㊨㊨ -大会講演から りますけれども、これはロマンチック。 の革に日の入る夕 の花』というのか大正二年に刊行されてお す。初期はそうではなかったんですね。『桐 して、そこのとろをお話したいと思ま 北原白秋は独自な写生の仕方をしておりま た題のように思われるでしょうけれども、 *若き日の白秋 「白秋の写生」というのはちょっと変あっ な運命を生き'どのようにしてその歌壇を拓いたのかに触れて、印象深いお話でした。 春の鳥な鳴きそ鳴きそあか と外の面 先生の「白秋写」と題するお話を伺いました。北原白秋とう優れた歌人がどのよ 平成十一年二月三日(土)、早春の高知城ホールで「四国短歌大会」が行われ、田谷鋭 とも るのかわ らないと う二通りの批評が出 かさの中で烏も鳴いて-れるなと言ってい と言っているのか'あるいは春の夕べの静 まり、鳴きしる烏に 「鳴-な、く」 のかた らない」と批評しております。つ は 「この鳥は鳴いて るのか鳴いて ない るべきでしょうか。しか 、ちょっと穏や は白秋は男ですから、女の人が帰ったと見 して言、つ 葉なんですけれども、この場合 「君」というのは、昔から女の人が男に対 れのひとつの情景が出ているわけですが' ったと思います。清らかな感じと もに別 である」と言っているんですが、学者など かあ と外の草原の果てに、日が沈む夕べ 鴫-な'鴫-な」と言っているんです。「あ 白秋の作品の人気投票でたしか第一位だ 香のごと-ふれ 君かへす朝の鋪石さ- と雪よ林檎の 方はご存じなんですけれども、「春の烏よ、 かったのです。 『桐の花』 の最初の歌でして、たいて の 結びで、「な鳴きそ鳴きそ」というのか面白 なんです。その中で日本語の面白さ、「鴫- な、嶋-な」というのを「な-そ」 の係り しきいし .2 け取って、盛んに詩作し、歌も作った時代 東京に残っている江戸的な世界の両方を受 いながら東京の中 西欧的な世界、それと ら東京に出てきまして、早稲田の予科に通 花』という歌集は、白秋という人が柳河か ったんじゃをいかと思うわけです。『桐の 鳴きそ鳴きそ」という言葉が面白いから作 が面白いと思うんですが、作者は実は「な 「しば 静かにして-れよ」というその方 た方がい と思うんです。鳴いている烏に ております。私はやはり、鳴いていると見 -飛べなかったら、そこへ戻らな-てはな ¥ ね。自分が飛び立った枝を見ている。うま ぶ。「宙にためらふ雀の子」と言っています りますと、これは写生の歌ですね。 まだ飛び慣れない雀の子供が、試みに飛 て見居りその揺る 枝を 飛びあがり宙にためらふ雀の子羽た き 件が起こります。隣に住んでいる松下俊子 問題ですけれども、実はその前に大変を事 ね。このような作者の変化があり、そこが 面影は見えないんですが、後年の作品にな 思うんです。 に仮託して歌っているんじゃないかと私は とするとぴったりなんですね。白秋は女性 性のようにみなして、男の人が帰ってい- かならぬ感じがしますから、白秋自身を女 そんなわけでこの辺りには、まだ写生の だヽ /A 一二i/や 'んメ一定 ノ\一/吋 /18、と ;i を入れます。 " 篇」というのですか、収容されたときの歌 も歌集に入れることになるんですね。「哀傷 この ち作者は一大決心をして、牢獄の歌 b かしい、歌集を意図していたと思うんです。 ある」と考えていたのです。日本的な奥ゆ ます。 くなり、歌集の出版が一時頓挫して まい 市ヶ谷の未決刑務所に入らなければなら 時人気第一の詩人だったのですけれども、 きな新聞記事に出てしまい す。白秋は当 との恋愛が「詩人白秋告訴さる」という大 すね。一瞬一瞬が克明に歌われております っと安心する。その感じを歌っているんで 立った枝が揺れている、その枝に帰ってふ んど滑り落ちたようになってしまうのです。 婚し、そして三浦三崎の方にまいります。 その後、離婚された俊子と行き会って結 なります。詩人としての輝-位置からほと のが、ものを見る目が変わらざるを得 - とかいうものを、詩にも歌にも作っていた らないからです。克明な写実の歌です。 跳び方を見よう見まねで飛んでみた。飛び 今度は帰るときの状態ですね。雀は親の 還るその捕るる枝に その頃の白秋は「短歌は緑の古い宝玉で 座の灯、銀座の雨、あるいは大川端の情景 く変わってしまったわけです。 