『トム ・ ジョウンズ』に於ける愛と結婚について(2)

下関市立大学論集 第49巻 第2号(2005年9月)
『トム・ジョウンズ」に於ける愛と結婚について(2)
二
垂
九
悦
郎*
要 旨
捨て子でありながら地主オールワージーの養子になったトムは,地主ウェスタンの一人娘ソファイアとは幼馴染
であり,子供の頃よりお互いの長所を認め合う仲である。彼らが成長してから,最初に相手に対する自分の恋心に
気付くのはソファイアであるが,トムは既に恋人が別にいるので彼女の気持ちには最初は気付かない。大体,元は
捨て子の身のトムにとってソファイアとの恋愛など思いもよらぬことであった。しかし,そのトムもソファイアの
自分に対する気持ちに気付くと,前々から素晴らしい女性と思って尊敬していたソファイアを愛さずにはいられな
くなる。しかし,二人の思いが周囲に知れると,案の定,身分の違い故に猛烈な反対に会い,二人は引き裂かれる。
養家を放逐されたトムはソファイアとの恋を一旦は諦あたこともあって,ロンドンに向かう途中やロンドンに出
てから次々と他の女性と関係を持つ。そして彼はそのような性的放縦と無分別のせいで,幼い頃より周りの者に噂
された通りに縛り首になる一歩手前までいくが,彼の日頃の善行のお蔭もあり危機から救われる。そして,彼が実
は地主オールワージーの甥であり,彼が邸を放逐されたり,縛り首の危機に直面したりしたのも,実は異父弟のブ
リフィルの姦計によるものだということが判明し,俄かにオールワージー家の相続人になると,周囲の者は一転し
てトムとソファイァの結婚を望むようになる。しかし,皮肉なことに,ソファイアはトムの性的放縦故にトムとの
結婚を断固拒否する姿勢を見せる。けれども,彼女はトムの人間的長所を良く承知しており,しかも彼を深く愛し
ていたので,彼が深く反省していることを知って彼の過ちを許し結婚に同意する。そしてその翌日,彼らの結婚式
はロンドンでひっそりと行われる。
目 次
子一のソファイアと愛し合う仲になり,結婚が問
はじめに
題になると,最初は周囲の猛反対に会い別れざるを
1.愛:と結婚(概観)
得なくなるが,最後には祝福されてめでたく結ばれ
1-1愛:一{本と'CN
1-2財産・便宜・利益
1-3駆け落ち一利己主義と盗み
ることになる。
トムとソファイアがお互いの気持ちに気付くの
(以上前号,以下本号)
は,トムが二十才に,そしてソファイアが十七才に
2.トムとソファイアの恋と結婚
なった時だけれども,ソファイアのトムに対する愛
おわりに
はもっと前に芽生えていたと考えられる。そして,
それは「小鳥事件」(Dに端的にあらわれている。
2.トムとソファイアの恋と結婚
愛の動機が前にも述べたように尊敬感謝にあるとす
ると,ソファイアはその時からはっきりとトムに対
サマーセット州内屈指の資産家である地主オール
ワージーが,ある特殊な用件でロンドンに出て,丸
して敬意と結びついた好意を持つようになってい
く。
三ヶ月家を留守にした後,ある晩遅く帰宅して,食
オールワージー家とウェスタン家は地所が隣接し
事を済ませたあと寝床に入ろうとして布団をめくる
ており,トムとブリフィルとソファイアの三人は幼
と,そこに一人の赤ん坊が気持ちよさそうに眠って
馴染みで一緒によく遊んだ仲である。トムがソファ
いる。この子(捨て子)が,幸いにもオールワー
イアに小鳥を一羽プレゼントすると,ソファイァ
ジーの養子にされ,養父の名をとってトマス(ト
(凡そ十三歳)はその鳥をトミー(即ちトム)と名
ム)と名づけられた本作品の主人公である。彼はや
付けて可愛がっている。ある日,ブリフィルはソ
がて隣の地主ウェスタンの一人娘一しかも一人っ
ファイアにその小鳥を持たせてくれるように頼み,
*下関市立大学教授
71
受け取るやいなや鳥を放してしまうと,鳥は飛んで
ワージーは,「あの子が鳥を盗んだのなら私は誰よ
行って少し離れた木の大枝にとまる。ソファイァが
りもさきに厳しく罰することに賛成するが,そうい
鳥の飛んで行ったのを見て悲鳴を上げると,馳せ参
う意図でなかったことは明白だ」(IV,4)と言う
じたトムが,鳥を捕らえようと我が身の危険も顧み
だけで,ブリフィルが悪意からやったのではないか
ず木に登り,もう少しで鳥を捕まえるところで枝が
という,ソファイアが抱いたような疑念はオール
折れて下の運河に落ちる。そしてソファイアはトム
ワージーには一度も生じない。
の命が危険だと思ってさっきよりも何倍も大きな悲
そして,古の恋愛道の大家,オウィディウスが
鳴を上げる。すると,ブリフィルもそれに合わせて
『恋愛術』の中で「軽き心は小事に動く」(IV,5)
大声で叫ぶ。幸いにも,トムは落ちた辺りが浅瀬で
と言ったように,確かに,この日以来ソファイアは
何事も無いが,その後直ぐに,大人たちが駆けつけ
トムに対しては何か少し思いやりの気持ちを,そし
てくる。そして,ブリフィルは騒動の理由を伯父に
て反対に,ブリフィルに対しては少なからぬ嫌悪の
問われると,自分が鳥を逃がしたのが原因であり,
情を抱くようになったと作者は言う。彼女は,トム
鳥が自由を求めていると思ったので逃がしてやらざ
が自分以外の誰の敵にもならない男であるのに対
るを得なかったと答えて,「けれどソファイアさん
し,ブリフィルが自分の利益だけに強く執着する人
があんなに心配すると思ったら,また,鳥がどんな
間であることを若年にして見抜いており,彼女は,
ことになるかわかっていたら,決してあんなことは
尊敬と軽蔑という語の意味を知るようになるやいな
しなかったと思います。鳥を追ってあの木に登った
や,トムを尊敬し,ブリフィルを軽蔑したとも言う
ジョウンズ君が水に落ちた時,鳥はまた飛び立っ
(VI, 5)o
て,直ぐに悪い鷹にさらわれてしまいました」(2)
それから,ソファイアは田舎を出て,三年以上叔
と付け加える。そしてソファイアは鳥の非業の最期
母のウェスタン女史のところに滞在する。そして
を知って涙にくれる(IV,3)。
帰ってきた時,トムは二十歳でソファイアは十七歳
このエピソードには三人の登場人物の特性が非常
になっている。猟を熱愛するトムはすっかり地主
によく表わされており,印象的で,しばしば言及さ
ウェスタンのお気に入りになって,邸にもよく出入
れる場面である(また,この場所はこの二人にとっ
りする。作者によれば,トムは世界でも最もハンサ
て重要な思い出の場所になり,数年後,二人がお互
ムな若者の一人で,ヘラクレスとアドーニスの魅力
いを恋しく思うとき,二人の足は自然とここら辺り
を兼ね備えるそうだから(IX,5),近隣の全女性
に向く)。危険をも顧みず人のために尽くそうとす
の間でも美男子の評判を得ている。しかし,そのト
るトム,そして鳥のことは忘れてトムのことを案ず
ムは,ソファイアに対しては,美貌,財産,分別,
るソファイア。それに対して,トムが水の中に落ち
愛想の良い態度ゆえに他の女性以上に敬意を示すけ
たとき,トムの心配をするどころか,逃げる鳥を目
れど,彼女をものにしようという考えは持ち合わせ
で追いその非業の最期を見届け(これはあくまでも
ない。しかし,彼女の方は,何の危険にも気付かぬ
本人の言い分),それから遅れ馳せに,いかにもト
うちに,トムに取り返しのつかないほど心を奪われ
ムのことを心配しているかのように偽善的な叫び声
てしまっている(IV,5)。一方,トムのソファイ
を発し,更にソファイアの気持ちにお構いなく,残
アに対する態度に格別変わりがなかったのは,ソ
酷な「事実」を平気で彼女に告げるブリフィル(彼
ファイアの魅力を感じないわけではなく,彼女の美
は伯父が重病と思われているときも,伯父の妹で自
貌は大いに気に入っていたし,その他の長所もみな
分の母であるブリジェットの死という事実を伯父に
尊敬していたけれども,実はトムの心も体も別の女
知らせる)。(3)そしてブリフィルの説明を聞いた家
性の虜になっていたからである。彼は男女間の愛を
庭教師のスワッカムとスクウェアはブリフィルの行
重視するけれども,彼の最初の恋愛は情欲が勝つと
為を大袈裟に賞賛するけれど,ソファイアの父ウェ
ともに愛に関する誤解があった。
スタンが「……わしの考えでは,娘の鳥を奪ったの
彼の恋愛の相手は門番ジョージ・シーグリム(通
は間違いだ。隣人オールワージーさんは好きなよう
称ブラック・ジョージ)(4)の娘でモリーという。
にやればよいが,子供にあの手のことを奨励するの
彼女は美人と思われているが,その美はソファイア
は絞首台に上らせるために育てるようなものだ」
