77. シドモア「日本・人力車旅情」 Scidmore, E. R.: Jinrikisha days in Japan. New York : Harper & Brothers, 1891.<915.2-S416j> 常設展示 112(画像なし) 四季折々の行事や祭りの数々、貧しいながらも自然を愛 し、ゆったりと暮らす当時の人々の様子がこまやかに描 かれている。特に花見や紅葉狩りなど、花を愛する国民 性に注目。日本古来の高度な文化や風俗を紹介し、日本 人の持つ美徳をたたえている。表紙の漢字風にデザイン されたアルファベットも印象的。 ●ハーン(小泉八雲 Hearn, Lafcadio, 1850-1904) 文学者。ギリシャ生まれ。19 歳で渡米、新聞記者となり、 工業博覧会で日本の出展品を目にし、日本への憧れを強 くする。1890(明治 23)年来日、松江中学の英語教師 となる。小泉節子と結婚、1896(明治 29)年イギリス 国籍から日本に帰化。東京帝大などで教鞭を取り、上田 敏、厨川白村らをそだてた。チェンバレンとも交流があ り、チェンバレン宛の手紙にこう記す。「外ではつらい ことがあっても、家に帰ると古い日本の習慣と礼儀と微 笑の小世界にはいるのです」(1893(明治 26)年 1 月 19 日)(画像は 1894(明治 27)年 8 月 17 日のチェン バレン宛) (挿絵)小泉八雲全集 東京 第一書房 1926(大正 15)<555-15 イ>デジタル化 78. ハーン「骨董」 Hearn, L.: Kottō : being Japanese curios, with sundry cobwebs. New York : Macmillan, 1902.<KS158-A52> 『新著聞集』『百物語』『宇治拾遺物語』などから採取 した、「生霊」「死霊」「茶碗の中」などの日本の古い 怪談 9 話と、「ある女の日記」「平家蟹」「蛍」などの 45 身辺の事物に寄せて日本の精神風土を描く著作 11 話を 収めた本。 翻訳文学 文明開化の時代、悪戦苦闘しながら西洋文化を摂取する 様子は、翻訳文学にも現れている。衣装や背景がちぐは ぐだったり、日本風に翻案されていて、現代からすると 奇異に感じられるものが多い。 79. 人肉質入裁判 西洋珍説 シェキスピヤー著 井上勤訳 東京 今古堂 1883(明 治 16).10. <31-281> デジタル化 常設展示 78(画像なし) 『ヴェニスの商人』の翻訳。訳者は、ドイツ領事館の通 訳から大蔵省関税局の翻訳掛になった人物。シャイロッ クは「サイロク」、ポーシャは「ポルチャ」と表記され ている。展示箇所は肉を切ろうとする場面だが、発行当 時の服装で描かれていて、原作の中世イタリアという設 定からは大きくはずれる。 80. 花心蝶思録 露国奇聞 プシキン著 高須治助訳 東京 法木書屋 1883(明治 16).6.<特 22-623> デジタル化 常設展示 78(画像なし) 『大尉の娘』の翻訳。訳者は序文で「露国人情ノ真味ヲ 知ラ使ント欲ス」と翻訳の目的を明らかにしている。し かし、主人公ピョートル・グリニョフは「ジョン・スミ ス」、忠僕サヴェーリイチは「クリントン」と英語の名 前。また、展示箇所は、マーリヤ(この本ではマリー) が、女帝エカテリーナⅡ世に主人公の助命嘆願をする場 面だが、ロシアが舞台であるにもかかわらず、背景には 椰子の木が描かれている。 81. 新編黄昏日記 醒々居士稿 天香逸史閲 大阪 駸々堂 1885(明治 18).3.<特 41-991> デジタル化 資料あれこれ 『椿姫』の翻訳。マルグリットは「はる」、アルマンは 「水瀬清之丞」。序文には「換骨奪胎以て我国の人情を 46 写せしものなり」 「醜婦の顰として棄玉ふことなく除(し づか)にその妙を言外に求め玉はば幸甚」とある。 82. 西洋仙郷奇談 ボウマン夫人等著 井上寛一訳述 矢野竜渓補 東京 東陽堂 1896(明治 29).5.<68-403> デジタル化 資 料あれこれ 『青髭』『眠れる森の美女』『親指姫』等の童話集。展 示箇所は燻娘(シンデレラ)の、12 時の鐘が鳴って急い で帰宅する場面。鹿鳴館風の衣装を着ているが、左上に 描かれた自宅での煮炊の様子は和服。絵は『風俗画報』 等で有名な山本松谷。 83. 