魔法道具販売店リリアーヌへようこそ! - 小説家になろう

魔法道具販売店リリアーヌへようこそ!
霧島栞
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︻小説タイトル︼
魔法道具販売店リリアーヌへようこそ!
︻Nコード︼
N5932CB
︻作者名︼
霧島栞
︻あらすじ︼
王都ミランドの大通りから一本はずれた通りにある老舗通りに、
代々長く続く風格のあるお店とは一線を画す、お菓子の家のような
どことなく異彩を放つファンシーな見た目のお店が存在します。魔
法道具販売店﹃リリアーヌ﹄。これは、そんなお店を営む魔法商人
であるリリアと、唯一の店員であるレフィの日々を綴った業務日誌
のような物語。
1
Episode1.正しい︻ポーション︼の作り方。
雲一つ無い快晴。太陽の月のとある日。
王都ミランドの大通りから一本はずれた老舗通りに、代々長く続
く風格のあるお店とは一線を画す、お菓子の家のようなどことなく
異彩を放つファンシーな見た目のお店が存在します。
﹁邪魔するぞ﹂
からんころんっ! そう、お客さんの気性を判定するかのように
扉に設置されたベルが大きな音を立てて鳴りました。
﹁いらっしゃいませー﹂
聞こえたベルの音に、この魔法道具販売店﹃リリアーヌ﹄の店主
であるわたし、長いストレートの銀髪が特徴的でビスクドールのよ
うにかわいらしい容姿を持つと評判の女の子リリア=クレスメント
は習慣で挨拶をします。自画自賛しているみたいで少し気恥ずかし
いですね。
しかしどんな時でもお客様に対する敬いの心を忘れず、必ず挨拶
だけは欠かさぬよう心がける。なんて素晴らしい心がけでしょう。
その反面、態度はカウンターの椅子に腰掛けたまま見向きもせずで
すが。接客態度としてはほぼ0点でしょうか。
まあ、それはそれとして。
﹁ふむ⋮⋮﹂
一応、用心というものもありますし、わたしはちらりと本から視
界をずらして男の風貌を確かめます。
中肉中背に、皮で造られた軽装が主体の装備に身を包んでおり、
引っ張ってきている小さめのカートには大きな箱がいくつか積み重
なっています。
恐らく、買取目当てでしょう。
2
冒険者というよりは探索家。戦士というよりは盗賊。そんな出で
立ちですね。不機嫌そうな表情がさらにごろつきのような雰囲気を
強調しています。
例を出すならば深夜遅くまで飲んだくれてよっぱらったジジイのよ
うな。見境無く誰にでもインネンをふっかけそうなそんな雰囲気で
す。明るさとかわいらしさをコンセプトに造られているわたしの店
にどこまでも似合わない風貌です。
﹁⋮⋮おい。リリアーヌって店は、本当にここで合ってんのか?﹂
そう言う男の声はとてもとても威圧的でした。声音に気圧されて
当店唯一の店員であるレフィ⋮⋮本名をレフィーナ=アーシアはお
ろおろと挙動不審な行動を繰り返していますし。長い金髪をゆらゆ
らと揺らし、ライトグリーンの瞳を右往左往させてわたしに何か言
おうとしてはやめてを繰り返しています。どこか小動物を彷彿とさ
せる反応ですね。
﹁いらっしゃいませー﹂
男への質問に肯定の意味を込めて、わたしはもう一度、来店の挨
拶をしてみます。
⋮⋮さて。
これでもう、いいでしょう?
わたしはそっと手に持った本へと視線を戻しました。
﹁り、リリアちゃんっ!?﹂
レフィが悲鳴に似た声をあげていました。
けれどわたしはもう顔をあげません。あげるはずがありません。
わたしがいま読んでいるのは、外装がすでにぼろぼろになってい
ますが、蔵書数実に100万冊を超えるミランド唯一の王立図書館
の中でも貸出禁止棚に陳列されている﹃野草学全書﹄というタイト
ルのきわめて珍しい古書です。
似たようなタイトルの本は数多く存在しますが、この﹃野草学全
書﹄は一般に知られている野草の効能やいわく、花言葉なんかを記
した書物とは違い、わたしたちのような魔法道具を作る魔法商人に
3
有用な野草を中心に、他の野草との相性、組み合わせた際の性質の
変化を事細かに調べて記された、れっきとした魔導書なのです。
そしてこれはわたしに頼まれたレフィが、毎日毎日何度も何度も
司書に泣きついてはしょぼくれて帰ってくることを繰り返すことお
およそ3ヶ月。今朝方やっとのことで司書が折れて、特別に貸し出
ししてもらった一冊です。
しかし特例の貸し出し期限は短く、明日にでも返さなければなりま
せん。
⋮⋮そんな本を読むわたしが接客などするはずもないのは火を見
るよりも明らかでしょう?
常連なら、察してくれるのでしょうけどねぇ。
﹁⋮⋮おい嬢ちゃん。リリアーヌってのは本当にここで合ってんの
か?﹂
﹁は、はひ!?﹂
まあ。常連でないお客様にはそんなことを期待するのは野暮です
ね。
埒があかないと判断したのでしょう。男はわたしではなくレフィ
に言葉を投げかけました。
だから、ここであっていると言っているでしょうに。
⋮⋮言っていますよね?
矛先を向けられたレフィはまさか自分にお鉢が回ってくると思っ
てもいなかったのでしょう。びくりと跳ねて、肯定とも疑問ともと
れる声をあげて猫に追いつめられたネズミのように身を震わせ絶望
に打ちひしがれます。ふふふ、かわいいですね。
﹁その反応はねぇだろ⋮⋮﹂
男は地味に傷ついたのか、渋い顔をしていました。
その言葉には激しく同意ですが、人見知りのレフィにとってあな
たみたいなガラの悪そうなお客様は荷が重い相手なのですよ。
﹁仕方ないですね⋮⋮﹂
そう言って、わたしは本当に仕方なく、本をたたみます。
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途中でこうなることはわかっていましたし。
﹁︱︱はい。リリアーヌはここであっていますよ。どのようなご用
でしょうか﹂
しかし﹃野草学全書﹄の返却まで後6時間しかないというのになん
たる事態。わたしは名残惜しげに﹃野草学全書﹄を見ながら事務的
にお客様に問います。
ああもう、わたしは誰を呪えばいいのでしょうかね。目の前のお客
様ですか?
﹁本当にここで合ってんのかよ⋮⋮こいつあ、クレイルのジジイに
化かされたか﹂
頭をかきながら、男は悪態をつきます。
はぁ? なるほど。わたしが呪うべき人物は決まりのようです。
大通りにある酒場の店主クレイルさんでしたか。こんな厄介そうな
男をわたしのかわいらしいお店に呼び込んだのは。
今度、呪詛の言葉をプレゼントしに行きましょうね。
﹁⋮⋮⋮⋮え?﹂
いやな予感を察知したのかレフィが曖昧な笑みをわたしに向けま
す。見事に目が合いました。
ええ、そうですよ? クレイルさんに呪詛を届けに行くのはあな
たの役目ですよ、レフィ。
そう意味を込めてわたしもレフィに笑みで返します。
意図を察したのか本能的に予感を覚えたのかは知りませんが、レ
フィは今にも泣きそうな苦笑いを浮かべました。最近レフィは苦笑
いがとても上手になりましたね。これも店員教育の賜物でしょう。
﹁それで、なんのご用でしょう﹂
とっとと用件を済ませて帰って欲しい。そんな感情が如実に含ま
れた声音を抑えることが出来ませんでした。声音に含まれるニュア
ンスを男は感じ取ったのか、深く眉をしかめます。
まあ無理もありません。お客様の気持ちもわかりますよ。年下の女
の子にこんなぞんざいな接客をされればそういう顔にもなるでしょ
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う。
﹁⋮⋮俺はクレイルの紹介で来ただけだ。こいつの⋮⋮﹂
けれども男はめげずにそう言って、引いてきたカートから大きな
箱を二つ、まとめて持ち上げてカウンターへと乱暴に置きました。
がちゃんがちゃん。と中から小瓶がぶつかる音が聞こえました。
もう少し丁寧に置かないと、中身が壊れたらどうするのでしょう。
﹁⋮⋮査定を、してもらいにな﹂
そして不機嫌そうなこの声ですよ。売りたいのならばもう少しこ
う、土下座しながら﹁こいつを買ってもらいてぇんです!﹂くらい
は言えないでしょうかね。
そりゃわたしたち商売人からすればお売りいただけるのはありが
たいことです。しかし相手にとってもギブアンドテイク。見合う代
金を支払っているのですからそれ相応の頼み方があるでしょう。ね
ぇ?
﹁拝見いたしましょう﹂
まあ、そんなことは思っても口には出しませんがね。これでも一
応客商売ですし。
素材の買取は魔法道具販売店にとって生命線ともいえますしね。
もちろん自分で取りにいくという手段もあるにはありますが、そ
の間店をレフィ一人にまかせっきりになるというのは不安しかあり
ません。 最悪一時閉店しておくしかないでしょうが、特に変わっ
たことがない限りは店を休みにしたくないところです。
それに今回持ち込まれたのは音的に瓶でした。ということは既製
品の可能性もあります。安く買い叩ければ加工も必要なく高く販売
できて非常に楽でしょう。
わたしは立ち上がり、箱のふたを持ち上げて覗き込もうとして⋮⋮
背丈が足りず、椅子に膝立ちになり中を覗き込みました。
⋮⋮もう少し低いカウンターにしましょうかね。
そうして覗き込んだ箱の中には、綺麗に整列した、細かな装飾が
施されているガルシア様式の小瓶が整列していました。
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数十年前に没落した、この国家様式を見るのは、わたしは初めてで
はありません。ここ、王都ミランドにも職人の末裔が移り住み、技
術を伝統として受け継いでいるからです。様々な貴族御用達の花瓶
や食器、家具なんかも作っており、わたしも一度その造形を見学に
行きました。 職人技というのは洗練されていて参考になりました。主に経費に見
合わぬ報酬という点で。
そんな小瓶の中にはゆらゆらと透明色の液体が詰まっており、これ
はどう見ても︱︱
﹁ポーションですね﹂
ポーション。回復薬。
薬草などの患部に塗り込む殺菌効果と治癒力の僅かな上昇効果を
持つハーブとは違い、一本飲むだけでみるみるうちに傷が塞がり体
力が戻る、優れものの冒険必需品です。
字面だけ見ると果てしなく怪しいクスリにしか見えませんね、これ。
本来ならば鑑定するとなるともう少し詳しく見なければなりません
が、けれども今回に限ってはそれも不要です。小さなラベルが貼ら
れてそこにポーションと書かれているので鑑定もなにもありません。
﹁これは、どこで?﹂
﹁こいつは西の廃墟で見つけた﹂
男はそう言って、小瓶を1本手に取ります。ああもう査定中だと
いうのに、むやみやたらに触れないで欲しいですね。気が散ります。
﹁西の廃墟といいますと、ガルシア王国跡地でしょうか﹂
気を逸らそうと男に問います。
男は頷きました。やはり。なるほど。
旧王の悪政により没落したガルシア王国は、備蓄を食い潰した民
衆がやがて難民となって王都や諸国に散り散りになって数年の後に
ヴァンパイアの根城となり、現在では冒険者以外誰も近づかない廃
墟の街と成り果てています。西方の守りの要である城砦都市アルト
からかなり離れた南方に位置しているガルシア王国跡地は、元々深
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い森と湖畔を背にしており、そこにヴァンパイアが住み着いたとな
れば、それはそれは如何にもな雰囲気をはらんでいます。
他の国々との交易がほとんど断絶していたのも、もろに魔物の根
城になることを許してしまった原因でしょう。
わたしは大量のポーションを持ち込んできた男を眺めます。
ヴァンパイアは魔物の中でも高い知能を持ち、狡猾でプライドの
高い種族です。
人を見下し己が上位だと思い込んでいるのもそうですが、その実
力は折り紙付きです。王都の周辺に生息している魔物なんて目じゃ
ないほどの強敵。上位の固体となれば、熟練の魔法使いにも匹敵す
る、いえ、下手をすればそれ以上の高位の魔法だって使ってきます。
しかし⋮⋮どう見ても、この男はヴァンパイアを相手に出来るよ
うに見えませんよね?
﹁失礼ですが、とてもヴァンパイアを相手できるようには見えませ
んね﹂
本当に失礼な、いっそ清々しいまでの暴言でした。わたしは笑顔
で言いました。
様子を見ているレフィの表情が戦慄に歪みました。
﹁てめぇ⋮⋮ッ!﹂
ガンッ! 男がカウンターを激しく叩きました。
箱の中のポーション瓶が、がちゃん! と大きな音を立てました。
﹁リリアちゃん!﹂
﹁大丈夫ですよ。レフィ﹂
男が激昂したのは実力を低く見られたことと、盗品ではないかと
疑われたことによる二つの泣き所を同時に突かれたからでしょう。
﹁これは査定のうちの一つですよ。ガルシア王国跡地にはわたしも
一度足を運んだことがありますからね﹂
﹁なに適当なことを言ってんだ、テメェみたいなガキが、ヴァンパ
イア共の相手を出来るわけがねぇだろうがッ!﹂
男はなおも怒り心頭で、わたしに食って掛かるようにしてそう言い
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ます。
﹁はふぅ⋮⋮。口が悪いですね。あまり言いたくはないですが、こ
の界隈で魔法商人を敵に回すとどうなるか、アナタはご存知では無
いですか?﹂
少しカチンときたので、言ってやりましたよ。
わたしのその言葉に、男が苦々しく呻き、唾を飲み込んだ音が聞
こえました。
それもそうでしょう。
わたしたち魔法道具を扱う魔法商人は、王都並びに周辺諸国では
重宝され、絶大な権力を得ています。
都市を繁栄させる冒険者や傭兵の必需品である薬や道具を販売し
ているのだから当たり前と言えばそうでしょうが、王都から直々に
魔法道具の作成を頼まれたり、名の知れた魔法商人ともなれば周辺
諸国から直々に出向いてくる顧客が居るくらいです。
つまり魔法商人という職業は、元々他の調合師などとは違い、非常
に希少価値が高い職業なのです。レア職業ですよ。
空気中の﹃魔法元素﹄に干渉して事象を創造する魔法使いとは異
なった才能を必要とする魔法商人は、いわば国家の守護を受けた繁
栄の象徴とも呼ばれる存在なのです。
﹁そうです。暴言でも既に問題ですが、もし仮に魔法商人に暴行を
働いたなどとなれば、それはもう重犯罪人として指名手配され地の
果てまでも追いかけられて捕まえられ民衆の前でつるし上げられ誹
謗中傷の声を延々浴びさせられたあげくむごたらしく処刑されるこ
とでしょう﹂
﹁ぐ⋮⋮ッ﹂
もちろんこれには多少の誇張と願望が含まれていますが、重い処
罰は免れないでしょう。
それを重々承知なのか、男は忌々しげに唸り、怒りを押し殺して
続けます。
﹁⋮⋮確かに、だ! ⋮⋮俺にヴァンパイア共を相手する力量はね
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ぇ! 悪いか! こいつは、昼間に散策して取ってきたもんだ!﹂
ああ、やはりそうですか。
わたしは銀髪を指先で弄りながら思います。
ヴァンパイアは様々な書籍に書いてある通り、太陽の光が苦手です。
その隙をついて火事場泥棒としゃれこんだわけですね。実にこそど
ろらしい選択です。
﹁けれども既製品ならば、うちではなくて表通りの雑貨屋や露天商
にでも買い取ってもらえばよかったのでは?﹂
雑貨屋や露天商がわたしのところに直接作成の依頼を頼みにくる
ことはないですが、ポーションなんて適当に置いておけばほいほい
売れる一品です。買い手がつかないことなんてないでしょう。むし
ろわたしたち魔法商人の場合は材料から作った方がローコストなの
で、既製品を買い取る場合は他より格安になるのが相場です。
﹁んなこたぁわかってる⋮⋮。俺だって馬鹿じゃない。持っていっ
たんだよ。⋮⋮だが雑貨屋の店主も露店商のおっさんにも揃って買
い取りを拒否された﹂
﹁理由は?﹂
﹁俺が知るか。⋮⋮いや、年度がどうこうとか⋮⋮﹂
一度吐き捨てるように言った後、何か思い出したようにぶつくさ
と呟く男が吐いた言葉の中の一つの単語にぴんとくるところがあり
ました。
わたしは箱の中のポーション瓶を一つ取り出して、ゆっくり回しな
がら眺めてみます。
﹁︱︱ああ、やはりですか﹂
瓶の底の付近に、製造年度が掘られていました。
製造された年は、星歴1989年、太陰の月27日でした。
今が星歴2014年なので、ざっと25年物です。
これがもし仮にお酒だったとしたならば結構な品質の物になるので
しょうけどねぇ⋮⋮。
﹁なに一人で納得してやがるんだよ﹂
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﹁ええ、買い取ってもらえなかった理由はこれですよ﹂
わたしは製造年度を指して男に言います。
﹁星歴1989年⋮⋮? 確かに古いもんだが、何の関係があんだ﹂
あぁ⋮⋮そうですか。気分が暗鬱としてきます。
この目の前の男はいかにも物漁りで生計を立てているような外見を
しつつも⋮⋮いやだからでしょうかね。魔法道具に対する知識は無
いのは。
﹁はぁ⋮⋮仕方がないですね﹂
そう前置きをおいて、わたしはしぶしぶ教師を始めることにしま
した。
無知な人が居ると教えたくなるほどではありませんが、魔法道具
の知識がない人間が多いのも困りものです。理由を伝えないと納得
も出来ないでしょうし。
﹁そもそも魔法道具について⋮⋮そういえばアナタ、お名前はなん
と申すのでしょう?﹂
﹁⋮⋮ジャックだ﹂
﹁なるほど。ではジャック。アナタは魔法道具についてどれだけ知
っていますか﹂
︱︱お客様は、親しみを込めて呼び捨てにするものだ。
わたしは昔、祖父にそう教わりました。確かにその通りでしょう。
ここで仮にジャック様などと他人行儀で呼んでみるとしましょう。
固有名詞に付ける様という敬称、つまり敬意というのは他人と自分
を分別するための、言わば差別ですよ。お客様を差別するなんて、
失礼にも程があるでしょう。そんなことはわたしにはできませんね。
⋮⋮ま、祖父の店はぜんぜん儲かっていませんでしたけどね。
当のジャックも﹁呼び捨てかよ⋮⋮﹂なんてほら、まんざらでも
ない様子です。額に手を当てて、こめかみを引きつらせて、うなだ
れるのを必死に支えるような大満足のポーズ。
﹁⋮⋮俺は、基本的に魔法道具なんて値が張るものは使わねぇ。体
力の回復なら、薬草で十分だからな。だから良くはしらねぇが⋮⋮
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なんらかの魔法の力が込められた道具⋮⋮なんだろ﹂
けれどもジャックはすぐに気を取り直して、わたしの質問に答え
ました。
﹁つまり何も知らないのですね﹂
言葉を選んで答えているようで、まったくのはずれでした。浅学
がにじみ出ていました。
﹁わ、悪いか!﹂
ジャックは分かりやすく憤慨しました。
無知の羞恥で顔を赤らめる辺りに可愛げがあるようなないような。
しかし先ほどのような示威的態度はなりを潜め、怒りつつも聞く姿
勢はあるようです。
その証拠に遠巻きに見ていたレフィが、いつの間にかわたしの隣に
まで来ていますしね。
まったく、この娘は。
﹁レフィ、あなたは今日の晩ご飯のおかず抜きです﹂
﹁そ、そんな!?﹂
ぼそっとレフィにだけ聞こえるように言うと、レフィは涙目にな
りました。
﹁あなたはもう少しその人見知りをどうにかしましょう。せっかく
この本を借りにいくのに三ヶ月も見知らぬ司書と会話させたという
のに、進歩があまり見られませんよ﹂
三ヶ月も毎日通って断られ続ければ、最初の一週間もかからずに、
余裕で顔見知りになってしまっているでしょうけどね。
レフィはそんな意図があったんだ⋮⋮という顔をしていました。
まあ、9割くらいはこの﹃野草学全書﹄が読みたかったというの
が本音ですが、せっかくのいい話なので口には出さないでおきまし
ょう。
﹁で、でも、リリアちゃん⋮⋮﹂
はぁ、本当に根強い人見知りですね。この娘は本当にわたしより年
上なのでしょうかね。
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﹁レフィ?﹂
なおも自信無さげに俯くレフィに、わたしはちらりと店の一角へ
と視線を向けて見せます。
︱︱その一角は、ファンシーな内装から明らかに浮いた雰囲気を
かもし出していました。
様々な魔法道具のコーナーから外れた、ほんの僅かなスペース。
店内は清掃が行き届いているはずなのに、そこだけはどこか埃っ
ぽくて。
淡い色が基調になった色とりどりの四角いタイルが隙間なく敷か
れたフローリング。
けれどもその部分。空白のスペース、約50センチ四方。
そのスペースだけは闇を切り取ったような真っ黒のタイルが敷かれ
ていました。
まるで店内とその部分を区切るようにその床には白いテープで切り
取られています。
そう︱︱ちょうど人が一人、立っていられそうなスペースです。
﹁え⋮⋮?﹂
レフィが信じられないものを見るような目でそのスペースへと視
線を向けました。
そして直後、
﹁や、やぁ⋮⋮っ! やだ⋮⋮わ、わたしちゃんと働きます、働き
ますからっ! もうあのスペースだけはだめっ。だめだめだめっ!
