お金は魔法使い

(お願い)この文章「お金は魔法使い」を小冊子や本に印刷したり、インターネット上
でコピーして、あなたの友達に伝えて差し上げてください。なるべく速やかに!
ウェブサイト・・・・・ http://wiki911.lv9.org/index.htm
ブログ・・・・・・・・・ http://blog.livedoor.jp/amamushi/
2010 年 11 月 23 日 ”あまむし庵” >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> ○○○○○ <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
お金は魔法使い
911事件、お金、銀行のペテンと時間からの解放
(目次)
はしがき
第一部・・・・911・聖書編
<1> 余りにも不可解な911事件の真相
<1-1>911事件の真相を探る意味は?
<1-2>911事件の真相を探る
<1-3>911事件のまとめ(含推論)
<2> 影の黒幕、古代バビロニア発祥の金融を応用したユダヤ人
<2-1>影に存在する黒幕とは
<2-2>古代バビロニアから始まった物質文明の象徴・・・・「お金」と「銀行」
<2-3>「お金」と「金融」を使った世界覇権の行動原理
<2-4>古代イスラエル民族とユダヤ教、ユダヤ人の関係について
<3> 旧約聖書(タナハ)の解釈で運命が変わる
<3-1>旧約聖書(タナハ)を信ずるユダヤ人
<3-2>旧約聖書「天地創造」の意味と、「神」と「主(主なる神)」について
<3-3>「ヤハウェ(エホバ)」は三次元物質世界の創造の絶対原理
<3-4>ユダヤ教を信ずる民は旧約聖書の予言を自ら再創造している
<3-5>東方に移住したイスラエル失われた支族の行方と彼らの信仰する神
<4> 次元降下宇宙による創世記解釈
<4-1>次元降下宇宙
<4-2>エデンの園の知恵の木と命の木とは何か?
<4-3>蛇はイブを騙そうとしたのだろうか?
<4-4>「罪」の意味/「罪」を利用したのは誰か?
<4-5>エデンの楽園追放の次元降下宇宙的解釈
第二部・・・・宇宙編
<5> 次元降下宇宙で色々の問題を考えてみよう
<5-1>三次元世界での他からの強制は自らが許可した投影に過ぎない
<5-2>911自作自演の謀略や様々の「悪」と見えるものに対する対処は?
<5-3>「何かしなければならない」という脅迫観念にとらわれている人類
<5-4>自分がしていることはひとつもない/しなければいけないことはひとつもない
<5-5>人間がすることはひとつもない・・・自然農法に学ぶ
<5-6>人の介在が大地を駄目にする・・・耕耘、雑草除去、農薬、化学肥料、機械化
<5-7>この宇宙は完璧だ!
<6> 三次元物質世界の呪縛構造/時間は過去の観測道具
<6-1>エデンの園追放の真意・・・人類自らが自らを追放した
<6-2>人類が自らに仕組んだ呪縛の本質
<6-3>「時間」を次元降下宇宙的に考えてみる
<6-4>時間は過去の観測道具であり三次元世界は幻想だった!
<7> 重力と斥力(ダークエネルギー)に関する考察・・・おまけ
<7-1>現代科学が知る4つの力とダークエネルギー
<7-2>重力の伝達スピードは?
<7-3>ダークエネルギーの解釈?
<7-4>では真空エネルギーとは?
第三部・・・・お金・銀行編
<8> 人類の妄想「お金」の謎!
<8-1>お金、金融、銀行の起源は?
<8-2>お金の持つ機能は何か?
<8-3>「金利」の問題点・・・お金(物質)が成長するという妄想
<8-4>「マイナス金利」「金利なし」のお金の模索・・・「自由貨幣」「地域通貨」
<8-5>国際金融組織のビジネス「戦争」をなくす道
<8-6>お金の真の意味は?
<9> 世界支配のために考えられた「銀行システム」の怪!?
<9-1>米国FRB(連邦準備制度理事会)の実体?
<9-2>各国の中央銀行、銀行システムは誰の支配下にあるか?
<9-3>銀行システムの怪!「信用創造」
<9-4>信用創造に基づく今の銀行からお金を借りても返済の必要はない!?
<9-5>もはやお金は国家、国民のものではない!
<9-6>銀行の「信用創造」の原理を創り上げた動機は何か?
<9-7>バビロニアから始まったお金は崩壊の道へ?
<9-8>極めて危険な状態に突入した世界の金融システム
<10> 地球において最も根本的な問題・・・お金を如何に解決するか
<10-1>「お金」にまつわる問題と戒め
<10-2>お金は人が創造した架空の概念/価値とは?
<10-3>流通のベースに存在する信用、そして愛
<10-4>「お金」の本質的解決の道
<10-5>「お金」は「愛」の欠如のバロメーター
あとがき
はしがき
”あまむし庵”と名づけた小さないほりで寝起きしてもう何年が過ぎたろう?里の者は私のことを”自
由人”とか”世捨て人”とか”仙人”と呼ぶ。”仙人”は兎も角として、確かにそれは的を得ている。私
は「なにもしない」ことをしているからだ。周囲の人たちは「なにもしない」私を訝(いぶか)り勝ちだ
が、不満も言わずよく支えて下った。ありがたいの一言に尽きる。しかし「なにもしない」ことによって
始めて為し得ることもある。「なにもしない」ことは、もっと偉大な力が隠されているのかもしれない。
なにもしない自分がこのふた月取り付かれたように文章を書き出した。書き終わって分ったことは、
この文章には様々な分野(911事件を入り口に国際問題、聖書の予言、宇宙論、素粒子論、経済
論、金融論、価値論、文明論、農業論、社会論、哲学、宗教、歴史、地球環境、そしてお金と時間
の問題)が、一つの体系化されたものとして完成していた。様々な事柄の根源に繋がる世界観を
探るひとつの試みになっていた。
書き始めの切っ掛けは911事件が自作自演の謀略であることを知ったことだった。何故そんなこと
を起こす必要があったのか?という単純な疑問から始まって、様々な真実を知るに及び、最終的
にそれらの根底に内在している「お金」と「銀行」と「時間」の問題点に行き着いた。同時に如何に
自分が無知であったか!という事実を知らされた。
それらの問題の奥で人類を突き動かす「動機」「思想の呪縛」にたどり着くことになった。その「動
機」「思想の呪縛」を知ることによって、この地球が抱えている様々な問題の意味が明確となった。
その観点からそれらに対する解決の方向性を示そうとするものとなった。
自分自身でも驚いたことは、「お金」と「銀行」を中心とした地球の文明が如何にペテンに満ちてい
たかということだった。手っ取り早く「お金と銀行の問題」を知りたい方は、<8章><9章><10
章>から先に読んでいただければ手っ取り早いかもしれない。とりあえず全てを書き終わったので
公開することにする。
ここに掲げる「お金は魔法使い」なる文章は私の筆によるものだが、どなたが使われても、どこの
ホームページにコピー掲載されるも、リンクされるも、活字にして出版されるも、どの言語に翻訳し
ていただいても結構と思っている。私の目的はこれがより多くの人類に速やかに広められることの
みであって他意はない。それによって著作権の侵害などという馬鹿げた戯言は言わないので心配
はご無用。
この文章をご自由にお使いいただくにあたり、偽りの著作権を名乗り出し、偽りの著作権料(印税)
を求め出す第三者の介在を未然に防止するために、この文章をホームページ等へのコピー掲載、
印刷出版、他言語へ翻訳される場合は、<<出典・・・作者”あまむし庵”コピー自由>>と記載し
ていただきたい。出版の場合、印刷代、製本代など経費の必要上、値段などはご自由にお考えい
ただくとして、なるべく低価格且つ簡便なもので流通されることを希望したい。作者である私自身
は印税は求めない。
私自身はどんな政治団体、宗教団体、スピィリチュアル集団、利益団体、思想集団にも所属して
いない。この文章も同様の性格を帯びている。宗派、組織、団体ができるとそこに人々の思惑や欲
が絡んで本来の趣旨のすり替えが起りがちだ。大切なことは人類一人一人の意識が高次元の自
分自身を思い出すことに尽きると思う。そのためには一時的に宗教や組織や団体が発生するのは
無意味ではないが、それ自体が目的ではないだろう。そのような趣旨でこの文章が世界の多くの
方々のお役に立てばこれにすぐるものはない。人々の手に届くようご協力くださればありがたいと
思っている。
この文章は歴史ある古典、多くの人々の真摯な作品を材料に使わせていただいている。「はしが
き」を締めくくるにあたり、旧約聖書、新約聖書、コーラン、仏典、マヤ文献、科学書、スピリチュア
ル書、哲学書、宗教書、経済学書、農業書、その他色々なインターネットの作品を引用させていた
だいたことを感謝申し上げたい。
あまむしのいほりから、はるかヘブルびととマヤびとを仰いで
2010 年 11 月 23 日 ”あまむし庵” <1> 余りにも不可解な911事件の真相
<1-1>911事件の真相を探る意味は?
もう9年もの月日が過ぎ去った。2001 年 9 月 11 日のアメリカ同時多発テロ事件(911事件)が切っ
掛けとなって「テロとの戦争」が始まった。米国中心の多国籍軍によってアフガニスタン侵攻、イラ
ク侵攻が行われ、未だに「テロとの戦争」は終わっていない。
私はテレビやマスコミ、インターネットから情報収集している一般的な庶民である。それらの情報に
基づいて自分で社会を観察し、その時々の良し悪しを判断している。少なくとも911事件について
は、アルカイーダのテロ犯によるイスラム過激派の米国に対するテロ事件だと9年間信じ続けてい
た。1カ月前までは・・・・
調べる切っ掛けが何であったのかは忘れてしまったが、1カ月程前にインターネットで「911事件」
について検索してみると、なんと「911の陰謀」やら「911自作自演」やらの無数のサイトがあること
に始めて知ったのだ。
「なんだ、これは?」
興味半分でネットサーフィンしていくと、あるわ、あるわ!911事件が米国政府、当時のブッシュ政
権を中心とした自作自演の陰謀であったということが、様々な証拠に基づいて証明されつつある
ではないか!
これには正直驚いた。これが真実であれば、大変なスキャンダルだ。スキャンダルという生ぬるい
言葉では済まされる問題ではないだろう。米国の政府が計画して、自国の経済拠点の中心的存
在たる「ワールドトレードセンター」と、国防総省(ペンタゴン)に多くの国民を乗せた旅客機を突っ
込ませたのだから。
実は乗っ取られた旅客機が途中で軍用機や巡航ミサイルに入れ替わって、遠隔操作でコントロー
ルできる航空機を使った正確無比なピンポイント攻撃だったという説の方が有力のようだ。さらに
実際には航空機はビルに突っ込んでおらず、映像はCG(コンピューターグラフィック)で捏造され
たものであり、あらかじめ仕掛けられた爆発物が爆発したものと分析するものもある。どちらにして
も、多くの人間が死んだ。そしてテロの戦争は今も続き多くの人間を殺し続けている。
もうご存知の方はご存知だろうし、ご存知でない方はネットで嫌というほど情報が提供されているの
で、暇に任せてお調べいただけばいい。ただ、現代人は余りにも忙しすぎて、自分で情報を探す
時間的余裕がなくなってしまっていて、マスコミ情報にまかせっきりになっている、ということが大き
なネックになっている。現に私自身も1カ月前まではマスコミ情報に頼っていたために、その事実
は知らなかった。たとえネットを使っていても、大手のポータルサイトや、ニュースには決して出てこ
ない。
なぜなら政治家も、マスコミも、ネット大手も、評論家も自分の身が大切だからだろうか、そのリスク
を犯して事実を表明することなどしないのだ。奥底に隠された真実に触れずに、表面的事実や操
作された情報を、重大情報として社会に流すのが彼らに残された生きる道なのだろうか。
しかし、ネットには個人や微力な団体を中心として(勿論強大な勢力が意図的に情報操作のため
流しているものも沢山あるだろう)奥底の真実に近い情報を提供するものがかなり増えていることは
事実だ。それらの情報の中でも玉石混合。ある人物は、悪の権化として黒幕を攻撃する者もいれ
ば、金融マフィア同士の戦いとして捉えるものもいる。いやいやそれらは表面的なことであって、そ
の奥にスイスの銀行が一番の黒幕だと解説するもの。いやいや真の隠れた権力者はオランダに隠
れているというもの。彼らの真の正体は爬虫類系宇宙人であるとするものもあれば、銀河連邦との
対立の図式だとするもの等など、様々な情報が飛び交ってネット紙面を楽しませている。
ここまで来るとどんな言葉を信用すればいいのか益々分らない。人々を迷わせるための情報に過
ぎなくなる。結局はなにがなんだか分らない、自分とは異次元の物語として、唯単なる知っとく情
報で終わらせるしかなくなってしまうだろう。情報を聞いた後に残されたものは、「不信感」「恐怖
心」「興味本位」と「雑学の増加」だけということでは、知ることの意味と価値がなくなってしまう。
重大問題であればあるほど、その奥に隠されている原因や動機も大きい。そこに隠されている問
題を解き明かし、私たち自身がメッセージを読み取ることが大切となる。自分に役立てない情報は、
畢竟無意味といえる。それどころか、自分を翻弄し精神と行動を混乱せしめる意味しか持たないこ
とになる。「恐怖心」だけが残れば、「恐怖心」だけが一人歩きして、生活と社会をむやみに混乱せ
しめることになる。
それを防ぐためには、様々な角度から情報を読み取り、その奥に隠されているであろう真実を探し
出し、最後は自分自身の力で読み解いて行かねばならない。そしてその事実が物語る壮大なる
実験が教える貴重な教訓を我が物とし、充分に生活に活用してこそ始めて価値が生れることにな
る。
<1-2>911事件の真相を探る
911事件が自作自演だったということの証明は嫌というほどあるので、ご自分でお調べいただくと
して、2つ3つ簡単にご紹介すると、
(1) WTC(ワールドトレードセンター)の二つの鉄筋のビルが崩壊したが、鉄の溶ける温度は 1600
度、ジェット燃料が燃える温度は 800 度だから、本来鉄筋のビルが火災では決して崩壊しないは
ず、事前にセットされていたビル破壊用の爆薬で崩壊した。ついでに航空機が追突しなかった第
7ビルもきれいに崩壊してしまった。
(2) WTC地下のコンクリートの塊を破壊するために小型の核兵器(実際にスーツケースに入る大き
さの小型水爆は存在するといわれる)を使われたらしい・・・その後消防士、警官等事件現場で働
いていた人のうち数百人が放射能によると見られる癌にかかり内 100 名程度がすでに死亡してい
ると言われている(2007 年時点の報道)。911 主任検視官の報告によると、WTCにおいて 1600 名
の死体がどうしても見つからず「蒸発」したと語った!ビル火災と崩壊だけでは決して死体は蒸発
し得ない。何故わざわざ核兵器を使う必要があったのか?(後でその理由と考えられるものを明か
そう!)
(3) ペンタゴンに突入したと言われている旅客機は馬鹿でかいはずなのに、ペンタゴンに空いた穴
は極めて小さい。周囲の様々なビデオ映像はそのほとんどが没収された。 (4) ホワイトハウスに突っ込む予定の旅客機が途中乗客の反乱によって墜落したと言われているが、
墜落した場所にはほとんど機体の残骸もないし、乗客から携帯等で家族にかけられたという電話
がニュースで流れたが、高空の旅客機からは携帯は本来通じない・・・・・。その他にも証拠があり
過ぎて、911事件が自作自演でないことを信じることはもはや不可能な状況にあるといえる。
これらはほんの一部の疑惑に過ぎない。今では米国国民の多くの人がその事実を知っているそう
だ。先日イランのアフマディネジャド大統領が国連総会で911米同時多発テロについて、「米政府
内の一部セグメントが攻撃を画策した」とする陰謀説を展開したという Youtube の動画を発見した
が、イラン大統領の言い分には根拠があってのことに違いない。演説中さっさと米国などは席を
たってしまったという。これでは会議の意味をなさない。真っ向議論すると負けることが分っている
場合にこうした手を使わざるを得ないのだろう。日本の政治家やマスコミでは表面的なことしか言
わないだろうが、もしかするとこのイラン大統領、なかなか気骨のある正論を述べる立派な人物な
のかもしれない!あまりにも我々は知らないことが多すぎるようだ。※現在 Youtube は早速削除さ
れてしまったが、CNNのサイトにはまだ公開されている。(いつなくなるか分らないが・・・)。
※(以下はCNNの記事より抜粋)
<< 「イラン大統領が国連演説で陰謀説展開、米など抗議の退席」 2010.09.24 ・・・(CNN) 国
連総会で23日、イランのアフマディネジャド大統領が米国と国連、資本主義を批判する演説を
行った。米国などの代表団はこれに抗議して退席した。アフマディネジャド大統領が国連総会で
扇動的な演説をするのは毎回のことだが、今回の演説では2001年9月の米同時多発テロについ
て、「米政府内の一部セグメントが攻撃を画策した」とする陰謀説を展開。この攻撃は「米国の景気
後退、およびユダヤ教政権を救うために自らが描いた筋書きの後退」を覆すことを狙ったものだと
主張した。この発言を受けて米国、英国、スウェーデン、オーストラリア、ベルギー、ウルグアイ、ス
ペインなどの代表団が席を立ち、退場した。この間にもアフマディネジャド大統領は、攻撃には米
国が関与したか、またはアフガニスタンとイラクで戦争を起こすための口実として攻撃の実行を許
したとする説を展開した。>>
話は飛ぶが、国連演説で想いだす人物がいる。1964 年チェ・ゲバラの国連総会演説もなかなか
凄かった。ニューヨークの国連総会で堂々と米帝国主義、侵略主義の批判演説をしたのだから。
この時も同じように米国代表は席を立ってしまった。「赤いキリスト」とまで呼ばれ、中米、南米で、
いやいや全世界で英雄中の英雄と、いまでも絶大な人気のチェ・ゲバラ。なぜこれほどに人気が
あるのだろうか?革命という闘争に身を投じたとはいえ、彼の生き様の根底には「愛」が息づいて
いる。西洋、日本ではチェ・ゲバラは無視されがちだが、その真実が知らされないままに、漠然と否
定無視しがちなのだ。
<<愛のない真の革命家を想像することは不可能だ>>これが彼の残した言葉だった。彼は
キューバ革命でトップの地位につきながら労働者と共に生産活動を行い、数年後全ての地位と権
力を投げ捨てて西欧諸国により植民地化されていた他国の革命(独立)に散ったのだ。権力の座
に執着しない彼の生き方は死ぬまで一貫していた。もはやイデオロギー、国家制度云々のレベル
を超えているものがそこにはある。<<1960 年頃、世界で一番かっこいい男がチェ・ゲバラだった
>>ジョン・レノンをしてこんな言葉を言わしめている。彼の肖像画がプリントされたTシャツは世界
で一番売れているらしい!
そろそろ地球も本音同士で話し合いができるようになってもいいのではないか。暗殺や裏工作や
謀略などを使わずに。
少し横路にそれたが911自作自演事件に話を戻そう。「一体こんなことが現実としてあり得ることな
のだろうか?」この疑問が真っ先に浮かんだが、調べれば調べるほど、それを実証する証拠は山
のように出てくるのである。この不可解極まりない疑問が原動力となって、どこまでも追求すること
になったのだ。それは911の自作自演の陰謀に留まることはなく、それはある意味氷山の一角に
過ぎなかったということである。
『山より大きな獅子はでない』」ということわざがあるが、私にとってはこの事実は、山だと思こんでい
たもの自体が実は獅子だった!という驚きに近かった。 『知らぬが仏』とよく言ったものだ。知って
しまえば「仏」はどこかに消えてしまった。私のようなお人よしののん気者に対して、「今更そんな事
実はあたり前だよ!」といって笑われる方もきっと少なからずおられることだろう。まだご存知でない
方の内、911事件についての裏事情の知りたい方は、次のウェブサイトをご覧になれば、納得い
ただけることだろう。
まあ、簡単に911事件を裏事情を要約してみると次のようになるようだ。あくまで私がネット上で収
集した信憑性の高いと思われる情報に基づいてまとめたものであり、真実と異なっている場合があ
るかもしれないので、徹底的に真実を知りたい方は、ご自身で研究されたし。ただしこの文章の目
的はひとつの事件を掘り下げることではなく、様々な事件に潜む根源の動機を探るところにあるの
で、ある程度の掘り下げにとどめる。
<1-3>911事件のまとめ(含推論)
1.911事件はイスラム原理主義者のテロではなく、米国ブッシュ政権が計画した自作自演の自国
への謀略犯罪行為である。
2.911事件は、アフガニスタン、イラン侵略の口実となった。イラクの石油利権、その地域のシオ
ニスト(旧約聖書にあるイスラエル国家を再建しようとする人たち。敬虔なユダヤ教徒でない無神
論者の集団とも言われている。『トーラーの名において」ヤコブ・ラブキン教授に聞く』
http://www.asyura2.com/10/warb4/msg/309.html 参照)による覇権統治、イスラムの弱体化(十字
軍の復活)
3.ワンタ事件(元米国外交官で財務省や情報当局にも在籍した Leo Emil Wanta 氏と米国政府の
間で結ばれた2006年7月の解決合意書にある義務つまり$4.5Trillion(=約500兆円/1T=1兆)
を財務長官が財務省に入れる義務があるのにそれを入金していていない、あわせて資金洗浄、
横領、資金転用などの理由で国際司法裁判所が米財務省長官とチェイニー副大統領に対して、
国際召喚状を発布していた)の隠れ蓑として911テロ・アフガン侵略・イラク侵略戦争が必要だっ
たとも・・・。
4. ブッシュ政権の中核、チェイニー,ラムズフェルド,ウォルフォウィツらネオコン(≒キリスト教原
理主義教会の極右派)と、CIA、モサド、ペンタゴン、FBI等の組織を動員した大掛かりな陰謀。
5.それらの勢力をコントロールしているのは、CFR(外交問題評議会・・・ユダヤ勢力による政策
決定機関)であり、その奥にフリーメイソン、イルミナティ等のシオニストの計画に基づいている。
6.ペンタゴンの一部破壊は、軍の 132 兆円の使途不明金の証拠書類隠滅?
7.911事件後の様々な情報戦は、ロスチャイルド(ヨーロピアンマフィア)とロックフェラー(アメリカ
ンマフィア)の決裂という見方もある。
8.WTC1北棟101階~105階カンター証券に保管されていた1200億ドル分のプレデイ債券の
消滅と証拠隠滅。1200億ドル分のプレデイ債券は消滅し、関係者数百人が死亡。
注)ブレディ債とは・・・1989年のブラジル危機の時、ブラジルに多大な投資をしていた米国銀行、
証券会社の赤字補填のため、レーガン政権下のブレディ財務長官がとった民間銀行に対する債
務削減構想を「ブレディ債」 という。赤字国の債務を証券にして一般投資家に売ったが、その証
券の保障を財務省が肩代わりした。このブレディ証券は911事件の翌日9月12日に償還期限の
来ることになっており、WTC1北棟101階~105階カンター・フィツツジエラルド証券の事務所 に
は1200億ドル分のプレデイ債券が保管されていた。カンター証券の事務所のあたりに航空機が
突入している。
9.WTC1、WTC7のFBI事務所にあったとされるロックフェラーの石油スワップ犯罪捜査資料、グ
リーンスパン、モルガン、GS(ゴールドマン・サックス)の金価格の固定疑惑の捜査資料が消滅。
10.ロスチャイルド、デル・バンコ等のヨーロッパ系国際金融組織の金保有覇権(金の戦争)に関
する最終的決着。この事件でワールドトレードセンタービルの地下大金庫に保管されていた1200
億ドル相当分の金塊が、911事件当日朝までにどこかに運び出されたらしい。その金塊の行き先
は不明だ。これからの見解はあくまで私の想像だが、金デリバティブ等を使った金の戦争に負け
た勢力が、その負け負担分の清算のため911事件を起こし、その破壊と混乱にまぎれて、地下に
保管されていた金塊を事前に運び出し、金の戦争に勝利を収めた勢力側に引渡し、その清算処
理をしたという筋書きが考えられる。それら一切の証拠隠滅のためにコンクリートの塊でできている
地下の巨大金庫を破壊する必要があったのだろう。そのためにある種の小型核爆弾が使われたと
考えられる。
注) 通常の爆薬を使ってもこのコンクリートの巨大な塊は破壊するのは極めて難しいと考えられる。
消滅できる方法は、一瞬の内に超高温を出してコンクリートを粉砕しうる核爆弾を使うしかないが、
通常の核爆弾では、ニューヨーク全体が消滅すると同時に膨大な放射線を出し内部犯行であるこ
とは明確となる。そこで考えられるのは純粋水爆の使用ということだ。公式には小型の純粋水爆は
実用化されていないということらしいが、こういう機密開発情報は外には出さないのは常識だ。この
純粋水爆であれば、中性子を一時的にだすとしても、長期にわたって放射能を観測することはな
い。それに小型の純粋水爆はピンポイントの破壊にはうってつけと言われている。WTCの地下の
コンクリートの塊は、一切が粉(パウダー状)になって粉砕した。鉄は真っ赤に解けた溶鉱炉状態
のまま2~3ヶ月存在していたらしい。コンクリートの塊を一瞬のうちにパウダー状に粉砕するには
通常では不可能だ。唯一、超高温を作り、コンクリート内部の水分を水蒸気爆発させることによっ
て可能と言われる。WTC破壊においては、通常の解体用爆薬、高温を出すテルミット反応(酸化
鉄がアルミニウムによって還元される酸化還元反応 、高温の解けた鉄が発生する)、小型核爆弾、
等々様々な分析がなされているが、どれもが使われた可能性が考えられる。真実を知るのは、そ
れを計画実行した人物だけだ。何が使われようがそれは大きな問題ではないと言える。最も重要
な問題は、なぜそこまでして、ビルを根底から破壊し、蒸発までさせなければならなかったか?と
いうことだ。物事の発生の奥には、必ず明確な「意思」が隠されている。
911事件が自作自演の謀略犯罪であることは、もはや疑いもない常識化しつつあるが、そんな
荒っぽいバレバレの陰謀を計画実行した勢力の真の意図がどこにあるのか?という問題は永遠の
謎につつまれるかもしれない。この事件を計画実行した多くの関係者の中でも、その真意を知っ
ている人間は、極一部の影に隠れた人物だろう。関係者のほとんどは、その全貌さえ知らされず
に、部分部分の任務を果たしたに過ぎない。
彼らはそれで喜びを感じているのだろうか?三次元物質世界の意識に縛られていると、高次元の
自己の存在の「喜び」と真の「目的」が麻痺しているに過ぎない。彼ら自身は高次元の自己の存在
に目覚めるまでは、不可解な自己欺瞞の罪の意識の世界に自分自身を閉じ込めて苦しむことに
なる。しかし彼らもいつかは目覚めざるを得ないことになる。「苦しみ」は決して無意味、無価値で
はない。逆に高次元世界の自己の意識に自身を向けさせる最大の動機として働くのだ。「苦しみ」
も「疑問」も自身の味方だ。この世に敵は存在しえない。
その意味で彼らを捕まえて断罪する必要もないのだ。自然の摂理(宇宙の摂理)は絶対といえる。
そして彼ら自身の高次元の存在が彼ら自身を確実に導いて、一番良い時期に目覚めが訪れるか
ら何も心配はいらない。それは宇宙の摂理であり、一人一人の自由意志による自己創造の形で任
せる方法が宇宙の作法というものだ。(この考え方については飛躍が大きいので後に説明したい)
通常の国際陰謀であれば、自国の中心部の破壊のために自国勢力自らの手でわざわざ壊滅的
な破壊を行う必要もない。過去においても様々な国際陰謀が水面下でなされ、それが戦争を引き
起こしてきたが、911の自作自演テロは全く異常と言える。単純にテロの戦争を世界に起こすので
あれば、他にも手段は十分考えられそうだ。
どうしてもWTC(ワールドトレードセンター)とペンタゴンでなければならなかったという絶対性がな
ければ、自国の軍事、経済の中央拠点にわざわざ的を絞る必要性がない。WTCとペンタゴン、そ
れも航空機が突入したあのピンポイントの場所でなければならなかった理由があるはずだ。同時
に地下のコンクリートの塊から木っ端微塵に粉砕する必要がどこにあったのだろうか?
この世の中に起こることに偶然はない。全てがその奥にれっきとした意図が隠されている。911事
件に関してもその意図は、目標となった施設のその場所であるということ自体にヒントが隠されてい
るはずである。 この筋書きで観察すれば、911事件は自作自演の史上最悪の証拠隠滅、債権粉
砕、金塊強奪、の大銀行強盗事件ということになる。同時に石油利権と世界制覇、戦争ビジネス、
ドル防衛を目的とした「テロとの戦争」を始めるための現代版「真珠湾攻撃」という意図が見えてくる。
真実はもっと別の何かがあるにかもしれない。しかし、この見解は当らずとも遠からずと言えるだろ
う。911事件への興味はこのくらいにして、我々は次の段階へと進みたい。ある意味911事件は
ちっぽけなことなのかもしれないからだ!
