機友会90周年を祝って 早稲田力の結集を - 早稲田機友会 - 早稲田大学

2004年(平成16年)3月25 日発行
第
Waseda
Mechanical
21号・Mar.2004
Engineering
機友会 90 周年を祝って
早稲田力の結集を
−機友会会員との出会いを通じて−
杉島 和三郎(昭和 27 年卒)
機友会 90 周年祝賀会
さん(昭 48 院)、福島さん(昭 48 院)など多
で最後に歌った「都の西
くの後輩に支えられ、何とか仕事をこなす
北」の感激と、多少の酔
ことができて感謝の気持ちで一杯である。
いを感じながら帰りの
話は元に戻るが、配属されたのは生まれ
電車に乗った。しかし
育った横浜造船所で、ボイラーをスタート
■機友会90周年記念祝賀会 ............................... p.2
■研究室紹介「浅川研究室」.......................................p.8
■パネルディスカッション .............................. p.10
■OBから見た研究室紹介「勝田研究室」. p.11
■頑張るWME会員「衆議院議員に当選して」
............................. p.12
■私の大学事情「東京工科大学」................... p.13
手にした記念誌を一刻
に発電タービンなどの開発設計を担当し
も早く開きたい衝動に駆られ、睡魔に襲わ
た。現役時代の最後は燃焼に強いと上司に
じめとする歴代会長の熱意は勿論、梅津教
れる暇もなく頁を繰っているうちに下車駅
勘違いされ、ごみ焼却プラントの計画に携
授など諸先生の情熱に寄りかかり、林名誉
に着いてしまい、家に帰っても興奮覚めや
わったが、折からごみ発電のプラントの設
教授を会長に専らゴルフの企画をして交流
らずに読みつづけ、ベッドに入った時は次
置が多くなり在職前半の経験を役だたせる
の場を作ったのみと言ってよい。幸い石岡
の日になっていた。
ことができた。
さん(昭 32)などのご努力で多くの機友会の
90 周年の記念誌は、深町副会長を長とす
そんな関係から燃料協会(現日本エネル
る編纂委員会の力作で、委員のご苦労は筆
ギー学会)の可燃性廃棄物委員会で、委員長
舌には尽くし難く、正に機友会の「プロジェ
の白川教授、幹事の小泉教授のご指導で、廃
そんな中でニュースレター編集委員会か
クトX」
で、心から感謝を申し上げたい。
棄物小事典の編集委員として末席を汚させ
らの寄稿依頼があり安易にお引受けしてし
考えてみると、自分自身も早稲田に学ん
て頂き大いに勉強になった。当時としては
まったが、読み直して見ると自分史に終わ
で 50 年余が過ぎ、
90 周年の半分以上を学外
書類がなく斯界に好評で、現在の環境問題
ってしまった感がある。とは言うものの、改
から見つめてきたことになる。学生時代の
の先駆的な企画に今更ながら敬意を表して
めて早稲田機友会の人々のとの出会いが、
クラス担任は高橋教授で、難解な数学に苦
いる。
自分の人生に大きな影響があったことを確
人たちと絆ができ、下手なゴルフを楽しん
でいる。
労する一方、豊島園の運動会、ふいご祭、江
その後、日本機械学会で同期の土屋教授
戸川でのボートレースなどで青春時代を謳
と出会い、環境工学委員会の委員長や関東
話が変わるが平成 16 年 2 月、横浜のわが
歌し、多くの友を得ることができたのが機
支部長などを仰せつかり、河合教授,永田教
家の近くに、みなとみらい線の元町・中華街
友会との最初の出会いであった。
授、山本教授、山川教授などにお世話になっ
駅が開業し、渋谷からの直通運転となった。
た。また業界団体である環境衛生工業会理
そして数年後には、理工学部前の大久保を
が、ベルリンオリンピックのサッカーで活
事や廃棄物学会設立のお手伝いをしたが、
通過する池袋・渋谷間の地下鉄と連結運転
躍した加茂さん
(昭 14)
をはじめ機友会の先
そこでも東京都の寺島さん(昭 36)、公害資
する予定で、理工学部まで直行で心の故郷
輩が入社前にもかかわらず、さる料亭で歓
源研の荻須さん(昭 42 院)、荏原の中村さん
に帰れると思うと、時代の変化を感じない
迎会を開いてくれた。詰襟の学生服で出席
(昭 43)
、タクマの中里さん(昭 43)、石川島
し緊張の連続と期待が交錯したが、未開地
播磨重工の鈴木さん(昭 45 院)、日本鋼管の
変化と言うと、理工学部も再編の時期を
のジャングルに足を踏み入れる心配が一気
浜野さん
(昭 46 院)など、多くの早稲田機友
迎えているとお聞きしている。一方、どこの
に解消したことを鮮明に覚えており、その
会の人々とお会いし、会社は違っても阿吽
OB会も価値観の多様化から運営には苦労を
後も仕事に行き詰まった時には何かとお世
の呼吸での議論ができて幸福に感じた。
していると言う。このような中で 90 周年を
卒業後は運良く三菱重工に入社できた
話になることができた。
認することができた。
わけには行かない。
現役時代を終わって暫くして機友会の再
迎えたわけであるが、記念誌を読んだ OB は
決して閥を作ったわけではないが、その
生にお声がかかり、余生の進路を模索して
小生と同様に何かを感じたに違いない。こ
後入社した北見さん(昭 36)、間宮さん(昭
いた時でもあったので浅学を顧みずお手伝
の節目を契機に諸先生は勿論、O Bが早稲田
37)、山崎さん
(昭 38)
、西川さん
(昭 46 院)
、
いをさせて頂くことになった。しかし斎藤
力を結集し、100 周年に向かって早稲田大
殿村さん
(昭 47)
、岡澤さん
(昭 47 院)
、堀家
名誉教授、田島名誉教授、土屋名誉教授をは
学と機友会が発展することを願っている。
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W.M.E Newsletter Vol.21
機友会90周年記念祝賀会模様
日 時:2003年10月19日(日)12時∼15時
場 所:リーガロイヤルホテル東京 ロイヤルホールⅠ(3F)
早稲田機友会創設 90 周年を記念祝賀
絵手紙が大型スクリーンに投影され、在
ついで、大聖泰弘機械工学主任教授に
会は、リーガロイヤルホテル東京におい
りし日の両先生の面影を偲ぶ出席者の
よる出席教員・助手の紹介が自己紹介も
て約 300 名の OB 会員、学生会員参加の
姿も多く見られた。
交えて行われた。
もと、盛大に開催された。
つづいて、全員がホテル用意のスパ
当日出席の最長老である昭和5年卒
まず、司会役の機友会事務局担当理
ークリングワインを手にし、昭和 26 年
業の大同四郎氏からは、ご自身の現況報
事・梅津光生教授による開催に至る経
卒の坂田浩一氏の音頭で、機械工学科歴
告と在学当時の大学の思い出、健康の秘
緯、会場レイアウト、スケジュールなど
史、即ち私学の雄として、国立大学と競
訣などが披露された。因みに氏は大学に
の説明のあと、山口富士夫機友会会長よ
ってきた早稲田の機械科としての存在
対して多額の寄付をされたとのことで
り機友会の歴史・機械工学科の動向、さ
価値を高らかに謳いあげ、会員各位の健
ある。
らには今後の在り方などについても触
勝と今後の技術革新、産官学協同に向け
2回目の歓談の後、山川宏教授の「機
れながら、開会の挨拶がなされた。
(次頁
機械工学科・早稲田大学の益々の発展を
械工学科の現状と将来」と題する講演が
に掲載)
祈念して乾杯が行われた。
あった。
次いで、梅津教授より、入口に設置さ
歓談のひとときの後、
「21 世紀 COE 拠
スポーツ分野でも活躍する機械工学
れた肖像画「沖巌名誉教授」についての
点・早稲田大学機械工学科」として研究
科学生として、2002 年度機友会「栄誉
説明があり、さらには沖先生と、105 歳
採択された経過報告と講演が、拠点リー
賞」に輝いた「早稲田大学ラグビー名フ
を目前に昨年他界された池谷武雄東京
ダー藤江正克教授によって行われた。
(4
ランカー羽生憲久君の NHK 収録ビデオ」
電機大学名誉教授との間で交わされた
頁参照)
と「箱根駅伝に 4 年間連続出場し大活躍
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機友会90周年記念祝賀会あいさつ
山口 富士夫
現在のわれわれは、過去の先輩の築かれた歴史の上に存在して
いるのだということを痛感する次第であります。
一体、われわれ機友会会員が、その歴史を知るとはどのような
今、理工学部は時代の流れの下で、大きく変貌、発展しようとし
意味を持つのでしょうか。それは次の二つになろうかと思います。
ており、機械工学科においても新たな発展が計画されております。
先輩のご努力とご苦労、それにより達成された、優れた成果や偉
機友会では、90 周年のこの記念すべき時、歴史を振り返り、かつ新
大な業績を知ることにより、
しい機械工学科の発展を願って、記念誌を発行し、また本祝賀会
1.まず第一に、自分がその栄誉ある早稲田大学機械工学科の同窓
を催すことになった次第であります。
の一員に属するのだという感情を持つことであると思います。こ
早稲田の機械工学科の歩みを振り返って考えてみるとき感ずる
れは機友会会員としての誇りに繋がります。
こととして、われわれの学科は、私立大学という、恵まれない環境
2.また、第二には、先輩の偉大さを受け継ぎ、その栄光を持続させ
にありながら、時代の要請にも応じ、 優れた、大量の卒業生集団
なければならないという気持ちを新たにすることであると思いま
を社会に送り出してきたことがあると思います。これは国立大学
す。
などには例を見ないことであります。
多くの会員がこの気持ちを共有することが、これからの機友会
更に機械工学科の誇りという点では、本年は、われわれ機械工
