ス に は 今 度 の 芸 題 は 哲 学 者 で 古 代史 ず る﹁ 岐 阜県 恵 那 郡 坂下 町 出身 、 在 郷 、 離 郷 を 問わ ず 、万 余 の 坂 夫 写 真 の 借 金証 文 は 、 吉 村鶴三 裕 さんが 民俗 資料館に寄贈 された 井 書かれ た 異 色 のもので 、 猿 之 助 も の で す 。 現 代 語 訳 して み ま す 土 さんも古い歌舞伎から脱した 助 劇団 の た め に と 特 別 に 脚 本を こ の 人位 ﹁坂下 町 の 名 ﹂を日 ﹁ 原点 へ 回 帰 の 演 劇 、ス ー パ ー 学 者で も あ る 梅 原猛 博 士 が 猿 之 本国 中 に披 露宣伝 して くれ た 人 ﹃借用仕る金子のこと と、 下 人 が 意 を 強 う して 期 待 の 声 援 はまずあるまい。 歌 舞 伎 ﹂ と 称 して お ら れ ま す が 、 銀二匁四分五厘 一金一両三歩 お年貢の不足分です。 右 は 去 る 丑 、寅 の 二 ヵ 年分の 銀五匁九分九厘なり 一金一両三分 七 月 は 地 元名古 屋 場 所で の 凱 笑 三 郎 は 昨秋の 同 劇 団 の 西欧 各 界で の 評 価 が 高 ま って い ま す 。 ﹂ 四ヵ国五都市巡業にも同行し、 ンバレ、恵那桜 毎場所 中の朝六時には坂下神 劇 の 粋 を 披 露 して き た そ う で す 。 ﹁ 義経 千 本 桜 ﹂ に 出 演 し 日 本演 ﹁ 坂 下 狂 言 芝 居 ﹂ が 明治 、 大 正 、 江戸時代に始まったという 社 社 頭 に 必 勝 祈 願を され て き た ﹁ 笑 三 郎 ﹂ とは 、 松 源 地坂下 た。 ご 両親 の 姿 に は 頭が 下 が り ま し !! 旋 相 撲 で あ る 。﹁ ガ ン バ レ 、 ガ を送ったことでした。 (6) 昭和 63 年 7 月 1 日 た し さ か 報 広 第 482 号 (7) ついた 波銭 は四文、寛永 通宝と 同型の 文久 永 宝は四 文、小 判形 の 天 保 通 宝 は 裏 に 当 百 と 書 いて の ︱医療前線︱ 体 カ ビ は ん 点 がで き る 事 が あ り ま す ね 。 続 いた り し た 時 に口 の 中 に 白 い 原 菌 は 抗 生 剤 で 退 治 す る 事 がで 発 され て い る 現 代 、 いろ ん な 病 「 代わ って こ の 日 和見 感 染 が 問題 」 と なり 、 そ の た めに 生命 を 落と き る よ う に な り ま した 。 し か し 、 こ の よ う に 真 菌 は 肺 炎 な どで す事も多くなっているのです。 加 藤 益子 これも真菌のいたずらです。 高 い熱 が 続 い た り 、 癌 な ど の 進 真 菌 は 酵 母 菌 に 形 が 似 て いて 身 行 した 時 にこ の 時 と ば か り 活 動 時 に 醗 酵 し 、 酒 酔 い 症状 を 引き 高山哲夫 し始 め るので す。 そ の状 態 がち 大国の 首 脳 の 握 手核 削減 の 一歩 坂下病院長 梅 雨 に な ると思 い が け な い と ょ う ど 相 手 の 顔 色を うか が い 、 起こ す 事も あ ると言われ て いま となるを信じたきもの 通用もしました。 寛 永 通 宝 百 枚を 穴 に 縄 を 通 し て しば った も の を さ し と い い ま り す る 事 が あ り ま す 。 適 当 な湿 こ ろ に カ ビ が 生 えて いて び っ く す。 しか し、 どうせ酔うの なら 、 ある様に百文です。 し た 。 とこ ろ が ﹁ 九 六 の 百 文 ﹂ 強 い 時 に は じ っと お と な し く 従 健 康で 一 杯 飲 んで ほ ろ 酔 い に な よ り み し ゅ ぎ しゃ ︶ に 似 て い る せんか?。 