特 集 - Kodo

特集
7
月刊「鼓童」2008 年 12 月号
年に一度の春祭りでは、山の上の研修所にも鬼太鼓の門付けが。2年生は鬼と太鼓役、1年生は料理とお酒で出迎える。
柿野浦と共に
1996年に移転、翌97年からは2年制の研修所としてスタートした柿野
浦の研修所。この学び舎を巣立った研修生、88名。2年制のカリキュ
ラムを修了した人は76名。この数の若者を集落の皆さんは温かく見
守り、応援してきてくださったのです。懐かしい方々と再会を果たしに、
今でも祭りの日に帰ってくる卒業生がいます。研修生にとって、
そん
な第二の故郷となる柿野浦についてお伝えします。
わら草履づくりを習う
脱穀機の具合を見てもらう
防火訓練
8
研修所 2008
は実家を離れ、学校のある中央部の国仲地区に
す。地域の学校も統廃合が進み、必然的に子供
し、周辺部では過疎化、高齢化が進行していま
在の佐渡では、島の中央部に企業・人口が集中
ながら一年後には
「鼓童研修所」
としてスタート
内部の改修もまた柿野浦の方々にお世話になり
り交わしました。建物が朽ちる時間を与えずに、
れ、という気持ちをいただいて三◯年契約を取
なくなったら取り壊すだけなので、長く居てく
どうなるか分からないながらも、間をおかず
に
サ
インを出してくださった柿野浦の皆さ
まに改めて感謝の気持ちが湧いてきます。使わ
川さん)
」
大変だったと思うよ。
(当時の区長の奥様・小
年はやめておく、と帰って来ない人もいるくら
て研修生に参加してもらえないような年は、今
るけれど、アース・セレブレーションと重なっ
お盆に催す夏祭り。いつもいっぱい帰省してく
だって年寄りだけではできないもの。それから
の大掃除・整備)
や鬼太鼓、
祭りの神社の幟立て
若いほうだしね。春秋の道づくり(道路まわり
けてもらって救われる…。
相談をし、本当の家族のような親身な言葉をか
島・周辺部の集落
下宿することもあるのです。一家の働き手のお
したのです。
家族がわりの温かさ
それまでの研修所では舞台の演目稽古に終始
する内容でした。しかし、一九九七年から二年
した学校は、
集落の皆さんが力を合わせ、
材木や
フ・山中津久美の母校です。昭和二六年に完成
に廃校になった旧岩首中学校は、鼓童のスタッ
今年で十三年目になりました。一九九五年三月
そんな集落の一つ、柿野浦に私達が住まわせ
ていただくようになったのは一九九六年四月、
者は、研究にあてられた時間や休みの日にそれ
由研究で柿野浦に関することをテーマにした
いものを感じます。また、毎年二年生が行う自
太鼓を習い、芸そのものや人と人の繋がりの熱
美を学びます。集落の安泰を願う祭りでは、鬼
を見張るような驚きである生活の知恵・工夫・
んやおばあちゃんから様々な作業を通して、目
(文:千田倫子)
浦よ、
いつまでも! 皆さん、
住民としてこれか
らも私達をどうぞよろしくお願いいたします。
という言葉など越えた将来を思いつつ… 柿野
わります。昨今言われるようになった限界集落
した生活を継いでいくことが集落の今後にも関
方々との繋がりを今ひとたび積極的にし、充実
その他、皆さんにお世話になること数知れず。
野菜が玄関先に置いてあったり、朝のランニン
◆柿野浦住民として参加の行事
U
四月:二週間、
神社にて鬼太鼓の稽古/
祭り/春の道づくり/研修所での花見
五月:ロングライドボランティア
八月:夏祭り/秋の道づくり
九月:トライアスロンボランティア
十月:柿野浦・大火の日の防災訓練
十一月:研修所収穫祭主催
二〇〇七〜八年:消防団班長
(所長・石原泰彦)
研修所講師の先生方(敬称略)
佐藤利夫 [
講義]佐 渡研究者
福島徹夫 [
講義]元・新潟県栽培
漁業センター所長
桃井宗生 [
茶道]裏 千家学校茶道教授
松永政雄 [
能] 宝生流教授嘱託
幸清流小鼓準職分
小笠原匡 [
狂言]能 楽師和泉流狂言方
金城光枝 [
琉球舞踊]琉球舞踊家
民謡歌手
作曲家
[黒川さんさ踊り]
太圭流華の会師範
岩手県盛岡市・黒川さんさ踊り保存会
岡田京子 [
歌]
伊藤多喜雄[唄
]
後藤美奈子、
松浦充長
千田倫子、
石原泰彦、
青木孝夫、
菅野敦司、
山口康子、
(補佐:辻勝、
船橋裕一郎、
砂畑好江、
阿部研三)
齊藤栄一、
見留知弘、
新井武志、
藤本容子、
大井キヨ子、
山口幹文、
講師/大井良明、
藤本吉利、
小島千絵子、
農作業、
造形、
講義、
生活全般など
内容/太鼓、
踊り、
唄、
笛、
身体ケア、
鼓童メンバー講師
狩野泰一 [笛] 篠笛奏者
金子竜太郎[太
鼓など]和太鼓奏者
岩崎ちひろ [魚のさばき方]魚屋
松田祐樹 [
講義]佐 渡の芸能研究者
ねえ。
(小川さん)
」
瓦を山の上まで運んで建てたものです。学び舎
ぞれのお宅に通い、
様々なことを伺い、
生きたレ
赤塚五行 [
俳句]新 潟日報佐渡版俳句選者
熊田勝博 [
講義]照 明家
