明治学院大学機関リポジトリ http://repository.meijigakuin.ac.jp/

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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
林, 完枝
明治学院大学英米文学・英語学論叢 = MEIJI GAKUIN
UNIVERSITY THE JOURNAL OF ENGLISH & AMERICAN
LITERATURE AND LINGUISTICS(124): 35-59
2009-12
http://hdl.handle.net/10723/531
Rights
Meiji Gakuin University Institutional Repository
http://repository.meijigakuin.ac.jp/
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
林
Ⅰ
完
枝
Cafard
ジェイン・エア
(1847)(1) 第 2 巻第 11 章において, ヒロインが不安と期待
をもって臨んだ結婚式は頓挫する。 新郎が妻帯者であると暴露され, 重婚は回
避されるからである。 絶望と怒りのあまりロチェスターは列席者たちに, 15
年前彼が騙されて結婚した相手バーサの 「正体」 をぶちまけてから, 屋根裏に
監禁している妻を衆目にさらす。
Bertha Mason is mad; and she came of a mad family: − idiots and maniacs
through three generations!
Her mother, the Creole, was both a mad
woman and a drunkard ! − as I found out after I had wed the daughter: for
they were silent on family secrets before. Bertha, like a dutiful child, copied her parent in both points. (JE, p. 294)
妻の 「正体」 は, 遺伝性狂気の家系であり, 彼女は忠実な娘らしくその母と同
様気が狂いアルコール中毒である。 オックスフォード版の注釈は, ギャスケル
のブロンテ伝を引用し, ロー・ヘッド校時代にブロンテが聞いた話, つまり,
リーズ近郊のある家でガヴァネスが主人と結婚したが, 実はすでに男には狂気
の妻がいたという話をもとにしているかもしれないと述べている (JE, p.
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
(2)
468) 。 妻の監禁という主題および仕掛けは, メアリ・ウルストンクラフトや
マライア・エッジワースの小説にもあるし, センセーション小説は妻の監禁や
狂気を好んで取り上げている。 したがって, ロマン主義やゴシックやメロドラ
マでしばしば使われる題材と言える。 しかし, バーサはイギリス人ではない。
クレオールである(3)。
これまで屋根裏部屋に閉じ込められた正妻は, 夫によって一般公開される。
それは人間とも獣ともつかぬ生きもの, 叫び声をあげ四つん這い, 裸ではない
ので 「服を着たハイエナ」 として語り手ジェインによって描かれ, 読者は, 婚
礼前夜にジェインがロチェスターに語る夢とも現ともつかぬ話のひとつに出現
する 「ヴァンパイア」 がバーサであると確信する。 ジェインが結婚式に被る予
定のヴェールを大柄な黒髪の女が被り鏡に向かい, その鏡映にジェインは 「ヴァ
ンパイア」 を目撃した。 それから, この化け物はヴェールを外してから引き裂
き床の上で踏みつけたのである (JE, p. 286)。 人間を規定する 「理性」 の彼方
にいる生きものを, 妻と呼べるだろうか。 ロチェスターは参列者たちに訴える
が, とりわけ, ジェインに同情と理解を求めている。 第 3 巻第 1 章で, 彼は本
物の愛を貫くためにふたりで一緒に暮らそうと申し出るが, この 「愛人関係」
の誘いをジェインはにべも無く拒否する。 すると, 彼は泣き落としにかかる。
ロチェスターの過去の一部が読者にはっきりと提供されるのは, ジェインの
教え子アデールの素性を, 彼が語るときである。 アデールはかつてロチェスター
がいれあげていたフランス人オペラ・ダンサー, セリーヌ・ヴァランスの娘で
あり, 私生児だと彼は主張する。 彼は娘に母と同じ厭うべき性格を見出すから
である。 彼はセリーヌに裏切られ, 彼女に手切れ金を渡し, 彼女の情夫と決闘
したが, 母親に捨てられた娘を引き取るのは 「ジェントルマン」 の責務と考え,
アデールを 「健全な」 イングランドで汚れなく養育することにした (JE, pp.
141 46)。 雇い主の女性遍歴の一部を聞くジェインは, アデールへの同情を口
にする。 それに続く叙述において, ジェインはまじまじとアデールを観察し,
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
彼女のイギリス人らしからぬ浮ついた性格はきっと母親譲りにちがいない, ロ
チェスターの外見と似たところがひとつもないと結論づけるとともに, 金持ち
のイギリス人男性がフランス人ダンサーに貢いだあげく裏切られるなんて社交
界にはよくある話だと語る (JE, pp. 146 47)。 たしかにロマン派文学の一挿話
としては凡庸である。 特徴的なのは, ロチェスターがあくまでも自分は悪い女
に騙された犠牲者であることをジェインに分かって欲しいというその熱意であ
る。 彼は以前にも, 環境と運命によって人生を呪われたと熱っぽく自己弁明を
していた (JE, p. 137)。
第 3 巻第 1 章で, ロチェスターのロマン主義的誘惑に囚われまい, 屋敷を離
れようと決意を固めるジェインに, 彼は環境と運命に呪われた経緯を詳細に語
る。 (彼はいわばバイロン的ロマン派文学の朗読者, 聞き手はロマン派文学愛
読者である。) その最初に来るのは強欲な父の策謀である。 財産をすべて長男
ローランドに継がせるため, 父親は知人で西インド諸島のプランテーション所
有者メイスン氏と 3 万ポンドで話をつけ, メイスン嬢をエドワードと結婚させ
ることに同意し, 大学を修了するやすぐにエドワードをジャマイカに行かせた。
My father said nothing about her money; but he told me Miss Mason was
the boast of Spanish Town for her beauty: and this was no lie. I found her
a fine woman, in the style of Blanche Ingram; tall, dark, and majestic. Her
family wished to secure me, because I was of a good race; and so did she
. . . .All the men in her circle seemed to admire her and envy me. I was dazzled, stimulated: my senses were excited; and being ignorant, raw, and inexperienced, I thought I loved her. . . .Her relatives encouraged me;
competitors piqued me; she allured me: a marriage was achieved almost
before I knew where I was. Oh − I have no respect for myself when I
think of that act ! − an agony of inward contempt masters me. I never
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
loved, I never esteemed, I did not even know her. I was not sure of the existence of one virtue in her nature: I had marked neither modesty, nor benevolence, nor candour, nor refinement in her mind or manners − and, I
married her: − gross, grovelling, mole-eyed blockhead that I was ! (JE, pp.
