マイECO 39号 - 毎日jp

持続可能な社会のための情報誌
水と緑の
地球環境本部
Vol.
39
2014
JUNE
JULY
INTERVIEW
京都・大原で自然と調和した暮らしを追求する
ベニシア・スタンリー・スミスさん
REPORT
震災から3年
「被災地はいま」
宮城県気仙沼市
CONSUMER
日本のものづくりに
新たな感覚を
FOOD
伝統食材で島おこし
沖縄・与那国島
MOTTAINAI
会話はずむ手づくり箸
株式会社マツ勘
CSR
「キッチンは健康や家族の
つながりの源」
クリナップ
い。どんな生活をするかは自分で決める
自分の庭だけが庭ではありません。地
球は私たちの庭。だからこそ大事にした
英 会 話 を 教 え て い る と き、
ザーになりました。京都で
子どもを育てるシングルマ
さ れ た 映 画「 ベ ニ シ ア さ ん の 四 季 の 庭 」
いまの夫(梶山正さん)と
――ご自 身 の 半 生 や 家 族 と の 生 活 が 紹 介
が5月に D V D に な り ま し た 。 現 代 人 が
ことができるのです。
ハーブ研究家。1950年生まれ。ロンド
ンのカレッジで美術史を学び、バンドで
然素材で老朽化した古民家
大原に引っ越しました。自
きに旅に出てインドを目指し、日本にた
境保全や社会貢献型の商品を選ぶ流れが
リスなどの英語圏では、 エ
(倫
「シカル」
理的な)という言葉のもと、消費者が環
た。「 こ れ で は い け な い 」 と 現 在、 イ ギ
を産んだ
芽生えてきました。
なりました。ジュリーが未婚のまま息子
直後のこ
そのこと
が私や家
づき」をもたらしました。
では、生産者が直接売りに来る朝市に人
り意識が高いかもしれない。特にいなか
(途上国と公正に取引する)フェアトレ
族に「気
私たちの身の回りには化学物質や添加
物にあふれ、環境だけでなく人間の体に
イギリスだってエコロジーへの関心が
少 な い 人 は い る と 思 い ま す。 と は い え、
と。でも、
ところが、4人の子ども
のうち、次女のジュリーが統合失調症に
やくかないました。
暮らす」という夢が、よう
れながら「いなかで家族と
を改修し、日本の文化に触
日本に来たら、どこに行ってもみな親
切で優しい。日本人は繊細で、人の気持
はなぜ。
どり着いた。この国に住もうと思ったの
――英国の貴族の家に生まれ、 歳のと
出 会 っ て、 息 子 が 生 ま れ、
失いつつ あ る 自 然 と 調 和 し た 暮 ら し を ベ
ニシアさ ん は 取 り 戻 し て い る 、 と い う 印
象を受け ま し た 。
大原に 住 ん で 年 。 住 み 始 め た と き は
まだこの あ た り に は 下 水 道 は あ り ま せ ん
ちを考えながら生きていると感じました。
でした。 家 庭 か ら の 廃 水 は 目 の 前 の 田 ん
おたまじ ゃ く し と い っ た 、 田 ん ぼ の 生 き
引き寄せられてしまったのね。
ぼに流れ る 。 合 成 洗 剤 を 使 う と カ エ ル や
物たちに 影 響 を 与 え る の で は な い か と 思
ベニシア・スタンリー・スミスさん
フォークを歌う。19歳のとき、仲間とイ
ンドに旅に出る。香港や台湾を経て1971
年、鹿児島に船で到着。東京や京都で生活
し、定住を決意。92年、山岳写真家の梶
山正さんと再婚し、96年に大原に移住。
2009年から4年に渡り「猫のしっぽ カ
エルの手 京都大原ベニシアの手づくり
暮らし」がNHKBSプレミアムで放送
(現在はEテレ)。昨秋、映画「ベニシアさ
んの四季の庭」が全国公開。近著に「ベニ
シアの庭づくり」
(世界文化社)。
いる。時間を知りたいなら、時計を持っ
ず持ち歩き、しかも時計代わりに使って
総菜といった品物ですね。
野菜、おばあちゃんがつくったジャムや
が集まっている。その土地でとれた旬の
ましたが、一方で地球環境が悪化しまし
まり、以後、人間の暮らしは便利になり
――ベニシアさんの母国で産業革命が始
があります。
ている。暮らしをスローダウンする必要
ーもそう。一日中、画面とにらめっこし
てないとあかんやないの。コンピュータ
ードやオーガニックに関しては、日本よ
――実際の生活は。
負荷を与えている。携帯電話を肌身離さ
どんな生活をするかは
自分で決めることができる
い、せっ け ん や シ ャ ン プ ー を 手 づ く り す
るように な り ま し た 。
――庭に は 色 と り ど り の 草 花 や ハ ー ブ が
あります ね 。
イング リ ッ シ ュ ガ ー デ ン で は な く 日 本
の四季に 合 わ せ て 庭 を つ く り ま し た 。 こ
の季節は ど ん な ハ ー ブ を 植 え 、 収 穫 し た
ら何をつ く る か と レ シ ピ を 考 え る の が 楽
しい。
最初に結婚した日本人と別れて3人の
のどかな山里の風景が広がる京都・大原で、昔ながらの知恵や工
夫を取り入れながら、持続可能な暮らしを追求する英国人女性がい
ます。ベニシア・スタンリー・スミスさん。築100年以上の古民
【聞き手・明珍美紀】
※写真は梶山正さん撮影
(Venetia Stanley-Smith)
暮らしの
スローダウンを
――身近なところで環境のためにできる
ことは。
