題字 西東利男初代会長 金沢医科大学北斗会会報 ◇巻頭のことば 出会いと別れ 奥名 洋明………………………………………………… 3 ◇大学のこの 1 年………………………………………………………………… 4 ◇寄稿 能管 古府 伸也…………………………………………………………… 6 被災馬「ブルーヘイロ」から教えられたこと 山本 博昭 …………… 8 グラウンド・ゴルフもまた楽しい 寺中 信夫 ………………………… 11 いにしえの血脈 土田 壮一……………………………………………… 13 絵画を通して考えること 高山 静子…………………………………… 15 書と私 清水 由美子……………………………………………………… 18 『娘たちへ』 岡本 和子…………………………………………………… 19 私の大切にしてるもの 太田 洋子……………………………………… 20 愛犬 上田 さやか………………………………………………………… 20 新入職員に聞きました この一年を振り返って…………………………… 21 会員からの写真展……………………………………………………………… 24 ◇叙勲・表彰 瑞宝単光章を受賞して 高山 静子……………………………………… 29 ◇会務報告 平成 23 年度 金沢医科大学北斗会幹事会・代議員会 ……………………… 30 決算・予算〈報告〉……………………………………………………………… 31 第 13 回北斗会懇親・懇談会開催 …………………………………………… 33 北斗会会則……………………………………………………………………… 34 北斗会役員のご紹介・会員数 ………………………………………………… 36 事務局からのご案内…………………………………………………………… 37 ◇編集後記………………………………………………………………………… 38 北 斗会会報 第 21 号/ 2012.1 3 出会いと別れ 金沢医科大学北斗会 会長 奥名 洋明 誰かが言っていましたが、「人生とは出会いと別れの集積である。」と。では私たちは一体ど の様にして人と出会うのでしょうか。 先ず第一は家族や親類縁者や隣り近所の人達。第二には小中高、大学という学校での先輩、 同僚、後輩という人達。第三には、卒業後就職しての職場での先輩、同僚、後輩という人達。 そして第四は同じ趣味の仲間達となるのでしょう。 石川県の人口は約 116 万人余、そして金沢市のそれは 46 万人余、内灘町は 2 万数千人余でしょ うが、一体私達は、その中で顔と名前が一致してわかる人は何人いると思いますか。 考えて見ると何百人程度なのではないでしょうか。この出会いは偶然なのか、必然なのかは わかりませんが、いずれにしても数少ないこの出会いはもっと大切に考える必要があるのでは ないでしょうか。しかも一番長いつき合いは同じ職場で働いた方々だろうと思われます。 従って、この北斗会はその意味で大切にして行きたいものと思っています。どうか皆さん、 この事に思いを致し、これからもお互いの友情をより深めて参りたいと思います。 北 斗 会会報 4 【大学のこの 1 年】 大学のこの1年 1 年間を振り返って大学の活動を紹介します。(平成 22 年 9 月〜平成 23 年 10 月) 平成 22 年 9月 1 日 9 月 11 日 9 月 28 日 10 月 1 日 10 月 3 日 勝田省吾学長補佐を新学長に選任 看護学部平成 23 年度編入学試験(合格者は 3 名) 平成 22 年度医学部編入学生入学宣誓式/本部棟 2 階会議室 1(編入学者 5 名) 川上重彦病院長代行を新病院長に選任 鈴木孝治教授(泌尿器科学)臓器移植対策推進の功労者として厚生労働大臣感謝状 を受ける 10 月 8 日 10 月 16 日 病院本館 5 階全フロアを改装して「スチューデント・ドクター医局」を設置 第 38 回解剖体合同追悼慰霊祭/系統解剖 18 柱、病理解剖 61 柱/本部棟 4 階講堂(約 300 名参列) 10 月 16 日 10 月 23 日 10 月 26 日 10 月 27 日 天寿会総会/本学学生食堂において開催(約 70 名の会員が出席) 第 22 回 総合医学研究所市民公開セミナー/金沢市文化ホール 2 階大集会室 平成 22 年度 第 12 回北斗会懇親懇談会 143 名が参加(金沢都ホテル) 平成 22 年度実験動物慰霊祭/本部棟 1 階学生ラウンジ横において学生ら約 100 名 が出席 10 月 27 日 互助会秋のバス旅行「松茸・近江牛食べ放題」と「三井アウトレットパーク滋賀竜王」 (71 名参加) 11 月 8 日 能登北部地域医療研究所が北海道夕張希望の杜「夕張医療センター」を視察 (∼ 10 日まで) 11 月 8 日 11 月 12 日 11 月 15 日 平成 22 年度永年勤続表彰(35 年:30 名) (20 年:32 名) 中国青年中小企業振興研修団が本学病院施設を見学 防災講習会(112 名参加)11 月 24 日災害訓練(第一次、第二次、時間外、延べ 981 名参加) 11 月 17 日 11 月 17 日 11 月 20 日 ヤロスラブリ州立医科大学 Alexey V. Pavlov 学長ほか訪問団が来訪 第 30 回互助会文化祭(∼ 24 日) 医学部平成 23 年度推薦入学試験(公募制 22 名、指定校・指定地域 4 名、計 26 名が 合格) 看護学部平成 23 年度推薦入学試験(合格者 22 名) 11 月 21 日 11 月 22 日 第 10 回 KMU 研究推進セミナー開催/病院新館 12 階大会議室(64 名参加) 12 月 1 日 平成 22 年度石川県私立学校教職員教育功労者知事表彰/石川県庁特別会議室(対 象者 17 名) 平成 23 年 1 月 19 日 うちなだ・夕べのひとときコンサート「100 回記念ありがとうコンサート」/県立 音楽堂 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 大学のこの1年 1 年間を振り返って大学の活動を紹介します。(平成 22 年 9 月〜平成 23 年 10 月) 1 月 25 日 大連大学附属新華医院訪問団が本学病院を見学 2 月 12 日 2 月 20 日 第 105 回医師国家試験(3 月 18 日合格発表、114 名が合格) 3月 1 日 3月 3 日 3月 7 日 3 月 22 日 3 月 24 日 4月 5 日 4 月 16 日 4 月 21 日 5 月 17 日 5 月 22 日 第 100 回看護師・第 94 回助産師・第 97 回保健師国家試験 第 34 回卒業証書・学位記授与式(医学部 114 名、看護学部 68 名が卒業) 新アナトミーセンター竣工(26 日に開館記念式典) 金沢医科大学後援協力会幹事会総会及び懇親会 平成 22 年度臨床研修修了証交付式 第 26 回博士学位記授与式(課程博士 19 名、論文博士 2 名) 第 40 回入学宣誓式(医学部新入生 105 名、看護学部新入生 69 名を迎える) 第 33 回納骨式本学慰/本学慰霊碑(納骨堂)前(約 200 名が参列) 能登北部地域医療研究所:東日本大震災地域医療支援 第 11 回 KMU 研究推進セミナー開催/病院新館 12 階大会議室(87 名参加) 第 2 回内灘ロマンチックウォーク 500 人が参加 6 月 1 日 第 21 回 互助会ゴルフ大会/会員 32 名、学生 29 名の合計 61 名が参加 6 月 22 日 院内感染防止に関する教育講演会 6 月 23 日 病院機能評価認定更新に係る職員研修会 6 月 24 日 2011 年度北陸がんプロ・FD 講演会 6 月 24 日 「大学名」「ロゴマーク」を商標登録 6 月 27 日 福島・宮城における放射線調査に総合医学研究所から参加 6 月 29 日 ロシアヤロスラブリ医科大学学術交流訪問 7月 2 日 7月 9 日 7 月 10 日 7 月 24 日 8 月 20 日 華中科技大学同済医学院・金沢医科大学 中日学術講演会 平成 23 年度金沢医科大学北辰同窓会総会 平成 23 年度金沢医大後援会橘会総会 平成 23 年度金沢医科大学看護学部後援会さくら会総会 第 19 回河北郡市消化技術競技大会(消火栓の部 3 位、消火器男子の部 4 位・女子の 部 4 位) /かほく市消防本部 8 月 20 日 金沢医科大学氷見市民病院 竣工式・祝賀会、一般内覧会 9月 1 日 9 月 27 日 金沢医科大学氷見市民病院 新病院オープン 10 月 2 日 互助会秋のバス旅行「立山黒部アルペンルート」 (26 名参加) 平成 23 年度医学部編入学生入学宣誓式/本部棟 2 階会議室 1(編入学者 5 名) 5 【寄稿】 北 斗 会会報 6 能 管 古府 伸也 (元教学課) 金沢医科大学を退職して、早いもので 10 年が 過ぎました。10 年ひと昔と申しますが、その間、 南砺市にある「ふくの若葉病院」で事務長を経験 し、今年の 4 月からは、金沢市の観法寺にあり ます桜ヶ丘病院で事務長をしております。 能管 ひと昔の間、いろいろのことがありました。 両親の他界、古民家再生、…などなど、その中 でも一番といえるのは、 「ふくの若葉病院」とい う素晴らしい病院、そしてそこで働く素晴らし い仲間たちに出会えたことです。 