秩序論の系譜 ―冷戦秩序との対比― 池尾靖志 はじめに 秩序とは、広辞苑( 第 4 版)によれば「①物事の条理。物事の正しい順序・筋道の次第。 ②特に、社会などの規則立った関係」のことである。この定義によれば、秩序という言葉 には物事の「規則性」という側面と、物事を正しい順序・筋道を導く「規範」という2つ の側面があることを示している。この定義に即して国内システムと国際システムをみてみ ると、国内システムにおいては、政府と被治者という垂直的な関係がみられ、強制力を一 元的に有する政府によってこの垂直的な関係が維持されている。これに対し、国際システ ムにおいては、主権を有する国家と国家との関係は水平的と見なされ、国家間をとりしき るための強制力をもつ世界政府は存在しない。この意味で、国際システムはアナーキーな 状態(無秩序状態)にあるとされる。 しかし、アナーキーなシステムにおいても国家間には勢力均衡といったメカニズムによ って、国家間関係を規定する「規則性」と「規範」が存在すると国際関係論では理解して きた1 。そこで本稿では、国際関係論における秩序論の系譜を、東西二極対立という冷戦構 造を説明する秩序論とそれに対する「反」秩序論ないし「脱」秩序論との対比として描き、 ポスト冷戦期にはそれらの議論がどのように推移したかについて検討したい。なお、本稿 で検討する秩序論の系譜をあらかじめ図示しておくと、図1のようになる。 *図1 秩序論の見取図 (別添) 1. 米ソを中心とする冷戦秩序 ―リアリズムの秩序論― 第 2 次世界大戦後の国際関係は、米ソ両超大国を頂点とする東西両陣営による「冷たい 戦争」 状態にあ った。この 対立を勝ち 抜くため に、西側に おいては北 大西洋条 約機構 (NATO)を発足させ、経済基盤を強固なものにするために覇権国アメリカは同盟国に対 して戦後復興支援を行い、IMF -GATT 体制を確立させた。また東側では、西側に対抗して ワルシャワ条約機構(WTO)が結成され、経済相互援助会議(COMECON )の設立によ ってソ連と東欧諸国との間に経済協力の関係が樹立された。 こうした戦後の冷戦構造を反映して、国際関係論では国家間の繰りひろげる権力闘争 (power strug gle)をリアルなものとして捉えるリアリズムが主流を占めるようになった。 1 H. モーゲンソーが「国際政治は、他のすべての政治と同様に権力のための闘争である」 とし、一国の外交政策の基準として国益という概念を導入したことはあまりにも有名であ る2。 リアリズムの問題関心は、アナーキーな国際システムのメカニズムならびにこのシステ ムに影響を及ぼすことのできるアクターの行動パターンにある。その結果、リアリズムは 大国を中心とする枠組みを設定し、勢力均衡によって大国間のバランスの保たれたシステ ムの安定に価値を見いだす。これが、リアリズムの捉える秩序論である。 リアリズムと一口にいっても、実際にはいくつかのバリエーションがあり、統一した体 系があるわけではない。例えば、先に紹介したモーゲンソーのように、国家の権力欲を人 間の本質になぞらえ、勢力均衡政策を追求することで国際システムの安定を図ろうとする 古典的リアリズム、演繹的な方法を用い、アナーキーなシステム構造において国家は自国 の安全確保のために行動すると説くネオ・リアリズム(ア ナーキ ーな国 際シス テム構 造を重 視す ることから構造的リアリズムとも言われる) 、覇権競争に着目する議論などがある3。また、M. カ プランは、国際システムを a) 勢力均衡システム、b) 二極システム(これをさらに緩い、 堅いの2つに分ける)、c) 普遍国際システム、d) 階層国際システム、e) 単位拒否国際シ ステムの5つに分類し、それぞれの特質を明らかにした4。 これらの議論の中から、リアリズムの要点として最大公約数的な部分を抜き出してみる と、①国際政治においてもっとも重要なアクターは国家である。②国際システムの顕著な 特徴はアナーキーである。③国家は自国の国益や安全を最大化しようとし、その目的のた めに合理的な政策判断をする。④その手段として威嚇や軍事力を行使する傾向が強い。⑤ 国家間におけるパワーの配分状況というものが、国際政治や外交政策を特徴づける重要な 原因である5。このうち、何が「合理的」とみなされるのか、また、パワーの行使の形態(例 えば、軍事力と経済力を互換可能なものと見なすのか否かなど)といった点で見解の相違 が見られる。 本稿では、冷戦期を特徴づける秩序論とその対比を描くことを目的とすることから、以 下では、国際システムの構造に着目し、二極システムを肯定的に捉える K. ウォルツの議 論を中心に見ていきたい。 (1)ネオ・リアリズムと冷戦構造の「安定」 ウォルツは、ネオ・リアリズムの代表的な論者である。国際システムの「構造」に着目 する議論は、当時の冷戦構造をもっとも反映したものとなっている。そこでここでは彼の 議論のうち、①国際システムの構成要素( ユニ ッ ト)、②国際システムの性格、③国際シス テムが維持されるメカニズム、以上3点について確認しておこう。 2 第1に、国際システムの構成要素 ( ユニ ッ ト) は何か。ウォルツは、「国家は、国際シス テムにおける唯一のアクターというわけではないが、システムの構造はすべてのアクター によって定義づけられるわけではなく、主要なアクターによって決定される。この点で、 国家は重要なアクターである6」とし、事実上、国際システムの構成要素(ユニット)を国家 に限定する。ユニット( 国家 )は、大きさや富、パワーなど様々であり、能力 (capability ) は異なるが、どの国家も主権を有する政治的存在であり、機能( function) という点では変 わらない。このように、機能的にはどの国家も同じであるから、システム構造を決定づけ るのは、「能力の配分(dist ribution of capabilities)」状況であると論じる7。 第2に、国際システムの性格について、ウォルツは、国際システムは世界政府が存在し ないという意味でアナーキーであると指摘する8 。また、アナーキーなシステムにおける そ れぞれの国家の行動原則は自助(self -hel p)であり、パワーはその手段であると述べる。 第3に、国際システムの維持を図るメカニズムとして勢力均衡をとりあげる。すなわち、 より強い国家の出現によって自国の安全保障が脅かされると感じると、弱小国は連合を組 んでそれに対抗する。こうして、システム内では勢力均衡 (bal ance of po wer) というメカ ニズムが働く9。 こうして、ウォルツは国際政治についての規則性を明らかにするために演繹的な手法を 取り入れ、そのために(ミクロ)経済学の理論を援用した。すなわち、アナーキー状態を (完全競争)市場に、国際システムに影響を与える諸大国(great powers)を自らの利潤 を最大化させようと合理的選択を行う企業になぞらえ、市場における企業の行動を説明す るように国家の行動を説明した。 しかし、ウォルツはシステム「安定」のためには二極構造の方が多極構造よりも安定す ると述べ、自らの価値観を前提に規範論を展開した。また、冷戦期の国際政治構造におい て、それぞれの陣営内における米ソの立場は絶対的で、第三の勢力が( 二極 の) バランスを 崩すことはできないとし、米ソはそれぞれ主要な敵に対処するように戦略をくみたてれば よいという 10。これは彼の現状分析とそれにもとづく政策論である。自国の安全保障を確 保するためには自らにその能力が必要であり、抑止力としてはたらく核兵器の保有はシス テムの安定を図る重要な手段であると考える。 (2)冷戦構造の安定を支えるもの 次に、二極システムとしての冷戦秩序がどのように維持されてきたのかについて、現実 を振り返っておくことにしたい。ここでは軍事・経済・文化という3つの側面に注目する。 しかし、なかでも重要なものは、核兵器の存在である。 まず軍事面、とりわけ核兵器に関して。第2次世界大戦において原爆が実戦使用された 3 後、東西両陣営は競って核兵器の開発競争を繰りひろげ、核兵器体系は地球全体を滅ぼす までに巨大なものとなった。その結果、核兵器の被害は核兵器を先制使用した側にまで及 ぶという点で核兵器の実戦使用は非現実的なものとなり、核兵器の保有は、「抑止力」の 保持、国家の威信を保つ手段としてのみ意味を持つこととなった。 しかし、核兵器が現実的に使用できないことが露呈してしまうことは、「抑止力」とし て意味がない。