ま ず は 電 気 の 無 駄 遣 い を や め る こ と。
私、思うよ。日本はラッピングをし過ぎ
て い る。 プ ラ ス チ ッ ク の ト レ ー、 紙 袋、
レジ袋と、何重にも包装され、包みをあ
けるのが大変。さらにそれらを分別して
リサイクルに出すのに疲れる。マイバッ
グは少しずつ広がってきたので、次は中
身。
それと環境をよくするビジネスを応援
する。太陽光や風力などのクリーンエネ
ル ギ ー を メ ジ ャ ー な 存 在 に す る。「 原 発
反対」といっても、それに代わるものが
なければいけない。
――今後は。
こ れ か ら、 お ば あ ち ゃ ん に な る か ら、
私自身、スローダウンして、ゆとりを持
って暮らそうと思っています。大原とい
う安住の地で、家族や地域の人々とコミ
ュニケーションを取り、お互いにサポー
トしながら、生きていきたい。
2
©ベニシア四季の庭製作委員会2013
19
家に住み、庭では四季折々のハーブや花を育てます。そして「地球
ベニシアさん
ベニシアさん。畑に入れて野
菜やハーブを育てるという
3
たい ひ
18
も私たちの大事な庭」と大地に優しいまなざしを向けます。
ダウンを」と話す
地球は私たちの庭
「暮らしのスロー
庭はくつろぎ
の場
「これも自家製」
と堆肥を示す
四季の折々の
表情を見せる
ベニシアさん
の庭
NBCユニバーサル・エンターテイ
メントより発売されたDVD。価格
は3685円。ブ ル ー レ イ は4611円
(いずれも通常版、
税抜き)
ハーブ研究家
「被災地のいま」
を知るツアーに参加
「ようこそ、みなさーん」。気仙沼市の
南部、唐桑半島の漁港に明るい声が響き
渡ります。出迎えてくれたのは、民宿
「唐
)
。 地 元 の 水 産 加 工 会 社「 盛
桑御殿つなかん」を切り盛りする菅野一
代 さ ん(
屋水産」を一家で経営しています。
「 こ こ の カ キ は ね、 川 の 水 が 運 ん で く
る森の栄養がたっぷり含まれているから
カ ダ を つ く り 直 し、
「 ど う に か( 震 災 以
前の)
半分までたどり着いた」と言います。
大勢のボランティアらが復旧作業を手
伝 い、
「また来たい」という学生らの声
に応え、自宅を補修して昨秋、つなかん
をオープンしました。
「 震 災 以 前 は 7 万 人 弱 が 暮 ら し、 人 口
は約5000人減りました」
。気仙沼市
)が現状を説明
参加者の一人で早大生の田中瑞紀さん
は「復興の原動力はその地域の人々。今
回のツアーで改めてそのことを感じた」
しました。
「実際に浜に行って、感じる。
験をそれぞれが発信する。そのお役に立
震災直後と3年後の現状を知り、その経
と言います。
「足を運び、
人々の声を聞き、
そして被災前はどうだったかを想像する。
てれば」とザ・ボディショップ・バリュ
議 の 守 屋 守 武 さ ん(
いまも1万人近い人が、仮設住宅やみな
ーズ推進室の橋本実佳さんは話していま
した。
し仮設と呼ばれるアパートに住んでいる
のです」
復興については「気仙沼のなかで唐桑
は何をすべきか、気仙沼は宮城県でどん
な役割を果たすのか。地方から発信して、
まちづくりを進めなければならない」と
強 調。
「私たちにできることは」との質
問 に は、
「例えば一度ボランティアに行
って知り合った人たちのところにまた手
伝いに行く。そうして、つながりができ
れば、新たな復興の力になる」と答えま
した。
き
海産物のほか地元産の果物を使って女性
昨春から販売を始めました。屋台村には
菅野さんたちが養殖した春カキが素材で、
牡蠣のオイスターソース」
(石渡商店)
。
か
ある「復興屋台村 気仙沼横丁」に寄り
ました。人気商品の一つが「気仙沼完熟
気仙沼港フェリーターミナルのそばに
試みです。
け、市民やユーザーと共に行動する初の
しました。インターネットなどで呼びか
ツアーは、自然化粧品会社の「ザ・ボ
ディショップ」が企画し、約 人が参加
20
たちがつくるジャムなどもありました。
完熟牡蠣のオイスターソース
人々のつながりが
新たな復興の力に
最高なんです」
漁船に乗せてもらい、養殖の現場を見
に行きました。波は穏やかで、カモメに
イカダの上に乗って、
海の様子を説明する菅
野一代さん
ます。
えさを差し出すと、船を追って飛んでき
【明珍美紀、写真も】
養殖のイカダに船が近づくと菅野さん
はぴょんとその上に乗りました。
「 カ キ も お 風 呂 に 入 る ん で す よ。 度
ぐらいの温水につけてまわりについた海
台のイカダが全滅し、二度とカキはで
て や っ て き た 」 と 菅 野 さ ん。
「うちでも
「大きなマグロ船が火の玉のようになっ
火 が 付 き ま し た。 そ れ が 船 に 燃 え 移 り、
震災のときに発生した大津波で、石油
の貯蔵タンクが海に流され、中の重油に
が入っていました。
「つなかん」で昼
船 か ら 降 り た 後 は、
食です。みそ汁にはぷっくりとしたカキ
したおいしいカキになる」
草や貝を落とす。そうすると。バーンと
60
きないと思った」
。それでも1台ずつイ
40
4
カキが入ったみそ汁を
味わう女性たち
5
55
壊れた建物にあった時計
は、地震発生時刻の直後の
まま止まっていた
海産物の物販や飲食店が入る
気仙沼横丁
50
