140号 - 麗澤会

可能性は無限大
めざすはロンドン
な く な っ た。 す ぐ に 手 術 を す
傍 ら、 車 い
すテニスの
普及を目標
り
(2009 年 プ ロ 転 向 )、 在
卒業後は職員として麗澤に残
ト外でも
戦心はコー
の不屈の挑
念 願 の チ ャ ン ピ オ ン に 輝 い た。 ジ ム で の
的 責 任 の 国 際 規 格 ISO
に「環境の美化、
保全に努めること」がありま
葉 を 手 に し て 確 認 し、 続 い て
を 確 か め、 か が み こ ん で そ の
わがキャンパスの自然に魅せ
笑 み を 絶 や さ ず、 心 の 底 か ら
し た。 み な さ ん、 ず っ と
感しようとする人もいま
でも活用したこのマップを利
作 成 さ れ ま し た。 今 回 の 案 内
な樹木名を記載したマップが
本を確認しながら園内
大
勝
山
東 日 本 大 震 災 から ま も
な く 年 を 迎 えよ う として
年でも あった。
数 年 ぶ りの 思 わ ぬつな が
達になり ませんか」と誘 われ
を 求 めてほしい。私 も「 お 友
て 新 た なつな が り・ひろが り
介している。ぜひチャレンジし
て今 回「フェイスブック 」を 紹
が り を 深 める 方 法の一つとし
思い起こしてほしい▼絆・つな
る。ぜひ麗 澤の絆・つながり を
末 広がりのネットワークも あ
達の友 達 は、
みな 友 達 という
絆 が あ る 。これ 以 外 に も 友
に わ たる 血 縁 者 な ど 様々な
兄 弟 姉 妹や 中には三代・四代
して一番つながりの深い親 子・
趣 味 を 同 じ く す る 仲 間 。そ
域 仲 間 。テニスやゴルフなどの
場 仲 間 。同 じ 町 内に 住 む 地
ルの仲 間 。仕 事でつながる 職
の仲 間。部 活 動やゼミ・サーク
て 周 り を 観てみよ う▼同 期
じ 麗 澤 教 育 を 受 け た 者 とし
り 返ってはいか が だろ う 。同
ている 私 た ち だが、静 かに 振
り 意 識 せ ず に日々を 過 ごし
澤の人 がいるだろう か。あ ま
な たの 傍 に は ど れ だ けの 麗
やつながり を 考 えてみた▼あ
そこで 会 報では「 麗 澤 」の絆
求められた
「 絆 」や「つな が り 」が 強 く
いる。改 めて日 本 人 としての
1
に精力的に
活動を続
籍 中 の 2008 年、 麗 澤 関 係
発 揮 さ れ、
つ な が る・ ひ ろ が る
麗澤会ファンページ
ける国枝
者も多数応援にかけつけた北
2010 年
年にわたる
グ の す え、
て、 と も す る と 意 識 の 外 に お
で 触 れ、 カ イ ノ キ の 実 を 手 に
いでした。
代の目の不自由な人
つの課題
2 6 0 0 0、 そ の
のうちの第
と っ て 指 先 で な で、 匂 い を か
ぎ、 中 に は そ の 幹 に 抱 き
名 ほ ど と、 そ れ ぞ れ に
付き添うボランティアの人た
つくようにして太さを実
す。 そ れ に 合 わ せ て、 園 内 を
今後も積極的に保護育成に努
め る べ き「 保 護 樹 林 」 と、 そ
れに囲まれるようにして存在
す る「 景 観 樹 林 」「 利 用 樹 林 」
「公園広場」等のゾーンに区
分 け し、 そ の 上 で、 校 舎 等 の
黄色く色づいたカリンの実に
用 し て、 み な さ ん に も、 そ の
本
種の代表的
手 を 触 れ、 形 状 を 確 認 し、 芳
ら れ て、 堪 能 し て お ら れ る 姿
建物周辺やキャンパスの中央
香 を 楽 し み、 ひ と 時 の 後、 今
に、 案 内 役 の 私 の 方 こ そ、 心
部に点在する約
度は名木メグスリノキへと移
温 ま る 思 い を 頂 戴 し ま し た。 を 散 策 す る 機 会 を 持 っ て い た
だきたい、そう念願します。
1
さ ん。 そ
京パラリンピックの決勝の舞
に は、 脊 髄
そ の 圧 倒 的 な 強 さ は「 車 い す
トレーニン
さ
台 で、 み ご と 前 大 会 覇 者 の ロ
る、そのハードさに目をみはっ
テニスに革命をもたらした」と
まさに世界で活躍する麗澤健
ん
た。 よ き コ ー チ と の 出 会 い に
も評された。
行 に も 成 功。 そ の 模 様 は テ レ
児、 わ れ ら が 国 枝 選 手 の 活 躍
ビン・アマラーン選手を破り、 損傷者専門
後 押 し さ れ、 競 技 に の め り こ
現 在 は 2012 年 夏 の ロ ン
ビ で も 放 映 さ れ、 自 分 の 可 能
説 明 し ま し た が、 み な さ ん は
賞 賛 と 感 動 の 声 が 寄 せ ら れ た。
んだ。
中 学 卒 業 後、 そ の 校 舎 設 備
ドンパラリンピックの連覇を
年ぶりの自力歩
と雰囲気に魅せられて麗澤高
性を信じて挑戦し続ける姿に、 に大いに期待したい。
C 車 い す テ ニ ス ツ ア ー」で 単
月末のこ
めざし技と心に磨きをかける
以 後、 車 い す 生 活 を 余 儀 な く
るも、脊髄腫瘍の進行により、 校 へ 進 学。
昨年
年 生 時 に「 N E
ム 王 者、 シ ン グ ル ス 100 連
複ともに優勝するなど頭角を
せきず い
勝 な ど、 記 録 を 次 々 塗 り 替 え
さ れ る。 大 好 き な 野 球 が も う
ク ル・ い な ほ の 会 」 葉 に 鼻 を 近 づ け、 そ の 名 の 由
麗沢大学が日本の大学で
る 車 い す テ ニ ス プ レ ー ヤ ー・
来と効能に強い関心を示され
は初めて活用宣言した社会
そ れ よ り も、 先 ず 幹 に 触 れ、 い て し ま っ て い る 麗 澤 の 森 の
た の が 印 象 に 残 り ま し た。 そ
と、柏市の「点字サー
本格的に国際大会にも出場し
の人たちを学園にお
の後もマンリョウの実に指先
で き な い ──。 ふ さ ぎ こ み、 現し、麗澤大学に進んでから、
テレビゲームに没頭する息子
始 め る。 ポ ー ラ ン ド で の 国 別
迎えする機会があり
恵みに改めて目を開かれる思
を 案 じ て、 ご 両 親 が 勧 め た の
ま し た。
年前にさか
の ぼ る。 少 年 野 球 に 汗 を 流 す
対 抗 戦「 ワ ー ル ド チ ー ム カ ッ
代から
プ」ではシングルス全勝で日本
初 め て 見 た 練 習 風 景。 車 輪
初 優 勝 に 貢 献 し、 名 実 と も に
年 生 の 時。
しばらく近所の病院に通うも、 を 繰 り な が ら コ ー ト を 縦 横 無
国 内 ト ッ プ 選 手 に 躍 進。 大 学
めたのは小学校
尽 に 動 き、 ボ ー ル を 追 い 続 け
名ほどのご
ち と、 合 わ せ て
受付センターで簡単な挨拶
一行でした。
を 交 わ し た あ と、 早 速、 し か
し ゆ っ く り と し た 足 取 り で、
まずは記念講堂下の大イチョ
ウが黄色い葉を一面に散り敷
い て い る 歩 道 に 向 い ま し た。
4
動 し ま し た。 枝 の 先 端 を 紅 く
みなさんそれぞれに足で落葉
麗澤の森に肌で触れる
ま り は、 今 か ら
麗澤高校・大学時代の 7 年間で、困難に負けない心の強さと、何よ
り支えてくれる人への感謝の心を学んだという国枝さん。2011 年秋
には麗大の同級生だった愛さんと結婚。二人三脚でさらなる世界の高
みをめざして挑戦中。
が車いすテニスだった。
国枝慎吾さんの競技人生の始
史上初の年間グランドスラ
連覇
車いすテニス 北京五輪金メダリスト
facebook
国枝慎吾
61期 高大
国枝さんが腰に痛みを感じ始
たち
1
17
私 自 身、 慣 れ っ こ に な っ て い
田中駿平(19 期 高短)
5
60
つの
り を 楽しんでいる▼さて母 校
ことを考 えたい。
住 まいする友 との絆を深める
ながら、近 くにそして遠 くに
の 緑 豊 か な 母 校 を 思い出 し
私 たちに示 し 続 けている。こ
う が 、自 然 と 共 存 す る 姿 を
に〝 山 〟がつく 。坂の角 度は違
「大勝山」
「 屏 風 山 」と、とも
思い出の地がある。
コラムには
に は 柏 と 瑞 浪 という
2
11
2
OPEN
80
17
4
あ る 朝、 両 足 が ま っ た く 動 か
140号 THE REITAKU
60
40
染め始めていることは口頭で
1
10
20
2012 年(平成 24 年)1 月 15 日発行
麗澤会報
第
3
1
れいたく
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
1
人中
人がこの教育にお世
歳まで父が勤務して
歳に
なった息子と温かい時間を過ご
られた柏のキャンパスで
柏へ帰省した際には、四季に彩
─── 道 徳 教 育 で 孝 心 を 育 む
も
私は、
話になりました。
曽祖父・松浦熊次
過ごしました。物心ついてから
大学時代まで柏のキャンパスで
れたキャンパス内で、その後は
校生活を通し人間の本末をわき
徳教育と精神の修養、つまり学
麗 澤 の 魅 力 は、 学 生 時 代 に 道
年を積み、代を累ねて、より
深まるこの教え
とのつながりを
大 切 に し、 こ れ
からも学び続け
◇住所不明者について
現在 、000名
会員の住所不明者は、
ほどです。
麗大麗澤会( 、270名)
、
内訳は、
瑞)
高)
、田岡啓子
(
専)
、皆川剛
(
大)
高)
、橋本半
瑞)
専)
、安部泰
専)
、泉谷勝巳
止 ま た は 苦 情 に つ い て は、 麗 澤 会
高)
、 鈴 木 一 夫(
瑞)
高)
、玉
高 )、 吉 岡 芙
高 )、 倉
瑞 )、 小
高)
、泉淳蔵
高短)
、菅沼
専)、秋山守
瑞)
、 小 倉 千 可 子(
高 )、 浜 口 隆 司
(
瑞 )、 松 本 真 佐 子
(
瑞 )、 福 本 は つ
(
高)
、高木治
本部事務局までお問い合わせくだ
さい
一(
代
(
美 恵(
井 和 代(
澤 睦(
倉久司(
高 )、 湯 浅 博
(
専 )、 河 村 有 二(
見陽子
(
田 和 代(
高)
高 )、 前
高 大 )、 波 多
高)
、細川菁子
(
高)
、 梶 浩(
スポーツ基金
専 )、 米 子 明 義
(
高)、岡田喜(
高)
、
高)
短)、松浦勝次郎
(
高)
、大谷祥寛
(
瑞 大 )、 加 藤 義 彦
(
高)
、
高)
、
高 )、
瑞大)
高)、石田徳太郎(
専)、松浦勝次郎
(
○寄付者氏名
泉谷勝巳
(
古賀善治(
浜口隆司(
池田香
(
専)
、松浦勝次郎(
瑞
高 )、 加 藤 義 彦
高 )、 香 村 卓 男(
高)
、
麗澤 ・ 箱根駅伝
(麗大陸上競技部)
泉谷勝巳(
○寄付者氏名
高 )、 村 瀬 博
古 賀 善 治(
瑞大)
高)
、 池 田 香(
大 )、 石 田 徳 太 郎(
(
(
○寄付者氏名
義援金
瑞 大 )、 大 谷 祥 寛
東 海 ブ ロ ッ ク、 岐 阜 県 麗 澤 会、 愛 知
県 麗 澤 会、 三 重 県 麗 澤 会、 徳 島 県 麗
美 也(
名(
高)
、 松 田 佳 子(
高 )、 大 場 康 子
(
瑞 )、 鈴 木 一 夫(
高)
、古賀善
高 )、 田 中
高 大 )、 田 中
高)
、吉岡芙美恵
(
(
瑞)
、小林
瑞 )、 上
高 )、 吉 田
高)
、匿
瑞 )、 福 田 朋
瑞 )、 枝 直 楠
高)、新井誠(
瑞)
、 大 谷 祥 寛(
大)
、枝好範(
瑞)
、玉井和
瑞)
、五島治郎
(
高 )、 余
瑞 )、 安 藤 仁(
子(
高 )、 種 田 敏 徳(
高 )、 井
高 )、 青 山 万 千 子
(
大)
、梅
大)
、 俣 野 智 美(
瑞
瑞)
、小倉久司
大)
、齊藤嘉之
(
高)
、工藤
瑞)
高)
、小倉千可子
(
(
高)
、佐久
高 )、 副
高 )、 柴 田 紘 子
澤 会、 名 古 屋 麗 澤 会、 泉 谷 勝 巳
(
聖則
(
高)
、 宮 島 泰 郎(
高)
、 伊 藤 姫 美 代(
専 )、 松 浦 勝 次 郎(
(
治(
高)
、渡辺愛
希美
(
久 子(
高)
、有阪敏
高)
、桑島良麿
田 京 子(
高)
、目崎八
代
(
瑞)
、加藤智教
(
高大)
、柴田紘
高)
、山
高 )、 横 田 武 子
(
高)
、 余 米 重 則(
高)
、 今 村 七 栄(
高)
、江間良子
(
大 )、 福 井 博 康
(
大)
、 栗 林 章 治(
高)、
後ともご協力をお願い致します。
奨 学 金 制 度 の 有 効 な 使 途 の た め、 今
対し、学資として貸与しています。
理 由 に よ り 修 学 困 難 な 学 生・ 生 徒 に
奨 学 金 は、 麗 澤 三 校 在 学 中 で 経 済 的
奨学基金ご協力のお願い
古賀善治(
鋤柄勘治(
泉 谷 勝 巳(
○寄付者氏名
奨学基金
(
41 30
高)
、佐久間
高 短 )、 平
高 短 )、
高 )、 杉 野 順 子
高)
、萎澤忍
(
高 )、 森 一 馬(
高)
、 井 上 幸 子(
高)
、 奥 村 正 士(
大)
、谷川誠士
(
高 )、 中 村 敏 子
(
高)、武藤昌夫
高 )、 平 川 種 徳
(
高 )、 天 野 敏 子(
大)
、川窪靖子
(
高)
、福本宜
一歩
(
高)
、平賀都千
*2千円=堀尾正四郎(
正(
子(
(
下修子
(
高 )、 森 川 百 合 子
(
高 )、 武 藤 成 生
(
大 )、 澤 村 和 男
(
岡慶次
(
重子
(
子
(
(
高 )、 小 島 佳 子
高 )、 石 渡 英 雄(
高)
、 有 吉 正 年(
短 )、 田 中 駿 平
(
短 )、 椋 橋 一 雄
(
高)
、 松 下 高 子(
高)
、海野勝之
(
秀雄
(
(
枝(
信
(
明久
(
野喜美
(
五 百 城 啓 太 郎(
高)、高岡忠臣(
短 )、 清 水 省 一
(
高短)
、 川 北 明 男(
(
(
高 )、 茂 木 晧 守(
短)
、大野淑音
(
高 )、 山 添 雅 子(
高)
、
大)
、 川 嶋 忠 男(
高 )、 土 本 早 苗
(
高)
、
高)、三上晴久(
高)
、岡田喜(
わ せ、 開 示、 内 容 の 訂 正、 利 用 停
*過年度分の年会費免除
・ 会 員 の 皆 様 の 個 人 情 報 は、 会 報 の
年会費自動引落しの手続きをされた
発 送・ 年 会 費 の 請 求・ 同 窓 会 活 動
方は、
過年度の年会費が免除されます。
の 支 援・ 地 区 麗 澤 会 の 活 動・ 麗 澤
*引落し時期のお知らせ
教育の理念であるモラロジーに関
月 日に引き落とされなかった方
する案内以外には利用いたしませ
は、 月 日に引き落とします。
ん。
名称は、UC(レイタクネンカイヒ)
またはUCです。
・本人の個人情報に関するお問い合
野 静 香( 高 )、 巽 昭 江( 高 )
、伊藤
れいこう麗澤会(900名)
、
み ず こう 麗
◇年会費自動引落しについて
姫 美 代( 高 )
、奥本昌志
( 瑞 )、 中
澤会(900名)
です。
村禮三
( 高)
、小林希美
( 瑞 )、 三
年 会 費 納 入にあたり、預 金口座からの
麗澤会ホームページに「所在
不明者は、
浦礼子
( 瑞)
自動引落し制度をご利用ください。
不明者一覧」として掲載しておりますの
*1千円=古賀善治( 高)、中村恵美
*自動引落しを希望される方
で、同 期 な どでご存 じの方 が あ り ました
子( 高 )
、加藤義彦
( 高)
、伊藤啓
「預金口座振替依頼書」を送付します ら、
麗澤会本部までお知らせください。
ので、
お申込みください。ご不明の点は、
子( 瑞 )
、林暢子
( 高)
、花井智司
麗澤会事務局にお問い合わせください。 個人情報に関するお知らせ
( 瑞 )、 福 田 和 代
( 瑞 )、 中 村 雄 平
麗澤会事務局からのお知らせ
23
34 29
累代で学びつながる家族
わが家と麗澤教
育のつながりはさ
かのぼること百年
郎 が、 学 祖・ 廣 池
やはり〝自分も麗澤に入りたい〟 まえ、伝統や父母祖先への孝心
しています。
千九郎博士の講演
や恩人への報恩心、仁愛の精神
いた麗澤瑞浪高校の自然に恵ま
を聴講したことに
と思うようになり、現在は本当
を醸成するという独特の教えと
今でも同じ麗澤で
ていきたいと思
ご協力ありがとうございます
麗澤会協力金
○寄付者氏名
兵衛
(
*3万円=長谷川富子
(
*2万円=新井誠(
*1万5千円=猪飼孝男
(
高)
*1万2千円=松久章(
宏(
(
*1万円=松本照雄
(
大)、西松裕朗(
高)
瑞 )、 菊 地 一 美
(
高)
、 新 田 紘 輔(
高大)
、藤林美智子(
高)
、 秋 庭 宏 次(
高 )、 大 谷 祥 寛(
高大)、山口純
高 大 )、 波 部 和 弘
(
(
高)
短)、松浦勝次郎
大)
瑞)
、岡田寛代(
上 田 京 子(
安藤仁
(
*8千円=春田道正
(
*6千円=岡田健寛
(
高)
、関俊章
(
高 )、 北 條 寛 子
(
高)、柴田紘子(
*5千円=森陽三(
(
高)
、 松 田 佳 子(
高 )、 安 藤 逸 夫(
高)
、渡辺裕代
(
瑞)
高)、小倉啓司
田 保(
米 邦 子(
高)
、木股初子
間靖文
(
29
47 41
年に
始まります。その
に麗澤で学んで良かった、そし
環境にこそあると思います。
前、 明 治
後、 祖 父・ 松 浦 香
てあの高校時代に麗寮で過ごし
学んだ姉弟たちと谷
かさ
(元モラロジー研
ていると感じており
た経験と友は、人生の宝になっ
名の子のうち、私
ます。
究所顧問)は、
の父(松浦雄五郎
人全員を
期高大)を含
=
川温泉へ家族旅行
む男子
麗澤の学び舎へ送
います。
平成 年 月 日から 月 日まで
に次の方々から協力金ならびに寄付金
をいただきました。
篤く御礼申し上げま
す。
タ リ ア ン の 同 店。 癒 し の 空 間 づ
くりは、長女のデザイナー聖子
コラボレーションが創業
礼 儀 を 徹 底 教 育 し た。
「すべて
仕入れは金額より信頼関
で 栄 養 学 の 泰 斗・ 田 中