とは対照的で男性的なものだとされる。肉体だけで
(IV,4)とむしろまともな評価を下す。オール
はなく精神も男性的なモリーは大胆,積極的で,ト
72 『トム・ジョウンズ』に於ける愛と結婚について(2)
ムが消極的だと,自分の方から積極的に持ちかけ
つ間,ソファイアは振る舞いに細心の注意をしょう
て,相手を陥落させながらも自分が陥落したように
と努めたにもかかわらず,それらしい様子が見えて
見せる女である。彼女の父親がトムにとって悪への
しまうのを防げなかった。そして,彼は彼女のやさ
誘惑者であるのと同様に彼女は性的堕落への誘惑者
しい胸中に何かが起こっていることに気付く。彼は
である。トムは若い女をたらしこむことは,たとえ
彼女の素晴らしさを知っていたし,彼女の姿に感嘆
どんなに相手の身分が低かろうとも,大それた罪と
し才芸を崇め善良さを愛していたので,彼女に対す
思いながらも,すっかりこの女の虜になっていく。
る彼の感情は彼が知るよりもずっと強烈になり,そ
そして女の愛情は男の感謝を生み,女の境遇は男の
して彼はそんな自分の心に気付く。しかし彼にはま
同情を生み,この感謝と同情が女の肉体への欲望と
た,単なる同情,あるいはせいぜい尊敬の念を,
相侯って,彼の心中に生じさせた感情は愛と呼んで
もっと熱い気持ちに誤解してはいないかという疑念
も,この語をはなはだしく損ねることにはならない
もわいた。とにかく,ウェスタンが娘を金持ちと結
だろう,と語り手は弁護の口振りではあるが,実際
婚させる夢を捨てるはずもないし,この地主から受
はそれが真実の愛とは似て非なるものであることを
けた恩を仇で返すような真似をすることをオール
示唆しているのである(IV,6)。
ワージーが許すはずもない。それに自分には,自分
このモリーが妊娠したことが最初は家族に気付か
を愛し,そしてその愛のために純潔を犠牲にしたモ
れ,やがては近所の噂にもなる。そしてモリーは私
リーがいると思って,彼はソファイアを心から払い
生児をはらんだということで治安判事オールワー
のける。が,今度は極めて些細な一事件(オウィ
ジーの邸で裁かれた後,警官によって懲治監に連行
ディウスのいう小事)が再び彼の全情熱を沸き立た
されるところをトムが引き止め,もう一度オール
せ,彼の心境に全面的変化を起こす。
ワージー邸に彼女を連れ戻し,自分がモリーのお腹
トムとソファイアはお互いに直接自分の気持ちを
の子の父親であると告白しモリーを収監しないよう
打ち明けることはできないが,二人の恋の仲立ちの
に頼む。この行動にはトムの誠実さと潔さが示され
役割を果たすのが彼女の侍女オナーのお喋りとソ
ている(IV,11)。そして,この段階では,トムは
ファイアがそれまで使っていて,オナーにお古とし
責任をとって一生モリーの面倒を見る覚悟である。
て下げ渡したマフ(女性が手を入れて温める円筒状
ソファイアの方はトムとモリーの関係を知って目
のもの)である。特にこのマフが,「マフの中に隠
が覚め,自分の愚かしさに気付いて彼のことは忘れ
れていたキューピッド」(VII,9)という表現もあ
ようと努める。そして,彼に対する完全な無関心状
るように,二人の縁結びに重要な役割を果たす。ソ
態に戻ったかに見えたが,し均・し,恋の病(この比
ファイアは,トムがオナーの前でそのマフに口づけ
喩は一度ならず使われる)は,次に彼に会うと以前
をし,ソファイアに対する崇拝に近い念を吐いたこ
の症状がことごとく戻る。そこで彼女はできるだけ
とをオナーから聞くと,新しいマフと交換にオナー
トムを避けようと決心し,叔母を訪問することを思
に与えた古いマフを取り戻す。そして,この事実を
い立った。しかし運命のいたずらか,ソファイアの
オナーはトムに告げる。更に,ソファイアがマフを
落馬事故で彼女の決意は全て無に帰してしまう。
返してもらって以来ほとんどずっとそれを腕に付け
彼女が父親の意に従い,一緒に猟に出た帰り道,
ており,誰も見ていないとそれに何度もキスしたこ
彼女の乗った馬が突然暴れ出し,彼女が落馬寸前に
とがあることをオナーがトムに喋っている丁度その
なる。トムが駆け寄って,自分の馬から飛び降りて
ところヘウェスタンが彼を呼びにくると,彼は蒼白
彼女の馬の手綱を取ったとき,馬が後脚で棒立ちに
になって震えながら一緒にソファイアのハープシ
なりソファイアを振り落とすと,トムは両腕に彼女
コードの演奏を聴きにいく。そして,その後,問題
を抱きとあるが,その結果,左腕を骨折する。その
の一寸事件が起こる。ソファイアがハープシコード
後,両者は相手のことを自分以上に心配し合うが,
を演奏しているとき,彼女が右腕につけていたマフ
この事件が彼女の心に強く作用すると同時に,彼女
が彼女の指の上に落ちて演奏が中断されると,地主
も彼の心に深い印象を与えるのである。実を言う
ウェスタンは邪魔だとばかりにそれを暖炉に放り込
と,彼の方もしばらく前から彼女の魅力の抗しがた
む。するとソファイアが必死で炎の中からマフを取
い力を意識し始めていたのである(IV,13)。そし
り出すので,それを目にしたトムにソファイアの気
て事故の後,トムがウェスタン邸で怪我の回復を待
持ちが一層はっきり伝わる(V,4)。(このマフは
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彼女が後で家を出てからも物語の小道具として重要
と,舌が必ずもつれ,彼女に触れれば手が,いや全
な役割を果たす。例えば,アプトンの宿屋でトムが
身が震える。共感があれば相手の気持ちも良く分か
ウォーターズ夫人と同裳したことを知ったソファイ
る。共感(“Sympathy”)のあるところに愛は生ま
アはこのマフを宿の女中に頼んでトムのベッドの上
れがちだが(1,10),愛し合う者同士はその共感に
に置かせる。また,トムはこのマフばかりではなく
よって相手の気持ちが分かるという。兎も角,二人
ソファイアが使った乗馬用の鞍にも一種のフェティ
の気持ちは言葉ではなく表情や態度・仕草が伝える
シズムのような愛着を示す。のちにトムはソファイ
のである。(7)ソファイアの方もやがて彼を苦しめ
アが落とした金色の手帳も手に入れるが,彼女のマ
る激しい情熱を確信すると,彼に対し先ず尊敬と憐
フとか彼女の使った鞍が彼女の肉体を象徴するもの
欄の二つの感情を抱くが,更に貞淑な女性の心と矛
であるなら,(5)銀行手形の入った彼女の手帳は彼
盾しない全ての優しい感情,即ち,尊敬と感謝と憐
女の財産を象徴するとも言える。)
欄が好ましい男性に対してこのような心に生じさせ
さて,このマフの一六事件はトムの心を完全に征
る全ての感情(即ち愛車)を抱き,狂気のごとく彼
服し虜にしてしまうが,哀れなモリーがどうなるか
に恋したのである(V,6)。そして,ソファイアの
という不安に彼の心は千々に乱れる。ソファイアの
トムへの愛の基盤には彼に対する人間的評価がある
優った値打ちが哀れなモリーの美をかすませるが,
が,彼が彼女を愛するのもまた,彼女が美人だから
モリーへの愛にとって代わったものは侮蔑ではなく
というだけでは決してない。彼はソファイアの美貌
同情である。彼は,自分はこれ程の悪党かと思いな
に触れて,パートリッジに「それはあの人の取柄の
がらも,金で片が付くものならとモリーの家に別れ
中でも最も取るに足らない点だ。分別があり善良
話をしにいき,モリーの住む屋根裏部屋で彼女と話
で,どんなに褒めちぎってもあの人の長所の半分も
をしているとき,有名な一事件が起こる。何かのは
言い尽くせない」(VIII,5)と言うし,ナイチン
ずみで,垂木に吊してあった絨毯が外れて,陰から
ゲールには「世界で一番美しい娘だが,同時にとて
哲学者スクウェアの無様な姿が「他の女性用具に混
も高貴で気高い性質の持ち主だから,片時も忘れら
じって」
れない得なのに,目にするとき以外は彼女の美しさ
1クウェアも女性用具の一つというこ
と一現れるのである(V,5)。こうして,モリー
のことはほとんど思わない」(XV,9)と言う。し
がスクウェアとも関係していた事実,さらに彼女を
かし,これは彼の自己欺隔に過ぎないという見方も
最初に誘惑したのはウィル・バーンズという名の若
ある。(8)
者であり,彼女のお腹の子の父親はその男の可能性
もあることをモリーの姉ベティー
られ妹を恨んでいる
ウィルに捨て
から聞く。そして間もな
ソファイアの叔母ウェスタン女史は「恋愛理論」
(“the Doctrine of Amour”)に通じ,人の恋愛関
係は誰よりもよく知ると作者に言われるが(VI,
