隠岐古典相撲について 1.由来 隠岐古典相撲の起源は、江戸時代まで遡ると言われています。いつ頃から行われていたのか 明らかな資料は残されていませんが、伝承によると寛政年間(1789~1801)頃に水若酢神社社殿 の改築にあたって浄財の勧進を行うために相撲興行が行われたとあり、主に社寺の勧進相撲と して相撲大会(宮相撲)が度々行われていたようです。 昭和38年までは島内でもよく宮相撲の大会が開催されていましたが、この頃から若者の島 外への流出が顕著となって大会の維持が困難となってきたため、し ばらく途絶えることとなりました。この状況を憂い、隠岐の相撲を 復興させようと中条地区出身の横地治男氏が中心となり、相撲愛好 家や役力士経験者が集まって「大巾会」が結成され、それ以後は大 巾会が中心となって相撲大会の運営にあたり、相撲発展に尽力する こととなりました。そして、昭和47年11月3日、名称を「隠岐 古典相撲大会」と改めて第1回大会が開催され、現在まで続いてい ます。 なお、「大巾」とは化粧回しのことであり、隠岐古典相撲大会で は大関・関脇として出場する力士、及び大関・関脇の経験者のみが 大巾を締めての土俵入り 大巾を付けることが許されています。 2.特徴 隠岐古典相撲大会は「神事」として行われるものであり、随所に残る独特のしきたりが大切 に守られています。 第一に、勝負は同じ相手と続けて2番取り、最初に勝った者は次では相手に勝ちを譲り、1 勝1敗で終わります。これを地元では「人情相撲」と呼び、後々に遺恨を残さないように引き 分けで終わると伝えられています。しかし、本来は神社の祭祀で行われる「神相撲(コズマ)」 が2番ずつ奉納されるという伝統が、宮相撲を起源とする古典相撲にも色濃く残っていると見 るべきと思われますが、人情相撲の思いは島の人々の気質にすっかり溶け込んでいます。力士 は、最初の勝負に勝つことに全神経を集中して取組に挑みます。2番目の勝負では最初に勝っ た力士は相手に勝たせることになりますが、その形は非常に重要で、決して疎かにすることは できません。2番の勝負が終わって初めて一つの取組が終了となります。取組が終わると、お 互いに相手を抱きかかえて健闘を称え合います。 第二に、個人同士の勝負でありながら、地域の代表として戦う地域対抗戦であることです。 役力士を出すことは地域にとっても非常に名誉なことであり、役力士に対しては地域が一体と なって応援をし、役力士はその期待に応えるため精進に努めます。当日の取組時には土俵溜り にたくさんの応援者が詰めかけ、土俵に上がる力士に向かって大量の塩を投げつけて激励をし ます。塩は全ての応援者が一斉に投げつけるため、三役の取組時には前が見えなくなるほどの 塩が撒かれます。 第三に、取組は力が釣合っている者同士の対戦が組まれることです。体格・年齢・今までの 実績等を考慮して同等の力があると思われる対戦相手が、「頭取」と呼ばれる役員の話し合い で決められます。 第四に、役力士の取組の勝者には賞品が贈られることです。大関・関脇戦の勝者には土俵の 四本柱が、小結戦の勝者には柱をつなぐ貫が、草結戦の勝者には柱の上に組まれた竹が贈られ ます。 また、隠岐古典相撲独特のものとして「三重土俵(さんまい どひょう)」があります。これは、その名のとおり土俵が三段 重ねになった独特の形をしており、正月の鏡餅を模したもの とも言われています。独特のものではありますが、第5回大 会までは使われておらず、昭和58年開催の第6回大会で5 3年振りに復活し、その後は第10~12回大会で採用され 三重土俵(第12回大会) ました。 3.大会開催の決定 隠岐古典相撲大会は、神社の遷宮や大型公共事業の完成など島を挙げての祝事があるときに 開催されます。まず、祝事があった地区が大会開催を決定して大巾会に開催を要請し、大巾会 総会において正式決定されます。また、この時に大会の規模として、正三役の他に番外三役及 び番々外三役を選定するかどうかが決定されます。これ以降は相撲の競技部分は大巾会が仕切 り、大会の運営部分は地区等で組織する実行委員会が仕切ることとなります。 大会は大きな祝事があるときにしか開催されないため、開催年は不定期となります。 4.座元・寄方の決定 大巾会の中には各地区大巾会があります。地区大巾会は旧町村ごとに、西郷・東郷・中条・ 磯・中村・布施・五箇・都万・海士・西ノ島・知夫の11地区にあります。