毎日顔を合わせることが無くなって少し淋しい
場所だった農協が無くなってからは、研修生と
れるというのが楽しみなの。でも、人が集まる
い。今やもうみんなが、若い人がここに居てく
「本当に研修生がいてくれて何もかもが助
かっているよ。今暮らしているのは七〇歳で
父さんは、通勤や子供の学校のことも考え合わ
柿野浦は、両津港から海岸線を車で四○分南
下した前浜地区の集落で戸数二〇軒あまり。現
せて、生活し易い国仲地区に家を持つ場合もあ
ります。そういう流れの中にある島の周辺部、
そこで生活しているのは主におじいちゃん、お
ばあちゃん。平日はひっそりと穏やかな村の風
景が広がります。
制にし柿野浦に定着することで、舞台人の魅力
として必要な、人間の本来の暮らしを知るとい
を跡地の石碑だけにするのは忍びなく、どうに
ポートをまとめました。
〈柿野浦の鬼太鼓につ
若者来る
か研修所としてお借りすることはできないかと
いて・集落の歴史・昭和三六年の大火について・
葛原正巳 [陶芸]
西須殉治 [
木工] 指
物師
働きかけ、取り壊しの予算分を道の整備に当て
川嶋さんという戦争体験者の方の聞き書き・テ
集落のあり方に正解などないでしょう。十三
年の間には、
集落を離れた人もいるし、
都会から
ることで当時の両津市とは交渉成立。しかし、
う目標が現実のものとなりました。おじいちゃ
柿野浦の皆さんにとっては、どうだったでしょ
ゴという藁のバック作りの実体験など〉そこに
グで声をかけてもらったり、水道や電気の不都
ターンして来た方もいます。私達が、年配の
う。
く、
といった心の交流がありました。
るし、どんな生活をしようというのか心配だと。
は若者が尊敬を持って年配の方からお話を聞
「最初はやっぱり、そんな若い人たちが一気に
来て、寝泊まりして大丈夫かという意見もあっ
それで、大井さん(大井良明・当時の研修所長)
合を解消してもらう、お宅におじゃまして悩み
たね。学校は集落から一キロも上がった所にあ
は何度も何度も足を運んで話をしに来てくれて
月刊
「鼓童」2008年 12月号
9
G
O
研修所 2008
くらす・まなぶ・つくる
様々な稽古・研修・生活
毎日の生活の中での料理、季節毎の農作業、講義や茶道、陶芸などのもの作り。研修所でのカリキュラムは、
太鼓や踊りなど様々な郷土芸能の根っこに近づくために、
自分達の心身を耕してゆく取り組みです。
10
研修所 2008
次の専門課程へ進級します。選考は、研修に取
バーやスタッフを目指す人は、選考を経て二年
研修制度は二年制で、一年目は伝統文化の基
礎を研修する総合課程です。鼓童の舞台メン
頂く場合もあります。
への参加などを通じて地元の方に稽古をつけて
全国各地の様々なものがあります。佐渡の祭り
太鼓」
、さらに「群星」といった琉球舞踊まで、
「さんさ」
「西馬音内
踊りの稽古には「剣舞」
盆踊り」などの北国の芸能や、地元佐渡の「鬼
里馬」など様々なスタイルの太鼓を稽古します。
ン」など、佐渡島内公演で、舞台設営などの準
す。また「鉱山祭り」
「アース・セレブレーショ
「太鼓体験塾」
「鼓童塾」など一般対象に行わ
れるワークショップにスタッフとして参加しま
実地研修
や造形を教えて頂く時間もあります。
草履作り、魚の捌き方や陶芸などの生活の知恵
工夫をしています。うまくいけば
田んぼは、除草剤を使わない方法で草を抑える
夏は田んぼも畑も、雑草の勢いとの追いか
けっこです。柿畑は、
毎月暑さの中での草刈り。
た土を耕し、野菜の植え付けを行います。
手つきで畔塗り・代かきを行い、成長を願いつ
をまいて、稲の苗作りが始まります。慣れない
研修制度の概要
り組む姿勢と、年四回程度の発表会の成果をも
唄の稽古では、発声・音程・リズムなどの基
本から作曲や合唱まで、声を用いた表現を学び
、失敗
つ田植えをします。畑は、冬の間休ませておい
とに行います。鼓童の活動以外の、自分の持つ
この研修所を修了した後、選考を経て準メン
バーとして一年間の実地研修を積み、最終選考
します。
な内容となります。
篠笛の稽古もあり、一年目は基礎的な音の出
し方などを学び、二年目は選択制でより応用的
ます。
農作業(田圃・畑・柿)
学校交流公演」もあります。
す。
佐渡島内の中学校などで実際に公演する
「中
などイベントや公演の現場を実際に体験しま
備段階から当日の警備、ワークショップ手伝い
祭では、みなさんに味わっていただきます。研
秋を迎えると米、柿、イモなどたくさんの収
穫物で食卓が賑わう、うれしい時期です。収穫
す。
すれば日々草取り。夏野菜が、口に入り始めま
目標に向かう人については一年次で研修を修了
を経て正式メンバーと し て の 採 用 が 決 ま り ま
農作業はそれぞれの季節を感じながら、でき
るところは手作業で行います。田んぼは合わせ
太鼓・踊り・唄・笛
す。
能・狂言・茶道・講義など
て三反余り(
6:50 朝食
