言 葉 の 力 、 文 学 の 力 と の 濃 密 な 出 会 い を

 読解活動① 小説・戯曲 (総論) 「言葉と共に自分が変わる」言葉の体験を重ねます。
言葉の力、
文学の力との
濃密 な 出会いを
文学教育偏重を批判する大合唱にもかかわらず、母語の教育の中で文学は重
要な位置を失いませんでした。それは、言葉が新しい命を宿しながら生まれ出
てくる局面を、最も端的に表しているのが文学作品だからです。日常、私たちは、
言語システムの網の目に絡めとられていて、その網の目を揺るがし突破して何
かを言葉で表現しようとすることはあまりないと考えてよいでしょう。ソシュ
ールが「ラング」と呼んだものがこのシステムです。言葉を口にし始めた子供も、
このシステムに同期するよう最初から求められます。常に、言い間違いを指摘
され、発音の間違いを修正されます。親や兄弟など身近な人々から「ラング」
に同期するための訓練を受け続けます。一方、ソシュールはこうした「ラング」
というシステム生み出す人間の根源的な力、言語創出力とでも言うべきものを
「ランガージュ」と規定しました。茫洋として捉え難い外界を認識可能な世界
(習得)
【全科目】
★は新教材、
︻ ︼は他科目言語活動との関連
小説・戯曲教材一覧
《一年》
一学期
(探究)
【全科目】
作・福田岩緒 絵
風呂場の散髪
椎名誠
作・
(探究)
【全科目】
作・スズキ・フミエ 絵
(活用)
【全科目】
(活用)
【社会歴史】
絵
mocchi mocchi
(読書1)★【全科目】
作・川上和生 絵
笹山久三
兄やん
木精
森鷗外
二学期
作・村上豊 絵
ぬすびと面
吉橋通夫
三学期
ヘルマン・ヘッセ
少年の日の思い出
シェーク
バナナ・スプリット
作
安岡章太郎
(習得)
【全科目】
作・早乙女道春 絵
サーカスの馬
恩田陸
上と 外 (抄)(発見する読み1)★【全科目】
一学期
《二年》
作・いとう瞳 絵
オー・ヘンリー
二十年後
作・はたこうしろう 絵
ウルフ・スタルク
(読書2)
【全科目】
vs.
6
として構築する力が「ランガージュ」です。「事物の命名は認識のあとになっ
てもたらされるのではなくて、それは認識そのものである。
(メルロ・ポンティ)」。
「ランガージュ」としての言語の側面について語った哲学者の言葉です。初め
に言語がありその後に認識があるのではなく、言語の創出や獲得は認識の創出
や獲得と同時である──自分の言語生活を振り返ると、こうした経験は存外多
いものです。自分の感情や考えにふさわしい言葉が見つからずに困惑している
時に、誰かの言葉が腹に落ちて急に視界が晴れ上がった経験──こうした経験
は言語と認識・感受の同時性を表していないでしょうか。注目すべきは、言葉
になり難いことを言葉にしていく営みが、文学表現の営みの根幹だということ
です。このように、
「ラング」の固い縛りと限界を突破しようとする文学表現は、
それを表現する側にとっても、それを受容する側にとっても、言葉の獲得や更
新をもたらすと同時に、認識や感受の獲得や更新をもたらすものです。私たち
にもたらした言語・認識・感受の同時更新という事態、この事態から発生した
が漠然と「文学的感動」と呼んでいるものの一部は、優れた文学作品が私たち
解放感を指しています。
読み合い話し合うたびに、新しい自分と言葉が生まれてくる、自分が言葉と
(活用)
【社会公民】
作・網中いづる 絵
田口ランディ
クリスマスの仕事
坊っちゃん︵一・抄︶(読書1)★【全科目】
作・タムラフキコ 絵
夏目漱石
二学期
作・奥原しんこ 絵
(探究)
【社会公民】
作・林幸子 絵
太宰治
走れメロス (活用)【全科目】
種をまく人
作・黒田征太郎 絵
(探究)
【社会歴史】
ポール・フライシュマン
三学期
宮本研
花いちもんめ
一学期
《三年》
作・曽根愛 絵
(探究)★
Water
吉田修一
作
(習得)★【社会歴史】
ふっくらと (発見する読み1)★【全科目】
北村薫
輝ける闇
作・早乙女道春 絵
開高健
(活用)
【社会歴史】
握手
(読書1)★【全科目】
作・丸木位里・俊 絵
作・唐仁原教久 絵
井上ひさし
(探究)
【社会歴史】
黒い雨
井伏鱒二
少年 ││ 海
共 に 深 く な っ て い く こ と が 実 感 で き る 教 材 を 集 め た こ の 教 科 書 で、 文 学 と 言 葉
の力に大いに触れてほしいと思います。言葉の美を捉えていくより高度な能力
芥川龍之介
三学期
(探究)
【全科目】
作・宿輪貴子 絵
(活用)
【社会歴史】
故郷
作・ながたに睦子 絵
や言葉を大切にしようとする誠実な姿勢も、このような文学体験・言語体験が
もたらす驚きや感動の中で培われていくと思っています。各学年に二つずつ設
夕空晴れて
作・いとう瞳 絵
伊集院静
(読書2)★【社会歴史】
魯迅
定した読解法コラム「発見する読み」は技法を学ぶにとどまらず、このような
文学と言語の力を確信するために役立つことでしょう。
作・最上さちこ 絵
アルトゥーロ・ヴィヴァンテ
灯台
7
読解活動① 小説・戯曲 (各論)
(習得)
《一年》
風呂場の散髪
椎名誠
作/福田岩緒 絵
父と子の物語です。強制的な散髪を拒む
のか──これから国語を学び始め、授業の
中で交流を深めていく生徒に、言葉と人の
関係についての原型を提示します。
(探求)
木精
(読書1)★
森鷗外
作/
絵
mocchi mocchi
明治は不思議な時代です。旧来の価値や
制度が転倒して、何もなくなった奇妙に自
由な空気の中で、今では信じられないほど
かれます。テツオはもちろんサチも、皆の
い信頼関係を築いていく子供たちの姿が描
係を修復していくことによって、もっと深
か。小さな嘘や裏切りで壊れそうになる関
仲間と共に生きるとは、どんなことなの
ていかざるを得ません。木精はその声には
は、いつか狡猾で野太い大人の声に変わっ
ていたのでしょうか。高く美しい少年の声
鷗外はこうした変化をどのような思いで見
陸軍軍医総監として常に制度の中枢にいた
もやがて堅い制度として確立していきます。
った時代です。しかし、新しい国家も文化
兄やん
信頼関係までも救った兄やんの言葉は「風
もう応じてくれません。しかし、若い世代
若い青年層が国家や文化の中枢を握ってい
景 の あ る 言 葉( 発 見 す る 読 み 1)」 そ の も
は生まれます。かつての少年と同じように
作/川上和生 絵
のでした。兄やんによって救われたテツオ
高く美しい声が、再び木精を呼び戻します。
笹山久三
は、その後、二代目の兄やんに成長してい
再びよみがえることへの期待を、鷗外は
「木
硬化を深めていく体制の中でも、それらが
自由の空気、さまざまな創意、大きな志、
きます。
いつかそんな日が来ると予感しながら、子
精」一編に託したのかもしれません。
ことで、子の小さな自立が開始されます。
の突然の成長に面食らう父の姿、不用意に
(活用)
「ひと目見ただけで人が震え上がるような
ぬすびと面
顔」面打ち師の文吉には、それがどんな顔
吉橋通夫
してまだ十分に言葉にならない思いを子は
なのか想像できません。制作に行き詰った
作/村上豊 絵
親離れを宣言してしまった後で、もう後戻
りができないことを知った子のとまどいが
描かれます。少しずつ溝を埋めていく二人
は、新しい父子の関係を生み出そうとする
全身でどのように表そうとしたのか、父は
苦しい模索を開始します。言葉になろうと
それをどのような言葉と思いで受け止めた
8
ある日、文吉の家に盗人が押し入ります。
恐ろしいその顔の裏にある激しく優しい表
情に気づいた時、文吉は制作のモチーフを
シェーク
バナナ・スプリット
(探求)
ます。勝負はどちらが勝つのでしょうか。
ウルフとヨーランが作文の腕を競い合い
作/はたこうしろう 絵
りの顔なのでした。模倣と創造、技術と表
ウルフ・スタルク
現など、芸術制作に関わる問題にも読者を
先生に、飾らず作らず体験を正直に書いた
得ます。それは社会悪を許すまいとする怒
誘うことのできる好編です。
ものだと絶賛されたウルフの作文は、実は
力に気づかせ、他のショート・ショートの
読解にもつなげたいところです。
《二年》
︵抄︶(発見する読み1)★
事実とそれについての意見が混然一体と
上と外
なって絡み合い、どこまでが作者の言葉で
作
力によって、人は事実よりも真実に迫り、
どこまでが作中の出来事を表す言葉なのか
恩田陸
人の心深くに浸透することができる、とい
境界を明確にしない――恩田陸は引用した
全くの嘘なのでした。嘘をつく力――想像
う創作活動の本質に迫る内容です。エルサ
抄録部分でこういう手法を採っています。
(活用)
小さい頃、何もかも忘れて夢中になった
レム賞受賞スピーチで、小説家である自分
こうも言えるああも考えられるというよう
少年の日の思い出
自足の経験──それは大人になって職場や
のことを、真実をさらけ出し真実の新しい
に「邦夫」についての思考の持続を図ろう
作/スズキ・フミエ 絵
生活の中で活動する時の意欲の根源となる
側面を照らし出すために嘘をつくプロと自
ヘルマン・ヘッセ
大切な経験です。少年が夢中になったのは
己規定した村上春樹の認識にもつながって
とを嫌っています。繰り返し繰り返し「邦
「邦夫」はこういう人物だと決めつけるこ
着性の表現を達成していく恩田は、安易に
と し て、「 邦 夫 」 に ま と わ り つ く よ う な 粘
蝶の収集でした。しかし、無垢で
(読書2)
います。
二十年後
夫」に取りつくことで、その核心に表現を
届かせようとしているのです。こうして、
オー・ヘンリー
スティーブン・キングが選考委員を務め
作/いとう瞳 絵
幸福な熱情に、否応なく他者が介
入し始めます。他者との差異、そ
こに生じてくる競争の中で、少年
とその熱情は決定的に汚れ傷つき
印して、少年は大人へと踏
ます。傷ついた熱情を闇の中に封
ロイ神父の人間像を捉えようとする作者が、
なっていきます。三年の「握手」では、ル
過去のルロイと現在のルロイの双方を相手
「邦夫」という事実と恩田の評価が一体と
見事な起承転結の展開、的確な伏線のはり
に表現の粘り強さを示しています。事実と
るオー・ヘンリー賞にその名が残された、
方など、小説の手法の典型を学ぶのに最適
意見を読み分けることと同時に、それらが
み出します。戦前から引き
な作品です。会話と情景の簡素な描写だけ
短編の名手の作品です。無駄を省いた表現、
継がれた名教材です。
で、これだけのドラマを作ってみせる構成
9
vs.
