称号及び氏名 博士(工学) 学位授与の日付 平成 21 年 3 月 31 日 論 「負の誘電率異方性を有するネマティック液晶の 過渡応答に関する研究」 文 論文審査委員 名 岩田 主査 内藤 裕義 副査 石原 一 副査 堀中 博道 洋典 論文要旨 液晶相は結晶相と等方相の間に現れる中間相である。ネマティック液晶は、分子の平均的な配 向方向(ダイレクタ)は揃っているがその重心位置はランダムであるため、屈折率、誘電率の異方 性、および流動性を有する。このため 2 枚の透明電極付きガラス基板中にネマティック液晶を封 入した液晶セルを作製し、ダイレクタを外部電場で変化させて透過光強度を制御できる。この原 理を応用した液晶表示素子は、現在テレビ用途としてブラウン管を凌ぐほどに普及している。液 晶セル内におけるダイレクタの初期配向はガラス基板表面に配向処理を施すことにより制御でき る。初期配向の違いによってダイレクタの再配向過程が異なるため、液晶セルの配向方式は液晶 表示素子の電気光学応答を左右する。 負の誘電率異方性を有するネマティック液晶を用いた垂直配向方式の液晶表示素子(VA 方式と 呼ばれる)は高速応答、広視野角、高コントラスト等の特性を有するため、液晶テレビとして実用 化されている。現在プラズマテレビなどと比較しても遜色がない程度に応答時間は向上してきて いるが、一層の素子特性向上のため応答速度を支配している要因の解明、および、その評価法の 開発が急務となっている。ネマティック液晶には 5 つの Leslie 粘性係数 ai (i = 1, 2, ..., 5)が存在し、 液晶テレビの応答時間は粘性に大きく依存する。高速応答性を有する液晶材料を開発するために は、各 Leslie 粘性係数がダイレクタ応答に与える影響を明らかにするとともに、それらの正確な 値を測定する必要がある。しかし、従来の粘性係数測定法には、大量の液晶と高価で大掛かりな 装置が必要、データの解析が複雑、一部の Leslie 粘性係数しか測定できないなどの欠点があり、5 つの Leslie 粘性係数を簡便かつ正確に測定することは困難であった。 液晶セルにステップ電圧を印加するとダイレクタが回転し液晶セルの静電容量が変化するた め、単一のピークを有する過渡電流が流れる。過渡電流はダイレクタの回転に起因したものであ るため、液晶セルの電場応答におけるダイレクタの再配向過程や応答時間など、液晶表示素子の 電気光学特性に関する重要な知見を得ることができる。正の誘電率異方性を有するネマティック 液晶を封入した水平配向液晶セルに流れる過渡電流は、電流がピーク値をとる時間(ピーク時間) に対して対称な波形となる。この実験結果は液晶の流れを無視した理論により説明でき、正の誘 電率異方性を有するネマティック液晶の回転粘性率g1 = a3 - a2 を決定できる。ところが、負の誘 電率異方性を有するネマティック液晶を封入した垂直配向液晶セルに流れる過渡電流を測定した ところ、ピーク時間に対して非対称な波形となった。このため垂直配向液晶セルでは、流れを無 視した理論を用いて負の誘電率異方性を有するネマティック液晶のg1 を決定することができない。 そこで本研究では、流れを考慮したネマティック液晶の連続体理論を用いて垂直配向液晶セルに 流れる過渡電流を解析することにより、VA 方式の液晶表示素子の電場応答を支配している要因 を明らかにし、その成果をもとに負の誘電率異方性を有するネマティック液晶の Leslie 粘性係数 測定法を提案した。これらの研究成果を、以下の 7 章にまとめた。 第 1 章では、本研究の背景と研究目的について述べた。 第 2 章では、垂直配向液晶セルに流れる過渡電流を説明するために、液晶の流れを考慮して過 渡電流の数値計算を行った。垂直配向液晶セルに流れる過渡電流の実験結果は、ピーク時間に対 して非対称な波形となった。流れとダイレクタの回転との相互作用を記述する連続体理論 (Ericksen-Leslie 理論)について概説し、垂直配向液晶セルの電場応答におけるダイレクタの運動方 程式、角運動量方程式(Ericksen-Leslie 方程式)を導出した。これらの方程式を用い、流れを考慮し て数値計算した過渡電流のピーク時間は、流れを無視した場合と比較して格段に短くなった。