Kobe University Repository : Kernel Title 第2章自治体・地域住民と連携した新たな自治体史編纂 や地域歴史博物館形成事業 Author(s) 木村, 修二 / 村井, 良介 / 森田, 竜雄 / 坂江, 渉 / 松下, 正和 / 石川, 道子 / 河野, 未央 / 添田, 仁 Citation 歴史文化に基礎をおいた地域社会形成のための自治体等 との連携事業, 6(平成19年度事業報告書): 29-50 Issue date 2008-03-31 Resource Type Presentation / 会議発表用資料 Resource Version publisher URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002285 Create Date: 2014-11-13 第 2章 自治体 ・地域住民と連携 した新たな自治体史編纂 や 地域歴史博物館形成事業 毒執筆者である坂江渉 と第 3章を執筆 した木村 包括協定にもとづ く神戸市灘区 との連携事業 とが座学の 2回を分担 し、フィール ドワー クは 第 1章 と第 2章 ( 添田仁執筆)の内容を共に加 味することが可能な摩耶山への登山を軸に据える 本年度の灘区関連の事業は、 新規のものはな く、 ことが決まった。 概 して昨年度実施 した神戸大学 ・灘区チャレンジ 講 演へ 向 け て は、 坂 江報 告 に関 連 して は、 事業助成 との関わ りで展開 した。 2008年の 2月 5日に神戸市文書館蔵の上野村坂 まず年度 当初は、昨年度末 ( 3月 20日)に発 本家文書の うち摩耶山関係の史料の閲覧 ・掘影を 行 した小冊子 『 水道筋周辺地域のむかし』への対 実施 し、講演内容に盛 り込むことができた。また 処を専 らとした。冊子は当初 2000部発行 したが、 木村報告に関連 しては、最近兵庫区平野地区で発 000部を地元でまちづ くり活動を展開 そのうち 1 見された 「 合石」 とよばれる水利遺物取材 ( 2月 している灘中央地区まちづ くり協議会へ提供 ( 4 7日) と奈良県葛城市において現役で使用されて 月1 3日引き渡 し) し、約 500部を灘区役所まち いる用水路の分水設備の見学 (1月 30日)を実 づ くり推進課へ預けたOまち椎へ預けたのは、灘 施 し、内容に盛 り込むことができた。 区民のうちの希望者へ手渡 し配布代行をまち椎で さて講座の本番は、正式名称を 「 灘 ・地域ア 引き受けていただいたためである。そのほか、郵 カデミー」 と題 し、主催は地元の灘中央地区まち 送希望者に対 しては づ くり協議会、共催 として神戸大学 と神戸市灘区 当センターから発送 とが名を連ねた。講座の構成は 2008年 2月 1 6 している。また本冊 日 ( 土) と同 1 7日 (日)にそれぞれ、坂江 「 六 子については読売新 甲山 と摩耶山の今むか し」、木村 「 水道筋周辺地 聞と神戸新聞による 域の水利事情-むか し田畑があった頃-」 と題す 取材をうけ、前者は る座学をお こな った。参加者数は、参加費 600 2007年 5月 9 日付 円 ( 三回通 し)を受け付けで支払った方だけで第 朝刊、後者は 6月 5 1回 目が 52名、第 2回 目が 45名 となった。小 日付朝刊にそれぞれ 稿執筆時点では第 3回フィール ドワー ク ( 3月 2 記事が掲載 された。 日予定)を残 しているが、灘区まち椎の推計で約 これ らの記 事 掲 載 30名の参加を見込んでいる。なお、講座では海 は、冊子配布の促進 港郡市研究センターの添田仁研究員の応援を得、 に少なからぬ効果をもたらし、当初 2000部発行 撮影や第 2回の司会を引き受けていただいたこ した冊子は、比較的早い段階で残部の消化がすす とを付記 してお く。 んだため、急適当センター経費によって 2000部 2008年 2月末 日現在残部約 700 増刷を行った ( 那) 0 さて、本年度の該事業は、年度の終盤にな り、 前記冊子の内容をめ ぐる歴史講演会を地元灘区水 道筋地区で開催す ることを軸 に展開 した。 この 4日お よび 1 0月 1 6日の 2度 件に関 して 9月 1 にわた り灘区と本学 との間で協議の場がもたれ、 2007年の 1 2月に座学 2回、フィール ドワー ク 1回の計 3回の連続講座を開催することで協議が 第 1回講座の様子 まとまった。ただ し、 この 日程は地元側 との協 議の中で、師走の多忙時期を避けて年明け 2- 3 最後に、今後もこうした成果の還元事業が地元 月頃に延期されることとなった。 で開催されること期待 して欄筆する。 講演内容は、『 水道筋周辺地域のむか し』第 1 ( 文責 ・木村修二) 30 神戸市北区淡河における連携事業 第1 0回淡河歴史セミナー 008年 2月 23日 ( 土) 1 5: 00- 1 6: 30 日時 2 神戸市北区淡河において、2 003年度より、淡 河町 自治協議会、神戸市教育委員会 と進めている 場所 神戸市北区役所淡河連絡所 2階大会議室 連携事業の、今年度の活動は以下のとお りでる。 講演 川野憲一氏 ( 神戸市立博物館学芸員) 「 中世の輝き一石峯寺伝来の儒教美術-」 1. 淡河歴史セ ミナーの開催 主催 淡河町自治協議会 淡河歴史セミナーは、淡河の歴史について理解 共催 神戸市教育委員会 ・神戸大学大学院人文学 を深めてい くため、2 003年度より年 2回ずつ開 研究科地域連携センター 催 している、今年度は、2 007年 8月 26日に第 後援 北区役所 9回、2008年 2月 23日に第 1 0回のセ ミナー を開催 した。歴史セミナーの企画は、神戸市教委 第1 0回淡河歴史セ ミナーでは神戸市立博物館 と地域連携センターが交互に企画を立てることに 学芸員 ・川野憲一氏に 「 中世の輝き-石峯寺伝来 な っているが、第 9回は地域連携セ ンター、第 の儒教美術-」 と題 してご講演いただいた。 1 0回は神戸市教委が企画 した。 淡河の石峯寺に残る仏像 ・仏画を とりあげ、そ れぞれの特質について論 じられた。薬師堂本尊薬 第 9回淡河歴史セミナー 師如来坐像は、背面にあえてのみ跡を残すなど、 007年 8月 26日 (日) 1 3: 30- 1 5: 30 日時 2 行基の思想の影響が見 られる。また、仏画では、 場所 神戸市北区役所淡河連絡所 2階大会議室 浬架会に使われる担架図には弥勤菩薩が描き込ま 講演 木村修二氏 ( 神戸大学大学院人文学研究地 れ点が特徴的であるとされた。また、絹本若色釈 域連携センター研究員) 迦三尊像は、類例がまれな中国北方様式の影響が 「 江戸時代の久留米藩士淡河来訪記」 見 られるものであることなど、多彩な事例を示 し 主催 淡河町 自治協議会 ながら紹介された。 共催 神戸大学大学院人文学研究科地域連携セン ター 来年度以降も引き続き歴史セミナーを開催 して 後援 神戸市教育委員会 い く予定であるが、 これまで 1 0回の講演を重ね てきて、今後の新味のあるテーマ選定の困難も予 第 9回淡河歴史セ ミナーでは、地域連携セ ン 想され、企画の工夫が必要であろう。 ター研究員の木村修二が 「 江戸時代の久留米藩士 2. 史料調査 淡河来訪記 ∼長松寺 ・天正寺 と淡河旧領主有馬 第 9回淡河歴史セ ミナーで扱 った史料のなか 家∼」と題 して講演 した。淡河は天正 8年 ( 1 580) の三木合戦以降、有馬氏の領地 となったが、有馬 に、萩原城跡にある旧家に関する記述があったこ 氏は江戸時代には久留米に転封 となる。 しか し、 007年 7月 7日に、その旧家の調査を とから、2 淡河の長松寺 と天正寺には有馬則頬 と則氏の位牌 おこなった。結果 としては、現在は史料等はお持 があ り、江戸時代になっても、久留米藩士が何度 ちではな く、史料 に見える人物の確認 はできな か淡河を訪れている。久留米藩士の雨森伝兵衛は、 かった。また、史料中に見える、同家に伝来 した 藩主の代参のついでに、淡河城や萩原城などの城 刀についても、現在は存在 していないということ 跡の調査をおこない報告書を残 している。吉村辰 であった。 ( 文責 ・村井良介) 之丞も代参に訪れ、その次第を日記に記 している。 さらに久留米藩士 となっていた淡河氏の末南淡河 正範 も淡河を訪れ、祖先の伝承が語 り継がれてい たことに感銘を受けている。 こうした、久留米藩 神戸市文書館との連携事業 と淡河のつなが りや、その来訪の記録からわかる 昨年度より始まった、神戸市文書館 との リフア 当時の淡河の様子について論 じた。 31 包括協定 に も とづ 連携事業 レンス業務に関する共同研究事業を本年度 も継続 し、文書館の開館 日である月曜∼金曜の午後、セ ンター研究員 ( 人見佐知子、添田仁、森田)が館 く 小野 市 との 神戸大学 と兵庫県小野市が 2005年 1月 26日 に在駐 して業務運営に協力 した。 昨年度は、リファレンス対応を中心 とし、あわ に締結 した社会文化にかかわ る連携協定 ( 3年 せて古文書や図書の出納等のカウンター業務も担 間)にもとづ く事業は、 本年度で 3年目を迎えた。 当したが、こうした業務を遂行する中で、館が所 主な事業内容を、以下に述べる。 蔵する史資料 ( 古文書、古文書 ・新聞雑誌等の写 真版、行政文書、古写真)が、館職員にとっても、 1. 地域展 「 河合地区の古代 ・中世遺跡 と赤 松氏」への協力、および博物館実習の実施 利用者にとっても提供もしくは利用 しやすい状態 に整備されてお らず、 とりわけ古文書の中には、 一昨年から開始 した小野市河合地区の地域展の 受け入れ以来多年を経ながら未整理のものが少な 3年 目の締め くくりの年 として、2008年 1 0月 からず存在するといった、文書館 としての機能の 20日∼ 11月 25日の会期で、「 河合地区の古代 ・ 根幹に関わるような問題が明 らかになってきた。 中世遺跡 と赤松氏」 と題する展示会を開 くことが 館の リファレンス機能の向上のためにも、こうし 決定。それに向けた準備を 5月か ら開始 (1 5日 た問題の改善が急務 と思われたため、本年度は、 に河合地区研究会の開催)。20日 (日)には地域 必要に応 じてリファレンスにも対応 しつつ、未整 展に向けた河合地区の 「 視察研究会」が、 姫路城・ 理古文書の整理 と、館蔵史資料の管理方法や利用 姫路市埋蔵文化財センターで催され、神戸大学か 環境の改善についての提言を行 うことに事業の比 らは坂江のほか、2名の実習生も参加 ( 奥家典子 重を移 した。 さん、梶岡一路さん。古田絵美子さんは参加でき 事業による具体的成果 としては、未整理であっ ず)。