く,当の男の告白ばかりではなく,ついにはモリー
2),その叔母はソファイアの意中の相手をブリフィ
自身の自白によってその事実を十分に確かめると,
ルだと勘違いし,兄に二人の結婚をオールワージー
トムはモリーに関する限りすっかり気が楽になぐ
に申し出るように勧める。そして,二人の縁談が保
(V,6)。とは言っても,モリーが孕んでいる子が
護者間の話し合いでまとまっていく。(9)順序があ
トムの子ではないという保証もない筈である。(6)
べこべで,保護者が保護者に子供の結婚の申し込み
彼の心は今や完全にソファイアの独り占めすると
をしたあと,結婚の当事者の一人ブリフィルがもう
ころとなる。彼は情熱の限りを尽くして彼女を愛
一人の当事者ソファイアに求愛を開始する。オール
し,同時に彼女が自分に対して抱くやさしい感情が
ワージーはソファイアを女性として高く評価してい
はっきり見えてくる。彼女と一緒になるのは無理だ
るから本人同士がその気なら二人の結婚に何の異論
から,二度と彼女に会わないようにしょうと幾度決
もない。ブリフィルには願ってもない話だが,ソ
心しても,会えば全ての決心を忘れて,命がけで,
ファイア,は彼を忌み嫌っているので,とても受け入
更に,もっと大事なものを失っても,彼女を追い求
れる気にはなれない。彼女は,結婚をするに当たっ
めようと決意する。彼は自分の情熱を隠そうとする
ては自分の気持ちを大切にして欲しいと思うが,父
が,しかし彼女が近づいてくれば蒼くなり,それが
親ウェスタンは財産を増やすことしか頭にないの
突然だとぎくりとする。たまたま目が合えば血が頬
で,この親子の考え方が合うはずはない。ソファイ
に押し寄せ,顔中が赤くなり,彼女にものを言う
アは親の同意がなければ結婚はできないと考えてい
74 『トム・ジョウンズ』に於ける愛と結婚について(2)
るけれど,ウェスタンは娘の気持ちなどお構いなし
ただ一人の味方ソファイアの許を去るのを一時躊躇
に娘に結婚を強制しようとする。そして,ソファイ
するが,愛しいソファイアの身の破滅を招くような
アが叔母に,自分が思っている人は,叔母が考える
ことをして己の思いを遂げようという下心で泥棒の
ようにブリフィルではなく,実はトムだと打ち明け
ように田舎に忍んでいるのを潔しとせず,船乗りに
ると,それはたちまちウェスタンにも伝わってしま
でもなろうと最初は考えて田舎を出る。当時,家
う。そしてウェスタンは娘が勝手なことしないよう
柄・身分の違う者同士の結婚はただでも難しかった
に彼女を部屋に監禁する。叔母は,イギリス夫人は
が,男の方が身分が低い場合は一層問題があるとさ
奴隷ではなく,男と同様に自由を持つ権利があり,
れた。(13)そして作者もトム自身もそのような考え
スペインやイタリアの人妻のように監禁してはなら
方を否定しないし,トムはそれに逆らおうとはしな
ないと兄に注意はするが,姪は父親と一緒に家で暮
い。(14)トムは邸を出てからジャコバイトの反乱
らしたばかりに愛だの恋だのというロマンチックな
(1745年)の鎮圧軍に加わったりした後でロンドン
ことを覚えたと言って,姪の意思を尊重しようとは
に向かう。ソファイアもロンドンに住む親戚の女性
決してしない(VI,14)。ここでソファイアが我侭
ベラストン夫人の許に走る。父親はてっきり二人が
でふしだらな女で,相手が無責任な男ならば,駆け
駆け落ちをしたと思いこみ娘のあとを追い,ここに
落ちに走るところだが,しかし彼女はそういう手段
擬似的な駆け落ちとその追跡が行われることにな
はとらない。それは,親の権利の侵害であるととも
る。ソファイアはアプトンの宿で追っ手に追いつか
に貞節という徳を捨てることになるからである。彼
れそうになって,更に馬で逃げて行くとき,これま
うぶ
女は初な身持ちの堅い女性として描かれており,そ
た夫から逃げて追われる身の従姉のフィッツバト
の点でも,モリーと対照的である。そしてトムも,
リック夫人と出会う。(15)傑作にも,ウェスタンは
モリーとの関係にもかかわらず,ソファイアに対し
娘を追う途中で狩猟の現場を目撃すると,習性の恐
ては純情で,彼がソファイアに愛を告白したとき,
ろしさ故か,っいっい狩猟に加わって一緒に獲物を
おこり
まるで癒の発作に襲われたようにブルブル震え始め
追ってしまい,その後,娘を追うのを止めて一旦帰
るが,ソファイアもそれと余り変わらぬ状態で,今
郷する。
にも倒れそうなトムが,同じく倒れそうなソファイ
フィールディングの作品の主人公は大抵,非の打
アを支えながらお互いにふるえっっヨロヨロと歩い
ち所のないような人物ではなく,欠点を併せ持つ人
ていく場面がある。(10)トムは女性関係のだらしな
物として描かれる。トムも善良さの美徳など種々の
さにもかかわらず純朴で内気な人物ときれているの
長所を持つが,同時に無分別という短所を併せ持
だ(IV,13)。ソファイアは父を敬愛していたか
つ。人は無分別によって,世間に対して重罪を犯さ
ら,自分がこの縁組みに同意すれば父がとても喜ぶ
ないにしても,自分にとって重罪人となると作者は
だろうと思うと,強い自虐的な感銘を受けることも
言う(XVII,1)。このように分別には自己に対す
ある。孝心と義務との犠牲,あるいは殉教者となっ
る配慮の面があるが,この分別同様,彼にはもう一
て自分が苦しむことを考えると,彼女はある感情が
つ重大な自己に対する配慮が欠けている。善良さは
快くくすぐられる気がすることもあった。(11)しか
慈愛(“Charity”)と貞節(“Chastity”)という二
し,ソファイアは父親の権利等を尊重しながらも自
つの側面を持っており,そのうち,慈愛が他者に向
分の気持ちを大切にするには,一時的に家を出るし
けられるのに対し,貞節が自己に対してあるという
かないと判断して,父親が彼女とブリフィルの結婚
説に従えば(16)
式を翌日にも強行しようとしていることを知ると,
男子にも当てはまると作者は言う
その直前,深夜に家出を実行に移す。
に対する慈愛の心は十二分に持ちながら,自己に対
これは前述のように,女子にも
,トムは他者
トムは「捨て子」の身に生まれたおかげで,幼い
する貞節を著しく欠いているのである。そして貞節
頃より,世間の中傷に曝されている。そして作品中
の欠如(性的だらしなさ)と無分別の両方が彼の身
の最大の悪漢,ブリフィルに隙を見せたばかりに彼
を危うくしていくのである。
の誕訴に会い,オールワージーの邸,楽園館
トムがハント夫人の求婚を断った事実に関連して
(“Paradise Hall”)から追放されてしまう(ブリ
述べたように(本論前編),彼は結婚するに当たっ
フィルは楽園に侵入した蛇であり,その姦計により
ては愛情が重要であると考えるが,彼はまた,愛清
トムは楽園を追放されるという解釈もできる)。(12)
は心の問題であるのに対し,性的関係は体の問題で
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あって,両者は別物だと割り切っており,肉体関係
ばならない。
を持っても相手に愛情を抱かなければ,心に思って
ソファイアはベラストン夫人を頼ってロンドンに
いる人を裏切ったことにはならないと考えている
出てくるが,そこにトムが加わって三角関係のよう
(XIII,11)。また,彼は女性の誘惑を決闘の挑戦の
な状態になり,そのせいでソファイアはベラストン
ように捉え,それに応じないのは男の名誉にかかわ
婦人に疎まれるようになり,更にこの女の計略には
ると心得るし(XIII,7),物質的援助を受ければそ
まりフェラマー卿という貴族にあわや陵辱されそう
れに性的に報いるのも名誉の問題と考えて,ソファ
になる。ベラストン夫人は,こういう手段に出ても
イアの居所を知るたあとはいえ,ベラストン夫人の
ソファイアを急いで結婚させてしまえば,世間にも
囲い者のような身になり,その不名誉な状態をずる
れる心配はないし,ソファイアも操を奪われれば容
ずると続ける。彼は子供の頃,ブラック・ジョージ
易に結婚に同意するだろうと踏んでいる(XV,3)。
と一緒に猟園荒らしをしたかどで訴えられた時,猟
ベラストン夫人は古代のサビニーの婦人の話を持ち
番をかばったのは名誉心のはき違えのせいと周囲の
出して,そこの女性は略奪されて結婚した後,みん
者に言われるけれど,彼の名誉心が本当に誤ってい
な相当の良妻になったと言って,最初は逡巡する
るのはこの女性に関する場合である
フェラマー卿をけしかける(XV,4)。そして彼が
この誤った
