2009年 11月 30日 発 行 TOJO/各怖 shlien 国際協力 NGOシ ンポジウム 学生 がたどるNGOの ル ー ツ、そ して未来 ヘ 充 石戸 国際協 力N G O シ ンポ ジ ウ ム が1 0 月3 1 日、 早稲 田奉 仕 園 ス コ ッ トホ ー ル にて 開催 され ま した。百周年事業 の一環 として足かけ約 1 年 にわたる準備 で、 ようや く の 開催 を迎 え ま した。 出席 者 は4 0 名ほ どで した。 N G O の 源流 を 3 人 の学 生 パ ネ リス トがイ ンタ ビュー でた ど り、古 い歴 史 を持 つN G O の 現在 的 な価値 を、 未来 に伝 えて い くシ ンポジウム に しよ う とい う手法 も、なかなか意欲的なものであ った と思 い ます。 わた しは早稲 田大学Y M C A 主 事 として学生 と関 わ る中で、「閉塞感 の増 した現代であ って も、主体的に 創造的 にた くましく生 きる力 を身につ けて欲 しい」 と 願 ってお ります。準備 のための調査 で、「 仏教者がな 国際協力NGOシ ンポ ジウム すべ き事業 をキリス ト教 で実行 して下 さり本当 にあ り が とうござい ます、 と口添え して、一千万円の小切手 を渡 された」 とい うエ ピソー ドを、アジア学院へ の訪 問イ ンタビューで伺 い ました。 これ らの体験 は、学生 にとって、宗教間対話、開かれたキリス ト教、 さらに は、地球市民やグローバ ルな公共社会へ の ビジ ヨンが 与え られるシ ンポジウムとなったことと喜 んでお りま す。以下に、順次報告 をいた します。 ◆開催 主旨 まず、早稲田奉仕園の阿部千秋 さん (学生活動マ ネージャー)か ら、「このス コットホールが創立の理 奉仕 園読書会 へ のお さそい 1∼ 3p 9p 学生 がたどるNGOの ル ーツ、 そ して 未 来 へ 」 「 本 の ご紹介 10p 最近 の奉仕園活動 か ら 4∼ 7p 幸R告 ・infOrmation ll p 2 奉仕園人物記No口 8∼ 9p 奉仕 園 日誌 。これか らの プ ロ グラム _ 1 _ 9∼ 1l p 2009年 11月 30日 No。57 早稲田奉仕園通信 合 に適 って 、学生 パ ネ リス トを中心 としたシ ンポジウ ム に用 い られて光栄 です」 との ご挨拶 があ りま した。 次 に、 シ ンポジウム 開催 主 旨 につい て、下澤嶽 さん (国際協力NGOセ ンター 」ANIC事 務局長)か ら 「日本 発 の 国際協 力NGOの 中 で 、歴 史 の古 い 3つ のNGOを 選 び、若者 の 日か ら何 が 見 えるのか 、語 っていただ く。 ス コ ッ トホ ー ル地下 にあるシャプラニ ー ル、奉仕 園隣 のキ リス ト教会館 にあ る 日本 キ リス ト教海外 医療協力 OCS)、 そ して、栃 木県 の アジア学 院。 どれ も、 会 (」 キ リス ト教 の 方 々 の働 きに よつて生 まれた もので あ り、 また、 早稲 田奉 仕 園 との ゆか りの 深 いNGOで あ か ら、一般 の人 々 も共に歩める ように配慮 した努力 の 跡 が見 られる。組織 や活動範囲が広がるにつれて、宗 教色 を押 さえてい く工夫 が見 られる。」 とい う指摘 が なされました。 この松原 さんの指摘 は、 自覚 してか無 自覚的にか、21世紀 にどの ようにキリス ト教 団体 が、 信者 ・未信者 の区別な く共に活動 してい けるのか、そ の可能性 を若者世代 か ら注 目されてい る実例 となって い るため、フロアも世話役 も、 とても重要な言葉 とし て呻吟 しました。キリス ト教 の宣教 ス ピリッ トの実践 とい う側面 と、2 1 世紀 のグローバ ル市民社会 のアク ター としての側面が、 どのように調和 されてい くの か、今後の展望が注 目されるものです。 ります。 シ ンポ ジウム 開催 にあた り、 『どの よ うに若 い世代 にメ ッセ ー ジが伝 わ るので しょ うね』 と考 え、 経験者 が 若者 に伝 えるばか りでは、本当 のメ ッセ ー ジ ◆アジア学院 が伝 わ らない。それな らばまず、若 い 人 に語 ってい た だ く方 が、 ふ さわ しい のでは ない か。創 立期 の人 々 と の対話 を通 して、今 の感性 で何 が うつ るのか。それが、 パ ネ ル報告 2は 、佐藤真 史 さん。「アジア学 院創 設 期 のス ピ リッ ト」 と題 して の発表 で した。 「わた しは キ リス ト者 です。 アジア学 院 のルー ツ となる農村伝道 NGOの 本 来 的 な価値 で は な い か。NGOを 上 手 に説 明 す る会 で もな く、 これか ら未来 を造 って い ただ く3名 神学校 で牧 師 になる学 びを して い ます」 と自己紹介 し てか ら、 「アジア学 院 は、国際協力NGOや アジア ・ア フ リカにお け る指導者育成、有機農業 、 とい う面 もあ の若者 の心 に映 った ことを焦点 に したパ ネル発表 に し て い きた い」 との説明が な され ま した。 」OCS ●〉 る けれ ども、それ以上 に、私 は、アジア学 院が開かれ たキ リス ト教共 同体 で あ る ことに注 目して い ます」 と 語 られ ま した。 パ ネル報告 1は 、松 原正 尚 (早稲 田大学政治経済学 部 2年 、早 大 YMCA寮 外 会 員 )さ ん。 「国 際協 力 NGOの 源流 を辿 って」 と題 しての発 表 。「ベ トナ ムで 教育支援 や開発援助 の活動 を見た異文化体験 か ら、人 間の顔 を した資本 主 義 を考 えるよ うにな りま した。 」OCSの 源 流 を 辿 っ て み て、JOCSの 特 徴 は、 1) NGOの 草分 け で あ り、先駆性 が あ った。 2)背 後 に、 キ リス ト教 の博愛 主 義 にお け る医療伝道 とい う側面 が あ った。