の更なる発展のために必要なことではないでしょうか。
学科が中心となって提案した研究が、
「21 世紀 COE プログラム」と
90 年の節目のこの時を、歴史を振り返り、機械工学科の発展と機
して文部科学省より認められるという、誠に慶賀すべき出来事も
友会のこれからを考える機会に当てたいものであります。 ありました。
(機友会会長・機械工学科教授)
した後藤信二君の同じく NHK 収録ビデ
幸作先生)、思い出多き関敏郎先生、難波
稲田大学発展と会員の健勝を祈念して
オ」が大型スクリーンに投影され、喝采
正人先生、ふいご祭りと鳴らそう会演奏
エールの発声・唱和が声高らかにあっ
を博した。
風景、前川喜作氏寄贈の旧大隈会館の写
て、齋藤名誉教授の閉会の辞で目出度く
また、
「機友会の歴史を語る」プログラ
真、佐々木六造・西勝・国岡・佐々木洋子
解散。
ムとして、次ぎのような催しがあった。
さんたち事務所職員の写真などである。
総じていえる事は、集まり散じて人は
1.渡部寅次郎先生のご子息で昭和 26
3.機友会華やかな頃だろうか、1936 年
代れど .……早稲田人の絆であろう。集
年卒業の渡部陽氏が「池谷武雄先生と沖
完成とある「作詞/昭和 13 年卒の岡本
まり語り合うことは明日への期待と糧
巌先生を語る」と題して、絵手紙交換や
昌一、作曲/安井滋・土井(旧間)守人」に
になるに違いない。
ご両人の交友についてよもやま話をさ
よる「WME マーチ」が、梅津研 4 年生の
また、機友会 90 周年を記念して B5 判
れた。
曽根大助君のピアノ演奏によるテープ
192 頁からなる記念誌が発行され、当日
2.懐かしい昔日の写真が大型画面に披
が流され、当時を知る OB は懐かしく口
参加者に配布されたほか、OB 会員、学生
露された。披露されたのは、豊島園機友
ずさんでいたようである。
(解説・田島清
会員(会費納入者)及び関係者に送付さ
会運動会の高橋利衛先生(解説・河合素
灝先生)
れた。記念誌の内容は16頁を参照。
直先生)、齋藤孟先生と渡部先生(解説・
その後、機友会の現状紹介、各種機友
なお、在庫が若干ありご希望の方は事
齋藤孟先生)、奥村敦史先生・林郁彦先
会賞・機友会公認サークル紹介があり、
務局までお問合せを。
生・和田早苗先生の写真(解説・林郁彦
最後に昭和 35 年卒の小澤勝氏 指揮によ
先生)、その他ペルトン水車(解説・川上
って早稲田大学校歌の斉唱、機友会・早
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W.M.E Newsletter Vol.21
祝賀会
21世紀COEプログラムの
研究教育拠点採択の概要
�
講演
藤江 正克
�
� ���
機械工学専攻が中核となり生命理工
も再認識した次第です。
②学長を中心としたマネジメント体制
学専攻、物理学及応用物理学専攻、人間
「21 世紀 COE プログラムは、我が国
による指導力の下、個性的な将来計画
科学研究科健康科学専攻、理工学総合
の大学に世界最高水準の研究教育拠点
と強い実行力により、世界的な研究教
研究センターとの共同で提案した 「 超
を学問分野毎に形成し、研究水準の向
育拠点形成が期待できるもの
高齢社会におけるロボット技術と人の
上と世界をリードする創造的な人材育
③特色ある学問分野の開拓を通じて創
共生 」 が文科省より 「21 世紀 COE プロ
成を図るため、重点的な支援を行い、も
造的、画期的な成果が期待できるもの
グラム 」 として採択されたことは 90 周
って、国際競争力のある個性輝く大学
④ 21 世紀 COE プログラムで行う事業
年記念誌にご報告しましたが、ご欠席
づくりを推進することを目的としてい
が終了した後も、世界的な研究教育拠
の方もおられたので概要をご紹介致し
ます。研究拠点形成費補助金は、この学
点としての継続的な研究教育活動が期
ます。
問分野別に評価を行い、主として研究
待できるもの」
面においてポテンシャルの高い専攻等
と定義されているのですから。
本年の 「21 世紀 COE プログラム 」 で
が世界最高水準の研究教育拠点を形成
は 「 機械・土木・建築・その他の工学 」
するために必要とする経費を専攻等の
21 世紀に入り日本の社会は色々な側
分野に対して全国106件の応募中23件
研究者からなる研究グループに対して
面から閉塞感が強まっていることに対
が採択され、拠点リーダを仰せつかり
補助を行うもので、下記に該当する拠
して、研究・教育からの早稲田の機械
ました立場としては早稲田の機械の大
点に対して重点的支援を行う」ものと
に対する世の中の期待に応える案を議
きな存在を内外に示すことができたと
規定されております。
論しました。21 世紀の社会の姿とはあ
� ���
ホッと致しました。採択の色々なプロ
らゆる地域・世代の人々が参画する社
セスで改めて機友会構成メンバー各位
さらに①当該分野における研究上、
会と捉え、超高齢社会におけるロボッ
の底力を実感致しました。ちなみに、昨
優れた成果を挙げ、将来の発展性もあ
ト技術と人の共生研究拠点の形成を目
年と合せて早稲田大学は全 10 分野の合
り、高度な研究能力を有する人材育成
指すことにしました。図にこのような
計として 9 拠点が採択されたわけです
機能を持つ研究教育拠点の形成が期待
考え方を示します。ロボットというと
が、早稲田の中での機友会の偉大さを
できるもの
今はやりのアシモやアイボをイメージ
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しがちですが、早稲田のロボット技術
機械工学専攻・生命理工学専攻など理
拠点での研究成果は新文化・新産業
(RT)とは「知恵ある機械」を構築する技
工学研究科における基礎教育による機
を創出することは無論のこと、その次
術と定義しました。既に活発な研究を
械・情報・制御などの RT コア技術の習
世代文化・産業を担う意欲的な研究者・
推進してきたヒューマノイド研究所、
得をつねにコンカレントに活用できる
技術者育成が特徴ある最大の目標で
WABOT-HOUSE 研究所、モビリティ研
有機的体制を準備する予定です。
す。
「役に立つドクターの輩出」
です。上
究所、生命・生体・福祉研究所および東
拠点構成メンバー全員は、超高齢社
記のような研究・教育を通して、進取の
京女子医大との連携大学院などの研究
会に対する RT を用いた機械工学からの
気象に富む創造的研究者だけでなく学
活動を総合(拠点を形成)し、組織とし
貢献を念頭に基本構想提案Gr、ハー
位を持って世界をリードできる実践的
ての更なる成長と挑戦をはかり RT 社会
ドウェア提案Gr、ソフトウェア提案
高度技術者が育つと考えての提案が評
技術を体系化することにより恒常的国
Grの小グループでの十分な検討結果
価されたと伺っております。
際研究拠点とするつもりです。
を相互にフィードバックしつつ「次世
このような高度で創造性豊かな実践
教育についても、本拠点での医療・農
代ロボット共創技術の確立」に向けて
的エンジニアを育てることが、21 世紀
業・文化芸術・環境など幅広い社会基
研究・教育に取り組むことになるので
前半の早稲田の機械にもとめられてい
盤技術をプロジェクト推進を通した幅
す。
るのではないでしょうか。
広い共創教育 On research training と、
(機械工学科教授)
機友会90周年祝賀会に寄せて
60 年タイムスリップして
思うこと
ンダムにあげさせてもらうと、いつも時
理工系大学院に再入学し、研究テーマを
間通りに来講される沖先生、先生の「水
溶接による変形と発生する応力の低減
力学」
(岩波書店発行)は小生が社会人に
を解明しようと実験、測定、解析を行な
なってから、またリタイア後専門学校の
っていましたが、昭和 29 年に就職が決
久し振りに大隈講堂
教員をやっていたときにもよく参考に
まり、論文未完成のまま大学院を中退し
や鋳物研究所(各務記念
させて頂いたものです。数学では学院の
てしまったわけです。以後は会社人間と
材料技術研究所)の近く
前原先生、大学では竹刀を振り回してい
して追い付き追い越せの人生でしたが、
を通ると、突然 60 年ほ
た高橋先生、材力の山内先生、松浦先生、
近年ボランティア活動で目覚めたこと
松川 行雄
(昭和 26 年卒)
どタイムスリップして
機械設計の鈴木先生、自動制御の上田先
は、身近な現実にもどって次のようなこ
しまい、敗戦のどさくさの時代に学院へ
生、難波先生、熱力の柴山先生、自動車の
とです。
入学し、延々9 年間も早稲田界隈でうろ
渡部先生、関先生等々の面影が思い出さ
戦前は職業軍人におどかされ、近頃は
うろしていたことを思い出します。
れます。
職業政治屋におどらされているようで
まず機友会といえば、運動会で小生の
直接指導して頂いた横田先生につい
残念でなりません。リタイア後は世のた
前歯二本を献上したことです。目かくし
ては、卒論のテーマとしてハードフェイ
め人のためと思い、行政に協力をと思え
リレー競争の引継場所で次の走者と正
シング(溶着表面硬化)の基礎的な研究
ば思うほど、日本国のあり方が全く不安
面衝突し、上歯二本欠落、引継者は眉間
を実施することにして、米国文献の調査
定で心配です。このような時期には、政
を割られた状態になった記憶がよみが
や表面硬化用溶接棒の入手等々を行な
治家、役人を含めた、全国民の意識の改
えります。両者目かくし状態で不測の事
い、表面肉盛をしたテストピース用の磨
革を国民運動として盛り上げるべきと
態とはいえ、チャンバラの時代であれば
耗試験装置を試作し、実際の磨耗試験な
考えます。自民党をぶっこわす程度では
その場に直らされて打ち首のところだ
どを鋳研四階の横田研究室の分室(?)
