腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術における 希釈 Vasopressin を用

日エンドメトリオーシス会誌 2009;3
0:1
3
3−13
7
133
〔一般演題/手術3〕
腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術における
希釈 Vasopressin を用いた液性剥離法の有用性に関する検討
帝京大学ちば総合医療センター産婦人科
緒
五十嵐敏雄,重城
真智,中村
松本
圭介,矢部慎一郎,梁
由佳,中川
言
泰昭,落合
尚美
善光
易になって出血も少ない印象を受けたのだが,
最近,稲葉・佐伯・伊熊らによって報告され
健保連大阪中央病院のデータをみると手術時間
た新しい腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出
は平均9
9→9
4分,出血量は平均2
3→1
6ml と有
術,Vasopressin を用いた液性分離法〔1,
2〕は
意ではないが節約され,卵巣縫合の必要性が1
0
0
画期的で,実際に行ってみると従来の方法に比
→3
3%と有意に減少した〔1〕という程度であ
べて嚢腫壁の剥離操作が明らかに簡便になる印
り,実際には非常に有効であるのにデータに反
象をもつ.しかし,報告では卵巣縫合の必要性,
映されてないような印象を受けた.2
0
0
8年の報
嚢腫核出所要時間と凝固止血操作回数だけが有
告では,DVD の映像を解析して嚢腫核出所要
意に改善するとされる.そこで,正しく評価で
時間と凝固止血操作回数が,時間は7
4
5→5
8
4秒
きれば出血量に関しても有意な改善を確認でき
(2分4
0秒ほど)
,止血操作は1
2
4→5
8回と半分
るのではないか,当院のような研修施設でこそ
以下で有意に少なくなったとしているが〔2〕
,
有効なのではないか,卵巣予備能の改善も期待
やはりデータの違いはわずかであった.これは
できるのではないかと考え,出血量,手術時間,
同施設が国内トップクラスにある腹腔鏡下手術
卵巣予備能に関してその有用性を再検証した.
センター施設で,高い技術力を有するからこそ
従来の腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術
逆に Vasopressin 法の有効性に関して有意差が
は,チョコレート嚢胞と健常部分との境界が明
出にくいのではないかと考えられた.
瞭でなく剥離操作にある程度の経験,技術が必
バソプレシン Vasopressin は脳下垂体後葉か
要である.健常卵巣部分からの出血も多めで,
ら分泌される抗利尿ホルモンで,血管平滑筋収
結果的に凝固操作の回数が多くなり,健常卵巣
縮作用があるために子宮筋腫核出術での適応外
にダメージを与える可能性もある.一方,2
0
0
7
使用において術中出血量減少が期待される薬剤
∼2
0
0
8年に健保連大阪中央病院の稲葉・佐伯・
として広く用いられている.ただし,禁忌とし
伊熊らがエンドメトリオーシス研究会会誌に報
て気管支喘息,心不全,片頭痛,てんかんなど
告した新しい腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核
の病態があり,副作用としてショック,不整脈,
出術;Vasopressin を用いた液性分離法〔1,
2〕
心不全,血圧上昇,横紋筋融解なども報告され
は,従来法の問題点を軽減してくれる可能性が
ているので注意は必要であるものの,十分に希
ある大変有望な方法である.これは腹腔鏡下卵
釈したものを一定量使う限りにおいては比較的
巣チョコレート嚢胞核出術の際に2
0
0倍(0.
1U
安全な薬といえる.
/ml)の希釈バソプレシンを健常卵巣部分と嚢
当院でも Vasopressin 液性分離法を一昨年よ
腫壁の間隙に局注する方法で,実際に筆者らも
り導入したところ,スタッフ全員一致して出血
行ってみたところ従来法よりも格段に操作が容
が少なくなり,手術操作が格段に容易になった
134 五十嵐ほか
従来法
図1
Vasopressin 液性分離法
従来法と vasopressin 液性分離法を比較すると,剥離操作時の画面の色が
赤色から白色に変わり,出血が少なく,手術操作が容易になった印象が得
られた.
という印象をもった(図1)
.当院の手術方法
て推定術中出血量による評価も行った.
は,まず卵巣チョコレート嚢腫をダグラス窩や
また,卵巣健常部分に対する影響,いわゆる
広間膜後葉の癒着部位から剥がしてフリーに
卵巣予備能に対する手術の影響を評価するのに
し,途中で嚢腫を破いて内容液を吸引除去,内
排卵や月経周期の有無を確認する方法が広く行
腔を洗浄しておくようにしている.そして嚢腫
われてきたが,今回は手術前後の血液検査を行
壁の内腔側から2
2G の穿刺針を用いて皮下注射
って,血中エストラジオール値の変化をみるこ
をする要領で嚢腫壁直下に5
0∼1
0
0ml の希釈バ
とで評価することを試みた.