海に面した街は、困難に直面しながらも人々が再生に向けて動き
出していました。東日本大震災から3年。「被災地のいま」を知る
守屋市議の話を
聞く参加者ら
ツアーに参加し、大きな津波の被害を受けた宮城県気仙沼市を訪れ
ました。
カキの殻をむく
作業も体験
るにはどうすればいいか」と考え、まず
復興と再生に向け、
新たに始動
感じたことを伝えてほしい」
「見て、
気仙沼の復興に向けて新たな活動が芽生えています。
) と 時 折、 岩 手 県 の バ ッ テ ィ ン グ セ
津波で妻と幼い娘2人、義父母らは帰
ら ぬ 人 に。 野 球 好 き の 長 男・ 瑛 太 さ ん
(
条麦茶を商品化。さらに祖父母の家の敷
い農地で六条麦を育て、オリジナルの六
首都圏や関西、九州など各地からボラ
ンティアが集まりました。使われていな
クなどを試験栽培しています。代表の畠
に配り、そのほか耕作放棄地でシュンギ
個のプランターをトマトなどの種ととも
います。初の試みだった昨年は約600
者に野菜を育ててもらう活動を展開して
一般社団法人「三陸野菜」は、市内外
の仮設住宅にプランターを配布し、被災
バッティングセンターには「ストレス
解 消 に 」 と 女 性 た ち も 訪 れ ま す。
「気仙
が広がりました。
らがサポーターとなり、各地に応援の輪
ン グ ラ イ タ ー の た か は し べ ん さ ん(
利益の一部を資金に当て、シンガー・ソ
込み)と名付けたオリジナル商品を売り、
「希望ののむヨーグルト」
(500円、税
仮設住宅に
プランター配布
ン タ ー に 通 い、「 気 仙 沼 に も 建 て て 」 と
地内にある倉庫を総菜の加工場に改修し
山享さん(
い う 息 子 の 一 言 に 背 中 を 押 さ れ ま し た。
春野菜 の 卵 と じ や ホ ウ レ ン 草 と 人 参 の
おひたし 。 女 性 起 業 家 に よ る 「 V O A R
て3月にオープンしました。シェフとし
しっかりと根を張って生きていく。その
沼に限らず、被災地の現状を見て、人々
は農業を始めることにしました。
L U Z( ボ ア ラ ズ )」 が こ の 春 か ら、 特
て加わった熊谷修さん( )は、以前は
ためにまずは大地の恵みである野菜をつ
の声を聞き、そこで感じたことを周囲に
安全な食と雇用の場を
製弁当の 配 達 を 始 め ま し た 。
食品工場の社員食堂で働いていました。
くる」と説明します。
て い た と き に 被 災 し ま し た。「 郷 里 の 再
バッティングセンター開設
一方、気仙沼で牛乳販売業を営む千葉
清英さん( )は今春、地元にバッティ
「三陸野菜」の普及を目指す畠山享さん
28
ングセンターを開設しました。
)
代表の 佐 藤 春 佳 さ ん ( ) は 震 災 前 は
東京に住 み 、 里 帰 り し て 出 産 、 育 児 を し
野菜や米は祖父母の畑で一緒につくり、
足りない分は地元で仕入れます。レンタ
器を備え、「チュプ市民測定室」を設置。
有料で住民が利用できます。
けていく」と佐藤さん。故郷の人々が自
弁当は市内の会社や市役所などに届け、
「これからはジャムなどの加工品を手が
黒のレストラン「はな豆」で
販売。夏からは自家菜園の
野菜が加わる
)は「この土地でもう一度、
生 の た め に 残 ろ う 」 と 決 意。「 原 発 事 故
ルのトレーラーハウスの中に放射能測定
ンもオリジナル。東京・中目
47
立できる雇用の場を整えるのが目標です。
ボアラズのお弁当は
500円で販売
込めました。
伝えてほしい」と千葉さんは言葉に力を
65
6
バッティングセンターを訪
問した、たかはしべんさん
(右)と千葉清英さん(たか
はしべん事務所提供)
13
が起き、 子 ど も に 安 全 な も の を 食 べ さ せ
地元の木を素材にしたボタ
29
44
チュプ市民測定室
佐藤春佳さん
(右)
と祖
母の熊谷フサ子さん
間限定の「西村商店」
がお目見えしました。
東京のJR中央線吉祥寺駅の駅ビル
「 ア ト レ 吉 祥 寺 」 の 特 設 会 場 に 今 春、 期
し い 」 と 頼 ま れ た の が き っ か け で し た。
者が廃業したので、代わりにつくってほ
オリジナルTシャツの会社を設立。商品
5年後に独立し、日本語をプリントした
よこいと
※シャトル式織機
たていと
ひ
糸の間に緯糸を通す道具をシャトル杼と
経
いい、この織機はシャトルの往復運動によっ
て織り込む。手織りに近い肌触りで、 世紀後
の噴射を利用した高速織機が主流。
きた仕事着の魅力などを再発掘し、
しています。
は、夏以降を予定
次回の「西村商店」
らいたい」と言い、
な生地に触れても
人に、優しく丈夫
的がある。多くの
織機を保存する目
って、シャトル式
携を図ることによ
「今回のユニッ
トは、生産者が連
ます。
前からオリジナルの前掛けをつくってい
年
年はシャトルの代わりに金属の棒や空気、水
半までは標準的だった。生産性が低いため、近
20
旧式織機が生みだす素朴な風合い
ユニットを組んで情報発信
西村商店
酒店などの商店で使われてきた「帆前
掛け」の製造販売する「エニシング」
(東
早速、前掛けの産地として知られる愛知
し た い 」 と い う 思 い を 抱 い て い ま し た。
京都小金井市)と、藍染め織物を手がけ