現在 では、世界 の ロー ルプ レイヤ ー だが 、そ のバ ックグラウ ン ドに宣教 ス ピ リッ トがある こ とを知 して、医療 とい う専 門性 を持 っ り驚 い た。 3)NGOと アジア学院 では、仏教徒 、 ヒン ドゥー、 ムス リム も 含 む、学 院 の皆 で集 い 「人間 を超 える大 い なる存在 を 意識 して一 日をは じめ るモ ー エ ングギ ャザ リ ングの時 共 間」 を持 ってい る。それ は、他宗教 を含 む他者 と 「 に生 き」 て い る姿 で あ り、開かれたキ リス ト教共 同体 の 姿 と して映 る、 とい うの が 佐 藤 さんの 着 眼点 で し た。そ して、 アジア学 院 は どの よ うに 「開かれたキ リ ス ト教共 同体」 とな ったの か、とい う問 い を持 ちつつ 、 高見敏 弘先 生 (名誉学 院長)、長 島清 さん、楠利 明 さ んへ の イ ンタ ビュー報告 が な され ま した。 高見先 生 へ のイ ンタ ビューか らは、アジア学 院設立 て い る数少 ない 団体 で あるため 、現在 もそれが大 きな 強 み と な って い る こ と、 な どが 挙 げ られ る。 また、 へ の前 身 と して、バ ングラデシ ユ復興農業奉仕 団 の話 JOCS発 足 の発端 とな った要 因 と して、当時の活 動 の 中心 にい たキ リス ト教 医学 生 の働 きがあ り、 アジアに が取 り上 げ られ ま した。 日本製 の小型耕絃機 を使 って 独立戦争 によつて荒廃 して しまったバ ングラデシ ユの 対す る犠牲 を無視 していいのか、 とい う中国大陸での 戦争へ の贖罪意識、若者 の 自分探 し、そ して、現地で 活動す る事 を可能 と したキ リス ト教 ネ ッ トワー クが 回畑 を、 日本 の青年婦女子達 で耕 した こと。バ ングラ デシュでの活動 は、大 自然 の力が大 き く影響 して い た あ ったことは、大 きな発見 だった」 と語 られました。 「当時の若者が、 自分 はいかに人生 を生 きてい くのか、 人間の命や生 き方 に真摯 で あ ったことが、」OCS創 設 につ なが ってい るこ と」 に強い共感を受けなが ら、 同 時 に、「 熱 い心 と冷静 な頭脳のバ ラ ンス を取 る ことが 大切 だ」 と考えてい る松原 さん自身 も印象的で した。 な ど。 松原 さんの発 表 の中で、「 JOCSの 理念 と規約 の改変 -2- こと。そ して、共 に労働す ることの大切 さを感 じた と、 「アジア学 院 は、教会 の あ るべ き姿 に近 い 」 と語 る 高見先 生 に、他宗教者 を含 む他者 と、共 に生 きて い く 共 同体 の姿勢 が、設 立 当初 か ら底 にあ った ことを伺 わ せ ます。 長 島 さんへ の イ ン タ ビュ ー か らは、 「バ ム ンカ ヨ タ さんは農民 リー ダー と して、 タイの農村 を変 える働 き を した。農民 た ちが、実際 に社会 を変 える働 きを した 早稲 田奉仕 園通信 2009年 11月 30日 No.57 ので あ り、NGOの リー ダーが社会 を変 えるのではな い。貧 しい農民 とは、「 無知」 ではな く、知恵 に溢 れ とい う意図か ら設立 された。参加 した日本 の若者 たち がバ ングラデシュの人 々によ くしてい ただいたため、 てい る」 とい う話 が紹介 されました。そ して、月の木 沢 とい う集落 に立地 したアジア学院に、苗の発育が悪 い時 には周囲の農家 か ら苗 を集めて来 て くれ る近隣農 家 の方がいた こと。毎晩のように一升瓶 を持 って留学 そ の恩返 しが した い、 とい う熱 い思 いが、 シャプラ ニール設立の根底 にあ ったこと」 などが、福澤郁文 さ ん (元代表)へ のイ ンタビュー を踏 まえて紹介 されま 生を 「 慰問」 して くださる農家 のご主人の存在 があっ たこと。地域 に根 ざして集落 と して共に生 きた歩みで あ ったことな どが紹介 されました。 い まで も、ヮー ク キャンプやボラ ンティアによって支えられ、YMCA、 農大な どの学生ボランティアがい ること。立正校正会 の援助 で、他宗教 の方 とのつ なが りがあること、な ど のインター リージ ヨナルな側面 も指摘 されました。 楠 さんへ のイ ンタビューか らは、バ ングラデシュ復 興農業奉仕団の時に、 日本に留 まり事務 を担当 した経 験か ら、ジャス トコーズ (正しい理由)が あれば、 日 本 も動 く、 とい う強い確信 が紹介 されました。戸板 に 荒廃 したバ ングラデシュの写真 を張 り、街角 で難民故 援金 を募 ったところ、当時 と しては巨額 の支援金 を集 める ことがで きたこと。「 共 に生 きるために」 は、そ ー の時のス ロ ガンで もあ り、「 共 に救 い に与 るために」 とい う草案 か ら、キ リス ト教 の素 地がない と唐突 だ、 とい うことで変更 されたそ うです。助ける、助けられ る、 とい うことで は、上か ら下 とい う姿勢 になって し ま う。「 共 に生 きる」 とい うことは、上下 を突破 して い る。 ◆ シ ャプラ ニ ー ル パ ネル報告 3は 、慶応義塾大学総合政策学部 4年 の 清水菜保子 さんか ら 「シャプラニール =市 民に よる海 外協力会 のルーツ 創 設者 たちの心 の原″ 点」 と題 して した。 吉田ユ リノさん (元駐在員)へ のインタビューでは、 クリスチャ ンである祖母 の影響 で小 さい頃か ら福祉が 身近にあ ったこと。 また、イス ラム社会 の 中で、女性 が活動す るのは大変な ことだったこと。「これだか ら 女性 だか ら仕方 ない」 と言 われない 女性 は」 とか、「 よう奮闘 した ことなどが紹介 されました。