名誉心(“false Honours”)はトムだけではなくナ
計画を実行に移した時の模様は,作者の語りより
イチンゲールにも認められる。トムの名誉心には
も,後にソファイア自身によって叔母に語られた時
誤ったところもあるけれども彼は決して卑劣な男で
の描写が少し具体的で生々しく,(17)それはリ
はない。そして彼は自分のソファイアに対する気持
チャードソンの『パミラ』の主人公がB氏に襲われ
ちについて「私の愛は,相手にとって一番大切なも
た模様を語るのに似ている(『パミラ』 書簡15)。
のを犠牲にしてまで自分自身の満足を求める,そん
この時,ソファイアは父親の偶然の出現によって危
な卑しいものではありません。私はソファイアを得
ないところを救われるが,しかし今度は貴族嫌いの
るためなら何でも犠牲にしますが,ただソファイァ
父親によって宿屋に連れて行かれ,そこでブリフィ
その人を犠牲にしょうとは思いません」()くIII,7)
ルとの結婚を承諾せよと迫られる。そしてそれを断
と断言する。
固拒否すると宿屋の一室に監禁されてしまう。トム
トムは分別と貞操観の欠如のため次々と異なる女
は,まさか自由の国の女が力ずくで結婚させられる
性と関係を持つ。ロンドンに向かう途中のアプトン
ことはないだろうと高を括るけれど,「縁組が天で
の宿(ソファイアも寄ったところ)ではウォーター
結ばれるものなら,地上の治安判事にもこれを断ち
ズ夫人と一夜のベッドを共にし,更にソファイアに
切ることはできない」というオナーの言葉にも拘わ
会うために接近したベラストン夫人の男妾のような
らず(XV,7),トムとソファイアの天国で結ばれ
存在に堕してしまう。それからベラストン夫人と手
た縁の糸が暴君の父親や更に叔母などによって断ち
を切るために,友人ナイチンゲールの入れ知恵で彼
切られようとする。語り手は,ウェスタンの行動に
女に手紙で擬似的求婚をする。更に,嫉妬深い
ついて,父親が娘を本人の意思に反して無理矢理結
フィッッバトリックに彼の妻との仲を疑われて剣を
婚させるのは,女郎屋の女将が,罪汚れのない若い
交えざるを得なくなり,相手を負傷させて捕まり投
女に客を取らせるようなものだと批判する(XVI,
獄される。そして,例によって,薮医者が怪我を大
2)。
えにし
袈裟に見立てたために彼は自分が殺人の罪を犯して
トムは駐禁中のソファイアヘブラック・ジョージ
しまったのではないかと恐れる。そしてブリフィル
などの手助けを得て,料理した鳥の胃の腋に納あて
の策謀によりトムが先に剣を抜いたと偽証する者が
手紙を送り(作品中の最もロマンス的部分),その
出て,フィッツバトリックが死ねば,彼は幼い頃よ
中で,彼女が払う犠牲に対し自分が報いることがで
り噂された通りに絞首刑になる催れが出てくる。更
きるものは,彼女に対する完壁な賛美,たゆまぬ気
に自分が肉体関係を持った女性ウォーターズ夫人が
遣い,熱烈この上ない愛,心に響くやさしさ,相手
自分の母親の可能性があると知り近親相姦の罪まで
の意志への全面的な服従しかないが,それでよけれ
犯してしまったと思い込む。こうして作者はトムを
ば自分の腕に飛び込んで来てほしい,相手が身一っ
苦しあて罪の報いを受けさせるが,ただ罰を与える
で来ようが,世界中の富を持参しようが自分には関
だけではなくて,彼に考え方の過ちを悟らせなけれ
係ない,しかし自分を捨てる以外に父親と和解し,
76 『トム・ジョウンズ』に於ける愛と結婚について(2)
心の安らぎを回復する方法がないならば,永久に自
「……私はあなたの名誉と利益の他は何も考
分のことは忘れてほしい,今でも自分の第一の願い
えていないのです。この体も名誉も財産も,何
は彼女がいつも最も幸せな女性であるのを見ること
もかもあなたの足下に投げ出す以外,私には何
だと述べる(XVI,3)。結局,ソファイアは,自由
の目的も希望も野心もないのです」
な国の女性が監禁されることを許さない叔母の取り
「その財産やその名誉をあなたが利用なさる
なしで解放され(XVI,4),叔母の泊まっている宿
ので私は困るのです。そういうものの魅力に私
へ連れて行かれるが,そこで叔母によって分別と
の身内の者は惑わされたのですが,しかし私に
「婚姻政治学」(“Matrimonial Politics”)について
はそんなものはどうでもいいのです。あなたが
の説教を聴かされることになる。その後,ソファイ
私の感謝を得る方法はただ一つです」
アはトムに返事を書き,自分は決して父親の同意な
(XVII, 8)
しには重大なことで一歩も踏み出さないと固く決心
していることなどを告げるが,その返事を読んでト
そう言って,彼女は彼が自分を追うのを止めるな
ムが嬉しく思ったことの一つは,彼女が決して他の
ら,感謝も好意も善意も彼に捧げると告げる。だ
男とは結婚しないという,いっかの約束に触れてい
が,たかがそれだけのことで得られる感謝など薄っ
たことで,彼が自分のソファイアに対する愛の情熱
ぺらなもので,感謝という言葉がここでは虚ろに響
をどんなに私心のないものと考えていたとしても,
く。彼のような人間はたとえ感謝の対象になったと
もし彼女が他の男と結婚したと聞いたら,たとえそ
しても,尊敬や愛の対象には決してなり得ないので
れがとても良縁で最後には彼女を完全に幸福にしそ
ある(ここら辺りも『パミラ』批判になっている)。
うであったとしても,彼にはこの由ない悲しい知ら
しかし,彼も堕落しきった男ではなく,彼女に結婚
せであったろうと作者は言う。それは,肉を絶対的
を約束した紳士がいるなら,つらくても引き下がる
に離れて全く純粋に精神的な,洗練された高度のプ
のが名誉にかなったことだと述べ,実際に彼女を追
ラトニックな愛というものは,女性にしかできない
うのを断念したばかりではなく,後にはトムの釈放
芸当だと作者は考えるからである(XVI,5)。
に手を貸すことになる。
ソファイアは父親の攻撃をかわしても,今度は叔
フェラマー卿は引き下がったものの,ベラス.トン
母とベラストン夫人から攻められる。叔母はベラス
夫人がソファイアにトムを諦めさせようと,トムが
トン夫人からフェラマー卿の意向を聞かされると,
ベラストン夫人に出した求婚の手紙をソファイアに
その話に大いに乗り気になって,財産しか取り柄の
見せるために彼女の叔母に渡すと,思惑通りソファ
ないブリフィルから貴族の称号と大きな地所を有す
イアはその手紙を読まされる。そして,トムはソ
るフェラマー卿に完全に鞍替えする。ソファイアは
ファイァから「もうあなたの名前は二度と聞きたく
叔母の機嫌をとるが,しかしフェラマー卿との縁組
ない」(XVI,10)などと書いた絶縁状を受け取る。
に対する叔母の熱意を冷ますことはできないし,そ
(ベラストン夫人はトムへの手紙で「私は激しく愛
の熱意をさらにベラストン夫人が煽る。ベラストン
したのと同じくらい激しく憎悪できると」(XIV,
夫人は,ソファイアをうまくフェラマー卿と結婚さ
2)と述べるほど愛憎の強烈な人物だが,彼女が最
せるには,大急ぎで縁組を強引に進めて,ソファイ
後までトムとソファイアの恋路の邪魔をするのは,
アに考える暇を与えず,訳が分からないうちに同意
『ジョゥゼフ・アンドルーズ』でブービー夫人が最
せざるを得ないように仕向けるべきであり,身分あ
後までジョウゼフとファニーの結婚を阻止しようと
る者の結婚の半分はこのやり方で行われると言う
するのに似ている。)(18)
(XVII,8)。そして同様のヒントを与えられたフェ
一方,ソファイアの父親の後押しを受けるブリ
ラマー卿が彼女に再び結婚を迫ったときの二人の間
フィルの彼女に対する愛もすこぶる熱烈で,相手が
に次のようなやりとりが行われる。
財産を失ったとかいうような事故でもない限り弱ま
ることのないものだったから,自分のせいで彼女が
「……迫害する相手への愛の告白などは全て
出奔したと知っても彼の結婚の意志は変わらなかっ
狽燈諮J的な見せかけです。あなたにこのよう
た,と作者は皮肉を込めて言う(XVI,6)。彼が彼
に追い求められることは私にはとても残酷な迫
女との結婚で満足させようとたくらんだのは,貧欲
害です。……」
だけではなく,憎悪という強烈な感情で,彼は結婚
一一
77
とは愛か憎悪のいずれかを満足させる等しい機会を
ことを言い,自分を憎むとはっきり分かっている相
与えてくれるものと心得ていた。作者はこれに関連
手を愛することは人間性に惇るとブリフィルを諭す
し,結婚している人たちのお互いに対する普段の行
(xvll, 3).