県豊橋市を訪れ、シャトル式の織機と出
を 納 め た 酒 蔵 か ら、
「前掛けをつくる業
る「小島染織工業」
(埼玉県羽生市)
、倉
ほ
敷帆布のブランドで知られるバイストン
合いました。
「 織 ら れ た 生 地 は 素 朴 な 質 感 で、 前 掛
けにすると体にフィットする。とはいえ、
(岡山県倉敷市)がユニットを組んだセ
ャトル式織機」=※参照=と呼ばれる旧
工場の職人に聞くと、安価な輸入の生地
レクトショップ。
3社に共通するのが
「シ
式の機械を使っていることです。
が増えて需要が減ってきたことが分かっ
た」と西村さん。働く人々の腰を守って
ユニットを企画した
西村和弘さん
れました。エリアマガジン「ののわ」を発行するJR中央ラインモールが
企画したエニシング代表の西村和弘さ
ん( )は、もとは大手菓子メーカーで
営業の仕事をしていました。学生時代に
米国に留学した経験があり、海外から母
国を見つめながら「日本の魅力を引き出
日本の技を生かした「ものづくり」に新たな感覚を吹き込む動きが活発化
しています。昔ながらの技術と、現代風のデザインを組み合わせた衣類や小
【明珍美紀、写真も】
物。大工の手仕事によるシンプルな生活道具。「丈夫で長持ち」という特性は、
持続可能な暮らしに欠かせない要素でもあります。
世界文化遺産への登録が決まった富岡
製糸場(群馬県)と同じ1872(明治
織りと 染 め の 伝 統 を
現代に生かし
「つくり手の
思いを伝えたい」
ロデュースする紫牟田伸子さんの公開対談が5月3日、国立市内で行わ
8
こいずみ道具店には、箸から
食器、家具まで職人らとの協
業で生まれた道具たちが並ぶ
5)年に設立。現在は約 台のシャトル
「暮らしの道具」をテーマに、小泉誠さんと、編集家としてデザインをプ
期間限定で登場した
「西
ャツを手にする小
工場に並ぶシャトル式織機
ざわ座」も発行。問い合わせは事務局(☎042・395・4181、
相羽建設内)
へ。
かせ
「わざわ座」の詳細はサイト(www.wazawaza.or.jp)で。地域メディア
「わ
村 商 店 」= 東 京 都 武 蔵 野
市のアトレ吉祥寺で
織られた生地のシ
10
こいずみ道具店(☎042・574・1464)
式を保有し、そのうちの半数程度が稼働
ことこそ文化」と強調します。
シャト ル 式 織 機 を 見 学 し よ う と 、 小 島
染 織 工 業 を 訪 ね ま し た。 工 場 で は、 カ
地は「青縞」と呼ばれています。
む く
ロが分業で良質な生活道具を誠実につくる。使い捨てではなく、
使い込む
タ ン カ タ ン、 パ タ ン と 機 械 の 音 が 響 き
つしっか り 織 り 込 ん で い る 。 こ の 織 機 自
先 代 か ら 生 産 の 中 心 は 剣 道 着 で す が、
ここ数年は、シャツやバッグなどの新商
トワーク「わざわ座」がこの春、結成されたことを報告。
「鍛錬を積んだプ
ま す。「 ス ピ ー ド は 遅 い が、 糸 を 1 本 ず
体、新規 製 造 は な い の で メ ン テ ナ ン ス に
しています。糸から染める綛染めの技法
「こいずみ道具店」主宰
を守り、シャトル式で織り上げられた生
デザイナー 小泉誠さん
気を配っ て い る 」 と 5 代 目 の 小 島 秀 之 社
サクラ材の反止めをはさんだ厚さ8㍉の
福岡の材木屋が無垢板の耳の部分を生
かしてつくった家具。高知産のヒノキに
を視野に入れています。
た土鍋……。東京都国立市の「こいずみ
品の開発に力を注ぎ、海外への販路拡大
「 先 代 か ら の 職 人 が 2 人 い て、 そ の 技
術 を 若 い 従 業 員 に 伝 え よ う と し て い る。
道具店」には、デザイナーの小泉誠さん
)と各地の職人たちが協業して生ま
いまの時代に欠けているのは、この最後
つ目は精神的なもの。愛おしい。美しい。
フ( 丈 夫 ) で あ る こ と。 次 に 性 能。「 三
「 持 続 可 能 か ど う か を 考 え る と き、 三
つの要素がある」と小泉さん。まずはタ
れた製品が並びます。
(
まな板。三重・四日市の工房で製作され
旧式の機械を維持するコストはかかるが、
この生地の風合いを現代に残したい」と
小島社長は話します。
持続可能なものづくりに
ついて語るデザイナーの
小泉誠さん
の気持ち。道具に対する意識が薄くなっ
ている」
商業施設やオフィスなどの設計で知ら
れる原兆英さん、成光さん兄弟に師事し
た 小 泉 さ ん。
「家一軒デザインできない
ようでは、道具はつくれない」と建築の
勉強をした後、各地域の工場を訪ね、
「職
人たちの腕や人柄を生かしたデザインを
心がけてきた」といいます。ユーザーが
「 使 い 続 け た い 」 と 思 う と 同 時 に、 職 人
自ら「つくりたい」と意欲がわくことも、
説きます。
主催。小泉さんは、職人やデザイナー、工務店の経営者ら有志によるネッ
30
長( ) が 説 明 し ま す 。
43
エニシング(☎042・401・6982)
〈問い合わせ先〉 小島染織工業(☎048・561・3751)
バイストン(☎086・485・2112)
9
島秀之社長
倉庫を改装した
ショールーム
53
「持続可能なものづくりにつながる」と
手仕事でつながろう「わざわ座」始動
41
日本のものづくりに
新たな風を
シャトル式織機で