清水 さんは 「当時、女性 として、市民 として活動す る ことは とて も困難 であ つただろ うか ら、準備 に準備 を重ねて行 く 姿勢 に、意思が強い方 だと思 い ました」 と。 ◆ フロア討論 では、 ビジ ョンを実行す るためには 3人 必要。 リー ダー と常に寄 り添 う補佐役 と忠実に実行す る事務方、な ど、NGOの 創設 に必要 となる仲 間 につ いて も、フロア討論 の時間になされました。全体 とし て、「ゼ ロか ら作 り上 げた創設者 たちの熱意 は どこか ら生 まれたのか」 とい う問い は、 3人 のパ ネリス トた ちそれぞれの胸 に、引 き継がれたもの と思 い ます。 シ ンポ ジ ウム 実行 委員 大江浩 (日本 キリス ト教海外医療協力会総主事) 遠藤抱一 (アジア学院事務局責任者) 下澤嶽 (国際協力NGOセ ンター事務局長) 石戸充 (早稲田大学YMCA主 事、信愛学舎舎監) 鍛治隆志 (早稲田奉仕園元職員) ANICの イ ンター ンを昨年 まで実施。 行 われました。「 」 高校 時代 か ら、 貧 困問 題 の複合 的な難 しさを 解決す るため に ど うす れば良 い の か、 と関心 をもってい ました。A0 入試 の計画書 で は 国際 協力 について書いた」そ うです。 「シ ヤプラニ ー ルは、 バ ングラデ シ ュ と、 ネ パ ー ルの農村 開発 を 行 って い る 団体。 バ ン グラデ シ ュ復興農業奉 仕 団が 3 ケ 月間 の実施 で あ ったため、 これか らも関わってい きたい、 フロアの皆 さん も加 わっての記念撮影 一-3-一 2009年 11月 30日 No.57 早稲田奉仕園通信 最近 の奉仕 園活動 か ら ☆ Welcome partyを 行 い ま した !☆ 9月25日 に 9月 に入 寮 した 留 学 生 の た め の Welcome p狂けをしました。今回のパ ーテイーは友 愛学舎生が中心 となって準備 をし、浴衣姿で留学生 を迎えて くれました。お料理 は舎生が全員で肉じゃ が ・豚汁 ・ちらし寿司 ・抹茶 ホットケーキを作 って くれて、 ビンゴゲームをして盛 り上が りました。 参加 した72名 の世界各国の留学生 も大変喜んで お り、 とて も楽 しいパ ーティー とな りました。 こ のパ ーティーが更なる交流 の きっかけになる こと を期待 してお ります。 RA Communky Roomの 使用状況 に つ いて RA Community Roomは 今年度 9月 に開設 され ました。 国際学舎 3号 館 1階 にあ り、従来 はPC ルーム として寮 に滞在す る留学生に利用 されてい ましたが、 もう少 し開かれたスペ ース にしたい と 願 いRACRの 開設 に至 りました。 部屋 の中心に話 し合 いや共同作業が出来 るよう 机 を配置 し、パ ーテイシ ョンを置いて、同 じ部屋 の 中で従来 どお りPCの 利用 もで きる よ う配慮 し て い ます。勉 強や作業 の合 間 に学 生 同士が会話 し、挨拶 を交 わす中で良 き出会 いが生 まれる場所 として活用 されることを願 ってい ます。 RACRの 目的 は、RA(レ ジデ ン ト ・アシス タ ン ト)が 18時か ら21時まで在室す ることによ り留 学生 と日常的な コ ミュニケー シ ョンを図ることに あ ります。また、学生活動のメンバーのための ミー テ ィ ングス ペ ー ス と して も利用 されて い ます。 Feel Japan∼ 「 年 中行事 を楽 しむ会」のメ ンバ ーは プログラム運営のために頻繁 に利用 してい ます。 夕方 になると留学生が一 緒 に勉強 してい る姿 も見え るなど有効 に利用 されてい るようです。 浴衣姿 で 自己紹介 をす る友愛舎生 の みな さん 第 9回 早稲 田大学留学生 福 島県 白河研修旅行 (2009年 10月 30日 ∼ 11月 1日 ) 今年 で 9回 目の実施 となる福島県白河研修旅行 は、評議員茨木龍芳 さんをは じめ、龍蔵寺、白河 市役所、白河市国際交流協会、早稲 田大学国際 コ ミュニティセ ンターの協力 を得 て、10ヶ国/地 域 か らの早稲田大学留学生17名が参加 して行 なわれ ました。 今年 は、ち ょう ど紅葉 の時期 と重 な り、美 し い紅葉 が留学 生 を出迎 えて くれ ま した。喬麦打 ち、白河旭高校生 との交流、達磨 の絵付 け、そ し て今回初 めてのプログラムであ る和某子 (練りき り)作 り。 日本 の和菓子 は、四季折 々のお菓子が あ りますが、その 中で も秋 の花 である菊を作 る こ とにな り、見事な菊 の花 が出来上がると歓声が上 が りました。賞味期限が 3日 間だと言 うのに、食 べ るのが もったい ないので食べず に部屋 に飾 って お くとい う留学生 もい ました。そ して、箸作 りも しました。木 を紙やす りで丁寧に削 るのですが、 時間が足 らず、東京 に持ち帰 つての宿題 となって しまい ました。 初 めての体験 と色 々な人 々 との出会 いは、参加 した留学生の 日本 での良い思 い出 となったことと 思い ます。 -4- 早稲 田奉仕 園ホ ー ム ビジ ッ ト ホームビジッ トプログラムは年 2回 、 6月 中旬 か らの 5週 間 と10月中旬か らの 9週 間、奉仕園の OB・ OGの 方 々、早稲 田教会や東京平和教会、稲 門会そ して 日本語 ボラ ンティアの方 々な どにホス トファミリー をお願 い して実施 してい ます。 日本 に留学 してきて寮に滞在 し、滞在期間も1年 弱の留学生活 となると、日本人 との出会いや日本人 家庭 を訪問するとい う機会 も無 く帰国する留学生が 早稲田奉仕園ではホー 多いのが現状です。そんな中、 ムビジットプログラムを2006年秋から開始 しました。 今期 は1003目の留学生のホームビジットをマ ッチ ングす るところから始まりました。 これは実に45の ご家庭が受け入れて くださったことにな ります。 