地元の方々との初顔合わせ となった。 た古文書の うち、「 市役所文書」( 55点)、「 古家 以下、6月 21日の三和町を皮切 りに して河合 実三関係文書」( 52点)、「 M 家文書」( 91点)、「 Ⅰ 地区全町の事前説明会を開催 し、7月 23日青野 家文書」( 258点)、「 Ⅰ家文書」( 506点)、「 K家 原グリー ンハイツをスター トとして、8月 12日 文書 」( 40点)、「 0寺院文書」 (1 88点)、及 び 整理済みであったが目録が不備であった 「 山田出 の復井町 ・西山町の第 2回目まで、のベ 20回以 張所旧蔵文書」( 57点)の整理 ・再整理 と目録及 上の 「 調べ学習」をおこなった。この調べ学習に び解題の作成を行 うことができ、他に作業中のも は、可能な限 り、神戸大学のセンター研究員、教 のもあわせれば、全 くの未整理文書はほぼ解消 し 員スタッフ、博物館実習生な どが参加 して協力 し た。 この うち、「 山田出張所旧蔵文書」か らは中 たが、今年はとくにボランティア院生 ( 萩本意理 管領斯波義将施行状」) が確 世文書 ( 応永 5年 「 さん、大塚真実さん、松浦光庸さん、八代醍ひと 認され、センター と文書館のいまひとつの連携事 みさん)が参加するなど、これまでない新たな動 業である、新修神戸市史編纂に関わる連携事業で きも見 られた。 地域歴史遺産保全活用基礎論など、 の調査成果中間報告展示会に活用された ( 同事業 関連する学内講義などにおいて、小野市の取 り組 参照)0 みを しばしば紹介 していることの表れの一つ とみ ることができる。 なお、本事業については、すでに来年度への継 続が決定されてお り、来年度は、本年度整理 した 事業そのものは今年 もおおむね上手 く運び、地 古文書の公開 ・活用に向けて取 り組むことなどを 域遺産を活用 した地域コミュニティーの再生させ 予定 している。今後 とも、神戸市文書館が、市域 てい くため、地元の方々、博物館、小中学校、大 に関わる文書 ・資料を収集 ・整理 ・保存 ・公開す 学の 4者間連携が比較的スムーズにすすんだよ るという、地域の中で果たすべき役割を十全に発 うに思われる。参加 した学生たち も子供 たちを 揮できるよう、一層の協力に努めていきたい。 上手にリー ドし、学芸員実習の地域でのインター ( 文責 ・森田竜雄) シップの場 として うまく機能 した。 地域展図録作 りについては、今年は昨年以上の 32 執筆協力をおこない、坂江渉が 「 風土記の時代の 市 との連携協定のあ り方をどのように発展させて 河合地区」、 市滞哲氏が 「 中世の河合郷 と赤松氏」、 い くかが大きな課題 となる。 木村修二氏が 「 河合西地 区の 『 小字』の変遷」、 ( 文責 ・坂江渉) 奥村弘氏が 「 神戸大学 と小野市の社会文化に関す る包括協定に基づ く歴史文化事業のまとめ」を書 丹波市春 日町棚頗地区 ・丹波市 教育委員会 との連携事業 いた。 また展示会に関連 して、市滞哲氏が中世赤松氏 に関する市民向け講演をおこない、また坂江渉が 平成 1 8( 2006)年度に引き続き、今年度も棚 古代風土記に関する河内地区住民向け講演会をお こなった ( 1 2月)。 原区パワーアップ事業推進委員会や丹波市教育委 員会 と連携 し、地区の古文書調査、古文書を読む 会、文書の展示会 ・セミナー、親子教室などを実 施 した。 また、今年度は丹波市全域へ古文書調査を広げ るための足がか りとして 「 丹波市寺社建造物等調 査」を行 うこととなった。8月には、丹波市 と神 戸大学大学院人文学研究科 との間で地域活性化の 連携協力に関する協定も締結された。以下、本年 度の事業の成果 と課題の概要を報告する。 地域展開会式 棚原区パワーア ップ事業推進委員会 と地域 連携センター との連携企画 2.「 青野原停虜収容所」に関する展示会の ウィーンでの開催に向けての協議 同委員会は、地域の神社や詞、寺院、古文書な 2005年度にお こなった地域特別展 「 青野原停 どの地域歴史遺産を保護 ・継承 して後世に伝え、 虜収容所の世界」をオース トリアのウィーンでも まちづ くりをおこなってい くこと目的に地域住民 聞く 「 里帰 り展示会」の企画が動 きだ し、2 008 が結成 したものである。その後、教育委員会の紹 年 9月、オース トリア ・ウィー ンの国立公文書 介のもと、センターの存在を知った委員会のメン 館で開催されることが決定 した。開催セ レモニー バーが直接来学され、地区内の古文書の解読や歴 には、野上智行神戸大学長や蓬莱務小野市長な 史遺産の活用事業への協力要請を受けた。それを どのほか、神戸大学交響楽団の有志が参加 して、 契機に、2 006年 2月以後、センターメンバーが、 1 91 9年 3月、 ドイツ ・オース トリア兵が収容所 地区の庚申堂に保管されている区有文書の調査や 内で開いた 「 慈善演奏会」を再現するコンサー ト 整理作業を、同委員会メンバーや丹波市教委 と共 をおこなうこともほぼ固まった。地域の歴史を調 同ですすめている ( なお、昨年度の活動について べ、展示 ・活用 してい こうとする地道な活動が、 8年度 歴史文化 は、神戸大学文学部編 『 平成 1 世界 とも結ぶ国際的な事業に発展することになっ に基礎をおいた地域社会形成のための自治体等の たと評価できる。 連携事業 ( 5) 』、松下正和 ・大国正美報告を参照) 。 なおウィーン企画の実現にも尽力された蓬莱務 小野市長には、人文学研究科の地域歴史遺産活用 ①棚原区有文書第 8回調査 ・整理、第 4回古文 研究 ( 地域歴史遺産保全活用基礎論 A) のリレー 書を読む会 ( 2007年 7月 22日) 7日 「 小野市の行 講義にも協力いただき、7月 2 2006年 2月以来、調査を継続 してきた庚申堂 政経営 と人材育成」 と題する特別講義がおこなわ 内の区有文書の整理は、8回目をもってようや く れた ( 第 5章参照) 0 終了 し、寛永 4年 ( 1 627 )か ら現代 までの文書 1 008点の目録を取 り終えることができた ( 2007 今後は、 1つの区切 りの年を迎えた大学 と小野 33 た。具体的には、天満神社の歴史をは じめ、神社 年 4月 3日段階) 。 の正面にある 「 石の大鳥居」、かつて神社にあっ た釣鐘、神社の祭神である菅原道真について、松 ( 診「 古文書を読む会」の開催 庚申堂内の自治会所蔵文書か ら地区の歴史を掘 下 とパワーアップ委員会の上田傾氏が説明をお こ り起 こし、文書の中身を知ることが保管へつなが なった。配付資料については、地元の上田傾 ・三 るとの思いからは じまった 「 古文書を読む会」は、 宅敏男両氏が作成 した ( 巻末の参考資料を参照)O 今年度中に 2回開催することができた。 当日は、幼稚園児から小学校高学年までの児童 と ・第 4回 :石 川道 子 講師 ( 2007年 7月 22日、 その保護者が参加 した ( 子供 25名、保護者 14 名の計 39名) 。本来であれば、 当日に神社内の 参加者 43名) ・第 5回 :大 国正 美 講師 ( 2008年 2月 1 0日、 史跡を探訪する予定であったが、雨のため行 うこ 参加者 41名) とができず坐学のみ となって しまったのが残念で 庚申堂内の区有文書の中から、今年度は天満神 あった。参加 して くれた児童に鳥居の絵や感想文 社関係の文書にスポッ トをあて、石川氏は元禄の の提出をお願い し、それ らと当日配布 した史料を 山論に関連する史料について、大国氏は天満神社 ま とめた図録を作成 し、 11月の展示会で配付 し の成立期についての解説を行った。 た ( 巻末の参考資料を参照)0 親子講座を実施 して、地域内で歴史文化を世代 間で語 りつ ぐような効果がす ぐさま現れるか どう かは、 今後長いスパンで見守る必要がある。ただ、 当日参加 した児童が、参加できなかった子に、天 満神社の話を聞かせてあげた という話や、講座を きっかけに参加 した保護者がお年寄 りから昔の神 社について聞き取 りを したという話を聞いて、若 干ではあるが地域の歴史を語 り継 ぐきっかけづ く りなったとい う手応えを感 じた。 ④古文書展示会セ ミナー 「 棚原村のすがたと天神 講演中の石川道子氏 2007年 11月 1 0日) さん」の開催 ( 「 読む会」の成果をさらに地 区住民に知っても ③ 「 ふるさと柵原をもっと知ろう親子講座」の開 催 ( 2007年 9月 30日) らい、また庚申堂内に近世以来の古文書が保管さ 古文書調査の成果を還元するために地区住民に れてい ることを知 っていただ くことを 目的 とし 対 して 「 読む会」を行 ってきたが、実際の参加者 て、2007年 11月 10 日 (土)柵原公民館 にお としては棚原の住民が減少 し、む しろ地区外の古 いて、古文書展示会 とセミナーを開催 した。参加 文書好きな参加者が増加 していた。また、参加者 者は 38名であった。松下が天満神社の縁起 「当 の大部分は高齢者であった。小野市で取 り組んで 社天神宮縁起」の成 り立ちと構成について、河野 いる地域展では、子供たちによるお年寄 りへの聞 末央氏が天満神社関連古文書の記載から神宮寺に き取 りや調べ学習が、身近な歴史を通 じた世代間 ついての解説を行った。 交流に大きな役割を果た している。この小野の事 また、公民館で、元禄の山論に際 して作成され 例を参考に して、子供 とその親の世代に参加 して た絵図など地区住民の所蔵文書や庚申堂内の古文 もらうことを 目的に、2007年 9月 30日 (日) 書を 10・11日の両 日にわたって展示 した。秋の に柵原公民館において 「 親子講座」を開催 した。 文化祭 と目が重なったにもかかわ らず、のべ約 講座では、古文書整理の成果を住民に伝える際 1 30名 とい うた くさんの住民の方にご覧いただ に、「 読む会」で扱 った史料で、かつ小中学生に いた。地区住民の中には庚申堂内に江戸時代以来 も理解可能で興味をひ くようなものとして、一番 の古文書が残っていたことをご存 じでない方もい 身近な天満神社関係の文書を解説す ることとし らっしゃったので、この展示会を契機に地区の古 34 文書の存在を知ってもらうという目的はある程度 半が荻野家の 「 家」の文書であり、波多家文書は 達成できたのではないだろうか。 ごくわずかであったことがわかった。 目録を作成後、成果を住民に還元せず大学に研 波多家文書調査は現在も継続中であ り、今後の 究成果のみを持ち帰るというかつての史料調査パ 調査では、荻野家文書がなぜ波多家へ引き継がれ ターンを克服すべ く、史料を守 り続けた人々と今 たのか、文書の来歴についての聞き取 り調査が課 後 も守 り続けてい く住民を意識 した活動を今年度 題 となっている。 