ARIMASS Letter - 危機管理システム研究学会

ARIMASS Letter
[Association for Risk Management System
Studies]
危機管理システム研究学会
2014 年 6 月
第 57 号
危機管理システム研究学会第 14 回年次大会に参加して
MRM 分科会 内田英二(昭和大学)
第 14 回年次大会は、2014 年 6 月 7 日(土)に、太田三郎大会長により「情報開示とリスクマネジメン
ト」をテーマに千葉商科大学で開催された。自由論題報告およびパネルディスカッションは例年通りであ
ったが、今回は分科会研究報告のセッションがもたれた。各分科会の研究内容が分かりやすく紹介され、
他の分科会の活動が読み取れたばかりでなく、リスクマネジメントに関する内容について分科会は異な
っても共通するものがあり、興味深く拝聴した。MRM 分科会では、昨今マスコミで報道され、行政(厚生
労働省)が検討委員会を組織した「高血圧治療薬ディオバンの臨床試験不正事案(以下、「本事案」と
いう)」について報告を行った。医薬品は、物と情報が対になってはじめて安全性を担保してその有効
性が発揮されるものであるため、医師が処方を書く際の拠り所となる情報が操作されたことは、医療上重
大な問題であることは明白である。大会終了数日後に、本事案で統計解析を担当した元製薬企業社
員が逮捕されたという報道を目にして驚いた。検察は、薬事法第 66 条(誇大広告等の禁止)違反の疑
いで元社員を逮捕し、当該製薬企業も対象に入れているようである。
ヒトを対象とする臨床試験(企画・立案・実施・解析・報告)の責任者は研究者である医師であるわけ
だが、研究責任者たる医師の能力(教育)不足および実施環境の劣悪さ(医療機関におけるシステムの
欠如)が本事案の根本にあるものと思料する。医学界および医療界は、適正な臨床研究の結果を世に
出すための「文化・システム」作りに、目を向けてもらいたいと切に願うものである。しかし、これらを達成
するには現状ではかなり難しい社会構造になっていることも事実である。そう考えていくと、本事案に対
する検察の動きは彼らなりにやむを得ないものとしても、研究不正を防止しかつ適正な臨床試験が実施
できる環境を日本で整備するには長い道のりがかかりそうである。
以上
目
次
巻頭言:危機管理システム研究学会第 14 回年次大 連載随筆
会に参加して ······················· 1
黎明期のリスクマネジメント 2
―昭和から平成へ―
新しい時代はどのようにして
2014 年度
会員総会報告 ···················· 2
つくられたか― ····························· 7
2014 年度
年次大会報告 ···················· 2
分科会報告 ··································· 17
<新分科会活動開始、メンバー募集のご案内>
学会員の学位・論文・新刊書のご紹介 ··········· 27
リスクマネジメント大学教育分科会 ········· 4
事務局からのお知らせ ························· 28
統合報告フレームワーク研究 WG(IR-WG) ··· 5
(別添)2014 年度
会員総会
資料
事業継続マネジメント研究 WG(BCM-WG) ···· 6
1
2014 年度 会員総会報告
2014 年 6 月 7 日(土曜日)千葉商科大学市川キャンパスにおいて、危機管理システム研究学会
の会員総会が開催され、会員 32 名が出席した。会則に従い、総会議長は会長の藤江俊彦氏が勤め、
以下の議題が審議され、承認を受けた。
議題(1)の 2013 年度(平成 25 年度)の活動報告、議題(2)の 2013 年度(平成 25 年度)の決算報
告がなされ、承認された。次に、議題(3)監査報告がなされた。議題(4)2014 年度(平成 26 年度)の活
動計画、(5)の 2014 年度(平成 26 年度)の予算について議長から説明があり、会員の承認が得られ
た。
また、議題(6)の会則変更について、議長から説明がなされ、会員の賛成多数で承認された。議題
(7)のプライバシーポリシー策定が提起され、会員の賛成多数で承認された。
続いて、議題(8)において会則第 15 条第4項に従い、次期会長候補の選出(プレジデントイレイク)
をおこなった。次期会長候補は宮林正恭氏(公益社団法人未来工学研究所)が選出され、承認された。
議題(9)の次年度の第 15 回年次大会は、2015 年 6 月のいずれかの土曜日において、年次大会長を
指田朝久氏(東京海上日動リスクコンサルティング)として開催することが決定された。
その他、議長から、先の理事会において、役員欠員のため 2 名の理事が選出、承認されたこと、また
上野治男氏(当学会・副会長)からリスクマネジメント教育を行うための新分科会の設立が提起され、理
事会において既存の教育実践分科会との統合を行い、新分科会を存続組織として分科会活動を行う
こととしたことが報告された。
学会における会員の活動の理解と、積極的な活動参加をして頂くために、総会資料を添付する。な
お、総会資料は、総会時点において案であり、現時点では会員総会において承認されているものであ
る。
(事務局)
2014 年度 年次大会報告
6 月 7 日、危機管理システム研究学会(学会長:藤江俊彦千葉商科大学教授)第 14 回年次大会(準
備委員長:太田三郎千葉商科大学教授)が、千葉県市川市の千葉商科大学で開催されました。2001
年に発足した危機管理システム研究学会は、産業界の経営者やリスクマネジメント実務者、および金融、
法 律 、財 務 会 計 分 野 、あるいは医 療 分 野 、
大学研究者等が連携して研究することを特
色 とした学 会 ですが、今 大 会 も様 々な分 野
からの参加者がありました。
午前に行われた自由論題報告の部では、
名古屋大学大学院佐柳恭威氏より「金融業
界における RTO ガイドラインがリカバリー・ロ
ケーション・ステラテジーに及ぼす影響」と題
して、金融機関の事業継続対策の戦略とそ
の現状について事例紹介を交えての報告、中部産業連盟山崎康夫氏より「食品業界におけるリスクマ
ネジメント」と題し、近年、食品業界において注目されている「フードディフェンス(食品防御)」について、
その考え方と事例、最新情報の報告などが行われ、社会のニーズに即したテーマについて活発な議論
2
がなされました。また、昨年度、関西に新設された「社会性とリスクマネジメント分科会」からは、神戸学
院大学准教授井上善博氏より「長寿企業の伝統と革新」と題して、長寿企業における伝統継承と革新
の取り組みについて発表があり、企業存続のための鍵が示されました。
この他、菅原智久氏(菅原智久税理士事務所)から「業績低迷企業の再生可能性」、矢澤健太郎氏
(千葉商科大学大学院)から「リーマンショック以降におけるデリバティブに関するモデルと現実との乖
離」、佐竹恒彦氏(千葉商科大学大学院)から「中小企業における新規事業展開と社長のリーダーシッ
プ」について報告が行われました。
昼食後は、会員総会が開催され、2014 年度
は、“会員数の増加を目指す”、“学会としての
学術的な地位の向上を目指す”、“多くの会員
が参加できるプロジェクトの充実を目指す” の
3 つを基本方針として活動することが議決され
ました。
分科会活動としては、リスクマネジメントシス
テム研究分科会、リスク事例サロン分科会、メディカルリスクマネジメント分科会、価値ベース・リスクマネ
ジメント分科会、企業活性化研究分科会等の既存の分科会に加え、昨年度、科学技術リスク分科会、
社会性とリスクマネジメント分科会が設置され活動していることが紹介されました。さらに今年度は、リスク
マネジメント大学教育分科会が新たに設置されると共に、リスクマネジメントシステム研究分科会におい
て事業継続マネジメント研究 WG、統合報告フレームワーク研究 WG が新たに活動を開始することが決
定され、近々メンバー募集が行われることが案内されました。
分科会活動報告では、リスクマネジメントシステム研究分科会から、「ERM がこの 10 年にもたらしたも
の」と題した ERM の総括と今後の展望が報告された他、「ISO31000 研究報告」が報告されました。
「ISO31000 研究報告」は、“ISO31000 リスクマネジメント-原則及び指針”について逐条的に解説し
たもので、リスクマネジメントに取り組む企業関係者や研究者の貴重な参考資料となるとの話がありまし
た。なお、「ISO31000 研究報告」は、学会ホームページ(http://arimass.jp/index.htm)に公開して
いるとのことです。
メディカルリスクマネジメント分科会からは、「ノバルティス社ディオバンの臨床試験不正事案」につい
て報告がなされ、研究者主導臨床試験についての法制化や学術研究の中間成果および最終成果を
製薬事業者が販売促進に利用するに際してのルール作り等が提言されました。
統一論題報告の部では、「情報開示とリスクマネジメント」をテーマに、医療分野、産業分野、環境分
野、金融分野のそれぞれから報告がなされました。
医療分野の寺本研一氏(てらもとクリニック院
長)は、「医療分野においては、情報開示は必須
の条件。しかし、医療現場には情報開示すること
の限界だけでなく、開示された情報の利用や理
解にも限界があるのが現実。開示された情報を
患者などが容易に理解できるようにするシステム
が必要」として、医療情報を患者などに向けて翻
訳する役 割/機 能やそれらの専 門 家 を育てる仕
組みの整備が提言されました。
3
産 業 分 野 の 内 田 知 男 氏 (エリーパワ
ー株式会社常勤監査役 )は、近年にお
ける非財務報告書の発行状況の推移や
統合報告書に関する世界の動き等を報
告した後、統合報告書について、「企業
行 動 (財 務 )と企 業 理 念 (非 財 務 )が一
致・統合してはじめて企業価値の最大化
を図ることができる。統合報告書によって
企業行動と理念の両者に裏付けられた
企業価値評価が期待される」とその意義
を示す一方で、統合報告書発行のインセンティブを高めるためには、「グローバルな比較可能性」と「報
告書格付けなどの客観的な市場評価の仕組み作り」が課題との提言がありました。
環境分野の仲間妙子氏(日本経済大学大学院准教授)は、海外の土壌汚染法制度の相違や近年
のアジア諸国における法整備の急展開状況、海外の環境デューデリジェンスの実態を報告し、「海外に
進出する日本企業は、現地の法整備状況や遵法状況に甘えず、将来の法整備、環境意識変化を見
通した取り組みが喫緊のリスクマネジメント課題ではないか」との提言がありました。
金融分野の吉田靖氏(東京経済大学経済学部教授)は、東日本大震災などにおける企業の開示情
報と株式市場との関連性について報告し、「株式市場は、開示情報の内容よりも開示の速さに反応する
傾向がある。」との見解を示されました。
(広報編集委員会)
<新 分 科 会 活 動 開 始 、メンバー募 集 のご案 内 >
リスクマネジメント大 学 教 育 分 科 会
◆分科会の目的・趣旨
アリマス創立大会の際、大学教育の場において危機管理・リスクマネジメントの授業が幅広く行われる
ことを目指したいという提案がなされました。当時、それは夢のような話でした。その後 14 年を経過し、現
在インターネットで検索してみると、シラバスや授業用パワーポイントなどにより授業内容が公開されてい
るものだけでも、すでに 50 以上を数える状況になりました。また、書籍のような出版物も枚挙の暇のない
ほどになりました。同慶の至りです。ところがこれを子細に検討すると、ひとつの学問分野と呼ぶには、あ
まりに広範多岐にわたっている現状です。しかし、企業など民間分野のニーズは、学問的進展を待てな
いほど変化が速く、革新的です。それは、各分野の学問や業種業態のニーズがかかる多角化を呼ぶの
であり、リスクマネジメントが本質的に実学である結果だと思います。
当会会員の中にも専門講座をもつものは少なくありません。また、新設講座なるがゆえのご苦労、ご
負担も少なくないと承知しています。このように普及してきた今日、講座を担当する会員間で情報・意見