瑞大)
人
(
*4千円=横田義信(
*3千円=米子明義(
高)
、 田 中 拓 治(
瑞 )、 中 山 智 香 子(
瑞)
、松本浩
21 15
38 36 21
57
りだし、私たち孫 (写真)に行ったり、
医食同源に麗澤の心を添えて
さんの仕事。そこへ海外でホテ
さ」
「健康で長生き」に加え「誠
博士レストランに新たな息吹を
「毎晩のイーティングで必死に
は麗澤精神。お客様の安心安全、 けたら」
理で人を喜ばす面白さを知りま
係を重んじるのも、みな
その実践です」
。
した」
。卒業後は医者の道も考
分、 えたが、医学部受験の壁の高さ
年には隣地に本
格的なタイ料理店をオー
平成
しかし興味が持てずに飲食店で
プ ン。 そ し て
に、 選 ん だ 道 は 応 用 電 子 工 学。
バイト経験。オーナーに信頼さ
のまた隣地に今度は本場
年 前、 そ
れ、メニューから価格まで自由
イ タ リ ア ン の 店「 ド ク
静雄博士が大切に育てた
(敬称略・カッコ内数字は通期)
協力金は各母校麗澤会への援助
なお、
金とさせていただきます。
ル マ ネ ジ メ ン ト を 学 ん だ 長 男・
人の
意と敬意」も重視。ネクタイ姿
吹 き 込 む。
「麗澤会員はみな同
一 聖 さ ん も 加 わ り、 家 族
学究一家に育った田中社長
でラーメンを運び、アルバイト
年の
が、飲食店経営を志しはじめる
志。気軽に来店いただき、健康、
コンロに向かった経験から、料
長生きで元気に活躍していただ
発 端 は、 麗 澤 高 校 で の 寮 生 活。 全員に所作から言葉づかいまで
列のたえない繁盛店だ。
─── 親子力を併せ、幸せをプロデュース
柏駅から東武野田線で
鎌ヶ谷駅のロータリーを抜ける
と「博士ラーメン」の看板が目
に入る。
「昔はよく〝ひろしラー
せいのり
にアレンジできる楽しさ、お客
飲食店経営をわが道とする思い
自 然 庭 園 を 眺 め な が ら、
の 笑 顔 が 増 え て い く 面 白 さ に、 トーレ」を開店した。父
が一気に膨らんだ。調理の夜間
わらじ
学校へ二足の草鞋で免許をと
ゆったりと食事を楽しむ
24
26
38
39 38
メン〟と読み間違えられてね
(笑)
」と田中 聖 則 社長。医学博
士の父と次兄、薬学博士の長兄
はかせ
と三人の「博士」が協力する同
種の天然素材を
り、資金を貯め、卒業四年後の
(
(
高 )、 古 舞 好 司(
11
57
店の売りは、
煮 込 ん だ 美 容 ス ー プ に、
「かん
水」を麺に使わない「予防医学
「医食同源」に「栄養医学」
男(
36
29 11
38
16
2
歳で店を開いた。
年、
34 29 28 24 23 23
29 19 11
38
34 34 31
20
36
38
21
29 28
53 44 40
56
62
70
22 21
35 21
57
67
57
70 47 39
61 46
57 38
22
20
21 21 21 21 21 20 20
20
21 21 21 21 20
47
39
21
29
34 34 32 31
43 39
49
54
73
23 22 22
29 11
37 34
14 12 6
17
19 17
20 20 20
20
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42 38
19
23 22 22 22
43
73
19
4
31
37 33
38
49
13
10
16
18 17
20 20
2
10
15
36
71
21
57 40 33 29
21
21
22 22
22
1
43 36 31
25
を掛け合わせた新感覚イ
住所:千葉県鎌ケ谷市道野辺本町 1-15-12
電話:047-444-5101
アクセス:東武野田線鎌ヶ谷駅東口より徒歩2分
ホームページ:www.hakase-info.com
41
9
10
22
21
33 30
22
23 23
23
昭和
店のコンセプトには「おいし
博士レストランビレッジ
19
23
をとりいれた」ラーメン。県外
からの客も絶えず、週末には行
※会計時にこの誌面を
ご提示ください。
57
31
15
27 15
22
7 5
6
39
17
60 60
23 23
麗澤教育5代目(?)も
すくすく育っています
7
3 10
23
57
田中聖則(32 期 高)
代表 32
20
44
2
35 4
26
5
5
博士レストランビレッジ
15
11
21
姉の美香さん
(54期高大)
、
弟の幸雄さん
(58期高)
、妹の香織さん
(62期高大)
と
25
49
30 18
33
51
14
6
松浦貞雄さん(56 期高大 )
2
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
れいたく
地区麗澤会の動き
愛媛県麗澤会
貞廣校長先生と麗澤中学・高等
学校の高部貴幸先生より両校の
名の出席
りお土産として瑞浪中高グッズ
ました。また、井上校長先生よ
大別科のス
在 校 生、 麗
から
かな会とな
6名と賑や
員の子女)
日、松山
で大いに盛り上がり楽しい時間
り良い雰囲
い構成とな
真を壁新聞
念大会の写
は昨年の記
期 小山 晃市 記)
気でありま
(
風 に 貼 り、
1年前の楽しいひと時を振り
した。また、
を過ごすことができました。
広島県支部懇談会
返 っ て い ま し た。 会 員 か ら は 近
期高大)が講
演。 麗 澤 で 学 ん
だことや出会い
が縁となり現在
のビジネスやプ
ライベートの付
き合いへとつな
がっていること
など、貴重なお話
を頂きました。参
加者はうなずい
たり、笑顔があふ
れたりと、各々に
麗澤での日々を思い起こしまし
派員協会にて開催しました。麗
大 学 学 長 が ご 挨 拶 く だ さ り、 今
日( 水 )、 日 本 外 国 特
澤会員
月
日の思い出や心配していたこと
い、 懐 か し い 顔 が 揃 い 和 や か な
部の立食パーティでは、
な ど、 昨 日 の こ と の よ う に 話 し
回 初 め て お 会 い し た 方 同 士 も、
部はチェ
夫 婦 で の 参 加 も 5 組( 内 会 員
続 き、「 濃 密 な 人 間 関 係、 素 晴
会員双方の絆が一層深まってい
り母校と麗澤会員、そして麗澤
展していました。この縁が広が
ち解け、ビジネスの話までに発
麗澤で学んだ者として直ぐに打
廣池幹堂名誉会長、中山理麗澤
た。第
て い た だ き、 改 め て 親 へ の 感 謝
会になりました。会長の小西直
期 森原敏行 記) 親の立場から子供を送り出した
況 報 告、 会 友 の 皆 さ ん か ら は、
代表世話人
ロ ッ ク 記 念 大 会 」 開 催 を 機 に、 も頂きました。
周年山陽ブ
広島県支部も定期的な会合を検
「廣池学園創立
期)が議長
討し、第一歩として、本部役員
も思い出させてくれた懇親会で
之氏の挨拶の後、第
名が集
し た。 他 に も 賑 や か に ゲ ー ム を
名、 特 別 会 員
し て、 北 国 の 短 い 秋 の 楽 し い 一
日( 月 )、 雄 大 な 石 狩
川を展望できて、あふれる自然
9月
がいっぱいのペケレット湖に集
年度
北海道麗澤会同窓会
第 回 東京ビジネスクラブ麗澤会
グループ麗澤会の動き
参 加 2 名 )、
名、
未来の麗澤
会友
会員候補(会
で し た が、
期の
期の先輩
の湯飲み茶わん等々を頂戴しま
リ ラ ン カ
りました。
現況報告と生徒勧誘の話があり
した。
方まで幅広
(帰化)の
第4回四日市麗澤会
総会・懇親会
参加者の1分間スピーチでは
6月
ケラー四日市店において第4回
日( 日 )
、アサヒビア
総 会・ 懇 親 会 を 開 催 し ま し た。 在校時代の思い出話や近況報告
7月
市の「東
参加人数は
名。
第1部の
総 会 で は、
川崎喜代一
になり議案
やモラロジー県会長・代表世話
会 長(
事項は全て
人にご案内を致しました。
から会員に期待されるスピーチ
了承されま
チュリー
名(初
らしい麗澤」と題し、西裕康氏
日
ました中島輝雄三段(
期)に
熱戦の末、見事に優勝をされ
た。
会を進行することができまし
回「夏期囲碁懇親会」
8月
(日)にキャ
ンパスプラ
ザ3階会議
理事長杯」が授与されました。
室 に お い て、 は度会和三代表から「廣池幹堂
麗澤囲碁ク
第9回
日
日( 日 )、
(土)から
月
麗澤オープンゴルフ大会
ラブ主催「第
回夏期囲
碁懇親会」
を開催いた
し ま し た。
廣池学園ゴ
い て 対 局 を 行 い ま し た が、 午 前
前回より新ハンディ表に基づ
名。
参加者は合
の寮生活を思い出して盛り上が
中 に 2 局、 午 後 に 2 局 と た い へ
計
りました。同級生とは連絡を取
ルフクラブ
大石先生の3氏によって医学
り合っていますが、これからは
ゴルフ大会を開催しました。参
今年は参加者が
名と今まで ら、 ご 協 力 金 を い た だ き あ り が
名。優勝は佐坂浩二氏
澤オープン
において麗
演 奏 会 で
的・哲学的に討論がされ、参加
加者は
組ほどの方々か
者からの質疑応答もありまし
ん和やかな雰囲気での対局でし
な お、 今 回
は、 麗 澤 瑞
た。 ス イ ス 方 式 に よ り 全 員 が 4
16
期)でした。
50
代での参加も増えてきました。
浪 中 学・ 高
年一回くらい顔を合わせましょ
局の対局を行い、予定通り懇親 (
うと話して散会しました。
期 石黒 美恵子 紀)
に比べると少なめでしたが新卒 と う ご ざ い ま し た。 こ の 場 を お
期 藤川勝敏 記)
(
業生のご家族の参加があり盛り 借りして御礼申し上げます。
第
期) が 2 組、 と「 れ い た く フ ァ ミ (西華産業株式会社取締役社長、 くことを願っています。
同 士 が 2 組 )、 親 子 2 代 で 会 員
日を過ごしました。
ロ&ヴィオラ ダ ガンバ奏
者・ 武 澤 秀 平 氏 に よ る 演 奏 会 に
いました。今年は会員
回愛知麗澤会のつどい
第1部、田中正人講師(
リ ー」 の 輪 を 毎 年 こ れ か ら も 広
日
(日)
、 モ の 講 演 は、 大 変 興 味 深 く、 真 剣
期 加藤 義彦 記)
げていきたいと思っています。
(
鹿沼麗澤会
日
(木)に鹿沼
7月
年 の 新 入 め て の 参 加 者 も 数 名 あ り、 麗 澤
己紹介をする
が、 皆 さ ん 自
ンチ会でした
合わせてのラ
た。 昼 休 み に
を開催しまし
地区の麗澤会
最 後 は ビ ン ゴ で 締 め く く り、
こ の「 つ ど い 」 を 続 け て い く こ
の「つどい」 す る こ と が で き ま し た。 今 後 も
て始めたこ そ れ ぞ れ 景 品 を ゲ ッ ト し て 終 了
する会とし
生をお祝い されていました。
生、新卒業 会 員 で あ っ た こ と の 喜 び を 確 認
た。 そ の う ち に 進 行 で き ま し た。 今 回 初
開催しまし 交 換 な ど に 話 が は ず み 和 や か な
出張所にて 校 か ら 3 名 の 恩 師 の 出 席 で 情 報
究所名古屋 部 懇 親 会 で は 麗 澤 瑞 浪 中 学・ 高
ラロジー研 に 聞 い て い た だ け ま し た。 第 2
月
(支部長
した。第2
日( 日 )
、ホテルセン
会」を開催しました。会員・会
月
では、来賓
部の懇親会
の麗澤瑞浪
友参加者
広島において「懇談
中学・高等
れからの国際問題」について国
名の目標には届かず
学校の井上
た演奏。第2部の時事講演会で
老 の 日、 三
家的援助の話。次に、
モラロジー
会場内に
道後そら
ともり」
を会場に
開催しま
した。
当日は
麗澤瑞浪
中学・高
等学校の
期)
蟹井克也
(
教頭のご講演をはじめ、お互い
の自己紹介や近況報告などで懇
親 を 深 め る こ と が で き ま し た。
来年も開催予定ですので、愛媛
期 徳永 陽子 記)
三重県麗
は、最初に麗澤大学学長中山理
重 県 総 合
研究所参与山中隆雄先生による
をテーマに、まず三重大学付属
31
た。また、アンケートでは大変
(支部長
31
60
30
(
県の皆様、ぜひご参加ください。
第
澤 会 は、 9
先生による「東日本大震災とこ
敬老の日の集い 2011 三重県麗澤会
日の敬
文 化 セ ン
第3部のパネルディスカッ
の」についての講演。
タ ー に お い 「 い ま、 日 本 人 の 心 に 大 切 な も
て「 敬 老 の
日 の 集 い
病院輸血部部長大石晃嗣先生
も今回は
2
好評だったことを報告させてい
うちに懐かし
15
「健康と生きがい」
2 0 1 1」 ションでは、
を 開 催 し
期)による映像を使っての
ま し た。 参
加 人 数 は、 (
回目を迎え と に な り ま す が、 よ り 多 く の 新
ました。最 入 生、 卒 業 生 の 参 加 を 呼 び か け
28
校太鼓部に
そ の 後 中 山 先 生・ 山 中 先 生・
健康維持の話。
4
1
54
よる元気ハ
近は親子2 たいと思います。
15
10
30
38
33
ただきます。 ( 期 小山 晃市 記) 上がりました。
第1部の
283名。
7
2
20
18
10
28
月
78
34
19
23
11
27
7
21
6
21
30
34
40
75
20
31
24
ツラツとし
40
32
42
11
21
42
19
31
21
27
10
43
れいたく
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
3
や教職員の見守る中、 名の「卒
業生」に中山理学長より記念品
日本の大学として初挑戦!
備 期 間 を 経 て、 3 日 間 の 日 程 で
行 わ れ た 会 議 に 参 加 し ま し た。
指定のあったキューバを代表し
て、私たちの提言を決議に盛り
込もうと必死に交渉を行いまし
たが、各国の大学生と議論する
難 し さ は 想 像 を 遥 か に 超 え、 全
てにおいて世界レベルは私たち
を 上 回 っ て い ま し た。 し か し、
決して世界で戦えない訳ではな
い こ と を 実 感 し ま し た。 様 々 な
様々な教育機関に所属する学生
り、世界中の大学を始めとする
物心両面の支援を受けながらの
ら 特 別 講 義 を 受 け、 大 学 か ら も
格的なリサーチと多くの教授か
国と参加する委員会が決まり本
得られた経験、課題、課題の克
思 っ て い ま す。 第 1 期 と し て、
標を実現出来た原動力であると
したが、私たち8人の熱意が目
思いを背負って活動してきま
を集め、与えられた国の代表者
挑戦でした。
日( 日 )、 全
す。 な お MVP
願いいたしま
援、 よ ろ し く お
様の温かいご声
達 成。 今 後 も 皆
なる2部昇格も
応援の程、よろしくお願いしま
に NHK ホ ー ル で 行 わ れ ま す。
大会は平成
名の世界大会出場が決定。世界
ん(経済学部4年)が優勝、2
が準優勝、外国人の部で常楠さ
尾 聡 美 さ ん( 外 国 語 学 部 2 年 )
年 4 月 3 日( 火 )
に は、 投 打 で 活
す。
全 米 を 始 め ヨ ー ロ ッ パ、 ア フ
輩 出 で き る よ う な、 そ ん な 団 体
込み、世界で戦える人物を毎年
する中、麗澤チームは惜しくも
として今後も長期的に活動して
月からこの活
ます。
活躍を見守っていきたいと思い
麗大麗澤会としても、彼らの
ントをいただきました。
い き ま す。』 と い う 力 強 い コ メ
年
現在建築中の新し
年
月に竣工の予定で
ず き 」 は、 平 成
い 学 生 施 設「 は な み
新しい学生施設誕生
動を立ち上げ、306 日間の準
たちは平成
チ ー ム 代 表 の 鳥 畑 さ ん は『 私
た。
賞を得ることができませんでし
リカ等、
を超える大学が参加
服、それら全てを後輩にたたき
として実際の国連を想定した議
きもの・お作法の会
西川選手が選ばれました。
う大会です。
論、交渉、決議を採択するとい
れる模擬国連の世界大会であ
平 成 年 月 ~ 日、 ア メ
この大会に参加を決意した経
リカのワシントンDCで開催さ 済 学 部 年 鳥 畑 剛 さ ん( 期 )
れた全米模擬国連大会( National は、アメリカ留学中にこの大会
Model United Nations= NM に参加する機会を得て大きな刺
) に、 学 生 8 名( 代 表・ 鳥 激を受け、麗澤大学チームを結
UN
畑剛さん)が参加しました。
成 し た い と の 思 い で 帰 国。 平 成
とはアメリカで行わ
年 月にチームを立ち上げ勉
NMUN
強 会 を 開 始、 年 月 に は 担 当
「全米模擬国連大会」
に参加した麗澤大学チーム
ま た「 在 学 生 発 案 型 」 の 初
日からの千
葉県大学野球秋
年9月
72
が贈呈されました。
企 画 と し て、 在 学 生 の 社 会 貢
サ ー ト が 会 に 華 を 添 え ま し た。
平成
勝2敗の
季3部リーグ戦
で、
成績をおさめ優
月
日本きもの装いコンテスト関東
年
で は、 接 戦 を 制
大会が開催され、振袖の部で沼
平成
年ぶりと
勝。 ま た 入 替 戦
3
12
献 活 動 プ ロ ジ ェ ク ト「 R S S
R ( Reitaku Student Social
)
」と黒須ゼミに
Responsibility
階の
よる紹介展示と討論会が
道徳科学教育センターで催さ
を超える社会貢献
~」と題し、在学生や教職員が
参加したある卒業生は「風景は
▲
新校舎に480名の
笑顔広がる
れ、学内の
サークルや組織の活動実態、震
災支援の取り組みが学生から披
れ、秋晴れの青空のもと、学生
にぎわいのホームカミングデイ
年春に竣工した新校舎「あすな
によるソーラン節やミニコン
趣向を凝らしたさまざまな歓迎
記念パーティーは屋外で催さ
ろ」にちなんで、テーマを「あ
露されました。
キャンパスに卒業生を招いて
すなろ~明日は○○になろう!