も行ってきた。それは史料群の来 し方 と内容を学 久下家文書 ・西垣豪文書 センター と丹波市が古 び、利用 してい くことが保全へ とつながると考え 文書調査をするという新聞記事を見て、家に衣装 たか らであった。「 古文書は読めないか ら捨てら 箱の史料があるので一度見ては しい とい う連絡 れる。捨てられて地域の歴史が伝わらない」 とい が、春 日町の久下秋郎氏から市教委にあった。9 う悪循環から脱するための言 式みでもあった。 月 30日の親子教室終了後、センター と市教委の メンバーで久下家を訪問 した。その結果、山南 町北太田西垣家文書 と春 日町柵原久下家文書の 2 種類からなる文書群を確認 した。山南町の史料を 含むので、丹波市か らの調査費を使って文書整理 をすることにした。 西垣家文書については、木村修二氏に調査を依 頼 し、現在史料の撮影 と目量 景取 りを行っているO 久下家文書については、主に河野末央 ・石川道子 両氏に調査を依頼 し、掛け軸類を除き文書の目録 取 りは終了した。 古文書 ・絵図展示を見る住民 上記のような、住民 と共同での目録取 りと古文 書内容の読解 ( 講演会 ・パンフ配付 ・展示会) と いった 「 棚原モデル」の成果は、今後の保全のあ りようによってはかられ、目に見える形ではなか なかす ぐには現れないであろう。ただ、保管意識 の高揚、地区の歴史に関する内容理解の深化が以 前よりも見られたと評価 してもよいのではないだ ろうか。地域遺産への関心がもともと高い地区で はあったが、古文書の所蔵情報 ( 波多家文書 ・久 久下家 ・西垣豪文書調査の様子 下家文書)が地 区住民によ り捷供され るよ うに 丹波市 内全域へ古文書調査 開始 なったことに、それは端的に示されているといえ ① 「 丹波市寺社建造物等調査」 よう。今回の連携事業を契機 としてさらに地区の 春 日町柵原地区における歴史資料の活用事例を 歴史遺産に関心を呼び起こしたといえよう。 ふまえながら、丹波市全域においても歴史資料を ⑤棚原地区披多家文書の調査 まちづ くりに活かす方策について、センター と市 波多家文書 パワーアップ委員会の上田氏に棚原 教委は話 し合いを行ってきた。その結果、地域の 地区住民から調査の依頼があ り、それに対応する 方々の協力を得なが ら、資料の所在確認を行 うこ 形で 2007年 1 2月 9日、石川道子 ・河野末央両 とで、今後丹波市の歴史を総合的に研究するため 氏に調査を依頼 した。 日録カー ドにその結果、本 のデータとして保存 ・活用できる体制を整備すべ 文書群は、時期 としては近世末∼明治 ・大正期が く、市教委 と神戸大 との共同調査を行 うことと 中心であ り、現在は波多家が所蔵 しているが、大 なった ( 建造物調査は工学部黒田龍二氏担当、古 35 文書調査はセンター担当) 0 地区を優先的に調査 した。 具体的な作業としては、区長 ・文書所蔵者から ②丹波市と人文学研究科との協定の締結 の聞き取 りを行った後古文書を借用 し、古文書の 古文書調査分に関しては、2007年 8月 24日、 撮影や目録取 りを行っている。山南町若林 自治会 丹波市域の歴史文化遺産の調査 ・研究 ・保全、そ 文書、同町草部自治会文書の調査が終了した。そ れらの活用による地域活性化や、活用 しうる人材 の他、山南歴史資料館保管文書や、山南町若林良 の育成に貢献することを目的に、「 丹波市 と神戸 弘家所蔵文書 ・広瀬正純家所蔵文書 ・についても 大学大学院人文学研究科 との地域活性化の連携協 調査を行った。 力に関する協定」が締結された。 ( 調査日程) ・2007年 9月 25日 ( 第 1回調査):山南町若林 自治会文書調査 ( 木村修二 ・松下が参加) ・2007年 9月 30日 ( 第 2回調査):春日町久下 家調査 ( 石川道子 ・河野末央 ・松下が参加) ・ 2007年 1 0月 23日( 第 3回調査): 春日町久下家・ 山南町西垣家文書調査 ( 石川道子 ・木村修二が 参加) ・2007年 1 0月 29日 ( 第 4回調査):相原歴史 民俗資料館 ・山南町若林家 ・広瀬家文書 ・山南 協定調 印式 町歴史資料館調査、 和田晴夫氏への聞き取 り( 木 ③山南町における区有文書確認調査 村修二 ・松下が参加) 2007年度の事業は、春日町棚原地区のような ・2007年 11月 1 0・11日 ( 第 5回調査):山南 モデル地区づ くりを行 うことを目標 として、まず 町西垣家文書調査 ( 木村修二が参加) は山南町の調査からスター トすることにした。調 ・2007年 1 2月 9・1 0日 (第 6回調査):山南 査に先だって、2007年 7月 27日に山南町の地 町西垣家文書 ・春日町波多家文書調査 ( 石川道 区住民の代表者に向けて、市教委とセンターメン 子 ・木村修二 ・河野末央 ・松下が参加) バーが事前説明会を開催 した。住民は、地域づ く ・2007年 12月 20・21日 ( 第 7回調査):山南 りセンター、観光協会、ふるさと振興会会長、和 町西垣家文書 ・若林 ・草部 自治会文書調査 ( 木 田地区自治会長、文化財審議委員、財産区代表の 村修二 ・河野末央 ・松下が参加) 方々に集まっていただき、調査の趣旨説明を行っ ・2008年 1月 1 9・20日 (第 8回調査):山南 た。概ね地元の理解を得 られたため、山南町を中 町西垣家文書 ・若林 自治会文書 ・春日町久下家 心に調査を展開することとなった。 文書 ( 木村修二・ 河野末央・ 添田仁・ 松下が参加) 7地区の区長を対象に、 具体的には、山南町 1 ・2008年 2月 9・1 0日 ( 第 9回調査):山南町 自治会などで所蔵されている古文書 ・古写真や建 西垣家文書 ・若林自治会文書 ・春日町久下家文 造物、その地域の歩みを示す 「 地域歴史遺産」の 書 ( 木村修二 ・河野末央 ・松下が参加) 有無、保存状況、調査歴、寄託希望の有無につい 今後の課題 てアンケー ト調査を行った。その結果は、下記の ようであった。 以上のように、調査が進行 し成果もあげつつあ ・古文書の有無 :有 6、無 3 るが、事業を進める点でまだまだ課題は多い。 ・過去の古文書調査歴 :有 4、無 2 自治会アンケー トを行った結果、区長宅で自治 ・保管方法 :役員持ち回り2、個人 1、公民館 3 会文書を持ち回りすることや、公民館で保管しつ ・寄託希望 :有 3、無 2 づけることへの不安 と負担感をもらす区長さんの 全地域を悉皆的に調査する時間的 ・人員的余裕 声が印象的であった。ただ、理想は地元での保管 がないため、調査要請があった地区、寄託希望の が望ましい。我々の調査の結果が地元から史料を 36 引き離 し行政への寄託を促進 して しまっては、当 元住民による史料保全体制 ( 保管場所 と保管主体 連携事業の目的である 「 歴史文化遺産の活用によ の確保)、調査を行 うノウハ ウの伝授 と、携わっ る地域活性化」を行 う基礎的な条件が失われて し て くれるマンパワーの存在が必要 となって くる。 まう。保全できる環境にない場合を除き、可能な しか し、大学にも事業展開のためのセンター専属 限 り文書の持ち回り制度や定期的な虫干 しなどの 研究員はおらず、現状では地域遺産の全てに対応 慣行の復活をめざし、必要に応 じて史料の相談や を行 うにはセンターだけでは難 しい。地域遺産保 ケアを行 うための窓口を市教委が開き、また調査 全のための新たな担い手を養成するのであれば、 成果を住民に還元するなど文書の内容説明 ( 現地 既に活動中の地元研究者 との協力、市民ボラン 説明会)を行 うことで価値を再認識 してもらう活 ティア、地元の学校教員、地域史研究団体などと 動を進めることが必要であると考えている。 の協力がどうしても必要 となって くるだろう。ノ 上記の活動の一環 として、3月 14日には若林 ウハウの伝授、史料保全のための講座 ・研修 も今 地区住民 ( 小中学生∼大人)向けに、丹波国絵図 後は行わなければならないと考えている。 ( 若林家所蔵)や小野尻村字限図・ 分村関連史料(自 その意味では、事業を進めてい く上で、山南町 治会蔵)の説明会を行い自治会文書の保全 と活用 歴史資料館の廃館問題は無視できない。同館は、 に向けての取 り組みの第一歩 とする予定である。 大正年間に建てられた近代洋風建築の旧小川村役 また、9回にわたる史料整理を、棚原地区住民 場庁舎を改装 して 1 990年に開館 したものである と行ったような形で、地元住民 とともに行 うこと が、建物の借用期限が今年の 3月に迫 っている。 が出来なかった。来年度は、史料整理を見てもら 史料保全の中心的な存在 として、同館の役割は本 う、あるいは参加 してもらうことで史料の保管方 事業を進めてい く上で必要不可欠な存在 となる。 法を広めていきたい。 また、整理 自体の方法 も 史料の保全やそのための環境整備にむけて、紙資 再考の余地がある。センターのメンバーが丹波市 料だけではな く、他のモノ資料、景観 も含めた地 に通 うのは月に 1回程度が限度である。やは り、 域歴史遺産保全の意義を説明する新たな理論構築 整理の主体も地元住民でできるような体制づ くり と社会的合意の形成がさらに重要 となるだろう。 に向けて来年度は事業を展開する必要があろう。 4月以降の動向を見守 りたい。 2007年 1 0月 29日には、山南町な どで長年古 史料保全は、史料保管の主体である地域住民の 文書整理に携わってこられた和田晴夫氏からの聞 主体性に依存 している。よって、コミュニティー き取 り調査を行った。ただ、ご高齢のこともあ り、 の維持 と地域遺産の保全は密接な関連を有 してい 和田氏が 20年前にされていたような頻度では調 る。歴史文化だけでは地域活性化は不可能だが、 査活動が行えないとのことであった。今後は、和 まちづ くりの基礎 として、来年度以降も保全活動 田氏のように町内で活動できる方々とも連携 しな を地域住民の理解を得ながら進めていきたい。 がら、作業を進めていきたい。 ( 文責 ・松下正和) 尼崎市富桧における連携事業 富松城跡の保存問題を契機に活動を展開 してい る、富松城跡を活かすまちづ くり委員会 との連携 事業を 2002年度以来継続 している。今年度は、 昨年度から編集がおこなわれていた 『もっと知 り たい中世の富松城 と富松』( 富松城跡を活かすま 9日に刊行 ちづ くり委員会編集 ・発行)が 6月 1 和田晴夫氏への聞き取 り調査 された。