長命草について説明する与那国
日本の最西端、沖縄の与那国島は、生態系の豊かな自然が残っています。
島野菜などの食材に恵まれ、それらを生かした食文化や離島の魅力を積極的
に発信しようと、島外の人々と連携する新たな動きが芽生えています。
【明珍美紀、写真も】
や風など身近な資源を生かす「エクセルギーハウス」を考案し
町の交流施設「佐久川家」で開かれました。
た建築家の黒岩哲彦さんは、「与那国には火をおこす、動植物
自然や文化などの地域資源を再認識し、共に学び、協働しな
を育てるなど人間の基本的な営みが残っている」と言い、「い
がら島の活性化につなげていこうと、来年度をめどに開校する
ずれは島民が講師の中心となり、都会に暮らす人々が授業を受
市民大学。その準備に向け、昨年末から学習会が始まりました。
ける場にしていきたい」と話していました。
島の特産品といえばまず農産物。断崖に囲まれる島は時に強
風をかぶりながら農業を続けていることは世界に誇れる財産」
と言います。そのほか、離島経済新聞社の編集長、鯨本あつこ
リストランテ・テツのオーナーシェフ、猪股哲さん。店
の近くの畑では長命草のほかゴーヤなど島野菜を栽培
農業生産法人「与那国薬草園」
沖縄本島の那覇から飛行機で約1時間
半。空港に降り立つと、春なのに夏の陽
気です。
いま、注目を浴びる食材の一つが長命
草(ボタンボウフウ)。セリ科の植物で、
ポリフェノールの含有量はゴーヤをはる
ラルがたっぷり含まれています。
草のパウダーもあります。
( カ ー ト カ ン ) に 変 わ り、 そ の ほ か 長 命
されました。ドリンクは昨春のリニュー
かにしのぎ、カルシウムや鉄などのミネ
農 業 生 産 法 人「 与 那 国 薬 草 園 」 で は、
農薬や化学肥料を使わずに長命草を育て
アルでリサイクルができる紙製の容器
ています。野生のものは海岸の断崖に生
え て い る こ と か ら、「 海 水 を 散 布 し た と
代表のおいで、工場長の杉本茂之さん
( ) は「 こ こ で は、 一 次 加 工( 乾 燥 )
薬 草 園 は、 代 表 の 杉 本 和 信 さ ん( )
が、
「 島 へ の 恩 返 し、 島 お こ し 」 と い う
食べ方があるか聞いてみると、ゆでたも
うやく軌道に乗ってきました」
。どんな
ったのが、いまではその
をします。当初は年間の乾燥分が4㌧だ
想いから、2002年にスタートしまし
の を 刻 ん で み そ に 混 ぜ る ほ か、
「シソや
ころ、成長がよくなった」といいます。
た。島内の農家が栽培したものを買い取
倍になり、よ
り、青汁やお茶などの商品開発を行いま
大葉の代用で食してもいます」
。
24
した。無農薬の長命草が一つのブランド
年には資生堂から、タブレッ
資生堂から発売された長命草の青汁
トや果汁とブレンドしたドリンクが発売
となり、
44
リ ニ ュ ー ア ル さ れ た ド リ ン ク は、
リサイクル可能な紙の容器に
工 場 の 周 り に も、 長 命 草 が 植 え ら れ、
大きな葉が太陽を浴びていました。
10
空は青く澄み渡り、放し飼いの馬や牛が
くったり。きれのあるフレッシュな香り
わりにパスタにかけたり、ペーストをつ
ま す。
「 長 命 草 の 場 合 は、 刻 ん で 薬 味 代
った創作料理で、客たちをもてなしてい
ストランを6年前にオープン。古民家を
て「人と出会い、つながる場」であるレ
持続可能な文化を内包している」
。そし
業は人の暮らしを守り、維持するために
島 に 住 み つ き、 選 ん だ 道 は 農 と 食。
「農
した。
「サンゴの海は原色で迫ってきた。
1日1組の予約制のレストラン「リス
トランテ・テツ」では、オーナーシェフ
緑の草を黙々と食んでいた」
。そのまま
があるので、
魚料理に合わせるのもいい」
んはそう考えています。
たい
すことが大切だ」
。猪股さ
わき上がる力で自立を目指
めたいのなら、島の中から
「この島の過疎化を食い止
基地問題で揺れていますが、
れました。沖縄本島も米軍
施設の起工式が島内で行わ
の 監 視 部 隊 の 配 備 に 向 け、
います。4月に陸上自衛隊
「 い ま、 懸 念 し て い る の
は自衛隊の基地問題」とい
ます。
肥を土に入れることもあり
ひ
那国馬のふんでつくった堆
薬で栽培。在来馬である与
定種の野菜やハーブを無農
店 の 近 く に あ る 畑 で は、
長命草のような在来種、固
自ら改修して、居心地のいい空間に仕上
げました。
の猪股哲さん(
)が、島野菜などを使
「リストランテ・テツ」オーナーシェフ 猪股哲さん
固有種や古来種を自家菜園で
沖縄・
与那国島
さんや食品のセールスプロモーター、鈴木俊雄さんらが講師に
08
仙台市出身。旅に出た 年前、八重山
の 島 々 を 巡 り、 与 那 国 に た ど り 着 き ま
10
長命草で島おこし
よる「与那国いとなみ大学」の事前学習会が3月半ば、与那国
与那国産の野菜
ルケーキの店も運営。詳細はモイストロール与那国の
交流会で食卓に登場
した島の料理
い潮風を受けます。環境コンシェルジュの舩橋玲二さんは「潮
無農薬栽培で
ブランド化
主催した「与那国いとなみネットワーク」のメンバーで、雨
「与那国の未来をつくろう」と、地元の人々と島外の有志に
与那国薬草園(☎0980・87・8245)