春情浮世之夢 露妙樹利戯曲 沙士比阿 (セキスピヤ)著 2 版 和歌山 耕文舎 河島敬蔵訳 滝本誠一閲 1887(明治 20)4. <26-106 > デジタル化 常設展示 78(画像なし) 『ロミオとジュリエット』の翻訳。展示箇所は「ロミョ ーとジュリー互いに別れを惜しむ」場面。双方の衣装の 時代設定がちぐはぐなうえに、16 歳のはずのロミオが重 厚な髭面である。例の名台詞は「ロミョー様 ロミョー 様 何故御身はロミョーと御名を附られたか」となって いる。 84. おほかみ グリム原著 上田万年訳 東京 吉川半七 1889(明治 22).10.<特 67-390>デジタル化 常設展示 89(画像なし) 『七匹の子山羊』の翻訳。動物たちは和服を着て、日本 家屋に住んでいる。なお、絵は山羊だが、本文では「羊」 と表記されている。 ちりめん本 ちりめん本とは、印刷済みの和紙をちりめん仕立てに加 工した後、和綴じ製本したもので、手触りが柔らかく鮮 やかな色刷りが美しい。外国人に日本文化を紹介するも 47 のとして出版され、明治中頃から昭和初めにかけて長谷 川武次郎が出版した『日本昔噺』シリーズが有名。ハー ン(→人物紹介)やチェンバレン(→コラム「チェンバ レンの「さかさまの国」」)らも翻訳者として参加して いる。 85. 舌切雀 The tongue cut sparrow ダビッド・タムソン訳述 鮮斎永濯画 東京 弘文社 1885(明治 18).8.<C-26b> デジタル化 舌切雀の英語版。日本昔噺シリーズの第 2 号。弘文社は 長谷川武次郎の出版社。 86.「日本の人々の生活」 Hasegawa, T.: Japanese pictures of Japanese life. Tokyo: T. Hasegawa, 1895.<B-213> 新井芳宗画。花屋、傘貼り、あんま等、外国人にアピー ルしたい、美しい日本の日常を題材としている。展示箇 所は、田植えの様子。 87. パットン「さかさまの国日本」 Patton, E. S.: Japanese topsyturvydom. Tokyo : T. Hasegawa, 1896. <B-251> 序文には、チェンバレンの『日本事物誌』中の 「topsy-turvydom(さかさま、あべこべ)」の項目(コ ラム)に触発されたとあり、「さかさまの国」イメージ が続いていることがわかる。字を縦に書く、家を建てる とき屋根から作る(棟上げ式)、男性が女性の前を歩く、 日本庭園には花がない、などの事例が、美しい絵ととも に紹介されている。表紙では、縦に書かれた英文の題や、 逆立ちをする大道芸人の様子が「さかさま」であること を示している。 88. アダン「日本の噺家」 Adam, J.: Au Japon. : les raconteurs publics. Tokyo: Takejirô Hasegawa, 1899.<C-23> 新井芳宗画。著者ジュール・アダンはフランス公使館の高官。寄席の入口から始まり、履 物を預けて中に入り、と、実際に寄席に行った順に描かれている。あちこちに火ばちが置 48 かれ、薬缶がかけてあるなど、当時の風俗もよくわかる。展示箇所は、明治 20 年代から大 正にかけて活躍したイギリス人落語家快楽亭ブラック。日本語が上手く、羽織に気流しで、 大変な人気であった。 89.「ラ・フォンテーヌ寓話集」 La Fontaine,: Choix de fables de La Fontaine. Tokio : Imprimerie de Tsoukidji-Tokio, 1894.9-10.<W142-B2> 現在もフランスでは学校などで使われる 17 世紀の寓話 を、フランス語で、ちりめん本に仕上げたもの。240 ほ どあるラ・フォンテーヌの寓話のうち、28 話の動物づく しにしたのも画期的である。梶田半古、狩野友信、川鍋 暁緑などの挿絵が美しい。展示箇所は、イソップ寓話を ベースにした、きつねが手の届かない葡萄を「酸っぱい」 と負け惜しみを言う話。プロデュースしたピエール・バ ルブトーは 1862 年生まれ、1886(明治 19)年初来日。 以後 4 回来日した日本美術愛好家。 本書は高山晶氏寄贈。 ジャポニスム 19 世紀後半に、ヨーロッパやアメリカの美術に与えた日本美術の影響を「ジャポニスム」 と言う。単に日本の文物を題材とするだけでなく、浮世絵等からその構図や自然に対する 視点を学んだ作品が多く生まれた。