年
親睦を図る、毎秋恒例の「ホー
ムカミングデイ」が平成
日、新校舎「あすなろ」を
イベントを校舎内外で実施。
月
会場に開催され、全国各地から
見違えたが、麗澤のよき精神が
集まった各期の卒業生およそ
階のホールでは、東日本大震災
今も受け継がれているのがわ
200 名が、迎える教職員や在
人 で も 多 く、
〝あすなろ〟のよ
るスペースとなってきている。
野球部
23
躍したエースの
し、
5
12
に参加できなかった70期卒業
ら」と話していました。
中心に東日本大地震支援募金団
体を設立、募金活動など様々な
支 援 活 動 を 行 っ て い る。 ま た、
RSSR には、学内で社会的影
響を意識して活動している部や
サークル等が集結し、学内外で
被災地支援活動など様々な活動
を実施。支援活動の一つである
甚大な被害を被った被災地の一
「Café プ ロ ジ ェ ク ト 」 は、
つである宮城県亘理郡山元町の
仮設住宅で学生企画による学生
カフェを開設。心の癒しを提供
することを目的に開設されたカ
23
22
の影響で卒業式(学位記授与式) かって安心した。この校舎で一
回目となる今回は、
が企画され、来場した卒業生
学生ボランティアサー
賞はとれなかったが達成感に浸った。
(閉会式後の会場にて)
クルの活躍
(RSSR) 千 葉 県 大 学 野 球 連 盟
関
東大会優勝そして
3部リーグ優勝
世界大会出場決定
東日本大震災後、学友会と学
そして2部昇格
生 サ ー ク ル「Refree」 を
21
23
70
1
生 を 対 象 に“ 第 2 の 卒 業 式 ” うな確かな人材が育ってくれた
新校舎「あすなろ」前広場にて
10
10
24
10
23
23
23
24
▲いざ出発!期待と不安を胸に 8 人の
チャレンジャー。
(成田空港にて)
51
フェは、現地のお年寄りだけで
10
10
10
23
学 生 280 名 と 交 流 を 深 め ま
した。
8
22
今春、Reitaku Student Plaza
(“Hanamizuki”)
がオープン予定!
“はなみずき”
2
第二の卒業式で記念品を手渡す中山学長
校舎前広場での記念パーティー
ちしております。
皆様のお越しを、心からお待
をご利用ください。
誘い合わせのうえ「はなみずき」
の 交 流 な ど、 ぜ ひ お
様 に は、 後 輩 た ち と
り ま す。 卒 業 生 の 皆
タ ー、 多 目 的 室 が 入
ン ビ ニ、 ブ ッ ク セ ン
フ ェ レ ス ト ラ ン、 コ
こ の 施 設 に は、 カ
決まりました。
生や教職員の投票で
も の で、 名 称 は 在 学
葉をモチーフにした
校章のまんりょうの
す。特徴ある屋根は、
3
充実感を抱いて帰国の途へ。
(ワシントンナショナル空港にて)
20
なく、多くの子供たちに愛され
23
1
4
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
れいだい
大島
千沙(
卒業生・修了生のネットワーク
ら れ ま し た が、 修 了 生・ 卒 業 生
かでも、次回の中国(北京)同
窓 会 の 開 催 地 と し て、 谷 川( 日
韓国同窓会
日( 金 )、
したが、今回は大人だけの集ま
子さんたちが走りまわっていま
は 面 白 い ぞ、 こ れ が 大 勢 の 意 見
で同窓会が開催されたら、これ
了生と連携して、年一回、各地
北京以外の各地の卒業生・修
という焼肉屋で卒業生が集まっ
ンコンジャン
にあるヨンタ
ソウル新沙洞
い 日 が 続 く 中、
日、まだまだ暑
月
年
韓国で停電騒
名が出席しました。
ぎがあった翌
他
経済学部の佐藤政則教授の挨
ど ん、 ど ん ど ん 盛 り 上 が り ま し
平成
拶・乾杯から始まり、最初から
た。
本群馬県)、昆明(中国雲南省)、
もしこの記事をご覧になった
最後まで歓声に満ちていまし
期) りとなり、そのせいか、スター
で し た。 本 当 に 素 晴 ら し い で す
成都(中国四川省)など、どん
中国西北部在住の方がおられた
た。いつもの北京同窓会ではお
[email protected]
トから二次会的な雰囲気でし
ね、 な ん と か 実 現 し た い も の で
ま で ご 連 絡 を く だ さ い。 心 か
玉雄(
た。懐かしい大学時代、学園キャ
たものでした。いったい何人が
もしようという思いで声をかけ
機会に、卒業生と一緒に食事で
留学フェア(韓国)に参加する
期) た。今回の同窓会は、私が日本
ンパスや南柏駅の変容、さらに
玉雄(
月
集まるのか不安な気持ちで待っ
タイ同窓会
陳
す。
日
発な会話が飛び交いました。な
参加者や友人たちの近況等々活
北京同窓
月
( 火 )、 北 京
年
会は平成
陳
らお待ちしております。
北京同窓会
さ れ、 二 日 間
ら、陳玉雄
期) 作りについての話もでました。
次回のご参加をお待ちしており
ます。
中国西安同
窓会は平成
(水)と
西安同窓会
実 し た 時 間 と な り ま し た。 在
今回も企画が目白押しで充
切って行いました。
イン料理店PORCHを貸し
OB・OG会、同窓会開催報告
馬術部
(麗駿会)OB・OG 会
月
平 成
年
(木)
、西安市
日
SKYPE を使って世界各地と
内 の「 西 安 飯
月
通信し、留学中の在学生や海外
荘」
、
「老上海
年
時より馬術
で働いている卒業生へのインタ
菜館」で開催
学 生 の 活 動 報 告 に 始 ま り、
部厩にて中
ビューを行いました。また、卒
日(土)
野先生、竹
業 生 に よ る フ ラ メ ン コ の 披 露、
在学生の
にわたり賑や
日
政さん、黒
弾き語り
ゴルフ部OB会
年
日( 土 ) バ ン
平成
コクで開催され
要員で参加した
ビ ー で 増 田 裕 介 さ ん(
ターコンチネンタルホテルのロ
月卒業した人や就職
名が集まりました。中に
会場に駆けつけてくれ、私を含
めて
は、 今 年
時間かけて駆けつけてくれた
準備のため帰っていた在学生で
次 会、
人もいて、ついつい話が盛り上
次会まで続き楽しい時間を過ご
が り、 場 所 を 変 え て
しました。参加した卒業生・在
スコアは伸
あったため
い、雨天で
ご 活 躍 の 仕 事 等 に つ い て、 タ
会 で は 学 生 時 代 の 思 い 出、 現 在
を約束して会場を後にしまし
つ な が り の 深 さ を 感 じ ま し た。 け て 一 緒 に 参 加 し て く れ る こ と
来られた方もいて、みなさんの
た。
第9回
今 回 も、
年
ていました。
私と経理課に勤務の橋冨英仁さ
松本哲洋先
待 ち 合 わ せ て ホ テ ル 内 の OB
時、 仕 事 を 終 え た 卒 業 生 が
た「 留 学 フ ェ
浪高原ゴル
ん( 高
ア」に大学から
フ倶楽部に
期)の二人が参加。日
おいて田中
生をお招き
会の会場へ向かいました。
駿 平 先 生、 も落ち、夜を迎えたころにイン
し、我がゴ
期)と
ルフ部出身
時、会場には仕事を終えた
学生は同窓会に対する思いが強
プロ2名と
く、 来 年 夏 に 開 か れ る 同 窓 会 に
び悩みまし
イ 語・ 日 本 語 を 混 じ え な が ら の
平成
流。 中 に は
時間弱の道のりを
名が集
素 人(?) 卒 業 生 の み な さ ん 方 が 順 次 合
た が、 一 人
談 笑 が 続 き、 気 が つ け ば 閉 店 の
基煥(
期・
期院)
日( 土 )、
り ま し た。 会 話 に は な る べ く 日
ザにて大学を卒業してから初め
時よりれいたくキャンパスプラ
月
毎 年 200 名 以 上のゴルフ 部
本語を使ってもらい我々に気を
ての同窓会を開催しました。当
OBに案 内 をさせていただいてい
日は朝からあいにくの雨が降
名 が 集 ま り ま し た が、 り、足元が悪い中でしたが、
みなさんも定期開催を希望され
卒 業 生 の な か に は、 北 は 北 海
名の「同学」が集まりました。
つ け て く れ、 ま た 海 外 か ら は ベ
道、南は九州(福岡)から駆け
て い ま し た の で、 今 後 は つ な が
参加者
今回は増田さんのお声掛けで
遣っていただきました。
回 目 と な り ま す。 ゴ
りを広めていければいいように
加藤国雄(情報システム室) トナムとシンガポール在住者も
思いました。
期)
ルフを忘れられないOBの皆
吉村明博(
様、ご参加お待ちしています。
次回は
披 露させていただき まし た 。
から戴いたメッセージも 前 夜 祭で
多 く なっていま す 。 不 参 加の方
ま すが、 夫 婦や 親 子での参 加 も
年
期中国語学科同窓会
韓
は、 そ れ ぞ れ の 同 級 生 に 声 を か
のリタイアもなく無事終了しま
平成
日(日)
時より瑞
56
9
木さんを交
えて在学生
でフィー
市 内 の「 黒
かに開催されました。
名を含む
松 白 露( 西
河店)」で
月
3
名が集ま
期)
、大学院言
参加者は、国際経済学部卒業
語教育研究科博士課程修了の毌
の 車 朴 さ ん(
は盛況に
ナーレを
期)
迎 え、 会
悦久(
り麗駿会
松下
開催されま
(OB 会 ) 総 会・ 昼 食 会 を 開 催
しました。
期)
、外国語学部
し た。 今 回
育 新 さ ん(
卒業生の桐田一義さん(
期)
、
終わりま
し た。 残
それに経済学部の佐藤政則教
事情により
の 同 窓 会 は、
念ながら
開催の決定・連絡が直前になり、
麗澤国際交流親睦会
OB・OG会
授、同学部の陳玉雄助教(
名)が
ジー研究所出版
期)
が参加しました。近況も含めた
時
今回は参
名(うち在学生
日(土)
加できな
から
月
か つ 平 日 で も あ っ た こ と か ら、
年
楽しい会話だけではなく、西安
平成
かった方
て も ら う と い う、
集い麗澤国際交流親睦会(RI
親孝行の実践の
参加できない方が少なからずお
両親の勧めもあり、麗澤瑞浪
とその周辺、中国西北部全体の
高 校 へ 進 学。
「麗澤」の持つ温
話だったという。
も、 ぜ ひ
かい雰囲気に、鈴木さんは麗澤
部 で、 編 集 者 と
8
時間を迎えたためにお開きとな
2
FA)OB・OG会を柏のスペ
愛情ぎっしり
親子の肉まん
「 毎 日 の 忙 し さ に 流 さ れ て、 毎
して全国を走り
23
58
現 在、 モ ラ ロ
日届く両親からの手紙にも、ろ
回 る 鈴 木 さ ん。 出 張
10
した。
56
15
大学へ進学を決める。
秋田県由利本荘市に店を構え
くに返事も書かなくなりまし
先から両親の元へは、
3
10
鈴木さくら さん
る 中 国 料 理 店「 こ う ら く 」
。温
た。でも、時折秋田から届く小
名産品とともに「私、
19
21
23
59
10
23
期
かな湯気と、両親の大きな愛情
包を開けると、風邪はひいてな
元気です」と一言書
いかという心配の言葉と、肉ま
期)は育った。
い た 手 紙 を 送 る。 し
に包まれて、鈴木家の三女・さ
くらさん(
んや中華料理がぎっしりと詰め
かし、と鈴木さん。
9
3
13
23
込 ま れ て い た ん で す。“ も う 子
16
2
50
6
供じゃないんだから……〟と思
いつつ、両親の愛情に涙したも 「 ど ん な に お い し い 銘 菓 も、 両
親のつくる肉まんにはかないま
大 切な愛 娘 を包み込 むように
せんが(笑)
」
一つひとつ手づく り されたこう ら
麗澤大学での道徳の授業、鈴
木さんが最も感銘を受けたの
19
4
23
38
のです」
は、創立者・廣池千九郎が、お
くの肉 まん。 ぜひご賞 味 あれ。
E-mail: [email protected] 電話 : 0184-33-2333 FAX : 0184-33-4427
2
8
67
23
28 27
60
56
いしいものは、まず両親に食べ
中国料理 こうらく 秋田県由利本荘市西目町沼田字新道下2- 637
【連絡先】
64
37
56
23
2
8 25 23
19
右が鈴木さくらさん。
麗澤での姉の変わりぶりに、
弟の幸太さん(左)も同高校へ進学。
53
10
56
55
55
8
7
6
30 10
3
23
25
7
64
皮から具まですべて手づくり。
熟成させ、ふっくらとした皮の中
には歯ごたえのあるたけのこや、旨
みを吸い込んだしいたけ、一口ほお
ばれば、肉汁あふれ出す具がぎっし
りと詰まっている。
【送料(6パックまでの場合)
】
・東北 690円
・信越、関東、北陸 790円
・北海道、東海、関西、中国
四国、九州 900円・沖縄 1,660円
【ご注文方法】
①注文パック数 ②お名前 ③お届け先
④お電話番号を明記の上、メールまたはFAXを
お送りください。振込用紙を同封し発送します
れいだい
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
5
ご参加いただきました。久しぶ
良くしていただきました。
剣道部OB会
松下悦久(
で旧交を温めました。OB・現
他 全 員 の O B か ら 近 況 報 告、 現
工藤ゼミOB・OG会
年
日、 ホ ー
平成
イ 当 日、
ムカミングデ
月
しいひと時を過ごすことができ
時
ました。
と O B、 O B 同 士 の 交 流 で、 楽
役からも自己紹介があり、現役
役 へ の ア ド バ イ ス 等 が あ り、 現
その後、三幸飯店に移り懇親
古を行いました。
期) 役が共に汗を流し、充実した稽
し上げます。ありがとうござい
来年もこのような会を開催し
部ならではだと思います。あり
たいと思います。また、お世話
ました。
トも駆使しながら、定期的に開
がたいことです。
催したいと考えています。残念
今 後 は メ ー ル や SNS サ イ
や近況報告に華が咲き、大変盛
りに懐かしい顔が揃い、思い出
り上がりました。
日( 祝 日 )、 会を行いました。懇親会を始め
る前に、本年度より正式に麗澤
月
より複数の世
年
剣 道 部 O B 会 が 3 年 ぶ り に、 麗
代 の O B・ O
平成
年を迎えますので、定年祝賀会
大学剣道部OB会を設立するた
になった黒木さんが今年度で定
さんには、次回お会いできるこ
陵祭に合わせて開催されまし
OB会(稽古会・懇親会)をな
に移り、岡部道夫(
業生( 名)の方々
ま た、 卒 業 生 の ご
界中から老若男女問わず色々な
お客様は京都ということで世
みにお待ちしております!
同士で遊ぶ光景に
期)先輩
近況を報告し
山川知則(
期)
年
日ホーム
時 か ら、
分程度の講
相先生による
と な っ た、 成
前回から恒例
当日
カミングデイ
月
平成
成相ゼミOB・OG会
た。
ま し た。 あ り が と う ご ざ い ま し
合いながら楽しい時間を過ごせ
うございました。 藤井敬三( 期)
は心が和むものがあ
りました。
試合後の三幸飯店
での懇親会も在学
生、 卒 業 生 と の 交 流
を 行 い、 大 い に 盛 り
上がりました。
今後も引き続き開
催していきたいと思
本会の運営にあ
います。
たってご協力いた
だいた麗大麗澤会と
現 役 学 生 の 皆 さ ん、
OB・OG の方々に
その後、ゼミ1期生の先輩か
演を今回もいただきました。
ら今年新卒の後輩たちまでの
期)
名が和気あいあいと成相先生を
萱森実(
中心に交流を深めました。
下田ゼミOB・OG会
年
日の
ングデイに
期)
は深く御礼を申し上
げます。
櫻井大士(
月
平成
合 わ せ て、
ホームカミ
参加、海外からパートナーと共
月 1 日( 土 )、 も
に 参 加 し て 下 さ っ た 卒 業 生、 卒
年
は や「 恒 例 行 事 」 と な っ た「 ク
同日夜
時
業し「新社会人」となって戻っ
ロス会」も今年で
ま し た。
り、結婚観などの熱い議論をし
の内容や質も変わってきてお
から下田ゼ
人 が 集 ま り、
人 の 現 役 生 が OB を 迎 え ま
人を初めとして
第1期生(1998 年卒)の2
OB は
ました。
ミ の OB
じ み の「 一
こ う し て 代 を 重 ね る ご と に、
時から開か
と九」にて
ながら一杯やっているグループ
会を開催し
卒 業 生、 現
も「黒須ゼミに入ってよかった
参加したメンバーも黒須先生
もちらほら !
には
名が
沼尾優泰(
期)
し た。 会 は 盛 り 上 が り、 卒 業 生
下田健人(経済学部教授)
「 ク ロ ス 会 」 ね」と感じた素敵な一日でした。 と現役生が一体となりました。
て開かれた
が 集 結 し
役のゼミ生
れ た、 お な 「 家 族 社 会 学 」 に 問 わ れ る 課 題
てきた卒業生もいました。
回目を迎え
平成
クロス会(黒須ゼミOB・OG会)
ホームカミングデイ開催時
建物は和モダンをコンセプトに
ちなみに私どものゲストハウ
う体験をしたい方や、国際交流
京町家をリノベーションして
が 参 加 し、
客様同士が交流できるようなラ
子息の参加が多く
スは十数人程度しか宿泊できず
をしてみたいという方は是非い
こ れ は 余 談 で す が 先 日、 い
作っているため京都らしい雰囲
年 を 重 ね、 円
ら白熱した試合(在
ウンジなど旅の楽しさをお客様
かったことが見
部屋の形態はドミトリーと
らっしゃったお客様とお話をさ
気も感じながらも現代人にも不
OBの皆様には、お忙しいと
日曜日を予定
月の第
G が 集 ま り、
として
越しいただき、本当にありがと
には切っ
バレーボール部OB・OG会
会 で は、 日 頃 か ら 稽 古 を 積 ん
ボ ー ル 部 OB・
午後3時からの現役との稽古
ごやかに行いました。
年度バレー
である黒
でいる先輩が
日
木さんに
た。
今年は在学生
熟した稽古ぶ
学 生 vs 卒 業 生 )
名)を上回る卒
りを発揮さ
時か
れ、 久 し ぶ り
ではそれぞれ (
B同士の稽古
い た だ き、 O
稽 古 を つ け て (土)に開催しまし
月
OG 会 を
麗澤会に
した麗大
助頂きま
今回援
ます。
お願いし
是非参加
の あ る 方、
思い入れ
現役の学生に
ない存在
ても切れ
の 遠 方 か ら も お 越 し い た だ き、 OB会設立総会終了後、懇親会
めに、設立総会を開催しました。 ころ、また遠方より学園までお
期) しております。
年
馬術部
た。今回は、滋賀県・京都など
ながら今回参加できなかった皆
号棟跡地を巡り、現
終了後には、新校舎「あすな
ろ」や旧
柳原佳弘(
在 の 麗 澤 大 学 を 見 学 し ま し た。 とを楽しみにしています。
懐かしい顔とキャンパスを歩
日( 日 )
き、
「 懐 か し さ 」 と「 新 し さ 」 馬術部OB・OG会
(麗駿会)
月
OB・OG 会を馬術部厩にて開
年
し が 進
催、参加者
平成
む学生寮
生と家族・在学生)うち子供
取り壊
がミックスした有意義な時間を
過ごしました。
4・5 号
名 と 賑 や か な 会 に な り ま し た。
名(先生方・卒業
館を横目
時から恒例
のバーベキューでは、卒業生の
時から騎乗し、
二次会会
面々も料理の腕前をあげ、用意
に し て、
場の三幸
年。
差し入れに舌鼓を打ちました。
飯 店 へ。 していた肉・野菜の他、数々の
ご主人と
卒業してから早や
うに意気投合!こんな出会いも
み ら れ、 総 勢
経った今でも定期的に家族揃っ
奥様もお
の「交剣知愛」 が 第 一 体 育 館 で 繰
この仕事を始め
あるんだなぁ~と改めて縁とい
自身の手でアレンジできるよう
の会となり子ども
お礼を申
てからおぼろげ
うものが核となるこの仕事の面
いろいろ工夫しております。
り広げられました。
ながらであった
白さを感じました。
えてきたような
呼 ば れ る 相 部 屋( 1 泊 1 名
方が訪れるので普段の生活と違
学 生 時 代、 勉
気がいたします。 食事の提供はございません。
強はからっきし
せていただいていたら麗澤大学
皆様にお会いできるのを楽し
らしてみてください。
屋8000円 ~) が ご ざ い ま
3000円 ) と 個 室( 1 泊 1 部
生方との交流で
す。
宿を夫婦で経営しております。
の職員の方とのこと。双方とも
名
自分のやりた
変わりな
3
23
19
て集まれる環境というのは馬術
11
の私でしたが先
体得した道徳を
分程
のところにありますのでバスな
場所は二条城まで徒歩
今でも私の糧となっており、現
どを利用することなく徒歩や自
中心と考え方は
在の商売に生きているなと日々
大学を卒業してから広告代理
転 車 で 京 都 中 が 散 策 で き ま す。
店や玩具メーカーでサラリーマ
びっくり!お互いマイナー(?) 自由がないようにできておりま
実感しております。
ンをしたり家内と一年間ほど放
す。
19
く、 大 変
みなさんこんにちは!麗澤大
年より私は京都でゲス
学卒業生の武士俣です!