ホ ー ム ビジ ッ トプ ロ グラムの醍醐味 は、何 と 言 って もそれぞれの国、文化、世代な どを越 えた 人 との出会 いで しょう。留学生か らはシ ンプルに 「美味 しか った、楽 しか った │」 との感想 が多 く 寄せ られますが、ホームビジ ットで撮 った写真 を 見せて もらうと確 かにそ こにはいつ もと違 った表 情 の留学生が写 ってい ます。 ホス トファミリーの方 々 も多 い に楽 しんで くだ さ り、「い ろい ろな話 がで きて良 かった。若 いエ ネルギ ー、元気 をもらった。 」 との嬉 しい感想 を いただいてい ます。 早稲 田奉仕 園通信 後期講座 が ス タ ー ト ! 10月よ り後期講座 が 開講 しました。今回はお昼 に開講 してい る3ク ラス をご紹介 します。 <ム リな く学 べ る基 礎英 語 > オース トラリア出身のポール先生が火曜 日、ア メ リカ出身のク リステイ先生が金曜 日クラスの担 当です。 お二人 ともフレン ドリーで魅力あふれるお人柄 で、受講生 の方か らもリラックス したムー ドなの で緊張せず 自然に英語 での コ ミュニケー ションを 身 につ けられ ると好評 です。 授業 ではクラスメー トとそれぞれの経験 を話 し 合 うフリー トーキ ングの時間 もあ り、英語 を通 じ て出会 った仲間 との交流 も楽 しみの一つ となって い ます。年齢や レベ ル を問 わず、 タイ トル通 り 「 無理な く」英語に親 しむことができるクラスです。 ア ジア 語学特 別講 座 よ り Weabak:外 『 '自』上 映会 1 0 月1 6 日、 ス コ ッ トホ ー ル講 堂 にてF e m i n i s t A c t i v e d o c u m e n t a r y V i d e o f e s t a ( Fの A V共 )と ー 催 で韓ロ ドキュメンタリ 映画 「 外泊」 の上映会 い を行 ました。 この 映画 は510日間続 い た女性労働者 た ち の 間 い を描 い た もので 、山形 国際 ドキ ュ メ ンタリー映 画祭参加後 の東京 上 映 で した。キ ム ・ミレ監督 の トー ク もある とあ って会場 は160名の観客 で満員。 参加者 か らは質問 も次か ら次へ と出 され時間が足 りない ほ どで した。 ス コ ッ トホ ー ルの大 ス クリー ン と音響 の迫力 も 満点 で したので今後 もぜ ひ続 けて い きた い と考 え て い ます。 <日 本 語 ボ ラ ンテ ィア養成講座 1年 コー ス > 地域で暮 らす外国人の 日本語学習ボランティア になることを目指 した講座です。 前期 の半年 コース も好評 の うちに終了 しました が、今回の 1年 コース は全35回をか け じっ くりと 初級か ら中 ・上級 の教授法 までを学 びます。講師 は後藤隆夫先生 と中村功先生 のベ テラ ンコンビが 担当 し、半年後 か らす ぐにボラ ンティアとして活 動 で きる よう、模擬授業 にも力 を入れてい ます。 13名の受講生は、定年退職後 に社会 で 自分 を活 かせる場 を求めて参加 された方や既 に日本語 ボラ ンティアをしていてさらにステップアップを目指 す方な ど、みなさん意欲的な方 々で、 これか らの ご活躍 に期待が わきます。 <カ ラダ と ココ回 を ほ ぐす太 極 拳 レッス ン > 土曜午前 に開催 してい る運動 クラスです。台湾 で108式大極拳 の師範資格 を取得 された佐藤捷子 先生が、受講生一人ひと りの動 きや呼吸 をていね い に指導 します。 大極拳で最 も大切なのは心 と体 の緊張 を解 くこ とで、その奥 には長い歴 史の中で育 まれた深 い哲 学や思想があるとの こと。 2009年 11月 30日 No.57 キム監督 ( 右) と 通訳 して くださった 石塚多美子牧師 ( 東京平和教会) 「タイ☆ ナイ ト ∼ 見 タイ !食 ベ タイ !仲 良 くな リタイ !」 10月28日の夜、奉仕園の寮 に住 むタイ人留学生 のメオさん、イブさん、そ してタイ語講師のチ ャ ンヤー さんの ご協力 で、タイ料理 を食べ なが らタ イに関心 を持 つ 方 と交流 しよ う と 「タイ☆ ナイ ト」 を開催 しました。 3人 が腕 によりをかけて準備 して くれたグ リー ンカレーなどの料理 をいただ きなが ら、タイの食 べ物や音楽、お祭 りな どについて話 し合 い、タイ 文化 にふれるタベ とな りました。 次回は来年開催 の予定 です。 受講生 の方 は 「 太極拳の時間はス トレスを忘れ て リラックスで きる」「 体 がぽかぽか して肩 こ り が楽 になったみたい」と、それぞれ の効果 と楽 し みを見つ け続けてい らっしゃい ます。 他 にアジア語学講座、英語デ イスカ ッシ ヨンク ラス も開講 しました。 これか ら受講可能なクラス もあ りますのでお問い合 わせ ください。 -5- 2009年 11月 30日 No.57 早稲 田奉仕 園通信 ス コ ッ トホ ー ル公 開-2つ の 催 し 今年 の秋 は2回 のス コ ッ トホール公開行事が行 ガイ ドッアー を開催。参加者 の方 は熱心 に館内を まわ り、100周年記念DVDを 鑑賞 されました。 ス コ ッ トホールは、その設計 にヴォー リズ建築 われました。 そのひとつが10月25日に開かれた新宿区主催の ` 文化財 をめ くるウォー クラリー。今年 は戸山地域 の コース として、箱根山や学習院旧正門 とともに 事務所 が関わつたとして、また都内に残 る数少 な い煉 瓦造 りの建造物 と して も関心 の高 い建物 で す。最近 では、各地か ら建物 を巡るツアーや カル チャーセ ンターのツアーで も、ス コッ トホール を 訪ねて こられることも多 くな りました。 ス コ ッ トホール を訪ねるもので した。