CLOSEUP - 与謝野町

水・緑・空 笑顔かがやく ふれあいのまち
よさの 9 2009 No.43
No.43
広報
YOSANO
広報 よさの
CLOSE
UP
京の豆っこ米が「エコ 100 選」に。
自然循環農業によって減農薬で
メッセージを発信する「特別トー
INTERVIEW
栽培されている「京の豆っこ米」 クイベント」が行われ、デンマー
発行 与謝野町役場 編集 企画財政課
〒 629-2292 京都府与謝郡与謝野町岩滝 1798 番地 1
が、現代のエコな話題を集めた
ク大使や京都府知事、京都市長、
「びっくり ! エコ 100 選」に選ば
京都大学前総長らとともに、太
れ、8月 13 日から 18 日まで高
田貴美町長もゲスト参加。
「日本
島屋京都店で、およそ 80 の企業
一安心で、美味しい『京の豆っこ
や団体などが実践している取り組
米』は学校給食でも食べられてお
みとともに紹介されました。
り、米作りを通して食育や農業の
この催しは、研究者や学生、企
大切さなどを伝えています」と与
業などでつくる実行委員会が「1
謝野町の取り組みを紹介しました。
人にでも、1つでもエコの種をま
また、イベント会場では、
「京
旧加悦町の時から取り
か やま
組み、積み重ねてきた
こう」をテーマに企画したもので、 の豆っこ米」の販売に関わる香山
よしのり
今年で5回目の開催となります。
喜典さん(三河内)が、おから肥
イベント初日となった 13 日に
料を来場者に手渡すなどして「京
は、環境問題やエコについての
の豆っこ米」をPRしました。
香山喜典さん
ことが、このように注
目されるようになって
うれしいです。
トークイベントのゲストに京の豆っこ米をプレゼン 京の豆っこ米のブースを見学する来場者。夏休みということもあり、たくさんの親子
トする太田町長
(写真はメルビン・デンマーク大使) 連れで会場はにぎわっていました
TEL 0772-46-3084(直通)
FAX 0772-46-4630
私の歩んだ道。
●今月の表紙
サマーチャレンジ 2009(8月6日撮影)
9
URL http://www.town.yosano.lg.jp
Email [email protected]
特集
2009
「丹後産コシヒカリ」をPR。
加悦庁舎に掲示され
た丹後産コシヒカリ
をPRするのぼり旗
与謝野町では、丹後産コシヒカ
西日本で唯一、
最高評価の「特A」
リのPRのため、丹後統一デザイ
を獲得しています。
ンの「のぼり旗」を製作し、各庁
「京の豆っこ米」もその一つで
舎、農業施設、道の駅などで掲示
あり、町では今後もPRに努め、
しています。
ブランド力の強化を目指していき
丹後産コシヒカリは、丹後2市
ます。さらに、化学肥料の削減や
2町の約 3500ha の水田で約 1 万
機械除草により農薬をできるだけ
8000 トン生産されており、
「全
減らすなど、環境に配慮した自然
国食味ランキング」で2年連続、 循環農業を進めていきます。
私の歩んだ道。
特集
京都創成大「首長リレー講座」
与
に し て ま い り ま し た。 と 言 い
ま す。 今 回 こ の 講 座 を 楽 し み
謝野町長の太田貴美でござい
のがスチュワーデスでした。
くなったとき、やさしく介抱してくれた
になりました。その行き帰りに気分が悪
機会は あ り ま せ ん で し た の で 、 そ の 歩 み
これま で 自 分 の 歩 ん で き た 道 を 振 り 返 る
た。また、当時は結婚したらスチュワー
どで飛行機が墜落する事故が相次ぎまし
りましたが、飛び始めた年は、羽田沖な
ますのは、がむしゃらに走ってきた中で、 大学2年生の時に試験を受け採用とな
を見直 す 機 会 を 与 え て い た だ い た こ と を
デスはやめなければなりませんでしたの
年は町長として地方行政に携わって
ているということで、私たちも帰ること
田典礼が体を壊して郷里の三河内へ帰っ
た てんれい
ルの館長を務めていましたが、義父の太
おお
結婚してからは、宇多野ユースホステ
することになりました。
で、志半ばでしたが、1年あまりで退職
うれし く 思 っ て い ま す 。
年は町議会議員として、そして後
年。初
さて、今回私は「私の歩んだ道 ―年、
歳で地方
行政、 地 方 自 治 に 携 わ っ て か ら
めの
の
きまし た 。 振 り 返 っ て み る と 、 目 ま ぐ る
しくい ろ い ろ な こ と が あ っ た
年でした。
私の歩んだ道。
名、 町 長 は 6 名 で、
名 お ら れ ま す。 知 事 が 3
2 0 0 9 年 6 月 2 日 現 在、 全 国 に 女
性の首長は
名、 市 ・ 区 長 が