<参考>
・「「ロックフェラーの友は、911を事前に予告した」 アーロン・ルッソ (1 of 2)」より
http://www.youtube.com/watch?v=EeWqlJHzcSo&feature=related ・ 〔ビデオ〕「「ロックフェラーの友は、911を事前に予告した」 アーロン・ルッソ (2 of 2)」より
http://www.youtube.com/watch?v=f0PDhMZf6Yc&feature=related ・ 911 事件前日の記者会見でラムズフェルド国防長官は「軍が 2000 年の会計年度に 132 兆円にの
ぼる使途不明金を出した」と発表/「9.11 の真実(1)」より
http://ameblo.jp/saruo23/entry-10397431871.html ・9.11 でペンタゴンを予め設置した爆薬とミサイルで一部倒壊させた最大の理由は、使途不明金
の証拠書類隠滅でした/ 「リーマン・ブラザーズの破綻は自作自演か?!」より
http://blog.goo.ne.jp/i_notice/e/63b74c6b8624e15b0651e58252447402 ・ロン・ポール下院議員は、FRB解体を主張して、911 の再調査を主張/米国でもマードックが手
に入れたマイスペースが、言論統制を開始・・・「FRBという富の搾取システム(2)」より
http://gabrico-ovalnext.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_33b4.html
・WTC での新型核兵器使用の可能性/「全ての混乱の始まりとなった、ヤラセ・テロ「911」から 6
年/2007 年 9 月 15 日リチャード・コシミズ東京講演会『アジアの平和に必要なのは何か?』」より
http://video.google.com/videoplay?docid=-3859363222910740882&hl=en#
・イラン大統領が国連演説では2001年9月の911米同時多発テロについて、「米政府内の一部
セグメントが攻撃を画策した」とする陰謀説を展開/2010.09.24 CNNニュース「イラン大統領が国
連演説で陰謀説展開、米など抗議の退席」より http://www.cnn.co.jp/world/30000309.html ・「「911は自作自演だ!」CFR 本部ビルの前で、デモ・抗議集会」より 2007/12/04 zowgen
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=682082 ・この Youtube は No.0~No.9 まで延々と続く「911 の嘘をくずせ-ルースチェンジ2 完全字幕版
No.0 」より http://www.youtube.com/watch?v=NoSY9Tw2j1I&feature=related ・Syzmanski や Bloom は911はバチカンーイエズス会とその下に蝟集する秘密結社連合、つまり
キリスト教系超巨大カルト勢力の仕事だという立場だ/「欧州で米財務長官が資金洗浄容疑で逮
捕された?ワンタ事件:闇の勢力にごっつあんされたか3000兆円」 より
http://www.asyura2.com/07/revival2/msg/104.html
注)その他いっぱいありすぎて掲載するのも大変!お暇な方は探してください。しかし、この問題
は氷山の一角だ。本当の問題はその奥にうごめいている世界を影で動かしている勢力にある。そ
の意味で911事件は唯単なる入り口に過ぎない。911事件の真相にむやみに深入りして、その問
題で時間を奪われることのないようにすべきである。われらは911自作自演事件を入り口として、
そこに留まらずその奥の世界に入って行くことにする。
<2> 影の黒幕、古代バビロニア発祥の金融を応用したユダヤ
人
<2-1> 影に存在する黒幕とは
一体どこから話していけばいいのか分からない程、あらゆる問題にクビを突っ込んでいる人たちの
集団がある。首を突っ込んでいるというよりは、彼らの勢力によって多くの問題が引き起こされてい
ると言うべきであろう。それを一言で言うのは余りにも茫漠としすぎていて不可能に近いようだ。ここ
でしようとしていることは、彼らの実態を詳細且つ正確に語ることではない。ここでなしたいことは、
歴史的事実の概略の動機の観察だ。歴史の対極的観察の上に立って、その奥に潜んでいるであ
ろう「動機」や「目的」の本音に迫ることにある。さらにその奥に隠されている世界の本質に迫ろうと
するものだ。
911事件(それだけではなく歴史上様々な問題)を裏(本音)で計画し、操り、利用する人たち。さ
らに彼らと同根の様々な勢力。さらには同様の意識にどっぷりと使っているが、全くそのことに気づ
かずにいる多くの人たち。時には同じ目的のために協力し合い、時には自己の利権のために相
手の利権を奪うための策略と行動をする人たちだ。彼らの目的はかなり単純にみえる。自分たち
の目的と利益のためには、他の全てを犠牲にし得る精神構造を持ち合わしている。
彼らの実態を間違いを恐れず、ざっくりと紹介してみよう。
1.国際金融組織(ヨーロッパ系ロスチャイルドグループと、アメリカ系ロックフェラーグループ)との
主導権争いと世界覇権。とも言われているが、ロスチャイルドの方が圧倒的な資産力があり、ロック
フェラーの敵ではないらしい。21世紀初頭その決着がついたともいう。(彼らの奥に金融を牛耳る
黒幕的存在があるという見方もある・・・例えばスイス銀行家、その他隠れた資産家等々)
2.フリーメイソン、イルミナティ、ユダヤ系シオニズム、アングロサクソン系キリスト教原理主義・・・表
の社会には現れない訳の分らぬ秘密集団による権力争いと世界覇権。(なにしろ彼らはその実態
を隠したがる、それをカモフラージュするための偽装の手段は多岐に亘っている)世界的な政治
的、経済的、文化的な様々な公的機構の多くは、彼らのカモフラージュ、さらには彼らの道具とし
て利用されている。
3.上記1.の国際金融組織と、2.の秘密集団(秘密結社)とは入り乱れて色々な顔を覗かせる。
彼らは主に改宗ユダヤ教徒(白人系)、アングロサクソン系で、ユダヤ教、キリスト教を装っているが、
ユダヤ教、キリスト教の真の信仰者とは言い難い。真の信仰者は愛を生活に生かすことを主たる
目標におき、自己の強欲に基づく行為を厳に戒めるはずである。『シオンの議定書』
(http://www.anti-rothschild.net/truth/part2/find.html)はユダヤを攻撃するため当時のロシア秘密
警察が捏造した『史上最悪の偽書』とも言われているが、それほど強烈に否定したがるところを見
ると、逆にまんざら嘘ではなさそうだ!と思えてしまうのは不思議だ。※真のイスラエル民族の子孫
が今地球上のどの場所でどのような宗教、生活スタイルを維持しているかについては、はっきりさ
れていない。世界中の民族と同化しており、多岐に亘る。現在の一般的にユダヤ人と言われてい
ても、彼らだけがイスラエル民族ではないことを理解しておくべきだろう。
注)ユダヤ民族という使われ方は適当でない。イスラエル民族とユダヤ人とははっきり分けられるべ
きだろう!ユダヤ教に改宗すればユダヤ人になるというユダヤ教独特な考え方があるために分り
づらくなっている。厳密にはカナンの地に発生した古代イスラエル民族とユダヤ人とは同じ意味で
はないのだ。
4.彼らの勢力は、金融(銀行)の独占を元として、その国々の政治、経済、軍事、エネルギー、資
源、食料、産業、教育、マスコミをことごとく、自己の権力基盤確立の道具として利用しようとしてい
る。勿論例外もあるが、世界のほとんどの国の中央銀行とその傘下にある銀行は彼らの勢力下と
見てよいだろう。
5.さらに全世界の国々と人類を自己のコントロール下におくことを目標としている。そのために(1)
金と貨幣の掌握、(2) 戦争・紛争の計画と実行(戦争は最も儲かるビジネスだからだ)、(3) その国
の固有の文化、宗教の断絶、解体、(4) 世界の人口の削減計画と実行、そのためのエイズ・細菌
による人工感染の計画と実行、(5) 気候変動の画策、等々。さらにはマイクロチップの人間への埋
め込み等による個人のコントロールも計画の内にあるという。なにしろこの勢力はやたらと他人を支
配したがる。
6.EU統合、ユーロの統一貨幣を皮切りに、世界中を統合して統一国家、統一貨幣をもくろんで
いる。NWO(ニューワールドオーダー「新世界秩序」)が当面の彼らの目標といわれる。
<2-2>古代バビロニアから始まった物質文明の象徴・・・・「お金」と「銀行」
彼らはヨーロッパ、アメリカを中心として、様々な計画を実行しているが、何と言ってもその中心とな
るのは、金融機関を使ったその国々での「お金」の掌握だ。各国の中央銀行を握ること、すなわち
国際金融組織の影響下に置くことが最大の目的となる。一国の中央銀行を自身の国際金融機関
の支配下のおくことによって、その国の政治経済を掌握することが可能となることを彼らはよく知っ
ているのだ。
<<私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことは
どうでも良い。>>
これは 1790 年、ユダヤ系ロスチャイルド財閥の祖マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの言葉であ
る。 ロスチャイルドは一国における通貨発行権の絶大な価値を知っていたがために、代々この計
画を秘密裏に実施し続けてきた、というわけである。
しかし、この「お金」と「金融」を支配するという起源は、古代バビロニア地方に発達した人類最古の
文明に見られる。古代バビロニア文明(シュメール文明、メソポタミア文明)は地球で始めて現れた
高度文明と言われている。そこで既に始まっていた金融の考え方を後のユダヤ人達が巧みに応
用したのではないだろうかと推測できる。
1815 年以後、ロスチャイルドはイングランド銀行を支配下に置き、大英帝国の通貨発行、管理権
を手中に収め、 1913 年米国FRBを設立しロスチャイルドは米国の通貨発行、管理権をも手中に
収めた。 21世紀初頭の地球にあって、中央銀行がロスチャイルドの国際金融組織の影響下に置
かれていない国は、アフガニスタン、イラン、イラク、北朝鮮、スーダン、キューバ、リビアの7ヶ国で
あったが、イラク、アフガン侵略によって、残りは5ヶ国に減少したことになる。(A・C・ヒッチコック著
「サタンのシナゴーク」より)
米国によって悪の枢軸、ならず者国家と呼ばれている国が、今までロスチャイルドの影響下に置か
れていない、残された国ということになる。米国の武力行動のターゲットとなっている「ならずもの国
家」と、ロスチャイルドの中央銀行支配戦略とのこれほどの一致、いったいこれは何を意味するの
だろうか?ブッシュが世界に向けて叫んだ「ならず者国家」とは、「国際金融勢力の傘下に入らず、
彼らの言うことを聞かない」という意味と解釈すればその意味が理解できる。その意味からすれば、
「ならず者国家」はなかなか気骨のある人たちとも言えなくもない!確かに彼らの個性は強そうだ。
世界最大の軍事国家米国の軍事行動を、裏の勢力が操っていると考えれば自然とつじつまが
合ってくる。彼らは着々と壮大なる目的に向かって、世界の主要政府、軍事力を動かし、強大なる
金融力のもと、政治家、軍事力、マスコミ、財界を使って意図的に行動を推し進めているのだ。
通貨発行の権限はその国の政府にとって最も大切な権利である。この通貨発行の権限を支配下
に治めることによってその国を支配できるのである。全ての国の貨幣発行権と管理権を掌握し、最
終的に世界統一通貨を作り、その貨幣発行権と管理権を握れば、彼らの長年の計画はついに達
成するというものだ。
最近、米国の大統領たちは口をそろえて言い始めている。「ニューワールドオーダー(新世界秩
序)」。全世界の通貨を統一し、その統一貨幣の発行権を握れば、世界を手中に収める事ができ
ると彼らは真剣に考え且つ実行している。米国の歴代の大統領たちは、国際金融組織、フリーメイ
ソン、イルミナティの上部組織からの手先として動いているということは満更嘘ではあるまい。米国
大統領たちは、その奥の支配者層によって描かれたシナリオの忠実な実践部隊の司令官というと
ころだ。
闇の支配層の目的と利害に反する行動をした大統領は暗殺されている。米国で暗殺された二人
の大統領、リンカーンとケネディがそれだ。 「FRBという富の搾取システム(2) http://gabricoovalnext.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_33b4.html 」には次のようにある。<<国家負債の
ための利子付き債権の発行の立案を拒んだリンカーン大統領が暗殺され、後を継いだアンド
リュー・ジョンソンは、即座に同法案に署名している。これにより「利子付き債権」を引き受けたのは
ロスチャイルドを中心としたユダヤ金融資本で、米国を乗っ取る足がかりを持ったことになる。>>
またケネディも同様だ。同サイトに次のように書かれている。<<1963 年6月4日、ケネディ大統領
は、FRB抜きで通貨を発行する権限を政府に与える Executive Order 11110 に署名した。これによ
り、11 月 22 日に暗殺されることになった。また、ケネディ大統領は、ベトナム戦争に反対(米軍事
産業の利益に反する)、麻薬撲滅(世界最大の麻薬取り扱い組織であるCIAの利益に反する)、イ
スラエルの核査察を主張(イスラエルの利益に反する)などを主張して、米国の実質支配者にとっ
て、はなはだ厄介な大統領だった。/なお、Executive Order 11110 は今でも有効だが、それを行
使した大統領はいない。>>
ケネディ家もやはり金融で財を成したが、JFケネディは気骨のある政治家だった。大統領になって
からは国際金融組織の言うことを聞かず、政府に通貨を発行する権限を与えた。そして殺された。
彼は米国史上最後の国民側に立った政治家だったとも評されている。ケネディ家は積極的に政
治家を目指した。しかし後のケネディ家の人たちも続けて不審な死を迎えることとなる。不審な死
の疑惑は今も語り続けられている。
<2-3> 「お金」と「金融」を使った世界覇権の行動原理
世界の権力を手中に収めようとする一部ユダヤ人たち(改宗白人種ユダヤ人)の行動原理は、旧
約聖書創世記 第34章の「イケムでの出来事」にその原型があると言われている。一言でまとめて
しまえば、「欲しい」という人の欲望を逆手にとり智慧暴力を駆使して敵対者を壊滅するのだ。この
ことは大切な意味を隠している。「欲」がある場合には、より智慧と策略の優るものによってその
「欲」のために滅ぼされるということを意味している。
その手法はこうだ。人の欲望に付け込んで相手に甘い誘惑を提供し、それに乗った後にあらかじ
め仕組まれた作戦で相手を弱らせ、弱りきったところを全て滅ぼして、財産、人身の全てを奪うの
だ。
具体的に先日起きたリーマンショックに当てはめてみる。サブプライムローンで簡単に土地建物が
手に入るという幻想的誘惑(人の欲望に付け込んだ甘い誘惑)を提供し、サブプライムローンの証
券化と住宅バブル崩壊、それに伴うリーマンショックと世界的な経済危機(あらかじめ仕組まれた
作戦で相手を弱らせ)を起こし、返せなくなったところで担保の土地財産を全て奪い、負債だけを
相手に負わせる(弱りきったところを全て滅ぼして、財産、人身の全てを奪う)のだ。
なにしろ、彼らの鉄則は銀行、金融機関から儲かる話、得する話を持ちかけ、借金(ローン)を組ま
せることにある。この方法はありとあらゆるところで応用されている。個人に対しては物欲と生活向
上の幻想を持ちかけた銀行ローン、土地購入ローン。企業に対しては会社、工場の拡大神話によ
る資本の提供。国家に対しては戦争と国民福祉という物質神話に基づく国債の発行。・・・社会の
隅々まで借金の仕組みが染みとおっているのだ。
旧約聖書はキリスト教の新約聖書に対して呼ばれるものだが、ユダヤ教では「タナハ」と呼ばれる。
ここでは「タナハ」と呼ばず、「旧約聖書」と呼ぶことにしよう。この旧約聖書創世記第34章の「イケ
ムでの出来事」 はまさに、世界の金融を支配しようとする一部ユダヤ人(イスラエル人とは別と認識
してもらいたい)の基本的な考え方を示しているといえる。ここで確認しておきたいのは、「欲」があ
る場合には、より智慧と策略の優るものによってその「欲」のために滅ぼされるという点である。より
巧妙な彼らに支配されるのは、我々の「欲」であるということを明記しておきたい。
<2-4>古代イスラエル民族とユダヤ教、ユダヤ人の関係について
元々のイスラエル人は紀元前 1900 年頃アブラハムがバビロニア地方からカナン(現在のパレスチ
ナ)に移住したことに始まっている。(アブラハムの妻サラもバビロニア地方出身、その子イサクの
子がヤコブ、後のイエラエルとなりその子孫がイスラエル 12 支族となる。一方アブラハムがエジプ
ト人奴隷のハガルに産ませた子イシュマエルがアラブ民族の祖となった。)イスラエル 12 支族はダ
ビデ王、ソロモン王時代には国家統一を果たし栄華を誇ったが、その後二つの国家に分裂し、紀
元前 721 年にイスラエル王国が滅亡し、さらに紀元前 586 年ユダ王国が滅亡した。12 の支族の内
10 の支族は歴史から姿を消している。(失われたイスラエル 10 支族として現在まで大きな謎だ)
このようにイスラエル人は元々バビロニア地方から出た非白人(オリエンタル)であり、白人種では
ない。白人種のユダヤ人が現れたのは、紀元8世紀にユダヤ教(ユダヤ教はユダ国の滅亡後に確
立したと言われている)に改宗したハザール帝国の末えいアシュケナジー系ユダヤ人(アシュケナ
ジーム)といわれている。
さらにユダヤの世界で権力を牛耳っているのは、ハザール西方のユダヤ改宗ガリチア人であると
もいわれている。特にガリチア人は<<概して洗練されたものには関心がなく、平然とうそをつくし、
信念よりも物質に重きを置く。おまけに地縁、血縁を軸とした派閥意識がきわめて強く、何かという
とすぐに手を結びたがり、互いにかばい合う。ことごとくがガリチアの出身者ではないだろうが、しか
しこれらの特性を持ち合せていさえすれば、まずガリチア人といってよかった。>>(ユダヤ人作
家ジョージ・ジョナス著『標的は11人──モサド暗殺チームの記録』より)
現在の一部ユダヤ人として裏世界で暗躍している人々が、イスラエル民族とは別であると言える。
そもそもイスラエル民族とユダヤ人とは別のものだというは理解する必要がある。
余談になるが、失われたイスラエル 10 支族、さらにイスラエル 12 支族は、シルクロード等を経て日
本に到着し、日本の各部族、さらに神武天皇の建国に至ったという興味深い説もある。確かに
様々な情報を覗いて見ると、日本の文化伝統と古代イスラエル(古代ヘブライ)の文化、宗教観と
極めて似ていることが分る。ここでは日本民族とイスラエル民族の関係について検討する場ではな
いので、詳細は省くが、我々日本人にとってもユダヤ問題は他人事ではけっしてないようだ。
因みに、日本語のカタカナのルーツ はヘブライ語を起源としているといわれているし、地方の民
謡の意味不明な言葉はそのままヘブライ語で意味をなすものもある。興味ある方は、ネットで探し
て見られるとよいだろう。
「ユダヤ人」の90%はタタール系ハザール人だった
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb615.html
偽ユダヤ人はハザール人 http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55069669.html#
<3> 旧約聖書(タナハ)の解釈で運命が変わる
<3-1>旧約聖書(タナハ)を信ずるユダヤ人
ユダヤ人に象徴される古代バビロニアから始まった物質文明と、世界覇権を握ろうとする勢力の存
在について前章で述べた。我々の知ろうとしていることは、具体的にどの勢力がどのような力の行
使をして、どのように世界覇権をたくらんでいるか?などという研究ではない。我らの目的とすると
ころは、彼らの勢力に留まらず、現在の地球人類が少なからず抱いているそのような思想、考え方、
生き方が何故起こり、どこにその真因があり、どのようにすればその問題を解決し得るか?という点
にある。
この人類が抱えている問題を最も象徴的に持つユダヤ人のルーツを探る必要があると考える。彼
らユダヤ人というよりは、ユダヤの教えを忠実に携えている人たちというべきである。つまり旧約聖
書(タナハ)を信ずる人たちである。元々のオリエンタル(非白人)のイスラエル民族であるないに
関わらず、たとえハザール人や、ガリチア人等をルーツに持つ白人種等であっても、旧約聖書を
その教えの中心として信仰を持つ人たちの思想に大きく影響を及ぼしているのは、まさしく旧約聖
書といえる。
ユダヤ教で呼ばれている「タナハ」は、「旧約聖書」とほぼ同じといえる。
注)ユダヤ教におけるタナハとは・・・・タナハ(トーラー、ネイビーム、クトビーム)で構成され、キリス
ト教で呼ばれている「旧約聖書」とほぼ同じものと言える。
〔トーラー〕 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記
〔ネイビーム〕ヨシュア記、サムエル記、列王記、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ホセア書、
ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、ハガイ書、
ゼカリヤ書、マラキ書
〔クトビーム〕 詩篇、箴言、ヨブ記、雅歌、ルツ記、ルツ記、哀歌、コヘレトの言葉、エステル記、ダ
ニエル書、エズラ/ネヘミヤ記、歴代誌
<3-2>旧約聖書「天地創造」の意味と、「神」と「主(主なる神)」について
旧約聖書創世記「天地創造」には次のような記されている。
<<1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造さ
れた。 1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、
空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種
を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物と
なる。1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよ
う。」そのようになった。 1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極め
て良かった。夕べがあり、朝があった。>>
<<2:1 天地万物は完成された。 2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、
神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。 2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息
なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。>>
さらに第2章4節からは、
<<2:4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、 2:5 地上にはまだ野の
木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また
土を耕す人もいなかった。 2:6 しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。 2:7 主な
る神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうし
て生きる者となった。 2:8 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置
かれた。 2:9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生え
いでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。>>
創世記第1章、並びに第2章3節までの神は次の通り、「神」(God)とあり、6日間で天地創造を完
成され、7日目には安息されたとある。そこまでの創造は「神」(God)であり、その「神」の高次元世
界の創造の記載は、以後旧約聖書には出てこない。
それに対して第2章4節以降では「主なる神」(Yahweh God )、もしくは「主」(Yahweh)が登場し、
以後の旧約聖書の記述のほとんどは「主なる神」(Yahweh God )、もしくは「主」(Yahweh)となって
いる。
「主なる神」(Yahweh God )は、「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が
地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。」として改めて水を潤
して動植物とアダムをつくっておられる。これは一体どういう意味なのか?