参加者は事 前 に用意 された資料 で研修会 を開き、当 日は雨に もかかわらず60名もの方が参加 されました。 この 日は 日曜 日であ ったため礼拝や結婚式があ ったの で、タト 観 のみの見学 とな りました。 需帯古帯古革語革1髄 糠:鶴轟蘊轟髄髄髄轟i も う ひ と つ 奉仕園ではこれか らも毎年秋 に公 開 日を設け、 ス コ ッ トホールを見 ていただ く機会 を作 りたい と 思 ってい ます。来年 もどうぞ ご参加 ください。 ンンヽ諸ンンヨ ン01欝 覇 業1欝 欝01ン iは、東京都教育 雲 響署 │:響 響響攣寒轟襲欝繋轟運暴 撃響艶郵 委員会 が 開催す =理韻離韻語覇醸韻:韓 韻ま 課簿寵鱗醸騒鞭轍轟 . る 「 東京文化財 ウ イ ー ク2 0 0 9 」 の企画事業。10 月28日に 「 東京 都選定歴史的建 造物 <ス コ ッ ト ホ ー ル >の 公 開」を行 い、5 0 人以上 の方が参加 されま した。 (当 初の1 0 月5 日 か ら変更) この 日は ス コ ッ トホ ー ル にちなんだ記念礼拝、 オル ガ ンコ ンサ ー トを行 い、そ の あ と館 内 を巡 る ス コ ッ トホールを描 いた水彩画家 ・堀潔 (ほ りきよ し) 1916年 (大正 5)か ら喜久 井 町や戸 山町に住 んだ水 彩画家 に堀 潔 (1912∼1989)が い ます。 堀 潔 は戦前 か ら数多 くの作 品 を描 きま したが、そ の 多 くは戦災 によつて、愛す る家族 とともに失 われ ま し た。現在残 る作 品 のほ とん どは、かろ う じて戦災 を免 れた ス ケ ッチブ ックな どを基 に、戦後 に描 き直 された ものだそ うです。 新宿 区主催 の ウォー クラリー の際 にス コ ッ トホ ー ル を描 い た 2点 を絵葉書 に して い ただ きま した。 早稲田スコ ッ トホ ール 昭 和8年 」 (新宿歴史博物館所蔵) 「 昭和 8年 のサ イ ンの あ る絵 は当時 の雰囲気 をよ く表 して い ますが、 よ く見 る と2階 に張 り出 しのテラスが 描 かれてお らず、実際 とは違 う ところが 見 られ ます。 この作 品 もあるい は戦後 に描 き直 された ものか もしれ ませ ん。 一 方 1964年のサ イ ンがある絵 は、門柱 にか けて あ る 看板 の文字 も正確 で 、 ス コ ッ トホ ー ルの レ ンガの 間に 施 されて い る大谷石 も描かれて い ます。 実 は同 じ年 に描かれた堀 潔 の作 品 に 「日本聖書学校 ・ メ ー ヤ ー館」 があ ります。今 は取 り壊 されて しまった メーヤー館 も1912年にヴォー リズが設計 した とい われて 早稲 田奉仕 園 (スコ ッ ト 「 ホ ー ル )‐1964‐ 」 (新宿歴 史博物館所蔵) い ます。堀 潔 が 2つ の ヴ ォー リズ ゆか りの建物 をめ ぐ り、スケ ッチを楽 しんでい る姿が 目に浮かぶ ようです。 -6- 早稲 田奉仕 園通信 2009年 11月 30日 No.57 友 愛奉仕 OB・ OG会 昨年11月3日 、100周年記念行事 の 中で発足 し メ ッセ ー ジをい ただ き、第 2部 は舎 生 による活 動 報告、第 3部 では現在 の学 生 活動 の様子 をパ ワー た友愛奉仕OB・ OG会 (事務 局長 土 屋忍氏 )、 世代 を超 えた繋が りを模索 しなが ら物心両面 で現 学生 をサポー トしていこうと、当 日献げていただ いた募金 をベ ース に話 し合 い を重ね、OB,OGの ポイ ン トを使用 しなが ら紹介 を しま した。夏 の帰 方 の係 わ り、奉仕園 との繋が りか ら、今年度 は友 愛舎生がアジア学院で学 び体験 をす る研修旅行 を 企画 しました。 Home 前期研修 の報告会 も兼ねて舎生 一 同が 「 coming day」を企画 し8月 15日に実施 しました。 当 日は第 1部 礼拝 にて友愛学舎OB李 明生牧師に す ことがで きま した。今後 と もこの よ うな機会 を 設 け、友愛奉仕 の意味 を実感 して い きたい と思 い ます。 後期研修旅行 も無事終了 し、次回報告会 に向け 生が 舎 取 りま とめ を して い ます。 一ン ” ン寵 繋欝華 欝華 省 の時期 と重 な りOB・ OGの 方 の参加人数 が限 ら れて しまい ま したが、初 の試み で もあ り出席 して い ただい た方、学 生 と もに非常 に良 い時間 を過 ご 第 6回 早 稲 田 奉 仕 園 トー ク サ ロ ン 10月10日午後 2時 半 か ら 5時 まで、 「 北東 アジ アは ど う な るか、 北朝鮮 問題 を中心 に」 とい う テ ーマ で朝 日新 聞記者、植村隆氏 (友愛学舎 出身、 早大政経 1982年卒)に お話 してい ただ きま した。 OBを 中心 に20人 を超 える参加者 が あ り、盛会 で した。 新 聞記者 と して ソウル、北京、テヘ ラ ン特派員 た こと、 日本 で も友愛外交 の鳩 山民主党が政権 を 握 った ことで局面 が急展 開す る可能性があ る こと を指摘 されて い ま した。 北朝鮮 の体制維持 と核 の 問題、後継者問題、経 済開発 (資本 主 義 の導入)が 何故遅 れてい るのか な ど、参加者 の質問 を交 えて 2時 間半 にわたって い ろい ろな角度 か ら北 朝鮮 問題 を考 える こ とが 出 来 ま した。 を経験 され、北東 アジア問題 の専 門家 にな られた 植村隆氏 の原点が友愛学舎時代 に韓 国か ら留学 し て い た先輩 との 出会 い にあ った とい うお話 は感動 当 日は現役 の友愛学舎舎 生、深谷愛 さんが参加 して くだ さい ま したが、 今 後 も若 い 学 生 層 に も トー クサ ロンヘ の参力日を積極 的に呼 びか け て い く 的 で した。 方針 です。 地図の話」 を来年 1月 に予 次回 は芳賀啓氏 の 「 田豊明 吉 定 して い ます。 