を交換することにより、授業の質をさらに高めて行きたいと望む方も少なくありません。そこで、危機管
理・リスクマネジメント、リスク分析などに関する授業を持たれる方、あるいはそれを企図しておられる方を
中心に本分科会を発足させ、学問的深化、レベルの向上と共に、メンバーの負担軽減を図り、授業の
質的向上に役立てたいと思います。
発起人代表:上野治男
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◆活動内容とスケジュール
当面は、講座をもつ会員が順次その授業内容、学生の反応、問題点などを披歴し、それを基礎にし
ての意見交換を行うことにより、相互啓発を図ることを中心にして分科会活動を進めていきたい。本年秋
に第 1 回目の会合を持ち、そこでの話し合いにより、おおむね 2 か月に 1 回のペースで会合を持ちたい
と思います。
◆開催場所
未定ですが、都内の大学施設を検討中です。
◆メンバー募集
この分科会の趣旨に賛同される方は、下記事項を記載の上、[email protected] までメールをお
願いします。地方会員の場合は、登録することにより、資料の交換入手を可能にしていきたいと思いま
す。
<参加希望メールへの記載事項>
「リスクマネジメント大学教育分科会に参加希望」と明記の上、所属、氏名(ふりがな)、メールアドレス
をご連絡ください。
統 合 報 告 フレームワーク研 究 WG(IR-WG)
参 加 メンバー募 集 のご案 内
リスクマネジメントシステム研究分科会(主査:指田朝久)の WG の一活動として、従来からエンタープ
ライズ・リスクマネジメント(以下、ERM)に関する研 究を行ってきました(前 年度 までの研 究報 告 は、
http://arimass.jp/bunkakai02/ 参照)。
4 期にわたって活動してきました ERM-WG は一旦終了とし、2014 年度以降は、統合報告フレームワ
ーク研究 WG(WG 主査:宮崎昌和を予定)を新たに設置し、2014 年 12 月に公表された「国際統合報
告フレームワーク(*1)」の概念およびその実務への展開について研究を行います。
関心をお持ちの方は下記を参照の上、申込先にご連絡ください。
*1 日本語訳が以下から DL できます。
http://goo.gl/PH98Gh
【WG 開催】
・9-10 月に第 1 回を開催予定です。
・時間は 18:30~20:30、場所は大手町を予定しています。
・2 ヶ月に 1 回の頻度で開催し、次期大会で中間報告できるよう取りまとめることを目標とします。
【メンバー間の連絡】
ARIMASS の Mailing-list の分科会グループ用を活用します。参加メンバーに別途ご案内します。
【参加希望の申し込み先】
下記事項を記載の上、[email protected] までメールをお願いします。
48 時間以内にメール受領の返信が無い場合には、メールトラブルの可能性がありますので、再送し
てください。
<参加希望メールへの記載事項>
「統合報告 WG に参加希望」と明記の上、所属、氏名(ふりがな)、メールアドレスをご連絡ください。
5
【参加申し込みの期限】
募集は、7 月 31 日で一旦締め、活動開始の準備に入ります。
なお、WG への参加は随時受け付けておりますので、後日、参加希望となった場合には遠慮なくお
申し込みください。
事 業 継 続 マネジメント研 究 WG(BCM-WG)
参 加 メンバー募 集 のご案 内
リスクマネジメントシステム研究分科会(主査:指田朝久)の WG の一活動として、従来からリスクマネジ
メント(以下、RM)の規格類について対象規格の生まれてきた社会背景や展開の歴史を含め、規格の
論点を掘り下げて、WG グループの参加者間で解釈や意見交換を行ってきました。WG メンバーの出身
母体もいろんな実業界に渡っていますので、規格の適用の確度や特に海外基準の規格の場合の社会
文化の差など示唆に富んだ議論も展開されてきました。(前年度までの研究報告は、
http://arimass.jp/bunkakai02/ 参照)
2014 年度は、事業継続マネジメント研究 WG(WG 主査:後藤和廣、WG 副主査:長井健人を予定)
を新たに設置し、2013 年 10 月に制定された「JISQ22301(ISO22301)社会セキュリティ -事業継続
マネジメントシステム- 要求事項」を中心としつつ、「ISO22313(同ガイドライン)」、「ISO22320(社会
セキュリティ 危機管理 危機対応に関する要求事項)」、「ISO/IEC 専門業務指針:統合版 ISO 補足
指針」等にも目を向け、事業継続マネジメント/事業継続マネジメントシステムの概念およびその実務へ
の展開について研究を行います。
関心をお持ちの方は下記を参照の上、申込先にご連絡ください。
【研究対象規格等】
「 JISQ22301 ( ISO22301 ) 社 会 セ キ ュ リ テ ィ - 事 業 継 続 マ ネ ジ メ ン ト シ ス テ ム - 要 求 事 項 」 、
「ISO22313(同ガイドライン)」、「ISO22320(社会セキュリティ 危機管理 危機対応に関する要求事
項)」、「ISO/IEC 専門業務指針:統合版 ISO 補足指針」等
【WG 開催頻度、開催曜日、時間、場所等】
概ね 2 か月に 1 回開催予定です。基本となる開催曜日については、参加メンバーの希望を踏まえ決
めたいと思います。次の開催日は、WG 終了毎に、基本となる開催曜日をベースに、参加者の予定を
勘案し決定します。時間は、18:30~20:30 です。場所は、MS&AD基礎研究所(渋谷区代々木 3-25)、
またはインターリスク総研(千代田区神田淡路町 2-105 ワテラスアネックス)を予定しています。
【メンバー間の連絡】
ARIMASS の Mailing-list の分科会グループ用を活用します。参加メンバーに別途ご案内します。
【参加希望の申し込み先】
下記事項を記載の上、[email protected] までメールをお願いします。
<参加希望メールへの記載事項>
「事業継続マネジメント WG に参加希望」と明記の上、所属、氏名(ふりがな)、メールアドレス、分科
会開催曜日についての希望をお知らせください。
【参加申し込みの期限】
WG への参加は随時受け付けておりますので、後日、参加希望となった場合には遠慮なくお申し込
みください。
以上
6
連載随筆 黎明期のリスクマネジメント2
―昭和から平成へ―新しい時代はどのようにしてつくられたか―
副会長
上野
治男(パナソニック終身客員)
サクッ サクッ サクッ サクッ。遠くのほうから静謐を打ち消すように、玉砂利を踏みしめ一歩一歩、歩
そうかれん
を進める足音。その音も次第に大きくなり、陛下の御遺骸を納める葱華輦 が目の前を通過し、葬場殿に
入る。担ぎ手と警護は皇宮護衛官 51 名。緩徐にして荘重。その間 3 分。静粛の中に悲しみを堪えるか
のごとく。こんな荘厳な音楽は聴いたことがありません。まさにアンダンテグラーチェ。これだけ多くの人の
足音がたったひとつの音のように乱れひとつない。静粛の中の悲しみの表現として、こんなに心に響く音
楽は聴いたことがありま
せん。平 成 元 年 2 月
24 日、氷雨降る中、世
界 164 か国 27 国際機
関 から多 数 の元 首 クラ
スの貴 賓 の列 席 のもと、
昭和天皇の葬儀が新
宿御苑において挙行さ
れました。その中には
米国ブッシュ大統領夫
妻、フランス・ミッテラン
大 統 領 、西 ドイツ・ワイ
提 供:朝 日 新 聞 社
ツゼッカー大統領、ベルギー・ボードゥアン1世国王、トルコ・オザル首相、フィリピン・アキノ大統領、イン
ドネシア・スハルト大統領など 42 の国の元首も含まれていました。すべては古事記伝承の作法に則り、
粛々と行われました。1500 年間以上守り続けてきた伝統の結晶です。これにより昭和の時代は幕を引
き、名実ともに新しい平成の時代に入ったのです。
前号は中曽根内閣時代に危機管理が導入された経緯について書きましたが、今回はその次の竹下
内閣のとき、陛下が崩御され、新しい平成の時代を迎えた際に、どのようにして古い時代に別れを告げ、
新しい時代を迎えたか、そのときの総司令官たる総理大臣の思いを中心に振り返ってみようと思いま
す。
前号で紹介しましたように、KAL機撃墜事件の際、関係省庁間の横の連絡が悪く、折角入手した情
報すら活用しきれない状況にありました。それを憂慮した中曽根総理、後藤田官房長官が、中央省庁
再編の必要性を痛感され、その際の理念のひとつとして提起されたのが危機管理だったのです。まさに
行政改革のキーワードだったのです。
明治維新以来百年以上を経過し、わが国は世界でも有数の大国に成長しました。短期間にそれを
成し遂げることができたのは、ひとつには官僚が優秀だったことは間違いありません。しかし、内外から称
賛されるままに、自らもそう確信をもってしまったことが誤りのもとだったのです。慢心は常に災いのもとで
す。いつの間にか政府は肥大化し、縦割り行政も行くところまで行き、行政官僚も国益より省益のほうを
優先するような無様な状態になりました。さらに戦後長く続いた平和ボケが、官僚の傲慢さと無気力そし
7
て無能さ、すなわち大局感の欠如と非能率を露呈させたのです。それは言い過ぎだという反論もあるか
もしれませんが、私自身その官僚のひとりであったので、自戒の念を込めての評価とお許しください。
◆竹下総理大臣秘書官に
それはともかくとして、昭和 60 年 3 月、中西一郎危機管理担当大臣の退任に伴い、私は親元の警察
庁に戻り、生活経済課長などのポストに就いておりました。消費者保護を担当する課ですが、警察内部
では決して重要なポストではありません。そこで 2 年有余が経過し、中曽根内閣は 5 年という長期政権を
閉じ、後継に竹下登氏が推挙されました。1987 年 10 月のことです。私は総理大臣秘書官に任命され、
官邸で勤務することになりました。竹下氏が自民党総裁に推挙されてから総理に就任するまでに、2 週
間ほどの期間がありました。その間、秘書官その他の補佐官予定者が竹下事務所や竹下私邸に集まり、
連日のように、新内閣の政策構想の検討、意見調整が行われました。中曽根総理は自民党の中では
弱小派閥の出身でしたが、竹下氏は自民党最大派閥の田中角栄派を継承し、100 名以上の国会議員
を擁する最大派閥の領袖ですから、党内的には極めて安定政権です。それゆえ長期政権になるであろ
うと期待されていました。秘書官と言うと個人秘書のようですが、各秘書官にはそれぞれお付きの補佐役、
秘書、運転手もついており、政策補佐官と言ったほうがよいポストです。事実、海外のマスコミの中には
総理秘書官のことを Special Aid to Prime Minister と紹介しているところもありました。
近年、突然総理に就任し、事前の準備もできていない人が増えていますが、その昔は派閥の順繰り
で総理総裁に就任し、それまでに蔵相、外相、主要経済閣僚、党幹事長などを経験しており、政務も党
務もそれなりのベテランでしたから、政治も安定していました。竹下氏の場合、蔵相を 4 年以上務め、経
済閣僚、官房長官、幹事長、国対委員長なども経験し、政務も党務も熟知していましたから、安定性が
ありました。昭和時代の総理大臣はみんなそんなものでした。ところが竹下氏は外相の経験はなく、本
人は国際関係がウィークポイントと認識し、わざわざ関係省庁に対し、国際関係のベテランを秘書官とし
て送り出すよう要請するほど謙虚でした。そんなこともあり、警察庁の場合、警備公安出身者を秘書官に
送り出すことを慣例にしていたのですが、その経験の全くない私に、突然白羽の矢が立ちました。
4 年以上在任するだろうという前提で、その間の主要政策課題として、教育改革(画一的な教育から
多様な教育へ)、地方制度改革(ふるさと創生、東京一極集中から地方分散へ)、財政改革(財政の安
定運用と憲法 85 条)、外交(アジア重視外交の推進)、日本型福祉社会(好老社会の再構築)、経済政
策(多様化と心の豊かさ重視の経済)などの論点整理と目標設定を行いました。それらの多岐にわたる
政策課題の中で、税制改革を最初に取り上げることになりました。
◆消費税導入を最優先課題に
それはひとつには、竹下氏自身が大蔵大臣を 5 年間務めていること、その間大平内閣と中曽根内閣