199 0 年 代 か ら 現 在 ま で 首 長 を 務 め さ
世紀になってからの就
せてい た だ い て い る の は 、 私 た だ 一 人 で
す。ほ か の 方 は
任です の で 、 ず い ぶ ん 年 月 が 経 っ た も の
だなと 感 じ て い ま す 。
にしました。
義 父 は 非 常 に 革 新 的 な 人 で し た の で、
常日頃から「女性は子どもを産み育てる
機械ではない。女性も社会的な仕事を持
た な け れ ば だ め だ 」 と 言 っ て い ま し た。
町議会 議 員 の 道 へ 。
まず は 、 簡 単 に 私 の 生 い 立 ち と 、 な ぜ
この考えに感化を受け、この町で何かで
きることはないかと考えていた1975
政治の 世 界 を 目 指 し た の か と い う こ と か
らお話 し た い と 思 い ま す 。
くれま し た 。 小 学 校 2 年 生 の 時 に 、 所 属
から、 親 が 当 時 タ ッ プ ダ ン ス を 習 わ せ て
た。小 さ い こ ろ 、 体 が 弱 か っ た も の で す
ワーデ ス に な り た い と い う 夢 が あ り ま し
し た。 し か し、 町 政 と は ど ん な も の か、
で立候補の届出のための説明会に行きま
のか聞きに行ってみよう」と主人と2人
との選択肢の一つとして、一度どんなも
「国際婦人年でもあるし、私のできるこ
町議選の年でした。
ウトのリーダーをしていたこともありま
りができました。また、私はガールスカ
だって、議長だってやらせていただきま
年は「国際婦人年」で、ちょうど野田川
してい た バ レ ー 団 が タ イ 国 か ら 招 聘 を 受
で、非常に不安」という声がありました。
私に は 、 大 き く な っ た ら 絶 対 に ス チ ュ
け、子 ど も 大 使 と し て タ イ 国 へ 行 く こ と
また、お産をするに際して、
「事故があっ
別 に そ れ が 総 務 委 員 長 だ っ て、 副 議 長
という 説 明 が あ る の か と 思 い き や 、 立 候
し た が、 京 都 市 内 で 祖 母 の 葬 式 が あ り、
告示 ま で 1 週 間 ほ ど し か あ り ま せ ん で
行為がなされること自体が間違っている
も、命をかけた出産に対して、そういう
か。「 女 性 の 出 産 は 病 気 で は な い に し て
はたして本当にそれでいいのかどう
そういった時期でもありました。
そしてこの町を実際に初めて肌で感じた、
た、 ま た 地 域 と つ な が る こ と が で き た、
いうのは、いろんな体験をさせてもらっ
のだと思っています。
へ前へと挑戦させていく原動力になった
その一言が、ずっと後々まで、自分を前
そのときに言った「やります」という
バタバ タ し て い る う ち に 日 が 過 ぎ 、 町 議
のではないか?」ということを、一番初
そういった中で、この休んだ4年間と
選のこ と は す っ か り 頭 か ら 離 れ て い ま し
めの一般質問で疑問を投げかけ、その後、
た。
た。葬 式 が 終 わ り 、 夜 遅 く 家 に 帰 っ て く
改善されていきました。
出した い と い う 声 が あ る 。 私 が 責 任 者 に
聞 い て み る と、「 実 は 町 内 か ら 若 い 人 を
われた ん で す 。 ど う い う こ と か と 思 っ て
期目の4年間、私なりに一生懸命やりま
て、おかしいと思うことが多々あり、1
慣例とか不文律というようなことが多く
町政の進め方にも疑問を持っていました。
ほかにも、議会のルールといいますか、
に辛抱してくれたんだから、やったらい
そしたら、子どもが「1期僕らのため
か」と子どもたちに聞きました。
てみたいけれど、みんな協力してくれる
りましたので、
「お母さん、もう一度やっ
そろそろ子どもが5年生と6年生にな
なるか ら や っ て み な い か 」 と い う 話 で す 。
い ろ い ろ と 難 し い 問 題 も あ り ま し た が、
議 員 を 3 期 さ せ て い た だ い た く 中 で、
自分なりにがんばったつもりでしたので、
この任期を務め上げて翌年の4月でやめ
ようかと考えていました。
政は破綻寸前となっており、一般会計の
しかしながら、この時、野田川町の財
2割近くが借金返しというところまで
投票数 は 下 か ら 2 番 目 で し た が 、 町 議 会
てて選 挙 の 用 意 を し て 立 候 補 に こ ぎ つ け 、
の6時 頃 に 決 断 し ま し た 。 そ れ か ら あ わ