動から判断すると,大抵の人は結婚して心以外の全
ソファイアは,トムが種々の苦境から脱し,さら
てを一つにする中で,憎悪という感情の充足のみを
に彼の素性も分かり,ブリフィルの悪辣な企みも明
求めていると結論したくなるほどだと言う(XVI,
らかになり,それ故,自分の父親もオールワージー
6)。ブリフィルにとって結婚への唯一つの障害は
も,自分とトムの結婚を切望するようになった段階
オールワージーで,この地主は自分の甥がソファイ
で,彼との結婚をきっぱり拒否する姿勢を見せる。
アにひどく嫌われていることを知って事態を憂慮し
オールワージーが彼女にトムとの結婚話をしに行く
ていたからである。オールワージーは結婚制度を最
と,彼女は最初,ブリフィルとの縁談と勘違いし,
も神聖なものとして尊重しており,それを神聖で冒
「……どうとも思わない人と一緒に暮らすことは
すべからざるものに保つには,結婚に先立っあらゆ
きっと惨めなことに違いないと思うのです。そし
る用心が必要と考え,これを達成する最も確実な方
て,愛情を捧げられないその相手にもし長所がある
法は,当事者同士の事前の愛情に結婚の基盤をおく
と感ずれば,多分その惨めさはさらに増すかもしれ
ことだと考えていたからである。ブリフィルはウェ
ません。……」)(XVIII,9)と,いかにも彼女ら
スタンが熱心に自分とソファイアの結婚を望んでい
しいことを言う。そこで,オールワージーはブリ
ることを強調し,あんなに立派な若い女性をトムの
フィルがとんでもない悪党であったことが分かった
ような男の手から守るのは慈善行為でさえあると伯
ことを説明し,彼女との縁組を実現したいという野
父を説得すると,伯父の方も,絶対的な力でソファ
心は捨てがたいので,別の近親の若者に会ってほし
イアの意向を変えようとすることは承知できない
いと頼むが,彼女は結婚の申し込みなど聞くつもり
し,自由意志で先方が同意する気にならない限り結
はないと答える。彼女がその若者はト・ムであると気
婚はさせないという約束で甥と共にロンドンに出掛
付かないようなので,オールワージーは事実を明か
けて来た(XVI,6)。ブリフィルのこんな言葉に乗
し,トムは良い夫になる良い性質があると弁護する
せられるオールワージーには母親に愛されなかった
が,彼女は,トムには長所が沢山あるものの,夫に
甥に対する態度の甘さが認められる。
なる人として受け入れる気はないと答える。そして
オールワージーはロンドンに出てウェスタンに会
自分の家出について,父親の同意なしには結婚をし
いソファイアとブリフィルの結婚のことを話し合
ないと言うのが自分の確固たる主義だが,親の権威
う。オールワージーがウェスタン家との縁組を望ま
で子の意向と真反対の結婚を無理にさせるのもよい
しいと思うのは,何よりもソファイアの人柄に惚れ
とは思わないので,そういう強制をされる気配を感
込んでいるからで,彼女は良き夫にとって貴重な宝
じたので,それを避けるために余所に保護を求めた
となるに違いないと信じており,彼女のことを「第
だけだと釈明してオールワージーを感服させる。そ
一級の天使の一人」(XVII,3)と呼ぶ。彼女は常
れでも,オールワージーは諦めきれず,トムを幸せ
に男の理解力にこの上ない敬意を払うが,これは良
にしてやりたいけれど,それができるのは彼女だけ
き妻になるのに絶対欠かせない要件であるとオール
だと説得しようとする。それに対し,「現在この地
ワージーは思っているからだ◎だが,宝石のような
上に,ジョウンズさん以上に私がきっぱりお断りし
彼女を家に迎えたくても,盗んでまで,あるいは暴
たい男の方はありません。ブリフィルさんに言い寄
力や不正を働いてまで手に入れようとは思わないと
られる不快ささえも,まだましでしょう」(XVIII,
彼女の父親に告げる。また,ブリフィルには,いや
9)とまで言われてしまう。そして,ソファイアが
がる女も根気でものにできるなどというのは,とん
何もなかったようにトムを受け入れることができな
でもない世間の思い違いで,ブリフィルの熱情は,
いと同様に,作者もまた簡単に二人を結婚させる訳
彼女の美貌にとらわれ過ぎており,結婚生活の幸せ
にはいかない。トムに彼の行動の非を悟らせる必要
の唯一の基盤である愛の名に値しないと,ブリフィ
があるのだ。
ルの意図を誤解した発言をする。そして,その後
トムはまだ牢獄にいる段階でも,ミラー夫人に対
で,オールワージーは,「愛は愛だけの子である」
し,自分が地上で一番大事だと思っていたものを
(「愛は愛からのみ生まれるものだ」)と格言めいた
失ってしまったと,ソファイアに見捨てられたこと
78 『トム・ジョウンズ』に於ける愛と結婚について(2)
を嘆き,自分が軽率にも悪徳行為を犯してきたこと
耽っているとは,訳が分からない行動で,彼が公言
も認めるが,自分は救いがたい放蕩者ではないし,
した情熱が真剣なものとは信じられない,不実なこ
邪な人間は嫌だし,今後そういう人間と見られない
とをそれだけやれる人と一緒になって,どんな幸せ
ようにすると誓う(XVII,5)。更に,自分がオー
が望めるのか,と実にもっともな問い掛けをする
ルワージーの甥であることが分かった段階でも,彼
(実は,アプトンの件については,ソファイアはベ
の口から色々反省と弁明の言葉が出てくる。日く,
ラストン夫人の家でトムに偶然会ったとき,既に一
「私は大変な罪人ではありましたが,凝り固まった
度,彼を責めたことがあり,それに対してトムは,
罪人ではありません。……私は,悪辣非道な罪を犯
「僕の心は決して貴女を裏切ったことはない。……
したとは思いませんが,しかしやはり,悔いても悔
僕の犯した愚行に僕の心は関係ない。その時でさ
いきれない,恥じても恥じきれない愚行や悪行を犯
え,心は変わらず貴女のものだった。……真剣に他
したことに気付きます。その愚行がこの身に恐ろし
の女を愛することなどできなかった」[XIII,11]な
い結果を招き,私を破滅の瀬戸際まで追いつめたの
どと弁明し,彼女の許しを得ている)。それに対し
です」「……私の悪行が招いた結果で,一つだけど
彼は,彼女と一緒になれる希望がほんのかすかでも
うしても取り返しのつかないのがあるように思いま
あったら,彼女以外のどんな女性にもたとえかすか
す。ああ伯父上,私は宝物を失ってしまいました」
でも気持ちを動かされることはなかった,本当に心
「ソファイアを妻と呼べることは最大の祝福であり,
の底から悔恨しているから自分を受け入れてほしい
今の私の幸福に天が更に付け加え得るただ一つの祝
と頼む。そして二度と不実なことはしないと誓い,
福ですが,しかしその祝福もあの人の自発的意志に
その証拠として,彼女を鏡のところに連れていき,
よるものでなければなりません」「私はあの人に対
「ほら見てご覧,あの美しい姿,あの顔,あの目,
して,許される見込みのないほど罪を犯していま
それからその目を通して輝いているあの心,そこに
す。そして確かに私は罪を犯したのですが,その罪
確かな保障があるじゃないか。これだけのものが手
が不幸なことにあの人の目には実際の十倍も罪深く
に入る男が不実な気持ちでいられるだろうか」など
映っているのです。ああ,伯父上,私の愚行は本当
と言って,彼女の心を動かそうとする。そんな対話
に取り返しがっきません……」(XVIII,10)。彼は
の中で彼が過去の過ちを正当化しようとして,「女
自分の愚行,悪行によって自分自身を傷つけただけ
性は繊細だから我々男性の粗野なところも,ある種
ではなく,他人,特にソファイアを傷つけたことを
の恋は心とは何の関係もないことも分からないの
ある程度は悟っているが,それでもまだ自分のした
だ」とここでも体と心を切り離す論法を用いると,
ことの意味が十分に分かってはいない。ミラー夫人
彼女は「私自身にはそんな妙な区別などできない
も二人の仲立ちをしてくれるけれど,ソファイアは
し,私同様にそういう区別ができないだけの潔癖さ
トムの若気の過ちは許しているものの,放蕩者
の分からない男の人とは,決して結婚しませんわ」
(“Libertine”)は嫌でたまらない,トムはとても善
と彼を一蹴する。すると,トムは途端に「ぼくも分
良だと思い,それに敬意を抱いてもいたが,放蕩な
かるようになる,いやもう分かっているんだ。ぼく
生き方は最も善良な心も堕落させるので,善良な放
のソファイアをぼくの妻にできるかもしれないとい
蕩者が期待できるのは軽蔑と嫌悪の情に多少の憐れ
う希望をもった最初の瞬間に,直ぐにそれが分かっ
みを混ぜてもらえるだけだ,とミラー夫人に伝えた
たんだ。そのとき以来,他の全ての女性は,ぼくの
という(XVIII,10)。それからトムは彼女に会っ
情熱の対象でもなければ,ぼくの情欲の対象でもな
て自ら話す機会を得る。そこで彼がソファイアに自
くなったんだから」と答える。すると彼女は彼の考
分は永久に許してもらえないか尋ねると,ソファイ
え方が変わったと納得させてくれれば一緒になって
アは彼に対する公正な裁きを彼自身に期待すると答
もよいと譲歩する。そして,それに必要な期間は一
える。するとトムは公正な裁きは自分を有罪とする
年くらいだと最初は言っていた彼女も段々折れてき
に決まっているので,自分が彼女に懇願するのは慈
て,最後は父親に迫られると,父親の提案に従うと
悲の心だと言う。それに対してソファイアは,アプ
いう形で翌日の朝,二人は結婚することになる
トンのことがあった後で,彼の心が彼女のために血
(XVIII,12)。(19)このようなソファイアの最後の抵
を流していると思っていたとき,そして彼がそんな
抗とあっけない譲歩を不自然とする見方もあるが,
素振りを見せていながら,別の女と新たな色恋に
女性の心理をよく表しているという見解もある。(20)
79
トムはこうして清純無垢なソファイァとの結婚に
漕ぎ着けるが,彼がそれに値する人物かどうかにつ
おわりに
いては疑問の声もある。彼が同胞愛に満ちた人間で
あることは間違いないにしても,やはり女性関係は
これまで見てきたように,この作品では愛や結婚
だらしがない。(21)モリーとの関係は若気の至りと
の問題が主人公達ばかりではなく,登場人物のほと