そこで、実際に核兵器が使用されることを前提とした戦略が検討され、そ のための防御システムの開発も進められた。最終的には、敵の核兵器先制使用に対して確 実にそれに報復するという相互確証破壊( MAD) 体制が確立し、「恐怖の均衡」が保たれる ことによって核戦争が回避されてきた。これが究極の核抑止の形態である。 核抑止論は、核兵器使用の脅しによって相手の行動を自制させるといった、双方の理性 を期待することによって成立する議論である。したがって、イデオロギーの対立する米ソ 間においても核抑止論という考え方それ自体は共有されていたということができる 11。ま た、ウォルツの指摘するように、二極システムの状況において核抑止論を有効に機能させ るためには、これ以上核保有国を増やさない体制をつくることも必要であった。なぜなら、 第3国の核保有は、米ソ両超大国間において成立する「恐怖の均衡」を不安定なものにす るからである。そこで、核拡散防止(NPT)条約が調印され、米ソ間で戦略兵器制限交渉 が断続的に行われた。このような米ソを中心とする冷戦秩序の状況を、J. ギャディスは「永 い平和」と形容した12。 第2に経済面について。東西両陣営間において核兵器をはじめとする軍事力による均衡 が保たれたが、それを支えるためには、各陣営内において同盟国の結束を図る必要があっ た。そのために、各陣営内において軍事同盟が結ばれたが、それと並んで重要なのは、各 陣営内における経済の結びつきである。 アメリカを中心とする西側陣営では、ブレトンウッズ体制が確立し、基軸通貨としてド ルが用いられることによって、アメリカの覇権国としての地位はより強固なものとなった。 西側同盟国の経済復興が一段落し、アメリカの力が相対的に低下してこの体制にかげりが 見え始めると、先進国首脳会議(サミット)による西側先進国間での調整が図られること によって、陣営内の結束が再び図られた。また東側では、経済相互援助会議 (CO MEC ON ) によってソ連と東欧諸国との間に経済協力と社会主義国際分業が進められた。 このように、両陣営内において米ソはそれぞれ覇権国としての地位を確立させ、その役 割として「国際公共財」を自陣営内に提供した 13。また、自陣営を拡大させるために、第 三世界に対する経済援助競争も繰り広げられた。 第3に、文化的な支配である。覇権国は奨学金を提供して自国に優秀な学生を集め、そ こで自らのイデオロギーを浸透させ、敵対する陣営に対してはプロパガンダを流布するこ 4 とが行われた 14。これは後に、「文化帝国主義」として第三世界から批判を受けることにな る。 このように、冷戦秩序は、東西両陣営間において水平的な権力関係が構築される一方で、 各陣営内部では、覇権国を頂点とする垂直的な権力関係が形成されることによって維持さ れていた。これはカプランのいう緩い二極システムにあたる。 各陣営内で頂点に立つ米ソ両国は、各陣営内において他に比類のないパワーを発揮し得 た時期には、敵対する陣営との力関係に最大限の配慮をし、「動的均衡」という形で冷戦 秩序の安定が図られた。しかし、やがて覇権国の負担増加から覇権パワーが減退して陣営 内の秩序を維持することが困難となり 15、第三勢力の勃興もともなって冷戦秩序は揺らぎ を見せ始める。最終的には、軍拡競争という経済負担に耐えきれず、自陣営内における民 主化のうねりにも抗しきれなくなったソ連の敗北という形で冷戦構造は崩壊した16。 アナーキーなシステムという構造に着目し、国家の目標は自国の安全保障であると説く ネオ・リアリズムは、現実の冷戦構造を前提に自らの理論を精緻化させようとしたが、そ の結果、冷戦構造崩壊のプロセスをネオ・リアリズムは予測できなかったという批判が起 きる17 。しかし、少なくとも冷戦期において、ネオ・リアリズムは二極構造の「安定」を 価値とし、冷戦構造正当化のための理論的支柱として機能したことは間違いない。 2. 非同盟諸国の構想する秩序 ―冷戦秩序に対する「反」秩序論― これまでみてきたように、冷戦秩序とは、東西両陣営の二極対立の中に「恐怖の均衡」 が成立する状況を指す。しかし、第二次世界大戦後、多くの植民地が独立し、第三勢力と して結集するにつれ、冷戦秩序に新たな不安定要因が生まれることとなった。 宗主国から独立した多くの国々は、政治的独立は果たしえたものの、植民地型経済構造 は依然として解消されないままであった。こうした、先進国を中心とする経済秩序の中で、 新興独立国は従属の地位にあるとする従属論が登場した18。 現実の動きを振り返ってみると、二極構造に異を唱え、東西どちらの陣営にもくみしな い「第三勢力」の結集を促す非同盟運動が、1955 年のアジア・アフリカ会議 ( バン ドン 会 議 )開催に至る過程の中で顕在化した。この非同盟運動は、①東西両陣営からの独立・自 立、②反帝国主義・反植民地主義の2つを基本的な理念とする運動である。1961 年に第 1回非同盟諸国首脳会議が開催されて以来、これまでに 12 回の首脳会議が開催されてい る。非同盟運動が発足した当時、非同盟運動の結束は固く、1970 年代に国連において採 択された「新国際経済秩序」(NIEO)や、ユネスコにおける「新国際情報通信秩序」(新 世 界情 報コミ ュニ ケーシ ョン秩 序( NW ICO )と もいう )の議論において 19、また 1978 年の国連軍 5 縮特別総会(SSD I)開催に際して、非同盟運動は重要な役割を果たした20。 このように、非同盟諸国は、東西両陣営を中心とする冷戦秩序に異を唱え、より公正な 国際秩序の樹立を強く求めた。この動きは、冷戦秩序に対する「反」秩序論としての性格 を有していたと考えることができよう。そこで本節では特に NIEO と NWICO の2つの事 例について取りあげ、大国を中心とする冷戦秩序に対して第三世界の国々が自らの位置を 確立しようとした動きについて見ておきたい。 (1)新国際経済秩序(NIEO) 第2次世界大戦後、民族自決を原則として掲げ、宗主国からの植民地支配を抜け出した 数多くの新興独立国は、いまだ経済的には従属の関係にあった。なぜなら、基軸通貨ドル を中心とするアメリカの圧倒的な経済力を背景として成立したブレトンウッズ体制のもと で、自由・無差別・多角の原則のもとに世界貿易の拡大が目指され、そのなかで、旧植民 地である新興独立国は、依然として一次産品の供給地として大国中心の国際分業体制に組 み込まれたままであったからである。 こうした状況に対し、第3世界における自立化の動きは少しずつではあるが前進を遂げ ていた。1955 年にはインドネシア・バンドンにおいてアジア・アフリカ会議が開催され、 平和 10 原則が採択された。この中にはすべての国家の主権と領土保全の尊重がうたわれ、 あらゆる人種、大小すべての国家の平等を承認すること、いかなる国家も他の国家に圧力 を加えぬこと、正義と国際間の義務を尊重することが記されている。1960 年代には南北 問 題の 解 決が 世 界の 主 要課 題 とし て 取 り上 げ られ 、 1964 年 に は国 連 貿易 開 発会 議 ( UNC TAD) 第1回総会が開催された。このとき、先進国に対抗して途上国が結束して行 動するための 77 か国グループ(G77)が形成された。また、第3世界の経済的停滞ない し低開発の原因は国際分業構造から生じる対外収支の不均衡であるとするアルゼンチンの 経済学者、R. プレビッシュは UNCTAD 第1回総会に報告書を提出し(Towards a New Trad e Policy for Developmen t:邦訳『新しい貿易政策を求めて』)、その中で彼は、従来 の援助中心のアプローチだけでなく貿易に重点をおく必要性を強調し、先進国の市場開放 に加えて、途上国の製品に対する特恵関税の供与、一次産品の交易条件悪化による途上国 の損失補填のための補償融資措置を求めている。さらに、自国の経済的自立を図るために 自国資源に対する恒久主権を確立することが必要であるとする資源ナショナリズムの動き も現れた。この動きは、1973 年に勃発した第4次中東戦争の際に石油輸出国機構(OPEC) は原油価格の大幅引き上げを行い、第1次石油ショックを引き起こしたことなどに現れて いる。 こうした第3世界の経済自立を求める運動と要求を集大成したものが新国際経済秩序 6 (NIE O )である。