一体となって絡んでいく表現の真剣さにも
人公の「僕」は、何を見つめていたのでし
らでしょう。
対しての、裏側からの批判たり得ているか
そこに広がる疎外、疎外を助長する言葉に
︵一・抄︶(読書1)★
ょうか。それは、時代の評価に鋭敏であっ
代や政治の声高な主張が捨てて顧みないも
のに常に表現の射程を置いてきた作者は、
坊っちゃん
た仲間や教師に見えていたでしょうか。時
(習得)
気づいてほしいと思います。
サーカスの馬
作/タムラフキコ 絵
楽が自他の壁を破って双方をつないだ瞬間
たちの演奏に涙でしっかりと応えます。音
コさんは話すことこそできませんが、青年
後の漱石につながる問題意識が見受けられ
に馴致することもできない主人公の姿には、
といって時代から大きく遅れていく「田舎」
る「首都東京」を演じることもできず、か
代の流れの中で、こうした時代の象徴であ
作/早乙女道春 絵
夏目漱石
でした。やすやすと社会の主潮に染まり、
ないでしょうか。痛快な喜劇として読みす
安岡章太郎
「馬」を見つめる「僕」にどのようなメッ
漱石の「坊っちゃん」から第一章を取り
上げました。高等学校では、先生の遺書を
中 心 と し た「 こ こ ろ 」、 講 演「 現 代 日 本 の
開化」「私の個人主義」などを学びますが、
こうした深刻で難解な漱石と全く違う初期
そこに人間を籠絡しがちな言葉は、より深
ごすことはできないものをこの作品は持っ
作/網中いづる 絵
(活用)
セ ー ジ を 託 し た の か。「 奈 々 子 に 」 と 併 せ
て考えてほしいと思います。
クリスマスの仕事
田口ランディ
い触れ合いの実現にとってむしろ桎梏であ
ているのかもしれません。社会批評やサブ
漱石の姿が「坊っちゃん」にはあって、長
適応過剰が指摘されています。「よい子」
る、と田口は考えているからでしょうか。
カルチャー批評など外面的な批評と評価を
幼を問わず親しまれてきました。しかし、
「評価される子」「好かれる子」であろうと
と も あ れ、「 与 え る 者 が 実 は 与 え ら れ て い
超えて、実のある漫画批評を確立した孫の
売れないフォルクローレ・デュオの青年
し、そうでなくなることへの過剰な恐れか
るのだ」と言い放つ青年の言葉が決してさ
房之介の「坊っちゃん」評も併載して、読
たち、植物状態のフルート奏者マリコさん
ら、のびやかな気持ちも自立心も失われて
か し ら な 言 葉 遊 び に 聞 こ え な い の は、「 消
み深める切り口を与えようとしました。
西欧に肩を並べる一等国を目指していく時
いきます。一年「奈々子に」で指摘されて
費する者が実は消費されている」社会、差
「文明開化」から「富国強兵」に展開して
いた大変危うい事態です。日本が戦争一色
異と欲望と格差を際限なく産出する社会と、
――消費社会から見れば共に欠格とされる
に染められていきつつある時代、時代が求
者同士が音楽を介してつながります。マリ
める生徒像からどうしても外れてしまう主
10
走れメロス
(活用)
太宰治
作/林幸子 絵
一九四〇年、ドイツがフランスに侵攻し
戦火はヨーロッパ全域に拡大しました。こ
の年、日本は日中戦争の終結を断念し、戦
線を南方に拡大していきます。太平洋戦争
勇気とつながりを回復していくこの物語は、
アメリカと同じ道をたどってきた日本が現
終戦は軍や国の上層部を除く、多くの民
作/黒田征太郎 絵
(探究)
在抱えている課題についても、一つの示唆
を与えています。
花いちもんめ
宮本研
間人や兵士に多大な苦難を与えました。シ
潮」に発表されたのは同じ一九四〇年五月、
ベリアへの抑留、中国への残留、捕虜とし
の端緒が開かれました。「走れメロス」が「新
前線も銃後も産業も文化も総力戦に向けて
る王ディオニスは、そのために必要とされ
て警告しているような気がします。苦悩す
るものではない、と太宰はメロスに向かっ
も「友情」も、そんなにやすやすと手に入
で読める作品ではないでしょうか。「信実」
う に 思 い ま す。「 メ ロ ス 」 も 同 じ 脈 絡 の 中
も危ういものであることを警告していたよ
太宰は、この明るさが一瞬の夢でありとて
朝」一九四三年)と主人公実朝に語らせた
サハ、ホロビノ姿デアロウカ」(「右大臣実
部とも言えるこうした地域とそこで暮らす
らすことになります。豊かなアメリカの暗
くの弱者は、希望や気力を失って孤独に暮
希薄化し、衰退した地域に取り残された多
うになります。人間のつながりはどんどん
の間の隆盛と唐突な衰退が繰り返されるよ
が生まれ、産業の移動と共に地域社会の束
します。とても埋めることのできない格差
加速することで、更なる成長を遂げようと
になった後、この社会は富の偏在と移動を
にとっての憧れでした。皆が平均的に豊か
大衆消費社会アメリカは、かつて日本人
した。
重視を受けて、一人芝居の戯曲を掲載しま
ことを忘れてはならないでしょう。音朗読
に、こうした犠牲の歴史を引きずっている
て苦しい模索を重ねている日本も、双方共
ある中国も、絶頂を過ぎて次の発展に向け
一九九九年に終わりました。繁栄の絶頂に
た中国残留孤児の肉親探しの訪日は
ほしいと思いました。一九八一年に始まっ
る以前に、そのことはしっかり胸に刻んで
論以前に、また、戦争の「正義」を云々す
戦後補償や戦争責任、加害や被害という議
弱いが故に深く癒されることはありません。
はいつも弱い部分を直撃します。その傷は
を出しています。勝敗にかかわらず、戦争
からの脱出でも数えきれないほどの犠牲者
ての拘束などをはじめとして、樺太や台湾
(探究)
投入されようとしていた時でした。悲惨さ
種をまく人
作/奥原しんこ 絵
はなく妙に明るい時代でした。国の方向性
はまだ明快で、連戦連勝の戦果にわく国民
に暗さはまだありませんでした。このよう
たのではないでしょうか。このような方向
人々が、少女のまいた一粒の種から希望と
ポール・フライシュマン
からも作品を見ることができないか、とい
な時代に生きて「平家ハアカルイ。アカル
う提起を込めて「批評の扉」を作りました。
11
︽三年︾
Water(探求)★
吉田修一
作/曽根愛 絵
物語を得意としたのは、当然のことながら、
られる、といったケースです。「彼は喜んだ」
のです。無名時代に水泳のインストラクタ
の中でも、作者の作品群の中でも異色のも
」 で す。「 バ ッ テ リ ー」 と 同
収 の「 Water
じ年に発表されたこの作品は、この短編集
した。吉田修一の短編集「最後の息子」所
学の圏外からもこうした作品が提出されま
」「一瞬の風になれ」など
テリー」「 DIVE!!
が大きな支持を得ました。しかし、児童文
く完結した表現世界を捨てて、未完だがも
うまでもなく読者です。自分だけで作る狭
奥行きや広がりを作り出しているのは、言
りを醸し出すのに大きな力を発揮します。
ますが、上手くいくと作品の奥行きや広が
る手法です。こうした沈黙を生かす手法は、
を拒否し沈黙を生かして読者の解釈に委ね
ていく──ナレーションや台詞による説明
と説明もしないし彼に「嬉しい」とも言わ
ーをしていた経験に基づいているのでしょ
っと広い表現世界を読者を巻き込みつつ作
(習得)★
の支持を得るようになりました。複雑でと
した小説が数多く提出され、広い層の読者
もよいでしょう。三年生では、それがもう
作者による解説(ナレーション)と捉えて
注目しました。ここで言う「意見」とは、
二年生では「事実と意見」の読み分けに
ました。空爆で廃墟となった首都ではあち
無秩序でささくれ立った国民生活が始まり
けずに進駐してきた占領軍の民主化政策と、
で総崩れとなり、その後には何の抵抗も受
国民に誓った軍事政権は一九四五年の敗戦
神州不滅などのスローガンで徹底抗戦を
輝ける闇
下手をすれば誤解や曲解を招く原因になり
せ な い で、「 喜 び 」 や「 嬉 し さ 」 を 表 現 し
うか。スイマーたちの躍動する「肉体」と
る可能性に、作者は賭けているのです。
」「 バ ッ
児 童 文 学 の 作 家 た ち で し た。「 800
います。
「精神」の描写は比類のないものになって
(発見する読み1)★
りとめのない現代人の内面を分析的に精緻
少し高度になったケースに触れます。明確
こちに闇屋が立ち並び、ストリートチルド
作/早乙女道春 絵
に描くことにある限界が見えてきたのでし
なナレーションがなく、事実の描写だけが
レンが徘徊する状況がありました。東京オ
ふっくらと
開高健
ょうか。作家たちの筆は「肉体」に、それ
続いている、しかし、その事実のつながり
リンピックが始まるまで、秩序からは遠く、
も未成熟の皮を脱ぎ捨てつつある「肉体」
の中にぽつりぽつりと途切れた部分、空白
荒々しいエゴをぶつけ合う生活状況は続い
作
の衝迫や躍動に向かうことになります。「精
や沈黙の部分があって、それが書かれてい
北村薫
神」を押し破ろうとする「肉体」、「肉体」
ること以上の何かを伝えているように感じ
に押し出されてくる「精神」などが、「成長」
一九九〇年代末から、スポーツを素材に
物語として描かれました。こうした「成長」
12
験し、戦後、一家の生命と生活を荒れた地
生として終戦間際の荒廃した精神状況を体
うでした。作者開高は、敗戦時に旧制中学
されます。それは見違えるほどの変わりよ
都市計画が開始されると、この状況は一掃
ていたと言います。オリンピックのための
に兆す鬼の影──この断層をどのように埋
殴りつけるような暴力となりました。聖人
はいったん裏切られると、子供を容赦なく
した。聖人の覚悟です。しかし、その覚悟
として引き受けているような覚悟がありま
難いものでした。受難を愚かな人間の宿命
身と犠牲はこのような理屈だけでは理解し
めていくか。実に「むずかしい」この課題
を「やさしくふかく」解決しようとしたと
南アジアで、戦争は続きました。カンボジ
そしてその次にベトナムを皮切りにした東
日本の後に中国で、その後に朝鮮半島で、
されましたが、アジアの規模で考えれば、
しました。日本の戦争と戦後はうまく隠蔽
きな異和を感じ、その嘘を暴いていこうと
「キネマの天地」で一緒に脚本に取り組ん
ながら泣いているのが分かる」と言います。
しのぶは、彼の言葉を演じて「観客が笑い
鼓たたいて笛吹いて」で主演を演じた大竹
さ し が 座 右 の 銘 と し て い た 言 葉 で す。「 太
かいなことをまじめに/書くこと」井上ひ
ことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆ
「むずかしいことをやさしく、/やさしい
に表されているのかもしれません。
指をせわしく打ちつける主人公のいらだち
(活用)
ア内戦が終結する一九九〇年代まで半世紀
だ映画監督山田洋次は「井上の笑いは人を
握手
もの間、アジアでは戦争が続いていました。
利口にする」と指摘します。喜劇を芸術ま
ころに「握手」一編の困難があり、それが
戦争と戦後の隠蔽に嘘を感じていた開高は、
で高めてみせたのが劇作家井上でした。そ
作/唐仁原教久 絵
ベトナムに従軍取材します。その取材経験
の井上が、自己の少年時代の体験に基づい
井上ひさし
方都市で支えた体験を持っています。こう
した体験から開高は、戦中と戦後の荒くれ
た日々が存在しなかったかのように繁栄と
を踏まえて創作されたのが「輝ける闇」
「夏
て 書 い た 短 編 が「 握 手 」 で す。「 日 本 人 と
秩序を謳歌している高度成長期の日本に大
の 闇 」「 花 終 わ る 闇 」 三 部 作 で し た。 ベ ト
かカナダ人とかアメリカ人といったような
井伏
(探究)
ナムでの従軍体験の記述から始まる「輝け
ものがあると信じてはなりません。一人一
黒い雨
る闇」は、敗戦前後の中学時代の体験へと
人の人間がいる。ただそれだけのことです
作/丸木位里・俊 絵
つながっていきます。ここに、決して終わ
から」国境を無化する宣教師の発想には神
二
っていない戦争を見つめようとする開高の
の前の平等の思想があります。しかし、献
切実な構想がありました。
13
一九四〇年、マンハッタン計画が開始さ
れ、その五年後、広島・長崎で炸裂した核
少年 ││ 海
作/ながたに睦子 絵
(読書1)★
芥川龍之介
論の俎上に上がることになります。高校一
年 で 履 修 す る「 羅 生 門 」 に つ な が り、「 赤
い鳥」主幹の鈴木三重吉による大幅な入朱
改作が明らかになっている児童文学作品を
エネルギーは人知をはるかに越えた破壊力
避けて選定しました。
(活用)
作/宿輪貴子 絵
で人々をたたきました。その時、感受性や
故郷
魯迅
想像力はどこまで届くのか、家族や組織や
社会のつながりはどうなるのか。抑制した
井伏の語り口には、どのような描写を試み
ても嘘になるという諦念、事態の根幹にも
全貌にも届いていかない表現の無力に対す
で核兵器は拡散しています。核の平和利用
への投下から既に七十年、アジア諸国にま
たことは大きな一歩でした。しかし、日本
バマ大統領が、核軍縮を重要な政策に掲げ
また、最大の核保有国であるアメリカのオ
の密約が明らかにされ問題となっています。
なか、核の沖縄持ち込みを内諾した元総理
喜の思いとも交差するでしょう。冷戦のさ
などを回避するために片仮名で書いた原民
人間ナノデス」一編を、判断や意味の形成
捉えていない、そういうことがどうして分
れる硬化したリアリズムは、物事を正しく
の色を青だと主張して譲らない母に象徴さ
指摘し、実作でも提示していきました。海
としての文学の根幹を形作っていることを
観的・主体的な視点を重視し、それが芸術
リアリズムに対抗して、芥川は、作家の主
を強く受けて成立した自然主義が主唱する
追究したのが芥川でした。科学志向の影響
け継いで日本文学の芸術としての自立性を
が鷗外や漱石だとすると、二人の達成を受