ソプレシンを局所注入して嚢腫壁を卵巣健常部
以下に Vasopressin 液性分離法の有用性を再
分から剥離する.嚢腫壁が全体的に十分に剥が
確認するために,当院(研修施設で通常の腹腔
れ,風船のように膨らんだ状態にしてから鉗子
鏡下手術センター施設レベル)での調査・検討
による従来の剥離操作を行っている.希釈バソ
を行った.
プレシンが足りない場合は生理食塩水を追加し
ている.
研究方法
2
0
0
8年3月から2
0
0
9年1まで当院で腹腔鏡下
当院は千葉県内でもっとも早くに腹腔鏡下手
卵巣チョコレート嚢胞摘出術を施行した症例
術を導入した病院で,現在も地域医療のセンタ
(N=2
3例,両 側1
0例,片 側1
3例)に 関 し て 手
ーとしてまた研修指定病院として日本産科婦人
術時間と出血量に加えて,承諾を得られた方で
科内視鏡学会の技術認定医の指導のもと,比較
は手術前後の血中 Hb 値,手術前後の血中エス
的若い医師が術者となって腹腔鏡下手術を多数
トラジオールと FSH 値も測定し,両側,片側
行っている.Vasopressin 液性分離法は当院の
手術別に検討した.コントロール群は2
0
0
7年1
ような研修指定病院でこそ有用なのでは?,当
月から2
0
0
8年2月まで従来法を行った2
1例(両
院で調査を行ったら有意に手術時間,出血量が
側8例,片側1
3例)とした.
改善してるのでは?,また卵巣健常部分にも優
しいのでは?と考えた.
しかし,一般に腹腔鏡下手術における出血量
は評価が難しく,出血が少し多めだったと思っ
ても「出血少量」として片付けられてしまうこ
ともある.そこで,手術前後に血液検査を行っ
て,血中ヘモグロビン値の変化から出血量を推
定する方法を考案し,従来の術中出血量に加え
腹腔鏡の場合,術中出血量の評価が難しいが,
概ね同じ内容の輸液をした場合,
手術前後の血中 Hb 値の推移
=(術前日の血中 Hb 値)−(術後1日の血
中 Hb 値)
と考えることができる.
一般に概ね Hb1=3
0
0ml といわれているの
で,
腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術における希釈 Vasopressin を用いた液性剥離法の有用性に関する検討 135
表1
患者背景(両側手術の場合)
Vasopressin 群
(N=1
0)
Control 群
(N=8)
年齢
3
3.
0±5.
3
3
0.
3±6.
5
ASRM−score
6
3.
7±1
6.
5
9
8±3
6.
6
Cyst − size
(cm)
CA1
2
5
6.
2±1.
8
6.
3±1.
4
9
2±1
0
0
8
5±8
9.
9
有意ではないが,Control 群はスコア高値例が多かった.
(分)
180
160
140
120
100
80
60
40
20
0
-20
平均手
術時間
Mann―Whitney―U P =0.013
Vasopressin(N=13) Control(N=13)
98±24*
117±27
(分)
図3 手術時間の比較(片側手術)
片側手術において,Vasopressin 群は有意に手
術時間が短かった.時間にして2
0分短縮できる
と考えられた.
表2
Vasopressin 群
(N=1
3)
年齢
(ml)
1000
患者背景(片側手術の場合)
Control 群
(N=1
3)
3
5±7.
1
Mann―Whitney―U P =0.26
800
3
3±5.
3
600
400
ASRM−score
3
9.
8±2
1.
0
3
8.
4±1
9.
8
Cyst − size
(cm)
CA1
2
5
5.
9±1.
2
5.
3±0.
9
3
4±2
4.
3
6
2.
5±4
2
有意ではないが,Control 群は CA1
2
5値が高かった.
200
0
-200
平均手
術時間
Vasopressin(N=10)
Control(N=8)
331±350
544±377
(ml)
図4 出血量の比較(両側手術)
両側手術ではカウントされた出血量に有意な差
はみられなかった.
(分)
240
Mann―Whitney―U P =0.15
220
(ml)
600
Mann―Whitney―U P =0.43
500
200
400
180
300
160
140
200
120
100
100
10
80
-100
Vasopressin(N=10) Control(N=8)
平均手
術時間
141±32
178±48
(分)
図2 手術時間の比較(両側手術)
両側手術では手術時間に有意な差はみられなか
った.