同書は冨松城の歴史を中心 としなが ら、 このように、継続的な事業展開のためには、地 様々な地域の歴史 ・文化について、研究者だけで 37 なく、地域の方々も執筆者 となって編まれたもの の技術の方二人を含む 1 0人ほどの酒造 りチーム である。 が編成され、史料 「 酒永代覚帳」のなかから元禄 1 5年 (1 701 )冬造 りの酒を再現することにした。 地域連携センター研究員の村井良介が第 1部第 2章 1「「 細川両家記」にみえる富松の合戦」 と、 ちなみに酒永代覚帳は、元禄から明治 1 2年に至 同 2「 富松を巻き込んだ戦乱の背景」を執筆 した。 る年々の酒の仕込みが詳細に記録されている。仕 また同 6「 富松城をめ ぐる研究 (1 ) 」を仁木宏氏 込み当日の天候、風向き、精米日数、仕込み米・ 水・ の監修の下、同氏の研究成果をまとめる形で執筆 麹、杜氏、その他が書き込まれた 4冊からなる大 した。また同じく地域連携センター研究員の森田 部の史料である。 このような経緯で元禄の酒を造ることになった 竜雄が、 第 1部第 3章 「 戦国時代の人々の暮 らし」 が、私は酒など造ったことがないし、小西酒造の を執筆 した。 方々は古文書などはじめて目にするという状態か ( 文責 ・村井良介) らの出発である。米何石は米何キロに、水何石は 水何 リットルに直せるが、時間や温度については 感覚的な表現なのでわか りにくい。たとえば、時 伊丹酒造組合 との連携事業 間は 「 茶を一杯呑む間」、温度は 「 桶の中で二回 半かきまぜると熱 くて腕を引き上げる熱さ」であ 元禄 ・文政の酒造 り る。 しかし、これは技術の方の経験でクリアでき 今年度の伊丹酒造組合 との連携事業において文 た。米の精白度は一日に足で踏んだ日数で示され 政 8年の酒造 りを試みることになった。これよ ていたため、勘定帳を用いて、このなかから、米 り 7年ほど前に商品化 した元禄 1 5年の酒造 りに 買い、および売 り払った糠の部分を取 り出し、購 続 く言 式みである。元禄の酒は、伊丹に本社をお く 入 した米高から精白した後に出た糠の分量を引い 小西酒造株式会社の創立四百五十年の催 しに際 し て算出した。 て、何かおもしろい企画はないかという話からは 一年ほど定期的に勉強会を開き、この酒の仕込 じまった江戸の酒造 りであった。 みのために木桶が新たに誹えられ、モ ト造 りから 当時、小西家から預かった 「 小西新右衛門氏文 仕込みまで、作業は人手によった。米の種類やそ 書」の整理 ・調査をさせていただいてお り、酒造 れを蒸す燃料 といったものは苦通 りには行かない 関係その他、近世 ・近代の数万点におよぶ膨大な が、できるだけ永代帳 と酒造秘伝書等の記述にし 古文書群の中に 「 酒永代覚帳」があった。 たがった。米の精白度はわずか 1 0パーセント、 小西家は 「 白雪」の蔵元であり、全国でも有数 仕込み水の量は、現在のそれのちょうど半分であ の古い酒造家である。伊丹は古 くから江戸積み酒 る。 造業の盛んな地域の一つで、町の経済は酒造に このとき改めてわかったのは、現在、酒造タン よって支えられていた。 クのなかで醸されるモロミは発酵熱によって自然 当時江戸積みされた酒はもちろん 「 清酒」であ に回流 しているが、当時は水が少ないため自然に る。現在の酒と同じく諸白酒、つまりモ ト米 ・掛 回流するにはモロミ自体が重過ぎ、酒造秘伝書に 米 ともに精白された米を使用 し、仕込みは三段掛 記された通 り、昼夜何度も人為的にモロミをかき けで行われている。 まぜる作業が必要であった。 このような発見もあ りながら、1カ月程後に絞 清酒 とはいうものの、当時の清酒 とは実際どの ような酒だったのか、史料をみているうちから り揚がった酒は、透き通った琉拍色の ドロリとし ずっと気になっていたため、 創立祭の催しには「 酒 た酒であった。アルコール度は 20度以上 と高い。 永代覚帳」 と 「 酒造秘伝書」他の関連史料による 味 ・香は、淡麗辛口という現代の酒 とは全 く反対 当時の酒の再現 ということがす ぐ頭に浮かんだ。 の、芳醇濃厚甘口である。 永代帳にしたがいこの酒を造ったことによっ 銘柄は当時も今 と同じ 「 白雪」である。 この全 く単純な動機が採用されて、実際の酒造 て、江戸時代の高級酒がこのようなものだったの りを言 式みることになった。そこで早速、小西酒造 かと納得がいったと同時に、日本酒の精微な技術 38 の高さに改めて驚かされた。 の酒造 りという、非常に賛沢な経験をさせていた 古い酒 と銘打った商品を時々見かけるが、実際 だいている。江戸の酒を造 りたいとはいったもの にはどうだか分からない、 と常々思っていた。 と の、最初は、味 とどの程度の透明度かをビーカー いうのも、江戸期の酒の仕込みを整理 して記録 し で実験するくらいにしか思っていなかったのだ た統計的な史料はそんなに残っていない。いつの が、さすがに酒造会社 となると技術的にも量的に 時代、 どこで造ったものと限定できる酒を造 って も、また装置においても本格的な酒造 りである。 みたかったのである。 古文書を用いての酒の復刻の次は、同史料から 以上のように、 しっか りした史料が残され、現 「 食」をさぐって行きたいというのが古文書を読 在に至 り同地で操業が続けられ、当時 と同銘柄の む会の展望である。 酒が造 られている、 というこれ以上は望めない好 伊丹酒造組合主催 「 古文書を読む会」 条件のもとで、 元禄 1 5年造 りの江戸積み清酒 「 白 伊丹酒造組合 との連携事業がは じまって間もな 雪」が復元された。 白雪 江戸元禄の酒」 く、小西新右衛門氏文書および酒造組合文書 とい として同社で販売されている。高すぎるアルコー う酒造家史料を どのようなかたちでか利用 したい ル度数は、呑みやすいように調整 している。宴会 という要望が出て、 組合主催の 「 古文書を読む会」 などには、赤穂浪士が吉良邸に討ち入った元禄 が発足 した。月に 1回、就業時間後会員が集まり 1 5年仕込みのこの酒から話題が広がる、 とのこ 文書の読み方の勉強会を開いている。金曜 日の午 とである。 後 6時からということで仕事が終わらないな ど、 現在この酒は 「 復刻酒 なかなか全員が揃 うのは難 しく、まだスラスラと そ して、今年 10月、元禄の酒に続き、 120年 あまり後の文政 8年の酒を仕込んだ。今回は伊 は読みこなすまでは行かないが、古文書 というも 丹酒造組合が主催する古文書を読む会のメンバー のに対する違和感はな くなった。 が中心になっての企画である。 昨年末に仕込んだ文政の酒造 りの中心はこのメ もっとも難 しかったのは、 どの時代の酒を仕込 ンバーである。 この過程でまず模索 したのが、 ど むかである。仕込みの変化を史料の上か ら探すの の時期の酒を造るかの選定である。元禄期実以 は難 しい。 というのも、 気温や仕込み 日時の違い、 来の仕込み歩合や精白の日数を拾い統計表を作る 銘柄の違いによって異な り、また突然変わるもの と、あとはこのなかからどの年度の酒を選ぶかで ではなく微細な変化がいつの間にか次第に定着 し あるが、この点は日々酒造 りにかかわっている人 てゆ くため、どこを とらえるか難 しいものである。 たちなので、文政 8年を選ぶのにあまり時間はか 古文書を読む会のメンバーで技術の方を中心に永 からなかった。次の工程である実際の仕込みにつ 代帳を読み解いて行き、文政 8年の冬造 りに決定 いては、もうこちらでは何 もできず、ただ仕込ん した。今回仕込んだ文政の 「 白雪」は、元禄の酒 だ木桶を見るくらいだったが、およそ 1カ月で芳 に比べて、米の精白度が高 くなっていること、仕 醇な酒ができていた。古文書からの酒造 りという 込み水が多 くなっていること等があげられる。 計画から具体的な作業の過程で、若い技術者が 2 11月初旬に仕込み、 1 2月中旬に絞 り揚がった 人当会に入会 した。 酒は、元禄の酒 とは随分ちがってお り、このころ 聞き取 り調査 から江戸での酒に対する好みが変わってきていこ とを うかがわせる。酒の色が薄 く、サラッとして 昭和 30年代から 50年代 という高度成長期に いて、多少辛口になっている。当時の文書に、最 酒造および関連産業の関係者を対象に一昨年から 近江戸では 「 味濃の酒より薄造 りの酒」が好まれ 聞き取 り調査を行った。昭和 30年代に小西酒造 るとしば しば出て くる 「 薄造 りの酒」がこれであ の中核であった西宮 ( 魚崎)工場の様子、高度成 ろう。ただし、絞った直後のものなので、それを 長期に見合ったすざましい大手酒造業界の好景気 桶で寝かせた味 とはまた多少違 うのとのことで、 と現在の低迷状況、戦後、戦時中満州に置かれて 結果を楽 しみにしているところである。 いた工場の閉鎖に伴 う社員の引き揚げと彼 らの職 伊丹酒造組合 との連携事業において、江戸時代 場の確保、漬物 ( 奈良漬け他)事業、40年代後 39 半の伊丹本社の新築、事務機器の変化、東京への 国営明石海峡公国神戸地区 ( 神 戸市北区山田町藍那地区)の調 査研究事業 酒の トラック輸送のは じまり、実業団野球で活躍 した小西チーム、このような内容で 8人の方か ら の聞き取 りを終え、一応まとめたところで一旦停 止 している。これは、聞き取 りをする側の知識の はじめに 不足を痛感 していることと、対象 とした時代の方 が高齢であるとか亡 くなってお られるケースも多 本事業は、国営明石海峡公園神戸地区( 以下、「 神 く、全般的に再検討 してみる必要が出てきたため 戸地区」 とする)の整備に伴 う、国土交通省近畿 である。たとえば戦時中の満州工場 とその閉鎖に 地方整備局国営明石海峡公園事務所からの受託研 ついてなど興味のある事項であるが、かかわった 究 「 藍那地域の歴史的環境に関する調査及び活用 方が誰 もいない とのことで、その操業の模様はか についての研究」に伴 う事業である。本来昨年度 っての社内報に掲載された記事がかろうじて残さ まで 3カ年の事業であったが、本年度 1年間更 れているだけである。 しか し満州工場 と思われる 新された。 神戸地区は、神戸市北区山田町藍那地区の里山 設計図等が文書史料のなかに含まれ、そのままに して置 くには惜 しいが、今のところ手がついてい を園地 として、「 豊かな里山を守 り育てながら身 ない。 近な森 としての活用を図る」 というコンセプ トの 他にも、近代史料のなかに紙の朽損がいちじる もと、平成 24年度一部供用をめざして整備が進 しい数種の輸出清酒 ・醤油のラベルがある。史料 められている。これを うけて、本事業は、①藍那 の補修 とともに調査の必要を感 じているが、酒造 地域、 とりわけ里山の歴史的環境の変遷を明らか 組合の方 とともに今後 どのように取 り扱 うか思案 にするとともに、②その成果に基づき、神戸地区 中である。 