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〔本誌の目的〕
〔投稿について〕
蕁
国 際 協 力 研 究
Vol. 20
No.1(通巻39号)
2004年4月
目 次
特集:日本の経験から学ぶ
〔特別報告〕
日本の社会保障の経験 ………………………………………………………… 広井 良典 …………
1
日本の教育経験 ………………………………………………………………… 村田 敏雄 …………
7
日本の地域保健アプローチから学ぶこと
−途上国のプライマリ・ヘルスケアの推進に向けて− …………………………
駒澤 牧子 ………… 17
〔事例研究〕
保健医療分野におけるユニークな人材養成の試み
−ガーナにおける現職研修システムの開発と導入− …………… 秋葉 敏夫 相賀 裕嗣
………… 26
及川 雅典 後藤 信行
大下 敏子 吉岡 隆弘
出浦 喜丈 榊原 洋一
梅内 拓生 収入創出活動の事業化支援
−ラオス森林保全・復旧計画における紙布織りの事例− …………………………
津曲 真樹 ………… 40
〔研究ノート〕
基礎教育への国際的な資金援助の試み
−EFAファスト・トラック・イニシアティブ導入の背景と課題− …………………
北村 友人 ………… 53
〔特別報告〕
シンポジウム報告:途上国のキャパシティ・ディベロップメントと有効な援助
−より創造的なパートナーシップを求めて− ………………………………………
馬渕 俊介 ………… 64
桑島 京子
〔情 報〕
社会基盤整備分野における開発援助の経験と展望
−人々の希望を叶えるインフラへ− ………………………………………………………………………………… 73
Box :調査研究報告書情報
……………………………………………………………………………………………… 76
本誌は再生紙を使用しています
特集:日本の経験から学ぶ
敗戦から急速に立ち直り、世界第2の経済大国に成長した日本の経験から学びたい――援助に携わっ
ている方々の多くは、途上国の関係者の口からこのような言葉を一度ならず聞かれたことがあるのでは
ないかと思います。日本の経済成長の経験は、稀有な成功事例として多くの途上国の注目を浴びてきま
した。しかしながら、私たちの多くは、このような質問を受けた場合、自国の経験を十分に理解し途上
国の人々に伝えることは難しいとたびたび痛感します。
各セクターにおける日本の経験は、①各国の開発の段階に応じた協力のあり方を考える際のモデルと
して、③途上国の関係者と議論する際の土台として、さらに、②途上国において展開し得る活動・政策
の材料・選択肢として、開発援助の現場での活用が考えられます。このため、国際協力機構(JICA)で
は、
「日本の教育経験」
「日本の保健医療経験」などの調査研究を行い、日本の経験について開発協力の
観点から整理し、それらをふまえたうえで歴史・文化・社会が異なる途上国にわが国の経験がどのよう
に応用できるのか、応用する際の留意点が何かについて検討・考察を行ってまいりました。そのほか、
ソーシャル・セーフティ・ネット(社会保障)や人口といった開発課題における援助のあり方を考える
際にも、開発協力の観点から日本の経験を分析・整理し、援助関係者が共有できる形に加工する作業を
行いました。今回は、その中から、一人ひとりの人間に焦点を当て、その脆弱性の軽減とエンパワーメ
ントへの貢献度が大きいと思われる社会保障、教育、保健医療の3分野について、JICAの調査研究に中
心となって関与していただいた有識者の方々に「日本の経験から得られる教訓」を論じていただきまし
た。
また、日本自身の経験は「成功体験」として有用であるだけでなく、急速な経済成長に伴う公害の発
生など、その「失敗体験」からも多くを学ぶことができます。今回の特集では、日本の経験の「有効性」
を主張するだけでなく、失敗から得られる教訓も併せて記載することに留意しました。
現地のキャパシティや独自性を無視して「日本の経験」をそのまま途上国に当てはめるアプローチを
取るべきでないことは言うまでもありません。日本の経験のどの部分がどの程度適用可能であるかは、現
地の状況によっても、対象セクターによっても異なります。その意味でも、
「日本の経験」
は、当時の文
脈と合わせて理解しておく必要があります。しかしながら、自国の経験を日本の援助関係者が正しく理
解し、現地の実情を十分に把握したうえで有効に活用することができれば、それは日本が援助すること
による付加価値として、重要な役割を果たすことでしょう。
援助の効率・効果が厳しく問われる中で、日本が援助すること、あるいは日本人援助関係者が援助実
務に携わることによる付加価値を、真剣に考えていくべき時期が来ているということができます。本特
集がその一助となることができれば幸いです。
独立行政法人 国際協力機構
国際協力総合研修所
所長 金丸 守正
日本の社会保障の経験
〔特別報告〕
Special Report
特集:日本の経験から学ぶ
日本の社会保障の経験
ひろ い
よしのり
広井 良典*
第 2 の背景として、日本における国際協力のあ
はじめに
り方という文脈に即して見た場合、これまでの日
本の国際協力がややハード面に偏り過ぎていたの
「社会保障の国際協力」
という、これまであまり
ではないかという反省から、むしろ社会保障、教
議論の対象となってこなかったテーマが、新たな
育といった、制度面あるいはソフト面における
重要性をもって浮上しつつある。
(知的)
援助の重要性が認識されつつある、という
これにはいくつかの背景がある。第 1に、途上
点が挙げられよう。同時にこの点は、特に社会保
国における経済発展において、単純に「市場メカ
障との関連では、いわゆる「人間の安全保障」と
ニズム」を導入していけば望ましい発展が実現さ
いう理念とも呼応するものといえる。
れる、といった見方が疑問視されるようになり、
さて、このように「社会保障分野における国際
経済発展のプロセスにおける社会保障制度あるい
協力」というテーマを考えていく場合、そこで当
はさまざまなセーフティ・ネットの整備が非常に
然のことながら重要になってくるのは、社会保障
重要な意味を持つことが自覚されるようになって
に関する「日本の経験」の評価という基本的な作
きたことが挙げられる。実際、特に近年になって、
業、つまり、そもそも日本の社会保障制度には、ど
国際機関の報告書等でも経済発展のプロセスにお
のような特徴があり、その長所・短所はどういっ
ける社会保障政策の重要性を論じるものが増加し
た点であり、またそれはアジアを含む途上国にお
ている。たとえば、ILOの2000年の『世界労働報
いて(その適用可能性・不可能性ということを含
告』は、開発途上国に主たる関心を向けつつ経済
め)いかなる意味を持ち得るのか、といった事柄
発展と社会保障政策のあり方について主題的に論
に関する評価である。
じているし(ILO[2000]
)
、また世界銀行の『世
ところが、実は日本における社会保障研究や実
界開発報告2000/2001』
は、相当部分を社会保障政
践において最も欠落しているのがこの点であると
策に関する分析に充てているが(World Bank
言っても過言ではない。その理由はある意味で明
[2001]
)
、世界銀行は同時期に
『社会保護セクター
白であって、これまでの日本における社会保障の
戦略
(Social Protection Sector Strategy)
』
と題する
政策展開や研究は、ほぼもっぱら「先進諸国(=欧
社会保障政策そのものを主題とした初の報告書も
米諸国)」の社会保障を「学び、吸収する」という
まとめており、そこでは「社会リスク・マネージ
視点をベースに行われてきたため、そもそも社会
メント
(social risk management)
」
というコンセプ
保障に関する日本の経験を評価してアジアなどの
トを中心に据えた議論が展開されている(World
諸国に「発信」し相互的なコミュニケーションを
Bank[2001]
)
。
行うといったことや、アジアや途上国を視野に入
本稿は,JICA 調査研究報告書『途上国のソーシャル・セーフティ・ネットの確立へ向けて』
(2003 年 10 月作成)の著
者執筆部分をもとに,加筆・修正を加えて作成したものである.
