松野 良一 教授 - 中央大学

教 授
知らない人に会いに行って
話を聞かせてもらう。
たったそれだけのことなのに
「取材」という方法には
学生を成長させる
「私がマスコミで働いていたときに
地域の話題を発掘する
ケーブルテレビの番組
「多摩探検隊」
取材という手法をつかってとびこみ、
なかなか取材には来ません。だった
松野先生のゼミでは、学生たちは 「多摩地区には面白いネタがたくさん
大学のキャンパスから一般の社会へ、 あるのに、東京のキー局は遠いので
うと思ったのです」
らそれを学生の手で掘り起こそうと。
単なる記録ビデオです。そこで大事
するオペレーション。それだけだと
が必要です。ひとつはカメラで撮影
「テレビ番組をつくるには二つの技能
かつてマスコミの第一線で活躍した教授が指導する
徹底したフィールドワークで有名な松野ゼミ。
学生たちはカメラをもってせっせと取材にでかけ、
つまずいたり、
怒られたり、
喜ばれたり…。
地域の人々の暮らしを訪ね歩いては
涙と笑いの感動の物語を今日もお茶の間に届けている。
ジャーナリズムの実践と理論を学べるゼミ、
必見。
は、記者やディレクターというのは、
さまざまな人々に出会い、その物語
日野のトマト農家をとりあげたとき
なのがディレクション。構成をどう
何かがある。
会社に就職してから現場でトレーニ
を 映 像 や 活 字 と し て 表 現 し て い く。
は、地産地消というブームもあって、
するか、展開をどうするかという技
ラー番組だ。
で見て、さらに構成表をたてて、そ
れから編集をはじめる。単純なんで
撮影したフィルム」
。その中に焼け野
学生という若い世代の視点からの
番組づくり、それは視聴者にとって
ないのです」
さんが、はじめは怖がっていたのに、
の中で、企画力、交渉力、構成力、協
です。番組を皆で作っていくプロセス
能力開発プログラムになっていること
「大事なことは、番組制作そのものが
生たち自身の手でできていく。
に伝えていって、今ではほとんどが学
指示していたが、だんだん先輩が後輩
かしい。最初は松野先生があれこれと
ケージ化された番組にするのはむず
は取材にいったことで、終戦後一ヶ
を、家族が覚えていたのです。学生
い…』と言って笑っていたというの
が、
『スターの女優さんになったみた
「女性はすでに亡くなっていたのです
出かけて行く。
き止めるために、学生たちは取材に
その微笑みとは何なのか、それを突
と 笑 う、 と い う シ ー ン を 見 つ け る。
途中でカメラマンに向かってニコっ
原の井戸水で茶碗を洗っているおば
パソコンにいれて動画や音を操作
するのは誰でもできるが、 分のパッ
調性、コミュニケーション能力、自己
月でも日本人は笑うことができたと
いうことに、今さらながらに気がつ
く。 暮 ら し は 大 変 だ っ た け れ ど も、
終戦の喜びがそこに表れていた、そ
れがドキュメンタリーになるわけ
です」
学生が地域で出会い、形にしてき
たさまざまな素材。これまでの6年
家・吉川英治が「武士道」を説いて
カ兵の遺体に石を投げるのを見て作
またある学生は青梅の商店街でふ
と「かつて青梅山中でB29が墜落
間には、松野先生も感動するような
村人が供養したという逸話につなが
した話」を耳にする。それはアメリ
たくさんのドラマがあった。
カ軍との間で合同慰霊祭が行われる
り、それを知った横田基地のアメリ
たとえば「終戦直後の1945年
9月に進駐して来た米軍が八王子で
取材で出会った
たくさんの感動の物語が
ドキュメンタリーになった
なっています」
効力感などが育成されていく仕組みに
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すが、これがなかなか簡単にはいか
10
も、またプロのケーブルテレビのス
しかし素人の学生たちが、はじめか
らうまく取材ができたのだろうか。
タッフにとっても、新鮮でよい刺激
ングを受けないとできない、という
つまりメディアのプロセスそのもの
多数の問い合わせがきました。これ
術です。企画をたてて、取材項目を
組は、学生たちが多摩地区の話題を
仕事だったのです。ところがデジタ
を、体験から学ぶゼミなのである。
だけ長く続いている学生制作の番組
たてて映像をとりにいって、ラッシュ
とを試しにやってみて、メディア表
ル機器の発達によって、今ではノン
は、全国でもここだけではないかな」
になっているという。
プロの学生でもカメラや編集機を簡
これまでにいくつものプロジェクト
が進行しているが、筆頭は2004年
1979年九州大学教育学部
(心理学)卒業。筑波大学大学院教育研究科修士課程修了。中央大学大学院総
合政策研究科博士後期課程修了。博士
(総合政策)
。職歴は、1982年朝日新聞社入社、社会部司法担当な
どの記者を経て、1992年 TBS
(東京放送)に入社。報道番組のディレクター、プロデューサーというキャリアをもつ。1996年〜 1997年ハー
バード大学客員研究員
(フルブライト留学)
、2003年より中央大学総合政策学部助教授、2005年より教授。担当科目は映像メディア論、メディ
アリテラシーなど。研究テーマは、デジタル時代のジャーナリズム、映像制作と能力開発など。
取材して歩くという、 分間のレギュ
単に扱えるようになった。それなら
5月からはじめた「多摩探検隊」
。
松野良一(まつの りょういち)
現と能力開発の理論化をやってみよ
実際に自分でつくってみて、これま
から能動的な発信者になるというこ