す。「 だ め も と で や っ て み よ う 」 と、 朝
私が落 ち て も 失 う も の は 何 も な い わ け で
も も 家 庭 も 無 茶 苦 茶 に な る と 思 い、
「議
このまま私が議員をしていたら、子ど
手が必要になりました。
それから、義母をはじめ身内の介護にも
誰も見てもらえる人がありませんでした。
童 保 育 も な く、 ま た 核 家 族 で し た の で、
く学校から帰ってきます。今みたいに学
年生と2年生になっていましたので、早
ろんな問題が出てきました。子どもが1
だし、子どもも小さいからやりませんよ
ん な 話 が あ り ま し た。
「太田さんは女性
総務委員会の委員長を決めるときにこ
ています。
し、それは非常に名誉なことだとも思っ
て」という形容がつけられました。しか
都 府 で 初 め て 」 と か「 野 田 川 町 で 初 め
ていただきましたが、そのとき必ず、
「京
その間、総務委員長や正副議長をさせ
また
「だめでもともと」という思いで、「お
方 で 私 の と こ ろ に き ま し た。 こ こ で も、
いっていました。この状況の中、3期目
に出さ せ て い た だ く こ と に な り ま し た 。
員の代わりはあっても、母親の代わりは
ね?」と当然のように問われましたので、
3期連続議会に出させていただくことに
い よ 」 と い う こ と を 言 っ て く れ、 以 降、
これが 告 示 の 前 日 の 真 夜 中 の 話 で し た 。
した。
「1期 休 業 」
その思いとそこから得たもの。
ない」と、次の1期は出馬をやめること
出たからには、男性・女性問わず、私は
「 い や よ く あ り ま せ ん。 私 は 議 員 と し て
もどうにか手のかからない年齢でしたし、 ところが、1期終わる頃になると、い
悩み ま し た が 、 幸 い 2 人 の 子 ど も た ち
議員 と し て ま ず や っ た こ と は 、 母 子 健
に し ま し た。 す る と、
「やっぱり女だか
を目指す当時の町長はこれまでの路線を
康セン タ ー の 改 善 で す 。 当 時 、 母 子 健 康
ら冷やかしだったんだ」と言われました。
男性・女性問わず、私は議会の議員を務め上げるつもりです。
議会の議員を務め上げるつもりですから、 この選挙は、町を二分するくらいの大
う」と、町長選に挑戦しました。
役に立てるのなら、がんばってみましょ
るよ」と言われ、白羽の矢がそんな言い
るなら、その責任の一端はあなたにもあ
者 な ど か ら、
「 太 田 さ ん、 議 長 を し て い
そうこうしていますと、元議員や支援
でした。
立候補を探しましたが、見つかりません
ここでストップかけないといけないと対
変えないということでしたので、誰かが
センタ ー は 医 療 行 為 を 行 わ な い 助 産 施 設
地域の女性やいろんな人たちとのつなが
校のPTA役員や婦人会の活動を通して、
しかし、その1期休んだときに、小学
という よ う な 位 置 づ け で 運 営 さ れ て い ま
した。 し か し 、 実 際 は 、 急 に 切 迫 流 産 で
病 院 へ 担 ぎ 込 ま れ る ケ ー ス が あ る な ど、
助産婦 さ ん か ら 「 医 療 行 為 が で き な い の
なりました。
「女に何ができるのか」
京都府初の女性町長誕生。
ると、 近 所 に 住 ん で い た 親 戚 か ら 「 ど ち
「初めて」
「女性初」の形容。
らか町 議 会 に 出 ら れ る つ も り か ? 」 と 言
違った な 」 と 思 っ て 帰 っ て き ま し た 。
補者の 説 明 会 で す か ら 、 当 然 ポ ス タ ー は
号では、その内容(要旨)を特集で紹介します。
す」と言いました。
年、15 年」と題した講義を行いました。今月
す の で、
「ボーイスカウト与謝第1団」
た あつ み
ても町は一切責任を持ちません」という
田貴美町長は8月1日に「私の歩んだ道- 30
年」 を テ ー マ に し ま し た 。
30
何枚、看板はこれぐらいの大きさ、スピー
おお
28
30
の立ち上げの手伝いもしました。
るリレー講義」が6月 29 日から開催され、太
25
誓約書を書いて提出するような施設でし
京都創成大学の公開講座「府北部地域首長によ
15
カ ー は ど う こ う と い う も の で、「 こ れ は
地方行政の現状を学び、何ができるかを考える
30
15
2
3 広報よさの SEPTEMBER 2009
京都創成大「公開講座」での
町長の講義内容を一挙公開!