* 千葉大学法経学部教授
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 1
特集:日本の経験から学ぶ
れたうえで日本の社会保障制度の特徴や問題点を
な点、つまり「高齢化のスピードの速さおよびそ
位置付けるといった作業自体が十分に行われてこ
れへの対応」という面においても独自の特質を
なかった面が強い。
持っていると考えられる。
本稿では、以上のような問題意識をふまえなが
ら、
「社会保障に関する日本の経験の評価」
という
II 「日本の経験」の特徴の概観
テーマについて、重要と考えられる点をまとめて
みたい。
こうした点をふまえたうえでの日本の社会保障
の評価について、まず概略のみを整理すると以下
I 社会保障に関する「日本の経験」
の意義
日本はアジアの
“後発資本主義国家”
として、19
のような点が指摘し得ると思われる(広井
[1999]
、
[2001]参照)
。
1. 制度全体の設計に関すること
世紀終わりから極めて急速な産業化の道を歩んだ
(1)当初ドイツ型の社会保険システムとして出発
が、
「欧米諸国」に範をとって「国家主導・キャッ
し、しだいに(イギリス的な)普遍主義的方向に
チアップ型」の経済成長を遂げていったその過程
移行していったこと注 1)
自体に示されているように、それら先発の工業国
(2)社会保険の「保険者」に「国」自身がなった
群に対して一種の「途上国」として存在してきた。
こと(医療保険における政管健保、年金における
そのことは、社会保障の制度設計自体にさまざま
国民年金・厚生年金)
な形で表れているし、また、たとえば比較的後の
(3)インフォーマル・セクター(農林水産業者、自
時代まで第一次産業の従事者割合が高い水準に
営業者)が相対的に多い経済構造の中、その取り
あったこと、就業構造の変化や都市化の進展、出
込みを積極的に行ったこと(特に医療保険におけ
生率低下などのスピードが極めて速いものであっ
る国保のユニークさ)
たことなどといった点に特徴的な形で表れてい
る。
(4)医療保険がまず整備され、年金が遅れて、し
かし急速に膨らむという経過をたどったこと
こうした点を考慮すると、日本の経験は、ある
意味で、
「後発国家における社会保障制度設計の
あり方」という点で、欧米先進諸国の経験にはな
2. 社会保障制度と経済社会システムの関係に関
すること
い独特の意味を有するものとなっている。日本の
(1)経済成長の早い段階で「国民皆保険」のシス
経験は、その肯定面・否定面いずれをも含めて、
テムを実現させ、このことが一種の産業政策とし
「後発国家における社会保障整備」あるいは「非西
欧圏における社会保障」といったテーマにとっ
て、極めて示唆に富むユニークなケースとして位
置付けられるのである。
て経済成長にプラスに寄与した面があると考えら
れること
(2)制度としての社会保障とは別に、企業(カイ
シャ)および家族が強固なコミュニティとして機
一方、将来に目を向けると、日本の場合、後発
能し、
“インフォーマルな社会保障”としての役割
産業国ゆえの急激な経済社会システムの変化、と
を強く果たしたと考えられること(たとえば、終
りわけ戦後の時期(昭和 20 年代)における出生率
身雇用・低い失業率と失業保険・生活保護の比重
の急激な下落の帰結として、高齢化の速度が際
の小ささなど)
立って急速なものとなっている。こうした特徴は
(3)高度経済成長期がちょうど人口転換期に当た
中国をはじめ現在のアジアの多くの国にもすでに
り、
「若い」国のまま経済成長を遂げることができ
見られるか今後予測される事態であり、このよう
た半面、一種の財政錯覚が生じ、いわば「高齢化
2
日本の社会保障の経験
のツケ」を後に回してきた面があること注 2)
る」傾向(社会的入院など)が顕著となっていっ
たこと
3. 社会保障の個別分野に関すること
1) 医 療
(1)医療財政については国家の管理が強いシステ
(3)福祉あるいは「社会サービス」の分野が立ち
遅れ、近年高齢者介護を中心に急拡大しているも
のの、なお大幅な拡充が求めらること ムとしつつ、医療供給体制については民間中心の
システムとしたこと(「混合型」システム)
III 「日本の経験」の全体的評価
(2)プライマリー・ケア(開業医)優位のシステ
ム・資源配分としたこと
(3)初期段階において保健所等公衆衛生システム
の整備に力を注いだこと
(4)農村共同体をベースとした国保という「地域
保険」システムを導入したこと
(5)政府公定の診療報酬システムが医療費のコン
1) 基本的特徴
社会保障に関する「日本の経験」を全体として
眺めると、先述のように日本の経験は、
(衢)
後発国家における社会保障制度設計のあり方
(衫)
ある段階からの急速な高齢化およびそれへの
対応
トロールおよび配分に特に大きな影響を持ったこ
という二重の意味で、成功と失敗ないし長所・短
と
所の両面を含めて、「欧米モデル」にはない独自
(6)全体として「量とアクセス」に重点を置いた
の、かつ途上国にとってより共通性の高いモデル
“途上国型医療構造”ともいうべき姿となってお
としての意味を持つものである。このうち特に現
り、医療の質、医療技術の評価、患者の権利、情
下の途上国にとって意味を持つのは(衢)
である
報開示と競争原理の導入等に着目した“成熟経済
が、この点に関して日本の経験が持つ特に大きな
型医療構造”への転換が求められていること 特徴は、
2) 年 金
(a)
「農業、自営業等のインフォーマル・セクター
(1)ドイツ型の職域・所得比例型のシステムとし
が非常に大きな比重を占める中での社会保障制度
て出発し、普遍主義的方向への志向のもと、
(イギ
づくり」という問題に最初に直面し、対応を行っ
リス・北欧型の)基礎年金の導入に至ったこと
た国であったという点
(2)国民年金・厚生年金ともに国自身が保険者に
なったこと
(3)経済成長と人口転換のタイミングや、高齢化
(b)サラリーマングループについても「国自らが
保険者」となり、国家主導型の社会保険システム
(
“国家保険”ともいうべき制度)を整備していっ
のスピードの速さなどを背景に、上記の財政錯
た点
覚、高齢化のツケといった負の側面が特に強く表
にある。
れていること
2) 社会保障における農業・自営業者の位置付け
3) 福 祉
と日本の経験
(1)戦前における未整備の後、戦後占領政策の中
このうち特に(a)の点について敷衍したい。一
で英米系の制度が導入されたが、「社会保険中心
般に、途上国の社会保障制度設計に当たって、最
に社会保障を組み立てる」との方向付けとも相
も問題となるのが非サラリーマングループ(農林
まって、公的扶助(生活保護)を含め極めて限定
水産業者、自営業者)
の層への給付拡大である。た
的な範囲のものとして位置付けられたこと
とえば国際社会保障協会(ISSA)コンサルタント
(2)その結果、社会保険の制度が多分に「福祉」的
のマイケル・ジェンキンズは「農村の農業従事者
な(=低所得者対策としての)要素を含むととも
やインフォーマル・セクターの労働者は社会保障
に、高齢化の進展の中、「医療が福祉を引き受け
の保護を得られないことがこれまでも多かった
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 3
特集:日本の経験から学ぶ
が、このことはとりわけ開発途上国において当て
題といえる。
はまる」と指摘している(Jenkins[1993]
)
。日本
そして、この場合圧倒的に問題となるのは年金
の経験が一定の意味を持ち得ると思われるのがこ
ではなく医療保険である。年金つまり高齢者の生
の論点に関してである。
活保障については、農村の場合家族による扶養が
事実関係を確認すると、日本における第一次産
維持されているため、この段階ではさほど大きな
業従事者の割合は、戦前はもちろん1970年代ごろ
問題として浮上しない。ところが医療については
に至るまで先進国の中で際立って高いものであっ
そうした家族による代替が困難であるから、その
た(たとえば1950年の時点で日本における第一次
必要性は都市労働者層つまりサラリーマングルー
産業従事者の割合は約48%。同時にその低下のス
プとさほど変わらない。そこで農林水産業者の医
ピードは際立って速いものであった)
。こうした
療保障問題が浮上する。
点自体、日本の歩んできた道の“後発性”を表し
日本の場合、これを国保という、農村共同体
ているといえ、また、その分現在の開発途上国に
(ムラ)を単位とする地域保険のシステムで対応
とって示唆するものが大きいということもでき
した注3)。これを国家が財政援助を通じて支援し、
る。
1961年には全市町村において国保がつくられるに
こうした流れを考えると、この「農林水産業な
至り、
「国民皆保険」が完成することになる。
いしインフォーマル・セクターの社会保障システ
いずれにしても、こうした農林水産業者・自営
ムへの取り込み」という問題に、いわば最初に大
業者層を社会保障の中でどう位置付けていくか
規模な形で直面したのが後発産業国家たる日本で
は、アジアないし途上国の経済発展と社会保障と
あったということが可能ではないかと思われる。
いう課題においてひとつの中心的なテーマとなる
ちなみに、インドの経済学者Guhan は「フォー
マル・モデルの限界」と称して、「フランスやイギ
ものである。
3) 急速な人口転換と高齢化
リス、アメリカなどの社会的プログムを見て、そ
一方、先に指摘した(衫)の論点、つまり後発
れが途上国にとってとるべき政策の陳列棚と見る
の経済発展パターンの場合に生じがちな「ある
ことは誤りである。ベヴリッジ・モデル、ビスマ
段階からの急速な高齢化」について述べたい。
ルク・モデル、ルーズベルト・モデルいずれも途
日本がまさにそうであったように、後発国の場
上国の社会保障モデルとしては使えない」と論じ
合、経済発展のかなり後の段階に至るまでは、高
ている(Guhan[1994]
)
。
齢化の問題の持つインパクトが十分自覚されな
こうした点に関する日本における最も象徴的な
い恐れが大きく、世界銀行も指摘するようにあ
制度は、医療における国民健康保険(国保)とい
る種の“財政錯覚”に基づく年金給付の大幅拡大
う、市町村単位の
“地域保険”
システムである。ド
――基本的に積み立て金の取り崩しによる――に
イツ型社会保険から出発した日本にとって、初め
流れてしまう傾向が大となる。
てドイツにはない日本独自の制度として、しかも
日本の年金制度については、そうした面が多分
そのことを自覚しつつ創設したのが国保というシ
にあったといえ、現在に続くその後の「改革」は、
ステムであった。こうした意味では、日本の場合、
実質においてその“修復作業”としての給付削減
第一次産業から第二次産業への産業構造のシフ
という形となり、しかもそうした修正作業が繰り
ト、つまりは産業化の過程の比較的「早い」段階
返し小刻みに行われているために、かえって制度
で社会保険の仕組みの導入・普及を図ったという
の安定性に対する国民の不安を増幅させるものと
ことも可能であろうし、また、こうした社会保障
なる。しかもこうした点は、日本を含めて後発国
整備段階で巨大な一次産業従事者を抱えその位置
の場合、高齢化ないし人口転換のスピードが速い
付けに苦慮するという問題は、途上国に共通の問
ため、短期間にドラスティックな形で起こらざる
4
日本の社会保障の経験
を得ない。したがって、高齢化の初期段階におい
いうことに圧倒的なプライオリティが置かれ、か
て特に公的年金の給付水準を過大なものとしない
つ「生産中心的」な志向が前面に出るためこのよ
ことは、
「負」
の意味での日本の経験からの示唆と
うなことは生じやすいものと考えられる。それは
して位置付けられるべきものと筆者は考えてい
一方においては経済・産業政策と生活保障を同時
る。
に兼ね備えた対応として効率的に機能する側面を