平成
23
10
10
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17
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59
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1
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2
な大学の卒業生ということで感
トハウスと呼ばれるスタイルの
1
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浪の旅にでたりとモヤモヤとし
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13
15
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筆者(写真右側)
と奥様(写真中央)
30
14
ゲストハウス「ろうじ屋」経営
3
また自炊可能なキッチンやお
25
Bushimata Naoya
55
075-432-8494 http://kyotobase.com
京都府京都市中京区西ノ京池ノ内町 22-58
ろうじ屋
62
63
10
9
11
2
武士俣尚也(57期)
た 落 ち 着 か な い 人 生 で し た が、 激も倍増し十数年来の知人のよ
30
私の職場
22
6
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
れいだい
山の会OB・OG会
年
歳から、下は
歳
とった杵柄」話に花を咲かせま
した。上は
ま で の、 文 字 通 り「 老 若 男 女 」
というのも、学生時代に山登り
越えた「縦」のつながりがある
日、 が集う会で、このような世代を
麗澤大学の
月
平成
ホームカミ
の経験を共有しているからこそ
長 を 迎 え、
名の修
了生が参
加しまし
同 窓 会
た。
は内田課
から始ま
長の挨拶
毎年のように山登りを続けて
り、参加者
のことでしょう。
ングディに
合わせて
い る 比 較 的 若 い OB に 触 発 さ
時 よ り「 山
の 会 」 の
全員の自
終わって
己紹介が
う話になり、来年夏の山行計画
から、正式
れて、老年層の OB からは、
「来
が現実味を帯びてきました。山
拙さんを同窓会会長に選出しま
年はみんなで山に行こう」とい
ま し た。
「山
行計画の詳細は、追って OB・
した。また、毎年ホームカミン
加可能な人は今から心身ともに
グデイに合わせ、同窓会を開催
期) した。
することを全会一致で決定しま
徹(
期同窓会
た。
月
平成
年
日の
年前の学生の顔をじわ
わいに酔いしれながら、永井先
生には
じわと思い出していただきまし
た。
お た よ り
期(中)
高田光平
す っか り ご 無 沙 汰 し て お り ま
つっこみを入れながら、和やか
ました。
杯となりました。
住所変更いたし
当時に想いを馳せ、
懐かしさで一
高 先 生、 下 田 先 生 に も 励 ま し
した。
念」として、 ト♪もあり、しばし聴き入りま
新校舎あす
なろにて
の お 言 葉 を い た だ き、 と て も
らシンガポールへ引 越 し ました。
も、 卒 業 後
周年パーティを企
斎木 紀佳(
期)
画 し ま す の で、 ま た お 会 い し ま
しょう!
名+子供達
(Luu Van Thanh)
[email] [email protected]
─
─
▼ 期(中)
吉岡佐地子(旧姓 阿部)
〒 338 ─0836
さいたま市桜区町谷
[email] [email protected]
238 巷
号 2F
▼ 期(別科)戴 欣
105 台北市敦化北路
年 経 っ て も、 変 わ ら ぬ 友 情 と、 コーポさくら 203
互いの現状も知れ、また深く
倫子(
期(ド)
植田哲夫
期) 〒 982 ─0807 宮 城 県 仙
─
[email][email protected]
─
東京都国分寺市本町
ホームカミングデイ開催に尽力
変わりした
五十嵐
[email] [email protected]
サンヴェール国分寺 605
すね☆
ポーツ事業や経営を学ぶ学生の
り「柏レイソル」と「ユニホー
加しています。ホームグラウン
一つでもあり、多くの学生が参
インターンシップ受け入れ先の
ムスポンサー契約」を締結して
ドの看板や選手のパンツ左すそ
月よ
い話に盛り
には麗澤大学のロゴが入ってい
年
上がりまし
いましたが、このたび、史上初
ま す。 応 援 よ ろ し く お 願 い し ま
麗澤大学は、平成
「柏レイソル」が優勝
温かい母校があるって幸せで
大 学 構 内、 げます。
立派な校舎
に驚くと共
に、 解 体 さ
れた学び舎
教 室 に て、 の J2、J1 の 連 続 優 勝 と い
た。 新 し い
う快挙を達成いたしました。な
での懐かし
▼
駅 周 辺 や、 して下さった方々へ感謝申し上
見事に様
今回参加できなかった仲間た
とができました。
今の大学の様子もお聞きするこ
金 丸 先 生 に も お 話 を い た だ き、
加 く だ さ っ た 松 田( 徹 ) 先 生、 ▼ 期(別・経営)リュウ・ヴァン・タィン
ということもあり、充実した毎
▼
に時は流れたのでした。また今
台市太白区八木山南1 ─5
─
[email] [email protected]
▼ 期(経済)喜勢章央
〒 206 ─0012
─
─
[email] [email protected]
ノーブル貝取 202 号
お 互 い に 近 況 報 告 を し つ つ、 す。会 報 ありがとう ございます。 東 京 都 多 摩 市 貝 取
ングデイ当
回は、ハンガリーから伝わった
ホームカミ
時か
楽器・コカリナのミニコンサー
日、
周 年 記
ら「 卒 業 後
〒
216-0007
神奈川県川崎市
訃 報
宮前区小台
305
▼ 期(英)尾形恵美利 (旧姓 橋爪) 謹んでご冥福を
お祈り申し上げます。
平 成 年 月 末、主 人の転 勤
により 年 間 滞 在したフランスか ▼永岡 貞男 様(旧姓:村山)
( 期専攻塾)
期同窓会を
年後
日のホームカ
満 点 の 同 窓 会 で し た!
アットホームで懐かしい気持ち
名)が
開催しまし
名(うち卒業生
れた仲間もおり、
中国、台湾からも駆けつけてく
期) しました。 名弱の同期のうち、 ちからのメッセージもあり、
分かり、たとえ些細なことでも
日を送ることが出来ました。こ
住所変更しました
9 Farrer Drive 02-02
Sommerville Grandeur 259279
Singapore
[email] [email protected]
ヨーロッパ直輸入のスパーク
集まりました。
月
期
リ ン グ ワ イ ン で 乾 杯 し、 深 い 味
年
中国語学科
平成
ミンデイ開催にあたり、私たち
久しぶりに顔を合わせた参加
者もいて、終始歓声に満ちた会
中国語学科
時より同窓会を開催いた
年目を
迎えた節目の年であることか
期は卒業
合 で し た。 最 後 に 集 合 写 真 を
ら、
日のホームカ
撮って、藤井会長から来年開催
月
の約束を得てから、解散しまし
年
ミングデイに合わせて開催した
平成
会には、内田武良初代大学院課
書く力があったとしても、話す
陳 玉雄(
た。
大学院国際経済
研究科同窓会
梅田
鍛えておくとよいでしょう。
期)の藤井大
の会」は麗澤大学創設以来続い
OG 会 の ネ ッ ト ワ ー ク を 通 じ
会を開催し
期(
てきた伝統的な部でしたが、入
て、連絡が入ると思います。参
OB・OG
に大学院
年ほど前に廃部になり
部する学生数の減少のため残念
ながら
ました。
今 回 の OB・OG 会 は、 ほ
とんどそれ以来の久しぶりに開
かれたもので、数十年前とはか
なり様相の変わった光ヶ丘商店
街に昨年オープンしたという洋
名の「昔」の山男、山女
食 屋「 ビ ス ト ロ・ パ ラ ダ イ ス 」
に、
たちが全国各地から集まり、
「昔
麗大麗澤会留学奨学金レポ ー ト
期皆が繋がったような気がしま
した。
ぎ や か に、 懐 か し い 顔 ぶ れ が
話 は 尽 き ま せ ん が・・・、 ま
名が加わり、久々の母校でに
いけません。自分の気持ちを相
集まること
力がなければ外国では生活して
手に伝えなければ誰も理解して
毎日たくさんの人と話す努力を
はホストマザーの言っているこ
の半年間は私にとって人生の中
し た。 い ろ い ろ ご 協 力 い た だ ▼ 期(中)福島豊文
き ま し た 麗 大 麗 澤 会 の 皆 様 と、 〒 185 ─0012
たの再会を約束し帰路に着きま
で半年間の語学留学をし、全期
していました。結果たくさんの
ともハウスメイトが言っている
いく毎日だったからです。この
た。
ができまし
くれません。どれだけ文法が間
違っていようと、とにかく”話
間ホームステイでの生活を経験
友達が出来、そしてホームステ
す”ことが大事だということが
しました。出発当日の期待と不
イいう
みなさまから納入いただく会費を原資に、志ある現役学
生の留学実現を後押しする「麗大麗澤会留学奨学金」を毎
年数名に支給しています。昨年の対象者で夢をかなえた犬
田有紀さんの留学レポート(要旨)をご紹介します。
留学を振り返って
安が入り混じったような感覚を
こともほとんど理解できず、自
で一番長い半年間でした。なぜ
時間英語を話せる状況
今でも覚えています。留学当初
分の英語力の無さに呆然として
私がこの留学で一番力を入れた
貴重な留学の経験を忘れず、自
21
一人ずつ近
平成 年 月 日ご逝去
▼新延 幸一郎 様( 期専攻塾)
1
平成 年 月 日ご逝去
▼杉本 五郎 様( 期専攻塾)
平成 年 月 日ご逝去
▼山西 國靖 様( 期東外南)
平成 年 月 日ご逝去
▼吉井 忠直 様( 期千外中)
平成 年 月 日ご逝去
▼安永 幸秀 様( 期千外中)
平成 年 月 日ご逝去
▼大桃 嘉一 様( 期千外英)
平成 年 月 日ご逝去
( 期千外英)
▼青山 勉 様( 旧姓:高橋)
平成 年 月ご逝去
▼渡辺 義次 様( 期千外英)
9
平成 年 月 日ご逝去
▼北島 光邦 様( 期千外英)
平成 年 月 日ご逝去
▼梅澤 照雄 様( 期千外英)
平成 年 月 日ご逝去
( 期千外中)
▼澤田 祐喜 様(旧姓:刈谷)
平成 年 月 日ご逝去
▼岡角 幸彦 様( 期短大英)
11
平成 年 月 日ご逝去
▼柳沢 義明 様( 期短大英)
平成 年 月 日ご逝去
▼上田 眞弘 様( 期短大英)
平成 年 月ご逝去
▼一木 修三郎 様( 期イ)
平成 年 月 日ご逝去
▼吉江 清 様( 期中)
平成 年 月 日ご逝去
( 期イ)
▼田中 日之美 様(旧姓淀井)
平成 年 月 日ご逝去
▼津田 昌孝 様( 期中)
平成 年 月 日ご逝去
▼藤巻 利和 様( 期英)
平成 年 月 日ご逝去
▼田村 智晴 様( 期経営)
平成
年
月
日ご逝去
35
-
す。
22
8
お「 柏 レ イ ソ ル 」 は、 プ ロ ス
3
6
8
8
8
9
11
11
15
17
18
40
55
し ま う こ と も 多 々 あ り ま し た。 なら、一日一日が濃く、満足の
ことはスピーキング能力の向上
分の強みにしていきたいと思い
58
10
況 報 告、 参
3
3
21
24
2
29
12
55
でした。どれだけ文法や単語を
ます。
4
9
10
6
6
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11
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12
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2
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2
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10
1
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私はオーストラリアのクイー
ン ズ ラ ン ド 大 学( ブ リ ス ベ ン ) 知っていても、どれだけ文章を
1
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犬田有紀 INUTA Yuki
経済学部経済学科3年
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1
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れいだい
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
7
教員生活の思い出
本校と麗澤瑞浪で、 年間にわたって教鞭を執ってこられた吉
田良二先生。 美声の持ち主で、始業式や終業式での国歌や校歌
年4月から
年間、麗
飛さん、入学1年目の大野君の
した。卒業目前の3年女子の黒
が落ちてもわかるような静け
野中先生がアメリカ留学から
校の教員試験は受かっているけ
した)
、2年AB組の半分と2
数Ⅲ(廣池幹堂理事長が生徒で
1年目の授業は、3年B組の
ニスに変わったときでした。1
麗澤はちょうど軟式から硬式テ
テ ニ ス 部 に 入 っ て い ま し た が、
明 徳 義 塾 中 高 等 学 校 )。 麗 澤 大
た。場所は高知の明徳中学校(現
り、初めて校外合宿を行いまし
そ の 後、 再 び 空 手 道 部 に 戻
フ部に昇格させて顧問となりま
れなかったゴルフ研究会をゴル
会であったがために試合に出ら
員 と な ら れ た の を 潮 に、 研 究
のタイトルを持って麗澤の教
帰 国 さ れ、 全 米 チ ャ ン ピ オ ン
ど、東京近郊にいい学校はあり
学空手道部主将だった野中道男
にありがとうございました。こ
というわけで、翌年1月
1年目となりました。2年目は
学校だよ。一回見に来てごらん」 担任をすることになり、楽しい
念講堂下の大銀杏のあるところ
取り壊されてありませんが、記
顧問になりました。道場は今は
中先生とは常に高校との合同練
道部を立ち上げていました。野
先生が、明徳の教諭として空手
参 加 し ま し た。 当 時 は バ ブ ル の
ルフ連盟に加盟し、試合等にも
した。さっそく関東高等学校ゴ
は、 出 身 大 学 の 東 京 理 科 大 学
月 で し た。 私
廣池学園の存在を知ったの
の大先輩であったのです。しか 「 も う 何 に も あ り ま せ ん 」 と 妻
生は、郷里・熊本の出身小学校
にお会いしました。何と松本先
時の数学科主任の松本直義先生
に高校の校舎がありました。当
その当時は、現在の中央広場
初めて廣池学園を訪ねました。
が終わる春休みに結婚をし、新
年D組を担任しました。4年目
寮)全体の寮担任、4年目は1
6寮、3年目は2号館(4〜6
をもらったら自分のゴールだろ
やりました。試合の時、ボール
に 食 べ 盛 り の 男 子 6 名 が 来 て、 年ほど女子バスッケト部顧問を
婚旅行から戻った最初の日曜日
うとすぐシュートする生徒がい
苦 し め ら れ ま し た。 そ の 後、 2
汗臭い胴衣に向ってやってきて
ありました。夏になると縞蚊が
と、大学の新しい歩道橋近くに
たこともよい思い出です。空手
んの計らいで、皆で釣りに行っ
いました。山下富生君のお父さ
たが、高校生はそうとうバテて
きました。中学生との練習でし
談したところ、即許可をいただ
画しました。上田茂男主事に相
習をしていた関係で、合宿を企
のトータル
めてでした。関東予選を
日本ジュニアへは松井雄君が初
行っていましたが、全国大会の
りました。関東大会までは毎年
配分して決めるようなこともあ
会参加者数を登録部員数で比例
頃で各校とも部員数が多く、大
日に
こでは、学園とのご縁と数多く
で混声合唱団に入っていて、杉
も、先生のお兄さんは歯科医で、 に言わせるほど食べ尽して行き
ある思い出の中から出来事の一
並公会堂で定期演奏会が開かれ
校医として歯科検診で見ていた
は、 昭 和
年
で回ってメダリス
人 の 娘 に 恵 ま れ、 ましたが、もちろん入りません
た 坂 田 匡 史 君、 中 途
チャンピオンとなっ
道部出身の卒業生には、全日本
大会にも行ける実力をつけてい
現在のゴルフ部は、団体で全国
の 日 本 ジ ュ ニ ア に 進 み ま し た。
入 っ て、 晴 れ て 霞 が 関 CC で
ト と な り、 関 東 決 勝 で 上 位 に
年)
部で初めてインター
ま す。 ま た、 空 手 道
飯野雅司君などがい
ます。叔母さんの亜津子さんの
子供さんの授業を受け持ってい
ています。東金の能勢千晴君の
して麗澤中学校で数学を指導し
に何度も出て有名な
ハイに出場した恵木
ク ラ ス 担 任 も し ま し た。 卒 業 生
私などが患者として
るのはうれしいものです。学園
においでください。
の傍に住んでいますので、遊び
す。
お世話になっていま
野 中 先 生 や 有 阪 先 生、 校 に 在 籍 し て そ の 授 業 を 担 当 す
歯 科 医 を し て お り、 のお子さんや関係者が中学・高
秀 三 君 は、 北 小 金 で
この4月から、非常勤講師と
退 学 し ま し た が「 ア
に事故が起こりました。学園近
郊の交通事情で中断されていた
た。そんな時、
「生徒が倒れた」
湿度が高く蒸し蒸ししていまし
した。前日の雨と今日の快晴で
され、生徒たちを出迎えていま
方も各チェックポイントに配置
で 出 発 し て い き ま し た。 先 生
生徒たちは思い思いに部屋単位
11
つを述べます。
ました。演奏会後のパーティー
30
ペタイト」という両
