平成 18 年度:厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業) 自殺の実態に基づく予防対策の推進に関する研究 分担研究報告書 パイロットスタディにおける自殺と精神障害の関係についての検討 分担研究者:高橋祥友(防衛医科大学校・防衛医学研究センター・教授) 研究要旨:効果的な自殺予防対策を実施するためには、自殺の実態を正確 に把握する必要がある。そのために、海外では心理学的剖検に基いた研究 がさかんに実施され、その知見に基づいて自殺予防対策が立てられてきた。 海外の報告では自殺と精神障害の関係について、次のような点が指摘され ている。*自殺者の大多数が最後の行動に及ぶ前に、うつ病、統合失調症、 アルコール依存症といった精神障害に罹患していた。*同時に複数の精神 障害に罹患していると、自殺の危険はさらに高まる。*適切な精神科治療 を受けていた者はごく少数である。*これらの結果から示唆されるのは、 精神障害を早期に診断し、適切に治療することによって、自殺予防の可能 性は十分に残されている。 本パイロットスタディでは、海外の先行研究と類似した点もあれば異な る点も認められた。*自殺者が生前、気分障害に罹患していた率や、重複 罹患の率が高いのは、従来の報告と同様である。*ただし、自殺者が精神 障害に該当していた率が海外の報告に比べて必ずしも高くはなかった。* 精神科受診歴の率は高く、最後の行動に及ぶ直近まで受診している例が多 かった。*なお、本来、相互に排除されるべき、気分障害と統合失調症が 併記されている例が 28 例中2例あり、この種の調査で得られるデータの限 界や、診断の妥当性について今後検討すべきである。とくにこのような差 異がわが国独自の知見であるのか、なんらかの selection bias の影響であ るのか、今後、事例を増やすことによって検討すべき課題である。 A.研究(調査)目的 効果的な自殺予防対策を実施するには、 (psychological autopsy)という手法を用 いて自殺研究がさかんに行われている。 自殺の実態を把握しなければならない。自 殺はきわめて稀な現象であるため(たとえ B.研究(調査)方法 ば、近年のわが国の自殺率は、人口 10 万人 本研究の具体的な調査方法については他 あたり約 25 である)、前方視的研究を実施 の報告書で触れられているので、本報告書 しようとすると、莫大なサンプル数が必要 では、まず、心理学的剖検の意義について となる。そこで、海外では心理学的剖検 簡単に解説する。 本研究におけるデータの収集の基礎とな を用いて、15,629 人の自殺者が最後の行動 っているのは心理学的剖検という手法であ に及ぶ前にどのような精神障害を抱えてい る。これは、1950 年代末から 1960 年代初 たかを調査した。それによると、 「診断なし」 頭にかけて米国で Shneidman らにより開発 と「適応障害」を合わせてわずかに 4.3% 29, 30) 。死は、自然死、事故死、自殺、 に過ぎない。自殺に及ぶ前に 95%の人が何 他殺に分類されるが、しばしばそのタイプ らかの精神障害の診断に該当する状態にあ が不明の場合がある。本来、心理学的剖検 った。さらに、適切な治療を受けていた人 とは不審死を解明する手法として開発され となると、2割程度に留まっている。した た。たとえば、薬物の過量服用が死因であ がって、精神障害の早期発見と治療によっ ることは明らかだが、それが事故死なのか、 て自殺予防の余地は十分に残されている。 された 自殺なのか明らかでないことがある。そこ Conwell らは心理学的剖検をもとに実施 で、身体的な剖検だけでは不明の部分を、 された代表的な調査について総説した(図 行動科学の手法を用いて明らかにしようと 2)。WHO の調査と同様に、「診断なし」は したのが、当初の心理学的剖検であった。 きわめて少なく、1割に満たない 7)。 不審死が生じた場合、調査の主旨を十分 これらの研究から明らかなように、自殺 に説明し、同意を得たうえで、故人をよく が生じる前に、大多数の人々が何らかの精 知っている人々(家族、友人、知人、同僚、 神障害に罹患していたという厳然たる事実 医療関係者など)から情報を得たり、関連 がある 16) 。