それらのことは、いずれ機会がありましたら またご報告したいと思いますが、今回は、 「能管」 囃方 についてです。 なぜ能管か…?と思われるでしょうが、つま らし、一瞬であたりの空気を張りつめさせたり りは私の趣味です。その能管との出会いが、な します。この甲高い音色は、能管の内部に「のど んというか、いろいろありまして…!? まず、能管をご存じない方のために、能管に ついてご説明します。 (喉) 」という細工を施し、わざわざ音程をずらす ことによって生み出されます。この極めて甲高 い「ピィー」という音色を「ひしぎ」といいます。 能管は、「能」で使う横笛のことです。横笛で 「のど」は、共鳴モードの成立を妨げ、西洋にお は、祭囃子などで一般的に使用される「篠笛」が ける平均律はもとより、日本の各種音階とも異 有名ですが、雅楽で使用される「龍笛」とこの「能 なる独特の音階となり、また一管ごとに音律が 管」は、あまり知られていないように思います。 違うため合奏に向かない楽器だと もいわれてい しかし能管は能だけではなく歌舞伎、寄席囃子 ます。能楽では、小鼓、大鼓、太鼓の打楽器と、 や祇園囃子にも使用されており、音はわりと身 唯一の旋律楽器である能管によって奏でられま 近で聞かれているのです。外見は「龍笛」とほぼ す。 同じなのでが、音色に特徴があります。よく舞 この珍しい笛との出会いがどうしてあったの 台などで「お化け」が出てくるシーンに、 「ヒュ か…と言えば、巡り会わせというか、ご縁とい ∼ドロドロ」という効果音が使われますが、そ うか、ここからが本編となります。 の「ヒュ∼」の部分が「能管」なのです。 「能楽」で は最後のところで「ピィー」という甲高い音を鳴 いまから遡ること数年前…「ふくの若葉病院」 の病院長であった角家先生からの「古府、頼みが 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 ある。」という依頼に始まります。その依頼とい 7 を申し上げます。 うのは、オーケストラ・アンサンブル金沢の主 さて、話を能管に 席チェリスト「ルドヴィート・カンタ」氏の、 「来 戻 し ま す。 昨 年 の 6 日 20 周年記念コンサートを県立音楽堂のコン 月、 「カンタさんを囲 サートホールでやりたい、ついては手伝ってほ む 会 」で、 カ ン タ さ しい。」という内容だったのです。県立音楽堂の んと能楽とのコラボ コンサートホールは 1 階席から 3 階席まで 1,560 レーションによるサ 席あり、このホールを埋めるのは至難です。な ロンコンサートを企 ぜに角家先生がそんな無謀なことをやりたいと 画し、県立能楽堂で 言い出したのか、それはそこから更に遡ること 開催した際に、後に 数年前、カンタさんの後援会である「カンタさん 私の能管の師匠となる方との出会いがあったの を囲む会」の会長に角家先生が就任しており、来 です。出会いが出会いを生む、人と人との繋が 日 20 周年を迎えるにあたって、カンタさんが県 りはまことに奇遇です。ご縁はどこに潜んでい 立音楽堂のコンサートホールで記念リサイタル るのか判らないものです。 コンサートポスター をやりたいとの強い願いがあることを知り、是 もともと私は「龍笛」がやりたくて、教えてい 非実現してあげたいと思い立ったからなのです。 ただける先生を長年探し求めていたのですが、 「手伝ってほしい。」という角家先生のたっての熱 なかなかいい出会いがなく、ひょんなことから き願いを無下にもできない私は、その無謀とも 「能管」と出会った…!というわけで、 「龍笛」に いえる企てに有無を言わさず引きずり込まれま ご縁はなく「能管」にご縁があったということに した。 なります。 しかしながら、そこからカンタさんや会の仲 間たちとの新しい出会いが始まり、会で毎年企 画するリサイタルやサロンコンサートを手伝い さあ、それから月 3 回のお稽古の始まりです。 能管には通常の音階を示すような楽譜はなく、 「唱歌(しょうが)」を暗記し歌うことによって旋 ながら、「来日 20 周年記念コンサート」の準備を 律を覚えます。唱歌とは一定の規則に従って、 行うという類い稀な機会を与えていただけたと 楽器が演奏する旋律を、奏法の情報も含めて、 いうわけです。 声に出して歌うための体系的手法だそうで、そ この「来日 20 周年記念コンサート」は、今年の 6 月 26 日(日)「夢の協奏曲公演 ボヘミアの魂」 の歴史は雅楽で始まり、能や長唄でも用いられ るようになったということです。 として、指揮井上道義氏、共演オーケストラ・ア 私の場合は、この「唱歌」を暗記するというよ ンサンブル金沢というベストマッチングによっ り唱歌を記述した譜面をにらみながら能管を吹 て開催され、音楽堂コンサートホールを 1,400 人 くことから始まりました。最初に取り組んだの の聴衆で埋め尽くすという大成功に終わらせる が「破の舞」でした。 「破の舞」は「序の舞」や「中 ことができたのですが、そこには金沢医科大学 の舞」の後に入れるような短い舞で、能管の楽曲 の多大なるご協力があったことをここにご報告 としては最もポピュラーであり、基本となるも し、この場をお借りいたしまして、皆様に御礼 のです。能管は、篠笛と違って最初はなかなか 【寄稿】 北 斗 会会報 8 まともな音が出ませんでした。 「ピィー」という 発表できるようなレベルにほど遠く、完全マス 「ひしぎ」はわりと簡単に出るようになったので ターしていない私は、猛練習が課せられ、新し すが、全体の音を安定して出すという点ではか い病院の慣れない仕事と、そこまで迫ってきて なり難しい「笛」です。それでもなんとか 「破の舞」 いるカンタさんの「ボヘミアの魂」と並行して閉 をかたちばかりに吹けるようになり、次に取り 口しました…ハハハ(汗) 。 組んだのが「中の舞」でした。 「中の舞」は「破の そして発表会の当日、後で聞いた話では、全 舞」の 4 倍の長さがあり、最近とみに記憶力の低 国から集まった偉い先生方のオンパレードだっ 下を実感している私にとっては、唱歌を覚える たようで、そんなこと露ほども知らない私は全 だけでもかなりのものです。そうしてお稽古開 くの無頓着、知らないということは実に恐ろし 始からそろそろ 1 年になろうという今年の 5 月、 いもので、後で考えれば失礼の数々、冷や汗の 師匠からいきなり 7 月の発表会に「破の舞」の連 連続、わけが解からないままに、私の連管の発 管(合奏)で出なさいといわれ、 「え゛ぇ∼」とい 表もあっという間に終わっていました…(汗) 。 う私の切なる訴えも無視され、師匠は出るのが お稽古はまだまだ続きます。 当然とばかりにどんどん話を進めて行きました。 被災馬「ブルーヘイロ」から教えられたこと 山本 博昭 (金沢リハビリテーションアカデミー) 私は 22 年間在職した医科大学を辞めて 14 年に 3 月 11 日の震災は仙台の乗馬クラブ(海側・山 なります。その後、学校法人センチュリーカレッ 側の 2 施設)にも甚大な被害をもたらしました。 ジの創設にかかわって、あっという間の 14 年で 特に海側の被害の大きさは各媒体でも報道され した。医科大学の 22 年も思えばあっという間、 ているので詳細は敢えて書きませんが、この時 あっと+あっとで 61 歳になりました。その齢 61 クレインのトップは直ちに現地への支援を決定 年を重ねた者の近況をお聞きください。 し、14 日に動けるスタッフを援助に向かわせま 17 年前に乗馬を始め、今ではクレインの会員 した。食料や飼葉や医療品、チェーンソーまで の中でベテラン・上級者に位置しています。2、 持たせて、スタッフはその日のうちに現地入り 3 年前から「馬術の領域に一歩踏み込んだ」レベ したそうです。二次被災の心配等で慎重論もで ルになったと自負しています。乗馬クラブのレ るのが当然の時期の即決即断でした。現地のス ベルと馬術の領域との違いは、自身の身体の軸 タッフはどんなにこころ強かったでしょうか。 感覚を認識が出来て初めて…いや、この話は後 私の長男が仙台に赴任しているのですが、何も 日、また機会がありましたら書かせていただく してやれず、何も出来ませんでした。考えさせ ことにして、要は乗馬が上達したんです。 られました。今回の本旨はこの事では無いので 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 す。ここまでは起承転結の「起」の部分です。 9 までこんな馬は見た事がなかったです。外を見 地震から 2 週間後に仙台から 2 頭の被災馬が て動かない、飼葉も食べない、当然ながら痩せ やってきました。「うきうき」と「ブルーヘイロ」 てあばらが浮きでている。4 月 1 日からヘイロと の 2 頭です。この話を聞いた時、私は 2 頭の世話 の係りが始まりました。馬厩から出そうとして をしたいと所長に申し出ました。何故そう思っ も出て来ない。 「引き馬運動」するために苦労し たのか、これも長くなりますから省略。しかし、 て出して、やっと出たと思っても直ぐに立ち止 そこには解決すべき諸問題がありましたが所長 まる。 「歩かない」 、「挙動不審?」 