16
21
特 集
15
結果、 1 1 8 票 差 で 野 田 川 町 長 を や ら せ
う」と い う 期 待 が あ っ た ん だ と 思 い ま す 。
もをき っ ち り と 握 っ て や っ て く れ る だ ろ
う と い う こ と は な い だ ろ う 」「 財 布 の ひ
性なら 、 見 栄 を 張 っ て あ れ も こ れ も し よ
しかし 、 支 持 し て い た だ い た 方 に は 「 女
てつも な い 無 謀 な 挑 戦 だ っ た と 思 い ま す 。
の女性 の 方 に 助 け て い た だ き ま し た 。 と
織がな い の で す が 、 お 勝 手 連 で た く さ ん
変な選 挙 で し た 。 私 の 場 合 は 決 ま っ た 組
施設を作っていただきました。
やかに、幸せに暮らせるような、そんな
こめて、その中に住んでいる人たちが穏
物を建てるだけではなく、その中に魂を
と同じです。そういう発想のもとで、建
一つの棟をなしている。要するに、まち
て、語らえるスペースが何個か集まって
個室を出れば、語らえるスペースがあっ
だこうと、部屋はすべて個室に。そして、
時間を自分の好きなように過ごしていた
分の部屋のような感じで、自分の好きな
めました。
経験から、学童保育の整備も積極的に進
帰ってくるようになって困った私自身の
家の人がみることができない。施設にあ
われます。しかし、例えばおじいさんを
福祉に力を入れるとお金がかかると言
年 前、 こ
れ ば た し か に 目 立 ち ま す。
「 し か し、 今
で、地味な施策です。大きい建物を建て
誰の目にもふれることではありませんの
吸収合併のような考え方でしたので、い
等合併であったものの、中身については
した。さらに、合併の方法については対
長早く決心してくれ」という声がありま
こういった福祉施策や水道管の整備は、 議会でも「早く解散してもらうよう、町
ていた だ く こ と に な り ま し た 。
町政を 進 め る に あ た っ て
大切に し た こ と 。
はそういう時代ではない」
。
が、収入が少なかったら、支出を少なく
は財政再建です。これは難しいことです
を支援する人を町内から雇用する。これ
る。あずけられたその施設では、入所者
ある程度時間が自由になって仕事ができ
いただきました。
ういった考えをもって町政を預からせて
ハ コ モ ノ は 一 切 作 ら な い と 決 め ま し た。
そし て 、 私 が 務 め る 4 年 間 は 、 新 し い
が早く元気になります。さらに、この地
手立てをすることによって、子どもたち
校卒業まで無料にしました。早め早めの
子どもたちに関しては、医療費を中学
合わせて、新しいまちを運営していこう
それぞれ弱体化した小さなまちが力を
たので、2002年、1市4町の枠組み
決して合併反対論者ではありませんでし
合併協議は紆余曲折ありました。私は
信頼関係が築ける、また、それぞれのま
あれば、お互いに胸襟を開いて協議でき
会の意思でもありました。
だけではなく、野田川町民の、そして議
になりましたけれども、それは私の意志
住民の 方 の 生 活 に 必 要 な 水 の 施 設 や ご み
域はたいへん厳しい景気状況です。住民
こ の 一 件 で、
「憎き太田」という感じ
ください」
ということを申し上げました。
い 。 そして、
もう1回、一から考えさせて
1市4町の合併協議会を解散してくださ
よ い よ 決 断 し、 2 0 0 4 年 2 月、「 こ の
ずけることによって、家の人は介護から
する。そして、借金があったらできるだ
は結局、町内で仕事が循環していること
町長としてまず取り組んだこと、それ
け早く借金の返済をする。残れば貯金と
になります。
処理施 設 な ど 、 生 活 に 直 接 密 着 し た 、 ま
の人たちに入ってくるお金が少ないです
流でき る よ う に と 同 じ 場 所 に 作 り ま し た 。
障害の あ る 方 の 福 祉 施 設 を 、 両 施 設 が 交
対応し て い け な い と 考 え 、 高 齢 者 と 知 的
で、福 祉 施 設 を し っ か り と 整 備 し な い と
祉施策 で す 。 少 子 高 齢 化 が 進 ん で い く 中
それ か ら 、 も う 一 つ 力 を 入 れ た の が 福
になり、お母さんの負担を減らすことが
無料化することによって、子どもは元気