話にならないわけで、ましてや何でも民
ったかもしれませんね。
で、戦後の甘味に飢えた学友と友人差し
営化すれば良いというようなことでも
真面目な話にもどりましょう。現在も
入れの甘納豆を期待しながら実験してい
なく、国民がそうだと納得できるような
親しくさせて頂いている先生方は別と
たことが昨日のようによみがえります。
哲学をもったニューリーダーの出現を
して、記憶に残る先生方としてアットラ
入社試験に失敗したのち、新築された
切に期待している今日このごろです。
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W.M.E Newsletter Vol.21
建設現場の機械屋から
善には 3 現主義(現場、現物、現実)が基
ものは免税で輸入出来る制度がありま
本であるといわれている。すなわち現場
した。私は日常会話とビジネス会話がや
の正確な現状把握である。私は、建設機
っとという状態で赴任、長期滞在用ホテ
現在も残されているかどうか分から
械生産者の狙いと現場の使用条件との
ルに一人で滞在し、アンモニアプラント
ないが、私が早稲田の機械工学科に在籍
ギャップを埋める役割、これが一番大切
のエンジニアリングと調達を依頼した
していた昭和 32∼36 年頃「つぶしがき
ではないかと考えている。実際、機械の
米国エンジニアリング会社の NY オフィ
くのは理系では機械工学科、文系では法
基礎知識を持って稼動機械を眺めるこ
スを訪問打ち合わせする日々でした。当
科」と学生仲間でいい伝えられていた。
とにより問題点の核心を把握できた場
時日本品については未だ安かろう、悪か
漠然とした考えだが、これは機械科や法
合が多かった。
ろうとの評価が残っていた時代でした。
科の卒業生の活動範囲が非常に広範囲
建設現場にあって、現場条件に適合し
ある日私の泊まっているホテルの前に
にわたることを意味するものと理解し
ない機械設備を投入されるほど困るこ
日本車が止められており , それが数日間
ていた。
とはない。作業員には苦労をかけるし、
も続いたのでホテルの人に聞くと何と
果たしてどうか? 私が卒業した昭
建設コストや工期を守ることにも大き
デモのために置いてあったということ
和 36 年は、安保騒動が一段落し、わが
く影響してくるからである。現場機械屋
でした。ハイウェーで日本車に乗ってい
国の高度経済成長期の始まりの時期と
が働くということは、文字通り「はたを
る米国人は、私が日本人であると判ると
重なる。幸運というべきか就職は引く手
らくにすること」になる。うまい設備が
無事に走っているよと知らせるかのよ
あまたの状態、程ほどの成績であればた
出来て作業員仲間を苦役から解放でき
うに手を振るそんな時代でした。
いてい何処かへ入社することが出来た。
た場に、経済効果もさることながら仲間
私は昭和 36 年から 5 年間 NY に滞在し
花形は、自動車、電機、精密機械、ケミカ
の喜びの顔を見、また、感謝されるとき
ましたが、その後半は何とか日本製品を
ルプラントエンジニアリング等の分野
ほど自己満足できることはなかった。
売り込むためにトランクにカタログ、サ
であったと記憶している。この期にあっ
機械分野を担当するものの活動範囲
ンプルを詰め込み、米国各地に出張、現
て、最低レベルの成績であった私は、先
は広く大きい。そしてそれぞれの分野で
地で Yellow Page Telephone Book
生の勧めもあって(実は工作機械や精密
何らかの役割を果たし、現代文明社会を
(職業別電話帳)を頼りにアポイントを
機械を希望したが)建設会社へ入ること
支える基をなしていると考える。私はた
取り付け、売り込みを続けました。三井、
となった。級友には、選りによって建設
またま青函トンネルや中国の三峡ダム
三菱と言っても通じない当時の米国に
会社へ行かなくともという助言を受け
工事の一部に係わり合いを持つことに
あって唯一の心の支えは品質、価格で米
たが何とかなるだろうとそのまま進む
なったが、このような大型工事も機械力
国品に負けないものを自分は売ろうと
ことになった。
を駆使してのみ成就できたものである。
している、自分は価値を与えるものを持
入社した建設会社は、土木分野が主体
縁の下の力持ち、機械屋に栄えあれ。
っているのだという強い気持でした。
白相 六郎
(昭和 36 年卒)
で、殊に山岳部のダムやトンネルを得意
5 年後帰国し、その後 10 数年間プラ
とする会社であった。入社早々、山中の
セールスエンジニアとして
ント機器の欧米向け輸出を担当し、昭和
ダム現場へ赴任することとなったが、そ
松尾 光庸(昭和 33 年卒)
58 年(1983 年)から平成 7 年(1995 年)
こでの第一印象は機械類が少ないとい
まで再度米国、今度は LA に赴任して米
うことと機械が粗末に扱われていると
私は外国での仕事がしたいと思い、昭
国子会社を立ち上げました。最初の米国
いうことであった。
和 33 年機械専門商社
赴任時代とは異なり、日本製自動車、家
実際、使われている機械はよく故障し
にセールスエンジニア
電が世界市場を席巻し、日本はもう米国
た。これは機械屋から見れば取り扱い方
として就職しました。
からは何も学ぶものは無いという驕り
が悪いから、すなわち設計者の意図せざ
時代は石炭化学から石
が見られた時代でありました。私のトラ
る使い方をするから壊れるのであるし、
油化学への移行期で、
ンクセールスの時代も終わり、現地人を
一方現場の使用者から見れば機械が現
入社後 3 年間、石油化学向けプロセス装
雇い、各種展示会に出展しエレクトロニ
場の要求事項を満たしていないと考え
置、機械の売り込みを担当し、昭和 36 年
クス関係製造機器の売り込みを行いま
る。機械の故障は、一般に設計者の思想
(1961 年)、石油を原料とするアンモニ
した。米国の 1980 年代は日本産業の国
と現場条件とがミスマッチングするた
アプラント向け機器買い付けのため NY
際競争力を徹底的に分析、また冷戦軍縮
めに発生する場合が多かったように思
へ単身赴任しました。
に伴い軍需産業の優秀な技術者が通信、
う。
当時日本で製造出来なかったバーナ
金融業界に流れ、1990 年代の IT 革命を
さて、つぶしのききすぎた現場機械屋
ー、耐火材、高圧ポンプ等 MITI、現経済
もたらす雌伏の期間でもありました。
の使命とは何か? 生産現場の品質改
産業省が重要産業機器として認定した
私はこの間、米国社会の成人教育のあ
W.M.E Newsletter Vol.21
page 6
り方に感銘を受けました。毎年、春・秋
米国勤務時代に関係の出来た米国メー
ような生き方もあるという一例として
に LA の場合 UCLA から部厚いセミスタ
カーの駐日代表としてマーケティング、
敢えて紹介させて頂きました。最後に機
ーの案内書が届き、あらゆる分野の成人
セールスに従事しております。私が何か
友会の益々の発展と関係者のご活躍を
学習講座が網羅されておりました。米国
与えられるものを持ち、それが必要とさ
祈ります。
人社会の生涯教育の思想を反映したも
れる間は仕事を続けたいと思っており
のです。私は会社を退職致しましたが、
ます。メカニカルエンジニアとしてこの
2003 年度 早稲田機友会賞(奨励賞)
2003 年度機友会賞の内、今回は特別賞は申請がなく、奨励賞について 1 月
27 日の理事会において承認されました。また、栄誉賞・奨学論文賞は現在
審査中です。
奨励賞受賞テーマ:ロボット(UDA 04)
機械工学科 2 年「基礎製図A」
「CAD−Y立体模型」
担当教員 山口 富士夫、富岡 淳、丹羽 三樹弥、西川 進
本年の奨励賞は7人の共同作業による、ロボット ( UDA04 ) の作成で、
7つの部分がそれぞれ組立てにより嵌合できるようになっているのが特
徴です。
受賞者: 池尻 達哉 ( 左脚 ) 遠藤 信綱 ( 左腕 ) 石津 陽平(背中)
笠井 淳 ( 頭 )
宇田 寿人(右腕) 林 昭宏(胸)
梅村 悠 ( 右脚)
2004 年度
早稲田機友会総会・機友会賞発表・
講演会・懇親会のご案内
2004 年度
ホームカミングデー・
稲門祭のご案内
2004 年度 早稲田機友会総会・幹事会・懇親会を下記によ
り開催いたします。会員各位にはご多忙中のことと存じ
本年の大学ホームカミングデー・稲門祭は
ますが、万障お繰り合わせの上是非ご出席下さいますよ
10 月 24 日 ( 日 ) 西早稲田キャンパスにおいて開
うお願いいたします。
催されます。
本年は昭和 30 年、昭和 35 年、昭和 45 年、昭
記
期 日:2004 年 4月 24 日
(土)
和 55 年 卒業・修了の方、及びそれぞれの同期
場 所:理工学部 57号館 201教室
入学で卒業年が異なる方が該当となります。
幹事会:13:00 ∼ 13:30
機友会ではホームカミング式典終了後、参
総 会:13:40 ∼ 14:30
加者による懇親会を設けております。詳細は
講演会:14:40 ∼ 15:10
「機械工学からの再生医療への挑戦」
梅津研 岩崎清隆氏
ニュースレターの次号でお知らせいたします。
また、該当者には会場確定後、ハガキでご案内
機友会賞発表:15:20 ∼ 16:00
いたします。
懇親会:16:00 ∼ 17:00 生協カフェテリア
会 費:無料
(機友会会費納入の方)
未納の方は当日申し受けます。
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W.M.E Newsletter Vol.21
状態にとなるのが常である。
「世界に強い」との目標からは未だほど遠
研究室紹介
いのが現状である。
浅川 基男
3.3年生夏期実験
夏期実験とは夏休みに行う3年生の研究、いわば「ミニ卒論」である。
1.はじめに
林郁彦研究室以来 40 年以上続く伝統行事である。今では「浅川研の夏