出るのですが'作者の思想というのは大き さんという方の尽力があり、再び世の中に 扱われる。そうなるには、白秋の弟の鉄雄 です。初めから事件はなかったものとして ち私も考えるようになりました。 この罪の結果は免訴ということになるん 東京の江戸情緒、東京の西洋っぽさ、銀 フ な意味を持って-るのではないかとのちの 決の監獄生活の作品を入れたことは、大き り読まなかったのですけれども、しかし未 とか いうもの 歌ってあるし'私はあま 美し-ないんですね。牢獄の中のうめき声 ったんです。なぜ気に入らないかというと かへ つ 'その 「哀傷篇」だけは気に入らなか 飛びあがり宙に羽た -雀の子声立て を読んだのですか、素敵な歌集だなと思い 私は十六歳ぐらいのときにこの『桐の花』 ㊨㊨ -大会講演から いう詩集に残しています。日のさん と 体験や三浦 崎の体験を『白金之独楽』と らい かを知ろうと志すのです。小笠原の も思い、生きてい-ために何を基本にした り、世の中 ことをわからな ったんだと わけです。 別れざるを得ないと う感じで別れてい- る。俊子とは別れた-ないんですけれども' の父島にいるわけですが、や て帰って- ぶという観念になって-る。そこのところ 宗教的ではないんですけれども、存在を尊 世の中 すべては神的存在であるという、 結局、汎神論というのかありますけれども、 げてしまう。その後白秋はしばら-小笠原 なるんですね。俊子は友達と もに引き揚 やがて小笠原の生活に俊子が耐えられな- が病気簾賽をかねて一緒に行-んですがへ へ俊子と、俊子の友人である女性、この人 という感じではなかったでしょうか。そこ 当時の父島というのは、本当に絶海の孤島 凝視の生活をして-るわけです。 のは本当だったかなと見る。そういう自己 思ってはっとすると、もういない。さっき の仏がいらっしゃるような気がする。そう と、あるとき阿弥陀如来みたいな小さな金 手、何もない手だけれども、こうして見る ら一転して、小笠原の父島へまいります。 という事実があります。三浦 崎の生活か 秋先生じゃないですか」とあいさつされた 木更津へ行-船の中で、直木三十五に「白 ところです。三浦三崎へ行-前でしたか、 い 詩だと思いますね。つまり、自分の てぞ日もすがら 仏なし/光り輝-てのひらを'打ち返し れ/光り輝-てのひらに、はつと恩へは 光り輝-てのひらに'金の仏ぞおはすな は、別に写実を心かけてはいなかった。し 品なんですね。作者の歌というのは、最初 の二首などは、その写実的な発端となる作 歌を作ることを始めた。さっきの『雀の卵』 思議に白秋が逃れてい-のは海に関係した そこでしばら-暮らしたりするんですが不 るという詩が残っております。 降る海岸で自分の手のひらに、金の仏がい 世間知らずで牢獄まで体験するようにな じゃないでしょうか。 き置 な-てはいけないへ そう思われたん きをした。そういう自分がもどかし-、生 た。ところが社会へ出て、ひとつのつまず が面白いわけです。父母に愛育されて育っ 彼のたどりついた詩作の世界というのは、 て出ます。初めのうちはロマン的な詩人で 『雀の卵』という歌集は、ちょっとお-れ などと。 すね。そして、「人間を恐れてばかりいる」 れております。「雀はずる賢い」というんで は雀がどのような動物であるか、よ-書か 大変厚い本も発刊されるのですが、そこに 対象を尊敬している。『雀の生活』という、 になります。白秋はちょっと違う。つまり、 価値に見て、十分観察して歌うということ は、相手と自分、対象と自己、それを同じ ご-珍しいんじゃないかと思います。同じ 写生でも、正岡子規の系統の写生というの います。こういう写生の始まりというのは、 ったらい のか突き詰めて考えたのだと思 掴んだらい のか、これからどう生きてい かし、自分というもの 存在をどのように *写生のはじまり そういう目で、今度は新し-ものを見て、 4 \"曝熊 に強-心ひかれて、そこに自分の気持ちを ∼.mi ですけれども、中年以降はむしろ短歌の方 というのはなかなか大変なことだと思うん してもいました。詩を作りながら歌を作る 注文があれば詩を作るというようなことを 民詩人と言ってい ような立場ですから、 秋は詩人であるという立場です。