博 士 論 文 概 要 - 早稲田大学リポジトリ

早稲田大学大学院 先進理工学研究科
博 士 論 文 概 要
論
文
題
目
Characterization and Application of
Organosilane Self-Assembled Monolayers
有機シラン自己組織化単分子膜の
基礎物性および応用に関する研究
申
請
者
山本
英明
Yamamoto
Hideaki
ナノ理工学専攻
分子ナノ工学研究
2008 年 12 月
No.1
長鎖アルキル鎖を有する有機分子の固体基板表面への自律的な集合によってつ
く ら れ る 自 己 組 織 化 単 分 子 膜( SAM)の 発 見 は 、化 学 、物 理 学 、表 面 科 学 な ど の 理
学分野のみならず、ナノ構造の自己形成という観点から、工学分野にも非常に多
く の 発 展 を も た ら し た 。 特 に 有 機 シ ラ ン 系 の SAM は 、 シ リ コ ン 酸 化 膜 や ガ ラ ス な
どの、幅広い工学的応用範囲を有する基板上に成膜できることから、現在、電子
線 レ ジ ス ト や ナ ノ / バ イ オ 系 の 界 面 材 料 な ど と し て 注 目 さ れ て い る 。通 常 、電 子 線
レ ジ ス ト の 膜 厚 は 数 百 nm で あ る が 、 SAM は 厚 さ が 数 nm で あ る た め に 照 射 電 子 の
前 方 散 乱 を 大 幅 に 抑 制 で き 、実 際 、有 機 シ ラ ン S AM を レ ジ ス ト と し て の sub -2 5n m
の高密度リソグラフィがすでに報告されている。また、様々な末端基の前駆体を
用 い る こ と に よ り 、 物 理 化 学 的 性 状 の 異 な る SAM を 同 一 基 板 上 に パ タ ー ニ ン グ で
きることから、この技術を応用し、タンパク質や細胞を基板上に配列固定するこ
ともできる。
し か し 依 然 と し て 、 わ ず か な 成 膜 条 件 の 差 に よ っ て SAM の 膜 質 が 大 幅 に 変 化 し
てしまうことや、実験室間での膜質の違いが問題視されており、できあがった膜
の構造を原子レベルで明らかにすることは緊要な課題となっている。本研究では
こ の よ う な 問 題 意 識 を 基 に 、 ま ず 、 有 機 シ ラ ン SAM の 膜 構 造 に 大 き な 影 響 を 与 え
ら れ る と 考 え ら れ る S A M / S i O 2 基 板 の 界 面 に 注 目 し 、理 論 計 算 お よ び 実 験 の 両 手 法
を 用 い て 、 有 機 シ ラ ン SAM の 基 礎 物 性 を 多 面 的 に 調 査 し た 。 さ ら に 、 こ れ か ら 数
十 年 の う ち に 飛 躍 的 な 発 展 が 期 待 さ れ る 神 経 生 物 学 分 野 へ の 有 機 シ ラ ン SAM の 応
用を検討し、人工的にデザインされた神経細胞回路を固体基板上に作る技術の開
発に向けての実験を行った。
第 2 章 で は 、有 機 シ ラ ン S A M / S i O 2 系 の 分 子 力 場 計 算 を 行 う た め の ポ テ ン シ ャ ル
パラメータの開発、およびその分子力場計算の結果について述べた。計算に使用
す る 分 子 力 場 に は 、有 機 分 子・生 体 分 子 系 の 計 算 で す で に 実 績 を 上 げ て い る A M B E R
力 場 を 選 ん だ 。 し か し AMBER は 有 機 ・ 生 体 分 子 系 専 用 の 分 子 力 場 で あ る た め 、 無
機 元 素 で あ る Si に 関 わ る ポ テ ン シ ャ ル パ ラ メ ー タ を 一 切 含 ん で い な い 。 そ こ で
S A M / S i O 2 系 の モ デ リ ン グ を 実 行 す る に あ た り 、S i 原 子 が 関 与 す る パ ラ メ ー タ 群 を
整 備 し 、 AMBER 力 場 を 有 機 シ ラ ン 系 も 扱 え る よ う に 拡 張 し た 。 パ ラ メ ー タ の 数 値
はすべて非経験的に、第一原理計算で見積もった小さなクラスタモデルの変形に
伴うエネルギー変化を再現するように選んだ。また、原子間の共有結合の組み替
えを考慮したモデリングを実施するために、メトロポリス・モンテカルロ法を応
用 し て 、 SAM/SiO2 界 面 の シ ロ キ サ ン ( Si-O-Si) 結 合 状 態 が 異 な る 構 造 を 自 動 サ
ンプリングするプログラムを開発した。構造のサンプリングは、カノニカルアン
サンブルおよびグランドカノニカルアンサンブルのいずれか統計集団を選択して
行 え る よ う に し た 。カ ノ ニ カ ル ア ン サ ン ブ ル で サ ン プ リ ン グ す る 際 に は SAM/SiO2