る方が いいで すね。 そう思 いま のみ寺を巡る緑鮮らし 花の盛り思 い浮かべ つつ 吉 野路 吉村ふみゑ 勝野正男選 と い って 、 九 十 六 文で 百 文 に も 気と気 温が カビの生えや す い条 動を 開 始 す る 日 和見 主 義 者 ︵ひ い、相 手が弱 いと思 えば 反 対運 た め日 和見 感 染 と呼 ばれ て いま あ ま り 、 あ り が た く な い ので 件となるのです。 さて 、江 戸時代の 初めには金 る事を 知って いますか? 。 よく すが人 間の 身 体 にも カビ が 生え 一両、銀五十匁、銭四貫文を等 動 し ま した 。 今 一ド ル が 何 円 と 価 と し ま し た 。 し か しこ れ が 変 す。 せい 知られ て い る もの に 水虫 が あり 短歌こころざす人等の念願今日 原 動く 様 に一 両 は六貫 文に 、 八 貫 ま す 。 水虫 は 白 癬 菌 と い う カビ 7月3日にリレーマラソン 優れた抗生物質がどんどん開 の仲間の菌 に より生じま す。 水 所 に 生 じ や す いで す ね 。 タ ム シ 、 虫も指 の間とかジク ジク した場 文 に と 動き ま し た 。 こ れ を 銭 相 こ ん な ふ うに、江 戸 時 代の 通 貨は実に複雑でした。 清内路越えて昼神温泉まで シラク モもこ の仲 間に入り ます。 ブ 教 科 書 で は 、﹁ 金 は 公 用 ・ 武 ク ラ こ んな身体外部の カビのほか 最 近 、 問 題 にな って い る身体 レ ー ス や 駅 伝 大 会 等 に 参 加 し た り 、 各 自 の 目 標 を も っ て 走 り を 楽 し ん で い ま す 。 そ して 、 毎 年 主 に 始 め た 人 が 集 ま って 結 成 し た も の で す 。 い つ も そ ろ っ て ト レ ー ニ ン グ は し ま せ ん が 、 各 地 の ロ ー ド た 人 、 腰 痛 を 直 す た め 、 犬 の 散 歩 か ら 、 禁 煙 の た め 、 酒 を う ま く 飲 む た め 、 色 々 なき っか けで 走 り 当ク ラ ブ は 会 員 十 三 名 。 二 年 半ほ ど 前 に ﹁ 楽 し く 、 楽 に 走ろ う﹂ を モッ ト ー に 、 昔 陸上 選 手 だ っ ― 8 ― 場といいました。 走 士が、 銀は 商 人が、 銭は 百 姓が に身体 内 部 に も カビ が 生 え る事 坂 下 楽 走 ク ラ ブで は 、 昨 年 の 坂 下 ∼ 下 呂 間 に 続 き 今 年 も リ レ ー マ ラ ソ ン を 七 月 三 日 に 行 い ま す 。 楽 使 った ﹂ と あ り ま す が 、 百 姓 の があり ます 。 婦人科 的に よ く 知 コ ー ス は 清 内 路 峠 を 越 えて 昼 神 温 泉 まで 全 長 四 十 ㎞ を 七 区 間 に 分 け 、 十 名 が 一区 間 五 ㎞ か ら 八 ㎞ ず 下 借金証 文はほ とんど 全部﹁ 金何 ら れ た も の に ト リ コ モナ ス が あ つリレーするもので、二名は全区間に挑戦します。 の カビ に真 菌 が あり ま す 。 真 菌 温泉地をゴールに、ゆっくり走って、のんびり湯につかろう﹂と始めたのがリレーマラソンです。 坂 両何文何朱﹂を使っています。 ります。 住 み つ いて い ま す 。 い つ も は 比 はもともと 健 康な人の身体 にも ﹁こ の 暑 い に 、 も の 好き な 人 ん た や な ぁ ﹂ と お 思 い で しょ う が 、 走 る 楽 し み 、 走 った あ と の 壮 快 写 真 の 借 金証 文 は 、 金 と 銀を ま た 、 利 息 一割 五 分 と 、利率 較的おとな しくじっとして いる 感 、 温 泉 、 冷 え た ビ ー ル ⋮ ⋮ ⋮こ た え ら れ ま せ ん よ 。 