浅川研究室が創設されて、今年で8年目を迎える。私は 28 年間、産
期実験か」
「夏期実験の浅川研か」といわれるほど定着している。その
業界で研究・開発・生産・操業・企画に携わった後に、1996 年古巣の
ため通常の学生は「夏期実験」と聞いただけで敬遠し、浅川研究室を選
早稲田に戻った。
択することはまず無い。しかし、このような研究室を志願して入室す
研究室紹介の前提として大学教育の現状について簡単に触れてみた
る学生も例年少なからずいる。研究室選択のくじ引きに外れ、仕方な
い。文科省が 1977 年から始めた「ゆとり教育」の結果、今は小中高校の
く浅川研の夏期実験を強いられる気の毒な学生もいる。しかし、その
学習時間が当時の半分近くに削減された。日本の大学も世界の一流大
ような学生も夏休み後は浅川研の雰囲気にも徐々に馴染んで行く。
学における学習時間の半分ほどである。米国では 1960 年代初頭から
夏期実験は例年 6 月の終わりから 7 月のはじめに計画発表、7月末
「教育の自由」
「ゆとりの中での自己決定」
「選択科目の比率増大」路線を
の中間発表、そして短い盆休み後、再び機械実験室・工作室に通い、9
歩んだ結果、秩序のタガが外れ教育の荒廃を招いた。そこでレーガン
月末軽井沢・追分のセミナーハウスの最終発表会で締めくくる(図2)。
政権が教育改革を実行し「基本に返れ(Back to Basics)!」を推進して
卒業生も3年生の3ヶ月間の成果を激励するために駆けつけ、鋭い質
きた。今の米国における教育再生のキーワードは「ゼロ・トレランス」
問を投げかける。本人には厳しい夏休みであるが、その効用は計り知
である。これは産業界でよく使う「不良品を出荷しない」との語源だが、
れない。まず、短期間に膨大なデーターと格闘するため集中力が養成
教育では「校則を厳格に守らせる」という意味でもある。所定の単位を
される、3年から実験や発表の経験を積むため4月からの卒論研究の
落としたら進級させない、就職させない、当たり前のことを当たり前
着手が格段に早い(浅川研では3月から卒論の企画発表開始)、研究内
にやることである。
容を把握できるため自分で納得した卒論テーマを選べる、実質的に3
図1に示すように産業界では商品に不良品が発生したらすぐさま引
年の後期から始まる就職活動に際し研究内容を理解しているため就職
き取り、修理するか新品と交換することが常識である。一方、教育界は
面談で好印象を与えられる等々である。
品質不良の学生を出荷しても社会からペナルティを課せられることは
私から見ても大学生のあどけない顔が一皮むけ、逞しいエンジニア
ない。ここでいう品質不良の学生とは、単位不足に限定した比喩的な
の面構えになって行くのがわかる。卒業生のほとんどは「未見の我」を
意味であることはいうまでもない。私の目から見ると、ざっくり言っ
体験した夏期実験を自分の原点として懐かしむ。今後ともこの制度は
て半分弱の学生は4年間で卒業できる品質に到達しているかどうか怪
維持して行きたい。
しい。このごろは、就職試験で「学校推薦」の学生が落ちてくる傾向が
増加しつつある。大学が発行する「学校推薦状」が社会からもはや信用
4.浅川研の研究ポリシー
されなくなっている。某メーカーが「機械工学科の学生たるものは少
浅川研究室では創室以来「①独創的か? ②学術的に高度化か? なくともこれだけは勉強しておいて欲しい」と履修すべき専門科目を
③社会に役立つか?」のいずれかに合致する研究成果を挙げることを
公表したことは、大学教育への警鐘ととらえる必要がある。このよう
目標に掲げている。この3つが同時に達成できる三冠王のテーマが理
な大学教育の背景にある学生が、研究室へ期待と不安を抱きながら入
想的である。テーマは提示するが、何をやるかは学生が選択すること
室するのが現状である。
にしているため、やらされているとの言い訳はできない。
生産・加工技術、機械構造用・機能性材料、塑性加工、弾塑性力学、材
2.浅川研の教育ポリシー
料力学、数値シミュレーションなど力学と材料学をベースとして新し
以上のような危機感から私の研究室も「教育と躾」におのずと気合い
い生産・加工プロセス、新しい機械材料の研究開発に取り組んでいる。
が入らざるを得ない。それが学生には、厳しい研究室として映るよう
すなわち、自動車、鉄道、航空宇宙、電子電気機器、産業機械を構成す
で、真偽は別として「浅川研は最もきつい研究室のひとつ」と評判が立
る重要機械部材の力学的・材料学的に最適な生産・加工プロセスを究
っている。実際、2年生までに怠け癖が染み付いた学生には浅川研の
明することにより、部材の高機能化、高強度化、高精度化を推進してい
る。産業界の屋台骨を支える基盤的・先端的技術であり、多くのテーマ
「教育と躾」はかなりつらいと思う。
浅川研創設以来、教育ポリシーとして「①足腰が強い、②頭が強い、
が企業との共同あるいは受託研究となっている。例えば、①髪の毛よ
③世界に強い」エンジニアの育成を目指している。
「足腰が強い」とは
りも細い電子機器用バネやリード線の力学的・材料学的にマイクロ部
問題があったらすぐ現場に飛んでモノに触る、実験する、工作すると
品特性の究明、②高張力鋼・マグネシウム材料および対向液圧・ハイ
いった動きの速さや現場・現物を重要視する姿勢である。
「頭が強い」
ドロフォームなど自動車用重要構造部材の材料・加工特性の究明、③
とは課題を見つけたら決してあきらめない、執念深く追求する姿勢で
世界一真っ直ぐなシャフト、ワイヤー矯正、形材の曲げ加工への挑戦、
ある。頭の良さは本人の努力ではどうしようもないが、頭の強さは訓
③新幹線や自動車のアクティヴサスペンション、ホームオートメーシ
練でいかようにも伸ばすことができる。エンジニアに必要なのは頭の
ョン、精密機械の測長用磁気スケールの開発とインテリジェント材料
良さではなく、頭の強さだからだ。
「世界に強い」とは隣にいる学生と
の不思議を解明、④実験に加え弾塑性有限要素法によるプロセスの可
の競い合いではなく、世界の若者に伍して活躍できる実力を蓄えると
視化・シミュレーションにより成形加工の本質追求と生産加工技術の
いう意味である。毎年数名の大学院生が海外での国際学会講演発表や
デジタル化などである。卒・修論発表後は各企業のエンジニアと技術
米国 Lehigh 大学(小職の在外研究先)との交流会に参加している。修士
討論会、特許申請、国内・海外発表および論文投稿などを行っている。
の学生は英文による論文執筆、英語によるプレゼンテーションまでは
また学生自身が学生奨励賞、新進賞、論文賞、技術賞など多数受賞して
何とか持ちこたえるが、現地の質疑応答では頭の中が真っ白、棒立ち
いる。
W.M.E Newsletter Vol.21
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5.具体的研究テーマの紹介
(1)棒線孔型圧延 FEM 解析システムの構築(図3):FEM(3次元有限
要素法)の基礎知識が無くとも、現場の技術者がパソコンの GUI 画面の
簡単な操作により、棒・線を延伸させる孔型圧延の変形(幅広がり、ひ
ずみ)や負荷(圧延荷重・トルク、圧力分布)状態を算出・表示すること
ができるシステムを東大生産研、高炉・特殊鋼メーカと共同で開発。さ
らに、2方ロール、3方ロール棒線圧延における「孔型内における倒れ
現象」を理論的、実験的に追求している。
(2)棒線引抜きにおける残留応力低減の研究:引抜き工程で発生する
材料表層の引張り残留応力は真直性を悪くさせ、疲労強度を低下させ
る原因になる。ダイス形状、引抜き条件と残留応力の関係を追求し、引
張り残留応力の低減のみならず圧縮残留応力を積極的に付与する部材
の研究を推進中。
(3)棒線高真直化の研究:OA 機器、精密機械、自動車用に使用される
シャフトには高い真直性が要求される。2ロール矯正法、ローラーレ
ベラー法などを実験および弾塑性理論により究明、高真直なシャフト
や線材の確立を目指す。また電子材料に使用される 100 μ m 以下の極
細線の真直向上や建設・土木あるいは精密機器に使用される形材の真
直化と曲げを研究中。
(4)高張力鋼板を用いた成形加工の研究:通常の 40 キロ級から 120 キ
ロ級の高張力鋼板はスプリングバックが大きく実用上のプレス成形が
きわめて難しい。一発必中設計を狙い、実物の実験および弾塑性理論
に基づいた型設計法や材料割れを防ぐ工程設計に重点を置き研究して
いる。
(5)ひずみ誘起変態を利用した磁気記録材の開発研究(図4):特殊な
オーステナイト鋼(非磁性)にひずみを与えマルテンサイト化(磁性)す
ることを応用、一部実用化した。さらに分解能が数マイクロ以下にし
た低コスト型測長器を開発中。
(6)表面加工層の研究:機械部材の多くは表層数十ミクロンの性質・
機能を巧みに利用しているにすぎない。圧延、引抜き、鍛造、切断にお
ける表面層は特別に強いせん断変形を受けると結晶の微細化、表面の
超平滑化が生じる。この現象を基礎的に究明し、各種機械部材に応用・
発展させる。
(7)マグネシウム合金の加工特性の究明(図5)
:棒線の圧延、鍛造にお
けるマグネシウム合金の温間加工法の究明と材料特性を産総研と共同
研究中。
(8)弾塑性有限要素法によるプロセスの可視化・シミュレーションに
より成形加工の本質追求と生産加工技術のデジタル化の研究:静的陽
解法 FEM による自動車用チューブハイドロフォーミング、対向液圧成
形を理化学研究所と共同研究中。
(9)本年からの新テーマ:「硬さ計から引張り試験をせずに、機械的性
質を推定する基礎的研究」
「マイクロカセット・ローラーダイスによる
難加工極細線の製造方法の研究」に着手している。
6.おわりに
入学試験の成績と大学の成績に相関がないことがデーターで証明さ
れている。また大学の成績と卒・修論の成果にも相関はあまりない。卒
