『国分寺の史跡と春の花探訪散策』 - U-netSURF

『国分寺の史跡と春の花探訪散策』
平成24年3月21日(水) 10:00~14:30
参 加 者 :
朝倉公景氏、安間孝夫氏ご夫妻、印南 脩氏、高橋俊哉氏ご夫妻、
西新昌史氏、増田晃一氏、若鶏陸夫氏、(五十音順)。
大内宥二(世話人)
以上 計10名
当日は、好天ながら、この時期としては気温が低く、風も冷たくて、春の花も開花が遅れて
当日は、好天ながら、この時期としては気温が低く、風も冷たくて、春の花も開花が遅れており
は、好天ながら、この時期としては気温が低く、風も冷たくて、春の花も開花が遅れており、
おり、
例年なら散り際の梅が、まだ充分観賞の対象として主役になっていました。
JR「国分寺駅」から歩いて1~2分
JR「国分寺駅」から歩いて1~2分のところにある都立『殿ヶ谷戸庭園』を訪れ、お目当ての「カタ
「国分寺駅」から歩いて1~2分のところにある都立『殿ヶ谷戸庭園』を訪れ、お目当ての「カタ
クリ」の花が数輪咲いているのを見つけ、少々寂しい春の花探訪に明るさを添えてくれたのが嬉し
クリ」の花が数輪咲いているのを見つけ、
少々寂しい春の花探訪に明るさを添えてくれたのが嬉し
くて、早速、その可憐な姿をカメラに収め、本日の
くて、早速、その可憐な姿をカメラに収め、本日の初めての
その可憐な姿をカメラに収め、本日の初めての収穫
初めての収穫としました
収穫としました。
としました。
『殿ヶ谷戸庭園』を出た後、「ハケ」と呼ばれる“国分寺崖線”から流れ出す湧水を集めて流れる
『清水川』に沿った
『清水川』に沿った 散歩道「お鷹の道」
散歩道「お鷹の道」を散策し
また、その湧水が湧き出す「真姿の池湧水群
「お鷹の道」 を散策し、
を散策し、また、その湧水が湧き出す「真姿の池
「真姿の池 湧水群」
湧水群」
東京都指定名勝)など
などを訪ねながら、現「国分寺」へと向かいました。
を訪ねながら、現「国分寺」へと向かいました。当地の
当地の湧水は、環境庁の
( 東京都指定名勝)
など
を訪ねながら、現「国分寺」へと向かいました。
当地の
湧水は、環境庁の
『全国名水百選』にも選ばれており、現地ではこの清水を何本ものペットボトルに詰め込んで持ち
『全国名水百選』にも選ばれており、現地ではこの清水を何本ものペットボトルに詰め込んで持ち
帰る人も見受けられました
見受けられました。
帰る人も
見受けられました
。
国分寺境内には、先代住職
国分寺境内には、先代住職・星野亮勝師
先代住職・星野亮勝師が、
・星野亮勝師が、ハス博士・大賀一郎氏など、
が、ハス博士・大賀一郎氏など、幾人かの学者の協力
ハス博士・大賀一郎氏など、幾人かの学者の協力
を得て、13年間に亘って
、13年間に亘って造園し
造園し、昭和38年
、昭和38年(1963)
(1963)に完成した
に完成した「万葉植物園」
「万葉植物園」(市指定天然記念
を得て
、13年間に亘って
造園し
、昭和38年
(1963)
に完成した
「万葉植物園」
(市指定天然記念
物)があり
物)があります。ここには、
があります。ここには、万葉集に詠われた
ます。ここには、万葉集に詠われた植物
万葉集に詠われた植物約
植物約 161 種のほか、計 850 種ほどの草木類が栽
培されており
ており、万葉植物には
、万葉植物には歌と名前・説明を記した標識が付けられ、
歌と名前・説明を記した標識が付けられ、園内
園内(入園無料)
(入園無料)に
培され
ており
、万葉植物には
歌と名前・説明を記した標識が付けられ、
園内
(入園無料)
に造られ
た細い散策路に沿って
細い散策路に沿って、
訪問者が自由に園内を巡ることが出来ます。
路に沿って、訪問者が自由に
自由に園内を巡ることが出来ます。