、いままで経 の決断で「調教補佐」という身分で係れることに 験したことの無い馬でした。通常、馬の運動は なりました。ここからが「起→承転…」です。被 騎乗して常歩(なみあし) ・速歩(はやあし) ・駈 災馬「うきうき」と「ブルーヘイロ(以下ヘイロ) 」 歩(かけあし)を順次行います。故障等がある時 ですが、問題は「ヘイロ」でした。皆さんは馬 は、引き馬や調馬索(ちょうばさく)で運動をさ を間近に見たことがありますか。間近に見られ せます。 【調馬索=調馬のために、馬を円形の柵 た方はそれほどいらっしゃらないのではないで (さく)の中に入れ、手綱を持った人が中央に立っ しょうか。表情の無い、表情の乏しい人には出 てその周囲走らすこと。 】ヘイロの場合はそれ以 合った方はいらっしゃると思いますが、最初に 前の問題でした。少しずつ判ってきたことなの 見た「ヘイロ」は馬の表情?が無いのです。これ ですが、仙台で集団放牧されていた時に「いじ 10 北 斗 会会報 め」を受けていたようです。そういえば、首すじ、 【寄稿】 本旨から外れてしまいますので…。 ) 肩口に傷跡が数箇所ありました。 (昨年の 6 月か 起承転結の「結」は突然でした。ヘイロも環境 ら役員常務理事になり時間的に余裕がとれるよ に慣れ通常の運動も出来るようになり、倶楽部 うになりましたので?)出勤前や午後に引き馬、 馬としての業務(レッスン)にも出られるように 散歩、手入れなどのため毎日のように倶楽部に なりました。4 月から 2 ヶ月半ぐらいでしょう 出かけました。 か。ただ、一般の会員さんにとっては「厄介な」 4 月 25 日、ヘイロは、鞍を乗せて騎乗し通常 馬でした。やはり、途中で止まってしまい、レッ の基本運動をしてみようかという状態にまでな スン半ばで退場ってこともしばしばありました。 りました。その第一日目、騎乗して歩いて、さ 自分には乗れても初級者が乗れなくては、クラ て、速歩をと発進合図。う∼ん、発進しません。 ブ馬として居場所がなくなってしまうから何と 足で発進合図を出しても動かないのです。次は かしなくてはと思っていたときに脚を故障(詳細 長鞭を使い(ピシピシ)動かない。エエッー。こ 略)して、9 月 7 日からまた、引き馬、散歩、調 のような状態は初心者のころにはよくありまし 馬索等が始まりました。10 月 13 日に故障の原因 た。馬が騎乗者の技量を見切り我侭で動かない が判明し、指導員と気長に行こうと言っていた のです (本当です)。見かねた指導員が 「ちょっと、 矢先の 10 月 16 日に、突然、せん痛 ( 馬の致命的 替わって」と乗り替わると、その瞬間に馬は「動 疾患)で亡くなりました。 きますモード?」になります。あれから17年、 半月たった今でも、ヘイロとの別れ、喪失感、 動かないなんて論外で、第一歩をどのような雰 ヘイロに教えてもらったこと、全てが消化しき 囲気で出すかを考えられるレベルの自分が発進 れていません。 できない。やっと発進しても直ぐ止まる、何も 本来身についているはずの諸々のこと、駈歩 通用しない。動かないヘイロの鞍上で「悔しい」 発進、脚と常歩、折り返しの使い方、調馬索、 より心底惨めな気分を味わいました。 毛刈り…「馬術の領域に踏み込んだ」レベルと それからの毎日は発進した、止まった、空か 思っていた自負が木っ端微塵になった。今から さず発進合図、やはりダメかの繰り返しでした。 思うに、4 月 1 日にヘイロに係ったときは「馬術 恥も外聞も無く知人に mail しました。倶楽部の 領域」の門前に立っていたのだと思う。これから スタッフにはさすがに聞けなかった。 「動かない 先、踏み込んでいけるのか、門前に立ったまま 馬をどうしたら動かせるか」 、その返事が「最初 なのか。ヘイロにもらったことと自分が与えた は喧嘩になるでしょうね。動きたくない馬に動 こと(世話)のバランスが取れなくて「やじろべ けと言うのですから」 。この mail を見た時、肩の え」に成らないのです。60:40 じゃなく 90:10 力が抜けた。「あのオリンピック選手ですら喧嘩 なんです。 か」、だったら自分なんか 20 分 30 分動かなくて も当たり前か。ここから先は、まぁ良くある展 この半月、自分のこと、仕事のこと、いろい 開で「自信喪失の騎乗者が馬と共に努力?してい ろのことをこの「やじろべえ」に当てはめて考え き、そのうちに馬も…」なので、また、長くなり てみました。仕事の事では、金沢リハビリテー ますから省略します。 (本当は書きたいのですが、 ションアカデミーでのスタッフとの関係は、「仕 北 斗会会報 第 21 号/ 2012.1 11 事の為の仕事ではなく、早く経営感覚をもった 乗馬技術のみならず、物事の「物差しや尺度」の 仕事をしてほしい」と、当然ながら上から目線で 一つまで教えられた気がします。 の対応になってしまう。 「一生懸命やっているが、 還暦を過ぎた者の今更なぁーの近況話でした。 ちょっと遅い」が、遅くなる理 宜しければ、金沢リハビリテーションアカデミー 由もあるのだろうと一考 へお立ち寄りください。犀川河畔の気持ちの良 す る こ と で、 多 少 は い所です。コーヒーでも飲みながら 「やじろべえ」 の話をしませんか。そしてちょっと切ない、後 「やじろべえ」にな 日談でも聞いてください。 るか?ヘイロからは グラウンド・ゴルフもまた楽しい 寺中 信夫 (元総務部) 私は 77 歳で仕事を止めたとき、知人の薦めも あって町会のグラウンド・ゴルフの同好会(場所 は鞍月にあるくらの道 GG 場)に入会しました が、元来、運動神経が他の人と比べあまり自慢 できる方でなかったので、現在まで色々のスポー ツに挑戦してきましたが、これというほどの大 会での成績はなく、健康の維持につなげる程度 でした。 学校の体育の成績も中程度で、これといって 際立つたものはありませんでした。スポーツと いえば大半は見るものと諦め、野球をはじめゴ を置いて、ある一定の距離のスタートマットか ルフ、サッカー、相撲、水泳、バレーボールなど、 ら、第 1 打から転がしてホールポストへ入れる 広範囲にテレビを観戦して楽しんでおりました。 までの最小打数を争うものです。 そんな私でもグラウンド・ゴルフは最初に参加 私は長い間、金沢医科大学や臓器移植推進財 した日からあまり戸惑うこともなく、ついてい 団の業務に携わって、やっと平成 21 年初めから くことが出来ました。4 回目に参加したときには、 1 日を自分の考えたスケジュールに沿って行動出 ホ−ルインワンも出て感激したものです。グラ 来るようになったので、更に健康第一と考える ウンド・ゴルフは学校や公園などで手軽に出来 ようになり、高齢者は「定年」で仕事を辞めるな る競技で、そこにホール(穴)でなく、鉄のパイ どして、社会的な役割を失ったり、老化によっ プで作った直径 36 cmのリング(ホールポスト) て精神的、肉体的に弱くなったりすると社会や 12 北 斗 会会報 【寄稿】 家庭で孤立して、自立した生活が出来なくなる グラウンド・ゴルフに熱中している間に、こ ことがあると聞いていました。閉じこもりにな の競技は何時、何処で誕生したかを調べてみた ると本人の積極的な生活への意欲は更に減退す ら、鳥取県東伯郡にある小さな泊村(現在は湯梨 るそうで、他人との交わりが少なくならないよ 濱町)では高齢化が進み健康づくりを重要な課題 うに若者も年老いた人も生活環境と生活の活性 としていたらしいのです。 化がどうしても必要で、生き甲斐を感じる趣味 そこで何か高齢者にふさわしい新たなスポー や楽しみのある人間らしい生活をなんとかして ツはないかと、生涯スポ−ツ活動推進事業のな これからも続けていきたいと思い、このグラウ かで泊村教育委員会において、昭和 57 年にグラ ンド・ゴルフに積極的に参加するようになりま ウンド・ゴルフが考案されたといわれておりま した。 す。 グラウンド・ゴルフは日本で開発されたスポー なぜグラウンド・ゴルフと名付けられたかと ツと聞いており、退職後に何かを始めてみよう いえば、ゴルフ場へ行かなくても地域に密着し という人には、このグラウンド・ゴルフは最適 ている学校の校庭(グラウンド)で出来るスポー だと思います。私達の同好会では会員の年齢が ツをイメージし、何時でもどこでも出来るスポー 六十代から八十代半ばまでの方がおられますが、 ツを目指したからだそうです。また発祥の地が その内 60 から 70%が女性の方が占めており、特 泊村であることを後世に残すために、ホールポ に体力が必要というわけでもないので、ハンディ ストの中にボ−ルが静止した状態を「トマリ」と なしで男女一緒にプレーしても女性の方が優勝 言います。 することがよくあります。このグラウンド・ゴ このスポーツは以後急速に全国各地に広まり、 ルフは年齢上位の方の健康維持のためのスポー 今日までは日本グラウンド・ゴルフ協会の会員 ツとして最適だと思うようになり、若い人や働 だけでも 19 万人を超えるまでになっているとの きざかりの人には少し物足りないかもしれませ ことで、それを年齢別にみても男女とも 60 歳以 んが、60 歳を過ぎて何もスポ−ツをしていない 上の方が 95%を占めているそうです。 