論・修論も一年間は目に見える進捗や成果を見せず「もうだめか!」と
諦めかけていたところ、最後の数ヶ月で劇的な展開や行動力を示すこ
とが少なくない。若い年代は実績を示すプロットが全くないか、あっ
ても数点しかなく、能力を見極める線図を引くこと自体が難しい。い
わんや線図の外挿、すなわち卒業後の活躍度を判断することは不可能
に近い。このことが、指導教員の苦労の種であり、楽しみでもある。
(機械工学科教授)
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W.M.E Newsletter Vol.21
機友会主催「パネルディスカッション」
「変革の時代
仕事を
どう選ぶか、
何をなすべきか」
下記により「パネルディスカッション」が就職控えた学生・院生諸君の
パネリスト(敬称略)
参加のもとに開催された。
日立エッチ・ビー・エム(株) 顧問 曽田 行美(S34)
日 時;11月29日(土) 13:00 ∼ 16:00
日野自動車(株) 技術研究所 所長 新倉 孝昭(S47) (株)竹中工務店 生産本部 部長 坪田 章 (S54)
場 所;理工学部 57号館 2F 201教室
JFEスチール/JFEエンジニア(株)製鋼整備課 課長 黒木 隆(S57)
テーマ;
「変革の時代 仕事をどう選ぶか、何をなすべきか」
機械工学科 就職担当教授 永田 勝也(S42)
司会 機械工学科教授 浅川 基男(S41)
写真 右より、永田教授、曽田顧問、新倉所長、坪田部長、黒木課長の各氏
パネルディスカッションに
いる人材であるということがパネリストの諸先輩方の共通した意見で
した。
参加して
榎本 光宏 ( 富岡研究室 学部 4 年 )
そういった中で「仕事をどう選ぶか」について、我々学生の立場に立
って親身に語ってくださいました。多くの学生にとって「やりたいこ
とを見つける」ということは難しい問題であり、同時に「会社でやりた
かった仕事をしている」という人間はごく少数ではないかということ
「変革の時代 仕事をどう選ぶか、何をなすべきか」をテーマにし、今
をおっしゃっていました。
「これがしたい」という意志を持っているの
年も企業によるパネルディスカッションが開催されました。大学院へ
ならば言うことは無い、しかしそうでないならば自分の価値観を考え
の進学という選択をした私でしたが、今後就職活動を行ううえで、ど
るということが重要であり、具体的には社会への貢献と自分への利益
のような考えで仕事を選ぶべきか、企業や社会はどのような人材を求
という2つの面で自分の価値観と近い企業を見つけるということ、さ
めているか、また社会人としてどのような心構えを持つべきなのかを
らには 10 年後、20 年後の自分を想像し、そのイメージを実現すること
学び取るためパネルディスカッションに参加しました。
のできる企業を見つけ出すということを提案されていました。また、
まず、機械工学を専門分野とし、
「変革の時代」を生きる我々が就職
自分の意志を明確に持ちながらも、やりたいこと以外の仕事に熱意を
活動をするうえで、今後方向性の変わらない職業分野は無いのだとい
持って携われるかということも重要であり、前向きで生産的な考えを
うことを改めて認識しなければならないとのことでした。
「企業に安
持ってほしいとおっしゃっていました。パネリストの諸先輩方の経歴
定的な偏差値は無い」という言葉も使われておりましたが、発展と衰
を見ると就職後に開発、研究のみでなく営業職を経るなどして、実に
退の著しい「変革の時代」において企業は常に変遷を繰り返し続けてい
様々な職種に携わってこられた方ばかりでした。しかし職種が変わっ
るのだとおっしゃっていました。またその変遷の周期はより加速して
ても熱意を持って仕事をされており、そういった方々の言葉は実際に
おり、現在注目されている産業についてもその変遷を見極めなければ
社会で経験されてきたことから見出された重みのある言葉であると感
ならないということでした。しかしながら、その中でも過去、現在そし
じました。将来自分が社会にどれだけ貢献できるのかについて深く考
て未来においても唯一不変と言えることは、日本という国が「資源は
えなければならないと思うと同時に、仕事に携わることへの心構えを
無いが技術は有る」という加工貿易主体の国であるということでした。
学びました。
したがってモノを作れるエンジニアを目指すことの重要性、さらにそ
また「仕事をどう選ぶか」について、
「変革の時代」と言われる現在を
の中で求められる人材とは、自分の専門分野を持ちながら、そこから
どのように評価するのかが重要であるとおっしゃっていました。具体
新しい発想や創造性を持つ人材であり、自分の独自性を明確に持って
的には日本の生産業について古くは生産性の向上の時代から始まり、
W.M.E Newsletter Vol.21
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需要創造、製品品質向上、市場個別の充実、満足志向の時代を経て現在
て、新しい考えを取り入れるためということが挙げられました。利益
に至り、10 年後、20 年後に今この時代を一言で評価するならばどのよ
を求める企業の発展には技術の革新が求められるところであり、脈々
うに評価するのであろうかということを考えなければならないという
と受け継がれてきた技術に付加する新しい考えこそが新入社員に求
ことでした。それを見極めることが「変革の時代」の就職活動を有益な
め、期待するところであるとおっしゃっていました。したがって、知識
ものとすることであるとおっしゃっていました。坪田章氏は現在を「足
に裏づけされた新しい考えを持って仕事に携わってもらいたい、その
るを知る社会」または「社会満足」の時代であると評価されていました。
ための基礎知識は学生のうちに身につけて欲しいとのことでした。ま
また、現在だけでなく 10 年後の社会がどのような評価になるのかと
た、
「変革の時代」とは裏を返せば国際化の時代であり日常的な英会話
いう予測をすることも重要であると語られており、先見性を養わなけ
ができることは必須と言って良く、ディベートできるような英会話能
ればならないことを教えていただきました。
力が必要とされているというのがパネリストの諸先輩方の共通の意見
次にそのためには今「何をなすべきか」ということについて、学生と
でした。そのような工学的な基礎知識や英会話能力などの学力を自分
して今やるべきこととして基礎的な工学の知識を身に付けておくこと
で身につけることのできる人間、つまり「自分を磨くことのできる人
は勿論であるが、卒業論文に力を入れて取り組むことが重要であると
間」が求められる人材であり、企業が期待する人材であるということ
おっしゃっていました。現在私が卒業論文の研究に取り組んでいたこ
をおっしゃっていました。
「自分を磨くことのできる人間」となること
ともありますが、この卒業論文の取り組みが重要であると強く指摘さ
は今後の学生生活や社会に出てからのだけでなく、常に課題としてい
れていたことが大変印象的でした。卒業論文の計画から組み立て、そ
かなければならないと感じました。
して完成へと導くプロセスは就職後の仕事のプロセスと同様であり、
今回のパネルディスカッションに参加して実体験に基づく貴重な話
社会に出たときに必ず役立つ経験であるため力を入れて取り組むべき
や意見を多数聞くことができました。その言葉のどれもが私にとって
であるとのことでした。学生として今やるべきことを考えると様々な
新鮮であり、大変感銘を受けました。エンジニアとして社会に貢献す
ことが頭をよぎり、何が重要であるかを見失いがちになってしまいま
るためには、どのように仕事を選び、学生である今何をなすべきなの
すが、この卒業論文の取り組みということが私にとって大きな指針と
かということを改めて考えなければならないと感じました。この「変
なりました。問題を見極め、解決方法を論理的に考え、そして解決へと
革の時代」であるからこそ自分のやりたいこと、できること、そして今
導く思考力を養うことを卒業論文着手の中で学び取っていきたいと思
何をしなければならないのかを認識し、今後の就職活動に臨まなけれ
います。
ばならないと思いました。
最後に企業が新入社員に対して何を期待するのかという質問に対し
OBから見た研究室紹介
「和」がある研究室 勝田研究室
べ サンチョル
裵 相哲 (平成15年院)
ゼミ合宿などの研究室行事やさまざまな飲み
会により深くなり、お互いをよく分かち合え
るようになります。このような普段生活での
<はじめに>
れているヒートパイプの伝熱特性把握、極低
室員同士の円滑なコミュニケーションは各研
私は 1996 年、勝田研の一員に
温用冷凍機である熱音響冷凍機、Pulse Tube
究班の研究成果にも生かされているのです。
なり、博士後期課程を含めて7
冷凍機や Starling 冷凍機と、熱駆動型水素吸
<研究と信頼>
年間、勝田先生の下で学んだ韓
蔵合金冷凍機などの熱機器の最適設計・製作、
勝田研では、学部4年生は新入社員のよう
国人留学生の OB です。
2003 年 5 月からは、早
また、それら熱機器の環境への影響をも含め
な経験が、M1は研究室すべての行事を主催
稲田で学び、行った水素吸蔵合金に関する研
た性能評価指標の確立であります。最近は、固
するなど研究室を有機体として円滑に動かせ
究を水素エネルギーへ広げて佐賀大学海洋エ
体高分子型燃料電池や水素貯蔵容器としての
るための裏方的な仕事をやる経験が、M2は
ネルギー研究センターの講師として勤めてお
水素吸蔵合金充填容器の利用などの 21 世紀
会社の開発プロジェクト責任者のような経験
ります。
の親環境型エネルギー源として注目されてい
ができます。勝田先生は学生たちの能力と努
1982 年 4 月、勝田先生が早稲田の講師にな