309 10, ellipses mine)
父を始めとし, その旧友やその娘, 彼女の親戚, 彼女の取り巻きすべてが, 世
間知らずな彼をバーサ・メイスンとの結婚に向かわせたとロチェスターは自己
弁護する。 彼が自慢する (それとも揶揄する) 本国生まれの地主階級イギリス
人という 「優秀人種」 以外に, 結婚市場における彼の売り物はないかのようで
ある。 「イングリッシュ・ジェントルマン」 という銘柄を売って彼は, 持参金 3
万ポンドに附属した狂気の家系を持つ白人クレオール美女を法律上の配偶者と
して迎えたという扇情的な物語には, さらに続きがある。 エドワード・ロチェ
スターはバーサに狂気の母と白痴の弟がいることを知らされぬまま結婚してし
まったが, 新婚生活が終わる頃にはすでに妻は狂ってしまい, 耐えがたい結婚
のくびきに苦しんでいたが, ことの発端ともなった兄と父は相次いで死亡した
ので, 父祖の財産すべてを継承した。 つまり, 金目当ての結婚などすべきでな
かった状況が出来したのである。 ロチェスターは, あるときふと望郷の思いに
駆られ, ジャマイカを離れることを決意し, 父と兄がエドワードの結婚を周囲
に秘密にしていたことを利用し, イングランドにある世襲の屋敷に狂気の妻を
監禁して, 自分はヨーロッパ大陸に放浪の旅に出たのである。 放浪の旅といっ
ても, 10 年に及ぶそれは, ドン・フアンに肖る女性遍歴である。 かのクレオー
ル女の正反対となる理想の女を求めながらも, なかなか気に入った女は見つか
らない。 話し手にして雇い主ロチェスターは, 聞き手にして一介の雇われ人ジェ
インに, 囲った女たちの固有名を挙げながら彼女らの性格の欠点をあげつらう。
そして, すっかり女嫌いになって父祖の屋敷に戻った彼が出会ったのが, 小柄
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
で細く妖精のようなジェインであった, とジェイン本人に語る。 つまり, 「運
命的な」 出会いをした理想の女としてジェインを持ち上げ口説くのである。
狂気の妻がいながらガヴァネスと結婚する男の淵源が, 十代の頃ブロンテが
聞いたリーズ在住の 「イングリッシュ・ジェントルマン」 にあるのかどうかは
ともかく, ロチェスターの派手な女性遍歴は, ロマン主義文学とゴシック・ロ
マンス, そしてブロンテ自作のアングリアを継承しているとは言えるだろう(4)。
ブロンテがいかに自伝的作家であるにせよ, 身近に, 王政復古期の著名な貴族
にして放蕩詩人と同名を与えられた男のモデルは見当たらない。 そのことが一
登場人物の 「リアリティ」 を希薄化しているという見方もあるかもしれないが,
寄る辺ない身の上で口説かれている一登場人物は, ロマン主義的自己肥大を具
現化する求愛者が, 愛人になってくれ, 悲惨な運命から救ってくれ, きみのこ
とを気にかけるひとなんかいるのかと不躾に言い募るとき, つぎのように反論
する。
I care for myself.
The more solitary, the more friendless, the more
unsustained I am, the more I will respect myself. I will keep the law given
by God; sanctioned by man. I will hold to the principles received by me
when I was sane, and not mad − as I am now. Laws and principles are not
for the times when there is no temptation: they are for such moments as
this, when body and soul rise in mutiny against their rigour: stringent are
they; inviolate they shall be. If at my individual convenience I might
break them, what would be their worth? (JE, p. 321)
真実の愛を名目に, 愛人になってくれとせがむ男に対し, 愛ゆえの自己犠牲・
自己奴隷化よりは自己への敬意と自己実現を重視するヒロインは, キリスト教
の神の法とそれに基づくべき人間の法を持ち出し, 個人を色恋沙汰よりももっ
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
と神聖で広壮なコンテクストに位置づけ, 個人主義的ロマン主義の誘惑から自
分を引き離そうとする。 とはいえ, ジェインは一方で, ロチェスターこそは地
位や身分や財産など世俗社会の構成物を超越したところで自分と同じ血液と神
経が通っている魂であると確信しており, だからこそ, のちに彼女の名を呼ぶ
超自然的な声を耳にしたとき, 「幻聴」 としてではなく, 彼女に救いを求める
彼の魂の叫び声, 「テレパシー」 として応ずるのである。 このヒロインは, ロ
マン主義的自己肥大に魅惑されつつ, ヴィクトリア朝的自己規律とキリスト教
的倫理性を付与する役割も担っている。 つまり, 波乱万丈のロマンスを教訓と
摂理で枠付けするのである。 ロチェスターを待ち構えているドラマティックな
「運命」 は, 妻の放火による世襲屋敷の炎上と彼女の焼死, 本人の失明と身体
障害であるが, マデイラで父方おじが蓄積した遺産を受け継いだ 「シンデレラ」
は, 火によって浄化され悔悟した男と結婚し, 彼を手厚く介護し, 跡取り息子
を産むことになる。
ジェイン・エア
におけるバーサ・ロチェスター (旧姓メイスン) は第一
義的には, 彼女の後に続く愛人たちやブランチ・イングラムと同様, 美貌や財
産と無縁な孤児ジェインの逆説的引き立て役である。 美しく我儘な女たちに散々
手を焼いたロチェスターが, 「運命の人」 として選ぶのは, 結婚市場では買い
手がつかない地味なガヴァネスである。 語りの進行上, バーサは結婚を望む相
思相愛カップルの法的障害として立ちはだかる。 ゆえにこの障害がクリアされ
れば, 正式な婚姻が可能となる。 また, 比喩的かつ心理的には, ギルバートと
グーバーも指摘するように, 理性と自己規律を堅持するジェインが解き放つ暗
黒の分身/他者である(5)。 ジェインは, 母方おじリードの屋敷ゲーツヘッドで
未亡人に厄介者扱いされていた子ども時代, 「赤い部屋」 に閉じ込められるが,
バーサは結婚後, 遺伝性狂気を理由に夫によってソーンフィールドの最上階に
監禁される。 また, ジェインのアリバイを証明でもするかのようにバーサは,
ロチェスターとの結婚に不安を覚えたジェインの代わりに結婚式前夜ヴェール
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
を引き裂き, ジェインの代わりに世襲の屋敷に火を放ち, 自らの焼死と引き換
えに夫を不具にする。 一人称で語るジェインとは対比的に, そしてロチェスター
に盗み聞きされているとも知らず彼の悪口を別の愛人に喋るセリーヌとも違っ
て, バーサは声を持たない。 ロチェスターがジェインに語る身の上話の中にも
バーサの発言は一言も引用されず, 登場人物たちが目にするのは 「服を着たハ
イエナ」, 耳にするのは咆哮である。 自己規律を欠いた理性なき生きものであ
る。 バーサの出現と退場によって, キリスト教の神に与えられヴィクトリア朝
社会に受け入れられる結婚が成立可能となるのである。
ヒロインから自由意志の主体, 自己規律, 神の摂理, 因果応報のモラルを外
したらどう映るだろうか。 むろん, 「玉の輿」 を狙う計算高い女と富裕な女た
らしの結婚にまつわるアリバイ工作として, ジェインの不幸な子ども時代やロ
チェスターの悲惨な結婚生活が叙述されているわけではない。 出版から 160 年
以上経っても 「ファン」 に事欠かないのには, この小説に強引な力がこめられ
ているからである。
ジェイン・エア
はカラー・ベル編自伝と銘うたれているが, 今日, 誰で
も 「カラー・ベル」 の正体を知っているし, それが自伝ではないことも承知し
ている (自伝的小説であるにせよ)。 ジーン・リースの
海
サルガッソーの広い
(1966)(6) 全体の 3 分の 2 を占める第 2 部はほとんどが男性一人称の語り
であり, 今や, 誰でもそれがロチェスターであることは疑わない。 リース自身