人の孫がいます。その
そ の 後、
、
に先輩の藤田真次さんがお見え
だいていました。何という縁で
39
ます。
日に延期さ
日( 土 ) で し た が、
断郊競走が復活されました。予
月
朝からの大雨で翌
定は
日 は 朝 か ら 快 晴。
11
10
れ ま し た。
69
面焼きそばでテレビ
3
生徒たちが3年の秋(昭和
今では
7
11
と い う 情 報 が 入 っ て き ま し た。
平成 20 年に開催した大同窓会での「思い出の授業」
48
ました。
になっていました。挨拶をしな
しょうか。主事をされていた宮
10
が ら、
「出身地の熊本の公立高
「雪の大谷」で奥様と
11
◆ サ ッ カ ー の J1 で、
柏 レ イソルが 初 優 勝 を
果 た し た。 ク ラ ブス ポ
ンサーとなっている「麗
澤 大 学 」の 文 字 を、 ス
タジアムの看板やユニフォーム
の映像で目にした方も多いだろ
う。J2 か ら 昇 格 1 年 目 で の
優勝は初めてのことで、まさに
歴 史 に 残 る 勝 利 だった ◆ 外 国
人選手の活躍、ベテランの頑張
り、若手の成長と、さまざまな
要素がうまく組み合わさった結
果としての大躍進だったが、何
よりもネルシーニョ監督の指導
力と、それに後押しされたチー
ム 内 の 競 争 が 大 き か っ た。 レ
ギュラーは 固 定 さ れてお ら ず、
その時々で調子のよい選手が使
われて、その選手が皆結果を出
していった◆激しい競争といっ
ても、それは足を引っ張り合う
ものではなく、誰にもチャンス
が与えられるという前向きのも
のであった。控え選手でも練習
で結果を出しさえすれば試合に
出場でき、逆に先発メンバーで
も 気 を 抜いたプレーを す れ ば、
すぐに外されてしまう。こうし
た緊張感の中で、互いに切磋琢
磨し合うことで、誰が出ても同
じ 方 向 を 向いた プレーがで き、
チーム全体の力を向上させた◆
選 手 たちは、
「監督が常に選 手
を見ていてくれるから、自分の
状態がよくなれば必ず使ってく
れると信じていた」と皆が口に
する。逆転勝ちが7回と多かっ
たのも、今年の特徴である。選
手交代によって、試合の流れを
ガラリと変 えて勝 利 を引 き 寄
せた。これも、試合の流れを読
み、それに応じることのできる
選手の力と状態を的確に把握し
て い た こ と の 証 で あ ろ う。
「一
人一人をきちんと見ること」は、
サッカーに限らず、人を育てる
こと全般に通じる。そのことの
大切さをあらためて認識させら
れた優勝であった。
点呼後
救急車の情報から「もう一人倒
十五日
れた」という情報も入ってきま
身口意一致して
介護もむなしく、2人は帰らぬ
時の学園の雰囲気を黒飛さんと
人となってしまいました。その
2人でした。病院等での必死の
責任を尽くす
島 達 郎 先 生 か ら、
「麗澤の教員
さ」と後日の随筆に書いていま
になるなら、講座を受けなさい」 同 級 生 の 亀 田 君 が、「 一 本 の 針
ということで、大学卒業式の前
部活動顧問として
す。ご冥福をお祈りいたします。
の3月3日から2週間、瑞浪で
当時の概要講座を受け、千英先
生に決意の手紙を出しました。
でした。竹政校長夫人もその当
れいこう麗澤会のホームページ内の
「母校サポーター登録」から登録い
ただくか、「空メール」を
[email protected]に
お 送 り く だ さ い。
ま た は 右 の「 Q R
コード」をご利用
ください。
年目の途中から米谷豊先生の後
時の部員でした。
登録方法
任として、伝統ある空手道部の
私は中学から高校までソフト
れいこう麗澤会では、支援活動へ
の協力の呼びかけ、母校や麗澤会
の行事などを不定期のEメールで
お知らせしています。ぜひ多くの
皆様の登録をお待ちしております。
た。学期の途中から2年C組の
忘れられない思い出
「母校サポーター」への
登録のお願い
ま せ ん か ね 」 と 聞 き ま し た ら、 年 C D 組 の 半 分 を 担 当 し ま し
吉田先生に、教員生活の思い出を振り返っていただきました。
くれました。 時に優しく、時に厳しく生徒を指導してこられた
斉唱では、吉田先生の歌声が響きわたり、会場を優しく包んで
43
麗澤との不思議なご縁
昭和
43
澤でお世話になりました。本当 「 う ち の 学 校( 麗 澤 ) は 面 白 い
43
42
8
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
れいこう
年前の思い出の箱
ました。そこには私が両親にあてた手
時代の思い出の詰まった箱を開けてみ
今回この原稿を書くにあたり、麗高
間皆勤で卒業することができました。
い生活が合っていたのでしょう、3年
先生には、私が高熱を出したときに額
ただきました。そして、今は亡き木村
生には団結する和の大切さを教えてい
田先生には人を思いやる心を。浅野先
石川先生には女性らしい心遣いを。藤
ただきました。中でも、寮担任だった
麗高ではたくさんのことを教えてい
ち と 放 浪・ 流 浪 の 旅 を し て き た 部
思 え ば、 こ の 本 部 く ら い あ ち こ
は、昨年の8月のことです。
が、総合本館から移動してきたの
事業館の3階に麗澤会の本部
みたいと思います。
中高校の校舎増築について書いて
一緒に植えられたものだと仄聞し
若 か り し こ ろ、 故 池 田 貫 也 先 生 と
た。この竹藪は故高畑太一校長が
がニョキニョキと出るところでし
感 じ の す る 竹 で、 太 い 大 き な 筍
す。 孟 宗 竹 と い っ て 太 い 逞 し い
いました。これは、もとは講座寮
と総合本館との間に南北に建って
そ の 当 時 の 校 舎 は、 今 の 研 修 館
うに思います。
うという生徒のほうが多かったよ
う が、 こ こ で ひ と ふ ん ば り 頑 張 ろ
増 築 部 分 の 地 下 1 階 は 駐 輪 場。
そくぶん
たくま
紙と共に、かわいく折られた色とりど
に手をあててくださり、優しく看病し
たけのこ
りの紙がたくさん詰め込んでありまし
ていただきました。そのぬくもりは今
1 階 に は 家 庭 科 教 室 と 普 通 教 室、
の方々や麗高のみんなには感謝の気持
受け入れ、見守ってくださった上級生
ました。会員の皆さん、学園に来
ました。それが今回ここに決まり
ている限りでも数回の移動があり
迎する運びになっています。
ると共に教室として生徒たちを歓
今 回 は ち ょ っ と 趣 向 を 変 え て、
た。谷川や伊勢参拝への研修旅行へ出
署 は 少 な い と 思 い ま す。 私 の 知 っ
楽しかったことや悲しかったことを共
ら れ た ら、 ぜ ひ こ の 3 階 に ま で 足
この部屋の眺めはなかなかのも
に 入 っ て き ま す。 緑 濃 い 森 で す。
ますと、こんもりとした森が視野
思 え ば、 昭 和
年 4 月、 麗 澤 高
校( 道 徳 科 学 専 攻 塾 高 等 部 と い う
づくしの時代でした。あったのは、
麗澤教育とそれを受けに全国から
き ん き じゃく
集まった百十数名の生徒たちだけ
やく
でした。もちろん、全員が欣喜 雀
ません。イヤイヤながら親に勧め
躍して集まった者ばかりではあり
られてやって来た者もいました。
そ し て、 来 て み た ら 寮 と 校 舎、
やかた
その他の地を這うような木造の
館。がっかりした者もいたでしょ
です。
余年の歳月を経てで
きあがるのです。まさに隔世の感
ま で、 実 に
それから現在の増築校舎になる
を改築したものでした。
発する私への手紙、弓道の試合や昇段
も忘れられません。ありのままの私を
有する手紙、落ち込んでいる私への励
ちでいっぱいです。麗高での3年間は、
を の ば し て く だ さ い。 そ こ に は、
お 世 話 に な っ て お り、
「累代教育」の
と北に壁一杯の窓が開いていま
の で す。 い わ ゆ る「 角 部 屋 」で 西
6 年 前、 創 業 200 年 目 の 会 社 を
い、ロクな校舎もない、ないない
名 称 で し た )発 足 の 時、 何 も な い
担任は早瀬嘉助先生、寮担任は今は亡
大事さを感じます。毎朝5時の始発電
す。北の窓からは、キャンパスプ
営業譲渡し、会社を整理しました。6
そ の 辺 り に 昔、 大 浴 場 が あ り ま し
60
ています。
試 験、 大 学 入 試 へ 向 か う 私 へ の 手 紙、
ましの手紙等々。その時々の思いを託
人と人との絆を深めた大切な時間だっ
来年の春、新学期がスタートす
して渡してくれた、手紙の数々でした。
2階が普通教室になります。
それを読んでいくと“こんなにも他人
たと改めて感じました。
期)と若
ホームカミングデーの年です。大学入
さん(旧姓長山、麗澤
期)、福田千恵
試と重なって卒業式に参加できなかっ
才媛の3人が皆さんを歓迎してく
宮島泰郎事務局長(麗澤
あったんだなあ”と、とても懐かしく
た私にとって、現役の高校生と共に式
山安徳さん(麗澤
思い出されました。引っ込み思案だっ
に参加させていただけるのは感慨深い
期の
両親にお願いして麗高を受験させても
た私が、たくさんの方々と深く関われ
年。 今 年 は
らいました。起床後は眠い目をこする
たのは、寮生活という環境だったから
卒業してから
間 も な く 布 団 を た た み、 洗 顔、 掃 除、
ものがあります。お世話になった先生
のことを思いやり生活していた日々が
朝礼、朝食そして登校。ほっと一息つ
だと思います。生活を共にしているう
方や同級生に会えるのを心から楽しみ
時代でした。金もない、食糧もな
くのが教室の椅子に座ったときでしょ
ちに少しずつ自分の感情を解放してい
旗が掲揚されていて、懐かしく胸が熱
き木村博先生でした。3年時には新校
車で片道2時間の通学をしている子供
ラ ザ の 客 室 を 見 下 ろ し ま す。 そ し
ださることでしょう。
いただき、公益財団法人モラロジー研
舎が完成し、寮も新築され、プールも
たちに、逆に教わることの多い日々で
代目という自分の存在理由を考えなが
た。
今、双子の息子が麗澤中学3年生で
23
期)という
うか。想像していた生活とはあまりに
にしております。
●●●
くことができてきたのです。
お久しぶりです
●●●
れました。卒業
参ります!」と教室に向かう時の解放
くなりました。
グのパーティー会場の体育館にその寮
麗澤高校・麗澤大学の7年間お世話
感も忘れられません。1年生のクラス
究 所 の 関 連 団 体 で あ る「 日 本 道 経 会 」
できました。B組の担任は尊敬する松
す。また、妻の子供の教育にかける母
未熟な新1寮々長の僕を、副寮長の
ら、人生のリセットボタンを押して歩
や
事務局に、昨年4月1日より「常勤嘱
浦勝次郎先生(現モラロジー研究所常
て、その目線を左の方へ移動させ
徳 田 君( 元 麗 澤 高 教 諭 の 故 岸 本 先 生 )
きはじめた矢先のこのご縁に、改めて
べ
託職員」として勤務させていただいて
務理事)
。何と知的で誠実でジェント
親としての姿勢にも感心しています。
が支えてくれました。彼は余りにも早
増築部分はもと竹藪だった所で
す。
下にその写真を掲げておきま
の校舎が目に入ります。
そこには現在増築中の麗澤中・高
さ ら に 左 へ 目 線 を 向 け ま す と、
く逝ってしまい本当に残念です。寮生
かど
思い返せば、血気盛んでわがままな
ルな先生なんだろう……第一印象は今
場 が 懐 か し く、 朝、
「 部 屋 長、 行 っ て
……と今さらながら思います。古い教
います。
子供同然であった自分が、高校1年の
もまったく変わりません。
になった麗澤の杜に
年ぶりにご縁を
「心のふるさと」麗澤の杜
年後のホームカミン
も違い戸惑いましたが、この規則正し
漫 画 の 中 に 出 て く る 寮 生 活 に 憧 れ、
小柴京子(旧姓 風澤)45期
能勢 千晴 40期
(13 期・池田 裕)
校舎増築に思う
63
33
「 余 徳 」 の 意 味 の 重 み・ 深 さ を 感 じ て
況になっても心の持ち方で必ず再生で
1階
29
30
寮生活によく耐えた(?)ものだなぁ
30
42
が煙草を吸い、寮長として責任を感じ
きる……そんなことをモラロジーの教
人 生 100 年 時 代! 人 は ど ん な 状
います。
とに驚き、深く生徒を思いやる心に涙
た米谷豊先生が頭を丸刈りにされたこ
「 坊 主 頭 」 に な っ た 時 に、 寮 担 任 だ っ
が溢れたことを思い出します。新たな
新校舎平面図
45
えから日々学んでおります。
平成 23 年 8 月
30
30
寮旗には、大きく「伝統」と文字を入
平成 23 年 11 月
れいこう
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
9
卒業生を招き、希望職種別講演会を開催
平成 年9月 日(木)午後、 プ に 分 か れ、 そ れ ぞ れ 教 室 で
麗澤高校1年生(4年生)向け 「 働 く こ と の 意 味 」 や「 働 き が
どの生徒がよい反応を示してく
れました。また、講師の方々か
らも「生徒からパワーをもらっ
た」
「自分を振り返るよい機会
となった」などの感想とともに、
い」
、
「仕事の難しさ」などにつ 「 こ の よ う な 企 画 が あ れ ば ま た
同 窓 会 の報 告
麗澤 期「古稀同窓会」
年
月に麗 高
「古稀同窓会」を開催しました。
年 前の昭 和
を 卒 業 した 123 名のう ち、 今
回 名 が 参 加。 最 初 に、 名の
日、 日の両日にわたり
軽井沢で開催
期
6月
長野県の軽井沢で同窓会を開催し
お亡 くなりになった同 期の皆さん、 ました。参加者は 名。恩師に中
伺いし、「八面 玲 瓏 」の間で、「 身
の学 園 内 散 策で、まず 麗 澤 館にお
に「希望職業別講演会」が開催
麗 澤 期 生は、椿 原三郎 先 生、 ならびに東日 本 大 震 災で被 災され
松葉茅重子先生、長谷川武先生、 た方々へ黙 祷 を 捧 げ ました。 当日
早 瀬 嘉 助 先 生ご臨 席のも と、廣
しん
池 学 園のキャンパスプラザにおいて
山哲雄先生、米谷豊先生、長谷川
武先生の3名の先生方をお迎えし
宿 は、 明 治 か ら の 歴 史 を 持 ち、
ました。
高 等 学 校の校 舎 を見 学・案 内して
澤 大 学の新 学 舎 および麗 澤 中 学・
た。 その後、 竣 工したばかりの麗
受け、廣池博士の墓所を訪ねまし
「 麗 澤 」の意 味についてのご説 明 を
た。2日目は、旧軽井沢の森を散
の思い出話や近況を語り合いまし
れた同級生夫妻の参加もあり、昔
大いに盛り上がりました。被災さ
た。その後の二次会も夜遅くまで
の過ぎるのも忘れて話が弾みまし
た食事に舌鼓を打ちながら、時間
落 ち 着 い た 格 調 高 い 万 平 ホ テ ル。
いただ き ました。 会 食での全 員ス
策したり、賑やかなアウトレット
長谷川武先生の乾杯の音頭で宴会
ピーチは、古稀をバネに 「これから
で買い物したりした後、蕎麦屋さ
口意の一致 」( 行いと言 葉 と心づか
の人 生 」 をエンジョイしようと、力
んで昼食をいただき散会しまし
が始まり、こだわりの食材を使っ
づけてくれるものでした。 参 加 者一
た。次回は四国で開催することに
(福井博康・記)
ることになりました。
のタイトルで
月 日(土)〜
「 来 た れ 四 国 へ! 讃 岐 路 へ
期 讃岐で同窓会
のある畑毛温泉で2年後に再会す
(勝俣浩司・記)
寄せられたので、モラロジー研 究 所
幾雄君が幹事を引き受け、彼が館
次回の同窓会は、沼津市の山本
なりました。
に委託しました。 (佐藤忠道・記) なりました。
同から東日 本 大 震 災への義 捐 金が
誠にあふれた状 態が八面 玲 瓏 ) と
れいろう
数いただきました。
い て お 話 し を い た だ き ま し た。 参加したい」というお言葉を多
28
いが利 己 的でなく、公 明 正 大、至
く い
各講師の職業人としての高い意
し、社会の各分野でご活躍の卒
18
識が、生徒たちのよい刺激とな
名に講師としてご協力を
期 富山で同窓会
平成 年5月 日、富山市で
期の同窓会を開催しました。富山
11
3
いただきました。
業生
34
観 光 ホ テ ル に、 恩 師 の 早 瀬 嘉 助、 長を務める廣池千九郎畑毛記念館
名が一堂に集いました。宴会
期の同窓会を
日( 日 ) に 香 川 県 仲 多 度 郡 琴 平
町「琴参閣」にて
名プラス恩師2名の
名でした。JR坂出駅と高松
名、女性
」 を過ごしました。参加者は、男性
哲雄先生を囲んで、楽しいひと時
開催。恩師の長谷川武先生と中山
29
名の死亡者に黙祷を捧げた
入れがあり、それを景品にしてビ
た。途中、いろいろな方から差し
してもらいながら食事を進めまし
発声で乾杯。一人ずつ近況報告を
ピーチをいただき、井上隆雄君の
あと、長谷川・中山両先生からス
同期
し、 同 窓 会 の 開 催 と な り ま し た。
た。 そ の 後、 再 び 琴 参 閣 に 集 合
ある者は金毘羅山頂をめざしまし
の舞台「金丸座」を見学。体力の
チェックインをすませ、日本最古
味 い た だ き、 宿 泊 先 の 琴 参 閣 で
出し、昼食にさぬきうどんをご賞
空港へお迎えのチャーターバスを
計
14
田中森夫両先生をお招きして、総
勢
場では一人ひとりが近況を報告し
あい、二次会を含めてお互いに思
い出話に花を咲かせました。今回
の同窓会には幹事の中村耕三君の
呼びかけにより、初めて夫婦連れ
けやきだいら
日は、早朝からバスで宇奈
で4組が参加しました。
翌
月へ向かい、そこから欅平まで黒
部峡谷をトロッコ電車に乗って1
時間半かけて旅しました。深いV
字峡谷を小さなトロッコ電車が縫
うように走り、 ものトンネルや
の橋を渡り、万年雪の残る壮大
な景色に圧倒されました。終点の
欅平周辺を散策し、同じルートで
20
23
宇奈月、富山市へと戻って解散と
!!