やめてぇええええっ!﹂
ああ⋮⋮トラウマがフラッシュバックしたのでしょう。
ふふふ、かわいそうに。
﹁まあレフィはこれでいいとして﹂
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﹁いやよくねぇだろ⋮⋮﹂
尋常じゃない脅え方に、事情を知らないはずのジャックですら若
干引いていました。
﹁先の回答、今回ばかりはジャックの無知は悪いことと言わざるを
得ませんね﹂
わたしはそう前置いて、むっとするジャックに講義を始めます。
﹁︱︱いいですか? 魔法道具というのは、わたしたち魔法商人が、
素材に内包されている﹃魔法元素﹄を抜き出し増幅することで作ら
れる道具の総称を指します﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
ジャックが話をちゃんと聞いているのを確認してわたしは続けま
す。
﹁たとえば基本的な回復薬として知られているこのポーションの材
料となっているのは、鎮痛効果のある﹃ラクリッツァの葉﹄滋養強
壮の﹃紅人参の根っこ﹄止血作用のある﹃トゥアーリ草﹄などです。
そういった様々な効果のある素材から特性を抽出し、増幅して液体
に浸透させた物がポーションとなり、魔法道具となるわけです。わ
かりますか﹂
﹁⋮⋮なんとか﹂
ジャックは勉学が苦手なのでしょうね。見た目通りです。
この程度で何とかといわれては、先が思いやられますね。
﹁この特性の増幅抽出に関しては特殊な器具やわたしたち魔法商人
のセンスが絡んでいて、それこそがわたしたち魔法商人が魔法商人
と呼ばれるゆえんなのですが⋮⋮こちらの話は省きましょうかね﹂
理解できるか怪しいところですし、今回の話で重要なのはそこで
はないので。
ざっくりと割愛させていただきましましょう。
﹁さて、今回のポーションの件での問題は、加工の段階で抽出して
他の素材へと浸透させた特性が、時間とともに劣化、沈殿してしま
うことにあるのです。浸透させたとしても元々は別の素材なので、
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溶かされた性質が還元しようとする特性が働くのです。もちろんそ
れに対しての魔法処理も行いますが、あまりに長い年月が経ったも
のは劣化防止の魔法処理が施されていても、性質が霧散してしまい
ます﹂
ジャックはだいたい察したのか、苦い顔をして次を促しました。
﹁⋮⋮つまり﹂
﹁賞味期限もとい消費期限が切れています﹂
﹁なん⋮⋮だと⋮⋮﹂
驚いていますが、せいぜいもって10年。25年ものなんて論外
です。知っている人なら知っているごくごく当たり前のことでしょ
う。ましてや商売のプロである雑貨屋や露天商に買い取ってもらえ
るはずはありません。
⋮⋮まあ魔法商人ならば別の可能性もあるのですがね。
﹁そもそもダンジョンや廃墟で手に入れたポーションを飲んだり売
ったりしようとする心理がわたしにはわかりませんね。馬鹿なので
すか? 今回はたまたま製造年度が書いてあったからいいものを、
普通ならおなかを壊すか、知らずに買い取った人の証言で街での信
用をなくすかどちらかですよ。なんですか。冒険者というのは無知
無謀な野郎が多いのですか?﹂
膝からくずおれているジャックに、わたしは容赦ない追撃をかけ
ます。
﹁ぐぅ⋮⋮﹂
痛いところを突かれたジャックはまさにぐうの音しかでません。
解説の間に立ち直ったレフィも、隣で複雑そうな苦笑いを浮かべて
います。彼女にもリリアーヌのフロアで働き始める前に、一通り魔
法道具の知識を叩き込んでありますからね。
﹁今回のこれは一応防腐処理が施されているみたいなので⋮⋮そう
ですね。わかりやすく試してみましょうか?﹂
﹁⋮⋮はぁ? 試す?﹂
言って、わたしは膝立ちの椅子から降り、フロアに膝を突いたま
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まのジャックの前に立ちました。ジャックはいきなり何をする気な
んだ、という疑惑の表情でわたしを見ています。
﹁てい﹂
やる気なさそうなかけ声とともに、わたしは渾身の速度と絶妙な
スナップとわずかばかりの恨みを込めて平手を振り抜きました。
﹁がっ!?﹂
バチィン! と大きな破裂音が鳴り、ジャックは身体ごと綺麗に
清掃されている店内の床に倒れ伏しました。見事なまでにクリーン
ヒット。見える頬が真っ赤に晴れ上がっています。あれは痛そうで
す。﹁ひぃっ!?﹂と後ろでレフィの声にならない悲鳴が聞こえま
した。
﹁て、てめぇ! なにしやがんだ!?﹂
﹁そう騒がないでください。ひっぱたかれたあなたの頬も痛いかも
しれませんが、叩いたわたしの手も痛いのです﹂
﹁だからどうした!?﹂
頬を真っ赤にはらしたジャックは激昂します。
﹁リリアちゃんむちゃくちゃだよ!?﹂
さすがにレフィもやりすぎだと思ったのか、珍しく抗議してきま
す。
﹁まあまあ、検証ですよ。一度身を持って体感した方がわかりやす
いものです﹂
けれどもわたしはそう言って、ジャックが持ってきたポーション
を彼に渡します。
まだ怒りが収まりきらないようでしたが、ジャックは差し出され
たポーションを手にとって、
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮大丈夫なんだろうな、これ﹂
長い沈黙の後、あろうことかそう呟きました。
﹁そう思うものをあなたは売ろうとしていたわけですがね﹂
ジャックはばつが悪そうに目を逸らしました。
﹁ええ、まあ大丈夫ですよ。先ほど言ったように防腐処理まで施さ
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れています。よほど優良な魔法商人だったのでしょうね﹂
﹁てめぇとは大違いだ﹂
呪詛のようにジャックはわたしに暴言を吐きます。
﹁失礼な。わたしも十分優良な魔法商人です。ほら、とっとと飲ん
でください﹂
﹁どこが優良だ⋮⋮﹂などとぶつぶつと呟きながらも、ジャックは
腹を決めたのかガラスのふたをはずし、一気にあおりました。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁どうですか﹂
数秒の沈黙の後、わかりきっていましたがあえて聞いてみました。
﹁⋮⋮ぜんぜん痛みが引かねぇ﹂
﹁でしょうね﹂
通常なら増幅されているはずの﹃魔法元素﹄の残滓がほとんど感じ
られなかったのです。
飲んでもほとんど回復作用がないのは当たり前でしょう。
わたしは棚へと歩いてゆき、きれいに陳列されたポーションの段
から一つ、自前のポーションを取ってきてジャックに見せます。
﹁こちらがわたしの作った、当店自慢のポーションです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
ジャックが無言で目の前にあるわたしが持つポーションに手を伸
ばしてきたので、わたしはすっと手を引きました。ジャックの手が、
むなしく空を切りました。
ジャックはとても不思議そうな顔をしています。
﹁おい﹂
﹁200イェンになります﹂
わたしは言いました。
﹁金取んのかよッ!﹂
﹁当たり前です。商品ですよ? これでも赤字覚悟の値段でまけて
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いるのですよ﹂
﹁リリアちゃん⋮⋮﹂悪魔だ。そう続けて聞こえてきそうな声音で
レフィがどん引きしていました。けれども本来ならば500イェン
の商品です。かなりお得だと言わざるを得ないでしょう。
﹁なんで俺が⋮⋮﹂
﹁不法押し売り疑惑に、魔法商人への暴行未遂﹂
渋るジャックの背中を、わたしはやさしくソフトタッチ。押して
あげます。
﹁⋮⋮払やいいんだろ! 払やよ!﹂
やけ気味にジャックは言いました。小銭入れを取り出して叩きつ
けるようにカウンターの上にお金を置きました。
﹁まいどありがとうございます﹂
ポーションをジャックに手渡してお礼を告げます。ふふふ、お金
はいいですね。
レフィが何かもの言いたげなのはいつものことなので無視しておき
ましょう。
﹁さて、では飲んでみてください﹂
﹁わかってるっつの⋮⋮﹂
持ち込みされたガルシア様式の瓶とは違い、至ってシンプルなポ
ーション瓶のふたを開け、ジャックは一気に液体をのどに流し込み
ました。
するとその瞬間、
﹁うぉっ!?﹂
暖かな光が、ジャックの身体を包み込みました。
全身を淡い光が覆い、真っ赤になっている頬も次第にもとの肌色
へと戻ってゆきます。
﹁その光は、ポーションに溶かされた、増幅された﹃魔法元素﹄の
粒子です。服用することでも効果を十分に発揮することができます
が、深い傷などを負った場合は患部に直接かけた方が効果は高いで
すね。より一点に効果が集中しますので﹂
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わたしが解説をしている間も効果は続き、やがてジャックの身体
を包み込んでいた光は段々小さな粒になって、空気に溶けるように
消えてゆきました。
﹁さあ、どうですか﹂
﹁⋮⋮⋮⋮痛くねぇ⋮⋮⋮⋮それに、身体がやけに軽く感じる⋮⋮
⋮⋮﹂
ジャックは頬をさすりながら信じられないようにそう言って、立
ち上がって腕を一回二回と回し、初めて驚愕の目でわたしを見ます。
当然、頬に刻まれたもみじマークもすっかりなくなっています。
﹁うちのポーションにはハーブも使っていますから、整体作用もあ
りますからね。疲れがたまっていたのでしょう。それがポーション
の正しい効果なのですよ﹂
放心するジャックにわたしはそう言って、カウンターの中へと戻
ります。
﹁さて、どうしましょうか、これは﹂
そしてカウンターの上に置かれた、ジャックの持ってきたポーシ
ョンを指して、わたしは言います。ジャックは先ほどの効果を比べ
てみてやっと腑に落ちたのでしょう。箱を見下ろしてどこまでも苦
い顔を浮かべています。
﹁はふぅ⋮⋮無料で良ければ、うちで引き取ってもかまいませんけ
どもね﹂
﹁⋮⋮良いのか﹂
﹁ええ。そちらが良ければ、ですけども﹂
﹁⋮⋮ああ、かまわねぇよ。ははっ、こんなもんいくらあっても仕
方ねぇしな﹂
言ってジャックは初めてアルカイックに笑い、盛大に肩をすくめ
ました。まあ取ってくるのに苦労したのでしょうね。身体的にでは
なく精神的に疲労がたまっているように見えました。
﹁わかりました。では、後はレフィにお任せします﹂
﹁え、えっ? は、はいっ。ではこちらの⋮⋮えっと⋮⋮﹂
19
いそいそとカウンターへと入ってきて、レフィはたどたどしい手
つきで取引承諾書を取り出して、ジャックに要項を伝えていました。
⋮⋮ふぅ。これでお役は終わりですね。
わたしは置いていた﹃野草学全書﹄へと再び手を伸ばします。
︱︱そしてややあって、
﹁あ、ありがとうございましたー﹂
間延びしたレフィの声が聞こえ、視界の端でカウンター向こうの
ジャックが立ち去る気配がしました。お客様には一応礼儀は尽くす
ものです。ベルの音とともに退店の挨拶をしようと意識を読んでい
る﹃野草学全書﹄から少しだけ浮かび上がらせ⋮⋮⋮⋮て、いまし
たが、いつまで経ってもベルが聞こえてないので不思議に思ったわ
たしが顔をあげると、ちょうどジャックが少し恥ずかしそうな表情
を浮かべながらも、カウンター前に戻ってきていました。
﹁どうしましたか﹂
﹁⋮⋮こいつをひとつ、くれ﹂
ジャックがカウンターの上に置いたのは⋮⋮ポーションでした。
彼の態度の変わりようと、どうやらうちの商品がお気に召したこ
とがおかしくて︱︱
﹁︱︱はい。お買い上げありがとうございます﹂
わたしは新しい顧客に、格別の笑みをひとつ、お返ししました。
20
Episode1.正しい︻ポーション︼の作り方。︵後書き︶
はじめまして、霧島栞です。
よろしくおねがいしますー。
21
Episode1.正しい︻ポーション︼の作り方。︲後日談︲
後日談
その夜。王都ミランドの住民や冒険者が寝静まった遅い時間。
リリアーヌの店頭フロアの裏には小さいながらにキッチンとダイニ
ングがあり、二階には広めの部屋がひとつあります。以前まではわ
たしひとりで使っていたその寝室には、いまはもう一人、レフィの
姿があります。彼女は数ヶ月前にひょんなことからリリアーヌの店
員として住み込みで雇うことになりました。職務的にはまだまだひ
よっこですが、最近の仕事に対する熱意だけは評価できるところで
す。
すやすやと眠りながら﹁ごめんなさい⋮⋮ごめんなさい⋮⋮もう
許してリリアちゃん⋮⋮﹂と寝言を呟くレフィに、わたしは夢の中
でまで叱られているのですかこの子は。なんて不憫な子なのでしょ
う。と哀れみのため息を一つ吐いて、彼女を起こさないように一階
へ降ります。
そこからさらに地下へと続く階段を下ると、そこには地下室にし
ては広めな空間に、様々な素材が入れられた棚や箱が整然と置かれ
た専用の魔法道具精製室があります。
知識のない人が見ればただの物置にしか見えないこの部屋は、わ
たしにとっては宝箱のようなものです。
﹁さてと、どこに置いたのでしょうね﹂
軽い足取りでわたしは室内を歩いてゆきます。魔法道具を作る時
もそうですが、自分で作った魔法道具が棚に綺麗に陳列されていた
りすると、妙に上機嫌になったりするものです。
手前の本棚からいつも使っている在庫記入用のノートを取り出し
て新しいページを開き、机の上に置いて室内を見回し、
22
﹁ああ、ありました﹂
そう言ってわたしが手に取ったのは⋮⋮今日の昼にジャックから
引き取った、25年物のポーションです。36本詰めの箱が二つ。
1本抜き取ったので、現在は計71本のポーションが綺麗に整列し
ています。
﹁本当に、彼はどこか抜けていましたね﹂
ジャックのとのやりとりを思い出し、わたしは苦笑します。
わたしは彼にちゃんと言ったのですけどね。
﹁古いポーションは性質が劣化、沈殿する⋮⋮と﹂
取り出したポーション瓶を机の上に置き、わたしは両手を添えて
精神を研ぎ澄まします。
魔法道具を作り出す時の基本である抽出した他の性質の増幅とい
うものは、魔法を使うときに扱う﹃魔法元素﹄を、どの性質にも染
まることのできる無色で作り出し、それを抽出した性質に触れさせ
ることでその性質に吸収させて増幅するというものです。一度抜き
出した性質は、他の相反する性質と反発すること以外では薄れるこ
とはないので、無色の﹃魔法元素﹄に触れさせると性質が浸透して
ゆき増幅されるのです。
けれども無色の﹃魔法元素﹄というのは非常に扱いが難しく、それ
でいて無色の﹃魔法元素﹄を作り出せるかどうかは完全に才能の有
無にかかってきます。修練を積めば誰でもなれる魔法使いとは違い、
才能がなければ魔法商人にはなれません。それこそがわたしたちが
魔法商人と呼ばれて確たる立場を約束されているゆえんなのです。
昼間の説明の時に省いた説明がこれです。
まあ確信犯で省きましたが、気付ける材料は結構あったので気が付
けなかったジャックが間抜けだということでしょう。
薄暗い室内に、包むように手を添えたポーション瓶から透明色の
光が溢れ出します。
無色の﹃魔法元素﹄を発現させた時の反応です。
そして、大切な物を両手で包み込むようなイメージと共にその光
23
はゆっくりとゆっくりと手の中に還るように集束して⋮⋮最後には
透明な光の粒が、ポーション瓶の中に残りました。
﹁⋮⋮これで、後は半日寝かせれば完成です﹂
ポーション瓶の中に浮かぶ無色の﹃魔法元素﹄の結晶が、液体内
の沈殿した僅かな性質に染められて溶けてゆけば、新しいポーショ
ンの出来上がりです。底に沈殿していた素材の性質が、まるで地面
から空へとさかさまに降る雪のようにふわふわと浮かび上がり、結
晶に触れてほどけてゆきます。
それは何度も繰り返しポーションを作ってきたわたしでさえも思
わず見入ってしまう、海の中で雪が空に向かって降っているように
も見える、まるで宝石のような光景でした。
一から作るのも嫌いではないですが、売りに来られた劣化したポ
ーションから作る方が一手間も二手間も省ける為、効率が良く、精
神的な疲労も少ないのでありがたいところです。
﹁今回は、材料費もかかってないことですしね﹂
ふふふ⋮⋮とわたしはほの暗い笑みを浮かべます。
通常価格で買い取れば1つ150∼200イェンの品です。そもそ
もわたしは買い取ることができないとは一度も口にしていませんし
ね。
2本目のポーション瓶を机の上に置きながら、わたしは思います。
まあ、これも授業料だと思えば安いものでしょう?
︻ポーション︼は、当店﹃リリアーヌ﹄でも必需品として販売させ
ていただいております。
効果はわたし、王立魔法商検定︻A︼ランクのリリア=クレスメン
トのお墨付きです。
︱︱ご来店の際にはぜひ、お買い求めくださいね?
24
Episode1.正しい︻ポーション︼の作り方。︲おまけレシピ︲
☆正しい︻ポーション︼の作り方☆
☆原材料☆
﹃ラクリッツァの葉﹄鎮痛作用があるポーションの原材料の一つ。
﹃紅人参の根っこ﹄滋養強壮効果のある多年草の根っこ。
﹃トゥアーリ草﹄止血作用があるポーションの原材料の一つ。
﹃レントの花﹄細胞の活性作用があるポーションの原材料の一つ。
﹃水溶液﹄水。液体。様々な用途に使われる便利な子。
☆用意する数量︵注・作成1個につき︶☆
﹃ラクリッツァの葉﹄×2個。
﹃紅人参の根っこ﹄×1個。
﹃トゥアーリ草﹄×3個。
﹃レントの花﹄×1個。
﹃水溶液﹄×1個。
☆作成手順☆
●まず﹃魔法元素分離機﹄によって、﹃レントの花﹄の特性を液
体の中に抜き出します。
●次に、抜き出した﹃レントの花﹄の特性を増幅させます。
●最悪この状態でも﹃ポーション﹄としての効果は望めますが、
25
あまりにも品質が悪いのでおすすめはできません。
●なので次に﹃トゥアーリ草﹄、﹃紅人参の根っこ﹄、﹃ラクリ
ッツァの葉﹄を順に﹃魔法元素分離機﹄にかけて特性を浸透させま
す。
●最後に劣化防止処理の為に、微弱な魔力が放出される﹃冷温庫﹄
に入れ、液体に特性を十分に浸透させて完成です。
※なお、お好みによって果汁等を混ぜると、子供にも大人気な果
物味の﹃ポーション﹄なども作ることができます。是非お試しくだ
さい。
26
Episode1.正しい︻ポーション︼の作り方。︲おまけレシピ︲︵後書き
Episode最新話は早ければ本日中に。力尽きたら近日中にな
ります。
地味にちまちま誤字など修正ちゅ。
プロット? 推敲? なにそれおいしいんでしょうか⋮⋮。
27
Episode2 正しい︻毒消し︼の作り方。
ぽつぽつと雨が降り始めて暗雲が立ちこめる太陽の月のとある日。
王都ミランドの大通りから一本はずれた老舗通りに、代々続く風
格のあるお店とは一線を画す、お菓子の家のような、どことなく異
彩を放つファンシーな見た目のお店が存在します。
その日、扉に設置されたベルの音も立てずに店内に入ってきたの
は、上から下まで真っ黒な服装の男でした。
﹁⋮⋮頼んでいたものは出来ているか﹂
低く小さく放たれた声で、わたしはようやく人が居ることに気が
付き顔を上げます。
﹁おや、クロですか﹂
足音もたてずに近づいてくるのはやめてほしいところですが、彼
に限っては存在意義にもかかわるので仕方ないでしょう。
無言ですっと差し出された伝票を、わたしは受け取り確認します。
クロ=クロイツ。職業暗殺者。年齢21歳。住所は秘匿事項なの
で公表はできません。顧客の信頼に関わりますからね。
﹁レフィ﹂
ちょいちょいと手を招き、わたしはレフィを呼び寄せます。
﹁はーい、すぐ行くね﹂
空いた棚の品出しをしていたレフィが、ぱたぱたとやってきます。
雑用⋮⋮いえ、店員が居るとほんとうに楽なものです。しかも基本
的に素直なレフィは、まるで忠犬のように指示に従います。おかげ
でわたしはほとんど椅子に座って本を読んでいることができます。
はて、わたしは一人の時どうやってこのお店をまわしていたのでし
ょうね?
﹁地下の棚にあるはずです。伝票番号を確認してもってきてくださ
28
い﹂
それはさておき、わたしはレフィに伝票を渡しながらそう告げま
す。
﹁うん、わかった﹂
レフィはわたしよりも年齢的には年上のはずなんですけどね。
リリアーヌではもちろん、注文を受けての製薬、調合、製作も行
っています。
基本的に割高になるので頼まれることはさほどないですが、それ
でも珍しい素材を使った高い性能を持つ魔法道具や、棚に陳列して
販売出来ないような商品なども入手できることがあり、練達の冒険
者などはちょくちょく依頼をしに来るわけです。
かくいうこの暗殺者という、やたらと物騒な職業のクロも、うち
を利用する中では数少ない練達の冒険者です。暗殺者とはいえ、彼
らが相手するのは魔物なわけですしね。
﹁最近景気はどうですか﹂
レフィが商品を取ってくるまでの間、わたしは手慰み程度の気持
ちでクロに話しかけます。
贔屓にしていただいてる金蔓の前で本を開きなおすのも失礼だと
考えてのことです。
﹁良くもなく悪くもなく⋮⋮だな。⋮⋮南の話は知っているか﹂
クロは腕を組みながらそう言います。視線を合わせず、まるで独
り言のように言う様は、せめて背中合わせの席とかでするべきだと
は思いますね。まったく、こんなにもかわいらしいわたしを見ない
なんて、何のためにうちのお店に来ているのでしょうこの人は。
﹁南というと、火山の方ですか﹂
そんなことを考えながら尋ねると、クロはこくりと頷きます。
﹁休火山だったフェルニア火山が再び活性化し始めたという話だ﹂
﹁新しい魔物が発生しているという話を聞きますね﹂
フェルニア火山は元々休火山でしたが、最近になってマグマが活
性化、溶岩が吹き出し、炎をまとった凶暴な魔物が闊歩するように
29
なってきているとのことで、リリアーヌにも発汗を抑える薬や体温
調整の為の保冷薬などの製作依頼が王都から来ていましたし、最近
の売れ筋商品も耐炎効果のある魔法石やアクセサリーなど、そのあ
たりのものが多いですね。
﹁あなたは討伐には向かわないのですか?﹂
⋮⋮いえ、暗に魔物を討伐して素材を取ってこいと言っているわ
けではないです。断じて。まさかそんなことがあるわけないじゃな
いですか。ねぇ?
しかし耐炎効果のある魔法石の材料などは炎の魔物から得ることが
出来るものが多いので、打算で言っている部分も多少あるのは、認
めざるをえません。ええ。認めますよ。だから取ってきてください。
﹁ふむ⋮⋮﹂
と、そこで珍しくクロは顔を上げてわたしへと視線を移しました。
おや。やはりわたしの愛くるしい姿を見るという行為は捨てがたい
ですか?
﹁⋮⋮リリアにならば、言っても大丈夫か﹂
しばし黙考した末に、クロはそう言いました。
﹁⋮⋮フェルニア火山の奥地に現れた巨大な魔物を倒すために、近
々大規模な討伐隊が組まれることになっている。今回頼んでおいた
品も、そこで使うためのものだ﹂
ああ、なるほど。言われて納得しました。
それで、あれが必要になるということですか。
﹁リリアちゃん、取ってきたよ﹂
と、そこにちょうどよくレフィが戻ってきました。
レフィが持ってきたのは、赤い色をした液体の入っている菱形の
小瓶でした。
﹁はい、ご苦労様です﹂
そんなわたしの適当なねぎらいで幸せそうに笑うレフィを見て、
この娘はほんと頭の中幸せそうですね、と思わずにはいられません。
﹁ところでリリアちゃん、これ、品名書いてないけど、なんなの?﹂
30
見たことのない商品に、レフィは興味津々に聞いてきます。
商品に対して興味を持つことはいいことです。わからないことが
あれば確認するようにも言っていますし、商品知識が増えればわた
しも楽になることでしょう。
見たこともないと言うからには店頭の商品はほとんど覚えていると
いうことですし、店主としては喜ばしい限りですね。
﹁それは毒薬ですよ﹂
﹁えっ!?﹂
しかしそう思いながらさらりと答えたわたしの言葉にレフィが返
した行動は、あろうことか両手で持っていた小瓶を放り投げるとい
う愚行でした。
毒薬の小瓶はくるくると回転しながら奇麗な放物線の軌道を描き
⋮⋮地面に激突しようという、すんでのところで惨状を救ったのは
クロでした。
激突寸前で見事なキャッチ。目にも止まらぬ身のこなしでした。さ
すが暗殺者ですね。
﹁クロ、ありがとうございます。それとレフィ⋮⋮﹂
キャッチした毒薬の小瓶をカウンターに置くクロに礼を一つ告げ、
わたしは続けてじと目でレフィをにらみます。
﹁ご、ごめんなさい⋮⋮﹂
少し褒めるとすぐこれです。まあ、言葉に出してはないので褒め
てもいませんが。
﹁あなたは本当にわたしをぬか喜びさせる達人ですね。後でお仕置
きです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮はい﹂
さすがに猛省しているのか、いつもならば拒絶反応を起こすレフ
ィも今回は殊勝なもので、長い沈黙の後に頷きました。
﹁まあ、お仕置きは後での話です。先に商品の話をしましょう﹂
そういってわたしは毒薬の小瓶を手に取ります。
﹁この毒薬は、通常の毒薬とは違う原料を使って生成しています﹂
31
レフィにもわかるように、わたしは説明を始めます。涙目になり
ながらも、きちんとメモを取り出してメモの準備を取ろうとすると
ころは素直に評価してあげましょう。しかし、涙目でメモを取る金
髪碧眼の少女というのは、なんというかこういじめたくなりますね。
⋮⋮おっと、いけません。お仕置きは後です。楽しみですね。話を
戻しましょう。
﹁ネフィリムの根を使って作られる通常の毒薬⋮⋮というと毒薬が
一般的に普及しているようで物騒な表現ですが、ネフィリムの根で
作られる毒薬は生成すると緑色の液体になります﹂
比較用にとわたしはカウンターの下にこっそり忍ばせてある毒薬
を取り出し、赤い毒薬の隣に並べます。物騒な冒険者がやってきた
時の為に、カウンターの下には様々な魔法道具が忍ばされているの
です。
﹁これは特性を抜き出した段階で毒素が浮き出て液体を緑色に染め
るわけです。しかし今回わたしが依頼されて作った毒薬の色は赤。
それも血が煮えたぎるような紅の赤です。これは原材料が違ってい
ることを示しています﹂
﹁⋮⋮ラビリオスの森の、仙花・ユーリシアだな﹂
ちらりと目を向けると、クロはそう答えました。
この仙花・ユーリシアという花は、クロが直々に取ってきた素材で
す。
﹁王都ミランドから遙か西に行ったところにあるラビリオスの森の
深部に、仙花・ユーリシアという綺麗な白い花があります。群生し
ていることはほとんどなく、水辺や影にぽつりとはかなげに咲くそ
の花はその見た目とは裏腹に、葉に凶悪な毒を持っているのです﹂
その毒は、ネフィリムの根のおおよそ10倍にも及びます。
それは耐毒効果のあるマジックアクセサリーやマジックアイテム
を使っていなければ、屈強な冒険者ですら数秒もあれば絶命するほ
どの毒です。
未加工の状態でもそれほどの毒になるというのに、それを魔法商
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人が精製すればその致死性は測り知れないでしょう。
﹁まあ、仙花・ユーリシアの葉は間違って触ろうものなら大惨事に
なるので、くれぐれも注意をするようにしてください﹂
これはクロにではなく、レフィに向けた言葉です。
この娘ならば買取の時に知らず無造作に触ってテリブルな状況に
陥りかねません。
触るだけなら死に至ることはなく、しばらくの間苦しむでしょう
から⋮⋮おや、これは罰としてはちょうどいいかもしれませんねぇ
⋮⋮。ほの暗い笑みを浮かべてレフィを見ると、レフィは嫌な予感
を察したのか、﹁っ!?﹂と息を飲みびくりと身を竦めました。
﹁り、リリアちゃん⋮⋮?﹂
そんなことしないよね⋮⋮? と続けそうな口調でレフィはわた
しの名前を呼びます。
以心伝心、アイコンタクトで言いたいことがわかるというのは、や
はり日頃からの教育のたまものでしょう。この調子で教育していか
なければなりませんね。ふふ。
﹁さて、それはそうと代金の方ですが﹂
レフィへの対応を再修正しながらわたしはクロに向き直り、本題
に入ります。
﹁10万イェンでどうでしょうか﹂
﹁じゅ⋮⋮!?﹂
隣でレフィが、聞きなれない値段に思わず声をあげます。
﹁⋮⋮安いな。いいのか?﹂
﹁安いんですか!?﹂
レフィからすればそういう反応になるのも無理はないかもしれな
いですね。なにせわたしが提示した10万イェンというのは、おお
よそレフィの一年の給料に匹敵します。
一般的な野菜や肉、加工食品が大体5イェン∼20イェン程度な
ので、一日100イェンもあれば生活には事足ります。嗜好品に手
を出さなければ一か月3000イェンもあれば余裕で食べていける
33
でしょう。
それを考えるとレフィに月々渡している給料は破格です。住み込
みなので家賃も払わなくて良いですしね。
それだけに、今回の10万イェンという値段に驚愕するのは無理の
ないことでしょう。
﹁けれども安いのは確かですね。この毒薬は、ほぼうちのオリジナ
ルレシピですし﹂
一般的に、レシピが公表されている多くの魔法道具は割かしお手
頃な価格で入手しやすい傾向にあります。
公表されているレシピでも難易度が高い物は高ランクの魔法商人に
しか作れなかったりもしますが、それとはまた別に魔法商人たちが
個々に研究して作り出したオリジナルレシピというものも存在しま
す。
﹁加えて毒薬を作る場合にはそれ相応のリスクがあります﹂
指を立てて口元にあてながら、わたしは続けます。
﹁薬師が行う調合薬とは違い、増幅の過程がある魔法道具の場合、
素材の持つ元々の特性が強ければ強いほど、増幅の過程で行使者に
浸食を起こしやすくなります﹂
素材の持つ特性というのも、厳密には﹃魔法元素﹄に分類されま
す。
今回で言うならば﹃毒﹄の﹃魔法元素﹄ですね。
増幅は、何にも染まることのできる無色の﹃魔法元素﹄を、﹃毒﹄
の﹃魔法元素﹄へ触れさせることで増幅させて効果を向上させるこ
とですが、問題は素材の持つ﹃魔法元素﹄が強ければこの増幅の段
階で行使者に浸食を起こしやすいということです。
仙花・ユーリシアの毒はネフィリム草の約10倍。
通常の毒薬を作る難易度と比較すると10倍程度ではすみません。
作成に失敗すれば最悪、命を落としかねません。
﹁⋮⋮しかし前に作ってもらった時は倍したと思うが、いいのか﹂
﹁倍って⋮⋮20万イェンですか!?﹂
34
﹁レフィ、いちいち値段に驚かないでください﹂
﹁で、でもだって⋮⋮﹂
言いたくなる気持ちも少しは理解できますが、お客様の前ではち
ょっと控えてもらいたいところですね。
﹁良いですよ。前回はレシピの調整もあったので魔光石を保険に使
った結果、高く仕上がったということもありますしね﹂
保険という意味では今回も似たようなものですが、前回は実質的
に結構なコストがかかっていましたしね。
クロに25万イェンまでなら出せると言われていたのもあり、新し
いレシピの開発にちょうどいいと、魔光石という希少な宝石を使い、
増幅の段階を飛ばして作成を行った結果、値段が跳ね上がったとい
う訳です。
魔光石は﹃魔法元素﹄そのものを貯めておけるという大変便利な
代物ですが、産出量が極端に少なく、一つでも5万イェン近く値が
張ります。おまけに消耗品。こうした機会でもなければ使うことも
ないでしょう。
﹁⋮⋮なるほど。そちらが良いなら、俺の方に特に不満は無い。そ
れで頼む﹂
﹁はい。ああ、ついでに毒消しはいかがですか﹂
店の一角を指し、わたしは商品の追加購入を促します。販売促進
トークというものです。毒を扱うならついでに毒消しも。抱き合わ
せ商法としてやっていけるかもしれません。
﹁そうだな、もらっていくか﹂
﹁ありがとうございます﹂
リリアーヌの毒消しはポーションとは違い、粉末状です。
液状でも良いのですが、やはり毒消しと言えば粉末でしょう。苦
くてマズイ粉末。この微妙な感覚、わかりませんか? ⋮⋮わかり
ませんかね。
﹁ではレフィ。⋮⋮くれぐれも商品を投げないようにしながら案内
をしてあげてください﹂
35
﹁は、はい⋮⋮﹂
言っていて少し悲しくなりましたよ。何が悲しくて商品を投げな
いようにと念を押さなければならないのでしょうか。わたしの心の
マニュアルに新しいページが刻まれたところでした。
︱︱商品は投げないように。
驚きの一文です。どんなウケ狙いですか。
棚の前でレフィはたどたどしく、いくつご入り用ですか、などと
クロに聞いています。
内装が内装だけに、真っ黒な服装のクロはかなり浮いています。
メイド服のような制服を着るレフィは雰囲気に合っていますが、無
愛想な表情のクロの前でおどおどした態度を取っている様子はまる
で脅迫現場のようでもあります。
はふぅ⋮⋮もう少々時間がかかりそうですね。
治療薬の棚で他にもいくつかの商品を購入しようか迷っている様
子だったので、わたしは本に意識を戻す決意を決めました。
今読んでいる本は、解毒の専門書です。
暗殺者のクロの前で読むと彼に喧嘩を売っているような感じもし
ますが、毒薬と解毒薬は表裏一体です。今回の毒薬用にも一応ちゃ
んとした解毒薬を用意していますし。
けれども最近は本を読みふけっていたらいつの間にか閉店時間だ
ったなんてこともあるので、少し注意しないといけませんね。たま
に涙目のレフィに助けを求められる以外は居たって平和なものです。
などと考えていると、いつの間にかクロはかごいっぱいの商品を
持って戻ってきました。
おおぅ、まさかそこまでお買い上げいただけるとは。
明日は作成が大変そうです。
レフィには魔法道具の作成はできませんし、こればっかりは仕方
ないですが。
﹁⋮⋮えっと、では合計17点で、じゅ、12万7500イェンに
⋮⋮なります?﹂
36
一つ一つレジに打ち込んでゆき、最後にレフィはおっかなびっく
りで値段を告げました。なんで疑問形なのでしょうこの娘。いただ
くものはちゃんといただいてください。
けれどもふと思います。そういえばレフィがうちで働くようにな
ってから、ここまで大きな金額を取り扱ったことはありませんでし
たね。
﹁り、リリアちゃん、1万イェン硬貨がこんなに⋮⋮っ!﹂
けれどもレフィ、その反応はダメですよ?