が手紙で 「私のロチェスター氏」 と言及しているし, この小説のタイトル候補
のひとつは
最初のロチェスター夫人
であった(7)。 短い第 3 部にグレイス・
プールやその他ソーンフィールドの住人の名への言及もあるので, 以下, 私も
第 2 部の名無しの語り手をロチェスターとして名指す。 ジャマイカでの挙式終
了直後の新婚旅行, 結婚の破綻, 妻の狂気を描き, さらにイングランドへの帰
国を匂わすこの第 2 部は,
ジェイン・エア
第 3 巻第 1 章でロチェスターが
ジェインに語る, バーサ・メイスンとの結婚にいたる経緯と幻滅がもとになっ
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
ている。 帰国を決意するくだりは, 次のようにジェインに語られる。
One night I had been awakened by her yells − (since the medical men
had pronounced her mad, she had of course been shut up) − it was a fiery
West-Indian night; one of the description that frequently precede the hurricanes of those climates: being unable to sleep in bed, I got up and opened
the window. The air was like sulphur-steams − I could find no refreshment anywhere.
Mosquitoes came buzzing in and hummed sullenly
round the room; the sea, which I could hear from thence, rumbled dull like
an earthquake − black clouds were casting up over it; the moon was setting in the waves, broad and red, like a hot cannonball − she threw her
last bloody glance over a world quivering with the ferment of tempest. I
was physically influenced by the atmosphere and scene, and my ears were
filled with the curses the maniac still shrieked out; wherein she momentarily mingled my name with such a tone of demon-hate, with such language ! − no professed harlot ever had a fouler vocabulary than she:
though two rooms off, I heard every word − the thin partitions of
the West-India house opposing but slight obstruction to her wolfish cries.
(JE, p. 312)
すでに発狂した妻を閉じ込めてあるとはいえ, その叫び声までも黙らせるほど
に, 不眠症に悩む夫の支配は及ばない。 ロチェスターにとって理性ある人間と
は見なせぬ狂乱した女との暮らしは地獄の業火や阿鼻叫喚に等しく, クレオー
ルの妻によって代理表象される西インド諸島の気候や風土などすべてが, 嫌悪
すべきものとなる。 すると開いた窓から, なんと都合よく, 実はブロンテ小説
の主人公の身によく起こる超自然現象なのだが, ヨーロッパの風が海洋を渡っ
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
て吹いてきて, 彼に天啓をもたらす。 そして, ブロンテ小説のひとつの特徴と
もいうべき擬人化が続く。 擬人化はブロンテにおいては人間心理の葛藤, 内面
における善と悪の戦い, 理性と感情のせめぎあいというかたちをとることが多
いのだが, 今回は 「希望」 というかたちをとって, ロチェスターに今後の指針,
「正しい道」 を啓示する。
“Go,” said Hope, “and live again in Europe: there it is not known what a
sullied name you bear, nor what a filthy burden is bound to you. You
may take the maniac with you to England; confine her with due attendance and precautions at Thornfield: then travel yourself to what clime
you will, and form what new tie you like. That woman, who has so
abused your long-suffering − so sullied your name; so outraged your
honour; so blighted your youth − is not your wife; nor are you her husband. See that she is cared for as her condition demands, and you have
done all that God and humanity require of you. Let her identity, her connection with yourself, be buried in oblivion: you are bound to impart them
to no living being. Place her in safety and comfort: shelter her degradation with secrecy, and leave her.” (JE, p. 313)
主体心理の擬人化は, 話す主体の代行あるいはアリバイとして機能する。 ロチェ
スターは狂った妻をイングランドの世襲屋敷最上階に閉じ込めるにあたっても,
狂人にふさわしい看護と監視を閑却しない。 名門家父長の義務を怠ったわけで
はないとジェインに納得してもらいたげである。 彼がなによりも気にかけてい
るのは, 世間体すなわち 「イングリッシュ・ジェントルマン」 のイメージであ
る。 その点で彼はその父親と変わらない。 また, 自己正当化に際して神と人間
社会の法をもちだす点では, ジェインと変わらない。
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
ジェイン・エア
のロチェスターは, 自分の身に起こった不幸の淵源に父,
兄, 義父, その娘, 彼女の取り巻きたちの欺瞞や陰謀を見る。 彼の未熟さと自
惚れにつけこんだ悪人たちは, 生まれながらに彼とは違って品性下劣である。
そう値踏みすることで, 彼らとの距離をはかり, 彼らに対し反感や憎悪や軽蔑
以外のなにものも持たずにすむ。 自分はあくまで 「犠牲者」 であるとジェイン
に理解と同情と感情移入を求めるのである。 ドリアン・グレイは, 世間に見せ
ている美貌の青年ではなく悪行の結果が次々と記録されていく醜悪な肖像画こ
そが自分の 「正体」 にほかならないと認識したればこそ, 画像を人目にふれさ
せまいと心を砕くのだが, 自己免責に倚りかかるロチェスターは, バーサに内
面性のかけらも見出せず彼と知性・感性面で共通するところも皆無で, ジェイ
ン・エアに出会うまで, 彼に近づく美人たちは一様に性格がわるく金銭づくだっ
たと主張して憚らない。 汚染と堕落のもとになった出来事や辛い過去は消去さ
れねばならない。 せめて隠匿されねばならない。 それは, ロチェスターにおい
ては父親が仕組んだバーサとの結婚とその余波 (妻の監禁と女性遍歴) であり,
ジェインにおいてはリード家で受けたいじめとその余波 (ローウッド学校経営
者の偏見と欺瞞) であるが, 物語は冠婚葬祭の儀式的身振りによって過去のト
ラウマを消去あるいは克服する方向で構成されている。
ブロンテ小説では, 登場人物の内面性や心理的葛藤は一人称語り手や主役ク