新しい日本文学・日本語を作り出したの
迅は「希望」という文章で引用しています。
争で死んだハンガリーの詩人の言葉を、魯
妄だ、希望がそうであるように!」独立戦
っ そ う 混 迷 を 深 め て い き ま す。「 絶 望 は 虚
満州国建国、日中戦争へ向かって事態はい
国は消滅しますが、日本の介入が強まり、
リーダーとする中華民国が建国を宣言し清
帰国の六年後に当たる一九一二年、孫文を
しかし民は気力を失って立とうとしない。
んでした。もはや指導層には期待できず、
化・半植民地化はとどまることを知りませ
て失敗し、割譲や租界による国土の植民地
改革の試みは西太后ら守旧派の粛清にあっ
内紛と外圧の中で倒れようとしていました。
魯迅が日本留学から帰国した頃、清国は
についても、震災に連動した原発の大事故
からないのか。対抗勢力から理に走ってい
る 自 覚 が あ る よ う で す。 そ れ は、「 コ レ ガ
は大きな問題を投げかけています。
ると批判し続けられてきた苦々しい思いは
から拾ってきた希望こそが本物だ」という
魯迅の情勢認識と信念は「故郷」の底流を
「薄っぺらい希望はしりぞけよ。絶望の底
流れているものです。
とめようがなく、末尾にナレーターとして
争協力という苦い経験を通過して、戦後、
顔を出してしまう芥川でした。文学者の戦
芥川が提起した文学の自立性はようやく議
14
(探究)
灯台
(読書2)★
アルトゥーロ・ヴィヴァンテ
作/最上さちこ 絵
ファシズムが国内を席巻しつつある時代
を、少年はどのような思いで生きていたの
でしょうか。彼の周りには、広がりに欠け
た世界、息の詰まる伸びやかさに欠けた世
ろ草野球で立ち直らせたように、息子のこ
意の底にあったコーチを、言葉よりもむし
を投げ返すことで応えます。死んだ父が失
周囲の理解の深まりに、優しさに輝く一球
周囲ばかりです。息子は母をはじめとする
ているのは、母やコーチ、監督など息子の
らえればと思いました。作中、言葉を発し
から社会と家族の接触面へ、目を開いても
日常から家族が背負う歴史へ、家族の内側
す。父子の関係から母子の関係へ、家族の
動を、この作品で閉じていきたいと思いま
「風呂場の散髪」で始まった本編の読解活
のような変化があったのか。それは老いた
少年の心、もう子供ではない少年の心にど
放された政治難民となって灯台を再訪した
人になっていました。ファシストに国外追
会した灯台守は、過去の光に生きている老
ファシズムの支配が決定的になった時、再
ようなものだったでしょう。少年が成長し
ところにある抑圧された気分からの解放の
うな政治情勢などよりも、心のもっと深い
れはファシズムか反ファシズムかというよ
少年はある解放感と希望を感じました。そ
乗りを安堵させる優しく力強い光の様子に、
守が自在に操る光、海と陸とをつなげて船
その時、少年は灯台守に出会います。灯台
夕空晴れて
の一球は迷いの中にいた母の背中を押して、
灯台守との関わりにどのような変化を与え
界が広がっていたのではないでしょうか。
生きる確信と勇気を与えました。言葉は無
ているのか。時代に翻弄されていく成長の
作/いとう瞳 絵
言も含めて言葉であることの威力を感じさ
姿を静かな語り口で捉えた作品です。
伊集院静
せ る 作 品 で す。「 機 関 車 先 生 」 の 青 年 教 師
を言葉を失った「口きかん先生」として設
定した伊集院の、人間と言葉の関わりにつ
いての大きなモチーフが見え隠れしている
ように思えます。
15
自由を求める言葉の気迫、自由を得た言葉の躍動に触れます。
読解活動② 詩・短歌・俳句 (総論)
言葉が
自由を得る時
言 葉 は ど こ ま で 自 由 を 獲 得 で き る の か。 そ し て、 自 由 で あ る こ と に
よって、個別の時代、個別の状況、個別の「私」に激しく迫りながら、
同 時 に、 そ れ ら を ど れ だ け 越 え て い く こ と が で き る か。 も っ と 深 く も
っと 遠く へ──詩 や 短 歌や 俳句 など の 韻 文表現は、その ような課 題を
厳 し く 突 き つ け ら れ ま す。 こ の よ う な 課 題 に 正 対 し よ う と す る や、 言
葉の慣習や慣行は硬い壁となって詩人の前に立ちはだかります。壁は、
浅 い と こ ろ 近 い と こ ろ、 よ り「 分 か り や す い 」 と こ ろ へ、 詩 人 を 誘 お
う と し ま す。
「楽になればいいのだ」という壁の誘いにあらがって、こ
★は新教材、
︻ ︼は他科目言語活動との関連
詩・短歌・俳句教材一覧
一学期
【社会公民】
作・水上みのり 絵
(授業開き)★【全科目】
《一年》
はる
谷川俊太郎
二学期
作
吉野弘
奈々子に
何にでも値段をつける
古 道具屋の
おじさんの詩 【社会公民】
作
寺山修二
三学期
自由 訳
新井満/ジョン・レノン
作・信濃八太郎 絵
﹁イマジン﹂︵抄︶
(読書2)★【社会歴史】
一学期
《 二 年》
【全科目】
作・北村人 絵
おたまじゃくしたち
四五匹 (授業開き)【全科目】
草野心平
二学期
短歌解説
佐藤正午﹃ありのすさび﹄と解説
【全科目】
短歌十五首
16
の 世 に 一 つ だ け の 言 葉、 生 ま れ た て の 言 葉 を 求 め て 続 け ら れ る 詩 人 の
苦 闘──この闘 いを 通 じ て 言 葉 は変 形 し た りね じれた りしなが ら、光
を放ち始めます。こうした苦闘に立ち会うことが韻文の読解です。
詩 や 短 歌 や 俳 句 は、 散 文 に 比 べ て 難 し い 教 材 で す。 意 味 だ け を と っ
て も 読 解 の 半 分 も 完 了 し な い か ら で す。 ま た、 言 葉 が 日 常 の 慣 習 や 慣
行 から は十 全な了解 が不 可 能 な 変 形 や ねじ れを伴 っているた め、 読解
そ の も の に 困 難 が 伴 う か ら で す。 作 品 か ら、 人 生 訓 を 読 み 取 っ た り 美
し い表現に感心 した り す る こと はで き ま す が、その ような 表層の理解
に と ど ま る こ と な く、
「どのように」という問いを常に発しながら、言
葉 を 紡 ぎ 出 し て い く 詩 人 た ち の 苦 闘 の 姿、 苦 闘 の 末 に 生 成 さ れ る 新 し
い言葉の姿にきちんと目を向けてほしいと思います。
詩や短歌や俳句は、さまざまな表現上・技法上の努力や革新を経て、
表 現 可 能 な 対 象 領 域 を 広 げ、 現 在 に 至 っ て い ま す。 古 典 的 な 叙 情 や 叙
景 は も ち ろ ん、 複 雑 な 現 代 人 の 内 面 や 現 代 社 会 が 抱 え る 問 題 を 対 象 に
で き る ま で、 表 現 の 力 を 蓄 積 し て き ま し た。 そ こ に は 精 選 さ れ 彫 琢 さ
れ た 言 葉 の 中 に、 散 文 で は 不 可 能 な、 感 情 表 現 の 深 度 を 実 現 し、 思 想
表 現 の重さ を実 現し て い く 詩 人 た ち の 姿 があります。狭い技法や約束
事 だ け に 捕 ら わ れ る こ と な く、 韻 文 の 歴 史 的 蓄 積 が 達 成 し た こ の よ う
な広さと成果も見てほしいと思っています。
地下水
【全科目】
作
川崎洋
三学期
挨拶 作
石垣りん
(授業開き)★【全科目】
原爆の写真によせて 【社会歴史】
《三年》
一学期
【全科目】
作・本村加代子 絵
最初の質問
長田弘
二学期
俳句解説
小林恭二﹃俳句という愉しみ﹄と解説
山之口貘
作
俳句十五句 【全科目】
存在 ★【社会公民】
17
読解活動② 詩・短歌・俳句 (各論)
(授業開き)★
︽一年︾
はる
谷川俊太郎
作/水上みのり 絵
うな思いで受け止めるでしょうか。作品に
を開始する生徒たちは、この作品をどのよ
して読み解くのもよいでしょう。──価値と
「発見する読み1」で扱った「対比」に注目
ないところに寺山の力量が光る作品です。
比」、差異によって生じているだけの相対
は何か。実は、価値とは何かと何かの「対
触発されて、それぞれの中にどのようなイ
メージが生まれてくるのでしょうか。
的で不安定なものではないのか。そこにい
ったん値段が付けられると、不安定さは上
より純粋な言葉・思考・感情をつかまえよ
ュアンス」を詩人はどのようにして排除し、
であっていい、自分は自分でしかないとき
富の源泉となる消費の時代は、自分は自分
しを次から次へと生み出し、それが巨大な
意味の詩です。新しい価値や評価の物差
ていく様子を感じてほしいと思います。
鋭いナイフのような社会批判となって生成し
したように思われます。一見軽い言葉遊びが、
認識に導かれ、そこに揺さぶりをかけようと
── 寺山は作品を作りながらこのような現実
いう幻想が確立してしまうのではないか。
奈々子に
うとするのでしょうか。こうした試みが「は
っぱりと自己肯定することが困難な時代で
手に隠されて、
「万人にとって価値あり」と
る」一編で行われています。
す。しかし、そのような自己肯定の契機を
作
「花を越えて/白い雲が/雲を越えて/深
失った時、人は他者を肯定することも同時
吉野弘
い空が」「はなをこえて/しろいくもが/
意図せず侵入してくる余計な「意味」
「ニ
くもをこえて/ふかいそらが」一語一語が
にできなくなります。世界が「他者の総和」
自由訳
やとして形をなしていない、言葉や思想や
があるようでないような事態、まだもやも
関係・仲間との関係にとどまらず、社会や
る荒涼とした戦場になってしまいます。親子
物差しに飢えた者同士が、競い合い対立す
世界は、肯定の契機を喪失した者同士、次の
自由訳「イマジン」と原作の「イマジン」
風に吹かれて」の導入や参考の位置づけで、
新井満の「ストロベリー・フィールズの
新井満/ジョン・レノン
感情の源泉とも言えるような事態を表すに
作/信濃八太郎 絵
﹁イマジン﹂ ︵抄︶★
堅く同定されてしまう前者の表記を回避し
(二年
、
吉野弘「生命は」
)
であるとしたら、
て、谷川は後者の表記を採りました。意味
は、前者では不十分と感じているからでし
を掲載しました。一九七一年の発表以来、
寺山修二 作
言葉遊びの詩ですが、それだけに終わら
子がうかがえます。新井は原作を継承する
嚼し自分のものにしていく新井の受容の様
られた「自由訳」の一行一行に、作品を咀
け止めたのでしょうか。大幅な増補が加え
ン作「イマジン」を、新井はどのように受
全世界で親しまれ続けているジョン・レノ
世界の現在も見直す視座を与える作品です。
達成されています。そして、期せずしてな
のでしょうか。作品は色彩の源泉というよ
うなものまで呼び起こすことになりました。
実に白く、これから何色にでもなっていく
ことのできる白の自由な可能性が強い印象
を伴って迫ってきます。これから中学生活
何にでも値段をつける
古道具屋のおじさんの詩
ょう。この谷川の意図は「はる」で十分に
P
88
18
だけでなく、それに新たな命を吹き込んで、
作品「自由訳」に結実させました。こうし
た深い受容が全世界レベルで繰り返されて
きたことが、原作「イマジン」が歌い継が
れ聴き継がれている力の源となっているの
︽二年︾
短歌解説
「あの時の思い」をありのままに再現しよ
うとして、作家は時に現実の場面や状況を
変形する必要に迫られることがあります。
てほしいと思います。それが「読解力」で
疎懶ではない。真実はもつとはなれたとこ
又そのどちらでもない。又なり切らない程
彼は蛙でもある。蛙は彼でもある。しかし
在 は、 不 可 避 の 存 在 に 過 ぎ な い。( 中 略 )
はない。不可避である。詩人草野心平の存
か ら 一 編 を 選 び ま し た。「 詩 人 と は 特 権 で
しいままにした異色の詩人、草野の代表作
草野心平 作/北村人 絵
群読用の詩です。高村光太郎の絶賛をほ
めには強い表現への意志とその意志に支え
ての言語表現についても、真実を捉えるた
共感します。短歌表現への導入ですが、全
した歌人の表現への意志に、小説家が深く
に収めるのではないでしょうか。虚構に託
意志が、嘘を虚構に高め、真実をその射程
れでも嘘に賭けてみる作家の表現への強い
まう危険といつも隣り合わせています。そ
でしょう。作家はつまらない嘘を書いてし
かに逆説で、嘘はやはり嘘にしか過ぎない
真実を語るために虚構が用いられるのです。
あることに気づいてほしいと思います。発
ろに炯々としてたつてゐる。このどしんと
られた粘り強い言葉との格闘が必須となる
おたまじゃくしたち
四五匹 (授業開き)
表後二十年たった湾岸戦争時にも、また、
したものが彼にとつての不可避である」猛
ことをつかませたいと思います。一年で学
でしょう。作品を過去のものにしてしまわ
それからさらに二十年後の同時多発テロ時
獣篇を書きながらついに人間であり続ける
んだ「シェーク バナナ・スプリット」にも
しかし、嘘が真実を照らすというのは明ら
に も、「 イ マ ジ ン 」 は 放 送 禁 止 歌 と な り ま
しかなかった高村は、人間であることも蛙
ないオーディエンス(読者)の力に注意し
した。
であることも共に突き抜けていく草野の力
量に括目して、このような賛辞を序文に寄
せています。一年「はる」同様、言葉から
余分な意味をそぎ落としていく平仮名表記
は、ここでは、無から踊り出ようとしてい
る存在の姿──命の始原を言い当てている
ようなのです。
つながる内容です。
短歌十五首
一八九八年「歌よみに与ふる書」の連載
を開始した正岡子規は、心を強く動かした
真実や事実を詠むことを主張して、趣味や
技巧に後退していた当時の短歌の革新を開
19
vs.