並べられた硬貨を前に、レフィは完全に気圧されています。
怖いものですね、お金の威圧感というものは。わたしもお金が怖い
です。ああ、お金が怖いです。ふふふ。
﹁レフィ、落ち着いてください﹂
そう言うとレフィは深呼吸を一つして、クロへの対応に戻りまし
た。
﹁リリア﹂
ややあって取引が終了し、クロがレフィの肩越しに声をかけてき
ます。
﹁はい?﹂
﹁助かった。また何かあれば頼む﹂
﹁はい、こちらこそお願いします。次はおみやげを期待しています﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
近々フェルニア火山に行くことでしょうしわたしがそう言うと、
クロは小さく頷いて袋にまとめられた荷物を持って音もなく出てゆ
きました。
37
Episode2 正しい︻毒消し︼の作り方。︵後書き︶
episode二つ目ですー、お楽しみいただけたら幸いですー。
勢いで評価にぽちっとしてくれたらうれしいかもですよー。
38
Episode2.正しい︻毒消し︼の作り方。︲後日談︲
後日談
﹁⋮⋮⋮⋮ふわああああ、緊張したよーっ!﹂
クロが出て行ったとたん、レフィが顔を両手で押さえながらその
場にうずくまりました。
﹁レフィ、先にお金をレジにしまってください﹂
﹁そ、そうだったっ、あうっ!?﹂
急いで立ち上がろうとして、レフィは盛大に頭をカウンターに打
ちつけます。
本当にこの娘は何をしているのでしょうね。
﹁仕方ないですね⋮⋮﹂
痛みで涙目になりながら頭を押さえるレフィの隣に立ち、カウン
ター上のお金をレジにしまってゆきます。ふふふ、お金はいいです
ね。レフィ、ほの暗い笑みを浮かべるわたしを見るたびに﹁うわぁ
⋮⋮﹂って顏をするのはやめていただけませんか。
かちん、とレジの閉まる音。はい。とりあえず一息です。
﹁⋮⋮そういえばリリアちゃん、これってどのくらい粗利出てるの
?﹂
﹁先の毒薬ですか?﹂
﹁うん﹂
珍しいことを聞き出しましたね、この娘は。
粗利とは、商品の販売価格から仕入原価を差し引いた金額のこと
を指す言葉です。
仕入原価が100イェンで、販売価格が1000イェンならば、
粗利は900イェン。
粗利率は90%となります。
普段はあまり気にしていないレフィも、今回は値段が値段だけに
39
気になったのでしょう。
﹁そうですね﹂
わたしは一息あけて、
﹁9万9980イェンですね﹂
考える間もなくそう言いました。
﹁え? ⋮⋮ええぇぇぇぇ!?﹂
粗利率実に99.98%。
﹁な、なんで!?﹂
﹁なんでと言われましても、原材料の仙花・ユーリシアはクロさん
の持ち込みですし、後は水溶液代の1イェンと作成にかかる細々と
した諸費用だけです﹂
﹁えぇ、えぇ⋮⋮!?﹂
それほどまでに予想外だったのでしょう。
レフィは驚きにそれ以外の言葉が出てこないようです。
﹁その分、普通ならば毒薬の作成は、危険と隣り合わせの作業です
からね﹂
﹁あ⋮⋮そ、そういえばそうなんだね。⋮⋮大丈夫なのー、リリア
ちゃんー﹂
完全に棒読みでした。苦笑いすら浮かべている始末。
﹁言いながら対して心配してなさそうなのは何故でしょうね﹂
すっと、レフィは目を逸らしました。
大方、リリアちゃんは殺しても死にそうにないし⋮⋮とか思って
いるのでしょうかね。
失礼な娘です。
﹁まあ大丈夫ですけどね。前もって抗毒剤を打って作りましたし﹂
﹁抗毒剤?﹂
﹁毒消しの一種ですね。仙花・ユーリシアは葉に毒を持つ植物です。
けれども花弁自体には逆に強い抗毒作用を持っているのですよ﹂
仮にも仙花と呼ばれる植物の特徴が毒だけなはずがありません。
﹁作成の時に使ったのは一時間ほど効果がある抗毒剤ですね。なの
40
で万が一、増幅の時に毒素がこちらに浸食してきたとしてもなんの
心配もなかったわけです﹂
逆に言えば、前回クロに頼まれた時には葉だけしかもらえなかっ
たので高くついたとも言えます。
仙花・ユーリシアの花弁の抗毒作用は様々な魔法道具に使うこと
が出来るので重宝します。
﹁今回クロからもらった仙花・ユーリシアの花弁もまだ4枚残って
いますし、実質の利益は今回の数倍はあるでしょうね﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
ドヤ顏でそう言うと、レフィにドン引きされました。
﹁けれどもちゃんと取引証は書いてもらっていますし。葉以外の部
分をどう使うかはわたしの自由ですからね﹂
次回は花ごと持ってきてくれると助かります、とクロに言ってお
いたのも事実ですけどね。
﹁リリアちゃん⋮⋮それすごく詐欺師っぽいよ⋮⋮﹂
﹁商売というのは、そういうものです﹂
そうやって人は成長していくのですよ、レフィ。
﹁それはそうと、レフィ。お仕置きの話ですが﹂
﹁お、覚えてたんだね⋮⋮﹂
ころころと良く表情の変わる娘です。怯えて一歩後ずさるレフィ
に、わたしは微笑みを浮かべ、レジを開けて1000イェン硬貨を
取り出し言います。
﹁これを使い切って晩御飯を用意してください。今日はもう店じま
いです﹂
﹁え?﹂と疑問符を浮かべながら恐る恐る手を差し出すレフィの手
の上に硬貨を乗せ、わたしはclose︵閉店︶の看板をカウンタ
ー後ろの棚から取り出します。
雨が降っているので客足も望めませんし、今日は十分儲けさせて
いただきましたからね。
﹁ほらレフィ、早くいかないと店が閉まってしまいますよ﹂
41
﹁え、う、うん﹂
いつもと違ったお仕置きとも言えない内容に戸惑いながらも、レ
フィは急ぎ準備をして、扉から出てゆきました。
その姿を見送りながら、わたしは扉にclose︵閉店︶の看板
を取っ手に掛けます。
﹃︱︱魔法道具店リリアーヌでは、素材の買取も行っております。
一点からでも是非お持ちください。
営業時間9:00
∼﹄
42
Episode2.正しい︻毒消し︼の作り方。︲おまけレシピ︲
☆正しい︻毒消し︼の作り方︵抗毒薬編︶☆
☆原材料☆
﹃仙花・ユーリシア﹄ラビリオスの森の深部に咲く花。葉には毒が、
花弁には抗毒作用がある。
﹃薬包紙﹄紙。読んで字のごとく、薬を包む用の紙。
﹃水溶液﹄水。液体。様々な用途に使われる便利な子。
☆用意する数量︵注・作成1個につき︶☆
﹃仙花・ユーリシアの花弁﹄×1個
﹃薬包紙﹄×1個or﹃水溶液﹄×1個。
☆作成手順☆
●液状の抗毒剤にする場合は、﹃魔法元素分離機﹄によって﹃ネフ
ィリムの花弁﹄の特性を液体の中に抜き出します。※粉末状にする
場合は不要。
●粉末状にする場合は擦り潰し、薬包紙で包みます。
●抜き出した特性、あるいは磨り潰した素材そのものに増幅を行い
ます。
●抗毒剤は一定時間毒に対する耐性を上げるものです。効果時間は
最長でおよそ1時間程度となります。それは増幅の度合いによって
変化します。
●最後に劣化防止処理の為に、微弱な魔力が放出される﹃冷温庫﹄
に入れ、特性を十分に浸透させて完成です。
43
※リリアーヌの毒消しは全て粉末状。他の魔法道具店の多くは液状
のものが多く、粉末状の毒消しは不人気にもかかわらず、一向にシ
フトチェンジする予定はない様子。
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Episode2.正しい︻毒消し︼の作り方。︲おまけレシピ2︲
☆正しい︻毒薬︼の作り方☆
☆原材料☆
﹃仙花・ユーリシア﹄ラビリオスの森の深部に咲く花。葉には毒が、
花弁には抗毒作用がある。
﹃ネフィリムの根﹄一般的な毒薬の材料となる毒草の根。
﹃水溶液﹄水。液体。様々な用途に使われる便利な子。
☆用意する数量︵注・作成1個につき︶☆
﹃ネフィリムの根﹄×1個or﹃仙花・ユーリシアの葉﹄×1個。
﹃水溶液﹄×1個。
☆作成手順☆
●まず﹃魔法元素分離機﹄によって、﹃ネフィリムの根﹄、及び﹃
仙花・ユーリシアの葉﹄の特性を液体の中に抜き出します。
●次に、抜き出した﹃毒﹄の﹃魔法元素﹄を増幅させます。
●注意・﹃毒﹄の﹃魔法元素﹄に浸食されて﹃毒﹄に侵されないよ
うに。
●最悪﹃魔光石﹄を使うのも手ですが、コストがかかりすぎるので
ご利用は計画的に。
●最後に劣化防止処理の為に、微弱な魔力が放出される﹃冷温庫﹄
に入れ、液体に特性を十分に浸透させて完成です。
※この毒は、スタッフが後でおいしくいただきました。
45
Episode3.正しい︻のど飴︼の作り方。
穏やかな風が心地よい陽気。赤月の月のとある日。
王都ミランドの大通りから一本はずれた老舗通りに、代々続く風
格のあるお店とは一線を画す、お菓子の家のような、どことなく異
彩を放つファンシーな見た目のお店が存在します。
まあ、今回のお話にお店は関係ないのですけどね。
﹁わぁ⋮⋮すごい⋮⋮﹂
王都ミランドから数日の距離を馬車で南下してゆくと、そこには
娯楽都市として賑わう、リンケージという都市が存在します。
わたしが珍しく気を利かせて、たまには息抜きも必要でしょうと
レフィを誘ったところ、レフィは何か裏があるのではないのかと当
日までふるえて過ごしていましたが、ここまできてやっと実感がわ
いたのでしょう、目を輝かせながら周囲に視線をいったりきたりさ
せています。
リンケージのイメージは、でこぼこの街といったところです。
その一つには文化様式が入り乱れている、というものが大きくあ
げられるでしょう。
連日多くの人が行きかうこの都市は、その関係上、明確化された
文化というものが存在しません。
一部、都市西方の居住区だけは例外ですが、それ以外の区画は良
くも悪くも雑多な文化が持ち寄られ、露店の見た目や売られている
品物はもちろんのこと、建築物の外観ですらまちまちです。当然、
行き交う人たちの格好もばらばら。冒険者風の格好の男性やふりふ
りのドレスを着た少女。眼帯に黒い手袋をしたうつむきがちな少年
や果てにはスイカの着ぐるみを着た人なども存在します。
しかしスイカて。果物の着ぐるみってシュールすぎますね。
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そんな中をきょろきょろ、きょろきょろ⋮⋮とレフィは落ち着き
なく目を輝かせています。
わたしの店で働き初めてから今日まで、遊びに出ることなんて今
までありませんでしたからね、無理もないです。
ふと悪戯心が沸くというのも仕方ないものでしょう。
もしここでわたしがひとこと﹁さて商売でも始めましょうか﹂と
言ったらさぞかしショックを受けるでしょうねこの娘。
涙目になるレフィの顔を見るためだけに言ってみたくなるもので
すが、今回ばかりは容赦しておいてあげましょう。
﹁あ! リリアちゃん、見て、あっちにおいしそうなクレープ売っ
てるよ! ︱︱あっ、あっちもすごーい! きれいなアクセサリー
!﹂
﹁子供ですかあなたは。あっちこっちうろうろして⋮⋮仕方ないで
すね。はぐれると面倒ですから、手を繋いでいてください﹂
そう言ってわたしはレフィに手を差し出します。
金髪のふわふわしたこの娘は、仮にわたしがさっさと先に歩いて
いってしまってもしばらく気が付かないで騒いでいそうですし。
﹁え⋮⋮﹂
しかし帰ってきたのは驚嘆の声と、ぽかんとしながらわたしを見
る視線でした。
﹁どうしたのですか?﹂
問うとレフィはわたしが差し出した手をじっと見て、顔を赤らめ
ながらおどおどとこう言いました。
﹁えっと⋮⋮⋮⋮あ、あの、いいの?﹂
⋮⋮なにがいいのでしょう。
そんな初めて殿方と手を繋ぐような緊張した面持ちでこちらを見
ないでください。恋する乙女ですかあなたは。わかっていますか?
わたしとあなたは同性ですよ? わたしはそっと差し出してくるレフィの手を乱暴にとりました。
﹁行きますよ﹂
47
﹁わ⋮⋮﹂
そう言って手を引くと、レフィは顔を赤く染めていました。
だから何故顔を赤らめるのでしょうか。妙にうれしそうですし。
変な薬でも飲んだのでしょうかね。
﹁今日のリリアちゃんはなんだかやさしいねっ﹂
﹁わたしはいつでもやさしいですが﹂
そう返すと、レフィは酷く微妙な顔をして、
﹁⋮⋮⋮⋮そうだねー﹂
間を開けてそう言いました。
﹁そうです。それに迷子になったら、放送して呼び出してもらえる
と思わないことです。放置して帰りますよ﹂
﹁ひぇ⋮⋮﹂
そう言うと、レフィは握った手を強く握り返してきました。まっ
たく、この娘は自分がどれだけ天然でどじなのか、自覚させる必要
がありますね。
﹁で、でも珍しいよね。リリアちゃんがお店を開けてまでこんなと
ころまでくるなんて﹂
﹁そうですか?﹂
﹁そうだよ?﹂
お店を臨時休業して閉めてきたのに、お店を開けてここまで来る
とはいかに?
レフィの言い方には色々と引っかかるところがありますが、わた
しだって遊びたい時くらいあります。⋮⋮なんてことは実際二の次
だったりもしますが。
﹁まあ隠しても仕方ないですし、本当のことを言いましょう。チケ
ットが贈られてきたのですよ。わたし宛に﹂
レフィは﹁チケット?﹂と不思議そうな顔。
そう。ことの始まりはつい一週間ほど前のことです。
﹁リンケージで毎週演劇を行っている有名な劇団から、わざわざわ
たし宛に手紙とチケットが送られてきたのです。なんでも、演劇で
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歌う︻歌姫︼の声の調子が良くないとのことで、容態の確認と治療
の魔法道具を作ってほしいと﹂
しかしそもそもの話として、治癒術で人を助けるヒーラーや、医
者とは違い、魔法商人であるわたしの仕事は魔法道具を作り顧客か
ら金を巻き上げることです。なので最初は断ろうと思っていたので
すが、少し考えて、わたしの気は変わりました。依頼が終われば色
々と見て回ることも出来るでしょう。半分は仕事で、半分は遊びに
という気持ちでこうしてやってきたという訳です。
肩から掛けているポーチの中には、いくつかの素材と魔法道具が
入っています。
﹁そっか、そうなんだぁ、お仕事だったんだね﹂
よかった。と続きそうなニュアンスで言って、レフィはなぜかほ
っとしたような息を吐きました。おや。その反応は予想外ですよ?
落ち込まないのですね。
﹁レフィはどんな失礼なことを考えていたのでしょうね﹂
なので、少し意地悪をすることにしました。
﹁べ、べつにリリアちゃんが考えてるようなことぜんぜん考えてな
いよ!?﹂
﹁わたしが考えているようなこと、とはどんなことですか?﹂
﹁え、えっと、それは、その⋮⋮﹂
レフィは視線を右往左往させ困惑顔です。
ええ、その反応ですよ。求めていたのは。
そんな風にわたしがレフィをいじって楽しんでいると、なにやら
周囲の人々が騒がしくなったような気がしました。心なしか黄色い
声援も飛んでいるような。
﹁失礼いたします。あなたが魔法道具販売店リリアーヌの店主のリ
リア様でしょうか﹂
ふいに少し離れたところからわたしの名前を呼び、そのままこち
らに歩いてくる金髪の男がそう言いました。
百八十はあるだろう背丈に、さわやかそうな印象の美形。先ほど
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の声援もこの人に向けられたものでしょう。となると、やはり、
﹁ふむ⋮⋮あなたはもしや、幻想演劇団の者ですか?﹂
わたしは問いに問いで返しました。予想はつきますがまず自分の
名を名乗らずに人の名前を聞く人間には注意しないといけません。
商売人ともあればなおさら。相手を無条件で信じるお人よしでは、
この業界やっていられません。わたしの信条は騙される前に騙せで
すし。
﹁ああ、これは失礼いたしました。はい。僕は幻想演劇団の団長を
つとめさせていただいております、キャロル=フォーカスと申しま
す。以後、お見知りおきください﹂
そう言って幻影演劇団の長、キャロルと名乗った男はわたしに手
を差し出しました。
客観的に見て、身長差的に人買いに手を取られてつれられてゆく
少女の図に見えないこともありません。
﹁わたしはリリス=クレスメントです。そしてこの娘はレフィーナ
=アーシア。⋮⋮わたしの助手みたいなものですね﹂
けれどもキャロルと名乗った男が美形なだけに、そういう印象は
薄いもので。手をとって握手を交わしながら隣を見るとレフィは﹁
わ、わたしが助手⋮⋮﹂なんて喜んでいました。
はて。こういうのをなんていうのでしたかね。そう。調子に乗っ
ている。
お招きいただいたのはわたしだけなので、あなたは助手というこ
とにして同行を許可させようというはらですよ? レフィ。
﹁お二人とも、はるばる遠路、ご足労ありがとうございます。歓迎
いたします﹂
そんなわたしの思惑など介せず、キャロルはさわやかな笑顔を浮
かべてそう言います。
笑顔の作り方がやはり様になっていますね。劇団の長ともあれば
やはり処世術に長けているということでしょう。
﹁ええ、歓迎されてあげましょう﹂
50
対するこちらは謙遜という名の建前で取り繕った台詞だけで、特
に笑顔を作ろうとはしません。作り笑顔は苦手なのです。作り笑顔
でなくても苦手ですが。
そのまま立ち話も何なのでということで、わたしたちは揃って近
くの洒落た飲食店に案内され、そこで詳しい事情を聞くことになり
ました。
﹁さて、話をお聞きしても良いでしょうか﹂
イスに座って注文をすませた後、わたしはさっそく本題を切り出
します。
﹁はい。けれどもその前に、リリア様、レフィーナ様、ここまで来
ていただいたこと、重ね重ねお礼を申し上げます﹂
おおう。真摯な態度、嫌いではないですよ。わたしは少し気分が
いいです。出会いがしらにもかなり持ち上げられていましたしね。
﹁わっ、リリアちゃん、様! レフィーナ様だって!﹂
そしてわたし以上に超うれしそうですね、この娘。
あまり調子に乗るなと釘を刺そうかとも思いましたが⋮⋮まあい
いでしょう。今日はやめておいてあげます。気分が良いので。
﹁気になさらず結構ですよ。半分は観光がてらでもありますので﹂
﹁そうですか⋮⋮けれども本当にありがとうございます。しばらく
の休演は決まっているとはいえ、モニカの落ち込みようは見るに耐
えませんから⋮⋮﹂
キャロルの言うモニカというのが歌姫なのでしょう。一応来る前
に幻想演劇団に関係する記事を流し読みしてきたのでその名前は知
っていました。
様々な魔法を演出に使い、幻想的な光の舞台を作り上げ、歌姫の
歌に合わせて進行する演劇は見る者を魅了するといいます。さらに
モニカという女性は見た目も美しいらしく、リンケージではかなり
の有名人だとか。
﹁⋮⋮あの、まず一つだけ、質問を良いですか?﹂
そんな考えを頭の片隅で転がしていると、珍しいことが起こりま
51
した。
レフィが初対面の男性に質問をするという珍事。いったい何事で
しょう。助手だと紹介されて無駄にやる気でもだしたのでしょうか。
﹁はい、どうぞ﹂
﹁キャロルさんは、その⋮⋮モニカさんとつきあっているんですか
!?﹂
けれどもレフィが放った質問に、さしものわたしも意表をつかれ、
あっけにとられてしまいました。ノリの良い人ならば思わずずっこ
けるくらいの話の脱線っぷり。いきなりなにを聞き出すのでしょう、
この娘。どういう話のぶったぎり方ですか。
﹁あの、それは⋮⋮﹂
困ったようにキャロルはわたしを見ました。それはそうでしょう。
依頼とはまったく関係なさそうに思えるプライベートな質問をいき
なりされたのですから。
しかし、依頼を頼んだ魔法商人の助手、という肩書きがあれば、
もしかしたら何か関係があるのではないだろうかと思い悩んでしま
うのもしかたないでしょう。
﹁はふぅ⋮⋮レフィ。その質問は、今回の依頼と何の関係があるの
ですか﹂
わたしがため息を一つ吐いてやれやれな気分でそう聞くと、レフ
ィは、
﹁関係大ありだよ! だって、有名な幻影演劇団の噂の中でも、ト
ップシークレットなんだよ?﹂
目を輝かせて、そう言いやがりましたよ。言い切りやがりました。
単なるミーハー根性でした。この娘、もう置いて行っていいでしょ
うか?