界面のシロキサン結合の総数が、またグランドカノニカルアンサンブルでサンプ
リ ン グ す る 際 に は シ ロ キ サ ン 結 合 の 形 成 ・ 切 断 に 伴 っ て 系 を 出 入 り す る H2O 分 子
No.2
の 化 学 ポ テ ン シ ャ ル が 、そ れ ぞ れ 計 算 の パ ラ メ ー タ と な る 。以 上 の 成 果 よ り 、A M B E R
力 場 の 枠 組 で SAM/SiO2 系 の 熱 平 衡 構 造 の 予 測 を 行 う 準 備 が 整 っ た 。
続 い て 、 お よ そ 2 万 原 子 か ら な る 大 規 模 な octadecylsilane SAM/SiO2 系 で 分 子
力 場 計 算 を 実 行 し 、 熱 平 衡 状 態 に お け る 構 造 を 予 測 し た 。 SAM/SiO2 界 面 に は 、 有
機 シ ラ ン 分 子 の 頭 部 基 と SiO2 基 板 表 面 の シ ラ ノ ー ル 基 が 作 る シ ロ キ サ ン 結 合 ネ
ッ ト ワ ー ク が 存 在 し 、そ の シ ロ キ サ ン 結 合 は 分 子 - 基 板 間 の シ ロ キ サ ン 結 合( ア ン
カ リ ン グ 結 合 )と 分 子 - 分 子 間 の シ ロ キ サ ン 結 合( 分 子 間 架 橋 結 合 )に 分 類 で き る 。
熱平衡構造モデル中のアンカリング結合と分子間架橋結合との割合を調べたとこ
ろ、界面に存在するシロキサン結合の総数にほとんど依存せず、その割合はおよ
そ、アンカリング結合2本に対して分子間架橋結合が1本であった。これは架橋
結合の形成に伴って生まれる、分子のアルキル鎖間の立体障害が、系の構造エネ
ルギーを不安化させることに起因すると考えられる。
最 後 に 、 octadecylsilane 分 子 の 面 内 秩 序 性 と 、 SAM/SiO2 界 面 の ポ リ シ ロ キ サ
ン 層 中 の シ ロ キ サ ン 結 合 の 総 本 数 と の 相 関 を 調 べ た 。 SAM の 膜 構 造 が 成 膜 条 件 や
測定温度によって変化することがこれまでに実験で確かめられているが、その微
視 的 な 起 源 は 明 ら か に さ れ て い な か っ た 。 SAM/SiO2 界 面 の シ ロ キ サ ン 結 合 の 総 数
が 異 な る 複 数 の 構 造 モ デ ル か ら in-plane の X 線 回 折 強 度 分 布 を 計 算 し た と こ ろ 、
結 合 本 数 の 増 加 に 伴 っ て 、 octadecylsilane 分 子 の 面 内 秩 序 性 が 低 下 す る こ と が
分 か っ た 。 SAM/SiO2 界 面 の ポ リ シ ロ キ サ ン 層 は 組 成 が 基 板 材 料 と 全 く 同 じ で あ る
が 故 に 、分 光 学 的 な 実 験 に よ っ て そ の 結 合 状 態 を 調 べ る こ と が 非 常 に 困 難 で あ る 。
本シミュレーションは、そのような実験の限界を越えて初めて、ポリシロキサン
層 の 結 合 状 態 が 、 SAM の 膜 構 造 を 変 え 得 る こ と を 定 量 的 に 示 し た 。
つ づ く 第 3 章 で は 、 octadecylsilane SAM の フ ッ 酸 耐 性 の 起 源 を 、 エ リ プ ソ メ
ト リ ー 測 定 、 視 射 角 入 射 X 線 回 折 ( GIXD) 測 定 な ど の 実 験 で 調 べ た 結 果 に つ い て
述 べ た 。 Octadecylsilane SAM は 上 述 の 様 に 高 解 像 度 な ポ ジ 型 電 子 線 レ ジ ス ト と
しての応用が期待されているため、その現像液となるフッ酸に対して高い耐性を
示すことは、極めて重要な性質である。
Octadecyltrichlorosilane( OTS) を 前 駆 体 と す る OTS SAM を 4℃ で 成 膜 し 、 そ
の 後 に N2 雰 囲 気 中 で 110℃ お よ び 180℃ の 熱 処 理 を 施 し た 。 フ ッ 酸 浸 漬 時 間 と 残
存 S A M 膜 厚 と の 関 係 を エ リ プ ソ メ ト リ ー 法 で 調 べ た と こ ろ 、1 1 0 ℃ お よ び 1 8 0 ℃ で
の 熱 処 理 後 の 試 料 で は 、 SAM を 完 全 に 剥 離 す る の に 要 す る 時 間 が 熱 処 理 前 と 比 べ
て そ れ ぞ れ 約 1.7 倍 お よ び 約 1.8 倍 に な り 、 OTS SAM の フ ッ 酸 耐 性 が 成 膜 後 の 熱
処理によって向上することが明らかになった。
次 に 成 膜 後 熱 処 理 が 膜 構 造 に 与 え る 影 響 を 、 GIXD 法 を 用 い て 調 べ た と こ ろ 、