ところが、適切な治療を受けて 書類を検討することによって、故人が死に いた人となると、ごく一部に過ぎない。さ 至った経過を検証する。 らに、重複罹患(comorbidity: 同一時点で その後、心理学的剖検は最初から自殺で 複数の精神障害に罹患すること)や精神障 あると明らかな事例にも応用されるように 害が重篤であるほど、自殺の危険が高いと なり、自殺の実態を明らかにする研究の基 されている。さまざまな自殺の危険因子が 礎となっていった。故人をよく知る人々に 指摘されているが、中でも精神障害は重要 面接することによって、自殺が「なぜ起き な危険因子のひとつと考えるべきである。 たのか?」という点を明らかにするために 用いられるようになったのだ。 (なお、心理 (倫理面への配慮)本研究の実施において 学的剖検を実施する際に重要な点として、 は、主任研究者の所属する国立精神神経セ 単に事実を明らかにするだけではなく、自 ンターの倫理委員会武蔵地区部会において 殺の後に遺された人々に対してケアすると 承認を得ている。 いう側面もきわめて重要である点について 注意を喚起しておきたい。) 最近では、自殺の実態を調べる上で、心 理学的剖検がしばしば用いられている。図 1に WHO が実施した多国間共同調査に基づ く結果をまとめた 43) 。心理学的剖検の手法 C.研究(調査)結果 1) 先行研究の総説 以下、先行研究で指摘されている、主な 精神障害と自殺の関連を総説する 34-36)。 a) 気分障害 b) アルコール依存症 うつ病と自殺が密接に関連していること うつ病とともにアルコール依存症は自殺 を、従来の研究は一貫して指摘してきた。 に密接に関連する。アルコール依存症はわ DSM-IV-TR のうつ病の診断基準に該当する が国では少なく見積もっても、200 万人は 患者の6人に1人は自殺に終わるとの報告 存在すると推定されている。病死、事故死、 もある。うつ病患者の自殺率は、一般人口に 自殺の率が高まるため、アルコール依存症 比較して、少なく見積もっても 30 倍から数 患者の平均寿命は、健康人に比べて 30 年ほ 十倍も高いと報告されている 14) 。さらに高 い値を報告している研究もある。なかでも、 ど短く、50 歳代前半である。 Menninger は、アルコール依存症や薬物 DSM-IV-TR のメランコリーの診断に当ては 乱用それ自体を無意識の自己破壊傾向の発 まるような重篤なうつ病患者では自殺の危 露ととらえて、慢性自殺(chronic suicide) 険が非常に高い 1, 15) 。不安障害、パニック の概念を提唱した 17) 。アルコール依存症の 障害、アルコールや薬物の乱用といった他 ために、判断力も弱まり、多くの社会的な の精神障害が、気分障害に合併した場合は、 問題のため孤立を深めてしまう。 さらに自殺の危険は高まる。それ以外にも、 さらに、アルコール依存症はうつ病と同 病状自体はそれほど重篤ではないが、繰り 一の疾患スペクトルに位置するという説も 返し再発しているうつ病患者や、病状が長 ある。うつ病に罹患した後、徐々に飲酒量 期にわたり、遷延化している患者にも注意 が増していき、アルコール依存症の診断に を要する。また、短期間に正常な状態とう 該当する患者もいれば、アルコール依存症 つ 病 相 が 交 互 に 出 現 す る 患 者 (rapid のために、社会的孤立や対人的な問題が増 cycler)や、回復期の混合病像の状態にある していき、抑うつ感を深めてしまうことも 患者も自殺の危険が高い。双極性障害(と しばしばである。アルコール依存症とうつ くにうつ病相)も高い自殺率を示すことが 病は双子の関係と言ってもよい。 知られている。 うつ病に対してはエヴィデンスに基づい アルコール依存症患者の自殺率は海外で は全自殺者の 20~30%を占めるとの報告が 2, 3, 6, 9, 24) 、わが国の報告ではそれ た薬物療法や心理療法が開発されている。 