連れていかなければならなくなったとき
も多い中、仕事を休んで子どもを病院に
ればなりません。パートで働くお母さん
から、財布から出すお金を少なくしなけ
し た。 皆 さ ん の 意 見 を 聞 く と、
「もうは
関する住民の皆さんへの説明会を行いま
れに加えて医療費がかかるわけですから、 そうした中で、各区を回って、合併に
は、その間の給料がカットされます。そ
やいこと宮津と手を切ってくれ」だとか、 旧3町は、それぞれまちの歴史や文化、
なところの協議が整いませんでした。
それから福祉に対する考え方など、大事
違 い ま し た。 職 員 の 給 料、 庁 舎 の 位 置、
ろと協議を進めていく中で、意見が食い
と協議会を立ち上げたのですが、いろい
した。
2006年3月1日の合併にこぎつけま
いったまちづくりができるということで、
ん、 無 駄 な と こ ろ も 修 正 で き る、 そ う
ちの良いところを活かすことはもちろ
その後、野田川流域につながる3町で
た関連 し た 施 策 を 、 財 布 を 見 な が ら 計 画
設 計 に あ た っ て は、「 私 自 身 が 年 を と っ
できます。また、子どもが早く学校から
ローカルマニフェスト
による挑戦。
たとき に 入 り た い と 思 え る よ う な 施 設 に
そこ で 、 ま ち づ く り に つ い て 、 具 体 的
ちづくりの考え方を述べさせてもらうと
た。住民の皆さんと膝を突き合わせ、ま
いただこうと「町政懇談会」を行いまし
歴史が手に取るようにわかる。そういっ
皆さんの思いや、他の地域にある文化や
し て い く こ と が 大 事 だ と 考 え て い ま す。
「俺についてこい」
というのはリーダー
求められています。
提言や協力していくという「責任」が今、
背中をそっと押してあげる。そういう支えをしていくのが行政の役割。
に住民 の 皆 さ ん に 提 案 し て い く た め の 新
ではないと思います。お互いの立場を理
考えでまちづくりをしたいのかを知って
しい挑戦として「ローカルマニフェスト」
た情報を共有する手段として情報化を進
解 し、 違 い を 認 め 合 い、
「協力してやっ
ともに、いろんな話を聞かせてもらいま
ルマニフェストや新町まちづくり計画を
民の皆さんに対する約束ですが、ローカ
を つ く り、 循「 環 」 型 の 社 会 を つ く る。 ローカルマニフェストは、私自身の住
きたいと考えています。
ていただき、まちの活性化につなげてい
るツールとして光ファイバー網を活用し
言われますが、どこにいても仕事ができ
り上げるのではなく、背中をそっと押し
苦しい状況のときに、その人を引っ張
ていきましょう」というのがリーダーの
そして 、 対 話 の 「 話 」 と 、 私 自 身 が 大 事
ふまえ、住民の皆さんからアンケートを
さらには、若い人たちが仕事が無いと
めていきたいと思っています。
した。今年も
地区をまわり、合併以降、
をつく り 、 5 つ の 柱 と 1 0 7 項 目 の 皆 さ
回を数えました。
にした い 4 つ の 「 わ 」 を 掲 げ て 選 挙 に 臨
参 加 を い た だ き、
「みんなの計画」
「ひ
画づくりの段階から住民の皆さんに多数
いものでした。そうならないように、計
さい。皆さんの支えになり、信頼される、
るように、住民の目線で仕事をしてくだ
に 言 っ た こ と は、
「あなたの身内と接す
野田川町長に就任して一番最初に職員
町政に求められるもの。
リーダーに求められるもの。
りませんが、一つ一つ粘り強く取り組み、
トナーシップを築き上げるには近道はあ
事業者・行政の信頼関係で結ばれたパー
ちづくり」を唱っています。住民・地域・
総合計画でも、
「自助」「共助」「公助」
は、どうしても絵にかいた餅になりやす
よって、旧加悦町でやっていたCATV
光ファイバー敷設整備事業です。これに
にがんばっていくという姿勢が、これか
人たちに光をあてて、その人たちととも
なたも主役」なんです。がんばっている
ですから、「あなたが主役」
ではなく
「あ
ことわざです。小さい夢を積み重ねてい
た
「 If you can dream, you can do 」(
it.夢
の蓄積は正夢となる)というアメリカの
私の座右の銘は、高校生の頃に出会っ
夢の蓄積は正夢となる。
に「 商 助 」 を 加 え た、
「協働で進めるま
