(元日本史教諭) 米を支給されていた。その 「お店を開く」を夢見な 時を刻んでいる。 下級武士がなんとか食べて がら、 野毛の街を歩く中で、 今では、多くの卒業生が いける程度にお店をやって ある日、卒業生が所有する 訪れ、学生時代の懐かしい 135 142 169 189 私立大合計 501 535 485 467 603 72 78 73 71 77 中3 髙良 拓馬 中3 奥 龍一郎 退 任 の 先 生 古城 光秋 (ふるき・みつあき) 編集後記 今回の校友会報は以下の 広報委員を中心に作成編集 しました。 昭和 年9月8日生 委 員 長 茅 野 誠 ( 9期) 平成6年4月1日~平成 年 委 員 中嶌 秀和 ( 期) 3月 日(国語科教諭) 委 員 花 家 徹 ( 期 ) 平成 年4月1日~平成 年 委 員 狩 野 靖 夫 ( 期 ) 3月 日 (国語科非常勤講師) 委 員 高 橋 英 一 郎 ( 期) 委 員 伏見 靖 ( 期) (よしとみ・たかみち) 委 員 櫛 田 恭 平 ( 期) 委 員 田中 崇司 ( 期) 昭和 年7月 日生 委 員 加賀美博之 ( 期) 委 員 小島 勇祐 ( 期) 25 昭和 年4月1日~平成 年 3月 日(理科教諭) 科非常勤教諭) 3月 日(芸術・家庭・情報 昭和 年4月1日~平成 年 昭和 年6月 日生 和田 幸芳 (わだ・ゆきよし) 待ください。(茅 野 誠) います。会員の皆様もご期 て校友会報を楽しみにして 私もこれからは一会員とし なされるものと思います。 とって有意義な紙面作りが な活動を通じて皆さんに 委員長の下、今以上に活発 りです。これからは狩野新 済々で有能なスタッフばか した。今は編集委員も多士 事の材料集めに四苦八苦で 私がまだ編集委員の時は記 委員長や石原委員長時代の ました。しかし、高倉初代 事に事欠かないようになり 現在は校友会報も会員の 各方面の活躍をお伝えする います。 者の方のご努力の賜物と思 じめ諸先生並びに学校関係 マス学院長や工藤校長をは うになりました。これもト 校友諸兄を多く見かけるよ 聖光出身を誇らしげに語る た事です。聖光OBとして 次は、聖光の入試成績が 年々右肩上がりに大躍進し てくれた記事です。 ち早く聖光の現役生が働い であり、その復興支援にい 言っても東日本大震災の件 しての思い出と言えば何と 日々ですが、私が委員長と 活躍を伝えられたか反省の 院の現状やOBの方々のご でどれだけ皆さんに聖光学 平成 年4月1日~平成 年 今回が私にとって最後の 3月 日(理科非常勤講師) 編集後記となります。会報 37 31 28 27 20 14 14 13 11 いければ、という意味を込 建物の1階が空く情報を聞 話を「肴」に盛り上がる。 138 168 16 松下廣先生 のお店 五合 酒肴温石 135 178 26 めて名前をつけたという。 きつけた先生は、真っ先に 料理はすべて手作りなので しゅこうおんじゃく ごごう ⃝ お 店 は 野 毛 の 「 柳 通 り 」 そ の 卒 業 生 に 連 絡 を と っ た 気楽にお越しくださいと先 にあり、 一階の入口には 「五 という。 生は言う。 128 156 吉富 孝道 開店のお祝いが行われた。 の「五合」にお立ち寄りを。 聖光学院を卒業後、お世 になった恩師が、卒業生に 合」の木彫りの看板が掲げ お店がオープン後まもな 横浜の「野毛」近辺にい 話になった恩師とのかかわ 「おもてなし」をしてくれ られている。これは 期の く、現社会科の先生たちで らした際は、ぜひ松下先生 慶 応 早 稲 田 25 り方にはいろいろな形があ るということはあまりみか 卒業生が作ったものだ。 クラブ表彰(平成25年~平成26年) る。 けないのではなかろうか。 お店がある建物も六期の 店内には社会科一同から贈 そこには、他の同級生や先 同窓会などで恩師を主賓 日本史の松下廣先生は、 卒業生が所有するものだ。 られたレトロな掛け時計が 生が来ているかも に酒を酌み交わすことが一 今、聖光学院の卒業生には もともと先生は、英語の 般的だが、反対に、お世話 とりわけ「おもてなし」を A本先生と同じく、野毛を 学校で見かけない日でも野 158 26 してくれると、卒業生の中 ホームタウンとしており、 138 26 で話題になっている。 松下先生は、 期以降の 毛では見かけると言われた 卒業生にはおなじみであろ ほどであった。 う。