人には勧めたいスポーツで、散歩や体操は単調 グラウンド・ゴルフのイメージやルール等は でなかなか長続きしないといわれておりますが、 簡単なために、プレーに参加すれば、その日か グラウンド・ゴルフは仲間と楽しく競技をしな ら誰でもすぐに取り組むことが出来ます。初心 がら 2,500 歩ぐらい歩き、時にはホールインワン 者であっても時にはホールインワンになったり の喜びを味わい、時には難しいところへいって して楽しいものです。 頭を使い、時にはスコアを競って競争心を刺激 しプレーを工夫する意欲もわいてきます。 私はカレンダーの予定欄に「GG」と書いてあ る日は、冬の風が少々冷たい日でも、また夏の またグラウンド・ゴルフの特性を知り、その 基礎的な技術を努力して体得すれば、成績が上 がり、時には優勝することもできて一層楽しく なります。 暑い日でもコタツやクーラーの世話になるより 金沢医科大学を定年退職し、第 2、第 3 の人生 はと、同好会の方から誘いがあれば出来る限り を歩むとしても、元手となるのは健康であるこ 出かけることにしています。 とだと思います。私は平成 17 年に胃癌の手術を 北 斗会会報 第 21 号/ 2012.1 受け、一時は体力的に限界かと随分悩んだもの 13 そこで、この発想を転換することにしたら、 ですが、「昔はよかった」と口にするようになっ つまり「昔はあんなにおもしろかったのに、今は たら老化現象のはじまりだとよく耳にしますが、 こんなにつまらない」と考えるのでなく、 「何時 たしかに過去のことばかり振り返って、未来の も昔はあんなにおもしろかったから、今やって ことを前向きに考えようとしなかったら、精神 もおもしろいはずだ」と考える方向に一寸変えて の若々しさは確実に失われていくと思います。 みることにしたら、少しでもより人生を楽しく 「昔はよかった」式の発想は現在に不満があると 素晴らしいものであるように頑張る意欲が湧い てくるような気がする今日この頃です。 いう現れか、とも思われます。 いにしえの血脈 土田 壮一 (図書館事務課) 暑さ寒さも彼岸まで。今年も連日猛暑が続き しさを持っています。死人花、墓花、幽霊花等 ました。年々ひどくなるよう感じるのは、地球 の異名が物語るごとく、マイナスイメージを持 温暖化のせいでしょうか、はたまた体温調節が たれる方もありますが、魅惑的な花です。 きかなくなった年齢のせいでしょうか。この暑 い日々が延々と続くのかと思いきや、不思議と この時期になると咲くのが、彼岸花です。 ヒガンバナの学名は、リコリスです(Lycoris 写真が趣味なので、この時期の被写体として、 「煙る雨の中で、群生して咲く彼岸花」が、狙う シーンとしてあります。毎年、能登は穴水の明 泉寺に出かけるのですが、なかなか出会えない radiate)。最近では、この洒落た名が、いけばな のが現状です。明泉寺境内は、五輪塔、宝篋印塔、 の花材名にもなっています。Lycoris は、マルク 板碑などの石造物が点在し、そのはざまに彼岸 ス・アントニウスの妻の名からとったとも、ギ 花が静かに咲く様は、ここだけが中世のまま時 リシア神話の海の女神リュコリスにちなむとも 間が止まっているかのようです。境内からすこ 言われています。歳時記では、曼珠沙華(曼殊沙 し離れては、鎌倉屋敷と称される五輪塔群があっ 華)が通り名です。まんじゅしゃげ(まんじゅさ て、中央の大きな宝篋印塔は、源頼朝の墓と伝 げ)は、サンスクリット語のマンジューシャカに えられています。エェ ! そんなバカな ! 頼朝は鎌 由来します。天上に咲く赤い花で、見る者の心 倉で馬から落ちて死んだはずでは?なんでこん を和らげると言われています。ありがたいお経 なところに☆△□ × ?というのが能登のおもし の「摩訶 曼陀羅華 曼殊沙華」のあの曼殊沙華 ろいところです。気になって、沿岸の地図をみ です。 ると、カブト(甲) 、フルキミ(古君) 、ショウイ 赤い彼岸花。北原白秋の詩を引用するまでも ン(正院)といった、いかにもいわくありげな地 なく、ファンタジックを通り越した、鋭いあや 名が点在しています。まぁ、どちらにせよ、中 14 【寄稿】 北 斗 会会報 世のものであることに変わりはありません。 日本の彼岸花は、結実しては増えないそうで ていて、雅楽に通じるテンポではないかと、は たと気がつきました。 す。中国では種のできるものがあり、中国原産 行列が到着すると、猿田彦は、持っているメ と言われています。人里近辺にしかないことか ン棒で、神社の拝殿の階(きざはし)をバンバン らも、おそらく、記憶のはるか以前に、大陸か と叩きます。その後、枠旗と神輿が掛け声と共 ら人と共に渡来してきたのでしょう。 に勢いよく拝殿へ駆け込みます。神社の屋根が 七尾から明泉寺に至る途中の中島では、この 壊れるんじゃないかとハラハラものです。これ 彼岸の時期(9 月 20 日)に、奇祭「おくまかぶと」 を三度繰り返した後、社殿を三度廻ります。こ (熊甲二十日祭の枠旗行事/国の重要無形民俗文 れが各地区毎に順番に繰り返されます。すべて 化財) が行われます。こちらは被写体というより、 の地区の参集が終わると、奉幣式が行われます。 祭りそのものを楽しむべきでしょう。猿田彦に 鉦と太鼓がすべて打ち鳴らされる中、猿田彦た 先導されて、各地区の神社から、枠旗や神輿の ちの乱舞があり、感動ものです。 行列が、鉦と太鼓を鳴らしながら、久麻加夫都 この後、昼食となり、午後からは、皆さん今 阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社に 度は、神社からすこし離れたお旅所へ移動しま 次々と参集します。 す。お旅所では、枠旗を地面ギリギリまで倒し、 お熊甲の太鼓を聞けば足がヒョイヒョイして 体重をかけてロープでささえるパフォーマンス ならぬ。耳について離れない鉦と太鼓のリズム (島田くずし)が行われ、見物です。お旅所の加 がなんとも言えない。鉦と太鼓に合わせ、ユー 茂原は、神様が「瀬嵐の浜から熊木川を遡って加 モラスに踊る猿田彦の踊りがなんとも言えない。 茂原にこられた」という言い伝えのある因縁の地 見物人が見ていようがいまいが、ひたむきに踊 です。加茂原近辺が、神社の旧社地であったと るその朴訥さが好ましい。この猿田彦の踊りの いう言い伝えもあります。熊木川を遡るといえ 緩急のテンポはなんだろうと思っていましたが、 ば、瀬嵐地区の一行は、丸木舟に枠旗を載せて、 先日、 「能登中島枠旗祭の里 祭り会館」を見学し 熊木川を遡って上陸した後、久麻加夫都阿良加 志比古神社へ到着するそうです。鉦 と太鼓を打ち鳴らし、猿田彦が舳先 に立って進む船。これは、単なる交 通手段のはなしなのか。それともな にかを象徴しているのか。 早朝から、ぼんやり祭りを眺めて いると、いったいこのひとたちは、 いつからこんなことを繰り返してい るんだろうと考えさせられます。久 麻加夫都阿良加志比古神社の祭神 は、久麻加夫都阿良加志比古神と都 古里の徴(しるし) 奴加阿良斯止(つぬがあらしと)神で 北 斗会会報 第 21 号/ 2012.1 15 す。日本書紀には、崇神天皇のとき、 加羅国王の子都奴我阿羅斯等(つぬ があらしと)が笥飯浦(けびうら/敦 賀港)に上陸したという記事があり ます。さて、これをどう考えるか。 クマ(久麻)はコマ(高麗) 、すなわ ち高句麗。クマキ(熊木)は高麗来。 アラ(阿良)は朝鮮南部の安羅国。と 考える人もいます。加茂原のカモと いう地名も意味深です。神話や伝説 は、荒唐無稽と断定してはいけませ ひょうげなぁ ん。文字が無かった時代、文字を知 らなかったら、メディアは、口伝や、 す。伝言ゲームではありませんが、長い年月を 身振り手振りや、音などに頼らざるを得ません 重ねるうちに、はなしは輻輳しています。まぁ、 から、伝承の中には、真実が隠されていると思 祭りの形態などからも、由来は、朝鮮半島と推 います。ただし、学問的な判断は慎重でなくて 察されます。おそらく気の遠くなるような時の はいけません。人の動き、文化の伝播は、一度 彼方から引き継がれてきたのでしょう。 とは限りませんし、文化の変遷は、長期にわた 毎年同じ日に執り行われる奇祭と、そのはじ るものです。ある日ある事件を境に、突然、縄 まりを告げるがごとく咲く彼岸花とに、能登に伝 文時代から弥生時代に変わるわけではないので わるいにしえの血脈を感じずにはいられません。 絵画を通して考えること 高山 静子 (陽だまりルーム相談員) はじめに 現するためでもある。実際始めたら絵だけでな 定年退職を機に、今後否応なく訪れる老いと く日常生活に関連した学びが多く、今ではこの 介護予防の一つとして選んだのが絵画で、初歩 奥深い絵の世界について生涯学んで行きたいと から学びはじめてはや 4 年目になった。もとも 考えている。 と描くことが好きで若い頃に油絵を我流ではじ 作品について め、一時カルチャーセンターで習ったが、仕事 現在は、油絵の F30 号(0 号:180×140mm)か と家事の傍らで絵筆を持つのは年に数回しかな ら 60 号に挑戦している。色々なモチーフをデッ く、一生に一回は大作を描きたいという夢を実 サンしてきたが、最近は人間を対象にする絵に 16 北 斗 会会報 【寄稿】 辿りついた。