7:30 ストレッチ、締め上げ、朝稽古
9:30 午前の稽古
どの他に、農作業や造形、講義の
稽古の時間は太鼓や踊り、
唄のな
時間も。年間およそ2/3が太鼓
それ以外の時間に充てられます。
や踊りなどの時間、残りの1/3が
研修所パンフレットができました
研修生活や稽古内容等を詳しく掲載した
無料の冊子です。研修生に応募したいと
考えている方だけでなく、関心をお持ちの
方にも広くご覧いただければ幸いです。ご
希望の方は、鼓童文化財団事務局までご
請求ください。
鼓童文化財団:Tel. 0259-81-4100
E-mail. [email protected]
(無料/ B5判/モノクロ32ページ)
ます。
お鍋の具として登場し食卓を和やかにしてくれ
さで、
研修生の食事約四ヶ月分をまかないます。
を作って、たっぷりといただきます。
「お米パーティー」の日。ごはんに合うおかず
修生の楽しみは、研修所でとれた新米を味わう
二回程度の基本的なものですが能・
月に一、
狂言の謡や舞の稽古があります。本物の能舞台
プール三つ分くらい)の広
での稽古もあり、佐渡の能楽愛好者のみなさん
O
K
の発表会へも参加しています。
まずは日々の食事で使う自分の箸作りからス
タート。次に太鼓の稽古に使う撥作りをします。
4:50 起床体操、掃除、
トレーニング
春、四月に入ると、前の年にとれたお米(籾)
月刊
「鼓童」2008年 12月号
11
50
m
冬の農閑期は次の一年に向けて、堆肥作りや
道具の手入れをします。堆肥は、稲わらや落ち
19:30 各自の時間 〜就寝
葉、
牛糞などを使います。畑には冬野菜が育ち、
18:30 夕食
畑では自分達で選んだ季節の野菜を作り、また
よっては野外でも稽古をします。
柿畑では遠くに海を眺めながら約月一回の作業
も稽古をします。 季節や天候に
茶道の稽古は半日ずつ月に二回。最初の一年
で盆略点前、二年目からは選択制で薄茶点前
稽古は基本的に研修所で行われ
自分にあった撥が出 来 上 が っ た ら 太 鼓 の 稽
古。ですが実際に叩く前にまず、締め太鼓の締
ますが、内容によっては鼓童村で
め上げ(音のチューニング)を覚えます。太鼓
14:00 午後の稽古
を行います。
古をしたり、
体調に合わせて昼寝を
(炉)まで学びます。
したりと午後の稽古に備えます。
の基本的な打法は桶太鼓、締め太鼓、大太鼓と
食事と休憩の時間です。個人稽
いった順に段階を追って学びます。曲としては
12:30 昼食・休憩
講師の先生方による佐渡の歴史や自然につい
ての講義や、地元佐渡の方から山菜採りやわら
※時間割りは季節によって変わります
「屋台囃子」
「三宅」
「大太鼓」
「八丈太鼓」
「千
研修所の一日(夏時間)
研修所2008
< 藤本暢之
倉持裕二 >
< 高橋 亮
< 長尾奏美
渡邊みなみ >
< 飯島 学
久保田 潤 >
木下仁資 >
< 川村真悟
上田恵里花 >
池田 純 >
< 角田憲彦
1
2
アンケート 3
4
5
研修所に来る前何をしていたか?
研修所に来て一番印象に残っていることは?
趣味
好きなアーティスト(音楽とは限りません。敬称略)
自己PRしてください。
1年生
渡邊みなみ(わたなべ・みなみ)
川村真悟(かわむら・しんご)
1985年4月14日 新潟市
1984年3月24日 福岡県春日市
1. 新潟県警察音楽隊のカラーガード隊(フラッグなどの手具を使っ
1. パチンコ屋さんで毎晩、釘調整&設定変更
て演技します)
2. ここへ来て、初めての行事“お花見”
でリーダーを任されたことと、
柿野浦に“渡辺”さんと“南”さんという方がいらっしゃったこと。
3. 舞台鑑賞、ぼーっと景色を眺めること、映画館で観る映画
4. もたいまさこ、松山ケンイチ、新潟県警察音楽隊、小林聡美、
BLUE、小田和正
5. 前の職場でもここでも「子供みたいだね」と言われ、頭をなで
2. 気温の違い。地元と比べて、
とにかく寒い。冬期間がコワい…。
3. ドライブ、読書、ネットサーフィン、スポーツ全般。しかし、研
修所に来て、どれも手についてないです。
4. Hi-Standard、石田衣良、高橋歩、相田みつを、井上雄彦、
葛原正巳
5. これは自分の両親も読んでくれる可能性が非常に高いので、少
し真面目に書きます(笑)
。佐渡に来て8 ヶ月程たち、本当に
られる23歳です。よく色々なキャラクターに似ていると言われ、
色んな事を学びました。簡単に例えるなら、毎日毎日、少しず
皆に可愛いがってもらっています。研修生の中では一番、体が
つ自分の常識が覆されていくような感じです。
柔らかいですが、頭は少し硬いです…。
鼓童の研修所とは、色んな意味で本当にすさまじい所です。
鼓童との出会いは中学校の交流公演でした。「温かい気持
当たり前のように過ぎていく毎日ですが、研修所に居て学べる
ちにさせてくれる人たちだなあ」と興味を持ち、自分も“あの輪