﹁もうあなたは黙っていてください。出来れば依頼が終わるまでず
っと﹂
﹁そ、そんなっ!?﹂
冷たい視線を送るとレフィはさも意外そうに驚きました。この娘
52
はいじめられたくてわざとやっているんじゃないのでしょうか。そ
れともそう思うくらい空気読めないのですかね。
﹁あはは、面白い人たちだね⋮⋮。うん。けど実際のところさっき
の質問の答えはNOです。僕とモニカは付き合っていない。⋮⋮そ
うなりたいとは思ってはいるんですが、ね﹂
わたしとレフィの会話を聞いていたキャロルはそのやりとりが面
白かったのか、さわやかに笑って律儀にも答えてくれました。
落ち込みかけていたレフィもその言葉ですっかり回復して目を輝
かせていますし、もうなんというか、わたしに仕事をさせてくださ
いと切実に思いました。
﹁さて、もういいでしょう? 話を本題に戻しましょう﹂
まだ何か聞きたげなレフィの鼻先を制して、わたしはキャロルに
向きなおります。
﹁その歌姫、モニカという女性の声の調子がおかしくなったのはい
つぐらいからですか?﹂
﹁モニカの声の調子がおかしくなったのは、ちょうど先月のことで
す﹂
﹁調子が悪いというのは、具体的にどのようなものですか﹂
﹁声がかすれてしまっていて⋮⋮普通の会話ですら聞き取りにくく
なってしまっている感じ、とでも言えば良いでしょうか⋮⋮﹂
﹁声がおかしくなったことについて、何か理由などに心当たりはあ
りますか﹂
﹁⋮⋮いえ、僕には見当も付きません。モニカに聞いてもふさぎ込
んでしまっていて答えてくれませんし、様々な治療法や、ヒーラー
に治癒を依頼したりもしましたがどれも効果はありませんでした⋮
⋮﹂
キャロルは顔をしかめて答えます。
ヒーラーを呼び寄せるなど、結構お金がかかるでしょうに。それ
だけモニカという歌姫は幻想演劇団にとって大切な存在なのでしょ
う。
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声を封じる魔法を使う魔物も存在しますが、その効果の大半がほ
んの一時的なもので、一月もかかりっぱなしになるということはま
ずあり得ません。それに声を封じる魔法の場合は先ほどキャロルか
ら聞いたような症状とは違い、まったく声が出せなくなるものです。
唯一、呪いという可能性もありますが、呪いならばヒーラーが原
因を特定できていなければおかしいので除外。となると、
﹁ふむ⋮⋮とにかく見てみないことには何もわからなさそうですね。
案内をお願いできますか﹂
何をするにもやはり本人を見て詳しく聞いて見ないことには検討
のしようもありません。
わたしがそう言うと、キャロルは﹁わかりました﹂と頷いて、揃
って店を出ました。
そして再び歩くこと十数分。
露店通りを抜けて進んでゆくと、段々雑貨店や道具店が少なくな
ってゆき、まばらな間隔で飲食店や宿泊施設、食材店が増えてゆき
ます。
なんとなく宿泊施設のどれかだと当りをつけていましたが、そん
な様子もなく先に進むキャロルを見て、わたしはおや? と小首を
かしげます。
﹁幻想演劇団は、居住区に住まいを構えているのですか?﹂
﹁ええ。昔は街を転々としながらの公演だったのですけど、一昨年
になってやっと軌道が安定してきて、なんとか拠点を持つことがで
きました。といっても、借りているだけですけどね﹂
﹁なるほど﹂
そういってキャロルは謙遜しますが、わたしとしては十分すごい
ことだと理解しています。娯楽都市リンケージに住まいを構えるな
ど、いったいいくらの維持費がかかるのか、想像に難くありません。
﹁それにしても⋮⋮﹂
そう前置いて、キャロルは続けます。
﹁二人は本当に仲が良さそうだね。まるで姉妹みたいだ﹂
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﹁そ、そうですか!? ふふ、リリアちゃん、わたしとリリアちゃ
ん姉妹みたいだって!﹂
さわやかな笑顔を浮かべながらのキャロルの発言に悪意はないの
でしょう。けれどもまたレフィが調子に乗り始めたことに、思わず
ため息が漏れます。
確かに見た目は姉妹に見えないこともないかもしれませんね。手
を繋いでいますし、銀髪と金髪の見目麗しい姿は姉妹と間違えても
仕方ないでしょう。客観的に分析してわたしはそう思う反面、隣で
きらきら目を輝かせるレフィを見ると、これと姉妹に見られるとは
⋮⋮と残念でしかありません。
﹁ちなみに、どちらが姉でしょうか﹂
﹁えぇー! わたし、わたしが姉だよね?﹂
わたしの質問に反応したのは問いを振られたキャロルではなく、
レフィでした。
﹁レフィ、聞き分けのないことを言うのはやめてください﹂
たしなめるわたしは完全にお姉さんモードでした。
﹁で、でもわたしの方が年上だし!﹂
﹁すいませんね、キャロル。レフィがはしゃぎすぎてしまって﹂
﹁いえ、気にしてないですよ﹂
﹁あ、あれ!? 話を聞いてすらくれてない!? あ⋮⋮でもリリ
アちゃんがお姉ちゃんっていうのもいいかも。⋮⋮リリアお姉ちゃ
ん? はぅ⋮⋮﹂
後ろの方でもだえながら、レフィがなにやら怪しくぶつぶつとつ
ぶやいていますが、わたしはもう無視する事に決めました。なんか
背筋が凍るような独り言ですし。
これはひょっとして一ヶ月ほど前に飲んだ薬の影響だったりする
のでしょうかね。いえ、レフィがちょっとアレなのはいつものこと
ですね。⋮⋮忘れましょう。
﹁レフィ、おいていきますよ﹂
しかし本当にはぐれられるとやっかいなので、わたしはまだ後ろ
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で自分の世界に入ってしまっているレフィに声をかけます。
﹁いやんリリアちゃんそんなこと⋮⋮っ、はっ、ま、まってー、リ
リアちゃんー!﹂
そういって走って寄ってくるレフィを見ながら、わたしは小さな
ため息を一つ、こぼしました。
﹁ここがうちの楽団が借りている建物です﹂
辿り着いた先は勾配がなだらかな斜面をUの字に囲うように建つ
立派な洋館でした。
﹁わぁ⋮⋮素敵な洋館ですね﹂
ともすればお城とも言えなくもない風格ある洋館に、レフィが素
直に感嘆します。
﹁はしゃぐ気持ちもわかりますが、ここからはあまり口出ししない
でください。レフィが話に加わると話が進まない恐れがあるので﹂
﹁う⋮⋮はい⋮⋮ごめんなさい﹂
少しきつめの口調で言うと、レフィはわかりやすくしょんぼりと
肩を落としました。
本当にこの娘は喜怒哀楽がわかりやすくていいです。それでこそ
弄りがいがあるというものですしね。
﹁中にモニカが居るのですね?﹂
そう言ってわたしはキャロルに視線を送ります。
﹁⋮⋮はい﹂
キャロルは重く頷き、扉を開きます。
立派な洋館に反して中は薄暗く、人の気配があまりしない洋館は
バンシー
どこか薄気味が悪い気がします。どこかからの依頼で屋敷に住まう
亡霊、例えば泣き女などを討伐してきてほしいと言われてきたかの
ように。いえ。さすがにそれはいいすぎでした。
ぱちん、キャロルがスイッチを入れると、屋敷に光が灯り、そん
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な空気は即座に霧散してゆきました。光量によって人が受け取る感
覚というのは面白いものですね。
﹁そういえば、他の団員はどこにいるのですか?﹂
﹁ああ、他の皆はそれぞれ出稼ぎに行っているんですよ。⋮⋮お恥
ずかしい話ですが、ここ一か月ほど演劇の収入が無いもので﹂
そう言って苦笑するキャロルと共に洋館にはもはや定番と言って
もいいほどの赤い絨毯の上を歩き、二階へと進み、奥の扉の前でわ
たしたちは立ち止まります。
﹁ここが、モニカの部屋です﹂
﹁では、失礼します﹂
間髪入れず、わたしは扉に手をかけノブを捻り勢い良く扉を開け
放とうとして︱︱ガッ! と鍵に阻まれ﹁ちっ﹂と舌打ちをしまし
た。
﹁ちっ、って! リリアちゃん今、ちっ、って舌打ちした!?﹂
何故かレフィが大声を上げてツッコミを入れました。
おかしいですね。わたしは何もおかしなことはしてないはずです
が。
キャロルの方を見ると、意外や意外、彼もレフィと同じように驚
いた顔をしていました。
﹁ダ⋮⋮ダレ⋮⋮デスカ⋮⋮﹂
しかし次の瞬間、一番驚いたのは恐らくわたしだったでしょう。
不覚にも、扉の奥から聞こえた声にドキリとしてしまいました。
まるで人が発したと思えないほど、掠れて不気味に聞こえる声で
した。
﹁リリアちゃんの驚き顔⋮⋮﹂
ぼそりと呟いたレフィのボディにわたしはこぶしを叩き込みます。
なんというか、条件反射でした。
﹁はうっ!?﹂
最近どんどんこの娘は打たれ強くなってきている気がします。そ
ろそろわたしも本気を出さなければいけないようですね。
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膝をつくレフィに、そこでおとなしくしていてください。と蔑ん
だ視線を送り、わたしは扉に向き直ります。
﹁失礼。わたしはリリア=クレスメントです。王都ミランドで魔法
道具販売店を営んでいる者です﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
わたしがそういうと、少しの沈黙の後、かちゃりと鍵の開く音が
しました。
﹁ありがとうございます。ああ﹂
言って入ろうとしたわたしは、扉を開けてまたいだところで立ち
止まり振り返ります。
﹁どうしたんですか?﹂
心配そうな顔をするキャロルと、いまだうずくまるレフィに、わ
たしは言い放ちます。
﹁あなたたちは下で待っていてください。ここからはわたしの領分
です。それに薬を調合するとなると邪魔にもなりますので﹂
その言葉にキャロルは少しだけ考える素振りを見せて﹁⋮⋮はい、
わかりました﹂と頷き、﹁うぅ⋮⋮わ、わたしは一緒に⋮⋮﹂と未
練がましく追いすがるレフィの目の前で、わたしは扉を閉めて鍵を
閉めました。
足音が去ってゆくのを見送って、暗い部屋の中、わたしは灯りの
スイッチを入れます。
光に照らされて映し出されたのは、赤。
歌姫モニカの、燃えるような赤い髪でした。
日に焼けていない真っ白な肌に、赤く長い髪。勝気そうな釣り目
がちな瞳は伏せられていて、美しいと呼べるであろう均整な表情を
悲哀に歪ませています。
﹁︱︱さて、単刀直入に聞きましょう﹂
テーブルに備え置かれた椅子に座るモニカの正面に立って、わた
しはひとさし指を立てて続けます。
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﹁何故あなたは、声が出せないふりをしているのでしょうか?﹂
しん⋮⋮と静まった空気の中。
﹁⋮⋮ドウ⋮⋮シテ﹂
蚊の鳴くような小さな掠れ声で沈黙を破ったのはモニカの方でし
た。
﹁単なる消去法です﹂
最初からおかしいとは思ってはいました。
﹁医者やヒーラーに見せて原因が特定できないというのはまず有り
得ることではありません。外傷や呪いなどの外的要因が絡んでいな
いなら、答えは内的要因。恐らく招かれたヒーラーもそういう判断
をしたでしょう。心を蝕む侵蝕が次第に身体にも進み変調をきたす
という病。本人の内側から発生する心因性の病の可能性を考えたは
ずです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
モニカは視線で先を促します。
﹁しかし、それも﹃魔法元素﹄の流れを見ることのできるヒーラー
や魔法使い、魔法商人が見たらわかるものです。もちろん、わたし
が知らない呪いや未だ世に出ていない不治の病の可能性も考えまし
たが、もしそうであればそうで対処法を持ってきましたので﹂
そう言ってわたしは、ポーチの中から、豪奢に彩られた一本の小
瓶を取り出します。
黄金の液体がたゆたうその魔法道具の名は、
﹁︱︱エリクシルです﹂
﹁っ⋮⋮!?﹂
モニカの瞳が驚愕に見開かれました。
エリクシルは、どんな傷でも癒し、どんな病でも治し、時間が経
過し過ぎていない限り死者ですら甦らせることが出来ると呼ばれて
59
いる神秘の霊薬です。
モニカが驚いたのは無理もないでしょう。
﹁っ⋮⋮アナタハ⋮⋮﹂
﹁ドラゴンを屠ったのはわたしではないです﹂
竜殺し︵ドラゴンスレイヤー︶の名誉を与えられるべきは、その
素材を取ってきた者にのみ贈られるべきです。もっとも、
﹁素材を取ってきた人は、もう墓の中ですけどね﹂
世界最強の存在と呼ばれるドラゴン。それを屠ることが出来るほ
どの冒険者など、歴史をひもといても一名しか存在しません。
﹁この魔法道具には命を懸けた人の、誰かを救いたいという想いが
詰まっているのです﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁素材を取ってくるために、愛する人の為に死を覚悟でドラゴンに
挑んだ英雄。永久の命を求め、命を賭して果の炎に焼かれた愚者。
深淵に潜り狂人となってまで希望に縋った賢者。︱︱わたしはこの
魔法道具を作る為に死んでいったそれらの人の名前を忘れることは
ないでしょう﹂
ふいに、レフィの顏が脳裏に浮かびましたが、わたしはすぐにモ
ニカに視線を向けて問います。
﹁誰かを助ける為に死んだ命に目を逸らしてまで、あなたにはこの
薬を飲み干すことが出来ますか?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
モニカはうつむきがちにじっとエリクシルを見つめ、ゆっくりと
その手がのばされたかと思うと途中で力なく腕が落ち、
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
透き通るような声で、そう言いました。
﹁ごめんなさい⋮⋮ごめんなさい⋮⋮﹂
何度も何度も、涙を流しながらモニカは謝り続けます。
60
それは恐らく、わたしに対してだけではなく、もっと違う何かに
対しての謝罪でもあったのでしょう。
﹁理由をお聞きしても、良いですか?﹂
酷な話かと思いましたが、わたしはモニカに促します。
﹁⋮⋮⋮⋮はい﹂
涙を拭きながら、モニカはそう言ってぽつぽつと語り始めました。
幻想演劇団は始め、数人の劇団と呼ぶにもおぼつかない小さな集
団でした。
その中で創意工夫を凝らして何とか注目を集めてゆくうちにメンバ
ーも増えて劇団と呼ばれることが出来、やがてこうして他都市にも
知られる有名な劇団へと成長することが出来たらしいです。
けれども、彼女はふとした拍子に怖くなってしまったのです。
幻想演劇団の主軸となっているのが、自分であるということに。
自分だけの為に歌っているのならば、辛いことがあっても自分だ
けの問題で立ち上がれる。強くあればいい。練習すればいい。歌い
続ければいい。それだけの話だと。
けれどもモニカは、自分が背負っているものが、自分自身だけで
はなく幻想演劇団の全員の人生だということに気が付いてしまった。
その恐怖がモニカから、最初の声を奪ってしまったのです。
調子が悪くて歌えないことで演劇団がここ数か月も演劇を休止し
ているというのも、相当なプレッシャーになったのでしょう。
彼女が居なければ演劇団は回らない。けれども引き際なんて初め
から存在しない。
いまさらどう言い出せばいいのか。
嘘を抱えたまま過ごす自責の日々は、さらにモニカ自身を追い込
んでしまったのです。
﹁いまさら⋮⋮わたしがどうすればいいのかなんて⋮⋮﹂
そう嘆くモニカの瞳に、再び涙が溜まります。
﹁はふぅ⋮⋮本当に、わたしの周りには⋮⋮﹂
こういう世話のかかる人が多いのでしょうかね。年齢的にはわた
61
しが一番年下のはずなのですが。このモニカという女性も、どう見
ても二十代前半でしょうし。
﹁それで結局、あなたはどうしたいのですか?﹂
﹁⋮⋮わたしがいまさらどうしたいかなんて選べるはずが⋮⋮﹂
﹁そういう自責とか周囲の視線とか気にせず、打算的な夢物語をお
願いします﹂
理想を語れなくなったら、人は終わりだと思いますしね。
わたしがそういうと、モニカは沈痛な面持ちのまま暫しの間考え
て、
﹁わたしは⋮⋮⋮⋮﹂
消え入りそうな声で、けれども確かに、
﹁⋮⋮⋮⋮歌いたい﹂
涙交じりの声で、はっきりそう言いました。
﹁︱︱そうですか。では﹂
わたしはエリクシルをポーチになおし、代わりに琥珀色の飴玉を
一つ、取り出しました。
﹁⋮⋮それは?﹂
﹁このドロップは、踏み出すことが出来ないあなたの声を取り戻す
為の﹃魔法道具﹄です﹂
そう言って、わたしはポーチの中から液体の入った試験管を取り
出し液体をカップへと注ぎ、その中にドロップを落とします。
﹁人は誰しも些細なことで不安になるものです﹂
飴玉はカップの底に到達すると、ぱきりと割れて砕け、液体へと
浸透してゆきます。
﹁けれどもあなたが再び歌おうとする意志はあなたのものです。打
ち明ければ真剣に悩んでくれる人も居るでしょう。例えばキャロル
とか﹂
そう言うとモニカはわからないといった表情で少しだけ首をかし
げました。
ふむ。報われませんね、キャロル。
62
くるりくるりと、置いてあったティースプーンで液体をかきまぜ
た後、わたしは琥珀色の液体から視線をはずしてモニカへ笑顔を向
け、
﹁それでもまた怖くなったなら、その時は魔法道具販売店リリアー
ヌまでどうぞ。とっておきの﹃魔法道具﹄を用意して、お待ちして
おりますので﹂
そう言いました。
63
Episode3.正しい︻のど飴︼の作り方。−後日談−
﹁それにしても、モニカさんの声、元に戻ってよかったよね﹂
礼を言うキャロルに見送られ、居住区を抜けたあたりで、レフィ
がそう言いました。
﹁そうですね。わたしも依頼料をいただきましたし、満足です﹂
今回差し出された報酬は、飴玉一個と交通費を差し引いても余裕
でおつりが出るほどの金額でした。出演の予定が無く出稼ぎに出て
いるほど切迫しているらしいので少々心苦しく思いましたが、報酬
はちゃんと貰わないことにはいきませんからね。くれるというなら
遠慮なく貰います。特にそれがお金ならなおさらですね。
﹁そういえば、レフィ﹂
今回の件でふと思ったことを、レフィに聞いてみることにしまし
た。
﹁うん? どうしたの、リリアちゃん﹂
﹁レフィはうちの店を首にされないか不安になったりしないのです
か﹂
﹁えぇぇぇ!? わ、わたし首にされちゃうの!?﹂
唐突にほのめかされた解雇の影に、レフィがわたわたとあわてま
す。
﹁いえ、まだその予定はないですが﹂
﹁まだってことは、いつかはあるの!?﹂
なんでしょう。首にされたいのでしょうか、この娘。
﹁たとえばの話ですよ。良く調子に乗ること以外、仕事は割とでき
ていますしね﹂
わたしがそういうと、レフィは小さく小首を傾げ、うーんと悩み
始めました。
考えるだけの脳はあるようです。
﹁⋮⋮なんか今すっごく失礼なこと考えられたような気がするけど、
64
リリアちゃんの言うことに対する答えは︱︱そんなこと考えたこと
なかったよ?﹂
あっさりとそう言い切ったレフィに、わたしは少し驚きを隠せま
せん。
﹁あれだけドジをしていて調子に乗って叱られて罵倒されて叩かれ
て殴られても一度もないのですか?﹂
言っていて少しレフィにやさしくしてあげましょうか⋮⋮という
憐憫の情が湧いてくるほどに酷い台詞でした。わたしはそんなバイ
オレンスなキャラじゃないのですが。
﹁ちょっと言い過ぎだと思うけど⋮⋮うん。だって、リリアちゃん
はなんだかんだ言ってもやさしいし﹂
﹁別にやさしくなんてしてなんかないですよ﹂
にへらと笑うレフィの言葉に、わたしは少し居心地の悪い気持ち
でそう返します。
﹁ふふー、でも今回リンケージに来たのだって、半分はわたしに気
を使ってくれたんだよね?﹂
﹁そんなことないです﹂
﹁またまたー、リリアちゃんのことはいつも見てるから、良くわか
るんだからね?﹂
自慢げにそういうレフィに、わたしはことさら居心地が悪くなり
ます。
確かに、リンケージに来ようと思った一因にはレフィを連れ出そ
うと思ったということもあります。ふと彼女がわたしの店で働くよ
うになってから、半年が経つと思ったので、その記念と息抜きも兼
ねて、とそう思ったことがあるのも間違いではありません。
苛立ちを込めてじと目でレフィを見ると、満面の笑顔で返されま
した。
むぅ。今日は少し調子が狂いますね⋮⋮。
何も考えていないように見えて、見るところは良く見ているので
すね、この娘。
65
しかし、今日はあまりレフィにきつく言わないでおいてあげまし
ょうと決めていたのもあります。今日だけは、そういうことにして
おいてあげましょう。
﹁そうと決まれば、今日は羽を伸ばして遊びましょうか﹂
﹁うん? 良くわからないけど、わたしはリリアちゃんと一緒なら
どこでもいいよ?﹂
﹁︱︱そこがたとえ、地獄の底だとしてもですか?﹂
﹁なんでそんな重い話にしようとしてるの!?﹂
﹁冗談ですよ﹂
本当にこの娘はからかいがありますね。驚くレフィを見て少し満
足しながら、わたしは彼女の手を引きます。
﹁さて、とりあえずカジノにでも行きましょうか﹂
﹁えぇ⋮⋮リリアちゃん、その選択肢はないと思うんだけど⋮⋮﹂
そんなたわいもない会話を続けながら。
66
Episode3.正しい︻のど飴︼の作り方。−後日談−︵後書き︶
基本的に本編と後日談という構成で切りの良いところまで進んでゆ
きますー。
本編はある程度のところで分けて書いた方がいいのかどうか、悩み
どころですね。そこらへんも含め、感想などありましたらよろしけ
れば気軽にお願いしますー。
67
Episode4.正しい︻惚れ薬︼の作り方。
窓から朝日が差し込む穏やかな一日の始まり。月影の月のとある
日。
王都ミランドの大通りから一本はずれた老舗通りに、代々続く風
格のあるお店とは一線を画す、お菓子の家のような、どことなく異
彩を放つファンシーな見た目のお店が存在します。
﹁リリアちゃん⋮⋮⋮⋮好き。大好き⋮⋮﹂
目を覚ますと、わたしの目の前には頬を赤く染めたレフィの顔が
ありました。
かけ布団ははがされ、手は握られてベッドに押し付けられており、
覆いかぶさるように腕を着くレフィの金髪が、わたしの銀髪と混ざ
り合ってベッドの上に散乱しています。
端的に言うと、わたしはレフィに押し倒され、彼女の手によって
拘束されていました。
﹁⋮⋮レフィ?﹂
﹁ふわぁ⋮⋮リリアちゃん⋮⋮髪さらさら⋮⋮﹂
空いている方の手でわたしの髪を梳きながら、レフィがうっとり
とした笑みを浮かべます。
﹁はい⋮⋮どういう状況ですか、これは﹂
思わずそう言ってしまうのも無理はないでしょう?