で大型間接税の導入を図ったが、いずれも世論の支持が得られず導入断念に至っていたことから、どう
しても自分の手でこれを実現させたいという政治家としての思いが強かったからです。そこにはもうひと
つ、前年 1986 年に衆参同時選挙により、自民党は、衆院で自民 300 に対し、第一野党社会党は 85、
参院で自民 143、社会党 41 と圧勝しており、あと 2 年間は国政選挙がないことが分かっていました。ま
た日本人の特性として、どんな新しい制度でも当初は抵抗があっても、一度成立すれば国民はいつま
でもぐずぐず言わず、それを受け入れてくれるという思いがありました。たくさんの政策選択肢の中でこれ
が一番困難なことは分かっていましたから、力のみなぎっている間にこれを実現させてしまおうというので
す。考えてみれば私が大学 1 年生のとき、日米安保条約の改定がありました。反対気運が世間に充満
し、入学式が挙行されてからも学内は騒然とし、授業らしい授業は行われず、毎日国会へデモに押し掛
8
ける状態でした。それが 6 月 15 日強行採決により国会を通過すると、翌日から国会周辺に人は見られ
ず、潮が引くように元の平静に戻っておりました。あれほど強い反対運動でも通ってしまえばそれまでな
のです。
とはいっても竹下総理も慎重で、消費税を導入するとは明言せず、検討中であり、皆も一緒に考えて
ほしいという言葉を繰り返すだけでした。それでも地方遊説などで「新税は常に悪税。当初はだれも賛
成しない。しかし慣れれば誰も違和感などなくなる。通ってしまえばそれまでよ」と、必ず国民は理解して
くれるはずとうそぶきます。側近としてはひやひやすることの連続でした。今日と当時を比較すると一番
違う点は、当時財政状態は極めてよく、今日のような累積債務など全くありませんでした。しかも中曽根
内閣時代にすでに決定済みであった電信電話、専売、国鉄という 3 公社を売却すれば、複数年分相当
の歳入が見込まれるなど、将来展望も良好でした。さらに郵政省、住宅公団、道路公団なども売却可能
であり、特に郵政省は、郵便事業、簡易保険、郵便貯金の 3 事業を抱え、いずれも売却可能と見られて
いましたから、財政的には明るい夢ばかりでした。まさに明治維新以来百年の国民の努力の結晶がある
のですから、財政不安など微塵もなかったと言えば言い過ぎでしょうか。むしろこの蓄積を無駄遣いせず、
新しい国家建設に有効に使おうということでした。それに、すでに英国で始まっていた金融ビッグバン、
すなわち金融の大幅自由化、銀行、保険、証券という業種間の相互乗り入れなどが必要ですから、そ
れに備え、規制の大幅撤廃が必要で、巨大な金融機関であるだけに、郵政の改革は不可欠と考えられ
ていました。
それではなぜ消費税を導入しようとしたのか。それは、当時の世界は、米国はレーガン大統領、英国
はサッチャー首相で、ともにネオリベラリズムを唱え、大きな政府から小さな政府への転換、行き過ぎた
福祉政策の見直しを行う。そのために所得税や法人税などの直接税を思い切って削減し、売上げや消
費を基準とした間接税に置き換えるということでした。当時、直間比率の見直しという言葉がよく使われ
ました。欧米各国からの強い期待もありました。また、そうしなければ折角日本に来ている外国企業が日
本から離れ、近隣のアジアの国へ移動してしまうという心配もありました。高税率の日本などにいたくはあ
りません。個人や法人の所得の把握というのは易しいようで現実には極めて難しく、とりわけグローバル
企業は各国の税制の違いを利用すればどうにでも節税できるので、不公平のもとになります。したがって、
日本だけが他国と異なった制度や税率を維持することはできないのです。また、その時点ではそれほど
深刻ではなかったけれど、いずれ高齢化社会が進み、福祉政策が行き詰まるだろうという懸念もありまし
た。だからこそ、日本の伝統である、高齢者を大事にする社会、家族中心に苦楽を共にし、支えあう社
会を取り戻しておこうということでした。竹下総理は、好老社会という言葉を好んで使われました。年寄り
が尊敬、大事にされ、安心して生活できる社会のことです。
◆新しい時代をどのように迎えるか
話を元に戻すと、私邸での検討の席で竹下氏から私に、「陛下はすでに齢 86 歳。何が起こってもお
かしくない。そのときに備えて十分勉強しておくように」という指示がありました。4 人の総理秘書官の事
務分掌で私が皇室を担当しておりましたから、そのような指示があったわけです。各界識者の声にも耳
を傾け、いろいろな可能性を考えておくようにというのです。事実その年の 9 月陛下は膵臓がんの手術
を受けており、それは公表されていませんでしたが、ご高齢であることは間違いありません。こういうときは
先例に学ぶことが必須です。と言っても参考になるのは明治天皇、大正天皇の二例しかありません。新
憲法下では例がありません。それは長かった昭和が終わり、新しい時代が始まるということです。まさに
歴史の転換点にあり、新しい時代をつくるということですから、緊張もしました。畏れ多く身の引き締まる
思いでした。しかしこんなことで震えていたら何もできません。それがわが身に与えられた使命であり、平
9
常心で当たらねばと自らを叱咤激励した次第でした。
一国の宰相の仕事とは何か。一言でいえば、それは国王のお世話をすることです。それは国王が主
権者であった時代であろうと、国民主権の時代であろうと変わりはありません。さらに国王の仕事とは何
か。それは国民を守ることです。平和を守ることであり、弱者を守ることです。そのことはルソーやロックの
社会契約論によく書かれています。原始自然社会においては弱肉強食の社会であり、かよわき人々は
常に強者の犠牲になる。そこで人々は社会の中で最も強い人を選び、自分たちの保護を委託し、その
代わり金銭を支払う。その選ばれた強い人を国王と言い、そこに支払われる金銭を税金と呼ぶ。それは
社会全体との契約である。そこでもし国王がその契約に反し、国民の保護に失敗したら、国民は契約違
反として契約を解除し、国王を処刑することもできる。それが社会契約論の論理です。
この論理は、17 世紀 1初めの英国で国内が乱れ、国民の生活が危殆に瀕したとき、清教徒革命が起
こり、国王を処刑したことを後から理論づけたものですが、この思想は、その後フランス革命やアメリカの
独立のときの理論的根拠として使われました。今日でも英国では、警察官はその帽子のエンブレム(徽
章)に EⅡ のマークを付けています。これはエリザベス 2 世の意味であり、すべての警察官は国王のサ
ーバント(代理人)として国民を守る義務がある。これを、使用人とか召使と訳してもよいかもしれません。
誇り高い人種イギリス人とすれば召使と言われても、何もへりくだることはありません。いわんや国王直属
の召使ですから誇りそのものです。その誇りには、それに伴う責任・義務と権限が付いていますから、確
信的な信念が伴います。もし警察がその任務を怠ったら国王が処刑されてしまう。だから頑張らねばと
言います。心技体いずれにも秀でた者が警察官に任命され、さらに他の人にはないような特別な権限が
付与され、その上でかよわき国民を守る義務が課せられると説明するのです。だからこそ責任は重いの
です。人間は本性その能力において平等ではありません。強い者も弱い者もおります。それをありのまま
認め、強い者に義務を課す。それが英国式の理念です。新任警察官の教科書にそのことが書かれてい
ます。米国でも公務員のことをパブリック・サーバントと言いますが、その場合、パブリックとは、総体とし
ての国民あるいは国家のことであり、一人ひとりの市民のことを意味してはいないようです。召使なのだ
から、あごで使ってもよいなんて発想はありません。
それは日本でも同じだと思います。だからこそ、公務員には厳しくかつ重い責任があるのだと思いま
す。こういう国王に仕えるのですから、宰相たる総理大臣は大変です。とりわけ謹厳実直な昭和天皇に
お仕えするのですから、竹下総理も陛下にお会いする時は殊の外緊張されていました。陛下に接見さ
れた場合、その都度それなりの記録を残しておかねばなりません。秘書官は別室で待機するだけで、同
席はしていませんので、さりげなく接見のご様子を伺うのですが、総理は車に乗ると何はともあれ、たばこ
を一服し、緊張から自らを解きほぐし、それからおもむろに、接見の様子を話されますが、その前に車の
中が煙でもうもうとなったところを堪えるのは、いくら秘書官とは言え、厳しい試練でした。昭和天皇という
お方は誠実かつ真面目であるだけに、周りに自然と厳粛な雰囲気が生まれるのです。それは、かつてフ
ォード大統領が訪日した際、陛下の接見からホテルの部屋に戻ったとき、いきなりゴーゴーを踊り出し緊
張をほぐしたという逸話が残っていますが、そのくらいあたりを厳粛な雰囲気にするお方でした。
◆陛下重篤
国民総自粛のムード
そのころ陛下も公務は思い切って縮小されていましたが、中止されようとしないものもありました。その
ひとつが終戦記念日の慰霊祭です。天皇の名の下に召集され、戦場に散った兵士の御霊をいやすの
は陛下として究極の責務と強く認識しておられました。毎年武道館で戦没者の慰霊祭が挙行されます。
1
リスクという言葉がイギリスで初めて使われた 17 世紀とはこんな時代だったのです。
10
慰霊祭は陛下の入場から始まります。例年なら 30 秒もあれば着席できるのですが、その年は歩みも重く、
数十秒かかってしまいました。例年陛下の着席を待ち、NHK 正午の時報を合図に、全国民一斉に黙と
うを捧げるのですが、その年は、壇上を半分しか進んでおられない段階で時報が鳴り黙祷が始まり、黙
祷が終わって再び歩みを進め、着席されました。
その 1 か月後 9 月 19 日、大量吐血されるとともにこん睡状態に入り、111 日に亘る闘病を経て翌年
1 月 7 日崩御されました。その間内閣として特別な要請をしたわけではないのですが、自然発生的に国
民総自粛状態が生まれ、公的行事のみならず、地域のお祭りや催しものも中止され、料亭なども閉店状
態になりました。このような過度の自粛ムードのことは考え及ばないことでした。中には形式的な自粛もあ
ったかもしれません。ときには形式的に流れないよう、必要なことは行うよう呼び掛けることも、なかったわ
けではありません。しかし、こんなときゴルフをしても面白くないという気持ちもあったでしょうから、国民の
気持ちに逆らってまで自粛の中止を呼びかけるわけにもいかず、今から思えばもっと策もあったかもしれ
ないと思う次第です。この自粛ムードの結果経済のマイナス効果も大きかったと思います。
◆有事の指導者
平時の指導者
危機の指導者のタイプとして有事と平時に分けることがあります。明治維新、第二次世界大戦後など
の際の指導者は有事の典型です。そのようなときは、通常時の価値観など通用しないからです。例えば
戦後の吉田茂総理などは有事の指導者と言えると思います。残念なことに支那事変から太平洋戦争敗
戦まで、有事の指導者を欠いていたことが、わが国の最大の不幸だったと思います。だれも責任を取ら
ず、決断もなく雰囲気の赴くままに、開戦から敗戦にまで突っ走ってしまったからです。極東軍事裁判で
の被告たちの弁明を見れば、そのことはよく分かります。有事に大事なことは、敵を知り己を知ること、す
なわち彼我の力を冷静かつ客観的に観て、作戦を立てることが必要です。空気だけで事態を乗り切るこ
とは、短期ならいざ知らず、長期戦には通用しません。
敗戦により廃墟となって何もかも失ってしまった国民は、失意のどん底にあり、不安に駆られていまし
た。そのようなとき、指導者は、自ら高い理想と目標を持ち、それに向かって一路邁進するのみならず、
国民に対しても向うべき目標、途中経過など明確な方針を示すことにより、不安を夢に変えることが必要
だったのです。平和を前面に打ち出す新憲法などその典型でした。今日という日を我慢すれば、明日
には明るい未来が待っていました。それにより艱難、困窮に耐えることができたのです。そして次第に平
時の時代に戻ってきました。
私の子供時代のことですからよく覚えてはいませんが、1 本のたばこに事欠き、吸い殻を拾い集めて
きて辞書のような薄紙で巻き替え直して吸う。これが普通だった時代に高級葉巻を悠然と吸う吉田首相。
今日の大衆民主主義の時代、そんなことをしたらマスコミの袋叩きに遭いますが、当時はそんなことを言
わなかった。エリートにはエリートの道があり、社会がそれを認めていた。それぞれに与えられた立場を