事は、当たり前だ、と勘違いせぬよう、又、ここで学べる事に
の中に加わりたい”
という想いで研修所に来ました。家族・友達・
対して感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。
先輩・後輩…と沢山の人達に応援してもらい、とても幸せ者だ
進級の選考まで、あと2 ヶ月余り。どんな結果になろうと、後
なと思っています。絶対、後悔しないように1日1日を大切に過
悔だけはしないよう、残された研修所生活を精一杯がんばりま
ごしていきたいです。
す。地元のみんな! いつも応援ありがとう♡
月刊「鼓童」2008年 12月号
12
研修所2008
藤本暢之(ふじもと・のぶゆき)
上田恵里花(うえだ・えりか)
1973年2月28日 千葉県松戸市
1985年11月28日 北海道
1. IT企業のサラリーマン
1. 建築やまちづくりを学ぶ芸大生
2. 季節毎の虫と仲良くなれること
2. 岩首の祭りでの、最後まで気力で打ちに向かう鬼の姿と、熱い
3. 神社仏閣巡り、音楽鑑賞(R&B)
、美味しいものを食べること
4. Josh Groban、Stevie Wonder、Diana Ross、Beyonce、
Usher、Bette Midler、Madonna、Ernie Barnes、Marvin
Gaye、藤本木田、高森共子、沢木耕太郎、浅田次郎、見
留知弘、辻勝
5.「研修生最年長の藤本です」と言い続けて、早8 ヶ月。 時の
地元の皆さんに習い語って飲んだ二週間の稽古。
3. 舞台・音楽鑑賞、町並み観察、筆で字を書くこと
4. 久 石 譲、 オ キ ーフ、 クリス チャン・ ラッセ ン、LOVE
PSYCHEDELICO、aiko、石川直
5. 北国育ち、雪が大好きな23歳です。研修所にくる前は、一日
計12時間バイトをしつつ大学へ行き、太鼓と鬼剣舞にはまり…
経つスピードが年々早くなってはいたが、2008年ほど早い年も
結果、睡眠時間2、3時間の日々を送っていました。そうして掴
ないだろう。4月3日の入所以降、めまぐるしく過ぎゆく毎日をど
んだ研修生活は、
“今ここでしかできないこと”が目白押しで、
れだけ意識を高く持ったまま過ごせるか。2年前は、太鼓や鼓
自然のエネルギーや季節の移り変わりも、毎朝肌で感じ、貴重
童にまるで興味のなかった僕が、今、研修所にいるというこの
な時間を過ごしています。 今の生活を糧に、自分に正直に、
現実。安定した生活を捨ててまで、飛び込もうと思ったあの日
前向きに! 太鼓に踊りに励んでいきます。
のことを決して忘れてはいけない。
そのためにも僕は言い続けているのかもしれない。
角田憲彦(つのだ・のりひこ)
1979年2月22日 東京都あきる野市
高橋 亮(たかはし・あきら)
1990年1月30日 宮城県仙台市
1. 高校生でした
2. 一番最初に打ったのが和太鼓じゃなくて、サンバの楽器だった事
1. 会社員
3. 本を読む事
2. 田んぼ作業の全て。籾から選別し、苗を育て田植えをし、収穫
4. ニッケル・バック、スリップ・ノット、チルドレン・オブ・ボドム、
の時は胸がいっぱいなりました。
3. 読書、映画・舞台・音楽鑑賞、ストレッチ
4. Simon & Garfunkel、Norah Jones、山本周五郎、高田渡、
KOKIA、カクスコ、ソーントン・ワイルダー
矢野真紀
5. 高校を卒業してすぐに研修所に来ました。平成2年生まれの18
歳です。これを言うといつも18歳には見えないと言われます。
(苦
笑)
5. 現在29歳。来年はとうとう30歳、三十路へと突入です。私は
この研修所に来てたくさんの経験をし、色々な出会いをして
研修所に来る前、太鼓の団体を主宰していました。地元のお
太鼓の技術だけではなく、精神面の強化の方が、どちらかと言
祭りなどに参加する機会もあり、そこで地域が抱える問題がある
うとありました。精神面が充実していると心から太鼓に向かう事
事を知りました。
が出来るのだと思います。
研修所には太鼓団体と地域の関わり、つながり方を学ぶ為
自分はまだまだですが、色々な出会いをし、経験をして心から
に来ました。佐渡の人々はとても温かく、四季折々の自然も美
太鼓に向かう事が出来るプレイヤーになりたいと考え日々、稽古
しく、とても豊かな所です。そんな中で、日々稽古に邁進してお
しています。こんな18歳ですが、よろしくお願いします。
ります。
久保田 潤(くぼた・じゅん)
1983年11月17日 兵庫県神戸市
1. 大学を卒業後アルバイトをしながらやりたい事を探していた。
2. 浜河内の鬼太鼓。
“祭り”
のイメージが全く違っていてカルチャー
ショックを受けました。
3. 身の周りのこまごましたものを修理する事。音楽を聴く事。
4. 宇多田ヒカル、Mr.children、徳永英明など
5. 中学の終わりに太鼓に出会い、高校の部活動ですっかり太鼓
好きになりました!