NIEO は、1974 年の国連資源特別総会での「新国際経済秩序樹立に関す る宣言」および同「行動計画」、同年末の第 29 回国連総会での「国家間の経済権利義務憲 章」という形で結実した 21。この NIEO は、先に紹介したプレビッシュの理論に基づいて いる22 。そのため、一次産品に特化した途上国の経済構造を脱却し工業化を図ること、ま たそのために先進国からの援助を増大させることが目標として掲げられた。川田侃は NIEO の論点として、①国際経済決定過程への発展途上国を含むすべての国の平等な立場での参 加、②発展途上国の経済的主権の確立、③発展途上国の開発戦略の基本路線を盛り込む、 の3点に要約している23。 こうして、NIEO は、支配と従属という垂直的な国際構造を是正し、水平で平等な国際 構造を目指そうとした。しかし、このことは資本主義に真正面から異議を唱えるというよ りは途上国に不利な交易条件を改善し、国際経済決定過程にみずからも対等な立場で参加 したいという要求であった。また、途上国に対する援助を拡大し、技術移転を促すことも 明記されている。 その結果、南北間において公平な国際経済関係が樹立されることを追求し、そのために 途上国が一次産品の供給地としての役割から抜け出そうと工業化戦略を採用する場合、外 国資本への従属が一層進展してしまうこと、また、NIEO には、国内秩序の問題に触れら れておらず、国内におけるエリート層対大衆貧困層の格差、都市と農村の格差をひろげて しまうこと、などが問題点として指摘されている24 。しかし他面において、途上国の資源 主権、経済主権の原則が少なくとも建て前としては常識化し、NIEO は、部分的にはそれ なりの進展をみたとして評価する向きもある25。 (2)新国際情報通信秩序(NWICO) 経済分野と同様、国際コミュニケーションの分野においても公正な国際秩序を確立させ ようとする動きが 1970 年代に起きた。これは、世界の情報が主要国にある5つの国際通 信社( AP、 UPI、 ロイ ター 、AFP 、タ ス) に支配されていること、途上国が政治や経済の主権 を獲得しつつあるにしても、情報主権の獲得にはほど遠いということに対する第3世界の 不満があった 26。言い換えるなら、北側のメディアや文化的生産物 (本 や雑 誌、 映画 など )が 「文化帝国主義」という比喩によって伝えられるように、事実上南側を支配する道具とな っているという現状認識である27 。新国際情報通信秩序の要求はこのことに対する抵抗で あった。 ユネスコや国連の場においては、早くから、世界の中の多くが十分な情報を入手してい ないことが議論されていたが、1969 年、ユネスコのマスコミと社会に関する専門家会議 が「新世界情報通信秩序」という表現を最初に用い、1976 年、コロンボで開催された第 7 5回非同盟諸国首脳会議の場で「情報とマスコミ分野における新国際秩序が新国際経済秩 序と同様に必要かつ不可欠である」という共同声明が発せられた。しかし同年、ナイロビ で開催されたユネスコ総会において、マスメディアは平和と国際理解という大義名分に奉 仕することが求められるとする「マスメディア宣言」が採択されようとした際、世界中に コミュニケーション論争が起き、採択は 1978 年まで持ち越されることとなる 28 。そのた め、同総会では、アイルランド元外相、ショーン・マクブライドを議長とする国際コミュ ニケーション問題検討委員会が設立され、1980 年のユネスコ総会に『多くの声、一つの 世界』と題する報告書が提出された29。 この論争を呼んだ「マスメディア宣言」は、1970 年にベラルーシが「情報メディアを 戦争、人種差別および諸国民間の憎悪をかき立てるための宣伝に使用すること」を禁止す る宣言を提出したことにはじまる。すなわち、この文言が報道の自由に対する直接的な脅 威であると多くの国々で受けとめられ、また国際機関において国家の行動が制約されるこ とに対する危機感が生まれたのである30。 国際経済において、自由貿易を推進すべきか、国内の弱小産業を保護・育成するために 保護貿易を認めるべきかで議論が分かれるように、国際情報通信分野においても、報道の 自由を最大限に尊重するべきか、それとも公正でバランスのとれた報道を促すためにある 程度の検閲もやむを得ないと考えるのかについて大論争がこのとき起きた。西側諸国は前 者の立場をとり、東側諸国及び非同盟諸国は後者の考えにたった 31。このことは、イデオ ロギー対立としての東西冷戦が繰り広げられている最中においては特に重要な問題であっ た。1976 年のナイロビ総会に提出された宣言草案には、マスメディアを各国の管轄下に おくよう義務づけることが明記されていたが、そのとき、米国務長官キッシンジャーは、 ユネスコが宣言を採択するならばアメリカは脱退せざるを得ないと脅した。他方途上国に とっては、先進国から途上国に大量の情報が流入することはその国の経済や文化を情報が 操作することにつながるため、同じく危機と受けとめられた。 こうして、マスメディア宣言をめぐる西側諸国からの反発が 1970 年代末におきる。西 側諸国の報道・出版関係者によって、新国際情報通信秩序が政府統制へ導くものであると して反対するロビイスト・グループ、世界自由報道会議が 1976 年に結成され、1981 年に はフランスのタロワールで、西側の新聞・雑誌・放送機関の代表とロビイスト関係者が会 議を行い、タロワール宣言が採択された。それは、「メディアの未来を方向づける権限を ユネスコに与えようとするソビエト・ブロックと第三世界諸国のキャンペーンに反対し、 一致団結の立場をとる」というものであった 32 。この後、「政治化」したユネスコからアメ リカは脱退し、ユネスコにおいて情報通信問題は当分棚上げされる形となった。 8 ここで、これまでの議論から確認すべき点をまとめておこう。第1に、政治的独立を獲 得した新興独立諸国は、国際システムにおいて、主権平等という形式上の平等は達成され たものの経済主権/情報主権が確立されたわけではないとの認識から、より「公正な」秩 序を求めて、すなわち、第三世界に属する国々も現存の国際秩序の一員として加わりその 成果を共有したいとして、非同盟運動を展開した。しかし、これらの動きは、冷戦秩序に おいて、ウォルツのいう「能力の配分」を南北間において再分配しようとする動きであり、 二極システムを指向する冷戦秩序にとっては不安定要因と映った。第2に、南北間におけ る能力の再分配の実現のためにとられた手段は、非同盟諸国の結束による北側諸国との(国 連や国際機関の場を通じた)団体交渉であった。この団体交渉は、第三世界内において結 束が保たれているときにはそれなりの成果を上げたが、その後、第三世界においても新興 工業諸国(NICs、のちの NIEs)や資源保有国と最貧国との間に経済発展のズレが生じる ようになり、結束が乱れることによって北側との交渉能力が失われた。 3. 平和研究の立場からの秩序論 ―「脱」秩序論の模索― これまでみてきたように、米ソ二極対立における「恐怖の均衡」状態として描かれる冷 戦秩序も、経済/情報主権を確立したいと願う非同盟諸国の提示した冷戦秩序に対する 「反」秩序論もともに国際システムを構成するユニットとして「国家」を想定し、ユニッ ト間の「能力の配分(distribu tion of capabilities)」状態を問題とする点で「国際」秩序 という性格を有していた。しかし、国際システムを構成するユニットは何も国家に限定す る必要はなく、実際には国家以外のアクターも存在している。1960 年代後半以降、こう した非国家的行為体に着目した研究がみられるようになり、これらを「世界」政治パラダ イムと呼ぶ論者も現れた 33 。これらは、国際関係論の中ではリベラリズムの範疇に入れら れる34。 「恐怖の均衡」のうえにかろうじて成立する冷戦秩序をきわめて不安定で危険なものと 捉え、核戦争の回避をめざすことからはじまった平和研究も、冷戦秩序に異を唱えてきた。 しかし平和研究の場合、単に戦争のない世界をめざすだけではなく、社会構造の中で様々 な権力行使によって抑圧された人々の視点に立って、人々の自己実現を阻む諸要因の除去 をめざす学問領域として発展してきた 35。そのために、人々の自己実現を阻む諸要因をよ りグローバルな構造に求め、その構造を変革するためにトランスナショナルな連帯に着目 する。