ラスの特権であり, 彼らは都合よくプロットの転換点を画する超常現象に見舞
われたり, ときには内面の擬人化が語り手や発言者を代弁して爾後の動向を決
定する。 また, ブロンテ小説の主人公たちは能弁である。 ルーシー・スノウの
ように人前では慎ましく振る舞い, 周囲の人びとの動静を怠り無く観察してい
る語り手さえも, 自己弁護のみならず自己省察に長けている。
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
Ⅱ
Mirroring
サルガッソーの広い海
のロチェスターは, ブロンテのロチェスターをモ
デルとしているとはいえ, 主体の揺らぎや自己正当化の不徹底が際立つ。 性格
造型における差異を, ヴィクトリア朝小説の約束事とモダニスト・ポストコロ
ニアル文学の実験性という面からも, また, ベルギー留学から帰国後イギリス
的なるものを再構築した 「ナショナリスト」 作家と, 西インド諸島を離れてイ
ギリス国内とヨーロッパ各地を転々とした 「コスモポリタン」 作家という面か
らも論ずることができるだろう。 私が以下に指摘したいのは,
の広い海
サルガッソー
第 2 部で叙述される父との確執, そして妻との不和である。 前者は
手紙の形式をとり, 後者では対話とモノローグが交錯し, 「意識の流れ」 と記
憶の断片が散在する。
ジェイン・エア ではロチェスターの父は呪うべき結婚の仕掛け人, 兄ロー
ランドは父のお気に入りとして数回言及されるだけである。 父と兄に対する恨
みつらみはすべてバーサへの嫌悪, ヨーロッパで囲った女たちへの侮蔑に転移
する。
サルガッソーの広い海
のロチェスターは新婚旅行先からイングラン
ドにいる父に宛てて, 「すべてはあなたの計画とお望み通り順調に進んでいま
す」 (WSS, p. 43) と慇懃無礼にも聞こえる文言も入れ忘れず, スパニッシュ・
タウン在住のイギリス人たちやメイスン家の人びと, さらに挙式と新婚旅行に
ついて当り障りのない手紙を書くが, 机の引出しにしまいこむ。 未知の風土・
気候・文化・習慣のなかに突然投ぜられ, 標準英語を話せずパトワ (植民地訛
りのフランス語) も混じる言語を話す異国の人びとへの不安と不信に侵食され
る彼の心理は, 例えば, 次のように叙述される。
Everything is too much, I felt as I rode wearily after her. Too much
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
blue, too much purple, too much green. The flowers too red, the mountains too high, the hills too near. And the woman is a stranger. Her pleading expression annoys me. I have not bought her, she has bought me, or
so she thinks. I looked down at the coarse mane of the horse. . .Dear Father. The thirty thousand pounds have been paid to me without question
or condition. No provision made for her (that must be seen to). I have a
modest competence now. I will never be a disgrace to you or to my dear
brother the son you love. No begging letters, no mean requests. None of
the furtive shabby manoeuvres of a younger son. I have sold my soul or
you have sold it, and after all is it such a bad bargain? The girl is thought
to be beautiful, she is beautiful. And yet. . . (WSS, p. 39, ellipses in the
original)
ここにはあからさまなまでに父と兄への恨みつらみが吐露されているが, 彼は
「イングリッシュ・ジェントルマン」 にふさわしく口外はせず, 体面を保つ。
編集者への手紙でリースは, 彼女のロチェスターは西インド諸島とクレオール
女の双方に魔法をかけられたのだと述べている(8)。 異国と異国の女が一体化し
て 「イングリッシュ・ジェントルマン」 の統合性を失調させていくが, この自
己崩壊感がさらに悪化し, 妻への猜疑心が募り結婚生活が破綻し妻はアルコー
ルに溺れ, ついに西インド諸島を離れる決定的きっかけとなるのは, 父と兄を
憎む自称ダニエル・コスウェイからロチェスターに送られた長文の手紙である
(WSS, pp. 57 60)。 その手紙は,
ジェイン・エア
でジェインが聞かされる
ロチェスターの身の上話の 「書き換え」 であり, 標準英語ならざる英語で書か
れ, 意図的にロチェスターを周囲の欺瞞の犠牲者と見なし, 書き手であるダニ
エル自身に, 信心深いキリスト教徒の務めとして真実を憚らず明らかにし正義
を求める善意の警告者という資格を与える。 手紙の内容は, ロチェスターがメ
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
イスンに騙されて結婚した娘はメイスンの再婚相手の連れ子であり, 彼女とダ
ニエルは同じ父コスウェイの腹違いの兄妹, コスウェイ家は何世代にもわたる
忌むべき奴隷所有者で狂気の家系, 彼女の母親はコスウェイの再婚相手として
マルティニークから嫁にきたが夫の死と奴隷制廃止によって零落したところを
メイスンに見初められ再婚したが狂死し, 娘も同じくおぞましい運命をたどる
はずである, といったもので, ダニエル宅での会見をロチェスターに求めてい
る。 返信しないでいると, 今度は短い手紙が送られて, 会いに来てくれなけれ
ばこちらから出向くぞ, という文言に体面を重んじる 「イングリッシュ・ジェ
ントルマン」 は強請・脅迫を読み取り, ダニエルに会いに行くのである。 ダニ
エルと呼ばれているが, 本名はエサウであるとことわったうえで彼は, 本国生
まれの白人紳士相手に, 私生児をたくさん産ませておきながら金銭的な援助を
してくれないコスウェイへの積年の恨み, 父と異母兄への憎悪, コスウェイが
再婚したクレオール女やその娘の呪われた血統, マルティニークからの嫁入り
に新郎が新婦に贈与した黒人奴隷女クリストフィーヌが操る 「妖術」 の危険な
どをぞんぶん播き散らす。 自分の不幸はすべて自分に呪詛を浴びせたコスウェ
イのせいであり自分以外の人間は皆嘘つきだと自己正当化に血道をあげる彼の
モットーは, 「復讐するは我にあり」 である。 ロチェスターはダニエルに自分
の暗黒の分身/他者を見ることはせず, 西インド諸島の歴史や文化に無知なお
ひとよし白人のふりをする。 彼はこの訪問の前に使用人アメリーに, ダニエル
の素性を聞いてきた。 アメリーは, ダニエルの両親はふたりともカラードで兄
アレグザンダーは白人並に羽振りがよく, アレグザンダーの息子サンディとあ
なたの奥さまは一時結婚の噂もあったと告げた。 また, ロチェスターはダニエ
ルとの会見後, 妻に 「真偽」 を問い質している。 しかし, 彼は妻や使用人たち
やダニエルといくら会話や対話を重ねても, 誰の言い分を信じていいのかわか
らない, 皆が自分を騙しているとしか思えない。 周囲の人びとへの不信や疑念
が増すばかりで, 彼は島の自然からも住人からも敵意を感じ取る。 身の危険を
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ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
覚えた彼は本国に妻を連れて帰国することを決意し, 植民地での息子のことを
本国では話題にしないのがお互いの利益にかなうと父宛てに手紙を書くが, こ
の手紙も送られたかどうかさだかではない。 彼は妻を 「イギリス化」 するべく
「バーサ」 と呼ぶようになり, 名を奪われた彼女は徐々に自分の声も失ってい
く。
サルガッソーの広い海
第 2 部はほとんど男性一人称の語りで占められる