守り、責任を果たせば、それでよかったのです。マスコミにリードされる現代社会は次元の低いことばかり
言いすぎます。
戦後の公職追放令により、50 代 60 代の人の多くが追放されたこともあり、若い人材が吉田総理に抜
擢され、40 代から要職についています。その中から池田勇人、佐藤栄作という二人が、昭和 40 年代に
総理大臣として、政治の立役者となりました。池田勇人総理は、所得倍増論を提唱し、国内を経済中心
にまとめ上げ、経済大国への道を歩み始めました。それを継いだ佐藤栄作総理は、沖縄返還のほかさ
したる業績もなく、何もしない政治家と揶揄されながら、憲政史上最長と言われる 7 年 8 か月の長期在
任を誇り、世界第二の経済大国に向けて発展をリードしました。また後にノーベル平和賞を受賞するな
ど平和国家に徹し、その礎を築きました。竹下氏は、佐藤内閣発足時には、官房副長官、退陣の際は
11
官房長官を務め、その間の大半は自民党国会対策委員会に所属し、野党との折衝に明け暮れました。
そこに固い人脈を築き、その人脈の中から村山内閣が誕生しました。
◆リクルート事件
いかなる事情があろうと政治に休みはありません。すべてを既定の路線に従って粛々と進めないわけ
にはいきません。ご不例だからと言って政治に手抜きは許されません。竹下内閣の最大課題は、消費
税の導入でした。この審議の過程で、リクルート事件が発覚し、多数の政治家や高級官僚を巻き込む一
大疑獄事件となりました。始めは、川崎駅前の市街地再開発を巡るふつうの事件でしたが、国会追及と
マスコミ各社の後追い取材により、瞬く間に拡大し、90 人を超える政治家、高級官僚、国策会社社長、
新聞社社長などを巻き込む一大スキャンダルに発展しました。その中には竹下登、宮沢喜一、中曽根
康弘、安部晋太郎、渡辺美智雄、橋本龍太郎、森喜朗といった総理クラスも多数含まれ、戦後最大の
疑獄事件と言って差し支えないでしょう。野党議員も何人も含まれていました。消費税法案はすでに国
会を通過していましたが、翌年度の予算審議は全く行われず平成元年 4 月に入りました。このままでは
経済はもちろん、国民生活も頓挫せざるをえません。大蔵大臣を 5 期も務めた竹下総理にしては、それ
は耐えがたいことでした。世論調査の支持率も 10%を割る始末で、ここは身を投げ出す以外に局面打
開の方策なしと思慮決断され、4 月 27 日緊急記者会見を開き、総理の座を降りるから、予算審議を再
開し、速やかに予算案を通過させてほしい旨を嘆願しました。翌日予算案は衆院を通過し、30 日後に
自然成立となりました。それを見届けた後 6 月 2 日竹下内閣は総辞職しました。その翌日天安門事件が
発生し、またその 5 か月後ベルリンの壁が崩壊し、世界は新しい時代に向かって急展開しました。もちろ
ん国会は、数の力に頼れば自民党は衆参どちらにも 6 割の議席を持っており、国会通過を図ることは可
能です。しかし、数でものは決めない。常に少数者に耳を傾ける。これが日本の建国以来の伝統です。
ごり押しをしない。これこそが日本型民主主義の伝統だからです。それをしなければ次の選挙で大逆転
が必ず起こります。
◆陛下崩御と新帝誕生
陛下崩御となれば事務方としては、休む暇もなく、事態は進展していきます。ゆっくり考える時間の余
裕などありません。前述の通り、竹下総理は、早くから基本的心構えとして、「過度な、あるいは不必要な
言動はとらず、静かにお見送りしよう」という方針を示され、「かまびすしい議論に巻き込まれないよう、言
動を控えるなど、特段の注意を払うように」とも言われました。それは、日本の社会は非常によい方向に
向かって進んでいる。皇室と国民との関係も同じだ。このようなとき、社会をどちらの方向に向けようかな
どという意図的な舵取りは無用だ。自然に任せ、時代の転換を静かに見守ろう。国民の英知に任せて
おけば、行くべき方向に確実に向かっていく。これは竹下総理の確固たる信念でした。
さてそのⅩデーはいつか。誰もこんなこと確信をもって言える人などいません。多角的に情報網を張り
巡らせ、万全を尽くす備えでおりました。すると 1 月 6 日の夜になり、陛下の容態は最終状態に近いとい
う情報が入り、他の筋にも確認のうえ、夜の 11 時ごろ総理の寝室に電話を入れると、「今、藤森(宮内庁
長官)から電話があった」ということでした。翌朝 5 時過ぎに自宅を出て総理私邸に行くと、すでに起きて
背広に着替えておられました。マスコミもその動きを察知し、私邸の門前にはテレビカメラの放列ができ
始めました。こんなとき、家に籠ったままマスコミを無視することはできません。私は、随時、門から出て記
者の質問に答えるがまま「総理は着替えを済ませ、茶の間で待機している」とか「官邸にいつでも出発で
きるよう車列を整えるよう指示した」などと漏らすと、部屋に入るともうそれはテレビがニュースとして流して
いました。
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官邸のほうからは「まだお迎えする用意はできていない」と言ってきたが、総理にしてみればじっとして
おれず、「誰もいなくてもよい、出かけよう」と言われるので私邸を出発しました。車列が渋谷の谷間にさ
しかかったころ、侍従職から私に「至急吹上御所のほうにお越し願いたい」と連絡がありました。急きょ皇
居に滑り込むと、吹上御所内の病床に陛下は横たわり、皇族方が隣室に直立で項垂れておられ、病室
内には皇太子ご夫妻と侍医、看護師のみが忙しく働いておられたそうです。最後の拝訣のご挨拶を終
え、帰路の車中で「もう亡くなっているのではないのかな、全く動きがなかった」と言われるので、「深く静
かにお休みだったのですね」と答えました。それは官邸に戻れば記者団に取り囲まれ聞かれるので、そ
の際はそのようにお答えくださいという意味でした。後で分かった話ですが、総理が退室してわずか 4 分
後に侍医が最後の心臓の鼓動を確認し、ご臨終が宣言されました。侍従職は、総理大臣、衆参両院議
長、最高裁長官の 4 人に連絡したが、間に合ったのは、総理だけだったそうです。正直なところ、崩御の
時間は侍医団以外には誰も分かりません。でも、このような配慮をしてくれた侍医団には深く感謝してお
ります。崩御の知らせを受けた後はもう戦争状態です。次々と手を打っていかねばなりません。寸分のゆ
とりもありません。事前の周到な準備がなかったら大失敗しかねないほどの忙しさでした。
英国のことわざに、「国王陛下が亡くなられた。国王陛下万歳」というのがあります。国王は亡くならな
いのです。死のその瞬間、前国王となり、新国王が誕生するのです。大正天皇の際にも同じことがありま
した。葉山御所のご病床に伏しておられた大正天皇のお見舞いに御所のわき門から入り、臨終に立ち
会われた摂政宮は、翌未明に御所を立ち東京の宮殿に戻りました。その段階ですでに天皇ですから、
御所の正門は開かれ、新陛下が車に乗って出発されます。その時御所正門前に提灯をもって待機して
いた葉山町民は一斉に万歳を三唱したという記録が残っています。
今回も同じで、崩御の直後に御所内で王権の象徴である、三種の神器の引継ぎが行われ、総理等
はお祝いの言葉を申し上げ、さらにその翌日宮殿では朝見の儀が開催され、政府や政治関係者を中
心に、多数の方が宮殿に招かれ、新天皇陛下からお言葉を賜るとともに、お祝いを言上する儀式が行
われました。新陛下は、「日本国憲法の規定に基づき、天皇に就任する。そして憲法を順守することを
誓う」と宣言されました。
法的にはこれで天皇に就任したことになりますが、日本の伝統ではそれだけでは足りません。古事記
の作法に則り、悠紀田・主基田に天皇自らが田植えし、収穫した米を皇祖皇宗に捧げ、共に食む儀式、
いわゆる大嘗祭を滞りなく済まして初めて正式の天皇になるのです。それまでは半天皇に過ぎません。
大嘗祭は平成 2 年 11 月 23 日に挙行されました。言うまでもなく、この日は戦前には新嘗祭と言われ、
今日では勤労感謝の日として存続しております。しかし、これらはみな宗教儀式ですので、政府が直接
関与するものではありません。大嘗祭は、政府主催の即位の礼と同時に挙行されることになりました。新
憲法が制定されてから初めてのことですので、それをどのように使い分けるか難しい問題がありました。
◆大喪の礼と元号改元
冒頭にも書きました通り、崩御後 49 日の 2 月 24 日、雪混じりの冷雨の降る中で新宿御苑の特設葬
殿で、海外から 700 人、国内からは数千人の列席を得て、陛下の葬儀が挙行されました。この葬儀は通
常、大喪の礼と呼ばれています。葬儀である以上、宗教抜きでは行えません。日本には天皇家を中心
にその先祖を祭る神社神道があります。しかし日本国憲法は国が宗教行事に関与することは認めてい
ません。そこでこの葬儀を無宗教による国葬の部分と、天皇家の主宰する宗教儀式の部分に分けて行
われました。しかし、それはあくまで理屈の上のことであり、普通の人の目には、どこまでが無宗教で、ど
こからが宗教儀式なのか分かりにくいものになっています。そこが事務方の最も苦労したところであり、法
律家を中心に詳細な検討を経て作り上げたものです。
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各国からは米国ブッシュ大統領、英国エジンバラ公をはじめ、元首クラスの要人が一堂に会するわけ
ですから、準備も並大抵ではありませんでした。アジア、アフリカなどの国の国王、大統領なども多数列
席されましたから、新天皇、総理は、それぞれの方とそれなりの時間をかけて面談しなければなりません。
お土産も大変でした。50 億、100 億という経済援助を期待する国もあるわけですから。
当時、葬儀や即位の式典をどのようにして行うかなどについても、様々な意見が出てきました。古事記
以来の伝統である大嘗祭の挙行方法、悠紀田・主基田の設置場所など、いろんな意見がありました。中
曽根前総理も明白な意見を開陳しておられました。ひとつの見解を示せば、必ずその対案が出てくるの
が今日の世の中です。しかも 1500 年の歴史を考えれば、何が絶対なんてものはほとんどなく、いろいろ
な方法があることは間違いありません。ここでいろいろな可能性や意見をすべて開示し、その中からこの
案を選択した。その理由を具体的に説明する。そんなことをしてしまったら、百家争鳴し、収まりが着か
なくなる。自己の意見が取り入れられなかった人のメンツがつぶれ、不満分子を増やすだけになるかもし
れません。これらについては、広く社会や国家のあり方をについて長期に亘り検討を重ね、見識を積み
上げてこられた有識者にお任せするほうがよい。総理大臣だから特別よい知恵があるというものではな
い。何がよいのか。それは、後世歴史家が判断することである。これが竹下総理の持論でした。
その例の一つとして平成の年号があります。年号がどのようにして決まったか。確かにそれは興味の
ある話でしょう。しかし、それは面白おかしく論じてよいものではありません。今回については、崩御後直
ちに決めなければならない、可能な限りその日のうちに決めたい。年号については、中国とその漢字文
化の影響のある近隣各国が制定してきた 2000 年からの伝統のあるものです。それらの文化圏の中で過
去に使ったことのあるものは避けたい。そのため漢字学、歴史学、マスコミなどの有識者の意見を聞きた
い。かといって前任者の生前に決めるというような不謹慎なことはできない。そのため総理官邸の多忙化
は避けられません。そこで崩御当日には、皇位継承を担当するものと、元号制定に関するグループに分
け、役割分担に従って行動することになりました。その後、平成がなぜ選択されたのか?その経緯は?
など、多岐にわたる質問を受けましたが、時の官房副長官で、元号制定会議における事務方の最高責
任者であった石原信雄氏は、沈黙を守っています。以来私もその方針を堅持しております。
◆天皇の役割
天皇の役割、皇室の在り方などについては、国内的にも世界的にも、いろいろな意見、見方がありま
す。それでよいのだと思います。国民すべてが同じでなければいけない。民主主義の時代にそれこそお
かしな話です。上から押し付けられた思想があるほうがおかしなことです。国民が誰からも強制されること
なく、自然発生的に自らの考えを持つ。それがごく自然に集約化し統合され、国民として国家としてひと