多いが WHO もうつ病患者の約8割は適切な治療に よりも低く 10%前後である 28, 31, 32, 37, 44) 。 反応すると主張している。たしかに慢性化 また、アルコール依存症では、初期より して難治なうつ病が存在することは否定で も、長期経過の末に自殺が生ずることが典 きないが、実際には、うつ病と気づかず(あ 型的である。発症から自殺まで平均 20 年が るいはそれを否認し)、治療も受けないまま、 経過しているという報告もある 重症化し、最悪の場合には自殺が生じてい ール依存症患者の自殺は中年期に起きるこ る例も少なくない。したがって、うつ病の とがもっとも多く、近年、アルコール依存 早期発見と適切な治療は、自殺予防の第一 症の若年化の傾向を認めるとはいえ、20 歳 歩になると考えられている。 代といった若年層の自殺は比較的少ない。 24) 。アルコ また、女性のアルコール依存症も近年問題 になっているが、現時点ではアルコール依 調症患者は致死性の高い方法を用いて自殺 存症患者の自殺は圧倒的に中年男性に多い。 を図る傾向があるという報告もある。 アルコール依存症患者は「自殺する」と 従来の報告では、病的体験に支配されて 周囲の人々をしばしば脅し、実際に自殺企 自殺行動に及ぶといった例が強調される傾 図も多い。Murphy らが、自殺したアルコー 向があった。しかし、最近では、統合失調 ル依存症患者 50 人を検討したところ、30% 症患者がかならずしも幻聴や妄想に支配さ に自殺企図を認め、何らかの形で自殺をほ れて自殺行動を起こすばかりではなく、慢 のめかした者は 92%にのぼった 18) 。 なお、アルコール依存症の診断に該当し ないまでも、自殺した人の約半数に血中か 性の経過中に直面する現実的な問題が、自 殺の契機になっていることも多いと報告さ れている。 らアルコールが検出されたという海外の報 また、統合失調症患者の元来の性格特徴 告もあり、自殺行動に及ぶ段階で酩酊して や病状の進行による人格の荒廃のため、患 いる例は非常に高いと考えられる。自らの 者が自殺の意図をはっきりと言葉に出して 身体を損傷することに伴う恐怖感をアルコ 直接伝える傾向が乏しいために、自殺の危 ールで弱めて、自殺行動に及んでいる。 険を予測し、自殺を予防することが、臨床 的にとくに困難になっている。 c) 統合失調症 一般に、自殺する統合失調症患者は若い うつ病に比べて、統合失調症患者の自殺 男性が多いとの報告が少なくない。Breier は時に唐突に生じたように思われて、周囲 らの研究によると、統合失調症で自殺した を驚かすことがある。経験豊富な精神科医 患者の平均年齢は 31 歳であり、他の疾患で でさえも、統合失調症患者の自殺を前もっ 自殺した患者の平均年齢よりも 10 歳も若 て予想できなかったことを打ち明ける場合 い がある。 究について総説した Roy は、自殺時の平均 5) 。統合失調症の自殺に関する6編の研 ただし、統合失調症患者の自殺はけっし 年齢は 30 歳代前半だったと報告した 27)。好 て少なくはない。統合失調症患者の 10 人の 発年齢を考えても、気分障害やアルコール うち1人は自殺により死に至るとの報告も 依存症に比較して、統合失調症では明らか 26) 。また、 に自殺の年齢は低い。しかし、活発な精神 Tsuang によれば、統合失調症患者の平均寿 症状が消褪し、発病から長期間経過してい 命は、一般人口よりも短く、その最大の原 ながら、自殺を図る一群の患者が存在する あると Miles は報告している 因は自殺であるという 38) 。 ことに注意を喚起している報告もある 20)。 一般人口での統合失調症の有病率を考え 性別に関しても数々の報告が統合失調症 ても、統合失調症患者の自殺が少なくない 者の自殺は圧倒的に男性に多いことを示し ことは容易に予想できるし、精神病院では ている 4, 25)。Tsuang らは、統合失調症の女 統合失調症患者の自殺率はうつ病患者の自 性患者の自殺率は一般人口の自殺率にほぼ 殺率を上回ることさえある。また、他の疾 等しいが、男性患者の自殺率は一般人口よ 患に罹患している患者に比較して、統合失 りもはるかに高いことを明らかにした 39)。 