長年人とかかわる仕事をしてきた 買い物や散策、ティータイムを楽しむなどゆっ ためか、描いた人物を介して人の気持ちを表現 たりと時間が流れる場所である。この少女とは したいと思うようになった。絵そのものが描い 別に、大木の幹周辺でも楽団が演奏していて自 た人間の気持ちを現し、見た人がそれを受け取っ 然と人と音楽が一体になっていることに感動し てどのように感じるかだが、自分の主観をい た。描いた絵を観て、近くに賽銭箱がなかった かに客観的に伝えられるか表現方法をいろいろ のかと確認されたときは、絵や音楽に対する価 探っていきたい。 値観が個人によって違うことを今更ながら再認 ここに選んだのは最近描いた作品(1) 「ありが とう」 、 (2)「青のシンフォニ」 、 (3) 「いきる」 、 (4) 「奏でる」 、(5)「つくる」である。 識させられた。 (5) 「つくる」は、ゆずのシフォンケーキを作 る娘を三方向から時間軸で表してみた。夏は涼 (1)「ありがとう」はカーネーション の裏から見た茎の力強さと花びらへ流 れる曲線や花弁の色との対比が美しく 感じたので描いた。昨年初めて公募展 に出品したが、好きな絵が描けること への感謝と今までお世話になったすべ ての方々への思いを題名にした。 (2)「青のシンフォニ」は初の抽象 画に挑んだ作品である。窓辺にあるギ ターの具象的作品を前にして、何を残 し削るか、絵と対話しながら決めてい き、青が醸し出す静かでクールな中に、 赤や緑、淡い暖色系の色で暖かさ 作品(1)ありがとう(F30 油彩:910×727mm) や音の流れる様を現してみた。 (3)「いきる」は群生したホトトギス の葉が日光を浴びて空に向かっている 様子を下から見上げて描いた。自然界 に生きる動植物の命を通じて私たちの 生活が成り立っていることを考えさせ られた時に描いたものである。 (4)「奏でる」はアメリカ・カリフォ ルニア州のデービスセントラルパーク でバイオリンを演奏していた少女を描 いた。そこでは、週 2 回ファーマーズ マーケットが開かれていて多くの人が 作品(2)青のシンフォニ(F30 油彩) 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 17 しいが寒さ厳しい里山の冬、四季の変化ととも 作責任なども考えて怯む気持ちも起るが、心身 に心暖かく生活する人たちの営みを表現してみ のバロメーターとして生涯絵を描きたいと考え た。この作品は「石川県アマチュア美術展」に出 る今日この頃である。 展して昨年の「ありがとう」同様に「北國賞」を受 賞した。 絵画を通じて最近考えること 以前は絵画の美に逃避してストレスから解放 されると考えていた。事実絵を描いている間は すべて忘れて没頭し、いつの間にか気分転換が できてきた。しかし、最近仲間と絵を介して意 見交換していると、描いている自分は長年職業 を持った主婦・母親業の生活が染みついており、 実は絵の世界でそれらを映し出していると気づ かされた。なぜなら同じものを見て 10 人が描い てもその人が見たまま、感じたままに表現した ものは 10 通りでき、同じものは生まれないので ある。他人の絵と比較して自分の個性に気付か されることが多く、絵を描くことは自分探しだ ともいえる。作者の生活環境や価値判断が関与 作品(3)いきる(F30 油彩) することを認識したいまは、気恥ずかしさや創 作品(4)奏でる(F30 油彩) 作品(5)つくる(F30) 18 北 斗 会会報 【寄稿】 書と私 清水 由美子 (看護部別館 6 階) 電子カルテの今だったら、書道への道は憧憬 で終わって居たかも知れない。 常々この悪筆が何とかならないだろうかと 思っていた矢先、「あなたの字は何て書いてある のか読めない。」と上司からのきつい一言。看護 記録がペーパだった頃の話。書は自分と無縁な ものだと思い込んでいた青春のひとコマ。 ひょんなことから、今の書道の先生と出合い 「悪筆や癖字だからこそ習うのよ。書き方を知ら ないだけ。今からでも充分矯正できます。 」と背 中を押され 40 歳を過ぎた頃から、書道を始めた。 夢は汚い癖字から美しい字、欲を言えば流れる ように書きたいと、やりだしたからには夢は果 てしない。 金沢医科大学でも書道サークルがあり、文化 祭には美しい書が並ぶ。書の世界に入るとそれ まで知らなかった筆使いがあることを知った。 例えば、一という字の中に隠されている筆使い があり、線の潤いや擦れなどが微妙に作品に影 響を与える。それだけではなく墨の濃淡や筆の スピードもそうである。所属する彩霞社の中田 飛泉先生は、書は天候に左右され、日によって 紙を選択するとも言われた。おそらく湿度が関 係するのではないかと私は思っている。この世 界に入り多くの先輩諸兄の作品を見ると、その 素晴らしさに圧倒される。書いた作品の書評と 指導を待つ時間、独特の張りつめた緊張感と静 寂に包まれる。この雰囲気には圧倒されるが決 して嫌いではない。教室では、私はまだまだ若 者と呼ばれる。 今年の現代美術展でのこと、県の重鎮と言わ 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 19 れる先生が御自分で書かれた書の解説を行った。 点で繋がっている独特の世界である。しかも、 何と 90 歳という御高齢であった。解説も充分納 かなりのご高齢の方が活き活きと作品に対する 得出来る内容であったが、特に感銘を受けたの 熱い情熱を持って精進されている。この若さと は、その先生が決して御自身の作品に満足せず、 気合、ユーモアとやさしさ・意欲的でエネルギッ 次の作品に意欲的であったことだった。書の世 シュな姿勢はどこから来るのだろうか。足元に 界は年齢や背景も様々な老若男女が書という一 も及ばないが刺激を受け、敬愛の念に駆られる。 『娘たちへ』 岡本 和子 (看護部) 私が助産師を目指してからあっという間に 10 年 が過ぎました。今、私は助産師として働いていま す。 「おなかの赤ちゃん大丈夫ですか」 「おなか大 きくなってきました」 「痛―い、 もう限界!まだ(お 産) かかりますか」 「元気に生まれてよかった」 「おっ ぱい出るようになるかな」等、日々の患者様の一 言一言に“母の愛”や“母親になる喜びや戸惑い”を 感じる毎日です。 私には 9 歳になる娘と、5 歳の娘がいます。 “忙 しい”ということを理由にしたくはないですが、 なかなか娘たちとゆっくり過ごすことができず、 変化していくか予想もつきませんが、これからい 寂しい思いをさせているのだろうなと思うと、 少々 ろんな人と出会い、たくさんの経験をする中で、 胸が痛みます。それでも、大好きな仕事を一生懸 自分の人生を切り開いていってほしいと日々願っ 命している母親の姿をみて育ってほしいという一 ていますし、母親として全力で支えていきたいと 心で、助産師の道を決意しました。 思います。そんな中、親子三人で助産師…。それ 今、長女媛香の将来の夢は“助産師”だそうです。 “ひめ、助産師さんになる!” 初めてその言葉を聞いた時には、一瞬耳を疑い ましたが、今のところどうやら本気のようです。 も悪くないな…と、甘い夢を見つつ、私は助産師 として精一杯活動していきたいと考えております。 最後に娘たちへ ママのところに生まれてきてくれてありがと そんな長女に刺激されてか、次女の琳香も“りん う!これからも、ずーっとずっとよろしくね。マ も助産師さんになろうかな…”などとつぶやいて マ頑張るからね∼♥ おります。娘たちの将来の夢がこの先どのように 20 北 斗 会会報 【寄稿】 私の大切にしてるもの 太田 洋子 (調理課調理師) 私は結婚してすぐにある雑誌の付録に付いてい たが、その手帳をみていつも気にかけていてくれ た家計簿をつけ始めました。お金の出し入れはや たんだなと思うととても嬉しかったことを今でも や大雑把な部分があるのですが、それに加えて簡 忘れることはありません。それから父親がこつこ 単に家族の一人一人の出来事、子供の行事、冠婚 つと欠かさず書き留めたこの手帳、継続は力なり 葬祭、その他いろいろなちょっとした出来事を書 と言うがこの手帳で改めて実感したのです。そこ き留めています。 で私は結婚して家族を持ったら絶対に書き続けて きっかけは思えば私の父親が手帳に家族のこ 行こうと決意し、今現在も続けています。 と、仕事や行事などをこまめに記入していた姿を 今ではこの家計簿が 23 冊になります。時々昔の 見てきたことにあると思います。そんな父親をみ 家計簿をみて、とくに子供たちの成長を振り返っ て最初はあまり気にとめてなかったのですが、あ て楽しかったころのことを思い出して懐かしく楽 る日机の上にあった父親の手帳を興味本位でのぞ しんでいます。また、行事など参考になることも いてみたのです。仕事の事はもちろん私たち三人 多く重宝しています。私は少し大雑把な性格でこ の兄姉の学校の行事の思い出のことなども簡単な こまで続けられるとは思わなかったのですが、ほ がら書き綴られているのを見つけました。私の中 んとうに簡単に気軽に書き留めてきたことが良 にその手帳から昔の小さい頃の思い出(あの楽し かったみたいです。これからもその気持ちで継続 かったころの思い出や家族旅行、家族と過ごした していきたいと思っています。