が, 8 ページほど妻アントワネットの一人称の語りが割り込んでいる。 それは,
彼女が夫の愛を取り戻すべくクリストフィーヌにオビア (西インド諸島の黒人
間に伝わる呪術) をせがみに行く場面である。 この挿話の直前にはイギリス人
が書いた著書に記載されているオビアの項目を読むロチェスターがおり, 直後
にはアメリーからダニエルの 2 通目の手紙を渡され対面を決意するロチェスター
がいる。 帰宅後には, 夫婦の対話がある。 妻からダニエルの素性を聞いても,
また第 1 部で語られるアントワネットの少女時代の出来事を彼女自身から聞か
されたところで, ロチェスターは妻に同情したり感情移入したりせず, 疑心暗
鬼は消えない。 第 2 部の終盤には, ロチェスターとクリストフィーヌが対峙し,
家父長の権威を脅かす陰謀を看取し自己防衛しようと努める前者と, 結婚によっ
て無一文になったアントワネットに同情し守ろうと白人主人に盾突く後者との
言い争いに, かなりのページが割かれている。 もちろん, イギリスの法と警察
に訴えると口にする本国の支配階級の男を相手に, 無学文盲の解放奴隷黒人女
に勝算はない。 両者の言い争いは, クリストフィーヌの詰問と非難に対し, ロ
チェスターが短い返答や無視で応対するかたちになっているが, 返答につまる
とき, あるいはどう攻勢にうってでるか考えあぐねているとき, あるいは思考
が停止するとき, テクストでは括弧内斜体で, クリストフィーヌの発言の一部
が引用される, いわば反響である。 それだけにとどまらず, ダニエルの発言の
一部やアントワネットの発言の一部まで反響する, つまり, 消去されえない記
憶や断片化された記憶が意識に浮上するのである。
48
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
第 2 部も終りに近づくと, ロチェスターの語りはますます 「意識の流れ」 に
押され, 意識の主体は揺らぎ, 統語法は乱れる。 モノローグに言い換えや同語
反復が頻出し他者の声が侵入し, 記憶は断片化し反響しあう。 次の引用は, 第
2 部最後で島を離れる場面からであり, ちょうど新婚旅行先の島に初めてやっ
てきた場面とのコントラストをなし語りの円環を閉じるところである。 括弧内
斜体はダニエルがロチェスターに投げつけた讒言の一部であるが, 2 番目の斜
体は新婚当初のアントワネットの発言から引用されており, 「幸せなときに死
にたい」 と呟いたあとに続く台詞である (WSS, p. 55)。 標準英語の運用と斜
体での表示は, 精神的に追いつめられているとはいえロチェスターがなお自他
を分別して 「正気」 を保っている証しと言えよう。
Like the swaggering pirates, let’s make the most and best and worst
of what we have. Give not one-third but everything. All − all − all.
Keep nothing back. . . .
No, I would say − I knew what I would say. ‘I have made a terrible
mistake. Forgive me.’
I said it, looking at her, seeing the hatred in her eyes − and feeling
my own hate spring up to meet it. Again the giddy change, the remembering, the sickening swing back to hate. They bought me, me with your
paltry money. You helped them to do it. You deceived me, betrayed me,
and you’ll do worse if you get the chance. . . (That girl she look you straight
in the eye and talk sweet talk − and it’s lies she tell you. Lies. Her mother
was so. They say she worse than her mother.)
. . .If I was bound for hell let it be hell. No more false heavens. No
more damned magic. You hate me and I hate you. We’ll see who hates
best. But first, first I will destroy your hatred. Now. My hate is colder,
49
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
stronger, and you’ll have no hate to warm yourself.
You will have
nothing.
I did it too. I saw the hate go out of her eyes. I forced it out. And with
the hate her beauty. She was only a ghost. A ghost in the grey daylight.
Nothing left but hopelessness. Say die and I will die. Say die and watch me
die. (WSS, p. 111, ellipses in the original)
リースが彼女のロチェスターをオセローやヒースクリフに喩えるとき(9), それ
はデズデモーナやキャサリンへの愛憎に等しい情動に囚われたこのロチェスター
を指している。 ブロンテのロチェスターからどれほど離れてしまったことか。
サルガッソーの広い海 第 2 部はその終盤に向けて, 由緒正しき 「イングリッ
シュ・ジェントルマン」 の語り手と白人クレオールのアントワネットとカラー
ドのダニエルが憎しみにおいて相似をなすトリプルであるとテクストに刻印す
る。 直説法と接続法が入り乱れ時制と人称が曖昧化されたこの詩的言語に遭遇
するとき私は, リースがモダニスト作家であることを再確認せざるをえない。
マイケル・ヴァルデス・モーゼズは, ライダー・ハガードの
イターマン
アラン・クェ
(1887) においてクェイターマンとその一行が川を遡行してアフ
リカの奥地に突然見出す宣教師一家の生活様式と, ジョーゼフ・コンラッドの
闇の奥
(1902) においてマーロウがアフリカ深奥部を流れる大河を溯りそれ
まで噂でしか聞いてなかったカーツの本拠地へ接近しつつ見舞われる認識論的
混乱を, 比較対照している(10)。 ハガードの帝国主義的冒険ファンタジーでは,
帝国の辺境においてもヨーロッパ文明がアフリカの風景と人びとを変貌させる
ことに成功しているとクェイターマンは自信ありげに語る。 他方, マーロウは
双眼鏡で見たカーツの棲家の外見を誤読する。 時間差をもってその誤読・誤認
に気づくが, だからといって 「闇」 の解明・解読には到達せず, 彼にヨーロッ
パ文明の限界点をつきつける。 コンラッドの小説は原モダニスト・テクストと
50
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
も言える
闇の奥
に限らず, 異国の風景や異国の人びととの遭遇によって先
進文明から来たよそ者がしばしば 「文明化の使命」 の欺瞞やその失敗に立会い,
方向性を見失う。 ヴァルデス・モーゼズはこれをモダニスト文学の 「ディスオ
リエンタリズム」 と名づけている。 リースのロチェスターはこの 「ディスオリ
エンタリズム」 を 1840 年代初頭の西インド諸島・カリブ海において経験する
のである。 ヴァルデス・モーゼズは, 慣習的な文法や統語法のしがらみ・抑制
から外れて蛇行し逡巡する散文体として, コンラッドを先駆としてウルフ, ロー
レンス, ジョイス, フォークナー, ラウリーの小説とともにリースの
の旅
闇の中
(1934) を挙げているが, 1924 年から 1939 年までに出版されたリース
の作品はその文体や内容や同時代性からむしろ, ルイ フェルディナンド・セ
リーヌやヘンリー・ミラーとともに論ずるべきかもしれない(11)。 両次大戦間に