2年前に学校を勇退し また、先生は料理をする たのち、今年の2月、横浜 のが大好きで、時には、職 153 21 第12回 日本ジュニア数学オリンピック 地区優秀賞 「野毛」 で自分のお店をオー 員室で自分の手料理を他の 144 23 中2 松村 怜央 中2 森川 一麿 中2 萩谷 健人 中1 松本 侑也 中1 小川 諒 先生らにふるまうことも 161 !? ・優勝 高1 奥 龍一郎 ・準優勝 高1 松本 頌平 プンした。 文部科学大臣杯 第10回 中学校将棋団体戦 準優勝 お店の名前は「五合」 。 あったそうで、引退後は自 武家の時代、下級武士は給 分のお店を開くことが夢だ 国公立合計 31 25 31 第24回 日本数学オリンピック予選 合格 高2 小野田怜依 高2 阪本 拓功 高1 日比野 陸 高1 松下 覚 料として1日「五合」の蔵 と語っていたという。 15 31 25 31 47 23 高1 王 允卓 中2 井出 竜鳳 までやり抜く」という精神 い、最後まであきらめない 21 27 31 50 23 第13回 日本情報オリンピック予選 Aランク に支えられてたゆまぬ努力 受験へとつなげることがで 14 19 期生 17 65 25 18 25 抜きん出た 10 横浜市中区野毛町1-6 加賀美自動車ビル1階 ☎045-231-0944 17時30分~24時まで 営業日:毎週火・水・金・土曜日 (祝日を除く) 第50回 全国高等学校将棋選手権大会 B級 を続け、国立大の後期試験 きました。 60 19 まで気持ちを途切れさせな 65 13 年度大学入試結果より 62 平成 中1 藤井 崇史 第17回 神奈川県小中学校将棋大会 王位戦の部 優勝 表に見えるように、好調 かりやり抜こう」という方 をするようになり、その効 な結果を残している例年と 針で臨みました。校舎建て 果を最大限に活かすことが 比べても抜きん出た大学入 替え・引越の喧噪の中、勉 できるようになりました。 試結果を残した 期でした 強も頑張りながら、そうし また、もともと生徒数の多 が、高校1年の時の模擬試 た 諸 活 動 に い そ し む 過 程 い 期でしたが、ザビエル 験の受験結果は必ずしも順 で、生徒の側にも、協同の センターの自習室利用者も 風満帆とは言い難いもので 精神、期としての一体感と 非常に数多く、学校の授業 した。しかしそのことは生 い っ た も の が 醸 成 さ れ て を中心に置いた学習を自分 徒の持つ危機感としてはプ いったようです。見ように のペースでしっかり進めら ラスに働き、また生徒に接 よっては、この「最後まで れるようにもなりました。 する担任・担当の先生方が やり抜く」という精神は結 高3も後半になると、そう 辛抱強く、要点を押さえた 果として間接的に入試の際 した取り組みが実を結び、 いものになってきました。 丁寧な指導にあたったこと にも表れたようにも思われ 模擬試験の結果も次第によ もあって、最後にはよい形 ます。 71 13 12 25 ★酒肴温石「五合」 中2 加藤 綜一 中2 中村 紘也 中2 金田遼太郎 第17回 神奈川県小中学校将棋大会 上級戦の部 準優勝 囲碁将棋部 で実を結んだようです。 効果はすぐに形になって センター試験では国語の 学年としての指導もけっ 表れるものではありません 古文で『源氏物語』が出題 して学習一辺倒のものでは が、生徒は学習にも前向き されるなどして平均点が昨 なく、たとえば部活動にし に取り組み、たとえば定期 年度以上に下がり、全国的 ても、生徒会活動、またボ 試験についてもただ受ける に見ても思ったように得点 51 横浜地区中学校1年生テニス大会 準優勝 硬式テニス部 51 ランティアなども含むその だけ受けて後は知らないと できなかった受験生も多い 東 大 一 橋 東 工 大 国公立医 51 他の課外活動にしても、「や い う 姿 勢 で な く、 早 期 に 中、 期生は、諸活動など 22年度 47期生 立 23年度 48期生 私 24年度 49期生 国公立 個人表彰 15 25年度 50期生 26 11 26年度 51期生 現役進学率% 51 りたいことは最後までしっ しっかり見直し、解き直し を通じて培ってきた「最後 過去5年間主要大学合格者数(現役+浪人) 第 33 号 (4) 聖光学院校友会報 平成 26 年 9 月 1 日(月)
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