高強度弁ばね用オイルテンパー線の開発

自 動 車
高強度弁ばね用オイルテンパー線の開発
藤 野 善 郎・塩 飽 孝 至・山 尾 憲 人
河 部 望・村 井 照 幸
0.1µm
Development of High-strength Oil-tempered Wire for Valve Springs ─ by Yoshiro Fujino, Takayuki Shiwaku, Norihito
Yamao, Nozomu Kawabe and Teruyuki Murai ─ Valve spring is one of the car engine components that requires a
very high degree of fatigue strength and heat resistance. With recent trend toward lighter cars and smaller engines,
oil tempered wire used for valve springs is demended to have smaller diameter and higher strength. In practical use
conditions, fatigue fractures are usually observed near the surfaces of the springs because the stress loaded to a
spring is the highest at the surface. Therefore, it is general to apply nitriding treatment during the manufacture of
springs. However, nitriding treatment causes the internal strength of the spring to decrease, resulting into fatigue
fracture. The other problem is that high strengthening of oil tempered wire causes its toughness to deteriorate,
impeding the mass production of valve springs. In order to avoid these problems, the authors developed a highstrength oil-tempered wire that features excellent heat resistance and toughness.
1.
背 景
自動車エンジンに用いられる弁ばねは最も厳しい耐久性
疲労破壊
起点
窒化層
と耐へたり性を要求される自動車部品のひとつである。近
年、自動車の軽量化、エンジンの省スペース化に伴い、弁
ばねに用いられるオイルテンパー線は細径化とともに高強
負荷応力
硬さ
度化が要求されている。弁ばねに用いられる鋼線には、
SiCr 鋼オイルテンパー線が一般的に用いられてきたが、高
強度化の要求に応じて、これまで SiCr 鋼から C を高めた高
実質応力
C-SiCr 鋼、さらに V を添加した V 添加高 C-SiCr 鋼、さらに
Si を高めた高 Si 鋼オイルテンパー線を開発してきた(1)、(2)。
当社ではこれらの耐熱性と耐久性を大きく上回る弁ばね用
残留応力
新鋼種を開発したので、その特性について報告する。
2.
表面
開発コンセプト
→内部
図2
ばねの実用条件ではばね表面に最も高い負荷応力がかか
ばねの内部応力状態
るため、疲労破壊はばね表面近傍で起こることが多い。そ
のため窒化処理により表面硬度を上げ、さらにショット
そこで新鋼種の開発において①窒化性(表面硬度)の向上、
ピーニング(SP)により表面に圧縮残留応力を与え、実質
②耐熱性の向上、③靭性を確保することを目標として合金
応力を低減させる製造方法が一般的である(図 1)。しかし、
設計を行った。
一方でばね内部は窒化処理の際に硬さが低下してしまい疲
労破壊の起点となること(図 2)、また高強度化することに
よって靭性が低下し量産性を阻害するという問題がある。
3.
開発材成分
材料成分を表 1 に示す。高 Si 鋼オイルテンパー線(以下、
従来鋼と記載)に対して窒化性を向上させるために Cr、V
コインリング 低温焼鈍 端面研削 窒化処理
図1
SP
低温焼鈍
ばね製造工程
−( 68 )− 高強度弁ばね用オイルテンパー線の開発
セッチング
を増量した。また耐熱性を向上させるために前述の Cr、V
に加え Si を増量さらに Co を添加した。Si、Co は固溶強化
により、Cr、V は析出強化により耐熱性を向上させる。Cr
表1
化学成分
表2
(mass %)
OT 後の引張特性
鋼 種
C
Si
Mn
Cr
V
Co
鋼 種
TS(MPa)
RA(%)
開発鋼
0.64
2.2
0.55
1.2
0.15
0.2
開発鋼
2254
50.2
従来鋼
0.64
2.0
0.8
0.7
0.10
−
従来鋼
2145
53.2
は焼戻し工程においてフェライト中よりも炭化物中に分配
MPa と大きくなっている。図 5 に降伏応力を示す。降伏応
されやすい性質があり、一方でその拡散速度が小さいため
力についてもいずれの加熱温度においても開発鋼のほうが
に炭化物の粗大化を抑制(3)、(4)、また V はオーステナイト
高い値を示した。
結晶粒を微細化する効果がある。さらに量産性を考慮し、
図 6 に絞りを示す。OT 後と、350 ℃、400 ℃、及び、
Mn を減量することでパテンチング性、靭性(加工性)を
420 ℃テンパー後では開発鋼は従来鋼に比べて低い値を示
確保した。
すが、450 ℃以上では開発鋼のほうが高い値を示した。
4.