七 月 三 日 、 清 内 路 峠 で 青 い ラ ン シャ ツ の 一 団 合 わ せ て 書 い た 、 極 めて 珍 ら し の 書 いて あ る の も 数 少 な い 例で 、 ので す が 、 宿 主で あ る そ の 人の い例です。 大方は 、世 並 みの利 息 と か 、お 体力が衰え ると、がぜん いたず ︵古文書解読教室講師︶ 男女遅早だれでもO・K︶ 差図通りとなっています。 を見たら声をかけて下さい。︵会員募集中 事 が と れ な か った り 、高 い 熱 が ら を 始 めま す 。 か ぜ をひ いて 食 !! 昭和 63 年 7 月 1 日 た し さ か 報 広 第 482 号 (8) る﹂ と い う 声 を 耳 に した こ とが ﹁病院の食事は味が薄すぎ り す ぎ で の マ イナ ス 作 用 に よ る れ るの は 、こ の よう な塩 分 の と と言わ れて い ます。 そして 、塩 に熱 心 な先 生 のご 指 導 と ご 人徳 分を 減 ら せ ば 血 圧 は 必ず 下 が る に よ る も の だ と深 く 感 謝 い た し ありま す。 そ ういう 人は 多 分、 こともわかっています。 の友らの旅見送りつつ ております。 いたの だと 思 います が、 そ も そ 家で 塩 か ら い も のば か り 食 べて 恙 なき 帰り を 祈 る高 野 山 吉 野へ 永 い 間 お 世 話 に な り ま した 先 か な い 師の 歌 碑 は 建 つ恵 那 に向 生に何か記 念を と思 い歌 碑 建立 かいて 師の歌 碑の み歌想い つつ眺むれ 美江 ば残雪ひかる恵那山鮮らし 高橋 遠き 日 の 憶 い の 中 に か が よ え る 加藤やすゑ 百小竹のうた歌碑に刻まる して 先 生 が 教 鞭 を と って お ら れ 大 勢 の 皆 様方の ご 協 力 を 得ま を思いたったのでございます。 対 に塩 か ら い も の が 食べ ら れ な き く 、 薄味 に 慣れて しま え ば 反 も 塩 分 は 習 慣 に よ る とこ ろ が 大 実 際 に は ど う した ら 良 い か わ か ﹃ 減 塩 ﹄﹃ う す 味 ﹄ と 言 っ て も 前書きが長くなりましたが、 大恵 那 も 晴 れ て 見 え なば 感 嘆 の ら な い 場 合 、 また 、わ か って い 愛子 声挙がらむ に 雨に惜 しま る︵歌 く な る く ら いで すか ら 、 毎 日 の 吉村 幾 年 の 永き 風 雪 に 耐 え ゆ か む 桧 ま した 女 子 高 の 近く の 、 恵 那 山 牧野千津子 の苗木丹念に植う 碑除幕式︶ 糸魚川綾子 様 々 な 問 題 は あ るで し ょ う が 、 ても実行できない場合など、 振 り 返 って み る 機 会 を 提 案 し ま ここで 今一度 、自分の食 生活を しか し 、考 え ように よって は、 の う ち に 濃 く な って し ま う こ と す。 ○ ①食事 は バ ラ ン スに 気 を 付 ける ○ 薄味の つも りで も 知らず 知 らず だ って あ る わ け で 、 家 は 薄 味 で す ⋮ と は言 って も 本 当の とこ ろ は測りかねます。 ス は 大 切で す が 、味 つ け が 濃 い ど ん な 場 合で も 食 事 の バラ ン てることが出来ました。 努力次第だと言えます。 梅子 いうの は自 然で す。 だか ら と言 塩 分を と り す ぎ る と 口 が 渇 く と とご は んの 食 べ す ぎ に つ な が る こと︱︱ 碑には先生の詠まれました って い つ も 塩 か ら い も の ば か り 必要 な 栄養 素 も とれ ま せ ん 。 