る水素エネルギー関連の研究も進めていると
力を信じ、日ごろから研究結果に関する責任
られてから数えますと、勝田研の歴史も新年
ころです。
は私が取るから失敗を恐れずに研究しましょ
で 23 年目になります。従って、私の研究室先
<研究室の雰囲気>
うとおっしゃっておられます。従って、勝田研
輩もたくさんいらっしゃるわけであり、この
早稲田の機械工学科の雰囲気がそうである
のみんなは日々生き生き、研究に励んでおり
ように勝田研究室紹介原稿を私が作成するに
かもしれませんが、研究室の中にある勝田先
ます。
は少しの戸惑いもありました。しかし、留学生
生の部屋のように、先生と学生の間に壁もド
また、私のような外国からの留学生には、ビ
という立場からの紹介も含めてとのことと理
アもない、
「和」
がある研究室です。昼や夜の食
ザを申請するのも、部屋を探すのも、保証人を
解し、紹介文を書きます。
事の時、学食や大久保キャンパス周りの食堂
探すのも、大変な仕事です。しかし、勝田先生
<研究分野>
で普段見かけることができる、学生たちと話
自ら保証人になってくださる温かい計らいと
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
し合いながら楽しく食事をしている先生が勝
研究室先輩、後輩のお助けがあって苦労なく、
勝田研の主な研究領域は、環境にやさしい冷
田先生です。学部 3 年生のとき、研究ゼミに配
研究に集中することができました。これも勝
凍・空調機器用冷媒(HFC系、
CO2など)の伝熱
属されてから始まる研究室内の学生同士の付
田研の一員であって味わえた幸福であったと
特性把握 ( 冷凍機油や配管分岐の影響も含め
き合いも、勝田先生の積極的な参加の下で年
思います。
て )、電子精密機器の冷却チュールとして使わ
間行われるお花見大会、スポーツ大会、2 回の
page 11
(佐賀大学海洋エネルギー研究センター講師)
W.M.E Newsletter Vol.21
頑張るWME会員
衆議院議員に当選して
1 年半勤めて衆議院議員に初当選しました。
宇佐美 登(平成1年卒)
現実に国会で活動してみて痛感したのは、い
「苦節7年!国政に再登板」
会議員になれるのかもわからずにいました。
わゆる理系の議員が少ない、高齢の議員が多
昨年の総選挙で7年ぶり
そんな時にバッタリと出会ったのが松下政経
い、先端技術に全く目が向けられていない、と
に衆議院議員に復活をする
塾の新聞広告でした。
いうことです。
ことができました。冒頭、同
当選直後に「携帯電話の自由化」を同僚議員
窓の皆様のお力添えに心よ
●土屋先生のひとこと
に訴えても「??」でしたし、インターネット
り御礼を申し上げます。
土屋研は、制御の中でも特に人工心臓など
や電子メールなどについても、社会の中で最
さて、今はどうかわかりませんが、私が大学
医療工学を得意としていましたが、とりわけ
も遅れているのが国会議員ではないかという
に進学した頃には、
「機械工学科は何にでもつ
私は
「マンマシン・インターフェイスにおける
ほど誰も手をつけていませんでした。技術に
ぶしがきく」と言われていました。しかし、残
ストレスの定量化と血液の変化」という機械
目を向けていないのですから、新産業に対す
念ながら事務局の方によると私が機友会では
工学科とは容易に想像できないような卒論テ
る予算をつけようとか育てようという発想も
唯一の国会議員だそうですし、約 15 年間私も
ーマをやらせてもらいました。
もちろん出てきません。
政治に携わってきましたが未だに地方議員も
土屋先生は、この年に機械工学科の就職指
現在の小泉総理も全く産業政策を打ち出し
含めて機友会出身の政治家の方にはお会いで
導担当もされていたのですが、最初の説明会
ませんから、ベンチャー精神あふれる人たち
きていませんので、政治分野に来られている
冒頭で「判断や決断は日々の生活の中にも山
がどこの分野に参入すればいいのかがよくわ
方がほとんどいないのだと思います。
ほどある。昼食に何を食べるかとか、どうや
かりません。90 年代初頭、クリントン大統領
是非、この機会に理系の発想と頭を持って
って学校に通学するかなど。このように経験
が
「IT、航空宇宙、バイオ」
とはっきりと産業政
いる皆様に政治を志して頂けたらと思い、私
もあり、その積み重ねでどうなるかを予測で
策を打ち出し、米国経済の再生の起爆剤とな
が議員になった経緯をお話させて頂きます。
きる事柄について日々の小さな判断がとても
ったのとは対照的です。
大切であり、しっかりと考え実行すべきであ
また、国会運営も未だ大正時代のままです。
●学生時代
る。就職や結婚など経験したことが無く、好き
例えば、最も大切な採決を押しボタン式にす
大田区の典型的な零細・町工場の息子であ
な会社に就職したからといって上司が悪い可
ることすら衆議院ではできていません。全て
る私が、政治を目指したのは大学在学中でし
能性があるなど、結果がほとんど予測できな
の法案に対して誰が賛成したのか反対したの
た。高等学院の時代に
「せっかく大学受験が無
いような事柄については、エイヤーと決めて
かそれとも棄権したのかがわかるようにすべ
いのだから何かやろう」と考えて司法試験を
しまうしかないんだ。」という素晴らしい話を
きです。そうでなければ次の選挙の時に有権
目指したのですが、判例集を読んでいくうち
されました。その言葉にまさに
「我が意を得た
者が判断する材料が激減してしまいます。
に、あまりに血が通っていない判決ばかりに
り」
と感じた私は、エイヤーと松下政経塾の入
怒りと挫折を覚え、結局小さい頃からの夢だ
塾試験を受けることを決意しました。
ったモノづくりをしたくて、理工学部を選び
●政治は壮大な制御系
有権者は選挙を通じて政治家を制御するは
ました。
●松下政経塾
ずなのですが、自分たちの意思が反映されて
といっても学院時代から成績はクラスでい
「松下政経塾って?」と今でもよく聞かれる
いないように感じて4割近くの人が選挙に参
つもビリを争っていましたから、大学の授業
のですが、ひとことで言えば、
「21 世紀の政治
加していません。一方、政治の側も国民生活や
は初日からチンプンカンプン。その上、4年間
経済のリーダーを養成する」
ことを目標に、松
産業・経済の実態をしっかりと把握しながら
で卒論以外、全くといっていいほど勉強しな
下幸之助の個人資産約 70 億円と賛同する企
未来に向かっての政策を打ち出していかなけ
かったのですから、どうして大学を卒業がで
業・個人の約 50 億円の寄付を基本財産として
ればならないのに、できていないのが現状で
きたのか今でもよくわからないのです。いろ
1979 年に設立された財団法人です。入塾資格
す。政府与党の年金改革案をみてもシステム
いろな意味で友達や先輩に助けて頂いたから
は 35 歳ぐらいまでの男女で、面接試験が主体
が破綻しているにも関わらず、小手先の改革
だ・・・・・と感謝しております。
ですが
「IQ より愛嬌」
がその基準と言われてい
ですから国民は信ずる気にもなりません。
3年生からは、一番人気であった制御コー
ます。また、塾といっていますが学校や学習塾
世の中にある最もうまくいっていない制御
スの土屋喜一研究室に運よく(当時は成績に
のように授業料を払うのではなくて、最低限
システムが現在の政治ですが、フィードバッ
関係なくクジ引きでした)
入ることができ、土
の生活を立てるための研修資金を支給してく
クとフィードフォワード制御が効果的に機能
屋先生はもとより出向研究先の杏林大学の
れます。
(当時はひと月 135,000 円。最近は 20
するようなシステムに変えていきたいと思っ
伊藤先生や嶋津先生から可愛がって頂きまし
万円ぐらいだそうです)
ています。
た。
自習自得が基本ですので、最初の半年ぐら
ちょうどこの頃、
「司法が悪いのではなく
いの共通カリキュラム以外は自ら計画を立て
て、判断する基準である法律が悪いんだ。で
それを実行していきます。現在は 3 年間で卒
は、法律を変えよう。それは立法府の仕事だ。
塾となります。
昭和 42 年東京都大田区生まれ。父親の町工場を手伝いながら、早
稲田大学理工学部、
( 財 ) 松下政経塾を経て、平成 5 年 26 歳で衆議
院議員に初当選。携帯電話の自由化や長良川河口堰などの無駄な
公共事業にメスを入れる。ムルロア環礁での仏の核実験に抗議、
25 歳(被選挙権)を過ぎた最初の総選挙に出
仏軍に一時拘束されたことも。平成 15 年東京4区(大田区)より
て衆議院議員になる」と勝手に自分で思い込
●国会活動
み始めました。ただ、現実的にはどうすれば国
さて、政経塾を卒塾した後、代議士秘書を約
W.M.E Newsletter Vol.21
・プロフィール
2期目に当選。現在、内閣委員会・筆頭理事。モットーは
「痛みを
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ともなう改革は政治家と役員から」
私の大学事情
−機械・電子にも通じたバイオ技術者−
∼東京工科大学∼ 苗村 潔 (平成7年院)
学校法人片柳学園は東京工科大学と日本工学
院専門学校(蒲田、八王子、北海道)を運営してい
ます。片柳鴻理事長は戦争復員後、時代を先取り
した技術・芸術の専門学校を 1947 年から蒲田の
地で経営し、1986 年に東京都八王子市の国道 16
号線沿いの 36 万 m2 丘陵地に東京工科大学を開
学しました。
キャンパスは中央のスロープを軸に線対称を基本に、近未来的な
建物が整然と配置されています。 キャンパス内の建物とレイア
ウトは芸術家でもある理事長が全面的に設計し、外国からの要人
を受け入れるための日本庭園、宿泊施設も整備されています。
開学時は工学部(電子工学科、情報工学科、機械制御工学科、情
報通信工学科)のみでしたが、1999 年にメディア学部が開設され