彼女が書いたヒロインたちは, 彼女自身と彼女が身近に観察した人びとの自己
嫌悪や自己疎外や社会的孤立, ブルジョワ的価値観への反撥などを題材とした
根無し草コスモポリタンである。 この自伝的作家が, イギリス文学の 「カノン」
を典拠として
サルガッソーの広い海
を出版するまでには, なお 30 年近く
を要するのである。
伝記によれば, 1939 年, おはよう, 真夜中 出版後まもなく, 再婚相手ティ
ルデン・スミスから渡されたのが
ジェイン・エア
であり, リースは狂える
クレオール女の視点で書く (書き換える) 着想を得たという。 思いついたタイ
トルはフランス語で Le Revenant すなわち, 「幽霊」, 「帰還するもの」 であ
る(12)。 我々が今日手にする
サルガッソーの広い海
の大部分を占める第 2 部
はほぼ男性一人称の語りであるが, 第 1 部および第 3 部はアントワネット/バー
サの一人称語りで占められる。 反射・返答・回帰するものとは,
第 3 巻終わりではすでに死んでいる女, 生きているときすら人間と獣の
エア
境をうろつく狂人として監禁されていたクレオール女,
海
ジェイン・
サルガッソーの広い
第 2 部終わりで故郷から切り離される 「幽霊」 である。
51
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
ジェイン・エア
にヒロインの人間的成長や精神的・経済的自立といった
主題を見出すことはたやすい。 ヒロインは辛い子ども時代と学校時代を経て自
己規律や自制心を習得し, 雇い主の心をつかみ, 幾つもの障害を乗り越えて,
相思相愛の相手と納得できる結婚に辿り着くのである。 その途上で彼女はたと
え結婚市場で買い手がつかなくとも焦るそぶりは見せず, たとえ求婚者が現れ
てもけっして自分を安売りすることはない。 愛の名において自分を奴隷化する
こともないし, 義務の名において自分を犠牲に供することもない。 市場取引に
おいてはつねに冷静をこころがけ, 情に流されそうになるときや判断停止状態
では神の摂理や超自然現象に導かれる。 局面の打開にあって 「神」 と 「超自然」
の見えざる手を介入させる語り手に前近代的ともいえる予定説への信頼あるい
は依存を瞥見できるが, 観察眼を養い, 必要に応じて沈黙, 告発, 告白を使い
分け, 自他を峻別して最大利益をあげるヒロインの言動に, 自由意志の主体と
いう近代的個人主義の信条が読み取れる。 ジェイン・エアは主体的に自立する
個人となることを意識的に選択し遂行する。 ブロンテのバーサ・メイスンはそ
の対極にある。 出身地や外見は言うまでもないが, 何よりも際立つ対比は, ジェ
インが自己省察を十分働かせて一人称語りを押し通せるのに, バーサは獣じみ
た叫びしかあげられないことである。
サルガッソーの広い海 第 1 部は, ジェイン・エア のゲーツヘッドとロー
ウッドに相当する部分である。 イギリス植民地における奴隷制廃止によって困
窮したコスウェイ未亡人は, 知恵遅れの息子ピエールにばかりかまけ娘アント
ワネットには愛情を注がない(13)。 「解放奴隷たち」 からは 「白いゴキブリ」 と
侮られ, 本国生まれのイギリス人たちからは 「白い黒んぼ」 と揶揄される白人
クレオールとして他者の視線のもとで自己イメージに囚われるアントワネット
は, 黒人少女ティアと一緒に暮らしたい, 彼女のようになりたい, と一方的に
願うが, 親友だと思っていた彼女に手ひどく裏切られる。 母がトリニダードと
アンティグアに地所を持つ金持ちのイギリス人メイスンと再婚したのでなんと
52
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
か貧窮生活から免れたものの, アントワネットは母と同様いつも精神不安定で
周囲の敵意に怯えている。 クレオール女と再婚したメイスンは 「黒いイギリス
人」 と陰口をたたかれ, 一家は地元の解放奴隷たちによる焼き討ちに遭い, 屋
敷は炎上, ピエールは死亡し, 悲嘆に暮れる母はアルコール漬けになり, 狂気
の徴候が現れ, 人目に触れられないよう入院し囚われのまま死亡する。 修道院
学校に寄宿して精神的には落ち着いてきたアントワネットに, 継父は見合いの
話をもってくる。 こうした挿話はほぼ時系列で配置され, 文体は印象主義的で
あり自己分析・自己省察には乏しいが, ヒロインの不安と孤立と孤独は十分に
伝わってくる(14)。 このヒロインは自他を峻別し自分の価値観を揺るがせぬジェ
イン・エアとは異なり, いつも他人の視線や意見を気にし, 「自立」 を自分に
強いず, むしろ他者からの無条件な愛と他者への全面的依存に飢えている。 ガ
ヤトリ・スピヴァックは, ロチェスターにオイディプスの主題系を, アントワ
ネットにナルキッソスの主題系を見出している(15)。 この他力本願的な自己愛は
自己ならざるものの反映であり, つねに失敗しつづける。 彼女は母に自分の行
く末を誤読し, 自分に石を投げつけたティアの泣き顔に, 鏡に映った自分のイ
メージを重ねて誤認する。
短い第 3 部はほぼ, イングランドに連れてこられソーンフィールドの最上階
に監禁されグレイス・プールに監視され世話されるアントワネット/バーサの
一人称語りで占められる。 彼女の 「最期」 はすでに
ジェイン・エア
にスク
リプト化されているが, 第 3 部はその一歩手前で踏みとどまる。 彼女は自分が
今いる場所がイングランドであるとは思えず, そこにいる理由も理解できない。
西インド諸島を離れる前に幼なじみのサンディと密会したことや航海中の出来
事, さらには少女時代のトラウマが断片化され, 自由連合のように絡まり, 再
加工される。 物音や人の声もまた, 時間や空間の枠を越えて, 交じり合う。 第
2 部のロチェスターのモノローグは終盤にむかってポリフォニーに変容する徴
候を見せるが, 第 3 部の語り, 狂気の女の意識あるいは無意識は, フロイトが
53
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
夢作業の機制として挙げる置換と圧縮によって発現する(16)。 最終ページには彼
女が見た三番目の夢の場面がある。
I heard the parrot call as he did when he saw a stranger, Qui est la? Qui
est la? and the man who hated me was calling too, Bertha! Bertha! The
wind caught my hair and it streamed out like wings. It might bear me up,
I thought, if I jumped to those hard stones. But when I looked over the
edge I saw the pool at Coulibri. Tia was there. She beckoned to me and
when I hesitated, she laughed. I heard her say, You frightened? And I
heard the man’s voice, Bertha! Bertha! All this I saw and heard in a fraction of a second. And the sky so red. Someone screamed and I thought,
Why did I scream? I called ‘Tia!’ and jumped and woke. (WSS, p. 123)
「そこにいるのは誰?」 は一家で飼っていたオウムの発する叫びであるが, う
るさいので継父は彼の羽根を切った (WSS, p. 21)。 それはまた, 母がピエー
ルの死後ショックを受けているときに発した叫びでもある。 故国でのトラウマ
と異国での夢現は交じり合い, 鳥の声と母の声, 夫が呼ぶ声, 自分の叫び声,
これらも反響しあう。 目覚めたバーサはグレイス・プールがすっかり寝入った
のを確認してから部屋の鍵をくすね監禁場所を抜け出し, 蝋燭を片手に歩き出
す。 第 3 部は次のように終わる。
Now at last I know why I was brought here and what I have to do. There
must have been a draught for the flame flickered and I thought it was out.