き継がれ、子規の時代よりもいっそう広い
まざまな挫折や曲折を経ながらも現代に引
きるでしょう。
の表現が持つ持続力と比べてみることもで
と思います。「発見する読み1」の「上と外」
「 た ぶ ん そ の た め に 明 日 が あ り ま す 」
にたどり着く川崎の息遣いに気づかせたい
始しました。それから百年余り、短歌はさ
世界を表現の俎上に載せることができるよ
原爆の写真によせて
作/本村加代子 絵
(授業開き)★
︽三年︾
最初の質問
長田弘
を受けて、多くの現代詩人も散文詩に取り
「測量船」をはじめとした三好達治の達成
がら確認してほしいと思います。
成果であることを、短歌解説を振り返りな
を捉えようとする歌人の強い意志と苦闘の
す。そして、それら全てが短歌表現で真実
短歌の世界の広がりを見てほしいと思いま
それは、占領が解かれた一年後の一九五二
執筆年を入れるよう求めてきた作品です。
ことですが、教科書掲載に当たって作者が
え続けた詩人石垣が核を捉えます。異例な
む荒れ狂うもの──それを見つめ言葉を与
もとに書かれました。平穏な日常の底に潜
衝撃を与えました。作品はその時の衝撃を
やがて解禁された被爆の写真は人々に強い
報と技術を独占するためだったのでしょう。
政策を支障なく進めるため、また、核の情
じられた機密事項になっていました。占領
ろしさは、終戦後長い間、報道も公開も禁
人間の制御から解放された核の威力や恐
い ま す が、「 道 」 を 語 る「 故 郷 」 の 魯 迅 の
るべきでしょう。置かれた状況も時代も違
けてみようとする詩人の不退転の決意を見
抱えながら、まだ言葉の再生・再構築にか
てしまう長田に、私たちは、大変な疲労を
は言葉を信じているか」という問いを発し
る 不 幸 は あ り ま せ ん。 し か し、「 お 前 自 身
詩人が言葉を信じられなければ、それに勝
もなしに直接、長田自身に向かっています。
いますか」という問いは、どのような留保
で は あ り ま せ ん。「 あ な た は 言 葉 を 信 じ て
安全地帯に身をおいて他者を責めているの
だ か ら で し ょ う。「 自 分 だ け は 別 」 と い う
それは、この作品が長田の厳しい内省の跡
かけてくる問いに追及の匂いはありません。
挨拶
組むようになりました。そこには、一瞬の
年 で し た。「 思 い 出 せ、 見 つ め よ、 そ し て
決意と同質のものも感じられます。中学の
問いかけだけの作品ですが、次々に畳み
心の動きを見事な一語で捉えていく言葉の
油断するな」という石垣の警告にもかかわ
最終年を迎え、言葉の創造的な使い手とし
石垣りん
輝きと俊敏な姿は期待できませんが、散文
らず、復興と成長と忘却の季節は日本中を
て育つべき生徒たちに対して、こうした厳
作
うになりました。自然詠だけでなく社会を
詠んだ歌、恋だけでなく内面の苦悩を詠ん
だ歌、母だけでなく父を詠んだ歌、文語だ
けでなく文語と口語を自在に渡り歩き特色
詩でしか実現できない抑制の効いた美しさ
眩惑し続けました。三年の井伏鱒二「黒い
しいエールもあってよいのだと思いました。
のある効果を狙った歌、など、子規以来の
があります。見えないものをじっくりえぐ
雨」にはもちろん、開高健「輝ける闇」の
地下水
り出していくような表現の粘りは、やはり
戦後認識にも通じていく作品です。
作
散文詩ならではのものでしょう。点丸をあ
川崎洋
えて排して表現の持続を図り、その果てに
20
あえて作者を秘匿するなど、句会の優れた
葉に正対した相互批評を展開するために、
合う言葉の世界があります。作品とその言
そこには、仲間に支えられ仲間同士で鍛え
連衆の文芸で代表的なものが俳句です。
たように思います。その様子は十五句だけ
表現としての現代性や可能性を拡大してき
作品でした。こうした闘争の中で、俳句は
梧桐との実作・理論闘争を背景に生まれた
の「去年今年貫く棒の如きもの」も河東碧
丘に立つ」、掲載はしていませんが同作者
掲載した高浜虚子の「春風や闘志いだきて
上に激しい分派闘争を繰り返してきました。
自由な伝統ゆえでしょうか。俳句は短歌以
ビキニの水爆実験、人間の生活
から、日本に捨てられた沖縄、
はないでしょうか。生活の一駒
た志向や性格に共鳴したからで
ったのも、詩人の言葉のこうし
曲をつけて取り上げることが多か
ー ク ソ ン グ の 担 い 手 が、 彼 の 詩 に
す。 高 田 渡 な ど 草 創 期 の 日 本 フ ォ
いうような手品を貘は軽々とやってみせま
ない人間の本然の姿として現れてくる、と
というものが政治にも反政治にも関わりの
俳句解説
一場面を示して、充実した連衆の世界を垣
ではとても示すことはできないのですが、
や心から、社会の情勢まで、
小林恭二 ﹃俳句という愉しみ﹄と解説
間見ることにしました。議論の中では、短
目指したところを汲んでいただければと思
歌と俳句の違いについても具体的に触れら
一貫していました。このよ
せますが、その立ち位置は
貘の言葉は自在な展開を見
います。
★
自 己 主 張 盛 ん な 時 代・
存在
世代を捉えたらどのよ
うな詩人が、個性の主張、
山之口貘は特異な詩人でした。明治に沖
う な 言 葉 に な る か、
作
縄に生まれ、戦争と占領を経過して高度成
耳を傾けてみたい
山之口貘
れているので、二年の短歌学習からのつな
がりもつけられるでしょう。そこでは、言
葉の重複を極力回避してぎりぎりの表現を
求めていくことが俳句表現の根本・基本で
ていきます。有季定型に限定せず、現代俳
長のとば口までの時代を、職と住居を転々
と思いました。
句まで含めた俳句表現を広く射程に収める
としながら国内放浪を続け、金子光晴など
あることなどの、示唆に富む内容が語られ
ことのできる視座を与えようとしました。
の前衛的な現代詩人と親交を深めながら作
型を捨て、進んで「雑」の句・非定型の句
点を示そうとしました。そのために有季定
になった俳句という文芸の懐の深さと到達
叙景だけでなく、恋や社会も詠めるよう
た「 独 立 」 の 内 実 が 現 れ て く る。「 独 立 」
発してみると、政治も反政治も語れなかっ
上段に振りかぶらず姿勢を低くして言葉を
にこだわる幼い娘のしぐさを登場させて、
た詩人でした。「独立」を語るのに「かんこ」
がどこまで深く広く時代を語れるかを試し
風はあくまで平易平俗を保ち、平俗な言葉
であることに甘んじていく俳人の表現への
俳句十五句
こだわりを見てほしいと思います。句会の
21
心にしっかりと結び付いた知の言葉を学びます。
読解活動③ 説明文・評論・随想 (総論)
現在を貫き
未来をつかむ
知の心に触れる
数学などに代表される厳密な形式論理・記号論の世界があります。揺らぎ
のない純化された記号を駆使し、曖昧なものを排除して構築され、主体が自
★は新教材、
︻ ︼は他科目言語活動との関連
説明文・評論・随想教材一覧
一学期
《一年》
向田邦子
文・水上みのり 絵
字のない葉書 (活用)【社会歴史】
風景のある言葉
(発見する読み1)★【全科目】 角野栄子 作
小関智弘
文・安岡嘉 写真
ものづくりに生きる (習得)【社会公民】
若生謙二
文・写真
変わる動物園 (活用)【理科】
文
三宮麻由子
知識の樹木 (探究)★【社会公民・理科】
﹁見える﹂ということ
(発見する読み2)★【理科】 福岡伸一 文
二学期
あわやのぶこ
文・中島梨絵 絵
空飛ぶ魔法のほうき (習得)★【全科目】
片言を言うまで (探究)【社会歴史】
文・タケウマ 絵
金田一京助
三学期
角田光代
文・横尾智子 絵
まなちゃんの道 (習得)★【美術】
由に関与することが禁じられた世界です。人が言葉を用いて書き表す思考の
新井満
ストロベリー・フィールズの
風に吹かれて (読書2)★【社会歴史】
文・信濃八太郎 絵
世界は、この世界とは趣が違います。そこには主体が顔を出す余地があるの
一学期
《二年》
昔話 (習得)★【全科目】
です。書く人の性格や感情や置かれた立場や情勢、それらがもたらす揺らぎ
が論理的な思索の合間合間に顔をのぞかせてきます。書く者の強い思い入れ
文・EMI 絵
大江健三郎
吟味された言葉 (探究)【全科目】
文・コーチはじめ 絵
なだいなだ
文・宮本ジジ 絵
星野博美
が論理のスムーズな展開をねじ曲げ、抑制しきれない発見の驚きが言葉に抑
逃げることは、ほんとに
ひきょうか (活用)【社会歴史・公民】
揚を生み出します。けれども、こうした揺らぎが新しい局面を開き、
「いま・こ
こ」をより深く貫く思考や発想に書き手を導いていくのだから不思議です。こ
22
れが言葉の力なのでしょう。国語教室で扱う思考や論理の世界は、このよう
な、人と人が駆使する言葉の力に密接に関連したものでありたいと思いました。
現代社会はますます捉えにくく見通しの効かないものとなってきています。
急速な変化に伴って、社会やその構造を捉える従来の枠組みが失効したり、
文・写真
星野道夫
アラスカとの出会い (探究)【全科目】
生物が消えていく
(発見する読み2)★【理科】 高槻成紀 文
二学期
若者が文化を創造する (習得)【理科】
文
河合雅雄
三学期
プロセスの建築 (活用)【全科目】
上田勢子 インタビュー/文・ジョー・オダネル 写真
目撃者の眼 (習得)【社会歴史】
な現代社会を捉え見通すことのできる、新しい窓を開きたいと思いました。
宇宙が叫ぶ ││梵鐘・歓喜(読書2)★【美術】
更新を迫られたりしているからです。説明文・評論文・随想では、そのよう
学校と仲間、家族、福祉と労働、環境と共生、伝統文化と情報・技術、戦争
文・吉田利雄 写真
文
文・岡田知子 絵
文・峰岸達 絵
文・竹嶋浩二 絵
自分だけの羅針盤・道
文・平田利之 絵
内橋克人
顔の見える国際協力(読書2)★【社会公民】
猪口邦子
パール・ハーバーの授業 (習得)【社会歴史】
文・石井實/水澤静男 写真
内山節
三学期
武蔵野の風景 (探究)【社会歴史・理科】
玉木正之
運動会 (活用)【社会歴史】
(習得)
【社会公民】 能登路雅子 文・森眞二 絵
ディズニーランドという聖地
文
内山節
二学期
普遍性 (発見する読み2)★【社会公民】
鷺沢萠
ケナリも花、サクラも花(活用)
【全科目】
文
岡本夏木
言葉の共有 (習得)【全科目】
一学期
《三年》
木坂涼
岡本太郎
文
安藤忠雄
と平和、経済と産業、国際関係と国際理解など、私たちを取り巻く現代社会
言葉のいのち (読書2)★【全科目】
の諸相全てについて、現在を貫き未来を呼び込むことのできる切り口を示そ
うとしました。さまざまな分野で活躍している個性的な筆者の言葉とその語
り口から、見えなかった世界が見えてくる、見えていると思った世界が意外
な側面を明らかにする――そのような作品を選びました。驚きや発見や思い
の込められた筆者の思索の跡をたどりその言葉の力に触れながら、自分の知
の世 界が感情や気持ちを伴った豊かなものに更新されていくことを、生徒に
実感してほしいと思います。
新学習指導要領では、全ての科目で「言語活動」が必須とされました。厳
密な論理表現を求めたり、感性豊かな表現を求めたり、情報の整理・記述を
求めたり、科目の性格によってさまざまな取り組みの質が求められるでしょ
う。こうした多様な「言語活動」の基礎を支えるものが、国語科での人と言
葉の力を実感した取り組みであると考えています。
(送り出し)★【全科目】
長倉洋海 文・写真
23
読解活動③ 説明文・評論・随想 (各論)
︽一年︾
(活用)
風景のある言葉
作
(発見する読み1)★
角野栄子
自分の言おうとする事柄や思いにぴった
りした言葉が見つからなくて困る──こう
いう経験は誰にもあるでしょう。こうした
場合、嘘だという思いを抱えながらもとり
あえず何か言ってしまうか、沈黙を続ける
か、という選択を迫られることになります。
沈黙を嫌って言葉の空転に甘んじるか、沈
黙を深めるか、というのは実に厳しい選択
(習得)
葉」にもまっすぐつながっていくでしょう。
ものづくりに生きる
男が声を立てて泣くのを初めて見た」一瞬
紡 ぎ 出 し て い き ま す。「 私 は 父 が、 大 人 の
では父親像の更新を迫られた筆者が言葉を
な言葉を与えるかが父に問われます。ここ
呂場の散髪」では息子像の更新にどのよう
のような変更を迫られたのでしょうか。「風
た筆者の父親像は、その様子を見ながらど
したのでしょうか。大人として自立を始め