また、高齢化に関しては、日本の場合、福祉施
持つ半面、一歩間違えると、日本がまさにそうで
設が未整備のため、医療サービスがあまり必要で
あったように、既得権の固着につながり、必要な
ない高齢者もすべて病院に入院するという、いわ
労働力移動を妨げ、かつ失業保障など社会保障制
ゆる「社会的入院」と呼ばれる現象が広く起こり、
度そのものの整備の遅れを招くことにもなりかね
ケアの質という面でも、また経済面でもさまざま
ない。こうした点についてはその正負の側面を含
な問題が生じた。高齢者ケアにおける「医療→福
めた評価が必要と考えられる。 祉」への転換ないし福祉サービスの充実という形
で初期の段階から進めておくことが、サービスの
おわりに
質の面でもコストの効率性の面からも重要であ
る。
4) 生産部門を通じた社会保障
社会保障における日本の経験の特徴や評価につ
いて概観してきた。冒頭でも触れたように、こう
フォーマルな制度としての社会保障そのものに
した評価作業は、社会保障分野における国際協力
かかわるものではないが、先に列挙した特徴のう
という課題とともに、なお緒についたばかりの段
ち第 II 章 2.(1)および(2)に関連する論点とし
階といえる。アジア諸国などの社会保障に関する
て、戦後の日本の経済政策においては、一見社会
調査研究と、社会保障に関する「日本の経験」の
保障とは見えないが、事実上“社会保障的”な機
評価という作業が、相互にフィードバックする形
能を果たした政策が広く見られるという点も銘記
で進められ、これらを通じて日本とアジア各地域
すべきと思われる。
とのコミュニケーションが拡大していくことがこ
たとえば農水省による農業関係の補助金はほか
れからの大きな課題であろう。
でもなく農家に対する「生活保障」として機能し
たし、地方交付税交付金のシステムは、実質的に
「都市圏―地方(田舎)」の所得格差を是正する役
付論:アジア諸国の社会保障の概括的
なグル−ピング
割を担った。通産省による中小企業へのさまざま
な補助政策もそうである。これらに共通している
今後日本がさまざまな形でコミュニケーション
のは、いわば「生産部門を通じた社会保障」とも
を深めていくことになるアジア諸国の社会保障に
いうべき特徴である。つまり、戦後の日本におい
ついて、その概括的なイメージを 4 つのグループ
ては、社会保障が社会保障として整備される以上
に大別すると以下のようになる。ただし、ここで
に、生活保障の相当部分は、広義の産業政策的な
のグルーピングはいわば 1 つの切り口からのごく
政策を通じてなされた面が大きかった。こうした
暫定的な分類であることをお断りしておきたい。
傾向は、後の時代(特に 70 年代以降)には、いわ
(1)第 1 グループ
ゆる公共事業が(
「職」の提供を通じての生活保障
経済発展の度合いが日本を含む先進諸国に匹敵
という)
“社会保障的”な機能を果たすという、負
するかそれに準ずるレベルに達し、社会保障の面
の側面を多分に持った方向に展開していった(筆
においても普遍的な給付(universal coverage)な
者はこれを「公共事業型社会保障」と呼んでい
いしそれに近い制度が整備されつつあると同時
る)
。後発国家の経済政策においては、経済成長と
に、特に近年では人口高齢化への対応や制度の効
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 5
日本の教育経験
〔特別報告〕
Special Report
特集:日本の経験から学ぶ
日本の教育経験
むら た
とし お
村田 敏雄*
はじめに
I 日本の教育開発の変遷
2002 年、国際協力事業団(当時)、外務省、文
日本の場合、全国的には行政主導で教育政策が
部科学省がそれぞれ独自の国際教育協力戦略を打
法令化され、それを地方自治体、学校および地域
ち出し、共通の方向性として「日本の教育経験の
社会の努力によって実現していくという形で学校
注1)
開発途上国への活用」
を表明している
。この背
教育が発展してきた。したがって、教育関係の法
景には、かつて後進国であった日本は比較的短期
令や主要な審議会答申を追うことで、教育の発展
間のうちに学校教育を普及・発展させてきた経験
過程を大まかにとらえることが可能だと思われ
を有しており、それが「万人のための教育(EFA:
る。こういった前提に立って日本の教育施策の変
Education for All)
」の実現に向けて取り組んでい
遷を、教育開発の観点からまとめたものが図− 1
る途上国の参考になるのではないか、という考え
である。この図によれば、次項に述べる3度の
「教
方が存在している。
育改革」とそれに匹敵する1900年公布の一連の法
しかし、ここでいう「日本の教育経験」とはい
令をもって、教育発展を4つの段階に区分できる。
かなるもので、果たして途上国の教育開発に参考
以下、義務教育を中心に、教育の量的拡大と質的
になり得るのであろうか。この点については、こ
向上の側面に触れながら、日本の教育の発展過程
れまであまり議論がなされてこなかった。そこ
を概観する。
で、本稿では国際協力機構(JICA)の調査研究報
告書「日本の教育経験 −途上国の教育開発を考
1. 近代的な学校教育の導入期(1868∼1899年)
える−」に基づき、教育分野における「日本の経
この時期、政府は国民国家の構築に向けて近代
験とその教訓の活用」について論じてみたい。
化政策を推し進め、その一環として「明治初年の
なお、本稿では「日本の教育経験」を「日本国
教育改革」を実施した。当時の中心課題は近代的
内において、教育上の政策や実践を通じて一定規
な学校教育制度の構築であり、1872年公布の「学
模の集団に蓄積・共有されてきた知識・技術・ノ
制」注2)により欧米をモデルとした新しい教育制度
ウハウなどを指し、ある程度体系化・抽象化され
が導入された。そして、
「欧米から先進的な学問・
たもの、およびその総体」と定義する(J I C A
技術・制度を吸収するための高等教育の整備」と
[2003a]
)
。
「国民の知的水準向上を目指した初等教育の完全
普及」に重点が置かれた。前者では外国人専門家
の雇用や留学生の海外派遣に多くの国家予算が充
てられる一方、後者では受益者負担の原則により
* JICA 特別嘱託/筑波大学教育開発国際協力研究センター客員研究員
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 7
特集:日本の経験から学ぶ
図−1 教育施策の変遷
時代
社会の
状況
教育の
発展段階
明治
近代化
近代的な
学校教育
の導入期
(1868∼
1899年)
教育政策・施策
就学率(%)*
年
小
中
高
大
質的向上
量的拡大
マネジメント
1869 大学校の法制化
1873
28.1
1870 大学規則
海外留学生規則
1870 中小学規則
1871 文部省設置
1872 学制(中央集権的教育行政体制、学区制)
1872 東京師範学校設立 1872 翻訳教科書の導入
1879 教育令(民主的教育システム、就学強制の緩和)
1880
41.1
1880 改正教育令(中央集権化、就学義務の厳格化、修身の重視)
1885 内閣制度導入
初代文部大臣 森有礼
1886 小学校令
師範学校令
1885 町村立学校の授業料
徴収義務化
1886 中学校令
1886 帝国大学令
1890
48.9
1890 教育勅語
1897 師範教育令
教育制度
の拡充期
(1900∼
1945年)
大正
昭和
(戦前)
自由化
軍国
主義
民主化
昭和
(戦後)
1900
81.5
8.6
1910
98.1
12.3
1930
99.5
18.3
1899 実業学校令
高等女学校令
1899 視学官および視学の設置
1900 義務教育無償化
1900 自動進級制導入
1907 義務教育が4年から
6年に延長
1903 専門学校令
1900 市町村小学校教育費
国庫補助法
1918 大学令
1917 臨時教育会議
1933 小学校国定教科書
1940 義務教育費国庫負担法
1943 日本育英会法
戦後の教
育制度復
興期
(1945∼
1969年)
1945
99.8
45.3
社会変容
に対応す
る教育の
充実期
(1970∼
現在)
1941 国民学校令
1947 教育基本法、学校教育法
1947 学習指導要領
(生活単元学習導入)
1950
99.6
99.2
46.7
1954 へき地教育振興法
盲学校、聾学校および
養護学校への就学奨励
に関する法律
1956 学校給食法
就学困難な児童および
生徒に係る就学奨励に
ついての国の援助に関
する法律
高度経済 多様化
成長以降
(大正自由教育)
1960
99.8
99.9
57.6
1970
99.8
99.9
81.4
1950 教育職員免許法
1947 日本教職員組合結成
1948 教育委員会制度
1952 中央教育審議会
1950 産業教育振興法
1953 理科教育振興法
1958 学習指導要領改訂
(系統学習重視)
1956 地方教育行政の組織
および運営に関する法律
1963 教科書無償配布制
導入
14.8
1971 中央教育審議会答申(第三の教育改革)
1973 人材確保法
1975 私立学校振興助成法
1974 教頭・主任の法制化
1978 教育系大学院設置
1980
99.9
99.9
95.5
30.7
1990
99.9
99.9
95.6
40.2
1998 教育課程審議会答申(総合的学習時間等)
2000
99.9
99.9
95.3
54.4
2002 新学習指導要領実施
1984 臨時教育審議会設置
1987 臨教審最終答申
1987 初任者研修開始
基礎教育関連
後期中等教育・職業訓練関連
高等教育関連
全体に関するもの
注)*「小」=小学校,「中」=中学校,「高」=旧制中学,高等学校,「大」=高等教育機関
[それぞれの就学率の定義]
・「小」および戦後の「中」:義務教育学齢人口(外国人を除く就学者数+就学免除・猶予者数+1年以上居所不明者数)に対する外国人を
除く就学者数の比率.
・戦前の「中」:旧制中学校・高等女学校(実科を除く)・実業学校(甲)および師範学校(第一部)のそれぞれ本科へ進学した者の割合.
・「高」:該当年齢人口に対する在学者数―高等学校(通信制課程を除く),中等教育学校後期課程(1999年以降),盲学校・聾学校・養護
学校(高等部),高等専門学校第1,2,3学年(1932年以降),国立工業教員養成所(1965年),国立養護教諭養成所(1970年,1975年)の
比率.通信教育の学生は含まれていない.
・「大」:該当年齢人口に対する在学者数―大学(大学院を除く),短期大学,高等専門学校第4,5学年(1962年以降)および専攻科(1992
年以降),専修学校専門課程(1976年以降),国立工業教員養成所(1965年),国立養護教諭養成所(1970年,1975年)の比率.通信教育
の学生は含まれていない.
(出典)JICA[2003]『日本の教育経験 ―途上国の教育開発を考える―』p.180より抜粋.各データについては以下の統計を参照.
文部省調査局(1962)
( 旧制中学の就学率データ),文部科学省(2001).
8
日本の教育経験
図−2 教育段階別の就学率の推移
導入期
拡充期
復興期
充実期
100
中学校
80
60
就
学
率
︵
%
︶ 40
高等学校
小学校
20
大学など
旧制中学校
2000
1990
1995
1980
1985
1970
1975
1960
1965
1950
1955
1940
1945
1930
1935
1925
1920
1915
1910
1900
1905
1895
1890
1885
1880
1873
1875
0
(出典)文部省調査局[1962]「日本の成長と教育:教育の展開と経済の発達」文部省,および文部科学省[2001]「2001 わが国の教育統計
―明治・大正・昭和・平成―」財務省印刷局をもとに筆者作成.