この平和研究からの視点は、国際システムを構成するユニットとしての国家に着目 するといった狭い捉え方ではなく、被抑圧者の視点に立ち、グローバルな規模での問題解 決を図るための新たな規範を確立させようとする点で、これまでに取り上げた「国際」秩 序論の枠組みから抜け出す「脱」国際秩序であり、「世界」秩序構想という性格を持つ。 9 これは、リアリズム、リベラリズムとは異なる第三の系譜である。 そこで本節では、冷戦秩序を平和研究はどのように捉えていたのかを明らかにするため に、「世界軍事秩序」という議論を取り上げる。これは、単に東西両陣営による軍拡競争 のメカニズムをみるだけでなく、このメカニズムが第三世界における低開発、開発独裁体 制にまで波及することを指摘したものであり、平和研究の立場から現状の国際システムを 分析する際の枠組みを提供している。次に、平和研究のうちだす規範の一例として、「世 界秩序モデル・プロジェクト」(WO MP)を紹介する。 (1)世界軍事秩序36 平和研究は長らく、戦争の回避、とりわけ核兵器開発競争の進む冷戦期において、核戦 争の回避にもっぱらの関心を寄せてきたのであるが、米ソの緊張がやわらいだデタント期 においても軍拡の動きは進行し、軍備の世界大の移転や第三世界の低開発という問題にも 直面した。そこで、これら3つの現象をいかに統一的に理解するかということが緊急な課 題としてクローズアップされ、そのために考え出された分析枠組みが「世界軍事秩序」で あった37。 世界軍事秩序の枠組みでは、先進国に存在する軍拡の構造、この軍備を第三世界に放射 する構造、第三世界側に存在する軍備を拡大させようとする構造という3つの構造の存在 に着目し、それら3つの相互連関が世界的規模の軍拡を引き起こしていることが指摘され る38。 第1に、軍事力を保有することは、自国の安全を確保するための自衛力、さらには相手 に先制攻撃を思いとどまらせるための抑止力として正当化されてきた。東西間において深 刻な緊張関係にあった 1950 年代から 60 年代には、互いに敵対心をもち疑心暗鬼な状態に 陥り、その結果、抑止力としての核兵器を保有/増強させ、そのことがさらに相手の不安 を呼び起こす「安全保障のジレンマ」状態にあった 39 。核軍拡の構造はこうした状況から 説明できた。しかし、70 年代のデタント期において緊張緩和が進み、軍備管理が両陣営間 で話し合われる時期においても軍拡の動きはむしろ拡大の方向をたどった。このことは、 単に政治家どうしの対面だけを考えていても説明がつかない。そこで要因として指摘され るの が、それぞれの国 内における「軍部= 産業=官僚=技術 複合体 ( Military-IndustryBureaucracy-Technol ogy-C omp lex; MIBTC )」の存在である40 。これはアメリカだけでなくソ 連においても、異なった方法ではあるが同様の構図が存在したと指摘されている 41 。軍事 技術は以前に比べて格段のスピードで進歩を遂げ、「量より質」が問われるこの時代にあ って研究機関相互の競争が展開されたが、兵器開発には膨大な時間を要することから、新 型兵器開発はやむことなく続けられた。こうした軍拡構造を正当化するイデオロギーとし 10 て抑止論が用いられた。軍拡が進行する原因として国内要因に目を向けた点がこの時期に とっては新しく、こうした国内状況を D. ゼングハースは、「自閉症」に陥っていると形容 した42。 第2に、先進国から第三世界への軍事力移転である。これまでは先進国で使われていた 武器の「使い古し」が第三世界に流れていたが、先進国において兵器需要が減少すると、 最先端技術が第三世界に流出するようになった。その理由として、先進国内における過剰 生産による開発・生産コストの解消、また自陣営の拡大を図るために第三世界に進出しよ うとする敵対陣営への防御策として、第三世界側 (受 け手 国) の戦闘能力を高め、とりわけ その国の軍部に対する影響力を行使する必要性に迫られたこと、などが挙げられる。 第3に、こうして、本来は自国の経済成長、とりわけ民衆の生活向上のために用いられ るべき国家予算が兵器購入にあてられ、兵器購入に必要な外貨を獲得するために輸出指向 経済が温存され、さらに深く( 世界 経済 の) 従属構造に組み込まれていった。また、低開発 状態は国内の政治的不満を増大させ、治安強化のためにますます軍部に頼らざるを得なく なる。この結果、「開発独裁」政権が生まれ、第3世界内部においても支配と従属の関係 が発生する。 このように、①軍拡構造が肥大化する要因を国内の利益体系や技術開発といった、これ までの国際関係論では着目されてこなかった国内レベルの要因に着目したこと、②また東 西間のイデオロギー対立が第3世界にまで波及した点をとりあげ、先進国と利益構造を共 有する第三世界内部のエリートの存在にも言及したこと、③こうして世界大における階統 的な軍事秩序体系の存在を指摘したこと、以上の3点が「世界軍事秩序」の枠組みを通し て新たに明らかにされた。先に述べた NIEO の枠組みにおいては、第三世界が国際経済構 造に参入することに主眼がおかれ、国内秩序に対する関心が薄いことを指摘したが、この 点についても「世界軍事秩序」という分析枠組みは議論の弱点を補強する。すなわち、よ りグローバルな視点をとることによって、単に国家間の関係のみでなく( 先進 国 ・途 上国 双 方 の) 国家内部においても支配と従属の関係が見られること、とりわけ、第3世界内部に おいて、先進国との結びつきを強めるエリートと大衆貧困層との乖離が生まれるという構 図が明らかにされる43。 (2)世界秩序モデル・プロジェクト(WOMP ) 世界秩序モデル・プロジェクトは、1968 年2月にニューデリーではじめられた民際共 同研究である。世界の構造変動の時代にあって、現実追随型の学問ではなく、時代の状況 を正確に認識し、生起しつつある問題に的確な解決方法を見つけだすことがこのプロジェ クトの目標である44。 11 当初から中心的な役割を担ってきた坂本義和によれば、この WOMP の特質を次の3点 に要約している。一つは、未来指向的な作業であること。これは、現代の構造変動は過去 に先例のないものである以上、過去の歴史をひもとくだけでなく、「未来の歴史」をひも とかなければならないという認識である。第2に、世界試行的な作業であること。これは、 主権国家を機軸とする「国際」秩序という発想を転換させ、「まず世界という一つの人間 社会のシステムがあり、そのサブシステムとして、国家その他さまざまのレヴェルの集団 が存在する、という視座に立つこと」と解説されている 45。第3に、価値指向的な作業で あること。すなわち、一定の目的価値との関連において現状分析や未来予測を行うことで ある。 ここで、どのような「価値」が指向されるのかが重要となる。WOMP では、「平和、経 済的福祉、社会的正義、環境との均衡」の4つの価値をあげている。この4つの価値を実 現させるための移行戦略を練ることが、WOMP の目標だといってよい。また R. フォーク はこのプロジェクトが西欧的な考え方に偏重していることを認めつつも WOMPの歴史は これらにうち勝つための闘いであり、とりわけ、犠牲を被っている人々がよりよく生きら れる(hu man betterment)ための知的・政治的媒体となることを謳っている46。 WOMP の取り組みの経緯について、浦野起央による4つの時期区分を最後に紹介してお く。第1期:1968∼76 年、1990 年代の望ましい世界の研究に向けて。第2期:1976∼82 年、オルタナティブな世界秩序の研究に向けて。第3期:1983 ∼86 年、公正な世界秩序 の研究に向けて、第4期:1987 年∼、地球文明プロジェクトの始動47。 これまでみてきたように、冷戦期においては、東西両陣営による二極システムの「安定」 を重視するリアリズムの議論に対し、第三世界を含めるより「公正」なシステムを求める 動きや、システムの「変革」によって人間の自己実現を果たすことのできる条件を模索す る動きが 1960 年代後半から 1970 年代にかけてみられるようになった。この時期は一つ の時代の転換期にあったといえよう。 時代の転換期は、将来の行く末に不安を感じる時期であるが、大きく希望を膨らませる 時期でもある。このことを国際関係論の文脈として考えてみると、例えば、軍事力だけで なく経済力という新たなパワーの次元が国力としてみなされるようになったこと、そのこ とに伴い、多国籍企業のもつパワーに関心が寄せられ国家の統治能力を疑問視する声が生 まれてきたことなどが前者の例であろう。