な父はどのような方法で心を通わせようと
疎開したまだ字の書けない妹に、口べた
向田邦子
オの未来を開きます。読解に当たっての「対
チとは違い、二代目の兄やんとしてのテツ
ない」言葉です。兄やんの言葉や行動はサ
や ん 」 の サ チ の 言 葉 は こ の 反 対、「 風 景 の
た。自分を埒外においてテツオを責める「兄
る言葉」とは、このような言葉のことでし
励ましを与えます。筆者が言う「風景のあ
手の展望を静かに開き、押しつけではない
うことは人を豊かにします。それは、聞き
のです。逆に、よく吟味された言葉に出会
うな言葉に出会うことの方がむしろ多いも
しょう。言語生活を振り返っても、そのよ
ない言葉を投げつけられた聞き手は不幸で
ない」創造的な仕事を見つけ出します。マ
の仲間との交流に裏付けられた「教科書の
炉の補修を行う職場に、技能と経験と職場
に根を張った雑器の美を見つけます。溶鉱
筆者は切り子を作る町工場に、民衆の生活
動を行っている筆者がその疑問に答えます。
ながら書き、引退した現在も旺盛な執筆活
性はないのでしょうか。旋盤工として働き
しょうか。ハードを作る職場や労働に創造
になりました。しかし、本当にそうなので
造的であるかのような偏見が蔓延するよう
生産ばかりが脚光を浴びて、それだけが創
るようになった今日、サービスやソフトの
第三次産業の生産物が消費の大半を占め
文/安岡嘉 写真
ためらい再び展開を始める言葉の様子に、
比」の有効性を体験するためのコラムです
ニュアルに支配され、構造の理解も修理も
小関智弘
父と娘の関係、戦争の現実、それらを巡る
が、言葉を吟味することの重要性にも気づ
です。一方、空転する言葉、吟味されてい
言葉の問題の一切が結晶していく名作です。
くなら、二年の大江健三郎「吟味された言
字のない葉書
成長と共にまた読み返すならば、新しい発
文/水上みのり 絵
見があるでしょう。
24
面から警鐘を鳴らしている作品です。キャ
が海外に移転してしまう日本の現状に、側
鍛えられ磨かれ考え抜かれた技術ごと工場
物に囲まれて暮らしている私たちに、また、
できずひたすら消費していくしかない生産
ら 高 村 が 感 じ た の は、「 二 等 国 日 本 」 の 人
芸を求める標本展示以前の展示のあり方か
獣篇」から一編の詩を載せました。動物に
からです。「批評の扉」では高村光太郎の「猛
で厳しい課題を問う姿勢が、そこにはある
す。人間と自然は共生できるかという切実
けてきます。
知や学びというものの本質について問いか
筆者の指摘は、健常・障害の別を超えて、
学ぶということなのではないでしょうか。
晴れ上がった気圏に踏み出していくことが、
えるもの聞こえるものを拡大していくこと、
福岡伸一
文
(発見する読み2)★
リア学習を行う際の大事なベースも提供す
﹁見える﹂
ということ
間として差別的な視線と扱いを受けている
ことへの激しい憤りでした。
るでしょう。
(活用)
えていきます。このような知を通じた世界
延長であるかのように安心できる世界に変
を広げ、それが知の手が届く世界、自己の
学習と発達によって私たちはなじみの世界
んな記憶がよみがえってこないでしょうか。
じんだ生活の外は不気味なものだった、そ
小さい頃、世界は今よりとても広くて、な
う筆者の指摘に、私たちははっとします。
のですね」こういう認識の仕方があるとい
「セミの声が下から聞こえるから谷が深い
学などにとっても、グレーゾーンが豊饒な
でしょう。ひとり科学だけでなく文学や哲
年の生物学の研鑽から得た筆者の確信なの
ことが科学の仕事である、というのが、長
によって明確に「見える」ものにしていく
こうしたグレーゾーンを言葉と思考と技術
えるのに見えない」「見えないのに見える」
は、「見えること」の始原に向かいます。「見
ない」ものが対比されますが、筆者の言葉
者 の 発 見 で し た。「 見 え る も の 」 と「 見 え
というのが、生物学の先端を走ってきた筆
と答えます。認識と知覚もまた同様なのだ
変わる動物園
認識が先か言葉が先かという古くからの
標本展示から生態展示へ、さらに、人間
の拡大は人間に共通のものでしょう。健常・
領域であるという指摘は有効です。ここで
(探求)★
の生活や生産活動と生態の関わりにも注目
障害を問わず、知の手が伸びていかない世
学んだ「対比」の有効性が、生徒の読解活
知識の樹木
した展示へと動物園は発展してきました。
界は、恐れや不安を引き起こすものであり
動・思考活動・表現活動に生かされること
文・写真
動物の習性を抽象化された環境の中で引き
続けます。見えているのに見えない、聞こ
を望んでいます。
若生謙二
出して見せる行動展示が脚光を浴びていま
えているのに聞こえない──こうした霧に
議論について、現代の哲学は「同時である」
すが、希少種の保護や繁殖というズースト
包まれた状況から少しずつ踏み出して、見
文
ックの観点からも進められてきた生態展示
三宮麻由子
の取り組みは、全国的に広がり続けていま
25
心 は い つ の ま に か 硬 化 し、「 知 」 が 個 別 の
がる「知」の多数に頼むあまり、私たちの
めてきています。しかし、こうした横に広
らず、私たちは「集合知」への依存度を高
る「 集 合 知 」。 好 む と 好 ま ざ る と に か か わ
問題を引き起こしながらも増殖し続けてい
インターネットが生み出し、さまざまな
あわやのぶこ
を求める言語学者の言語に対する根本の姿
わってきます。客観的な調査や厳密な形式
信が形成されていく過程が感動を伴って伝
られるこの碩学の、言葉に対する姿勢や確
成って水到る」方言やアイヌ語の研究で知
た心の城府へ通う唯一の小道であった。渠
を 復 活 さ せ ま し た。「 言 葉 こ そ 堅 く 閉 ざ し
かつてどの教科書にも載っていた名教材
金田一京助
色・構図を、画家は絵筆を通して表に出そ
か。これまで人間が感受しきれなかった形・
文/タケウマ 絵
心に縦に切り込んでくる時の衝迫や感動、
勢が、このような形で形成されていたこと
うとして苦しんでいます。優れた作品に圧
(活用)
それがもたらす自由を忘れているのではな
に驚きも覚えます。
「批評の扉」ではフィー
倒されている時、私たちが受け止めている
片言を言うまで
い で し ょ う か。「 魔 法 の ほ う き 」 を 強 く 求
ルドワークのあり方について考えさせよう
気迫とはこうした真摯な苦闘から発せられ
空飛ぶ魔法のほうき (習得)★
める少女の「知」はたわいのないものです
としました。インタビュー活動のあり方な
文/中島梨絵 絵
が、その強さゆえに大人の心深くに切り込
幼少の頃こうした創作の気迫に直面します。
ています。長じて後小説家になった作者は、
どについても大きな示唆を与えるでしょう。
(習得)★
ど追求していない作品、新しい趣向などま
ています。美しくない作品、新しい技術な
術」の分析では説明がつかないものを持っ
一枚の絵画が与える感動は、「美」や「技
傷ついた幼い熱情を闇の中に封印して大人
いると感じられるのはそのためでしょう。
生々しいほどの決意と感動と確信を伴って
い」という言葉が、決して卑下ではなく、
見 出 す こ と が で き ま す。「 と て も か な わ な
に、私たちは小説家としての作者の原点を
迫られその変更を受容していく自分の様子
「そこそこ万歳」の価値観が強力に変更を
るでないように見える作品が私たちの心を
になっていく「少年の日の思い出」の主人
文/横尾智子 絵
動かす時、私たちは作品を生み出していっ
公と比べてみたい作品です。
角田光代
た画家の気迫のようなもの、気迫に満ちた
まなちゃんの道
んで硬化した「知」を開かせます。その瞬
間ぱっと花開き、自由を獲得したのは、実
は大人の方だったのかもしれません。他者
の言葉を深く捉え反応していく姿勢、交流
する姿勢の基本を示している作品でもあり
ます。
創作の姿に触れているのではないでしょう
26
(習得)★
︽二年︾
昔話
星野博美
文/宮本ジジ 絵
逃げることは、
ほんとにひきょうか (習得)
文/コーチはじめ 絵
自然に従わないからこその人
なだいなだ
答の一つが「命のリレー」だと新井は言い
の か。「 イ マ ジ ン 」 が こ の 問 い に 与 え た 解
ためには、どのような思索と表現が必要な
ていく力を与える生きた言葉に変えていく
う言葉を内実のある言葉、未来を切り開い
な も の に な っ て き て い ま す。「 平 和 」 と い
言葉やそれが担うイメージはどんどん希薄
した「情報」の氾濫と共に「平和」という
理解不能な「悪」として描かれます。こう
級映画の陳腐な手法で、必ず野蛮で未開で
ました。ゲーム画面のような上空からの空
から、私たちはずいぶん遠くに来てしまい
って内実を持った言葉として語られた時代
新井満 文/信濃八太郎 絵
「反戦・平和」が過去の生々しい記憶によ
まれてくるものなのでしょう。映像の専門
史とは、実はこのような主体的な過程で生
消えない記録と記憶、未来に手渡される歴
に刻み込まれているのではないでしょうか。
していく主体の心の動きが生々しく、言葉
欠けています。しかしそれだけに、「記録」
に扱うことはできません。また客観性にも
メディアですが、映像と異なって「手軽」
なっているのでしょうか。言葉は最も古い
って、私たちの「記録」は果たして豊かに
しかし、こうした「量」と「手軽さ」によ
も手軽に「記録」できる時代になりました。
されました。大量の客観的な映像が誰にで
用デジタルカメラ・デジタルビデオが発売
その技術とコンピュータ技術を用いて家庭
十年後には家庭用ビデオカメラが発売され、
に切り替えたのが一九六〇年代、それから
し ま す。「 無 駄 に 命 を 捨 て な い た め に 逃 げ
の よ う な 視 座 か ら、「 逃 げ る こ と 」 を 考 察
すべきです。筆者は、戦争体験に基づくこ
ていけない以上、こうした本末転倒は回避
いでしょう。人間が社会を成してしか生き
末転倒と言ってもよいし疎外と言ってもよ
を捨てて犠牲になれと命じる──これは本
命を守るために作り出された社会が、生命
するようになるかもしれません。人間の生
分の生命を捨て敵の生命を奪うことを称揚
底して反自然であること、社会のために自
熟した時、人間に何を求めてくるのか。徹
砦として社会を作りました。その社会が成
がて自然の猛威から自分たちの生命を守る
とりながらやっと存在している人間は、や
──自然と反自然の間で危ういバランスを
いながら従わざるを得ない人間という存在
しては生きていけません。自然に逆ら
やはり自然の一部であり、それを否定
間性です。しかし、その人間も
ます。それは、安心して繰り返していける
家、写真家である作者が、改めて言葉によ
るということは、社会のためにも大切だと、
テレビ局がフィルム映像からビデオ映像
こと、安心して渡していけることへの確信
る記録と記憶について考えます。メディア
君は思わないだろうか」社会を生き、今後
ストロベリー・フィールズの
風に吹かれて (読書2)★
とでも言ったらよいのでしょうか。命の進
と人間の関わりについての本格的な考察に
爆映像が流され、報道される「敵」は、
歩や発展、それに伴う命の競争などではな
導く可能性を持った作品です。
の社会の中心を担っていくだろう生徒たち
く、穏やかに確かに世界の中に命を位置付
けることのできる状態なのでしょう。
27
B
にとって、このような認識──社会は人間
が生きるためにあるべきだという認識──
は、 真 に「 仲 間 と 共 に( 単 元 名 )」 生 き る
(探究)
ために必須であると考えています。
吟味された言葉
アラスカとの出 会い
ず理解することもできずにいることの寂し
さ、とでも言うべきものなのでしょうか。
そこから生まれてきます。作品は星野の映
(探究)
このような星野にとって自然や動物は、他
像が持つ特異性の秘密を垣間見せてくれま
文・写真
わき起こる「私」だけの思いを言葉は捉
す。「 批 評 の 扉 」 に は、 こ う し た 星 野 の 世
星野道夫
の写真家のような驚きや発見の対象ではな
かったように思います。星野にとっての自
然や動物は、そばに親しくいながら深く自
分の命の孤独を痛感させてくれるものだっ
えることができるでしょうか。その時言葉
界感受に極めて近い詩作品、吉野弘「生命