教育費負担が住民に重くのしかかった。加えて家
速に発展した。教育分野では1900年の一連の法令
庭内の児童労働力の喪失や実生活と乖離した教育
により、義務教育の無償化、自動進級制の導入、義
内容などの問題もあり、保護者や住民は学校教育
務教育費の国庫負担が実施され、初等教育就学率
への反発を強め、初等教育就学率は低迷してい
は大幅に伸張した。これを受けて、初等教育修了
た。このような状況を受けて、文部省は現実的な
者を受け入れるべく中等・高等教育の整備が順次
政策へと転換し、就学年限の短縮、教育課程の改
進み、盲・聾学校など特殊教育機関の設置も義務
善、学校運営管理の民主化を実施するなど、試行
付けられるなど、就学実態はともかく、1920年ご
錯誤は教育制度の基本的骨格が形成される 1880
ろまでに学校教育制度はほぼ完成したといえる。
年代後半まで続くことになる。以後、小学校就学
そして、制度面での整備が進むにつれ、教育開発
率は順調な伸びを見せ、1900年には80%を超える
の重点は教育の量的拡大から質的向上に移って
水準に至った。
いった。この時期には民間の教育研究運動注 3) な
ども盛んになるが、基本的には国家により教育内
2. 教育制度の拡充期(1900 ∼ 1945 年)
容が統制されており、1930年代に入ると軍国主義
1890年代に入ると軽工業が発達し、日清・日露
的な教育が強化された。第二次世界大戦に突入す
戦争と第一次世界大戦に刺激されて資本主義が急
ると戦況の変化に伴って学校教育も改変を迫ら
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 9
特集:日本の経験から学ぶ
れ、教育内容の再編、就学年限の短縮、学徒動員、
なる。
学童疎開などが実施された。そして、1945年の終
戦時には学校教育は完全に麻痺していた。
4. 社会変容に対応する教育の充実期(1970∼現
在)
3. 戦後の教育制度復興期(1945 ∼ 1969 年)
1960 年代に本格化する高度経済成長によって、
戦後、日本は連合国軍の占領統治下に置かれて
日本の社会経済構造および個人の生活や考え方は
非軍事化と民主化を柱に国家再建に取りかかっ
大きく変化した。そして、その変化は教育にも大
た。その民主化政策の一環として「戦後の教育改
きな影響を及ぼしている。1970年代以降、高等学
革」が開始され、学校教育の復旧とともに教育の
校や大学への進学者が急増して「教育の大衆化」
民主化と機会均等の実現が最優先課題となる。
が進み、高等教育を除いて教育の量的拡大がほぼ
1946 年の「日本国憲法」では教育を受ける権利と
限界に達するようになる。一方、過度の画一性や
義務教育の無償が定められ、翌年の
「教育基本法」
受験競争など教育制度に内在する問題、校内暴力
では新しい教育理念と基本的諸原則が明示され
や学級崩壊といった教育現場の荒廃、いじめや登
た。その後、相次いで教育関係法規が公布され、学
校拒否に象徴される子どもの変化、家庭や地域社
校体系の「6 − 3 − 3 − 4 制」への転換、義務教育
会の教育力の低下、そのほか学校を取り巻く環境
の延長、男女共学の実現、教育委員会の設置、師
の変化など、学校教育の現場を中心に多くの問題
範学校の廃止と大学での教員養成などが実施され
が発生してきた。このような状況を受けて、1970
た。こうして、初等教育を中心に就学状況は急速
年以降は「多様化」と「個別化」を基本原則とす
に回復し、1950 年には小・中学校計 9 年間の義務
る教育の質的向上と学校の機能・能力強化による
教育就学率が99.2%に達するようになった。しか
教育マネジメントの改善が中心課題となってい
し、大規模な教育実態調査の結果(文部省
る。1971 年には「第三の教育改革」が開始され、
[1953]
)、教育の機会均等の実現にはいっそうの
優秀な教員の確保、学校の運営管理体制の整備、
就学環境の整備・改善が必要とされ、へき地居住
教育系大学院の設立などが実施された。1980年代
児童、障害児、経済的な就学困難児への対応や学
には「臨時教育審議会」の答申に基づき、大学審
校給食と学校保健の推進などが実施された。ま
議会の設置、初任者研修の義務付け、6年制中等
た、1950年ごろから高等学校への進学希望者が増
学校の設置、単位制高校の創設、共通テストの導
え、後期中等教育が拡充していく。このように学
入、教員免許制度の改正が実施された。そして、
校教育制度の整備が進み、順調に教育の量的拡大
「個性重視」と「基礎・基本の重視」などの教育改
が達成されていった。一方、教育の質的向上に関
革方針や理念は 1990 年代においても引き続き議
しては、教育課程編成や教科書作成基準となる学
論され、
「生きる力」と「ゆとり」を柱とする今日
習指導要領の作成、教科書検定制の導入、教員免
の教育改革に至っている。なお、以上の各時期に
許基準の改善、産業教育と理科教育の振興など、
実施された主な取り組みを表− 1 にまとめた。
中央主導で教育の基準化を中心とする施策がとら
れた。なお、終戦直後には米国にならって教育の
II 日本の教育開発の特徴
地方分権化も進められたが、全国的な教育の機会
均等の実現とその質の確保・維持という観点か
ら、結局は中央集権的な体制が支持されるに至
1. 教育開発の促進要因としての初期条件の存在
日本の教育はさまざまな社会文化的環境に恵ま
る。そして、文部省で基準や基本的枠組を作成し、
れて、急速な発展を遂げることができた。江戸時
地方自治体や学校が現状に合わせてそれらを運用
代末期には伝統的な教育機関注 4) がかなり普及し
するという形で学校教育が展開されていくことに
ていたことに加え、身分階級制に代わって個人の
10
日本の教育経験
表−1 教育開発段階別に見た日本の教育経験
量的拡大
導
入
期
拡
充
期
復
興
期
充
実
期
質的向上
マネジメントの改善
・住民による学校設立
・学校教育関連公的基金の設立
・学校区域内巡回指導
・不就学罰則規定の作成と強化
・情報発信と住民啓蒙
・表彰等による関係者意識向上
・学校教育支援組織の形成
・学校体系の見直し
・学校暦・時間割の多様化
・教育内容の簡略化・実用化
・地方自治体による女子教育関連事
業の奨励
・男女別学/共学体制の確立
・地方自治体による議論・研究
・教員養成課程拡充/整理統合
・教員免許制度の整備・改善
・指定校での研究開発の促進
・教科書検定制度の採用
・他国の教育の研究と成果の活用
・外国人による勧告・指導・助言に
基づく政策立案・実施・改善
・官僚任用試験制度の導入
・教育関係法規の整備
・教育統計の整備
・教育予算の重点/傾斜配分
・収入創出
・教育行政と一般行政の一元化
・中央と地方の権限・機能・所管業
務の明確化
・教育委員会制度の導入
・視学制度の拡充
・職員会議の設置と継続的実施
・学校関連諸経費の受益者負担
・義務教育の無償化
・自動進級方式への転換
・地方自治体による女子教育関連事
業の奨励
・子守学校/学級の創設
・学齢簿の整理と就学督責
・女子のニーズに適した教育提供
・地方自治体による議論・研究
・女性教員速成課程の整備
・住民による簡易教育所の設立
・学校教育関連費用の公的負担
・教員の自立的な研究活動支援
・学会等の研究活動への協力
・適正学習形態・指導方法の選択
・板書計画・技術の改善
・授業展開モデルの構築と応用
・校内研修等による教授技術
・経験の共有化と蓄積・継承
・研究者と教員の協働
・教材研究の導入
・学校基本調査の実施
・審議会制度の導入
・義務教育関連経費の国庫負担の漸
増
・教員定期人事異動制度の導入
・私学への公的助成
・学校教育関連公的基金の設立
・学校体系の見直し
・へき地教育関係法規の整備
・へき地指定校制度の導入
・へき地の教員の待遇向上
・教育政策と他分野関連政策の同時
実現
・教員の広域人事の実施
・へき地に応じた学校施設整備
・単級/複式指導等,各学校の現状
に基づく指導方法の開発と導入
・大規模/精緻な児童実態調査実施
・「特別な配慮を要する児童」関連
法規の整備
・障害児の教育機会の確保
・返還奨学金の整備
・教員の待遇・身分保障の改善
・養成教育の高度化・専門化
・教員採用試験の実施
・現職教員研修の体系的整備
・校内研修の実施
・教職員団体の組織化
・教育課程の統御方法の確立
・学習指導要領の整備・普及
・開発状況と現場ニーズに応じた定
期的な学習指導要領改訂
・新教育課程の伝達講習会実施
・教員向け指導資料の定期刊行
・民間の刊行物・研究誌発行促進
・指定校での研究開発の促進
・指導計画の導入と整備
・学習指導案の作成と実践
・教員養成課程の見直し
・教科書検定制度の採用
・教科書の無償配付
・教室活動の批判的考察
・学習指導要録の導入
・教育課程実施状況調査の導入
・国際的学習到達度調査への参加
・教育関係法規の整備
・中央と地方の権限・機能・所管業
務の明確化
・教育委員会制度の導入
・学校の裁量権拡大と自治確立
・指導計画の整備
・校長・教頭の学校運営管理能力の
強化
・校内研修による問題解決能力の強
化
・組織化・制度化による保護者や地
域住民の学校経営への関与の拡大
・児童による学校自治の推進
・放送大学の拡充
・教員の待遇・身分保障の改善
・学校評価(学校教育診断等)の定
期的実施
・特別支援教育の開始
・教育系大学院設置
・初任者研修開始
・教員組合との協調
・定期的な方向性の見直し
・民間活力の導入
・教育予算の重点/傾斜配分
・学校の裁量権拡大と自治確立
・学校別教育目標の設定
・学校運営組織形成と校務分掌
・校長・教頭の学校運営管理能力の
強化
・校内研修による問題解決能力の強
化
・組織化・制度化による保護者や地
域住民の学校経営への関与の拡大
・児童による学校自治の推進
(出典)JICA調査研究報告書『日本の教育経験 ―途上国の教育開発を考える―』p.182より.