いつもどこかおどおどしているはずのレフィに限ってこんな大胆
なことをするなんて。
というより明らかに様子がおかしいですし。
﹁レフィ、落ち着いてください﹂
そう言ってわたしは手を振りほどこうとしますが、無駄な抵抗で
68
した。レフィとわたしでは体格が違います。力ではかないません。
﹁ふふ、そんな恥ずかしがらなくてもいいんだよ? リリアちゃん﹂
﹁恥ずかしがってなんていません。そこを退いてください﹂
﹁だーめ♪﹂
艶やかな笑みを浮かべてレフィは言って、
﹁リリアちゃん、ふわふわだぁ⋮⋮﹂
そしてそのままぎゅーっと、わたしを抱きしめながら耳元で囁き
ます。
﹁すきすきだいすきリリアちゃんー♪﹂
と頬ずりされて髪を撫でまわされるがままにされながら、わたし
は半ば脱出を諦め、思考に移ります。
何故こんなことになっているのか。
ふとわたしの脳裏に心当たりの記憶が甦りました。
︱︱ということで、回想、行ってみましょう。
あれは十数時間前の話です。
冒険者がやってくる昼下がりからのピークの時間が過ぎ、売れた
棚の補充作業を終えてやっとのことで一息吐けると思っていた時に、
からんころん! と勢いよく店の扉が開かれました。
﹁あ、いらっしゃいませー!﹂
元気よくそう挨拶をしたのはレフィでした。
入ってきたお客様にしっかりと視線を向け、笑顔を作っての見事
な第一声でした。良くここまで成長したものですね。
当のお客様はというと、きょろきょろと周りを見渡しながら﹁へ
ぇ⋮⋮﹂やら﹁わぁ⋮⋮﹂やら呟きながら目移りしているようです。
しかしそうしていたのも数秒のことで、お客様はふと我に返ったの
か﹁いけないいけない﹂と言ってカウンターの前までやってきまし
た。
﹁この店の店主はどなた?﹂
69
おや、なんと失礼な。わたしが店主に見えないのでしょうか、こ
のお客様は。
﹁いらっしゃいませ。わたしが店主のリリア=クレスメントですが﹂
﹁え、あなたが?﹂
事実を告げると、目の前のお客様は驚いて目を見開きました。
まあ、そういう反応はなれっこではあります。
初見のお客様の多くはそういう態度をとります。しかし本当に失
礼なお客様の場合はこの後にさらに嘘を吐くなと疑ってくるのです
から。
しかしさすがにこのお客様は⋮⋮
﹁嘘を吐かないで。あなたみたいなちっちゃなお人形のような子が、
店主なわけがないじゃない!﹂
⋮⋮うちの店に来たお客様の中でも、トップ10に入るくらい失
礼なお客様でした。
斜め後ろの棚に隠れるレフィが、なんて命知らずな⋮⋮という顔
をしています。
ふふふ、レフィ。わたしはこんなことでは怒りませんよ? 仮に
も相手はお客様。身内のレフィを相手にするのとは訳が違います。
怒ったりなんかしていません。誓って。
﹁帰りやがれですよ﹂
ついぽろっと本音が漏れました。
笑顔を取り繕うことには成功しましたが、言葉までは取り繕うこ
とはできませんでした。
﹁え、な、なんでよ!?﹂
﹁わたしがこの店の店主であることを疑い、かつそれを当たり前の
ように言葉にするような人は早々におかえりください﹂
﹁なっ⋮⋮わ、わたしは客よ!?﹂
﹁店側にもお客様を選ぶ権利はあるのです。取引とは元々対等な立
場の交渉です。売れてほしいが為に丁寧な接客をすることはあれど、
不躾に礼を失する相手に礼を尽くすほどわたしは愚かではありませ
70
ん。お引き取りください﹂
﹁⋮⋮っ﹂
一息でぴしゃりとそう言うと、目の前の相手は言葉を失いました。
まったく、なにやら勘違いしている人が多すぎますね。
取引とは信用。信用とは片方からの一方では成り立たないもので
す。問いに対する返答を信用できないようでは、はなから話にはな
りません。
溜息を吐きながらわたしは視線を本に戻そうとしていると、
﹁⋮⋮⋮⋮悪かったわ﹂
目の前のお客様は、しばしの葛藤の末にそう呟きました。
﹁はい?﹂
﹁だから悪かったって言ってるの!﹂
おやおや? わたしとしては、てっきりそのまま帰ってしまうだ
ろうと思っていたので、彼女の反応は予想外でした。
﹁そんな怒鳴られながら謝られましても﹂
﹁っ⋮⋮ご、ごめん、なさい、わたしが、悪かった、わよ⋮⋮!﹂
噛み潰すように言葉を区切りながら、しかしそれでも目の前の彼
女は頭を下げます。
そこまでして用があるのなら最初から無駄口を叩かなければいい
ものを。そう思わざるを得ませんが、しかし引き下がらない様子を
見るになにやら事情があるようですね。
﹁はふぅ⋮⋮仕方ないですね﹂
自分の面倒見の良さに思わず涙を流しそうになります。
なんてやさしい美少女なのでしょう、わたしは。
﹁話を聞きましょう。あなた、お名前は?﹂
続けてそう言って、わたしは彼女に尋ねます。
﹁⋮⋮イーシャ。⋮⋮イーシャ=F=ティリシアよ﹂
告げられた名前は、うちの店に来るには珍しい種類のものでした。
彼女、イーシャの持つミドルネームのFは貴族の位を指す名です。
貴族とは、いわゆる上層階級の人種。財を築き古くから王家を支
71
える旧家や、国に対して多くの功績を残した者と家系に与えられる
名誉ある称号のことを指しますが、しかし貴族の全員が全員、気高
きものであるかと言えばそうでもありません。
どこの国でも同じく、貴族とは平民に嫌われるものです。
腐敗した上流階級の貴族は下位の者を浅民と見下し、持たざる者
は羨望から貴族に嫉妬する。
王都ミランドには平民という位はありません。平等主義の名の下
に貴族も民衆とひとくくりにされてはいますが、貴族が持つ内向的
な優民意識は深く根付いて離れませんし、貴族ではない民衆も、貴
族に対し、彼らは自分たちとは違う人種だ、と自らの手で一線を引
いてしまっています。
まあそもそも真の意味で平等というのは存在しえないものですか
ら致し方ありません。
話を戻しましょう。
つまり魔法道具店の利用者の多くは冒険者なので、わたしからす
ればこのイーシャという貴族のお客様は珍しいものがあるのです。
﹁で、貴族のお嬢様がうちに何の用で?﹂
聞き方がぞんざいになるのもいたしかたないでしょう。どう見て
も箱入り娘にしか見えない世間知らずの貴族様が持ってくる用件な
んて、面倒なものしかないと容易に想像が付きます。先の暴言も貴
族様特有の傲慢さが招いたことでしょうし。
しかしそんなわたしの想像を別の意味で裏切るように、彼女はこ
んなことを言いました。
﹁︱︱鈍感な幼なじみを振り向かせるために、惚れ薬を作って欲し
いの!﹂
数時間後、わたしとレフィ、そしてイーシャは揃って彼女が言う
72
ところの鈍感な幼なじみを見る為に居住区へ向かっていました。
貴族のボンボンだろうと予想していただけに向かう先が一般の居
住区であることに少々拍子抜けでしたが、イーシャ曰く、
﹁彼とは子供の頃に知り合って、わたしが貴族だと知ってもずっと
仲良くしてくれていたの﹂
彼の名前はロイ=ブラウンというらしく、人柄が良く真面目で穏
和な男性で、両親も彼のことを知っていて、二人の間柄を容認して
いるということ。司書の資格を持ち、王立図書館で日々働いている
⋮⋮とイーシャが説明したところで、レフィがもしかしてと外見を
尋ねたところ、まさかのレフィの知り合いだったことが判明しまし
た。恐らく前にわたしのお使いで本を借りに行っていた時に知り合
ったのでしょう。それはさておき。
﹁しかし惚れ薬なんて使わなくとも、普通に告白すれば良いのでは
ないですか﹂
貴族の娘で両親公認。手に職がある上に穏和で真面目な性格。貴
族という身分に対しても嫌悪を抱いていない様子。幼なじみという
ことは相性が悪いということもないでしょう。わざわざ惚れ薬と使
う必要性が全く感じられません。
わたしがそう言うとイーシャは俯きがちに苦々しく答えました。
﹁したわ⋮⋮告白。何度もしたのよ⋮⋮でも﹂
その時の結果は、惨憺たるものだったそうです。
﹁︱︱あなたのことが好きなの!﹂
﹁あはは、僕も君のこと好きだよ、イーシャ﹂
﹁えっ、じゃあ﹂
﹁子供の頃からの付き合いだろ? 嫌いなはずがないじゃないか﹂
﹁そ、そうじゃなくて﹂
﹁イーシャは僕にとって妹みたいなものなんだからさ﹂
73
﹁い⋮⋮妹⋮⋮﹂
︱︱好意はただの親愛と受け取られ、
﹁ロイ⋮⋮付き合って欲しいの﹂
﹁ああ、うん。いいよ?﹂
﹁⋮⋮言っとくけど、買い物に付き合ってってことじゃないんだか
らね?﹂
﹁わかってるよ。イーシャの気持ちくらい﹂
﹁ロ、ロイ⋮⋮ほんと⋮⋮?﹂
﹁この前言ってたスイーツの店だろ? 女の子ってほんと甘いもの
好きだよね﹂
﹁︱︱ぜんっぜんわかってないじゃない!﹂
︱︱素直な告白は違う解釈をされ、
﹁ロイ⋮⋮その⋮⋮﹂
﹁どうしたんだい?﹂
﹁わ、わたしと結婚して!﹂
﹁決闘? イーシャ、キミって何か武術とかやってたんだっけ?﹂
﹁違うわよ! 決闘じゃないわよ!﹂
﹁それに僕も争いごとは嫌いだし⋮⋮何か怒らせることしたかな﹂
﹁ちが、違うってば!﹂
︱︱最終手段のプロポーズは無残にも聞き間違えられる。
74
聞いただけで同情を誘う天災の如き鈍感さが、イーシャの話の中
の彼にはありました。レフィなんてどこからかハンカチを取り出し
てほろりとこぼした涙を拭いています。
女性の方からプロポーズをするというだけでも苦渋の決断でしょ
うに、それでも攻略不可能とかあれじゃないのでしょうか。
もう呪いでもかかってるのではないですか、そのロイという彼は。
﹁ふむ、それで惚れ薬ですか﹂
﹁そうよ⋮⋮ロイがわたしのことを大切に想ってくれてるのはわか
るわ⋮⋮だからこそ女性として相手をされないのが辛いのよ⋮⋮﹂
惚気にも聞こえなくありませんが、本人からすれば死活問題なの
でしょう。
﹁しかし、あなたは何故惚れ薬などという得体のしれない代物を求
めてわたしの店にやってきたのでしょう﹂
最初に言われた時から気になっていたことの一つを、わたしはイ
ーシャに尋ねました。
﹁え?﹂
﹁惚れ薬は魔法道具ではなく、むしろ魔女が作る秘薬、霊薬でしょ
う? うちの店には置いていたことはありませんし、依頼されたこ
ともないのですが﹂
﹁え、だって、あなた魔女じゃないの?﹂
きょとんとした表情で、そう返されてわたしは﹁あー﹂と半目に
なって小首をかしげます。
﹁イーシャ、あなたは魔女と魔法商人を同一に考えている類の人で
すか﹂
﹁違うの?﹂
もしかしてと思っての問いは的を射ていたようで。
聞いてくるイーシャにわたしは溜息を一つもらします。
﹁はふぅ⋮⋮勘違いしているようなので、説明しましょうか。レフ
ィ?﹂
75
隣のレフィに話を振ると、レフィは﹁えっと⋮⋮﹂と不安げに前
置いて、たどたどしく説明をはじめます。
﹁魔法商人は素材の特性を引き出して魔法道具を作るのに対して、
魔女は伝承や迷信で語られる﹃曰く﹄⋮⋮﹃呪物﹄を媒体にして薬
を作る⋮⋮んだよね?﹂
﹁言葉が足りないところもありますが、おおむねはそうですね﹂
前に一度説明しただけなのに、良く覚えているものです。叱るチ
ャンスを逃しました。
﹁おとぎ話などで聞いたこともあるでしょう。魔女が鼠の尻尾や蝙
蝠の爪、深海魚の瞳や土竜の髭を材料にする話を。それはその素材
そのものに﹃曰く﹄があり、その﹃曰く﹄を調合することによって
通常の素材の調合や合成では得られない効果の秘薬、霊薬を作りだ
すことができるのです。そうした秘薬、霊薬を作りだすことが出来
る者たちのことを、一般的には魔女といいます﹂
これは魔法的なアプローチではなく、魔術的なアプローチから来
る製法ですね。
もっとも、曰くとは即ち人々の恐怖や願いが凝縮された呪物であ
るが故に、魔女が作る秘薬、霊薬には副作用があるものが多いので
すが。
﹁対して魔法商人はあくまでも素材の持つ特性を魔法によって引き
上げたり、特性を合成して違う特性を持つ魔法道具を作ったりする
者たちのことです。知らない人は魔女と魔法使いと魔法商人を混同
しがちですが、れっきとした住み分けがあるのですよ﹂
﹁そう⋮⋮なのね﹂
レフィの簡単な説明にそうやってわたしが補足すると、イーシャ
はそう言って頷きました。
﹁それに魔女は性格が歪んでいる人が多いですからね。わたしのよ
うな清く正しい美少女とは大違いの存在です﹂
﹁﹁え⋮⋮﹂﹂
言った途端、レフィとイーシャの声が重なりましたよ。
76
﹁リリアちゃん⋮⋮それは無理があるよ⋮⋮﹂
レフィに至ってはまさかの追撃まで放ってくる始末。
﹁ふふふ、レフィは今晩夕飯が要らないようですね﹂
﹁そ、そんなこと言ってるからリリアちゃんは魔女と間違えられる
んだよ!﹂
ずいぶんとかわいいことで魔女と間違えられるものです。それに
どうせ夕飯抜きにしたところで、自分で何か買って食べるのでしょ
うから大丈夫でしょう? ちゃんと給料も渡しているのですから。
﹁はふぅ、こんなことで魔女と間違えられるなら、世の中魔女だら
けですよ﹂
﹁そうね⋮⋮と、ここよ﹂
そんな話をしていたらやっとのことでロイの家の前に着いたらし
く、イーシャの言葉にわたしはさてとと気を入れなおします。
﹁ではレフィ。とりあえずノックして出てきたら適当に話をしてき
てください﹂
﹁えぇ!? な、なんで、イーシャさんの役目じゃないの!?﹂
レフィは驚きに声を荒げました。それにイーシャも同意します。
﹁そうね、わたしが言うのもあれだけど⋮⋮あの子で大丈夫なの?﹂
﹁ええ。幼なじみであるあなたが行くよりも、なじみの薄いレフィ
に行かせて反応を見たいですし﹂
なにより、レフィの方が面白い反応をしてくれそうですしね。ふ
ふふ。
﹁うぅ⋮⋮ぜったいリリアちゃんさっきのこと根に持ってるからだ
⋮⋮﹂
レフィは嘆きながらもロイの家の扉の前で深呼吸を何度か繰り返
しています。
レフィが言うことはまさにその通りですが、撤回するつもりなん
てさらさらありません。わたしとイーシャは向かいの木陰に隠れて
様子を見守ります。
﹁あの⋮⋮ごめんください⋮⋮﹂
77
控えめな、とても控えめなノックをして、レフィは及び腰で扉に声
をかけます。
いつものお店での元気のよい挨拶とは雲泥の差。まるで初めてうち
の店で働くようになった時のような態度ですね。
思えばもう既に五か月ですか。何にも怯えて過ごしていたころに
比べれば、これでもマシになった方ですが、それでもレフィは圧倒
的に経験が足りなさすぎます。だから、でもないですが、わたしは
ことあるごとにこうして彼女に経験を積ませているというわけです
⋮⋮いえ本当ですよ?
﹁⋮⋮⋮⋮リリアちゃ﹂ん、居ないみたいだよ、と恐らく繋げるつ
もりだったのでしょう。木陰に隠れるこちらに視線を向けて途中ま
で言った瞬間、中から﹁はいはーい﹂と声が聞こえてきてレフィの
動きが完全に硬直しました。
﹁すいません、お待たせしました﹂
出てきたのは茶色の短髪の温和そうな男性でした。彼がイーシャ
の言うロイなのでしょう。
﹁い、いえ⋮⋮っ﹂
相対するレフィはそう言って、真っ赤に赤面しながらあたふたと
続く言葉を模索して、
﹁⋮⋮あ、あのそのえっとその⋮⋮っ!﹂
ぐるぐると目を回しながら口ごもる様子に、わたしはにやけが止
まりません。ふと視線に気が付いて隣のイーシャを見ると、イーシ
ャはわたしを見て軽く引いていました。何故ですか。
﹁⋮⋮あ、あの? どうかなされたのですか?﹂
再びレフィの方へ視線を移します。レフィのあまりの狼狽ぶりに、
ロイは困った顔でそう尋ねていました。
ふむ⋮⋮仕方ないですね、話が進まないですし、そろそろ助け舟
を出しましょうか。そう思っていると、追い詰められたレフィはと
んでもないことを口走りはじめました。
﹁そ、その︱︱っ、ろ、ロイさんは、イーシャさんのことをどう思
78
っているんですか!?﹂
﹁ちょ︱︱っ!?﹂
これには隣のイーシャも驚きが隠せなかった様子で、思わず叫び
そうになるのをすんでのところで堪えることに成功していました。
﹁え⋮⋮えぇっと?﹂
ロイもいっそう苦笑いを浮かべながらしかし、ふと何か気が付い
たのかレフィを凝視しました。
﹁ふ、ふぇ!?﹂
見つめられたレフィはびくりと飛び跳ねるように驚き、視線をあ
ちこちに彷徨わせています。
﹁ああ、ごめん。えっと、確か前に図書館で会ったことがあるよね
? ひょっとして、イーシャの知り合いなのかな?﹂
﹁は、はいそうです!﹂
ロイから切り出された話に、レフィは一も二もなく飛びつきます。
どんなけ切羽詰っているのですか、あなた。
﹁そっか、だからさっきの⋮⋮もしかして、イーシャに聞いてきて
ほしいとか頼まれたとか?﹂
﹁ち、違います! ごめんなさい、さっきのは、わたしが気になっ
ただけで⋮⋮いきなり変な質問をしてごめんなさい⋮⋮﹂
﹁あ、いや⋮⋮気にしなくていいよ﹂
そう言ってあははと笑うロイに多少の安堵を覚え緊張がほぐされ
たのか、レフィはほっと胸をなでおろします。
﹁うぅ⋮⋮ありがとうございます。わたし緊張しちゃうと良く変な
こと言っちゃうから⋮⋮﹂
わかっているなら直してほしいところです。テンパってお客様へ
の対応を誤るという事態が発生すると本当に困りますし。
﹁そっか、でも本当に気にしなくていいよ。⋮⋮それより僕は、イ
ーシャに君みたいな友達が居たことの方が驚いたよ﹂
﹁そ、そうなんですか?﹂
﹁うん。イーシャって意地っ張りでちょっとひねくれてて、友達が
79
居なさそうだったから少し心配だったんだ﹂
﹁へ、へー⋮⋮そうなんですかー⋮⋮﹂
レフィが棒読みなのは、イーシャが聞いていることがわかってい
るので返答に困っているのでしょう。当のイーシャは小声で﹁あん
たはわたしのお父さんか⋮⋮っ!﹂なんて憤慨していますし。小声
で憤慨するなんて、器用な真似が出来ますね。
﹁? 何か言った?﹂
﹁さ、さあ、どうでしょう?﹂
イーシャの声が届いていたのか、ロイは不思議に首をかしげなが
ら、少しだけ考える素振りを見せ、
﹁⋮⋮でも、さっき君が⋮⋮えっと﹂
﹁あ、わたしはレフィーナです﹂
﹁ありがとう。⋮⋮で、レフィーナさんがさっき言ってた、僕がイ
ーシャのことをどう思っているかっていう質問なんだけどさ﹂
そう前置いて、ロイは苦笑交じりに言葉を続けます。
﹁︱︱イーシャは僕にとって誰よりも大切な人だよ。それこそ、ず
っと一緒に居たいくらいに﹂
﹁わ⋮⋮﹂
﹁ま、まぁ恥ずかしくて本人には言えないけどさ。⋮⋮僕にはまだ
まだ足りないことが多すぎて、彼女と釣り合わない気がするんだ﹂
︱︱でも。
と言葉を区切り、ロイはさらに言葉を続けます。
﹁いつかきっと、もっと僕が立派になったら、この想いを告げたい
って、そう思うんだ﹂
力強く宣言するように、ロイはそう言い切りました。
﹁あはは、ごめんね。いきなりこんな話をしちゃって﹂
﹁い、いえっ、わたしの方こそ、ぶしつけな質問だったのに答えて
くれたみたいで、ありがとうございます⋮⋮っ﹂
そう言って、レフィは勢いよく頭を下げます。
﹁一応、イーシャには内緒にしといて欲しいな。本人に言ったらき
80
っと怒りそうだからさ﹂
﹁は、はいぃ⋮⋮﹂
目を逸らしながら言う嘘のつけないレフィの様子に、これは人選
ミスだったかもしれないと思いながらも、しかし想像以上の成果を
得られたのでよしとしましょう。
隣に視線を向けると、顔を真っ赤にして頬に両手を当てながら俯
き視線の焦点が合わないイーシャが居ました。ぶつぶつと﹁えだっ
てわたしがいったときはきがついてなかったようなけどもしかして
きがついててわざとでもでもそんなえっとええええええ﹂などと錯
乱してわけのわからないことを供述しており。
﹁はふぅ⋮⋮うれしいのはわかりますが、落ち着いてください﹂
わたしはイーシャのおでこにでこぴんをかまして現実へと引き戻
します。
﹁いたっ! い、痛いってことは⋮⋮夢じゃないのね﹂
夢見心地だったのですか。
しきりに礼を言いながら家の中に入ってゆくロイに頭を下げるレ
フィを横目に、わたしはイーシャに言います。
﹁⋮⋮それでまだ惚れ薬とか要りますか?﹂
正直、惚気を延々聞かされて結局両思いでしたきゃっ♪ 的な展
開で胸やけ気味なのです。
投げやりにそう尋ねると、イーシャは首を振って答えました。
﹁いいえ♪ 要らないわ﹂
まあ、当然でしょうけど。
﹁はふぅ⋮⋮まさに骨折り損ですね⋮⋮﹂
向こうからやってくる憔悴したレフィと共に喜ぶイーシャを眺め、
わたしは深いため息を一つ吐き出しそう言いました。
81
Episode4.正しい︻惚れ薬︼の作り方。︲後日談︲
後日談
憔悴した面持ちで店に戻ったわたしとレフィは、店の敷居をくぐ
った瞬間、再びぐったりと肩を落として溜息を吐きました。
一応申し訳程度の報酬は頂きましたが、何でしょうねこの徒労感。
色恋沙汰に振り回されるとはまさにこんなことを言うのでしょう。
本当に、人の恋愛に口を出すとか、ろくなことがありませんね。
﹁えっと、リリアちゃん⋮⋮とりあえず晩御飯作るね?﹂
﹁⋮⋮そうですね。お願いします。わたしは地下に行ってきます﹂
今日は無駄に疲れたのもあってなるべく早く寝たいので、売れた
商品の新しい作成や在庫のチェックなどは早めに終わらせておきま
しょう。
のろのろと地下への階段を下り、在庫と買い取った素材を確認し
ながらポーションやら毒消しやらを作業的に量産してゆきます。
ややあって、冷温庫にぎっしりと詰まった各種魔法道具を見て、
わたしは少し気が晴れて微笑みます。これで明日になればまた、お
店の品揃えが充実することでしょう。
季節柄雨が多くなってくるこの時期は素材の買取が落ち込む傾向
にありますが、今年は今のところ困るほどに買取が減ってはいない
のが助かるところです。
なんだかんだで、レフィの存在も大きくなってきていることもあ
ります。
あまり言うと調子に乗るので本人には言いませんが、レフィは金
髪碧眼の美人さんで、最近の顧客の中にはレフィを目当てで来てい
るお客様も居るくらいです。一度目二度目と慣れてくると接客の態
度も緊張が抜けてやわらかくなってくるので、何度目で笑顔の挨拶
をかけられたのか自慢比べをする救いようのない男どもも居ますし。
82
別件で、わたしに冷めた目で見られる為にわざと愚かな質問をする
お客様や、妙な素材を持ち込んでくるお客様も居ます。
本人たちは気が付かれないようにしているみたいですが、ぶっち
ゃけ商人同士の情報網はそれほど甘くはありません。些細な情報で
すらどこからともなく入ってくるものなのです。
ふと、そう言えばとわたしはレシピ帳を取り出します。
わざわざ思い出すのもなんですが、今日イーシャが言っていた惚
れ薬なる代物。
再びああいったろくでもない依頼が舞い込むかもしれません。
先に述べた通り、魔女の領分かもしれませんが、もし作れるので
あればそれにこしたことはありませんし。
ぱらぱらとページを捲り、使えそうな素材、調合によって変化す
る特性を用紙に書き出してゆきます。
惚れ薬と言いますが、要はあれでしょう。猫にまたたび的な、興
奮を誘う薬でしょう?
滋養強壮に紅人参の根っこ。人を興奮状態にするキーリカの葉。
お酒の酔いに近い症状を与えるアルコルの角片。ここらへんが基本
材料でしょうかね。
他にもいくつかの素材を用意し、組み合わせを変えて分離機にか
け、メモを記しながら調合し、水溶液に浸透させてゆきます。
調合しても成功しているかどうか、どういう効果が望めるのかが
大まかにしかわからないのは不便です。一応それっぽい薬はいくつ
か出来ましたが、実際の効果は試してみないことには正確にわかり
ません。
さて、どうしたものでしょう。
﹁リリアちゃーん? ご飯できたよー﹂
そう考えるわたしに降ってきた天の声とはまさにこのことでしょ
う。
﹁︱︱はい、すぐに行きますよ﹂
レフィの声にわたしはこれだと確信してにやりと笑って返事を返
83
し、惚れ薬の試作品の中から一番の自信作を手に取り、レフィが待
つ夕飯のテーブルへと赴きました︱︱。
︱︱はい。以上回想終了です。
ずいぶん長い回想でしたが、恐らくは昨日レフィの食事に混ぜた
惚れ薬︵仮︶の効果が今頃になって効いてきたのでしょう。
完璧にぬいぐるみ扱いされている我が身をさておきそう考えて、
効果がいつになれば切れるのかと、思いを巡らせます。
﹁リリアちゃーん♪ ふわふわー♪﹂
⋮⋮この調子だと、本日の営業は中止でしょうか。
﹁はふぅ⋮⋮﹂
しかし今回ばっかりはレフィの責任ではありませんし、仕方ない
と割り切って、わたしはその後数時間にわたりレフィに抱きしめ撫
で回されるのでした。
︱︱魔法道具販売店リリアーヌでは、試験薬の被験者も募集して
おります。
試作品作成の際には、ぜひぜひこぞってご来店を、お待ちして
おります。
84
Episode5.正しい︻聖剣︼の作り方。
ちらほらと雲が見え、気持ちのいい陽気の若草の月のとある日。
王都ミランドの大通りから一本はずれた老舗通りに、代々続く風
格のあるお店とは一線を画す、お菓子の家のような、どことなく異
彩を放つファンシーな見た目のお店が存在します。
﹁頼む、聖剣を作ってくれ!﹂
そんな言葉から、その日の出来事は始まりました。
昼下がり。客足もだいぶ収まり、品出しに翻弄されていたレフィ
がやっとのことで一息ついていた、まさにそんな時刻の出来事でし
た。
セイケンを作ってくれ。政権を作ってくれ? ⋮⋮聖剣を作って
くれ?
﹁お客様。寝言は寝ていうから許されるのですよ?﹂
わたしはやんわりと、お客様の正気を疑ってみました。
なんにせよ、まともな依頼ではないと判断したからです。
﹁寝言なんかじゃない、金ならいくらでも出す! だから頼む、聖
剣を作ってくれ!﹂
すごい台詞をわたしは聞きました。
金ならいくらでも出す! というちょっとアレで陳腐な台詞もさ
ながら、聖剣をお金で買おうとする根性がそもそも、聖剣を持つ者
として根本から間違っていました。
﹁お客様は、聖剣をお金で買えると思っているのですか?﹂
直訳すると﹁さっさと帰ってください﹂なのですけれども、お客
様はわたしのそんな意図に気付く様子もなくしれっとこういいまし
た。
85
﹁この世界で、お金以外に価値のあるものなんてあるのか?﹂
⋮⋮おおぅ⋮⋮なんというか⋮⋮むぅ⋮⋮なんとも深淵な問いで
した。
確かにお金も大切でしょう。けれども、もっと大切なものがある
はずです。
例えばそう⋮⋮愛とか、ですか?