また後者の例として、東西両陣営のイデオロギ ー対立のもとで抑圧されていた人々が自らのアイデンティティを追求し、より「公正」な 秩序が実現される可能性を展望し得るようになったことなどが挙げられる。NIEO はその 1つの大きな成果となるはずであった。 12 しかし、現実は思うように進まず、1970 年代後半から 1980 年代初頭にかけてふたたび、 超大国による秩序再再興の動きがおきる。1979 年におけるソ連のアフガニスタン侵攻、 イランでのアメリカ大使館占拠事件などアメリカのパワーの衰退が露呈する中で、再び覇 権国としての地位を揺るぎないものとしたいレーガン大統領が登場し、「新冷戦」といわ れる時期を迎える。他方、第三世界では南南問題が深刻化し、諸国内での経済格差が拡大 するとともに国内では開発独裁体制といわれる政権が登場し、人々を抑圧する体制は依然 として強固であった。 こうした現状をトータルに捉える枠組みが、平和研究に携わる研究者の間から提出され た。「世界軍事秩序」という枠組みは、東西両陣営の軍拡構造、途上国の脆弱な政権基盤、 それを支える先進国からの背後からの動きという3つの次元をトータルに捉える視座を提 供した。また、こうした世界大に広がる軍拡構造に対して、とにかく自分から悪循環を断 ち切るべく「一方的イニシアティブ」をとることを提唱する動きも現れた 48。WOMP は、 この時期にはあまりにユートピア的であったかもしれないが、犠牲者の視点(ローカルな 視点)をグローバルな視点から捉え直そうとする構想を提示し、冷戦構造が崩壊した今日 においてもその視点の有効性はかわらない。 4. ポスト冷戦期の秩序論 冷戦期につづくポスト冷戦期において、これまでみてきた秩序論はそれぞれ議論をどの ように変化させてきているのであろうか。ここでは、リアリズムとリベラリズムが大国を 中心とする秩序として収斂する様子を描き、それに対する「反」秩序論、「脱」秩序論の 現段階はどのようなものかについてまとめておきたい。 (1)冷戦構造の崩壊とリアリズム 冷戦期においては、当時の東西二極対立の構造にシステムの「安定」を見いだすネオ・ リアリズムによって、冷戦秩序が論じられた。ネオ・リアリズムは、冷戦構造の「安定」 のために抑止力としての核兵器を必要とした。 しかし、ネオ・リアリズムは冷戦構造の「安定」を求めるあまり、冷戦構造の終結を予 測できなかったとの批判にさらされることになる49 。この点につき、ネオ・リアリズムに 属する論者たちはポスト冷戦期にどのような議論を展開しているのかについて、簡単に見 ておこう。 ウォルツは、二極構造は冷戦期とは異なった形で継続していると見る。なぜなら、ソ連 の後を引き継いだロシアは依然として強大な軍事力を有しており、他に追随を許さないか らである。もっとも、今後 10 年から 20 年の間にドイツないし西欧諸国、日本、中国の3 13 つが大国の地位につくであろうと予測しているが50 。また、J. ミアシャイマーは、軍事力 の配分状態が戦争や平和に大きく影響を与えると考えており、冷戦期の二極構造がシステ ムの安定をもたらしていたと考えている。この二極対立が終結した今日、ヨーロッパには 戦争や危機の生まれる危険性が増大しており、こうした危険を回避する手段としては核抑 止に頼るほかはない。したがって、アメリカはヨーロッパに対して限定的かつ慎重に管理 された核拡散をすすめるべきだとしている51。 これらネオ・リアリズムに対し、古典的リアリズムや覇権の推移に着目する立場から批 判する向きもある。W. ウォルフォースは、リアリズムが冷戦崩壊を予測できなかったと する批判の多くはネオ・リアリズムに対して向けられているが、ネオ・リアリズムの責任 は、システム変化を予測することに失敗したことではなく、システム変化を信じる人々に システムの安定という考えを植え付けたことにあるとする。そして、冷戦構造の崩壊は、 巨大な多民族国家の衰退と崩壊によるものであり、覇権競争の理論を用いてこれらのシス テム変化を説明できるとする 52 。また C. グレーサーは、外交政策の決定要因はウォルツ のいう国際システムにおけるパワーの配分状況ではなく脅威のレベルや原因にあるとみる。 システムの状況は、国際政治構造ではなく国内状況や国家レベルでの病理の反映である。 したがって、防御的な政策を追求し、安全保障のディレンマを穏やかなものとすることに よって自らの安全を確保することができるとする53。 このように、大国を中心とする秩序の枠組みを支えてきたリアリズムは、幾分議論が錯 綜しているものの、国家が自国の安全を実現するためにパワーを求めるという前提は冷戦 構造とは無関係に成立しており、その意味でポスト冷戦期においても有効であるとしてい る。ただし、冷戦期とポスト冷戦期とでは国際システムに質的な変化が見られたと考えて おり、ポスト冷戦期における秩序の具体的な内容についてはさらに検討する必要がある。 (2)大国を中心とする秩序 ―ポスト冷戦期における質的変化― ソ連の崩壊という形で冷戦構造が終結した。このことは、これまでの国際秩序の枠組み にどのような変化をもたらしたのであろうか。1つは、アメリカによる単独覇権が成立し たという見方である。第2に、覇権国アメリカのパワーの衰退に伴い、これからは覇権国 アメリカの提供してきた「国際公共財」を大国間で協調して支えていこうとする議論があ る。第3に、冷戦構造の崩壊は西側陣営の勝利、すなわち(自由)民主主義の勝利である とする認識から54 、(自由)民主主義という政治体制やイデオロギーに格別の意味を与える 議論がある。 第1に、アメリカによる単独覇権が成立した (す べ きで ある ) という見方について。現実 の世界では、ブッシュ大統領によって示された「新世界秩序」構想が注目される。この構 14 想は 1991 年1月の年頭教書において示され、その後、いくつかの演説や文書の中で言及 された。この時期はちょうど湾岸戦争の勃発した時期にあたり、アメリカが「世界の警察 官」としての役割を果たすべきことを主張している。ブッシュ大統領は、湾岸戦争の意義 について「問題はクウェートという小国にあるのではなく、危機に瀕しているのは新しい 世界秩序である」と強調し、新世界秩序の構築はアメリカの直面する責任であるとしてい る 55。しかし、C. レインは、アメリカが唯一の超大国として君臨する単極システムはつか の間の状況にすぎず、やがて新たな大国が必然的に起こると指摘している 56。こうした、 国際システムにおける覇権の存在に着目し、二極から単極へ、あるいは多極へ移り変わる という議論は、ネオ・リアリズムの議論の延長にある。 第2に、アメリカの覇権衰退後の世界について。R. コヘインは、アメリカのような覇 権国による支配がなくても国際レジームによって国際協調は可能であると論じている57 。 また、猪口邦子は、冷戦構造とそれを管理した支配的な仕組み(= パッ クス ・ア メリ カー ナの 秩 序) が解体しても世界は単なる無秩序へと解体したわけではなく、国際公共財の分担や 国際的取決めの共同実施などにより、国際システムは内発的な自己組織力を発揮しはじめ ているという。そして、「国際政治経済場裡の各領域に最も深く関わる関係各国が相互に、 そして外部とも絶え間ない利害の微調整を行いながら、政策協調とコンソーシアム型共同 管理システムの運営を通じてその特定領域の秩序を維持し、また各国が国民の支持と比較 優位のあるところで国際公共財を提供し合う、分散傾向の強い」ポスト覇権システムを冷 戦期の覇権システムにかわるシステムであると主張する58。これらの議論は、大国間の「協 調」に着目する点でネオ・リベラリズムといわれる系譜に属する59。 第3に、冷戦構造の終結は、西側の(自由)民主主義による勝利であるとし、ポスト冷 戦期にはこの考え方を世界大に広げていくことが世界平和の実現につながるとする議論で ある。 この代表的な議論は B. ラセットの「民主主義の平和(Democratic Peace )」論である 60 。この議論の要点は、民主主義国家どうしは戦争することはめったにない。なぜならば、 相手国が民主主義体制であれば、もし戦争に訴える手段にでようとしても、(自 国と 同様 に) 紛争を戦争で解決すべきでないという規範や政策決定手続きに拘束され、結果として戦争 が回避されることが「期待」できるからであるという主張である。