第2章3節までの天地創造は、神(God)の理念的存在として創造せられたという意味と考えられる。
理念的ということは実在しないという意味ではなく、「より高次元の存在」という意味である。「神はお
造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」言われている。すなわ
ち完璧な世界であった。
それに対して第2章4節以降の神の行為は、既に創造された理念的(高次元的)存在を雛形として、
物質的次元の三次元世界にも形あるものとして展開せられたと解釈できる。それは「土の塵で人を
形づくり」とあるように肉体人間である。しかし「その鼻に命の息を吹き入れられた」とあるように「命」
が入っているのである。
「命」とは一体何か?それは「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造され
た。男と女に創造された。」ところの人の理念的存在、より高次元の存在、すなわち「人の生命」で
ある。天地創造で既に完成せられた「人の理念的存在(高次元的存在)」すなわち「生命(命)」が、
土の塵で作られた肉体アダムとして物質世界にも形を現したことを示していると言える。高次元の
人の生命が、物質的次元の三次元世界に天下って、肉体人間となったのだ。
<3-3> 「ヤハウェ(エホバ)」は三次元物質世界の創造の絶対原理
ここでいう「主なる神」「主」として表現されている神を、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では「ヤハ
ウェ」「エホバ」と呼び、唯一絶対神としている。この「ヤハウェ(エホバ)」は物質世界である三次元
世界の創造の絶対原理と考えるべきではないだろうか?その理由を掲げる。
(旧約聖書創世記第一章)
<<2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。2:17 ただし、善
悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」>>
<<3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」3:2 女は蛇に答えた。「わたし
たちは園の木の果実を食べてもよいのです。3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、
食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知
るものとなることを神はご存じなのだ。」3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き
付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を
覆うものとした。3:8 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女
が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにい
るのか。」3:10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れておりま
す。わたしは裸ですから。」3:11 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食
べるなと命じた木から食べたのか。」3:12 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてく
ださった女が、木から取って与えたので、食べました。」3:13 主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」3:14 主なる神
は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。3:15 お前と女、お前の子孫と女の
子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」3:22 主なる
神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木か
らも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追
い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。3:24 こうしてアダムを追放し、
命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。 >>
1.創世記第2章3節までの神は「神」(God)とあり、6日間で天地創造を完成され、7日目には安
息された。すなわち高次元世界は<<1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見
よ、それは極めて良かった。>>とある通り、完璧な世界である。
2.しかし創世記第2章4節以降の地上(物質世界)の再創造においては、「主なる神」(Yahweh
God )、もしくは「主」(Yahweh)となっている。
3.<<2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。2:17 ただ
し、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」>>とあるが、
「死」の概念を始めて植えつけているのがヤハウェ(エホバ)である。と同時に「食べてはならない」
という「否定」「命令」の概念を持ち込んでいる。さらに「食べると死ぬ」という「約束」「因果の法則」
さらには「恐怖」の概念を植えつけている。これらの概念は三次元世界、物質世界の概念そのもの
である。
(注)「死」の概念は物質肉体レベルにしか存在しない概念である。「否定」は絶対善の広大無辺
の神の概念を矮小化している。「命令」は支配被支配の上下関係の概念であり、絶対愛の神の概
念から逸脱する。「約束」は条件を前提とした拘束であり絶対自由の神の概念を逸脱する。「因果
の法則」は過去、現在、未来という一方向に流れると考える物質世界(三次元世界)における生成
化育の基本原理である。高次元においては時間空間を超越し、三次元的因果関係とは自ずから
異なる。「恐怖」は絶対愛、絶対赦しの神の概念とは全く異なる。自他分離、敵の存在を前提とし
た弱肉強食の物質的概念に基づいている。
4.<<3:15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕
き/お前は彼のかかとを砕く。」>>「敵意を置く」とし、初めて「敵」の概念を植え付けている。敵
の概念はやはり三次元物質世界の自他分離、エゴから生れる概念的存在である。高次元の生命
的世界では自他分離、敵の概念は存在し得ない。高次元世界の原理は「一体」であり「愛」なのだ。
同時に「争い」「殺し合い」の概念までも植えつけている。これもやはり三次元物質世界での一大
特徴だ。
5.<<3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を
伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」>>「我々の一人」とい
う表現は「三位一体」風に色々と解釈されることがあるようだが、まさしく「我々の一人」であって、あ
らゆる次元を超越した絶対神としての神でないことを暗に示しているといえる。すなわちヤハウェ
(エホバ)は限定された次元世界における神と解釈できる。
6.<<3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を
伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」>>人間が神と同様に
善悪を知る者となったということは、本来なら喜ばしきことであろう。例えば子が親の如くに成長した
なら、親は子の成長を喜ぶであろう。それに対して、エホバは「手を伸ばして命の木からも取って
食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」として人間が命の木の実を食べ、永遠に生きる者とな
ることに抵抗しようとしている。この概念は所謂「エゴ(自我)」的発想と言える。その意味において
ヤハウェ(エホバ)は三次元物質世界の最大の特徴とも言い得る「エゴ(自我)」を象徴化したものと
解釈できよう。
7.<<3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し>>エデンの園(楽園)を追い出す必要
がどこにあろうか?このように楽園から「追い出す」という行為は、人間社会においても下劣な行為
と言える。このような「復讐」「罰」の概念はこのヤハウェ(エホバ)から発生したと言えよう。このような
「復讐」「罰」の概念は、敵の存在、ねたみ、支配被支配、約束、等の観念の存在しやすい物質三
次元世界のさらなる特徴と言える。所謂「因果の法則」、「自他分離、敵の存在」、「エゴ(自我)」に
支配されている物質三次元世界から生じる特徴である。
(注)「復讐」は嫉妬、ねたみ等「自他分離」の概念である「エゴ」から生じる。「罰」は因果の法則、
罪あり、死ありという三次元物質世界特有の概念ともいえる。
このようにヤハウェ(エホバ)は三次元物質世界の創造を司る神であると考えられる。三次元物質
世界での生成化育、すなわち時間の一方的な過去から未来に向く因果律を利用した進歩発展と
いう世界の創造においては、上記に上げたような「否定」「命令」「約束」「恐怖」「死」「敵」「争い」
「殺し合い」「エゴ(自我)」「復讐」「罰」「自他分離」「罪」等の概念が自然に現れながら、弱肉強食
的要素を取り入れながら創造が進められる、と観察されるのだと考えられる。その三次元的創造の
原理を取り仕切る象徴として表現されているのがヤハウェ(エホバ)である。
しかし、それはあくまで三次元物質世界の進歩発展的捉え方をした場合に通用する概念であり、
さらに高次元世界においては通用する概念ではないのである。さらに高次元世界から見るならば、
一方的時間経過を前提とした進歩発展という概念自体存在し得ないであろう。
我々三次元世界の表現体である肉体人間が感じている「時間」は、あくまで三次元世界風の捉え
方(翻訳)であるのであって、高次元に行く程度に応じて、時間の概念と捉え方と意味が違ってくる
ことになろう。この三次元的時間の概念が絶対であるという固定観念が全ての問題を複雑にし、解
決不可能な泥沼に自らを追い落とすのである。
この項でのテーマはヤハウェ(エホバ)の概念についての考察であるので時間についてはおいお
い語るとして、結論的に言えばヤハウェ(エホバ)は三次元的物質世界の創造の神であり、三次元
物質世界特有の概念を全て持ち合わした神であるということである。しかしながらその存在が「良
い」「悪い」の問題では決してないということを肝に銘じておくべきである。
「良い」「悪い」を超えて、三次元物質世界への創造のために、ヤハウェ(エホバ)を理解し受け入
れ感謝の気持ちで自らの創造の土台とすべきと考える。決して恐怖したり排斥したりする存在では
ないのだ。勿論三次元物質世界の管理者たるヤハウェ(エホバ)を究極の絶対者として単純に鵜
呑みする必要もないのである。逆にヤハウェ(エホバ)を正しく理解し、高次元の愛と知恵をもって
受け入れることによって、自らの高次元存在を発見し自己表現するためにヤハウェ(エホバ)は存
在してくれていると考えるべきと思う。
自らが三次元的物質人間であるという自己限定の意識でヤハウェ(エホバ)を見る限り、ヤハウェ
(エホバ)は恐怖とねたみと復讐と支配被支配、契約の神として自らを支配し続けるしかないであろ
う。それは畢竟我々一人一人の自己認識の問題に帰するのである。決してヤハウェ(エホバ)のせ
いではないのだ。
<3-4>ユダヤ教を信ずる民は旧約聖書の予言を自ら再創造している
ヤハウェ(エホバ)が三次元物質世界の創造に関わる絶対神的な概念であることをご理解いただ
けただろうか?この理解は極めて重要なことである。人は信ずる通りに世界を創るというのは真実
であると言わざるを得ない。
それは彼らユダヤ人(真のイスラエルの血を引く民族かどうかは別として)が、地球上で最も迫害さ
れた民族の歴史を持っているのは何故であろうか?そのような民族の記録(もしくは予言)の書で
ある旧約聖書を信じているからではないだろうか?前述の通り、白人種のユダヤ人は基本的には
古代イスラエル民族の血統ではないことは多くの調査で証明されている。現在ユダヤ人といわれ
ている人達の約90%がアシュケナジー系ユダヤ人(アシュケナジーム)といわれている。そして世
界中で迫害にあっているその多くがこの白人系ユダヤ人である。
繰り返すが白人系ユダヤ人たちのルーツは古代イスラエル民族の祖先たるアブラハムやヤコブ
(イスラエル)の血は流れていないと考えられる。ハザール人やガリチア人たちがユダヤ教に改宗
しただけのことである。しかし、ユダヤ教に改宗したということは、旧約聖書を信じているということだ。
当然旧約聖書の思想の影響力下に置かれる事になる。
血統は勿論大切であろうが、さらに大切なことは日々接し、自らが信ずる思想が如何なるものであ
るか、というところにある。その点信仰の対象たる聖書の言葉は重大な意味を持つ。旧約聖書に記
載されたる言葉と思想が、一人一人の日々の想念、運命を創り上げることになる。その人が、また
その民族が最も大切にする言葉、思想、予言、それに基づく行動によって、明日の運命が決定さ
れるのである。
旧約聖書にはユダヤの迫害された歴史と、未来への希望(予言)が記されている。そこに記されて
いる思想は「民族の敵の存在」と「その敵(他民族)からの迫害」が綴られた壮大な物語である。そ
して、民族の復活の希望としての国家再建の預言書である。その預言書の根底に流れているのは、
自他分離、エゴ、罪、罰、追放(エデンの園からの追放)の概念であり、他民族に対する敵対心と
怨念の上に築かれた争い、弱肉強食、戦争、支配被支配等の概念なのだ。
何故ユダヤの人々は、「敵を作り」「茨の道を歩み」「他民族を支配し」続けるのだろうか?これはそ
の民族が何を信じているか、その人が何を信じているかによるのである。彼らの信仰の基盤は旧
約聖書である。そして創世記第一章天地創造までを支配してきた「神」ではなく、その後に登場す
る地上創造の三次元物質世界の創造基盤であるヤハウェ(エホバ)神を唯一絶対神として信仰し
ているところに、我々は注意をしなければならないのである。
信仰に対する強い信念がある程度に応じて、彼らが信じる通りに、彼らの運命は形作られていくこ
とは明白と言わざるをえない。彼らはヤハウェ(エホバ)を絶対視する強烈な信仰を持ち続ける宗
教を自ら創り上げたのだ。そして旧約聖書に書かれた彼らの解釈通りの運命を自然と築き上げた
のだ。
<3-5>東方に移住したイスラエル失われた支族の行方と彼らの信仰する神
果たして全てのイスラエル民族の血統を持つ人々が、旧約聖書のような敵対的、迫害的、支配被
支配的運命を築いただろうか?いやそうではない。イスラエル統一王国は紀元前数百年頃、北イ
スラエル王国と南ユダ王国に分裂しその後共に消滅離散した。「イスラエル失われた 10 の支族」と
言われている北イエラエル王国の人々や、南ユダ王国の一部の人々は、シルクロードを通って地
元の民族と融合しながらも、前述の通りはるばると極東の島々(現在の日本)にたどり着いたと考え
られる。
古代イスラエル民族国家が消滅し、その末裔が日本に来たのではないかという考え方については、
一般歴史書では語られていないが、以下の様々なウェブサイトにおいてかなりの信憑性を持って
証明されつつある。またシュメール文化との関係も深いと考えられている。シュメールはバビロニア
地方の古代国家であり、イエラエル民族の先祖であるアブラハムとその妻サラはバビロニア地方か
らカナンに移り住み、その子孫が古代イスラエル国家を作った。
日本も古代イスラエル民族も共に黄色民族であり、イスラエルの失われた 10 支族に関する調査機
関であるアミシャーブ(Amishav)の最高責任者ラビ・エリエフ・アビハイルは、すでに日本の各地
へ赴き調査を続けている。古代イスラエルの民が古代日本の先祖となった可能性は大であるとい
うことだが、日本に移り住み古代イスラエル民族の文化と血統を保持しつつも、日本の自然や独
自の神道を築き、仏教、儒教をも取り入れていったと考えられる。
一方、中東、ヨーロッパに残ったユダヤ人はその後ユダヤ教を確立し、旧約聖書に基づくユダヤ
教を信仰し続けた。一方日本に移住した古代イスラエル民族は、後に旧約聖書として編成される
トーラー(モーセ五書)あたりは口伝等で伝わったかもしれないが、文書として系統だった旧約聖
書は後の時代に伝えられたと考えるのが自然と思う。
古代イスラエルのエルサレム神殿の内部には、三種の神器(十戒の石の板、アロンの杖、マナの
入った壺の三つの神器)が置かれていた。そして天皇家に伝わる「三種の神器」との微妙な共通
性も噂されている。すなわち古代イスラエル民族は信仰の対象となる神を象徴する神聖なる神器
を祭っていたのである。
ということは、日本に移住した古代イスラエル民族は、古代エルサレムの神殿での祭司の形式と、
当時の信仰、文化、伝統を日本にもたらしたのであり、当時まだ編纂されていなかった旧約聖書
は伝えていなかったと考えられる。(一部トーラー等の口伝は伝わった可能性はある)
日本に移住した古代イスラエル民族は、当時の古代イスラエルの信仰、祭司形式、文化、伝統を
日本で伝え続け、二千数百年の時間が流れた。その間旧約聖書を信仰することはなく、日本独自
の神道の形で自然との一体感を持つ信仰に変移してきた。もはや日本に移り住んだ古代イスラエ
ル民族は、他民族とも同化つしし日本民族となり、天皇中心の国家と、偶像崇拝でない神道を作り
上げたと考えられる。
ここで申し上げたいことは、旧約聖書に依存せず日本民族化した古代イスラエル民族は、旧約聖
書特有の敵対的、迫害的、支配被支配的運命の道を歩まなかったということである。勿論一部に
はそれらの要素が全くないわけではないが、排他的でない、融和的、温厚な民族の歴史を築いた
と言えよう。
すなわち、イスラエル民族の血を引いていても、信仰する対象たる神の概念、自然に対する受け
止め方等によって、民族の性格は大きく変わり得るということである。一方古代イスラエル民族の血
でなくとも、ユダヤ教の旧約聖書の神を信仰する白人種のアシュケナジー系ユダヤ人(アシュケナ
ジーム)は、永年にわたり他民族から迫害を受けた。
このことでも理解できる通り、信仰する対象たる「神」がどのような神であるかによって、その人、そ
の民族の運命が変わることが分る。
日本とユダヤのハーモニー http://judea.naritacity.com/index.asp
ユダヤと日本の風習 http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/usi2.html
「契約の箱」の行方 http://www.ican.zaq.ne.jp/rekishi/episode16.html
続神代文字考 http://www.teizan.com/yukai.jindaimoji%202.html
天皇家 もう一つの紋章 http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/244.html
世界史最大の謎の1つ 失われたイスラエル10支族の謎とは?
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb111.html
日本神道のルーツは古代イスラエル宗教 http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/091shintou.htm
古事記とシュメール語(日本人はシュメール人だった)
http://tokatu1.at.webry.info/200912/article_7.html
江戸川乱歩も驚いた!? シュメール語訳『古事記』の謎 http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikokudenmo/html/history/honbun/kojiki.html
他にも様々な情報があるが、この情報も切りがないほど膨大であり興味も尽きない。さらなる古代
史の新発見、研究、古代文字の解読が、既成概念を捨て去って進むことを期待したい。ここでの
目的は、専門的な古代史の研究の場ではないので、触りだけにしておこう。
この「信仰」の問題はユダヤ人だけのことではない。人類全体の重大問題と言える。人類は「敵を
作り」「物質的栄華を求め」「権力を集中し」「他人、他民族を支配下に置き」そのために「戦争を続
け」「茨の道を歩み続けている」。何故人類は延々とこのような歴史を繰り返すのか?その奥に如
何なる「神」を信仰しているか?という問題が潜んでいるということである。
その意味において、個人が、民族が信ずる宗教の役目は果てしなく大きいのだ。宗教の神を信じ
ようが、無信仰の何かを信ずるにせよ、その人が信じた概念、思想、哲学、考え方、言葉、環境が
その人やその民族の運命を形作っていくからである。
<4> 次元降下宇宙による創世記解釈
<4-1> 次元降下宇宙
ユダヤ教において如何に旧約聖書、並びにそこに書かれている神への理解が重大な意味を含ん
でいるか、ということが多少なりとも理解できたところで、いよいよユダヤ人(ユダヤ教)の信仰の土
台である旧約聖書に潜む問題解決の糸口を探ることにしよう。この問題を語る時、神々の世界、眼
に見えざる生命や心や理念の世界に触れざるを得ないことになる。
しかしこの形而上学的宇宙論、神学的宇宙論については、人によって大きく見解が異なることに
なるだろう。この宇宙をどのような宇宙として認識しているかという基本が違うことによって、全く別
の見解が生じ、この文章を読む方々が理解し難い議論の平行線をたどってしまうことになりかねな
い。その混乱を少しでも避ける意味で私の見解を説明するにあたって、私の抱いている宇宙論の
原則を簡単にご紹介しておくことは無駄ではないと思う。
私の持つ見解は宇宙を次元降下宇宙によって構成されているとする考え方から発している、という
ことを事前にお断りしておきたい。下に述べる宇宙論は、あくまで私の考える宇宙論に対する見解
である。
1.宇宙(全ての存在)は多層的な次元によって構成されている。 この世界が何次元まであるか?
という問題はここでは触れないでおこう。というよりは明快な証拠や説明するに相応しい明快な理
解のレベルに私自身が達していないからである。
2.人間の存在は多層的な次元宇宙間に自由に存在し得る力を秘めている。しかし自覚しない場
合には、その認識の枠内で次元束縛という不自由を感じざるを得ない。
3.人間に限らず全ての存在は次元を超えた存在であって、高次元に行くにつれ支配被支配の
概念は存在しなくなり、一体(愛)と無限と自由と創造の意識が強まる。
4.我々が通常認識している次元を「三次元物質世界」と呼ぶことにする。その世界はさらなる高次
元からの投影と考える。その「高次元世界」においては純粋に精神的世界であり、心の活動の場と
いえる。その高次元世界において間断なき創造が繰り返されることにより、その三次元物質世界
への投影が行われる。
5.我々が現在存在していると感じる三次元世界において、ある問題が発生した場合、自己の意
識を高めることによって問題が解決したり消滅する体験を得ることがある。その意味で問題や矛盾
や苦しみ等を感じるということは、自らの次元上昇を自らの高次元的存在が促していることを意味
している。つまり問題、矛盾が起こった場合には、自らが次元上昇するチャンスである。しかし、次
元上昇と見えるのは、自己の意識が三次元世界側から見ている場合に「上昇」と感じるに過ぎない。
実は「上昇」ではなく「次元下降」なのだ。正確に表現するならば、元々高次元には既に存在して
いる「解決」が、三次元意識の執着の解放によって、三次元世界まで「次元降下」したに過ぎない
のだ。常に次元降下(次元投影)的に表現が行われ続けている。逆はありえないという認識である。
6.同様の意味において、この全次元的宇宙(存在の全て)は、常に次元降下的流れが基本と考
える。次元上昇という概念は次元降下の「影」として三次元の我々が認識しているにすぎない。こ
れの意味するところは重要だ。次元上昇という概念に隠されたワナは、自分の立ち位置を低次元
(三次元等)に置いた状態での認識であるところに問題がある。自己の存在を「低次元的存在」と
いうベースを持つ場合、その観念の縛りによる自然な結果として、次元上昇は不可能になるからで
ある。自己の存在が高次元であるという立ち位置に自らを置いた時、その自ずからの結果として、
低次元の自己の認識中にも、高次元的自己の存在が自覚されることとなる。本来の宇宙創造の生
命的エネルギーの流れは次元降下であって、高次元からの認識として宇宙を観察する事によって
のみ、宇宙の認識が可能となり得る。逆はありえないのである。
<4-2>エデンの園の知恵の木と命の木とは何か?
次元降下宇宙という概念に基づきながら、旧約聖書の中から解決のヒントを探っていこう。 もう一
度、創世記の一部を引用する。この部分に全てが隠されていると考えられるからである。
<<2:9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいで
させ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。>>
<<2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。2:17 ただし、善
悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」>>
<<3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」3:2 女は蛇に答えた。「わたし
たちは園の木の果実を食べてもよいのです。3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、
食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知
るものとなることを神はご存じなのだ。」3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き
付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を
覆うものとした。3:8 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女
が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにい
るのか。」3:10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れておりま
す。わたしは裸ですから。」3:11 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食
べるなと命じた木から食べたのか。」3:12 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてく
ださった女が、木から取って与えたので、食べました。」3:13 主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」3:14 主なる神
は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。3:15 お前と女、お前の子孫と女の
子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」3:22 主なる
神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木か
らも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追
い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。3:24 こうしてアダムを追放し、
命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。>>
エデンの園の中央にあるとする「命の木」と「知恵の木」とは何か?エデンの園の記述はヤハウェ
(エホバ)による地上における創造のところで現れている。したがってエデンの園は三次元物質世
界における存在と考えよう。そこに植えられた「命の木」と「知恵の木」は何を象徴しているのだろう
か?
木は宇宙を象徴している存在と考えられる。なぜか?根と幹と枝葉は一体となって次元展開(次元
降下)を行っている。地(高次元世界)にまかれた種が光と熱と水分と大地の栄養によって、蒔か
れた種独特の理念的イメージにしたがって芽を出し、眼に見える三次元物質世界(空気中)に現
れる。見えない次元(地中)に根を張り、そこに存在する養分を幹という次元を貫く縦の中心導体
によって眼に見える世界(三次元物質世界)に現し出す。そして光の方向、天に天にと成長し、光
合成によって命の糧たる酸素を地上に供給し、同時に澱粉を蓄えて地上に益する。花を咲かせ
子孫を繁栄させると共に、果実や種を生み出し動物たちの食料としても提供する。木が朽ち果て
た後は自らの体を大地に返し、さらに大地を豊かにする。
木はあらゆる生命の基本的特徴を持つと共に、次元間の生命的関係を暗示している。故に木は
生命の象徴であり、次元宇宙の象徴と言い得るのだ。
エデンの園の中心にあるとされる「命の木」と「知恵の木」をさらに理解しよう。「命」の特徴は高次
元から低次元への次元降下である。なぜか?生命的活動は高次元の眼に見えざる生命が、低次
元の三次元物質に対しての働きかけと言える。もっと正確に言えば、高次元の生命が次元降下し
て低次元の三次元物質として自己表現したというべきだろう。すなわち「命の木」は生命の次元降
下というこの宇宙の根本原理を象徴していると言える。
これに対して「知恵の木」とは何か?知恵とは宇宙の原理を知ることである。これは誰が知るの
か?三次元物質人間の立場の我が万物の原理(宇宙の本質)を知ろうとすることである。つまり三
次元物質人間の低次元の立場から、高次元の世界を知ろうとする衝動とそのための知恵を意味し
ている。すなわち「知恵の木」は低次元から高次元への次元上昇を象徴していると言える。
ところで真に自己が高次元的存在であることを自覚し体験するためにはどうすればよいかというこ
とが、この創世記には隠されているのである。
(1) 「知恵の木の実」を食べて知識的に自己が高次元的存在であることを知ることが第一である。
知ることによって自己の高次元の本質に帰りたいという強い願いが現れる。しかしながら、その知
識だけでは存在に入ることはできない。真に存在に入るためにはどうすればよいか?
(2) 真に高次元の存在に入るためには、自己が高次元の存在そのものであって、次元降下したこ
とによって現在の三次元的肉体人間として一時的に現れている事実を確認し、高次元の自己の
存在から宇宙を認識する生き方を始めることである。この働きの象徴が「命の木の実」を食べること
なのだ。
そのことを象徴的に記したものが、「知恵の木」と「命の木」であり、その木に実っている「知恵の木
の実」と「命の木の実」を食するということと解釈できる。「知恵の木の実」を食べることによって「知
る」ことはできるが、その「知」を現実のものとするには、「命の木の実」を食べる、すなわち高次元
の自己を生ききることが求められるということを、旧約聖書創世記は人類に教えてくれていたので
はないだろうか?
<4-3>蛇はイブを騙そうとしたのだろうか?
<<3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。>>創世記には、野
の生き物の中で蛇は最も賢い存在とある。蛇は三次元物質の世界での表現体であるが、日本ア
ジアでは蛇は神の使いとして見られているが、古代シュメールにおいては紀元前 3500 年頃の円
筒印章に龍蛇の彫刻がなされている。
旧約聖書民数記第 21 章 <<21:8 主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先
に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」 21:9 モーセは青銅で一つの蛇を造
り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。 >>
旧約聖書の民数記にはモーゼが青銅の蛇を作った記載もある。このように蛇は古今東西神の使
いとしての象徴と見られながら、旧約聖書創世記のアダムとイブに知恵の木の実を食べされた元
凶として、悪魔扱いされていることが多い。
一方蛇と龍は一体的に扱われることが多い。最も旧い古代シュメール文明の遺跡から発見された
先の円筒印章に龍蛇の彫刻からも分るように、龍と蛇は一体として認識されることが多い。勿論、
龍という三次元物質世界における生き物は存在しない。白狐・天狗などと共に龍は霊界の生き物
(自然霊)であるとする考え方は古くから存在する。
一説によれば龍は高次元的存在であり、その龍の三次元物質世界への投影が蛇であるという説
もある。龍も蛇の神の使いとして扱われている。旧約聖書創世記には前述の通り<<野の生き物
のうちで、最も賢いのは蛇であった>>とある。
<<3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。3:5 それを食べると、目が開け、神のように善
悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目
を引き付け、賢くなるように唆していた。>>
蛇がイブに言った言葉は重要だ。「決して死なない」こと。「目が開ける」こと。「神のように善悪を知
るものとなる」こと。すなわち「知恵の木の実」は自己の存在がより高次元な存在であることを思い
出す「知恵」を現しているといえる。
一般的な解釈はどうだろうか?「サタンが蛇に化けアダムとイブを誘惑、神の戒めに反して善悪を
知る知恵の木の実を食べた罪(原罪)でエデンの園を追放される」というあたりがキリスト教的極一
般的な解釈かと考えられる。解釈というのは人により立場により様々である。私にはこの解釈はピ
ンとこない。
色々と意見はあるとして、私の根拠を一覧してみよう。
1.サタンはいただけない。悪魔という考え方は好きじゃない。本来悪魔もサタンも存在しない。悪
なる強力な力の存在を人類が認める程度に応じて、因果律によってありもしない悪魔やサタン的
な存在が逆に現れるように見えるに過ぎない。
2.蛇は真実を伝えたまでだと思う。蛇に人を誘惑する意思はないと考えている。何者かが我々人
類を誘惑すると考えること自体、その奥にこちらが勝手に相手の「悪意」を妄想しているに過ぎな
い。それは解釈側の邪念に過ぎない。「悪意」を邪念する者には「悪意」に相当する環境が投影さ
れることは唯因果律による。
3.「神の戒め」という考え方はしっくり来ない。神が人類に戒めるという概念は人類を神に対する
恐怖の罠に縛り付けるものだからだ。「戒め」の概念には「過ちのないように、前もって与える注意」
という意味がある。「過ちを犯す」という概念自体がそもそも人類を縛り付けるものだ。さらに「戒め」
には「罰、こらしめ」という概念を含んでいる。どれもいただけない。
4.これが「罪」の意識の始まりといわれている。この「原罪」の意識を背負わされて人類がどれほど
苦労させられたことだろうか?「罪」の意識は自動的に「罰」の意識を持たせ人々を恐怖に落としい
れる。本来「罪」とは唯単なる妄想に過ぎない。「罪」などというものは無いのだ。「罪」があると信ず
れば、因果律によって環境に「罪」の如き状況が投影されるに過ぎない。同時に「罰」の妄想が、
因果律によって自己を苦しめる環境を投影するに過ぎないのだ。人類はいい加減、こんなつまら
ないありもしない妄想に操られることから、さっさとおさらばすべきである。
5.「追放」の概念もいただけない。絶対善にして愛なる神であれば、追放などありえないではない
か。
<4-4>「罪」の意味/「罪」を利用したのは誰か?
「罪」について人類の内最も明白に立ち位置にあったものはキリストだろう。キリストは「罪」につい
てどんな考え方をしていたのか?