反 と 共 に 、お か ず が 十 分と れ ず 、 人間の 体 の 塩 分濃度 は 一 定で 、 七 月 の 短 歌会 は 、 十 九 日㊋の ﹁百小 竹の 美 濃の群 山にさきが 食 べ て いて は 、 血 圧 、 心 臓 、 腎 遠近の山に若緑萌ゆ 午 後 一 時 半 か ら 、 改 善セ ン タ ー 臓など に影 響を及ぼすとも限り l c a N というわけです。 れ ば 自 然 と 塩 分も お さ え ら れ る 対 に バ ラ ン ス の とれ た 食 事 を と けて 秋 は 早 く も 恵 那 に 雪 置 く ﹂ ません。 塩分とは ム ︶で 、 体 内 に は い る と 分 解 さ 食 事 を バ ラ ンス 良 く と るた め 先生の御長寿をお祈りして。 心の支えになると思います。 す 者 に と り ま して 、 い つ ま で も と刻まれて おります。短歌を志 勝野正男先生を たたえ歌碑建立 ︵塩化ナトリウ です。 大恵 那 の深 沢 の 雪も 消 え ゆ きて 吉村 師の御長寿をひたに希いぬ にこ や か に 祝 賀 の 花 束 受 け 給 う 加藤シヅヱ ぬ夫の遺影と共に渡らむ は るば る と 瀬 戸 の 大 橋 に 今 着き 原 志津子 の見え る高 台 に念願の歌 碑 を 建 初 夏 の 風 さ わ や か に 吹き 過 ぎ ぬ 静子 白きアカシヤの花房揺らして 小県 つつが なく除 幕式終えし歌 碑の あさ 辺に花のごと敷く切幣ひろう 村瀬 摘 み し 日 の 肩 のこ り な ど 忘 れ さ す煎れし新茶の香りさわやか 西尾 まさ 丹 精 の 心映 ゆ る 子 の 山草 に 小 暗 曽我 直子 き雨季の庭辺明かるむ 初 夏 の そ ぞ ろ 歩き を か み し め つ つ老いし父母と伊賀の旅ゆく 今村 典子 に、一日三 十 食品を 目標に嗜好 ほ おず き を 口 に 含 みて な ら すご れ 、ナ ト リ ウ ム イオ ン に な り ま に偏るこ と なく、いろ いろ な食 吉村ふみゑ 昭 和 三 十 四 年の 七 月 、 旭町の 管の 壁 から し み 込んで 血 管を 収 す 。 こ の ナ ト リ ウ ム イオ ン が 血 品 を ま ん べ ん な く と るこ と が 大 坂 下 短歌 会 婦人会 の活 動の 一環 として 勝野 縮 さ せ る働 き を しま す。 血 管 が と更くる青田に蛙鳴き継ぐ 谷伝 う 鶯啼 く音聞く 丘に 師 の歌 先 生 を お 迎 え し 、 初 めて の 会 を 石橋あさ子 碑わたる若葉風すがし ア ン バ ラ ン ス な 食 事 を 正 すこ 切で す 。 三 十 食 品 の 数 え か た は と自体 が減 塩 につな がるこ とを 持 った の が 坂 下 短 歌 会 の は じ ま す る と 言わ れ て いま す。 高 血 圧 二月号を参考にして下さい。 りでございます。 =うす 味 料理 の 人の 食事 中 の塩 分 が 問 題 にさ 抵抗力 が強 く なり 、 血圧 が 上昇 綾子 以 来 約 三 十 年 よ く 今 日 まで 続 いた も の と 思 います 。こ れ も偏 コツのコツ①= 収縮す ると 血 液の流れ に 対 する 鎌田 目交い に大恵 那望み師の 歌 碑は 宮内くにゑ 永久に我が郷見護り給わむ ※「わがふるさと坂下」は紙面の都合上、 1 回休載させていただきます。 ― 9 ― 昭和 63 年 7 月 1 日 た し さ か 報 広 第 482 号 (9) ・時間 ・日程 下表参照 乳 幼 児 相 談 発 育 状 態 の確認 、 相 談 事など ありま した ら 、お気 軽 に お 出か 頭 に お いて 、 お か ず 中 心 の バ ラ 受付=午後一時半∼三時半 ③診 察 と血 午後一時∼三時 保健婦 婦 学 級 改善センター 妊 ・持ち物 母子手帳 ・担当者 ・場所 ・日時 七月二十五日㊊ け下さい。 ② 問診 改善センター 診察=午後二時∼四時 ・場所 ・内容 ①受 付 液検査結果報告 ④保健指導 健康手帳、問診票 ・持ち物 強会を持ちませんか。 同 じ 時 期 にある妊 婦さ んと勉 ① 当日は血 液検査はしま せん。 ・注意事項 妊婦前・中期 毎月第 3 水曜日 午後 2 時∼午後 4 時まで ※行政相談日※ 毎月第 3 水曜日 午後 2 時∼午後 4 時まで 心配ごと、行政問題でお困りの方は、 何なりと御相談下さい。(秘密厳守) ・持ち物 母子手帳 か ら 五 十 九 歳 まで の す べ て の 方 っています。 が 国 民 年 金 に 加 入 す るこ と に な サ ラ リ ー マ ン の 奥 さ ん も 例外 し た が って 、厚 生 年 金 や 共 済 ではありません。 民 年 金 の 届 け 出を す る 必 要 が あ 主 に 生 活 して い る 奥 さ ん も 、国 組合 に 加 入 し て い る 夫 の 収 入で 町民体育館 るわけです。 ・持ち物 健康手帳 の って い る 方 な ど が 、こ の サ ラ 証 に ﹁ 被 扶 養 者 ﹂ と して 名 前 が 被保険 者証や 共済組合の 組合員 具体的には、夫の健康保険の 症がある方を対象に行っていま 午後一時半∼三時半 ・時間 七月二十六日㊋ 坂下病院リハビリ棟 七月五日㊋ ・期日と場所 リハビリ教室 エプロン 新 し い 年 金制 度で は 、 二 十 歳 ○サラリーマンの奥さん︱ 国民年金の届け出は すんでいますか? ︻国民年金だより︼ 保健婦まで。 す。参 加を 希 望され る方 は 役場 ※心配ごと相談日※ ※リハ ビリ 教 室は脳 卒 中の 後遺 役場 2 階「委員会室」 場所 ンスの とれ た 食事を 心が け ま し ょう。 ︵坂下病院栄養士︶ 必ず見て下さい。 成 人 病 予防 健 診 血液検査の結果と診察 ・日時 七月十九日㊋ 午後一時半∼三時半 ② 食 事 に つ いて の 制 限 は あ り 8 日㊊ リ ー マ ンの 奥 さん届 けを し なけ ればなりません。 こ の 届 け 出 が 遅 れ る と 、 遅れ って し ま い ま す し 、 年 金 を う け た 分だ け 将 来 の 年金 額が 低 く な られ な く な るこ とも あり ま すの 届 け 出て も 、自 分で 保 険 料を で、忘れず届け出てください。 納める 必要 は ありま せん し 、夫 の 給料 か ら 天 引き さ れ る 保 険 料 の 額 が ふ え る わ けで は あ り ま せ 七 月 三 十 日 ︱こ の 日 ま で に 届 ん。 け 出 な けれ ば 、 年 金 額 が 低 く な って し ま う 奥 さ ん が い ま す 。 今 すぐ届け出をすませましょう。 な お 、 厚 生 年 金 や 共 済 組合 に 活 して い る 男 性 も 届 け 出 が 必 要 加 入 し て い る 妻 の 収 入で 主 に 生 です。 現況届をお忘れなく ︱ 提 出 期限 は 7 月 末 日 国民年金から障害基礎年金 ︵ 法改 正に よ り障 害 福 祉 年 金よ り 移 行 した 方 ︶を 受 けて い る 方 は、毎 年七 月 三十一日まで に現 況届の提出が必要です。 こ の 現 況 届 は 、 引 き 続 いて 年 金を 受 け る た めの 大 切 な 届 けで す。 提 出が 遅れ た り 、提 出 しな が 一 時 差 し 止 められ ま す の で 、 か った り す る と 、 年 金の 支 払 い ― 六 月 に 成 人 病 予 防 健 診 の 中で 改善センター「農事相談室」 改善センター ︵受付=午後一時∼一時半︶ ③血 液検査を六月 に受 けた方 ・場所 午後 1 時∼5 時 ・場所 10 ません。 