内における歴史的遺産の活用のあ り方についての 提案を行 うことを主たる目的 とし、あわせて本セ ンターの活動の趣旨に鑑み、③成果を地元藍那地 伊丹酒造組合主催「 米づくりから酒づくりまで」 区にも還元 し、歴史を活か したまちお こしにつな 後援 :猪名川町 協賛 :川辺酒造 ( 育) げてい くことも目指 している。本年度は、事業開 「 米づ くりから酒づ くりまで」を体験するイベ 始より 3年が経過 し、また開園も近づきつつあ ントが今年も行われた。酒造組合の募集に応 じた ることから、このうち②に重点をおいて事業を進 およそ 60人の老若男女の会員が 5月 26日川辺 めた。その概要は以下の通 りである。 郡猪名川町上阿古谷の田圃へ集合。いっせいに田 圃へ入 り横一列に並び、苗を植え付けて、収穫を 1. 史料調査 楽 しみに解散。昨年は収穫までに草取 り作業を (1) 「 藍那村文書」の調査 昨年度に引き続き、神戸市文書館保管の 「 藍 行ったが、今年はそれがな く、1 0月 6日の収穫 日にふたたび集合 し稲刈 りを終えた。精米のあ と 那村文書 ( 藍那自治会文書)」の調査を行い、以 2月 1日蔵見学が 酒蔵に運ばれ仕込みである。1 前の調査の際作成された旧目録掲載分+未整理 あ り、1 2月中旬に清酒が搾 り上がった。 1箱分をあわせてほぼ調査を終了した。目録の この間に、できた酒を 720詰めの瓶に張るラ チェックが済み次第、若干の解題を付 した 『 藍那 ベルが作られる。会員の皆さんがそれぞれ田植え 村文書 目録( 改訂版) 』として刊行する予定である。 や稲刈 りのとき写 したご自分のお気に入 りの写真 調査においては、昨年度まで同様、文書 1点 がラベルになり、お正月には稲から育てた自分の ごとの内容を精査 し、藍那地域、とりわけ里山の お酒を飲もうとい う楽 しい企画である。友人知人 歴史的環境の変遷に関わる情報 ( 地名、 耕地利用、 に贈るため 30本も注文される方 もあった。ただ 植生、水利 ・港 概、生業等)の採集に努め、特に し、酒造組合のお世話役は田植えの準備やラベル 有用な文書については、並行 して写真撮影 ( デジ 作 りにてんてこ舞いであった。 タル)・翻刻を行った。また、昨年度、調査の中 ( 文責 ・石川道子) で判明 した情報を収録 した藍那地域の年表 (「 藍 40 那村年表」) を作成 したが、本年度の調査で新た た聞き取 り調査の成果をあわせ、当時の耕地や山 に判明 した情報により、補充改訂を行った。 の景観、そこでの農耕を中心 とした生業の様子の (2) 「 菖蒲谷池仲間共有文書」/ 「 小野池仲間共 復元を行った。 有文書」の調査 (2)古道に関する調査研究 藍那地区には、ため池が多数残 り、その景観を 神戸地区内及び周辺の古道に関する研究 とし 特徴づける大きな要素 となっている。これにつき、 て、以下の研究を行った。①神戸地区の外周を走 昨年度来行ってきた聞き取 り調査の中で、池のう る鴨越の道について、文献史料 ・現地踏査 ・聞き ち共有のもの (「 仲間池」) については、江戸時 取 り調査を活用 したやや詳細な研究を行った。② 代より池の権利や管理運営に関わる文書を箱に入 藍那地区に残されてきた、 18世紀末ころの景観 れ、毎年池仲間の当番に当たった人物 ( 箱屋)が を示す 「 藍那村絵図」には、この鴨越を含め、数 交代で保管する慣習があ り、 うち二つの池 ( 小野 多 くの道が描かれている。そこで、 この うち神戸 上 ・下池/菖蒲谷池)の箱は現存することが確認 地区内に含まれると推定される道の現地比定を行 できた。そこで、これ らについて調査を依頼 した い、あわせて関係史料を収集 した。 ところ、関係者の方から快 くご了解をいただき、 調査の上、箱及び収納文書の撮影 ( デジタル)杏 4. 成果の活用 ・還元 行 うことが出来た。今後、仲間池の管理運営の実 (1)公園事務所への成果活用の提案 「 はじめに」で述べた本事業の目的②に鑑み、 態が明らかになることが大いに期待される。 調査研究成果 と神戸地区の歴史的遺産の活用を目 2. 聞き取 り調査 指 し、以下のような提案を行った。 昨年度に引き続き、史料調査の成果の内容を確 ①昨年度まで行ってきた、藍那地区のため池に関 認 ・検証するとともに、史料調査からは充分に得 する研究や神戸地区内の江戸時代∼現在の歴史 られない現場に即 した情報を得るべ く、1 0回に 的景観の復元に関する研究の成果を活用 した、 わたって ( 2008年 3月 3日現在)藍那地区の住 公関係者向けブックレット ( 莱)を作成 ・提供 民の方より、小字界や通称地名、耕地、水利、山、 した。 道などに関する聞き取 り調査を行った。その成果 ②開園後、来園者に配布するリーフレットの試案 は、以下述べる研究活動や成果の活用 ・還元に反 ( 第 1案)を作成 ・提供 した。 映されている。 ③神戸地区内のため池等の歴史的遺産に掲示 し、 なお、池仲間共有文書の調査 と聞き取 りにあ その由来や歴史を紹介する看板 ( 莱)を作成 ・ たっては、藍那地区の東元庄二氏 ・中西久志氏に 提供 した。 大変お世話になった。 ここに記 して謝意を表 した ( 彰昨年度作成 ・提供 した神戸地区内の歴史的遺産 い。 を紹介するマップ(「 藍那歴史遺産マ ップ( 仮) 」) の改訂版を作成 ・提供 した。 3. 研究活動 (2) 「 あいな里‖ぽ つ り」へのパネルJ H展 と歴史 (1) 「 棚1 1 1 ゾーン」における昭和 30年代の景観 ハイキングの実施 および生業 ・生活文化の復元研究 2008年 11月 24日 ( 土)、神戸地区現地で開 神戸地区内には、棚田の景観を示す場所が多 く 主催 :第 9 催された第 9回あいな里山まつ り ( 見 られるが、中でも特に美観 とされる区域が、「 棚 回あいな里山まつ り実行委員会/国営明石海峡公 田ゾーン」 として、昭和 30年代前半の状況を念 園事務所)に、調査研究の成果を紹介するパネル 頭に、棚田を中心 とする里山の景観 と、そこで行 4枚を出展 した。あわせて、古道に関する調査研 われてきた農耕や草刈 り、炭焼きなどの生活技術 究の成果を活用 し、鶴越の道を歩き、周辺の歴史 や文化を保全 ・継承する区域に予定されている。 遺産を紹介する歴史ハイキングを実施 した。 そこで、ゾーン整備の参考資料 とすべ く、昨年度 入手 した昭和 36年の藍那地区を撮影 した空中写 おわ りに 真を活用 し、この分析 と、写真も利用 しつつ行っ 以上、本年度実施 した事業の内容について述べ 41 た。本事業が来年度以降継続されるかは現時点 ての講演をおこなった。次いで座談会では、神木 ( 2008年 3月 3日現在)では未定であるが、開 氏のほか、 作家の玉岡かおる氏、そして当センター 園まで期間があることから、公園事務所へは、開 の奥村弘氏など 4人のパネ リス トが登壇 し、今 園へ向けた取 り組み案を提示 し、継続を依頼 して 40年を迎えた神戸港に対する思いを 年で開港 1 いる。ただし、 事業継続がならなかったとしても、 語った。当日は約 200名の聴講者が参加。 来年度以降も、「 あいな里山まつ り」への出展や、 3.「 神戸みな とまち絵地図」「 兵庫津みな 講演会 ・研究報告会などの形で、調査研究成果の とまち絵地図」作成への編集協力 還元 ・活用は行いたい と考えている。そ して、そ れにあたっては、地元藍那地区の住民の方々と密 昨年度は 「 尼崎み 接に協力 し、調査研究成果が地区の歴史を通 じた なとまち絵地図」の まちおこし ( 事業 目的の( 参)にもつながるよう努 作成に協力 したが、 めたい。 今年度は新たに上記 2枚の絵地図作成の ( 文責 ・森田竜雄) 協力をおこなった。 この絵地図は神戸港 湾事務所が管理 ・管 国 土 交 通 省 神 戸 港 湾 事 務 所、 轄する港湾施設や臨 NPO法人近畿みな との達人 と 海施設の活用や観光 の連携事業 資源化をね らったも ので、それぞれの地 国土交通省神戸港湾事務所および NPO法人近 域の歴史遺産や観光スポット等をビジュアルに 畿みなとの達人 との連携事業は、2005年度 ( 神 提示 したパンフレットである。今年度は 8月∼ 9 戸大での日本西洋史学会の開催時)から始まり、 月にかけて 3回の編集会議が開かれ、センター 今年度で 3年 目に入った。今年度の主な取 り組 から坂江が編集委員として加わ り、神戸港 と兵庫 みは、以下の通 りである。 津周辺の歴史遺産の解説文についてア ドバイス等 をおこなった ( 監修 : 神木哲雄神戸大学名誉教授、 1. みなとまちづ くり生涯学習講座 「 海港都 r t 2」開催への協力 市 『 神戸』を語る Pa 編集は C Nインターボイス関西支社)。両絵地図 昨年度はピアしっくす 「ミニ講演会」への協力 とも 2007年 9月に完成 し、神戸市内の小学校 5 をおこなったが、今年は 1 0月から半年かけて毎 年生以上に配付されるとともに、各公共施設にも 月開かれた 「 生涯学習講座」の開催へ協力 した。 配付された。配布先の反応はかなり好評で、セン 6回の講演会のうち、1回目の古代の部で、坂江 ターでも各種イベ ント ( ホームカミングデー、地 が 「 古代の西摂 ・神戸の浜辺 と海洋信仰」 と題す 域連携発表会、地域連携協議会等)で展示 ・配付 2007年 1 0月 21日。約 る講演をおこなった ( したが、受け取った方々の反応は良好であった。 70名参加)。なお本講座は、 地域連携センター と、 東神戸みなとまち絵 なお 2008年 2月末から、「 神戸市みなと総局が共催団体に加わった。 地図」の作成に向けての編集会議が始まっている 2. シンポジウム 「 海港都市 『 神戸』を語る」 ( 編集 :株式会社フルハウス)。 ( 文責 ・坂江渉) 開催への協力 2007年 8月 25日 ( 土)、神戸市中央区の神戸 海洋博物館において、神戸港湾事務所の主催によ り、上記シンポジウムが開催された。内容は基調 新修神戸市史の編纂事業 講演 と座談会の二部に分かれ、まず基調講演では、 神戸大学名誉教授である神木哲男氏が、「 大輪田 2006年度から、『 新修神戸市史 歴史編 Ⅲ古 泊」「 兵庫津」 と呼ばれる神戸港のルーツについ 代 ・中世』の基礎調査 と成果の普及の方法につい 42 て、神戸市文書館 と地域連携センター との共同研 分流 とみられる修理家も調査 したが、文書等は残 究事業を進めている。今年度の活動は以下のとお されていなかった。 りである。 ( 性海寺文書) 性海寺文書の調査をおこなった。中世文書だけ 1.