イエス復活後の言葉<<24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、
24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活す
る。 24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えら
れる』と。エルサレムから始めて、 24:48 あなたがたはこれらのことの証人となる。 24:49 わたしは、
父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていな
さい。」>>とある。
イエスは「罪の赦しを得させる悔い改め」が世界に広がることを聖書を引用して語った。「悔い改
め」とは三次元物質の人間が自分であるという意識から、高次元世界の霊的神人が自分の本来の
姿であることを思い出すことに他ならない。唯単に「悪かった」と誤ることではないのだ。高次元の
自己は神と等しき「愛」「無限」の存在である。元々存在している高次元の自己存在に帰ったとき、
「罪は赦される」つまり「罪はない」と言われたのだ。つまり「罪」は高次元世界では元々存在しない
ことを示しておられるのだ。
十字架上のイエスの言葉にはこうある。ルカによる福音書第 23 章<<23:34 そのとき、イエスは言
われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」>>十字架上
のキリストは無限の赦し(愛)であり無罪であるとする根拠のひとつとなっている。その通りだろう。キ
リストは三次元物質世界にいながら、高次元の神人を自覚していたのだ。高次元の存在にはもは
や「罪」も「罰」も存在しないのだ。
ヨハネによる福音書 第 8 章に<<8:34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す
者はだれでも罪の奴隷である。>>なるイエスの言葉がある。 「罪を犯すものはだれでも罪の奴
隷である」この意味はどう解釈すべきか? 「罪を犯すもの」とは三次元世界にあって高次元の自己
の存在(神人)を忘れているという意味である。高次元においては「罪」は存在しないが、高次元存
在の「無罪」の本質を忘れている場合は、「罪」はあるかの如くに感じられるのだ。「罪」の意識は、
高次元の聖なる自己存在(愛・神人)とのギャップの感覚といえる。その「罪」というギャップの意識
があるがために、高次元存在の自己の本質に帰る意欲が強まるのだ。つまり救われるきっかけとな
るのだ。そういう意味では「罪」の意識も役に立っているのだ。
しかし「罪」の力によって高次元の自覚が呼び覚まされるか、というとそうではない。「罪」の意識は
単なるきっかけにすぎない。「罪」の意識は三次元世界に対する執着をなくす意味で役に立つと
いうことだ。あくまで高次元世界の自己の存在を思い出すことによってそれは達成される。
「罪」は高次元の自己とのギャップの感覚であり、高次元の自己を思い出すための道具として妄想
に過ぎないのだ。イエスは高次元世界の自覚が深いため、そのことをよく知っておられた。した
がって人々はイエスを通して「罪が赦される」と信じえたのだ。つまり「罪」は本来存在しない妄想な
のだ。
この「罪」は本来高次元世界の自己を思い出すための道具(妄想)であったが、いつの間にか時
の支配者(権力者)が被支配者を権力に呪縛させるための道具として「罪」と「罰」という妄想が使
われ始めたのだ。被支配者はこのありもしない「罪」と「罰」の妄想に縛られて恐怖する。その恐怖
から救われるために支配者(多くの場合は神官)は、彼らが提供する免罪符や神秘的な力に頼る
しかないことを説く。こうして延々と支配被支配の構図は維持された。支配者は権力を保持し、膨
大な利益を蓄えることになる。
この宇宙には元々どこにも「罪」も「罰」もなかった。別にキリストを通してでないと「罪」が消えないと
いうことではないのだ。「罪」は単純に「無い」というだけのことだ。なにも難しいことではないのだ。
唯前述の通り高次元の自己存在を思い出すために役立てればいい道具に過ぎない。
勿論キリストを通して救われるというシステムは無駄ではないが決して全てでもない。勿論他の宗
教においても全く同じことが言える。その宗教でないと救われないなどと言っている宗教は全くどう
かしているのだ。どの宗教でも救われるということだ。だから様々な宗教が救いを求めて存在する。
それはなぜか?簡単なことだ。元々高次元においては救われ済であり、「罪」は無いからだ。
唯、救われていないと思っている場合に、「こうすれば救われる」と聞かされるとそれにすがりたくな
るだけだ。どんな道でも良いのだ。元々この宇宙にも「罪」はないのだから「救われ済」にすぎない
だけの話だ。それを思い出すだけでよかっただけではないか。だから、どんな宗教でも救われるし、
「罪」が消えるのはあたり前だ。
「罪」が消えるように感じるのは宗教のお陰というよりは、その人自身が高次元存在を想い出したか
らというべきである。宗教があろうとなかろうと「罪」はたちどころに消えるのだ。それは「罪」など
元々無かったという事実に気づけばいいだけのことだったにすぎない。宗教は「欲」と「権力(支
配)」が極めて結びつき易いことを歴史は証明しているではないか。巷にもそんな実例は掃いて捨
てるほど転がっているではないか。
(参考 ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話』・・・高次元世界意識の謎に迫る書)
(参考 谷口雅春著『生命の實相』『人類無罪宣言』・・・現象なし、罪なし、人の実相は完全円満と
説く哲学書)
<4-5>エデンの楽園追放の次元降下宇宙的解釈
「罪」の押し売りはもう沢山だ!エデンの園の解釈について、もっと新しい、創造的な明るい解釈で
ないと我々人類は息が詰まってしまう。ではどんな解釈がふさわしいのだろうか? 私は次のように
解釈するのが一番しっくりするのだ。
1.蛇は賢きものであり、より高次元の世界を知るものである。
2.蛇は高次元の世界と三次元物質世界の次元上昇の知恵を持っている。
3.知恵の木の実とは、次元上昇(正確に言えば高次元の自分の存在を思い出すこと)の知恵で
ある。アダムとイブが「知恵の木の実」を食べたということは、自分の存在が三次元の肉体人間だけ
でなく、より高次元の存在であることを知ったことを意味する。
4.アダムとイブが「知恵の木の実」を食べたことにより、高次元の自分の存在を知ったのだ。高次
元の自己の存在を知ることによって低次元の肉体の自分の存在を恥ずかしく感じ始めた。<<3:7
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うも
のとした。 >>「目が開け」は高次元の自分の存在に知ったことを意味し、「裸であることを知り、
二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」とは、肉体人間としての低次元の自分を
認識したことを意味している。低次元の肉体を持つ自分であるという観念が発生したことで、「恥ず
かしさ」という概念が始めて生れたのだ。自分が肉体そのものであると真に信じきっている場合、も
しくは赤子のように意識が朦朧としている場合は、客観的に自己の存在が肉体であるという認識は
生じないため、恥ずかしさも感じないであろう。
5.<<3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。>> ここ
でヤハウェ(エホバ)、すなわち三次元物質世界をつかさどる存在は「我々の一人のように、善悪を
知る者となった」と語っている。三次元物質世界を司るヤハウェ(エホバ)は、その上の次元である
高次元世界的な存在と解釈して良いだろう。
6.<<今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」>>
「命の木の実」を食べると永遠に生きる者となるとは、肉体人間と高次元の存在の間を自由自在に
行き来し、肉体人間に全く拘束されない自由な存在になることである。高次元の自己の存在を真
に自覚してしまうと、低次元の肉体人間として存在し続けることに大きな抵抗と苦痛を感じることに
なる。つまり三次元物質世界の肉体として生れることを必要としなくなる可能性があることを意味し
ている。ヤハウェ(エホバ)のように地上に肉体化しない生命体でいることを望むようになる。ヤハ
ウェ(エホバ)は神の第一創造の高次元世界を地上に再創造することが目的と考えられるから、肉
体人間が存在してくれないと、目的が達成されないのである。したがって、「今は」と言っている。時
期が来れば地上の創造も一段落すべき時期が来ることを示唆している。その時期とは、地球とし
ての一定の成長レベルにまで到達した時点と解釈しうる。
7.<<3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕さ
せることにされた>>故にヤハウェ(エホバ)は人々に魔術(呪縛)をかけたのだ。エデンの園を追
い出したということは、前述の通り人が三次元物質世界の肉体人間であるという概念の枠に閉じ込
めるためである。呪縛をかけた上で地上での肉体人間の作業(土を耕したり仕事をすること、つま
り物質文明の建設を含む地上建設)を与えたのだ。ヤハウェ(エホバ)の目的は正にそれなのだ。
8.<<3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、
きらめく剣の炎を置かれた>>そして「命の木の実」を食べないように、ケルビムときらめく剣の炎
を置いたとされている。アダムとイブは「知恵の木の実」を食べて、自己が高次元の存在であるとい
うことを知ったのであるが、「命の木の実」は食べていない。「命の木の実」を食べれば、真に自己
が高次元的存在である自由自在な生命であることを実感することになる。ヤハウェ(エホバ)は地
上建設の為それを一定期間阻止する必要があった。故に「命の木」に至る道を守ったと解釈でき
る。
9.それでは人は二度と「命の木の実」を食べることはできないのだろうか?それは不可能ではな
いのだ。ケルビムについて詩編第 18 章には、<<18:10 主は天を傾けて降り/密雲を足もとに
従え 18:11 ケルブを駆って飛び/風の翼に乗って行かれる。 >>と記されている通り、ケルビム
は神の座であり神の乗り物である。またケルビムの単数形のケルブの語源は、アッカド語で「人々
の祈りを神につなぐ仲介者」という意味があるという。他の情報によると<<ヘブライ語の Cherub
は「知識」「仲裁する者」という意味を持つ。アッカド語の karibu(祈る)が語源とされる。>>とある。
すなわちケルビムは人間の祈りを神に取り次ぐ仲介の役目を果たしている。命の木に到達するた
めには、唯一ケルビム「祈り」によってのみ到達できるということ暗示されていると解釈できる。そし
て、命の木を得るためには、物質的方法(武力、権力、金力)によることは不可能であることを示す
ため、<<きらめく剣の炎を置かれた>>と暗示されていると解釈できる。
以上が次元降下宇宙的に解釈した創世記のエデンの楽園追放物語である。これによるとどこにも
悪意はないことが分る。悪意を持って解釈すれば、如何なる出来事も悪意的に翻訳することは可
能である。また善意を持って解釈すれば、如何なる出来事も善意的に解釈できるものである。
そして人々や民族が解釈した通りに、宇宙は同等のものを与え返してくれるのである。三次元宇
宙を支配する因果律は平等に全ての人々に働き決してえこひいきはしない。どのような思想を信
ずるか、どのような言葉を信ずるか、そしてどのように解釈するか、ということが最も大切な事柄であ
るといえる。
その人の解釈はその人の宇宙観(神観)をそのまま反映する。 すなわちその人の宇宙観が広がり
を持つ程度に応じて、その人の解釈が広がる。その人の宇宙観が狭まる程度の応じて、その人の
解釈は狭まる。重要なことはひとえにその人自身の、その民族自身の、そして人類の宇宙観(神
観)であると言わざるをえない。
<5> 次元降下宇宙で色々の問題を考えてみよう
<5-1>三次元世界での他からの強制は自らが許可した投影に過ぎない
最初に取り上げた911自作自演の謀略や様々な地球上の「悪」と見える勢力に対して、多くの
人々が憤りを感じて、敵対行動を取ることがある。「真実」を知ることはこの三次元世界の結果の観
測という仕組みの点から見て、とても大切な行為と言える。「真実」に対して誤魔化すことも忘れる
ことも次なる高次元の自己の創造のためにはあまり役に立たないからだ。
我々の創造に対する結果は三次元世界に表現される仕組みになっているのだから、率直に三次
元世界に投影された結果を観察しなければならない。そのことのために我々はわざわざ三次元世
界にまで自己投影しているのだ。
しかし、問題は三次元世界を観察した時に感じる違和感、憤り、不信感、悪と見えるものに対して、
どのように解釈し、どのように対処すべきかということにある。この宇宙は一つなるものが展開した
高次元世界での生命体が、それぞれの自由意志において自己創造を遂げながら、創造の結果を
三次元世界で観測しつつ、再度フィードバックしてさらに自分自身に相応しい自己創造を繰り返
すことにある。
その創造活動の基本原理は、「自由」ということだ。本来全ての存在は一体であることは全ての生
命体は根底において知っている。その上で自由意思によって自己創造が営まれる。一人一人は
絶対性を保持している。如何なるものにも従属することはない。なぜか?自己の本質が一体にし
て絶対なることに由来するからだ。
つまり、一人一人として分化したが如くに見える存在も根底において絶対性を持ち、自由意志によ
る自己創造の力を保持しているということだ。これはつまりある生命体は他の生命体に対して支配
被支配の関係ではないことを意味している。しかし表現の場としての三次元世界においては、支
配被支配の上下関係という有機組織体の必要にせまられる場合がある。
この場合、三次元的には不可抗力的に支配被支配の枠に我々が引きずりこまれているように解釈
しがちだが、高次元存在としての全ての生命体は実はそうではないのだ。高次元世界のそれぞれ
の存在は、自己創造の一瞬一瞬において、有機的組織のどの位置に自己を位置づけるか、という
ことを自身で選択(創造)しているのだ。 ただ、三次元物質人間はそのことを忘れているにすぎな
いのだ。
もしそれを否定すると、次のような矛盾に自らを置くことになり極めて不合理だ。その矛盾とは・・・・
高次元の自己が支配被支配の如く見える有機的組織のある位置に自分を置くことを自身が創造
せずして、三次元世界に不可抗力的に自己の存在が強制によって位置づけられたと仮定した場
合を考えよう。人間の高次元存在には自由なる創造はもはやなくなるのである。人間はその本質
において「不自由」であり「自己の意思に反した第三者の創造の結果的存在」ということになる。そ
の考え方は自己が奴隷であることを自らに宣言しているようなものだ。
この考え方は自己の本質が全てと一体であり、自由意志を持つ創造的存在という考え方の原則に
反することになる。勿論、人間の存在が何ものかの被造物に過ぎない三次元的存在、という思想
で満足するのであればその限りではない・・・しかしながら、人間は本質的に「自由」を求め、「創
造」を欲し続けることは自明の理であり、全ての人々に共通する資質だ。ということは人々に内在
する本質に「自由」と「創造」が存在すると言えることからも、自己の本質が何ものかの被造物で自
由がないと考えるのは、自己撞着に陥ることとなる。人間は何ものかの奴隷では断じてないのだ。
ここで話を整理しよう。
人間、生命の本質は「自由」と「創造」にある。つまり他の生命体は他の生命体に対して強制をしえ
ない。ということが大原則なのだ。強制したかのように観測される場合でも、実は高次元の自己の
存在がそのことを認めている。ということを意味している。「強制された」と観測されたことも、実は自
己の自由創造の結果(強制されることを許可したこと)を観測しているに過ぎないのだ。
<5-2>911自作自演の謀略や様々の「悪」と見えるものに対する対処は?
ここまで宇宙の原則を知ったところで、本題の「悪」に対する解釈と対応に話を進めよう。
彼らはそれで喜びを感じているのだろうか?三次元物質世界の意識に縛られていると、高次元の
自己の存在の「喜び」が麻痺しているに過ぎない。彼ら自身は高次元の自己の存在に目覚めるま
では、不可解な自己欺瞞の罪の意識の世界に自分自身を閉じ込めて苦しむことになる。しかし彼
らもいつかは目覚めざるを得ないことになる。「苦しみ」は決して無意味、無価値ではない。逆に高
次元世界からのインスピレーションであり、自己の意識を高次元の自己に向けさせる最大の動機と
して働くのだ。「苦しみ」も<4-4>で前述した「罪」と同じだ。
その意味で彼らを捕まえて断罪する必要もないのだ。自然の摂理(宇宙の摂理)は絶妙であり絶
対だ。そして彼ら自身の高次元の存在が彼ら自身を確実に導いて、一番良い時期に目覚めが訪
れるように導く。何も心配はいらないのだ。それは宇宙の摂理であり、一人一人の自由意志による
自己創造の形で任せる方法が宇宙の作法というものだ。
三次元肉体意識が様々な経験を通して疑問を感じ始める。その疑問は高次元からのインスピレー
ションと現実との格差だ。それは三次元意識が「目覚めたい」「もう結構だ!」というサインだ。その
時始めて高次元の方に振り向く。「自我」が空しくなる。それがきっかけとなる。
その人の高次元存在が「いよいよ目覚めの時が来た」と判断した場合には、高次元の魂の兄弟の
誰かに協力を依頼するだろう。「目覚めのため少し協力してやってくれないか?」と。魂の協力者
は「ああいいとも!どんな風に協力したらいいんだい?」と・・・。「そうだな!私に友達として近づい
て、高次元の話をいっぱい聞かしてやって欲しいんだ。最初は嫌がるだろうし、理解できないだろ
う。しかしその内に理解するようになるよ!」
こんな具合にちゃんと高次元世界においては、話ができている。それが三次元世界に投影されて、
友達の協力者が現れて、色々と目覚めのために力を尽くしてくれることになる。三次元世界での本
人はそのことを覚えていない。ただ不意に友達が現れて、高次元世界の話や神様の話や宗教の
話や、場合によっては宇宙人の話をし始める。実はそれ以前にも至る所に目覚めのメッセージは
投げかけられているのだ。
最初は信じられなかったが、いつの間にかなんとなく分るような気になってくる。そしてその内はっ
きりと自己の高次元的存在に目覚める。自分を導いてくれた友達やそれらの言葉を天の使いのよ
うな気持ちになって感謝するかもしれない。勿論天の使いには違いない(実は一切の存在は天の
使いなのだ)が、本当のところは高次元の自分自身の自由な創造によって、その筋書きは自らが
創り上げたものだったのだ。
そうだ。「悪」をなしているとみえようが、彼らは彼ら自身がちゃんと導いて、一番良い時期に一番
良いように展開するのだ。「悪」を強制によって変える必要はない。そのままに自由にしていること
が大切だ。なぜなら大宇宙は完璧だからだ。全ては一体であって、全ては「愛」が本質だからだ。
そして全ての人々は「自由」な「創造」を楽しんでいるのだ。彼らの高次元生命の善なる自由創造
を我々自身がしっかりと思い出し、再認識することこそ、最も重要なことなのだ。
<5-3>「何かしなければならない」という脅迫観念にとらわれている人類
「何かしなければならない」 という考えは三次元物質世界に染み込んだ観念精神だ。前述の「悪
をなんとかしなければ」という考え方もこの脅迫観念から由来する。「勉強をしなければ偉くなれな
い」とか「働かなければ食べられない」「よく考えなければ良いアイディアは生れない」も同じところ
に由来する。この脅迫観念は一体どこから来たものだろうか?
「何かする」とは「行為」である。 「考える」も「行為」の一種だ。「行為することによって何かの結果を
得られる」というのは、三次元的物質世界の原理である因果律の反映と考えられる。三次元世界
に投影されるのは高次元世界での創造である。その意味で高次元世界で「何かをしている」ように
見えるが、本当に「何かをしている」のだろうか?
もう少しよく考えを掘り下げてみることにする。高次元世界での創造は「行為」なのだろうか?ちょっ
と分りにくい概念かもしれないが、「行為」と言われれば「行為」のようでもあるが、ちょっと待ってほ
しい。そもそも「行為」ということ自体が三次元世界的「動作」を現す概念と考えられる。つまり三次
元世界に投影された「結果」的存在であって、高次元世界の「創造」とは次元の違うものなのだ。
では高次元存在における「創造」とはなにか?これは「行為」ではなく、その元となる「認識」や「気
づき」「選択」と概念的に近いものと解釈した方がよいだろう。「認識」や「気づき」「選択」のもとにな
るものは何か?それは「存在」だ。「存在を認識し」「存在に気づき」「存在のうちから選択する」とい
うことと解釈すべきだろう。
すなわち高次元世界において行われている「創造」とは「存在を認める」ということに他ならないと
いうことだ。高次元世界は無限の存在の世界だ。つまり「高次元世界での存在を認めたものが、三
次元世界に投影される」ということだ。
ではわれわれは一瞬一瞬何をしているのだろうか?つまりこういうことになる。(1) 高次元世界での
存在を認識する。(2) 三次元世界においてはその存在の認識は「何かを行為する」という風に投影
される。「考えたり」「行動したり」という行為が自動的に表現される。(3) その結果としてある「縁」を
契機として、時間経過の後に「結果」が生成される。
このような順序で三次元化されると説明できる。「何かしなければならない」という考え方は、高次
元世界における「存在の認識」という大元の部分を忘れている場合に、三次元世界で堂々巡りの
罠として自己を縛りつけることになってしまう。そもそも三次元世界には原因は存在しない。全ての
根源的存在は高次元にしか存在し得ない。
我々のなすべきことはただ一つと言い得る。それは高次元の世界の存在に気づき、その高次元世
界に既に存在する無限の要素のなかから、自分の好みに応じて自由に選択する(創造する)とい
うことだけなのだ。そのためにこそ三次元世界の観測がフィードバックして次なる存在の選択に役
立ててはいる。そのフィードバックによって次なる選択の好みを変えるためだ。しかし最も大切なこ
とは高次元存在の内自己の欲するものを選択するということに尽きるのだ。
三次元世界における「行為」なるものは、自動的に発生するようになっているに過ぎない。そしてそ
れに伴う結果も同じだ。つまり三次元的「行為」も「結果」もワンセットになっていて、共に結果であ
るということだ。真に原因者は高次元世界の存在の認識に過ぎない。
<5-4>自分がしていることはひとつもない/しなければいけないことはひとつも
ない
この辺りでこの項の結論を導きだそう。「何かしなければならない」ということはないのだ。そうでは
なく、「時間空間の次元を超えて既に高次元世界に存在する中から自己の好みとするものを選択
すればいい」ということだ。「行為」ではなく「存在」を認めることが先なのだ。
もう一つ、大切なことを付け加えよう。「何かしなければならない」と思っているということは、心の奥
底で「何かしなければ何かが現れない」と信じていることを意味している。この観念を言い換えると
「自分は持っていない」ということを表明していることと同義である。
その観念はすぐに高次元世界の自己にフィードバックされる。そのまま「自分は持っていない」とい
う観念を高次元意識が採用するとする。すると次に三次元世界にも「自分は持っていない」という
状態を結果として投影することになる。それが繰り返される。その繰り返しが続くほどに、「持ってい
ない」という観念は信念と変化し、確固たるものとなる。
この繰り返しの鎖を断ち切る方法はどこにあるか?それは「存在」を認める以外にないのだ。「存
在」を「創造」するのだ。すなわち、三次元肉体の観測からの情報は「自分は持っていない」でも良
い。それが高次元意識に届いた時に、自分の好むところのものを「創造」すればよい。「私は充分
に持っている」と。そう、高次元世界は無限であり一体が本質だ。高次元世界ではどんな創造も自
由にできる。
高次元世界の存在の本質が他を強制しないことは先に述べた。他の生命体に留まらずこれは自
己の三次元世界の肉体人間に対しても、「他を強制しない」という原則は行使される。自己の三次
元肉体に対しても決して強制はしないということを知ることはとても大切なことだ。
これはどういうことなのか?三次元世界の自己の存在の自由を尊重し、自然な目覚めを待つのだ。
勿論そのための協力やインスピレーションの提供や基本的生命体の維持に必要なものは提供す
るが、肉体生命としての自由意志も尊重される。つまり肉体人間側が一定の物質的執着がある内
は、その執着に対して高次元の自己はそれを尊重し、無理にそれを曲げようとはしない。
しかし、肉体人間側の意識が物質的束縛に飽きたり、苦しさを覚えたりして、執着を出した時は助
けの声をあげるだろう。その時がくるまで自由にさせておくのだ。いつしか、肉体人間側の意識も
その空しさに気づき、高次元世界に助けを求めざるをえなくなる。その時は「自分では生きられな
い」ということを真に知った瞬間だ。その瞬間から高次元の意識は活動を再開する。
その活動とは、「何かをしなければならない」というような「行為」ではなく、「全てが既に自己のうち
に存在する」という事実を踏まえた上での「自己の好みに応じたものを存在から選択する」という
「創造」活動なのだ。その時肉体人間は、はっきりと思い出すことだろう。「自分がしていることはひ
とつもない」ことを。さらに「しなければいけないことはひとつもない」ことを。
この意味において「しなければいけないことはひとつもない」 ことと、「自分(肉体人間)がしている
ことはひとつもない」こととは同義といえる。
(参考 「人間は、実はなにもしていない!」と悟り、不耕起、無除草、無肥料、無農薬を実践する
人為を排除した自然農法を提唱した福岡正信翁著『自然農法・わら一本の革命』)
(参考 <<一体で、十分あって、しなければいけないことはひとつもない>> ニール・ドナルド・
ウォルシュ著『神との対話』)
<5-5>人間がすることはひとつもない・・・自然農法に学ぶ
不思議と世界中で神を求める人は非常に多い。神(絶対神、超越神)を求めるのは三次元世界で
は解決できない問題、矛盾、苦しみに出会うからだ。ある意味世界中の宗教、信仰心はその点で
共通している。
仏教では「無我」を説く。三次元的「我」の存在を否定し、高次元の自己の本質の自覚に入る。座
禅をくみ高次元意識に超入する。必要に応じては断食や質素な山の生活を行い、肉体的執着と
欲から離れ意識を三次元物質世界から解放させ易くする。他の宗教でも様々な工夫がなされてい
る。それらはそれなりに深い意味があるのだろう。
宗教家に限らず、悟り(高次元の気付き)に目覚める人は多い。例えば福岡正信翁などは面白い。
青年時病気による死の恐怖にあったとき一瞬の気付きによって、「この世には何もない」「人間は
何をしようとしても、何もできるものではない」「人知・人為は一切が無用である」ということに気付い
た人だ。その気付きを証明するかのように、生涯を通じて不耕起、無除草、無肥料、無農薬の「自
然農法」を実践した。
翁の言葉を借りよう。<<神が人間をエデンの花園から追放したというより、人間はいつもその知
で神を追い出し殺していた。神のすがたを直視しないでその影法師だけを見て人知の虚構の宗
教観に踊っているだけである。とにかく、人間が無心になり子供の心にかえりさえすれば、いつで
もどこでもこの世は神の世に一変し、人も神も復活することができる。桜の花が、大根の花が、小鳥
が神だと知らないために、人間は迷いいろいろと苦労しているだけである。>>
人間の三次元的「知恵」や三次元的「行為」を極力なくすという生き方から生れた哲学であり、生活
法であり農法だ。大自然は既に何もしなくとも「完璧」であるということを自ら実証した人物といえる。
翁の「自然農法」は実証、検証が可能であり、様々な国で日本国内で「自然農法」が実践され、そ
の考え方の確かさが証明されている。(奈良県の「赤目自然農塾」の川口由一氏、青森県弘前の
「奇跡のリンゴ」の木村秋則氏、ギリシャ・スペイン・タイ・ケニア・インド・ソマリア・中国・アフリカ・アメ
リカなどの十数カ国の砂漠の緑化事業等と上げると切りがない)現に全国各地で不耕起、無除草、
無肥料、無農薬の「自然農法」は広まっており、静かなブームとなっている。
この地球は元々エデンの楽園なのだといえる。その楽園は自然に任せることによってもたらされる。
世界中に広がる砂漠化が人的要因によって引き起こされているということは、明瞭な事実として認
識されている。これらの砂漠化は自然を無視したむやみな木材の伐採と、自然に逆らった農法、
間違った考え方に基づく灌漑施設の普及によってもたらされる。
注) 砂漠化の人的要因は「過放牧」「過伐採」「過開墾」「過灌漑」と言われ87%を占め、自然的要
因は旱魃、気候変動等13%という報告もある。後者は自然要因というが、人工的砂漠化の結果と
して当然降雨量の変化等自然要因が引き起こされていることが考えられるので、ある意味全ての
要因が人工的に起因するとも言い得る可能性がある。
注) 砂漠化のひとつの要因である木材の過伐採については、その大きな原因が農地転用、放牧
目的等にある。農地の内、家畜用飼料生産を目的とした農地の割合も多く、当然肉食の問題は検
討すべき大きな問題と言える。しかしここでは的を絞るため、この問題は取り上げない。
自然を無視した間違った農法とは何か?翁の言葉を借りる。<<鋤で耕耘(こううん)する文字通り
Culture(耕耘、カルチャー)が西洋文明の始まりだが、耕耘法の発明で大地が痩せると文明の沈
滞が始まる。私はそれを欧州でみた。私は近代農耕法の誤りが大地を駄目にする実情を欧州視
察から知ると共に、自然農法が大地を救う唯一の方法であるとの確信を深め・・・>>(『わら一本
の革命・総括編・・・粘土団子の旅』より)
注) 翁はアフリカの砂漠化の実情とその原因を分析している。一部を紹介したい。<<エチオピア
の酋長やソマリアの農民の話を総合すると第一の禍根は西欧人の支配下で行われた植民地農業
政策に由来するようである。すなわち国家を興し富ますための名で行われた企業的有利作物の
みを奨励、栽培させられたことにすべての原因がある。コーヒー、紅茶、蔗糖、綿、煙草、ピーナツ、
トウモロコシに限定され、他の自家用作物などは禁止された。私がソマリア政府にビザの申請に
行ったとき「農民を扇動して自活を勧めるような指導は迷惑だ。いきすぎると反逆罪になる」と言わ
れ唖然とした。約200年の統治下で、自給自足するために必要な各種各様の作物の種は、もうア
フリカから消えかけているのである。種がなくなり、自立の芽を摘まれた農民が支配者の命ずるま
まに単純作物を作る単純労働者になり下がると、もう再び立ち上がる希望がなくなるのみでなく、
自然のための農業が切断されるから、土壌は流出し、塩化し、荒廃して砂漠になる。コーヒーや蔗
糖栽培では、土地はもたない。アフリカ砂漠の第一原因は農法の誤りであり、第二の重大な原因
は遊牧民に対する政策の誤りである。>>(『わら一本の革命・総括編・・・粘土団子の旅』より)ここ
にいう「遊牧民に対する政策の誤り」とは、西欧諸国の植民地政策によって自国の勢力(侵略)範
囲を強制的に区切った「国境」による遊牧民の自由な移動の制限を言う。
翁はカリフォルニアの砂漠(緑の無い乾燥地帯)の原因が200年前スペインから持ち込まれた牧
草用の雑草(フォックステール、毒麦)がカリフォルニア平原を独占し他の緑の草を追い出したとい
うことに気付き、様々な野菜の種を混播(こんぱ)した上で雑草を地面の上から刈り倒し、溜まり水
を散布することによって、褐色の草原を野菜畑に変えている。
(参考)
1962年アイリーン&ピーター・キャディ夫妻と友人のドロシー・マクリーンによって始められたス
コットランドの北の端にあるフィンドホーンも不思議な体験の場だ。霊的啓示や土地の精霊から受
けるアドバイスに基づいて作物を育て、農薬や化学肥料は全く使わずに、常識では考えられない
ほど豊かに実る実績を上げている。生命を発育させているのは自然の生命力、元々は高次元の
世界の働きだ。三次元物質世界への執着を離れ、祈りと瞑想によって高次元の生命体と交流し、
具体的な導きを得て作物を育てる、とても素晴らしい実例と考えられる。世界中から毎年多くの
人々が見学に訪れているという。
<5-6>人の介在が大地を駄目にする・・・耕耘、雑草除去、農薬、化学肥料、機
械化
今世界中の土壌が死に瀕している。近代農法による耕耘(掘り起こす)による土壌生物の排除と根
の除去、雑草除去による自然の肥料と根による自然耕作の排除、農薬による微生物と動植物の死
滅、土壌に栄養とそれを作り出す力がなくなった為にどうしても必要となる化学肥料の散布、等々
の人為的に農法によって、地球全体の土壌は死滅しつつあるのだ。
(耕耘・こううん)
自然の力は元々完璧なのだがそれを知らず、信じることのできない人は、人間の知恵を使って、
人力を使って「何か」をしなければいけないと思い込んでいるのだ。その結果畑を耕す。実は耕せ
ば耕すほど土は硬くなるのだ。それは地中に住む微小動物、微生物のすみかを荒らしてしまい、
彼らの活動を一気に鈍らせるからだ。同時に地中の根っこや有機物を排除しようとし、さらに彼ら
の活動をさせない環境をつくる。
土を耕さなければ地中の微生物、微小動物の住みかは荒らされない。根っこは自然に腐敗し微
生物が分解する。自然の循環に任せる程度に応じて土壌は柔らかくなるのだ。一度土を掘り起こ
すことによって、彼らの活動を排除することとなり、土は固くなるのだ。こうなると毎年、毎回土を掘り
起こさなければならなくなる。悪循環に陥る。同時に耕耘機やトラクターという機械を買わせるため
の戦略も隠されている。農民は借金をして機械を買って、自身を借金で縛りつけると同時に益々
農地の地力を衰えさせる。
(雑草除去)
現在の農法は雑草を敵とする。雑草を除去することが農家の大仕事となる。最後には除草剤まで
まいて土壌を殺そうとする。雑草が敵であるという考え方は全く間違っている。この世界の無駄は
ひとつもないのだ。雑草と言っても様々な種類と働きがあり、どの草がどのような役目を負っている
のか、実際人間の知恵では分らないだけのことなのだ。ただ、単純に作物の栄養を雑草に吸い取
られると思い込んでいるだけなのだ。
雑草が生えると根が張る。根は土壌を耕してくれる。浅い根もあれば深い根もある。それぞれ不思
議な役目をもってその土地のその時期の応じた耕作の役目を果たしてくれている。雑草が枯れる。
根も枯れて分解され土壌の有機成分として残り、微小動物、微生物の餌となる。微生物により分解
される時土壌として必須の栄養成分を生成してくれる。そして適度な水分と空気の層を確保してく
れる。
地上の雑草も様々な役割を担ってくれる。日光を適度に遮断し土壌全体を強烈な太陽光線と熱
から守る。微生物や微小動物にとって住みよい環境を提供してくれる。雑草が枯れた後は地面に
横たわり、土壌の肥料となると共に適度の湿り気と大地の保温に寄与する。とかく冬は寒いが枯れ
草に覆われた土壌は保温され、冬場の乾燥にも適度な湿気を与えている。
草がない土壌を観察すると、極めて過酷な太陽光線と大気の熱さ、寒さに直接攻撃され、か弱い
微小生物、微生物は到底生きてはいけないことになる。草の層は、まるで地球人類にとっての空
気層のような環境を与えてくれているのだ。空気なしでは人間は生存できないのと同じように、草
無しでは微生物も微小動物も生活できないのだ。草の無い土壌は劣悪過酷な環境なのだ。
(農薬)
現在の農法の多くは虫や細菌を敵と見なす。虫を益虫、害虫と人間智で勝手に区別し、作物を食
い荒らし病気にさせる敵と見る。手っ取り早く無菌状態、無虫状態にすればいいと考えて、農薬を
まいて生物を殺す。当然、土壌中の微生物も微小動物も死滅する。
自然生物の微妙なバランスは人間知ではほとんど理解できていない、というのが実情なのだ。ある
虫がいることによって他の虫の異常繁殖が制御されている。どの生物がどんなバランスで土壌環
境を自然環境を保全しているのか、という正確な知識は人間にはいまだその全貌はわからない。
ほんの一部の知識を知っているに過ぎないのだ。
唯単純に虫や細菌を敵視しているに過ぎない。結果土壌は死滅する。死滅した土壌は抵抗力が
ほとんどなくなる。他の昆虫や新種の細菌が異常繁殖して作物を全滅にさせることにも繋がる。そ
れらの生物を自然制御するバランスは完全に失われているからだ。益々強力な農薬が求められる。
その奥に「農薬メーカー」が農家を買わせようとする戦略は無視できない。翻弄され永遠に農薬を
買い続ける運命を背負うのは農民だ。当然生産物の品質は落ち、人体にも危険な生産物となる。
同時に農薬は農民の体を直接むしばむ。
(化学肥料)
土壌を培う微生物も微小動物も有機物も存在しない「死」の大地と化した農地において、作物生
産を続けるためにはどうしても「肥料」が必要となる。古来から使われてきた有機肥料ならまだまし
だが、大量生産を旗振りに化学肥料企業は「化学肥料」を農民に買わせようとする。(自然農法に
任せていれば、有機肥料の投入もいらなくなるのだ)
「化学肥料」は作物の生育に最低限必要なチッソ、リン、カリウムの三要素は土壌に提供する。し
かし、微生物は有機物を餌として生きていくので化学肥料では微生物が途絶えることになる。結果
微生物のない固い死んだ土壌になっていくのだ。また土壌に必須の様々なミネラル類(金属、鉱
物等の無機物)は化学肥料からは供給されない。勿論植物動物も生成し得ない。作物にはミネラ
ルが必須であり、勿論人体にも必須だ。繰り返し化学肥料で耕作した土壌で作った野菜類にはミ
ネラル類がかなり欠乏している。それらのミネラルは植物の循環によって土に返りバランスを保とう
とする。
(機械化)
耕耘機、トラクター、農業機械の多くは、近代的農法(耕耘法)の思想と、大規模化にとって必須の
道と考えられている。しかし農家が機械のローンを組むことによって、どれほど多くの現金を必要と
し、借金による永年の支払い拘束を受けることか。その借金を返すためにはさらに農業規模を拡
大し、収益をあげなければならなくなる。悪循環を作る原因のひとつでもある。機械を買わせて儲
かるのは、機械を作る工場であり、それを販売するシステムだ。
以上、人為的農法がいかに不自然であり、問題が噴出するかを見てきた。人間が自然に対して動
けば動くほど、自然はその力をなくすのだ。これは「自然農法」で解決のひとつの道を見出すこと
はできようが、農業一分野だけでの問題ではないのだ。ありとあらゆる分野において、人間の知恵
と行動は自然を破壊する方向に向かっているのだ。
現在「環境破壊」が叫ばれているが、最も深刻な自然破壊は「地球土壌の死滅」である。土壌から
生命が生み出され、生命を維持する生産物が生み出されている。それらのバランスが破壊された
時、もはやその頂点に立つといわれる人類は地球には生息できない。物質文明やお金や財産で
は生命は維持できないのだ。唯一、大地を大切にし自然のリズムの戻すことによってのみ、微生
物、植物、動物、人間を含めた全ての生命は生を保つことが可能なのだ。
<5-7>この宇宙は完璧だ!
