月に 岩見晋介︵陶芸家︶ 年から始まったこのプロジェクト。 年間のプログラムを終了し、来年 焼き物の村 オンドン・ルッセイから 3 年 今年 Our pottery project, which started in 2009, came to a close in September 2012. We have concentrated on the development of pottery art skills, including producing glaze and firing. Before we tackled the marketing of the products, we needed to solve several issues caused by a lack of skills. It was not easy for us to develop such skills in the village in only three years as most pottery production areas around the world have several hundred years of history. What we were trying to achieve in firing ceramics was logistically possible, but we faced a lot of problems once we started trying to implement the project in the village. We tried and failed many times. At the same, we worked on improving the skills of the potters. We are going to focus more on marketing in 2013. (Thank you for reading. This is the last essay in the series) ら、 参 加 メ ン バ ー の 制 作 技 術 向 上 に も 注 力 し て き ま し た。 器 形 の 制 作 に 関 し て は、 期 待 以 上 の 成果が上がっています。 来 年 か ら は 販 売 拡 充。 彼 ら の 作 品 を 安 心 し て 市場に投入していくために、これから彼らが直面 する技術的障害を彼ら自身の手で解決できるよう、 今年残った時間を共に過ごしたいと思います。 Shinsuke IWAMI Three Years ︵﹁焼き物の村 オンドン・ルッセイから﹂は今号をもっ て終了いたします。ご愛読ありがとうございました︶ Letter from Andoung Russey から新しいステージに入ろうとしています。 この 年間、最も力を入れてきたのは、釉薬 ︵ゆうやく︶の調合と焼成技術の習得という、技 術面の強化でした。もともと販売経路の拡大と技 術習得を両輪として始めたプログラムでしたが、 市場に投入する以前に、 製品の完成度を上げ、 様々 な技術的問題を解決する必要があったからです。 コンポンチュナンは土鍋の産地としての土台 があり、釉薬陶器を作るのに必要な土、石、灰 などの原料も確保できることが確認されたため、 このプロジェクトは釉薬陶器の生産に踏み切っ たわけですが、世界の陶産地がみな数百年とい う歴史の中で培ってきた技術を 年間で形にす ることは、容易なことではありませんでした。 技術理論としては十分可能であっても、実際に 扱う原料はほぼ全て、私達が初めて扱うものば かりであり、原料から由来する問題に数々直面 しました。その一つは土。新しく導入を試みた 土が焼成後の冷却時に割れてしまう。もう一つ は薪。火力はそこそこあるものの燠︵おき。薪 の燃えカス︶が溜まりやすく、焼成時の扱いが 厄介。こうした事象は扱ってみて初めて分かる ことですし、対応や原因究明には幾度もテスト を繰り返さなければならず、とても時間がかか ります。そうした問題点を一つずつ解決しなが 3 3 2 9 0 0 9 3 岩見さんは、栃木県益子在住の陶芸家。 素焼きの鍋で知られるコンポンチュナン 州オンドン・ルッセイ村で、陶工たちに 釉薬を使った陶器製造技術を伝える専門 家として同州に滞在していました。村に は、栃木県益子の国際陶芸協会の支援な どで完成した登り窯があり、それを活用 する形で日本財団の「カンボジア伝統陶 器プロジェクト」が 2009 年に開始され ま し た。2012 年 9 月 で 3 年 に 及 ぶ 第 1 期プロジェクトが終了し、2013 年から第 2 期プロジェクトが始まります。 被災地・釜石に服飾工房を⑥ Kamaishi Diary – Recovering from Disaster 祭りや紅葉のなかで Season of Colored Leaves and Festivals 釜石での拠点を寒さが本格化する前に見つ けたいと、10 月中旬と下旬、私は釜石に出向 きました。東京から釜石へは、新花巻で新幹 線から在来線の釜石線に乗り換えます。この時 季、沿線は赤や黄色の紅葉であふれ、列車は その木々の間をくぐり抜けるように走り、景色 に目を奪われている間に「釜石」へ到着します。 毎年恒例の秋祭りは紅葉の少し前ですが、 太鼓やおはやしの音が響き、虎舞が競い、港 からは曳き船が大漁旗をはためかせ出港し、 釜石のエネルギーを実感できる時です。 市街地に宿泊していた私は、内陸へと物件を探して移動していました。市役所で地理 のアドバイスをもらい、滝沢村に住む従妹が車を走らせました。情報はほとんどなく、口 コミで訪ねた商店は小さかったり、気になったシャッター商店は被災者家族が仮設住宅か ら移り住んでいたりして、作業所やショップとしての候補物件を見つけることはできません でした。復興事業が始まった釜石では、それに関わる大手企業向けに物件がたくさん動 いているようで、私の拠点探しは当分続く気配です。そんななか、ボランティアの友達も 泊まれる広さで住まい用のアパートが見つかり、一つ課題が解決できたことは朗報です。 訪ねた社団法人鵜住居まちづくりセンターでは、栽培した花を染料にして商品開発 するという復興プロジェクトが進んでいました。私の夢の一つである養蚕とコラボして、 新たな地域産業として未来へつながる予感を感じました。 釜石沿岸のホテルが 11 月より順次営業を再開します。旅行することが復興支援にな る時が来ました ! 川村美也子(マダムミコ) Miyako KAWAMURA (Madam Miko) アパレルメーカーのデザイナーやパタンナーを経て アトリエや洋裁教室を立ち上げる。その後、カンボジ ア、中国、チュニジアに渡り洋裁の仕事をし、2006 年日本に帰国、洋裁教室を再開した。東日本大震災 後は、被災した出身地・釜石市での服飾工房開設を 目指し活動を始めた。カンボジアとの縁は深く、日本 帰国後もプノンペンにある「ニョニュムショップ」のプ ロデュースを手掛けている。このコラムでは、ふるさ との復興に取り組むマダムミコの奮闘ぶりを伝えても らう。ブログ「マダムミコチャンネル」 http://mmemiko.cocolog-nifty.com/blog/ I went back to Kamaishi to find a good place to open my new business in October - one of the most beautiful seasons there. From Shin-Hanamaki to Kamaishi, we take the local train line, which runs through countryside full of colored leaves. It was also the season for autumn festivals. I felt the energy of the people who were attending them. Though I went through downtown, this time I could not find a good place fo r my busines s. In fac t , t here is competition among those who want to set up ‘restoration’ businesses here so I struggled to find a good location. But I found a place to live easily. I heard that hotels in Kamaishi started operating again in November, 2012, so even a traveler can participate in the restoration of the town now! 47
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