いうことで,またウォーターズ夫人との関係はたっ
んどについても触れられており,登場人物も各自の
た一夜のことだと大目に見ても(ソファイアもこの
恋愛や結婚に対する考えを次々と述べる。また作者
一件に関しては余り腹を立ててはいない),ベラス
も同じようにこの問題についての自説を展開するの
トン夫人との関係は,ソファイアに近づくためとは
で,本作品の最も重要なテーマは恋愛と結婚だと
いえ,いや,それだからこそ,彼女の囲い者のよう
言っても差し支えない程である。
な存在に成り下がったのは頂けない。そしてトム自
この作品でも,フィールディングの他の作品と同
身もこの夫人との関係がソファイアに知られるのを
様,トムとソファイアの愛と結婚を通じて恋愛結婚
一番恐れる。ただ,彼の女性関係は,彼が誘惑した
の賛美が行われるが,(27)ただ『ジョウゼフ・アン
のではなく,全て女性の側から仕掛けられたものだ
ドルーズ』の場合とは若干異なる面がある。『ジョ
という弁護の声もある。(22)確かにトムはベラスト
ゥゼフ・アンドルーズ』の主人公達の結婚は田舎に
ン夫人とあのような関係を持った時点で落ちるとこ
帰ってから行われる。それも,結婚をあせる二人を
ろまで落ちるが,しかし,その後は上昇(向上)す
アダムズ牧師が思いとどまらせ,結婚許可書による
るのである。(23)作者は,トムが彼を誘惑した
のではなく,あくまでも結婚予告(banns)をした
フィッッバトリック夫人を二度と訪ねまいと決意し
上で,教会において大勢の人に見守られながら式が
たとき,トムの行動にはこれまで問題があったけれ
挙げられるのに対し,『トム・ジョウンズ』では,
ど,今や彼の思いの全てはソファイアに注がれてい
むしろ親など大人達の方が両人に結婚を急がせ,博
るので,どんな女性も彼を不実な行為に引き込むこ
士会館で結婚許可書を得て,博士会館の礼拝堂で,
とはできなかっただろうと言う(XVI,9)。彼は
オールワージー,ウェスタン,ミラー夫人の三人だ
フィッツバトリック夫人の誘惑を退けただけではな
けの立ち会いのもとで式が内輪で挙げられる。しか
く,ハント夫人の求婚も断ったから,その点では彼
も,ソファイアは,その日,一緒に食事をする者た
の態度が改まったという見方もできる(ウォーター
ちに自分が結婚したことを内緒にするよう希望する
ズ夫人の牢屋での再度の誘惑も退けたという読み方
(けれども,その事実はミラー夫人が娘に囁いたこ
も普通である)。(24)しかし,どんな弁護をしょうと
とで次々と知れ渡ってしまっている)。
も,トム自身が言うように,彼は公正な裁きを受け
こういう違いはあるものの,この作品も結婚に関
れば有罪に決まっている。そして,彼を最終的に許
する物語に相応しく,物語の最後の方では,主人公
すのは,ソファイアの慈悲というよりも,彼女が
達を含む三組の新婚カップルが一堂に会する華やか
ずっとトムという男性に対して抱いていた異性とし
な場面もあるし,更に作品の最後の最後まで男女の
ての熱い思いであったと言えるかもしれない。(25)
愛と結婚が話題になる。物語の後日談の部分で,作
だが,トムの女性遍歴については,時代によって
者は次々と主人公以外の主だった登場人物の結婚と
も,社会によっても,また個人によっても色々と意
か愛情関係について触れる。ブリフィルはメソディ
見・評価が分かれることだろう。
ストに転向したが,それは同派の大金持の寡婦と結
読者の意見はどうあれ,作者は当然のことなが
婚したいという希望からであるし,フィッッバト
ら,二人の結婚に大きな意義を認めている。トムは
リック夫人は夫と別居して,例のアイルランドの貴
結婚前には色々な問題を引き起こしたが,ソファイ
族の夫人とは完全な親交を続け,友情を装いなが
ア(「知恵」の意)(26)と一緒になることによって,人
ら,その夫と関係を続けている。ウォーターズ夫人
間的な成長を遂げ,本人のみならず,周りの者を幸
は田舎に帰り,オールワージーから年金をもらって
せにしていくことを作者自身が保証するのである。
サプル牧師と結婚しているし,パートリッジとモ
リーとの間には結婚の話が進行中で,ソファイアの
仲立ちでまとまりそうであるという。(28)
主人公達の方は結婚の二日後に,ウェスタンおよ
80 『トム・ジョウンズ』に於ける愛と結婚について(2)
びオールワージーに同行して田舎に帰り,ウェスタ
暗示するという見方もある(Maaja A. Stewart,
ン家の本宅で暮らすようになる。トムはソファイア
“lngratitude in Tonz Jones,” Norton Tom Jones,
との結婚生活とオールワージーとの日常的な交わり
のお蔭で分別もついていく。また夫婦は心から愛し
合い,その愛情はお互いの親愛の情と尊敬の念に
よって日増しに深まっていったという。そして,作
751)。本論では,恋愛との関係で感謝の重要性も指
摘しているが,本作品ではその反対の忘恩もまた問
題になっているのは確かである。
Gardinerは,ブリフィルを「読み手」「書き手」
「批評家」などになぞらえて,この小事件の意味を
品の最後は「隣人も小作人も召使いも誰一人とし
考える(Ellen Gardiner, Regulαting Reαders!
て,ジョウンズ氏が愛しいソファイアと結婚した日
Gender and Literary Criticisnz in the Eighteenth-
を心からの感謝とともに祝福しない者はいないので
ある」という一文で締め括られる。
Century Novel [Newark: Univ. of Delaware Press,
1999], 75)o
この事件は財産法の問題を扱っているという見方
もある(Simon Stern,“Tom Jones and Economies
本論は,下関市立大学平成15年度古学期の「外国文
学」の授業で,ヘンリー・フィールディングの『トム・
ジョウンズ』を翻訳で読みながら,同作品における恋愛
と結婚について話した内容をもとにしている。半年間の
of Copyright,” Eighteenth-Century Fietion 9/4
[1997]: 443)o
(2)小鳥が鷹にさらわれたというのは稀代の嘘吐きで
あるブリフィルの作り話の可能性も十分ある。
授業では十分に話せなかったので,本論の執筆はそれを
(3)小鳥が鷹にさらわれたというのが事実だとして
補うつもりもある。従って,学生にも読みやすいよう
も,それをソファイアに告げるのはこの件と重なる
に,作品からの引用は全て日本語にした。ただ,授業で
部分がある。ブリフィルは瀕死の状態と思われてい
使った岩波文庫の朱牟田夏雄訳は,論の展開上,一部の
る伯父に医師の反対を押し切って母の死を知らせる
訳語が使えなかったので,残念ながら拙訳に改めた(引
が,これは,どういうときでも本当のことを知らせ
用箇所の括弧内のローマ数字は巻を,アラビア数字は章
るように伯父に言われたという彼の弁明にも拘わら
を示す)。
本論で主に使用した作品のテキストはHenry
Fielding, Tom Jones, ed. Sheridan Baker (New York:
ず,実は母の死とトムが兄であるという知らせを一
緒に受け取ったばかりのブリフィルが,トムの出生
の秘密が伯父に知れ,財産がトムに渡るのを恐れ,
W.W. Norton&Company,1995)であるが,それ以
伯父にショックを与えて死期を早めようとしたと考
外にWesleyanやPenguinなどの版も参考にしてい
えるのが一般的である (Anthony J. Hassall,
る。本論では,ときどきテキスト中の語句を英語で示す
Fielding's Tom Jones [Sydney Univ. Press, 1979],
が,それは全てNorton版(以下Norton Tom Jones)
28; Jo Alison Parker, The A uthor's Jnheritance:
による。同憂の末尾には『トム・ジョウンズ』に関する
Henry Fielding, Jane A usten, and the Establish-
標準的な批評が載っているので,そこにある論文に言及
する場合はこの版の頁を示す。
(1)この事件については沢山の言及があるが,一番詳
しく扱っているのは,Bernard Harrison, Henry
Fielding's Tom Jones: Novelist as Moral
Philosopher (Sussex University Press, 1975), 28
ff。彼は,「鳥を追ってあの木に登ったジョウンズ
ment of the Novel [DeKalb: Northern lllinois
Univ. Press, 1998], 73; Patrick Reilly, Tom Jones:
Adventure and Providence [Boston: Twayne
Publishers, 1991], 45, 50, 52; Richard J. Dircks,
Henry Fielding [Boston: Twayne Publishers,
1983], 99)o
(4)「ブラック」はジョージの腹黒さを暗示するが,同
君が水に落ちた時,鳥はまた飛び立って」というブ
時に彼は何度も他人の皆野を荒らすので,その猟園
リフィルの言葉は,小鳥が鷹にさらわれた責任をト
に関する1723年のWaltham Black Act(The Black
ムになすりつけている,というような読み方をする。
Hatfieldは、小鳥を鷹にさらわせることによっ
て,ブリフィルの小鳥を自由にしてやるという理屈
を作者が退けていると言う(Glenn W. Hatfield,
Henry Fielding and the Language of lronN,
[Chicago and London: Univ. of Chicago Press,
1965] 183)o
トムは小鳥トミーが逃げたのを忘恩行為と考えて
鳥の悲運に同情しないが,それはトム自身がオール
Act)の“Black”とも関係があるという(Martin A.