もう一つ我々に付きまとう根強い観念がある。「この世界は不完全だ!」という疑念。いや疑念では
ないだろう!「信念」にまで染み込んでいる。なぜか?この世界には争い、戦争、飢餓、暴力、支
配、強制、陰謀等々、渦巻いていることを全ての人は知っているからだ。しかしこれら争い、戦争、
飢餓、暴力等々に対して、「素晴らしい」「美しい」「完全だ」と評価するものがいないのは、全く不
思議なことだ。 つまり全員がそれらを本質的に嫌っているということであり、自分本来の姿ではな
いということを知っている証拠と言える。
それはともかくとして、「この世界は不完全だ!」と人類は思い込んでいるところに問題があるのだ。
この三次元世界への投影の大原則は因果律だ。「認めたことが現れる」ことになっているのだ。つ
まりほとんどの人類が「この世界は不完全だ!」と信じている限りにおいて、その通りの投影が三次
元世界に映し出されてしまう。信じた通りになってしまうのだ。「不完全」と信じれば、三次元世界も
「不完全」が投影される。これは法則だからどうしようもないのだ。
ではどうすればいいのか?「この世界は完璧だ!」ということを知ればいいだけだ。それは三次元
世界に投影された結果そのものが完璧という意味ではない。「三次元世界に投影されるシステム
全体、すなわちこの宇宙全体が完璧」という意味だ。この問題は全ての人の持つ疑問かもしれな
い。そして「完璧な世界」は全ての人が持つ憧れなのだろう。
ある少年も同じ疑問と憧れを抱いた。その少年の疑問と憧れは数十年後、彼にひとつの気付きを
もたらした。その簡単な経緯を示して「完璧な世界」の説明に代えよう。
一人の少年がいた。その少年には根拠のない憧れのようなものがあった。
『この世界は完璧に違いない!』
それから十数年の月日が流れ少年は青年になっていた。ある日その青年にひとつの気付きが浮
かんだ。
『不完全が存在するように見えること自体が、この世界が完璧である証拠だ!』
この考え方は根拠のないパラドックスだったが、不思議と青年にとって納得できるものだった。
『このパラドックスを証明する証拠があるに違いない!』ふたたび青年のテーマとなった。
それから十数年の月日が流れ青年は社会人になっていた。ある日その社会人にひとつの気付き
が浮かんだ。
『パソコンの画面に何かが描けるのは、パソコンの複雑なシステムが完璧に作動している証拠
だ!』
『この世界に不完全と見える何かが表現され得ること自体、この世界が完璧な証拠だ!』
青年が気付いた根拠のないパラドックスに、社会人は根拠を発見した。
以上がその物語の全てだ。「この世界が完璧だ」という憧れに近い直感を持った少年は、青年に
なった時「不完全が存在するように見えること自体が、この世界が完璧である証拠だ!」とのパラ
ドックスを発見した。しかしその証拠が見当たらない。さらに時代を経て社会人になった時「パソコ
ンの画面に何かが描けるのは、パソコンの複雑なシステムが完璧に作動している証拠だ!」と気付
いた。
パソコンの画面に何を現そうとも、それはパソコンを操る人の自由だ。仮に暴力や戦争を描写する
のも本人の自由だ。如何なる描写をパソコン画面に映し出そうが、その根底に存在しているのは
パソコンシステムの複雑な回路が完璧に動作しているということだ。もしパソコンの電子基盤に小さ
な針を落としたり、水をかけたとしよう。その瞬間、パソコンの画面は表示を失う。システムが死んだ
のだ。ほんの少しでも電子回路に以上をきたすと、パソコンの画面は表示を失うだろう。パソコンの
画面が表示されるためには、パソコンの複雑なシステムのシステムが完璧に動くことが条件となる。
システムが完璧に動作しているがために、パソコン画面には自由に「不完全と見える作品」さえも
表示できていたのである。つまり「不完全と見えるものが表示されていること自体、システムが完璧
な証拠である」ということが言い得る。これはパソコンだけのことではない。この宇宙自体が壮大な
るパソコンシステムの機能を持っていると見ることができる。
宇宙は我々の心が選択し、創造したものを三次元物質世界に投影するシステムの機能を持って
いる。三次元世界はまさにパソコンの画面にあたる。そのパソコンに情報をインプットし自由な創造
(妄想の場合もあるが・・・)を行っている主人公は我々自身である。その宇宙のシステムは基盤や
配線という物質的素材でできてはいない。高次元的存在の心と呼ばれているものがそのパソコン
システムにあたる。
その心と呼ばれている得体の知れないものは、因果の法則を含むあらゆる法則として作用しつつ、
高次元の自由な創造を三次元世界に投影する次元降下の機能を果たしている。(三次元の肉体
意識がエゴや欲に興味を持っている間は、高次元意識はあえてそれに対して強制力を発揮させ
ないが為、不完全と見える状況が再創造されるように見えるが・・・)その心という宇宙のシステムが
完璧であるが故に、三次元世界は表現体として存在し得ているということができるし、実際表現が
瞬間瞬間可能ならしめているのだ。
もし宇宙の「心」という表現システムが完璧でなかったなら、いったいどうなるのだろうか?・・・・・・
一瞬の内にすべての三次元物質世界は表現を失うことだろう。時間も空間も宇宙そのものも瞬間
にして存在しなくなるだろう。延々と三次元物質世界に表現を可能ならしめているいるのは、宇宙
のシステムが「完璧」であるからといえる。
宇宙のシステムは完璧なのだ!そしてこの宇宙というシステムを使って我々生命体は自由な創造
ができるところに素晴らしさと面白さがある。しかし、不思議と全ての生命に潜在する意識は、調和
や愛や美しさや優しさを本質的に求めざるを得ないようになっているのも事実だ。自由な表現を行
う過程において、失敗も未熟も脱線も色々あるだろうが、それらは必ず自然の摂理の中で、自身
の高次元存在を思い出すことによって、必ず高次元の自分らしさを自己創造することになっている。
そのためのひとつのきっかけは「この宇宙のシステムが完璧だ!」という事実を思い出すことにある。
それを思い出して「認識」さえすれば、後は自動的に三次元世界に「完璧性」が投影されるような
仕組みになっているのだから・・・・
<6> 三次元物質世界の呪縛構造/時間は過去の観測道具
<6-1>エデンの園追放の真意・・・人類自らが自らを追放した
もう一度三次元物質世界に呪縛された創世記の意味を考えよう。ヤハウェ(エホバ)は三次元物質
世界を司る神であるという説明は既にした。その論拠もそれなりに提示した。そしてヤハウェ(エホ
バ)の意思と目的が三次元物質世界の創造であることも述べた。さらに人間が高次元の存在であ
りながら、ヤハウェ(エホバ)の支配下である三次元物質世界で地上の創造のために使命を帯び
ていることも語った。
知恵の木の実を食べたことで人間が高次元の存在であることを知ってしまった。しかし命の木の実
を食べて自由に高次元に出入りする自由が奪われた。ヤハウェ(エホバ)によってエデンの園から
追放させられたと通常は解釈するが、正確に言えば人類自らの深層の意思によって、地上創造の
使命を達成せんがために、自らをエデンの園から追放したのは人類自身の企てであったというべ
きである。
これは難しい解釈かもしれないが、畢竟高次元の人の生命は究極の宇宙の本体(神)自身の現れ
であり、明確な目的をもって次元降下していると考えているからである。すなわちヤハウェ(エホバ)
は三次元世界を法則的に支配する因果の法則的神であるが、実はその神の力と原理と法則を
使っているのは、他ならぬ人間自身であるという意味だ。
何故それがいえるのか?人の高次元生命体は究極の宇宙の本体(神)自身の現れであり、明確
な目的をもって次元降下しているということであるが、次元降下という概念の中に全てのヒントが隠
されている。次元降下とは、最も中心的な高次元世界にあっては、全ての存在の大本が一つであ
るという概念を持っているためである。 すなわち元は一つであり、一切の次元と存在はそこから発
生しているという単純ではあるが極めて重要な概念だ。
元は一つであり、全ての存在は次元降下によってのみ生み出されると仮定しているため、畢竟全
ての次元において、全ての存在は究極において一体であるという意味を持つ。次元降下の作用
は、低次元に次元降下することによって、千差万別様々な個性として分化する必然性を持ち、分
化された相互は別々の存在として作用しあい、影響しあうことになる。見方によっては敵対し、争い、
支配被支配の関係を見せることも自由である。
すなわち、エデンの楽園の追放は、人類の高次元存在自らが計画し、低次元存在の自らに仕組
んだ仕掛けであった。そしてそのために三次元世界を司る因果の法則的神ヤハウェ(エホバ)を絶
対唯一神として活用し、人間自らを呪縛したのだ。知恵の木の実を食べ、自らが高次元存在であ
ることを知らしめはしたが、命の木の実からは遠ざけることによって高次元存在への自覚と自由な
解放を阻み続け、さらにエデンの楽園から追放して三次元物質世界の枠内に呪縛したのも、何を
かくそう我々自身であったのだ。
自らが仕掛けた三次元的呪縛によって、自己が高次元存在であることを忘れるように仕向けた人
類は、ひたすら物質文明を築き続けることになった。それは決して悪意や欺瞞から生じた仕掛け
ではない。れっきとした目的があったためである。その目的とは、地球という惑星上に自らが計画し
た世界を構築するためである。
その目的のためには、物質世界に一定期間留まって物質的作業を行う役目がどうしても必要だっ
たため、自らを地上に呪縛することを選択した。繰り返すが、もしそうしなければ、高次元の自由な
存在としての人間は、物質世界の作業にすぐに飽きてしまいすぐにでも自由な高次元世界に帰っ
てしまうことは火を見るよりも明らかであったためだろう。
勿論一部の人々、一部の民族は高次元の存在に目覚める知恵の木の実と命の木の実を食べて
はいたが、物質文明は圧倒的な勢いでほとんどの民族と国家を飲み込んでいった。これが人類の
数千年の歴史である。そしていまやその勢いは極限に達したと言える。
<6-2>人類が自らに仕組んだ呪縛の本質
自らが自らの仕組んだ呪縛とは一体どんな手法であったのか? それはいくつかの要点があると
言える。
1.三次元物質世界が全てであるという幻想
2.死があるという幻想=人の生命が有限であるという幻想
3.時間が有限であるという幻想
4.お金に価値があるという幻想
「1.三次元物質世界が全てであるという幻想」は先に説明した通りである。本来高次元的存在で
ある人間生命が次元降下によって三次元物質世界に現れたのであった。しかし、物質世界の完
成という使命とシナリオを達成せんがために、エデンの楽園追放という自ら仕組んだ呪縛のシナリ
オを自らの三次元存在に対してかけたのだ。したがって、人間は自らが三次元世界の肉体人間で
あるという幻想の概念に縛られ続けているのだ。
「2.死があるという幻想=人の生命が有限であるという幻想」は、1.の幻想によって自動的に発
生する架空の概念だ。三次元肉体という一つの次元だけを単純に観察した場合には、当然「死」
はある。しかしその「死」とはあくまで人間の三次元存在が一定の期間を終わって、低次元の体を
脱ぎさって自由を得た状態に過ぎない。高次元への目覚めであり自由の回復であり解放といえる。
我々が学校に入学し一定期間後に卒業する時の解放感と同じである。学校の卒業でも幾ばくか
の悲しみと惜別の情を伴うのも同じである。高次元の存在にとっては「死」などは存在し得ないこと
である。
「3.時間が有限であるという幻想」は、2.の「死」の幻想によって自動的に発生する架空の概念だ。
「死」という終焉があると信ずる三次元的肉体存在にとっては、時間は有限であると感じる。一方時
間が、過去、現在、未来の方向で一方的に流れる機械的な存在と感じるのは、空間を持つ三次
元世界特有な観察に基づくものである。高次元の存在にとっては時間は無限であり、同時に過去
も未来も今の意識の内に存在し、時間空間を自由にコントロールし得る魔術的自由性を獲得して
いるのである。高次元の存在では、時間の概念は自らの生命の内に展開するものであり、同時に
空間も自らの意識に従属することになる。
「4.お金に価値があるという幻想」は、1.の三次元物質世界が全てであるという幻想と、3.の時
間が有限であるという幻想から発生する架空の概念だ。物質があるという概念は1.から発生する
架空概念であり、その物質有りの架空概念は、物質に価値有りという架空概念を作り出し、自動的
に物質を増やす行動が生れる。物質の等価交換として使われるお金は物質の究極的な価値とし
て置き換わり、物質欲は自然と金銭欲となる。
さらに3.の時間が有限であるという幻想を持つと、時間を貯蓄しようとする。時間を有効に活用し
ようとする、「時は金なり」の幻想が生れる。時間は死によって有限化された生命と同等に扱われる。
有限の生命と有限な時間の幻想は、無限の生命と無限の時間への果てしなき憧れを引き起こし、
生命と時間ではその無限性を満足できないと思い込んだ人間は、その欲求の矛先として「お金」
「財産」「物質欲」に向けさせるのだ。
<6-3>「時間」を次元降下宇宙的に考えてみる
上記によって三次元物質世界の呪縛構造が分った。
1.三次元物質世界が全てであるという幻想
2.死があるという幻想=人の生命が有限であるという幻想
3.時間が有限であるという幻想
4.お金に価値があるという幻想
1.2.については、三次元物質世界以外の高次元世界が存在し、その高次元世界からの次元降
下がこの宇宙のあり様だという考え方を、抵抗なく受け入れる方にとっては、なんら問題なく通過で
きる問題だ。この二つの問題はその意味からして、比較的簡単に幻想から目を覚ますことができそ
うだ。これをクリヤーすることは、物質に対する執着の問題と「死」に対する恐怖、「生」に対する執
着から解放する最も本質的な三次元的課題といえる。
しかし、3.の問題は意外と理解が難しいかもしれない。また、4.のお金の問題は単純に1.の物
質に対する欲という問題だけでは解決し得ない、複雑なカラクリがありそうだ。まずは、「時間」の幻
想について考えてみたい。
「時間」という概念は不思議だ。三次元世界の観察では時間は未来から現在の一瞬を通り、過去
に過ぎ去っていくように観察されている。未来は未だ来たらず、過去はすでになく記憶としてのみ
存在する。「時間」が有限であって大切なものという幻想に不思議と人類は迷い込む。ドイツ人作
家ミヒャエル・エンデの『モモ』には「時間泥棒」や「時間銀行」を登場させ、有限と見える時間に縛
られる人々が「有限な時間」を「時間銀行」に預けることによって「自分の時間」を失っていく現代を
皮肉り警鐘をならしている。
時間について次元宇宙的に観察した場合には、いったいどうなるにだろうか?次元降下宇宙的に
時間という概念を考えてみたい。
考える前提として、時間、空間、物質、エネルギー、重力、心、そして全体を反映させる次元世界
という要素を交えて考えてみよう。これらの要素はどれも関連していて、別々に分けることができな
いからだ。
1.まずある程度の高次元世界から始めよう。すなわち三次元的物質世界のような時間空間の概
念と物質的な世界が現れる以前の高次元での話だ。心の活動の場として「今」という時間が存在
する。この「今」とは心が創造活動するための集中の一瞬一瞬とする。そしてその一瞬一瞬という
「今」において心は創造を可能ならしめる。
2.その心の創造活動、すなわち心の動きである想念は、エネルギーそのものだ。この一瞬に「エ
ネルギー」が発生する。
3.心は無限的存在だ。それは一つであると同時に無限の展開でもある。それら全ての心の今の
一瞬の創造活動は、本来一体的存在であるが故に、全ての創造活動は同期している。その同期
作用そのものが「万有引力」と三次元的に観察される元のものでこれが「重力」だ。この「重力」の
本質は全てが一体であり、一切が知性とバランスをもってリンクしあっていることを運命付けている。
この創造の一瞬「重力」が発生する。
以上がより高次元世界における生命体の心の機能によって始められた創造の第一段階と考える。
4.次に三次元物質世界に対して、上記の「今という時間」「エネルギー」「重力」が如何に作用す
るのかを考える。三次元物質世界への投影、すなわち次元降下が発生する。三次元世界は高次
元世界で発生した存在を時間空間的スクリーンに投影されたものと考える。では何故時間空間的
スクリーンが必要なのか?それは自他分離、主観客観の幻想世界に映し出して始めて、主観的
且つ客観的体験が可能となるためだ。「観察」「表現」とは畢竟自他分離、主体と客体に分化して
始めて可能となる。その意味で三次元物質世界の表出は、自己の存在を「観察」「表現」するため
の必然の結果と言える。
5.三次元時空間においては、「時間」は未来、現在、過去へと一方的に流れる機械的(定率的)リ
ズムとして観測される。因果の法則の理解と、客観的な観測を三次元肉体を通して行いやすくす
るための工夫だ。時間、空間という三次元世界に投影して始めて、客観的「経験」が可能となる。
ある主体が他の客体を観測する(体験する)ためには、自他分離、空間の概念と、その空間の広
がりを測定する時間の概念が必要となる。
6.心の無限性の三次元世界への投影として、広大無辺な広がりある空間として観測される。
7.高次元で発生したエネルギー(想念)は、三次元世界においては、物質や電磁気的エネル
ギーとして観測される。
8.三次元宇宙空間内の遠くの物質は、過去として観測される。高次元世界で発生したエネル
ギーの一部の要素は三次元世界に投影された時、電磁気力や三次元的光として観測され、空間
を時間を経過して伝達するように観測される。遠くの物質は主に光として観測可能である。すなわ
ちこの光は時間経過したところの「過去」を観察しているに過ぎない。この意味で三次元で使われ
ている「時間」の概念は「過去」の観察であり、空間の観測として使われている。
9.高次元で発生した「重力」は次元降下することによって、三次元世界においては物質と物質と
が引き合う「万有引力」として観測される。しかし、高次元で「重力」が果たしている様々な要素は
三次元的には観測できないであろう。
大雑把な検討で恐縮だが、「時間」というものの次元世界的解釈を試みた。
<6-4>時間は過去の観測道具であり三次元世界は幻想だった!
上記の「時間」に関する考え方のポイントをまとめてみよう。
1.三次元世界的には、「時間」は一方的に流れ行く機械的リズムであって、未来、現在、過去の
概念と感じる。
2.三次元世界的には、「時間」は過去を観察する尺度であり、空間を観測する尺度として使われ
ている。
3.高次元世界的には、「時間」は一方的な流れではなく、創造の一瞬一瞬の「今」として捉えられ
る。
4.高次元世界の「今という時間」の一瞬一瞬で心が創造活動した結果として、エネルギーと重力
が発生する。言い換えると、心の「今という時間」の一瞬の創造活動が、エネルギーと重力に変異
する。
5.エネルギーの三次元的投影が物質、電磁気力、光として観測される。
6.重力は高次元では全ての存在同士が知性とバランスをもってリンクしあい有機的な創造活動を
営んでいる。三次元世界への重力の投影は万有引力としてのみ観測され、万物を引き合う力とし
てのみ理解される。
ここで注意すべきことは、三次元世界で我々が一般的に認識している「時間」は、過去を観察する
尺度であり、空間を観測する尺度として使われている、ということである。これはどういう意味だろう
か?
(1) 空間を計測(認識)するためには「時間」を使っているということだ。宇宙空間の星の距離を測る
のに○○光年とするのは、まさしく「時間」は「空間の距離」を現しているということを意味する。すな
わち、空間を計測しているということは、「過去」を計測しているということだ。「空間は過去」である。
すなわち言葉をかえせば「空間は時間」とも言える。既に過ぎ去った「過去」は存在しない。つまり
「空間はない」ことを意味している。
(2) 同時に我々が通常認識している実質的な「時間」の概念は、過ぎ去った過去を記憶し観測(認
識)するために使っているということだ。
これら(1)(2)二種類の「時間」の使い方は共に「過去」を計測(認識)するための道具であると言いう
る。これの意味するところは何か?三次元世界の役目は「過去」の計測(認識)に過ぎない、という
ことだ。別の言い方をすれば、三次元世界は「過去」だ、という言い方も可能だ。もっと別な言い方
をしてみよう。「三次元世界はない」ということであり、「三次元世界は幻想だ」とも言い得る。
この意味するところは重要だろう。我々が実在感をもって日々生活していると感じているこの三次
元物質世界は存在しない幻想、という理解に到達する。では一体何のための三次元物質世界な
のだろう?存在しないということは決して「無意味」とは意味が違う。「幻想」であっても「意味はあ
る」。その幻想が、何かの役に立てば意味は発生する。価値が出てくるといえる。
では我らが住んでいると感じている三次元物質世界はどんな役に立ち、どんな意味と価値をもっ
ているのだろうか?それは三次元世界の本質的性格に全てが語られている。「過去を観察する」こ
れが三次元世界の究極の役目と言える。何のために?高次元の自己に創造の結果を報告するた
めだ。
高次元の我々人間(人間だけではなくあらゆる生命体)が高次元の世界の「今」の一瞬一瞬に、心
を働かして創造活動する。その創造活動の一瞬一瞬にエネルギーと重力が発生する。それらは
次元降下して三次元物質世界に投影される。同時に人間や生物自らも自己の投影として三次元
物質世界に自己を投影する。
三次元世界に自己投影されたあらゆる物質的生命体は、自己の五感の感覚を使って、自己が高
次元で創造した三次元世界への投影たる物質・空間を、時間を使って観察する。観測された情報
(認識)は高次元の生命体にフィードバックされて、高次元の自己の新たな創造に生かされる。
次元を超越して、全ての存在は有機的につながり、「今」という次元超越した時間の中心軸を通っ
て生命は次元降下し、創造の一瞬一瞬に発生する「重力」なるものによって、森羅万象は一体化
し統合と調和と英知が交流しあう、摩訶不思議な宇宙の構図の一端が垣間見られる。「今」として
認識される次元を貫く時間的中心軸は縦の「生命」の次元降下的存在とも言える。また、「重力」と
して認識される森羅万象を貫き統合する力は、横に広がる「愛」的存在とも言える。
高次元世界における「今」の一瞬一瞬における創造と、「今」の時間を通した三次元物質世界への
投影(次元降下)。そして三次元物質世界における「結果=過去」の観察と「今」の時間を通した高
次元世界へのフィードバック(高次元意識からの次元降下的観察)。これが高次元的時間の意味
だ。
そして、三次元世界に投影された空間的広がりとしての物質(すなわち過去)を観測するために三
次元的「時間」の尺度が使われる。
高次元的時間である「今」に創造が行われ、三次元的時間の「過去」において結果が観測される。
正に時間は、高次元の自己(自他を超越した自己)の自己表現芸術の必須の道具といえる。自分
が何者であり、最も自分らしい自分を知るためには、この表現方法は役立つのであろう。この宇宙
全体の機能が正にこの自己表現芸術のために存在していると言ってもよさそうだ。
<7> 重力と斥力(ダークエネルギー)に関する考察・・・おまけ
この章はおまけです。
<7-1>現代科学が知る4つの力とダークエネルギー
「重力」は現代科学での4つの力(重力 電磁力 弱い力 強い力 )の内の一つとされ、最も難解とさ
れている。最近の理論は「膜宇宙論」らしいが、その4つの力の統一理論は完成されていない。最
近では宇宙が急速に膨張していることが観測されたために、今までの4つの力だけでは説明でき
なくなった。そこで現れたのがダークエネルギー(暗黒エネルギー)だ。
「ダークエネルギー」はもっぱら「真空エネルギー」として考えられている。アインシュタインが自ら
考えた「宇宙定数」を後に自ら否定したが、その得体の知れないものが、「ダークエネルギー」とし
て再認識されている。さらに真空には無限のエネルギーが潜んでいるという認識が出始めている。
これらの現代科学の宇宙論を参考にしながら、重力とダークエネルギーの二つの秘密について、
次元降下宇宙的に考えてみたい。
<7-2>重力の伝達スピードは?
次元降下宇宙に照らせば、 「重力」は前述の通り、高次元世界での「今」という時間の一瞬一瞬の
創造活動で発生された要素の一つだ。ひとつが重力で、もう一つがエネルギーだ。エネルギーは
物資として三次元世界に投影し、同時に電磁気力としても投影される。それらの力を現代科学に
照らして表現すれば、電磁力、弱い力、強い力となるのだろう。このエネルギーの三次元世界への
投影は、三次元的時間経過という「過去=物質的結果」を計測する時間の尺度によって認識され
ている。
これに対して重力は異質だ。三次元的時間には拘束されない。重力の三次元世界への投影は
「万有引力」として万物を引き合う「力」として観測可能である。これは現代科学にいう「重力」である
が、三次元世界で観測される「重力の影(万有引力)」は引き合う力としてだけの観測であって、高
次元での真の重力の複雑な働きとは雲泥の差があることを理解する必要がある。
現代科学においては、 「重力」の伝達スピードが無限であるか、有限であるかという議論がなされ
ているが、これに対しての決着はつきそうにない。実験観測的に有限を証明したという研究者もあ
るが、それを否定する研究者も多い。要はよく分らないのだ。
次元降下宇宙的に解釈すれば、「重力」は高次元世界での存在であり、三次元世界的な時間の
概念に縛られた存在でないことを知る必要がある。すなわち、時間の概念外に存在する存在であ
るが故に、「今」の一瞬にしか重力は観測されえず、「今」の一瞬に宇宙の全ての存在と有機的に
繋がっていると解釈する。
これを三次元世界的に観察すると、「重力」の伝達スピードは無限ということになる。要は三次元的
時間の概念の外に「重力」は働いているという意味だ。すなわち重力のスピードなるものは三次元
的観測の範囲外にある。
(参考 ホゼ アグエイアス著『アルクトゥルス・プローブ』 この書は時間の概念と重力の概念に関し
てヒントを与えてくれた)
<7-3>ダークエネルギーの解釈?