また、継続は力な かけがえのない時間)がよみがえってきました。 りという事をモットーにこれからも仕事に生かし また、父親はあまり細かいことは言わない人だっ ていきたいと思っています。 愛犬 上田 さやか (栄養部 調理課) 平成 21 年 12 月 我が家に初めて犬が来ました。 たり、書いてある通りのしつけの仕方をしても効 黒の♂のトイ・プードル 名前をライトと名付 き目がなかったりと戸惑うことばかりでした。こ けました。 私たち家族は犬の本を片手にご飯を与えたり、 んなにも生き物を飼うのが大変だとは思いません でした。同時に喜びもありました。芸ができるよ しつけをしたりしていきましたが、なかなかうま うになったり、毎日毎日玄関まで走ってお出迎え くいきませんでした。ご飯をあげても食べなかっ してくれるライトが愛おしくてたまりません。 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 この 2 年いっしょに暮してきて、ペットを飼っ ているという考えではなく、ライトも我が家の一 21 けれどそれまではずっとそばで元気でいてほしい と思います。 員で、なくてはならない存在です。 いつか私よりきっとさきに逝ってしまうと思う 新入職員に聞きました この一年を振り返って 臨床工学技士として働きはじめてから 1 年が経 な医療機器があり、麻酔器をはじめ、電気メス、 とうとしています。学生時代より憧れていた体外 手術台などの点検、トラブル対処を行っています。 循環(人工心肺)業務に携わることができ、卓上の 医療機器のトラブルは患者様の生命に直結してく 勉強だけでは学べないことがたくさんあると感じ るため、機器の保守・点検を行うことの責任の重 ました。それは、患者様の病態生理は様々であり、 さを日々痛感しています。 同じ症例は 1 つもないということです。そのため、 臨床工学技士の業務は幅広く身につけることも 人工心肺の運転操作方法も症例に応じた手技があ 多いため、少しでも諸先輩方に追いつけるよう、 り、その運転操作をおこなっている諸先輩方を見 自己研磨に励み精進していきたいと思います。 て、臨床現場でしか学べない技術、知識がたくさ んあると感じました。また、中央手術部には様々 村山 嘉史(医療技術部医療機器管理部門) 22 北 斗 会会報 【寄稿】 6 ヶ月後の自分 私が金沢医科大学病院に就職してから早 6 ヶ月 (先輩方には「これだけ指導してそれだけか!」と が過ぎようとしています。時が経つのは早いとい 怒られてしまうか、もしくは「1 にもなっていない いますが、こんなにも早く時が過ぎるものとは 6 ヶ よ」とつっこまれてしまいそうですが…笑) 月前の私は想像すらしていませんでした。そして、 とにかく最初にも書いたように 6 ヶ月間がこん こんなにも濃密な時間になるとも思ってもいませ なにも早く過ぎ去っていくとは思ってもいなく、 んでした。 今回のこの会報を書かせてもらう機会がなかった 4 月、新社会人として臨床の現場に出ることと ら、4 月のあの頃を 1 人思い出し、情けなかったと なり、私は希望通り手術室の配属となりました。 恥ずかしむこともなかったでしょう。しかし、こ 手術室では文字通り手術が行われるわけでありま の 6 ヶ月間を振り返ることによって自分の成長を すが、看護学生時代には手術室での実習はなく仕 確認することもでき、とてもいい機会になりまし 事内容なども最初は一切わかりませんでした。つ た。 まり、本当に 0 からのスタートでした。 まだまだできないことも多く、先輩方の足を 最初の頃は覚えることの多さに驚愕し続ける毎 引っ張ってばかりの存在ではありますが、これか 日で、手術についていくこともやっとのような状 らの 6 ヶ月間も 1 つ 1 つできることを増やしてい 態でした。その為、先輩方・ドクターの先生方に き、1 年経過した時にも笑顔で仕事に取り組み、 は迷惑ばかりかけてしまいました。しかし、その 少しでも先輩方に近付けるよう日々精進していき 都度指導をしていただいたおかげで今では、1 人 たいと思います。 でつくことのできる手術も増え、急患で入った手 丸山 喜広(看護部) 術にも対応できるようにもなりました。0 から 1 く らいの存在にはなれたのではないかと思います。 事務職員の業務をさせて頂いて 金沢医科大学へ入職してはや 6 ヶ月が過ぎ、 私は今、大学の教学課という部署の学生係の 課内で行われている業務について少し把握でき 仕事をさせて頂いています。学生係では、学生 てきたように感じますが、まだまだ毎日が新し がより良い大学生活を送り、卒業後の目標に到 い発見の連続です。色々なことを教えてくださ 達できるよう、学生の福利厚生や課外活動、奨 る先輩方の指示の裏に隠されたメッセージを感 学金等に関する支援をさせて頂いています。ま じることの難しさ、先輩方の全体の構造を把握 た、入学宣誓式や、1 年生の宿泊研修、父母面談、 し総合的な決断を下せる判断力を間近で学ばせ 内灘祭など今まで様々な行事を経験させて頂き て頂き、毎日がとても充実しています。 ました。学生係の仕事で大学の行事に参加させ 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 23 て頂いて感じたことが、自分が学生 時代に当たり前のようにされていた ことが逆の立場になってみてすごく 大変なこと、自分の見えないところ でたくさんの人達が自分達のことを 思って一生懸命働いてくれていたと いうことです。自分が学生時代には 気づかなかったことが多くあり、今 たくさんのことを学ばせてもらって います。私が金沢医科大学へ入職し て、特に印象に残っている行事が内 大学正門前にて 灘祭です。内灘祭は今年で第 40 回と なり、10 月 1 日(土) ・2 日(日)の 2 日間開催され いたいと思いました。 ました。今年度の内灘祭は「和∼ココロツナガル これから金沢医科大学で業務をさせてもらう ∼」というテーマで、3 月に起こった東日本大震 中で、まだまだ知識や経験が足りず失敗も多く 災において震災にあわれた方々や日本に住む私 してしまうと思います。しかし、多くのことを たちがこれからどのような姿勢で生活していか 経験させていただくことを今後に生かし、周囲 なければならないかを考えて、ひとつになろう の人が喜んでくれることに精一杯打ち込んでい という思いが込められ、そういう気持ちを持っ きたいです。業務を行う上で分からないのであ て皆が内灘祭に取り組み、学生はもちろん職員 れば分からないで誰かに尋ねるなど積極的に行 をはじめ、地元の方々など多くの方が来られ、 動し、失敗をしてしまったとしても、次にどう とても充実した行事になったと思います。また、 すれば良いのか、何が出来るのか、どのように 内灘祭では普段窓口で接する学生の違う一面を 生かせるかを模索し、いずれは先輩方のように 見ることができ、学生の行事に取り組む真摯な 全体の構造を把握し総合的な判断を下せる1人 姿勢、行事を通して成長していく姿を見て、自 前の事務職員になれるよう精一杯励んでいきた 分がこれから少しでも周りの人の役に立てるよ いと思います。 う、今この仕事をさせていただいていることに 感謝して自分の出来ることを精一杯させてもら 山本 拓也(教学課) 【寄稿】 北 斗 会会報 24 会員からの写真展 題名 「留学生金沢の休日」 ロシア人 18 才 国士舘大学 中国人 23 才 早稲田大学 平成 23 年 8 月 21 日(日) 兼六園 日本最古の噴水の前で 平成 23 年 8 月 22 日(月) 金沢ひがし廊 志摩 前座敷にて 撮影者 中農 理博 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 25 会員からの写真展 題名 「内灘の富士」 撮影者 寺井 明夫 2011.8.9(火)昼ごろ、医科大の渡り廊下から東南東の空(医王山の方向)を見ると雄大 な富士山が見えました。これは「雲の悪戯」ですが、若しこの土地に 3,776 mの山が存在し たとしたら、こんなイメージになるんだろうなと思い、暫くみとれてしまいました。 【寄稿】 北 斗 会会報 26 会員からの写真展 題名 「容姿艶麗」 撮影者 土田 壮一 題名 「浄光彩来」 題名 「シグナル」 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 27 会員からの写真展 題名 「微視的風景」 撮影者 酒井 博史 【寄稿】 北 斗 会会報 28 会員からの写真展 題名 「大学の朝」 撮影者 坂尾 光一 「ミノカサゴ」 題名 「アカウミガメ」 題名 題名 「仲良し」 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 29 叙勲・表彰 瑞宝単光章を受賞して 高山 静子 (陽だまりルーム相談員) 好奇心と怖いもの知らずに突っ走ったこともあっ たが、周囲の関係各位による暖かいご支援ご指導 のおかげでここまで来ることができたと改めて感 謝申し上げる次第である。