液 晶セル基板上における流れの境界条件が過渡電流波形に与える影響を調べるために、基板上で液 晶分子が移動しない場合(no slip)および基板上で液晶分子が動く場合(free slip)を仮定し、過渡電流 を数値計算した。流れの境界条件を free slip として数値計算した過渡電流のピーク時間は、no slip の場合と比較して短くなり、 free slip 境界条件における過渡電流波形は実験結果とよく一致した。 これらより、垂直配向液晶セル内におけるダイレクタの電場応答は free slip 境界条件下の流れに より著しく速くなることを明らかにした。 第 3 章では、水平配向および垂直配向液晶セルに電場を印加した際のダイレクタ再配向におけ る流動効果について述べた。水平配向液晶セルに流れる過渡電流はピーク時間に対して対称な波 形となったが、垂直配向液晶セルに流れる過渡電流はピーク時間に対して非対称な波形となった。 これらの実験結果を説明するために、Ericksen-Leslie 理論を用いてそれぞれの液晶セルに流れる 過渡電流を no slip および free slip 境界条件を仮定して数値計算した。no slip 境界条件において数 値計算した水平配向液晶セルに流れる過渡電流は実験結果をよく再現し、流れを無視した場合の 数値計算結果とも一致した。一方、垂直配向液晶セルについて free slip 境界条件において数値計 算した過渡電流は、流れを無視した場合および no slip 境界条件の場合の数値計算結果と比較して 最も速い応答を示し、実験結果とよく一致した。水平配向および垂直配向液晶セルにおいて流動 効果がダイレクタ応答に与える影響を調べるために、ダイレクタ分布、流速分布、および流れが ダイレクタに及ぼすトルクを適切な流れの境界条件のもとで数値計算した。その結果、水平配向 液晶セルでは流れにより発生するトルクが小さくダイレクタの回転は加速されないのに対して、 垂直配向液晶セルでは流れにより大きなトルクが発生するためダイレクタの回転が加速されるこ とを明らかにした。 第 4 章では、負の誘電率異方性を有するネマティック液晶の Leslie 粘性係数が垂直配向液晶セ ルの電場応答に与える影響について調べた。Ericksen-Leslie 理論を用いた free slip 境界条件におけ る過渡電流、 ダイレクタ応答の数値計算により、VA 方式の液晶表示素子の応答時間は 5 つの Leslie 粘性係数のうち a2 、a4 + a5 に依存することがわかった。また、液晶材料の高速応答性を判断する ための基準とされてきたg1 に代わり、垂直配向液晶セルの応答時間を支配する粘性率として有効 回転粘性率 g 1 *( q)を導出、提案した。 g 1 *( q)はダイレクタの極角 q に依存して値が変化し、5 つの Leslie 粘性係数を全て含む。垂直配向液晶セルの電場応答は、g1 *( q)が小さくなるほど速くなるこ とがわかった。さらに、g1 *( q)の値はg 1 の値と比較してqの値が小さくなるほど大幅に減少するこ とを示した。以上より、VA 方式の液晶表示素子の高速応答を実現するためには、a2 、a4 + a5 に 着目しg1 *( q)の値が小さい液晶材料を合成すればよいことを明らかにした。 第 5 章では、free slip 境界条件を適用し、液晶セル基板付近のダイレクタの弾性変形領域を 無視して Ericksen-Leslie 方程式を解くことにより、垂直配向液晶セルに流れる過渡電流の解 析解を導出した。解析解により、セル厚 60 mm 程度の垂直配向液晶セルに 200 V 以上のステ ップ電圧を印加した際の実験結果を非常によく再現できることがわかった。実験結果と解析 解との最小二乗フィッティングにより、負の誘電率異方性を有するネマティック液晶のa1、 a2 、a3、 a4 + a5、およびプレチルト角q o を測定した。求めた Leslie 粘性係数より算出したg 1 および動粘度n の値は、それぞれ回転磁場法および Ubbelohde 粘度計による測定値と近い値と なった。解析解を用いる方法は、他の Leslie 粘性係数測定法と比較して実験系が非常に簡単 であり、さらに過渡電流の解析解が得られているため実験結果とのフィッティングをごく短 時間で行うことができる。