統合失調症の患者の自殺に関しては、次 認める。 のような臨床像の特徴が挙げられている。 Crumley は、思春期の境界性パーソナリ ティ障害の患者の 55%に自殺企図を認めた ① 急性の精神症状に支配された行動とし ての自殺 8) 。Friedman らは入院患者を対象として調 査したが、境界性パーソナリティ障害と他 ② 急性症状の消褪直後に起きる自殺 の診断の患者を比較すると、前者では 92%、 ③ 一見症状が安定した慢性経過をたどる 後者では 59%に自殺企図を認めた 10)。なお、 患者による自殺(病気のための社会的孤 より深刻な自殺企図を見ると、境界性パー 立や予後に対する悲観的なとらえ方) ソナリティ障害群 86%、他のパーソナリテ ④ 抑うつ状態の合併と自殺 ィ障害群 30%、パーソナリティ障害を認め ない群 29%と、一層その傾向は顕著であっ d) パーソナリティ障害 た。 パーソナリティ障害とは、人格の極度の このように、境界性パーソナリティ障害 偏りのために、当人自身が苦しんだり、あ の患者には自傷行為をしばしば認めるのだ るいは社会的に問題が起きたりしている病 が、かならずしも他者を操作するための自 態をさす。かつて精神病質とか病的性格と 殺行動ばかりではなく、実際に致死性の高 呼ばれていたものの大部分が、パーソナリ い自殺企図も認める危険性を指摘する報告 ティ障害に当てはまる。 もある。Perry の調査では、境界性パーソ DSM-IV-TR では、パーソナリティ障害は ナリティ障害の患者のうち、約 80%は複数 3群に分類され、10 種のパーソナリティ障 回の自殺企図を認め、42%は発見されて救 害をあげている。とくに自殺の危険との関 われる可能性の非常に低い状況で自殺を図 連がしばしば指摘されるのは境界性パーソ り、他者に発見されるような状況で自殺を ナリティ障害と反社会性パーソナリティ障 図った者は 21%だけであった 害である。 の方法としては、手首自傷 80%、他の型の 22) 。自殺企図 その他のパーソナリティ障害についての 自傷行為を 65%で認めた。本人が自殺企図 調査は十分ではなく、もっぱら、他の精神 が目的ではなかったと主張するものの、飲 障害や、あるいは他の型のパーソナリティ 酒や薬物の服用で意識を失ったことのある 障害との関わりという視点から、自殺の危 者は 60%にのぼった。 険が調査されている。ここでは境界性パー 境界性パーソナリティ障害の患者で、こ ソナリティ障害と反社会性パーソナリティ れまでにも自殺企図を認める場合は、将来、 障害を取り上げておく。 同様の行動を繰り返し、死に至る危険が高 い。とくに、うつ病、アルコール依存症あ 境界性パーソナリティ障害 るいは薬物乱用との合併は、自殺に直接結 診断基準の項目のひとつに自傷行為が含 びつく衝動をコントロールできなくなって まれているほどで、境界性パーソナリティ しまう危険を高めてしまう。境界性パーソ 障害では、さまざまな形の自己破壊行動を ナリティ障害の患者に大うつ病の合併する 12, 21, 害においても、自殺企図は高率に認められ 。また、境界性パーソナリティ障害の患 る。しかし、自殺企図を繰り返す傾向は高 者には、大うつ病の診断に該当しないまで いのだが、致死性の高い自殺企図は一般的 も、慢性的な抑うつ感をほぼ全例に認める に少なく、他者を操作する側面が強いとも 22) 。同報告で、アルコール乱用 43%、アル 指摘されている。しかし、反社会性パーソ コール依存症 87%が認められた。Nace らは、 ナリティ障害と境界性パーソナリティ障害 境界性パーソナリティ障害とアルコール依 との合併例や、同時に複数の薬物乱用を認 存症が合併した患者では、アルコール依存 めるような場合には、自殺の危険を慎重に 症の診断だけの患者に比べて、自殺企図を 検討する必要がある。 率は 50~90%であるとの報告もある 22) 有意に高率に認めると報告している 19) 。 以上、精神障害と自殺の関連について概 反社会性パーソナリティ障害 観してきたが、主な点をまとめると次のよ 反社会性パーソナリティ障害は小児期あ うになる。 