最近の宇宙科学で大きな謎とされている「ダークエネルギー」について少し考えてみたい。現代科
学では「ダークエネルギー」は「真空エネルギー」という解釈に向かっている。次元降下宇宙の考
え方では、三次元世界の謎を解く最大のキーワードは「時間」と考える。
三次元的な意味における「時間」は「過去」であることは前述した通りだ。三次元物質世界の最大
の特徴は、「時間」という概念を使った、高次元創造の三次元世界への投影結果の観測にある。
高次元世界での創造は、「因果の法則」等を使って三次元世界にその結果として、物質・空間を
現すことになる。創造の結果としての三次元世界は畢竟「結果」であり「過去」として我々に認識さ
れうるものである。
もし、三次元世界に4つの力だけしか存在しないという事になれば、ビッグバンの有無にかかわら
ず、いつか必ず宇宙は収縮に向かわざるを得ないことになる。しかし、宇宙を観測すると益々膨張
しているということで、宇宙科学の研究者たちは驚いたわけだ。そこでダークエネルギーという存在
がどうしても必要となった。
では「ダークエネルギー」 とは何を意味するのか?ここで古典物理学に登場する「エントロピー増
加の法則」を参考にしたい。「エントロピー増加の法則」とは分子の振動によって引き起こされる物
資が拡散する性質のことを言う。分子の「振動」すなわち「変化」「運動」がエントロピー増加の原因
とされている。
万物は自然に任せておけばエントロピー増加の法則にしたがって、不確定に拡散する運命にある
ということを意味している。このエントロピー増大の法則に隠された原理は「変化」である。「変化」と
いうことは三次元世界的「時間」での物質の運動を意味している。
一方全ての物質的存在は動いている。つまり「変化」し「振動」している。これは正に三次元世界へ
の物質的投影の宿命である。物質宇宙に投影されている物質は一切が動き、変化し、振動してい
る。つまりエントロピー増加の法則的に言えば、拡散する運命にあるということだ。
これを次元降下宇宙的に解釈すれば、三次元世界に投影されている物質は全て「時間」という概
念に支配されている。変化、動き、振動という時間的変異の枠から離れることはできない。この「時
間」の概念に拘束されている三次元宇宙の全ての存在は運動という本質を持っている。つまり全
てが不確定的に拡散する運命を持っていることを意味している。
表現を変えれば、三次元世界における「時間」は物質(空間)の拡散要素そのもの、ということがで
きる。つまり三次元世界の「時間」自体に万有斥力の秘密が隠されていると言える。言い換えると、
三次元的「時間」の概念に従う「物質」そのものが万有斥力といえる。これが科学者の探している
「ダークエネルギー」の正体と考えられる。
<7-4>では真空エネルギーとは?
現代科学が考える「真空エネルギー」はどういう解釈になるのだろう?それこそ無限の創造に繋が
る「今」の通路とでも言うべきものだろう。それは勿論三次元世界にあるのではないことは当然だ。
高次元世界に繋がる「今」の一瞬に創造活動が起これば、次元降下的に三次元物質世界にその
投影が現れるということになろう。
その意味で宇宙のあらゆる真空は無限の宝庫以外のなにものでもないことになる。
以上で時間の不思議とおまけは一区切りさせ、いよいよ次の難題に突入したい。「お金」だ。
<8> 人類の妄想「お金」の謎!
<8-1>お金、金融、銀行の起源は?
いよいよ最後に残された問題「4.お金に価値があるという幻想」に移ろう。その前にお金の起源に
ついて少しまとめておきたいと思う。
為替の起源は紀元前 3000 年頃に、古代バビロニア(現在のイラクあたり)であったと言われている。
お金が使われ始めたのも、紀元前 2500 年頃のやはり古代バビロニアという。シュメール、アッカド、
バビロニア等は総称してメソポタミア文明として人類最古の文明の発祥地とされている。
ここから生れた人類最古といわれる高度な文明は、世界最古の文字、都市国家、灌漑農法、神殿、
軍隊、商業、ハムラビ法典、1 年 12 ケ月、1 週間 7 日、1 日 24 時間、円の角度 360 度、10 進法、
12 進法、20 進法、60 進法の天文学、等現代文明の基礎となるものがすでに出来上がり、ここから
世界に広がっていったのだろう。勿論他の地域にも独自の文明が始まってはいるが、近代文明に
繋がる物質文明の種はここに見出される。
一方金融業の始まりとも考えられる両替業務の始まりはいつ頃だろうか?新約聖書マルコによる
福音書第 11 章には、キリストがエルサレム神殿で両替人の台をひっくり返したとあるように、キリス
トの時代にはすでに両替人が商売している。キリストは厳しくエルサレム神殿広場での商人、両替
人を排斥し、彼らのことを「強盗」とも呼んでいる。
<<近代的な銀行制度の淵源は通常、13~14 世紀にかけて北イタリア・ロンバルディア地方で発
達した両替商、あるいは 17 世紀イギリスのゴールドスミス(金匠)に求められる。ちなみに銀行を指
す「バンク」は、イタリアの両替商が利用していた「バンコ」という両替台に由来する>>(『日本銀
行金融研究所 貨幣博物館』より引用)
大雑把に見ると、お金の発生、金貸し、金融業、銀行への発展は、古代バビロニアに始まりヨー
ロッパ方面へとわたり、イタリア、イギリスへと向った。1400 年頃イタリアジェノヴァのサン・ジョルジョ
銀行が最初の銀行とされているが、現在式の銀行の誕生は中世末期のイギリスらしい。
「金利」という概念は既に両替、金融の世界には芽吹いていたことだろう。「金利」の概念は「お金」
を神以上の永遠性にまで、その幻想を拡大させて行ったのだ。さらに当時は金、銀でできた貨幣
での流通であったが、「銀行制度」の確立と「紙幣」の発行、「信用創造」という概念によって、「お
金」はいつの間にか「負債としてのお金」の概念へと、その性格が次第に変化していったのだ。
<8-2>お金の持つ機能は何か?
「お金」とは一体何か?を考える上でとても分りやすい作品がある。先に触れたミヒャエル・エンデ
の『モモ』において「時間泥棒」や「時間銀行」を登場させ、有限と見える時間に縛られる人々の生
き方に警鐘をならしたが、その真意は「時間」とダブらせて「お金」のシステムの矛盾を問いかけた
ものだと言われている。最晩年のミヒャエル・エンデへの取材記録を中心に作られた『エンデの遺
言~根源からお金を問う~』という、1999 年に NHK の BS1 で放送された作品にこういう内容があ
る。
<<エンデはお金にはいくつもの異なった機能が与えられ、それが互いに矛盾して、問題を起こ
しているのだと言います。 お金は、最初は物や労働をやりとりする交換手段として発達しました。し
かしお金は、財産や資産の機能も持っています。このお金は貯めこまれ流通しないお金です。さ
らにお金には、銀行や株式市場を通じてやりとりされる資本の機能も与えられています。お金その
ものが、商品や投機の対象となります。>>
ここに示されているようにお金には次の3つの別の機能が含まれている。
1.交換手段(流通機能)・・・流通するお金(物を流通させることが目的)
2.貯蓄(財産・資産)の機能・・・流通しないお金(お金を増やすことが目的)
3.資本の機能・・・お金そのものが商品や投機の対象となる(お金を増やすことが目的)
1.のお金の概念と2.3.のお金の概念は全く正反対となる。お金は本来血液のように流通するこ
とによってのみ、経済活動が活性化する。それが1.の流通機能だ。それに対して2.3.はお金を
増やすこと、又は財産保持が目的となり、市場に流通しなくなる。すなわち血液が停滞する。これ
ではお金自体の内に自己矛盾を持ち、故にいつかどうしても自己撞着に陥ってしまう運命にある
と言わざるをえない。
『資本論』を書いたマルクスはこのようにお金の機能を教えている。
(1) W(ベー)-G(ゲー)-W(ベー) ・・・物-お金-物・・・お金は物を交換する手段・・・交換手段
(物を流通させることが目的)
(2) G(ゲー)-W(ベー)-G’(ゲーダッシュ) ・・・お金-物-お金・・・お金を投資し物を購入、販売
することによって余剰金利を生む・・・物を使った資本の増加(お金を増やすことが目的)
(3) G(ゲー)-G’(ゲーダッシュ) ・・・お金-お金・・・物を介在させず、お金の投機による資本の増
加・・・物を介在させない金融商品による資本の増加(お金を増やすことが目的)
(1) は1.と同じお金の流通機能である。(2) は通常の商取引ではあるが、お金を増やすために物
が使われだすと、本来の1.流通機能とは別の性格を帯び出す。つまり売らんかなの商売主義に
変貌し、売るためには手段を選ばない、守銭奴の様相をきたしかねない。 (3) はもはやお金を増
やす以外のなにものでもない。生活のための物資やサービスの供給は、そこには全く存在しなくな
る。そしてお金が本来持つ「流通」の機能を著しく麻痺させる。と同時に人々をしてさらにお金に執
着させる。
マルクスは資本主義が進むと最終的には資本は集中し、国家が唯一の資本家になるという理論を
構築した。そして共産主義を唱え、共産革命が必然的に起こるとしたが、彼の理論は「国家資本
主義」であって、資本主義の一つの形態に過ぎないといえる。彼はれっきとした資本主義者なのだ。
この理論を実行したのが社会主義、共産主義国家だが、彼らも資本主義の一形態にすぎないと
いえる。決して本質的な問題解決にはなりえていないのだ。
因みにマルクスはお金が持っていると考える「価値」の意味を真剣に考えなかったのだ。「お金」に
「価値」があるという前提で理論を構築していったが、その根本における「価値」の本質を真剣に考
えようとはしなかった。故に彼の「資本論」は砂上の楼閣のような理論となった。この「お金」に潜む
「価値」と「信用」に対する理解無しには、正しい経済学は立てられるものではないだろう。
なぜなら「お金」は一重に「信用」と「価値」という幻想的概念の上に構築されているからである。
「お金」は「金」や「貨幣」や「紙幣」や「銀行口座」のように見えているが、その実体は「信用」と「価
値」という形而上学的概念であることを知る必要がある。これは「お金」に限ったことではないのだ。
ありとあらゆる物質的存在の元は、一切が形而上学的な存在であることを知る時期に人類は来て
いるのだと思う。この視点に立たない限り「お金」の本質も「物質」の本質も「財産」の本質も真に理
解しえないことになる。
「価値」について「自由貨幣」の概念を確立したドイツ人実業家・経済学者シルビオ・ゲゼルはこう
言い放っている。<<このことをはっきりさせたいと思う者は、「価値の思想に隠された国民経済学
の教理だ」というゴットルの文章を読むべきであろう。大学教授は同僚に対してこういったことは儀
礼上直接に口にしないが、内輪ではよく話題になる。つまり、いわゆる価値は幻想であり、実際の
ところ想像力の産物でしかないのだ。>><<国民経済の研究を価値理論から導き出したマルク
スにもこれは言える。「価値は幽霊である」と言いながら、彼はぶ厚い 3 冊の本でその幽霊を追い
出そうとはしなかった。「加工した物質から具体的な特性を取り去ると、たった 1 つの特性、つまり
価値が残る」とマルクスは言った。>> (「シルビオ・ゲゼル研究室」~代表作「自然的経済秩序」
~第 3 部 お金の実態 3-3 いわゆる価値 より)
<8-3>「金利」の問題点・・・お金(物質)が成長するという妄想
お金には「金利」という概念がつきまとう。これは上記<8-2>2.3.(3) の貯蓄機能、資本増加
の機能に付きまとう概念だ。お金を貯蓄、投機しようとする目的と動機になるのが「金利」だ。「金
利」は不労所得と呼ばれる。働くことなしにお金がお金を生むことだ。働かずに「お金」を増やすこ
とが人生の目的である場合は、この「不労所得」という手法を使うことになる。一方「働くこと」が人生
の目的である人にとっては、「不労所得」は意味をなさない。「金利」だよりのお金の増加には興味
を示さないだろう。
この金利を生むという概念は一体どんな本質を持っているのだろうか?時間が立てば立つほど、
お金が増加するという妄想を抱かせる仕組みなのだ。高次元の世界における生命的存在は、三
次元世界に投影されている「時間」的概念に縛られていないので、時間外にいる。すなわち、永遠
性が本質なのだ。
それに対して三次元物質世界に存在するものは、いつか衰退、滅亡の運命を持つ。因みに三次
元世界に投影されている動植物が一時的に成長するかに見えるのは、高次元生命の創造活動
(生命の働き)が行われている場合に限る。その影の投影として、「成長」として観測されているの
だ。すなわち「生命的働き」は「成長」であり、「生命の拘束力がなくなった物質」は拡散し、消え行
く運命をたどる。
その三次元物質の「お金」自体に永遠性と成長を求めようとすること自体に問題があると言える。
(永遠性を求めるなら、高次元の自己の本質に気づけばいいだけなのだが、三次元世界が全てと
いう幻想に縛られていると、どうしても三次元世界に永遠性を求めてしまうのだ。)自己の生命が三
次元世界では「死」によって永遠性がないことを知っている人類は、永遠性を神とお金とに求め始
めたと解釈できる。成長を求めるなら「生命を働かせる」ことに求めるべきなのだ。
永遠になくならないものに対する憧れが、「金」の所有、その形の別れとして「お金」に向かったの
であろう。「金・きん」と「お金」という物質に対して「自己に対する永遠性」という概念を移植している
のだろうと思われる。それによって心の安定を得ようとする。「自分には永遠という概念的存在を所
有している」と。
しかしながら、彼が「死」を迎える時、それらは幻であった事に気づくことになる。その時本当の永
遠性の意味を知るのかもしれない。まあ、それはそれでいいのかも知れないが、「お金」に対して
永遠性という幻想を抱かせようとする試みは、役に立たないということだ。いつか化けの皮がはが
れる。そして徒労に終わることだけは明らかだ。
「お金」に組み込まれた永遠性だけでなく、「金利」という概念を付け足すことによって、さらに「お
金」が永遠に自己増殖するという幻想をも与えてしまった。これは三次元物質人間にまとわりつく
「欲」に作用して、さらに夢中にさせる力を持った。こうなると「神」よりも偉大な力に見えてくるのも
無理からぬことだ。神よりももっと実際的に永遠性と永遠増殖するという幻想に人々は夢中となっ
た。
もうこの域に達すれば「神への信仰」をはるかに超える「お金信仰」と言われてもしかたがないだろ
う。現に「信仰」となっている。しかし、残念ながらこの信仰もいつかは化けの皮がはがれる時が来
る。その時がいつ来るか?貨幣の暴落、株の暴落、経済恐慌、政治国家体制の激変等々、人類
は幾たびも経験済みのはずだ。
何はともあれ、お金にまとわりつく「金利」の概念が曲者だということが少しは理解できたと思う。
<8-4>「マイナス金利」「金利なし」のお金の模索・・・「自由貨幣」「地域通貨」
1929 年の世界大恐慌により既存通貨の流通が途絶えたことにより、世界各地で様々な「自由貨
幣」が使われ始めた。
この「自由貨幣」は特定の地域でのみ流通する貨幣に代わる物で、国家が作ったものでなく、地
域住民が自主的に使い出したものだ。その「自由貨幣」の元の概念は、1862 年ドイツ生まれのシ
ルビオ・ゲゼルの『自然的経済秩序』に記された「自由通貨」という概念だ。
ミヒャエル・エンデは言う。
<<『私が知る限り、それはシルビオ・ゲゼルから始まりました。そのことを真剣に考えた最初の一
人です。ゲゼルは、『お金は老化しなければならない』というテーゼを立てました。さらに「お金は
経済活動の最後のところでは、再び消え去るようにしなければならない」とも言っています。つまり、
例えて言うならば、血液は骨髄で作られて循環し役目を終えれば排泄されます。循環することで、
肉体は機能し健康は保たれているのです。お金も経済という有機組織を循環する血液のようなも
のだと主張したのです。』(ミヒャエル・エンデ)>>(『エンデの遺言~根源からお金を問う~』より)
「お金」を老化させるために「減価する貨幣」(マイナスの金利)、すなわち時間がたてば値打ちが
なくなっていくシステムを持たせているのだ。こうするといつかお金も価値がなくなる。価値がなくな
る前に人々はそのお金を使って物を買うように努力する。お金が市場に流れ出す。それによって
経済が活性化する。という仕組みだ。
現に「マイナス金利」をつけた実際例も現れたが、「金利」をつけない自由貨幣も使われ始めた。
「金利」をつけないことによって、貯蓄としての意味は余り持たなくなる。それにより、流通が促され
る。自由貨幣が使われたのは比較的狭い地域内ではあったが、極めて有効であった。
イスラムの世界では、金利を取ることをたしなめている。現にイスラムの銀行には「金利」を取らない
仕組みが実施され、最近特にイスラム式銀行と、イスラム経済が注目を集めているようだ。イスラム
の教えコーランに基づく社会制度と生き方がそういうシステムを模索しているのだ。 これは「金利」
に潜む物欲の罠に対する素晴らしい知恵だと思う。
因みに金利を取らないイスラム銀行はどうして利益を得ているのか?それは投資の形で事業に参
加し、共同経営者として儲けを受取る。もし事業が破綻すれば、当然出資額は回収できないことに
なる。(「借金、ローン」の場合は、借り手が破綻しても借金はなくならず銀行側は担保を取ることが
できる。「出資、投資」の場合は、借り手が破綻すれば銀行側は出資金を回収できない。)コーラン
をベースとしたイスラム法に基づく思想の中に、古代バビロニアから発生した「金利を持つお金」に
対するひとつの現実的な解決の青写真が見え隠れしている。
バブルが崩壊した最近の日本では低金利、ゼロ金利の時代に入った。高度成長の時代が終わり、
低成長、マイナス成長の時代に入ったためだ。マイナス成長の社会では、資本投下しても資金が
回収できないため、企業は投資しなくなる。銀行からお金を借りなくなる。工場で物を作っても売
れないから、資金が回収できない。つまり金を儲けることを目的としている企業家、資本家は会社
工場経営をするよりは、何もしないでいることの方が損をしない。お金は誰も借りてくれなくなる。当
然金利は下がる。こんな時代に突入し始めたのだ。
マイナス成長の大きな要因となったひとつに高度な技術革新がある。コンピューター、通信、特に
インターネットの発達により、従来物質的生産、物質的移動に頼ってきた産業構造がガラリと変
わってきた。物質の絶対性にかげりが出てきたのだ。物質に依存する産業構造は、大量の物質的
資材と大量の労働力、大量のエネルギー、大量の交通手段を必要としていた。それらは全て大量
の消費を意味する。
高度な技術革新時代に入ったことにより、従来型の物質資源とエネルギーと労働力を必要としなく
なったのだ。物が売れなくなったため、物を作る工場企業の衰退が始まった。それにより資本家
(銀行家や資産家)による資本の回収が始まった。あまった「お金」の行き場がなくなったのだ。「お
金」は機会を捉えては、増殖のチャンスだけを狙っている。鵜の目鷹の目で「儲け」のチャンスを伺
う。
先進国で行き詰まった資本家たちは、世界の果てまで物を購入させる市場を開拓しようとする。つ
まりお金を使わせ、借金させるための仕組みを世界に広げることだ。彼らはそれを「グローバル化」
と呼んだ。グローバル化の目的は、西欧社会で飽和状態になった生産物を買わせることであり、
余りに余ったお金を使わせることにすぎない。そうして後進国に投資されたお金は現地の人々の
生活に欲を引き起こさせ、消費へと向かわせる。そしてお金と負債という銀行のシステムを使って、
その国から富を吸い上げるシステムとして定着する。
<8-5>国際金融組織のビジネス「戦争」をなくす道
それらの方法が見当たらない時には、「金融恐慌」や「戦争」という手段を使って自己増殖をはか
ろうとする。彼らにとっては「金融恐慌」も「戦争」も唯単なるビジネスにすぎないからだ。「金融恐
慌」は富の移動にすぎず、圧倒的多くの人々の富は失われるが、それを仕組んだ一部の人たちに
それらの富が移動するに過ぎない。
一方「戦争」は全く無意味な大量消費と大量生産に過ぎない。同時に全く無益な殺戮と徹底破壊
に過ぎない。その過程で大量の「お金」が創造され、大量の「お金」が流れ、それに伴って国際金
融家たちだけが膨大な利益を得ることになる。他の誰も得はしないのだが、一部の政治家や軍人
や軍需産業にかかわる財界人達は、「富を増やしたい欲」のために、国際金融組織の手に落ちる。
そして戦争への道に進む。
「戦争」へのシナリオは単純だ。
1.国際金融組織や軍事産業は自らの利益のために常に戦争を必要としている。戦争の火種のあ
りそうな場所であればどこでも良い。主義主張、思想、道義的な問題とは全く無関係である。
2.双方の国民と指導者に恐怖心と憎しみを煽る情報工作を行う。
3.双方の国に軍事支援のための資金の貸し出しをし、戦争の準備態勢をとらせる。
4.双方の軍事力が高まれば、さらに恐怖心を増し緊張状態になる。
5.きっかけとなる事件を策略し、戦争が始まる。
6.戦争当事国双方の経済と国力は疲弊するが、双方にお金を貸し付けた国際金融組織と軍事
産業は膨大な利益を手にする。
経済の成長、経済のグローバル化、市場拡大、富の集中という幻想の行き着く先の姿がここにある。
自然の摂理において、マイナス成長、ゼロ金利の時代が現れたのが今の日本と言える。しかし、
無理矢理再び消費を促進させるために、戦争という最大の消費市場を人為的に作ろうとする動き
も現れかねない。日本の政治家、経済人、銀行家や国際資本家の三次元物質世界への幻想がさ
めない限りにおいて、戦争というビジネスも止まないだろう。
「お金」という三次元物質世界の幻想に囚われた人たちにとって、戦争は最も儲かるビジネス以外
の何ものでもないからだ。それは独り国際金融組織の意思の問題ではないのである。人類の一人
一人が、市民が、企業家が、政治家がそれぞれにおいて、自己の高次元世界の存在に帰る必要
があるということを意味しているのだ。
銀行家がいくらお金を創造しようとも、銀行家がいくらローンの誘惑を提供しても、その誘惑に乗る
かどうかは我々一人一人の意思によるからである。我々が三次元物質世界に縛られた「欲」がある
限り、三次元肉体生命の「死」を恐怖する限り、「お金」に基づく富の搾取のシステムは永遠になく
ならない、ということを肝に命じるべきである。「お金」と「銀行システム」は、人類に染み込む三次元
世界に縛られた「欲」「執着」に起因しているからだ。
「戦争反対!戦争反対!」と叫ぶ人たちがいる。それは当然のことではあるが、そんなことでは戦
争はなくならないのだ。戦争の真因は、人々の心の奥に隠れている「欲」「恐怖感」「憎しみ」である
ことを知らねばならない。「欲」「恐怖感」「憎しみ」はどこから来るか?三次元物質世界が全てであ
るという幻想から来ているのだ。
「三次元物質世界が全てだ」とい幻想の夢から覚めて、自己の存在が高次元世界の生命であるこ
とを思い出すことによって、三次元物質世界に対する「執着」「欲」「恐怖心」「憎しみ」は自然と消
滅するのだ。別に頑張ってそれらを追い払おうと努力する必要もない。追い払おうと努力すると言
うことは、「執着」「欲」「恐怖心」「憎しみ」があるという前提をいまだ持っている証拠なのだ。
その前提に自己がしがみついている間は、それらは付いて回るだろう。そして最後には疲れ果て
るのだ。「自分の力ではどうにもならない!」と。それでいいのだ。「自分ではできない!」「しなけ
ればいけないことはひとつもない」のだ。既に高次元世界では「執着」「欲」「恐怖心」「憎しみ」 な
ど存在しない、「今」の瞬間に自由な創造が行われ続けていることに気づけば良いだけだったのだ。
「自分の力ではどうしようもならない!」と三次元肉体の自我が諦めの境地に入った時、高次元の
真の自己の存在が次元降下してくるだけだ。それには努力や頑張りはいらないのだ。「気づけば
よい」だけのことである。実は既に気づいている高次元の自己の存在を思い出すだけでいいのだ。
そしてその高次元の存在が「自己そのもの」である、という立ち位置で新たな創造を始めればよい
だけだ。
<8-6>お金の真の意味は?
次元降下宇宙的に「お金」の発生理由を考えてみよう。まずは基本を再確認しておく。
人の本質は高次元世界に存在する。その存在は「今」の一瞬に創造を行い続けるものだ。一瞬一
瞬の創造活動で発生するのが、重力でありエネルギーだ。その重力は全宇宙の「今」に創造され
る万物との間に、統合とバランスと情報交換を行う。重力は三次元物質世界への投影として万有
引力として観測され、エネルギーは物質、電磁気力として観測される。
三次元物質世界は時間を一方的に流れる過去として観測され、創造の結果として投影された物
質・空間は、時間のスケールを使って空間的広がりとして観測される。
三次元物質世界に自らを投影した我々人間は、時間というスケールを使って物質・空間として投
影された自らの創造の結果を観測する。三次元世界の人間の感覚器官はそれらの投影物として
の結果を観測するための道具となる。そこで観測された認識(情報)は高次元世界の自己の本質
にフィードバックされる。
しかし、自己の意識が三次元物質世界の肉体的存在が自分の全てであるという錯覚の枠にとらわ
れている限りにおいて、三次元世界の自己の意識の縛りによって、様々な矛盾や問題や悩みを感
じる。これらの感覚は自己が高次元的存在であることを思い出そうとしている明確な兆候である。こ
れらの矛盾、問題を解決する唯一の方法は、自己が高次元的存在であったことを思い出すことに
ある。自己の意識が高次元の存在であることを思い出す程度に応じて、全ての問題は自然に消滅
する。
まあ、概略再確認をしたので、これらの基本概念に基づいて「お金」の発生理由を検証してみたい。
1.人間の本質が高次元的存在であり、「今」の一瞬一瞬において創造を続けるものだ。同時に万
物と統合しバランスを取り情報交換しあっている存在である。すなわち「創造」であると同時に「一
体感」を持つ存在だ。
2.故に三次元物質世界に投影されている肉体人間も、創造することと一体感(愛)を感じることが
本質となる。
3.故に物やサービスを自らが創り上げ(働き)、他人に提供することを本質的に求めている。
4.しかし、三次元物質世界の自他分離(自我)の概念に縛られている間は、(1) 無償で与えること
に抵抗を感じはじめる。同時に(2) 無償で相手から物やサービスを受けることにも抵抗を感じはじ
める。(いつか相手に返さねばならないという負債の観念を抱くためだ)
5.(1) の無償で与えることに抵抗があるために、対価を求めはじめ、それが後に交換手段としての
「お金」を必要とすることになる。
6.(2) の無償で相手から物やサービスを受けることに抵抗があるため、何かの物やサービスを受
けた時には、負債の観念を持つ。この「負債」の観念を帳消しにするためになにかしらの「価値」や
「お礼」を相手に提供する。その「価値」や「お礼」にあたるものが「お金」の形に変わることになる。
7.(1) の意味から生じる「お金」は、物やサービスを与える側から見た「対価」であり、(2) の意味か
ら生じた「お金」は、物やサービスを受ける側から見た「負債」といえる。
8.もし高次元世界の自己の存在を双方が持ちえた場合には、(1) の与える側の「対価」の要求も
起こらず、(2) の受ける側の「負債」の感情も起こらないことになる。それは家族間においては顕著
に現れている事実であるが、さらに母親と赤子の間においては、全くと言っていいほどに「対価」の
意識も「負債」の感情も起こらない。(勿論赤子は高次元世界の自己の存在を現在意識では気づ
いていないと思われ勝ちだが、少なくとも三次元物質世界的な存在であるという認識を持っていな
いことは確かだろう)
9.すなわち、三次元世界に意識が拘束されている程度に応じて、人間同士の物やサービスのや
り取りに際して、「お金」という幻想を介在させざるを得ないということができる。
<9> 世界支配のために考えられた「銀行システム」の怪!?
<9-1>米国FRB(連邦準備制度理事会)の実体?