また、5 つ全ての Leslie 粘性係数を得ることができるため、第 4 章で導出したg 1*(q)の値を計算することも可能となった。 第 6 章では、垂直配向液晶セルに流れる過渡電流の実験結果と free slip 境界条件における 数値計算との最小二乗フィッティングによる、負の誘電率異方性を有するネマティック液晶 の Leslie 粘性係数測定法を提案した。数値計算では第 5 章で導出した解析解と異なり液晶セ ル基板付近におけるダイレクタの弾性変形領域を考慮しているため、液晶セルのセル厚、印 加電圧の大きさにかかわらず過渡電流波形を得ることができる。セル厚約 5、10、20、およ び 50 mm の垂直配向液晶セルに流れる過渡電流の実験結果と数値計算とのフィッティングに より、各セル厚における負の誘電率異方性を有するネマティック液晶の a1、a2 、a3、a4 + a5 、 およびq o を測定した。全てのセル厚の垂直配向液晶セルにおいて、過渡電流の実験結果と数 値計算結果はよく一致した。Leslie 粘性係数の測定値は全てのセル厚においてほぼ同一の値 となった。以上より、液晶テレビに用いられる垂直配向液晶セル程度の薄いセル厚において も、負の誘電率異方性を有するネマティック液晶の Leslie 粘性係数を正確に測定できること を示せた。 第 7 章では、以上の成果を総括して本研究の結論をまとめた。 審査結果の要旨 本論文は、流れを考慮したネマティック液晶の連続体理論を用いて垂直配向液晶セルに流れる過渡電 流を解析することにより、垂直配向方式の液晶表示素子の電場応答を支配している要因を明らかにし、 その成果をもとに負の誘電率異方性を有するネマティック液晶の Leslie 粘性係数測定法を提案したも のであり、次のような成果を得ている。 (1)垂直配向液晶セルに流れる過渡電流を説明するために、液晶の流れとダイレクタの回転との相互作 用を記述する連続体理論(Ericksen-Leslie 理論) より、垂直配向液晶セルの電場応答におけるダイレ クタの運動方程式および角運動量方程式を導出した。これらの方程式を数値解析することにより、垂直 配向液晶セル内におけるダイレクタの電場応答は free slip 境界条件下の流れにより著しく速くなるこ とを明らかにした。 (2)水平配向液晶セルに電場を印加した際のダイレクタ再配向における流れの効果について調べ、 液晶の流れの効果は水平配向液晶セルでは、無視できることを明らかにした。 (3)垂直配向方式の液晶表示素子の応答時間は 5 つの Leslie 粘性係数のうちα2 、α4 +α5 に依 存することを示した。また、液晶材料の高速応答性を判断するための基準とされてきたγ1 に代わ り、垂直配向液晶セルの応答時間を支配する粘性率として実効回転粘性率γ1 * を導出、提案した。 (4)free slip 境 界条 件 下 で 、 液 晶セ ル 基 板 界 面 付 近の ダ イ レ ク タ 弾性 変 形 領 域 を 無視 し て Ericksen-Leslie 方程式を解くことにより、垂直配向液晶セルに流れる過渡電流の解析解を導出 した。実験結果に解析解を最小二乗フィッティングすることにより、Leslie 粘性係数、α1 、α2 、 α3 、α4 +α5 、プレチルト角θo が測定できることを実証した。 (5)垂直配向液晶セルに流れる過渡電流の free slip 境界条件における数値計算と実験結果との フィッティングによる Leslie 粘性係数測定法を提案した。本方法では、(4)で示した解析解と異 なり液晶セル基板界面付近におけるダイレクタ弾性変形領域を考慮しているため、液晶セルのセ ル厚および印加電圧の大きさに関わらず Leslie 粘性係数を決定できることを示した。 以上の諸成果は、垂直配向ネマティック液晶表示素子の電場応答を free slip 境界条件下の流 れを考慮した連続体理論により解明し、その成果を用いて Leslie 粘性係数決定法を確立したも ので、電子物理工学分野に貢献するところ大である。また、申請者が自立して研究活動を行うこ とに必要な能力と学識を有することを証したものである。学位論文審査委員会は、本論文の審査 ならびに最終試験の結果から、博士(工学)の学位を授与することを適当と認める。
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