印象派、分離派、アール・ヌーボー等、ジャポニスム の影響を受けた美術運動は枚挙にいとまがない。 <全般・絵画> 90. ビュルティ「産業芸術の傑作」 Burty, P.: Chefs-d’œuvre des arts industriels. Paris P. Ducrocq, [1866]<KB241-B1> フィリップ・ビュルティは豊かな絹物商人の家庭に生ま れ、フランスのジャポニスムの隆盛に大きな影響を及ぼ した人物。「ジャポニスム」という用語は 1872 年に彼 によって初めて用いられた。本書は、陶器、ガラス製品、 金属製品等の工芸品を美術として紹介するもの。当時の フランスでは、これまで一段低い位置に見られていた工 芸品に光が当たりはじめており、日本の工芸品が高く評 価された。 49 91. ゴンス「日本美術」 Gonse, L.: L’art japonais. Paris: A. Quantin, 1883. <709.52x-G639a> フランス語で発表された初の本格的研究書とされる。限 定 1,400 部の豪華本。全 700 頁に多数の図版やカットを 含む本書は日本の歴史・地理・民族の概説からはじまり、 絵画、建築、彫刻、武具、そして陶磁器、漆器などあら ゆる工芸品を網羅し、ジャポニスムを美術のカテゴリー の一つとして定着させる歴史的書物となった。ルイ・ゴ ンスは 1846 年生まれの美術評論家。 92. 「ビング企画の展覧会図録」 Exposition de la gravure japonaise. [Paris: École nationale des beaux-arts, 1890]<K3-B677> アール・ヌーボーの立役者であるビングが企画し、1890 年 4~5 月に開催された浮世絵など日本美術の展覧会図 録。パリの国立美術学校で開催され、後期印象派の画家 たちに大きな影響を与えた。ドガとカサットはこの展示 会で多くの浮世絵を手に入れたことが知られている。展 示箇所は北斎の紹介。漢字の書き込みは旧所蔵者の漢字 の練習の跡と思われる。 ●「芸術の日本」 Le Japon artistique; documents d’art et d’industrie. Paris: [s.n., 18--?] 3v.< VF5-Y2486> 日本の芸術をヨーロッパに紹介した、ジャポニスムの 資料として非常に有名な雑誌。1888 年 5 月から 1891 年 4 月まで、フランス語、英語、ドイツ語の 3 か国語 で出版された。日本美術研究者による論文と、大型図 版を掲載。当時流通していた安価で粗悪な輸入用の日 本の美術品ではなく、本物を知ってほしいとの願いで 創刊された。画像は、まとめて製本したものの第 1 巻 表紙。左下に、「栄之画」と読める字が反転している。 50 標題紙には、ビング、忠正、ビュルティ、ゴンクール、 ゴンス等の名前が見える ○ビング(Bing, Samuel, 1838-1905) ドイツ人の美術商。1838 年生まれ。陶器とガラスの工場を作り、工芸の世界へ。パリに移 住し、日本美術の専門店を開いた。1871 年フランスに帰化。ゴッホが浮世絵を見て研究し たのもこの店の二階であった。1895 年末には、日本の美術品が品不足となったこともあり、 新店「ギャラリー・ド・ラール・ヌーボー」を開設。アール・ヌーボーを牽引することにな る。 ●林忠正(1853-1906) 美術商。1853(嘉永 6)年生まれ。1878(明治 11)年 パリ万国博覧会(博覧会パネル)の仕事でフランスに渡 る。貿易商社「起立工商会社」の通訳として働き、万博 終了後も起立工商会社で日本美術の紹介に携わること となる。浮世絵など日本美術をヨーロッパに紹介し、ま た印象派の絵画を日本にもたらした。モネ、ドガら印 象派画家とも幅広く交流した。(肖像:長崎圭爾氏所蔵 高岡市博物館提供) 93.リヴィエール「エッフェル塔三十六景」 Rivière, H.: Les trente-six vues de la Tour Eiffel. Paris : E. Verneau, 1902.<KC314-B21> ジャポニスムの画家で「パリの浮世絵師」と呼ばれたア ンリ・リヴィエールが、北斎の『冨嶽三十六景』を模倣 してパリの風景を版画にした木版画集。独特の雰囲気が あって美しい。和装で、装丁や文字も凝っている。 (以下、左が浮世絵、右が「エッフェル塔三十六景」) 51 (浮世絵 上から)東都雪見八景 初代広重 [画] 佐藤章太郎商店 昭和 3<寄別 1-9-2-10>デジタル 化、名所江戸百景 重 両国花火 広 魚栄 安政 5<寄別 1-8-2-1 >デジタル化、富岳三十六景. 第 1 葛飾北斎 画 高見沢木版社 昭 11<本別 7-404>デジタル化、名 所江戸百景 鉄炮洲稲荷橋湊神 社 広重<寄別 1-8-2-1 イ>デジタ ル化 ●北斎大人気 ジャポニスムの発端は、ブラックモンという銅板画師が、1856 年に陶器の詰め物として使 われている紙の中に、北斎漫画を発見したことだと言われてきた。現在ではこの説は疑問視 されているが、北斎がジャポニスムの象徴的存在であることは間違いない。 ゴンスは『日本美術』で北斎を「人類の生みだした最も卓越した画家のひとり」と絶賛して いる。 じつは北斎漫画は、ジャポニスムが興隆する以前から、『エルギン卿中国・日本使節記』 (下左 展示資料 65)、『大君の都』(下右 展示資料 66)といった紀行本に挿絵として 52 引用されてきた。(図は北斎漫画 葛飾北斎画 名古屋 片野東四郎 明 11<109-120>デ ジタル化 より) シーボルト『日本』(左 展示資料 31)にも、北斎漫画の引用が見られる。 フィッセル『日本風俗備考』(左 展示資料 11)の冒頭の日本始祖の図も、北斎漫画から 取られている。 北斎の生き生きとしたスケ ッチと、大胆な構図は、古 典主義から脱しようとして いた西洋の目に新鮮に映っ たのだろう。 53 94. ビルオー「小さな日本人」 Bilhaud, P.: Les petits japonais : la soirée de fleur dé thé, dessins japonais. Paris : J. Lévy, [19--]<Y17-B13371> 前衛詩人ポール・ビルオーの詩のテキストに、日本人の 暮らしを主題とした赤・青・墨色のオリジナル色刷り木 版画による影絵風挿絵を添えて、和紙に印刷、和綴じで 出版した魅惑的な子供のための絵本。「フルール・ド・ テ(茶の花)」を主人公として、日本の夜の様々な風景 を紹介する。 95.カトラー「日本の装飾とデザインの入門書」 Cutler, T. W.: A grammar of Japanese ornament and design, with introductory, descriptive, and analytical text. London : B. T. Batsford, 1880.<A-97> 19 世紀半ばの日本の芸術および装飾に関する最も包括 的な調査のうちの 1 つ。景観、花模様、海洋生物など、 主題ごとに模様の描き方を詳しく紹介している。表紙も 豪華。 <型紙> 布に模様を染めるための日本の型紙が、19 世紀後半に欧 米に渡り、大きな影響を与えたことが、近年の研究で明 らかになっている。 96.ランベール「日本のポショワール図案集」 Lambert, T.: Motifs décoratifs tirés des pochoirs japonais. Paris: Ch. Massin, [1878]<YKF-B7> ポショワール(ステンシル)の図案集。日本の型紙その ものではないが、型紙の色も再現している。1878 年の第 3 回パリ万博(→コラム「1878 年第 3 回パリ万博」)の 記念出版物。 54 97.テュエ「楽しくて新奇な日本の型紙デザイン集」 Tuer, A. W. :The book of delightful and strange designs being one hundred facsimile illustrations of the art of the Japanese stencil-cutter… London : Leadenhall Press, [189-?]<KC445-A1> 日本の型染に使用された多種多様なデザイン 104 枚を集 めて紹介するデザイン集。実際に使用されたオリジナル の型紙 1 葉が添付されている。 英米の 4 社の共同販売で、 ロンドンのリバティ社の名もある。本書は、ウィーン分 離派、ウィーン工房、Will Bradly などのデザインにも 影響を及ぼした。 98.