むしろ国 それから歌人であるという立場ですね。白 でして、斎藤茂吉ですと医師という立場、 自分自身がそのものになりきったような感 う言葉ではちょっと弱いんですけれども、 すけれども、その歌の中に、感情移入とい にていねいな写生の歌が主となっておりま 歌集『白南風』なんかもそうですね。本当 これは『雀の卵』だけではな-て、後年の 分を溶け込ませてい-ようになってい-。 として見るだけではな-て、対象の中に自 になりつ ある。彼の立場というのは微妙 あった白秋が、途中から写実、写生の歌人 _∴.吉∴「 ∴∴∴寵 求(一一∴\ {へ\へ ら ∴ 凾ワく\曇' ・∴、i i 短 +I_.-i:,I 凵 ∴ ′* 諒\二/チ 緩 ∴∴∴∴ 僮t れども、翌年の十年に、白秋は「多摩」と 『白南風』は、昭和九年に出ておりますけ た方がい と思うんですね。 は、常にハーモニーの形を保っていると見 んぴったりするんじゃないか。白秋と対象 おります。「ハーモニー」というのかいちば ます。これは音楽用語としてよ-知られて ですが、その一つに 「ハーモニー」 とあり と、融和という意味では二つ書いてあるの うことでしょう。英語辞典を引いてみます 対象と自分がある融和した関係を持つとい し、感情移入という言葉では少し足らない。 雀、烏とかいうものに感情を入れる。しか じで歌う、そういう作が非常に多いですね。 傾けていったような形跡があります。 白秋の写生の始まりは、対象をただ対象 います。 で、むしろ象徴的な世界になってきたと思 なってくるともう写生ではないような感じ の空に雷はとどろ-」と続きますが、こう の花白-群がる夜明けがた」で、「ひむがし い花が群がるように見えている。それが「朴 思いますね。夜が明けると朴の木の梢に白 と思うんですけれども、努力をしていると 朝の墓地は気詩ちがよ-ないんじゃないか ならないうちに墓地へ行ったようです。早 たようですけれども、作者はまだ夜明けに に見ているんですね。朴の花は墓地にあっ すね。 この朴 花の歌を作るのに、夜明けかた の近-に移った、大正十五年ごろの作品で 一◆aま これは、東京の谷中の天王寺というお寺 柵の花白-群がる夜明けがたひむがしの 空に雷はとどろらい 5 の雑誌で活躍する。 七年十一月二日ですけれども、その間はこ まうんです。白秋が亡-なったのは昭和十 後、創刊から十七年経って終刊になってし ら七年ほどで白秋が亡-なり、さらに十年 いう雑誌を始めます。この雑誌は、それか ㊨㊨ -大会講演から のま 歌会に出ている人の顔を見渡します。 眼鏡をかけておられたころでした。黒眼鏡 *白秋の象徴性 臓病やその他の余病でお目が悪-なって黒 ろいろな講話の中でも、あっさりと言われ ておりました。 とはあまりおっしゃらなかったですね。い て-るのです。でも、作者は象徴というこ を崩すことな-、やがて象徴の世界に入っ ハーモニーを奏でながら、そのハーモニー 的な歌ですね。白秋の写生の道は'一つの たひむがしの空に雷はとどろ-」は、象徴 と思いますね。「朴の花白-辞がる夜明けが さは詩人にとっては必要な条件ではないか 子供っぽいんでしょうけれどもへ 子供っぽ あった」と非常に書ぶんですね。ちょっと 志士かなんかの墓を発見して、「白秋の墓が すね。たしか「若目田白秋」という勤王の 歩いて、白秋という人の墓を発見するんで 歌っております。克明に墓碑なんかを見て 「墓地はよき森、よき廊下」とか 言って 私が白秋に触れたのは'白秋がすでに腎 の塔は立てりけるかも」と単純に言ってお というのか、この上句です。そして、「五重 ります。そこに根が生えているような形だ 墓地の中を散歩するという詩もあります。 っとうれしかった記憶がありますけれど。 大変重みのある歌です。 「金輪際」絶対に動かないぞと う感じの 言葉ですね。夜の闇を「夜間」と言ってお てりけるかも 金輪際夜間に根生ふ姿なり五重の塔は立 こんりんざいやあんねお 私の方をご覧になったように思って、ちょ 谷中の墓地の作と思われるもう一首は、 やわん 憲二_ れはクリスマ の前日じゃをいかと思いま の歌集『黒槍』 の中に見えるものです。こ たとい、つことができると思いますね。 