30
22
41
10
23
36
53
24
最後になりましたが、今回ご
協力いただきました卒業生の皆
看護師 小田(旧姓 黒梅)智子さん(50期)
り、アンケートでは8割の生徒
司法書士 椎塚 裕一さん
(50期)
様、本当にありがとうございま
医師 小林 マークさん
(49期)
した。
販売会社社長 高野倉 匡人さん(44期)
が「 満 足 し た 」 と 答 え、
「ほぼ
大学教授・研究者 鈴木 英之さん
満足した」を含めると、ほとん
パイロット 大塚 康晴さん
(44期)
当日は、まず階段教室で各講
師から生徒たちに向けて自己紹
銀行員 山崎 裕二さん
(40期)
47
29
29
介をいただいたあと、各グルー
設計士 柳瀬 寛夫さん
(35期)
12
10
23
23
34
21
(65期)
作業療法士 柴田 美雅さん
(63期) 中学校教諭 川本 将多さん
警察官 福原 隆さん
(59期)
スポーツインストラクター 山中 敦生さん(54期)
弁護士 菊田 行紘さん
(52期)
ホテル業 伊師 千香子さん
(51期) 企業勤務 酒井(旧姓 水谷)敦子さん(51期)
税理士 植田 覚さん
(51期)
29
22
22
23
16
ご協力いただいた卒業生の皆さん
10
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
れいこう
ンゴゲームを楽しみ、和やかなひ
と時を過ごしました。翌日は、初
心者用のお遍路体験をしてもら
い、甲山寺から善通寺までを徒歩
同窓会報告
で、その後、本山寺から神恵院・
期
期は、9月3日、4日と中日
本生涯学習センターで同窓会を開
当日は、台風の影響で九州、四
催しました。
国、中国組から来られなくなって
残念でしたが、幸先生と千頭(川
田)先生をお迎えして、楽しい時
歳で卒業した私たちも、いつ
間を過ごすことができました。
いました。
て い れ ば と 思 う 反 面、 麗 高 で 学
また 企 画 してく ださるのを 心 待
日付)
期
がんばっていま す。一昨 年には 娘
ていま す。 この経 済 が 厳 しい中、
ただ 今、 会 社4社の代 表 をし
―
(9月
ちにしています。
期
田中 大介
んだ道徳の精神は生かされてい
て良かったと思っています。い
つか学園に訪問できる日を楽し
みにしています。
メール
(6月 日付)
: [email protected]
―
おります。 今 年は同 窓 会も予 定
山口 嘉洋
も産まれ、元気にバリバリ、仕事
しており ま すので、楽しみに待っ
にプライベートに と忙 し くやって
7月4日に亡くなった佐賀山
訃報
謹んでご冥福を
お祈り申し上げます
▼石橋 安雄様 ― 期
期
(6月8日付)
―
山元 晴之
ここ2年あまり糖尿病のた
初日の懇親会には幸史隆先生
例年8月に開催していたテニ
ご夫妻と現在顧問をなさっている
め、入退院を繰り返しています。
期別の同窓会にも参加でき
期
日付)
ず、本当に残念です。皆様元気
―
にお過ごしください。(8月
巽 照江 (旧姓 高橋)
祥一君のお宅に、8月4日、弟
平成 年5月 日ご逝去
▼岡角 幸彦様 ― 期
佐賀山君が山羊を飼っていた
(8月4日付)
川原を見、彼が気にいって建て
ていてください。
7月に「アジアの子供たちと
た暖炉やロッキングチェアなど
平成
年5月
平成 年 月 日ご逝去
▼川北 明男様 ― 期
平成
年
月
日ご逝去
平成 年 月 日ご逝去
▼佐賀山 祥一様 ― 期
平成
平成 年 月8日ご逝去
▼池田 正弘様 ― 期
(8月8日付)
日に長 男 を出
期
森を再生させる会」代表のお世
を見せてもらいました。今も毎
産しました。 まだ育児に慣れず、 ▼佐々木 道治様 ― 期
―
話で、カンボジアに行ってきま
日 畑 に 出 か け る 元 気 な お 母 様、
慌ただしい毎日ですが、全 身でい
吉田 綾子(旧姓 加藤)
した。わずか、6日間の滞在で
奥様、長男の耕一君から、佐賀
ろんなことを表現してくれる息子
―
し た が、 ア ン コ ー ル ワ ッ ト ツ
山 君 が い つ も 遊 び を 持 ち、 ゆ っ
周年の諸行事も着々と
進められて、心よりお喜び申し
学園の
菅沼 秀雄
麗 澤 会 の 皆 様、 こ ん に ち は。 アーなどでは行くことのないア
たり、ゆっくりと楽しんで、幸
の誠君の案内で行きました。
50
ンコール小児病院やプノンペン
おた よ り
13
大学を訪問し、学生と楽しくメ
期
の間にか 代を迎えました。一時
は、子育てなどで忙しく、同窓会
に出席できなかった人たちも、数
年前の大同窓会から久しぶりの登
場が増え、多くの人と旧交を温め
年以上も経っているの
られるようになってきました。卒
業から
に、会った瞬間から高校時代に戻
観音寺の計5か寺を駆け足で巡り 先生はじめOBの皆さん、会場の
さ て、 期 の 諸 氏、 お 元 気 で た、スラム地区にも行き、恵ま もらいました。 号舎の寮長の 〈同窓会の連絡〉 期の皆様へ
準備等ご協力くださった現役テニ すか。早いもので各々が 代を れない環境の中で生活している 時の佐賀山君の姿が思い出され
ました。
今 回 の 東 日 本 大 震 災 で は、多
次 回 の 開 催 地 を 京 都 府 宮 津 市 ス 部 の 皆 さ ん、 こ の 日 の た め に 数える年代ですね。会報に掲載 人々、元気で無邪気な子供たち ました。ご冥福をお祈りします。 く の 方 が 被 災 さ れ ま し た。テ レ
に決定。再会を誓って散会しまし コートを空けてくださった女子テ さ れ る 同 期 池 田 裕 名 誉 教 授 の との交流もできました。そして、
(8月 日付) ビ・新聞でも紹介されていたよ
た。
(横田安男・記) ニス部、中学テニス部の皆様、本 「 根 掘 り 葉 掘 り 」 の 記 事 は、 本
う に、同 級 生 の 笠 井 晃 君 が 施 設
昨年9月の本部受講の際に出
佐門 潤子(旧姓 林) ― 期
当にありがとうございました。幹
長を務める宮城県名取市の身障
会
っ
た
イ
ー
ト
ン
先
生
の
別
宅
で
、
当
に
当
時
が
蘇
る
思
い
で
毎
々
拝
読
イズなプレゼントは、参加者全員 事として不行き届きの点多々あっ しています。これからも執筆を 奥様手作りの心のこもったお食
者施設も津波の被害に遭いまし
に鈴木義之・さち子夫妻が心をこ たことと思いますが、どうぞご容 お待ちしています。ますます充 事、温かいおもてなしをいただ
た。現 在 も 仮 住 ま い の 施 設 で す
めて作ってくれた世界で一つしか 赦いただき、また来年もよろしく 実する母校並びに麗澤会のご発 き、ご夫婦の素晴らしいお人柄
皆さんお元気ですか。ただ今、 が、一 番 弱 い 立 場 に 置 か れ て い
ないすてきな手作りスプーンのお お願いいたします。
展 を 祈 念 申 し 上 げ ま す。 目 下、 に感動。心の交流とはまさにこ 和歌山県人として楽しんで生活 る身障者のために飛び回ってい
土産でした。
最後に、現役生のさらなる活躍 年金生活を感謝し、生活してい う い う こ と か と 実 感 し ま し た。 しています。
(8月2日付) ま す。
復興に向けた長期的な支
翌日は、馬籠宿まで足を延ばし をOB一同心よりお祈り申し上げ ます。
(7月 日付) SVA現地職員スタッフの方々
援の必要性と絆の大切さを感じ
中村 祐見子(旧姓 浅谷) ― 期
て信州そばに舌鼓を打ち、バスで ます。めざせインターハイ
ています。このような事態で「還
とカンボジア料理をいただきな
山根 勘次郎
― 期
はカラオケを楽しみました。同窓
( 期 竹添雅雄・記)
暦 同 期 会 」の 延 期 も 考 え ま し た
がらの交流ディナーも楽しいひ
会の帰り、東京組はまたすぐにで
が、予 定 通 り 月 日 に 柏 で 実
と 時 で し た。 発 展 途 上 国 の カ ン
も皆に会いたくて、新幹線の中で
皆 様お元 気ですか。 平 成 年 施します。 (担当幹事:松田興一)
ボジアの子供たちが幸せになり
次の同窓会はどうするかで大いに
日本国で麻の葉模様が使用さ ますようにと、心から願う一人 に体 調 を 崩して入 院し、 退 院 後
盛り上がったそうです。また近い
(8月8日付) もなかなか回 復せず、 昨 年 秋 ま
れ た 最 初 が 鎌 倉 時 代 の 佛 像 群 で です。
うちにぜひ会いましょう。再会を
あることがわかりました。これ
で実 家で療 養 していま し た。 今
坪根 国秀
― 期
楽しみにしています。では、それ
で麻の葉模様が赤ちゃんの産着
はすっかり元気になり、長男は小
まで健康に気をつけて、よい日々
以外にいろいろな場所に、それ
学3年 生、 次 男は麗 澤 幼 稚 園の
を過ごしましょう。
も大事なところで使用されてい
年 長 組でお 世 話になっていま す。
(服部のり子・記)
同窓会も出ず、申し訳なく思 療養中に同窓会があったようです
る こ と の 解 答 が 得 ら れ ま し た。
皆々様のご協力ありがとうござ います。時々、地元の高校に入っ が、出席できずとても残念です。 協力金をいただきました。
男子テニス部OB会
期 一万二百六十円
ありがとうございました。
な笑い声が至るところであがりま
ス部OB会を、今年は諸事情によ
り、昔からの呼び方になって大き
した。これも全寮制で苦楽を共に
り
話で共に盛り上がれる仲間がい
月に開催しました。
したからでしょう。昔のおバカな
て、本当によかったです。サプラ
丹羽真樹子先生、中野太郎先生を
お招きし、 期から 期まで世代
を超えたOBが、近況や現役時代
の話題を肴にして楽しいひと時を
過ごすことができました。
2日目、前日に降った雨も朝の
集合時間までには上がり、ほぼ予
定通りテニスができました。現役
生との交流試合は、昨年までトー
ナメント方式の個人戦を行ってき
ましたが、今年はOB5チーム・
現役3チームによる団体リーグ戦
27
に感動の日々です。
29
方式で行い、真剣に試合に臨む現
役生と接することで、改めて母校
13
せに暮らしていた様子を話して
15
年
月
日ご逝去
30
テニス部に活躍してほしいと願う
34
7
80
27
17
52
57
19
12
59
59
74
17
30
50
30
13
14
16
20
25
16
21
14
一日になりました。
!!
13
42
42
18
10
12
26
49
コ ン 川 ク ル ー ズ も し ま し た。 ま
上げます。
7
10
9
9
7
23
41
18
17
26
10
遠方からお越しくださった幸
23
23
23
23
23
23
75
れいこう
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
11
年男・年女(辰年)
整理することができました。多
意見を受け止め、冷静に考えを
案に「一晩頭を冷やして」との
尊さが身にしみました。私の提
職場では「素直な心」で学ぶ
らっています。
実に努力する喜びを学ばせても
ける子どもたち。共に歩み、誠
もかというように課題を投げか
間でした。これでもか、これで
び、無償の愛の尊さを感じた瞬
も太陽に向かって歩んでいきた
報恩の誠」を抱負に、これから
き継いでいけるように「感謝と
の心を受け継ぎ、次の世代に引
やで」を最後に他界した父。そ
に 胸 が 熱 く な り ま す。「 誠 の 心
繋がるように。
少しでもお役に立てる生き方に
忘 れ ず に い て く だ さ る 皆 様 に、
う の な い 苦 し み の 中 で、 笑 顔 を
自然との共存で持っていきよ
いと思っています。
感な中学生との出会いの中で壊
と変わっていませんでした。し
ン 」 の「 何 時、 如 何 な る 場 合、 えられ、前向きでいられたのは
かしながら中身はというと、中
今、こうして自分の歩みを振
高校時代に知らず識らずに身に
学
期
ついた感性だったように思いま
しても友達感覚で接している様
原田晋一 ──
す。それは、麗澤瑞浪という環
子、 そ し て 麗 明 祭 も 6 月 開 催 で
れてしまいそうな私の心を救っ
麗澤で得たもの
境のもとで多くの恩師や先輩方
普通の文化祭みたいになってい
り返る時、どんな時も勇気を与
に護られ育てていただいたから
ま し た。 そ れ に 全 寮 制 で は な く
て く れ た の は「 サ ル ベ ー シ ョ
如何なる人に対しても自分はそ
に 違 い あ り ま せ ん。 第 二 の 故
なっていること。本当にこれで
今年の抱負を語る
郷、麗澤瑞浪の地。優しい川の
年生だけの寮や、先輩に対
の人の親であるという心使いに
せせらぎがいつも温かく迎えて
昨年5月に8期の“年女”た
真剣に向かい合い、本当に親代
しかし先生方が子どもたちに
ちが京都に集い、懐かしい仲間
わ り に 育 て て く だ さ り、 そ し て
くれます。
勤めさせていただき、今年は退
との触れ合いに心なごむひと時
期
職の年度を迎えました。本当に
でした。それぞれの人生の歩み
ジー全国青年交流会の実行委
小寺厚子 ──
♪雲は流れ 時はめぐる♪
あのさわやかな歌声に魅せら
多くの皆様に支えられ、子ども
を、笑顔で包み合える幸せに元
太陽に向かって
れ、口ずさむと勇気と元気がわ
たちに囲まれた環境での日々に
員 長 を さ せ て い た だ い た 時 に、 し て く る 度 に 成 長 し て い る 姿 を
見 せ て く れ て、 逆 に 僕 ら の 時 よ
い な が ら も 切 磋 琢 磨 し て、 帰 省
子どもたちも互いにぶつかり合
いてきた新採時代。麗澤瑞浪高
気をいっぱいいただきました。
100余人の参加者に対して
なが気持ちよくなるんだったら
くれた人や、母もすっかり忘れ
をしていないのに遠方から来て
強く思ったことはありませんで
挙がりました。この時ほど、心
て み た と こ ろ、 半 数 以 上 の 手 が
手 を 挙 げ て 〜」 と 何 気 な く 聞 い
育を継承してくださっている教
恐 れ ず 変 革 し、 よ り 良 い 麗 澤 教
を 大 切 に 守 り な が ら も、 変 化 を
る よ う に な っ て き ま し た。 伝 統
を く ぐ ら せ て く れ た 両 親 の 思 い 「 こ の 中 で 麗 澤 瑞 浪 出 身 の 人、 り も 良 い の で は な い の か と 思 え
数年前に麗澤瑞浪高校の門
感謝の気持ちでいっぱいです。
な経験と学びがありました。
後ろ姿の教育
損じゃないだろ」と。
ているくらい遠い昔に接してい
当 時、 そ の 意 味 は よ く わ か
した。
自宅で何気なくテレビ
を 見 て い た。「 お 客 さ ん
にありがとうと言われる
と、疲れが吹き飛びます」
とインタビューに答えて
いる人がいた▼そこでふ
と思う。多くの職業には、
形は様々であっても「お
客様」に相当する相手が存在す
る。 そ し て、 そ の「 お 客 様 」 に
満足してもらうことに喜びを感
じ る こ と は 多 い。 と い う こ と は,
他者に対する思いやりの心が大
切 で あ る、 な ど と 硬 い 言 葉 を 意
識 し な く て も、 も っ と 自 然 な 形
で、 相 手 が 喜 ぶ 姿 に 生 き が い を
感じる人は多いのではないだろ
う か。「 他 人 の た め に が ん ば っ て
いる」人は案外たくさんいるの
で は な い だ ろ う か。 も し か し た
ら、 他 人 の た め だ か ら が ん ば れ
る の か も し れ な い ▼ そ こ で、 今
の中学校や高等学校での勉強の
光 景 を 思 い 出 し て み る。 子 ど も
た ち は「 自 分 の た め な ん だ か ら、
勉強をしっかりしなさい」と教
え ら れ て は い な い だ ろ う か。 し
か し、 自 分 の た め と 教 え ら れ る
と、「 僕 に は 必 要 な い か ら 勉 強 は
の前まで掃除をしていた。その
年以上経った今でも、そのとき
葬儀のあとに、母から「みんな
れ が 不 思 議 に 思 う ほ ど だ っ た。
と よ く 耳 に し て い ま し た が、 一
ラ ロ ジ ー に 繋 が っ て く れ な い、
普 段、 麗 澤 会 員 が な か な か モ
出来ることが大切であるという
私 自 身、 喜 ん で 人 の お 世 話 の
と な る と 様 子 が 少 し 変 わ る。 自
が 現 れ る。 し か し、 他 人 の た め、
し な く て い い ん だ。 僕 に 必 要 で
「感動的な話だった」と講演会
姿を子ども心に怪訝な思いで見
の父の言葉と笑顔は私の脳裏に
お父さんが何かとお世話をした
瑞浪の卒業生はしっかりとリー
上でもより良い会社を創ること
ら っ た と 思 っ て い ま す。 仕 事 の
分からないからだ▼社会には、他
て必要かどうかは今の自分には
分が勉強することが、他人にとっ
る」と投げ出してしまう子ども
ないことは僕がよく分かってい
等の後によく耳にすることが
ていた私は、ある時、父に尋ね
しっかり焼き付いている。口数
職員の皆様には頭が下がる思い
た人も多く参列されていて、そ
あ る。 し か し、 い い 話 で あ っ
てみた。
「お父さん、自分の店の
たちだよ」と聞かされ、なるほ
ダーとなって活躍してもらえて
で社会に貢献していきたいと考
です。
て も、 月 日 が 経 つ と、 そ の 内
価値観を麗澤瑞浪で学ばせても
どと謎が解けた感じがした。
「頼
いるような気がしています。
人(家族、客)のためにがんばっ
りないどころか、親父はすごい
て い る 大 人 た ち が た く さ ん い る。
必 要 と す る 人 が 現 れ る。 そ の と
えています。また、自然とそう
きのために今から勉強をしっか
そして今、長男が中学3年生
良くなっていくのではないで
人だったんだ。人のために生き
し ょ う か。 で す か ら 世 の 中 の 為
髙倉孝治
旦 繋 が っ て し ま え ば、 特 に 麗 澤
容や話した人の名前を思
い 出 さ な い こ と も あ る。
よほどのインパクトを与
え た 話 で な い 限 り、 そ う
長くは心に残らないもの
時とあまりに違うのに戸惑って
そのことを合わせて考えると「君
毎 朝、 道 路 を 掃 除 し、 た だ
し ま い ま し た。 建 物 な ど は セ ン
いった考え方をすることの出来
ていて、子どもながらに、男と
黙々と仕事をしていた父の後ろ
で麗澤瑞浪にお世話になってい
してなんとなく頼りなく見えて
姿だけが蘇る今日この頃。父の
りするべきだ」と説明したほう
るとこうなるんだ」と心の底か
除すれば
いた父。その父について、私が
が、子どもたちはやりがいをもっ
かもしれない。
いいのに、よその店の前までな
初めて真実の姿を知った出来
にお役にたてる有為な人材を輩
たちの勉強してることを、この先
んでやっているの。そんなこと
出する学校として、これからも
て勉強に励むようになるかもし
る人が少しでも増えていくこと
な く て も、 目 に 焼 き 付 い た 光
したら損じゃないか」と。する
タ ー が 新 し く な っ た り、 中 学 校
学園が発展していかれることを
で、 社 会 も、 そ し て 日 本 の 国 も
景や心に残る人の姿は何十年
事があった。それは父の葬儀で
かかるだろうが、今の私の姿は、 の校舎や体育館、プールなどが
ようになるにはまだまだ時間は
新 し く 出 来 て い た く ら い で、 高
祈念しています。
ます。当初、子どもを入学させ
経っても残っているものだ。
と父は、微笑みながら、
「まわり
あった。予想を遙かに上回る多
すでに成人した子どもたちには
校寮や校舎などもほとんど当時
て い た だ い た 頃 は、 自 分 た ち の
私 が 子 ど も の 頃、 衣 料 品 店
がきれいになれば気持ちいいだ
くの参列者があり、兄弟や親族
どう映っているのだろうか。
ら思ったものだった。
を 営 ん で い た 父 は、 毎 朝、 開
ろ。誰だってゴミがない道路の
がその多さに驚いていた。連絡
聞いた話は記憶に残ら
店前に店の前の道路を掃除し
ほうが気持ちいいんだよ。みん
れない。
て い た。 し か も、 自 分 の 店 の
麗澤瑞浪
事務部長
り、困っていたときに助けた人
らなかったが、父が他界して
屏風山
が少なく、いつも母の助けを得
「 い い 話 で た め に な っ た 」 前だけではなく、二、
三軒先の店
40
前だけ掃
30
の小・中学校で養護教諭として
等学校で家庭科教諭として2年
1
あっという間の日々、いろん
年秋に本部でモラロ
「辰」という字には、春三月に至って陽気が盛んとなり、 て そ の 人 の 心 を 慰 安 し …」 の
それまで乙乙(のびなやむさま)として伸びなやんだ草木 一説でした。思わず、背筋が伸
が変化伸長する、という意味があります。皆さまの日頃の
努力が実り、花開く年になることを念願しています。
今回は辰年のお二人に麗澤瑞浪への思い、今年の抱負な
どを語っていただきました。
20
麗澤教育と言えるのか? とい
う疑問を持ったりもしました。
平成
15
間お世話になり、その後、地元
8
12
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
みずこう
★ ★社会人講話 ★ ★
6月 日に3・4・5年生を対象に、社会で活 躍 さ れ て い
る方々をお招きして、社会人講話が行われました。
今回は卒業生 人を含む 人の方が講師として来校され
ました。生徒は自分の聴きたい分野の講師を選んで、それ
ぞれ1時間聴講し、将来の進路を考える上でたくさんの刺
激を得ることができたようです。