るいは青年期早期に始まり、成人後も続く。 他者の権利を無視し、侵害する傾向が強い • 自殺者の大多数が最後の行動に及ぶ前 点が特徴である。衝動性、易怒性、良心の に、うつ病、統合失調症、アルコール 欠如、危険を顧みない無謀な行為などが認 依存症等の精神障害に罹患していた。 • められ、しばしば犯罪に及ぶ。 刑務所に収容されている反社会性パーソ ナリティ障害の診断に該当する人の数%か ら 20 数%に自殺企図を認めている 13, 23,40) と、自殺の危険はさらに高まる。 • 。 精神科治療を受けている患者で反社会性 同時に複数の精神障害に罹患している ただし、適切な精神科治療を受けてい た者はごく少数である。 • これらの結果から示唆されるのは、精 パーソナリティ障害の診断に該当する者と 神障害を早期に診断し、適切に治療す なると、自殺企図の率はさらに高くなる。 ることによって、自殺予防の可能性は Woodruff ら 42) の調査では、外来患者で反社 十分に残されている。 会性パーソナリティ障害の診断に該当する 者の 23%に、Spalt ら 33)の調査では、34.6% 2) 本パイロットスタディの結果 に自殺企図を認めた。Garvey らは、反社会 次に、本研究における自殺と精神障害の 性パーソナリティ障害に該当する精神科入 関係について検討する。なお、本研究全体 院患者の 72%に自殺企図を認めたが、致死 の概要はすでに他の報告書で述べられてい 11) 。 るため、実施時期、対象、方法等について 致死性の高い自殺企図認め、かつ、複数 はここでは省略し、精神障害と自殺の関連 性の高い自殺企図は少なかったという のタイプの薬物乱用に及ぶ患者では、反社 会性パーソナリティ障害の診断に合致する 例が高率であるとの報告もある 41) 。 このように、反社会性パーソナリティ障 に焦点を当てていく。 本報告書を作成する時点でデータが収集 できていたのは表1に挙げた 28 事例であ る。年齢は 12 歳から 79 歳に及び(平均 44.2 歳)、そのうち、男 18 例、女 10 例であった。 最近になってうつ病についての認識が この結果から明らかにされた点について考 徐々に広まっているという現実を反映 察していく。 しているのか、あるいは、大規模に実施 される心理学的剖検による調査として ① 調査員による精神科診断: 28 例中 19 はわが国では初めてのものであるため 例(67.9%)で何らかの診断が下されて に、協力を得られやすい人々を対象とし いる。この 67.9%という率は、従来の たことが影響している可能性も否定で 報告に比較してかならずしも高いとは きない。 言えない。WHO の報告などでも自殺者の ④ さらに自殺が起きる比較的直近の精神 95%以上が何らかの精神科診断が下さ 受診歴を見ると、自殺の1か月以内に精 れているとされている。Conwell らによ 神科受診していた事例が、11 例中 9 例 る総説の心理学的剖検に基づく主な調 ある。自殺が生じる比較的近い時期まで 査でも、9割前後の値を示している。た 精神科治療を受け続けていた点も従来 だし、各種心理学的剖検が報告している の報告とは異なる。 率があまりにも高いという反論が従来 ⑤ 前項で指摘したように、自殺に至った患 からある。したがって、従来報告されて 者が、最後の行動に及ぶ比較的前まで精 いる率が高すぎるのか、本研究の率が低 神科受診をしていたにもかかわらず、死 すぎるのか、今後、事例を増やすことに 亡前の1年間に入院歴があったのは、4 よってさらに検討されなければならな 例に過ぎない。これは実際に受診してい い。 たにもかかわらず、精神障害は自殺に直 ② 半構造化面接法による精神科診断では、 結するほど重症と考えられていなかっ 28 例中 11 例(39.3%)で精神障害の診断 たのか、あるいは、自殺の危険の評価が が該当した。精神科診断に該当する例が 十分になされていなかったことを示唆 さらに低くなっている。診断基準が厳密 するのか、これだけのデータからは明ら であるだけに、半構造化面接による精神 かになっていない。 