膠着状態 にある 日本 と北朝鮮 との諸問題 は、 日 本 が先 進 国 で は数 少 な い 国 交 を樹 立 して い な い 国 で あ る状 況 (あ とは米 国 とフラ ンス)か らま ず 脱 却 す る こ とで ある。悪 の枢軸 国 と 名 指 した ブ ッ シ ュ 政 権 に代 わ っ て オ バ マ 政権 の登 場 し 隆 -7- 2009年 11月 30日 No.57 早稲 田奉仕 園通信 ラオ スの 子 ども に絵本 を ‐夫婦 で 歩 ん だ 3 0 年 野口朝夫 と妻 のチ ャンタソ ン ・イ ンタヴォン。二人 が約3 0 年二 人 三脚 でや って きたN P O 法 人 「ラオスの こども」が0 8 年9 月 、絵本に関わる国際児童図書評議 I B B Y 朝 日国際児童図書普及賞」を授与 された。 会 よ り「 1 9 5 3 年に会発足以来、 日本 の団体 では 2 組 目とい う快 挙 だ。 野 口が事務局長 を務 めるこのN G O は 、 ラオスの子 どもたちのため、絵本や児童書 の翻訳 ・出版 ・配布、 移動図書室 の設営、教員 ・作家 の育成、児童文化 セン ターの運営な どを支援。年間予算額 5 千 万円、現地ス タッフ7 人 、延べ 出版点数1 6 0 種。7 0 万冊の実績 を持 つ ラオス政府公認 の団体 だ。 アジア諸 国の中で も地味で穏やかな社会主義国家 ラ オス。 どう して これほどのプロジェク トが この地で根 付 いたのか。それを知 るには国境 を越 えて結 ばれた野 口夫妻 の夫婦愛 と苦闘の歴史を振 り返 らなければなら ない。 野口がアジアに関心 を持 ったのは早大建築学科 の学 生 時代。1 9 7 1 年、布施濤雄総主事 らが始めた早稲田奉 足 で体験 す る東南 アジア セ ミナ ー」 に参加、 仕園 「 1 9 7 3 年、仲間 とともに東南 アジア諸 国 を歴訪す る。そ の折、野口はイ ン ドで将来 を決定づ けるようなシ ョッ キ ングな体験 をす る。 デ リーの灼熱 の路上で横 たわっていた女性が亡 くな る瞬間 を目撃す る。彼女 は死 の直前 まで赤ん坊 を差 し 出す ように抱 き上 げていたとい う。 その とき野回は 「同 じアジア人で も違 う場所 に生 ま れただけで人の人生が決定付 けられて しまうとい う人 間の どう しよう もない現実 に衝撃 を受けた」 と話す。 だが、それで も人間は多様 であ り豊かな可能性 を持 っ た素晴 らしい存在でもあるとい う信念が彼 にはあつた。 これを契機 に「アジアの人たちが生れ落ちた境遇 に 関係 な く、 自分 の選択 で新 たな可能性 を切 り開いてい け るような環境作 りを手伝 ってい きたい」とアジア問 題 をライフワー クにす る ことを決意す る。 1975年、卒業 した野口は建築家になるが、アジアヘ の初心 は変 らず、折か ら野口の両親宅 にホームステイ してい たラオスの留学生チ ャ ンタソ ン(お茶 の水大学 教育学科)と結婚す る。 新婦 は当初、 日本 で教育 の仕事 を考 えていたがなか なか見つか らず、長女が生 まれた ころには日本 とラオ スの教育環境 の格差 を強 く感 じるよ うになる。人 づ く りを疎 かに した フランスの植民 地政策 の後遺症 であ る。 絵 本 の 向 う に広 い 世 界 が 日本 の絵本 の翻訳や寄贈 は、長女 をつ れて里 帰 りし たチ ャ ンタソ ンが、娘 が 楽 しげに絵本 を読 んで い るか たわ らで、 ラオスのい とこたちには読 む本 もない の を 見 て、 「 彼 らに も絵本 に よって夢 をあ たえ世界 を広 げ て あげ た い」 と思 ったのが始 ま りだ。 この運動 はやがて 日本 のボ ラ ンテ イアや現 地政府 に も支持 され、絵本 の 出版、移動 図書室 の設置、国語教 師 の養成、 イベ ン ト(子供 ・物販 )の運 営 と事業範 囲 を 広 げ て い く。そ れ につ れチ ャ ン タソ ンの仕事 も出張、 講演 と急増す る。 これに対 し野 口は妻が い ない と きは 家事 も引 き受 け、時 には幼 い娘 の手 を引 い て製図 を引 くな ど彼女 を支 え続 け る。そ して1993年この会 の東京 事務所 が野 口の設計事務所 に同居 を決 めた と き、野 口 は「ラオスの こど も」の事務局長 を引 き受 け た 国際賞 を受賞 した こ とについ てチ ャ ンタソ ンは 「あ きらめない で、色 々 な方 々 に支 え られ継続 で きたおか げです、二 人だけでは喧嘩 ばか りして ここ までは これ なか った」 とい う一方 で、「 野 口は自分 のことの よ うに この活動 に打 ち込み、私が仕事 しやす い よ う応援 して くれる一番 の理解者 で、感謝 してい る」と話 して くれ た。 二 人 の 当面 の 目標 は首都 ビエ ンチ ャ ンに大学 を設 立 す る こと。建設費 も土地 も確保 してい るのだが、設計 図 が 未完成 で 着 工 で きない で い る。 「 早 くして。 で な い と他 の 人 にたのむわ よ、 と毎 日キヤ ンキ ャ ンせめ ら れて い るのです が、最近顧客 か ら設計依頼 が 多 く、忙 しくて」と野 口。 夫 は業界 で も信用 の ある建築 のプ ロなのだ。 正 月の ラオスの パ ー テ ィで 左端 野 口 さん 二 人 おいてチ ャ ンタソンさん -8- 早稲 田奉仕 園通信 2009年 11月 30日 No 57 野 口朝夫 早 大法学部 を経 て1 9 7 5 年理工 学部建築 学科卒。野 口建築設計事務所所長。奉 奉仕園読書会 へ のおさそい 前 田隆士 この読書会 はか つ ての奉仕 園学 生 会 OB・ OGの 近 仕 園学 生 会 O B 藤総子 さん、永 島良子 さん、鈴木邦彦 さんを中心 に 昨年 6月 「カ ラマ ー ゾフの 兄弟」 (亀山郁 夫訳)で 101年目に 入 った 早 稲 田奉 仕 園。 