But I shielded it with my hand and it burned up again to light me along
the dark passage. (WSS, p. 123)
54
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
アントワネット/バーサはまたしても別の夢の中に迷い込んだと解釈もできよ
うが, 先行テクストは目覚めて部屋を抜け出した狂女に放火と落下と焼死を用
意してある。 彼女がなすべきことと思い至ったのは, かつて少女時代に一家が
放火されたのと同じことを, いまここで, 反復することである。 しかし, 私は
誤読の誘惑に駆られる, 彼女がなすべきこととは, 反復強迫を逆手にとって声
を回復することではないか, と。 リースが 「シンデレラ」 にも 「眠れる美女」
にもなりそこなねた 「人魚姫」 バーサにアントワネット・コスウェイという名
を与え, 夫から名を奪い (名ざされぬ立場に置かれたとも言えるが) 彼のモノ
ローグに他者の声を響かせ, 相対的に理性的な 「イングリッシュ・ジェントル
マン」 の語りの前後に, 精神不安定なクレオール女の語りを配置する サルガッ
ソーの広い海
は, 出版後, 作者に 「復活」 をもたらした。 「負け犬人生」 に
「落し前」 がついたのである。
「ジーン・リース」 は 「カラー・ベル」 と同様, 本名ではない。 第一次世界
大戦後パリ時代に, 彼女を創作へと向かわせた作家フォード・マドックス・フォー
ド, すなわち当時愛人関係にあったイギリス人によって与えられた名である(17)。
それは彼女がコーラスガール時代に使っていた芸名でもない。 彼女がコーラス
ガールやマヌカンをして生活費を稼ぐようになった理由のひとつに, 女優にな
るのを諦めたことがある。 父親の死によって演劇学校の授業料が払えなくなっ
たことに加えて, なによりも, 彼女の西インド訛りの英語と彼女の台詞回しに
問題があり, 将来性なしと判断されたのである(18)。 彼女は日常生活において音
声言語による他者との意志疎通に困難を覚えるようになり, 身近な人間や周辺
住民と頻繁にトラブルを起こし, 自暴自棄に陥り, アルコールに溺れ, 精神的
にも追いつめられていく。 声は叫びと囁きにとって代わる。 人は彼女の症例を
神経症や統合失調や境界例として扱うこともできよう。 彼女はある文通相手に,
「私は書きたくはなかった。 幸せで平穏な生活, 目立たない暮らしがしたかっ
た。 幾つかの偶然が重なり, 稼ぐ必要に迫られて書くはめになった」(19) と書く
55
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
一方で, 残存する日記には次のような審問形式の自問自答がある。
The trouble is I have plenty to say. Not only that but I am bound to say
it.
Bound?
I must.
Why? Why? Why?
I must write. If I stop writing my life will have been an abject failure. It
is that already to other people. But it could be an abject failure to myself.
I will not have earned death.
Earned death?
Sometimes, not often, a phrase will sound in my ear clearly, as if spoken
aloud by someone else. That was one phrase. You must earn death.
A reward?
Yes.(20)
失敗, 失意, 絶望, 悔恨, 声にならないもどかしさ, トラウマ, 記憶, 夢, 分
節言語で捕捉されえぬもの
「普通の幸せ」 な人生を送るのに邪魔にしかな
らない残像や残響に, 回帰するにふさわしい場所はあるだろうか。
作家には生前から名声に恵まれ死後も読まれつづけるディケンズやバルザッ
クのような作家もいれば, ビューヒナーやカフカのように死後に名を知られる
作家もいる。 もちろん, 売れないまま忘れられる作家や, 流行作家だったのに
死後さっぱり読まれなくなった作家も大勢いる。 何が忘却の河から溺死者を引
き揚げるのか, 何が誰に死後の生をもたらすのかは闇の中である。 「ジーン・
リース」 はモダニスト女性作家として 1924 年に登場し, 1939 年を最後に出版
業界から一旦消えた。 第二次世界大戦後, リースは自分がすでに死んだ作家と
56
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
見なされていることを知る。 また, 作家 「ジーン・リース」 の詐称者として扱
われたこともある(21)。 若いときには人形, 老いたときには魔女か幽霊(22), 「生
ける屍」 であったクレオール女は長い沈黙を破り作家として復活する, 彼女を
陰に陽に支えてくれた人びとの甲斐あって, 狂気の女に声と語りを与えること
によって。 かつてのモダニスト作家はその死後, フェミニスト批評さらにポス
トコロニアル批評において書かれたものとして生きつづける。 ジョン・ダンも
言うように, 何人も一島嶼たりえない。 ひとつのフィクション, ひとつのキャ
ラクターでさえ, 死後の生を生きることがある。 作家 「ジーン・リース」 の沈
黙と再生と帰還は, ひとりの人間の情けない人生さえ, 未知なる人びとの交通
の場となる可能性を示唆している。 ときとして無謀な誤読や致命的誤認でさえ
創造性を帯びることがある。
註
(1)
ジェイン・エア からの引用は, Charlotte Bronte, Jane Eyre, ed. Margaret
Smith (Oxford: Oxford University Press, 1980) に拠り, 引用箇所を括弧内に
頁数で示す。
(2)
マーガレット・スミスによれば,
シャーロット・ブロンテの生涯
初版および第 2 版でギャスケルが触れている。 ちなみに,
(1857) の
ジェイン・エア
は
サッカレイに献呈されていたことから, その著者は彼の家のガヴァネスではない
かと疑われたという (JE, p. 459)。
(3)
Mary Wollstonecraft, Mary (1788); Maria Edgeworth, Castle Rackrent
(1800); Wilkie Collins, The Woman in White (1860); Mary Elizabeth Braddon,
Lady Audley’s Secret (1862). コーラ・カプランによれば, 本国における 「人種
的汚染」 への不安は, イギリス植民地における奴隷制廃止後も, ヴィクトリア朝
時代に書かれたもののなかに根強く残ったという。 Cora Kaplan, Victoriana:
Histories, Fictions, Criticism (Edinburgh: Edinburgh University Press, 2007),
p. 156.