ヴェルヌーユ「産業芸術のための植物表現のテキス ト」 Verneuil, M. P.: Etude de la plante : son application aux industries d’art. Paris : Librairie centrale des beaux-arts, [1903]<53-83> ポショワール、紙へのプリント、陶器等様々な物のデザ インに用いるため、植物ごとに文様等を提案する本。日 本独自の植物はないが、デザインに日本の型紙の影響が みられる。 <詩歌> 99.ゴーチエ「蜻蛉集」 Gautier, J.: Poëmes de la libellule. Traduits du Japonais d’après la version litterale de M. Saionzi. Paris: Gillot, [1885]<KH9-B13> 日本の和歌 88 首を、西園寺公望とジュディット・ゴー チェがフランス語に訳し、山本芳翠が挿絵をつけたもの。 使用している紙は「局紙」といい、大蔵省印刷局が紙幣 用に開発したもので、1878 年の第 3 回パリ万博(→コ ラム「)で好評を博し、フランスでは豪華本に使用され た。展示箇所は伊勢の「春ごとに流るる川を花と見て折 著作権× られぬ水に袖や濡れなむ」。 55 100.ドラージュ「俳諧」 Delage, M.: Sept haï-kaïs: traduits du japonais. Paris : J. Jobert, c1924.<YM311-B8> ラヴェルに師事した作曲家モーリス・ドラージュが、日本の俳句や和歌のフランス語訳に、 音楽をつけた楽譜。7 曲を収録。1 曲目は『古今和歌集』の仮名序。表紙デザインはドラー ジュと交流のあった藤田嗣治。 101. クローデル「ドドイツ」(都々逸) Claudel, P.: Dodoitzu. [Paris: Gallimard] c1945.<KR153-A54> 江戸期の俗謡だけでなく、広く古く題材をとり、フランス語訳したもの 26 首を、美しい挿 絵とともに収録。ただし、クローデルは日本語が読めなかったため、ジョルジュ・ボノー の訳からの重訳。学者であるボノーの訳よりも詩的で可憐である。絵は在仏日本人画家ハ ラダ・リハクで、全ページカラー、和綴の美しい本である。 ●クローデル(Claudel, Paul Louis Charles, 1868-1955) フランスの劇作家、詩人、外交官。象徴主義詩人ランボーと、厳格なカトリシズムに影響 を受けた作品を発表した。1921(大正 10)年駐日フランス大使として着任。1927(昭和 2) 年に離任するまで、日仏文化の交流に貢献し、日仏学館の創設にもかかわった。彫刻家カ ミーユ・クローデルの弟。 <小説、戯曲> 102. エルヴィリ「麗しのサイナラ嬢 日本的夢幻劇」 Hervilly, E.: La belle Saïnara, comédie japonaise en un acte en vers. Paris : A. Lemerre, 1876.<168-174> 「エド」の喧噪を逃れて田舎に住む商人「カミ」は、「サ イナラ嬢」を愛しているが、内気ゆえにいつも馬鹿にさ れている。彼の家に踊り子「ムスメ」がやってきて「カ ミ」を誘惑するが、拒絶。しかし「ムスメ」を贔屓にし ている「タイフーン」が怒り、「カミ」は切腹を覚悟す る。そこに「サイナラ嬢」がやってきて、これは芝居で あった、「カミ」こそ忠実で勇敢で寛容な、模範的な夫 であると告げる。 モラエスは「さよなら」という言葉を「日本語のうちで 最も優しい言葉」(『極東遊記』)と言う。西洋人にと ってよほど印象的なのだろう。 56 103.「イリュストラシオン」 no.1818(1877.12.29) L’illustration. Paris : [Dubochet] 1877<Z55-D65> サイナラ嬢の上演の様子。 104.リシャール「鯉の牧人/プリンセスワタナベ」 Richard, C.: Le pasteur de carpes, La princesse Vatanabe. Paris: C. Marpon et E. Flammarion, 1885.< KR169-B8> 表紙には富士山と扇がデザインされ、中の挿絵もカラー で美しい。二つの短編を収録。