た 。 七 月 は 、 そ の 結 果を も と に は 必 ず 診 察 日 に 来 所 して 下 ・時間 ― 血 圧 測 定や 血 液 検 査 を 行 い ま し 医 師 に よ る 診 察 が 行われ ま す。 7 月 16 日㊏(毎月第 3 土曜日) ︵第七ヵ月まで︶の妊婦 ・対象者 《成人病予防健診の診察日程》 さい。 ・期日 必ず受診して下さい。 ※お気軽にお出かけ下さい。 血 液 検 査の 結 果もで ま す の で 、 4 日㊍ 自 治 会 本町 新町 宮前町 島平一 島平二 上鐘一 東町 松源地 樋ヶ沢 上鐘二 新田 中之垣外 乙坂 相沢 下外 中外 上外 矢渕 大沼町 旭町 伝馬町 西方寺 握 高部一 高部二 樺の木 小野沢 本郷一 本郷二 本郷三 宮の洞 寺尾洞 赤田 大門 時鐘 月 日 7 月 18 日㊊ 20 日㊌ 21 日㊍ 22 日㊎ 27 日㊌ 28 日㊍ 29 日㊎ 8 月 1 日㊊ 2 日㊋ ︽診察日︾ ※町長との懇談日※ 「町政サロン」 昭和 63 年 7 月 1 日 た し か さ 報 広 第 482 号 (10) ◎ 国 民 金融 公 庫 の ﹁夏季資金﹂ ま た 、 障 害 基 礎 年 金 を 受 けて 手話奉仕員としてご協力いた だける 方、 職場の窓 口事務で 聴 ・融資額 三千五百万円以内 期限まで に 役場住民 課国 民 年金 覚障 害 者 の 方 と 接 す る機 会 の あ ・融資期間 係へ届けて下さい。 る方など多数ご参加下さい。 設備資金=十年 他 改善センター、町民体育館、商工会、町内各喫茶店 運転 資 金= 五 年、 ︹講習予定期日︺ 1,500 円 出を 求 めら れ て い る 方 は 、 七 月 ・利率 2,500 円 1,100 円 い る方で 、 今 回 、診 断 書 の 再 提 八 月 中 旬︵ 毎週 二 回 、十 五回 2,200 円 年五・五% 中 に 作 成 さ れ た 診 断 書 を 添 えて 〇五七二ー二二ー六 改 善 セ ン タ ー結 婚 式 は 、昨 年 改善センター結婚式の お申し込みはお早めに 三四一︶まで。 支店︵ ※詳しくは国 民金融公庫 多治見 ︹講習予定会場︺ 受講︶ す。 届 け 出 て い た だ くこ と に な り ま ︹受講者人数︺ 改善センター ☆ご参加下さい︱ 手話奉仕員養成講習会 四十人以上 ︹講習内容︺ し 込 み を い た だ いて も 、 他 の 行 き ま し た 。 し か しせ っか く お申 一年間で 十 組のご利用を いただ 合の心がまえ ・ 聴 覚 障 害 者 な ど に 対す る場 ・手話法の理論 午前十時∼午後三時 (小中学生は無料) (前回の巡回で本を借り ﹁視聴覚室﹂ 岐 阜 県 身 体 障 害 者 福 祉 協会 恵 那 郡 支 部︵ 支 部 長・ 加 藤 敏 和 = 中之 垣 外 ︶で は 、 次 の と お り 手 す。 話 奉 仕 員養 成 講 習 会 を 実 施 しま 事と重 なって お断わ り した 例も 《プログラム》 二六二七︶ ― 11 ― ・手話法の実技 り ま す ので 、 挙 式 を 予 定 さ れ た 凪の座、これがおわりのホレホレバンド、我夢、土下座、土着民、木曜会 日常 生活で の困りご とや もめご となどで お悩 みの 方は、次のと お 時 七月二十日㊌ 二三三一︶前田釣郷︵ 一般 高校生 午後 1 時∼ こ れ は 、 聴 覚障 害 者 お よび 言 時は、でき るだけ早く改善セン 結 婚 式 の 場合は 全 館 使用とな 数組あります。 