祝事があった地区 を中心として近隣地区が「座元」となり、それ以外の地区が「寄方」となります。座元・寄方 の組分けは、その時の力士の人数や力量によって決定されます。 5.番付の決定 番付(役力士)は座元が先に決定し、それを受けて寄方が決定します。 最初に座元の各地区代表者が集まってそれぞれの役力士候補を出し合い、全体の協議で役力 士を決めていきます。 代表者会議で決定されるのは、 しょう さ ん や く ①正三役の大関・関脇・小結 ②番外三役の大関・関脇・小結 ③番々外三役の大関・関脇・小結(選定される場合) ④草結 ⑤各三役の前相撲力士 ⑥正五番勝負の出場者 です。どの地区も三役力士、特に正三役大関は自分の地区から出したい気持ちが強いため、番 付をめぐっては紛糾することも多く、明け方近くまで議論をしたり、日を変えて2回3回と会 議を重ねることも珍しくありません。 隠岐古典相撲では、古式に則り「大関」が最高位です。中でも正三役大関は結びの一番を務 め座元及び寄方全体の声援を一身に受けることから、ただ相撲が強いだけでなく、みんなから 信頼される人格であることや精神的な強さも求められます。また「草結」は、将来隠岐の相撲 において中心となって活躍することが期待される中学生や高校生が選ばれます。 役力士にはそれぞれ四股名が付けられます。四股名は地区等で受け継がれてきたものもあれ ば、新たに考え出されたものもあります。土俵上で行司に呼ばれるときは全て四股名で呼ばれ ます。 6.地取り(地区での稽古) 大会開催が決定されると各地区で「地取り」と呼ばれる稽古が始まります。地取りでは、役 力士経験者が中心となって若い力士たちに稽古をつけます。稽古が終わると「やこい」と呼ば れる食事となります。やこいは地区の女性たちが交代で準備をします。地区全体の「力士たち を勝たせたい」という強い気持ちから、みんなが進んで参加します。地取り・やこいには地区 の長老たちも顔を出し、そこでは古典相撲の精神が語られ、若い世代に伝えられていきます。 力士たちは、周りの絶大な応援を受けて精進し、大会当日を迎えます。 7.大会当日 大会当日、力士たちは地区ごとに氏神へ参拝し、出陣式をした後に会場へ向かいます。会場 へ入る際には相撲甚句を唄いながら行列を組んで入場します。 大会の内容は概ね次のとおりです。 ①土俵祭り 大会の安全を祈願し、方屋開口などの神事を行います。 ②行司口上 本行司によって、相撲の起源から大会開催の経緯や相撲の勝負判定に関することなどが 延べられます。概ね20~30分かかります。 土俵祭り(第12回大会) 行司口上(第13回大会) ③顔見せ土俵入り 地区ごとに参加力士を5~8人ずつ紹介しながら土俵入りをします。力士は観客に顔が わかるように、一歩ずつ体を反転させながら土俵をゆっくりと回ります。全力士の土俵 入りが終了するまで3~4時間かかります。 ④草結 長い土俵入りの後に行われる大会最初の取組。将来を担う若い力士同士の対戦に、観客 は大いに盛り上がります。 顔見せ土俵入り(第13回大会) 草結力士を応援する「塩」 ⑤割相撲/飛びつき五人抜き 役力士以外の力士が、当日に対戦相手を決めて勝負をする取組。対戦相手は、地区の頭 取によって30分くらい前に決定されます。 割相撲が終わると、割相撲参加者全員による飛びつき五人抜きが行われます。これは1 番勝負で、誰かが相手方の5人に続けて勝つまで続けられます。 割相撲は10~16組程度を1仕切とし、5~6仕切が行われます。 ⑥正五番勝負 座元・寄方それぞれ5人ずつが出場して1番勝負で取組をし、誰かが相手方の5人に続 けて勝った場合にその力士が勝者となります。出場者は役力士の経験者や体協の大会で 上位入賞する実力者ばかりであり、見応えのある取組が多く、毎回楽しみにしている観 客も多くいます。20歳代、30歳代、40歳以上の3部門で行われます。 ⑦三役の取組 しょう さ ん や く 三役の取組は、番々外三役(選定された場合)、番外三役、正三役の順で行われます。 それぞれ三役だけの土俵入りがあり、次に前相撲が行なわれます。前相撲は、三役を応 援する役割があり、三役力士の親戚や友人が出場します。 前相撲が終わるといよいよ三役の勝負となります。小結、関脇、大関と順に登場し、土 俵周辺の熱気は一気に高まっていきます。