科診断が該当する症例の割合が低くな るのは当然であるとも言える。 ⑥ 診断に関して、従来の報告においても気 分障害が重要な自殺の危険因子とされ ③ 精神科(あるいは心療内科)受診歴があ てきたが、これは本パイロットスタディ る事例は、精神障害が疑われる 28 例中 においても確認されたといってよいだ 11 例(39.3%)である。一般には精神科 ろう。精神科受診歴のある人における診 受診に対する偏見が強く、たとえ精神科 断、調査員による診断、半構造化面接法 的問題を疑っても、なかなか精神科に受 に基づく診断、のすべてにおいて、気分 診できないというのがわが国の現状で 障害の診断が圧倒的に多い。ただし、他 もある。ところが、心療内科を含めて、 の調査において、うつ病や統合失調症と 精神科に受診していた事例が 39.3%と ともに重要な自殺の危険因子とされて いうのは従来の報告よりも高い。これは、 いるアルコール依存症の診断に該当す る例が低かったのも本調査の特徴であ らば相互に排除すべき診断が併記され る。 ている原因のひとつであるとも考えら ⑦ さらに、重複罹患(comorbidity)も従来 れる。 の研究において、重要な自殺の危険因子 とされてきた。調査員による診断が下さ れている 19 例中 9 例(47.4%)に複数の D.考察 以上の知見から、指摘できることを列挙 精神科診断が下されている。半構造化面 した。 接法に基づく精神科診断を下されてい ① 自殺者が生前、気分障害に罹患していた る 11 例中 5 例(45.5%)が重複罹患であ 率や、重複罹患の率が高いのは、従来の り、これは重要な自殺の危険因子である 報告と同様である。 と考えられる。 ② 自殺者が精神障害に該当していた例が ⑧ 診断について疑義が残るのは、本来、相 海外の報告に比べて必ずしも高くない 互排除的な診断が下されている例があ が、これがわが国の現状であるのか、あ ることである。たとえば、事例 3 では、 るいは、selection bias の影響である 調査員による診断が「大うつ病性障害」 のかは今後さらに検討を進めていく必 と「統合失調症」とされている。事例 要がある。 11 では、半構造化面接法に基づく精神 ③ 精神科受診歴の率は高く、最後の行動に 科診断が「大うつ病性エピソード」と「統 及ぶ直近まで受診していた例が、海外の 合失調症」が併記されている。WHO の診 報告に比べて多いのだが、この点につい 断基準である ICD-10 においても、アメ ても前項と同様の疑問が残る。これは精 リカ精神医学会が定めた診断基準 神科受診につながっていても適切な治 DSM-IV-TR においても、気分障害と統合 療が実施されていなかった可能性もあ 失調症は同時には診断できない。今後、 るし、あるいは、自殺の危険性が単に精 調査員による診断の妥当性について検 神障害の重症度や治療の効果だけでは 討することが課題となるであろう。ただ 説明できない側面があることを示唆し し、元のデータに当たると、この点に関 ている可能性もある。 してある側面が明らかになってくる。本 ④ 本来、相互に排除されるべき、気分障害 研究はあくまでも、自殺者をよく知って と統合失調症が併記されている例が2 いる人から、自殺者の生前の様子につい 例あった。これは、すでに死亡している て尋ね、その情報を基にして診断を決定 人について調査する研究手法の限界で している。当然のことながら、生きてい あるのか、あるいは、調査者の診断妥当 る患者自身を対象として面接し、情報を 性の問題であるのか、今後さらに検討す 収集し、診断を下しているわけではない。 べきである。(なお、情報を得た人がほ 本人を対象として直接面接を実施する とんどの事例で1名であり、複数の人々 ことができないため、最終的な判断を下 から情報を得たのではないという意味 せない場合もあり得る。それが、本来な で、情報の正確さを検討する必要もある 125:355-373, 1974. だろう。) 3. Swedish men. Acta Psychiatr Scand Suppl, E.結論 277:1-138, 1979. 