医王山最勝院国分寺」と号
し、旧『武蔵国分寺』の法燈
現国分寺は、正式名を「真言宗豊山派 医王山最勝院国分寺」と
号し、旧『武蔵国分寺』の
法燈
を継承する寺院で、旧『武蔵国分寺』敷地の北寄りに在
を継承する寺院で、旧『武蔵国分寺』敷地の北寄りに在ります。
『武蔵国分寺』は、元弘の乱
は、元弘の乱(1333)
(1333)の兵火で焼失後、建武
の兵火で焼失後、建武2
(1335)新田義貞によって再
旧 『武蔵国分寺』
は、元弘の乱
(1333)
の兵火で焼失後、建武
2年 (1335)
新田義貞によって再
興され、その後、興廃を繰り返し、江戸中期の享保年間(1716
興され、その後、興廃を繰り返し、江戸中期の享保年間(1716 ~36)に、木曽福島の豪商・泉屋
36)に、木曽福島の豪商・泉屋
吉三郎の寄進によって諸堂宇が造立され、寺
造立され、寺観
吉三郎の寄進によって諸堂宇が
造立され、寺
観が整えられたとのこと。
今回の散策計画
今回の散策計画は
、その旧『武蔵国分寺』跡を見学し、奈良時代の天平
の散策計画は、その旧『武蔵国分寺』跡を見学し、奈良時代の
奈良時代の天平13年(
天平13年(741
13年(741)、聖武天皇
741)、聖武天皇
の勅願によって全国
全国約
70箇国
に建立された「国分僧
・国分尼寺」の内、最大の
」の内、最大の伽藍
伽藍を誇った当
の勅願によって
全国
約70箇
国に建立された「国分
僧寺・国分尼寺
」の内、最大の
伽藍
を誇った当
寺院跡(国指定史跡)の規模の大きさ
寺院跡(国指定史跡)の規模の大きさを目の当たりに
の規模の大きさを目の当たりに実感
を目の当たりに実感する
実感することが目的でした。
することが目的でした。ここは現在、国
ことが目的でした。ここは現在、国
分寺市の「史跡公園」となっています。この「国分僧寺・国分尼寺」の両寺院の伽藍地を含めた旧
寺領地は、東西8町余
寺領地は、東西8町余(
872m)、南北5町余(
454m)に及んでいたと推定され、更に、関連諸施
東西8町余(約 872m)、南北5町余
、南北5町余(454m)
設・雑舎群・周辺集落などが造営された『武蔵国分寺』跡は、東西2km
km、南北1
、南北1km
亘ったと推
設・雑舎群・周辺集落などが造営された『武蔵国分寺』跡は、東西2
km
、南北1
km に亘った
と推
定されており、そのランドマークタワーともいえる『七重塔』は、高さ
定されており、そのランドマークタワーともいえる『七重塔』は、高さ 60m に及んだとのこと
に及んだとのことです
ことです。
です。
これは、仏教を国是とした治世を理想とした、聖武天皇の夢の跡とも言えますが、日本の仏教文
化は、これが源流となって現代に受け継がれてきていることは否定できないと、実感しました。
史跡公園」
を見学後、
後、JR
JR「西国分寺駅」方面に向かい、駅近くの和食処「ぼんまり」にて楽しい
「史跡公園
」を見学
後、
JR
「西国分寺駅」方面に向かい、駅近くの和食処「ぼんまり」にて楽しい
昼食のひと時を過ごし、駅まで散策、駅前で皆さんとお別れ
昼食のひと時を過ごし、駅まで散策、駅前で皆さんとお別れしました。
皆さんとお別れしました。
記す)
(企画・世話人 大内宥二 記す
)
(国―1)
殿ヶ谷戸庭園に咲く「カタクリの花」
湧水源の公園の小滝
新田義貞の寄進した「薬師堂」
現「国分寺」本堂前の枝垂れ
現「国分寺」本堂前の枝垂れ梅
枝垂れ梅を観賞
現「国分寺」の門前にて記念写真
現「国分寺」の門前にて記念写真
(国―2)
「国分尼寺」跡(「国分僧寺」の
「国分尼寺」跡(「国分僧寺」の西側)
昼食後の歓談のひと時
食後の歓談のひと時
「ぼんまり」の店頭に並んだ
「ぼんまり」の店頭に並んだ食材
に並んだ食材
以上
(国―3)