大学を出て、やりたい事を見付けられずにいた自分が救われ
たのも、
やはり太鼓によってでした。人生を変えた太鼓のお陰で、
太鼓以外での貴重な体験もでき、一人の人間として成長して
いってるのかなぁと感じています。これから先の生活でも、沢山
の感動を頂きながら悔いのない毎日を過ごしたいです。
13
月刊「鼓童」2008年 12月号
研修所 2008
木下仁資(きのした・ひとし)
1983年10月15日 福井県大飯郡おおい町
1. 地元のパチンコ店でアルバイト
2. KASA/MIXというイベントで、研修所にたくさんの外国の方を
お招きした時に、言葉もなかなか通じない外国の方と太鼓をた
たいていっしょに笑い合えたこと。
3. 読書
4. the pillows、豊田三郎
5. 私は昨年、はじめて鼓童の研修生に応募しました。しかし残念
ながら落ちてしまいました。私はなぜ自分が選ばれなかったのか
考え、そして自分が見た目や、他人への受け取られ方ばかりを
気にして「素」の自分を出していなかった事に気がつきました。
今年、2度目の応募では、外づらは気にせず、素の自分を出
す事を心がけて、今こうして研修生になることができました。ま
だまだ人前になると見栄をはってしまう所がありますが、なるべく
池田 純(いけだ・じゅん) 1990年3月13日 京都市
自然体で自分らしい自分の太鼓がたたけるようになるために、
1. 高校生(真面目だった気がします)
日々稽古にはげんでいます。
2. 2時間、正座したこと
ところで、私は大学でウニを研究していました。ウニでお困り
3. 寝ること、しゃべること、食べること
の方は私にご相談下さい。
4. 阿部寛
5. 京都の金閣寺の裏山からきた、まだなんと18歳の少年です。
飯島 学(いいじま・まなぶ)
1984年4月2日 埼玉県
まだまだ若くて、元気なのですが…時にはその元気が空回り
↓ ̄
↓
することがあります。 ̄
ですが‼元気に頑張りたいです。よかったら手紙をください。
1. 教育学を学ぶ大学生。主に社会教育という専門で勉強してい
ました。
2. いろいろあり、
どれも一番なのですが、
あえて言うならば「KASA/
MIX」です。米国の方を中心に、さまざまな芸能を媒介にして
倉持裕二(くらもち・ゆうじ)
1989年4月17日 茨城県
交流できたことは貴重な経験でした。よく音楽は国境を越えると
1. 高校生
か、言葉がいらないと言いますが、まさにそれを実感できました。
2. 水がおいしい
このような小さな感動、大きな感動が世界の一人ひとりにあれ
3. お祭見学or研修所でのいろいろな体験
ば、お互いを尊重し、傷つけ合うことのない平和な社会が築け
4. ネリー、金子竜太郎
るのだと思います。
5. 自分は、夢に向かって毎日、一歩一歩成長していっている19
3. 手紙や日記を書くこと。 研修生活をはじめるにあたり、携帯電
歳の少年です。研修所では日々練習にとりくみ、プレイヤーに
話を解約してきました。そのようなことから連絡手段はもっぱら手
なるために、毎日うでをみがいています。生活では毎日精神面
紙を使っています。文字を書いていると、それが相手にどのよう
がきたえられて、
また、人としての心が身についていると思います。
に伝わるのかが気になってきます。そして文字に気持ちを込めな
もっともっと元気に研修生活を頑張りたいと思います。
がら書いていくと、具体的には何が必要となってくるのか考えは
じめます。4月の入所日から書きつづった日記は、そろそろノート
4冊目に突入します。
4. 上原ひろみ、マイルス・デイヴィス、ヨーヨー・マ、ママディ・
ケイタ、グレゴリー・ハインズ
長尾奏美(ながお・かなみ)
1983年10月17日 香川県高松市(さぬきうどんマジでうまいっす)
1. 陸上の自衛官
5. とにかく太鼓が好きで佐渡に来ました。ぼくは小中学生の頃に
2. アース・セレブレーションの準備期間で裏方の人たちと接したこと
学校へ行けなくなり、自宅にひきこもった経験があります。そん
3. 音楽鑑賞、星をみること、ツーリング(研修所に来る前よくいっ
な自分をどうにかしたく定時制高校に入学。そこで太鼓と出会う
てました)
ことになります。自分で太鼓を叩き、鼓童を知り、多くの発見と
4. globe、管野よう子、梶浦由記、2年生の皆さん
大きな喜びが生まれました。 昨今、日本は暗いニュースばかり
5. 自衛官から、一大決心で佐渡にやってきました。 集団生活や
目立ちますが、結果として自分の発する太鼓の音が人を勇気づ
重労働は慣れているので、ここでの生活は苦ではありません。
けたり、元気づけたりできるものになれればと思います。そんな
でも太鼓は初心者なので稽古はとても難しいです。
太鼓を叩けるために研修生活を送りたいです。
果たして、これからの進路はいかに…!