自殺予防のためには、自殺の実態を正確 に把握することが基礎となる。自殺の本質 Beskow, J.: Suicide and mental disorder in 4. Black, D.W., Warrack, G., & Winokur, G.: に迫るために、海外ではさかんに心理学的 The Iowa record-linkage study, 1: Suicide 剖検の手法に基づいて、自殺の背景につい and accidental deaths among psychiatric て検討されている。本パイロットスタディ patients. Arch Gen Psychiatry, 42:71-75, はわが国においてはじめて実施された全国 1985. 規模の心理学的剖検に基づく調査である。 5. Breier, A. & Astrachan, B.M.: Characterization of schizophrenic patients この結果は、海外の先行研究と同様の点 もあれば異なる点も認められた。たとえば、 who commit suicide. Am J Psychiatry, 自殺者が生前、気分障害に罹患していた率、 141:206-209, 1984. 重複罹患の率が高いのは、従来の報告と同 6. Chynoweth, R., Tonge, J.I., & Armstrong, 様である。ただし、自殺者が精神障害に該 J.: Suicide in Brisbane: A retrospective 当していた率が海外の報告に比べて必ずし psychosocial study. Aust N Z J Psychiatry, も高くなかった。精神科診断に該当してい 14:37-45, 1980. た人の中で、精神科受診歴の率は高かった。 7. Conwell, Y. & Duberstein, P.R.: 自殺の なお、本来、相互に排除されるべき、気分 危険の高い高齢者の診断と治療につい 障害と統合失調症が併記されている例が2 て.精神科診断学, 4:161-171, 1993. 例あり、この種の調査で得られるデータの 8. Crumley, F.E.: Adolescent suicide attempts 限界や、調査員の診断の妥当性について今 and borderline personality disorder: 後検討すべきである。 Clinical features. South Med J, 74/5:546-549, 1981. とくにこのような差異がわが国独自の知 見であるのか、なんらかの selection bias 9. Dorpat, T.L. & Ripley, H.S.: A study of の影響であるのか、今後、引き続き検討す suicide in Seattle area. Compr Psychiatry, べき課題である。 1:349-359, 1960. 10. Friedman, R.C., Aronoff, M.S., Clarkin, 【文献】 J.F., Corn, R., & Hurt, S.W.: History of 1. American Psychiatric Association: suicideal behavior in depressed borderline Diagnostic and statistical manual of inpatients. Am J Psychiatry, mental disorders IV-TR. Washington, 140:1023-1026, 1983. D.C.: American Psychiatric Press, 2000. 2. 11. Garvey, M.J. & Sponden, F.: Suicide Barraclough, B., Bunch, J., Nelson, B., & attempts in antisocial personality disorder. 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