たようなのです。映像に漂う独特の哀愁は
は「私」の思いの強い力で、ねじ曲がった
は」を併載しました。星野の写真作品も掲
文/EMI 絵
りゆがんだり独特の相貌を持つようになる
載しました。
大江健三郎
のではないでしょうか。言葉の伝達機能は
生成を始める時のすさまじい姿──大江は
発生の始原のような場所に立ち戻り、再び
うとして近づけないもの、しかし、それら
してつながることができないもの、近づこ
何かがあるのです。それは、つながろうと
ていたからだと言うだけでは説明できない
が漂っています。死に抗う生の様を見つめ
の写真家の作品にはない哀愁のようなもの
星野の残した自然や動物の写真には、他
った比喩などが飛び出してくれば、例外な
的に追いかけている文脈の中に、情感の籠
文章でも役に立ちます。事実を客観的論理
た読み分けは、評論や論説などの客観的な
価を読み分けることでもあります。こうし
と、それについてのナレーターの説明や評
これは、言い換えれば、作品中のできごと
「事実と意見を区別する」読みを行いました。
「発見する読み1」では文学を素材にして
文
その姿を息子の言葉の中に捉えました。言
と同じ世界に期せずして生まれた自分とい
くそこに筆者の主体が顔をのぞかせていま
高槻成紀
生物が消えていく (発見する読み2)★
犠牲にされます。しかし、そのことによっ
て言葉は、通常の伝達を遥かに超えて他者
の心深くに浸透していく力を持つことにな
ります。伝達を拒むことによってより深く
葉を生業とする作家としての大江の決意ま
うものがあり、双方で一つの世界を構成し
伝わろうとする言葉の不思議な姿、言葉が
で読み取れる作品です。
ていることは明らかなのに、互いを理解せ
28
文化の問題を射程に収め、農村文化の衰退
業が支え工業化された農業が破壊した農村
ました。自由を得た高槻の言葉は、伝統農
高槻の思考は大きく展開していく自由を得
得します。この「比喩」の獲得を契機に、
槻 は、「 洪 水 」 と「 砂 漠 」 と い う 比 喩 を 獲
なります。灌漑工事の事実を追いながら高
す。そこが筆者の主張が展開される起点に
の理解の深さがうかがわれます。
ての理解、猿をはじめとする動物について
んであるという断言に、河合の人間につい
越えられるかどうかが人間が人間たるゆえ
しょう。猿には解消不能のこの軋轢を乗り
う世代間の軋轢を見出すことができたので
芽を見出し、文化の創造と継承に付きまと
念を振り切って、猿の行動に文化創造の萌
そういう河合であればこそ、これまでの通
像が問いかけます。
か。原爆肯定論を超えて直立した子供の映
国にとって原爆による攻撃とは何だったの
論の中でも写真展は続けられました。加害
ために必要であったという根強い原爆肯定
(習得)
インタビュー・文/ジョー・オダネル 写真
トジャーナリスト吉田ルイ子の作品に触発
インタビューを行った上田勢子は、フォ
上田勢子
目撃者の眼
と共に失われていく地域共同体の問題をも
射程に収めていきます。事実を深く捉える
(習得)
ことを可能にした言葉の力を、学ばせたい
と思いました。
若者が文化を創造する
迫っていったのが河合雅雄です。ゴリラの
観念に霊長類の研究を通じて次々に変更を
ので変化はしない」など、それまでの固定
「猿は道具を使わない」「習性は天賦のも
真家となった人物です。海兵隊に交じって
を始め、後にホワイトハウス所属の報道写
オダネルは海兵隊所属の写真家として仕事
真展や写真集を企画してきました。ジョー・
つ中で、写真プロモーターとして多くの写
アンセル・アダムズなどの巨匠と親交を持
た原建築とも言えるこうした姿への強いこ
し続けている姿──虚飾を捨てて純化され
れつつも骨格を保持し、存在と生命を主張
れて、余計な装飾がすっかり剥げ落ち、崩
としての歩みを始めました。風雨にさらさ
遺跡と廃墟に魅せられて、安藤は建築家
(活用)
研究は有名ですが、その基礎を作ったのが
被爆後の長崎に上陸したオダネルは、はだ
だわりが、安藤の作品にはあります。コン
プロセスの建築
教材にあるニホンザルの研究でした。観察
しの少年のネガを私物の中に隠してアメリ
クリートの打ちっぱなしを好むのも、原建
され、自ら写真家を志しましたが断念し、
対象を人間化しないという科学の原則を守
カに持ち込み、戦後しばらく公開しません
築であることへの強いこだわり故でしょう。
文
りつつ、ついその原則を踏み越えてしまう
でした。それを公開した時の思いをオダネ
しかし、その安藤にとっても建築は、思い
河合雅雄
ところに河合らしさがあります。人間につ
ルが上田に語ったのがこの文章です。原爆
いての大変な興味関心が河合の根底にあっ
投下は戦争の被害拡大の阻止と早期終結の
文
て、それが人間の先祖である猿の研究に当
安藤忠雄
たっても滲み出してしまうようなのです。
29
外の動機を持っていない建築、原建築がそ
的や結果に縛られることなく、物を作る以
巡り合い、衝撃を受けます。そこには、目
いでしょう。その安藤がワッツ・タワーに
て、こうした事情は桎梏以外の何物でもな
められます。原建築を追求する安藤にとっ
た機能や目的にかなうものであることが求
ません。予算や工期だけでなく、要求され
生きとたどられています。完成した梵鐘の
現行為、これら二つの相互反応の様が生き
芸術家の激しい内面の動きと力に満ちた表
を、岡本自身の言葉がたどっていきます。
がら、輝きを放つ作品に結実していく様子
のようなものが、膨れ上がり枝葉を広げな
ります。まだ形のないエネルギーの黒い塊
往還を可能にした岡本の創作力の核心に迫
純粋芸術から商業美術まで、自由な跳躍と
者理解の深まりは、同時に自作の理解、自
します。このような他者の言葉の理解、他
て先輩詩人の感受性の内実にまで届こうと
考察は、一つ一つの言葉の使い方から始め
を見つけ、その違いに圧倒されていきます。
者が、先輩詩人の作品に自作と同相のもの
ような経験なのでしょうか。詩人である作
他者の言葉に圧倒されるというのはどの
た。教材は、縄文美術から現代美術まで、
うであったかもしれない建築の原点が具体
震える角を握って、猛牛を制圧したような
己理解の深まりも伴っていました。見物人
のままに進めることのできる仕事ではあり
化されていました。これを安藤は「プロセ
興奮を覚える岡本でした。猛牛とは岡本自
のように外側からさかしらに「鑑賞」「批評」
文
スの建築」と呼びました。そして、さまざ
身の旺盛な創作力の比喩でもありました。
するのでは、こうした自作の理解や自己理
(読書2)★
まな縛りを受けながら進めざるを得ない自
創作活動の本質だけでなくその喜びも捉え
言葉のいのち
分の仕事の中にも「プロセスの建築」へ向
た作品です。
こそ、全てがあるのだ。行為が終わってし
問題視されるようになった現在、このよう
て、「 関 わ り の 希 薄 化 」 が お 題 目 の よ う に
ュニケーション」の重要性が声高に叫ばれ
解 の 深 ま り は 得 ら れ な い も の で す。「 コ ミ
木坂涼
かおうとする衝動が生きていることを認め
まえば、作品は残るが、創造者には何も残
な他者の言葉や他者との濃密な出会いが実
た の で す。「 物 を 作 り 出 す プ ロ セ ス の 中 に
らない」と書く安藤の心には、廃墟が開示
現している様子に出会わせ、真正の意味で
観点は重視させたいものです。
る「批評活動」に当たっても、このような
重要です。新学習指導要領で重視されてい
くことだという自覚を持たせることは大変
の批評とはこのような出会いを実現してい
する原建築への強い憧れがあるのではない
文/吉田利雄 写真
││梵鐘・歓喜(読書2)★
でしょうか。
宇宙が叫ぶ
岡本太郎
岡本太郎は、他に追従を許さない旺盛な
創作力と、規制のジャンルを大股で超えて
いく勇猛な創作姿勢で知られた芸術家でし
30
︽三年︾
ケナリも花、サクラも花
(活用)
人にとってどのような意味を持ってくるの
縛りを取り去ってみた時、卒業式は一人一
えるのでしょうか。煩雑な儀礼や制度的な
そして、生徒たちはどのような気持ちで迎
つてどのような気持ちで迎えたでしょうか。
人生の節目としての卒業式を私たちはか
き全幅の信頼を寄せたスヨンという女性は
持ちの余裕を失っていた筆者が、好感を抱
るきつい差別にさらされての留学です。気
国籍の韓国人クォーターであることに対す
した。不自由な言葉、国民性の違い、日本
の文化交流は自由ではなかった頃のことで
だ、日本に対する警戒や反感が強く、双方
します。韓流ブームが起こるずっと前、ま
は父祖の言葉を学ぶために韓国留学を決意
す。学生作家としてデビューした後、筆者
筆者は韓国人の祖母を持つクォーターで
読解のために求められているのです。農業
肉付けしながら読んでいくことが、十全な
勢や時事についての知識、生活実感などで
に委ねられています。抽象的な言葉に、情
す。それだけに、肉付けをする役目は読者
ったような文章、いわば骨太のデッサンで
のある文章ではなく、大なたでざくざく切
で し ょ う。「 武 蔵 野 」 に あ っ た よ う な 粘 り
が、字数制限が厳しい新聞連載だったため
教材は「武蔵野の風景」の筆者の文章です
ながら読解を深めていく方法を学びます。
材にして、自分の体験や既有の知識を補い
「発見する読み2」では抽象的な文章を素
(発見する読み2)★
か──養護学校の校長として勤めた筆者は、
どのような人だったのでしょうか。言葉と
の工業化、産業の空洞化、小さな更新を矢
普遍性
式に臨む一人の少年の決意に満ちた言葉に
心の交流を求めるスヨンと筆者の姿──そ
継ぎ早に加えることで新しい市場を生み出
文
出会い、その意味に気づいていきます。少
れぞれの母語を学ぼうとする二人の交流の
内山節
年の決意は言葉を通じて共有されます。そ
誠実で切実な姿に、国同士の過去や現在を
していく消費社会のあり方、デッサンが与
作/岡田知子 絵
れだけでなく、その決意は筆者の背中を押
える見通しは現代社会のさまざまな傾向を
鷺沢萠
し、言葉の持つ重みや価値、言葉の真の獲
越えていこうとする優しい力が流れます。
うまく説明するものとなっています。そし
(習得)
得についての深い思索に導きました。知識
「片言を言うまで」で学んだ金田一の言葉
て、こうした傾向の背景に、「歴史は進歩、
言葉の共有
や技能にとどまらない、言葉の力、言葉の
の体験にも通じていくこの内容を、外国語
発展と共にあるという近代人たちの思想が
文
獲得について、発展性のある思考を促す名
を学ぶ生徒たちの心のどこかにしっかりと
岡本夏木
文です。
あった」として、産業革命以降に生まれ現
根付かせておきたいものです。
在にも根深く浸透している精神のパタンを
見抜いていくところは哲学者ならではでし
ょう。
31
ディズニーランドという
聖地 (習得)
運動会
(活用)
武蔵野の風景
(探求)
思想を具体的に解き明かすために大きく寄
立に深く関与した筆者の経験も、ランドの
になりました。東京ディズニーランドの設
現代社会論としての奥行きを獲得すること
ドを論じても、そこにとどまらない文明論・
ているからこそ、作品は、ディズニーラン
のような現代が抱える矛盾をしっかり捉え
や共生の運動は広がりを見せています。こ
ことへの認識は高まりつつあり、自然保護
その一方で、自然なしでは生きていけない
望み、それを実現しつつあります。しかし、
地を残さないプラスチックで無菌な世界を
ました。今や私たちは、自然が入り込む余
は文明や制度を作り自然を支配し続けてき
自然の脅威から身を守るために、私たち
ことを主眼にしたスポーツがありました。
かし、日本には競い合うことよりも楽しむ
を貪欲に求めるようになったからです。し
を選手に支払い、競技開催に伴う経済効果
ポーツを牛耳った経済が、途方もない報酬
いるのかもしれません。軍事に替わってス
た分だけ、競技色はいっそう強まってきて
せん。むしろ、軍事との関連が希薄になっ
競い合うものであることに変わりはありま
いきます。平和な現在でもスポーツが
た。競技としてのスポーツが成立して
促進するために競争が用いられまし
そして、より強い身体能力の開発を
の強い身体の養成が求められました。
人格のように動くことのできる複数
練と統制が必須でした。一つの
発展してきました。そこでは鍛
どの軍事政策と強く結びついて
体育は富国強兵や国民皆兵な
労働も生活も共に回復できない打撃を受け