での新聞やテレビの受動的な視聴者
映像メディア論、
メディアリテラシー、
FLPジャーナリズムプログラム
立川市や多摩市をはじめ全国八局
のケーブルテレビで放映中のこの番
松 野 良 一
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総 合 政 策 学 部
地域で学べるのは
コミュニケーション能力と
自分への信頼
学生が取材にでかけていく地域に
は小学生からお年寄りまでいろんな
人がいて、なかには頑固な職人さん
やうるさい大人もいる。茶髪で敬語
を使えない学生が取材にいくと、と
きには怒鳴られることもある。
「けれどもそれを何回も繰り返すと、
礼儀正しくなり、言葉遣いが変わり、
敬語が使えるようになる。取材の段
取りがうまくなり、知らない人とも
アメリカの新聞に掲載されると、な
ことになり、さらにそのニュースが
「多摩探検隊」のほかにも松野ゼミ
が挑戦しているのは、東急沿線のC
ですが」
力が養われるし、子どもにはメディ
「学生はプロデューサーとしての能
材活動はとても有効なトレーニング
だから、それを養う手段として、取
今、社会に出てもっとも求められ
ているのはコミュニケーション能力。
コミュニケーションができるように
んと当時の生き残りの米兵から手紙
ATV「イッツコム」の「にっぽん
アリテラシーが育つ。子どもたちは、
なるのです」
が届くという、信じられないような
列島おもしろ探検隊」
。こちらは脚本
になる、と松野先生は強調する。
で、大人が答えられなかったりする
実践研究を行っている。
展開になった。
現場で思いがけない質問をするの
トークの 分番組だ。
「 完 成 さ れ た も の を 外 に 出 し て、 そ
さらにその先には頭だけでなくて五
感をつかって、自分が受けたものを映
また、取材記事が簡単にブログに
できるソフトをつかった小中学生向
さまざまなプロジェクトの詳細と
学生たちのつくった映像は、中央大
の評価はよくても悪くても自分が受
えることができたと、自信がみなぎ
学生ながら社会に少しでも影響を与
ジャーナリズムのセンスは、1人
の地球市民として、誰にとっても大
効果につながる可能性もある」
け る。 そ れ を 2、3 回 繰 り 返 す と、
と、みんなで大爆笑になります」
映像祭奨励賞という賞を受賞しまし
け「新聞ブログ」の普及や、学生が
学「松野良一研究室のサイト」から
テレビ業界では有名な『地方の時代』
た。ジャーナリズムは精神活動です
指導した小中学生たちがそれぞれの
見ることができる。
る。ゼミではほとんど前にでて話せ
事な教養のひとつなのだ。
になります」
もちろん実践だけでもだめで、実
践から理論構築のために、データ収
集して統計解析や質的解析もこなす。
理論と実践を行ったり来たり、それ
大事。そうしたコンセプトや仕掛けで
会にもたらすか、それを考えることが
の生活に役に立ち、どんな幸福を社
えない。その商品がどういう風に人々
強していないと、単に売ることしか考
を売るとしても、ジャーナリズムを勉
カーに就職して自分が担当したもの
な職業についても重要でしょう。メー
疑問に思って調べてみることは、どん
かどうしたら問題解決できるのか、と
われているのか、なぜ紛争が起きるの
「自分たちの払った税金がちゃんと使
松野ゼミの学生は、難関のマスコ
ミ業界への就職を果たす人が多い。
融合なのだ、という。
を聞く、それがジャーナリズムの基
いたなら、その人に会いに行って話
そこからはじめればいい。興味を抱
係を書いて 、最後に気持ちを書く 、
に書いてしまう。体験で得た事実関
に行けば、小学生でもあっという間
ずかしいけれど、誰かにインタビュー
「新聞ブログ」をやって気がついた
のは、ただ作文を書けといってもむ
ことでも、建築でも映像でもいい。
アートでも芋掘りでも生物を育てる
い か ら も っ と 増 や し た ほ う が い い。
に自分を表現する科目をなんでもい
校では、生徒たちがクリエイティブ
んどん詰め込もうとしても、子どもた
これは小中学校にもいえることだ
けど、教員が一方向的に知識だけをど
あれば、それ自体がニュースになった
本です。
ちはただ苦しいだけだと私は思う。学
りして、ブランドイメージを高める
がジャーナリズムとアカデミズムの
高校生の皆さんへ
なかった学生がちゃんと話せるよう
像や活字で表現していく作業がある。
から学生にも可能だということ。も
地元を紹介するという「子ども放送
メンタリーにしたのです。その映像は
の勉強になるというバラエティと
局」も、東京4ヵ所、福井1ヵ所で
「戦争を生きた先輩たち」
中央大学から学徒出陣して生き残った方たちの体験を学生が取材。
長い間、家族にも語られなかった物語や、60年たってもまだ戦争が
終わっていないという先輩の人生が、後輩の学生へと引き継がれる。
現在、2巻が刊行されている。
「その経過をずっと追いかけてドキュ
『市民メディア論』ナカニシヤ出版
『市民メディア活動』中大出版部 松野良一著
松野研究室が開発した新聞ブログ(2007 年度グッドデザイン賞受賞)プロジェクトで、
全国 14 都道府県 15 小学校をゼミ生たちが回りメディア表現教育を行った(京都府長岡京市内の小学校で)。
ちろん教育としてのフォローは必要
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松野良一ゼミが制作する
「にっぽん列島おもしろ探検隊」
(イッツコム
で放送中)の打ち合わせ風景。