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 11
特集:日本の経験から学ぶ
能力に基づく人材登用が始まったことから、人々
た。その方向性、継続性、成果を見ると、近代的
はより高い教育水準(学歴)を求める傾向にあっ
な学校教育制度の導入を目的とした「明治初年の
た。他方、当時の日本国内は、幕藩体制や身分階
教育改革」と民主的な学校教育への転換を意図し
級制の影響で共通の国民意識が形成されておら
た「戦後の教育改革」を除いて急進的な改革は存
ず、政権運営をめぐる内乱と開国を迫る外圧へ対
在せず、むしろ、政策の一貫性および行政の継続
応すべく、政府は教育による国民統合の必要性を
性が確保された「教育改善」が常時行われてきた
強く認識していた。加えて、日本が被植民地とし
といえる。
ての経験を持たなかったため、欧米諸国の教育モ
デルの中から自国の現状に適したモデルを自由に
4. 政府と国民の協働
選択し、近代的な教育制度を導入・構築できる立
日本では教育委員会制度を柱とする民主化・自
場にあった。これらが、新たに近代的な学校教育
由化・地方分権化の試みが何度か行われてきたも
制度を国家規模で導入する際、その定着・拡充の
のの、戦後の一時期を除き、教育行政制度は基本
促進要因として機能したと考えられる。
的に中央集権的であった。教育行政においては中
央の官僚を頂点とする上意下達式の極めて効率的
2. 国家優先政策としての教育政策
なシステムが出来上がり、彼らの強力なイニシア
近代学校教育制度の構築は、制度としては1920
ティブが発揮されてきたのである。一方、教育財
年ごろに一応の完成を見た。そして、初等教育就
政においては当初から地方分権化された体制で資
学率は 1873 年には 28% に過ぎなかったが、約 30
金の調達と配分が行われ、教育に強い関心を抱く
年後の1905年には95%を超えるまでになった。そ
国民が教育行政に一定の理解を示しつつ、受益者
の後、第二次世界大戦によって学校教育は崩壊の
負担の原則に基づいて財政負担を中心としながら
危機に瀕したが、戦後復興の努力によって、新た
行政に協力してきた。このような政府と国民との
に初等教育 6 年、前期中等教育 3 年の計 9 年間と
協働体制が教育施策の迅速かつ着実な実行を可能
なった義務教育の就学率は 1950 年には 99% に達
にしたと考えられる。
していた。さらに、その後の経済成長に支えられ
て後期中等教育、就学前教育、高等教育なども
5. 教育現場での創意工夫
徐々に整備され、1970年ごろに学校教育は現在の
どんなに崇高な教育理念も、どれほど効果的な
ような形になった。つまり、約50年で近代的な学
教育施策も、学校や教室で実践されなければ意味
校教育制度の構築を完了し、その導入から約 100
をなさない。したがって、学校教育における最も
年で名実ともに学校教育をほぼ完成させたことに
重要かつ本質的な教育改善は、教員による学校や
なる。これは、今日までの途上国の教育開発に比
教室での教育改善だといえよう。日本において教
べると、その進度が速かったといえる。その理由
員は教育政策を自分なりに解釈し、学校や教室で
は、個々の施策が効果的であったという以上に、
それを具現化する職務を負う。と同時に、教育現
国家の開発政策において教育政策が極めて重視さ
場では実践に基づいて継続的によりよい教育を探
れ、積極的な施策が講じられたことが主な要因と
究することが求められている。そして、多くの教
して指摘できる。
員は各種の研修機会をとらえて自己研鑽に励むな
ど専門性の向上に努め、それらの要求に一定程度
3. 包括的・漸進的な教育改善
応えている。その背景には、教職の聖職性・専門
日本の教育開発においては、
「学制」
以降一貫し
性に関する教員自身の認識、および学校教育にお
て教育制度、教育行財政、教育課程、教員養成研
いて教員を重視し、その育成・確保に力点を置く
修など多岐にわたる包括的な改正が実施されてき
といった政府の考え方がある。
12
日本の教育経験
会制度の導入や地域住民の学校教育への参加促進
III 日本の教育経験の活用の可能性
などを通じた外部有識者や協力者の動員、研修や
裁量権の拡大による教育行政官や学校管理者の能
「日本の教育経験」が途上国の教育開発に活用
できるかどうかの前提として教育開発課題の共通
力強化といった方策が、途上国に有用な経験とし
て提示できるのではないだろうか。
性や教育開発の方向性が存在する。
教育開発の段階や進度に応じて課題の出現の仕
2. 教育改善の実現
方は異なるものの、表−2に例示したように日本
多くの途上国では、急激な教育開発を目指して
がこれまで有してきた課題と途上国が現在直面し
大規模な「教育改革」が実施されている。しかし、
ている課題はほぼ共通している。
その重点や方向性は数年ごとの政権交代によって
また、表− 3 によれば、教育施策の重点が概し
大きく変化することもしばしばであり、予算措置
て「教育の量的拡大」から「教育の質的向上」に
の困難さと相まって、持続的な教育開発が実現で
移行しており、
「教育のマネジメントの改善」
には
きない場合が散見される。そこで、包括的・漸進
継続して重点が置かれてきたという日本の教育開
的な「教育改善」の実現が求められよう。改善と
発の変遷は、近年の途上国における教育開発の動
は、情報収集と現状調査を重視し、施策を定期的
向と基本的に一致している。
に見直すことによって、よりよいものに改めてい
さらに、表− 4 からは、全国民を対象とした学
く漸進的な取り組みであり、大幅な改正を伴う急
校教育制度の整備の実態が、初等教育、前期中等
進的な改革とは一線を画している。教育改善は一
教育、後期中等教育・就学前教育、高等教育の順
見進度が遅いように見えるが、それまでの蓄積に
で進められたことがわかる。これもまた、近年の
基づいて修正を加えていくことから、関係者と国
途上国における教育開発の動向と一致している。
民の理解を得やすく、結果として現実的で着実な
以上より、課題解決のための選択肢として「日
本の教育経験」を途上国の教育開発に一定程度活
用することができると考えられる。
進歩を可能にする。
そこで、教育関係法規の整備による政策の一貫
性の確保、行政機関内部組織の権限・機能・所管
業務の明確化や官僚任用試験制度の導入などによ
IV 「日本の教育経験」から得られる
教訓
る行政の継続性の確保、経験の共有化と蓄積・継
承を可能にする情報管理、各種定期調査の実施や
視学制度の拡充によるモニタリング機能の強化な
1. 初期条件の活用
どの「日本の教育経験」が参考となろう。
教育はその国の政治・経済・社会・文化・宗教・
言語などと密接に関係しており、教育が置かれて
3. 中央集権的な教育行政の再評価
いる状況や担うべき役割は各国により異なってい
現在、途上国の多くでは地方分権化に伴う行政
る。しかし、現状分析により政策を推進させるこ
改革が実施されており、中央集権的な教育行政の
とが可能な条件を見出し、それらを有効に活用で
あり方を批判的にとらえることが少なくない。し
きる政策立案能力や施策実施能力を、政府や地方
かし、日本の経験からは、改革や改善を全国規模
自治体が身に付けることで、より効果的・効率的
で均等かつ均質に展開していくうえでは、官僚制
に教育開発を実現できる可能性は高い。
に依拠した中央集権的な教育行政が極めて効果的
そして、
「日本の教育経験」
の中では、たとえば、
であったことがわかる。教育の機会均等と質の確
学校基本調査、学校教育診断、児童実態調査など
保・維持のためには、教育における地方分権のあ
の定期的実施による教育統計の整備と分析、審議
り方を再考し、場合によっては中央集権制も容認
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 13
特集:日本の経験から学ぶ
表−2 開発途上国と日本における教育開発上の課題の共通性(導入期から拡充期にかけて)
主要教育開発
課題カテゴリー
例 (導入期→拡充期)
共通性の度合い
教育行政
△
社会的弱者に対する政策・計画の不備
教育における各種格差の存在
教育財政
△
教育予算に占める人件費の高さ
教育予算の不足と非効率的な運用
教育内容
○
カリキュラムと地域の生活実態との乖離
画一的で暗記中心の一方的な授業
教 員
○
優秀な有資格教員の不足
教員の待遇の悪さと社会的地位の低下
教育インフラ
◎
学校(特に安全な学校)の不足
学校施設・設備不足と不十分な維持管理
学校経営
○
学校運営予算の不足
学校運営管理の未熟さ
地域・家庭・児童
◎
保護者の学校教育・教員に対する不信感
児童労働力に依存した生活
注)◎=共通性が高い ○=共通性がある △=一部共通
(出典)筆者作成.
表−3 教育開発課題別に見た日本の教育開発の変遷
量的拡大
質的向上
マネジメントの改善
導入期
◎
<児童の就学促進>
拡充期
○
<教育の完全普及>
○
<統制と民間運動>
◎
<集権化・国庫負担漸増>
復興期
◎
<教育の機会均等>
◎
<教育の基準化>
○
<民主化・分権化>
◎
<制度構築・受益者負担>
○
◎
<教育の多様化・個別化> <学校強化・住民参加>
充実期
注)◎=最優先課題 ○=重点課題 < >=キーワード
(出典)筆者作成.
表−4 学校教育段階別に見た日本の教育開発の変遷
就学前教育
(幼稚園)
初等教育
(小学校)
導入期
◎
拡充期
◎
復興期
○
充実期
○
注)◎=最優先分野 ○=重点分野
(出典)筆者作成.
14
前期中等教育
(中学校)
後期中等教育
(高等学校)
高等教育
(大学など)
◎
◎
○
○
○
日本の教育経験
されるべきではないだろうか。ただし、戦時体制
下で起きたような国家による恣意的な教育統制が
おわりに
懸念されることから、国民が審査・抑制機能を持
つ形での対策も同時に必要とされる。
ここまで見てきたように、
「日本の教育経験」
か
以上に関して、中央と地方の権限・機能・所管
ら導き出される教訓や個別具体的な経験そのもの
業務の明確化、「へき地教育」および「特別な配慮
を開発途上国の教育開発に活用することは可能で
を要する児童」関連法規の整備、返還奨学金の整
ある。もちろん、途上国の文化的・社会的・経済
備、教育課程の統御方法の確立、学習指導要領の
的・政治的な背景や主要な前提条件注 5) を考慮し
整備・普及・改訂、教科書検定制度の導入などの
て、最適化を図らなければならないことは言うま
日本の経験が役に立つと思われる。
でもない。その際、最も重要なことは、他国の教
育経験を自国の教育開発に採り入れる場合、実施
4. 優秀な教員の育成・確保
主体に相応の決意と労力が求められるという事実
学校教育のありようは教員の意識・知識・能力・
である。自国の教育問題を客観的に分析・把握し
人格などにかなりの部分依拠している。ゆえに、
たうえで、問題解決の参考となり得る他国の教育
長期的な視点に立って優秀な教員を育成・確保す
経験に関する情報を入手し、その活用の可能性に
ることは極めて重要な教育開発アプローチであ
ついてさまざまな角度から検討を加える。そし
る。現在、多くの途上国では、教員の専門性向上
て、適切な改善を加えてモデルを作り上げ、試行
を目的として、教員養成課程の高度化や現職教員
錯誤を繰り返しながら実施し、自国の現状に適合
研修の制度構築と継続的実施が試みられている
させていく。こうした取り組みを実現するために
が、理想とする教員像を明示し、その育成・採用
は、関係者に高い意欲と不断の努力が要求され
計画を具体的に有する途上国は少ない。したがっ
る。このことは「日本の教育経験」自体が証明し
て、今後は優秀な教員の育成・確保に関して明確
ている。
かつ長期的なビジョンを打ち立て、さらなる取り
組みを進めていくことが求められている。
これに関して「日本の教育経験」から参考とな
最後に、以上をふまえて、
「日本の教育経験」
を
活用した国際教育協力の方途について提言した
い。
り得るものを挙げるならば、行政側に対しては、
まず、途上国の人々が「日本の教育経験」に興
教員免許資格制度の整備、教員養成課程の拡充、
味を持ち、自国への活用の可能性を正確に判断で
現職教員研修の提供、教員の待遇の改善などに関
きるよう、日本の経験を情報として提供可能な形
連する総合的な施策の立案・実施などがあり、教
に整理し、積極的に発信していくような試みを行
員に対しては、授業研究や校内研修による自主研
う必要がある。これは日本の国際教育協力の独自
修の実施、教員間の情報伝達や意見交換を常時可
性を打ち出すとともに、知的支援として新たな技
能にするネットワークの形成などがあろう。
術協力の可能性を模索する試みともなろう。
こうした垂直・水平方向の専門性向上の機会を
そのうえで、途上国の要請に応じて、従来のよ
通じて、教員の教育観・学習観・児童観・教材観
うな「共に考え、共に行動する」協力を行うこと
などが均質化されていく。そして、このような過
が望まれる。財政支援が国際的な教育援助・協力
程を経て、個々の教員が児童生徒の特性に応じた
の主流になりつつある昨今、技術協力の意義や効
創意工夫を実践できるようになり、結果として教
果が問われている。しかし、途上国の人々が日々
育の質的向上が図られていくものと考えられる。
の活動の中で直面する問題を解決するため、選択
肢の 1 つとして日本の経験を提供し、ともに試行
錯誤を繰り返しながら新たなモデルを作り上げて
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 15
特集:日本の経験から学ぶ
いく。このような過程でしか真の
「能力開発
(キャ
パシティ・デベロップメント)
」を行うことはでき
ず、これを経ずして持続可能な教育開発を実現し
ていくことは困難なように思える。
注 釈
1) 2002 年の 5 月に JICA が「開発課題に対する効果的アプ
ローチ 基礎教育」を,6 月に外務省が「成長のための
基礎教育イニシアティヴ(BEGIN)」を,7 月に文部科
学省が「国際教育協力懇談会 最終報告」を相次いで発
表した.