与謝 野 町 長 と な っ て 、 一 番 心 が け た こ
ろがる計画」
「できる計画」を合言葉に、
与謝野町の身の丈にあったまちづくりを
計画」です。今までの総合計画というの
とは、 ま ず は 旧 3 町 の 住 民 の 皆 さ ん の 一
そんな職員になってください」というも
新町の ま ち づ く り で
心がけていること。
体感を 醸 成 す る と い う こ と で す 。
住民と行政との協働による総合計画を策
定しました。
現在、与謝野町のまちづくりの中で最
が全町域に広がり、インターネットも快
くと、大きな夢にも届くということです。
うことです。
適につながる環境ができます。そしても
らの行政には求められていると思います
また、合併してよかったと思えるため
が流せるシステムを構築しようとしてい
布して、いざというときには一斉に情報
町からFM告知端末機を全世帯に無償配
民の皆さんの安心と安全を確保するため、
一人が政治やまちづくりを真剣に考えて
づいて、よりよい方向に向かうよう一人
かなか気づきません。だけど、それに気
治には無縁ではないのですが、それにな
地球上に生まれたその日から、もう政
心が寄り添うことが大切だと思います。
し、住民の皆さんの心に、私たち行政の
日はありがとうございました。
■
しいまちづくりに挑戦していきます。本
に一歩一歩残していくために、今後も新
証なのかもしれません。その足跡を着実
足跡が残っています。それは生きている
一歩、歩いていけば、必ずその後ろには
誰も人生の先は分かりませんが、一歩
るところです。
には、住民の皆さんが互いに情報を共有
う 一 つ。 台 風
号 の 教 訓 を 生 か し、 住
重 点 に 位 置 づ け て 取 り 組 ん で い る の が、
に、同じ方向を向いて進んでいこうとい
してきたいと思っています。
行政の役割だと思っています。
てあげる。そういう支えをしていくのが
あるべき姿ではないでしょうか。
み、与 謝 野 町 長 と し て 新 し い ま ち の 舵 を
と っ て 策 定 し た も の が、
「与謝野町総合
延べ
んとの 約 束 を 掲 げ ま し た 。 さ ら に 、 新 町
新しいまちの新しい選挙が始まるわけです。
考え方が少しずつ違います。そんな中で、 そのためには、まず私自身がどういう
してく だ さ い 」 と お 願 い を し ま し た 。 自
での合併協議会を立ち上げました。
的に進 め て い き ま し た 。
悩みと決断の合併論議。
そして与謝野町の誕生へ。
して積み上げていく。まさに主婦感覚です。
15
とらせ て い た だ く こ と に な り ま し た 。
をなごみの「和」で結び、人や情報の「輪」
24
23
4
5 広報よさの SEPTEMBER 2009
96
のでした。つまり、住民の方たちととも
当日は雨模様にも関わらずたくさんの人が訪れ、関心の高さをうかがわせました
私の歩んだ道。
特集
京都創成大「首長リレー講座」
●与謝野町の夏を紹介します
『サマーチャ
レンジ 2009』
今年の夏も与謝野町ではさまざまなイベントや取り組み
「自分たちで
考え自分たち
で行動する力
」を育成する
年開催されて
ことを目的に
いる「サマー
毎
チャレンジ」
。
今年は8月
4 日から 7 日
までの3泊4
日の行程で行
学6年生 39 人
われ、町内の
が参加。大江
小
山から丹後半
160km をマウ
島
を
エ
リ
ア
と
ンテンバイク
す
る
全
行
程
約
で移動し、沢登
りやイカダ作
りなど、サマー
チャレンジな
らではのプロ
グラムを体験
しました。
さまざまな
苦難に立ち向
かい、仲間と
支え合いな
がら過ごした
4日間は、子
どもたちにと
って何もの
にもかえがた
い体験となり
ました。
がありました。今回は、
「ひまわり」
「子どもたちの暑い
くなった!
し
ま
く
た
みんな
夏」
「夏祭り」にスポットをあて紹介します。
『ひまわり 15 万
本』
与謝野町の真
夏のメインイベ
ント
「ひまわ
り15万本」が 8 月
1日から9日ま
で
、
野田川
わーくぱる周辺を
会場とするひまわ
り畑で開
催 さ れ、およそ90
00人 の 来 場 者 で
にぎわい
ました。
①二瀬川渓流
での沢登り
②手作りイ
カダレース ③
⑤度胸試しの
「高飛び込
み」④4日間
の行程はすべ
てマウンテ
ンバイクで移
動しました
④
⑤
⑤
③
②
の夏は
町
野
謝
与
決まり!