史料調査 でな く近世以降の史料も含め、全点の撮影をおこ 今年度は、以下の史料調査を実施 した。 なった。また、同寺所蔵の大般若経についても調 (石峯寺) 査 した。大般若経については、中世にさかのぼる 昨年度から引き続き石峯寺の調査をおこなっ ものはなかったので撮影はおこなわなかった。 た。中世文書については、すでに昨年度に調査を (阪田家文書) 終えているが、悉皆調査を原則 としているため、 中世以来の旧家 と伝える阪田家の文書について 近世以降の文書について引き続き調査をおこなっ 調査をおこなった。残念ながら火災により、ほぼ た。石峯寺所蔵の史料については、すべて撮影を 史料は残されていなかったが、若干の近世文書お 終えたが、子院の竹林院 ・十輪院については、新 よび、中世文書の写真が残ってお り、それらを撮 たにふすまの裏貼 り文書が出てきたこともあ り、 影 した。 調査が未了である。新修神戸市史の調査期間です ( 神戸市文書館所蔵山田出張所旧蔵文書) べての調査を終えることは困難 と考えられること 山田出張所旧蔵文書は、山田出張所 ( 現 ・山田 から、 未了分については、 今後は地域連携センター 連絡所)にかつて保管されていた史料群で、現在 の事業 という形で継続 してい く方針である。 は神戸市文書館に移管されている。中世の原文書 ( 禅昌寺文書) 1点 ( 「 管領斯波義将施行状」) も含まれるが、こ 禅昌寺文書については、すでに秋宗康子氏の研 れまで未紹介の史料群である。これについて、絵 究があり、同氏が史料の写真 も所蔵されているこ 図も含めた全点の撮影をおこなった。 とから、禅昌寺の承諾を得て、同氏から写真の提 ( 京都大学総合博物館所蔵宝珠院文書) 供を受けた。また、あわせて、かつて禅昌寺にあ 昨年度より引き続き、京都大学総合博物館所蔵 り、現在、南禅寺にある一切経についても、秋宗 宝珠院文書の調査をおこなった。同文書は、長洲 氏より調査データの提供を受けた。 荏 ( 現 ・尼崎市)を中心に、中世摂津に関する史 ( 如意寺大般若経) 料を多 く含んでいる。 したがって、主 として中世 如意寺文書については昨年度調査 したが、未紹 西摂地域に関する史料の翻刻作業をおこなった。 介の如意寺大般若経について調査をおこなった。 この大般若経は神戸市立博物館に寄託されてお 2. 普及活動 り、同館において中世の奥書をもつものを中心に (1)講演会 撮影をおこなった。 『 新修神戸市史』執筆者による講演会を、昨年 ( 神戸市立博物館所蔵文書) に引き続き、今年度も 2回催 した。 神戸市立博物館所蔵の原野村文書、南僧尾村関 係文書、その他中世文書について、 調査をおこなっ 0 2007年 8月 1 8日 1 3: 00- 1 6: 00 た。原野村文書は、近世同村の庄屋を務めた栗花 場所 兵庫公会堂 ( 兵庫区役所地階) 落家に関係すると思われる史料である。また、南 講師 ・演題 新修神戸市史編集委員 僧尾村関係文書は同村の高雲寺にかかわると思わ れる史料である。いずれも神戸市立博物館におい 京都光華女子大学文学部准教授 野田泰三 て、全点の撮影をおこなった。 「 戦国 ・織豊期の神戸市域 ∼旧三木郡域を中心に∼」 ( 栗花落家文書) 中世山田荘の荘官を務め、近世は原野村の庄屋 神戸大学文学部教授 藤田裕嗣 であった栗花落家の伝来文書について調査をおこ 「 瀬戸内海 と兵庫津 ∼主に 1 5世紀の史料から∼」 なった。中世文書だけでな く、近世以降のものも 含め全点の撮影をおこなった。また、栗花落家の 同時開催 43 市内関連遺跡 出土品展示 主催 また神戸市教委か ら市 内出土の中国製輸入陶磁器 神戸市教育委員会 を展示いただいた。 さらに、長 らく京都大学総合 神戸市 ( 文書館)・新修神戸市史編集委員会 博物館 に寄託 されていた「 蒔絵桜花南蛮人文絵鞍」 協力 神戸市 ( 兵庫 区 ・教育委員会)・神戸大 ( 押部谷小学校所蔵)が、 このたび神戸市に戻 っ 学大学院人文学研究科地域連携センター たのを契機 として、同 じく神戸市教委か ら鞍を展 0 2008年 1月 26日 1 3: 00- 1 6: 30 場所 神戸市勤労会館 示いただいた。その他、写真パネルを展示 した。 7階 大ホール 期間中は地域連携セ ンターの研究員や神戸大学 講師 ・演題 の大学院生を常時解説員 として配置 し、来場者 に 説明をお こなった。 また期間中の 9日、1 3日、 新修神戸市史編集委員 1 7日には、展示 している古文書 について、よ り 大阪市立大学大学院文学研究科教授 栄原永遠男 詳 しく解説す る古文書講座を開催 した。古文書講 座は土 日の 9日と 1 7日は 1 7: 00か ら、平 日の 「 神戸古代史散策」 大手前大学総合文化学部准教授 1 3日は 1 8: 00か ら開催 した。 小林基伸 「 室町 ・戦国期 の村 と国衆 また神戸市文書館は旧南蛮美術館で、建物 自体 ∼北摂 ・東楢を中心に∼」 が文化財 としての価値 を持 っているが、現在は本 同時開催 来入 り口が使用 されていない。 このたび前面の改 市内歴史資料パネル展示会 神戸市教育委員会 主催 神戸市文書館 ・新修神戸市史編集委員会 協力 神戸市教育委員会 ・神戸大学大学院人文 装工事がお こなわれたのにあわせ、展示期間中は、 この本来の入 り口を開放 した。 展示会の来場者は 4 02名で、昨年度の展示会 の約 3倍の来場者があった。 学研究科地域連携セ ンター (3)webページ これ らの講演は市史編纂の成果を中間報告的に 発表するものである。 また、神戸市教育委員会の 昨年度 よ り引き続 き、市史関係の企画の告知を 協力を得て、市 内の遺跡 の出土品について展示を お こなったほか、市史の調査成果を公表 した。具 お こない、さらに市民の関心を高めることができ 体的には山田出張所 旧蔵文書の史料紹介を掲載 し た。 また、8月の講演会では、講演内容にかかわ っ た。ただ、史料紹介の掲載は この 1件に とどま り、 て、神戸市立博物館所蔵 の兵庫津絵図の写真をパ 今後 さらに内容を充実す ることが課題 である。 ネルで展示 した。 これ らの普及活動は、編纂事業の途 中で も積極 (2)展示会 的に調査成果を公表 し、市史への関心を高めるこ 2008年 2月 8日か ら 1 7日にかけて、神戸市 とを 目指す ものである。 さらに今後は、神戸市文 文書館 において、「 新修神戸市史中間報告展示会 書館 において、撮影 した史料の写真を公開するこ 神戸の中世再発見」を下記 の とお り開催 した。 とも順次進めてい く予定である。 ( 文責 ・村井良介) 期間 2008年 2月 8日(金)∼2月 1 7日(日) 開場時間 1 0: 00- 1 7: 00 会場 神戸市文書館 主催 神戸市文書館 ・神戸市教育委員会 ・新修 播磨新宮町史の編纂事業 神戸市史編集委員会 協力 『 播磨新宮町史』本文編 ( 近塊代) 神戸大学大学院人文学研究科地域連携セ ンター 今年度は 『 播磨新宮町史』本文編 ( 近瑞代)刊 行に向けて、執筆に集 中 した。前年度末の段階で 展示は神戸市文書館所蔵 山田出張所 旧蔵文書か は、「 戦後部分の史料 の概要 を早急 に明 らかに し ら、「 管領斯波義将施行状」 な ど 3点を展示 した。 てその調査を進め ると共に、町史編集室 と神戸大 44 学 との役割分担 ( 戦後部分の執筆分担など)など 望 もあ り、フィール ドワー クを行った。たつの市 の懸案事項を解決 し、執筆 ・刊行に向けて早急に 教育委員会に全面的など協力を得、当日はさらに 体勢を整え、 準備を進めてい くことが課題」であっ マイクロバス等でご案内もいただいた。 たが、年度明けと同時に、町史編集室 と神戸大学 なお、例会では、今年度も引き続き新宮 ・池田家 との間の役割分担を明確にし、刊行に向けての体 の「 系譜続録」を古文書テキス トとして読み進め、 制を整備するため、たつの市教育長、たつの市教 読了 した。引き続き新宮 ・池田家関連の史料であ 育委員会参事 ( 新宮町は合併にともなって 2 006 る 「 池田織部由遺碑銘」「 御趣意書御案文」をテ 年 4月か ら 「たつの市」 となっている)な どと キス トとして読み進めている。この間、テキス ト 数回にわたって議論を重ね、年度内の刊行にとも の内容についての研究報告も蓄積されてきた。そ に全力を尽 くすことで意見の一致を見た。その結 こで研究会設立当初の目的であった翻刻 したテキ 果、年末までには神戸大学が担当するすべての原 ス トの活字化 ・公開に向けて、研究会メンバーか 稿の執筆を完了 した。 ら有志を募 り、作業部会を結成、テキス ト・デー 2 007年 3月初句段階で、多 くの部分は印刷直 タ化 とともにその校正を行った。また、あわせて 前の三校の段階まで完了している。 しか し、町史 研究論文 ・研究ノー トの執筆を募った。その成果 編集室が執筆を担当する箇所の原稿が完成 してい は本報告書末に掲載 しているので、ぜひ御覧いた ないこと、また部落問題の取 り上げ方をめぐる旧 だきたい。 町内の調整が完了していないことなどの事情によ 昨年度より懸案だった地元 との交流はいまだ実 り、刊行にはいましばらくの時間を要すると考え 現 していない。もっとも、この間新たな動きが られている。神戸大学大学院人文学研究科地域連 あった。揖保川流域の歴史を学ぶ 「 いひほ学研究 携センター としては、今後、町史編集室が担当す 会」が立ち上げられたのである。「 いひほ学研究会」 る箇所の原稿の完成 と、部落問題の取 り上げ方な との連絡を密にとりながら、この機会にぜひ地元 どをめ ぐる旧町内の調整の推移を見守 りなが ら、 との研究交流を実現 したいと考える。 刊行後の普及 ・活用に向けての準備を進めている ( 文責 ・河野末央) ところである。 ( 文責 ・河島真) 神戸大学近世地域史研究会 三田市史の編纂事業 昨年度に引き続き、神戸大学近世地域史研究会 を開催 した。神戸大学近世地域史研究会の活動内 三田には、近世期三田藩が存在 し、寛永 1 0年 容については、昨年度報告書及び本報告書掲載の ( 1 633)に九鬼久隆が志摩鳥羽から入封 して以来、 協議会報告を参照いただきたい。 明治期に至るまで代々九鬼家による支配が行われ 開催 日程は下記の通 りである。 た。三田藩は畿内近国に珍 しい小規模外様藩 とい *2007年 3月 11日 (目) *2007年 4月 15日 (日) *2007年 5月 13日 (日) *2007年 6月 17日 (士)※フィール ドワーク *2007年 9月 9日 (日) *2007年 10月 21日 (日) う特色をもち、また市民の関心も比較的高い。