の歯が
本あることを目指す運
ありますが、楽しみでもありま
えたり見たりするようにも気を
す。常に園児の目線に立って考
配っています。また園児だけで
動です。ぜひ皆さんも正しいブ
ラッシングをして歯を大切にし
ています。
年
滝本 有理
周年を生徒会長としてむかえて
人前で自分の意見
受け継がれていることを伝えた
い、 そ う 強 く 思 い ま し た。 私
はこの機会をいただいたことで、
麗澤瑞浪はずっと愛され続けて
生からこんなにも愛される学校
てください。そしてもう一つ大
はないと思います。そしてその
先輩方の前で話すにあたって、 きたことに気付きました。卒業
意 と す る こ と で す。 教頭先生から昔の麗澤瑞浪につ
精神は
先生をして
澤幼稚園で
現 在、 麗
故 郷 で あ る 瑞 浪 が 忘 れ ら れ ず、
に 戻 り ま し た が、 や は り 第 二 の
期 宿谷和史
高校を卒業後に故郷の千葉県
期 加藤田佳子
を 言 う。 私 が 一 番 得
いての話を聞きました。たくさ
ています。私たちが生徒会の目
の 麗 澤 瑞 浪 が あ る こ と を 知 り、 も私たち在校生の中に生き続け
んの先輩方の努力のおかげで今
標 と し て 掲 げ た「 輪 」は、 た し
なく保護者との信頼関係を築く
マイクを持って壇上
その感謝の気持ちを伝えようと
ことも大切です。幼稚園の先生
で 話 を す る の は、 私
決めました。ただ漠然と心の中
切なのはスマイルです。口角を
にとって何の苦でも
にある想いが文章になるにつれ、 かに繋がっていました。
ちょっと上げるだけで穏やかな
な く、 む し ろ 楽 し い
さったおかげで、いま私は麗澤
い ま す。 子
るように努力しています。そし
年 間、 寮 生 活 で
培 っ た 他 人 を 大 切 に す る 心 も、 式典での挨拶は強く印象に残っ
の 勉 強 」 の 開 始 で す。 み な さ ん
年の長い歴史を繋いでくだ
年の伝統と想いを
私 は「 絶 対 に 電 車 の 運 転 手 に
ても幸せです。
なるんだ」と強く思っていまし
にも危険物の処理や行方不明者
会の最前線で活躍してくれるこ
資格のひとつ
じような国家
は弁護士と同
期 上原弘人
公認会計士
も大変でした。
要ポイントを覚えることもとて
6 ヶ 月 あ り ま す。 信 号 機 な ど 重
際に電車を運転する技能研修が
必要で、学科研修が3ヶ月、実
へ入社しました。視力は
鈴木さくら
鉄道員という仕事は「時間が
期
麗澤大学
間 学 び、 現
攻塾で2年
ラロジー専
卒業後にモ
人に感動を与えられる仕事を
ください。
る」という強い気持ちを持って
た。 皆 さ ん も「 夢 を 絶 対 に 叶 え
もしっかりと勉強を重ねて、社
皆 さ ん に は、 生 涯 付 き 合 え る
仲 間 を 作 り、 夢 を 持 っ て チ ャ レ
絶対に運転士になるんだ
とを願っています。
の捜索なども行っています。
災時の消
ンジしてほしいです。
仕 事 は、 火
火、 救 急 や
救助が主な
勉強に終わりはありません
年変わることなく今
こ と で し た。 生 徒 会
在校生の代表としてしっかり伝
瑞浪の先頭に立っています。先
はやりがいのある職業です。ど
長を務めさせていた
えなければならないと使命感も
輩方から受け継いだすばらしい
人に見られます。お互いに本当
だ い て、 何 度 も ス
強くなりました。そうして迎え
精神を今度は次の世代に繋げる
うぞ皆さんもチャレンジしてく
ピーチの機会をいた
た本番。私は何より卒業生の数
どもにとっ
ださい。
だ き ま し た。 そ の 度
に驚きました。ここにいる全て
に心穏やかな人を目指しましょ
に、聞いている人にちゃんと伝
番 で す。
う。
わるようにと思いながら話して
しっかり伝えていきます。
第二の故郷、瑞浪で消防士
消 防 士 の 試 験 を 受 け ま し た。 消
の方に感謝を伝えたい、先輩方
初めての社会生活の手助け
防 士 に な っ て 6 年 目。 麗 澤 瑞 浪
が繋いでくださった伝統が今も
で過ごした
てできなかったことができるよ
い ま し た。 中 で も
周年記念
て幼稚園は
8020と
うになるためのサポートをする
仕事になり
期 桐山達亘
私 は 大 学 卒 業 後、 J R 新 神 戸
で、 会 社 の 会
命」です。かけこみ乗車は電車
以上
計を監査する
ことが大きな
経塾』などの雑誌作りを手がけ
在はモラロ
仕 事 で す。 そ の ほ か に も 会 社 の
全体の時間を
ています。一冊の雑誌が出来上
な り に さ れ てい る の で は な い だ
主に監査法人や会計事務所で働
動 を 意 識 し て い ま す。 睡 眠 時 間
依 頼、 実 際 の イ ン タ ビ ュ ー や 資
がるまでには、企画から取材の
の出版部で『れいろう』や『道
ジー研究所
合併についてのアドバイスや株
います。注意してください。私
は返 済 す るのが 当 然である。こ
式市場への上場支援などのコン
である。恩 は 借 金であ り、借 金
の 当 た り 前 のこ と が 麗 澤 で は 教
サ ル テ ィ ン グ 業 務 も 行 い ま す。 も、普段から時間を気にした行
麗 澤の教 育 は、常に 本 物の内
育 さ れているが、当 今の世 間で
容 が 提 供 されている、生 徒 は本
物の教 育 を 受 けている、と言 え
は、この 当 た り 前のことが お 座
ている。人 は、直 接 的 間 接 的 に
トの打ち合わせなど数多くの過
料集め、原稿の作成やレイアウ
程 を 経 な け れ ば な り ま せ ん。 先
で す。 大 変
なことが多
日もある著名な社長さんを取材
も少なく、一日3〜5時間程度
くあります
しましたが、取材の前にその方
く こ と が 多 い の で す が、 最 近 で
が、 時 間 通
の著書を読み、雑誌や新聞やイ
は 一 般 の 会 社 で「 企 業 内 公 認 会
計 士 」 と し て 勤 め る ほ か、 官 公
りに電車を
ろう か。やはり 真の教 育 が必 要
庁やコンサルティング会社など
運転できた
である。
昨 春 に、永 く お 世 話 に なった
活躍の場も広がっています。
験に合格しなければなりません
ンターネットで関連の記事も集
拘 わ ら ず 多 くの 人 に よ り 支 え ら
活 し、そ して 生 き ている。 す べ
麗 澤 を定 年 退職し、今は麗 澤で
を 果 たし 得 なかったことを 悔い
おりふし
の折 節 を 想いなが ら、その重 責
つつ、終の 棲 家 で 暮 ら す 毎 日で
公認会計士になるには国家試
ではない。これ らの 支 えや 援 助
的 な 諸々のものが あ り、自 ら 求
は、人 的 な ものや 自 然 界や 社 会
が、実は合格してからが「本当
と き は、 と
れ、また援 助や 加 護 を 受 けて生
秒遅らせてしま
け た 恩 に は 報 い な さい 」 と 教 え
顔の表 情が、今 まで本 物 を見て
50
口角を上げて穏やかに
期 廣島正樹
私 は 現 在、 歯 科 医 と し て 頑
張っています。予約制でなかっ
た時期は大変忙しい毎日でした
が、 予 約 制 を 取 り 入 れ て か ら
は、お客様にも待ち時間が少な
サッカーで鍛えた体力も役に
初めての社
会 生 活 を す る 場 で す。 手 遊 び
立っています。
くなったと好評ですし、私自身
も多少時間にゆとりができるよ
やリズム体操、ゲームなどを行
いう言葉を
中で、チャレンジする心を育て
消防士の
うになりました。歯は一生使う
聞かれたこ
も の で す。 い、園児たちの興味をかきたて
とがあると
ることを心がけています。園児
無 償 で 与 え ら れ た も の で あ る。
思 い ま す。
支 え や 援 助 で あ る 恩 に 対 し て、
ま す が、 他
らかに疑いの表 情が色 濃 く 現れ
ていく と、偽 物 を 見 たときに 明
感 謝 し 恩 返 し を・・・ と、 こ れ
たちと接するのは大変なことも
る時がくる。そ う して真 贋 を判
歳で自分
50
る。その一つとして、
「 自分が受
いたとき とは異 な り、微 かに 眼
ら 受 け た恩は計 り 知れないもの
断 す る 能 力 を 育 て て ゆ く の だ、 が 麗 澤 教 育 の一つで あ る。 親 か
しんがん
キャンパスライフ
て 自 分 の み の 力 で 生 き てい る の
る。しかし、表 情 は 疑 心が 明 ら
すみか
の よ う に 見 せ る。 も ち ろ ん、 かに見 られるよう な 表 情ではな
の動 きや 頬のつりの変 化 が 起こ
50
50
36
す。
い。このよ う なことを 繰 り 返 し
1.0
20
い く が、 偽 物 を 見 た と た ん に、 ということが書かれていた。
げていない。順 番 に 名 刀 を 見て
80
50
38
29
16
めた もの も あ るが、ほ とん どが
る と き に、 名 刀 の 中 に一振 り
て 偽 物 は 見 せ ない。 そ して あ
正 銘の 名 刀 ばか り 見 せ、決 し
だ、と 来 る日 も 来 る日 も 正 真
刀 正 宗 だ、 こ れ が 名 刀・・・
銘の 名 刀 を 見 せる。これ が 名
き に、正 宗 とか 村 正の 正 真 正
刀 剣の 鑑 定 士 を 育 成 す る と
が書かれていた。
あ る 書 物 に 次のよ う なこと
本物の麗澤教育
13
偽 物 が 混 じっているこ と は 告
38
38
6
20
6
10
25
だ け 偽 物 の 刀 を 並べていつも
中 村 雅 則 先生
みずこう
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
13
めるなど、準備を万全にして取
シャープペンシルを1本造るの
で き る よ う 思 索 し て い く の で、 ていますが、本当に学ぶことが
たくさんあります。
材に臨みました。
童に関心を持ってもらうことで
業の内容もクイズ感覚で行い児
る、聞こえる、そして五体満足
特別支援学校の生徒は、見え
な生徒たちに毎日笑顔で接する
ことを心がけています。
学校は、沢山の子どもたちが
る私たちとは異なるので関わり
学ぶ場所ですので、教師のやり
に く い 存 在 か も し れ ま せ ん が、 がいは、その子どもたちの成長
で日々を不自由なく過ごしてい
モ ッ ト ー に 指 導 し て い ま す。 そ
同じ人間です。皆さんにもそれ
す。考えて分かる楽しい授業を
れから、保護者への対応も大切
私はこの仕事が自分に合って
いると思いますし、やりがいも
にしています。保護者への通信
にも半年を要します。非常に根
気のいる仕事ですが、そのもの
感じています。みなさんも、そ
本や雑誌を作るという仕事は
責任のある仕事です。また、そ
んな仕事に出会えるよう願って
を一番身近で見られることだと
が出来上がった時の喜びが、こ
思 い ま す。 皆 さ ん の 今 後 の ご 活
の仕事のやりがいです。
ぞれ個性があるように、障がい
れを読んだ人の心を動かし感動
に児童一人一人の様子について
を与えることもできる素敵な仕
います。
夢に向かって頑張れ!
期 岩田麻里
「人のた
めに何かで
きることを
したい」と
思 い、 看 護
師を目指
ある病院の小児科で働いていま
これから皆さんも通るであろ
躍を願っています。
す。看護師の仕事は9K(厳し
事です。皆さんも、本や雑誌を
も一つの個性です。私は、そん
その一つです。
把握したことを掲載することも
小学生との時間
一般に施設と呼ばれる中にも
い、汚い、きつい…等)と言わ
う大学受験の道も、もの造りの
様々な種類があり、私が働く施
れたり、医療事故と隣り合わせ
過程と同じです。結果よりもプ
設 は、 リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン を 中
だったりと大変な面があり、理
読 む と き に、 そ ん な 編 集 に 携
伊藤由佳
大学の社会
心とした医療サービスを提供
わっている人たちのことにも思
福祉学部を卒
し、 在 宅 復 帰 を 目 的 と し て い ま
しました。現在は故郷の大阪に
業 し、 現 在
想とは違う厳しい現実もありま
笑顔のために
は、 瑞 浪 市 に
す。このため、看護師、介護職
として働いています。
ある介護老人
高校時代の勉強や体験は、と
保健施設ひざしにて介護福祉士
ロセスを大事にして、日々学ん
期 松原幸正
大学の教育
いを馳せてみてください。
学部学校心理
期
学 科 卒 業 後、
をしたい」という思いからシマ
ノ株式会社に就職し、今は自転
車部品の開発をしています。
期 安江裕香
私は現在管理栄養士として働
いています。
学しました。そして採用試験を
受験して、現在は小学校の教師
をしています。
ひとつの個性
は、 視 覚 障 が い、 聴 覚 障 が い、
し た。 そ こ で
し た。 就 職 活
学部に進みま
科学部系の法
期 安藤奈々
大学は社会
ト、日々の生活の中で、日頃の
で、 レ ク リ エ ー シ ョ ン や イ ベ ン
か し、 常 に 人 と 関 わ る 仕 事 な の
ので大変なことも多いです。し
な ど、 日 々 の 生 活 の お 手 伝 い な
起床のお手伝い、排泄の支援
瑞浪での高校生活で学びました
す。相手を思いやる心は、麗澤
アをすることを大切にしていま
の気持ちに気付くこと、心のケ
ともありました。私は患者さん
好き」という手紙をもらったこ
なって良かったと思います。退
は仕事をして
知的障がい、肢体不自由、病弱
動の就職ブー
院する子から「ありがとう。大
い ま す。 ま
という5種の障がいを有する生
し、 こ れ か ら も 大 切 に し て い き
作 業 療 法 士 等、 様 々 な 人 と の 協
た、 授 業 で 工
徒がいる中で、担任をするクラ
たいです。皆さんも夢に向かっ
喜んでもらえる記事を
夫をしている
ス等で新聞記
努力が利用者さんの笑顔や感謝
て頑張ってください。
力で成り立っています。
ことは時間割
スは病弱という障がい種の生徒
の言葉などで返ってくる非常に
を独自で作
やりがいのある仕事です。
が主です。
者の方から話を聞く中で、昔か
成 し た り、 授
ら本を読むことが好きだった私
小学校での1日は、7時に出
ても大切です。今の時間を大切
勤して児童の様子を見ながら全
特別支援学
に頑張ってください。
管理栄養士という仕事は献立
員に挨拶をして廊下で迎え、授
校に赴任しま
期 地主博一
麗澤瑞浪高校を卒業後、1年
を立てたり、食品の栄養管理を
時までして、土日もどちらか
業に入ります。残業はだいたい
ん。 現 在 私
は、 病 院 内
の栄養管理
間浪人をして愛知教育大学に入
することです。また、病院や福
でいってください。
も の 造 り に は 企 画、 デ ザ イ
祉施設など医療に関わる施設で
人々の健康のために…
ン、開発設計、品質管理などの
期 本田兼基
大 学 院 を 修 了 後、
「もの造り
役 割 が あ り、 最 終 的 に は 開 発
働くことも多く、日々の勉強は
す。 考 え た
ものは最後
は売れる形
室というと
ころで働い
た。現在は長野県の読売新聞支
はこの道に進むことを決めまし
社で記者をしています。
ら記者の今まで一貫している
「 心 が 痛 む よ う な 事 件、悲 し
地震で被災した方の取材をし
ことがあります。
む人たちから目をそらしたく
てそれらの人と一緒に映像
材 を し、デ ィ レ ク タ ー と し
います。心の豊かさを教えてく
が忘れられず、今の仕事をして
発表会で伝えた。その時のこと
あの時、心を震わせながら書き、
中学・高校で書いた人権作文。
記事で喜んでもらえたり、他社
きもありますが、自分が書いた
ばならず、休みなしで大変なと
日でも事件があれば行かなけれ
することもありました。休みの
き込みをし、第一発見者を取材
たり、殺人事件について町で聞
にまとめる“監督役”をし
れた麗澤瑞浪には、とても感謝
ない」
その想いです。
て い ま す。全 て の 役 割 の 人
グルメリポートで「おいしいで です。
す!」以 外 思 い つ か ず、O K が
一つのニュースは、本当にた
出るまで食べ続けたB級グル
くさんの人の力でできてい
あぶ
メ「苫小牧ホッキ炙り飯」取材
ま す。カ メ ラ、音 楽、映 像 の
。
そして、
家を一軒一軒回り、
編集 。
・・・
・・まさに、チームプレ
イ で す。私 は 記 者 と し て 取
と関わるポジションだから
なければなりません。上司から
よりも先に記事がとれたりする
ワード(次へ渡すこと)をして
言 わ れ た と き に「 で き ま せ ん 」
を し て い ま す。今、社 会 人 と し
い き た い と 思 っ て い ま す。記
というのは恥ずかしいことで
こ そ、た く さ ん の 人 た ち の
私 は、
「ふるえるような
者 と し て、苦 し む 人、悲 し む 人
のはとてもうれしいです。
仕 事 で は、 苦 手 な こ と も や ら
感 動 を、仲 間 と 創 り あ げ た
から目を背けないで、ディレク
す。高校生の皆さんも、苦手な
てそれを世の中へとペイフォ
い」そう思ってこの仕事に
ことにも前向きに頑張って挑戦
支えを強く感じます。
就 き ま し た が、本 当 に 日 々
ターとして優しい気持ちにな
してください。
れるようなニュース、ドキュメ
ンタリーを作り続けることで。
仲間の大切さを実感していま
す。
員 に 加 え、 医 師、 理 学 療 法 士、 す。 そ れ で も や っ ぱ り 看 護 師 に
設計がまと
欠かせませ
いい「もの」を造るために
43
めていきま
41
また、私には麗澤瑞浪の時か
月に
周年記念の3期
同 窓 会 を 開 催 し た と き、都 竹 会
昨年
都竹前会長を慰労する
人の面々が集いまし
つ い て 語 ら い 続 け ま し た。あ っ
集った面々でこれからの人生に
君 の 活 躍 に 乾 杯 と 拍 手 を 送 り、
は こ の 上 も な い 悦 び で す。都 竹
竹と会長を2人も輩出したこと
た。我々3期の仲間から鶴田、都
の山中の
矢、鈴 鹿 の 桂、草 津 の 今 津、大 阪
吉 川、山 田 正 明、盛 林、名 張 の 勝
那の石田、瑞浪の石井、多治見の
の他に名古屋の安達功、加藤、恵
の「美よし」で、都竹君と安達君
な り ま し た。会 場 は 名 古 屋 駅 裏
の慰労の同窓会を行う運びと
達悦朗君の骨折りにより都竹君
せ ん で し た。そ こ で、こ の 度、安
に追われ参加することができま
長は大同窓会パーティーの準備
同
窓
会
に し て、 か
生 活 を 満 喫、そ の ま ま、こ ち ら
のテレビ局に就職しました。
私 は 今、テ レ ビ 局 の 報 道 部
原発と共に生きる地元の声を
で 働 い て い ま す。仕 事 の 現 場
は、みなさんがテレビで見てい
美 味 し い、楽 し い、悲 し い、
腹が立つ、そんな様々なニュー
聞いた、
電力会社やらせ問題。
ス を、映 像 で 表 現 し、世 の 中 の
で は、本 当 に い ろ ん な 人、い ろ
んなことに出会います。クマ出
るニュースの“裏側”です。
取材
没で呼び出され、クマの足跡を
42
43
43
38
人に伝えるのが私たちの仕事
50
つ大量生産
年に麗澤瑞浪を卒業
安 藤 恵 理 子 さん
し、広々とした北の大地で大学
平成
43期
。
初めての
見つけて震えた夜 ・・・
13
10
23
報道記者・ディレクター
38
みずこう
ホープさん
18
14
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
みずこう
・
期練成女子会のみなさんか
また、同級生の中で、鈴木茂
い。
も入れずにカラで送信くださ
望の方は、次のアドレスへ件名
17
年
おたより
100の
●近況報告
昨年
月にハワイで結婚式を
10
恐ろしい
学 院、奈 良 先 端 大、岐 阜 大 学 病
卒 業 後、岐 阜 大、臨 床 研 修、大
家族だけのアットホームな挙
物でした
院、ハ ー バ ー ド 大 学 等、こ れ ま
婦業を楽しんでいます。
ら、研 鑽 を 積 む こ と が で き ま し
▼ 期 甲斐誠
住所変更しました
=9月
た。お 世 話 に な っ た 方 々 に 感 謝
日付
式・パーティーでした。今は、主
が、そ れ
たな思い
致します。現在は、小児科医とし
〒
埼玉県草加市中
340-0016
出となり
ました。
36
30
次の方がお亡くなりになりま
した。
12
く こ と は で き ま せ ん で し た が、 ▼ 期 花村美知世様
期) 挙 げ ま し た。仲 良 し の 友 人 を 招
こ の 度、岐 阜 大 学 小 児 科 臨 床
加藤善一郎(
30
で 多 く の 方 々 に 支 え ら れ な が (〒 531-0075大阪市北区大淀
南2の2の の2003)
教授に就任致しました。
30
もまた新
の月日は
た。
くれまし
て広げて
た 手 紙 や 日 誌、文 集 な ど を 出 し
11
て、主 に 神 経 発 達・ 免 疫 ア レ ル
ら協力金1万円をいただきま
した。
メルマガにご登録を
義君、寺西久君、渡部光昭君の
りなのか出席も少なく残念です
週に二回、みずこうメールマ
し て き ま し た。 そ の 間
住所がわかりません。ご存知の
ガジンを配信しています。ご希
に学園の中の施設も進
是非ご登録ください。
登 録 フ ォ ー ム を 案 内 し ま す。
化 し て い き、 我 々 も 家
会える日を楽しみにしていま
!!