つの世論というか秩序となる。それが理想の姿です。
天皇制はいつ誕生したのか。2670 年前という辛酉革命説は措くとしても、記録に残るものだけでも
1500 年を超えています。そしていかなる時代にも、人々の心の中に存在し、国家と国民の長い歴史を
繋ぐものとして存在したことは間違いありません。しかし時代により少しずつ活動の重点は異なっていま
した。国家が強くなければ国民は豊かにも幸せにもなれないという考えから、富国強兵・殖産興業を最
優先に置いた時代もありました。その時代でも陛下の慈愛というか、慈しみの心があったことは間違いあ
りません。激動の時代を生きた昭和天皇は、歴史と政治に翻弄されながらも、その生涯を貫きました。日
本の天皇制の特徴は、自ら先頭に立って国家建設に走るのではなく、政治はその時代時代の選任ル
ールに従って、最適な人に任せ、自らはその背後にあって見守り、成功を祈るというものです。社会契
約論の論理を待つまでもなく、強者としての立場を認識し、常に弱者への気配りを忘れない。忘れない
というより、それをすべての理念、価値観、行動の基盤に置くということでした。
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平成となってからすでに二十有余年。世界は大きく動きました。天皇や皇室の在り方、国民の受け止
め方も大きく変わりました。国民主権を基盤とする大衆民主主義が定着しました。まさに竹下総理が最も
望んでいた姿です。昭和天皇の在任期間が長く、国民の天皇に対するイメージは、温厚篤実にして謹
厳実直なあのお姿です。そのため当初は慣れなかった国民の天皇観もすっかり変りました。明仁天皇は、
ご就任(朝見の儀)のあいさつにおいても、「(昭和天皇は)いかなるときも国民と共にあることを念願された。
それを踏襲する。」とあいさつされています。
平成 10 年の誕生日の会見では、「国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国
民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています2」と断言されています。そして帝国憲法と比
べれば、「現在の憲法下の天皇の在り方の方が、長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿う
ものだと思います3」とも言います。今では大災害が発生すると、必ずその現場に両陛下のお姿があり、
被災者の傍らで床に膝を着いて見舞い、その手を握って励まされる。「今は苦しい時があるかもしれない
が、いつかきっと幸福が訪れますよ。」と激励される。国民にとってはこれが慣れた光景になりました。
竹下総理が求めた未来像はそこにあったのです。当時、世論は、昭和天皇あるいはそれ以前の天皇
がイメージにありました。儀式でも神道の伝統を前面に出し、大喪の礼、そして古式の伝統に則った大
嘗祭を麗々しく行うべきだという有識者も多数おられました。そのようにして天皇の権威を示すべきだと
いうのです。恩赦も幅広に行うべきだという意見もありました。この場合、有識者とは、先例を知っている
人ということになりますから、その人たちの意見を聞くということは、仰々しい儀式を復活せよということに
なります。それは宗教を国家儀式の中に大幅に取り入れよということになるのです。そうなることが分かっ
ているから、喧しい議論に巻き込まれることなく、静かにお見送りしようということになったのです。竹下登
氏は鬼籍に入られて、すでに十余年。13 回忌も済ませました。もしご存命だったら、両陛下のお姿を見
て大満足を通り越し、感涙の涙にくれるでしょう。まさに意図した以上のお姿に成長されているからで
す。
危機管理についていろいろな方策が提唱されます。多くの場合、何もしないより、なんでもよいからな
んかをした方が、よい結果を生むものです。「変化の時代に何もしない」それは、ドラッガーの最も嫌う、リ
スクマネジメントのいろはです。ところが、天皇が交代するときに出てきた意見は、事大主義であり、ある
いは復古主義というか、昔に戻ろうというものばかりでした。その場合、何もしないよりもっと悪い結果を生
みます。竹下総理が言われたのは、今、時代はよい方向に向かって確実に前進している。世論も健全
だ。そのようなときは流れに逆らうのではなく、「流れに棹さす」すなわち水の流れに乗り、その勢いを借り
る」ことが最も有益であり、効果的だと言われたのです。このようなとき国民の英知を信じ、それに委ねる。
それはできるようで、誰にもできることではありません。私も今でこそそれが正しかったと思いますが、その
時、そこまで国民を信用していたわけではありません。しかし今、新しい危惧が生まれました。
◆靖国神社参拝
平成 18 年 7 月 20 日、日経新聞朝刊に元宮内庁長官である富田朝彦氏が遺したメモが載りました。
旧知の間柄の日経記者が懐かしさから偶々ご遺宅を訪問したところ、内容をご存知ないご遺族が、参
考までとしてメモの束を貸したところ、そこからこの記載が発見されたのです。大スクープです。そのメモ
の昭和 63 年 4 月 28 日の項に、富田長官が陛下から聞いた話が記載されていました。そのまま記載し
2
平成 10 年 12 月誕生日に際する記者会見
3
平成 21 年 4 月ご結婚 50 年の記者会見
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ますと、「私は、或る時に、A級が合祀され、その上、松岡4、白取5までもが。筑波6は慎重に対処してく
れたと聞いたが、松平の子の今の宮司7はどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考えがあったと
思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、合
祀に強い不快感を示された旨記載されています。誕生日の前の日に聞いた話です。
それは、天皇誕生日には記者会見を行うのが恒例になっており、その際、戦争に関する質問をされ、
「何と言っても大戦のことが一番いやな思い出」と答え、さらに追加質問された際、「それは人物批評とか
そういうものが加わりますから」といって答えを避けられた。その後執務室に戻られた陛下が、富田長官
にお心のうちを問わず語りに率直に話されたものです。それを富田長官もあくまで自己の心覚えとして
日誌にそのまま書きとめられました。まさかその後これが公表されるとは夢にも思わなかったのだと思い
ます。飾るところがなく淡々と書かれたものでした。大反響を呼びました。歴史家や政治学者は第一級
の史料だと絶賛します。逆に靖国派の人たちは、陛下の気持ちがそうだったとあってはたまりません。長
官の政治的でっち上げだとか、いろいろな反論を試みました。しかし富田長官のお人柄をよく知ってい
るものとしては、為にする記述ではないと確信を持てます。富田長官もまさか表に出るなどとゆめゆめ思
わなかったのだと思います。その後事務主管の卜部侍従の日記が公開され、同じ日付にそれを裏付け
る記述があり、客観を大事にする研究者はもはやどなたもそれを疑う人は無くなりました。
問題はそのメモの後に、「上野総理秘書官に電話で依頼」と一行あったことから、マスコミは直ちに私
に照会してきました。「靖国の件で総理報告したのか」と。突然聞かれても何のことか、見当もつきません
でした。富田氏は昔の上司であり、お嬢さん家族がワシントンに留学していてお世話を頼まれていました。
その間にお孫さんが誕生したこともあり、令夫人もワシントンに長期に滞在し、家族ぐるみの付き合いで
した。したがって気安く電話してこられたのです。マスコミから執拗に突っ込まれましたが、「記憶にない。
そんな大事な話なら、忘れるわけがない。違う要件だと思う」と言っても信じてもらえませんでした。何人
かから同じことを聞かれるうちに記憶が呼び覚まされました。陛下の息女である元皇族について雑談で
陛下から総理に話があり、その案件が無事解決したとしてお礼の言葉だったのです。今、皇族方はいか
に質素な生活を送られていることか、昭和天皇もそれを当然のこととし、ご不満など漏らすわけがありま
せん。
皇室の伝統は、1500 年を超える歴史の中で着実に築かれた伝統です。それは新憲法により国民主
権下にあっても変わるところはありません。それは今築かれた新しいものではない。長い歴史に基礎を置
くものです。伝統は変わらないとしても、歴史の中で時代時代によりいろいろな側面を持ち、今日におい
ては両陛下の示されるお心配りこそ、時代が求めるものであり、最もふさわしいものだと思います。前述
の通り、陛下ご自身も、旧帝国憲法より、今の日本国憲法の方が、伝統的な天皇の在り方に沿っている
と思うと、率直に語っておられます8。
皇室の役割は、国家・国民の統合の中心であって、それゆえに時の政務は、その担当者によって果
4
松岡洋介元外相
5
白取敏夫元駐伊大使
6
筑波藤麿
7
松平永芳宮司。昭和 53 年から平成 3 年まで靖国宮司。祖父は幕末に活躍した福井藩主松平
元皇族で終戦直後から昭和 53 年まで靖国宮司。
春嶽。父慶民は、春嶽の子であるが、大正初期から侍従として昭和天皇の側近を勤め、陛
下の信頼が厚く、戦後宮内大臣として宮中改革に活躍した。
8
平成 21 年ご結婚 50 周年の記者会見での発言。
16
されるものであり、天皇が関与すべきものではありません。開戦も戦争継続も天皇に与えられた権限は、
承認権(分かった・聞いたと言う権限)のみであり、拒否権などありません。統帥権の独立と言いながら、
陛下との関係はそんなものだったのです。極東軍事裁判で天皇責任が論ぜられても、責任なしとされた
のはそれ故です。陛下にしてみれば、分からず屋の軍人はともかくとして、せめて民間人(文民)である
人たちは、私の気持ちを分かってほしかった。それが前述の松岡、白取に対する発言なのです。
幸いにして今日の時代、世の中は、天皇・皇室の役割と責任が、皇室の長い伝統と役割と合致して
います。昭和の時代でも、その晩年には、社会は確実によき方向に向かって進展していました。そのよう
な認識だから、昭和から平成への時代転換のときにも、その流れのままに時代転換を図ろう。まさに文
字通り流れに棹さしたのです9。竹下氏の思いも「時代の変換を静かに見守ろう。国民の英知に任せて
おけばよい。行くべき方向に確実に進んでいく」という確固たる信念があったのです。危機管理の在り方
として、これほど素晴らしいものはなかったと確信しています。
(続く)
9
平成 24 年の文化庁の国語に関する世論調査によると、日本語で最も間違って使用される語
として「流れに棹さす」があり、国民の約 60%はこれを「流れに逆らって水の力を削ぐ」
と解釈するそうです。ここで使っているのは本来の正しい意味、「水の力に任せながら、そ
の自然の力を利用し、あるべき方向に向かわせようとする」という意味です。
分科会報告
【リスク事例サロン分科会】
主査
小島 修矢(クエスト コンサルティング ロンドン)
事務局 有賀
平(MS&AD 基礎研究所)
「リスク事例サロン分科会」は、マスコミ等で取り上げられた事件や危機事例を題材に、会員間で自由
に危機管理・リスクマネジメントの観点から情報交換や意見交流を行うことを目的としています。
本分科会は開催の都度参加者を募り、サロンと言う名前のとおり、飲食しながらテーマに関連して自
由に意見交換を行う会費制の分科会です。
おかげさまで、5 月には、70 回目の分科会を開催することができました。
今回は、第 69 回と第 70 回の報告をいたします。
第 69 回(2014 年 3 月 12 日(水)午後 6:30~8:30、於 東洋経済新報社 9階会議室)
1. 参加者(6 名): 宮林、四方、後藤、長井、小島、有賀 ※敬称略
2. テーマ: 東日本大震災の回顧 中小企業対策を中心に
3. 報告者: 眞崎 達二朗 氏 (眞崎リスクマネジメント研究所)
4. 報告内容骨子
大震災発生時の政府の中小企業対策のメインは「災害復旧融資制度」です。
阪神淡路大震災の場合と対比し、東日本大震災において「災害復旧融資制度」が如何に機能した
か。来るべき「首都圏直下型地震」に如何に備えておくべきか。リスクファイナンスの視点から考えること
が不可欠と考えています。
5. 自由意見・情報交流内容(要旨)
17