評価方法
2400
評価方法を図 3 に示す。6.0mmφ線材を 3.0mmφまで伸線
2300
加工、焼入れ焼戻し(OT)を行った。耐熱性を評価するた
め、ばね加工後の歪取り焼鈍を想定して 350、400、420、
た。従来は焼入れ焼戻し後に試験を実施していたが、今回
●
●
2100
TS (MPa)
次に、中村式回転曲げ疲労試験により疲労特性を評価し
●
●
2200
450、475、500 ℃× 20 分で、また窒化処理を想定して 420、
450、475 ℃× 2 時間で加熱した後、引張試験を行った。
●
●
●
●
●
●
2000
●
●
1900
は窒化処理を想定して 450 ℃× 2 時間でテンパーを行った
後、試料の表面状態を統一するためにショットピーニング
●
1800
●
を行い、さらに歪取りの低温焼鈍(230 ℃× 30 分)を行っ
1700
た後、疲労試験を実施した。
材料組織観察については、旧オーステナイト結晶粒の観
1600
察と、窒化相当熱処理を行った後の炭化物を TEM により
図4
OT
テンパー
開発鋼
●
従来鋼
as OT
350 400 450 500 550
テンパー温度(℃)(×20分)
観察し、炭化物サイズを画像処理を用いて測定した。
伸線
(3.0φ)
●
テンパー温度と引張強さの関係
引張特性評価
2200
●
2100
SP テンパー 疲労特性評価
●
●
図3
2000
評価方法
5.
YS (MPa)
1900
評価結果
5−1
OT 後の引張特性
開発鋼と従来鋼の焼入れ
焼戻し後の引張特性を表 2 に示す。開発鋼の引張強さは
2254 MPa であり従来鋼よりも約 100MPa 強度アップした。
一方で絞りは従来鋼と同等の値を示している。
5−2
テンパー特性
20 分加熱後の引張強さを図 4
●
●
●
●
●
1700
に示す。開発鋼はいずれの温度においても従来鋼に比べて
●
●
●
1600
1400
●
●
1800
1500
●
●
開発鋼
●
従来鋼
as OT
350 400 450 500 550
テンパー温度(℃)(×20分)
高い値を示した。また、従来鋼のほうがテンパー後の引張
強さの低下量が大きく、450 ℃加熱後では両者の差は 150
図5
テンパー温度と降伏応力の関係
2 0 0 6 年 7 月 ・ SEI テクニカルレビュー ・ 第 16 9 号 −( 69 )−
2200
70
2100
60
●
●
●
●
●
●● ●
●
YS(MPa)
RA(%)
50
●
2000
●
●
● ●
40
●
30
1900
●
●
●
1800
●
●
1700
●
1600
20
●
1500
10
0
●
開発鋼
●
従来鋼
as OT
1600
1400
●
開発鋼
●
従来鋼
as OT
350 400 450 500 550
400
450
500
テンパー温度(℃)(×2時間)
テンパー温度(℃)(×20分)
図8
図6
70
次に 2 時間加熱後の結果を図 7 ∼ 9 に示す。引張強さ、
降伏応力はいずれの温度においても開発鋼のほうが従来鋼
60
に比べて高い値を示した。さらに降伏応力は 20 分加熱より
も両者の差は大きい傾向が認められた。絞りは従来鋼とほ
●
50
ぼ同じ値を示した。
窒化特性
焼入れ焼戻し後、450 ℃× 2 時間で
RA (%)
5−3
テンパー温度と降伏応力の関係
テンパー温度と絞りの関係
ワイヤーに窒化処理を行った後の硬度分布を図 10 に示す。
●
●
●
●
40
●
●
開発鋼の表層から 20μm での表面硬度は 770HV となり従来
30
鋼よりも高い値を示した。また疲労破壊起点になりやすい
200 ∼ 300μm での内部硬度においても従来鋼よりも高い値
20
を示した。
5−4
疲労特性
中村式回転曲げ疲労試験結果を図
0
●
開発鋼
●
従来鋼
as OT
11 に示す。開発鋼の疲労限は 1030MPa となり、従来鋼に
400
450
500
テンパー温度(℃)(×2時間)
対して疲労限の向上が認められた。
図9
テンパー温度と絞りの関係
2400
2300
●
800
●
●
2100
750
●
2000
●
硬 度(HV)
TS(MPa)
2200
●
●
1900
●
1800
1500
● ●●
●
●
●
●
開発鋼
●
従来鋼
●
550
●
●
●
500
as OT
400
450
500
0
テンパー温度と引張強さの関係
−( 70 )− 高強度弁ばね用オイルテンパー線の開発
50 100 150 200 250 300 350 400 450 500
表面からの深さ(μm)
テンパー温度(℃)(×2時間)
図7
従来鋼
650
1700
1600
開発鋼
●
●
700
600
●
●
図 10
窒化後の硬度分布(450 ℃× 2 時間)
&
●
$
●
振幅応力(MPa)
"
●
→1
●
→4
●
→2
●
●
●
● →1
'&
●
● →4
'$
● →1
'"
' 写真 3
'
"
#
$
開発鋼(OT 後)
写真 4
従来鋼(OT 後)
%
回転数(回)
図 11
中村式回転曲げ疲労試験結果
以上の結果より、窒化性、耐熱性、疲労特性ともに従来
鋼よりも向上していることが確認できた。
6.