この議論に連なるもの として、田中明彦は「3つの圏域」モデルを提示した61 。これは、「冷戦の終結によって勝 利した自由主義的民主制・市場経済というイデオロギーでもって、世界を分類したらどう なるか」という観点から世界を3つの圏域に分けたもので、市場経済、自由民主主義とも に成熟・安定した圏域を「新中世圏」と名づける。この「新中世圏」内では相互依存が深 化することを理由とする紛争が見られるが、これらはお互いの政策調整によって解決が図 15 られ、軍事力によって問題解決が図られることはないとし、民主主義の平和が保たれる。 しかし、「新中世圏」の外側では依然としてパワー・ポリティクスが繰りひろげられてお り、国家中心的な発想で対処せざるを得ないとする。これらの議論は、アクターの多元化 に目を向けるという点でリベラリズムの潮流に位置づけられるが、この思考の背後には正 邪の区別を行うことのできる理性的な人間観、国家観が反映している62。 冷戦期においても、東西両陣営はともに自陣営の拡大を図るべく、自らのイデオロギー を第三世界に移植しようとする動きが見られた。しかし、ポスト冷戦期における議論は、 (自由)民主主義という西洋の価値観を一元的にあてはめようとするところに特徴がある。 この点で、大国を中心とする秩序論のポスト冷戦期における新たな展開と考えることもで きる。 これまで見てきたように、ここで取り上げた大国を中心とする秩序論は、冷戦期におけ るリアリズムの枠組みをポスト冷戦期に適するように変形させたものと見ることができる。 すなわち、ネオ・リアリズムは、二極システムの質的変化を主張し、リベラリズムの中で も覇権国アメリカにかわる大国間の「協調」を説くネオ・リベラリズムが登場した。また、 旧来の西側陣営に共有された自由主義/民主主義というイデオロギーが世界的に浸透し、 こうしたイデオロギーによって世界を3つの圏域に分けて捉える見方も現れた。 しかし、自由主義/民主主義という秩序原理とは異なる秩序体系を有する国や地域の存 在を忘れるわけにはいかない。自由主義/民主主義が浸透した地域とそうでない国や地域 との関係は、依然としてパワー・ポリティクスの論理がはたらくと考えられるが、これを 「文明の衝突」とみなす見方もある 63 。この点について、今後、注意深く見守っていく必 要がある。 (3)「反」秩序論、「脱」秩序論のゆくえ 最後に、大国を中心とする秩序に対抗する秩序論についてまとめておきたい。 本稿では、冷戦期におけるこれらの議論として、非同盟諸国のうち立てた秩序論および 平和研究の立場からの秩序論を「反」秩序論、「脱」秩序論として取りあげた。このうち、 前者の非同盟運動からみていくと、東西両陣営からの独立・自立、反帝国主義・反植民地 主義というスローガンを掲げてはじめられたこの運動は、米ソ対立という冷戦構造が崩壊 すると、当然のことながら、運動の存在意義が問われることになった。しかし、2つ目の 柱である反帝国主義・反植民地主義という点に関してこれらの国々はいまだ十分な成果を あげたとは言えず、非同盟運動の存在意義は依然として大きいとして、1992 年9月に開 催された第 10 回非同盟諸国首脳会議において、非同盟運動無用論が斥けられている64 。し 16 かし先にも述べたように、南南問題が発生し、第三世界内部においても対立がみられるよ うになった結果、一般的には、1970 年代に国連その他の場における団体交渉を繰りひろ げた時期に比べると国際システムに対するインパクトは弱くなったと理解されている。 次に平和研究に関して。核戦争勃発の危険性を減らしていくことを究極の課題としては じめられた平和研究は、1960 年代後半に「構造的暴力」概念が生まれることによって平 和研究の対象領域が広げられた。このうち、核戦争の回避という課題については、東西対 立がなくなった今日、その課題の緊急度は減少した。しかし、核兵器そのものがなくなっ たわけではなく、核戦争の危険が減ったにもかかわらず核兵器は減っていないという現実 があることから、こうした状況をどう理解し、どのように運動を再編させていくのか。ま た、世界各地で頻発する地域紛争に対しどのような対応をすべきかといった個別具体的な 対応に焦点が移ってきている 65。また、「構造的暴力」の除去という課題については、社会 構造の変革という壮大なプランを練らねばならず、一部で理論的考察が進められてはいる ものの、いまだ十分な研究が進んでいるとは言えない。WOMP の側からは、人間の尊厳 を保障するグローバル・ガバナンスのあり方を模索する研究が進められている66。 おわりに −人間を視座にすえた秩序構想をめざして− 本稿では、冷戦秩序を基準にとり、それとの対比において国際関係における秩序論の系 譜を描いてきた。また、ポスト冷戦期にこれらの議論がどのように推移したのかについて 概観した。ここでこれまでの議論をまとめておきたい。表1は、冷戦期における3つの枠 組みについてまとめたものである。また表2は、冷戦期からポスト冷戦期にかけての秩序 論の推移を示したものである。 表1 冷戦期の秩序論 大 国 を 中 心 とす る 冷 戦 秩 序 理想とする価値 二極構造の安定 秩序の規則性/実現方法 勢力均衡(二極対立) 強制力(抑止力)が必要 秩序の性格 現状維持/肯定 枠組みの限界 システム変動を予測困難 非同盟諸国の求める 「反」秩序論 南北間での公正 南北間での団体交渉 平和研究からの 「脱」秩序論 人間(弱者)の自己実現 トラ ンス ナシ ョナ ルな 連 帯 (漸進的)改良 システム変革/未来志向 非同 盟諸 国間 の結 束が 崩 ユートピア的 れると事態は行き詰まる 説得 力あ るモ デル 提示 が 国内格差への関心薄い 難しい 表2 冷戦期からポスト冷戦期への秩序論の推移 冷戦期 二極構造の安定 非同盟諸国の結束による団体交渉 ポスト冷戦期 覇権の衰退 → ・アメリカの単独覇権をめざす ・大国間による共同覇権(ポスト覇権システム) 不安定な多極構造 → 核抑止への依存、慎重な核拡散 不確かな動きへ 17 核戦争の危険性 構造的暴力の除去 現存する核兵器の廃絶、多発する地域紛争への対応 個別具体的な対応 人間の尊厳を保障するガバナンスの模索 冷戦期にみられた秩序論は、良くも悪くも、東西対立という冷戦構造を中心に議論が展 開され、「反」秩序論、「脱」秩序論は冷戦秩序に対する抵抗論、運動論として作用した。 この点で、冷戦期における秩序論の図式はわかりやすいものであった。しかし、ポスト冷 戦期では国際システムにおける秩序認識が論者によって大きく異なるため、議論はより複 雑になる。冷戦構造を前提とした議論の中には、冷戦構造が崩壊したことによってその存 在意義を失った議論もある。しかし、いつの時代にあっても、秩序を維持していくために は何らかの強制力が必要であり、今後ともさらにパワーの所在、パワーの行使形態をめぐ って議論が展開されるであろう。例えば、大国がパワーを掌握することによって大国を中 心とする秩序が形成されるのか、それとも人間の尊厳に価値を求める立場から、民衆によ り多くのパワーを与えるべき (民 衆に よる パワ ーのコ ント ロー ルが なされ るべ き) と論じられる のか、それとも国家を超える国連などの組織により多くの権限を付託すべきと考えるのか。 また、最終的強制力として軍事力はどのような役割を果たすのか、また軍事力によらない パワーとは何か。パワーの矛先はどこに向けられるのか、といった具合である。このよう に見ていくと、国際関係論における秩序論の検討は、単に国際システムの「規則性」を明 らかにするだけでなく、国際システムの「ビジョン」を提示する試みでもある。 最後に、本稿において論じることのできなかった点を指摘しておくと、国際システムの 秩序を維持/変革していく行為主体の能力の問題がある。これまでの秩序論では、国際シ ステムのユニットとして国家のみを想定してきた。「脱」秩序論がこの前提に異を唱える わけであるが、「脱」秩序論を精緻化し、人間を視座にすえた秩序を構想するためにはさ らに、国連をはじめとする国際機関、多国籍企業、NGO、個人(とその集団)などといっ た非国家的行為体が(国際/世界)秩序の維持ないし変革に際し、どのような役割を演じ ることができるのか( もし くは 役割 の限 界に つい て) を検討する必要がある。この点について は稿を改めたい。 