⋮⋮愛で、商品が売れれば万々歳なのでしょうけどね。
⋮⋮愛で、素材が買えればどれほどいいでしょうね。
⋮⋮愛で、魔法道具が作れれば不満もありませんけどね。
わたしはあれやこれやと、愛があれば店が繁盛するかどうかしば
し考え、
﹁確かに、お金以外に価値のあるものなんてありませんね﹂
﹁そうだろう?﹂
そう結論付けました。
﹁り、リリアちゃん⋮⋮でも、きっともっと他にも大切ものがある
はずだよっ?﹂
﹁ほう、例えばなにですか?﹂
両手を胸の前でぐっと握って言うレフィに、わたしは問いかけま
す。
﹁た、例えば⋮⋮えっと、愛とか!﹂
レフィは答えました。
あなたもですか。あなたもそれを引き合いに出しますか。
﹁はふぅ。ではレフィ。愛があれば商品が売れますか?﹂
﹁う⋮⋮売れるよ?﹂
レフィは少しだけ考えて、そう言いました。
愛を振りまいて販売すれば、確かにわたしの愛くるしい姿に顧客
が増えるかもしれませんね。その分要らぬトラブルも増えそうな気
がしますが。
﹁では愛があれば素材が買えますか?﹂
﹁う⋮⋮それは⋮⋮﹂
86
次の質問を投げます。レフィは答えに詰まりました。
想像したのでしょう。愛では難しいでしょうね。いくら愛を振り
まいたところで売りに来ていただけるお客様は、愛ではなくお金を
求めて来ているのですからね。
﹁では愛があれば魔法道具が作れますか?﹂
﹁うぅぅぅ⋮⋮⋮⋮﹂
さらなる質問を投げかけると、レフィはもう半分涙目でした。
絶対的な才能が必要な事柄の前では、愛はなんとも無力なもので
す。
愛情を込めても才能がなければ生成は難しいでしょう。
﹁け、けど、愛があったらリリアちゃんがやさしくしてくれるかも﹂
﹁現実を見ましょう。レフィ﹂
遮って、やさしく諭すようにそう言ってあげるとレフィは死んだ
魚のような目になり、﹁いいもんいいもんきっといつかリリアちゃ
んがやさしくなってくれるってわたししんじてるしんじてるしんじ
てる⋮⋮⋮⋮﹂などと呟いていました。
儚い幻想に逃げ込みすぎると後がつらいですよ。レフィ。
﹁さて⋮⋮冗談はともかくとして﹂
わたしは絶賛放置しっぱなしだったお客様に向き直り、上から下
までじっとお客様を観察します。灰色のズボンに黒のインナー。軽
装の皮鎧をジャケットのように羽織、腰には長剣が一本。見るから
に趣味が悪そうな豪奢なデザインです。何と言いますか、これから
はじめての冒険に出かける為に貴族のおぼっちゃんが奮発して金に
モノを言わせて装備を揃えたような、そんな違和感。もちろん、わ
たしに見覚えもありません。
だからわたしは目線をお客様に合わせて、
﹁いくらお金を積まれたところで、お断りします﹂
言ってやりましたよ。
﹁な、何故だ!?﹂
驚いていますが、何故と言われても当然でしょう。
87
﹁そもそもあなたは何故聖剣が欲しいのですか?﹂
﹁それはもちろん、かっこいいし強いからだ!﹂
言い切る男に、わたしは開いた口が閉まりませんでした。
﹁再度お断りします。⋮⋮聖剣を扱うにはあなたは資格が足りなさ
すぎます。そして、もっと重要な点がもう一つ﹂
ぴっと指を立てて、わたしは続けます。
﹁何故鍛冶師のところではなく、わたしのところに依頼に来るので
すか。この店は魔法道具販売店ですよ。剣が欲しければ鍛冶師のと
ころや武器屋にでも行ってください﹂
そう、何故わたしのお店に来る人は、明らかに取り扱っていなさ
そうなものを求めてうちに来るのでしょう。
﹁もちろん行ったさ。王都でも有名な鍛冶師、ユークリウス=フォ
ルネルシアのところへ行って一週間扉の前で懇願したさ!﹂
うわぁ⋮⋮何をしてるのでしょうこの人。一週間も扉の前で懇願
するとか、営業妨害もいいところです。ストーカーの類として騎士
団に通報されてもおかしくないくらいに。
しかも、王都ナンバーワンの鍛冶師とも言われるユークリウス=
フォルネルシアと言えば、連日騎士団や冒険者からの依頼が絶えず
休む暇もないくらい忙しい鍛冶師です。それなのにこんな妙な依頼
人に連日まとわりつかれるとか、いったい何の拷問でしょうね。ご
愁傷様と言わざるをえません。
﹁けれども彼女は、俺に聖剣を作ってくれなかった⋮⋮﹂
それで作ってもらえると思っていたのなら、本当にこの男の頭に
は何か虫でも湧いているのではないでしょうかね。
﹁が、しかし!﹂
うなだれる男でしたが、しかし唐突に勢いよく顔を上げ、意気揚
々とわたしの方へと手を差し出しながら続けます。
﹁彼女はこうも言った。﹃アンタの為に聖剣を作ることは出来ない。
けど仮に⋮⋮そうだね。魔法道具販売店リリアーヌの店主、リリア
=クレスメントが作っても良いと言ったら、あたしは今ある依頼を
88
全て後回しにしてでも、剣を作ってあげよう﹄と!﹂
⋮⋮はぁ。つまり。これは、あれですか。
﹁⋮⋮面倒になったのでわたしへと丸投げしたという訳ですか、ユ
ーリ⋮⋮﹂
ユークリウス=フォルネルシアとわたしは、既知の仲です。少な
くとも彼女のことをユーリと呼ぶ程度には親しい交流があります。
鍛冶師と魔法商人。商売人としての横の繋がりはもちろん、数少な
い友人としての交流もある稀有な存在です。もっとも先に言った通
り、彼女は忙しい身なのであまり会うことはできませんが。
しかし聖剣という存在が絡むとなると、だからこそでもないです
がわたしのところへと話を振ったのでしょう。
﹁ああもう⋮⋮﹂
一から十まで説明する暇はないのはわかりますが、こんな面倒そ
うな人を連絡もなしに振ってくるのはやめてほしいところです。
﹁作ってくれる気になったのか?﹂
そしてこの勘違い野郎は盛大にうざいですし。
もうレフィに丸投げして魔法道具精製室にこもりきりになりたい
気分になりましたが、しかし聖剣なんて代物について説明する機会
もなかったので、レフィはほとんど知識がありません。あまり彼女
に触れさせたくない話題でもありますし。
﹁はふぅ⋮⋮いいですか﹂
盛大に溜息を吐いて、わたしは仕方なしに説明をはじめます。
﹁聖剣とは、誰もが扱える代物ではないのです﹂
﹁それはわかってる﹂
おや、少しは知識があるのでしょうかと思ったのも束の間。
﹁俺のように生まれ持った天性の才能がある者にしか使えないんだ
ろう?﹂
﹁レフィ、この馬鹿をぶん殴ってください﹂
﹁え、えぇぇぇ!?﹂
これまでのこの男の発言を聞いて居てなお甘い幻想を抱いていた
89
自分に嫌気がさしました。
﹁ふふふ、わかりました。わかりましたよ。とりあえずあなた、お
名前は?﹂
ごそごそとカウンター下を漁りながら、わたしは尋ねます。
﹁なっ⋮⋮この俺、フロスト=K=フランヴェルジュを知らないと
いうのか!?﹂
﹁︱︱ああ、クローウディア家の、ですか﹂
貴族の手合いなんてほんとどうでもいいのですが、クローウディ
アは王家を支える貴族の中でも有名ないわゆる筆頭貴族です。この
フロストという男はそこの息子なのでしょう。
権力を持つ家柄の息子とは、また面倒ですね。ユーリがストーカ
ー被害で騎士団に通報をしなかったのも、そこが関係しているので
しょうかね。
いかに騎士団が王都の自治を公言していようと、貴族の持つ権力
の力は絶大です。
王家の私財もありますが、貴族の投資もあって王都は成り立って
いるのです。王都を護る騎士団もまた然り。となれば、多少の融通
は利くというものです。まったく腐っていますね。
﹁ということで、てい﹂
わたしは可愛らしいかけ声と共に、カウンター下から取り出した
小さな小瓶の中身を、フロストに向かって投げかけました。
﹁なっ、何を⋮⋮っ!? ⋮⋮っ!?﹂
いきなり謎の液体を頭からかけられるという暴挙にフロストは何
か言いたげでしたが、ふふふ、どうやら身体がしびれてきたようで
すね。床に膝を突き動けない様子です。
﹁り、リリアちゃん、これって⋮⋮﹂
﹁即効性の痺れ薬ですね﹂
痺れ薬の入っていた小瓶をカウンターの上に置き、わたしは回り
込んでフロストの前に立ちます。貴族が跪いている様子は滑稽です
ね。はっはっは。⋮⋮ではなく。
90
﹁説明してる最中に無駄口を挟まれると面倒なので、少し黙っても
らうことにしました。何か反論はありますか? ありましたら次は
毒薬を飲ませますが﹂
冷めた目で見下ろすと、フロストは血の気が引いた青白い顔で首
を横に振りました。
﹁よろしい﹂
まあ、憂さ晴らしはこの程度でいいでしょう。わたしは満足して
頷きやっとのことで本題の説明に入ります。
﹁先ほども言いましたが、聖剣とは扱える者が限られているのです﹂
レフィもちゃんと話を聞く体勢に入り、メモ帳を取り出しわたし
の言葉に耳を傾けています。
﹁そもそも聖剣とは、正義の伝承を宿した剣のことを指します。魔
物との戦争で勝利をもたらしたカリバーン。天使が世界に安寧をも
たらすために作ったとされるシルフィソラリス。有名な聖剣といえ
ば、この二つでしょう﹂
所在はどちらも不明ですが、この二つはおとぎ話や神話にも出て
くるくらい有名な聖剣です。
﹁また、それとは違い魔剣という武具も存在します。レフィ、違い
がわかりますか?﹂
﹁え、わ、わたし? ⋮⋮えっと⋮⋮ごめんなさい﹂
﹁まあ仕方ないですね。︱︱魔剣とは魔法や特性が込められた剣の
ことを指します。これらは使い手の魔力を吸い取り、剣に込められ
た魔法や特性を発現させることが出来る武具のことです。二つの違
いを簡単に述べれば、伝承を宿しているか否かですね﹂
すっと目を細めながら、わたしはフロストへと視線を向けます。
﹁魔剣は魔力を持つものならば比較的誰でも扱えます。︱︱けれど
も聖剣は、剣の伝承を持つに足る伝承を持つ人でなければ、最悪の
場合、手にした瞬間拒絶反応で腕がちぎれ飛びます﹂
﹁そ、そんなに危ない物なの?﹂
﹁ですね。製造した聖剣などの場合だと、弾かれるか骨折する程度
91
で済むかもしれませんが、それでも大怪我を負うことは間違いない
でしょうね。精神的な干渉で廃人になることもありますし﹂
フロストがごくりと唾を飲み込む音が、聞こえました。
﹁囃し立てられ英雄の武具と祀り立てられる聖剣とは、つまりは呪
具なのです。勝利へと導く呪い、世界を平定する呪い、その領分は
魔女の領分です。聖剣を作るとなると、鍛冶師と魔法商人、そして
魔女の手伝いが必要になります﹂
ユーリとは面識がほとんどありませんが、わたしには魔女の知り
合いも存在します。
だからこそ、ユーリはフロストをわたしに振ってきたのでしょう。
仮に作るとなった場合でも、コネクションがあるわたしが仲介に入
らなければ成り立ちませんから。
わたしは棚へと歩いてゆき、魔法道具を一つ手に取ります。
﹁仮に聖剣を作ったとしても、一介の冒険者でもなく、功績もない
あなたでは聖剣には認められないということです﹂
取ってきた魔法道具⋮⋮万能薬をフロストにかけながら、わたし
はぴしゃりと告げました。
﹁⋮⋮で、でも、俺は⋮⋮﹂
麻痺が解けたフロストは、それでも納得がいかないのか、こぶし
を握り行き場のない感情に身を震わせます。
﹁なんですか。あなたがクローウディア家の者だから、ですか?﹂
﹁そ、そうだ! 俺は王家を建国の時代から支えてきたクローウデ
ィア家の息子だ! 聖剣を持つ資格はその功績で十分じゃないか!﹂
水を得た魚のように元気になるフロストに、わたしは深く息を吐
きます。
﹁その功績は、あなたの功績ではありません。家名の威を借るだけ
の者が、聖剣を扱えるはずがありません﹂
﹁そ、そんなことはやってみなければわからないだろう!﹂
それでもなお食い下がるフロストに、わたしはそこまで言うのな
らば仕方ないと、レフィへと視線を向けます。
92
﹁レフィ﹂
﹁はい﹂
﹁︱︱いいですか?﹂
問いの内容がわからずフロストは怪訝な顔をしていますが、レフ
ィは言われた言葉の意味を理解したのか、瞳を伏せて悩む仕草を見
せ、そして、
﹁⋮⋮うん、いいよ、リリアちゃん。いこ﹂
決心したように頷いて、レフィはそう言いました。
﹁お、おい、行くってどこへ﹂
﹁ついてきてください﹂
そう言ってわたしはレフィの手を引き、店を出て老舗通りから大
通りへと移動します。そこから北上してゆくと噴水広場を中心にし
た十字路があり、そこを右へと曲がりややあって、
﹁おい、ここって﹂
﹁着きました﹂
見知ったアトリエの扉を無造作に開けて、中へと入ります。
中に入って真っ先に目に入ったのは、いつも通り鉄骨や工具がそ
こかしこに散らばっている光景。次いでカン⋮⋮カン⋮⋮と一定の
リズムで響く熱の籠った室内には炉の炎と熱せられた鉄だけが光を
放ち、それに向かい一心不乱に槌を振るう女性。
﹁⋮⋮ああ、ごめんね、いま立て込んでるから仕事の依頼ならまた
別の日に﹂
相変わらず、ものすごい集中力ですね。人が入ってきたというの
に、振るう槌のリズムは一切変わらず。定型句を言いながらも一切
の感情を言葉に込めず、鉄骨に集中しているその背中に、わたしは
声をかけます。
﹁ユーリ、わたしですよ﹂
﹁え、リリア?﹂
背を向けたままで槌を振るう炎のように赤い髪を後ろで一つにま
とめた女性⋮⋮ユーリへと声をかけると、彼女はあろうことか振り
93
上げていた槌を放り投げ、一目散にわたしめがけて飛びついてきま
した。
﹁おお、このすべすべ感はまさにリリアだね。うりうり、おねーさ
んに何か用なのかい?﹂
﹁何か用なのかい、じゃないです。聖剣の一件の話ですよ。煤だら
けになります、手を放してください﹂
煤だらけの手で抱きしめ頭を撫でてくるものですから、後でべた
べたしそうです。
これが無ければ、かっこいい女性なのですけどねぇ。
﹁いやよ。あー、あれかぁ。結局どうなったの?﹂
そう言うユーリにはどうやらわたし以外目に入っていないようで。
後ろに佇むレフィとフロストの方を指さすと、ユーリは指さした
先に視線を向けずにわたしを撫でまわすことに必死になっていまし
た。ちょっと、良いからさっさと指さした先を見てください。頬を
両手で挟んで無理やり横を向けると、ユーリはやっとのことで二人
の存在に気が付いたのか、
﹁あー、あー、うん、なるほどね﹂
﹁これから、墓参りに行こうと思っています﹂
﹁そっか⋮⋮うん﹂
ユーリはそう頷いて何も言わずにレフィへと一度視線を向けた後、
炉の炎を落としてどこからともなく酒瓶を取り出して言います。
﹁じゃあ、行こうか﹂
﹁ちょっと待て待て。⋮⋮墓参りってなんだ﹂
話についていけていないフロストがアトリエを出て行こうとする
わたしたちにそう尋ねます。﹁まあ、すぐにわかりますよ﹂
説明するよりも見た方がわかりやすいでしょう。
そう言ってわたしたちはユーリを連れて、再び外へと出ます。
そのまま歩くこと数十分。
王都ミランドの北西区画。
教会や孤児院が建ち並ぶ一角の路地をさらに奥へと進んでゆくと、
94
そこには名も無き小さな墓が一つ、ひっそりと存在しています。
墓碑銘も無く、暫く誰かが訪れた形跡もないにも関わらず、見る
人にはそれが墓標だと、一目でわかる光景が、そこにはあります。
墓石の前に突き立つ銀色の剣。美しき光を悲しげに放つ、一振り
の名も無き聖剣︱︱。
知らない人からすれば誰の墓なのかもわからないでしょうが、そ
の墓所を護り続ける聖剣はどこまでも気高く、草木すら寄せ付けず
その場に佇んでいました。
一歩前に進み、わたしは振り返って順に視線を送って、最後にレ
フィへと確認の意味を込めて視線を留めます。
﹁︱︱︱︱﹂
こくりと頷いたレフィを見て、わたしはとある冒険者の物語を語
り始めます。
﹁幾度となく魔物の脅威から王都を救い、たった一人の家族の為に
命を賭してまで伝説へと挑んだ、剣聖と呼ばれた人物。︱︱ここに
眠るのは﹃竜殺し︵ドラゴンスレイヤー︶﹄グレンヘイス=アーシ
アという名前の冒険者です﹂
﹁なっ、﹃竜殺し﹄のヘイス⋮⋮っ!?﹂
フロストの瞳が驚愕に見開かれます。﹃竜殺し﹄のヘイスと言え
ば、王都ミランドに住まう人ならば誰でも知っているであろう名前
です。最強の冒険者と呼ばれ、最期には死と引き換えに﹃竜殺し﹄
の称号を得た英雄。
︱︱つい8か月ほど前まで実在していた冒険者の名前です。
﹁齢26にして、王都の騎士団の精鋭でもほとんど相手取ることが
出来ないほどに腕が立つ冒険者。グレンヘイス=アーシア。その彼
があたしに剣を打ってくれと頼みに来たのが、去年の雪の日だった
よ﹂
その話はわたしにも関係のない話ではありません。
ユーリとわたし、後一人魔女を含めた三人での大掛かりな共同作
業でしたから。
95
﹁銀の刀身は決して折れることなく、どんなものでも切り裂くこと
が出来る。手にした者に﹃大切なモノを護る﹄為の強大な力を与え
る、名も無き聖剣⋮⋮。それがあれだよ﹂
﹁作った時、正直、わたしたち製作者三人はヘイスでも使えるかど
うか怪しいと思っていました。けれども予想に反してヘイスはその
聖剣を手に取ることが出来たのです。何故だかわかりますか﹂
果たしてそれは、希望的観測だったのかもしれませんが。
﹁⋮⋮⋮⋮資格?﹂
そう。聖剣を持つに足る資格が、彼にはあったのです。
伏せた視線をそのままレフィに向けると、レフィは俯いたまま、
けれどもそこは誰にも譲れないというように、絞り出すように言葉
を紡ぎました。
﹁⋮⋮兄⋮⋮ヘイスは、わたしの為に、ドラゴンと戦ったんです⋮
⋮﹂
レフィーナ=アーシア。
グレンヘイス=アーシア。
たった一人の家族。
妹の病気を治す為に、無謀と知りながらもドラゴンへと挑んだ英
雄。
﹁聖剣はその願いを叶える為にヘイスに力を貸しましたが、払った
犠牲は大きすぎるものでした﹂
大切なモノを護るための剣。レフィの命を救った剣。その対価は
︱︱自身の命。
﹁そんな⋮⋮それじゃ、まるで⋮⋮﹂
﹁そう⋮⋮呪いです。言ったでしょう? 勝利を必ずもたらす聖剣
の裏には、戦には勝てども既に帰る国は滅ぼされていたという結末
が。世界を安寧へ導く聖剣の裏には、人類、魔族、魔物問わずの平
等な破壊が存在します﹂
﹁そんな⋮⋮﹂
呟いて、フロストはその場にへたり込みます。
96
もしもあの時。
ヘイスが素材を持ち込みわたしに依頼をしてきた時、聖剣の作成
を断わっていたなら、もしかしたら彼はまだ生きていたのかもしれ
ません。
けれどもそれは、レフィの死を意味します。
どれだけ優秀な医者やヒーラーですらも治せない。魔法道具を用
いたとしても、決して癒すことの出来ない正真正銘の不治の病。余
命が幾許もなかったレフィを助ける為に涙を流して懇願するヘイス
をどうやって説得することが出来るでしょうか?
聖剣を持ってしてもドラゴンに勝てる保証なんてどこにもありま
せんでした。
それでも可能性にかけて頭を下げるヘイスに、わたしが出来るこ
となど︱︱
﹁リリアちゃん﹂
考え込んでしまっていたわたしは、レフィのはっきりとした声で
我に戻りました。
﹁アンタのせいじゃないさ﹂
言ってユーリはぽんぽんとわたしの頭の上に手を置き、前に数歩
進み、持ってきた酒をそのまま墓石に浴びせていました。
﹁⋮⋮わかっていますよ﹂
﹁そっか。えらいえらい﹂
むぅ、ユーリだけはいつまでたってもわたしを子供扱いしてくる
のですから。
﹁︱︱で、さ﹂
皆を代表するように、ユーリは振り返ってフロストに尋ねます。
﹁アンタ、それだけの覚悟があってあたしに聖剣を打って欲しいっ
て言ってんの?﹂
聖剣の光を逆光にユーリとわたしはフロストに視線を送ります。
﹁ひっ⋮⋮﹂
今まで自分がかっこいい、強いと思っていたモノの正体が不気味
97
に映ったのでしょう。
﹁そ、そんなものはもう要らない! お、俺は帰るっ!﹂
そう言って及び腰で逃げてゆくフロストをしばらくの間見送り、
完全に影も形も見えなくなってからわたしはレフィに向き直ります。
﹁いやなことを思い出させてしまいましたね﹂
﹁そんな⋮⋮リリアちゃんの方が⋮⋮﹂
言いながらも涙で瞳が潤んでいるレフィの方が、どう見ても辛そ
うです。
レフィはわたしの隣に並び、ヘイスの墓を見て呟きます。
﹁まだ、8か月前のことなんだよね、ヘイス兄さん⋮⋮﹂
彼女の瞳から雫が零れ落ちるのを見て、わたしは一人にした方が
いいと思いユーリと一緒に路地へと戻ります。
﹁⋮⋮たった一人の家族だもんね。そう簡単に、切り替えられるは
ずもない、か﹂
ユーリにも含むところがあるのでしょう。そう言うユーリの言葉
は、どこか寂しげに響きました。
﹁ユーリは、後悔していたりしますか﹂
問いかけると、ユーリは少しだけ考える素振りを見せて、答えま
す。
﹁⋮⋮あたしは後悔してないね。あたしは武器を作るのに妥協はし
ないし、ヘイスの聖剣の時もその時に出来る全力を尽くしたと思う
から﹂
﹁ユーリらしいですね﹂
﹁そういうリリアは後悔してる?﹂
﹁わたしは⋮⋮どうでしょうね。作るか否かを決定したのはわたし
なので、責任を感じないこともなくはありません﹂
﹁うん。⋮⋮酷なこと押し付けちゃったかなって、あたしも思って
る﹂
ユーリは無造作に頭の上に手を乗せてきます。
﹁子供扱いしないでください﹂
98
﹁あたしが子供扱いしなかったら、誰が子供扱いすんのよ﹂
そう言って、ユーリはいたずらっぽく笑います。最近はレフィも
居ますし、前ほど一人でいることが少なくなったので、こうやって
ユーリに子供扱いされるのもずいぶん久しぶりな気がします。
﹁︱︱︱︱ああ、そうだったのですね﹂
ふと、本当に唐突に、まるで光が差し込んだかのように、気が付
いてしまいました。
﹁どうしたの、リリア?﹂
不思議そうに尋ねるユーリを見て、わたしは、
﹁ユーリも、ありがとうございます﹂
そうお礼を言って、彼女に抱きつきます。
﹁え、あれ、ほんとどうしたのリリア? リリアの方から引っ付い
て来るなんて﹂
そう言いながらも妙にうれしそうな声を上げて頭を撫でるユーリ
の手の感触を感じながら、わたしは決心しました。
﹁だた、こうしたかっただけですよ﹂
微笑んでユーリにそう、言いながら。
99
Episode5.正しい︻聖剣︼の作り方。︵後書き︶
休日だったので二つ目も完成ですー。
100
Episode5.正しい︻聖剣︼の作り方。︲後日談︲
後日談
王都が寝静まった深夜。
コンコン⋮⋮という控えめなノックと共に扉が開かれて、わたし
はレフィを部屋に迎え入れました。夕食の時も見ましたが、泣きは
らした瞳はまだ少し赤く、お風呂に入ってきたのでしょう頬は少し
上気していて髪がしっとりとしています。
﹁おまたせ、リリアちゃん⋮⋮話って?﹂
さすがに夕食の時にする話でもないと思ったので、こうしてレフ
ィを部屋まで呼んだというわけです。
﹁今日は無理をさせてしまいましたね、レフィ﹂
﹁え、ううん、そんなこと⋮⋮って言っても説得力ないよね⋮⋮﹂
﹁まったくです。そんな赤い瞳で言ったところで、説得力なんてほ
とんどありません。ってそうではなく﹂
気を使わせるつもりはなかったというのに、こういう時は自分の
不器用さが恨めしくなります。接客の時の対応や素材の買取、取引
の心理など、そういったところでは思った通りに物事を進められる
というのに、どうしてわたしは身近な人が相手だと、思う通りに言
えないのでしょう。
﹁⋮⋮⋮⋮その﹂
⋮⋮どう言えば正解なのでしょうか。
⋮⋮どうすれば考えていることを伝えられるのでしょう。
言葉が出かかっては消えてゆきます。
﹁どうしたの、リリアちゃん?﹂
言葉に詰まるわたしに、レフィがそう尋ねてきます。
﹁えっと⋮⋮ですね⋮⋮﹂
ぐるぐると、頭の整理がつきません。言おうとしていたことだけ
101
でなく、何を考えていたのかすら、わからなくなってゆきます。
﹁あはは﹂
そんなわたしを見て、レフィは吹き出したように笑い始めます。
﹁な、何を笑っているのですか﹂
思わず怒っているように言ってしまったわたしに、レフィはこう
いいました。
﹁だって、リリアちゃん、いつものわたしみたいなんだもん﹂
言われて思わず呆然としました。
いつものレフィというと、あのドジで間抜けでいつもポカをして
わたしに怒られて調子に乗ってまた怒られても能天気なあのレフィ
ですか?
