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上組小学校
15学級(457名)
〒940-1142
長岡市豊詰町227・宮内駅より1.5 km 徒歩
TEL0258(22)0959
FAX0258(22)0960
http://www.kome100.ne.jp/kamigumi-es/
E-mail [email protected]
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主な被害状況
(1) 校舎全体の鉄筋コンクリートの柱・壁に無数の亀裂、コンクリート片の落下
・特に被害の大きい南校舎は、せん断破壊により普通教室棟が危険となり使用不能
・仮設校舎ができるまで、図書室、理科室等の特別教室すべてを使用して学習
・グラウンドに8教室分の仮設校舎建設[12月24日完成、1月6日から授業]
(2) 校庭前の塀(大谷石)の倒壊約50m
(3)プール漏水
1日あたり3 ‰ ∼4 ‰
(4) 給食室大型冷凍冷蔵庫転倒し使用不能
(5)火焔土器等 縄文・弥生土器模型破損
(6) サッシガラス破損・サッシ落下8枚、戸棚のガラス破損 数か所
(7) 児童玄関ガラスブロックの破損 数か所
(8)トイレタイル剥離及び落下十数か所
(9) 蛍光灯(教室照明用)の器具落下15箇所(10)図書室の本棚が、すべて転倒
(11)中庭:地面の陥没:50㎝四方・深さ50㎝、幅数㎝の地割れ約15m
(12)中庭の池:水が全て漏水、石灯籠が倒壊 (13)水道管破裂1箇所、配水管破損3箇所
(14)校庭アスファルトの陥没・剥離多数
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(15)ステージ上大型額 金具が外れ宙づり
恐怖の瞬間
地震が発生したとき、職員室の自分の椅子に座っていた。翌日の「子ども芸術祭(文
化祭)」と一緒に行われるPTA関係の準備を終えて帰宅準備中だった。激しい揺れ
と停電、机と机がぶつかって倒れる音。机上や棚から何か重いものが落ちる音。ガラ
スの割れる音。一緒にいた数名の職員の悲鳴 。
「いったい何が起きたんだ!どれくら
いまで強く揺れるんだ!」と思いながら『机の下!机の下!!』と叫んで机の下にも
ぐるのが精一杯だった。机の下では「震源地は何処だ?震源地ではとんでもないこと
が起きているのではないか?家族は?子どもたちは?」などなど、いろいろなことが
頭をよぎった。小1で体験した40年前の新潟地震の恐怖が、鮮烈によみがえった。
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地震から学んだこと
(1)職員の学校・地域を思う心、子どもたちを思いやる心
・学校へ駆けつけ∼避難所開設∼炊き出し∼校舎内外の片づけ∼安否確認(家庭訪問)
大きな余震の後、一緒にいた4名の職員と外に出た。続々とグラウンドに避難して
くる地域の人々。そんな中、校長をはじめ、自宅も被害にあっているだろう数名の職
員が学校に駆けつけてきた。市職員の避難所開設の指示に、窓ガラスの割れた真っ暗
な体育館で、懐中電灯を持ちながらガラスの片づけ、モップがけを行った。
いつ終わるともつかない校舎内外の片づけ、続々と住民が避難してくる避難所の支
援、地震後2日目から合計9回実施(約3,200食)した炊き出しの運営、児童の安
否確認・家庭訪問、校区内の状況把握、通学路の安全点検、そして、学校再開に向け
た準備・・・。校長の指示のもと、職員が一丸になって献身的に働いていた姿を見る
たびに、職員の上組小学校を思う強い信念を感じることができた。
(2)よりよい環境で学習をさせたいと願う担任の思い(特別教室での授業∼仮設校舎へ)
1・2・5年生・ひまわり学級の計9学級が、図書室、音楽室、理科室、家庭科室、
図工室等での学校再開だった。2学級が一緒の学習、理科室・家庭科室などテーブル
での学習。慣れない環境での学習であったが、掲示の工夫、TT授業、グループ学習
など学習形態の工夫等、様々な取組が見られた。仮設校舎に移った今、落ち着いた環
境の中で子どもに学習させたいと願う担任の支援を続ける毎日である。
(3)子どもたちに勇気づけられた音楽発表会
地震の翌日に予定されていた子ども芸術祭での音楽発表会を学校再開5日目に開催
した。沈んでいる子どもの気持ちを少しでも和らげるため、保護者や地域の方々に頑
張っている子どもたちの姿を観ていただくために実施した。平日にもかかわらず、児
童数と同じくらいの保護者・地域の方で体育館は超満員になった。『子どもたちに元
気をもらいました』
『感激で涙が止まりませんでした』との声をたくさんいただいた。
震災後、1回しか練習していなかった児童も上手に演奏できた充実感と、大きな拍
手に満足の笑顔が絶えなかった 。
「子どもは地域の宝」を実感したひとときだった。
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おわりに
震災の対応は、まだまだ終わりではない。校舎の補修工事・仮設校舎の不具合への対
応。工事終了後の仮設校舎からの引っ越し。震災で傷ついた子どもの心の継続的なケア。
蓄積しているであろう職員の心と体の疲労に対する見とりと配慮。課題は山積みである。
また、阪神淡路大震災後に作成された地震防災計画の見直しを行った。ある程度、机
上の計画であった防災計画が、組織が力を結集し機能する組織になっているか、実際の
震災を通して、より具体的で機能する防災計画に見直すことができた。
しかし、今、心に強く願うことは、「二度とこのような震災が起きて欲しくない。」と
いう気持ちでいっぱいである。
(文責:大原 貞雄)
地震関連写真
物品が散乱した職員室
本棚が倒れた図書室
自衛隊設営のテント
建設中の仮設校舎
倒壊した大谷石の塀
元気をもらった音楽発表会