で
り
わ
ひま
イベント期間中
はあいにくの空模
様が続き
ま し た が、
「どろんこバレー
ボール大会」や「 か
か し コ ン テ ス ト」
「とうもろこし収
、
穫体験」な
どの各種催しがイ
ベントを盛り上げ
、来場者
を楽しませてくれ
ました。
今年も丹後の夏
の風物詩
「ひまわり」は、
た
くさんの人たちに
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げられた「どろん
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ル大会」⑤ひまわ
り畑には幼稚
園、保育所の園児
たちも見学に
訪れました ⑥与
謝野町染色セ
ンターで指導を受
けて制作され
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ま
ひ
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ストは、ひまわ
迎えたこのコンテ
今年で3回目を
さを競います。
りの「花」の大き
んから 24 本の
始し、町内の皆さ
開
を
集
募
に
月
6
そして、8月中
リーされました。
ひまわりがエント
家庭や保育所、
くなった頃に、
き
大
が
り
わ
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旬のひ
町職員が計測
られたひまわりを
て
育
に
切
大
で
園
幼稚
。優勝した皆さ
がまとまりました
し、このほど結果
ざいます。
ん、おめでとうご
ひら の さ な
23.5cm ①
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野沙夏さん(岩屋
平
】
勝
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人
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28.0cm ②
幼稚園 【団体優勝】岩滝
④
③
②
①
7 広報よさの SEPTEMBER 2009
6
まちの
メダルを手に喜びの表情を見せる西原さん(右)
● 加悦地域公民館「小学生夏休み子ども行事」
夏の思い出を五・七・五の調べにのせて
自分で手作りした短冊に自作の俳句をしたためる「短冊
俳句作り教室」が8月 18 日と 21 日の両日、加悦地域公
民館と江山文庫で行われ、小学生 11 人が参加しました。
加悦地域公民館では、夏休みの間、茶道教室や科学教室
など小学生を対象にしたさまざまな教室が実施されており、
この教室も同事業の一環で行われたものです。
18 日には、加悦地域公民館で牛乳パックを再利用した
短冊作りに挑戦。江山文庫学芸員の指導を受けて、悪戦苦
話題
お届けします
● エバンスさん著書翻訳本出版記念
平和を考えるきっかけに
与謝野町とアベリスツイスの友好の
礎を築いたフランク・エバンスさんの
著書「ROLL CALL AT OEYAMA P.O.W.
Remembers(大江山の点呼)
」がこの
ほど日本語に翻訳され、
「憎悪と和解
の大江山-あるイギリス兵捕虜の手記
座談会メンバーの皆さ
ん。鬼頭さんは名古屋か
ら駆けつけました
-」
(下写真)として出版されたこと
を記念して、
「座談会・交流会」
(与謝
あま の じゅんいちろう
闘しながら紙すきを行いました。21 日には、天野 順 一朗
● 西原加純さん祝勝会
野・アベリスツイス友好協会主催)が
リスツイスにもそれぞれ足を運び、資
(名古屋市)
、エバンスさんから慰霊碑
さん(算所)を講師に招き、今度は俳句作りに挑戦。江山
世界にはばたけ!西原加純さん
8月1日、野田川ユースセンターで開
料や写真を収集。また、エバンスさん
建立の打診を受けた当時の加悦町長の
文庫の中庭に飛び出した子どもたちは、そこから眺める景
「第 25 回ユニバーシアード競技大会」の陸上女子1万
催されました。
を知る人々を精力的に取材し、原著に
m と 5000m で金・銀メダルを獲得した西原加純さん(佛
翻訳は、同協会副会長で、元府立高
ない新しい逸話も交え、まとめあげま
そろえました。
「こんなに長く交流が
教大3年・滝出身)の快挙を祝う祝勝会が8月 16 日、滝
校長の糸井定次さん(下山田)が、教
した。
続くとは夢にも思わなかった」
(鬼頭
色や夏の思い出などを 17 文字の中に詠み込み、
出来上がっ
た俳句を一生懸命短冊にしたためていました。
にしはら か すみ
ほそ い たくいち
細井拓一さん(加悦奥)の5人が顔を
いと い てい じ
「エバンスさんとオエヤマ」をテー
え子でカナダに在住する、 ちや加悦中学校の陸上部員などがお祝いに駆けつけました。
元ダグラス・カレッジ国
西原さんの帰省に合わせて、地元滝地区の有志が企画。
際教育センター長の細井
日本代表のジャージー姿で登場した西原さんは、大きな拍
忠 俊さん(加悦奥出身)
い芦田保さん(宮津市)
、エバンスさ
が捕虜として過ごした当時の様子が写
に呼びかけ、共同で進め
んと飛行機の中で偶然出会い旧加悦町
真で紹介され、参加した人たちは、興
もりしたとし こ
手で出迎えられました。加悦中時代の恩師森下寿子先生か
こ にし み さ
らはお祝いとともに当時の思い出が披露され、小西美沙さ
さん)という交流のいきさつをはじめ、
マにした座談会には、翻訳者の2人と、 エバンスさんとの思い出やその人物像
ほそ い
ただ とし
日本冶金に勤務し当時の事情に詳し
が紹介されるとともに、エバンスさん
あし だ たもつ
き とうよし こ
られました。2人はアベ
へのパイプ役を果たした鬼頭良子さん
味深く聞き入っていました。
ん(加悦中3年)から花束が贈られると、西原さんは「皆
さんの声援のおかげで、
ここまでがんばってこられました」
● ゆかたを楽しむ月間
と感謝の気持ちを述べました。その後、中学生らからの質
ゆかたを着て和装の良さをPRしました
問に答えるなど、地元応援団と交流を深めていました。
丹後地域の行政機関、商工団体、観光団体、金融機関、
フルート演奏を聞き入る参加者
思い思いに句を詠み短冊にしたためた子どもたち
地区公民館で行われ、その姿を一目見ようと、地元の人た
織物団体等で組織する「丹後きものNET」は、和装を楽
しみ、地場産業「丹後ちりめん」の産地を盛り上げよう
● 全国高校総体・全国高校総合文化祭
この夏も加悦高生が全国大会で大活躍!