﹁⋮⋮死にたいです⋮⋮﹂
﹁ちょ、ちょっとリリアちゃんいつもわたしをどんな目で見てるの
!?﹂
﹁それは︱︱﹂
先の想像を言いそうになって、わたしはここで毒を吐いてしまえ
ばいつも通りになってしまう、と言葉を飲み込みます。
﹁︱︱元気でいつも明るくて﹂
代わりに出てきたのは、そんな言葉でした。
﹁⋮⋮ミスは多いですが、いつも懸命でがんばっていて﹂
﹁え、えっ!? り、リリアちゃん?﹂
ええ、ええ、いつもならこんなことは言いません。言えません。
自分で言っていて恥ずかしいですし、今後絶対言うこともないでし
ょう。レフィもいきなりそんなことを言われて盛大に戸惑っていま
すし。
﹁何事にも必死でいつもわたしを助けてくれて、笑っていてくれて﹂
⋮⋮レフィが来るまで、わたしはいつも一人でした。
お爺さんが死んで、店を一人で切り盛りするようになってから、
ずっと。一人でこの店をまわしてきました。
別にそのことを苦痛に感じていたことなどありませんが、レフィ
102
が来るまでユーリがいつも隙を見ては店に来ていてくれたのは、わ
たしが寂しくないようにと思ってのことだったのでしょう。ヘイス
が良く買いものに来てくれていたのも、同じことだったのでしょう。
そして、
﹁︱︱いつも隣に居てくれていて、ありがとうございます、レフィ﹂
彼女がここに居るのも、きっと恐らくはヘイスの気遣いがあって
のことなのです。
﹁え⋮⋮リリアちゃ⋮⋮っ、あ、あれ⋮⋮っ﹂
何故か、礼を言われた側のはずのレフィが、涙を流していました。
レフィが一人にならないように、ヘイスは彼女をわたしのところ
へよこしたのだとずっと思っていました。それはもしかしたらその
通りなのかもしれませんが、けれどもレフィが来たことによって知
らずのうちにわたしも救われていたのです。
墓地でユーリに頭を撫でられた時に、そのことに気が付いてしま
ったのです。
﹁⋮⋮なんであなたが泣くのですか﹂
泣かせるつもりなんてなかったのに、伝えるということは難しい
ものです。
﹁だって⋮⋮っ、だって⋮⋮リリアちゃんが⋮⋮そんな、うれしい
こと言うから⋮⋮っ﹂
そう思うわたしの思いとは裏腹に、レフィはそう言って抱きつい
てきました。
うれしいことを言うから⋮⋮うれしくて、泣いているのですか⋮
⋮?
思わず、わたしも目頭が熱くなりました。
こんな拙い言葉だけで。たったいくつかの言葉だけで。
泣くほどうれしいと言われたことが、わたしの胸をぎゅっと締め
付けます。
﹁⋮⋮レフィ、これからもよろしくお願いしますね﹂
﹁⋮⋮うん﹂
103
﹁⋮⋮いつもありがとうございます﹂
﹁⋮⋮うん﹂
ベッドに座るわたしに抱きつくような格好で膝を濡らすレフィの
髪を、やさしく梳きながらわたしは何度も彼女に言葉をかけます。
今まで素直に言えなかった分、あの日から貯め込んだ言葉を全て。
レフィがやってきた、あの日から︱︱
104
Episode5.正しい︻聖剣︼の作り方。︲後日談︲︵後書き︶
次回タイトル﹃魔法道具店リリアーヌへようこそ﹄で一部完了とな
りますー。
105
EpisodeEX,聖剣の勇者。︵前書き︶
風邪やら親不知の痛みやらで間を開けてしまいました⋮⋮。
そして次でラストとか言いつつ、間に一個はさんじゃいました、て
へ。
106
EpisodeEX,聖剣の勇者。
︱︱雲一つ無い快晴。雪花の月のとある日。
王都ミランドの大通りから一本はずれた通りにある老舗通りに、
風格のある他のお店とは一線を画して異彩を放つファンシーな見た
目のお店が存在する。
﹁いらっしゃいませー﹂
からんころん、と扉に設置されたベルを鳴らして入ってきた冒険
者風の男性に、抑揚のないけれどもよく通る声で魔法道具販売店﹃
リリアーヌ﹄の店主であるリリア=クレスメントは、カウンターの
中の椅子に座ったまま読んでいる本から目をはずすこともなく挨拶
を送った。
かわいらしい見た目とは裏腹に、リリアの接客は今日も辛口だ。
そんな様子に苦笑しながらも冒険者風の男は商品に目をくれるこ
ともなく、カウンターへと向かう。
﹁よぅ、リリアちゃん﹂
﹁おや、ヘイスさんですか。いらっしゃいませ﹂
名前を呼ばれてやっとのことで、リリアは顔を上げる。
長い銀髪に青い瞳。人形のように整った顔。小柄な体格。白い肌
はフリルの多くついたかわいらしい衣装に包まれており、寒い季節
だからその方にはショールをかけている。
そのまま縮小すれば本当に人形としてショーウィンドウに飾られ
ていてもおかしくないだろうリリアの年齢は14歳。ぱっと見もう
少し幼く見えるかもしれないが、リリアは紛れもなく魔法道具販売
店﹃リリアーヌ﹄の店主である。
﹁今日はどうされたのですか。入り用なら商品はあちらですよ﹂
107
ポーションやら毒消しやら麻痺治しやら、様々な銘柄の魔法道具
が綺麗に陳列された棚を手で示しながら、リリアは言った。
﹁いや、今日はそうじゃないんだ﹂
﹁⋮⋮では、どういったご用でしょう。見たところ買い取りでもな
いようですが﹂
魔法道具販売店﹃リリアーヌ﹄では、冒険者からの雑多な収集品
などの買い取りも行っている。近場に出没するウォルフの爪や牙か
ら、古城に棲むというガーゴイルの羽、果てはドラゴンの鱗まで。
魔法道具の材料となる収集品は大抵取り扱っている。
しかしどう見てもヘイスは腰に帯びた剣以外、特になにかを所持
しているようには見えない。
リリアは、嫌な予感を押し殺して、いつもと変わらない態度でヘ
イスを迎える。
このヘイスという男は何度もリリアの店を利用している常連で、
歳はまだ若いながらも冒険者の中で一番の強者だ。王都では珍しい
真っ黒な髪に少年心を忘れていない勝気な瞳。ひとなつっこく、誰
とでもすぐに打ち解けあえる社交性はリリアも見習うべきところだ。
﹁まあ、そう、悪いな⋮⋮﹂
しかし嫌な予感というのは、えてして当たるもので。
﹁⋮⋮そうですか﹂
ヘイスはそう言って、けれどもいつものいたずらを行う少年のよ
うな笑みを浮かべることなく、リリアが初めて見る寂しい笑いを浮
かべ、
﹁別れの挨拶をしにきたんだ﹂
︱︱そう言った。
EpisodeEX.聖剣の勇者。
108
子供のころから、妹はいつもベッドの上で窓の外を見ていた。
窓辺のベッドに伏せる金髪碧眼の妹。レフィーナ=アーシア。
生まれつき身体が弱い妹は、借りてきてもらった本を読むか、王
都の代わり映えしない風景を眺めるかしかできなかった。
幼い時に両親を亡くし、兄であるグレンヘイス=アーシアと二人
きりでずっと生きてきたレフィにとって、ヘイスが持ってくる外の
世界の話。冒険の話は彼女にとっての世界そのものだった。その中
には良い話もあれば、悪い話もあった。たわいもない話もあれば、
信じられないほど荒唐無稽な話もあった。
洞窟で見つけた水の中の遺跡の話。
西の洞窟に調査に行った時のことだ。何やら不穏な音が断続的に
聞こえるという噂を聞き、中に住みついた魔物を倒しながら奥へと
進んでいったヘイスが見たのは、鏡のように洞窟を映す開けた湖畔
の中に沈む、幻想的な遺跡だった。レフィはその話を気に入ったの
か、ヘイスに何度ももう一度見てきてとせがんだことがあった。
砂漠に揺らめく幻想都市の話。
南の火山を超えた先にある果てなき砂漠に見える、蜃気楼の都市。
おとぎ話の伝説の中ではそれは実在する蜃気楼であり、ある時間に
そこに行くと蜃気楼で出来た幻想都市に入ることができるのだとい
う。何度も何度もおとぎ話の本で読んで知っていただけに、レフィ
は寝る間も惜しんでヘイスに都市の話を聞いた。無理をしたせいで
その後寝込む羽目になったが。
山頂から見た白く輝く風景の話。
遥か高き峰々が続く北の雪山に、巨大な白い毛むくじゃらの生物
が生息しているという。その噂の真偽を測る為にヘイスは雪山へと
挑んだが、進めども進めども謎の生物の姿は見つからず。夜が明け
るころには息も絶え絶えに山頂へとたどり着いたヘイスが見たのは、
一面白に覆われた雲。それを空から太陽が照らす輝く風景だった。
レフィが風景を撮影する魔法道具を持ってもう一度行ってきて、と
お願いした時は、さすがのヘイスも断ったくらいだ。
109
賑わう都市で見つけた綺麗な首飾りの話。
ダンフレールの蚤の市で見つけた不思議な雰囲気を持った首飾り。
妹のおみやげにちょうどいいと購入してから店主に聞いたところ、
実はその首飾りは曰くがある品で、鑑定士に持っていったところ見
事に呪われていた。その話をしながらレフィに首飾りを見せたとこ
ろ、レフィが欲しいと言いだして大変だった。
どこまでも緑と青だけが地平線に続く広大な大地の話。
ヘイスがまだ駆け出しだったころ、王都から出て見た初めての風景。
空がどこまでも続き、緑の大地が果てまで続く。歩いても歩いても
変わらない風景。その果てに魅了された瞬間だったのかもしれない。
因みにレフィにそのことを話た時は、まだレフィも子供だったこと
もありヘイスにずるいずるいと恨みがましく言い数日間口を聞いて
もらえなかったそうだ。
没落した王家から助けた姫様の話。
小国の姫と、ひょんなことから知り合いとなったヘイスは、国を
発つ日に彼女に助けて欲しいと懇願された。貴族の謀略によって傀
儡となった国王が暗殺され、逃げ出した彼女を追っているとのこと
で、迷ったヘイスはしかし見殺しにも出来ないと国外への逃亡を手
引きする。正体がばれないようにと銀のマスクと金のウィッグを被
り黒いマントで仮装した喜劇にでも出てきそうな風体で襲い来る刺
客をちぎってはなげちぎってはなげ⋮⋮。都市を出て暫くして彼女
にずっと一緒に居たいと告白されたらしいが、ヘイスは妹が居るか
らと実に情けない理由で断り彼女に憤慨されたと後にレフィは聞き、
呆れた顔をしていた。
剣を交わした名も無き吸血鬼との物語。
閃く剣線がいくつも重なりぶつかりあい、火花を散らす。﹁やる
じゃないか、人間!﹂﹁はっ、そっちも俺ほどではないがやるな!﹂
﹁ほざけ!﹂剣を交えた理由はただそこに居たからという何とも奇
妙な理由だった。最初はただ殺意を持って襲ってくる吸血鬼の男だ
ったが、しかし剣を交わし続ける間にどちらともなく意気投合して
110
しまったらしい。どうやったらそんな状況になるのか、レフィは終
始首を傾げていた。
王城で見た無駄に豪華な料理の話。
それは年に一度しか収穫できない奇跡の野菜と奇跡の果物と奇跡
の肉を使った奇跡の料理だった。食べる手が止まらず、その場に居
た貴族でさえも言葉を発することが無粋と言わんがばかりに誰もが
料理に夢中になった。後に大量のおみやげを持って帰ったヘイスは、
レフィにどうやってそんな量食べるの、とたしなめられて我に返っ
たが、しかしその日の食卓でかわされた言葉は無かった。
とある魔法道具店の少女の話。
最近良く行く店に、かわいい女の子が居るのだという。少し前ま
では無愛想なお爺さんが店番をしていたらしいが、最近になって店
の外装も変わりこちらも無愛想ではあるが美少女が店番をしている
とのこと。そのことを話した時にレフィに子供好きなのかと言われ
てヘイスは大いにあわてることとなった。
︱︱ヘイスの人生は、レフィの人生と同義だった。
剣を取り、誰よりも強くならなければならなかった理由は、誰も
知らない外の世界を聞いて、見て、知るために他ならなかった。幾
千。幾万。振られた剣の数は空の星の数を超え、ただただ世界を見
る為に、誰も見たことない伝説を見て、妹に聞かせる為に。それだ
けの為にヘイスは強くなった。
冒険から戻ってくるたびに話をせがまれるレフィに、何日にもわ
たって話を聞かせてはまた冒険へと旅立ってゆく。ヘイスの人生は
その繰り返しだった。
武勇を打ち立て与えられた最強の称号なんて、ヘイスにとっては
対して価値は無かった。
冒険した話を妹と笑いあって過ごせる日々があれば、それでよか
った。
そんな毎日が、ずっと続くものだと、彼は自分に言い聞かせて、
信じていた。
111
︱︱しかし、そんなヘイスの願いはかなうことはなかった。
はらはらと、はらはらと⋮⋮雪が舞う日。
レフィは高熱を出して倒れた。
これまでの報酬や恩賞をなげうって、ヘイスは世界的にも有名な
医者やヒーラーを呼び寄せた。だがそれも無意味だった。誰にもレ
フィの病気を治すどころか、一時的な回復さえも見込むことが出来
なかった。
馬鹿な。そんな馬鹿な話があってたまるか。
意識が戻らず高熱でどんどん衰弱してゆくレフィを見ながら、ヘ
イスは己の無力を嘆いた。
最強と呼ばれる冒険者。数々の伝説を打ち立てた勇者。
そんな風に呼ばれていたところで、妹の病を治すことなど出来な
い。大切な者を護ることが出来ない。それが⋮⋮勇者だって?
知れず、涙が出た。
無力な自分が許せなかった。
そんな時、ふと。
ふとベッドの上にあった本に、ヘイスは視線を奪われた。
︱︱竜殺しの物語︵ドラゴンスレイヤーの伝説︶。
ふらふらと、手を伸ばして掴んだ本は、ヘイスに取ってのたった
一つの希望だった。
その夜のうちに、ヘイスはとある店を訪ねた。
﹃魔法道具店リリアーヌ﹄と、書かれた看板には既にcloseの
札がかかっていたが、何度もしつこく呼びかけると中から店主の少
女が出てきてくれた。
﹁⋮⋮どうしたのですか﹂
見るなりそう言われて、ヘイスはそれほどまでに自分は酷い顔を
しているのだろうか、と思ったが、それも一瞬のこと。考えてる暇
さえも惜しいグレンヘイス=アーシアはリリア=クレスメントへ頭
を下げてこういった。
112
﹁聖剣を、打って欲しいんだ﹂
そう言った瞬間のリリアの顏は、驚きに満ちたものだった。
ヘイスは知っていた。聖剣がおとぎ話で言うただの英雄の武具な
んかではないことを。それは恐らくリリアも同じだ。
﹁⋮⋮一つ聞きます。聖剣で、何をするつもりなのですか﹂
だからこそ彼女が二つ返事で作ってくれるなどとは思っていなか
った。
﹁妹を助ける為に、ドラゴンを殺す﹂
二度目の驚愕。
ドラゴンはある意味不可能の象徴だ。伝説の存在にして最強の存
在。種の中で最強の存在ではなく、種として最強の存在。他のどの
ような生物が相手になろうと、決して歯が立たない幻想の存在だ。
竜殺しの物語。
実物するノンフィクションのその物語の中でさえ、ドラゴンは殺
せていない。
竜殺しの物語は、過去に最強と言われていた騎士が三度ドラゴン
へと挑戦して三度目に命を落とすまでの過程を描かれた物語だ。
彼我の戦力は絶望的で、一度目はドラゴンに情けをかけられ逃げ
おおせ、二度目は辛くも命を拾うも右目を失い、三度目は魔剣を手
に挑んだにもかかわらず命を落とした。
﹁死ぬつもりですか、ヘイス﹂
いくら最強の冒険者と呼ばれていたとしても、伝説の勇者と呼ば
れていたとしても、勝ち目など存在しない。
﹁刺し違えてでも、やらなければならないんだ﹂
﹁あなたは﹂
﹁︱︱頼む。俺は⋮⋮﹂
世界を見てきた。妹の為にと言いながらも、広大な世界を見て伝
説を見て、誰も見たこともない光景を何度も見てきた。
︱︱それなのに、妹は、実際は窓の外の風景しか知らない。
ヘイスがレフィに聞かせた世界はレフィにとって幻想の世界だ。
113
どれだけ克明に伝えようとも、それは想像の世界でしかないのだ。
それなのに、そんな幻想の世界を抱いて妹は逝ってしまうのか?
﹁妹に⋮⋮生きて欲しいんだ⋮⋮﹂
人前で決して見せたことのない涙がこぼれる。
最強の冒険者と呼ばれるほどの男が。伝説の勇者と呼ばれるほど
の男が。
何もかも捨て去って、自分の命さえも捨て去ろうとして頭を下げ
ているのだ。
﹁⋮⋮⋮⋮わかりました﹂
リリアにそれを拒めるはずがなかった。
そうと決まるとその夜のうちに準備は進められ、そうして聖剣は
造られ、ヘイスはドラゴンへと挑むこととなった。
険しい山脈の懐。深き谷の狭間をヘイスは進んでゆく。
空気は重々しく、しかしどこか清浄な雰囲気を持った空気は魔物
の進入を拒み道行く者の足を竦めさせる。
竜殺しの物語に描かれた東のドラゴンの話を元に、ヘイスは銀色
に煌めく一振りの剣を手に谷底を歩く。
そうしてややあって、空が円形に開けた空間に、彼は居た。
﹃⋮⋮ここに来る人間が居るとは、また久しいな﹄
聞こえた言葉に、ヘイスは知識としては知っていたが、こうして
実際目の当たりにすると驚きを隠せない。
人などその翼の一振りで吹き飛んでゆきそうなほどに巨大な体躯。
赤い鱗に覆われた皮膚はぎらぎらと硬質な色を放ち、獰猛な牙を見
せて瞳を細める姿はそれだけで戦意を根こそぎ奪ってゆきそうだ。
﹃それで何用だ、人間よ﹄
ただの問いだというのに、まるで脅迫されているかのような圧力
をヘイスは感じた。去れ。ここから去れ。そうすれば無駄に命を散
114
らすこともあるまい。ドラゴンの言葉はそう告げていた。しかし、
﹁︱︱俺は、グレンヘイス=アーシア。あんたを殺しに来た﹂
銀色に煌めく剣を抜き放ち、ヘイスは臆することなく正面から告
げる。
相手が絶望的なほどに強いことはわかっているのだ。そうだとし
ても立ち向かうだけの理由が、ヘイスにはある。
﹃ほう⋮⋮我を見て臆さぬというのか。その覚悟やよし。ならば我
も本気で相手するとしよう!﹄
ドラゴンの叫びと共に戦いの火ぶたは切って落とされる。
相手より先に動いたのはヘイスの方だった。
前へ、己が持てる最速の踏み込みでドラゴンの右足に斬りかかる。
しかしそれを何もせずに見逃してくれるほど、ドラゴンは甘くは
ない。大きく打った翼が生んだ暴風が、ヘイスへと襲い掛かる。
ヘイスはそれを最初から予測していたかのように風を斬って、続
く返す剣でドラゴンの身体を浅く斬り裂く。
﹁っ! かってぇ!﹂
鱗に阻まれてほんの少ししか刃が立たなかったことにヘイスは憤
慨するが、しかしドラゴンはむしろ傷付けられたという事実に瞠目
する。
﹃やるな! 我に傷をつけたのはお主が初めてだ!﹄
﹁そいつはどうも、なら敬意を表して死んでくれ﹂
﹃ふん、抜かせ!﹄
言いながら放たれたファイアブレスが、ヘイスを襲う。たまらず
ヘイスは大きく横に跳ね、追って来るファイアブレスは何とか剣で
斬って捨てる。
懐に入らせないように牽制を加えながらブレスや翼を振るドラゴ
ンと、向かい来るものを片っ端から斬り裂き活路を見出すヘイス。
正直、ヘイス自身もここまでまともに戦えるとは思っていなかっ
た。
115
それもひとえに聖剣のおかげだ。
聖剣を振るう資格を持つ者。﹁大切な者を護る為﹂の力。それが
戦況を支えているのだ。
繰り返される剣撃。闘いの音だけが、絶えず谷に木霊する。
﹁さっさと⋮⋮っ、くたばれ⋮⋮っ﹂
もう幾度目になるかわからない斬撃が、ドラゴンの皮膚を裂く。
ドラゴンの身体は度重なる斬撃により、そこかしこから血を吹き
出している。
一方のヘイスもそこかしこに傷を負っているが一番酷いのは斬り
裂いたブレスの余波から来る火傷だ。持ってきていたポーションも
尽き果てた状況では、ヘイスの方がやや分が悪い。
地を抉るドラゴンの一撃を飛びのいてかわし、ヘイスとドラゴン
は対峙する。
﹃⋮⋮中々に楽しませてもらったぞ、人間⋮⋮いや、グレンヘイス
=アーシアよ﹄
﹁⋮⋮まだ、終わってないぞ﹂
長く続いた応酬の末、唐突に放ったドラゴンの不遜な物言いにヘ
イスが聖剣を構えなおすが、
﹃︱︱否。これで終わりだ﹄
ドラゴンがそう言った直後、ヘイスが見たのは絶望の光景だった。
﹁なっ!?﹂
空に、地に浮かぶ魔法陣。それも一つや二つではない。それこそ
開けたこの空間を埋め尽くすくらいに展開された魔法陣の数に、ヘ
イスは目を見開いて停止する。
これだけの数の魔方陣は未だかつて見たこともない。そもそも魔法
使いの放つ上位魔法だと一発一発が戦況を変えられるほどの威力を
持っているのだ。ヘイスが見ているこの魔法陣も、それにもれずに
上位魔法のそれだ。それがこれだけの数が展開されているとなると、
避けようがない。これほどの量の魔法詠唱を、いつの間に!
116
その答えはヘイスの知り及ぶところではないが、ドラゴンが使って
いたのは上位魔法のリーディングキャストである。リーディングキ
ャストはある一定の魔法使いならば使うことのできる思考のみでの
ライトニングブラスト
詠唱のことで、ドラゴンはヘイスとの応酬の中、最初から何度も詠
唱を重ねていたのだ。
﹃さらばだ、強き人間よ! ︻紫電青霜︼!﹄
そこから先に、ヘイスが見たのは断片的な光景だった。
空が割れ、雷が所狭しと狂い落ちる中。咄嗟に振り上げた聖剣が
雷からの盾となり弾き。しかしそれだけでは決して相殺しきれない
雷に撃たれながらもヘイスは聖剣を上段に構えたままドラゴンへと
突撃する。
予想外の行動に虚をつかれるドラゴンを、雷をまとった聖剣が貫
いた。
﹃がぁあああああああああ!?﹄
血しぶきが舞い、ヘイスの身体がドラゴンの返り血で濡れ、濡れ
た血が雷で焼け焦げ身を焦がす。沸騰するほどの痛みに焼かれなが
ら、両者はその場に倒れ伏す。
﹁っ⋮⋮ぁ⋮⋮﹂
﹃見事⋮⋮だ⋮⋮グレンヘイス⋮⋮アーシア⋮⋮我の⋮⋮負けだ⋮
⋮﹄
血だらけで動けないヘイスに、しかしドラゴンは称賛の言葉を贈
る。
永き時を生き、これまで己と対峙することが出来るほどの強者に
会ったことが無かったドラゴンは、此度の結末に満足していた。動
けないヘイスを叩き潰すくらいの力は残っていただろうが、それを
しなかったのはヘイスに対しての敬意と、彼の誇りからくるものだ
った。
静かに息を引き取ったドラゴンを見て、ヘイスは己の勝利を噛み
しめるよりも先に、這いつくばりながらも耐衝撃バッグから小瓶を
取り出しドラゴンの血を中に入れ、魔法道具を取り出し、震える手
117
で転送を行う。
ドラゴンの血⋮⋮それが、おとぎ話の中でだけ存在するとされて
きた幻の魔法道具、どんな怪我でも病でも治すとされているエリク
シルの材料だった。
⋮⋮万が一の為に、リリアに特殊な魔法道具を作ってもらってお
いたかいがあった。これで、無事に妹は助かるだろう。そう思いヘ
イスは身体から力が失われていくのを感じながら、ドラゴンに寄り
かかるように背を預けて空を見る。
不思議と、恐怖は存在しなかった。
⋮⋮剣ももう要らない。何もいらない。自分の命さえも、もう要
らない。
だからこれからはどうか、妹が⋮⋮レフィが様々な景色を見て、
幸せに生きられるようにと。
︱︱そのことだけを願いながら、グレンヘイス=アーシアは静か
に瞳を閉じた。
118
EpisodeEX,聖剣の勇者。︵後書き︶
評価、感想など頂けたらよろこびます。多くの人に読んで貰えるよ
うになりたいものですね。
119
Episode0.魔法道具販売店リリアーヌへようこそ︵前書き︶
投稿まで時間かかってしまい申し訳ないと思いながらもちょっと違
う作品に浮気してました。
ついつい筆が乗ってこちらがおろそかに⋮⋮、別の作品もある程度
進めば一気にアップしていこうと思います。
よろしければお楽しみください。
120
Episode0.魔法道具販売店リリアーヌへようこそ
はらはらと、はらはらと、穏やかに雪が降る雪花の月の下旬。
これまでにないほど意識がクリアなその日。
目を覚ました金髪碧眼の少女、レフィーナ=アーシアは自分の身
体の変化に心の底から驚き、呆然とした表情でベッドの上に佇んで
いた。
その時小さなノックが二つ、﹁入りますよ﹂と声をかけたにもか
かわらず返事を待たずに入ってきた少女は、まるでショウケースか
ら抜け出してきたかのような、お人形のように奇麗な銀髪の女の子
だった。
﹁︱︱おや、目を覚ましていましたか﹂
鈴を転がしたように響く銀髪の少女の声。
﹁どうですか、体調は﹂
ふわふわと、ふわふわと、まるで夢の中のように軽い身体。
まるで今までの病気が嘘のように、息を吸っても咳が出る気配な
んて一切なく、病気そのものが無かったかのように寝込んでいたは
ずの身体は衰弱している様子もなく、むしろ健全そのものだ。
﹁ぁ⋮⋮わた⋮⋮その⋮⋮﹂
レフィーナは不思議すぎる体調の変化に驚き、尋ねられた銀髪の
少女に言葉にならない言葉を返した。
﹁落ち着いてください︱︱どうぞ﹂
ベッドの隣に備え付けられた机の上の水をコップに注ぎ、銀髪の
少女はレフィーナに水を手渡す。ふと触れた小さな手は、雪のよう
に冷たくて久しく人の手の感触を忘れていたレフィーナは、触れた
﹃人の感触﹄に、あることが脳裏に浮かぶ。
﹁あ、あの、その⋮⋮﹂
どくん。心臓が大きく脈打った気がした。嫌な予感が警鐘を鳴ら
121
す。
銀髪の少女と目が合った。銀髪の少女⋮⋮リリア=クレスメント
は初対面のはずなのにどこか重い面持ちで、レフィーナを見ている。
⋮⋮何故、そんな憂いを帯びた顏をしているの?