前章で世界恐慌の話がでたが、因みに世界大恐慌を意図的に作り出したのは、何を隠そう米国F
RB(連邦準備制度理事会)とそれを操る国際金融資本家たちだ。世界恐慌の直前、米国FRBが
ドルの供給量を 16 ヶ月間で62%増やした。好景気に湧く中、人々は競ってローンを組んで株を
買った。しっかりと「欲」に駆られ彼らの誘惑の罠にはまったのだ。その株は「24 時間コール(請求)
ローン」として発行され、銀行からの返済請求があれば 24 時間以内に金を返さねばならないもの
だった。(この仕組みなどは不況を作るために仕組んだ罠としか考えられない・・・)
そしてニューヨークの金融業者が一斉に回収を開始した。借り手は投げ売りせざるを得ない状況
になり、NY株価が大暴落を起こす。さらにFRBは通貨の供給量を激減させ、世界大恐慌となった。
人々は株式、債券、家、預金口座の多くを失った。大物金融家達は先に高値で売りぬけ、暴落後
に超安値で株を買い漁った。これをきっかけに、彼らは真の権力を手にしたと言われている。
この世界大恐慌の舞台装置を演出したFRBとは何か?FRBは米ドルの発行の権限を持つ民間
金融機関の集まりであり、ドルを発行して米国政府に米国債と引き換えに売り渡している。正に無
から「お金」を印刷して、米国政府に紙っぺら一枚に対し「1ドル」の価格で買わしているのだ。(ド
ル紙幣には金利は付かないが、米国債には「金利」が付くため、それ以後の「金利収入」はごっそ
りFRBの銀行家に入り続ける)
FRB等銀行家たちは米国債を所有すると同時に、米国債から発生する膨大な金利を米国民から
連邦所得税として延々と搾取し続けるのが、FRBという中央銀行を使った銀行家による米国支配
の仕組みだ。その銀行家を所有しているのは、極一部の国際金融資本家たちだ。誰が米国を支
配しているのか?ロスチャイルドを筆頭とする国債金融組織ということになる。(参考資料 「詐欺
師集団=国際金融資本を告発するビデオ http://www.youtube.com/watch?
v=NLmmJmca9Jc&feature=related」 「裏の支配勢力史6 第一次世界大戦~ナチス~RIIA~C
FR~BIS http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=211315」)
因みに、米国中央銀行にあたるFRBの成立と維持に当たっては、長年様々な血なまぐさい争い
が続けられている。<<国家負債のための利子付き債権の発行の立案を拒んだリンカーン大統
領が暗殺され、後を継いだアンドリュー・ジョンソンは、即座に同法案に署名している。これにより
「利子付き債権」を引き受けたのはロスチャイルドを中心としたユダヤ金融資本で、米国を乗っ取る
足がかりを持ったことになる。・・・それからおよそ 100 年後にも同じような米大統領暗殺事件が起
きた。奇しくも後継大統領もジョンソンという名である。そう、ケネディ大統領暗殺事件である。1963
年6月4日、ケネディ大統領は、FRB抜きで通貨を発行する権限を政府に与える Executive Order
11110 に署名した。これにより、11 月 22 日に暗殺されることになった。また、ケネディ大統領は、ベ
トナム戦争に反対(米軍事産業の利益に反する)、麻薬撲滅(世界最大の麻薬取り扱い組織であ
るCIAの利益に反する)、イスラエルの核査察を主張(イスラエルの利益に反する)などを主張して、
米国の実質支配者にとって、はなはだ厄介な大統領だった。>>(「FRBという富の搾取システム
(2) http://gabrico-ovalnext.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_33b4.html」より)
注)ケネディが署名した Executive Order 11110 という大統領行政命令 は現在でも生きているとい
う。しかし誰も実行することはない。なぜか?暗殺されるからだろう。現在では米大統領になろうと
するものは、影の権力者のシナリオを尊重する人物だけというのも無理はない。
<9-2>各国の中央銀行、銀行システムは誰の支配下にあるか?
ドルを発行する米中央銀行にあたるFRBに限らず、世界中の中央銀行はじめ無数の銀行のほと
んどは国際金融機関の勢力下にあると言われる。彼らは明確な目的意思を持って、銀行を作り、
その国の中央銀行を作り、「お金」を発行する権限に大きな影響力を持っている。そして、中央銀
行を中心とした膨大な銀行システムという仕組みを使い、その国の富を手中に収め、世界中の富
を手中に収めようとしているのだ。
中央銀行が存在することによって、その国に銀行を成立させる。中央銀行は紙幣を印刷して国に
提供する機能と、銀行から一定額の金額を中央銀行に預けることによって、各銀行にローン契約
を担保として、お金を創造する「信用創造」の権利を与えるという銀行存在のバックボーンとなる。
信用創造のシステムは念入りな計画により、その国の政治家を使って法制化されている。その国
の政府の成立過程、近代国家としての銀行システムのデザインは、国際金融組織の様々な勢力
によって巧みに築き上げられていくのだ。勿論日本の明治維新での近代化も例外ではない。
銀行は国や地方自治体、企業、国民に貸し付けた膨大なお金に基づく金利を手に入れる。銀行
の資金の元となるお金は、負債を国や企業、個人に負わせることによって銀行が信用創造するこ
とができる。信用創造するその元となる富はほとんどないといってよいのだ。国、地方自治体、企
業、国民が銀行から借金すればするほど、ローンを組めば組むほど、銀行家は「お金」を創造でき
ると同時に、金利が年々転がり込む仕組みが出来上がっている。
日本の2010年度末の国債残高は約637兆円。年間の利払い額は9兆7567億円という。約10兆
円のお金はその半分以上が銀行金融機関に支払われる。あまりにも低金利故、国民に分配され
る額は極めて少ないことは明瞭だ。銀行、金融機関に支払われる利払いのほとんどが、銀行家、
金融機関の資本家に流れることになる。国民の税金の多くは自動的に「銀行家」に流れるような仕
組みは出来上がっているのだ。
日本の国債は国内債の割合が多いと言って国債を発行し続けても良いという経済学者もいるよう
だが、それらの国民の税金で支払う利払いの多くが銀行家、金融資本家の手元に流れるのだ。
きっとその一部の経済学者はそれを知っているのだと思う。そしてその報奨金として上部組織から
一定の利益配分を受けるのだろう。そうであればそれを進める一部の経済学者は「うそつき」と言
わざるを得ない。もし彼らがそのことを知らないのであれば、もはや経済学者としての資格など全く
ないといえる。経済学者であれば「知らなかった」では済まされることではないだろう。そのどちらで
あるかについては、彼らに直接聞く以外に知りようはない。唯聞いても答えは返って来ないだろう。
中央銀行を中心とする銀行システムとは、国家、国民、企業に負債を負わせることによる、富の搾
取システムとして使われ続けていることを知っておく必要があるだろう。彼らは自らに富が流入する
ために銀行を使って負債、ローンを組むように仕向けるのだ。お金を貸せば貸すほど、銀行がお
金を自由に創造し、自分で創造したお金を使って、さらに年々金利を受取って行く。
金利の支払いができなくなった場合は、借り手から担保の財産を奪う。自身の銀行がつぶれかけ
たと言っては、国家に財政支出させて、銀行は国民の税金を奪う。銀行は投資した資金回収がで
きなくなり不良債権化したというが、場合によっては、不良債権化した投資先が身内である場合も
多々あるのだ。投資先の企業がつぶれたとしても、投資した資金は消えてなくなった訳ではない
である。誰かの懐に転がり込んでいるだけでそれが誰だか知らされていないに過ぎない。
彼らの真の目的は自分たちの手元に「お金」や富を引き寄せることに過ぎない。銀行が不良債権
でつぶれたと見せかけて、あらかじめ資金を別の身内に移動させ、その上で銀行破綻の形にすれ
ば、最終的には国家が税金で補填することを彼らは知っているに過ぎない。そしてそのための方
法、つまり政治家への準備はなされている。恐慌も銀行破たんも、単純に言ってしまえば、富の移
動に過ぎないのだ。そしてそれらは人為的に作為されていると考えるべきだろう。目的は「お金」
「資金」の集中と搾取にあると言ってよい。
中央銀行と銀行システムは借金(ローン)をさせることによって「お金」を創造し、金利を使って人々
から富を吸収し、極一部の国際金融家の手元に世界の富を集中させる道具であること。そして表
面的な経済情勢、政治対応は、多くの場合茶番劇と考えてもよいということを、人類は理解する時
期に来ているということなのだ。知らないことは最大の罪なのだ。仏教経典『那先比丘経』(ミリンダ
王の問い)には、「知って犯す罪より知らずに犯す罪の方が重い」と釈迦は説いている。
お金を握る銀行家がその国の政治、経済を握っているので、政治を動かすことは比較的たやすい。
政治経済を握るということは、軍事もにぎるということだ。戦争は最も富を消費させるので、積極的
に戦争を発生させては、軍事物資等の戦争費用のための資金を国家に貸し付ける。国際金融資
本にとって戦争は最も儲かる仕事なのだ。国際金融資本にとって右も左も、国家も民族もない。戦
争する双方に対して資金援助を惜しまない。勿論金利を取って儲ける。結局、国際金融組織の元
に世界中の様々な国家が存在し、その国の政府、経済、軍事、教育、一切がコントロールされる
仕組みができあがりつつあるのが、現代世界の状況と言える。
<<植民地の無力な人たちがジョージ三世の手から永久に自分たちのお金の発行権を獲得しよ
うとして、国際銀行家たちとの間で起こったのが独立戦争の主な理由だったのです。>>
ベンジャミン・フランクリン
<<アメリカで起こる粉糾、貧困、混乱のすべては憲法や連邦の欠陥ではなく、美徳や名誉を欲
することから来るものでもなく、紛れもなくお金、クレジット、流通手形の本質を知らないことが原因
なのです。>>
ジョン・アダムズ アメリカ憲法の父
<<私たちの国において、お金をコントロールする者が産業や商業の頭となっています。あなた
がシステムの頂点にいるほんのわずかな力ある人間によって、とても簡単に管理されていることに
気づく時、如何にしてインフレや不況が起こされてきたかを知るでしょう。>>
ジェームズ・A・ガーフィールド 元アメリカ副大統領
<<政府は消費者の購買力と政府の消費力を満足させるために、必要とされるすべての通貨や
クレジットを創造、発行、そして流通させるべきであります。これらの法則の採用によって、納税者
は膨大な金利の支払いから救われるでしょう。通貨の創造・発行の特権は唯一政府の至高の特
権であるだけでなく、政府による最も偉大な有意義な機会なのです。>>
アブラハム・リンカーン 暗殺された元アメリカ大統領
<<恐慌になった時、富はなくならないで、単に持ち主が変わるだけである。>>
ラリー・ベイツ (経済学者)
<<通貨の発行と管理を私に任せてくれ。そうすれば誰が法律をつくろうとも私の知った事ではな
い。>>
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド 1744 年~1812 年銀行家(ユダヤ系ロスチャイルド財閥
の祖)
<9-3>銀行システムの怪!「信用創造」
銀行というシステムが創り上げた「信用創造」こそ、この世界で銀行が唯一持つ絶対権力だ。銀行
の権力機能を極々簡単に表現すると次の二つの言葉に集約される。
1. 「銀行」がお金を作っている。(無から有を生む錬金術)
2.負債がお金になる。(借金、ローンを組ませ、担保ローン契約にサインさせてお金を自由に創
る)
人々は銀行には我々の預金や資本金がたっぷりあって、そのお金の範囲内で企業や他人にお
金を貸し、金利を稼いでいる。と一般的に理解していることと思う。しかしそれは違うのだ。資本金
や預金は極一部なのだ。その資本金や預金の何倍、何十倍、さらにそれらのお金が銀行間の預
金として再登場することによって、果てしなく広がって信用創造が進んでいくシステムが出来上
がっているのだ。
我々通常の経済常識の中では、人にお金を貸すのであれば、事前にそれだけのお金か富を持っ
ていることが前提となる。もし自分にそれだけのお金や富の準備がないままに、人にお金を貸すと
契約したとする。相手に貸し渡すお金が存在しないのだから、契約不履行となるし、場合によって
は詐欺として訴えられるかもしれない。 しかし 「銀行」の場合にはその常識が全く無視されるのだ。
理屈はこうだ。
(1) 銀行は中央銀行に対して一定の預金額A円(現金保証金)をする。
(2) ある人Bが銀行にお金を借りにくると、A円の9倍の額まで貸すことができる。(銀行の預金準備
率が9:1の場合)
(3) その9倍までお金を創造することができる制度を「信用創造」という。
(4) 借り手Bは返済の約束と返済不能時に提供する土地や財産の担保の提供契約書にサインす
る。
(5) 銀行には実際にお金がなくても、銀行は借り手Bの口座に金額を唯タイプすることによって、
「お金」が創造される。(実際に現代のお金の実体は、金や紙幣や貨幣の量をはるかに超えた天
文学的「数字」に過ぎない。つまり銀行のコンピューター内と他銀行のコンピューター間とを行き来
する数字に過ぎない)
(6) 銀行は無からお金を創造する権利を合法的に持つに至ったのだ。
(7) 銀行間を移動する数字の「お金」はさらに信用創造で「お金」を生む。(ひとたび銀行で創造さ
れた数字の「お金」は、借主が支払いのためその銀行から他銀行に移すだろう。他銀行に移され
た数字の「お金」は、さらに新しい信用創造の原資となって、別の貸付によって信用創造を生み出
す。)
これら「信用創造」のシステムはそれぞれの国家によって法制化され、その銀行システムによって
国家と国民は膨大な負債を背負い続ける歯車の回転から逃れられなくなってしまっている。信用
創造の原理と複数の銀行の存在が、永遠に彼ら国際金融家にお金を作らせ、金利を生むことに
なっている。
銀行は無から作り出した「お金」を国家や企業、人々に貸しては、その間金利で儲け、返済と称し
て「お金」を手にする。元々「お金」は銀行は持っていなかったのだから、「お金」は返さなくてもい
い筈なのにお金は銀行に返さなくてはならない仕組みになっているのだ。さらに万が一借り手が
お金を返さなかった場合は、ローン契約に基づいて、借金の担保として預けた土地、建物、等
様々な富を銀行に渡すことになっている。
<9-4>信用創造に基づく今の銀行からお金を借りても返済の必要はない!?
もう少しはっきり言ってしまおうか。
銀行には 「お金」は元々なかったのだ。(極一部は中央銀行に預けてはいたが・・・)しかしローン
契約を交わすことによって、お金を借りた瞬間、ありもしない「お金」を手品のように作り出して借り
手に貸し出すのだ。借り手はありがたがって、お礼を言ってその「お金」を受取る。ここでもうマジッ
クにはまってしまうのだ。大切なお金を銀行の金庫から私に貸してくれたと思い込んでしまう。 この
お金は銀行の金庫に大切にしまわれていた誰かの所有物を借りたのだと思い込んでしまう。返済
の契約書と借金の担保契約書にまでサインをして銀行に渡してしまう。
しかし、冷静になって、よ~~~~~く、見てみよう!
銀行は元々「お金」は持っていなかったのだ。極一部のお金は中央銀行に預けたり、手持ち資金
分位はあっただろうが、はっきり言って銀行は、借り手が借金契約をした瞬間に、銀行口座に「○
○円」とタイプインしたに過ぎないのだ。銀行はなにも減っていないのだ。「でも実際に私は銀行か
らお金をもらった」という人がいるだろう。しかし、そのお金はぐるぐると回っている手元資金を還流
させているにすぎない。銀行側は手持ち資金の紙幣は出したかもしれないが、その代わりにちゃ
んと自分自身で同額の「お金」をタイプインして銀行口座に入っているのだ。
つまり銀行は借り手が契約書が書いた瞬間に、銀行側の口座に「お金」を自分で作った上で、借り
手にそのお金を渡しているにすぎないのだ。これでお分かりになっただろうか?常識的にも道義
的にも銀行にはお金を返却する必要は本来ないと言えるのだ。ただ、銀行と借り手間の自由契約
によって、「借金と担保の誓約書」を交わしたことにより、それが根拠となって法的に借金を銀行側
に返済する義務が生じ、返済不履行になった場合には、担保に取られた土地財産は一切取られ
るにすぎないのだ。
丸儲けは銀行だけだ。銀行は全く身銭を切っていないのに、借り手は銀行に一方的にお金を返さ
なければいけない仕組みだ。それに金利までつく。払えなければ担保まで奪われる。こんなペテ
ンは世の中広しと言えどもどこにも見たことがないではないか?こんなペテンの仕組みを作ったの
が国際金融組織なのだ。そして後生大事に国家を挙げて、国民こぞって銀行システムをありがた
がっているのは、いったいどうしたものだろうか?
これは極めて大切なことなのだ。
信用創造という無から「お金」をつくる制度下にある銀行から「お金」を借金した場合、「お金」を銀
行に返すという行為は、常識的に見ても、一般通念の取引概念からみても、全くおかしいと言わざ
るを得ないのだ。こんなものは経済システムでもなんでもない。ただの詐欺としか言いようがないで
はないか。
銀行であれ誰であれ、相手側がそれ相当の実際の「富」や「資金」を持っている場合は、金銭貸借
の契約は有効である。しかし、相手が「信用創造」という絶対権利を持つ詐欺師である場合には、
「金銭貸借契約」などはありえない。銀行は元々何も持っていない「無」に対して、こちら側は「お
金」もしくはその担保価値の交換を約束するのだから。これを式にしてみよう。
(銀行) 「無」 = 「お金・担保+金利」 (借り手)
こんなおかしな契約がこの世の中にあっていいものだろうか?しかし人類は超真面目にこの契約
を続けているのだ。いい加減に目を覚ましらどうだろう。日本は国民主権国家と言われている。さ
て主権者の一人たるあなたは、「信用創造」を銀行に持たせるという極めてでたらめ且ついい加減
な不平等極まりない法律をどうされますか?あなたが政治家であればこんな法律をそのままにして
おきますか?これはあなた方お一人お一人の問題なのです。
まぁ、呆れる限りだ。なんと身勝手で、図々しくて、インチキ で、強欲な集団なのか!銀行家諸君
よ。そしてそんな銀行に勤めていて高給を取っている銀行員たちよ!君たちは本当に自分の仕事
が世のため人のためになっていると思っておられるのか?答えてもらいたいものだ。もしこの事実
を今まで知らなかったのなら、今すぐにでも真実と、実体を調査すべきだろう。そして自身の信ず
る道に向かって行動すべきだろう。そしてこの真実を君の友人に上司にそして部下に家族に知ら
すべきである。
銀行関係者に限らず、全ての政治家、経済人、新聞・テレビ関係者、雑誌社、教育関係者、国家
公務員、地方公務員、社会人、主婦、年金生活者、学生が知るべきことなのだ。 そして人類が知
るべきなのだ。こんないい加減なシステムの上に我々が生活している事実を声を大にして叫ぶべ
き時がきているのだ。
少なくともこの文書を少しでも多くの人々の目に触れるようにコピーし、印刷し、回覧し、議論し合う
ことは役に立つことだと思う。そしてインターネットを使ってこの文章をコピーし合うことが、一番効
果があるのかも知れない。これは人類一人一人の問題なのだ。
<9-5>もはやお金は国家、国民のものではない!
お金の本来の意味はマルクスの資本論の最初にでてくるW-G-Wにある。つまり物と物とを通
貨を使って交換する、等価交換の手段だ。社会で物やサービスが順調に流れるために、通貨は
必要だろう。人口が増えれば、必要となる通貨も自然と増加させる必要がある。そのために国家は
通貨の供給量を調整し、インフレ、デフレの防止に努める。通貨を発行し通貨の供給量を調整す
るのが、国家の最大の責務といえる。 その国の通貨の発行と供給量が国家によって完全にコント
ロールされていることが極めて大切なことといえる。
しかし、 銀行に信用創造という絶対権利を与えてしまった近代国家においては、一体どうなった
のか?通貨紙幣の発行は確かに政府日銀が行ってはいる。しかしその通貨発行は通貨全体の極
一部になってしまった。それらの現金通貨は日本銀行を通じて銀行から発行される。それはそれ
なりにコントロールされているだろう。問題は銀行に法律で与えられた「信用創造」だ。
「信用創造」によって、日本銀行からの現金通貨の発行とは別に、膨大な量の現金通貨以外のコ
ンピューター上の数字だけの通貨が発生していることだ。これら数字だけの通貨は日本銀行が発
行した現金通貨の量の数十倍にも膨らんでいるとも言われている。このコンピューター上の数字の
通貨は、現金通貨と同じ値打ちを持つのだ。現段階ではいつでも現金通貨に変換が可能な状態
になっている。
つまり日本銀行が発行した現金通貨は紙のお札や硬貨だが、その総額は一般銀行が「信用創
造」から作り出したなんの根拠もない数字上の通貨の総額に対して、ほんの氷山の一角ほどの量
しかないということを意味している。通貨として流れている全体量のほとんどが実は、現金通貨では
なく銀行のコンピューター間を行き来するデータである、というのが実情だ。
これらの数字上の通貨は、借金、ローンによって作られた「負債」であり、借金ローンの返済が完
了すれば、全て銀行に通貨は戻る仕組みになっている。(市場からは通貨は消える運命にある)
つまり、銀行家側の手元に吸収される。市場から消えた通貨を補うために、中央銀行(日本銀行)
はさらに通貨を発行しなければならないだろう。銀行は借り手が金銭貸借契約をすることにより、
「無」から通貨を作っている。この信用創造で銀行が作った「コンピューター内の通貨」は「負債」そ
のものであり、契約が完了した時点では、最終的には銀行家の手元に通貨が集まることになる。
こうして日本銀行が発行した現金通貨とは関係なく、銀行に与えた「信用創造」というペテン的絶
対権限によって、市場には現金通貨をしのぐ天文学的通貨が生み出されていくことになった。これ
を支え続けているのが、政府が発行している国債であり、地方自治体の借金であり、企業の借金
であり、人々のローンである。その負債額に見合った額の通貨は資本家、銀行家、投資家の所有
となっているのだ。いずれ返済というインチキの形で銀行家等の手元に入る運命にあるのだ。
既に国家は自国の通貨をコントロールできなくなっている。それは当然だ。現金通貨の発行は政
府が一応コントロールしているようだが(これもあてにはならないが・・・・)、現金通貨の何十倍にも
昇るコンピューター内の通貨の発行は、「信用創造」によって私立銀行に委ねてしまっているのだ。
注)米国においては、ドルの発行もFRBという私設銀行の集団に委ねてしまったのだから、どうし
ようもないのだ。
国家は既に自国の通貨をコントロールしえていない。このカラクリを政治家の多くは知っている筈
だ。当然銀行家のトップは知っている。しかし彼らはこの制度を抜本的に変革しようとしないのは何
故であろうか?この真実、銀行システムの原理を知っているのに、何も変革しようとしないのであれ
ば、彼らは「うそつき」だろう。何らかの理由で自己の利益に繋がっていると思われても仕方がない。
もし彼ら政治家、銀行家がその真実と銀行システムの原理を知らないのであれば、彼らの立場上
もう少ししっかりと勉強して、真実を知るべきであろう。 その上で国家と国民、さらには世界のため
にどうすることが最も重要であるかということを、高所大所に立って検討し、政治に反映してもらい
たい。
<9-6>銀行の「信用創造」の原理を創り上げた動機は何か?
<<いつのあらゆる時代でも、銀行はローンを作っている。新しい信用貸し、新しい預金、真新し
いお金がつくられている。>>
グラハム・タワーズ 1897 年~1975 年 カナダ銀行総裁
<<銀行がお金をつくるプロセスは、心が拒否してしまうほど、簡単で受け入れがたい。>>
ジョン・ケネス・ガルブレイス 1908 年~2006 年 経済学者
<<私が残念なのは一般市民は銀行がお金を創ることができるのを知らされていないことである。
そして国家のクレジットを管理する彼らが政府の政策を指揮し人々の運命を奴隷のように握ってい
ることを。>>
レジナルド・マッケンナ 元英国ミッドランド銀行会長
<<もし人々が銀行のシステムを理解したら、むかついて気分が悪くなるだろう。>>
ヘンリー・フォード <<私たちの国家通貨は銀行の思いのままに操られている。銀行はお金を貸すのではなく、自分
たちが持っていないお金の供給をただ約束するにすぎない。>>
アーヴィング・フィッシャー 経済学者 作家
<<金融を支配する者が 世界を支配する。>>
ヘンリー・キッシンジャー (デービッド・ロックフェラーの手下)
以上の言葉は全て銀行の奇怪さを語っている。銀行のシステムを通常の人々は全く知らないと
言ってよいようだ。銀行を知り尽くした者たちは、一方ではそのシステムを使って自己の目的を果
たそうとする。一方では恐怖におびえる。銀行の奇怪なシステムは「信用創造」にあるという。「信
用創造」の始まりについて少し時間を割くのも無意味ではなさそうだ。
中世英国の金銀宝石の細工を業としていた金匠ゴールドスミスが金を預かることから始まったと言
う。彼は金を預かった証書となる「紙の預り証」を発行した。金の預り証は金と同価値とみなされ、こ
の受取証が紙幣の原形となったらしい。さらに預かった金を貸し出し金利を取りはじめる。預かっ
た金庫内の金を一定量だけ残し、他を貸し出す制度ができた。
これが部分準備に基づく貨幣制度の始まりと言う。これが「信用創造」の原型らしい。詳しい金融
歴史の考察ではないのでこれ以上は深入りしないが、このような金に基づく貨幣制度と「部分準
備」すなわち「信用創造」は中世ヨーロッパで作られたといわれているが、実は紀元前600年のバ
ビロニア王国で既に始まっているともいわれている。
地球の歴史の流れを見ると、古代のバビロニア時代から既に「お金」「金利」「部分準備(信用創
造)」「金貸し」「金本位制」等の現代と共通する概念は存在していたらしい。ということは、人類は
基本的にあまり変わっていないということにもなる。「お金」に基づく富の集積の歴史を重ねてきた
ということになる。
1694 年イギリスの中央銀行、イングランド銀行が私有の株式会社(現在は国有企業)として作られ
た。兌換(金との交換)銀行券の大量発行、すなわち信用創造を利用した紙幣の大量発行を行う
ことで、銀行家は膨大な利益を作ることになった。それは当然だ。保障となる金の手持ちが少なく
ても、その何倍もの紙幣が発行できたのだ。それはそのまま「価値あるもの」とみなされて、市場に
流れていった。
「無」から「有」を生み出す「錬金術」というわけだ。こんな美味しいシステムは他にはないだろう。 こ
うして、銀行の「信用創造」は、富を手っ取り早く創造する最強のシステムとして、銀行家を世界へ
と向かわせることになったのだ。
(参考 「お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム」 http://www.youtube.com/watch?
v=iqlxMp3dR7Q&feature=player_embedded)
<9-7>バビロニアから始まったお金は崩壊の道へ?
昔のお金は「金」に依存していた。金がそのまま貨幣に使われていた。銀なども使われた。紙幣が
でき初めてからは、銀行が所有する「金」の比率に応じて「紙幣」を作ることを始めた。最初は金の
保有数に対して3倍程度の紙幣発行比率だったが、その比率はどんどん増えていった。現在では
金とお金との関係は切り離され、紙幣は中央銀行にて何の保障もなく印刷されていく。(勿論経済
状況のバランスを取りながら印刷されているらしいが)
しかしお金は紙幣で印刷されたものだけが使われているのではない。銀行の預貯金、銀行間決済、
国際取引決済、金融商品の取引決済はそのほとんどがコンピューター上の数字だけのやり取りだ。
実際に紙幣が使われるのは、店舗での買い物に使う極わずかな量に限られる。
ほとんどのお金は銀行、金融機関のコンピューター内の数字として存在している。そのコンピュー
ター内で動いている数字や、紙幣は、現在では金に変換もできない。実際国家が補償していると
言われているが、国家自体が膨大な借金を背負っている状況の中、現代のお金は何の後ろ盾も
ない幻想的な存在だ。
お金に対する人々の信用が一定の範囲内で続いている間は、それなりにお金の価値は存在する
だろうが、その信用がなくなった時一気に崩れ去るようにお金の値打ちは消え去ることになる。 人
類は過去に何回となくそれを経験しているはずだ。
既に「お金」とは本来の物やサービスを等価交換するための便利な道具としての機能は、極数
パーセント程度に成り下がってしまったといえる。「お金」のほとんどの割合が、通常社会生活には
関係のない、資本(富)を増大させるための投機の道具となって、国際間を瞬間瞬間、コンピュー
ター同士のデータとして飛び交っている架空の「富」の象徴となったのだ。
現在使われている風船のように膨れ上がった架空とも言える「お金」は、近日崩壊するだろう。そこ
には「信用」も「価値」も極めて薄れかかっているからだ。特にドルなどは一番危ないといわれてい
る。しかしどの「お金」も本質的な意味において安全といわれるものは一つとしてないのだ。ドルに
代わる新しい通貨はいずれ作られるに違いない。
しかし、如何なるお金が作られようと、最も本質的な問題を解決していない「お金」である限りにお
いて、バビロニアから始まったといわれる人類の物質文明の繰り返しを歩むにすぎないことになる
だろう。
行き詰まってきた現代物質文明において、国際金融組織の人たちは、どんな方向に向かおうとし
ているのだろうか?