ました。その後、バイオ、IT を中心に据えたバイオニクス学部、コ
ンピュータサイエンス学部が 2003 年 4 月に開設(工学部を発展的
に改組)されました。工学部の教員だけでなく新規にバイオ、IT 関
います。7 階から 10 階には独立行政法人産業技術総合研究所バイ
オニクス研究センターが設置され、プロテインシステムチップ、
グルコースセンサ、環境モニタ関連の連携プロジェクトが進行し
ています。これは、バイオニクス学部長の軽部征夫教授がセンタ
ー長を兼任しているために実現しました。
筆者は機械工学科梅津光生教授の研究室で医工学を学び、東京
大学でヘルスケア情報機器、東京女子医科大学にて手術用メカト
ロニクスを手がけ、バイオニクス学部開設と同時に着任しました。
現在、家畜臓器を用いた病態モデルによる治療支援機器開発や、
細胞・分子生物レベルで高精度にガン細胞摘出を実現する技術開
発などを目指しています。
バイオニクス学部で育った「機械・電子にも通じたバイオ技術
者」一期生 420 人は 2007 年 4 月に社会に飛び立ちます。機友会の
先輩方におかれましては、この機会に東京工科大学バイオニクス
学部を知って頂き、ご支援頂ければ幸いです。見学は随時受け付
けておりますので、広報へ遠慮なくご連絡下さい。その際、
「バイ
オの苗村」と一言添えて頂ければ、私が更に詳しくご案内致しま
すので、よろしくお願い申し上げます。
(東京工科大学バイオニクス学部講師)http://www.teu.ac.jp
連の教員が企業研究者も多く含めて合計 20 名以上採用されまし
た。
学生は東京都、神奈川県、埼玉県の自宅からの通学が殆どで、全
国的な知名度はまだ高くありません。研究設備のみならず、食に
関する厚生施設も充実しています。学内に多数の外食産業(スエ
ヒロ、マクドナルド、吉野家、ドトールコーヒーなど)が入ってい
ます。機械系の研究教育はバイオニクス学部で行なわれています。
バイオニクス学部は主に、16 階建ての新築棟で研究教育が行な
われています。この建物は地下 1 階から 6 階までに教員(43 人)の
研究室と教室、共通設備(バイオ分析機器、加工機器など)があり、
7 階から 14 階は産官学共同研究のためのフロア、15 階が会議室、
16 階はバンケットルームとして、学会の懇親会なども開催されて
機友会事務局よりお知らせとお願い
1 . 機友会E:mailアドレスが変更になりました。
3.住所・勤務先等変更の折にはご連絡ください
[email protected] から [email protected] ヘ変更
当 方 か ら の 調 査 は 思 う よ う に ま い り ま せ ん 。事 務 局( F a x 03-3205-9727)までご一報下さい。
2.会費納入のお願い
機友会会費の納入がよくありません、会員各位の納入年度は封筒
4.機友会運営、HP運営、WMEニュースレター編集、その他企
宛名ラベルに記載してあります。機友会では未納年度の遡及はい
画関係全般に亘りご意見をお待ちしております。
たしません。未納の方は是非郵便振替にてお振込み下さい。
振替納入以外には
WMEニュースレター掲載原稿募集
りそな銀行 新宿支店 普通口座 No 1375963
クラス会・研究室等会合の様子をお寄せ下さい。
東京三菱銀行 新宿支店 普通口座 No 2460079
次回発行は9月 25 日です、字数は 800 ∼ 1350 字程度でお願いし
があります 。 この場合、同姓同名の方が居られます、3 桁の数字で
ます。特に締切り日は設けませんが、掲載予定を含みお送り下さ
あります卒年と氏名(カナ)を必ず記載して下さい。
い。
この他、銀行・郵便局からの自動引落方法もあります。お申出下さ
原稿の書式は A4紙 打出し、
FD(word)にてお願いします。
い、用紙を送ります。尚、本年度から会費免除会員は、昭和 30 年 3
送付先:早稲田機友会事務局
月卒業の方々です。
E mail:[email protected] まで
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W.M.E Newsletter Vol.21
機友会ホームページ
機友会ホームページ
機友会ホームページ掲示板活用のお願い
リニューアル化にあたって
会員各位に知らせたい情報、クラス会・研究室OB会開催通知などの
掲載に、ホームページを活発に活用してください。直接掲載されなく
2001 年に立ち上げた機友会ホームページも3年経過しました。これま
での推移を考慮して、今回リニューアル化をはかることといたしまし
た。
トップページは一般公開で誰でも閲覧できますが、次に会費を納入し
て OB 会員が閲覧できる会員専用ページ、学生会費を納入している学
生会員が閲覧できる学生専用ページに分かれています。
ても、[email protected]に
原稿を送付ください。事務局で掲載いたします。
機友会ホームページ
アクセスの方法
お手持ちのパソコンでインターネットに接続し、
1. 機友会事務局より送付いたしました「機友会ホームページI D・パ
1. 一般公開トップページ
機友会の紹介、会員制度について、機友会ホームページの利用規約、機
友会賞案内、WME ニュースレター、活動スケジュール、研究室紹介、就
職関連情報、学生サークル活動など。殆どが一般公開メニューとして
トップページに掲載され、一層見やすくなりました。
スワードのお知らせ」をご用意ください。
2. インターネットブラウザに「http://www.wme.gr.jp」を入力して機
友会HPをご参照ください。
3. 画面下部の中央部に「学生専用ページ」または「OB専用ページ」と
記したボタンをクリックしてください。
2. OB会員専用ページ
会員名簿、掲示板、キャリア人材募集情報、大学の最新情報など。
3. 学生専用ページ
4.「ユーザ ID、パスワード」の入力画面が表示されますので、ユーザID、
パスワードを入力し「OK」をクリックしてください。
5. 英字の大文字、小文字や0「ゼロ」、O「オー」の誤りにご注意くださ
就職情報、就職担当教員からの連絡など。
い。
6. 図はリニューアル化された機友会 HP 階層図です。
OB
What s
New
INDEX
HP
INDEX
WME
INDEX
INDEX
E -mail
IND EX
INDEX
W.M.E Newsletter Vol.21
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機友会 90周年祝賀会寄付者一覧(敬称略)
卒年
昭和 17
昭和 18
昭和 18
昭和 19
昭和 20
昭和 22
昭和 22
昭和 23
昭和 24
昭和 27
昭和 28
昭和 29
昭和 29
昭和 30
昭和 30
昭和 30
昭和 32
昭和 33
昭和 34
昭和 34
昭和 34
昭和 35
昭和 35
ご氏名
野口 寛
小川 善次郎
片岡 一雄
土橋 正道
近江 俊夫
木原 信敏
田村 政雄
山田 正明
内海 健一
杉島 和三郎
森賀 淳介
石橋 悌二
久保田 清三
鈴木 孝
福井 郁三
山辺 尚
網野 功
中沢 和之
新井 克
綱島 巌
山口 富士夫
泉 知明
平野 良
研究室
渡辺
山内
稲田
渡部
稲田
横田
中野
関
渡部
山内
難波
横田
奥村
齋藤
松浦
昭和38
昭和38
昭和41
昭和41
昭和42
昭和51
昭和56
平成 3
大島 義邦
城川 昂雄
浅川 基男
真下 芳隆
相良 久男
武藤 寛
菅野 重樹
光川 利弘
田島
齋藤
林郁
柴山
町山
河合
加藤
山口
賛助会費納入者一覧(94 年以降・敬称略)
卒年
大正12
昭和13
昭和19
昭和20
昭和22
昭和24
昭和26
昭和26
昭和26
昭和26
昭和26
昭和27
昭和28
昭和28
ご氏名
宇野沢 辰次
小林 信男
中上 千秋
小宮山 義二
井桁 八三郎
大崎 恵一郎
浅井 英一
尾崎 行義
神保 新一
橋本 三男
増田 次郎
飯郷 昭二
小原 達治
田尻 泰男
機友会ゴルフ第15回大会のお誘い
研究室
渡部
横田
渡部
渡部
柴山
横田
渡部
昭和29
昭和29
昭和29
昭和31
昭和32
昭和32
昭和32
昭和33
昭和34
昭和37
昭和37
昭和42
昭和42
昭和43
昭和45
昭和45
昭和47
昭和49
昭和52
昭和58
昭和61
昭和63
平成 7
平成 8
平成 9
平成11
大平 武輝
寺本 安成
山中 旭
平田 博美
大石 則忠
濱中 日出男
福田 尚
池田 路夫
上原 康正
榎本 金次郎
康村 利定
犬塚 亮
植田 正之
山下 暁
藤田 成和
森 正澄
大野 栄嗣
橋詰 匠
間辺 仁志
吉原 稔貴
武笠 充浩
星 光昭
柳瀬 康人
石丸 敦史
廣瀬 真幸
奥本 成之
渡部
横田
齋藤
横田
犬養
田島
土屋
小泉
稲田
関
齋藤
河合
土屋
土屋
広瀬
松浦
川田
山川
吉村
川瀬
機友会第14回懇親ゴルフ大会
第 14 回幹事 新井 保文 ( 昭和 27 年卒 )
の好スコアをマークしました。
このコンペも回を重ねるたびに盛況になってきております。関
係者皆さんの並々ならぬ努力により第 10 回という節目の回には
40 名の参加者をみるまでになりました。今回も 15 という節目を
迎えております。今までに参加されたかたも初参加の人もこぞっ
てご出席いただき、さらなる発展をさせていただきたいと思って
おります。
優勝は、昨年1月に心臓の手術をし、
5月の大会に出場して話題をまいた
村山氏(37 年卒)で、グロス 91 という
素晴らしい内容でした。
ベストグロスは珍しく二人が同ス
コアで、大柴氏(37 年卒)と井波氏(38
ゴルフ場も素晴らしいコースです。アップダウンはかなりあり
ますが、乗用カートがありますので、苦にはなりません。正確な
ショットをすれば驚くほどのスコアを出すことも可能です。挑戦