猪股さんは与那国産の黒糖など島の素材を使ったロー
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同園では無農薬栽培の長命草で
独自の商品を開発
環境コンシェルジュの舩橋玲二さ
ん(右)と川の生き物調査も実施
加わり、アイデアを事業につなげる方法などについて島の人々
10
ホームページ(http://moistchocolat.com)で。
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と討論しました。
与那国いとなみ大学開校へ
薬草園の工場長、
杉本茂之さん。
事前学習会では島の地域資源について話し合った
与那国いとなみネットワークのメンバーら
手づくり箸はエコロジー
ペアセットには長さが25㌢の加工前の
木地が2膳。親子セットは大人用25㌢、
子供用20㌢の長さのものが1膳ずつ入
っています。紙やすりやつやを出す蜜ろ
う、作り方の手引きも入っています
「ペア」
と
「親子」
セット新たに
老舗の箸メーカー、株式会社マツ勘(福井県小浜市)が提供する「手づく
り箸キット」にこの春、新たに「ペアセット」と「親子セット」が加わりま
)は「磨き直せば長く使
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した。これらのオリジナル箸は、MOTTAINAIキャンペーン=※1=
とのコラボ商品です。マツ勘の松本喜代司社長(
㌢) が 1 膳 ず つ
㌢ の 箸 が 2 膳、 親 子 セ ッ ト は 大 人 用
㌢) と 子 ど も 用(
入っています。
(
20
25
えてエコロジー」と手づくり箸に込める思いを語ります。 【山口昭】
マツ勘 は 2 0 0 4 年 か ら 5 膳 入 っ た 手
づ く り 箸 セ ッ ト を 製 作 し、「 M O T T A
セットには、形を整える紙やすり(荒
めと細めの2種類)や、磨いてつやを出
I N A I S h o p 」( 東 京 都 千 代 田 区
一ツ橋、 パ レ ス サ イ ド ビ ル 1 階 ) で も 人
気 商 品 の 一 つ で し た。 し か し、「 5 膳 は
グループマネジャー、高田織衣さんは話していました。
すみつろう(ミツバチの巣から採取した
の環境問題についても身近に感じてもらいたい」とキッザニア東京の広報
ワ ッ ク ス )、 つ く り 方 の 手 引 き な ど が 入
ます。
「ものを大切にする心を養ってもらうとともに、子どもたちに世界
多い」と い う 顧 客 ら の 声 も あ り 、 夫 婦 や
・5151)へ。
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ケニアに木を植えて緑を増やすお手伝いをしてもらいました」と語りかけ
カップル 、 親 子 で 使 用 で き る 2 膳 セ ッ ト
スタッフが作業台の上にある地球儀のケニアを示し、「きょうは皆さんに
製品ではなく、世界で一膳しかない。自
アの植林活動「グリーンベルト運動」に寄贈されます。作業が終わると、
っていて、手引きには手のサイズから必
この実習体験に1人参加するごとに、植林用の苗木1本分の費用がケニ
25
MOTTAINAIキャンペーンには
年から参加し、カラフルな箸や箸包み、
と期待していました。
を企画し ま し た 。
箸箱などさまざまな企画商品を生み出し
様子。母親は「自分でつくった箸だから、大切にしてくれると思います」
分で使うも良いし、何かの記念にプレゼ
結構大変だったけれど、家に帰ってもう片方も磨きたい」と意欲を持った
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てきました。手づくり箸も「紙やすりや
土曜参観の振替休日を利用して参加していた小学1年の女児は「作業は
も 1 5 0 0 円( 税 抜 き )。 問 い 合 わ せ は
子どもたちがうなずきます。
http://mottainai.info
ントするも良いですね」
。
し、マイはしを使うとゴミを減らすことができます」
。スタッフの言葉に
要な長さを割り出せる表が付いています。
る気持ちを“もったいない”と言います。割り箸を捨てるのはもったいない
木目が美しい国産イチイ使用
「電気のつけっ放し、水の出しっ放しはだめですよね。モノを大切にす
デザインは写真とイラストで分かるよ
うになっており、これを手本にしながら
まれたもうひとつの木地を、紙やすりやみつろうで磨きながら仕上げてい
きます。
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蜜ろうで磨き直せば、長く使えてエコロ
字などを刻んでいきます。その間に、子どもたちは「MOTTAINAI」と刻
オフィシャルサイト
同 社 は 1 9 2 2( 大 正 ) 年 の 創 業。
塗箸生産日本一を誇る小浜市の伝統を守
マークを選ぶとパソコンに入力され、専用の彫刻機が一対の箸の片方に文
モッタイナイは世界中のアイコトバ。MOTTAINAIキャンペーンの関連情報が満載です
市販の彫刻刀やナイフを使えば、気軽に
この体験実習は2012年から始まりました。子どもたちが好きな文字や
「世界で一膳しかない箸。
何かの記念にプレゼント