2) 明治政府が発した日本で最初の体系的な教育法制で,
新たな教育観を示し,学校制度や行政組織などを定めて
いる.これにより
「欧米において形成されてきた近代教
育を、歴史的文化的な伝統と風土を異にする東アジアの
一角に定着させようとする前人未到の試み(「学制百二
十年史」より)」が開始された.
3) 1910 ∼ 20 年代に世界的な新教育運動の影響を受けて
興った教育運動で「大正自由教育」と呼ばれる.それま
での画一的・権威主義的な教育に対し,子どもの自発性
や個性を尊重する自由主義的な教育.
4) 指導者層として高度な学問を修める必要があった武士
階級の教育機関として「藩校」が,学問や芸能を門弟に
授ける民間の教育機関として「私塾」が,日常生活に必
要な読み書き算などを庶民に教える教育機関として
「寺
子屋」が存在していた.
5) ここでいう前提条件とは,主に調査による各種ニーズ
の把握と統計の整備,関係者・対象者の啓発と理解向
上,実施・責任主体の実施体制強化とイニシアティブの
醸成,制度や法制の整備などの度合いを指す.
参考文献
JICA[1994]『開発と教育 分野別援助研究会報告書』
――[2002]
『開発課題に対する効果的アプローチ ―基礎
教育―』
――[2003a]
『日本の教育経験 ―途上国の教育開発を考える―』
――[2003b]
『JICA 公開セミナー報告書 日本の教育経験
を途上国協力にどう活かすか』
外務省[2002]
『成長のための基礎教育イニシアティヴ』
文部科学省[2001]
『2001 わが国の教育統計 ―明治・大正・
昭和・平成―』財務省印刷局
――[2002]『国際教育協力懇談会 最終報告』
文部省[1953]教育実態調査報告書『わが国の教育の現状 ―教育の機会均等を主として―』
――[1972]『学制百年史』ぎょうせい
――[1992]『学制百二十年史』帝国地方行政学会
文部省調査局[1962]
『成長と教育:教育展開と経済の発展』
文部省
16
〔情 報〕
織・人材開発といった分野での取り組みを推進
体で年間約2330億ドル、維持管理費が約2320億ド
し、またインフラ以外のセクターを検討対象に含
ルであるなど、依然として膨大なニーズが存在す
めるなど、従来以上に広範な要素を統合的にとら
る。また、次のような特徴が指摘できる。
えていくことが必要となる。このような政策レベ
1)
発展段階別に見たインフラニーズ
ルでの包括的な取り組みを実効あるものとするた
開発途上国において必要とされるインフラサー
めには、途上国自身による政策的な意思決定を助
ビスは国・地域ごとに異なるが、特に、経済成
ける、より高度な知的支援が必要となろう。ま
長、都市化の進展、産業構造の変化、モータリ
た、優先順位の評価については、「評価指標間の
ゼーションの進展といった発展段階の違いに影響
重み付けをいかに行うか」という困難な課題が存
される。低所得国においては、一般に農村人口が
在する。この課題については、検討プロセスにお
多く、農村地域での水やエネルギー、衛生施設な
いて透明性を確保し関係者の合意を取り付けると
どの基礎的生活施設が不足している。一方で、人
ともに、「だれの潜在能力をどの程度発揮させる
口密度が低いため、サービス提供のためには、都
か」という観点で評価を行うことが必要である。
市と比して格段に多くのコストが必要となり、低
密性を踏まえた資金獲得方策が必要となる。
4. プロプアデザインの必要性
中所得国では、都市化の進展やモータリゼー
目標設定、総合的アプローチを経て、実施すべ
ションなどによって、大規模なインフラ整備の需
きプロジェクトが特定された後、デザインを行う
要が増大する。また経済の離陸期にあり、インフ
際に重要なことは、「いかにして貧困削減に貢献
ラへの投資効果が非常に高く、インフラ整備への
するか」ということである。これは、貧困削減と
民間資本の導入が現実的になり、それを支える制
いう喫緊の課題に対して、インフラ事業の事例の
度整備への支援や投資の触媒となるビジネスモデ
蓄積が少なく、明らかになっていない部分が多い
ルの試行などが必要となる。
ことによる。プロプアデザイン(貧困層を重視す
2)
比較的高い発展段階にある国において今後想定
るデザイン)は、
(1)
貧困削減に直接貢献するためのプロジェクトデ
ザイン
(2)
基幹経済インフラが貧困削減へ効果を及ぼすた
めの補完的なデザイン
されるインフラニーズ
アジアの一部の国など比較的高い発展段階にあ
る国においても、インフラに関するニーズは依然
として多く、主に次のようなものが挙げられる。
(1 )近年の経済のグローバル化の進展などに伴っ
の2つに大別される。これらについては、いずれも
て、国境を越える
「クロスボーダーインフラ」
が
積極的に事例を蓄積し、その貧困削減に至るメカ
重要な役割を担ってきている。これは、圏域全
ニズムの把握、効果の測定、デザインの改善を
体として国際競争力を強化し経済成長を達成す
図っていくことが必要となる。前者について現段
るとともに、域内の低所得国をも発展させようと
階で重要と考えられる点としては、次の4つを挙げ
いうものである。今後は、この種の事業で必要な
ることができる。①Availability の確保:目的とな
調整業務への支援も求められると考えられる。
る活動や機能に直接資するサービスの提供(水栓
(2)
貧困と成長が重視され、貧困削減や環境保全な
設置など)、②Accessibility の向上:物理的・社会
どへ直接的に貢献するインフラ支援、あるいは
的なアクセス抵抗の低減(フィーダー道路、市場
民間投資促進のための知的支援が求められる。
へのアクセス道路の改良など)、③Affordability の
また、国内格差の是正へ向けた協力も必要とな
考慮:支払い可能な負担でのサービスの提供(公
ろう。
共交通料金や水の引き込みコスト低減など)、④
(3)
インフラの量的な確保のみならず、高度な技術
Acceptability への配慮:文化や生活習慣への受け入
を必要とする多くの課題が生じつつある。前述
れやすさの配慮(ジェンダー配慮等)。
の環境面での協力や民間資金の活用に加え、ア
セット・マネジメント、リサイクル、ITS
(情報
5. インフラギャップの解消
技術サービス)といった新技術を必要とする分
現在、低所得国と中所得国の1人当たりインフラ
野、またプロジェクトマネジメント協力、財源
ストックは高所得国のそれに対して各々13分の1、
確保方策、組織や制度改善といった分野での需
10分の1であり、途上国のインフラ整備需要は、全
要がある。
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻39号)2004.4 75
日本の地域保健アプローチから学ぶこと
〔特別報告〕
Special Report
特集:日本の経験から学ぶ
日本の地域保健アプローチから学ぶこと
―途上国のプライマリ・ヘルスケアの推進に向けて―
こまさわ
まき こ
駒澤 牧子*
に地域保健アプローチが展開された(橋本
はじめに
[1955]
;橋本[1968]
;JICA[2004]
)
。この地域保
健アプローチは、当時の国民の最重要課題であっ
2003 年 12 月に発表された「World Health Report
た感染症や母子保健に対応し、結果的に国全体の
2003(以下、WHR 2003)
」
(WHO[2003]
)では、
保健医療システムの強化にもつながった。この時
「プライマリ・ヘルスケア(以下、PHC)に基づく
代の日本における地域保健アプローチはPHCの概
保健システムの強化」を打ち出している。PHCと
念に通じるものである。したがって現在の財政的
は、1978 年に「アルマ・アタ宣言」で提唱された
に豊かでない途上国においてPHCを推進するうえ
概念で、治療だけでなく健康増進、予防、治療、リ
で、日本の地域保健アプローチの実践的経験が参
ハビリテーションまでの、包括的な保健医療を目
考になると考える(JICA[2004]
;國井[2003]
)
。
指すものであり、地域住民の完全なる参加によっ
そこで本稿は、最初に日本の代表的な地域保健
て、地域の社会経済開発にも中心的役割を果たす
アプローチの 3 つの事例を紹介し、次にその特徴
ものと定義されている(W H O [1 9 7 8 ];梅内
を分析し、最後に途上国への応用可能性を考察す
[1998]
)
。PHCは斬新な概念(中村[1998]
)であっ
る。
たが、1990年代に世界銀行が保健分野に費用対効
果の概念を導入するなど、数量的な成果を求める
アプローチが保健戦略の主流となる中で(湯浅他
I 日本の地域保健アプローチの成功
事例
[2003]
)、世界の保健戦略において具体的な方策
とはならなかった(中村[1998]
;柳澤[1999]
;
日本の地域保健アプローチといっても一様では
若井[2001]
)
。しかし、ここにきてこのようなア
なく、保健婦が中心となったケース、自治体が中
プローチが見直され、再びWHOはPHCを保健戦
心となったケース、医療機関が中心となったケー
略の中心に据えたのである。
スなどがあった。以下に、これらの中心となった
日本においては、主に1920年代から60年代、一
主体別に 3 つの成功事例を紹介する。
般の国民の生活水準が低く、また保健医療システ
ムも不十分であった時代に、草の根レベルで活発
本稿は,国際協力機構(JICA)が 2002 年度より実施した「教育・保健分野における日本の政策及びアプローチ・保健
医療分野研究会」に筆者が参加した知見に基づいているが,本稿における意見は個人的見解であり,JICA や研究会の
意見を代表するものではないことをお断りしておく.また,保健婦,助産婦,厚生省などの名称は本稿が主として論じ
た時代のものをそのまま用いた。
*(株)アース アンド ヒューマン コーポレーション主任研究員/東京大学大学院医学系研究科国際保健計画学教室客
員研究員 国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 17
特集:日本の経験から学ぶ
図−1 国保保健婦を中心とする地域保健資源
市町村・国保
保健婦
保健所
市町村
首長
産業
住民組織
・農業改良普及員
学校
自治会
民生委員
男性組織
産業組合
(農協)
女性組織
生活改良普及員
医療
青年団
婦人会
愛育班
・病院
・開業医
・開業助産婦
消防団
結核予防婦人会
若妻会
宗教
・寺
(出典)筆者作成.