地震が発生した後の行動は、多くの企業で、災害対策として整備されていたため、BCP について
は、地震の発生に備えた事前の対策として位置づけようと考えた。

中小企業の資金繰りを考えると、経験則から1ヶ月分のキャッシュフローが必要であろうと考えてい
る。

関東大震災では、資金繰りに苦慮する企業への対応として、「支払延期(猶予)令」(モラトリアム)と
「震災手形割引損失補償令」によって、キャッシュフローの維持を図った。手形の損失補償がその
後の金融恐慌を招いた一因ではあるが、震災対応としては高く評価できる。

中小企業の BCP への取組を推進するには、中小企業向けの融資を行っている地方銀行等の金
融機関が、中小企業への BCP 導入を積極的に取り組むような政策が必要だと思う。例えば、BCP
の導入の推進状況を、検査マニュアルの項目とするなどといった大胆な方法があっても良いのでは
ないか。

今行われている BCP のやり方では、書類や手続きがあまりにも多すぎて、企業ではやりきれない。
経営者を含めて、大変困難な作業を要するとの印象を与えてしまって、二の足を踏ませてしまって
いると感じる。

マニュアルを遵守しようとすると、あまりにも詳細に決めることを求めているため、一度決定しまった
仕組みに、災害発生時にかえって縛られることになるのではと危惧する。その結果、震災時に応用
が効かないのではないかと感じてしまう。

東日本大震災での教訓を重視する傾向にあるが、首都直下型、南海トラフ大地震を想定すると、
阪神淡路大震災の方が教訓として適切だといえる。例えば、東日本大震災では、大企業で本社機
能を置いているケースが少なかったこともあり、被災地域以外では被災地支援を行う余力があった。
結果として、周辺地域等からの支援を前提とした災害対策を無意識のうちに立てているように思え
る。首都圏直下や南海トラフでは、周辺地域からの支援を期待することが出来ない。

災害発生後の当分の間は自助によって過ごす様な対策を、企業を含めて考える必要がある。

東京都では、企業に対して、従業員を出来るだけ帰宅させず、会社建物内に留めるように勧めると
ともに、地域住民や帰宅難民に対する支援を行うように要請している。

収容人数と生活環境の問題を考えると、緊急避難所に移動することを第一とするのではなく、出来
るだけ自宅に留まれるような対策をする必要があると思う。それ故に、耐震建物の普及が重要とな
る。

企業は、業務が専門的に配分されているため、スペシャリストの集団となっている。BCPは、会社全
体を包括的に把握するマネジメントを必要とするため、スペシャリストには実行が難しいと感じる。

自分の専門分野や把握することができる業務については、リスクを含めてマネジメントをすることや
マネジメント方法を考えることができる。しかし、この範囲を超えて、会社全体の業務を把握し、さら
にそのマネジメント方法を考えることには大変な労力が必要となる。例えば、総務部の責任者が、
財務面での対応を考えるためには、新たな専門知識を習得しなければならない。

BCP での実践では、最終的にはマニュアル等で例示されている帳票を埋めることになるが、重要な
のは、BCP に対する認識を深めることだと考えている。ツールを作成するだけで、BCP の目的を熟
知しなければ、BCP を実践したとしても、長続きしない。

震災発生時には、資金繰りが厳しくなるため、政府保証付きの中小企業向け融資枠を創設するこ
とも考える必要がある。現状では、コミットメントラインを中小企業が活用することは難しく、新たな仕
組みが必要と思う。

政府保証付き融資となれば、最終的には国がリスクを負うことになるが、財政赤字が問題視されて
18
いる現状で、公的支出を大きくする可能性のある政策をどの程度の規模とするのかには、様々な意
見があると思う。

巨大災害を想定した BCP を実践するには、従来の組織や仕組みではなく、新しい概念を導入す
る必要がある。新しい概念の導入によって、存在を失う可能のある組織や企業もあるが、英断をす
る必要がある。歴史的に見れば、公害問題では様々な概念を導入し、様々な課題に取り組み、一
定の成果を出すことができた。

損害保険料が変動するアメリカでは、リスク管理が企業コストに直結する故に、リスク管理が重要視
されている。

保険型リスクマネジメントは保険料の節約がマメジメントの目的であって、アメリカでは成果を上げて
いるが、保険料の変動が少ない日本ではリスク管理に力が入っていない。

東日本大震災で、BCP への関心が高まったようにも思えるが、BCP を難しいと感じている人が多い
ことも事実で、BCP に取り組む企業が減少しているのでは、との印象がある。

BCPは、辛気臭い、神経を使う、大雑把でない、難しいといったマイナスの印象が強い。

収益に直結することでもなく、コストがかかる作業であるため、経営者にとって扱いにくい。特に、企
業業績が停滞する経営環境の下で、短期的に収益を生まない BCP へ資金を投入することは優先
されるものではない。

BCP を導入する初期段階では、災害マネジメントと考えて取り組むことで良いのではと感じている。
なぜならば、BCP はコンサルタントや社内担当者を含め、個人間で抱いている考え方や程度が千
差万別で、協調することに時間がかかる。それ故に、重要なことを順位づけし、先ずは、上位となっ
た課題について明確にすることから初めても良いのではないかと感じている。全てを実践することは、
経営者としても負担が大きすぎる。

必要性は認識しているが、企業として余力がない。あるいは、必要性は感じているが、危機感がな
い。

無意識のうちに、大災害や企業の損失を想定すること自体を避けている傾向が、日本企業の経営
者にはあるように感じる。
第 70 回(2014 年 5 月 14 日(水)午後 6:30~8:30、於 東洋経済新報社 9階会議室)
1. 参加者(16 名): 宮林、笹子、四方、大坪、吉田、山本(祥)、下村、佐藤(富)、鈴木、
田村、小柳、北澤、土屋、長井、小島、有賀 ※敬称略
2. テーマ: 東日本大震災で見過ごされた課題-事業継続計画と建物の耐震性
3. 報告者: 指田 朝久 氏 (東京海上日動リスクコンサルティング)
4. 報告内容骨子
東日本大震災では人的被害の原因の 90%以上は津波であり、防災の見直しも津波を中心としてき
ている。
一方、サプライチェーンの停止などを含む企業の被害の原因の 90%以上は、津波ではなく地震の揺
れそのものによる建物被害とその影響であることはあまり知られていない。
今後の南海トラフ地震や首都直下地震に備えるために、建物の耐震性の課題について東日本大震
災を振り返る必要がある。
5. 自由意見・情報交流内容(要旨)

東日本大震災は、3 つの振動が重なって M9 となった。例えば、関東は第 2 波までの弱い振動の
19
後に第 3 波の強い振動が発生した。特に、白河では、第 2 波に第 3 波が同時に到達したため、建
物崩壊が多い。

震災当時、携帯電話の中継器に備わっていた停電用バッテリーの容量は 3 時間が限度であり、計
画停電のローテーション時間は、こうした点も影響していたと思われる。

津波の被害がクローズアップされるが、市街地火災は阪神大震災の 3 倍であった。

企業被害をみると、原因の 92.5%が地震動(液状化を含む)であり、企業停止の原因の主要因は
地震動であったことがわかる。

工場内の機械設備は、振動によって位置等がズレたが、被害件数が多すぎたため、当該機械を整
備できるエンジニアの手が足りず、復旧までに時間がかかった。

荷崩れが原因で出荷が中断した。(余震が多く、正常作業ができなかった。)

自家発電でも、燃料の保管が消防法によって限られているため、被害が甚大なケースでは、燃料
の追加は期待できない。

「被災を前提」として「どのお客さんに、その製品を、いつまでに届けますか?」という BCP の概念が
欠けていた企業が多くあった。

遠隔都市の中小企業同士が相互援助協定を締結する試みが進んでいる。

本社・主要拠点の被災を前提とする企業・組織は少なかった。

振動周期で言うと、東日本大震災は木造家屋が倒壊する振動ではなかったが、配管等に被害を
与えるものであった。

周辺で火災が数多く発生すると、火災地域を超えて移動ができないといった事態が想定できる。当
該地域の住民は、孤立してしまい、食糧が不足する可能性もある。

一般に報じられている耐震基準は、人命の安全の確保であり、事業継続可能な状態を約束する基
準ではない。事業継続レベルの耐震性は、「Ⅰ類 A 類甲類」の建物と考えることが妥当と思う。

耐震基準は人命を援助するための基準で、建物が事業継続可能な状態を維持できる基準でない
ことを知らない危機管理者はいないはずだと思っている。

事業の継続に必要な建物が半壊になった場合、企業が存続することは厳しい。地域経済の疲弊を
考慮し、従業員の確保を考えると、30%の損害率に抑える必要があると考えている。

税法上、耐震費用は資産からの減価償却で計上し、震災後の修繕費は経費で計上することにな
っているため、震災後に企業が建物設備の修繕を行うと、決算が実態以上に悪化する場合があ
る。

リスクマネジメントの専門家やコンサルタントの多くが、リスクマネジメントを体系立てて示すことをしな
いため、企業で初めてリスクマネジメントに携わる担当者や経験が浅い担当は、リスクマネジメントと
は何かを理解することが難かしい。例えば、減災と BCP との区別を明確にできる企業担当も少ない
と思う。