特に、就職当時に(昭 和 50 年∼ 54 年)配属された泌尿器科や腎臓内科 で腎移植や透析に関わらせていただいたこと、整 形外科では 100 床の看護管理と、当時手さぐりで 始めた訪問看護に片道 2 時間かかる地域へ出かけ たこと、全科対象の 13 階特別室では個室看護にお ける患者さん中心の看護を探求したことなどが思 い出される。その間、カウンセリングや緩和ケア 平成 23 年 11 月 3 日に秋の叙勲受章者が発表され (当時はターミナルケアと称す)及び関連する音楽 た。全国では 4079 人、厚生労働省関係は 462 人、 療法を学び少しでも仕事に反映できるよう努めた。 県内からは 51 人と報道されたが、はからずもその 当時は難しさに悩み、仕事量に対して一日の時間 叙勲で身に余る瑞宝単光章を受章した。 が足りないと感じたこともあったが、今はチーム 9 月末に石川県厚生部、厚生労働省、内閣府か ワークの達成感や喜びが蘇ってくる。また看護職 らの相次ぐ内定通知を受けて 1 か月余り経過して ゆえに出会うことができた方々から教えていただ 公表されたのであるが、現実を受け止めるまでに いたことも多く忘れられない宝物である。 は時間がかかった。11 月 4 日県庁で伝達式、11 月 約 28 年間勤務した金沢医科大学病院から異動し 15 日に厚生労働省式典、皇居「豊明殿」においての た国民健康保険志雄病院では、従前の学びを基に 拝謁式に臨み、その間にも沢山のお祝いやねぎら して地域医療に関わり、ここでもよいチームワー いの言葉をかけていただき、少しずつ実感が湧き クで仕事をさせていただいた。8 年間の短期間で 同時に重責を感じている次第である。 はあったが地域や職種を越えた連携・ご支援を賜 看護師として最も長く務めた金沢医科大学病院 時代を振り返ってみれば、先輩諸氏からご指導い り感謝している。 今後も、人との出会い、御縁を大切にして看護 叙勲・表彰 ただいたことや共に頑張った仲間の顔、数々の思 職で学んだことを地域の方々に僅かでもお役にた い出が走馬灯のように浮かんでくる。若さゆえに てるよう努力していきたいと思っている。 北 斗 会会報 30 【会務報告】 会 務 報告 平成 22 年度 金沢医科大学北斗会幹事会議事録 1. 日 時 平成 23 年 9 月 14 日(水) 13 時∼ 13 時 30 分 2. 場 所 金沢医科大学 基礎棟 2 階 会議室 3. 出席者 役 員…水株正紀 、飛田 明、高山静子、大田 修、河崎信夫、辻口徹子、 中川明彦、高田昌美、才田悦子、小平俊行、木村晴夫、酒井博史 監事、大野木辰也、松井道子 事務局…石田豊司、堀 愉、山本健司、岩本美香代 4. 記 録 議 案 (1)平成 22 年度事業報告及び収支決算報告について (2)平成 23 年度事業計画(案)及び収支予算(案)について (3)役員改選について (4)その他 平成 22 年度 金沢医科大学北斗会代議員会議事録 1. 日 時 平成 23 年 9 月 28 日(水) 13 時∼ 13 時 50 分 2. 場 所 金沢医科大学 基礎棟 3 階 D31 会議室 3. 出席者 代議員 43 名 4. 記 録 議 案 (1)平成 22 年度事業報告及び収支決算報告について (2)平成 23 年度事業計画(案)及び収支予算(案)について (3)役員改選について (4)その他 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 31 決算・予算〈報告〉 ◆平成 22 年度 収支計算書◆ 自 平成 22 年 4 月 1 日〜至 平成 23 年 3 月 31 日 ( 単位:円) 収 入 の 部 科 目 会費収入 予 算 2,610,000 決 算 備 考 2,651,800 年会費 1,800 円 ×1,329 名 (現職員) 年会費 1,800 円 ×42 名(前職員)他 1 名 終身会費 18,000 円 ×10 名 懇親懇談会費収入 300,000 預金等運用収入 342,000 1,314 雑収入 5,000 50,000 328,242 328,242 3,243,242 3,373,356 懇親懇談会費 3,000 円 ×114 名 受取利息 懇親懇談会祝金 特定預金取崩収入 前年度繰越金 収入の部 合計 支 出 の 部 科 目 予 算 備 考 決 算 2,000,000 2,071,573 700,000 836,757 1,300,000 1,234,816 400,000 347,982 50,000 25,000 幹事会・代議員会等の旅費 50,000 49,350 長3・角2封筒 各 1,000 枚 通信費 150,000 145,754 会議、懇親会通知 慶弔費 100,000 73,142 弔電、生花、香典 50,000 54,736 会議費、手数料等 事業費 会報発行・学報郵送 懇親懇談会 事務費 交通費 消耗品費 雑費 前年度未払金 84,007 事業積立金 400,000 400,000 予備費 100,000 0 次年度繰越金 343,242 469,794 3,243,242 3,373,356 支出の部 合計 会報第 20 号の作成、配付 10/26 開催 約 150 名参加 【会務報告】 北 斗 会会報 32 ◆財産目録◆ 平成 23 年 3 月 31 日現在 ( 単位:円) 1,869,794 Ⅰ資産の部 (1)現金預金 469,794 1.福井銀行金沢医科大学病院支店 普通預金 142,154 2.郵便局 郵便振替 327,640 (2)その他資産 1,400,000 1.事業積立金 (福井銀行金沢医科大学病院支店:定期預金) 1,400,000 Ⅱ負債の部 0 Ⅲ正味財産の部(ⅠーⅡ) 1,869,794 ◆平成 23 年度 収支予算◆ 自 平成 23 年 4 月 1 日〜至 平成 24 年 3 月 31 日 収 入 の 部 科 目 会 費 2,610,000 (年会費 1,800×1,350 名) (終身会費 18,000×10 名) 懇親懇談会費等収入 300,000 収 入 2,000 50,000 (懇親懇談会祝金) 前 年 度 繰 事 業 費 懇親懇談会 (懇親懇談会費) 事 (預金利息他) 雑 予 算 科 目 会報発行・学報郵送 (会報第21号の作成配布) (懇親懇談会費 3,000 円 ×100 名) 預 金 等 運 用 収 入 金 469,794 務 費 400,000 交通費 50,000 消耗品費 50,000 通信費 150,000 慶弔費 100,000 事 次 3,431,794 700,000 (事務消耗品他) 50,000 業 積 予 収入の部 合計 2,000,000 1,300,000 雑費 越 (単位:円) 支 出 の 部 予 算 立 備 年 度 繰 越 支出の部 合計 金 400,000 費 100,000 金 531,794 3,431,794 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 平成 23 年 11 月 21 日(月)19 時から、第 13 方からはため息が発せられ、大いに盛り上 回北斗会懇親・懇談会が金沢市内の「金沢都 がった。束の間の 2 時間が過ぎ、各自余韻に ホテル」にて開催された。今回は、139 名の 浸りながら帰途に就いた。 会員が参加し、最初に、奥名洋明会長から開 会の挨拶があり、続いて、竹越 襄理事長、 勝田省吾学長が来賓を代表して挨拶された。 その後、川上重彦病院長の乾杯のご発声で にぎやかに懇親の宴が始まった。 暫し歓談の後、この度の秋の叙勲におい て瑞宝単光章を受章された高山静子さんが 紹介され、飛田 明副会長から北斗会を代 表して花束と記念品が贈られ、会員一同か らも大きな拍手が贈られた。また、今年の 勤続 35 年永年勤続表彰の方々 18 名のうち 15 名の方に水株正紀副会長から記念品が贈呈 され、招待者を代表して施設設備部森 豊 茂部長から謝辞が述べられた。 恒例のお楽しみ抽選会では、飛田 明、 新谷喜美子副会長が抽選箱からカードを引 き、司会者から当選者の氏名が読み上げら れると、当選者からは歓声が、選に漏れた 33 北 斗 会会報 34 【会務報告】 金沢医科大学 北斗会会則 (名称) 第 1 条 本会は、金沢医科大学北斗会と称する。 (目的) 第 2 条 本 会 は、 会 員 相 互 の 親 睦 及 び 会 員 と 学 校 法 人 金 沢 医 科 大 学( 以 下「 大 学 」と い う。 )と の緊密な連繋を深め、大学を支援し、その発展に寄与することを目的とする。 (事務所) 第 3 条 本会の事務所は、大学の事務局内に置く。 (会員) 第 4 条 本会の会員は、次に掲げる者とする。 (1)大学の常勤役員であって、退任した者 (2)大学の現任の役員 (相談役を含み、教育職員であって非常勤役員を兼ねる者を除く。 ) (3)大学の職員(医学部及び研究所の教育職員並びに研究医(員)、医員及び研修医は除く。 以下同じ。)であって、定年退職した者及び 5 年以上勤務し退職した者 (4)大学に在職する職員 (5)その他前 4 号に準ずる者として、幹事会において入会を認められた者 (事業) 第 5 条 本会は、第 2 条の目的を達成するため、次に掲げる事業を行う。 (1)会員名簿及び会報の発行 (2)大学の支援に関する事業 (3)親睦会の開催 (4)その他本会の目的達成に必要な事業 (部会) 第 6 条 本会の会員は、次の部会に所属するものとする。ただし、第 4 条第 1 号及び第 2 号の会員を除く。 (1)看護職部会 看護部に所属する者及び退職時に看護部の所属であった者 (2)技術職部会 技術職である者及び退職時に技術職であった者並びに技術職が主として在 籍する部署に属する者及び退職時に所属していた者 (3)一般職部会 前 2 号以外の職にある者及び退職時に前 2 号以外の職にあった者 (代議員会) 第 7 条 本会に、代議員会を置き、次の事項について審議する。 (1)幹事及び会計監事の選出に関すること。 (2)会則の改廃に関すること。 (3)本会の運営に係る重要事項に関すること。 2. 代議員会は、必要に応じて開催するものとし、会長がこれを招集する。 3. 代議員会の議事は、出席者の過半数をもって決するものとする。 4. 代議員は、次の各号に該当する会員をもって、これに充てる。 (1)第 4 条第 2 号の会員 (2)第 4 条第 3 号の会員であって、在職中に役職(課長相当職以上の役職をいう。以下同じ。) にあった者又は 10 年以上勤続した者 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 (3)第 4 条第 4 号の会員であって、役職にある者 (役員) 第 8 条 本会に、次の役員を置く。 (1)会長 1 名 (2)副会長 3 名 (3)幹事 25 名以内(うち会長 1 名、副会長 3 名を含む。) (4)会計監事 2 名 2. 会長及び副会長は、幹事の互選により選出する。 3. 幹 事 は、 代 議 員 会 に お い て 選 出 す る。 た だ し、 各 部 会 か ら 少 な く と も 3 名 を 選 出 するものとする。 4. 会 計 監 事 は、 代 議 員 会 に お い て 選 出 す る。 た だ し、 他 の 役 員 を 兼 ね る こ と は で き ない。 5. 役 員 の 任 期 は、3 年 と し、 再 任 を 妨 げ な い。 た だ し、 補 欠 役 員 の 任 期 は、 前 任 者 の残任期間とする。 (役員の職務) 第 9 条 会長は、本会を代表し、会務を統理する。 2. 副会長は、会長を補佐し、会長に事故あるときはあらかじめ会長が指名した副会長がその 職務を代行する。 3. 幹事は、本会の事業を企画し、その運営にあたる。 4. 会計監事は、本会の会計監査を行う。 (幹事会) 第 10 条 本会に、幹事会を置き、会長、副会長及び幹事で構成する。 2. 幹事会は、会長が招集し、本会の運営に関し必要な事項を協議する。 (顧問) 第 11 条 本会に、顧問を置くことができる。 2. 顧問は本会に特に功労があった者で、幹事会の議を経て会長が委嘱する。 3. 顧問の任期は 3 年とする。ただし、再委嘱することができる。 (会計) 第 12 条 本会の事業遂行に要する経費は、会費及び寄付金等をもってこれに充てる。 2. 会費の額及び徴収方法については、代議員会で別に定める。 (会計年度) 第 13 条 本会の会計年度は、4 月 1 日から翌年 3 月 31 日までとする。 (会計監査) 第 14 条 会計年度終了後 1 か月以内に、会計監査を行うものとする。 (会則) 第 15 条 本会則の改正は、幹事会の議を経て代議員会の承認を得て行う。 附 則 この会則は、平成 2 年 8 月 21 日から施行する。 附 則 この改正会則は、平成 3 年 5 月 31 日から施行する。 この改正会則は、平成 6 年 7 月 25 日から施行する。 この改正会則は、平成 10 年 7 月 9 日から施行する。 この改正会則は、平成 14 年 6 月 14 日から施行する。 この改正会則は、平成 16 年 7 月 29 日から施行する。 35 【会務報告】 北 斗 会会報 36 ■金沢医科大学北斗会役員のご紹介 平成 22 年 11 月 1 日現在 役職名 氏 名 会 長 奥 名 洋 明 副会長 水 株 正 紀 監 事・退 副会長 飛 田 明 技術職・退 副会長 新 谷 喜美子 看護職・退 幹 事 岸 本 トキ子 看護職・退 幹 事 高 山 静 子 看護職・退 幹 事 杉 本 末 子 看護職・退 幹 事 山 田 俊 昭 技術職・退 幹 事 大 田 修 監 事 幹 事 高 田 稔 一般職・退 幹 事 河 崎 信 夫 一般職・退 幹 事 辻 口 徹 子 看護職・退 幹 事 掛 下 一 雄 技術職・現(中央放射線部 副技師長) 幹 事 百 成 富 男 技術職・現(医療技術部 部長) 幹 事 西 尾 浩 次 技術職・現(薬剤部 部長) 幹 事 神 戸 晃 男 技術職・現(リハビリテーション部 技師長) 幹 事 大 森 政 幸 技術職・現(ME 部 技師長) 幹 事 中 川 明 彦 技術職・現(栄養部 課長) 幹 事 高 田 昌 美 技術職・現(看護部 部長) 幹 事 才 田 悦 子 技術職・現(看護部 副部長) 幹 事 中 川 かおり 技術職・現(看護部 主任) 幹 事 小 平 俊 行 一般職・現(事務局局次長) 幹 事 木 村 晴 夫 一般職・現(事務局局次長) 備 考 幹 事 酒 井 博 史 一般職・現(総務部) 会計監事 大野木 辰 也 一般職・現(事務局局次長) 会計監事 松 井 道 子 看護職・退 (任期:平成 22 年 9 月 1 日〜平成 25 年 8 月 31 日) ■会員数 平成 24 年 1 月 1 日現在 区 分 人 数(人) 現任・現職会員 1,390 退任・退職会員 1,326 合 計 2,716 第 21 号/ 2012.1 北 斗会会報 37 事務局からのご案内 ■会費納入のお願い 本会は会員皆様の会費収入で、会報の発行、親睦会の開催及び大学支援事業を行っています。 退任・退職される会員には会費納入方法として、年会費納入方法と終身会費納入方法のどちらかを 選択のうえ納入下さいますようお願い致します ◎終身会費 18,000 円 ◎年会費 1,800 円 《振込先》郵便振込口座 金沢医科大学北斗会 00710-6-23197 ■お便りなどお寄せください 会員の皆様の随筆、短歌、俳句、写真、その他近況に関するお便りを掲載し誌面の充実を図ってい きたいと思っていますので、どしどしお寄せ下さい。 (内容は自由です。 ) ■変更事項等ご連絡ください 会員の皆様で、転居、結婚等で情報に変更がありましたら、下記北斗会事務局までお知らせ下さい。 ◎金沢医科大学北斗会 金沢医科大学教育研究事業支援課内(内線 2720 ∼ 2724) 〒 920-0293 石川県河北郡内灘町大学 1-1 TEL(076) 286-2211(代) FAX(076) 286-8214 【編集後記】 北 斗 会会報 38 毎年のことですが、1 年を振り返ると、本当 にたくさんの出来事があります。それにしても、 平成 23 年は大変な年でした。特に、東日本大震 災による大地震、津波、原発事故と日本はかっ てないほどの苦境に立たされ、その被害には心 を痛めました。これからの災害対策の在り方に ついて、改めて真剣に考えなければいけないと 思いました。被災に遭われた方々には、一日も 早い復興を心から願いたいと思います。 題字「北斗」の文字は、前会長西 東利男先生の筆によるものです。題 字に重なっている 7 つの点は、北斗 七星を表しています。杓の先 α ∼ β の長さを 5 倍伸ばしたところに、 北極星(又は北辰)があります。 そのなか、 FIFA 女子ワールドカップサッカー での「なでしこジャパン」によるアジア勢の代表 チームとして初優勝を成し遂げたニュースには 日本中が感動し勇気付けられました。世界各国 のメディアは東日本大震災に対する復興への思 いも勝利へのモチベーションとなっていると分 析し、その活躍を賞賛していました。今年は少 【表紙写真】 題 名 「出初式」 撮影日時 平成 24 年 1 月 9 日 撮 影 者 中谷 渉 しでも心が和むような明るい出来事を期待した いと思います。 一方、本学においては、平成 24 年に創立 40 周 年を迎えます。創立 40 周年記念事業第 1 次 5 ヶ 年計画として新たな施設が着工されます。本学 の施設が充実し、今後更なる発展をすることを 期待したいと思います。 最後に、今回も多くの会員の方々にこの会報 にご寄稿をいただきましたことに編集委員一同、 深くお礼を申し上げますと共に、会員の皆様の ご健康をお祈り申し上げます。 (Y.S 記) 発行日 平成 24 年 1 月 10 日 北 斗 第 21 号 発 行 金沢医科大学北斗会 会長 奥 名 洋 明 〒 920-0293 石川県河北郡内灘町大学 1-1 金沢医科大学 教育研究事業支援課 TEL (076)286−2211 (代) (内線 2720 ∼ 2724) FAX (076)286−8214 編 集 金沢医科大学北斗会会報編集委員会 掛 下 一 雄 笠 間 孝 一 神 戸 晃 男 才 田 悦 子 坂 尾 光 一 佐 野 泰 彦 辻 口 徹 子 中 川 かおり 百 成 富 男 以上 9 名
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