q=15nm-1 付 近 に 現 れ る OTS SAM か ら の (10) Bragg 反 射 の ピ ー ク 強 度 が 熱 処 理 を 施
し た 両 試 料 に お い て 減 少 し て お り 、 OTS 分 子 の 面 内 秩 序 性 が 熱 処 理 後 に 減 少 し て
いることが分かった。さらにこの面内秩序の減少度は、フッ酸耐性と同様に、熱
No.3
処 理 温 度 に 正 の 相 関 を 示 し 、1 8 0 ℃ で 熱 処 理 し た 試 料 の ピ ー ク 強 度 は 1 1 0 ℃ の 熱 処
理を施した試料に比べて低くなった。以上の結果を、第2章で述べた分子シミュ
レ ー シ ョ ン の 結 果 、 お よ び 文 献 中 の 熱 重 量 分 析 な ど の 結 果 と 併 せ て 考 察 し 、 SAM
の 高 い フ ッ 酸 性 の 起 源 は 、 SAM/SiO2 界 面 に 存 在 す る 緻 密 な シ ロ キ サ ン 結 合 ネ ッ ト
ワークであると推論した。
そ し て 第 4 章 で は 、 SAM の パ タ ー ニ ン グ 技 術 を 応 用 し て 取 り 組 ん だ 、 神 経 細 胞
のネットワーク形成を支持するナノ改質基板の作製プロセスの設計、およびその
基 板 上 で の 細 胞 培 養 の 結 果 に つ い て 述 べ た 。固 体 基 板 上 で の「 人 工 神 経 細 胞 回 路 」
の作製は、抗精神病薬の開発段階における創薬スクリーニングなど、新薬開発の
場で有用な技術へと展開させることができる。例えば新薬候補物質がシナプス接
合における細胞間シグナル伝達機構に与える影響を調べたり、現在動物を使って
行っているスクリーニング実験の初期段階を、細胞チップでの実験に置換したり
することにより、薬剤開発の効率化や、また犠牲となる実験動物の個体数の削減
が期待される。さらに長期的な展望として、この技術を、人間の精神活動を支え
る 物 質 的 基 盤 を 解 明 す る 研 究 へ と 結 び つ け た い と 考 え て い る 。脳 は 1 0 0 0 億 個 の 神
経細胞が作る複雑なシステムに他ならず、神経細胞の集団的な活動様式を調べる
ことによって、脳機能の原理を理解するための鍵が見つかる可能性がある。
初めに、神経細胞の回路形成のテンプレートとなるナノ改質基板の作製プロセ
ス を 確 立 し た 。種 々 の S A M を 検 討 し た 結 果 、メ チ ル 基 末 端 の o c t a d e c y l t r i m e t h o x y silane SAM お よ び ア ミ ノ 基 末 端 の 3-aminopropyltriethoxysilane SAM を 、 そ れ
ぞ れ 細 胞 接 着 阻 害 領 域 お よ び 細 胞 接 着 促 進 領 域 と し て 採 用 し た 。 両 SAM の パ タ ー
ン は 、 プ ロ セ ス の 初 め に 塗 布 し た ネ ガ 型 電 子 線 レ ジ ス ト SAL-601 を テ ン プ レ ー ト
として、テトラエチルオルソシリケートを堆積させた透明なガラス基板上に作製
した。細胞培養実験には神経細胞のモデル細胞として、ラットの副腎髄質褐色細
胞 種 か ら 株 化 さ れ た P C 1 2 細 胞 を 用 い た 。こ の 細 胞 は 神 経 成 長 因 子 の 存 在 下 で 培 養
す る と 、神 経 細 胞 様 に 分 化 し 、神 経 突 起 を 伸 ば す 。ナ ノ 改 質 基 板 上 で P C 1 2 細 胞 を
3 日 間 培 養 し た と こ ろ 、直 径 2 0um の 円 形 パ タ ー ン の 上 に 細 胞 体 が 接 着 し 、そ こ か
ら 500nm 幅 の 線 状 パ タ ー ン 上 に 神 経 突 起 を 伸 ば し て い る 様 子 が 確 認 で き た 。
またナノ改質基板上にパターニングされた神経細胞間の機能的な接続を調べる
た め の 予 備 実 験 と し て 、細 胞 内 遊 離 Ca2+濃 度 の 測 定 条 件 を 確 立 し た 。PC12 細 胞 は
神 経 細 胞 同 様 に 、 脱 分 極 時 に 細 胞 内 の Ca2+濃 度 が 増 加 す る た め 、 こ れ を 指 標 と し
て、細胞の活動をイメージングすることができる。プラスチックディッシュ上に
培 養 し た P C 1 2 細 胞 で の 実 験 で 、C a 2 + イ ン ジ ケ ー タ f l u o - 4 を P C 1 2 細 胞 に 濃 度 1 0 u M
で 導 入 す る と 、 KCl や ニ コ チ ン で の 刺 激 に よ る 細 胞 内 の 遊 離 Ca2+濃 度 の 増 加 を 、
蛍光強度の増加として可視化できることを確認した。
第 5 章では、以上の成果を総括した。