「プリンセスワタナベ」 は「ナガサキ」を舞台とし、魔法使いから「娘を授かる が太陽に奪われる」と予言された「ナオシコ王」が、友 人「サムライ」の忠告により、「キョート」の職人に命 じて三重塔を作り、王女「ワタナベ」を閉じ込め、王女 は太陽を見ずに成長するという、ファンタジックな物語。 105. ロティ「お菊さん」 Loti, P.: Madame Chrysanthème. Paris : [s.n.], 1936.<112-176> 1885(明治 18)年の滞日経験をもとに書いた小説で、 1887 年からフィガロ紙に発表。夏の長崎を舞台に、お菊 という名の少女とのかりそめの結婚生活が一人称で語 られる。当時、我が娘を外国人にこのような形で奉公さ せようとする親は少なくなかった。行きずりの異邦人に すぎない主人公にとって、日本は珍奇な国でしかなく、 その視線は冷たい。オペラ『蝶々夫人』の源流。ゴッホ はこの小説に心酔していた。 ●「お菊さん」の劇中歌 「イリュストラシオン」no.2606(1893.2.4) L’Illustration, Paris : [Dubochet] 1893.<Z55-D65> 1893 年に舞台化された「お菊さん」(展示資料 105)の 劇中歌楽譜。作曲は『ヴェロニック』で有名な後期ロマ ン派のアンドレ・メサジェ。タイトルは「ピエールのさ 57 よなら」で、オペラ『蝶々夫人』のピンカートンのアリ ア「さらば愛の巣」に相当する場面。 ●ロティ(Loti, Pierre, 1850-1923) フランスの海軍士官、小説家。訪れた地での印象や女性 との関係を、異国情緒あふれる小説に描いた。1885(明 治 18)年と 1900(明治 33)~1901(明治 34)年の二 度来日。日本人女性を「ばね付き人形」「子供っぽくて 同時に年寄りじみたミニチュアの女たち」と評する。 (『ロチのニッポン日記』) (肖像)アフリカ騎兵 ピーエル・ロティ著 渡辺一夫 訳 東京 白水社 1938(昭和 13)<754-173> 106. ボストウィック「おゆちゃさん」 Bostwick, F.M.: Oyucha san. [Tokyo] : Kobunsha, 1890.12.<W174-B2> おゆちゃさんという日本婦人を讃える歌の楽譜。「ゆち ゃ」は「湯茶」に由来するのか。Rosalie という既存の 曲に、アメリカ海軍軍人ボストウィックが歌詞を付け替 えたもの。歌詞は 10 番まであり、日本の美しい自然や 風物とからめながら、おゆちゃさんの眼差しやしぐさを ヴィーナスに例えて賛美する。主人公はおゆちゃさんを 口説こうとするが日本語が拙く、「わたくし、わかりま せん」とはぐらかされる。ちりめん本バージョンもあり。 (<特 54-972>) ●その他の日本関係のオペラ等 ・「イリュストラシオン」 no.1874(1879.1.25) L’Illustration. Paris : [Dubochet], 1879<Z55-D65> 「エダ」というバレエ。登場人物は、村の娘エダ、ミカ ド、ミカドのいとこの姫君、道化師トーとエダの恋人の ノリ。挿絵はミカドに水をのませるエダ。 ・「イリュストラシオン」 no.2468(1890.6.14) L’Illustration. Paris : [Dubochet], 1890<Z55-D65> 58 パリオペラ座で上演された「夢」というバレエ。エドア ール・ブロ作、ガスティネル作曲。美しい娘ダイタが欲 望に走って危険な目にあい、タイコウに助けられるが、 タイコウは敵の矢に当たって死ぬという夢を見る。夢か ら覚めたダイタは恋人に許しを乞う。ほかにも、イザナ ミ、アマニチ、サクマも登場。 ・「イリュストラシオン」 no.2600(1892.12.24) L’Illustration. Paris : [Dubochet], 1892<Z55-D65> 「ミスロバンソン」(ロビンソンクルーソーの女性版) というオペラ。ミカドの娘アサクサは光背を発している。 黄禍と戦争 列強による植民地争奪戦が激化した 19 世紀末から 20 世紀前半にかけて、白色人種の人類 学的優位が科学的に立証されたと主張する人種理論がヨーロッパで流行した。この白人優 位の考え方を脅かすものとして、黄色人種に対する怖れが、かつてフン族やモンゴルがヨ ーロッパへ勢力を伸長した記憶と結びついて、「黄禍論」を生み出した。 