東日本大震災の報道が、住宅と生活の話題に偏っていたこともあり、企業の被害への関心が低か
ったと感じている。

米国では保険を前提とした議論であった。防災によって保険料が左右されることもあり、保険か防
災かといった比較考量を中心とした論議であった。

日本では、同一保険料の時期が長くあり、米国でのような議論はできなかった。保険の自由化以降
は、保険料と防災との関連性が強まって来ていると思われ、リスクマネジメントの実践的な議論が普
及していくと思う。
以上
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【 MRM( メ デ ィ カ ル リ ス ク マ ネ ジ メ ン ト ) 分 科 会 】
主査:藤谷
克己(日本医科大学)
当分科会は、医療に関するリスクのマネジメント方法、軽減策などを研究しております。隔月で毎回約
10 名が参加し、活発に議論しております。メンバーは、医療者のみならず各界から参加しており、狭い
医療業界、医薬品業界だけでなく外の目も大切に活動しております。
関心ある方は遠慮なくご連絡下さい。
分科会事務局連絡ページ:http://arimass.jp/bunkakai04/contact.htm
<2013 年度の活動>
1.メディカルリスクに関する会員間の情報交換と学習
①重大な医療事故
②製薬会社による不正
③大規模災害発生時の診療情報の保全
④パンデミック
⑤医療現場における指さし確認の在り方
2.研究
①「ノバルティス社ディオバンの臨床試験不正事案に関する研究報告」を共同で調査、研究し、
2014 年度年次大会(6 月 7 日 千葉商科大学)で報告。
②過剰、不自然な指さし確認の現場での拡散状況を追跡確認。
3.集合日:
2013 年 7 月 17 日水曜日
2013 年 9 月 25 日水曜日
2014 年 2 月 26 日水曜日
2014 年 4 月 9 日水曜日
以上
【企業活性化研究分科会】
主査:山本
洋信(アップライフシステム研究所)
本年 2014 年度は、総会で報告したとおり、2012 年度より進めてきている再生企業の分析を引き続き
行っていく予定である。加えて、英文文献、和文文献の先行研究を選び、理論研究にも重点をおいて
研究を行う。また、基礎理論・原理論の幅を持つことの重要性を全員が感じてきており、大学教授をベ
ースにした外部から専門分野の先生方をお招きして、会員全体の質的向上を図っていく。
分科会に所属する会員は、会社内で中心的な役割を果たしてきている方々が増え、多忙のため全員
の共通日時で開催することが困難な面もでてきているが、できる限り会員全員が出席できるような日時を
設定し、分科会開催を行っていく。これまでどおり、テーマが設定された段階で会員全員がどれかのテ
ーマを受け持ち、研究発表を行なう方針である。前号以後の分科会活動は以下のとおりである。
<第六十五回 2014 年 3 月 15 日(土) 時間:13:30~17:00 於:専修大学(神田校舎)>
1.参加者:尼野、石川、井端、大野、小林、杉本、夏目、浜田、宮川、山本、依田、渡辺 (12 名)
2.テーマ:再生企業の分析-パナソニック株式会社
・報告者:杉本敦彦
・配布資料:8 枚
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・報告内容の要旨
本報告は、パナソニック株式会社(以下、パナソニック)の企業再生について、財務数値の変動要因
の観点から検討した。
パナソニックの 2013 年 3 月期の売上高は、2008 年 3 月期に比べて約 2 割減少しており、事業が縮
小傾向にあるとの見通しを立てている。三洋電機と合併したことを除いて分析すると、実質の売上高は 3
割超の減少の可能性があると推測した。加えてここ数年の決算期において、巨額の赤字計上により財
務状態の悪化を指摘した。巨額の赤字計上は、テレビ事業の不振によって、固定資産の減損損失計
上が主原因として考えられる。
テレビ事業は競合する海外メーカーの安価な製品に市場を奪われたこと、国内の市場ニーズ以上の
性能を開発し続けコストがかさんだ点から経営戦略の失敗を推察した。会員の見方には、既に危機的
状況にあるとの見方もあり議論が生じた。
パナソニックの再生の可否については、2014 年 3 月期の決算内容を踏まえ、さらなる検討が必要で
あるとの結論に至った。
3.テーマ:講演会 「資本と知識と経営者について」
・講演者:亀川雅人(立教大学・教授)
・参考著書:『資本と知識と経営者-虚構から現実へ』創生社、2006 年
・講演の要旨
本講演は、企業の視点と経営者の視点から、企業経営の再生にむけた着眼点を養うものである。特
に、経営目的を収益性の獲得とした場合における経営者と資本の関係性を中心に教授された。
経営者は、将来のビジョンを示し、目的達成することを約束して資本を集め、それを投資して利益を
生み出している。しかし、経営環境の変化が激しい状況において、今後、企業が成長や経営の再生に
取り組むためには、将来のビジョンを明示し、それに向ったイノベーションが必要であるとした。反面、目
的達成のためには常にリスクが伴うし、イノベーションを行うためにもリスクを伴うため、リスクの許容が必
要である。イノベーションを図ることで、企業の将来性を見出すことができようと論じた。また、近年におけ
るIT分野の発展など、社会全体の仕組みは時代とともに変化している。それゆえ、経営者の目的を達
成するためには、多くの情報の分析が重要かつ必要であると論じられた。
(文責:浜田勇毅)
<第六十六回 2014 年 4 月 26 日(土)時間:13:30〰17:00 於:専修大学(神田校舎)>
1.参加者:井端、大野、木村、杉本、高市、夏目、浜田、星野、宮川、山本、横山、依田、渡辺(13 名)
2.テーマ:再生企業の分析-中山製鋼所
・報告者:浜田勇毅
・配布資料:7枚
・報告内容の要旨
本報告では、株式会社中山製鋼所(以下、中山製鋼所とする)における業績悪化の原因を明らかに
し、収益性分析の観点から経営の再建を図るための検討をおこなった。
中山製鋼所は、2010 年度から四期連続の営業損失を計上している。四期連続の営業損失は、鋼材
の販売価格の下落が主原因として考えられる。また中山製鋼所においては、同業種および同業他社に
比べ、売上高原価率の高さが指摘できた。直近 2013 年度においては、有形固定資産に関する多額の
減損損失を計上し、有形固定資産の整理を試みている。電炉での製造が主となる中山製鋼所は、東日
本大震災以後、電気代の値上げが負担となり、今後も多額の経費計上が推測される。そのため、売上
原価に対する更なる改善が必要と考えられる。
22
また、2013 年度においては、多額の減損損失による当期純損失の影響で、債務超過に至るまで財
政状態が悪化している。それゆえ、業務改善に加え、早急に債務圧縮や増資に関する資金繰り、財政
状態の対策が必要であるとの結論に至った。
3.テーマ:講演会 「経営分析学の現状と課題」
・講演者:青木茂男(茨城キリスト教大学・教授、日本経営分析学会・元会長)
・参考著書:『要説 経営分析[四訂版]』 森山書店、2012 年
・講演の要旨
本講演では、現在経営分析をおこなう上で利用されている分析指標について、各指標の意味合いを
再確認し、より深い理解を得るための説明を戴いた。特に、ROA と ROE の特性および関係性について
教授された。
ROA は、資産の効率性を分析する指標であるため、同業種間での業務成績の比較が可能となる。
一方、ROE は、株主資本の効率性を示すものである。従って、ROE は ROA とは異なり、業種特性に
左右されないため、他業種も含めた資本効率での比較が可能となる。また、企業の株主価値を上昇さ
せるためには、ROE を高めることが一つの要因となっている。それゆえ、ROE は株主目線における分析
指標といえる。
また、ROE を算定するための自己資本において“親会社説”と“経済的単一体説”のどちらかを使用
するのかという論点で議論が生じた。この論点においては様々な意見があり、株主持分の運用を示すこ
とができるのであればどちらか一方による必要はないのでは、との結論に至った。
(文責:夏目拓哉)
以上
【科学技術リスク研究(社会・人間・科学技術の相関)分科会】
主査
宮林正恭(千葉科学大学教授)
1.当分科会は、昨年7月の常任理事会において設置が決定された、新しい分科会です。
この研究分科会では、科学技術そのものあるいは科学技術活動が、社会や人間にとってリスクとなる
ことがあることに鑑み、社会、人間、科学技術の 3 者の間の相関関係に、リスクと言う視点から焦点を当
てようとする試みです。科学技術および科学技術活動には人間あるいは社会にとってリスクとして捉えな
ければならない点があることは漫然とはわかっていても、あまり明確では無いと言うのが一般的な認識で
ありましょう。これをもう少し明確に整理をし、そのリスクをコントロールする術について考えることができる
ようになれば、学会としてのリスクや危機の取り扱いに関する大きな研究成果であり、社会的貢献である
と考えられます。
必ずしもこの研究のための手法は確立されているとは言えませんけれども、とりあえずは、次々と起こ
る科学技術の絡む社会的問題についてのケーススタディ的研究、ならびに、科学技術およびその特性
に関する研究を入り交じらせながら進めることとしています。これによってデータ蓄積が図られるとともに、
メンバーの間の意識の整理が進み、もう一段の発展が期待できると思われます。
2.この分科会の概況は次の通りです。
常時参加メンバー数:13 人、なお、現在も新たな参加を歓迎しておりますのでお申し出ください。
開催ルール: 2 カ月に 1 度程度 原則として偶数月に行うこととしますが、状況によっては奇数月の
はじめや終わりごろになることがあります。
開催場所:
原則として、御茶ノ水駅近くのインターリスク総研の会議室をご好意により使わせてい
23
ただいています。
主査およびその連絡先:宮林正恭(リスク危機マネジメント研究所)
E-Mail [email protected]
TEL: 080-4732-3423
3.これまでの活動状況
内容など
当会所属者
参加数
回
曜日
設置
2013年7月20日
常任幹事会において設置が決定
第1回
2013年7月29日
政 策 研 究 大 学 院 大 学 ( 港 区 六 本 木 ) に お いて 、
研究技術計
「科学技術、科学、そして技術の特性を考える」と
画学会のメ
いうテーマで、村田純一立正大学教授(東京大学
ンバーを含
名誉教授)および神里達博大阪大学特任准教授
め27名程度
に科 学 技 術 哲 学 お よび 科 学 史 の観 点 か ら のお
話をいただき、その後、参加者全員で議論。研
究技術計画学会政策委員会と合同会合。
第2回
2013年9月30日
インターリスク総 研 会 議 室 において、前 半 に分 科
9名
会運営に関する議論を行い、本分科会運営の大
要 を 決定 。 後 半は、メンバーの辻 潤 一 郎 先生 か
ら、「抗肥満薬リモナバント訴訟東京地裁判決」に
関してお話をいただき、「治験に伴う医療過誤問
題からのケーススタディ」の一つとして、皆で議
論。
第3回
2013年11月22日
政策研究大学院大学において、宮田秀明社会シ
9名
ステムデザイン株 式 会 社 社 長 ( 東 京 大 学 名 誉 教
ほかに研究
授)から「科学と技術と経営でイノベーションを実現
技術計画学
する-非 線 形 問 題 を科 学 して、新 しいシステムを
会から7名
技術と経営で創造する」と題する問題提起をいた
だき、皆で議論。研究技術計画学会政策委員会と
合同会合。
第4回
2014年3月28日
インターリスク総研 会議 室において、北澤 宏 一 福
14名
島原発事故独立検証委員会(俗称;民間事故調)
委員長(現在東京都市大学学長)より、「原子力と
危機対応―民間事故調で学んだこと」と題するお
話を頂き、その後参加者間で議論。
第5回
2014年6月17日
会員の内田英二昭和大学医学部教授に、「医療
11名
の進歩に貢献する科学技術の発達と医療安全」
と題する問題提起をいただき、現代医学におけ
る医療過誤 発生のリス クの増大と その解決に
は現場だけ の努力では 対応が困難 な状況があ
ることについて議論。
24
4.今後の活動
2014 年度は、当面、これまでの進め方を踏襲していくことを予定しています。社会・人間・科学技術
の相関関係が強く絡み、リスクとの関連が深いのは医療に関連する領域であります。したがって、この領
域に 1 つの焦点を当てることが考えられますが、その場合でも、医療リスクマネジメント分科会とは異なる
視点で取り扱うことになると思います。それ以外にも原子力問題、中国からの MP2.5 飛来問題、我が国
の技術競争力低下問題、STAP 細胞の真贋論争など研究活動のあり方の問題、それ以外のトピックス
にも十分関心を払っていきたと思います。
以上
【価値ベース・リスクマネジメント研究分科会】
主査:藤江俊彦(千葉商科大学)
価値ベース・リスクマネジメント研究分科会は、危機管理システムの思考枠組みと問題解決の方策を
探る研究会である。研究領域は、企業不祥事から自然災害と幅広く取り扱うものである。講師は会員や
学会外からも専門家を招き、専門知識のない方にも理解できるよう、質疑応答しながら会を進めることを
モットーにしている。基本的に年6-10回企画、開催予定である。
以上
【社会性とリスクマネジメント研究分科会】
主査代行:井上善博(神戸学院大学)
【第 1 回研究会】
日時:2014 年 3 月 13 日(木)午前 10 時~12 時
場所:大阪府立男女共同参画・青少年センター、第 1 会議室
参加者:藤江俊彦・鈴木英夫・岡紀子・井上善博
1.
「新規研究分科会設立の趣旨説明」(千葉商科大学・藤江俊彦氏)
社会性とリスクマネジメント研究分科会の立ち上げに際して、藤江俊彦会長から以下のような説明が
あった。
2014 年 2 月の常任理事会にて、“社会性とリスクマネジメント研究分科会”を新たに設置することが決
定され、3 月 13 日に第 1 回の研究会を行なった。