材料組織観察
6−1
旧γ結晶粒径
従来鋼と開発鋼の旧γ結晶粒
径を写真 1、2 に示す。同条件で熱処理を行った結果、従
来鋼の平均粒径 10.5μm に対して開発鋼の粒径は 4.6μm で
あり、旧γ粒径が微細化している。これは Cr や V を増量に
写真 5 開発鋼(450 ℃× 2 時間)
写真 6 従来鋼(450 ℃× 2 時間)
よる結晶粒粗大化抑制効果により結晶粒が微細化したもの
と考えられる。
加熱後で比較すると、両者とも OT 後の針状から球状の炭
化物に変化していることがわかる。また炭化物サイズに注
目すると開発鋼の炭化物は従来鋼のものよりも微細化して
いることがわかる。炭化物サイズを画像処理によって測定
し、ヒストグラムで表した結果を図 12 に示す。開発鋼の
炭化物平均サイズは 20.8nm であり従来鋼の 27.8nm に比べ
て炭化物径が約 2/3 に微細化していることがわかる。
次に EDX により炭化物組成を分析した結果を表 3 に示
す。開発鋼の炭化物中の Cr 濃度は従来鋼よりも高く、Cr
が濃化していることがわかる。これらの結果より Cr の拡散
律速により炭化物の成長が抑制され炭化物が微細化された
10µm
写真 1
10µm
従来鋼のγ結晶粒
写真 2
ものと考える。
開発鋼のγ結晶粒
7.
結 言
新たに合金設計を行った開発鋼は、耐熱性、窒化性、お
6−2
炭化物形態観察
開発鋼と従来鋼の TEM 組織
よび疲労特性において従来鋼を上回る特性を有することが
確認できた。また、従来鋼と同等の絞り値であることから
観察結果を写真 3 ∼ 6 に示す。
まず、OT 後の比較では、炭化物はいずれも針状をして
おり両者に差は認められなかった。さらに 450 ℃× 2 時間
同等の加工性を有している。今後、自動車用弁ばねやク
ラッチ用ばねとして幅広く使用されることが期待される。
2 0 0 6 年 7 月 ・ SEI テクニカルレビュー ・ 第 16 9 号 −( 71 )−
&
表3
従来鋼
N数=105
Fe
0.7
2.8
96.5
0.6
3.2
96.2
0.8
3.6
95.6
0.4
2.8
96.8
0.6
2.0
97.4
0.9
2.2
96.9
0.6
1.4
98.0
0.5
1.5
98.0
0.9
1.8
97.3
0.4
1.9
97.7
平均:27.8nm
#
個 数
(wt %)
Cr
$
開発鋼
"
!
!
"
#
$
%
従来鋼
炭化物径(nm)
&
%
個 数
炭化物組成
V
%
サンプル
開発鋼
参 考 文 献
N数=144
平均:20.8nm
(1)H.Izumida,Wire Journal International,Vol.Number 36(April 2003)
$
(2)河部望、
「SEI テクニカルレビュー」、第 159 号、
(2001 年 9 月)
#
(3)A.Hultgren and K. Kuo : Mem. Sci. Rev. Met., 50(1953), 847
"
(4)T.Sakuma, N.Watanabe and Nishizawa : Trans. JIM, 21
(1980)
,159
!
執 筆 者 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
*
藤 野 善 郎:エレクトロニクス・材料研究所 金属無機材料技術研究部 主査
!
"
#
$
炭化物径(nm)
図 12
炭化物サイズ比較
%
塩 飽 孝 至:住友電工スチールワイヤー㈱ 精密ワイヤー部 主査
山 尾 憲 人:住友電工スチールワイヤー㈱ 精密ワイヤー部 グループ長
河 部 望:エレクトロニクス・材料研究所 金属無機材料技術研究部 主幹
村 井 照 幸:住友電工スチールワイヤー㈱ 精密ワイヤー部 技師長
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------*主執筆者
−( 72 )− 高強度弁ばね用オイルテンパー線の開発