( 4 ) See Charlotte Bronte, Juvenilia 1829 1835, ed. Juliet Barker (Harmondsworth: Penguin, 1996).
(5)
Sandra M. Gilbert and Susan Gubar, The Mad Woman in the Attic (New
57
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
Haven: Yale University Press, 1979), p. 359.
(6)
サルガッソーの広い海
からの引用は, Jean Rhys, Wide Sargasso Sea, ed.
Hilary Jenkins (Harmondsworth: Penguin, 2001) に拠り, 引用箇所を括弧内
に頁数で示す。
(7)
Letter to Francis Wyndham, 22 August 1962, and letter to Peggy Kirkaldy,
9 March 1949, in Francis Wyndham and Diana Melly eds., Jean Rhys: Letters
1931 66 (Harmondsworth: Penguin, 1985), p. 269 and p. 50. リリアン・ピツィ
チーニはタイトル候補を 26 例も列挙している。 Lilian Pizzichini, The Blue
Hour: A Portrait of Jean Rhys (London: Bloomsbury, 2009), pp. 276 77. また,
リースは, ブロンテとの 「格闘」 や 「葛藤」 についても, ウィンダムに書いてい
る。 Letters to Wyndham, 1964, in Letters, p. 263, p. 269 and p. 271.
(8)
Letters, p. 269: ‘I have tried to show this man being magicked by the place
which is (or was) a lovely, lost and magic place but, if you understand, a violent place. (Perhaps there is violence in all magic and all beauty − but there
− very strong) magicked by the girl − the two are mixed up perhaps to bewildered English gent, Mr R, certain that she’s hiding something from
him.’
(9)
Ibid.: ‘My Mr Rochester as I see him becomes as fierce as Heathcliff and as
jealous as Othello.’
(10)
Michael Valdez Moses, ‘Disorientalism: Conrad and the Imperial Origins of
Modernist Aesthetics,’ in Richard Begam and Michael Valdez Moses eds.,
Modernism and Colonialism: British and Irish Literature, 1899 1939 (Durham,
NC: Duke University Press, 2007), pp. 47 52.
Ibid., p. 54. さらに, ヴァルデス・モーゼズはクッツェー, ラシュディ, ナイ
(11)
ポール, ングギ, カルペンティエル, ガルシア マルケス, フエンテス, ドノソ
などアフリカやインドや中南米生まれのポストコロニアル作家を 「後期モダニズ
ム」 の実践者とみなし, リースもそのひとりに数えている。 Ibid., p. 67. See also
Ania Loomba, Colonialism/Postcolonialism (London: Routledge, 1998);
Carine M. Mardorossian, Reclaiming Difference: Caribbean Women Rewrite
Postcolonialism (Charlottesville: University of Virginia Press, 2005); C. L.
Innes, The Cambridge Introduction to Postcolonial Literatures in English
(Cambridge: Cambridge University Press, 2007). セリーヌやミラーとの同時
代性に言及するピツィチーニは, 最晩年のリースを身近に見たひとが彼女をセッ
クス・ピストルズのジョニー・ロットンに比べていたと書いている。 Pizzichini,
p. 302.
58
ジーン・リース, 喪の作業と死後の生
Pizzichini, p. 221; Letter to Wyndham, 22 July 1962, in Letters, p. 213.
(12)
(13)
モダニスト女性作家の作品における母娘関係の探求を, メラニー・クラインや
ヘレーネ・ドイッチュらの女性精神分析家の理論を用いて分析するヘザー・イン
グマンは, リースは母に拒絶されついで恋人に裏切られ失われた母との絆に取り
憑かれたヒロインの物語を書き, そして書き換えた, と述べている。 歌や夢や記
憶からなる前オイディプス的世界への憧憬が 「マスター・ナラティヴ」 の下に潜
んでいるという。 Heather Ingman, Women’s Fiction Between the Wars: Mothers, Daughters and Writing (New York: St. Martin’s Press, 1998), pp.
107 24.
マルドロシァンは, 第 1 部のアントワネットの語りに, 奴隷制廃止後のカリブ
(14)
海諸国の政治経済と周囲の人びとの諸関係を理解できない旧プランター階級特有
の 「健忘症」 の徴候を見ている。 Mardorossian, pp. 66 68.
(15)
Gayatri Chakravorty Spivak, ‘Three Women’s Texts and a Critique of
Imperialism,’ in Henry Louis Gates, Jr. ed., “Race,” Writing, and Difference
(Chicago: University of Chicago Press, 1986), p. 270. リースは意図的に, ヒ
ロインに分身/他者の誤認・誤読・錯誤を起こさせ, ラカン的 「象徴界」 に亀裂
を生じさせているように思われる。 キャロル・アンジェはダニエルを, アントワ
ネットに最も近く最も遠い存在, 「分身」 として論じている。 さらに, ティアと
ダニエルを, ヒロインのふたつの異なる暗黒面の探求と見なしている。 Carole
Angier, Jean Rhys: Life and Work (Boston: Little, Brown and Company,
1990), pp. 526 28. and pp. 566 67. また, アイデンティティ構築, 自己疎外,
鏡像の錯誤については上記イングマンの著書やコーラル・アン・ハウエルズの著
書を参考にした。 Coral Ann Howells, Jean Rhys (Hemel Hempstead: Harvester Wheatsheaf, 1991), pp. 114 18.
(16)
ラプランシュ/ポンタリス, 村上仁監訳
精神分析用語辞典
(みすず書房,
1977), p. 455.
(17)
Pizzichini, p. 176.
(18)
Ibid., p. 75, pp. 134 35 and p. 164.
(19)
Letter to Peggy Kirkaldy, 6 December 1949, in Letters, p. 65.
(20)
Jean Rhys, Smile Please: An Unfinished Autobiography (Harmondsworth:
Penguin, 1981), p. 163.
(21)
Letter to Wyndham, May 1963, in Letters, p. 220.
(22)
Letter to Wyndham, 27 May 1964, ibid., p. 281.
59