1. 事例 1:保健婦主導 (長野県高甫村・現須坂
市)注 1)
成し、乳児検診や妊婦検診、寄生虫対策などの活
動の中心に位置付けていった。また中絶が多く母
1920年代から終戦までの時期、東日本の多くの
体の健康を損なっている現状を改善すべく、家族
農山村では恐慌や寒冷のあおりで疲弊し、無医村
計画について学ぶ場として夫婦を対象とした「お
が増え、住民は貧困と病の連鎖を断ち切れない状
しどり会」を作り、住民の根本的な意識改革にも
態にあった(小栗他[1985]
;名原[2003]
)
。この
つなげていった。地元で古くから信望のある開業
ような極貧の村の 1 つ長野県高甫村で、国保保健
助産婦も母子健診や家族計画の指導に協力した。
婦注2)として活躍したO保健婦の事例を紹介する。
こうして活用された地域の資源や人材は図−1の
高甫村は 1944 年当時人口約 2000 人、昭和恐慌
ように多岐にわたっている。
の影響で全村的に極貧状態にあり、食料不足、非
このような活動の結果、1956年に乳児死亡率ゼ
衛生的な環境による伝染病の蔓延、寄生虫やノ
ロを達成している。また保健補導員制度について
ミ・シラミの蔓延、妊婦の過労による死、高い乳
は今日まで継続しており、市内の 4 世帯に 1 人は
幼児死亡率など村民の保健状態は深刻なもので
経験者がいるという状態にまで普及している。こ
あった。
れは市民の健康知識の向上と予防活動の実践につ
1944年に着任したO保健婦は、村唯一の高齢の
医師に代わってやむを得ず医療行為を代替するこ
ながっており、結果的に同市の医療費の抑制にも
少なからず貢献している(荻原[2001]
)
。
とから始まり、母子健診、寄生虫対策、家族計画、
栄養指導など住民のニーズに応じてどんなことで
2. 事例 2:自治体主導(岩手県沢内村)注 4)
も実行した。村人の胸を借りて村人と一緒に考える
戦後、市町村が主導して、住民参加の保健衛生
ことを身上とし、特に力を入れたのが地域の青年団
活動を促し、保健医療の向上に成功した例は日本
や婦人会との連携であった。婦人会などの協力を得
各地にあるが(第一生命保険[1969]
;日本公衆衛
て、女性保健ボランティア「保健補導員」注3)を育
生協会[1984]
)
、特に有名な岩手県沢内村の事例
18
日本の地域保健アプローチから学ぶこと
図−2 保健委員会を核とする地域保健組織
市町村
学校
医療機関
自治体
公民館
農協
保健委員会
婦人会
保健所
青年団
保健連絡員会議
保健婦
保健連絡員
保健連絡員
保健連絡員
地区
地区
地区
(出典)筆者作成.
を紹介する。
していった。また婦人会、青年会、農協青年部は
沢内村は 1 年の半分近くを深い雪で途絶される
生活を見直す学習会を実施していくうちに、自主
極貧の村であった。戦後10年経っても無医村状態
的に農業改良普及活動や農繁期保育所活動を行う
のままで、多くの貧しい村民は医療にかかること
ようになった。
なく死んでいき、乳児死亡率は 1955 年当時 70.5
このような村ぐるみの総合的な保健活動の結
(出生千対)
(及川[1984]
)と全国平均のおよそ 2
果、F 村長就任 5 年目にして乳児死亡率ゼロを達
倍であった。
このような状態の中、
「村人の命を守る」
を公約
に掲げて1957年、F村長が就任した。F村長は、精
成し(菊地[1968]
)
、医者にかかると家計の負担
になると老人が恥じる村から「老人たちが至極明
るい村」
(菊地[1968]
)へと変貌した。
力的に各地区座談会や実態調査を行い、住民の最
優先課題が、豪雪、多病・多死、低所得であるこ
とを突き止めた。そこで、まず豪雪の問題を除雪
3. 事例 3:医療機関主導(長野県・佐久総合病
院)注 5)
で解決し、これによって村民に前向きな姿勢が芽
3 例目は、医療機関が主導して包括的な地域保
生え始めた。医療の問題については、
「村ぐるみの
健アプローチを展開していった長野県佐久総合病
保健活動」を目指して、全村民の意思を反映させ
院の事例である。
かつ連携させる保健委員会(図− 2)を発足させ
長野県南佐久地方は終戦当時典型的な寒村地帯
た(菊地[1968]
)
。さらに、医者のなり手がいな
で、人口二十数万を擁する広大な山間部に、開腹
かった村営病院に苦労の末医師を招聘し、村内で
手術ができる施設は1つもなかった。1945年に佐
優良な医療を受けられる体制を整備した。そして
久総合病院に着任したW医師は、医学書を片手に
村営病院と役場が一体となって、全村民対象の生
帝王切開から乳ガンまでありとあらゆる手術をこ
活習慣病のための健診の実施や、冬季の劣悪な住
なし患者を救っていった。これが病院への住民の
宅環境を改善する改良住宅の開発などを手がけ、
信頼につながった。さらに W 医師は、手遅れで
最終的に病気の予防・早期発見・早期治療を徹底
やってくる患者の多いことから、巡回診療と巡回
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 19
特集:日本の経験から学ぶ
表−1 1950年ごろの農村における社会的病因
農
業
的
因
子
・
・
・
・
・
農作物・家畜によるもの
農耕地(田、畑、山林)の不潔
農作業の過労(特にその「かがまり仕事」)
農機具・家畜の事故
農薬肥料によるもの
農
家
的
因
子
・
・
・
・
・
・
住居の不衛生(汚い便所、無暖房)
不合理な栄養(特に白米の大食)
気がね(家父長制、共同体的な生活による)
妊娠・出産および育児の不衛生
年寄りとおば捨て山精神
低い家計費の中の医療費
農
村
的
因
子
・
・
・
・
気候・地勢・土壌・野生動物・昆虫
部落の迷信・衛生知識の不足
不衛生な村の環境(上下水道の不備など)
無医村的環境
(出典)若月俊一[1971]『村で病気とたたかう』岩波新書p.112.
健診を行った。またある無医地区について疾病に
かに低いレベルにとどまっている(若月[1971]
)
。
関する調査を実施したところ、全疾病のうち約 7
割が潜在化しており、そのうちの 6 分の 5 は「が
II 日本の地域保健アプローチの特徴
まん型」、残りは「気づかず型」という実態(若月
[1971]
)を把握した。このような結果の積み上げ
以上紹介した 3 事例から、日本の地域保健アプ
から、W医師は農村特有の疾病の病因には、農業
ローチに共通する主な特徴であり、また現在の途
的因子(農作業の疲労等)
、農家的因子(住居の無
上国のPHCの推進において役立つ項目として挙げ
暖房・不衛生、気兼ね等)
、農村的因子(部落の迷
られるのが(1)住民参加/住民主体、(2)徹底し
信、不衛生な環境等)などが横たわっており(表
た実態把握、(3)包括的展開の3点である。以下、
− 1)
(若月[1971]
)
、医療的アプローチだけでは
各項目について解説する。
解決せず、農作業の軽減、暖房の改善、衛生改善
などが必要であることを訴えていく。さらに、村
1. 住民参加/住民主体
役場と連携して 15 歳以上の全村民を対象とした
地域保健アプローチの最も重要な原則は「住民
定期的な健康診断「全村健康管理」事業を実現し
参加」であり、結果的に住民主体の活動に発展す
た(若月[1971]
)
。この健康診断の結果を「健康
ることが期待される。住民一人ひとりが自分の問
台帳」に記録することによって、村と病院が村全
題として健康問題を考え始めたときから、地域保
体の健康状況を把握することができるようになっ
健のメカニズムが動き出すといってよいであろ
た。一方、村民には「健康手帳」が渡され、自分
う。3 つの事例に共通するのは、この原則を大切
自身の健康を管理する意識が醸成された。また、
にしたファシリテーターの存在である。このファ
全村健康管理事業の遂行には住民の理解と協力が
シリテーターの手助けによって住民活動が活発化
不可欠で、そのために事例 2 の図− 2 と同様の保
し、包括的な活動に展開していった。
健委員会を中心とする保健組織を構築した。
3 事例では、地域保健のメカニズムが動き出す
これらの包括的な取り組みの結果、早期発見・
きっかけとしてファシリテーターが住民の信頼を
早期治療が徹底され、重症患者は減少し、同村 1
得たエントリーポイントがあった。たとえば、事
人当たり医療費は近隣村や全国平均と比べて明ら
例 1 の場合は保健婦の医療代替行為であり、事例
20
日本の地域保健アプローチから学ぶこと
2の場合は除雪であり、事例3の場合は外科手術で
婦人会等との共同活動によって住民の生活環境・
あった。それらは住民が半ばあきらめていた潜在
考え方などを把握した。事例 2 では村長自身が各
的ニーズであった。このような住民の潜在的ニー
地区の座談会を回り住民の声を丹念に収集した。
ズに応えることにより、
「あきらめがち」
「知識不
事例 3 では、医師が巡回検診・診療を実施し、さ
足」
「懐疑的」であった住民はファシリテーターを
らに疾病の実態調査や疫学調査を精力的に実施
受け入れ、ファシリテーターの支援を得ながら主
し、農村特有の疾病の原因を解明していった。こ
体的に活動していくこととなる。
のように、中心となる人間が「座して待つ」ので
さらに住民の参加をよりスムーズにするための
はなく住民の中にアウトリーチしていき、住民と
舞台づくりにも努力が払われた。事例2・3では全
同じ目線で住民の実感に迫る情報を収集すること
村民の意思を反映させるために地区ごとに保健連
が住民のニーズに的確に応えるためには非常に重
絡会を、またその集約の場として保健委員会を構
要である。
築した。さらに、3 事例とも、地域住民に強い影
他方、住民自身が記録をつけ分析することで、
響力を持つ人物たちを積極的に取り込んでいった
実態を把握し考える習慣が身に付くようにファシ
ことは着目すべき点である。たとえば、事例 1 の
リテーターが促していったことも注目すべき点で
図−1に見るように、当時の農村社会の典型的な
あろう。事例 1 では家族計画の指導によって月経
要となる人的資源である、村長、消防団長、住職、
の記録をつけることが定着し、これが農作業の記
自治会など、また女性に対しては婦人会や開業助
録をつけることへと発展し、生産性が向上すると
産婦などを取り込んでいった。さらに若妻会など
いう波及効果まで生んだ(大峡[2002];JICA
家庭内で発言力のない層を取り込む場合は、その
[2002]
;JICA[2003a]
)
。事例 2・3 では、住民一
行動の決定権を有する舅・姑などを説得する努力
人ひとりに「健康手帳」を配布し、住民自身が自
も払われている(大峡[2002]
;JICA[2002]
;JICA
分の健康を管理するという習慣が定着した。ちな
[2003a])
。このような地域の有力な人的資源は、
みに、戦後、大企業で取り組まれた新生活運動で
ファシリテーターを側面から多岐にわたってサ
は、
「家計簿をつける」
という指導によって、生活
ポートするサブファシリテーターであり、住民参
設計の習慣が従業員の身に付くようになり、それ
加・住民主体の展開に重要な存在である。
が家族計画や貯蓄の実践へとつながり、さらには
企業の投資用資本となり、最終的に日本経済の成
2. 徹底した実態把握
長につながったという見方もある注6)。日本の多く
3 つの事例ともに、ニーズに対応するために徹
の庶民が記録をつけるようになったのは戦後以降
底的に実態把握をし、科学的に問題解決していっ
であることは意外に知られていないのではないだ
た点も特筆すべき特徴である。
ろうか。
事例 1 では、保健婦は国保の診療報酬明細書を
計算するという作業を通じて、住民の疾病状態や
3. 包括的展開
治療の実態を把握した。さらに保健所の寄生虫検
以上のような日本の地域保健アプローチは、住
診結果や母子保健統計が住民の健康状態を把握す
民主体を目指し、住民のさまざまな健康課題の根
る基本的データとなった。事例2・3では全村民を
本的解決を目指すことで、結果的に生活改善につ
対象として健康診断を実施し、その結果を健康台
ながり、さらには地域振興にまで発展していった
帳に記録し、地域全体の健康状態を把握した。
さらに、3 事例ともに積極的に住民の中に出か
プロセスであった点も見逃せない。事例 2 の住宅
改良、農業改良普及活動、農繁期保育所活動や、事
けていって住民の実態・実感に迫る努力をしてい
例3の農作業の軽減、暖房の改善、衛生改善など、
る。事例1では保健婦は日々の訪問看護に加えて、
保健セクターを超えて他セクターまでその活動は
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 21
特集:日本の経験から学ぶ
図−3 地域保健アプローチの展開
住民
ファシリテーター
エントリーポイント
成果
気づき
住民主体/住民参加の保健活動
住民主体 住民参加の保健活動
エ
ン
パ
ワ
ー
メ
ン
ト
実態把握
アウトリーチ
科学的分析
住民による
情報管理
自
立
発
展
包括的展開
保健医療
地域振興
生活環境
幸せな生活
(出典)筆者作成.