Vasopressin(N=13) Control(N=13)
平均手
術時間
60±99
81±139
(ml)
図5 出血量の比較(片側手術)
片側手術でもカウントされた出血量に差はみら
れなかった.
136 五十嵐ほか
5
4.5
200
4
13.5
3
2.5
2
1.5
1
0.5
0
150
100
50
Student's s t -test P =0.43
平均手
術時間
図6
Vasopressin(N=10) Control(N=8)
2.1±1.4
2.6±0.8
0
PRE
POST
図8 手術前後における血中 E2値の変化
(卵胞期 Vasopressin 群3例のみ)
卵胞期の場合,手術前後の血中 E2値は変化が
少なかった.
手術前後の血中 Hb 値の変化(両側手術)
両側手術では血中 Hb 値の推移に差はみられな
かった.
350
4.5
4
3.5
3
2.5
2
1.5
1
0.5
0
300
250
200
150
100
50
Students' s t ―test P =0.037
Vasopressin(N=13) Control(N=13)
平均手
術時間
2.4±1.0
1.7±0.8*
図7 手術前後の血中 Hb 値の変化(片側手術)
Vasopressin 群は有意に血中 Hb 値の変化が少な
かった.
Hb1=300ml と考えると3
00x0.
7=21
0ml 程度出
血が少ないと推定された.
0
PRE
POST
図9 手術前後における血中 E2値の変化
(黄体期 Vasopressin 群8例)
黄体期の場合,手術前後の血中 E2値は変化は
顕著だった.
Vasopressin 法でも手術操作による黄体への影
響が示唆された.
術中推定出血量(ml)
いてのみ有意に短縮され,2
0分以上節約できる
=(手術前後の血中 Hb 値の推移)×3
0
0ml
と考えられた(図2,3)
.
と簡易的に推定出血量を算出することができ
る.
従来の出血量に関する検討では,片側でも両
側でも有意な差はみられなかった(図4,5)
.
腹腔鏡では従来の出血量が術者のイメージと
新しい推定出血量に関する検討でも両側手術
異なることが多々あるが,この推定出血量はか
では有意な差はみられなかったが(図6)
,片
なりイメージどおりで,客観的な出血量の指標
側手術では Vasopressin 群で有意に血中 Hb 値
になるのではないかと自負している.
の変化が0.
7少ない結果となった.Hb1=3
0
0
成
績
調査は片側,両側手術別に行った.患者背景
に関しては両群に有意な違いはみられなかった
(表1,2)
.
手術時間に関する検討では片側の核出術にお
ml と考えると約2
0
0ml 節約できると類推され
た(図7)
.
卵巣予備能に関しては手術を行う時期が卵胞
期か黄体期かによって異なり,卵期では手術に
よる影響が少ない印象が得られた(図8,9)
.
腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核出術における希釈 Vasopressin を用いた液性剥離法の有用性に関する検討 137
考
察
今回,希釈 Vasopressin 液性剥離法は,実際
期に限定した調査でないと駄目で,症例を増や
す必要があると考えられた.
のイメージどおりに片側手術において少なくと
希釈 Vasopressin 液性剥離法は腹腔鏡下卵巣
も手術時間,推定出血量に関しては有効である
チョコレート嚢胞核出術において画期的な方法
と判断された.おそらく当院のような研修施設
で,少なくとも手術時間,出血量に関して従来
や一般の腹腔鏡センターでこそ,貢献度は大き
法の問題点を解消すると判断された.
いと考えられる.手術時間は片側手術で有意に
短縮され,2
0分以上節約できる.推定出血量も
片側手術で有意に少なく,2
0
0ml 程度少なくで
きる.両側の場合は,ダグラス窩の操作など他
因子も加わって,手術時間/出血量に対する影
響を直接評価できなくなると考えられた.
本法は,術中出血が少なくなることから凝固
操作が少なくなって卵巣予備能にも良いと予想
されたが,それを生化学的に評価するには卵胞
文
献
〔1〕稲葉不知之ほか.腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞
核出術における希釈バソプレシン局注の試み ADH
(antidiuretic hormone)Infusion Technique.エン
ドメトリオーシス研会誌 2
00
7;28:11
7−12
1
〔2〕佐伯 愛ほか.腹腔鏡下卵巣チョコレート嚢胞核
出術における希釈バソプレシン注入法(Vasopressin
Injection Technique ; VIT)本法と通常法とのラ
ンダム比較検討からの有用性について.エンドメ
トリオーシス研会誌 2
0
08;29:69−71