“住まい塾だより” 60 号によせて

2012 年 4 月
61 号特別号
“住まい塾だより” 60 号によせて
前号の住まい塾便り60号で東北からの震災関連の報告を掲載しましたところ、これを読んだ各地の読者から多数の反響が寄せられました。頂い
た感想文を読み、編集委員一同たいへん感動しました。そこで、感想文を寄せられた皆さまに感謝するとともに、皆さまにもぜひご覧いただきたく、
今回特別に編集致しました。
■3 月 11 日の東日本大震災で塩釜に在って、震度6強
体が左右に大揺れしている中、猛スピードで走行中の車
す。そんな折、東北からの二人の便りに、被災地を身近
大阪の完成見学会では、巽棟梁が後継者として育てら
の状態で壁に亀裂が入った程度で済んだということに
が蛇行して横転しそうになり、急ブレーキ、後続車が追
に感じました。また、平野内さんの志を貫く生き方に触
れた亀井さんが立派に独り立ちされた姿を目のあたり
驚きました。
突寸前で停車、たちまち大渋滞となりました。
れ、自身を省みて頭が下がりました。
にし、又、以前からの錚々たる職方の皆さんが彼を支え
私は埼玉に住んでいて震度5強だったと思いますが、そ
対岸の高層ビルは、緑色の壁面ガラス全体がカーテンの
震災後、住まい塾の家の方達はどうされているのか気
て来られたことも知って、今後将来に向けて、各地でも
の揺れ方は半端ではありませんでした。
ように波打ち、隣のビルと交差して今にも崩れそうでハ
になっていたので、興味深く読ませて頂きました。直接
次代を育成すべく、より一層の努力をお願いしたいとも
それには建物に金物を使わず組み込んでいるため、地震
ラハラしました。
話を伺う機会があってもいいと思います。
思いました。
(私事ながら、13年前亀井さんの大工棟梁
に柔軟に対応したためでしょうか、もちろん地盤もしっ
かりしていたのでしょう。
消防庁、気象庁の屋外アンテナは鞭のようにしなって
【埼玉県 川﨑 惠子】
大きな円を描いています。インターネットによると、東
としての初仕事が我が家でしたので、成長ぶりを大変嬉
しく思いました。
)
高橋先生が言われるように「100 年経った木材を使用
北地方は大地震で壊滅的な被害、大津波としかわかりま
するのであれば、少なくとも 100 年は耐えられるよう
せん。
電話、メールも繋がらなくなり、情報不足のなか、
な住宅でなければならない」と言うことでしたが、この
会社のビルは危険とのことで退去命令が出て、皇居前に
■この秋 10 年目を迎え、住宅ローン減税も最後になり
いりました。大原の紅葉は予想に反してまだほとんど始
状況から考えると、地震には十分耐えられる住宅である
避難すると、そこは既に大勢の人がおり、道路は身動き
ました。3年目には中越地震を経験しましたが、奇跡的
まっていなかったのですが、なぜか会場だけは見事に紅
ことが立証されたと思います。
のとれない車でいっぱいでした。
にお茶碗ひとつも割れることはありませんでした。倒れ
葉していました。川音の聞こえるすばらしい所でした。
るような家具を置いていなかったことが幸いだったの
作品はどれも素晴らしく、通り掛かりの方も感心してお
かもしれません。
られました。
ただ丈夫さ以上に大切なのは、その住宅に住んで飽きが
こないということではないでしょうか。
都心でさえこの大混乱、東北地方は一体どうなったの
か本当に心配になりました。
11 月初旬、京都大原での松岡氏の”鉄の造形展”にま
私は先生に設計していただいた家で 20 年暮らしてお
酒井さまの記事を読ませていただき、大変な厄災のな
私どもは住まい塾のセミナーに参加したことがない
りますが、飽きっぽい私でも毎日が楽しく木のぬくもり
か、本当にご苦労されたなかにも、皆様が無事で、また、
ので、住まい塾が特集された雑誌か、お便りでしか他の
に満足しております。
住まい塾の家が震災にも耐え抜いたことは心から良か
ユーザーのお宅を見学できません。住まい塾を知るきっ