が開発の中心に位置づけられた時、自然も
の発想を引きずったこのような把握の不備
ものになってしまうでしょう。そして、近代
の把握は具体性に欠けた取りこぼしの多い
引きずっている限り、労働や生活について
の制服や改造という近代の発想をどこかで
発に当たる国家の姿勢が、人間による自然
き物だと言ってもよいでしょう。しかし、開
間からこぼれてしまうものがあるような生
抽象的な把握に甘んじていては、必ず指の
流史を抱えている極めて具体的なものです。
微細な陰影を持ち、深層に自然と人間の交
の関係に筆者は注目します。労働も生活も、
どうしてなのでしょうか。労働や生活と国家
かわらず自然破壊は止まらない──これは
差した開発が重要視されてきているにもか
が限界を指摘され、地域の自然や風土に根
然の制服や改造という近代の発想での開発
の欠点が指摘されています。人間による自
地域の特殊性を無視した国家規模の開発
文/石井實・水澤静男 写真
与しています。無菌で安全な世界を求める
それが運動会です。競技色を強めていく国
るのだと筆者は考えます。どのような発想
内山節
現代の私たちの傾向は、ランドの思想が構
策スポーツの台頭の中で、民衆はどのよう
の転換が必要なのか。転換のための指標は
文/峰岸達 絵
想した地点を遥かに越え
に運動会を成立させていったのか。背景と
何なのか。歴史や自分の生活実感に絡みつ
玉木正之
て、サイバー時空の
なる発想や状況を詳しく調べながら、運動
くようにして筆者の思索は深まっていきます。
文/森眞二 絵
中での生を追求する
会が生成し文化として定着していく跡をた
能登路雅子
までに至っています。
どります。
32
に向けての起点になるに過ぎないでしょう。
謝罪や賠償は無論重要ですが、それは未来
実な課題として、つなげていくか。総括や
歴史をどのように未来に、それも自分の切
重さを自分の課題として捉えました。負の
す。その時初めて少女は過去の戦争責任の
の授業と教室の仲間の対応が少女を救いま
問われようとしていました。世界史の先生
襲に対する批判です。日本人の戦争責任が
いました。それは、パール・ハーバーの奇
人で祖国批判の矢面に立たされようとして
異国の学校で、日本人の少女はたった一
します。一握りの富者と世界規模のアグリ・
りません。筆者はフェア・トレードに着目
からです。しかし、希望がないわけではあ
済の構造──この変革がなかなか進まない
国が労働力や物資を安く供給するという経
の消費を支えるために、貧しい者や貧しい
現在に至っています。富める者や富める国
いますが、有効な方途が見つからないまま
政策も、国際間のあり方も修正を迫られて
格差の現状でした。それから二十年、国の
が指摘しようとしたのも、深刻化する南北
十二歳の少女セヴァン・スズキのスピーチ
一九九二年、リオの地球環境サミットで、
もこうした「格差」が広がっていきました。
出しました。この時代は、国家間レベルで
はバブルの崩壊後に深刻な社会問題を生み
策が生み出した一国内の社会的な「格差」
者の写真で構成しました。
できる文章と、アフガンの子供を捉えた筆
った筆者の作風の確立過程をしのぶことの
ります。前線写真の衝撃をあえて望まなか
げていくことが大切さであると、筆者は語
と自分の足下を固め、できることを積み上
めた競争の中で消耗するよりも、じっくり
生の情報が消費されていく時代、評価を求
深い判断を醸成するゆとりを与えないまま
業を控えた中学生に向かって語りかけます。
人々に支持されてきました。その筆者が卒
し て い こ う と す る 長 倉 の 作 風 は、 多 く の
に目を向けて、小さな希望の光を掘り起こ
活を共にし、兵士たちの束の間の休息など
るよりもむしろ、戦禍の中にいる人々と生
短期滞在で激しい前線の様子をスクープす
(習得)
少女の心の苦悩や憂鬱、それらが感動と共
ビジネスが支配するバナナ生産地の「格差」
パール・ハーバーの授業
に晴れ上がっていく時に、少女が引き受け
に、フェア・トレードはどのよう切り込ん
文/竹嶋浩二 絵
た未来に向けての責任、責任を引き受けて
でいったのでしょうか。人々の生活はどの
猪口邦子
いく少女の姿勢に注目したいと思います。
ように変わりつつあるのでしょうか。
文・写真
(送り出し)★
国際関係を考えていくための必須の土台を
(読書2)★
自分だけの羅針盤・道
提供したいと思いました。
顔の見える国際協力
長倉洋海
旧ソ連が侵攻したアフガニスタンの人々
を長期取材することから、カメラマンとし
文/平田利之 絵
一九八〇年代からアメリカ・イギリス・
て出発したのが筆者である長倉洋海です。
内橋克人
日本で展開した新自由主義政策は競争と自
己責任を基調としたものでしたが、この政
33
「親しむ」から一歩踏み出した古典との交流を実現します。 読解活動④ 古典 (総論) 伝統に
支えられた
﹁私 ﹂
の発見
伝統文化を尊重することの重要性が、指導要領で強調されました。また、
それに伴って、小学校高学年で古典に触れ、古典に親しむ活動を行うことに
なりました。そこで中学校の国語学習に求められた新しい課題は、①伝統文
化を尊重する古典の取り組みとはどのようなものであるべきか、②小学校で
の履修の成果を中学校でどのように引き継ぎ発展させるのか、の二つです。
この二つの課題に対して、言葉の自立した使い手を育てるという国 語学習の
大きな目標に即して考え構成したのが、今回の古典単元です。
伝統文化を生涯にわたって尊重し、
親しむ姿勢を作るには、それが今の「私」
に生きているという発見が必要になります。既に、小学校の音読暗唱などの
活動を通じて親しんできた古典を、もう一歩掘り下げる取り組みが必要にな
ります。それは、今を生きる「私」とつながるものを古典から主体的・能動
的につかみ出してくるような学習でしょう。今の「私」の思考・感受・言葉
【社会歴史】
【社会歴史】
【全科目】
★は新教材、
︻ ︼は他科目言語活動との関連
古典教材一覧
《一年》
二学期
文
言葉の向こうに
編集委員
竹取物語
(梗概付き全体)
宇治拾遺物語
(高僧と狩人)
【社会歴史】
故事成語
(五十歩百歩・矛盾)
★【社会歴史】
編集委員
★【社会歴史】
文(古典読書/万葉他)
春秋の優劣
《二年》
【全科目】
二学期
言葉の力
【社会歴史】
文
編集委員
平家物語
(敦盛の最期)
【社会歴史】
徒然草
(高名の木登り・猫また)
【社会歴史】
論語
(為政他)
文(古典読書/古今・源氏他)
編集委員
言葉に託された心
34
と古典のテクストを激しく交流させ、その中で「私」の思考・感受・言葉が
更新していくと同時に、更新した「私」がテクストとの更に濃密な関係を生
み出すような学習のスパイラルを構築すること――伝統文化を手放しで礼賛
するレベルの「継承」を回避して真の継承を目指すとすれば、そのような学
習の構築が必須となると考えました。また、こうした学習を通じて、小学校
《三年》
二学期
文
言葉との出会い
編集委員
【社会歴史】
【全科目】
万葉・古今・新古今
枕草子
(春過ぎて・ひさかたの・思ひあまり他)
【社会歴史】
での音読暗唱学習は、より深い読解に裏付けられた音朗読暗唱に発展すると
漢詩
【社会歴史】
(オクナイサマ・鳥御前)
遠野物語
(梗概付き全体)
★【社会歴史】
おくのほそ道
(春望他二篇)
(春はあけぼの他二段)
【社会歴史】
考えました。
このような観点から、古典単元の冒頭には三本の古典導入「言葉の向こう
に」「言葉の力」「言葉との出会い」を置きました。また、各教材の冒頭には
教材への関わり方 などを示唆する導入を置きました。いずれも、現代のテク
ス ト に 触 れ る 体 験 と 古 典 の テ ク ス ト に 触 れ る 体 験 の 共 通 性 に 着 目 さ せ、 現 代
の作品に取り組むのと同じ姿勢で古典の作品に取り組めることを示そうとし
たものです。また、古典が後の時代の人に対して強い影響を与え、その思考・
感受・言葉を裏から支えるものとして、深いレベルで継承されてきたことを
示そうとしたものです。これで、小学校の親しむ学習から、どういう方向で
一歩踏み込むかが明確になると考えました。
古典が今を生きる「私」を支えているという実感、古典の表現が現代の表
現の礎になっているという発見に満ちた、古典の授業を展開してほしいと思
います。そのような学習を通じて、古典が、生徒の心や表現の中で知識や教
養にとどまらない力のあるものとして再生することができた時、真の伝統文
化の継承が行われると考えています。
35
読解活動④ 古典 (各論)
︽一年︾
言葉の向こうに
編集委員
黒髪の乱れもしらずうちふせば
文
まづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部 (後拾遺和歌集)
かきやりしその黒髪のすぢごとに
うちふすほどは面影ぞたつ
藤原定家 (新古今和歌集)
熱烈な応答です。しかも二百年の歳月を
隔ててのやり取りが行われています。
「見ぬ
世の人を友とする(徒然草)
」とは、極限では
まりを、知らないうちに制限されています。
く見えてくるのか。その発見をばねにして、
座を変えて翁の物語と捉えた時に何が新し
かぐや姫の物語だと思っていたものを、視
の作者の真意を探る読解に取り組みます。
の違いを知ることをきっかけにして、物語
現代の絵本に見られる受容の仕方と原作
いるのでしょうか。狩人はなぜ僧侶にない
った僧侶を、作者はどのように捉え描いて
についての高い知識ゆえに思考の自由を失
の飛躍と転換が必要となるようです。仏法
い失敗の歴史を経過した後に訪れる、発想
しい自由な局面に出るためには、長く苦し
は思った以上に強く、それを振り切って新
この思考や感受の枠組みが人々を捕える力
近年、科学史家がパラダイムと名付けた、
作者や当時の人々の世界観や人間観にまで
自由を得ているのでしょうか。作者が言う
︵梗概付き全体︶
読解と考察を深めていきます。そのために、
竹取物語
竹取物語の全体が見通せる構成とし、従来
「知」「思慮」とはどのようなことを指して
いるのでしょうか。読解を通じて、自己の
よりも原文部分を増補しました。
発想法や思考法の問題まで考えさせること
のできる作品です。
から多くの語彙を得ています。英語にフラ
どのような言語でも隣接する地域の言語
︵五十歩百歩・矛盾︶
うな時間を超えた応答を可能にするテクス
ンス語やドイツ語起源の単語が数多くある
故事成語
トとの深い関わり──これを、
「言葉の向こ
このような体験になるでしょうか。このよ
うに人を見る」と言ってみました。言葉は
ように、日本語にもさまざまな外国語起源
るかどうかは、ひとえに読者・学習者の読
って、感じ考える広さや深さ、広がりや深
っています。人の感情も思考も関わりによ
「人は絆の塊だ」とサンテグジュペリは言
漢語は、古い時代から日本語を豊かにする
も含め日本語化してしまいます。とりわけ
国語であることが意識されなくなると表記
音をきわだたせた表記をしていますが、外
とが意識されているうちは、片仮名などで
の単語が存在します。外国語起源であるこ
︵高僧と狩人︶
十全な表現手段ではありません。言語のテ
宇治拾遺物語
クストはあちこちに表現し尽くせない隙間
を残しています。その隙間を埋めて、作者
解の深さによるものであることを、古典の
を生きている友のように理解し感じていけ
教室開きに当たって示唆しようとしました。
36
を尋ねてみることから、漢文の教室開きを
て し ま っ た「 五 十 歩 百 歩 」「 矛 盾 」 の 由 来
よく使われ、すっかり日本語として定着し
いこうとしました。日常の言語生活の中で
見つめる広い視点から、故事成語に入って
ます。このように、隣接する言語の交流を
日本語として自由に使っているものもあり
まりに日本語化して、由来を考えなくても
事成語もその一つでしょう。その中にはあ
ために盛んに取り入れられてきました。故
ておいてほしいと思いました。
このような姿勢の大切さをいつも心にとめ
的な姿です。古典を学習するに当たって、
めたりするのとは対極にある、とても主体
ある美を礼賛したり、安易に美の規範を求
姿を通観します。それは、手放しでそこに
議論を交わしてきました。ここでは、その
待たず、古人は美を巡って生き生きとした
編纂の基調ともなりました。俊成の発見を
見は、息子定家に受け継がれて、新古今集
作り出していくものであるという俊成の発