社会性という概念は、複雑な社会関係の中で、様々な関係機関がお互いに良い関係を築き、
さらにより良い社会を作り出そうとすることを意味している。社会性は、社会の中で活動し、ある
いは社会のために貢献するあらゆる組織にとって必要不可欠な考え方であり、企業のみなら
ず、行政、病院、学校などあらゆる組織で、社会性を追求していくことがますます求められる時
代となってきている。

この社会性の追求には、リスクの認識とその回避策が必要であり、そのためにリスクマネジメン
トという管理手法が必要になってくるという説明があった。

本研究分科会では、社会性という大きな枠組みで、多様な問題を分析していくことを目標とし
ているので、様々な分野に所属されている会員の皆様の参画をお願いしたい。関西を拠点と
して活動していく予定なので、ぜひ、近隣の先生方のみならず、全国の先生方のご参加をお
願いしたい。
2.
研究報告「誠実な経営と企業倫理」(神戸学院大学・井上善博氏)

企業の「言っていること」と「行っている」ことが一致している経営が誠実な経営と定義し、そのよ
25
うな経営するには、2 つの信認義務を果たすことが必要であるという説明があった。

2 つの信認義務とは、社会の利益を考えて行動するという忠実義務と多様な側面で注意をも
って自らを律していく善管注意義務である。

この 2 つの視点で、過去の企業不祥事を検証し、どの事例でも誠実な経営が行われていなか
ったことが明らかになった。

経済活動が自由になった一方で、経営活動の暴走もおきているため、企業倫理を明言し、そ
れを実行するという上記の 2 つの信認義務が必要であるということが説明された。
【第 2 回研究会】
日時:2014 年 5 月 24 日(土)午後 6 時~8 時
場所:大阪府立男女共同参画・青少年センター 第 1 会議室
参加者:藤江俊彦・鈴木英夫・藪孝雄・福永栄一・岡紀子・井上善博
1.
研究報告「企業における問題事案発生後の危機管理:ダメージ計量化モデル試案」(GRC 研究所
ai コンサルテーション・鈴木英夫氏)

取り上げた事例は、三菱自動車の欠陥車事件、ダスキンの添加物入りの肉まん事件、不二家
のシュークリーム事件、パロマの湯沸かし器事件、日本たばこの毒入り餃子事件、日本ハムの
牛肉偽装事件、参天製薬の毒物混入脅迫事件、伊藤ハムのシアン化合物混入事件、雪印
乳業の食中毒事件である。

これらの事件後に関する朝日・毎日・読売3紙に掲載された記事数を計量化し、特に雪印乳
業の食中毒事件で記事の急激な増加があったことが報告された。

次に各社の株価の騰落率が示され、多くの企業の株価が下落したにもかかわらず、参天製薬
の株価は上昇しているというデータが示され、その原因として、問題発生後の迅速な対応が株
式市場で好印象を与えたのでは、という議論がなされた。

売り上げの減少率については、各社とも減収、特に三菱自動車のダメージは大きく、現在に至
ってもその影響が大きいのでは、という議論がなされた。

新聞紙記事の「隠す」「回収」「責任」「謝罪」「偽り」「遅れ」といったキーワードが減収率にどれ
だけ影響を与えたのかを計算し、不祥事発生時の危機管理において、何を間違えるとどれく
らいのダメージを受けるのかを数値で示す方法について議論した。
[今後の活動計画]
1.
社会性をキーワードにして、多様な側面の危機管理について研究していく予定である。具体的に
は、以下のような内容の研究を予定している。

巨大災害と社会的危機管理(防災教育、地域連携、助け合いの枠組み)

ソーシャルメディアの危機管理(情報の拡散や漏えいのリスク)

ソーシャルビジネスと危機管理(ソーシャルビジネスを成功させるためにのり越えなければなら
ない課題の整理)

2.
企業不祥事の計量化モデルの構築
次回研究会は、2014 年 8 月上旬に大阪市内で開催の予定です。先生方のご参加をお待ちして
おります。連絡等は、[email protected](神戸学院大学・井上善博)までお願いいたし
ます。
以上
26
学会員の学位・論文・新刊書のご紹介
著書名:
クレーム対応の「超」基本エッセンス~エキスパート
が実践する鉄壁の 5 か条
著者:
株式会 社エス・ピー・ネットワーク (同社所 属で当
学会会員の西尾普様が直接執筆・監修を担当)
内容:
ドラマや漫画の描写を巡る抗議やクレームが社会問題となっ
たり、自らの主張を執拗に申し立てたり、インターネットや SNS
で結託して企業に抗議を行い、あたかも反対する消費者の声が
多いかのように見せる手法や脅し文句等で、商品の販売やイベ
ントを中止させたりする事態が頻繁に報道されるようになりまし
た。
インターネットや SNS の普及により、消費者の発言権が増す
にしたがって、中には理不尽な要求も目立つようになっています。
そして、価値観の多様化に伴い、表出される顧客の声の内容も
多様化しており、過激になりやすい「文字」ツールであるインターネットの影響やその情報拡散力、インタ
ーネット上の情報を過信した価値判断などの様々な要因により、企業にとっての顧客対応リスクは高ま
っています。
一方で、巷には「クレーム対応」に関する書籍があふれていますが、その多くが著者の武勇伝的事例
の紹介であったり、属人的なスキル・ノウハウの紹介、状況や相手度外視の応酬話法の紹介、法的視点
に特化した内容であったりしています。
このような現状で、企業から寄せられる声は、「汎用的・標準的な指針として活用しにくい」、「相応の
スキルやセンスを持ったスタッフでないと活用できず、組織としての人材レベルの底上げにつながらな
い」、「読んだときはわかるが、覚えていないといけないので、いざ対応の場面では使えない」など、かえ
って、現場を混乱させている状況も見受けられます。
顧客対応のリスクが高まる中、企業にとって危機管理の観点からクレーム対応の在り方を考える上で
重要なのは、徒にテクニックに走ったり、属人的なノウハウを覚えたりすることではなく、基本となるエッセ
ンスを明確にして、組織として標準化・汎用化可能なプロセスに落とし込み、内部統制の視点や対応プ
ロセスに潜むリスクも加味した、実践的で応用性の高い指針を確認することです。
企業の危機管理の視点から、基本となる 5 つのエッセンスを明確にし、顧客対応プロセスとして整理・
解説することで、様々なレベルのスタッフが、状況に合わせて活用でき、その一方で、顧客満足度向上
(CS)の視点をベースとしつつ、「ロス」となる不当要求に負けないための問題の解き方・着眼点・使い方
を体系化・整理したのが、本書です。
国内有数の実践対応の実績を踏まえて、負けないためのエッセンスを纏めた本書を通じて、日々クレ
ーム対応にあたる担当者の武器に磨きをかけてください。
出版社
レクシスネクシス・
ジャパン
単行本
A5判、224頁
発売日
2013年11月
ISBN-10
4902625806
ISBN-13
978-4902625806
価格
2,200円+税
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著書名:
最近の粉飾-その実態と発見法-〔第 5 版〕
著者:
井端 和男
書評(企業活性化研究分科会主査・山本洋信):
企業の粉飾分析研究の第一人者である著者の最新の重版著書であ
る。経営分析の理論を基礎として、現実を直視した内容である。一面で
は臨床的著書ともなっており、実務を担当される専門家には一読してい
ただきたい理論書であり、同時に実務書でもある。国際的な動向では、
会計ルールの統一が提起され、制度変更に伴い、粉飾内容も変化して
きている。財務諸表の量的な数値分析のみでは対応できなくなりつつあ
るのが現状である。
初心者には多少難解な部分もあるが、分析した企業については一社一社丁寧に説明がなされてい
るので、概要は把握できよう。本著は、読者層が厚く、平成 20 年の初版から版を重ね、5 版で 7 刷まで
になっている。実務書の中では類のない一冊である。
出版社
単行本
A5判、356頁
発売日
2014年6月
ISBN-13
978-4-419-06107-4
価格
2,916円+税
税務経理協会
ISBN-10
<事務局からのお知らせ>
1.
分科会連絡先
教育実践分科会
主査:後藤 和廣 Tel.03-3291-8921
E-mail:[email protected]
リスクマネジメントシステム研究分科会
主査:指田 朝久 Tel.03-5288-6584
E-mail: [email protected]
リスク事例サロン分科会
主査:小島 修矢 Tel. 047-338-6185
E-mail: [email protected]
メディカルリスクマネジメント分科会
主査:藤谷 克己 Tel.03-5803-4513
E-mail: [email protected]
企業活性化研究分科会
主査:山本 洋信 Tel. 048-874-4491
E-mail: [email protected]
価値ベース・リスクマネジメント研究分科 主査:藤江 俊彦 Tel. 047-372-4111
E-mail: [email protected]
会
科学技術リスク研究分科会
主査:宮林 正恭 Tel. 080-4732-3423
E-mail: [email protected]
社会性とリスクマネジメント研究分科会
主査代行:
Tel. 078-974-1551
井上 善博 E-mail: [email protected]
28
2.
新入会員紹介
新規入会
氏
名
所
佐竹
恒彦
千葉商科大学大学院
渡邉
吉明
特定非営利活動法人
健太郎
千葉商科大学大学院
矢澤
佐柳
3.
4名
恭威
属
日本テクニカルデザイナーズ協会
名古屋工業大学大学院
住所・所属等変更の連絡方法
会員各位の自宅のご住所・電話番号・所属機関の名称・所在・電話番号・職名等について変更が生
じた場合には、変更前と変更後を併記の上、必ず文書・メールにて事務局宛ご連絡ください。
【編集後記】
昨年、“科学技術リスク研究(社会・人間・科学技術の相関)分科会”と“社会性とリスクマネジメント研
究分科会”が発足しました。そして今年の夏は、“リスクマネジメント大学教育分科会”という新しい分科
会が誕生し、RM システム分科会の中で“統合報告フレームワーク WG(IR-WG)”および“事業継続マ
ネジメント WG(BCM-WG)”が始動します。
新たな“危機管理システム研究学会”を目指した変化が始まりつつあるようです。
しかし、新たな“危機管理システム研究学会”にどう進化していくのか、特に外に向かって何を発信し
ていくのか、内的に何を培いどんな形にしていくのかについては、まだまだ描き切れていないことも少な
くないように思います。
生物の進化においても、先に設計図があるわけではなく、体のどこかにおいて何らかの変化(突然変
異等)が先にあり、それが環境に受け入れられれば生存し結果的に進化となっていくようです。人間のよ
うな生物が生まれるまでには、天文学的な変化が繰り返され、失敗も膨大な数あったことでしょう。
この道筋から見ると、“危機管理システム研究学会”の変化を“進化”としていくためには、設計図では
なく、数多くのチャレンジが必要ということかもしれません。
広報・編集委員長 長井健人
E-mail: [email protected]
発行:
危機管理システム研究学会
〒214-8580
住 所: 神奈川県川崎市多摩区東三田 2-1-1
専修大学 1 号館 1305 研究室
E-mail: [email protected]
URL: http://arimass.jp/
発行日:
2014 年 6 月 20 日
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