するのも良いですね」と
話す松本社長
両セッ ト と も こ れ ま で と 同 様 に 、 常 緑
針葉樹の 国 産 の イ チ イ の 端 材 を 木 地 に 使
マツ勘の手づくり箸キットを使って「マイはし」をつくることができます。
手づくり箸キットのペアセッ
ト を10人 に プ レ ゼ ン ト し ま す。
はがきに、郵便番号、住所、 氏
名、 年 齢、 電 話 番 号 を 明 記 し、
〒100-8051 東 京 都 千 代 田
区一ツ橋1-1-1毎日新聞社
MOTTAINAIキャンペーン事務局
プレゼント「マツ勘」係までご応
募ください。6月30日必着です。
ジーです」と松本社長は言います。売り
子ども向けの職業体験施設「キッザニア東京」
(東京都江東区豊洲)では、
トデザイナーで、最近も「プロフェッシ
とのコラボ箸も話題です。
子どもたち
マツ勘(☎0770・
キッザニアで
ペアセットを10人に
上げの一部はケニアで植林活動を行うグ
ぶ
ョナル 仕事の流儀」
「ガイアの夜明け」
など、テレビ出演が続く佐藤オオキさん
「 割 り 箸 を 捨 て る の は も っ た い な い。 マ
イはしを使うとゴミを減らすことができ
ま す 」。 ス タ ッ フ の 言 葉 に う な ず き な が
ら、子供たちが箸を磨いていきます
体験実習で
MOTTAINA
Iの心学
り つ つ、 未 来 へ も 目 を 向 け な が ら 箸 づ
の写真を持って再会できる日を夢見ています。
【MOTTAINAIキャンペーン事務局長・七井辰男】
くりを続けています。2006年、Ne
たびに「大変ですね」と声をかけたくなります。こ
オリジナルの箸をつくることができます。
したが、メディアで白髪が増えたオバマさんを見る
っていま す 。 松 本 社 長 に よ る と 、 木 目 が
その2年後に大統領に選ばれるとは思いませんで
綿密で美 し く 加 工 し や す い の で 、 木 工 芸
敷を広げながら笑顔で写真におさまってくれました。
リーンベルト運動に寄付されます。
INAIの説明をしたらすぐに理解し、渡した風呂
w s w e e k 誌「 世 界 が 尊 敬 す る 日 本
営する自然保護区マサイマラのロッジ。MOTTA
互いに知恵を絞ったり、子どもに教え
たり。箸づくりを通して夫婦や親子の会
場所はマータイさんの長女の夫、ラ―スさんが経
品や家具 、 鉛 筆 な ど に も 使 わ れ る こ と が
めてケニアを旅していた時でした。
「MOTTAINAI手づくり箸キッ
ト 」 は「 ペ ア セ ッ ト 」「 親 子 セ ッ ト 」 と
院議員。2006年8月、ケニア人の父のルーツを求
人100人」に選ばれた気鋭のプロダク
が並んで写した写真です。このときオバマさんは上
話 が 増 え て ほ し い と 願 う 松 本 社 長。
「既
す。先日、国賓として来日したオバマ米大統領と私
多い、と の こ と で す 。 ペ ア セ ッ ト は 長 さ
私のカバンには1枚の大切な写真が入っていま
世界で一膳しかない箸
私の大切な写真
記念の贈答品に最適
ようこそ
MOTTAINAIへ。
マ ツ 勘 の 松 本 喜 代 司 社 長。
「 紙 や す り や 蜜 ろ う で 磨 き 直 せ ば、
長く使えてエコロジーです」と語ります=撮影・山田茂雄
MOTTAINAIコラム
06
Reduce
(ごみ削減)、Reuse
(再利用)、Recycle
(再資源化)の3Rと、地球資源に対するRespect
(尊敬の念)が込められた言葉「もったいない」を、環境を守る国際
(※1)MOTTAINAI
キャンペーン
語「MOTTAINAI」とし、地球環境に負担をかけないライフスタイルを広め、持続可能な循環型社会の構築を目指す活動です。ワンガリ・マータイさんが提唱し、2005年にス
タートしました。企業からの協賛や環境にやさしいオリジナル商品の販売、各種イベントなどを通じてキャンペーンを展開し、収益の一部をマータイさんが創設したケニアの
植林活動「グリーンベルト運動」に寄付し支援しています。マータイさんは11年9月に亡くなりましたが、マータイさんの遺志を継いでキャンペーンは継続しています。
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授賞式に集まったファイナリストたち。
プレゼンターはシンガー・ソングライタ
ーの森恵さん(前列左から4人目)
クリナップ
エピソードを集めて
「ステキな親子関係を築くヒントに」
を、みんなで分かち合
おうという目的。昨年
か ら 始 ま り、 今 年 は
2598件の応募があ
日
りました。1次審査を
援投票を実施。厳密な審査によってファ
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人のエピソ
イナリスト(5人)が選ばれ、5月
通過した
キッチンからあふれる笑顔を――。住
宅設備大手の「クリナップ」(東京都荒川
の「母の日」に、東京都港区のアクアシ
ードをキャンペーンサ
区)では、日本の親孝行を応援する「〝親
ティお台場で最優秀エピソード賞(グラ
環境配慮型の商品の開発で
省エネ推進
孝行って、いいね!〟キャンペーン」を
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イトで公開し、インターネットによる応