性はそこに固定してあるものではなく人が
と思いました。
このような古典受容の姿を押さえてほしい
容──二年の学習に取り組むに当たって、
の縛りを越えた共有を実現してきた古典受
生させ、保ち、膨らませ、その結果、時空
関与が行われて、消えかけた作品の命を蘇
それ故に言葉の力を全開した読者の激しい
という近代的な作品観からは自由であり、
なってきました。個人による不可侵の独創
ながら次代の読者に作品を手渡す原動力に
命を与え、時には大幅な書き換えさえ伴い
構成する言葉の力を通じて作品に新たな生
︵敦盛の最期︶
敦盛を討った直実の心
平家物語
行いたいと思いました。外国語としての中
︽二年︾
の葛藤を詳しく読解する
ことから始めて、平
春の桜、秋の紅葉を美しいと思うのは人
よってできごとは深く捉えなおされ再構成
のできごとを伝えようとする時、この力に
思考を深める力を持っています。身の回り
言葉は伝達する力の他に、創造する力、
を生きた武士たち
成の考察や、争乱
考えます。異本生
した深さについて
通じて物語が獲得
の変容や、変容を
言葉の力
に生来備わった感受性ではない、とは「古
されます。聞いたり読んだりしたものを伝
の思いの考察にも
家物語の伝承過程で
来風躰抄」で藤原俊成が発見したことです。
えようとする時にも同じことが起こります。
発展可能な示唆を
編集委員
それは、過去の厚い蓄積を受け止め、現在
多くの読者によって伝えられてきた古典は、
与 え ま し た。「 扇
文
国語・中国文ではなく、日本語として漢文
を捉えるためにも、このような学習の方向
は有効でしょう。新しい指導要領の学習事
項前倒しにより、漢文訓読を一年から行う
ことになりました。
★︵古典読書/万葉他︶
に保持し、新たな生命を付け加え、未来へ
その過程で再構成が行われ内容や表現が深
春秋の優劣
手渡していくこと──こうした主体による
められてきました。読者の深い関与は、再
文
生成の営みを通じて、美も感受性も作られ
編集委員
ていくのだ、という発見でした。美や感受
37
通じて感じてほしいと思いました。
導入で触れた「言葉の力」を、この学習を
することのできる構成にしました。単元の
られない、深く読解することの意義を実感
の的」を群読で終結するような学習では得
参考に掲載した序段や「学びの窓」に掲載
―異なった構成を持つ二段を掲載しました。
をエピソードの中に吸収してしまった段―
ソードと評言で組み立てられた段と、評言
導いていったのではないでしょうか。エピ
おしいほどに自分も予期していない局面へ
えていたのか。言葉の強い力が、兼好を狂
いと思います。
学習から、踏み込んだ学習を展開してほし
読や暗唱が中心となっている小学校の論語
あることを感じてほしいと思いました。音
を生きた思想であり、人生を生きた言葉で
た場面を想像しながら読んで、論語が時代
して分類しました。また、言葉が発せられ
した二三五段口語訳も含めて、さまざまに
★
文
どうすればいいのでしょうか。ここでは、
導き、知的なはずの高僧のふるまいの中に
の低い者の生活思想の中から聖人の教えを
世界に思索は展開していくからです。身分
観を根底に持ちながら、それと全く異質な
兼好は不思議な思想家です。王朝の価値
から時代背景について導入で触れ、生徒の
のような関わりを持ってほしいという願い
いのかもしれません。しかし、少しでもそ
辻のような主体的な補足を行うことは難し
てくる作品です。限られた教材の中で、和
であるが故に、読者に主体的な補足を迫っ
ています。断片の集約である論語は、断片
さまざまなものを予感させる文体で書かれ
す。和辻が置かれた時代状況、年齢など、
思想と言葉を解放し日本の独自性について
長の言う「からごころ」に縛られた当時の
この発見は中国思想や中国文学の伝統、宣
て 退 け、「 も の の あ は れ 」 を 発 見 し ま す。
たとする当時の曲解を、精緻な読解を通じ
勧善懲悪の道徳を浸透させるために書かれ
語が婦女子の教化のために書かれたとか、
式部の思いに正対しようとした宣長は、物
古典の読解には必須のものとなります。紫
しようとする「読者」の姿勢が、充実した
︵高名の木登り・猫また︶
言葉に託された心
︵古典読書/古今・源氏他︶
編集委員
それについての指針を与えようとしました。
偏見や固定観念にとらわれていく愚かしさ
思索につながりやすいよう小タイトルを付
徒然草
︵為政他︶
考察を深めてほしいと思います。
論語
したからこそ、五十に至って妥協を必要
充実した古典の読解を実現するためには、
とする現実の政治に携わったのである。
「 作 者 」「 読 者 」「 共 有 」 が、 そ の ポ イ ン ト
孔子は四十代の理想主義的な焦燥を脱
そうしてその体験が耳順うの心境を準備
でいった思い、その思いを正しく「共有」
を見出します。そのように自在に動いてし
となります。古典の「作者」が言葉を紡い
したのである。 (和辻哲郎「孔子」)
これは倫理学者和辻の論語理解の一節で
まう自分の心を、兼好はどのように感じ捉
38
誠実な古典の読解から生まれたものです。
れ、このような時代を動かす力は、宣長の
な基盤を醸成しました。その正否はともあ
の確信を与えて、明治維新に向かう思想的
葉が豊かになるにつれて、自分の経験もい
心や言葉を豊かにします。そして、心や言
とのように他者の話を聞いた経験は、人の
ように他者の文章を読んだ経験、自分のこ
満ちています。歌に限らず、自分のことの
ないように配慮しています。
かめるようにし、知識だけの習得に終わら
体的な作品に当たりながら修辞法などを確
中学校の古典学習を閉じるに当たって、古
その価値を認められ受け継がれてきました。
の言葉の遺産は、このような経験を通じて
ことになります。古典をはじめとする先人
ら自由なところで新しい美を見つけ出すこ
とを自ら禁じた清少納言でしたが、そこか
は詠まない」として、和歌世界に関わるこ
まれた自分は、父の名を汚さないために歌
残 し た 作 品 が 枕 草 子 で す。「 和 歌 の 家 に 生
後撰集の撰者、清原元輔の娘清少納言が
︵春はあけぼの他二段︶
っそう豊かさや広がりを持って捉えられる
典学習を考える上で大いに参考になるので
典と生徒とのこのような出会い、古典が自
とに夢中になった様子が枕草子に現れてい
枕草子
を通じて「共有」したものとその力は、古
「作者」式部、「読者」宣長が、誠実な読解
はないでしょうか。 分の言葉や心に力を与えてくれたという出
ます。ふと目にした日常の風景に新鮮なも
言葉との出会い
︽三年︾
会いを、実現できればと思いました。この
のを感じた、その時の心の動きを、現代の
文
ような出会いだけが、生涯を通じて古典に
編集委員
歌人や俳人がそうするように、小まめに手
でいきます。模倣や改作に過ぎないという
は、敦忠の歌を支えにして自分の恋を詠ん
てくるのです。敦忠の歌に衝撃を受けた俵
を詠み上げていこうとする強い意欲がわい
う経験を通して、本歌を支えに自分の言葉
典和歌の表現法」には、基本的な修辞法等
句 切 れ や 調 べ を 感 じ 取 り 理 解 し ま す。「 古
た、意味の理解に基づいて音読・暗唱し、
け止めていく活動を中心に置きました。ま
ちが切り開いた表現世界を自分の言葉で受
とその発展について触れると共に、歌人た
三つの勅撰集を通して、古典和歌の表現
を自ら禁じた清少納言でしたが、詩魂は父
の結果のように思われてなりません。和歌
─枕草子は新しい表現に対する旺盛な意欲
帳に書きつけていく苦労を全く厭わない─
親しんでいこうとする気持ちを形成すると
うがった評価ができるのかもしれませんが、
について簡単に触れました。ここでは、具
︵春過ぎて・ひさかたの・思ひあまり他︶
万葉・古今・新古今
考えているからです。
自分の体験や気持ちをぴったりと言い当
てている歌に出会ったという経験が、本歌
取りを行う際の根本にあります。本歌によ
ってもやもやとして捉え難かった体験や気
俵作品の完成度と作品から滲み出す切実な
持ちにしっかりした輪郭が与えられたとい
声は、その手の評価を寄せつけない気迫に
39
から抑え難いほど受け継いでしまっていて、
表現への衝動は止めようがない──清少納
おくのほそ道
したからです。芭蕉に手紙を書く活動は、
作品や作者との応答・交流を促進するため
もゆけ/つばくらならば/ここの広野にか
いづる/萌えいづる/草のみどりを/ふみ
「国は亡びて山河あり/城春にして/萌え
解放されました。
談林俳諧によって
った自由な言葉が、
める和歌にはなか
雅であることを求
ことを求める漢詩、
ました。堂々たる
談林俳諧を起こし
弊害を指摘した一九一〇年代、「遠野物語」
の開化」で「上滑り」の近代化がもたらす
人々に強いてきました。漱石が「現代日本
れました。しかし、近代化は相当な無理を
近代化を図ってきた成果がようやく達成さ
産興業」をスローガンにして必死に欧化・
強の侵略を阻止するため、「富国強兵」「殖
入りを果たしました。アジアを囲繞した列
って、西欧と肩を並べる「一等国」の仲間
一九〇五年、日本は日露戦争の勝利によ
︵梗概付き全体︶
に設定しました。俳諧作品を掲載した全旅
程の図も学習の発展に有効でしょう。
へりこん/──かへりこん/心ままなる空
芭蕉は、談林が解
が発表されました。漱石のように直接では
戦国から遠く平
の子よ/あとなき夢よ/春風の/柳の糸の
放した言葉の自由をもう一度漢詩や和歌が
ありませんが、この書もまた、近代が無知
和で豊かになった
た ゆ た ひ に( 横 笛 )」 終 戦 の 日 の 心 を 杜 甫
蓄積してきた伝統の中に投げ戻してみるこ
蒙昧だとして無視し顧みなかった堅い反近
言に起こってしまったそうした事態が、和
に託して、三好達治はこのように歌いまし
とで、漢詩や和歌とは異なる言語芸術とし
代の層を捉えていました。序文に「平地人
時代、洒落た物言
た。漢詩は日本の古典文学・近代文学に大
ての俳諧のあり方――蕉風を生み出してい
をして戦慄せしめよ」と書いた柳田も、漱
歌主流の当時の文学規範から外れたところ
きな影響を与えてきました。それは、西洋
ったように思います。「おくのほそ道」は、
石も、国際化した「一等国」とはとても言
に、枕草子を結実させたような気がします。
文学が近・現代文学に影響を与えているの
蕉風を生み出した芭蕉の伝統文化に対する
えない方針で、国民を戦争に巻き込んでい
★︵オクナイサマ・鳥御前︶
と同等以上のものがあるでしょう。ここで
姿勢を知る上で、興味ある素材を数多く提
くことができた国家の三十年後を予見して
遠野物語
は、杜甫・王維・李白の五言律詩・五言絶
供 し て い ま す。 学 習 に 当 た っ て は、「 お く
いたのかもしれません。
い、言葉遊びに夢
句・七言絶句の代表作を学びます。口語訳
のほそ道」全体を通覧し、全体に位置付け
「春はあけぼの」を散文詩として捉えた優れ
や翻訳詩に助けられながら、内容や構成を
て「旅立ち」と「平泉」を読解することと
中になった人々が
理解し、その理解に基づいて朗読を行いま
しました。全体を通覧するのは、作品の構
た萩谷朴の校訂も加味して改訂しました。
す。 先 に 学 ん だ「 枕 草 子( 香 炉 峰 の 雪 )」
成の中に潜む芭蕉の意図や思想に迫ろうと
︵春望他二篇︶
を振り返る学習、次に続く「おくのほそ道」
漢詩
学習の導入にもなっています。
40
読解活動④ 古典資料
② 古典文法
③ 口語・文語活用対象表
全学年巻末に、古典学習の参考になる次の資料を掲載しました。
① 今に伝わる注意したい古語
んだ解説を行うようにしました。現代語と
なりますが、中学での古典読解でも必要に
文法に即した精緻な読解は高校での学習に
語用言の活用を通覧します。高校での古典
ることができます。口語用言から遡って文
すが、古典読解の際に必要に応じて参照す
用言の活用表を掲載しました。発展扱いで
巻末折り込みに、口語と対照できる文語
古語の共通点と差異を、歴史的な変遷をた
応じて参照することは有意義だと考えまし
文法学習・古典学習の下地作りになるでし
発展扱いで古典文法の概略を載せました。
どりながら理解します。学習する教材での
た。必要に応じて例文も付し、できるだけ
語史などにも触れ、古語辞典より踏み込
出現箇所も示しました。月の異名、十二支
事例に基づいて理解できるようにしました。
ょう。
と古時刻・古方位も併載しました。
41