する醍醐味があります。
14 回目の親睦ゴルフ大会は平成 15
年卒)の 88、幹事は急遽賞品を追加し
年 11 月 11 日、川崎生田緑地ゴルフ場
ました。ベスグロが 88 ではご当人た
で開催されました。今大会は「機友会
ちも不満だったと思いますが、当日の
創立 90 周年記念行事」に参加の意味
コース状況を考えれば仕方のないス
19 番ホールの懇親会はこの会のメーンイベントでもありま
す。名誉会長・現役教授のお話・近況報告は学校の状況を知る機
会でもあります。先輩・後輩わけへだてなく自慢話や回顧談がで
き、良い情報交換の場でもあります。また、お互いに家にある未
使用のお宝を持ち合い、珍プレー、好プレーの賞品に活用したり
もしています。このようにして一日を楽しく過ごし、参加者全員
満足して家路につきます。
もあり、10組以上の参加者を目標に会
コアだと思います。
員に呼びかけをしました。しかし、何
プレー後の懇親会は和やかな雰囲
といってもこの会は平均年齢が高い
気のなか、林名誉会長のご挨拶に続
こともあり、今までの参加者にも故障
き、学内から参加の大聖教授(45年卒)
者が出て、10組以上というわけにはい
に大学の近況報告をしていただきま
きませんでしたが、3 名の初参加者を
した。
得て、何とか 10 組まとまり、ホッとし
現在、大学全体が変革期にあり、と
組み合わせもできるだけリクエストに応じていますので、初参
加の人もお気軽にご参加ください。お待ちしております。
ました。
くに理工学部は時代の変遷に対応し
幹事が一番気になるのが、当日の
ていく組織づくりのため専門委員会
お天気です。天気予報は「前日から雨」
が3、4年前から学部の分割・再編を
で、高齢者の多いこの会を考えると、
真剣に検討し、答申案を出しているこ
プレーができるかどうかで頭が白く
と、これにあわせて機械工学科も二つ
場 所:川崎国際生田緑地ゴルフ場(旧川崎国際CC)
なる思いでした。
の学科に再編する検討がかなり具体
交 通:小田急線「向ヶ丘遊園」駅からタクシーで 1200 円程度。
車の場合は、東名川崎インターから15分程度。
当日は夜が明けるのを待って外へ
的な形で進んでいること等々、最新の
出てみると、こぬか雨程度。急いで会
学内情報でした。
場に駆けつけて参加者の顔色をうか
そしてこれの変革について、機械工
がうと、林会長はじめ、19年卒の土橋、
学科は卒業生の意見も参考にしなが
宮武両大先輩がやる気満々の様子、予
ら進めていくつもりなので、皆様のご
定通りスタートできました。スタート
支援をお願いしたいとのことでした。
前の小雨模様もしだいに上がりはじ
表彰式では本番の表彰より、参加者
め、何とか傘なしで全員がホールアウ
寄贈品(不要品)の特別賞の籤引きの
トすることができました。
ほうに盛り上がりがあります。それは
さてプレーのほうですが、私と一緒
会の賞品より内容の良いものが多い
にラウンドしました林会長は久しぶ
からでしょう。今後もご協力をお願い
りなのか、前半は調子が出ない感じで
します。
したが、後半は持ち前のショットが出
今まで予算に合わせて年長者より
てきて自信を取り戻し、お元気にホー
配っていた早稲田カラーのキャップ
ルアウトしました。また大先輩の土橋
は臨時会費で次回は残り全員に配り、
さんですが、早稲田カラー帽子のせい
全員「早稲田カラー」のキャップでこ
か 80 歳という年齢をまったく感じさ
の大会を盛り上げ、より親睦の絆を強
せないスイングで、49・53 と当日のコ
固にしていこうということになりま
ンディションのなかで若い者顔負け
した。
日 時:平成16年5月14日(金)
会 費:約24,000円(プレー代、懇親会費、賞品代、記念写真代)
申込み:4月9日(金)までに、ハガキ・FAX・E-mailで
申込先:〒169 - 8555 新宿区大久保3 - 4 - 1
早大理工学部内 早稲田機友会事務局
FAX:03 - 3205 - 9727
E-mail:[email protected]
担当:村山常昭(昭37) 企画担当:杉島・高橋・石岡
問合せ:早稲田機友会事務局 浅井・土金
TEL:03 - 3203 - 4141 内線73 - 5252
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W.M.E Newsletter Vol.21
早稲田機友会記念誌 ̶ 90周年 ̶
戦前・戦中・戦後、そして、現大久保キャンパスへの移転など、90
年の歩みを多くの会員に綴っていただたものです。その内容は次
の通りです。ご希望の方は事務局までご連絡下さい。
「早稲田機友会記念誌 ̶90周年̶」内容
巻頭言 機友会を語り継ごう
機友会90周年に寄せて 早稲田大学は今 機友会90周年に寄せて 理工学部は今
新生機友会:INNOVATION 94 に取り組んで
機械工学科の現況と今後
機友会会長 山口富士夫
早稲田大学総長 白井 克彦
早稲田大学理工学部長 足立恒雄
梅津 光生
山川 宏
第1篇 語り継ぐ機友会
記録に残る機友会 ∼会報からニュースレターまで∼
無名の英雄 ∼理工学部創設の父・竹内明太郎∼
翼をたたんで
機友会内燃機関研究会の今昔∼ディーゼル機関研究会からモビリティ研究会まで∼
昭和20年前後の実験室の変遷
村上正海先生の追憶
重信侯から貰った卒業証書
絵手紙 ∼水石と曾水の交流∼
機械工学科の思いで
第2篇 変革の中にあって ∼大久保キャンパス∼
大久保キャンパスへの移転
激動と向き合って 門 下 生
あのころのこと ∼大学紛争のはじまり∼
鳴らそう会
私の教授体験
水力学から流体力学へ
不易と流行 ∼図学・製図・設計・CAD∼
システム制御と実物大のプラント
ロボット技術と人の共生
医工学事始め
新学際領域大学院「生命理工学専攻」設立
田島 清灝
深町 一彦
田島 清灝
齋藤 孟
川上 幸作
奥村 敦史
渡部 陽
田島 清灝
久保田尚江
河合 素直
石川新三郎
土屋 喜一
葉山 房雄
田島 清灝
山口富士夫
深町 一彦
藤江 正克
土屋 喜一
梅津 光生
第3篇 記念座談会
「実験・実習」をふりかえる ∼実学を支えた人たち∼
出席者(順不同・敬称略)山口富士夫/齋藤 孟/田島 清○/林 郁彦/川上 幸作/寺田 利邦/平倉 重雄/三
枝 勇/羽澤 登/小野田眞司/土金 利光
第4篇 集まり散じて ∼会員たちの足跡∼
前川喜作を語る ∼前田喜作語録集「和と敬」から∼
木原信敏氏とソニー木原研究所
顧客満足を目指して ∼疾走する技術とともに∼
人・物から情報を運ぶ日本テレコム
カメラと日本
前川 正雄
長谷川幸男
金原 淑郎
坂田 浩一
米谷 美久
私と菅原重二先輩 ∼ストロボのスガワラを語る∼
地の果てで孤軍奮闘!!
アントレプレナーの毀誉褒貶 ∼西和彦とアスキー∼
ミクロンの可能性 ∼ナノでなくとも∼
功得ず名遂げず責を担いて
2000本に1本がOK品
學院時代から學部時代へ
スポーツと私
思い出話 ∼オリーブと呼ばれて∼
早稲田機友会のゴルフ会 ∼「会員の縦(先輩・後輩)の親睦」づくり苦闘7年∼
2003 年 8 月以降に下記の会員のご逝去が判
明しました。ここにご報告いたしますととも
に、謹んでご冥福をお祈りいたします。
卒 年
昭 23 専運
昭 2 旧理工
昭 7 旧理工
昭 11 旧理工
昭 13 旧理工
昭 16 旧理工
昭 23 旧理工
昭 27 一理
昭 38 一理
昭 27 二理
昭 33 二理
昭 62 理工
昭 63 工研機
氏 名
松井 福雄
外山 貞雄
土屋 靖夫
新倉 正二
原科 茂
猪飼 茂
森 巍
長井 昭治
三國 嘉明
小川喜卯六
谷本 哲司
高原 俊之
平岩 明
逝去年月
2003.2
2003.5
2002.10
2003.7
2003.9
2003.8
2003.2
1999.7
2003.8
2003.7
2003.8
2003.7
WMEニュースレター編集後記
機械工学科 富岡 淳
WMEニュースレター第21号をお届けしま
す。今回は,昨年の10月に盛大に開催されまし
た機友会90周年祝賀会に関する特集号といた
しました。祝賀会には,多くの皆様にご参加頂き,
心より感謝申し上げます。機友会90周年は,新
生機友会10周年でもあります。これまでに積み
上げてきたものを無駄にしないようにしつつ,新
しい展開もはかっていかなければならないと考
えています。このWMEニュースレターも,機友
会からの情報発信の場として,新たな方向性を模
索して参りますので,ご協力をよろしくお願い致
します。
WME ニュースレター Vol.21
発行元 早稲田機友会 編集委員会事務局
〒 169-8555 東京都新宿区大久保 3-4-1
早稲田大学理工学部内 55 号館 S 棟 2 階
■囲み記事
西田修平・友情のメダル
渡部寅次郎先生の一服
喜久井町キャンパスの観音様
電子オルガンを演奏するWABOT−2
日曜娯楽版河合坊茶
電話 03-3203-4141(大代表)内線 73-5252
TEL/FAX03-3205-9727
Email [email protected]
浅井/土金が月、火、木、金の 10:00 ∼ 17:00 の間執務。不
在の折には上記FAX、または、梅津研究室(03-5286-3256)
■資料
早稲田機友会90年の歩み
90年間の専門科目の変遷(抜粋)
第1教育支援(機械工学科)各部門主要機器・装置・設備
機友会ホームページ案内 /編集委員名簿 /編集後記
W.M.E Newsletter Vol.21
大越 秀雄
斎藤 俊彦
深町 一彦
笹谷 純子
無名子
金尾 嘉一
小林 信男
三浦 重徳
佐々木洋子
石岡 貞雄
会 員 訃 報
へご連絡下さい。
印刷所 エヌ・ケイ・インターナショナル株式会社
〒102-0072 東京都千代田区飯田橋2-7-4 オオムラビル
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