Kayman,“The‘New Sort of Specialty' and the
‘New Province of Writing': Banknotes, Fiction
and the Law in Tom Jones,” ELH 68 (2001): 64344; Stewart, 762)o
(5)マフは女性性器及び陰毛を意味していたと指摘さ
れる(Gerald J. Butler, Fielding'8 Unruly〈Novels
[Lewiston: Edwin Mellen Press, 1995], 79; Jones
DeRitter, “‘How Came This Muff Here?': A Note
ワージーに対する忘恩ゆえに家を追われ,終には絞
on Tom Jones,” English Language Notes 26/4
首刑に処せられ命を失いかねない状況になることを
[1989]:42)。Eric PartridgeのA I)ictionαry of
81
Slαngの定義にも確かに“muff, n. The female
pudend[sic], outwardly”とある。
Leopold Damrosch, Jr.も,トムがマフに愛着を
示すのは彼の性的欲望の表れだと指摘する
(Leopold Damrosch, Jr., God's Plot and Man's
Stories: Studies in the Fictional lrnagination from
Milton to Fielding [Chicago & London: Univ. of
sheaf,1989],56)。“arranged marriage”は普通
「見合い結婚」と訳されるが,この場合は適訳とは
言えない。
(10)『アミーリア』の中で,同じく内気で純朴なアト
キンソンが愛しい人妻アミーリアと一緒に震えなが
ら歩く場面が思い出される。
(11)殉教者的喜びを感じるところはリチャードソンの
Chicago Press,1985],279)。また, Leo Braudyも
『クラリッサ』(1748)のヒロインであるクラリッサ
Maurice Johnsonのマフに対する解釈に言及しな
の特性を皮肉っていると思われる。また,フェラ
がら,マフのこのような“imputed meaning”に触
マー卿によるソファイアの陵辱未遂は『パミラ』で
れている (Leo Braudy, Narrαtive F()rm in
はなく,『クラリッサ』を意識しているという説も
History and Fiction: Hume, Fielding and Gibbon
ある(Hassal,89)。リチャードソンの作品のそれ
[Princeton Univ. Press, 1970], 177)o
ぞれをフィールディングの作品のそれぞれと対にす
マフの問題をまとめて詳しく扱っているのは,
ると,『クラリッサ』の方が『トム・ジョウンズ』
Maurice Johnson, Fielding's Art of Fiction:
と対になる(Aur61ien Digeon, The Novels('f
Eleven Essays on Shamela, Joseph Andrews,
Henry Fielding [New York: Russell & Russell,
Tom Jones, and Amelia (Philadelphia: Univ. of
Pennsylvania Press,1965),129-38。 Johnsonも
1962], 129-194)o
(12)楽園館のある地を去るトムが楽園を出て行くアダ
“muff”の俗語としての性的意味合いに触れている
ムと対比されているのは,次のような表現にも明ら
(Johnson,136)。また,マフがトムにとってソファ
かである。「世界はミルトンの文言のごとく,全て
イアの代わりであるように,ソファイアにとってマ
彼の前にあった。しかもジョウンズはアダムと同
フはトムの代わりをしていると指摘する
様,慰めあるいは助力を求めに行くべき相手がいな
(Johnson,133-34)。しかし, Schmidgenは,同じ
い」(VII,2)。
くマフの性的意味を指摘しながら,マフはソファイ
三人のブリフィルは皆,楽園に侵入した蛇だとい
アの代理をするほどのフェティッシュにはなってい
う見方がある(Eleanor N. Hutchens,“O Attic
ないという (Wolfram Schmidgen, Eighteenth-
Shape! The Cornering of Square,” Norton Tom
Century Fictionαnd the Lαω(ゾProρerty,
議)nes,770)。オールワージーがブリフィルのこと
[Cambridge Univ. Press, 2002], 131-34).
を“wicked Viper”(XVIII,8)と呼ぶのもこれと関
( 6 ) Hubert McDermott, IVovel and Ronzance: The
回する(Christine van Boheemen, The Novelαs
Odyssey to Tom Jones (Basingstoke: Macmillan,
Fanzily Romance: Language, Gender, and
1989),219参照。ウィル・バーンズの名が出た段階
Authority frorn 17ielding to Jayce [lthaca &
で,子供はお腹の中ではなく,既に生まれていると
London: Cornell Univ. Press, 1987], 73-74; Varey,
いう解釈もある(Michael Irwin, Henry Fielding'
99)。また,この表現はキリストがパリサイ人を非
The Tentative Realist [Oxford: Clarendon Press,
難ずる時に用いた言葉だという指摘もある(Reilly,
1967], 106).
45)o
( 7 ) Simon Varey, Henry Fielding (Cambridge
Univ. Press,1986),98参照。
(8)トムのこのような言葉はあくまでも表向きの,き
六一ルワージーがトムを追放した主な理由が,彼
自身に対するトムの不敬・忘恩だとすると一こう
見方が一般的一,オールワージーは度量の狭い自
れいごとを言っているに過ぎないという見方もでき
砂中心的な人物に思えてくる(John Preston, The
る。そして,トムは抽象としてより,生身の女とし
Created Self: The Reader's Role in Eighteenth-
てソファイアを求め,徳よりも裸の魅力に関心があ
Century Fiction [London: Heinemann, 1970], 127
るというButlerの主張も否定しがたい(Butler,
参照)。
73 ff)o
(9)このように親などが勝手に決めるのがarranged
marriageであり,この種の結婚は往々にして結婚
(13) W. A. Speck, SocietN and Literature in England
1 700-60(Gill and Macmillan,1983),105-106参
照。
当事者の意思を無視した強制結婚(forced mar-
(14)Varey,90参照。
riage)になる。またarranged marriageは親の打
(15)地主ウェスタンがソファイアを,そしてフィッツ
算で決められるfinancial marriageでもある
バトリックが妻を追うだけではなく,作品には他に
(Angela J. Smallwood, Fielding and the VVoman
もいくつかの追跡が見られるが,この追跡のモチー
Question: The Novels of Henry Fielding and
フは喜劇的筋立ての基本であるとPrestonは
Feminist Debate 1700-1750 [Harvester Wheat一
Ghentの説に触れながら言う(John Preston,“Plot
82 『トム・ジョウンズ』に於ける愛と結婚について(2)
as lrony: The Reader's Role,” Norton Torn Jones,
女性の側の積極性とかトムの受動性については,他
76; Dorothy van Ghent, The English Novel: Forrn
にIrwin,91;Morris Golden, Fielding's Morαl
and Function [New York: Rinehart & Company,
Psychology (Univ. of Massachusetts Press, 1966) ,
1953], 72-73)o
56-57; Hassal, 59, 93; Frederick W. Hilles, “Art
(16)Martin C. Battestin, The Morαl Basis(ゾ
and Artifice in Tom Jones,” Norton Torn Jones,
Fielding's A rt: A Study of Joseph Andrews
791; April London, “Controlling the Text: Women
(Middletown: Wesleyan University Press, 1959),
in Tom Jones,” Critical Essays on Henror Fielding,
26.