こ れまで地域連携センターでは三田市 と協力 して、 三田藩の家老であった三田地区九鬼家資料の整理 作業を行ってきた。その過程で市域の歴史を明 ら かにする上で重要な文書が数多 く残されている ことが判明 した。その成果は詳細な古文書 目録 と *2007年 11月 17日 (日) なった。 *2007年 12月 8日 (日) *2008年 1月 27日 (目) *2008年 2月 17日 (日) *2008年 3月 23日 (日) 2008年 2月に 『 三田市史』第 6巻 ( 近代資料 Ⅲ) が刊行されたが、ここでも整理作業の成果を 活か し数多 くの九鬼家資料が採用、掲載される こととなった。 とりわけ幕末維新期の成果は大き 6月 1 7日にはかねてから研究会メンバーの希 なものであった。一つは、これまでその活動実態 45 があまり知 られていなかった公議人についての解 でいるのかなどの意識調査を行った。 明が進んだことである。 この点は三田藩の歴史を 上記の基本方針から、資料編 として 1冊の本 解明する上で重要な発見であったのみならず、全 にまとめるにあた り、統一的な体裁を とる方が町 国的にも貴重な発見 となった。また一つは、三田 民にとって利用 しやすいのではないか、 とい う理 藩は福沢諭吉の影響のもと早 くから開明的な政策 解が提示され、全体での編集会議では主 として資 を実施 していたが、この問題をめ ぐる藩主九鬼隆 料編の体裁について活発な議論が行われた。その 義や家臣らの動向についての解明が進んだ点であ 結果、従来横書が主流である考古学部会について る。 これらの掲載資料にはいずれも適切な解説が も縦書で記述が行 うことが決定 した。さらに歴史 付され、市民への還元がはかられた。 分野では、編年体をとるか、テーマ別編成を とる もちろん九鬼家資料に含まれる情報はこれのみ か、史料の綱文、史料タイ トル、解説の付 し方は ではな く、時期 も広範である。三田市では今後、 どうするかなどが議論された。掲載資料の内容 ・ 本文編の刊行も予定 している。市民の関心に寄与 性格の違い、またこれまでの自治体史編纂の蓄積 するためにも、 今後一層の研究の蓄積が望まれる。 から各部会特有のスタイルが構築されていること ( 文責 ・成田雅史) もあって、調整は難航 したものの、基本的には編 年体 とすること、史料綱文 ・史料タイ トル ・頭註 を付すことが決定 した。なお、来年度は引き続き 通史編本編の編纂に取 り組む予定である。 香寺町史の編纂事業 ( 文責 ・坂江渉/河野末央) 昨年度に引き続き 『 香寺町史』通史編本編及び 資料編の編纂事業を共同研究 として進めた。今年 福井県越前 町織 田 (旧識 田町) との連携事業 度は、年度末の刊行を予定 している資料編刊行に 向け作業が進められた。全体の編集会議の日程は 下記の通 りである。 *2007年 3月 27日 (火) *2007年 7月 16日 (月) *2007年 5月 26日 (土)※ *2007年 9月 24日 (月) *2007年 11月 18日 (日) *2008年 1月 13日 (日) *2008年 2月 2日 (土) 『 越前町織田文化歴史館館報』への寄稿 地域連携セ ンター研究員河野末央 と海港都市 研究セ ンター学術推進研究員添 田仁 の 2名が、 『 織 田町史 史料編』中巻 ( 織田町史編纂委員会、 1 996年)に所収 されている史料を用いて、越前 町域の近世史についての論文を執筆 し、『 越前町 第 3号)に寄稿 した。 織田文化歴史館館報』 ( *2008年 3月 22日 (土) 河野は、「日野川の渡 し船 と街道の交通」 と題 し ※香寺歴史研究会会員と執筆担当委員との懇談 た小稿を寄せた。内容は、一九世紀初頭の越前国 会 ( 於香寺中央公民館) 。 丹生郡を東西に走る 「 四ケ浦街道」を素材に、街 なお、部会ごとに編集作業部会 ・会議 ・調査 ・ 道を交差する日野川で運行 していた 「 渡 し船」の 合宿が行われているが、その日程については省略 維持管理をめ ぐる郡域の村や浦の動向、あるいは する。 当該期の 「 四ケ浦街道」交通の具体像についてそ 『 香寺町史 村の記憶』地域編及び資料編での の一側面を描いたものである。 成果に基づき、通史編 もまた香寺地域に暮 らす 添田は、「 樺太ハウ トンマカ一件 と大野藩」 と 方々にとって親 しみやす く、活用 しやすいものを 題 した論文を寄稿 した。その概要は、以下の通 り 目指すことを基本方針 とした。なお、地域の方々 である。 の希望を町史に反映させるべ く、5月 2 6日には 幕末、越前大野藩は、南下 して くるロシア人に 香寺歴史研究会会員 との交流会を設け、聞き取 り 対する警備の役割 もかねて、樺太の開発を免許さ 調査 とともにどのような資料編を地域の方が望ん れた。このロシアと日本の境界領域であった樺太 46 において、大野藩士のもと使役されていたアイヌ る。よって、これまでの連携事業の総括 と反省の ( ハウ トンマカ)が、上司の暴行に耐えかねてロ うえに、来年度以降にむけての新たな方向性を見 シア人のもとに逃走 した。 これが、「 ハウ トンマ 出すことを意識 しながら事業を展開 した。 カー件」である。本稿では、樺太開発に同行 した 1. 連携事業の総括 織田村百姓 ( 北野)惣兵衛が日記形式で遺 した 「 ハ 2008年 2月 23日 ( 土)から 3月 9日 (日) ウ トンマカ一億記」( 北野家文書)を用いて、事 までの 1 6日間、朝来市生野町 と神戸大学 との連 件の詳細を明 らかにするとともに、大野藩の末端 携事業の内容 と成果を市民に知ってもらうことを 役人 として事件の現場に居合わせた人物の視点か 目的として、企画展 「 朝来市生野町 と神戸大学 ら、(ロシア対 日本) とい う国家的 ・巨視的な枠 との地域連携事業」を生野書院において開催 し 組みの議論 ( 史料)では表面化 しない、当事者個々 た。同展示は、 ①過去 3年間の連携事業のあゆみ、 の志向性を抽出することを目的 した。結果、現場 ならびに文学部 ・工学部の活動成果をまとめたも の幕府役人 と大野藩士、両者の間には、事件に対 のと、②昨年度発足 した 「 古文書初級教室」の活 する基本的な姿勢 ・「 外国人」に対する認識に相 動成果をまとめたものの二部構成 となったo( 参に 異があったこと、そ して、その相異が大野藩内部 ついては次項に譲 り、ここでは①について述べて の意見の対立を招いていたことな どを明 らかにで お く。 きた。 ( Dは 「 朝来市生野町 と神戸大学 との地域連携事 ( 文責 ・河野末央/添田仁) 業」 と題 して展示 した。展示品としては、あら 叙神社文書の町文化財指定のための意見書 作成 たに 「 朝来市生野町 と神戸大学 との地域連携事 業」 ( 朝来市教育委員会)、「 地域に遺された古文 越前町織田には、延書式内社に由来するという 書を活か した歴史文化の掘 り起 こし一朝来市生野 古社 ・叙神社があ り、奈良時代の究鐘を始め とす 人文 町 と神戸大学文学部 との連携事業か ら-」( る多 くの文化財を伝えている。本年度、同社より 学研究科地域連携センター)、「 神戸大学建築史研 越前町教育委員会に対 し、中世∼近世にわたる所 究室の活動」( 工学研究科足立研究室、2枚) と 蔵資料 ( 叡神社文書)の町文化財指定申請があ り、 題 したパネル 4枚を作成 し、これに加えて足立 町文化財保護委員会での審議の参考資料 となる意 研究室が作成 してきた 「 お祭 り小屋プロジェク ト 見書の作成が、織田文化歴史館を通 じてセンター 2006」などのパネル 12枚、建築物模型 4点を に要請された。そこで、同文書が越前町域、さら 用意 した。展示作業は、人文学研究科院生 1名、 には越前国の歴史を知る上で大きな意義を持ち、 工学研究科院生 3名 とともに行った。 町指定文化財にふさわ しい文書群である旨をまと めた意見書を作成 し、2007年 1 0月 1 9日付で 提出 した。 叙神社文書は、この後 11月 1日に開催された 町文化財保護委員会での審議を経て、11月 21日、 町教育委員会において、町文化財指定が決定され た。 ( 文責 ・森田竜雄) 朝来市生野町 との連携事業 展示作業をする学生 本年度は、2005年 3月に朝来市 ( 旧朝来郡) 展示ついては、アンケー トを配布 して、意見 ・ 生野町 と神戸大学の間で「 連携協力に関する協定」 感想を求めた。「 パネルがガラスケースに入って が結ばれてから 3年目という区切 りの年度であ いて、文字が見えづ らかった」、「 建築物模型の説 47 明がほ しかった」 といった指摘 とともに、「 現在 ていないという現状がある。そこで今回、「 教室」 の神戸大学の活動が、様々なテス トと成果の上に のメンバーに、古文書をもとにした展示を準備す 成 り立っていることがわかった」、「 古文書の保全 る作業を体験 してもらい、これを通 して古文書か から、地域学習 ・歴史文化の発信へ とつなげてい ら地域の歴史イメージを描 くことの難 しさや楽 し くとい う言 式みは興味深い」、「 文学部 と工学部の活 さを知ってもらお うとした。すなわち、これまで 動内容のコントラス トが印象的だった」、「 朝来市 の史料保全 ・地域の歴史の学習 ・大学による史料 自身が、どのような活動を していたのかを知 りた の活用 という段階を経て、あらたに地域住民がみ かった」 といった意見 も寄せ られた。 ずからの手で地域の歴史文化を発信するという領 今年度あらたに作成 したパネル 4枚は、カラー 域に挑戦 したのである。 これには、昨年度担当し の冊子にまとめて閲覧者に配布 した ( 参考資料)0 た河野末央氏が危倶 しているように、 大学側が「 教 連携事業の全体像を市民に知ってもらうという、 室」に対 して 「 次から次へ とこちらの 「 理想」を 当面の目標は果たされたように思 う。 押 しつけるのはあまりにも倣慢な気もする」( 『 平 成1 8年度事業報告書』、 83頁)という懸念 もあっ 2. 地域住民による歴史文化の発信 た。 しか し、 地域連携センター ( 以下、「 センター」 ① と同会場・ 同日程で、 ( 参企画展 「 朝来郡の村々 と省略)・「 教室」の双方にとって、まずは新た と元文一探」を開催 した。これは、昨年度に発足 な領域に挑戦 してみることが重要であろうと判断 『 平成 1 8年度事業報告 した 「 古文書初級教室」 ( し、試験的に企画展を実施することとした。 書』、82頁参照、以下 「 教室」 と省略)の活動成 「 教室」の意見 としては、「 古文書を読むことだ 果の報告を兼ねた展示である。その意図は、以下 けを目標にしているので、歴史を語るのは重過ぎ の通 りである。 