1 アナーキーな国際システムにおける秩序を考察したものとして、Hedl ey Bul l, The Anarchical Societ y: A Study of Order in Wo rld Politics, Second Edition, Macm il lan, 1995 . 初版は 1977 年である。 2 Hans J. Morgent hau, Politics amo ng Nations, 5t h edit io n, New Yo rk: Alfred A. Knopf , 1978 . (現 代平和研究会訳『国際政治:権力と平和』福村出版、1986 年) 。なお、初版は 1948 年である。 3 Rob ert O. Keohane, ed., Neoreal ism and It s Crit ics, New Yo rk: Co lumb ia Univ ersit y Press, 1986 . Rob ert Gilpin, War and Change in Wo rld Politics, Cam bridge: Cam bridge Univ ersit y Press, 1981 4 Mort on A. Kapl an, Syst em and Process in International Politics, New Yo rk: John Wiley, 1957 . 5 Michael E. Bro wn, Sean M. Lynn-Jo nes and Steven E. Miller, eds., The Peril s of Anarchy: Co ntemp orary Realism and International Security, Cam bridge: The MIT Press, 1995 , pp . ix-x. 18 6 Kennet h N. Wal tz, Theory of International Politics, New Yo rk: McGraw-Hil l, 1979 , p. 93. 7 ibid., p. 97. 8 ibid., p. 102. 9 ibid., chap ter 6. ibid., pp . 158-17 0. 11 岩田修一郎『核戦略と核軍備管理:日本の非核政策の課題』日本国際問題研究所、1996 年、37 頁。 また平和研究の側からは、米ソ両陣営双方の合理性を信用する結果生じるのは共滅でしかないことを、同 じく合理性を前提として成立するゲームの理論を用いて明らかにした。A. ラパポート、関寛治編訳『現 代の戦争と平和の理論』岩波新書、1969 年。 12 John Lewis Gaddis, "The Long Peace: El ements of Stability in the Post war International Syst em," International Security, Vol . 10, No . 4, 1986 . 10 13 覇権国アメリカが提供する「国際公共財」に関して、Rob ert Gilpin, The Political Econom y of International Rel at io ns, Princeton: Princeton Univ ersit y Press, 1987 .(大蔵省世界システム研究会訳 『世界システムの政治経済学』東洋経済新報社、1990 年)参照。 14 Mark D. Alleyne, International Power and International Co mm unicat io n, Londo n: Macm il lan, 1995 , chap ter 5. 15 覇権国が自陣営内に提供してきた「国際公共財」は、覇権衰退後も各国の協調によって維持されるこ とを論じたものに、Rob ert O. Keohane, After Hegemo ny: Co operat ion and Discord in the Wo rld Political Econom y, Princeton: Princeton Univ ersit y Press, 1984 .(石黒馨、小林誠訳『覇権後の国際 政治経済学』晃洋書房、1998 年。 16 本稿は、冷戦構造からポスト冷戦期の国際秩序への「移行」について論じることが主眼ではない。な お、冷戦の「終わりかた」について論じたものに、藤原帰一「冷戦の終わりかた:合意による平和から力 の平和へ」東京大学社会科学研究所編『20 世紀システム6 機能と変容』東京大学出版会、1998 年があ る。 17 この点につき、冷戦終焉後のリアリズムの議論をまとめたものとして、Michael E. Bro wn, Sean M. Lynn-Jo nes and Steven E. Miller, eds., op . cit . 参照。 18 たとえば、A. G. フランク、吾郷健二訳『従属的蓄積と低開発』岩波書店、1980 年。S. アミン、野 口祐他訳『世界資本蓄積論』柘植書房、1979 年などがあげられる。 19 非同盟陣営が、新「国際」情報通信秩序という宣言を公表したのに対し、ユネスコと国連は当初、新 「世界」情報通信秩序と呼んでいた。これは、前者が民族自決によって先進国から(経済的にも文化的に も)自立した国家をつくりだし、その国家間の相互関係を問題にしたのに対し、後者は、1970 年代にマ クルーハンによって「地球村(glob al vill age) 」という概念が生み出されたように、多元的に独立した文 化が統合されて相互依存関係にあるひとつの世界を想定していたからである。ハワード H. フレデリック、 川端末人他訳『グローバル・コミュニケーション:新世界秩序を迎えたメディアの挑戦』松柏社、1996 年、194 頁。この認識の違いは非常に大きいと考えるが、本稿では煩雑さを避けるために、新国際情報通 信秩序という用語を用いる。 20 坂本義和「軍縮の政治学」 『世界』391 号、1978 年。 A/955 6. これ らは、川田侃編『今日 の南北問題』 (経済セミ ナー増刊)日本評論社 、1976 年に邦訳 がある。 22 川田侃、村井吉敬「新国際経済秩序の問題性」日本平和学会編集委員会編『講座平和学 I 平和学− 理論と課題−』早稲田大学出版部、1983 年。 23 川田侃「新国際経済秩序の諸問題」川田侃、三輪公忠編『現代国際関係論』東京大学出版会、1980 年、 88 頁。 24 西川潤「新国際経済秩序と内発的発展−自立更正の政治経済学−」 『平和研究』5号、1980 年。また、 南北間 だけでな く、南の 国々の中 にも、支 配と従属 の関係が 発生して いること に言及し たものと して、 Johan Galt ung, "A Structural Theory of Im perial ism ," Journal of Peace Research, Vol . 8, no. 2, 1971 . (高柳先男他訳『構造的暴力と平和』中央大学出版部、1991 年)があげられる。 21 25 川田侃『国際政治経済学をめざして』御茶の水書房、1988 年、III 章。 ユネスコ「マクブライド報告」 、永井道雄監訳『多くの声、一つの世界』日本放送出版協会、1980 年 に寄せた、永井道雄の序文参照。 26 27 Mark D. Alleyne, op . cit ., p. 12. 19 28 ハワード H. フレデリック、前掲書、第6章。 International Co mm ission fo r the Study of Co mm unicat io n Probl ems, Many Voices, One Wo rld, Paris: Unesco , 1980 (永井道雄監訳、前掲書) 。 30 こうしてアメリカは、 「政治化」したユネスコから脱退することを 1983 年 12 月に公表する。最上敏 樹『ユネスコの危機と世界秩序:非暴力革命としての国際機構』東研出版、1987 年参照。 31 Mark D. Alleyne, op . cit ., Chapt er 4. 32 ハワード H. フレデリック、前掲書、212 頁。 29 33 Rob ert O. Keohane, Joseph Nye, Jr., eds., Transnat io nal Rel at io ns and Wo rld Politics, Cam bridge: Harv ard Univ ersit y Press, 1972 , esp. pp . 