ed. Albert J. Rivero (New York: G. K. Hall & Co.,
(17)語り手の表現:「それから,彼は彼女を両腕に抱
1998), 136-37; Andrew Wright, Henry Fielding:
えた。すると,彼女は大声で叫んだ。……ただ彼女
Mash and Feast (London: Chatto & Windus,
の首にまいたハンカチが乱れて,彼の無礼な唇が彼
1968), 90; Jenny Uglow, Henry Fielding
女の美しい首に乱暴を働いただけであった」(XV-
(Northcotehouse, 1995), 60; William Empson,
5);ソファイアの言葉:「彼は私を両腕に抱えて,
“ToTn Jonesノ'Norton Tom Jones,716;Gardiner,
長椅子の上にひき倒して,片手を私の胸にっっこん
79などがある。
で,そこにとても乱暴にキスをなさったので今でも
左の胸にそのあとが残っています」(XVII-4)。
(18)Dirck,97参照。 Shesgreenは,ブービー夫人が
最近では,Rawsonがトムの受動性に注目して,
トムは“adventuter”の側面は希薄で,バイロンの
描くドン・ジュアンと共通性があると述べる
より年を重ね,色事の経験を積み重ね,何のためら
(Claude Rawson, “Thoughts on Adventurers:
いも見せなくなったような存在がベラストン夫人だ
Fielding to Byron,” Eighteenth-Century Genre
と言う(Sean Shesgreen, Literαry Portrαits in
and Culture: Serious Reflections on Occasional
the Novels of Henry Fielding [Northern lllinois
Forms, ed. Dennis Todd and Cynthia Wall
Univ. Press, 1972], 144)o
[Newark: Univ. of Delaware Press, 2001], 137-38)o
(19)これは物語の終盤のペースが速まっている一つの
(23) Williams, 82; Dorothy Van Ghent, “On Torn
表れという見方もある(J.Paul Hunter, Occαsionαl
Jones,” Henry Fielding: Tom Jones, ed. Neil
Form・: Henry Fielding and the Chains of
Compton[Macmillan,1970],61. Pagliaroはトム
Circurnstance [Baltimore & London: John
のベラストン夫人以外との性的関係は彼の肉体的,
Hopkins U niv. Press, 1975], 189-90)o
社会的健全性を表すという (Harold Pagliaro,
(20) Muriel Britain Williams, Marriage: Fielding's
Henry Fielding: A Literary Life [New York: St.
Mirror of Morality (University of Alabama
Martin Press, 1998], 165)o 」. Middleton Murry
Press, 1973), 89.
(21)他者との関わりにおいて人物を評価し,他者であ
はベラストン夫人との関係も肯定的に捉えている
(J. Middleton Murry, “ln Defence of Fielding
る女性とは性的関係がなく,自慰をしていて用を済
(1956),” Henry Fielding: Torn Jones, ed. Neil
ませている,他者に対する同情心を欠いたブリフィ
Compton [Macmillan, 1970], 84).
ルよりも,女性関係にはだらしがないけれども他者
(24)牢屋に於けるウォーターズ夫人の誘惑は他の場合
に同情の心を持つトムの方がましだという捉え方が
ほど明瞭ではないが,彼女の訪問の真意は何かと考
ある(Reilly,72)。
えると,フィッツバトリックの命に別状はないとい
ブリフィルが自慰をしているというのは,彼に関
う朗報を彼にもたらすためではなく,再度誘惑する
する「彼の性的欲望は生まれつき余り強烈ではな
つもりであったと想像できる。トムが拒絶する誘惑
かったので,哲学あるいは勉学,あるいは何か他の
の回数を三回とする者が多いが(williams,82;
方法によって簡単に鎮あることができた」(VI-4)
Hassall, 94; Reilly, 47; Empson, 725; Eileen
という表現のうちの「他の方法」が手淫を暗示して
Jacques, “Fielding's Tom Jones and the
いると捉えるから(Reilly,114)。 Parkerもブリ
Nicomachean Ethics,” English Language Notes
フィルの手淫について触れて,それは彼の自己愛を
30/1[1992]:24),R. S. Craneは,トムの道徳的変
表しており,一方,トムの性的乱脈行為は彼の肉体
化をもたらしたものとして,ベラストン夫人との決
的及び社会的健全さを表すという(Palker,71-
別,ハント夫人の結婚申し込みの辞退,そして
72)。他にFrederick R. Karl, The Adversαry
フィッッバトリック夫人からの求婚の拒絶の三つの
Literature: The English Novel in the Eighteenth
経験を挙げるのみである(R.S. Crane,“The Plot
Century (New York: Farrar, Straus and Giroux,
of Torn Jones,”Norton Torn Jones,688)。『ト
1974),166-67参照。
ム・ジョウンズ』は大きく三つの部分(田舎・道
(22)このような見方は既にJohn Middleton Murry
中・ロンドン)からなるが,トムはその各々の部分
の論にも認められる(Butler,95-96)。このような
で一人ずつ,計三人の女性の誘惑に屈して関係する
83
が,その後,同じ回数だけ誘惑を退けるので,そう
Definition of Wisdom,” ELH 35 (1968): 188h217;
いう点で対称性が認められる(Hassall,94)。
Hatfield, Chapter 5), Kinkead-Weekesは,『ト
Goldknopfは「誘惑」ではなく「追跡」という概
ム・ジョウンズ』の作者が表そうとする“sophia”
念を用いて,トムは女性を追うのではなく追いかけ
は“prudepce”などとは異なり,心や愛とつながる
られて三人と関係すると言う(David Goldknopf,
“sancta Sophia”,または‘‘Loving Wisdom”である
The Life of the Novel [Chicago & London: Univ,
と言う (Mark Kinkead-Weekes,“Out of the
of Chicago Press,1972],131-134)。三人の女性と
Thicket in Torn Jones,” Henry Fielding: Justice
の関係は,作者が意識していたと思われるフェヌロ
Observed, ed. K. G. Simpson [Vision and Barnes
ンの『テレマックの冒険』の主人公の場合と一致す
&Noble,1985],147-48)。単なる知恵ではなく愛と
るし,三人の誘惑は福音書に於ける三度の誘惑にも
つながった知恵という見方が,本論の観点からもこ
対応するという指摘もある(Hunter,135,188)。
また,このような作品に於ける数字などの対称性に
れは興味深い。
(27)恋愛の帰結としての結婚に拘るのはイギリス小説
ついては,Douglas Brooks, Number and Pattern
の特徴だという(Jen耳ie Wang, Novelistic Love in
in the Eighteenth-Century Novel: Defoe, Fielding,
the Ptatonic Tradition [Rowman & Littlefield
Srnollett and Sterne (London & Boston:
Publishers,1997],68)。子供の出生について言え
Routledge&Kegan Paul,1973),92-122に詳しい。
ば,子供が恋愛結婚で生まれて親に愛されるのが理
(25) Williams, 88-89; Uglow, 66.
想とすれば,トムは私生児だが愛ゆえに生まれて
フィールディングの理想とする男女関係は,友愛
実の母に愛されるけれど,ブリフィルは正式ではあ
は勿論,愛情と燃えるような性的欲情を含むものだ
るが愛のない結婚によって生まれて母親に愛されな
という考えもある(Smallwood,56)。
ソファイアのトムに対する愛の方が彼女の傷つい
いという,ねじれた関係がある (Wolfram
Schmidgen, “lllegitimacy and Social Observation:
た自尊心よりも強かったという捉え方や(Crane,
The Bastard in the Eighteenth-Century Novel,”
689),彼女が許すなら他者が目くじらを立てること
ELH 69 [2002]: 146; Goldknopf, 139; Wright, 77).
もないという捉え方もある(Reilly,77)。 Reillyの
また『トム・ジョウンズ』には父と母と子のそろっ
ように,『トム。ジョウンズ』のテーマをキリスト
た家庭はほとんど出てこない(Goldknopf,128-
の教えに徹底的に重ねる読み方をすれば,ソファイ
29)o
アが悔い改めたトムを許すのはごく自然なことと言
(28)『トム・ジョウンズ』に於ける「後日談」とは対
えよう。トムを「放蕩息子」の系譜に入れる見方も
照的に,『アミーリア』における「後日談」では,
あるが,その場合,トムを許して再び家に迎え入れ
主人公達に仇をなした連中は,それぞれ相応の報い
るのは養父の心心ルワージーだと見るのが普通であ
を受ける。例えば,アミーリアを好色の餌食にしょ
ろうが,本当に許されなければならないのは,トム
うとしたNoble Lordなどは性病で体がぼろぼろに
を誤解して邸から放逐したオールワージーの方だと
なり,死んで埋葬された後も悪臭を放ったという
すると,トムを許して迎え入れるのはむしろソファ
(Parker,149参照)。
イアだという読み方もできる。ソファイアが突然態
度を変えるのは,リアリティを損なってはいるが,
喜劇的効果を生むための常套だという指摘もある
(lan Watt, “Fielding as Novelist: Torn Jones,”
Modern Critical lnterpretation, ed. Harold Bloom
[Chelsea House Publishers, 1987], 20). ・
(26)Boheemenはソファイアが“prudence”を表すの
に対して,モリーやウォ一心ーズ夫人は“Fortune”
を表すという(Boheemen,83-84)。そしてウォー
ターズ夫人をFortuneの権化のように見るが
(Boheemen,84),これに対しウェスタン女史が
rトム・ジョゥンズ』に登場する大勢のFortune的
女性の中でもその代表格だという見方もある
(Betty Rizzo, “The Gendering of Divinity in Torn
Jones,” Studies in Eighteenth-Century 24 [1995]:
265-66)。このように“sophia”と“prudence”を同
一視する代表者がBattestinやHatfieldであるの
に対し (Martin C. Battestin,“Fielding's
84 『トム・ジョウンズ』に於ける愛と結婚について(2)