自分の作品の前
に立つ碓井さん
(江陽中卒)
と、
7月 18 日から8月 31 日までを「ゆかたを楽しむ月間」
として、丹後地域一体で和装振興の取り組みを行いました。
期間中の7月 31 日には、役場の窓口職員らがゆかたを
8月8日から 12 日まで奈良県で開催された「全国高校総体 ウエイトリフティング
よし だ ゆうぞう
競技」に、
加悦谷高校から 5 人が出場し、
77 ㎏級の吉田雄三君(3年)がスナッチ5位、
着用して勤務。和装振興のPRに一役買った職員は「ゆか
ジャーク4位、トータルで3位に入る活躍を見せました。
たは和装の第一歩。深まる秋に向けて、今度は着物を着て
● 第 12 トンネル見学会
「目標は優勝だった」と悔しさをにじませた吉田君。
「10 月の国体では、がむしゃ
イベントにも出かけてみたい」と話していました。
府内2番目の長~いトンネルを親子で探検
らにやって優勝をめざしたい」と意気込みを語り、また、あと一歩で入賞を逃した
10・11 月は、
「きものをもっと楽しむ月間」として、
京都府道路公社による「夏休み 親子で探検 第 12 ト
和装に関する知識や楽しみ方を学ぶ「きもの学(楽)講座」
ンネル見学会」が8月 22 日に開催され、2市2町の親子
や、きもののライフスタイルの提案を目的にした関連イベ
連れら約 120 人が参加しました。
ントなどが行われる予定です。
鳥取豊岡宮津自動車道(宮津野田川道路)の第 12 トン
なかにしけん た
94 ㎏級の中西研太君
(3年)も「国体では入賞を目指す。残り1ヵ月の練習をしっか
ながはま とし のり
いのううえ わたる
りやりたい」と話してくれました。62kg 級の永濱稔則君
(3年)
、69kg 級の井上 航
くら の もとひろ
君
(2年)
、77 ㎏級の倉野基博君
(1年)の3人は、全国大会初出場。高校生活最後の
話し、あとの2人は「課題が見つかり、勉強になった」と来年を見据えていました。
また、7月 29 日から8月2日まで三重県で開催された「全国高校総
うす い あや か
合文化祭」の書道部門には、碓井彩香さん
(3年)の作品が京都府代表
として出展されました。
「1年の時から狙っていたので、うれしかった」
やまがたまさ と
と碓井さん。惜しくも賞からは漏れましたが、書道部顧問の山形正人先
ゆかた姿で業務を行う町職員
大会となった永濱君は「納得できる結果ではなかったが、総体に出れてよかった」と
ネルは、府内では2番目の長さ(3660m)をほこり、平
成 23 年 3 月中の供用開始に向け整備が進められています。
バスで野田川側坑口からトンネルに入った参加者は、約
1km 地点で下車し、1.5km の区間に 300 本のキャンドル
が並べられた「キャンドルロード」を親子で探検。途中、
ライトが消され、日常生活では体験できない暗さに感嘆の
生は、迫力ある筆使いで書かれた碓井さんの作品を「全国でもほかに引
声をあげていました。
けを取らず、よい作品だった」と評していました。
トンネル見学の出口となる宮津側坑口では、矢野由美子
や の ゆ み こ
左上から時計周りに、吉田君(江陽中卒)
、中西君(大宮中卒)
、
永濱君(伊根中卒)
、倉野君(伊根中卒)
、井上君(江陽中卒)
9 広報よさの SEPTEMBER 2009
さん(宮津市)によるフルート演奏が行われ、トンネル内
に響き渡るさわやかな音色に参加者は聞き入っていました。
8