訪ねてきた人は、日本風であるが田舎の野暮ったさが無
ったと思います。
かけになった元ご近所のお宅の、外観と玄関あたりを見
い、垢抜けしていると言ってくれます。
構造的本質的に丈夫な伝統工法により造られた建物、
【京都府 菱田 葉子】
たのみなので、お便りの写真を見てどんなお宅なのか想
■震災の現場にはなかなか足を踏み入れることが出来
像しています。
ない状況のまま、東京から兵庫に引越しました。以前は
私自身も我が家が好きで、まだまだこれから一生、この
その設計の確かさ、吟味された建築資材と熟練の職人の
家を大事にし、暮らしていこうと思っております。
誠実で丁寧な施工、施主の強く熱い思いが合わさって完
これまでご近所の新築見学会をいくつも見てきまし
大阪に住んでいたので、阪神淡路大震災の折は友人が行
成したのが住まい塾の家であり、それぞれがとても個性
たが、我が家を超えるいい家は今のところ出てきていま
っていたボランティアを足掛かりに参加したりも出来
的ながら一目でそれと分かります。
せん。10 年近く住んでみて不便はいくつかありますが、
たのですが、東北は東京からも遠く、主婦の立場からは
それはまた報告した方がいいようでしたらするという
非常に難しいと感じました。
住まいというのは、一生ものと思い、自分が納得した
建物でなければならない、とつくづく思います。
是非これから家を建てられる方は、設計屋さんとよくそ
震災を契機に、生活の本拠である住宅が無事であるこ
の辺りを打ち合わせし、自分の考えを伝えることが大事
とが、私達にとってどれ程大切なことか改めて思い知ら
です。
されました。
【埼玉県 柴田 養吉】
ことで。
そんななか、生の声を紙面にとりあげていただけるこ
【新潟県 小林 正幸・まゆみ】
職場のなかにも、家が流失したり、家族が行方不明の
りました。すぐに反映されるのがよいと思いました。
方もおります。
こちらに越してから揺れないのがありがたいです。東
震災に遭われた皆様の生活の再建、地域の復興を願うと
■3 月 11 日の午後、私は大手町の会社で仕事中でした。
すると、15 階建てのビルがユラユラ揺れだして、突然、
とにより、身近に感じることが出来る機会のひとつとな
京でも相当な恐怖を感じ、余震も忘れた頃にやってくる
ともに、酒井さまにはその力強いメッセージで逆に励ま
■60 号は大震災で大変な思いをなさりながら、いち早
されており、感謝する次第であります。
く体験談と住まいの状態やその後の設計士、施工者のみ
設計スタッフ平野内さんの、設計アルバイトだけはや
なさんの対応ぶりをお知らせ下さり、感謝しつつ読ませ
らないという、なかなか口で言うのは簡単だけれども奥
ていただきました。
深い言葉に少々たじろいでいます。スタッフとしてこん
【埼玉県 川﨑 惠】
部屋全体がギシギシと音を立て始め、ロッカーが倒れた
ではありませんか。
また、東北の設計スタッフの方の、ご自身の役割への
事務室の誰もが騒ぎ出し、あちらこちらで携帯のアラー
あらためての問いかけを頼もしく思いました。
ム警報が鳴り出しましたが、遠くに見えるスカイツリー
■本当に大きな災害で、亡くなられた方、被災された方
私どもユーザーは何かが起こった時、どうなるのか、
は大丈夫のようでした。
達の悲しみや苦労、原発事故などを思うと、東北には知
どうすればよいのかを知っておきたいと願いますが、迅
窓から見える建設中のビルの大型クレーンがグラグラ
り合いがいないせいもあり、何もできないもどかしさ、
速にきちんと対応していただけることがわかり、住み続
動いており、神田川に架かっている首都高速道路は、全
解けない問題を持ち続けているような感じがしていま
ける上での安心を再確認できた思いです。
のでなんとなく緊張感が続いていると感じています。
な思いがあって、設計という仕事に真剣に取り組んでい
る姿が、本人の口から素直に語られているところにとて
も共感しました。
【兵庫県 梅田 佐和子】