これは、目の痛いが深まっていった時期 きあり小さ あり小さ あり大きあり ニコライ堂この夜揺りかへり鳴る鐘の大 持つ作品です。 うな感じもする。何とも言いがたいよさを な感じもするし'一編の小説に匹敵するよ しっかりして倒れない。こうなると象徴的 います。数百年を経た大木のような、根が さまざ な形でご自分の写実の形を進め 6 です。それから「夜間に根生ふ」と言って 「金輪際動かない」とうよに使言葉 ような作品です。 田露伴の小説がありますね。あれを思わす 五重の塔を雨の中で眺め上げるという'幸 塔は絶対に倒れないという自信があって、 風の荒ぶ中で自分の塔を見に行-。自分の 重の塔の建立を任せられた若い大工が、雨 感じがしますね。先輩の棟梁をしのいで五 じです。幸田露伴の 『五重塔』そっ-りな た匠の心とかというものまで伝えて-る感 ります。五重の塔 重みとか、それを作っ のを別のところで言っております。頭の中 出すと、微妙な感じが消えてしまうという かと言いた-なるんですけれども、言葉に っています。言葉に出してもい じゃない 聞こえるものを綴り合あせてはだめだと言 に響-音が騒がしかったり、よ-ない音に を直してい-のだと言っています。頭の中 と、頭の中で音が響-だろう。その昔で歌 る点に注意したいと思います。 て、作品自体が鐘の響きのようになってい 作者がいます。そのときに韻律を大事にし 耳に聞き止めた世界を具体的に歌ってゆ- 分自身も変え得るんだというよ に思うよ になりました。人間は変え得るんだと。自 のだとか いう考えをちょっと改めるよう ないものだとか、変えることができないも い 歌だと思っています。 なって、たとえば人間というものは変わら う歌があって、大変細やかで、私はそれを を経て汚れてきて'しわが多-なったとい られるのは音なんです。 ていないんですね。しかし、全体から感じ る鐘の」と言って、「音」ということは言っ さな鐘と、こもごもに鳴るようですね。「鳴 ろで鐘が鳴るんだけれども、大きな鐘と小 ります。綱を体ごと打ち振ると、高いとこ 音が自分の体から出るような表現をしてお おぼろに見えるという歌とか、尋ねて-る その花を窓際のつばにさしてある。それが ん。病室に友達が花を括ってきて-れる。 っておりません。作品でも嘆いておりませ 気になりましても、愚痴のようなことは言 大きな歩みであったと思います。作者は病 るという状況の中でなし遂げられたことは、 こにガーゼがかけてある。そのガーゼが日 ラスの吸い飲みというのがありますね。そ 写生して歌っておりますね。病人の使うガ いろいろな人が-る。身近なものを克明に 方には画家の方もあるし、歌人の方もある。 このごろ考えるんですが、私も高年齢に ころがあるように思います。 ご静聴ありがとうございました。(拍手) を一度振り返っていただ-と、何か得ると が、白秋の築いた世界、歩んだ道というの で頑張っていかな-ちゃなら いわけです かへり鳴る鐘の」と言って'さながら鐘の 入院しております。「ニコライ堂この夜揺り すけれども、作者はそのとき近-の病院に だんだんわかって-ると思いますけどね。 に響-韻律というのをお考えいただくと' ことだ 思うんです。白秋が自分を変えた うになりまして、これは自分ながら面白い こ には日というものに頼れなくなって 白秋は'自分の作った歌を黙読してみる そのような作者の考え方が、日が悪-杏 んど盲目の世界でした。我々は自分の世界 ざが生きて-る感じです。 「新しい酒は新しい革袋へ」ということわ おります。時代が新し-なってきますと、 んじゃないかということをこのごろ考えて にやると、堂々巡りの世界に入ってしまう じゃないでしょうか。短歌だけを一生懸命 よって新しい現実に触れてゆ-ことが必要 短歌プラス何かというのを考えて、それに ちょっと いう感じもこのごろ待ちます。 ことは良いことなのですが、短歌だけでは ね。 この世に生きてい 、短歌を作るという 北原白秋の晩年は目が悪-なって、ほと ′ から自分を変えようとしたことは確かです すね。しかしやっぱり市ヶ谷の未決を出て かどうかということは確かには言えないで
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