問うべきはそれではない。言葉は唇からこぼれない。
⋮⋮何故、知らない少女がわたしと兄の家に?
問うべきはそれではない。疑問は心から去りえない。
では、何を?
︱︱何故、兄はここにいないの?
当たり前の疑問。レフィにとって兄は自分の人生と同義だ。
だから問いかけてはいけない。問いかけてはいけない。問いかけて
はいけない。
レフィーナの頭の中で誰かがそう繰り返す。
けれども疑問は、衝動は止められない。
﹁︱︱兄は⋮⋮?﹂
言葉は発せられたのではなく、ただただ唇から、心から、零れ落
ちただけだった。
たった三つの言葉の疑問に、リリアは細く息を吐いて瞳を閉じる。
﹁あなたの兄、グレンヘイス=アーシアは︱︱﹂
リリアの言葉を発する雰囲気で、レフィーナは悟る。
それでもリリアは、自らの責務を全うするかのように言葉を続け
る。
﹁︱︱もうこの世界には、いません﹂
その言葉に、レフィーナはくらりと目の前が真っ暗になった。
数時間後、再び目を覚ましたレフィーナはリリアの話を聞きなが
らずっと涙を流していた。
グレンヘイス=アーシアが自分の為にドラゴンを倒しに行って、
そして見事ドラゴンを倒したけれども自分も死んでしまったこと。
リリアがそのドラゴンの血からエリキシルと呼ばれる秘薬を作り出
122
し自分の病気を治してくれたこと。治癒の反動から一週間、目を覚
まさずに眠り続けていたこと。その間にグレンヘイス=アーシアが
ドラゴンを倒した伝説の英雄として王都ミランドで祭り上げられて
いたこと。
そして⋮⋮。
﹁ヘイスは、言っていました。俺に何かあったら、妹をアンタの店
で働かせてやってくれ、と﹂
それはヘイスがリリアに託した最後の依頼だ。
ヘイスは最後の最後まで妹のことを思い、妹の幸せを願っていた。
元気になったら世界を知ってほしいと思っていた。
本当ならば自分が妹に世界を見せてやりたかった。けれどもそれ
は叶わない願い。
自分が見てきた世界は、ちょっとばかし誇張も入っているし普通
の女の子が自分で見に行けるほどやさしい世界ではない。だから妹
にはやさしい場所で世界を知り、その先は⋮⋮望むなら自分の足で
世界を見て欲しい。そう、思ってリリアに妹を託したヘイスは、し
かし直後にリリアが﹁わたしは厳しいので泣いて折れなければいい
ですが﹂と台無しなことを言ったことで少々不安になったものの、
それでも彼女ならば安心して任せられると思った。
声を上げ、泣き腫らした目を何度もこすり、そのたびにまた涙が
こぼれてを繰り返すレフィーナにはリリアの言葉は聞こえてはいた
が、即座に反応する余裕など存在しなかった。
リリアがもう少し人の心に対して空気が読めてやさしい性格をし
ていれば、泣きやむのを待ってから提案することも出来ただろうが、
この時リリアはまだ13歳で、さらに彼女はヘイスの人選が間違っ
ているのではないだろうかと思われるくらいに商売以外で人付き合
いというのがつくづく苦手なのだ。
﹁どうしますか﹂
再度の問いかけに対してレフィーナは、涙を流しながらなんとか
リリアを見る。
123
リリアがレフィーナに語ったのは、客観的に見た事実だけであり、
ヘイスがどう思っていたのかなどは本人にしかわからないことだ。
レフィーナからすれば、ヘイスはずっとずっと自分の為に冒険を
して世界の話を聞かせてくれていたやさしい兄だが、自分が好きだ
からやっていることだからと言われてはいたもののやはり兄を縛り
付けているのではないかという罪悪感も心の深いところにあった。
もし自分が居なかったら、兄はもっと世界を謳歌出来ていたんじ
ゃないだろうか。
兄に聞いた物語はどれも幻想的で、わざわざこんな鳥かごの中の
現実に戻ってくる必要もないくらいに輝かしいものに聞こえた。
もっと広い世界を見て、どこへでも行って、もしかしたら助けた
という亡国の姫と一緒に幸せにだってなれたかもしれない。
それなのに最後は妹である自分を助ける為にドラゴンに挑んで命
を落としたのだ。
そんなのって⋮⋮それなのに⋮⋮。
再び涙が溢れそうになるレフィーナに、リリアは伸ばした手の所
在を求めて迷い、泣き出しそうな彼女を見て、とつとつと語り始め
る。
﹁︱︱ヘイスは、言っていました﹂
﹁⋮⋮え?﹂
それは、ことあるごとに何度も店にやってきては無駄話をして去
って行った、レフィーナの知らないヘイスの一面。
﹁自分には病気の妹が居る。妹は外を歩くことも出来ないくらいに
身体が弱いから、俺が代わりに外の世界を見て、聞いて、戻ってき
て、そうして冒険話を聞かせると喜んでくれるかわいい妹が居ると、
彼は言っていました﹂
リリアにとっては、ただの家族自慢で暇な時間にとはいえ延々と
そんな話ばかり聞かされるなど、正直その時は拷問でしかないと思
っていたくらいだが、それでもその家族の自慢話はヘイスにとって
恥ずかしいからとレフィーナの前では絶対に言うことのなかった、
124
彼女が知らない兄の一面の話で、
﹁他にも、本当はもっと世界を見てほしかった。自分ばかりが外の
世界を見て、なんで妹は外の世界を見ることすら出来ないのだろう
かと﹂
ふとした時にヘイスがリリアにこぼした、世界を呪う言葉。
レフィーナもそのフレーズは聞いたことがあった。その時ヘイス
は別のことも言っていた。
﹁っ⋮⋮⋮⋮﹂
﹁もし、彼がここに居たらこう言っているでしょう﹂
レフィーナは、そう言って自分を見るリリアの後ろに、亡き兄の
姿を見る。
﹃もしも病気が治ったら、世界を見に行こう﹄
﹁⋮⋮っ⋮⋮う⋮⋮﹂
何度も何度も聞かされた、兄の願い。交わした約束。
しかしその兄はもう居ない。
世界を見に行くと約束した相手はもう居ないのだ。
レフィーナは零れ落ちる涙を止めることが出来ずに俯いた。
俯くレフィーナにリリアは言葉をかける。
﹁ヘイスはやさしい場所で世界のことをゆっくり知って欲しいと言
ってわたしにアナタを雇うように依頼したのです。だから、わたし
の店で世界を勉強してみるのはどうですか﹂
けれどもまだ交わした約束は、リリア=クレスメントに託されて
続いている。
伸ばされる小さな手。
差し伸べられたその手を今度こそレフィーナは取る。
﹁⋮⋮お願い、します﹂
掠れた声で小さく⋮⋮けれどもはっきりと聞こえる声で、二人の
約束に引かれるままにレフィーナ=アーシアはその日、新しい一歩
を踏み出した。
125
それから三日が立ち、まだまだ寒い雪花の月の終日、レフィーナ
は引っ越しの準備を済ませて家の前で長らく外から見ることがなか
った我が家を眺め見ていた。
病気が治り元気になった身体はまだ本当に自分のものなのだろう
かと思う位に違和感があるが、それでも自らの足で立ち、歩くこと
が出来、激しく動いても大丈夫だと知った時、知れず涙が零れ落ち
た。
兄の死を悼み枯れるほど流したと思っていた涙だったが、そんな
ことはなかったらしい。
﹁お待たせしました。おや、少ないですね。それだけですか?﹂
﹁⋮⋮うん﹂
そんなことを考えているとリリアがやってきて、レフィーナは彼
女に連れられてやってきた運搬の仕事をしているであろう筋骨隆々
とした男たちに荷物を渡した。
﹁家具とかも運んでもらえますが、良いのですか﹂
﹁⋮⋮うん、いいの﹂
そう言うレフィーナの胸中には色々複雑な思いが渦巻いているの
だろう、感傷を振り切るように少しだけ頭を振って目を伏せる。
運搬の男達は大き目のカバンが一つだけで、他に持っていく荷物は
ないというので少々拍子抜けしたようで手持ち無沙汰そうだった。
﹁では、こっちはゆっくり向かいましょうか﹂
﹁う、うん﹂
頷いてレフィーナは先を歩くリリアの少し後に付いて緩やかに進
むスロープを下ってゆく。
一つ角を曲がればもうそれはレフィーナの知らない世界だ。
すれ違う人々はみな知らない顔ばかりで、向こうも見たことのな
い顏のレフィーナを不思議そうに見ているが、レフィーナはそれど
ころではない。
歩くたびに流れてゆく景色。肌寒い風が、頬を、髪を撫でて緩く
吹いてゆく。
126
等間隔で並ぶ街灯が、小さな荷台を引いて歩く老人が、どこから
か聞こえてくる喧噪が、全てが何もかも初めての経験で、外を歩く
ことがこんなに新鮮なことなのだとレフィーナは驚く。
﹁どうしましたか?﹂
﹁あ⋮⋮う、ううん、すぐ行きます﹂
いくつかの角を曲がって居住区を過ぎると、俄かに街が活気を増
す。どこからか客を呼ぶ声が聞こえてくるようになり、ちらほらと
露店商人などが目に付き始める。
見たことのないアクセサリーの類や、いくつもの箱にまとめられ
て並べられた果物。武器の類を売っている店もあれば、ガラクタに
しか見えない何に使うかわからないものを売っている者もいる。
兄からの話にだけ聞いていた世界が今レフィーナの前に広がってい
て、色が無かったレフィーナの世界に急速に色が溢れてゆく。
王都の話なんて嫌というほど聞いた。どこに何があり、どういう
店があり、どういう果物があるか。
﹁あっ﹂
ふとレフィーナの目に、串焼きの屋台が映る。
病弱だったレフィーナは、本当に身体の調子が良い時以外、病人
食しかまともに食べたことがなかった為、ついふらふらと誘われる
ままにそちらに歩いてゆきそうになるところでリリアが気付き手を
取って止めた。
﹁どこ行こうとしているのですか?﹂
﹁あ、あの⋮⋮えっと⋮⋮﹂
ちらちらと、串焼きの屋台を見ながら口ごもるレフィーナを見て、
リリアはなるほどと合点がいったのか、はふぅ⋮⋮と溜息を吐いて
手を取ったまま串焼きに似た食べ物の屋台までゆく。
﹁2本欲しいのですが、いくらですか﹂
﹁あいよ、2本で4イェンだよ﹂
﹁はい﹂
﹁まいどー!﹂
127
流れるような動作で取引を済ませたリリアは、ぽかんとするレフ
ィーナに向かって1本の串焼きを差し出す。
﹁何をぽかんとしているのですか。要らないのですか?﹂
﹁あ、お、お金⋮⋮!﹂
﹁要りませんよ。たいした金額じゃないですし、どうぞ﹂
急いでポケットから財布を取り出そうとするレフィーナを制止し、
リリアは強引に串焼きを手に持たせる。
柔らかそうなお肉にタレが塗られて焼けた匂いは暴力的なほどに
鼻腔を擽り、レフィーナは隣で小さく串焼きをかじるリリアを見て、
自分も同じように串焼きをかじる。
途端、口の中で肉汁が弾ける。
うまみが口全体に広がり、思わず手に持っていた串焼きを落とし
そうになり、慌ててしっかりと握りなおす。
﹁何をしているのですか⋮⋮﹂
呆れた顔で見られても、レフィーナに答える余裕はない。
一口、また一口と串焼きをかじり、一気に全てを食べ終わった後、
﹁⋮⋮おいしかったよぅ⋮⋮﹂
そのあまりの美味しさにレフィーナは万感の思いで呟いた。
リリアにしてみればただの買い食いで何度となく食べたことのあ
る味ではあるが、レフィーナにとってはそうではない。
身体が弱かったころ、レフィーナは普通の料理を食べることが出
来なかった。
特にお肉などもってのほかだ。薄味でならば食べられるには食べ
られるが、その後必ず体調を崩して辛い日々を送ることになる。
それだけにこうしてしっかりと味付けされた焼き立てのお肉とい
うのは、レフィーナにとってはほとんど初体験だったのだ。
見れば串焼きの屋台の店主すらも呆然と見ており、リリアも少し
驚いた顔をしている。
﹁お、おう、うれしいこと言ってくれるねお嬢ちゃん! よし、ほ
らもう一本おまけだ!﹂
128
気前の良い串焼きの屋台の店主がそう言って、レフィにもう一本
串焼きを渡してくれる。
﹁あ、ありがとうございます!﹂
レフィはこれまでで一番目を輝かせてお礼を言い、串焼きを受け
取りおいしそうに頬張って幸せそうな声を漏らす。
食欲というのは実に偉大だった。
リリアなど、この娘餌付けしたら楽に話せるんじゃないかと考え
始めている顏をしている。
﹁はふぅ⋮⋮そろそろ行きましょうか﹂
しかし今日はそうゆっくりしている暇はない。運搬の男達が店の
前で待っているはずだ。
名残惜しそうにするレフィーナにリリアは﹁これからいっぱい食
べられますから﹂と伝えると、レフィーナは期待に満ちた表情を浮
かべていた。実にちょろかった。
そしてまた歩くこと数十分。
レフィーナがあちらこちらに目移りするせいで時間がかかってし
まったにもかかわらず、運搬の男達は店の前でしっかり待っていた。
﹁おまたせしました、今開けます﹂
男達に囲まれると、リリアの小ささが際立つが、リリアはそんな
こと知っちゃことではないと隣をすり抜けcloseの札がかけら
れた取っ手の鍵穴に鍵を差し込み開ける。
からんころん⋮⋮。
扉に備え付けられたベルが鳴り、入口が開かれる。
開店していないので店内は薄暗いままだが、リリアは運搬の男達
を招き入れて二階の部屋の一つに荷物を運んでもらう。
レフィーナも促されるままに店の中に入り薄暗い店の中に並ぶ薬
品らしき小瓶をもの珍しそうに眺め見ている。
実際、レフィーナはこれまで魔法道具など見たこともなかったの
で珍しいのだろう。
﹁さて、あなたの部屋はこっちですよ﹂
129
﹁あ、うん﹂
リリアの言葉に反応して、招かれるままにレフィーナは二階へと
向かいあてがわれた部屋を見る。
﹁わ⋮⋮﹂
﹁一応片付けはしましたが、少し埃っぽいのはご愛嬌です﹂
広めの室内はリリアが言うほど埃をかぶっている様子はなく、落
ち着いた雰囲気をかもしだしている。部屋の側面に本棚でも置いて
いたのか僅かに床に跡が残っているが、大した問題でもない。
﹁ここはわたしのお爺さんの部屋で長い間使っていませんでしたし、
本はわたしの部屋に移したので後は自由に使って良いですよ﹂
そう言ってリリアはさっさと下に降りて行ってしまう。恐らく、
運搬の男に給金でも渡しているのだろう。
少しの間部屋の前で中を見てぼーっとしていたレフィーナだった
が、はっと我に返って部屋の中に入るとベッドの傍にカバンを置き
直して所在無さげにうろうろとして、結局リリアを追って一階に下
りる。
﹁降りてきましたか﹂
一階に下りると、そこにはもう運搬の男の姿も無く、カウンター
にある椅子に座っているリリアがレフィーナに気が付き肩越しに言
った。
﹁えっと⋮⋮﹂
なし崩し的な感じに住み込みで働くことが決まったが、レフィー
ナは仕事などしとがないので何をどうすればいいのかもわからない
上に、ずっと家の中にいたから圧倒的に知識が足りないのだ。色々
なものを勉強していかなければならない。
﹁何をすれば⋮⋮いいのかな﹂
言葉使いもそのうちの一つだろう。リリアは自分に対しては特に
敬語などを使えと言うつもりはないが、それでも接客業なのだから
お客様にまで同じ対応は困る。
少しは敬語が使えそうではあるが、前途多難なことには変わりは
130
無く。
﹁そうですね⋮⋮とりあえず﹂
リリアは椅子から立ち上がり、レフィーナの隣を抜けてカウンタ
ーの前に立つ。
リリアの立つカウンター前からは店の中が見渡せて、棚から少し
離れているためちょっとしたスペースがある。ちょいちょいと手で
リリアに促され、レフィーナは横に一歩ずれてリリアの正面に立つ。
﹁ようこそ、魔法道具販売店﹃リリアーヌ﹄へ。店員を雇うなんて
初めてですが、よろしくお願いします﹂
リリアはそう言って一礼してレフィーナを見る。
﹁こ、こちらこそよろしくお願いしますっ!﹂
そうして彼女は魔法道具販売店﹃リリアーヌ﹄の店員となったのだ
った。
やってきた最初は内向的だったレフィーナも、外の世界への興味
から貪欲に知識を吸収してゆき、数カ月経つ頃には表面上はすっか
り明るくなった。
けれども、それでも兄を失ったという事実が無くなるわけでもなく、
自分が世界を見てどんどん記憶に色がついてゆくのをうれしく思う
反面、悲しくなってしまうのは仕方がないというものだろう。
⋮⋮そして時間は流れて、季節は再び雪が降る季節。
二度目の雪花の月がやってきた頃、レフィーナはしんしんと降る
雪を見ながらため息を吐いていた。
﹁⋮⋮レフィ。辛気臭いですよ﹂
﹁う⋮⋮うん、うぅ⋮⋮﹂
相も変わらず辛辣なリリアの言葉に、レフィーナは呻くように頷
くしかない。
それに対してリリアが追撃しないのはレフィーナが何を考えてい
たのかわかった為だ。
グレンヘイス=アーシア、レフィーナの兄が死んでから、もうす
131
ぐ一年が経つ。
この一年間、レフィーナは多くのことを学び、広い世界を知り、
ヘイスが言っていた風景もいくつか見ることが出来た。
美しく雄大な大地を見て、満天に広がる星空を見て、人が行きか
う娯楽都市を見て、冒険者ではないから戦闘能力的に見に行くこと
が出来ない場所も多いが、それでもレフィーナはこの一年世界を見
てきた。
だからこそ、レフィーナは何度となく思うのだ。
見た風景を兄と語り合いたいと。
兄が死んでいるからといって、そう思ってしまうのは止められな
いのだ。
生き返って欲しいと願う訳ではない。ましてや実は生きていると
いうことを祈っているわけではない。ふとした時に思うのは、それ
はもしもの話だ。
祈りでも願いでもない、ただの妄想。
リリアから聖剣の話を聞いた時に、分相応の願いや祈りは呪いと
変わらないのだと知った。
兄からもらった命に呪いを宿して不幸になるなんて、それこそ馬
鹿げている。
レフィーナは兄が死んだのだとちゃんと理解しているが、それで
もたまに妄想に身をゆだねて悲しみを散らしているのだろう。
﹁そういえば、もう一年ですか﹂
リリアが窓の外を見やりながら思い出したように声をかける。
そしてそのまま、じっとレフィーナの方を見て何やら思案顔をす
る。
いきなり凝視されてレフィーナはどきりとする。
﹁リリアちゃん?﹂
どうしたのかと声をかけても、リリアはまったく反応を見せない。
﹁一年間、長いようで短かったですね﹂
ふと振り返り、これまでの一年間はずいぶん長く感じたような気
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もするが一瞬の閃光だった気もする。
﹁⋮⋮うん、そうだね﹂
これまでの出来事を思い出し、レフィーナは少し懐かしく思って
しまう。
隣に置いてある業務日誌を見ながら、本当に色々なことがあった
と、ここで出会った人達の顔を思い出す。
ぱらぱらと読み起こす中にはポーションを売りに来たジャックの
ことや、毒薬を買いに来たクロのこと、のど飴を渡しにいったモニ
カのことや、惚れ薬を作ってほしいと頼んできたイーシャのこと。
その他にも大勢の人が店をやってきて、或いは別の街に出向き出会
って来た。
﹁色々なことがありました。何度命を落とすと思ったかわからない
壮大な冒険の日々でしたね﹂
﹁あれ、リリアちゃんわたしと同じ想像してなさそう!?﹂
﹁冗談です。レフィも⋮⋮少しは立派になりましたし﹂
目を逸らしながら言うリリアの頬は、少しだけ赤くなっているよ
うに見えた。
褒められて、レフィーナは﹁えへへ﹂と頬を緩める。
4カ月前にちょっとしたことがあってから、リリアはたまに慣れ
ないながらもレフィを労うようになった。デレ期が来た! なんて
喜んでいたレフィーナは、少しはしゃぎ過ぎたせいでいつもより酷
い折檻を受けて心に深い傷を残すことになったのはまた別の話とし
て。
﹁レフィ﹂
﹁は、はい?﹂
先ほどの懐かしむような口調とは違い、どこか真剣味を帯びた放
たれた名前に、レフィーナは業務日誌を閉じてリリアを見る。
﹁ヘイスに⋮⋮兄にまた会いたいですか﹂
外にはしんしんと、雪が降っている。
レフィーナはその言葉を静かに咀嚼し、目を伏せて答える。
133
﹁⋮⋮うん、会えるなら、また会いたいけど、でも⋮⋮兄さんはも
う居ないって知っているから⋮⋮だから、わたしは大丈夫だよ﹂
そう言うレフィーナの瞳は本当にそう思っているのだろう、どこ
か力強さを見せていた。
﹁︱︱そうですか﹂
だからリリアはそう言うしかなかった。
﹁うん、だからこれからもよろしくね、リリアちゃん﹂
伸ばされたレフィーナの手を見て、いつかの逆だと思いながらリ
リアはその手を取る。
﹁⋮⋮はい、よろしくお願いします﹂
声音に含まれた少しの陰りに、レフィーナはとうとう気が付くこ
とはなかった。
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Episode0.魔法道具販売店リリアーヌへようこそ︻後日談︼
その日の深夜。
誰もが寝静まった道を、薄く積もった雪を踏みながら重い足取り
で進む影が一つ。
さくり、さくりと黒いローブをまとった人影は王都ミランドの北
西区画⋮⋮孤児院や教会が立ち並ぶ道を歩き、その路地を奥へと進
んでゆく。
そこにひっそりと存在する小さな墓標。
降り積む雪さえも寄せ付けずにその場所を護り続ける聖剣の姿。
ほとんどの人が知らず、周囲に人除けの結界が刻まれたグレンヘ
イス=アーシアの墓標。
黒いローブの人影は、その場所までたどり着くと、フードをはら
りと払いのける。
すると銀色の髪が舞い、人形のように整った相貌が姿を現す。
リリア=クレスメント。
魔法道具販売店リリアーヌの店主であり、この墓標に刺さる聖剣
を作った製作者のうちの一人だ。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
墓標をじっと見るリリアの表情はいつものように感情の起伏があ
まり見られない無表情ではなく、どこか苦々しげにゆがめられてい
る。
﹁⋮⋮待たせたな﹂
そんな背中に、唐突に声がかけられる。
﹁ええ。待ってましたよ︱︱﹂
かけられた声の先に振り返ると、そこには同じように黒いローブ
をまとった人物が一人、いつのまにかリリアの背後に佇んでいた。
﹁︱︱ヘイス﹂
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フードの奥にはかつて見た時と変わらない、かつて英雄と呼ばれ
た今は亡きはずの冒険者の顏が、そこにあった。
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Episode0.魔法道具販売店リリアーヌへようこそ︻後日談︼︵後書き︶
さてはて、続きをどうするかどうか。
一応二種類、流れとして考えてますが、もう一本の合間に書いてい
くペースでいこうと思っているので、まったり更新していきます。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n5932cb/
魔法道具販売店リリアーヌへようこそ!
2014年6月11日20時14分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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