力士を応援するために撒かれる塩の量も一段 と増えていきます。 番外三役の取組が終わるといよいよ正三役の登場となります。大会の最後に登場する正 三役は座元・寄方を代表する三役であり、とりわけ結びの一番となる正三大関の取組で は会場の興奮が最高潮に達します。力士は地区だけでなく座元全体、寄方全体の声援を 受け、大きなプレッシャーの中で勝負に挑みます。撒かれる塩の量も更に増え、前が見 えなくなるほどになります。 ⑧打上げ、柱抜き 全ての勝負が終わると、役力士は土俵上に座って対戦相手と盃を交わして手打ちを行い ます。その後、草結は竹を、小結は貫を、関脇・大関は柱を受け取ります。役力士を出 した地区の人たちは力士を柱等へ乗せて肩に担ぎ、土俵の外側を3周回ってからそれぞ れの地区へ凱旋します。 大会は夕方の4~5時頃から始まり、概ね次の日の昼頃に終了します。途中「中入り」で1 時間程度の休憩を取る以外は、続けて取組を行います。 出場力士は座元寄方合わせて約200名。取組数は約300番になります。 8.行司、呼出し 行司は座元・寄方から十数名が参加し、そのうちから座元の経験豊富な者が本行司を務めま す。本行司は、大会冒頭で行司口上を述べ、各番組における行司の割当表を作成し、草結戦及 び正三役の取組を判き、全取組終了後の打上げを取り仕切ります。行司の衣装は裃で、各自が 自分専用の軍配を持ちます。行司にはいくつかの流派があり、それぞれに喋り方や所作に特徴 があります。 呼び出しは各地区から選ばれ、取組前に拍子木を打ち鳴らしながら、四方の観客に向かって 自分の地区の力士を紹介します。紹介の基本形は「①地区名、②屋号、③長男(あいさん)か 二男以下(おっつぁん)か」です。 (-例- 「座元は、○○(地区)は□□(屋号)のあいさ~ん」) 長男=兄→あにさん→あいさん 次男=弟→おじさん→おっつぁん(三男以下同じ) これに力士の特徴や応援のメッセージなど、一言加えたりして観客を盛り上げます。 9.四本柱 四本柱は一定の儀式でもって山から切り出され、土俵の四隅に立てられます。そして勝者に 授与され、大会後には家の軒下に吊るされて大切に保存されます。 それは、力士だけの力で勝ち取ったものではなく地域の人々の支えがあって受け取ったもの であり、形式上は力士個人に与えられるものですが地域に与えられたものと認識されているか らです。力士は地域に対する感謝の気持ちを表すため、誰でも見ることができる軒下に吊るす のです。 10.大会開催の歴史 回 第1回 開催日 昭和47年11月3日 大会名 水若酢神社大鳥居竣功奉納 〔会場〕 水若酢神社特設土俵 第2回 昭和48年7月13日 伊賀正神社夜宮祭奉納物故相撲先駆者追善供養 〔会場〕 伊賀正神社特設土俵 第3回 昭和49年9月28日 都万村内小学校開校百周年記念祝賀 〔会場〕 都万小学校特設土俵 第4回 昭和54年10月21日 隠岐国分寺鐘楼堂落慶 〔会場〕 国分寺境内特設土俵 第5回 昭和55年9月21日 隠岐古典相撲大巾会結成10周年記念武良大会 〔会場〕 中村福祉館横特設土俵 第6回 昭和58年11月3日 水若酢神社本殿葺替工事竣工祝賀奉納 〔会場〕 水若酢神社特設土俵 第7回 昭和63年5月29日 主要地方道西郷・都万・五箇線(那久・油井間)道路災害関連 工事竣工祝賀奉納 〔会場〕 都万村常設土俵 第8回 平成3年9月22日 西郷町立西郷小学校、西郷町立武道館新築竣工祝賀奉賛 〔会場〕 隠岐島文化会館特設土俵 第9回 平成4年8月27日 五箇村立五箇中学校改築竣工祝賀奉賛 〔会場〕 五箇中学校屋外運動場特設土俵 第10回 平成11年10月16日 銚子ダム竣工記念 〔会場〕 銚子ダムサイト特設土俵 第11回 平成13年11月3日 水若酢神社遷宮奉祝記念 〔会場〕 水若酢神社境内五箇村民相撲場特設土俵 第12回 平成18年7月8日 新隠岐空港開港祝賀奉納 〔会場〕 空港ふれあい公園特設土俵 第13回 平成19年9月15日 島根県立隠岐水産高等学校創立百周年記念祝賀奉納 〔会場〕 隠岐水産高等学校特設土俵 第14回 平成24年7月28日 新隠岐病院開院祝賀奉納 〔会場〕 隠岐の島町総合体育館駐車場特設土俵 平成24(2012)年8月27日作成 参考資料: 「隠岐古典相撲誌」(平成18年発行)
© Copyright 2024 ExpyDoc