会 福 祉 協議 会 ︵ 事 務 局 = 役場 ター、また は 商工会 へご 連 絡下 七 月 二 十 日 ㊌ まで に 坂下 町社 ︹お申し込み︺ 七五ー三五〇八︶まで 住民課︶または加藤敏和 意 を 持 って お ら れ る 方 に 、 手 話 等 の 講 習 を 通 して 手 話 奉 仕 員 と ︵ 《出演者》笠木透とフォークス、きたやまおさむ、ハッピッピ、わたしゃ歌者、 り 無 料 相 談所を 開 設 し ま す の で 、 お 気 軽 に お 出 か け 下 さ い 。 秘 密 を ○日 守り、相談に応じます。 所 改善センター和室 ○場 小県昌人︵ ○相談員 ・法務局職員 ・人権擁護委員= 当日 〔場所〕改善センター 語機能 障害者 の福祉 に理 解 と熱 な って い た だ き 、こ の 方 達 の 活 さ い 。 細 部 に つ いて の ご 相 談 に も応じます。 ――未来博 88 協賛―― 椛の湖CANPコンサート ﹁人権相談所﹂開設お気軽にご相談下さい 椛の湖広場 TEL 躍 に よ り聴 覚 障 害者 等 の 福 祉の お申し込み下さい。 町営プール水泳監視員 増進を 図るこ とを目 的に 行われ るものです。 募集 ︻募集人員︼四名 ︵大学在学中または一般 の人で水泳のできる方︶ ︻ 勤 務 ︼ 七 月 中 旬 か ら 八 月 末 日 まで の 間 、 二 名 ず つで 勤 務 ︵ 雨 天 な どで使用不能の場合を除く︶ 。勤務時間は午後一時∼四時。 ※詳しくは町民体育館まで。 《場所》 ※詳しくは役場企画課まで。 主催=椛の湖CANPコンサート実行委員会 納して下さい) 《チケット販売》 ている方は忘 れずに返 遊び、あと片づけ 7日 前売 《料金》 〔日時〕7 月 14 日㊍ 22:30∼=大盆踊り大会、キャンプ 移動図書館 ひばり号来町 12:00∼14:00=公開リハーサル 6日 正午まで 8 月 7 日㊐ 8 月 6 日㊏ 午後 2 時から 《日時》 TEL 75 ︻申し込み︼七月十六日㊏までに町民体育館へお申し込み下さい。 TEL 75 TEL 昭和 63 年 7 月 1 日 た し か さ 報 広 第 482 号 (11) 14:00∼21:30=コンサート 21:30∼22:00=大綱引き大会 (12) 第 482 号 広 報 さ か し た 昭和 63 年 7 月 1 日 ―町民映画会―「ケニー」 町営プール清掃と マスのつかみどり 12 歳の少年ケニーは腰から下が無い重度障害児。でも彼は、 たくましく両手で歩き、スケートボードに乗ったらナンバーワン なのです――話題作「ケニー」。おさそいあわせてご覧下さい。 《日時》7 月 2 日㊏ 午後 7:30∼ 《場所》改善センター「多目的ホール」 《料金》一般 1,000 円 小人 500 円 ※チケットは改善センター、町民体育館他で発売中!! 共催/坂下町視聴覚技術者クラブ、坂下町教育委員会 商工会青年部では下記のとおり恒例のプ ール清掃とマスのつかみどりを行います。 多数の子供さんの参加をお願いします。 〔日時〕7 月 10 日㊐午後 1 時∼ ︵出 生︶ 大沼町 由梨 ︵ 女 ︶ 明 石丸 中之垣外 廣本 拓 也 ︵男︶ 禎 可児麻里奈 ︵女︶ 高部二 上鐘一 貴広 ︵男︶ 春吉 纐纈 文生 新 田 博樹 ︵男︶ 征久 宮下 島平二 下 外 納戸 芳人 ︵男︶ 姻︶ 明日佳 ︵女︶ 孝人 森 均 ︵婚 愛知県 握 前田 俊二 吉村 龍二 宮の洞 水野 由美 島平一 鎌田かおり 中津川市 吉村 京子 島平一 匠 新 田 南木曽町 鈴木 隆義 糸魚川 牧野智穂子 哀 悼 下川 鈴 男 後藤トモエ 中谷 妙子 12 ― 町 ― 歳 東 ◎子供の水難事故を防ごう!! 歳 上鐘一 歳 上鐘一 56 59 53 近くの用水、ため池等の危険な箇所を確認すると共に、 子供だけの水遊びはさせないようにしましょう。また、 危険な行為には注意を!! (坂下警部補派出所)
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