練馬支部 - 東京都板金工業組合

練 馬 支 部
支部紹介
ミニ支部史
練馬支部沿革については、前回20周年誌に記された通りであ
り、御一読下さればお分かりになると思う。
今は健康上の理由で辞められた橋本淸氏の名筆が忍ばれる。
20周年誌で、明記されていない点があるので追記とする。
私の父は明治25年生まれ、出生地は群馬県つるの口端と言
われる所、板倉町「毎年の様に利根川渡良瀬川が氾濫し貧農
家が多地区」の出身です。明治38年13才で(人買)就職斡旋
人の紹介で豊島区庚申塚の高島板金に入所、大正3年独立し、
小石川にて板金店開業のちに関東大震災を受ける。東京の発
展と流通を加味して、西武ムサシ野線沿い江古田千川通りにて
開業した。のちに潮柱之助12才で父の弟子となる。のち柱之
助氏練馬区小竹町にて独立、開業、区内商工会会長区議会立
候補など、戦後の混乱期板金組合、一般社会活動に専念、練
馬板金組合、東京都板金組合の発展に尽くされた。以後弟敏
治氏、長兄の満氏と組合活動、運営に引継がれた(柱之助氏、
埼玉県北川辺町出身)。
年代
昭和24年から
〃 42年まで
〃 42年より
〃 45年
〃 46年
〃 47年
〃 48年より
〃 51年まで
〃 51年より
〃 53年まで
〃 53年より
〃 57年まで
〃 57年より
〃 61年まで
〃 61年より
平成元年まで
〃 〃より
〃 4年まで
支部長
潮柱之助
〃 〃
潮敏治
40周年記念誌を記すに当たり、何を主にと思うが、何と言っ
ても、
「昭和一桁生まれの組合員が、主流となって活動し戦前
戦後の生活難を乗り越え、戦後20年にして東京オリンピック」
開催し、世界の経済大国として認められ主に近代社会の祖と
なったと思う。
今気に掛けるのは、昭和一桁生まれと後期高齢者の関係で
す。組合健康保険も75才で打切り、何と老後の生活面も考え
ずに現組合執行部も御一考下され、練馬板金組合後継者も東
板訓練校を出られ、一級技能取得者も多く居られる様ですが、
近年組合を辞められる方が多く、現在10名組合員とは何とも寂
しい。
70年近くなった、支部旗も支部長宅を廻る中に現在行方不明。
支部旗について会議で話し合った所支部旗不用論の意見が多
かった。今後の組合活動は、昭和後期生まれの方々に方行を
委ねたい。
大月信雄記
理事
授賞
潮柱之助
健康保険担当 竹松 茂
潮柱之助死去
健康保険担当 橋本 清
潮敏治
山中吉次郎
潮 満
〃 〃
竹松茂
〃 〃
竹松茂
竹内誠二
〃 〃
〃 〃
〃 〃
大月信雄
〃 〃
〃 〃
〃 〃
橋本淸
大月信雄
〃 〃
〃 〃
潮 満
常任理事大月信雄
潮 満
常 〃
潮敏治全板功労賞
健康保険担当 後藤 井身
竹松茂全板功労賞
竹内誠二全板功労賞
平成6年大月信雄鈴木都知事
感謝状受ける
〃 4年より
元木建二
常 〃
〃 7年まで
〃 7年より
〃 〃
堀田万正
常 〃
常 〃
元木建二理事
〃 11年まで
〃 〃
〃
〃 退任
〃 11年より
潮 満
〃
〃 14年まで
〃 〃
〃
〃 14年より
元木建二
〃 17年まで
〃 17年より
〃 19年まで
〃 19年より
現在まで
〃 〃
遠藤
〃 〃
大月信雄
大月信雄
大月信雄理事退任
平成10年大月信雄青島都知事
優秀技能賞受ける
平成12年大月信雄全板功労賞
受ける
平成15年大月信雄石原都知事
功労者表彰を受ける
健康保険担当 堀田 万正
平成3年潮敏治死去
竹内誠二(視力消失)脱会
健康保険担当 橋本 清
潮 満脱会
(橋本淸氏腰痛)脱会
健康保険担当 井島 昭二
潮満死去平成20年6月
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