日清戦争以後は「黄禍論」の対象は中国から日本に移り、アジア主義の旗印のもとに日本 が中国を率いて欧米諸国を軍事的もしくは経済的に脅かすであろうという論調が目立つよ うになった。特に、日露戦争における日本の勝利は、西洋に対する東洋の勝利と受け取ら れ、「黄禍論」のさらなる流行をみた。 (挿絵)猿の図(Review of Reviews. vol.31 (1905.6) : London : Review of Reviews. <Z55-A429>) 猿(日本)が、熊(ロシア)の毛皮の上に座り、世界地 図を手にしながら「マニラで鷲を撃ち落とすか、オース トラリアでカンガルーを追いたてるか、どっちもいい運 動だ」と次の侵略計画を練っている。 ●「黄禍の図」 (Review of Reviews. vol.29 (1904.6) : London : Review of Reviews. <Z55-A429>) ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が宮廷画家クナックフー スに描かせた寓意画「ヨーロッパの諸国民よ、汝らのも 59 っとも神聖な宝を守れ!」。三国干渉後に複製が各国に 贈られ、新聞や雑誌でも公表された。 大天使ミカエルに呼び集められた諸列強(右からフラン ス、ドイツ、ロシア、オーストリア、イギリス等)が、 一致して仏教その他の異教と野蛮の侵攻(右側の龍と仏 陀)に対抗し、十字架の擁護に立ち上がるというもの。 107. 時事新報 7477 号 1904(明治 37).8.22 東京 時事新報社 1904(復刻版 東京 : 龍溪書舎 1986-)<Z99-720> 日露戦争の開戦当初は、日本を小さな猿だと認識してい たロシアが、その認識を改め、むしろ自分がみすぼらし い熊に落ちぶれてしまう、という日本の自画自賛の図。 日本は輝く勝利の女神となっている。 108.グラウトフ「バンザイ!」 Grautoff, F. H,: Banzai! London : Stanley Paul, 1909.<Ba-281> 権謀術数に巧みな「ジャップ」「黄色い猿」が、知らぬ 間にアメリカ本土に侵攻し、西海岸を制圧するが、屈辱 的な講和条件に奮起したアメリカ国民に撃退されると いう小説。パラベラムの名義で書かれ、1908 年ドイツで 出版され評判になった。アメリカの反日感情を煽るため に書かれたプロパガンダ小説であると言われている。展 示は英訳本。日本人は祖国への忠誠という目的のもとに 一体化する不気味な種族として描かれている。 筆者は未来戦記作家。当時は、来るべき戦争の姿を予測 するための検討材料として、こうした小説が多数出版さ れた。当館の前身である帝国図書館は、小説類の洋書を ほとんど購入していないが、この種の作品は多く所蔵し ている。 109. アーウィン「ハシムラ東郷 日本人学僕の手紙」 Irwin, W.: Letters of a Japanese schoolboy ("Hashimura Togo") New York: Doubleday, Page, 1909.<Ba-289> 60 ウォラス・アーウィンが雑誌『コリアーズ』に、35 歳の在米日本人「ハシムラ東郷」を装 って投稿した記事を、1909 年に単行本にまとめたもの。学僕(Schoolboy)とは苦学生兼 家内使用人。当時の日本人留学生の多くが女中仕事で生計を立てていた。従兄弟の名前は 「乃木」。アーウィンは、東郷にわざと間違った英語を使わせるなど日本人への偏見を助 長すると同時に、今までにない視点で底辺からアメリカ社会を風刺している。掲載誌を変 えながら 30 年も連載が続くほど人気で、早川雪洲主演で映画化もされた。マーク・トゥエ インも激賞している。 110. 「パンチ」(1942.1.14) Punch, vol.202. London: Punch Publications. 1942<Z52-B57> 第二次大戦中、日本軍がマレー半島をシンガポールに向かって侵攻していた頃に掲載され た風刺漫画。黄禍論で流行した日本人=猿という認識は、第二次大戦中も盛んに使われた。 これまで美徳とされた日本人のイメージ「規律正しい」は「従順で狂信的」、「子どもの ように無邪気」は「幼稚」に置き変えられるなど、戦争は対戦国民のイメージを自国に都 合よく転換する。 61
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