月刊「鼓童」2008 年 12 月号
14
研修所 2008
2 年生
草 洋介
それが表れるような太鼓が打てたらこんなに
嬉しいことはない。研修期間が終り、ここを
たら感じた苦労や辛かった日々も全て報われ
器
器は作った人の人柄が見えてきます。一見
とても使いづらそうな形でも持ってみると意
る気がする。
出る時、前よりも少しでも誇れる自分でいれ
外と軽くて使いやすかったりするし、その
内田依利
器を広く深く、そして海のように聞く人を
つつみこむような太鼓打ちになりたい。
「命」
「つながり」
逆もまた然りです。佐渡の羽茂という所に住
んでいる葛原さんという方の陶芸はまさに作
家の持つ人間性がそのまま表れたようなもの
ばかりです。特に湯のみなんかは、見た目は
ちょっと重そうで普通よりも大きすぎるかな
と思ってしまうけど、実際に使ってみると、
自分も人も嫌な所が山程見えてくる。でもそ
の分みんなが一つになった時に生まれるエネ
ルギーとその気持ち良さは何にも変えられな
していつも最後に「命を大切に、命を輝かせ
き換え、物語のように話してくれるのだ。そ
する。今まで出逢ってくれたみんな、私は筆
せる。支えてくれる人がいるから命を大切に
ているのだと嬉しくなった。それが命を輝か
講師の方が言っていた。ケンカするにもエ
ネルギーがいるでしょう。そうか、
誰でも持っ
い。
す。そしてどの作品にも温みがあります。
〝人
て」
と締めくくった。その時は大して気にもと
中学生の時、朝礼時の校長先生の話はいつ
も決まっていた。新聞などで見つけてくる小
間の器〟
とよく言うけど、自身の器の大きさも
めなかったが、研修所に来てから、なぜここ
無精で滅多に連絡もしないけど、いつも心の
手にすっぽりとおさまり、不思議なほど軽く、
よく表れていると思います。
に来たのか、なぜ太鼓を叩いていきたいのか、
中にいてくれてありがとう。
さいけど心温まる実話を、 さん さんと置
自分の太鼓もそうでありたいです。まだま
だちっぽけな器だけれど等身大の自分が常に
その先はなどど問われた時にふと思い出し、
※脚本づくりから研修生が手がける、保育園
一 度手に持つと手離したくなくなるほどで
にじみ出るような音を出していたい。ひくつ
児向けの太鼓劇。
「 ※太鼓レンジャー」
だ。
この言葉に全て含まれていると気付いた。私
け出せるものであってほしいな。太鼓を打つ
野次郎
自分は「釈迦兎」というバンドが好きだ。彼
らは何か吹っ切れていて彼らの演奏を聞くと
シャカラビ にとってそれをハッキリさせてくれたのは
ということがもっと自然に生活の一部として
みんなで力を合わせることを知らない見習
い中のレンジャーたちが一人狼のロンリーと
になったり、とりつくろったりせず、弱い部
感じられたら自分の音はもっともっと良くな
の戦いを通して太鼓にも命があることを知り、
分も含めて「これが俺だ!」と胸を張ってさら
る気がする。農作業や早朝ランニング、食事
みんなで力を合わせた時に生まれるエネル
いことはこの研修生集団生活の中だけでも十
もなり、広がると信じている。が、簡単でな
単純な保育園児向けの話だが私のメッセー
ジのすべてをこめた。そしてこの話が現実に
かし、最後に全員仲良く太鼓を叩くお話。
それは温かく、敵のロンリーの心の氷をも溶
ギーの大きさに気づき成長していく。そして
づくりは自分の器を少しずつ広くしてくれた。
B
分身に染みている。四六時中一緒にいると、
月刊「鼓童」2008 年 12 月号
15
A
研修所 2008
ている感じがする。
何か元気をもらう。
そんな物凄いパワーを持っ
大好きだというのが伝わってきて、研修生に
ましたが、本当に彼女といると太鼓も鼓童も
結果、出てきたのは運動と音楽だった。その
すが、言葉がおぼつかないこちらの話にも真
ある時彼女と打ち合せをすることがあり、
なかなか難しい調整が必要なことだったので
もいつも笑顔で接してくれました。
二つが同時にできる道はないかと考えた末、
剣に耳を傾けてくれ、妥協せず、どうにかし
高校三年生の時、真剣に進路を考え始めた。
自分の本当にやりたい事は何か考えた。その
導き出されたのは「太鼓」だった。当時の自分
喰らいついてきた。色々な事を経験する中で、
自分の一度決めた道を貫こうと思い、何とか
も多かったが応援してくれる仲間がいたり、
ないような事ばかりである。辞めたくなる事
ものだった。自分の高校時代からは考えられ
渡へ渡ったは良かったが、研修生活は過酷な
た自分はすぐに研修所を応募した。合格し佐
る事はなかったが太鼓の世界に入る事を決め
という集団を知った。鼓童の舞台を一度も見
それから両親に太鼓の道を相談した所、鼓童
瞬でも照らせるなら、ここまでかけぬけてき
踊って、はねて、唄って、その光が周りを一
れている様な気がするんだ。それでも、
打って、
は本当にちっぽけなものだってことも、悟さ
めぐり〟
も肌で分かります。この中にいると私
月の満ち欠け、作物の実りが繰り返す
〝ときの
感じられて、
日々姿を変えていきます。
朝焼け、
こ研修所の周りには、たくさんの〝いのち〟が
と〝めぐり〟のことに気付き、考えました。こ
と会えた時、その姿を見て、改めて〝いのち〟
励まし、優しく送り出してくれました。やっ
あったのかが痛いほど伝わってきて、それを
そして研修所に来るまでにどれほどの苦労が
ほど今日という日を楽しみにしてきたのか、
た。そんな彼女の姿を見ていると彼女がどれ