379-86 . 34 野林健他『国際政治経済学・入門』有斐閣、1996 年。 平和研究における様々な学派について、高柳先男「平和研究のパラダイム」有賀貞他編『講座国際政 治1 国際政治の理論』東京大学出版会、1989 年が見取図を示していて参考になる。本稿での関心は、 その中でも「構成主義的(平和的)平和研究」と位置づけられるアプローチである。それは、個人や個人 をとりまく集団を世界構造の中でより立体的に描き出すことに関心を寄せるアプローチであると理解する からである。 36 文献によっては、 「新国際軍事秩序」 (New International Military Order; NIMO )と表記しているも のもある。しかし、軍拡構造が世界大に拡がり、しかも以下で指摘するように、先進国における軍産複合 体の存在、第3世界における低開発と軍事独裁政権との関連を構造的に描く点で、単に国家間の結びつき を言い表す「国際」よりは「世界」秩序と言い表した方がよいと考え、本稿では「世界軍事秩序」と統一 する。Asbjørn Eide and Marek Thee eds., Probl ems of Co ntemp orary Militarism, Londo n: Cro om Hel m, 1980 . 37 高橋進「『世界軍事秩序』と国際政治」 『UP』101 号、1981 年。 38 高橋進「世界軍事秩序論」日本平和学会編集委員会編『講座平和学 I 平和学−理論と課題−』早稲 田大学出版部、1983 年。 35 39 John H. Hert z, International Politics in the Nuclear Age, New Yo rk: Co lumb ia Univ ersit y Press.1959. 土山實男「セキュリティ・ディレンマの国際政治理論 ―一九一四年・核・冷戦以後―」 『国 際政治』106 号、1994 年。 40 軍産複合体という言葉が広まったのは、1961 年のアイゼンハワー大統領の告別演説からである。それ に、官僚と技術開発を加えたのが、MIBTC である。軍産複合体の枠組みとして、次の文献を参照。大嶽 秀夫「軍産複合体理論からみた日本の政治」 『法學』 (東北大学法学会)45 巻 4 号、1981 年。 41 進藤榮一『現代の軍拡構造』岩波書店、1988 年、第1章。 42 D. ゼングハース、高柳先男他訳『軍事化の構造と平和』中央大学出版部、1986 年。 43 この点を指摘したのも、平和研究において構成主義的(批判的)アプローチと位置づけられる J. ガ ルトゥングの業績であった。Johan Galt ung, "A Structural …,"(高柳先男他訳、前掲書) 。 44 本項の記述は、主に J. N. バグワッティ編、石川滋編訳『経済学と世界秩序:世界秩序モデルの構想』 岩波書店、1978 年に寄せた、坂本義和の「まえおき−世界秩序モデルの研究−」に依拠している。 45 同上、vii 頁。 46 Richard Falk, "From Geop olitics to Geogov ernance: WO MP and Co ntemp orary Political Discourse," Alternatives, vo l. 19, 1994 . 47 浦野起央『国際関係理論史』勁草書房、1997 年、380 頁。 48 坂本義和、前掲論文、73∼76 頁。 49 注 17 参照。 50 Kennet h N. Wal tz, “The Em erging Structure of International Politics,” International Security, Vol . 18, No . 2, 1993 . 51 John J. Mearsheimer, “Back to the Future: Inst ab il it y in Europ e After the Co ld War,” International Security, Vol . 15, No . 1, 1990 . 52 Will iam C. Wo hl fo rt h, “Realism and the End of the Co ld War,” International Security, Vol . 19, No . 3, 1994 /95. 53 Charles L. Glaser, “Realist s as Op timists: Co operat ion as Sel f-Help,” International Security, Vol . 19, No . 3, 1994 /95. 54 フランシス・フクヤマ、渡辺昇一訳『歴史の終わり(上・下) 』三笠書房、1992 年。 55 花井等「戦後の新世界秩序をうたう米一般教書」 『世界週報』1991 年 2 月 26 日参照。 20 56 Christo pher Layne, “The Unipo lar Il lusio n: Why New Great Powers Will Rise,” International Security, Vol . 17, No . 4, 1993 . 57 Rob ert O. Keohane, op . cit . 58 猪口邦子『ポスト覇権システムと日本の選択』筑摩書房、1987 年。 59 ネオ・リベラリズムとネオ・リベラリズムの論争について、David A. Bal dwin ed., Neoreal ism and Neol ib eralism: Co ntemp orary Debat e, New Yo rk: Co lumb ia Univ ersit y Press, 1993 . 本稿において は、両者の違いに着目するよりも、両者ともに大国を中心とする秩序論を展開していることに注意を払う ことの方が重要である。 60 Bruce Russet t, Grasping the Demo crat ic Peace: Princip les fo r a Post -C ol d War, Princeton: Princeton Univ ersit y Press, 1993 . 61 田中明彦『新しい「中世」 :21 世紀の世界システム』日本経済新聞社、1996 年。なお、 「新しい中世」 というネーミング自体は田中のオリジナルではない。Hedl ey Bul l, op . cit ., pp . 245-24 6. 62 Charles W. Kegley, Jr. and Eugene R. Wit tkopf , Wo rld Politics: Trend and Transform at ion Sixt h Edition, New Yo rk: St. Martin’s Press, 1997 , Chapt er 16. ここでいう「リベラリズム」とは、先に述 べたネオ・リベラリズムが国家間の協調を唱えるのに対し、主に国内政治に着目する議論として用いられ る。 また、 これは保守主義 (conservat ism ) と同義である。 David A. Bal dwin, “Neol ib eralism, Neoreal ism , and Wo rld Politics,” in David A. Bo ldwin ed., op . cit ., p. 10. 63 Sam uel P. Hunt ington, The Cl ash of Civ il izations: Rem aking of Wo rld Order, New Yo rk: Touchstone, 1996 (鈴木主税訳『文明の衝突』集英社、1998 年) 。 64 岡倉古志郎『非同盟研究序説:増補版』新日本出版社、1999 年、72 頁。 65 坂本義和「近代としての核時代」坂本義和編『核と人間 I 核と対決する 20 世紀』岩波書店、1999 年。 66 Richard Falk, On Hum ane Gov ernance: Toward a New Glo bal Politics, Cam bridge: Polity Press, 1995 . 21
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