前回瑞浪(学園)で同窓会を
が、学園は第二の故郷です。個
15
方は連絡をください。
成 長 し、 立 派 に 親 の 役
36
今回お
12
開催した時は大いに盛り上がり
人的で結構ですので瑞浪の地
歳はまだ若く働き盛
ました。その後は4年に1度で
定です。
ですが、還暦同窓会を開催の予
日本はいろいろと大変な状況
40
庭を持ち子どもたちも
三重、島根、福岡、横浜で開催 (学園)に来てください!
14
[email protected]
31
19
2
15
2
16
2
28
37
18
17
36
17
18
歳還暦を迎えまし
年がた
と い う 間 の 9 月 日、日 曜 日 午 君(現・熊屋)と谷の次男で麗澤 て く れ た の が、わ が 廣 池 学 園 の 子 会 」を と い う こ と に な り 今 回 よ う に と 声 を 掛 け 合 い、ほ ぼ 全
れます。
第 回ゴルフコンペ
後のひと時でした。
今回の優勝は8期生の服部
瑞 浪 卒 の 啓 之 君、そ し て 若 く し 創立者廣池千九郎先生だと今更 の 運 び と な り ま し た。計 画 の 途 員に声を掛けられたことは本当
9 月 日 に、瑞
来年から毎年することになり て 亡 く な っ た、福 徳 吉 高 君 と 伊 な が ら 痛 感 し ま し た。先 生 が い 中、あの震災が起き、被害の甚大 に 良 か っ た。博 ち ゃ ん あ り が と
正 一 さ ん、準 優 勝 は
ました。幹事は吉川君です。出席 藤 健 一 郎 君。ご 家 族 の ご 協 力 で らっしゃらなければ我々が出会 さ に 思 わ ず 躊 躇 し ま し た が、こ う。そ し て 素 敵 な 場 所 を 選 ん で 浪高原ゴルフ倶楽
教職員の松下駿さん
する人が増えていくことを期待 写真を提供していただき参加す うことはなかったのだから。
ん な 時 だ か ら こ そ「 会 い た い 」 く れ た 佳 世 ち ゃ ん ナ イ ス で す。 部 で、恒 例 の み ず
で し た。参 加 者 の 中
(盛林和久・記) ることができ、
(吉浦孝二・記) 「会おうよ」との声。
こうゴルフコンペ
しています。
女子は日頃、 ありがとう。
にはプロゴルファー
総勢 人でした。
親 の 介 護、子 ど も の 用 事 等 で 忙
今回来られなかった皆もまた を開催しました。
になった 期の岩津
北海道から片山と桜井も参加し
期定時制 同窓会開催
8期女子会
今回は 人が参
し く 参 加 し に く い の で す が、一 い つ か 会 い ま し ょ う ね。近 い う
賢 典 さ ん や、遠 方 か
て く れ ま し た。卒 業 し て 年 で
さ る 7 月 日 〜 日、九 州 佐 す が、中 に は 卒 業 以 来 の 再 会 で
風薫る5月 日京都にて8期 人でも多くの人に来てもらえる ちに
(永井仁美・記) 加 し、1 期 生 か ら
らは広島県呉市から
賀 県 嬉 野 温 泉“ 椎 葉 山 荘 ”に て 髪 の 毛 の 薄 い 者 や 昔 と ほ と ん 女 子 人 が 集 ま り ま し た。 日
期生までが一緒
参加してくれた方も
期定時制生同窓会
忙 し い 中 ご 参 加 い た だ き ま し に楽しくプレーを
同 窓 会 を 開 催 し ま し た。卒 業 後 ど 変 わ ら な い 者 も い て、話 は 尽 は 葵 祭 り が あ り 参 道 で 見 学、そ
い ま す。今 年 で 第
9月 ・ 日に 期定時制生 た、井 上 校 長 先 生、吉 村 先 生、横 し ま し た。年 齢 差
5年ほどで千葉の本部の近くで き ず、た い へ ん 盛 り 上 が り ま し の 後 鴨 川 沿 い を そ ぞ ろ 歩 き。祇
回の開催となりまし
行 っ て 以 来、実 に 年 ぶ り で し た。宴 会 の 最 後 に は、
た が、こ れ か ら も よ
「 遠 い 世 界 園で昼食とチョットした京都観 の 同 窓 会 を 行 い ま し た。天 気 に 山先生本当にありがとうござい があっても楽しく
も恵まれ良き同窓会となりまし ま し た。ま た 今 回 都 合 が つ か ず プレーできるのが
た。参 加 し た の が 人 と 奥 様 5 に」
り盛大なコンペにな
「友よ」
「寮歌」を肩を組んで 光もしました。
お会いできなかった先生方や同 ゴ ル フ の 醍 醐 味 の
人、
招待者に本郷昭光様(旧姓・ 大 合 唱 し ま し た。来 年 は 還 暦 で
会った瞬間からおしゃべりに た。
ればと願っていま
日 は、夜 に 皆 で B B Q や 花 級生は次回の同窓会で会えるこ 一 つ で す。そ し て
伊 佐 治 様 )と 1 級 下 の 加 藤 久 典 す。こ れ か ら ど れ だ け 同 窓 会 が 花 を 咲 か せ、お 互 い の 近 況 報 告
す。ぜ ひ 来 年 も 皆 さ
同じ麗澤瑞浪出身
まの参加を心待ちに
で き る か わ か り ま せ ん が、次 は 等、尽 き る こ と は あ り ま せ ん で 火 を し、夜 も 遅 く ま で 飲 ん だ り とを楽しみにしています。
今 後 も し、も う 一 度 タ イ ム カ という「絆」が一段
しています。
2013年に同窓会を開催しま し た。皆、高 校 生 に 返 っ た 気 分 食 べ た り と、在 学 中 の 話 を つ ま
( 期 望月正人・記)
プ セ ル を 埋 め る こ と が あ る な と楽しくさせてく
で、少 し みに盛り上がりました。
す。開 催 地 は ま だ 決 ま っ て い ま
日 は、 日 に 参 加 出 来 な ら、写 真 は ラ ミ ネ ー ト し 手 紙 な
若返って
せ ん が、ま た そ の 時 期 に 連 絡 し
央 の6の7号棟314号室
い い 顔 に か っ た メ ン バ ー も 合 流 し、今 回 ど は 油 性 ペ ン で 書 い て、や り す ギー・遺伝学・タンパク立体構
ます。
ぎじゃない というくらい密封 造 学 の 分 野 に て、臨 床・ 研 究・ ▼ 期 岡崎英雅
な り 解 の同窓会の一番の目的である
今回参加出来なかった方々も
〒 420-0841 静 岡 市 葵 区 上 足
教育に力を注いでいます。
散 し ま し 年前に埋めたタイムカプセルを したいと思いました(笑)
ぜひ参加して下さい。
(荻原琴美・記)
= 月2日付
洗 の の
掘 り 起 こ し ま し た。当 初 簡 単 に
た。
今回の同窓会でつくづく思っ
(〒 500-8003岐阜市大宮町1の ▼ 期 甲斐起代子(旧姓=柴田)
昨 年 の 見 つ か る と 思 っ て い ま し た が、
た の は、あ る き っ か け で 九 州 で
〒 340-0016 埼 玉 県 草 加 市 中
の1)
大 同 窓 会 月 日 の 流 れ も あ り、皆 の 記 憶 も
開 催 し ま し た が、北 海 道 や 東 京
央 の6の7号棟314号室
●結婚しました
で は 女 子 曖 昧 な 為 全 然 見 つ か ら ず、諦 め ●住所が変わりました
や岐阜から全国からみんな集
中山眞佐子 旧(姓=川畑、6期 ) 田中須美子(旧姓=井口、 期) ▼ 期 丸下恵子(旧姓=井上)
の 参 加 が ムードも出ていました。でも、そ
ま っ て く れ て、学 園 で の 4 年 間
瑞浪(高)6期の中山です。住
〒 611-0002 京 都 府 宇 治 市 木
平成 年5月 日に結婚しま
少 な く、 こ は 流 石、高 原 生 の 男 子 凄 く
の生活の中で本当の友と友情を
幡南山9の350
出 席 し た 汗を流しつつもいろいろな所を 所 を 変 更 し ま し た の で、よ ろ し した。お近くにお越しの際は、お
得 た こ と を 確 信 し、感 謝 の 気 持
▼ 期 馬場美可(旧姓、立花)
く お 願 い 致 し ま す。本 部 に 近 い 気軽にお立ち寄り下さい。
探し当ててくれました。
メ ン バ ー 掘り、
ち で い っ ぱ い で す。み ん な 本 当
=9月1日付
〒 463-0048 愛 知 県 名 古 屋 市
タイムカプセルが見つかり蓋 こ と も あ っ て、時 々 孫 と 娘 た ち
か ら「 女
にありがとう!それを指し示し
(〒 677-0033兵庫県西脇市鹿野
守山区小幡南2の4の
を 開 け て み る と、な ん と も 言 え とお邪魔しております。
=6月 日付 町769の2)
充実した日々を送られていると
な い 臭 い が・・・。臭 さ に 負 け
7期定時制のみなさんへ
協
力
金
の
ご
報
告
我 孫 子 市 日 秀 ●結婚しました
思います。
ず男子はカプセルに入れてあっ ( 〒
訃報
270-1123
)
森下さやか 旧(姓=村重、 期 )
ち私達も
麗澤瑞浪を卒業して
8
た。
23
( 高山英雄・記)
11
41
割 を 果 た し、 孫 も で き、 す。
34
36
27
43
24
20
18
19
13 35
26
22
10
!?
12
43
13
11
御逝去を悼み謹んで御冥福を
お祈りいたします。
5
16
21
!!
11
60
17
60
みずこう
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
15
れいたく
400 円
2月、3月は客室に余裕がご
ざいます。雪の谷川で素敵な
思い出をつくりませんか。
得
知っ
てい
ます
か
※日帰り入浴もできます。
ポイ
ント
1「絶景の露天風呂」
かもしかの湯
2「多目的ホール」
ポイ
ント
う )を 目 的 に 温
(入湯料、朝・夕食込み)
癒し ポイント
(心と体を併せ救
泉 療 養 施 設、 谷
川講堂を開設し
この谷川講堂を
麗澤会員なら誰で
も左記の特別料金
でご利用できま
す。 ご 家 族 と の 旅 行 に、 ご 両 親
へ の プ レ ゼ ン ト に、 同 窓 会 の 会
場に……。利用の形にあわせて、
スタッフが心を込めて皆様のご
安心と思い出をお手伝いいたし
ます。
麗澤会員なら
特別料金で
利用できます
博士の仁で心新たに
山本栄道
谷川講堂 館長
じん
人が救われる霊地をつくろうと
麗 澤 会 員 の 皆 様 に と っ て、 ました。廣池博士は、この地に
谷川講堂は、一度はお越しに
風呂や宿泊施設を建設し、多く
なった懐かしい思い出のある 「仁草木に及ぶ」の慈悲の心でお
場所ではないでしょうか。廣
また、一昨年、新しい温泉施
いや
設が完成し、谷川岳を前に、大
れて心身ともに癒されて参りま
病を治す方法がわかったら安
自然に身を包まれて入る露天風
麗澤会員(+同行家族)
一泊 7,000 円(1 人)
麗澤会同窓会
一泊 6,500 円
入湯料
池 千 九 郎 博 士 は「 人 間 に は、 の方々が廣池博士の慈悲に抱か
心がある。精神の病と経済の
呂は、本当に素晴らしいもので
精神の病と経済の病と肉体の
病はモラロジーができたので
す。谷川の慈悲の温泉に入りな
した。
助けてあげることができる
がら、ご自身の人生を、ちょっ
病の3つがあり、この3つの
が、人類を真の安心と幸福に
と、振り返ってみる機会にして
いただければ幸いです。
導くためには、肉体の病も救
年前、霊肉併済
わ れ な け れ ば な ら な い 」と し
て、今から
75
第140 号 2012 年(平成 24 年)1 月15 日 発行
露天風呂と同時に偲徳寮に新設されたのが「多目的
ホール」。30 名前後まで収容できる設計で周囲は防音
壁仕様で、他の宿泊者に気兼ねなく、研修や集会、
催しができます。またカラオケも楽しめるようになっており、
ご家族や同窓会での思い出づくりに利用されてはいか
がでしょうか。
ただご利用に際しては「講堂」であるとのご認識の
もと、互いを思いあう麗澤精神でのお心配りを忘れずに。
防音壁をそなえた多目的ホール
3「まごころ料理」
ポイ
ント
谷川講堂 ☎ 0278-72-2438
パーティーメニュー例(写真はイメージです)
と き に 好 き な こ と を や ら せ、 欲
人を不幸にするのは簡単だと
言 わ れ ま す。 そ の 人 の わ が ま ま
しい物はなんでも与えてやれ
期瑞高)
ところ、家来は「はい。朝は早
谷渕篤孝 (
く か ら 起 こ し、 水 練( 今 で 言 う
むごい教育
水泳)をさせ、昼は馬に、剣術、 ば、必ず不幸になるのです。今
を な ん で も 聞 い て や り、 好 き な
麗澤瑞浪の寮のチューターを
させていただきながら、不自由
さによる成長の大切さを、年々
川義元は人間の育て方の要点を
直しました。
心 得 て い た 武 将 で あ っ た と、 見
今の日本の社会も、ずいぶん
恵 ま れ す ぎ て、 子 供 た ち も 我 慢
ます」と答
えたのです。
や工夫をする機会が減ってきて
夜は勉学に厳しく教育しており
ところが
義 元 は「 ば
い る よ う に 思 い ま す。 今 一 度、
深く感じるようになってきまし
か も ん。 そ
子育てについて考えていきたい
た。
れはむごい
も の だ と 思 い ま す。 立 派 な 日 本
徳川家康の幼少の頃の名
前 を 竹 千 代 と い い ま し た。
教育ではな
人を育てるために。地域・社会
その竹千代が今川家に人質
い。 む ご い
に貢献する人財を育てること
に 出 さ れ た 時、 今 川 義 元 は
教育とは好きな物、欲しい物は
側 近 の 家 来 に「 竹 千 代 に む
な ん で も 与 え、 や り た い こ と を
が、私たちにできる日本国への
ごい教育をしろ」と命じま
やりたい時にさせ、いつも女を
し た。 家 来 は「 わ か り ま し
した。
侍らせ、わがままを言わせるこ 〝報恩〟になるのではないでしょ
た」と言って、下がっていきま
しばらくして、義元はその家
来に「どうじゃ、竹千代にむご
とじゃ」と叱ったといいます。
うか。
い教育をしておるか」と尋ねた
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谷川講堂をまだ訪れたことのない方、しばらく足を運
んでない方へのとっておきは、3 年前に新設された露天
風呂。日本全国を巡った廣池博士が名湯と評された源
泉をひき、シンとした空気にふれて温かい湯船につかる
と、視野いっぱいに雄大な谷川岳の山容が飛び
込んできます。博士の慈悲に心身ともによみがえ
る絶景の露天風呂をぜひ体験ください。
女性用浴場には偲徳寮二階から直接浴場に
行けるよう設計。パウダールームも常備。
facebook
思い出づくりに欠かせないのが「食」の楽しみ。谷
川講堂では「霊肉併済」を願われた廣池博士の理念
に基づき、宿泊者の方へ職員手作りのまごころ込めた
お料理を提供しています。新鮮、安全の食材を厳選し、
味はもちろん栄養バランスも考慮して一食一食を大切に
調理。それを若手職員中心に「おもてなし」の心でご
給仕します。朝食は好評のバイキング。
同窓会でご利用の際はご要望に応じてパーティーメ
ニューもご用意できます。ご相談ください。
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カンタン facebook 登録
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そう、一度はテレビなどで聞いたことがある
「facebook(フェイスブック)
」です。
Facebook は、いまや世界で 8 億人以上が利用する実名ともに世界最大のソーシャ
ルネットワーキングサービスです。このサービス以上に「世界中の人々をつなげる」
サービスは存在しないのではないでしょうか?
すでに登録済の方もいらっしゃるかもしれませんが、麗澤会員の皆様に向け、
facebook への登録方法をご案内します。
〔登録手順〕
①まずは google、yahoo! 等の検
索エンジンに「facebook」と入
力し検索、間違いなく一番上に
facebook のページが出てきます。
②必要項目を入力の上、「アカウン
ト登録」を押し、次ページでセキ
ュリティワードを入力すると、仮
登録が完了。
③ facebook からご案内メールが来ます、URL をクリックすると登録完了!
次ステップとして、出身校や勤務先や趣味などの様々な情報登録が可能ですが、それ
は任意。ご自身が公表しても構わないという範囲で登録を行ってください、最初は最
低限の情報でスタートで OK !
なお、情報の公開範囲も自身の「友達のみ」など選択も可能ですので、ご安心を。
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