てベストな方法を探り出そうとしてくれまし
にはとてつもないひらめきだったのである。
少しずつだが変わっていく自分がいた。
た様な二年間は意味があった気がするよ。
これからもかわいい孫の成長を見守っていて
見ててひやひやすることもあったかもね。
あと少し、私はここにいることが幸せです。
「あなたがステージの上
そんな彼女がいつも
で演奏している姿を見るのが本当に楽しみよ」
思うだけで嬉しくて涙が止まりませんでした。
ていきたいと思う。そして、近い将来舞台に
と言ってくれます。何の偽りもなくそう思っ
さて、研修生活も残す所あとわずかとなっ
た。
この先何が起ころうとも最後まで突っ走っ
立って鼓童を見た事のない両親に成長した自
ね、おじいちゃん。
て応援してくれることがこれほど嬉しいこと
なのかとその時初めて感じました。
ショップがありました。一番思い出に残って
という北米の方約
九月の初めに KASA/MIX
三〇名を対象に五日間泊まりがけでのワーク
が叩く太鼓は私だけの太鼓ではないような気
を応援してくれています。そう思うともう私
と決心して来たのに、今は逆にみんなが自分
中の人を応援するために太鼓をやっていこう
西村信之
いるイベントです。参加者の中には昔から鼓
がします。
それがどういうことなのかまだはっ
応援
分の姿を見せる事が目標である。また、
「釈迦
兎」
の様にエネルギー溢れるアーティストであ
りたい…。
童をよく知っていてずっと応援してくれてい
きりとは分かりませんがみんなの期待を背
気づけば家族や友人などみんな形は違えど
同じように応援してくれる人がいます。世の
今年も来ました、この季節。きらめく稲穂
のじゅうたんも、夕日の様な柿達も収穫を終
る人もいました。初めは単純に二〇年以上も
小見麻梨子
え、星の光も冴えてきています。
応援してくれているなんて凄いなと思ってい
巡り
去年の今頃、知らせを受けていたのに間に
合わなくて後悔していた私を、研修生仲間は
16
月刊「鼓童」2008 年 12 月号
研修所 2008
負って感謝しつつこれからも太鼓を叩いてい
枯らし、息は続かず、喉を詰めて唄っている
時に料理でおもてなしする事は舞台で太鼓を
ていた母の手料理の手間暇と愛に感謝し、同
がしました。味を受け継ぎ、その味を広める。
演奏し、お客様に喜んで頂く事と似ている気
気分だろう。そしてその声を太鼓や踊りと共
手を抜けばそれなりのものしかできず、時間
と指摘される。本当の声を見つけたら、その
に世界中に届けられたら。
声で唄えたら、きっと空を飛んでいるような
髙橋菜生子
「愛」
と「慈悲」 ジョー・スモール
です!
詰めてお客様を喜ばせる太鼓打ちになりたい
ました。黒豆のように自分自身をじっくり煮
が学ぶ事だらけで本当に濃い二年間が過ごせ
を学ぶ事ができました。この研修所では毎日
をかけて作り上げたものは人の心を動かすこ
とができる。私はこの黒豆一つから沢山の事
一年生の一月、茶道の桃井先生と、卒業す
る二年生を、茶懐石でおもてなしするという
村下正幸
たらと心を動かされ、唄というものにひどく
時間がありました。私はその時、八寸という
太鼓と黒豆
宝探しはまだまだ終わらない。そして今日
も、これからも私は唄い続ける。
きたいです。
本当の声
「鼓童の舞台で何がしたいの?」
「唄が唄いたいです。
」
私はいつもこう答える。
鼓童は和太鼓のグループである。その位の
ことは私も理解している。しかし私はそう答
執着する性質らしい。そしてそんな私の心を
料理を担当し黒豆を煮ました。しかし、黒豆
えてしまう。何故だか私は声というものにや
わし掴みにする出来事があった。研修所に入
研修所について書いたら何冊も本ができて
しまうけど、本質はとても言葉で表せない。
作りを甘く見ていたので、茶懐石当日になっ
毎年正月に実家で食べていた母の黒豆の味と
とは言え…
所する二か月前のこと。私が入門している金
「人はみんな腹の底にほんとの声っつうもんを
は程遠いものになってしまいました。失敗し
ても豆は少し固く味も醤油辛くなり、自分が
持ってるのだ。そいづは唄って唄って声が出
た豆でも先輩方は美味しいと言って下さいま
初めから濃厚な時間の連続だった。肉体、
精神、感情などあらゆる面で、今までの経験
津流梁川獅子躍の庭元がおっしゃった。
ねぐなって、それでも唄って唄ってやっと出
を全部合わせた以上のことを感じたような気
がする。普通じゃない、時にはショッキング
したが、自分の中ではめちゃめちゃ悔しくて、
てもらいました。黒豆のリベンジは夜通し七
なペースになる生活だった。
もう一度黒豆に挑戦すべく母にレシピを送っ
時間コンロの前に張り付き、火の調節をして
てくるもんなんだもや。
」
煮続けました。豆は上手く炊けて好評! そ
の時の嬉しさは今でも忘れません。
自分自身の限界と許容力、つまり人に対す
る時の良心と自覚 ——
を正視し広げること
で、僕たちは日々新たに鋳直された。すごい
に一人一人が個々に考え、感じるようになっ
いモノや時を創るグループになる。このため
それから料理を作る時、改めて今まで食べ
のは、鼓童がこれを直接的には研修生に求め
なかったから、研修生が自ら要求するように
なったことだ。自主的に新しい技を発見し、
の日から私の人生の目的は〝宝探し〟になった
ていった。
芽生えた技を育て、力を合わせれば素晴らし
のかもしれない。しかし、唄っても唄っても
!!