推進しています。
グ ラ ン プ リ は、 神 奈 川 県 の 姉 妹 が 受 賞。
ンプリ)
の発表と授賞式が行われました。
食卓での思い出など、親孝行にまつわ
る エ ピ ソ ー ド を 募 集 し、 そ こ に 表 現 さ
フルタイムの仕事に加えて内職や子育て
と「どんなに激忙でも食卓には『愛情ご
れ る「 ス テ キ な 親 子 関 係 を 築 く ヒ ン ト 」
はん』があった」など母親への感謝の気
持ちがつづられ、賞品としてクリナップ
のシステムキッチンが贈られました。
今 年 周 年 を 迎 え る ク リ ナ ッ プ で は、
キッチンのキャビネットにリサイクル率
の 高 い ス テ ン レ ス を 用 い た り、 わ ず か
650㏄の水量で自動洗浄するレンジフ
ードを取り入れるなど環境配慮型の商品
を開発しています。また、製造工程で発
生 す る 木 く ず や プ ラ ス チ ッ ク な ど、
「産
業廃棄物の再資源化を進めている」
(広
環境への取り組みについてはサイト
報・ブランド推進課)といいます。
( http://cleanup.jp/life_cycle/
)で 紹 介 し
ています。
【明珍美紀、写真も】
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毎日新聞 水と緑の地球環境本部 活動紹介
水と緑の地球環境本部は毎日新聞創刊135年を迎えた2007年に創設されました。それ
までに実施してきた環境に関連する各種キャンペーンを総合的に展開し、地域と地球規模
の環境保全に貢献することが設立の目的です。2000年に始めた「富士山再生キャンペー
ン」、05年から取り組んでいる「MOTTAINAI(もったいない)キャンペーン」、06 年
からの「My Mai Tree」の植樹活動に加え、09年からは森林保全にも活動の幅を広
げた「つながる森プロジェクト」を開始しました。そのほか、日韓両国の環境活動に取り
組む団体・個人を表彰する「日韓国際環境賞」などが活動の軸になっています。
また、企業の環境担当者と環境NPOの学習交流会「毎日Do!コラボ」の開催など、
環境分野の方々の交流促進を図っています。11年の東日本大震災以降は、環境NPOなど
と協力しながら、さまざまな被災地支援を続けています。
「マイECO」は08年に創刊したフリーペーパーです。隔月刊で、環境に関わる著名人
らのインタビュー、環境活動のリポート、環境保全につながる暮らし方や食、MOTTAI
NAIキャンペーン情報などを紹介しながら、環境保全や私たちの生活のあり方について、
読者のみなさんと共に考えます。
発行日:2014年5月31日
編集・発行:毎日新聞社 水と緑の地球環境本部
発行人:斗ヶ沢秀俊
〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1の1の1
☎ 03・3212・2607 FAX 03・5208・4946
E-mail:[email protected]
デザイン:中村千晶、山本幸枝
【表紙:離島に生きる与那国馬】
沖縄・与那国町の天然記念物に指定されている与
那国馬は、日本に8種類ある在来馬
(和種馬)
の一種。
小柄で頭が大きく、
毛の色は茶色のみ。
もとは農耕馬
でした。地元のNPO「ヨナグニウマふれあい広場」
では保存と活用に取り組み、自家繁殖をしながら乗
馬やホースセラピー用に調教。
「馬と遊ぶ楽しさを知
ってもらおう」と活動しています。
(写真・与那国町教育委員会の村松稔さん提供)
FOODのコーナーに登場した沖縄の与那国は、日
本の最西端にある人口約1500の小さな島です。台
湾との距離は110㌔。石垣島よりも7㌔ほど近いと
はいえ、「台湾とも異なる独自の文化がはぐくまれ
てきた」といいます。言葉だけでなく、島固有の文
字を持ち、与那国民俗資料館の池間苗さんによる
「与
那国ことば辞典」も出版されました。
島では、与那国の民謡の継承に努めるほか、かつ
て生い茂っていた「比川みかん」のことを伝えよう
と、子どもたちが描いた絵をもとに紙芝居をつくっ
た若者、海からの潮の影響を受けながらも工夫を重
ねて野菜を育てる農家など、意欲的な人々と出会い
ました。「この島を訪れる人はリピーターが多い」
といいます。
与那国を好きな人々と島民がチームを組んだ「与
那国いとなみネットワーク」が始動しました。「ち
ょっと昔の日本の暮らし」が残る与那国島。そこか
ら日本の未来を考えることは、「都会の人々にこそ
必要なのではないか」と感じました。 (M)
「マイECO」は毎日新聞東京本社1階(東
京メトロ東西線竹橋駅下車)の「MOTTAIN
AI STATION」などに置いています。また、
「マイECO」を配布してもらえる市民グルー
プや店舗、カフェなどを募集しています。
詳しくは毎日新聞水と緑の地球環境本部(☎
03・3212・2607)へお問い合わせください。
ホームページ http://mainichi.jp/feature/ecology/
毎日新聞社は日本の里山を保全・再生する活動を支援しています。
マイECOの用紙代の一部は日本の里山の保全と再生に役立てられます。
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