る」、「 展示を人様に見てもらうとなると気が重 い」、「 教室が主催 となると厳 しい」 といった消極 的な意見が多かったが、センターの意図を伝えて い くなかで、「これまで内容まで読むということ を していないので不安、だけどやってみたい」 と いう前向きな意見も見 られるようになった。 テーマは、「 元文一撰」 とした。 これは、「 元文一 探」が、生野の住民にな じみの深い歴史的事件で あるとともに、「 教室」において以前から関連す る古文書を教材 として使用 してお り、メンバー全 員が古文書を通 して 「 元文一摸」について考えた 経験を持っていたからである。 古文書初級教室の様子 2月初句から開始 した。まず、「 教 準備作業は 1 「 教室」では、現在でも 1 5名程度が参加 して、 室」で翻刻 し終えた古文書をセンターで校正 し、 月 2回のペースで勉強会を開いている。その勉 これをメンバーに配布 した。次に、この古文書の 強会は、 一つの古文書をピックアップして配布 し、 記述にもとづいて、メンバー各 自が 「 元文一探」 それを各 自が予習 した上で集まり、翻刻担当者 と とのかかわ りで興味あるテーマをい くつか提案 し ともに一斉に読み上げるというものである。会は、 た。 ここからセンター と 「 教室」 とでテーマを選 読み方について意見を交わすなど活気にあふれ、 出して、メンバーに割 り当てて、それぞれ文章 ( 各 メンバーも古文書を読めるようになる喜びを感 じ 800字程度)を作成 してもらった。 なが ら継続 して参加 している。メンバーの古文書 この文章をセンターで練 り直 し、 古文書の写真・ 解読のレベルは、格段に伸びつつある。 翻刻文、絵地図、朝来郡一帯の村々の様子などに しか し、勉強会では、その活動の比重が古文書 ついて説明を補足 し、パネル計 6校を作成 した。 の文字を解読することに偏重 して しまい、メン さらに、パネルの内容に関連する古文書を、解題 バー個々が古文書の内容を理解するまでにいたっ と翻刻文 ・読み下 し文を載せたキャプションを付 48 して、ガラスケースのなかに 8点展示 した。こ いずれにせよ、今回、企画に着手 し始めたのが れ ら作成 したパネル ・古文書キャプションは、カ 12月初句だったこともあって、準備期間が短 く ラーの冊子にまとめて閲覧者に配布 した ( 参考資 な り、「 教室」 とセンター との間で展示内容につ 料) 。なお、展示の準備作業には、人文学研究科 いて丁寧に詰めてお く時間が足 りなかった。この 院生 1名 ・文学部学生 1名も参加 した。 点は今回の反省 として今後に活か したい。 閲覧は 2月 23日から開始 した。当日、回収 し 3. 生野古文書合宿 ( 地域歴史遺産活用演習 B・地域歴史遺産活用基礎演習 B) たアンケー トには、「 翻刻文 ・読み下 し文が付い ていてわか りやすかった」、「 年表のようなものが 2008年 2月 23・24日 ( 土 ・日)の両 日、古 あればよかった」といった感想が並んだ。 しか し、 文書合宿 として①生野銀山見学、②生野書院企画 なかには 「「 元文一撰」関連の展示 と朝来郡の村々 展の閲覧、( 勤古文書整理、④生野の歴史にふれる 関連の展示が分離 しているのではないか」、「 市民 座談会を実施 した。詳細は第 5章に譲 り、ここ とともに展示を準備する過程も展示 してほ しかっ では地域連携事業 との関わ りから 1点だけ述べ た」など、鋭い指摘 も寄せ られた。 てお く。 「 教室」の方々には、自分たちの調べたことが、 展示 という目に見えるかたちになったことに対す 昨年度、古文書整理を していた会場に自らの家 る驚きと感謝の言葉が多 く寄せ られた。 しか し、 の古文書を持ち込まれた方があったが、今年度は 一方で、厳 しい批判 もいただいた。それは、「 私 「 生野の歴史にふれる座談会」で、その方に自分 たちの書いた原稿が全然パネルに出ていない。ほ の家の歴史についてお話 していただいた。会場に とん ど直されたものが、掲示されている。 ここの は、蔵に収めてある古文書 ・本陣を務めた際に掲 文章 とこの言葉、言い回 しを直 したと言 う連絡が げた看板 ・先祖の写真などを持参 していただき、 無いのは不愉快」 という趣旨のものであった。 これらが参加者の目をひいた。近 日中に、所蔵者 から依頼のあった看板裏書の解読をセンターで行 センター としては、「 教室」の方々が執筆 した ものをそのままパネルに掲載する訳ではないこ うことにしている。最初から蔵の調査な どを強行 と、またどこまでパネルに反映できるかわからな するのではな く、かかる共生関係を長期間保って いことは、打ち合わせの段階でしっか り伝えてい お くことが重要であろう。 これが、事業開始当初 たつ もりであった。 しかし、やは り事前の説明が からの懸案事項であった旧生野町域の古文書所在 足 りなかったことと、地域住民が執筆 したものに 調査のとっかか りになればと考えている。 ついて、勝手にセンターが手を加えること自体に 4. 今後の課題 と来年度の計画 問題があったという点を再確認 した。「 教室」の メンバーからいただいた指摘は、まさに今回の企 今回企画展を準備する段階で、「 教室」のメン 画の問題点を鋭 く突いたものであるといえよう。 バーからは 「 大学 との連携事業のなかで初級教室 大学 と地域住民 とが共同 して歴史文化を発信する が出来たので、大学に感謝は しているが、いつま 場合に、最も注意 しなければならない点が明らか でも大学の事業の援助をするのは気が重い」、「 来 になったように思 う。 年度以降、 毎年 このような企画を行なうのは無理」 しかし、この批判からは、一筋の光明も見て取 など、連携事業に対 しては消極的な感想が多かっ れる。すなわち、当初 「 古文書を読むことだけを た。一方で、事業の内容については 「 古文書を整 目標にしているので、歴史を語るのは重過ぎる」、 理 したいわけではない」、「 神戸大学から講師を派 「 展示を人様に見てもらうとなると気が重い」 と、 遣 して、話を聞かせてほしい」、「 他地域 との情報 歴史文化を発信する担い手 となることに重圧を感 交換 ・共同教室が したい」、「フィール ドワー クが じていた 「 教室」の方々が、 展示作業の一翼を担っ してみたい」 といった意見が寄せ られた。来年度 たことによって、自分 自身の言葉で歴史を語るこ 以降は、このような地域住民の声を尊重 ・反映す とに対する意欲 とこだわ りを見せ始めたとい うこ るかたちで事業を運営 してい く必要がある。 と。上記の批判は、その変化の表れ ともとらえる 2月 24日 (日)、生野書院において、来年度 ことができるのではないだろうか。 の事業について会議がなされ、朝来市 と神戸大学 49 との協定を継続することが確認された。 とくに、 点数を記 した。 人文学研究科の事業については、活動地域を朝来 文書は阪神 ・淡路大震災の後 とりあえず箱詰め 市全域に拡大するとともに、①生野書院常設展の にしたとのことで、残存 していた当初の形態は失 展示替え、② 「 教室」 との共同事業、③古文書合 われていたため、内容によって編年 ・分類 した。 宿、以上 3本の柱で展開することとなった。 一括 して括 られていた り、数点の文書が-巻きに なったものも多 く、一括の意味がわか らないもの ①については、 展示を一度に替えるのではなく、 現在展示 してある史料 1点 1点について、近年 もあ り、それらが何時の時点で一括されたのか不 の研究成果なども活か しながら、学問的な意義 も 明であるが、このような文書 も含めこれらには枝 踏まえた説明を追加 してい く。 とくに古代 ・中世 番を付 した。 は、近年の発掘調査の成果を活かし (「 考古遺物 現在史料一点一点に付等を挟んでいるが、返却 から見た中世」)、近世 ・近代は、連携事業のなか する史料であるため、返却後 も、目録に付 した番 で明らかになった 「 元文一撲」や 「 生野の変」に 号 と史料番号がつねに合致 していなければならな 関する研究成果を反映させることとなった。 いということがある。文書を一切開かず、箱の中 ②については、朝来市の他地域でも初級講座を にそのまま置 くのであれば付等を挟んでお くだけ 開設することを最終的な目標 として展開すること でよいが、利用することを前提にすると、付茎で になった。その前段階 として、歴史的事件 ( 元文 は落ちた り、間違って挟んだ りとい うことが出て 一探・ 生野義挙・ 伊能忠敬)をテーマ としたフィー くる。 ミーティングの席で、これについては、原 ル ドワークを企画する。勿論、今後 「 教室」のメ 文書に現在古文書室にある和紙のラベルを張 り、 ンバー との調整が必須 となるが、「 古文書学習会」 それに番号を書き入れる処理をすることになっ のメンバーも含めて、 どのような準備を行ってい た。文書の保存 という観点か ら、付等を挟むのみ くかを考えてい く。 にしたいとの意見、 しか し、文書を見るのに付等 ③は毎年大雪に見舞われてお り、時期の変更も だけでは常に分かっている人間が付き添っていな 検討されたが、 例年通 り2月に行 うこととなった。 ければならないこと、いつも付等のことを頭に置 その他、「 教室」「 古文書学習会」のメンバーを きながら文書をみなければならないことなどか ら 対象 とした聞き取 りが、喫緊の課題であることも 利用が しにくいとの意見、また、文書に番号は付 確認された。ただ、この作業については、金銭面、 すがそのさい傷を最小限にするには文書に直接鉛 聞き取 り担当者の専門性、事業の継続性の問題な 筆書きをするのは どうか、等々の意見が出た。 どを考慮に入れた、朝来市をあげての長期的な計 保存 と利用の間で確定的な判断は難 しいが、木 画が必要であるため、市で検討 した上で、連携事 村家文書についてはラベルを張る方向で史料の整 業 との関係性を詰めてい くこととなった。 理を進める。 ( 文責 ・石川遺子) ( 文責 ・添田仁) 木村家文書 ( 御影、木村酒造) の整理 ・調査 一昨年末から引き続いて目録の作成を行い、仮 目録ができ、現在本目録を作成中である。 目録作 成過程で目にした内容については昨年の報告書に 略記。次年度には本 目録を完成させた く思ってい る。 目録に記載する内容等については、 史料番号、 原題 ( 原題だけでは分か りに くい場合は内容の説 明)、発給者、宛先、作成年月 日、史料の形態、 50
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