日本人の血が入っていない外国人として、
それを聞いた途端私の胸は躍った。
「本当の
声だって
まだ自分が聞いたことのない声
が出るのか。面白そう、絶対見つけたい 」
そ
求める声は出てくれない。しょっちゅう喉を
月刊「鼓童」2008 年 12 月号
17
!?
研修所 2008
新しい言葉、文化、食べ物、生活など沢山ハー
ドルがあり、本当にすごく忍耐力が必要だっ
た(僕がいたから他の研修生も同じくらい忍
耐強くなっただろう)
。この我慢強さを保て
るかどうかは日によって違う。ここに住んで
日本の芸能と文化を勉強したが、それと同
なものを綺麗と感じ、季節によって変わる太
る人間になりたい。四季の移ろいの中で綺麗
● まなぶ = 我のほかすべて師なり。教師や
性を育てたいと願っているのです。
『 未知への挑戦 』
所での二年目は、鼓童で活動したい人の為の
鼓 童の研 修 制 度 は、 形 を 変 えながらも
二〇 年 以 上 継 続してきました。 現 在の研 修
学者は勿論のこと、社会の身近な人から学べ
陽の光の輝きの違いを感じとるナイーブな感
専 門 課 程ですが、 一 年 目はどんな将 来の志
生の経験を持ち、技術を備え、生活の知恵
る貴重なことが、いくらでもあるのです。 人
を 持っている人 を 師と仰ぎ、敬うものです。
望を胸に抱いている人にも、学べる内容をもっ
「太鼓打ちはまず、社会人であれ」
それは、
という考えからです。 創 作 活 動として、 作
す。 研修所のある柿野浦、岩首の方々、佐
という学びの姿勢を身につけることが大切で
ています。
品や舞台の上に結集され表出されるものは、
渡の農業、漁業の方々、皆先生として学ぶの
未知に対して謙虚になり、さらに求めていく
その人の生 活や考え方 全 部なのです。それ
を通して、自分の人生を作っていくことを考
は人 間の本 来の暮らし、というものが芸 術、
財団研修所は、まず 一 年目は社会人として
太鼓の音を作ること。 音を作り、食糧を作
えるのです。 太 鼓を演 奏 するということは、
● つくる = 様々なものを自作してみること
の土 台 作りを 目 標にしています。 今 日の家
り、料理を作る。そして陶器や木製品を作
です。
庭や社会で孤立・専業化が進み、失ってきて
我々で言えば太 鼓の表 現と決して無 関 係な
た。成功を喜べるようになっただけでなく、
しまった人間本来のあり方をこの佐渡で実感
た自分の人生を作ることに繋がるのです。こ
ることを研 修 所は学び重ねます。それはま
ことではないからです。その意味で鼓童文化
失敗とその過程で露見した自分の至らなさを
する。そして二年目は加えて、世の中の水準
じくらい自分の性格について学ぶことがあっ
どうしたら許せるのか学んだ。よく生き残っ
以上のプロとしての技量を学ぶのです。
の環境にいて学んでいることが、すべて肥やし
意識を持って毎日を送ってもらいたいのです。
になりながら、自分を作り上げていくという
鼓童研修所は、未知の知識と技術を学び
たいという人に門戸を開いています。 未知な
きました。これは研 修 所 も 同 様で、それを
鼓童は、結成当初から「くらす・まなぶ・
つくる」 という考えを思 想の柱として持って
たなという日もあれば、
「ここの他に僕がいた
い場所はない」
と思う日もあった。
最近鼓童を離れた赤嶺さんが去年、研修所
生活を定義する言葉は何かと研修生に問いか
けた。僕の頭にすぐ浮かんだのは「愛」と「慈
るものを 学ぶ為には、まず 自らを 白 紙にす
悲」だ。理性と正気のフチを越えるほど訓練
● くらす = 共同生活で、自己中心ではな
ることから始まります。今までの先入観や思
大きく実現する実践の場となっています。
この二つの単語はいつも存在感のある刺激に
人間は自然によって生かされてきました。 植
い、社会の一部としての自分を確立してゆく。
挑戦してみることです。 今までの生活の惰性
い込みを 捨てて、 未 知の世 界に真 正 面から
して、互いに厳しく容赦しない雰囲気なのに、
なっていた。だから鼓童、佐渡、日本に対す
物や動物のあらゆる命を頂いて我々は生きて
的 習 慣を捨てて、研 修 所の二〇 年 間に積み
る僕の愛情は深まる一方で、これからもそれ
する。 自 分 自 身を作り上げてくれる食べ物
重ねられた生活と教育に、積極的にチャレン
います。その恵みに気 付き、有り難く享 受
にまつわる農業や調理といった経験を、太鼓
ます。
ジしようという挑 戦 者との出 会いを 待ってい
鼓童文化財団理事長 島崎 信
田んぼや畑 を 世 話し、自 分の手 をかけた作
物を食べた時の、胸に広がる喜びを感じられ
の技術を学ぶ前に身につける。 時間をかけて
は変わらないだろう。
鼓童の一員になれるかどうかは別として、
ここで過ごした時間は僕にとって一番大切な
ものだ(そして自己形成になったかも!)研修
所にいたことをいつまでも光栄に思う。
(翻訳:ウエルズ智恵子)
18
月刊「鼓童」2008 年 12 月号
研修所特集の写真:石原泰彦、西田太郎