<9-8>極めて危険な状態に突入した世界の金融システム
成長しきった世界文明の中、国際金融組織の人たちは 21 世紀に入りいよいよ世界を手中に収め
つつある。まず金についての彼らの考え方を見てみよう。金についての最近の動きを見てみたい。
<<旧約聖書の創世記でも、金は大切な資産だとされている。当時は中央銀行というものは存在
しなかったのだから、金と比較の対象となる紙幣も無かったわけで、聖書時代の先祖たちを引き付
けたのが金の持つ貨幣としての「有利さ」だったはずは無い。金自体に価値を認めていたのである。
そして、何千年も前から並ぶものが無いほど尊重されてきた金が、たった数年間で溶けてなくなる
ことなど有り得ないではないか。>> ジャン・ツァーレン(ユダヤ人)
<<金価格は月に届くほどに上昇する。必ず経済的な大惨事が訪れる。世界経済は崩壊の危機
に立つことになる。金をもっていれば、そうした中でも自分を守ることはできる。>> フェルディナ
ント・リップス (ロスチャイルド)
<< 私リップスは、正直なところ語りたい。私の話を聞いている諸君、この<金の戦争>は私が本
を出版した2002年をもって終了した。敗者はアメリカの連邦準備制度(FRB)と世界各国の中央
銀行である。彼らは<金の戦争>で敗れ去ったのだ。その理由の第1は、アメリカはじめ各国が、
中央銀行制度というものを創り、ことに金の保持、管理、そして運営を一任したからである。今や中
央銀行は、社会にとって有害なものとなった。私は勝者の一人として、パートナーのロスチャイルド
から一般の人々にこの事実を伝えよとの指令を受けた。それで私は『ゴールド・ウォーズ』という本
を出版し、各テレビ局やラジオ局のインタビューに応じ、また世界各地で講演しているのである。
>> 鬼塚英昭著『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金の値段の裏のウラ』 「フェルディ
ナンド・リップスとは何者か」 http://electronic-journal.seesaa.net/article/102478735.html より
世界の金はロスチャイルド、デル・バンコ等のヨーロッパ系国際金融組織 によって掌握された、と
いうことらしい。因みにフェルディナント・リップスはロスチャイルド系の銀行家だ。ニクソンショック以
来金との兌換(だかん)をやめてしまったドルは、石油に裏づけされた紙幣とも言われている(石油
王ロックフェラーの影響で、世界の石油はドルでしか買えなかった)が、近年急速にドルが力をなく
してきた。
ヨーロッパに拠点を置くロスチャイルド系の財閥は、数千年に亘って富の象徴となっていた「金」に
「お金」の基盤を置いているらしい。彼らの戦略は世界の「金」を掌握し、それに基づく新しい「世
界通貨」を発行することにあるのだろう。最終的な世界覇権を狙っているといわれている。「世界統
一通貨を発行するものは世界の富を掌握することになる」という思想に基づく計画なのだ。
一方投資家ジョージ・ソロスが最近次のような発言をしている。因みに彼の最大のスポンサーはロ
スチャイルド一族である。
<<著名投資家のジョージ・ソロス氏は20日、世界の金融システムは実質的に崩壊した、とし、危
機が短期間で解決する可能性は見えていない、と述べた。ソロス氏は米コロンビア大学で、動揺
は大恐慌時よりも大きい、との見方を示し、現状をソビエト連邦の崩壊に例えた。同氏は、2008年
9月の米リーマン・ブラザーズの経営破たんが市場システム機能の転換点だった、と述べた。ソロ
ス氏は「われわれは金融システムの崩壊を目撃した」とし、「金融システムは生命維持装置につな
がれた。今もまだ同じ状態にあり、景気の底入れが近いとの兆しはみえていな」と述べた。>>
( 「世界の金融システムは実質的に崩壊=ソロス氏」 2009 年 02 月 23 日[ニューヨーク 20日 ロ
イター]より http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-36616720090223 )
彼の言葉によれば、現代の金融システムは崩壊したということだ。生命維持装置につながれてい
るという表現を使っている。これは満更ウソではなさそうだ。しかし、次に用意されている金融シス
テムがどんな形でいつ出てくるのかまでは語っていない。しかし、彼らの世界では準備されている
のだろう。
まあ、これらの真実の度合いを詮索しても仕方がない。ただ、現代の金融を中心とした物質文明が
ガタガタになっているということは確かなのだ。国際金融組織の黒幕たちは富の集中にさらに向か
うのだろう。そのために極限においては大きな戦争も発生するかも知れない。少なくとも既存の経
済システムに頼ることは極めて危なっかしいことだけは間違いがないところまで来てしまっていると
言える。
<10> 地球において最も根本的な問題・・・お金を如何に解決
するか
<10-1>「お金」にまつわる問題と戒め
これら「お金」に伴う問題・・・・金利、銀行の信用創造、お金=負債、資本主義・・・・等の本質的問
題に対して、プルードンの非営利の交換銀行(貨幣を介さない商取引)構想、ゲゼルの減価する
貨幣貨幣(マイナスの金利)、さらに最近注目を集めている金利のないイスラム銀行などの解決策
が考えられ、且つ実践されつつある。
これらの解決の具体例の共通する考え方の根底にあるのは、(1) お金の流動性(交換性)を最大
限に生かす (2) お金を持つことによってお金自身がお金を生み出す不労所得を排除する、この
二点に着目した考え方といえる。つまり、人々の働きによって生み出された様々な物質、サービス、
知識等の価値を、必要とする他の人々に効率よく提供し合う事に、お金(もしくはそれに代わるも
の)の目的を集中し、従来重要とされ続けていた貯蓄性と金利(お金がお金を生む)を極力制限
するという考え方である。
これらのお金にまつわる問題は、近代の金融経済システムが確立するはるか以前から問いかけら
れてきた、地球人類にとって最大の課題であったとも言える。この問題が人類にとって極めて重要
且つ難しい問題であったが故に、世界を代表する各宗教においても、その教祖の位置にある聖
者、預言者たちは「お金」と金利の問題を戒めている。
(旧約聖書 申命記 23-20)
<<23:20 同胞には利子を付けて貸してはならない。銀の利子も、食物の利子も、その他利子が
付くいかなるものの利子も付けてはならない。>>
(新約聖書 テモテへの手紙 第一 6-9・10)
<<6:9 金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その
欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。
6:10 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまの
ひどい苦しみで突き刺された者もいます。>>
(新約聖書 マタイの福音書 19-23・24)
<<19:23 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難し
い。 19:24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
>>
(コーラン イムラーン家章: 130)
<<あなたがた信仰する者よ、倍にしまたも倍にして、利子 [リバー] をむさぼってはならない。
アッラーを畏れなさい。そうすればあなたがたは成功するであろう。>>
(コーラン 雌牛章: 275~280)
<<利息 [リバー] をむさぼる者は、悪魔に取り憑かれて倒れた者がするような起き方しかできな
いであろう。それは彼らが「商売は利息を取るようなものだ」と言うからである。しかしアッラーは、商
売を許し、利息 (高利) を禁じておられる。 また債務者がもし窮地にあるならば、その目処のつくま
で待て。もしあなたがたが分かっているならば、(帳消しにして) 喜捨することがあなたがたのために
最も良い。>>
<10-2>お金は人が創造した架空の概念/価値とは?
「お金」の本質は「価値」と「信用」といえる。もしお金に「価値」がないのなら、誰もお金を使おうとは
しないし、持ちたいとは思わないだろう。もし「お金」に「信用」がないのであれば、誰も物質やサー
ビスの対価として「お金」を受取ろうとしないし、持っていたいとは思わないだろう。すなわち「お金」
の本質は「価値」と「信用」と言える。
「価値」は物質やサービスそのものに固有に内在するものではなく、その物質やサービスを人に提
供した時に、その人が発見、創造し得る値打ちの度合いによって、その時、その人によって刻々
変化するものと言える。人間同士の間で物質やサービスの交換(商取引)が行われた瞬間に、そ
の時その人の発見、創造し得る値打ちにしたがって、「価値」が生まれることになる。と同時にその
創造せられた価値の交換に当って、第三者(国家や銀行)の信用を頼りに、「お金」という媒介手
段に「等価価値」を与えて使っているのだ。
「価値」そのものが絶対的なものでなく、物やサービス、お金そのものに固有に備わっているもの
でない限り、それは時と人とによって変動する性質をもっている。一方お金のもう一つのよりどころ
であるところの「信用」も、絶対的なものではない。それは国家と言えども絶対普遍なものはなく、
常に流動変化している。
時の政府や、金融経済界、等の権力的バックアップとそれらが創り上げたお金のシステムが、漠然
と「信用」あるものと国民や人類に思い込ませているに過ぎないのである。現にお金の信用は政治
体制、国際情勢、金融操作、人々の思惑等で常に変動(激動)し続けている。
「お金」の本質としての「価値」と「信用」は共に、確固たる保障のない、変動し続ける架空の概念と
いえる。その架空の概念は人が生命活動を行う時に、その時その人に応じて、概念として創造し
続ける架空の認識行為に源を発している。つまり「価値」も「信用」も人々が創造し続ける架空の概
念的存在であるが故に、「お金」というものも、それが金、銀でできていようが、紙でできていようが、
銀行間の取引のコンピューター上の数字であろうが、人が創造した架空の概念に過ぎないというこ
とである。
「価値」や「信用」の本質はどこにあるのか?三次元物質世界にはその本質は見出せない。なぜな
ら三次元世界は「過去」であり「結果」に過ぎない幻想の世界であるからだ。高次元世界の投影と
して三次元世界の我々には、直感的に「価値」や「信用」を求めようとする衝動が発生するのだ。
「価値」や「信用」の起源は、高次元世界に見出さねばならない。高次元世界に存在する無限の
実体が「価値」や「信用」の起源であり、それは一瞬一瞬の自由な創造という「絶対価値」と、それら
全てが一体化して完全なバランスを保っているという「絶対信用」が元となっている。そのオリジナリ
ティな「絶対価値」と絶対不可侵の「絶対信用」は、「生命」や「愛」の本質とも共通すべきものだろう。
「価値」や「信用」を三次元物質世界に見出そうとする努力は報われることはない。創造の源である
高次元世界の「絶対価値」と「絶対信用」にその起源を見出さざるを得ないのだ。
因みに現在の経済学なるものは、そのほとんど全てが「お金」や「資本」という概念の上に構築され
ている。その「お金」や「資本」の元となつている概念が「価値」である。「価値学説」なるものがある
が、無理矢理資本やお金を基盤とした経済科学理論を構築するために、「価値学説」にその根拠
を見出そうとしている。それはどこまで行っても無理なことなのだ。なぜなら「価値」は定量的には
計れない、既定できない形而上学的存在であるからだ。三次元物質世界には「価値」はそもそも
存在しないのである。
<10-3>流通のベースに存在する信用、そして愛
お金の価値は多分に信用に依存している。お金に信用がなくなった場合は、誰もそのお金を使わ
なくなる(流通しなくなる)し、所有(貯蓄)を拒むようになる。家族間においては、お金のやり取りな
くして、物質やサービスの交換が自由且つ頻繁に行われている。その根拠として存在しているもの
は、家族間の信用と愛である。
家族間においては一般的に信用と愛が前提に存在しているが故に、お金なしの物質とサービス
の流通が行われているが、一般社会において第三者(国家)の信用を前提としたお金を使って物
質やサービスの流通が行われているということは、裏を返せば、家族間以外の人間関係において
は、信用と愛という基盤が脆弱であることを意味しているといえる。
「信用」というのは一種の取り決めに対する保障の意味合いが強い。ある物質やサービスを相手に
提供した場合に、それと等価価値を持つであろう物質やサービスを相手から請求しうることを約束
する意味を含んでいる。すなわちお金の持つ交換価値や、契約書に匹敵するものを、お互いが
認識しあうことを意味している。それは商行為、取引である。
一方「愛」は「信用」とは異なる。相手との等価交換を前提にしていない。無条件が前提となる。「た
だ与える」ことが愛である。家族間においては、特に親から子供に対しては、「愛」を基盤とした物
質やサービスの提供が自然(無意識)の内に行われている。親は子供を愛するが故に、無条件
(人によっては条件付の場合もあるが)で物質やサービスを提供し続けることができる。勿論愛し合
う夫婦、恋人、人間同士には、同様の物質やサービスの無償提供の行為が自然に行われている。
大自然や地球に目を向けてみよう。地球、大自然が生産し続けている、鉱物、植物や動物を、人
間は大自然に対してなんの対価を支払うこともなく、無償で利用している。人間自身の側からみれ
ば、自然界に生産された鉱物を発見したり、採掘したり、植物の種を蒔いたり、水をやったり、動物
を捕まえたり、育てたりするという労力を提供したことの対価として、自然界から鉱物、植物、動物
を自分たち人間が所有すると考え勝ちだ。
しかし、大自然、地球は何も人間にその対価を請求することはない。そして母なる地球に対して人
間は何一つとして、その対価としての地球の求めるかもしれないものを提供してはいないのだ。し
かし、母なる地球は一言も文句を言わず、ただ黙々と人間に持てる資源や生命の結実したものを
提供し続けてくれる。
この母なる地球の行為を観察すると、それはまさしく「愛」を基盤とした行為であると言わざるを得
ない。地球は人間に対して、無償の愛で物質やサービスを提供してくれているのであって、決して
「信用」を基盤として商取引や契約をしているのではないといえる。当然地球と人間との間では、
「信用」を前提とした「お金」のやり取りなど介在する余地はない。地球は人類に対してただ無償で
提供するのみである。
人間の間でのみ、それも家族を離れた人間関係でのみ、何者かの架空ともいえる「信用」を基盤と
した「お金」を利用することによって、現代社会では物質とサービスが流動しうる世界なのだ。その
「お金」による流通の世界では、「愛」や相互間の「信用」は極めて希薄であるといえる。
一言でまとめるならば、<<「愛」と「信用」 の欠如の程度に応じて「お金」が必要となる>>という
ことがいえる。
さらに<<「愛」の欠如に応じて「信用」が必要となり、「信用」の欠如に応じて「お金」が必要となる
>>ともいえる。
大自然、母なる地球は「愛」を基盤としているが故に、「信用」とは無関係に人類に対して無条件に
地球生命活動の生成物たる鉱物、植物、動物を人類に提供し続ける。人の親は子供に対してほ
ぼ「愛」を基盤としているが故に、「信用」とはほぼ無関係に子供に対して、無条件に自身の生命
活動の生成物たる、物質、サービスを提供する。愛する者同士の間においてもほぼ「愛」を基盤と
しているが故に、「信用」とはほぼ無関係に相手に対して、無条件に自身の生命活動の生成物た
る、物質、サービスを提供しうる。
「信用」を基盤としている家族や親戚関係、友人同士においては、「信用」を基盤としているが故に、
「お金」を介在することなしに、自身の生命活動の生成物たる、物質、サービスを提供し合う取引が
成立し得る。しかし、「愛」や「信用」を基盤としていない人間関係においては、双方の信用に代わ
る第三者(国家)の信用を頼りにした「お金」を介してのみ物質やサービスの取引(商行為)が行わ
れることになる。
もし人類が家族や友人並の「信用」を基盤としえた場合は、今日のような「お金」に頼る物質とサー
ビスの流通に依存されることはなくなるに違いない。さらに人類が父母や大自然並の「愛」を基盤と
しえた場合は、「お金」の存在は全く不要となると同時に、必要に応じてくまなく物質とサービスが
行き渡る世界が実現することになる。この世界では、「これが欲しい」という意思を伝達する通信シ
ステムと、全体のバランスを調整するシンプルな情報システムと、サービスや物を届ける流通手段
があればいいだけだ。
<10-4>「お金」の本質的解決の道
そして、「愛」の欠如に応じて「信用」が必要となり、「信用」の欠如に応じて「お金」が必要となると
の結論に至った。
もし「信用」が全ての人々の間に根付いた場合には、その時々の「価値」判断に基づく商取引が、
「お金」なしで成立することが可能となる。外部の国家や金融システムに依存した「信用」つまり「お
金」に頼らなくとも、全ての人同士で「信用」が成立しているが故に商取引は成立することになる。
さらに人類が「愛」を基盤とした人間関係になった場合は、大自然が無条件に人類にその生成物
を提供するように、親が子供に無条件に物質やサービスを提供するように、人類の間で、必要とす
る人に対して無条件に持てる物質、サービスを提供しあうことになる。その無償提供には、押し売り
やお節介の要素も介在することはない。相手の望みにしたがって物質やサービスや環境を提供し
合うことになる。一人一人の自主性が最大限に尊重される。それは最早「信用」を基盤とした商取
引の段階ではない。無条件に提供しあう世界である。
これらの意味するところは、「お金」に内在する問題を解決する技術的システム的方法がどこかに
あって、その新しい金融システムを採用すれば、「お金」に潜んでいる問題が解決するということで
はないということである。「お金」のシステムが現在存在するのは、人類が選択し続けた結果にすぎ
ないのである。
「お金」が発生した理由は、人々の間の「愛」の欠如、「信用」の欠如の程度に応じて、「お金」とい
う第三者である国家や金融システムの「価値」と「信用」という架空の概念をどうしても頼らざるを得
なくなった、ということである。内なる「愛」と「信用」の欠如を外部の架空の「信用」で肩代わりすると
いう、自己矛盾の仕組みを自ら創りあげた、ということを意味しているのだ。
本来内にしか存在し得ない「愛」や「絶対信用」や「絶対価値」を、架空の外部のシステムに依存し
たところに本質的な矛盾が存在している。なぜなら本来内に存在する「愛」や「絶対信用」や「絶対
価値」を自らが積極的に自覚せず、表明せずして、外部にそれらを見出すことは不可能であるか
らである。その自己矛盾の仕組みの罠に自らを落としいれている限り、人類は自ら創り上げた矛盾
の罠によって苦しみ続けることになるだろう。
人類は何時の時代においても、本質的解決を「外に求めても無駄である」ことを体験的に学ぶと同
時に、「内に全てが存在する」こと、すなわち「愛(神)」が本質であることを学び続けている。この
「お金」という得たいの知れない魔物も全く同じであり、「愛」の対極に位置する架空の存在である
と言い得るのである。人々が「愛」を基盤にした生活システムを採用した時、初めて「お金」という外
部に「信用」と「価値」の根拠をおく架空の概念は蜃気楼の如くに消え去るのである。
逆に人類が「愛」を基盤にせず、「信用」や「価値」に基づく商取引に興味を抱き続ける以上、「お
金」という架空の概念をどうしても必要とせざるを得ないのである。人々の間に「信用」が成立して
いる場合には、商取引は未だ存在するのであるが、「お金」はその意味を大幅に軽減することにな
るだろう。
<10-5>「お金」は「愛」の欠如のバロメーター
すなわち、「お金」とは「愛」の欠如のバロメーターなのである。そして、「契約」や「約束」という「信
用」をベースとした「商取引」もまた、「愛」の欠如のもう一つのバロメーターということができる。言葉
を変えれば、「お金」とは高次元世界への目覚めの欠如のバロメーターなのである。そして「契約」
や「約束」という「信用」をベースとした「商取引」もまた、高次元世界への目覚めの欠如のもう一つ
のバロメーターということができる。
人類は様々な体験(実験)を通じて自己本質を見出そうとしている。つまり自己の理想を求めて已
まないのである。その壮大なる経験と実験を通して、自己の理想を体現しようとしている。もし現状
の「お金」を中心とした社会システムに疑問を持つ者があるのであれば、それは現状の「お金」の
システムを創り出した根底に問題があったということを教えてくれるものであると理解すればよい。
もしそこに潜む問題を真に解決したいのであれば、「お金」を創り出す根底に潜んでいた人類(自
ら)の原因をまず知ることである。その次にその原因を捨て去ることである。次にその体験から学ん
だ真に自分らしい生き方を採用することである。つまり「お金」の対極に位置する「愛」を大胆に採
用すればよいのである。
母なる地球は無条件の愛で人類にその生成物を提供してくれている。その母なる地球に生まれた
我々人類は、それらの無償の愛を糧として、自由に人々が創造した通りに地球を利用することが
可能である。人々の望みの通りに地球を改造することができるようになっている。すなわち、人々の
自由な創造力によって、この世界は形作られるようにできているのである。これは疑いようのない事
実である。事実、人類は好き勝手に行動し、その通りに地球を変化させてきたのである。
人々の想念の通りに地球は自由自在に変化せしむることが可能なのである。つまり人々の想念の
集積が現在の国家、社会、金融システムを創り上げてきたのである。つまり「お金」を創り上げてき
たのである。今の社会の問題を解決したいのであれば、人類の構成要因たる一人一人の想念と
行動を望むべき方向に向きかえればいいのである。
全ての宗教に限らず、音楽芸術活動、全ての社会活動、家族友人隣人同士の交流、自然との交
流の基本としているところは「愛」であるといえよう。人類は長年の実験的学びの中から、「愛」こそ
が究極の「価値」であることをよくよく知っている。そして疑いようのない永遠のテーマであることを
知っているだ。
現今の「お金」の問題、金融システムの問題、戦争、階級闘争、資本主義の矛盾、共産主義の矛
盾、貧富の差の問題、自然破壊等々の根底に存在するのは、「お金」(資本)を増やしたいという
欲が原因になっているといえる。金融システムや政治制度、軍備をなくす議論は、現状のシステム
に内在する問題点を、何とかして解決したいという、人々の切なる願いが動機となって議論せられ、
様々な試行錯誤の選択が日々行われるのであって、それぞれは意味のあることではある。しかし、
前述したように、根本の問題は「愛」の欠如ということに行き着くのである。
母なる地球はなんの見返りもなく、無条件にその生成物と地球そのものを人類に提供し続けてい
る。と同時に我々人類の親たちは、少なくとも子供に対しては、無条件の愛で物質やサービスを提
供し続けている。時には親自身の生命をさえ投げ出して、愛する子供を救おうとまでする。人々は
その「愛」をより多くの隣人に広めようと決意し行動しつつある。 キリストは「汝のごとく汝の隣人を
愛せよ」と言い残した。
この地球は母なる地球と、一人一人が産みだされて来た基盤の父母において、「愛」という基盤に
支えられているのが現実なのである。人は成長し自我に目覚め、自他対立と見える世界で様々な
経験を通して、最後は「愛」に帰るようにできているのである。母なる地球が「愛」そのものであり、
人の父母が「愛」であるという原点ほど心強いものはないであろう。現に全ての人類は既に父母か
ら、地球から、そして神から愛されてきたのであり、永遠に愛され続けるのである。
決して人類は悲観するには及ばない。母なる地球と、父母の愛によって我々は生を受け、日々育
まれてきたのであり、その事実は何人も否定できるものではない。それどころか、全ての人々はそ
の本質が「愛」であるという究極の事実を直感的に既に知っているのだ。
人間の本質は「内に全てが存在する」ものであり、すなわち外界の全ては内なるものの投影であり、
生命を生み出した根源としての母なる地球、さらにはわれら一人一人を産み出した父母は「愛
(神)」であるという厳然たる事実に基づいているのが人類である。人類は何時の日か、生まれ出た
る源(愛)に必ず帰る宿命にある。母なる地球、父母、そして愛(神)は、人類に無償の愛を提供し
ながら、なんの条件も付けずにその日を待っている。
あとがき
「お金」に対する様々な幻想。そして銀行を象徴とする一切の搾取システム。それも何千年の時を
越えた地球規模の搾取システム。いったいこれは何を物語っているのだろうか?最後にこの不思
議についての私の考え方を述べよう。
お金と銀行を使った搾取システムは、人々の心が、三次元物質世界の幻想(自我、欲、物質への
執着、土地への執着等)に取り付かれていることから発生する自然の成り行きだ。欲があるところに
その欲を上回る搾取が発生する。搾取されることによって物質は引き離され欲の空しさを知り得る
ことになる。つまり自己への搾取は自己の欲の空しさを知らしめるために自分が用意した仕組みな
のだ。
お金と銀行の搾取システムを創り上げたのは、古代バビロニア人やユダヤ勢力の仕業と考え、悪
の元凶は国際金融組織、果ては爬虫類系宇宙人の陰謀・・・等々と忌み嫌う。それらの観察はそ
れなりに根拠も考え方もあろうが、私はどれも賛成しない。他人のせいということは一切ないのだ。
あると見える場合、それは全て自己が過去において錯覚、勘違い、妄想等を入り混ぜた中途半端
な創造活動や三次元世界の観察を行ったことが、三次元世界に投影した影にすぎないということ
だ。
この世界は高次元の根源において、全ては一体であり、自由創造の自己表現とその表現のフィー
ドバックによる更なる自己発見と自己創造の摩訶不可思議な素晴らしい世界なのだ。全ての人々
の生命は根源においては一つなるものから出発し、「愛」で統合され完璧な調和で有機的に関連
しあっている。誰ひとり、何一つとして全体の一つの生命から分離されているものはないのだ。
一人一人が、そして各民族が、地球の全ての人々が、自己の存在を三次元物質世界のものであ
るとする幻想から目を覚まさせるために最も貢献してくれているのが、ユダヤ勢力を筆頭とした国
際金融組織の人々のような気がしてしかたがない。古代イスラエル民族の先祖がインスピレーショ
ンによって創作し、多くの民族が聖典として信ずる旧約聖書、これほど人類に読まれ親しまれてい
る書物は他にないであろう。
この旧約聖書に書かれたことを信じてきたのがユダヤの民だった。その結果として現在の混沌とし
た世界となった。その混沌たる姿も旧約聖書に予言されていた。ある意味その通りに展開したこと
になる。正に恐るべき書だ。
しかし、これらは偏に全ての人類が、高次元世界の自覚に再び帰るためであると私は確信してい
る。創世記で神が<<今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそ
れがある。>>と言ってエデンの楽園を追放した時の「今は」という謎の言葉が開放される時は近
いと考える。その時が来れば全ての人類は、自己が高次元の生命的存在であるということを思い
出し、再びエデンの園に帰るのだ。その時は極めて近い、というよりも既に始まっていると思う。
既に多くの人類が自己が高次元世界の存在であって、三次元物質世界や肉体が幻想的影であ
ることに充分気づいている。しかし、過去の人類が刻んできた三次元物質世界が全てであるという
残像は未だに地球を覆っている。しかし、「お金」を象徴とする物質文明もそう長くは持たなくなっ
てきているのも事実だ。
いたるところでほころびが出始めた。もう時間の問題だろう。その時は激変が起こるかもしれない。
物質的財産、金、お金、権利、土地にしがみつく程度に応じて、それらの崩壊時のショックが大き
くなるのは致し方ない。それらの三次元的要素になるべく自らを縛り付けないことが一番の得策だ
ろう。特に物質文明と「お金」「銀行」による支配を象徴する「都市」に自らを縛りつける程度に応じ
て、そのショックも大きいと推測する。
かといって別に恐怖するにはあたらない。ただ自然の成り行きのまま、一番良いものが自然と展開
するに過ぎないのだ。地球人類全体の意識が三次元物質世界の幻想的束縛から自由になり、高
次元世界の自覚に再び帰る時、過去に築いた物質文明を土台として、さらに高度な地球的地上
天国の世界が構築されるに違いないだろう。
地球人類全体の意識をそれほどに急激に高次元に目覚めさせるためには、きっと旧約聖書に書
かれてきたようなシナリオと、それをひたすら実行し続けてきたユダヤの民の存在がどうしても必要
だったのかも知れない。そうであるならば、心の底から彼らに感謝しなければならなくなるだろう。
ユダヤの民よありがとう。そして心安かれ!
最後に新約聖書 ローマの使徒への手紙 第 11 章の一節を引用して終わることにする。
<<イスラエルの再興 11:25 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められ
た計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人
全体が救いに達するまでであり、 11:26 こうして全イスラエルが救われるということです。次のように
書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、/ヤコブから不信心を遠ざける。 11:27 これこ
そ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、/彼らと結ぶわたしの契約である。」 11:28 福音につい
て言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言え
ば、先祖たちのお陰で神に愛されています。 11:29 神の賜物と招きとは取り消されないものなので
す。 11:30 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受
けています。 11:31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順に
なっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。 11:32 神はすべての人を
不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。 11:33
ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し
尽くせよう。 11:34 「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっ
ただろうか。 11:35 だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」 11:36 すべてのもの
は、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、
アーメン。>>
2010 年 11 月 23 日 作 ”あまむし庵”
私は神を信ずるものではない。宇宙の塵一つまでもが神であると観ようとするものだ。