友愛 と奉 仕 の キ リ ス ト教 精 神 の も と、 こ こ で 学 生 ・青 年 活 動 を した 発足 しま した。 以 後 月 1回 、第 3金 曜 日午後 6時 か ら奉仕 園 で 開 催、 10月の例会 で14回とな りました。 出席者 は奉仕 OBOG、 園友 の 数 は3000人にの ぼ る。 い ま彼等 の 多 く は社 会 の 各所 で 「地 の塩 」 とな り活躍 して い る。 そ の 中 には 目立 た な い が、 ユ ニ ー クな活動 や仕事 で 実績 を あ げ て い る人 も多 い。 そ ん な知 られて い ない 卒業 生 を 園③B・ ③Gと ス タッフが 中心 です が、そ の友 人、知 人 と外部 の方 も加 わ り、毎 回10∼15名が 参加 して い 順 次紹 介 して い きた い。 ます。 目的 とい った ものは特 にはあ りませ んが、か つ て 奉仕 園 で学 んだ ことが 何十年 かの人生 経験 をふ まえ 筆者紹 介 山 口志 朗 1 9 6 2 年早大 政経 卒。元 日本経 済新 聞記 者。友愛学舎 ・奉仕 園学生会O B て今 ど う見 えるの か、か つ ての交わ りを改めて確 か めつつ 、そ の上で これか らど うして い くの か、そ の 今 回 の 売 り上 げは 「ラオ スの こども」 に セ ミナーハ ウス 「 チ ャリテ イ古本市J 4回 日 とな った古本市 は寄付先 を 「ラオスの こど も」に決め、奉仕園③B・ OG、 講座受講生や先生、早 稲田教会関係者、国内居住学生、セ ミナーハ ウスのお 客様 な どか らた くさんの本 をご提供 いただ きました。 また、キリス ト教古書 の復活書店か らもご提供 いただ き、今 まで とは雰囲気 の ! 7語 4! 捌講醒! ! !!!■すジ! ち,, ☆ナ 学時! !イト﹂ ! !!! !!■!! ! ! r 中 座 ! 叫 一 和 紳 一, ! 一 々 ば 綿 ! 争 ﹂ ↓ 車 -9- ! ! ! 中 々 的 伸 韓 榊 嬢 的 中 中 一 !帥 中 中 印 申 抑 申 談論 に大輪 の 花 が咲 きます。 どなた で も大 歓迎 で す。ぜ ひ一 度お出かけ くだ さい。 ! ! !な﹂ 一 ! ■!!! ! 一 ■!! さ 大 さを改めて身近 に感 じま した。 毎 回 レポ ー ター の レジュメ もあ り、会 は盛 り上が るので す が、 「変 わる イス ラ ー ム」 の 時 は訳者 の 白 最後 は ごほ うびです。終 わった あ とサ イゼ リヤで 大宴会 (?)を もちます。 きわめて安 く、飲み食 い、 ! !! 沖 弾 ! ヤ す ! 弗 !!!一! 〓 一!す !! !抑 弾 車 一 一, ″ 辞 ! 一 車 ン では実際 に蜜蜂 を使 って果樹 を栽培 されて い る小野 加代 さんが 山梨か らお土産持参 で 出席 され、事 の重 では今宗教改革 が始 まって い る」 との ことばに重 い 意味 があるよ うに思 われ ま した。 ! ・ ! 一 ! , 一 一 一 ! !!!一一一 一 一 ! i !一一 , 一 ≡ 一 ! ! 一 ‐ 1ブ 2/3 評 員 ︲ !■! !! ! 議 会 !!! ! ! ! ! ” 々 ! ! ! ! 確 ! ! !! 抑 ! ! 一 申 ! !一 !, 帥 一 一 ” 一 一 ” 3 アジ ア語 1/ 2 学特別講座 !オス料理教室 !! !!!ん のフ レ デ これ までに取 り上 げ た本 は11冊です が、その中で 今回の世 界的不況 、オバ マ大統領 の誕生 な ども きっ ち り学 び ま した。 また 「ハ チ はなぜ 大量 死 したか」 須英子 さん の熱弁 に加 え、 質問 、議論 も活発 で大 い に盛 り上が りま した。遠 くに感 じて い た イス ラー ム 世界が少 し近 くな った気 が しま したが 「イス ラー ム 違 う品揃 えとな り、お買 い上 げ も好調です。 「ラオスの こど も」か らもパ ンフレッ トな どお 預 か りし、少 しは!舌 動紹 介 のお役 に立てたか と思 い ます。1 1 月末の吉本市 終了後、金額な ど報告 さ せていただ きます。 手 がか りが得 られれば と思 ってい ます。 また若 い皆 さんか ら学 ぶ こと も多 く、交 わ りを深 めねば と思 っ て い ます。 2009年 11月 30日 No.57 早稲田奉仕園通信 本 の ご紹介 写真集 土 門拳の 「 早稲 田 1937」 生誕100年との こ とで 、若 き日の土 門拳氏 が 撮 影 した早稲 田大学政経学 部 の卒業 アルバ ムが復刻 され ま した。早稲 田奉仕 園 の 旧宣教 師館 、長尾正 言氏 やパ ン リカクラブの 阿江 一 友氏、安倍茂 三 郎氏、 アーチボ ル ド青年 ら の姿 があ ります。 講談社 定 価 (税込 み)3,360円 │ 熙1熙 ン││ン │ │■鶴│ 熙││ン │ │ン 轡 ぶ ぴ母品雛韓‐ バ プテス トの東京地 区伝道 1874-1940年 元 関東学 院教授 の大 島良雄氏 が、バ プテス トの戦前 の新 聞、機 関紙 な ど を調査 され、東北、横浜 な ど地域別 に本 を出 されて い たのです が、今 回東 1寵 1弱 ■鱗1態 舘1轟 丈熱 鎌 器 村 京版 が発 行 され ま した。早稲 田奉仕 園 も友愛学舎 の始 ま りか ら記載 されて い ます。 ン ン書 ダ ビデ社 定 価 (税込み)2,625円 いの ちを語る 奉仕 園学 生 会 OBの 木村利人氏 (恵泉女学 園大学学長)と 、 日野原重 明氏、 アル フォ ンス ・デ ー ケ ン氏 による著作 と鼎談 な どで構成 されて い ます。 奉仕 園読書会 で も と りあげ て い ます。 集英社 定 価 (税込み)1,000円 湿原のアラス人 春に 「 変 わるイスラーム」 を翻訳 された奉仕園学生会 O G の 白須英子 さ んが、ウイルフレッ ド ・セシジ ャー著 「 湿原 のアラブ人」 を翻訳なさい ま した。 