発展していった。これらの事例以外にも、各地で
は包括的展開に発展することによって、まさに地
地域保健活動が村おこしへと発展した事例が見ら
域社会の社会経済開発へとつながる可能性を持っ
れる。たとえば、福島県西会津町の場合(日本経
たアプローチであるといえる。
済新聞社[2003]
)
、町に多い生活習慣病の疾病を
これまで分析してきた日本の地域保健アプロー
減らすために町民自ら栄養たっぷりの野菜栽培を
チの特徴を大まかに整理すると、図−3のように
始めたところ、話題を呼び、全国から注文が増え、
なる。すなわち、
「住民参加/住民主体」
を原則と
町の産業へと発展すると同時に、町民は忙しく体
し、ファシリテーターが住民の潜在的ニーズに応
を動かすことによって生きがいを感じるようにも
え、目に見える“成果”を住民が実感することに
なったという。このように、地域保健アプローチ
よって住民の“気づき”が起こり、本格的な住民
22
日本の地域保健アプローチから学ぶこと
主体の地域保健活動が始まる。その活動のプロセ
また、ファシリテーターが十分に力を発揮する
スにおいて「徹底した実態把握」が何度も繰り返
ためには住民の信頼や協力を得るための効果的な
されることによって、活動はまた次の活動を生
エントリーポイントが重要である。エントリーポ
み、保健医療だけでなく生活環境の改善や地域振
イントの発見には、現地の状況を十分把握するこ
興など「包括的展開」へと発展していく。そして
とが不可欠である。あるいはあらかじめ地域の情
最終的には、住民がエンパワーされ、活動が自立
報を把握している人材を計画の初期の段階から参
発展し、その先には「幸せな生活」がある。
画させることも有用である。娯楽に乏しい僻地や
貧困の村では、
「保健フェア」
などと呼ばれるイベ
III 途上国への応用可能性
ントを開催し、人形劇や血圧測定などを実施する
だけでも効果的なエントリーポイントになる
本章では、これまで分析してきた結果をふまえ
(JICA[2001]
;JICA[2003b]
)
。
て、現在の途上国での日本の地域保健アプローチ
さらに、地域住民を取り込む舞台づくりも重要
の応用可能性および日本が協力する際のヒントに
な活動項目である。事例2・3の保健委員会のよう
ついて考察してみたい。
な組織づくりが参考になろう。この際、地域の人
的・社会的資源に熟知しているファシリテー
1. 住民参加/住民主体
地域保健アプローチの最も重要な原則は「住民
参加」であると述べた。しかし、この原則を実現
ター、サブファシリテーターを取り込み、より多
くの住民の参加を促す可能性を広げることが効果
的であろう。
することは決して容易ではない。しかし、本稿が
論じた 1920 年∼ 60 年期の日本の地域保健のファ
シリテーターたちはこの原則の重要性に気づき、
2. 徹底した実態把握
地域保健活動において、住民の目線に立った実
住民と同じ目線で活動した点が示唆的である。現
態把握は最も重要であろう。本稿で見た 3 事例の
在の低所得の途上国においては残念ながら、医療
場合、ファシリテーターを中心としてアウトリー
従事者の中で職位の高い人が地域住民と一緒に
チによる情報収集活動が積極に行われた。途上国
なって同じ目線で活動するような光景にはなかな
においては、事例 3 の場合と同様、住民の知識不
か巡り合えないが、地域保健アプローチの成功の
足や貧困によってニーズ(疾病等)が潜在化して
第一歩は、住民主体の原則に共感できるファシリ
いる場合が多い。病院や役所などで患者や援助を
テーター探しやその育成であるといえる。ファシ
求める者を待っているだけでは、本当の住民の
リテーターは地域に影響力のある人物で、住民主
ニーズは把握できず、また正確な問題解決方法の
体の地域保健の原則を共感できる資質を有する人
ための情報は手に入らない。特に地域保健の初期
材であることが望ましい。自治体レベルでいえば
の段階はファシリテーターが率先して、地域に可
村長や地域の長レベルの人であり、地区レベルで
能な限り出かけていき、住民に接し、情報を集め
いえば保健婦(Public Health Nurse)かそれに相当
てくることが重要である。
する人たち(Nurse、Assistant Medical Officer)が
また、日本の経験の特徴として、住民側が情報
適切ではないだろうか。さらに、ファシリテー
管理能力を育てていったという点もある。日本の
ターを助けるサブファシリテーターの登用も重要
場合は住民の識字能力・計算力が比較的高かった
である。やはり人脈があり住民を説得する力のあ
のに比べて、多くの途上国では地域住民にこのよ
る数名のサブファシリテーターを活用し、より多
うな基本的な学力がないことが問題であるが、地
くの住民を巻き込むために適宜協力してもらうこ
域内の有識字者に対して情報管理能力を向上させ
とが効果的であろう。
る支援を行うことは可能であろう。少しでも多く
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特集:日本の経験から学ぶ
の住民が「記録をつける」習慣を身につけること
国での実態に即した日本の経験の応用可能性につ
によって、住民の気づきが起こり、計画性を育む。
いて十分に踏み込むことができなかった。今後、
また、このような地域住民の個々の情報収集・処
途上国の農村地域などでの保健協力の経験・知見
理能力が、地域保健のみならず地域社会の有用な
を有する専門家との共同作業によって、日本の経
資源となろう。さらにこの末端レベルの個々の能
験を応用した具体的なアプローチに関してさらに
力の集積が、自立発展のための保健システムの強
深い検討が必要であろう。
化につながっていくであろう。
最後に、保健医療分野はその国の歴史・文化・
価値観などと密接に関連しているため、その背景
3. 包括的展開
を十分に把握し考慮しなければならないことを強
日本の地域保健アプローチとは、図− 3 のよう
調したい。現在の途上国の置かれた状況はグロー
な包括的展開へと結び付くメカニズムを有してい
バル化の影響によって、保健課題も社会経済状況
た。この流れができるだけスムーズに、かつ幾重
も、本稿で論じた日本の 1920 年∼ 60 年代と比べ
にも複雑に展開するほど、成功したといえるであ
てはるかに複雑でまた多様化している。したがっ
ろう。なぜならば、住民の健康を改善するために
て、日本の経験をそのまま当てはめるのではな
は、保健医療分野だけでなく住民の生活全般にか
く、途上国の人々とのパートナーシップの下で、
かわる多様な取り組みを行っていかなければなら
相手の視点に立ち、かつ科学的な分析に基づいて
ないからである。地域保健の主体は住民であり、
柔軟に応用していくことが求められることも付記
外部者の役割は、その節目ごとにファシリテート
しておく。
することである。最初に適切なサブファシリテー
ターやエントリーポイント選定の手助けをし、必
注 釈
要に応じて情報や技術的アドバイスをし、場合に
よっては少額の資金援助を行い、住民活動を見守
り続けることが援助者の役目であろう。ここで留
意すべき点は、地域保健は本質的に保健医療の分
野にとどまるものではなく、マルチセクトラルに
1)本事例は,JICA[2003]
『第二次人口と開発援助研究』
,
大峡美代志[2002]
「家族計画における日本の経験」
『第
二次人口と開発援助研究第 2 回意見交換会議事録』
(2002 年 6 月 26 日)
,小栗史朗・木下安子・内堀千代子
[1985]
『保健婦の歩みと公衆衛生の歴史−公衆衛生実践
シリーズ 2 −』医学書院、中原壽子[2003]
「写真でみ
展開することが期待されるものであることを援助
る保健婦活動の歴史」
『保健婦雑誌』Vol.59 No.8 2003年
する側もあらかじめ認識し、セクターの枠を超え
8 月号 p.746-761 をもとに構成した.
た支援を行っていくことであろう。
2) 農業組合等や市町村は保健所保健婦とは別に独自に保健
婦を配属した.O保健婦の場合は,高甫村国保事業によ
る配属である.
おわりに
3)「恩賜財団母子愛育会」が,1936 年より全国で実施した
「愛育班」活動からヒントを得ている.
4) 本事例は,菊地武雄[1968]
『自分たちで生命を守った
日本における地域住民が主体となった地域保健
村』岩波新書,及川和男[1984]『村長ありき−沢内村
アプローチは、住民の包括的保健医療活動を実践
深沢晟雄の生涯−』新潮社,元・加藤邦夫沢内村村営病
し、ひいては地域社会の発展へとつながるもので
院院長インタビュー(2004 年 2 月 9 日)をもとに構成し
た.
あった。これはまさに冒頭で述べたPHCの概念と
5) 本事例は,若月俊一[1966]
「農村における医療と公衆
重なるものである。日本のこの多様な経験が、中
衛生の結びつき」
『医療と公衆衛生』医学書院,若月俊
央集権的な保健医療システムが十分に発達してお
らず、地域の医療資源にも恵まれない途上国の草
の根の地域において役立つことを期待したい。
本稿では日本の経験の分析に多くを割き、途上
24
一[1971]
『村で病気とたたかう』岩波新書,南木佳士
[1994]
『信州に上医あり−若月俊一と佐久病院−』岩波
新書をもとにした.
6) 吉田成良[2004]元・財団法人人口問題研究会新生活指
導委員会事務局(2004 年 2 月 27 日)ヒアリングによる.
日本の地域保健アプローチから学ぶこと
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及川和男[1984]
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新潮社.
大峡美代志[2002]
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『第二次
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(2002
年 6 月 26 日)
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――[1971]『村で病気とたたかう』岩波新書.
国際協力研究 Vol.20 No.1(通巻 39 号)2004.4 25