教育 を 幸 どもた ちの 解説 が酒井啓子 さん とい うの も魅力 です。 白水社 定 価 (税込み)2,730円 教育を子 どもたちのために 岩波 ブ ック レッ トです。 ノーベ ル物理学賞 を受賞 された益川敏英 さんの講演 と同 日行 なわれたパ ネ ル デ イス カ ッシ ョンに友愛学舎 0 Bの 藤 田英典氏 (国際基督教大学教授 )が 参加 されて い ます。 岩波書店 定 価 (税込み)504円 脚 鞘柵鑑柵翻四 ン翻¨鰈鞭 -10- 轟 一蕊 換 機 観 路 や英 鵡 姫養 総醸鶴 滋小本藤本 滋 め ,こ 2009年 11月 30日 No.57 早稲 田奉仕 園通信 ク リス マ ス ツ リー 点 灯 式 の ご 報 告 1 1 月2 0 日 ( 金) 1 7 時 よ り、今年 も寒 空の中、 クリスマ ス点灯式 が 中庭 で行 われ ま した。 5 回 目 とな った今年 は、早稲 田教会 の韓守賢伝道師 にメ ッセ ー ジ 「 暗闇 に輝 く光」 をい ただ き、東京平和 教会 の石塚多美子 さんにオ カ リナ演 奏 を して い ただ き ま した。 全 員 で の カ ウ ン トダウ ンの 後、 ツ リー 点灯 が 行 わ れ、暗闇だ った 中庭が明 る く華やかにライ トア ップさ れ ま した。 日本 キ リス ト教奉仕 団石 田周介常務理事 による乾杯 の あ い さつ の あ と、A V A C O ブ ライ グルホ ー ル、A V サ ー ビスか らい ただい たシャ ンパ ンや オー ドブ ル を手 歴 史資料 を ご寄贈 い ただ きま した。あ りが と うご ざ い ま した。 礼拝 と音 浅川敏夫様 よ り、 1 9 7 1 年教 団出版局発行 「 楽」v o l . 1 7 をい た だ きま した。 奉仕 園が 園歌 と して 愛 唱 して い る 「ただ し く清 くあ らま し」 の い われが 載 ってい ます。 バ プテ ス トの東京地 大 島良雄様 よ りご 自身 の著作 「 い 区伝 道 1 8 7 4 - 1 9 4 0 年」 を ただ きま した。 ( 本の ご紹 介 1 0 ペー ジをご参照 くだ さい) に、敦地内に働 く皆 さん と、 しば し懇 談 の と きを持 ち ま した。 クリスマス ツリー は1 2 月2 5 日までの毎 日1 6 時半 か ら 2 1 時半 までに点灯 します ので 、お近 くにお越 しの 際 は 2009年7月21日∼2009年11月25日 (順不 同 ・敬称略) 是非お立 ち寄 りくだ さい。 小 口弘恭 、村 田 さち子、渡邊文 夫 、新川美恵子 、 飯塚保男、本多久美子 、丹野真 人、名取智子 、 奉仕 園読書会 、小嶋彬夫、植村隆、村 山敏子 、 日本 YMCA同 盟東 山荘 、キ リス ト教美術協 会、 西川恒氏 ご遺族 合計金額 :474,000円 感謝 を もって ご報告 申 し上 げ ます。 ●嘱託職員 の鍛治隆志 さんが 7 月 末 にて退 職 され ま し た。 これ まで の お働 きに感謝 い た します。 ●神馬修職員が、東京消防庁 よ り平成 2 1 年 度消 防行 政功労者 として 防火管理業務 を適 切 に推進 した功 績 を表彰 され ました。 - 1 1 - ■ホール ・会議室 8名 から 200名 まで全 23室 500円 例 :8名 部屋割引料金 1時 間あた り 1′ ■宿泊室 最 大 32名 まで宿泊可 000円 よ り アイ ビーハ ウス : 1 6 名 での ご利用 で 1 名 あた り 3 ′ 個人利用 で 5 , 0 0 0 円よ りご利用 いただけます 恵みの家 : 奉 仕 国会員割引料金 も ござい ます ( 1 名 5 , 0 0 0 円よ り) 東 京都選 定歴 史 的建造物 2F60席 │ ■ スコッ トホール 醸数 F140席 ■ 日本キリス ト教会館 lF講 堂 天丼の高さと木の柔 らかさが優れた音響効果を生む、 重厚な雰囲気のあるホールです。 ・ 6 F 会 議室 2 ∼ 5 号 室 6 A B C ・7 ∼ 9 号 室 ー フォ ク トルーム 2F会 議室 222・223号 室 BF音 楽練習室 lF/2F 宿泊室 ー 岳 。 。 ..。 ││ァ ィ ビ ハ ウス 奉仕 国会館 BF ティホール リメミ 明る く音響の良いホールです。広い 段差も少な く、アッ トホームな 簡素な設備ながら居心地のよさを 感 じていただける宿泊棟です。 キ ッチ ン ・バ ス ・ トイ レ 和 室 12畳 +6畳 キ ッチ ン ・バ ス ・ トイ レ 和 室 20畳 +6畳 調理器具や食器を無料で貸 し出 します。 ール ン ロ You―│テ ホヽ 解=斗│: ︲、 ︲・ 挑離的 i 奉仕 国会 館 BF 熙 ・ ・ f鞘 鞘鞘 部 騨 爵 ンヽ 42席│ 醍邑違鶴寵軽灘釜 舞台のないホールです。会議、 講演会、パーティや音楽練習など 幅広 くご利用いただけます。 奉仕 国会 館 lF宿 1冊 沌1削 豊ン ン ン ン も 憲 8 韓ゆ■ セミナーハ ウス 8 鍵。 害 韓 晋犠 lF会 議室 loo∼ 103号 室 テ白 室 恵みの家 新軍強梨挙駄ギ吊茅稲覇 ― 朝 夢 フロン ト お 問い合わせ 。ご予約 ・お支払 い ・鍵の受け渡 しはこちらです。 回ビー 各 種催 し物のパンフ レッ ト棚や案内掲示板があ ります。 給湯室 茶 器 ・食器は こちらからお持ち ください 101骨 望 財 団法 人 早 稲 田奉 仕 園 発 〒 1 6 9 - 8 6 1 6 東 京都 新宿 区西 早稲 田 2 - 3 - 1 Tel:03(3205)5401//Fax:03(3205)5413 行人 吉 田 博 ホ 11月 30日 発 行 2009年 ー ム ペ ー ジ h t t p : 〃w w w 口h o s h i e no口 r口 jp
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